[吾妻鏡の謎] 吾妻鏡に登場する「日記五郎」と「日記三郎」は、足利一門の「仁木」の誤記か?

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  • เผยแพร่เมื่อ 5 ต.ค. 2024
  • 鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」。
    そこには嘉禎3年4月19日に足利義氏と吉良長氏らとともに「日記五郎」が、
    建長6年1月2日に吉良満氏らとともに「日記三郎」が登場しますが、
    この「日記」は「仁木」の誤記と言うのが通説になっています。
    しかし仁木五郎と仁木三郎は仁木一族の系図に確認されませんので、
    仮説を立てて検証してみました。
    仁木氏の祖「実国」と、子の「義俊」の生年がキーワードになりました。

ความคิดเห็น • 1

  • @深縹-t1q
    @深縹-t1q 2 ปีที่แล้ว

    日本において時の政権における歴史書の編纂は、吾妻鏡が最後になるんだけど~
    その理由は、史書の内容が権力者側の都合により決まるため、それを正式な史書とすると贔屓にされた武士たちの間で戦争の理由になりかねないからかな~?
    当たり前だけど、吾妻鏡は北条氏の正統性を裏づけるためのものだったし~
    二度の元寇で東国の田舎の豪族たちが京や西国の文化に触れることで識字率が向上したり、いろいろあったんだろうね~
    そんなこんなを反面教師にした足利氏は、室町幕府を運営する上で歴史的な正統性を二の次に、まず実力主義により武力統一を掲げたわけで~
    その必然として、将軍家以上に力を持った戦国大名の誕生からの下克上戦国時代へとつながっていく感じかな~?
    まあ、もし室町時代以降の武家社会で歴史書が編纂されていたら、中華のように、政権交代の度に権力者側が根絶やしになって~
    日本の名字はもっと少なくなっていた気がする~