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13:10 川上純義と説明していますが川村純義の誤りです。謹んで訂正いたします。
広島県民です、呉日本製鉄跡地は海上自衛隊が買い上げたいとの意向で進んでますが、呉市は前向きな一方、広島県はあまり積極的でないようです。自衛隊規模拡大に市民団体の反対もあり行政も表向き積極的になれないというのは肌で感じますが、元製鉄所だけに土壌汚染もあり、ほかに有効な跡地構想があるとも思えず、このまま呉地方総監部の拡張というのが現実的ではないでしょうか。
いつも興味深い話題をありがとうございます♪
鉄鉱石の原材料を運んだら軍艦ができるような、製鉄から造船から必要なものはほぼ鎮守府の中で完結したと聞いたことがあります。今回鎮守府の組織を見たことで、かなり権限やできることの幅が大きかったのでできたこと、と理解が深まりました。一国の海軍組織の小型版って感じなんですかね?
中央集権国家に属する国軍が何百年も無くてどうしたら良いか分からなくて律令制の時代まで戻したってのは面白いなあ😄
○十年前、舞鶴湾某所で仕事した時に、「機雷調査は必ず指定業者やれ、自分でやるな」と言われ、ちょっと驚きました。今はどうなんだろ?落とせなかったネタの供養に、その時の会話をば。機雷調査員「兄ちゃん、海軍好きか?」自分「はい、舞鶴要港で仕事なんで-調査員「鎮守府!」自分「・・・あ、はいすんません。鎮守府でした」「-舞い上がってます、舞鶴だけに」というオチを言わせて貰えなかった良い思い出。
貴重なお話を伺えてありがたいです。復員に関して知りたければ、舞鶴訪問は必須ですね。青葉山も登りたいですし、海の幸込みで再び行きたい場所です。
神戸も軍港ではないですが、江戸時代は「神戸村」ですからねぇ。幕末から明治にかけて城下町である姫路(プラス丹波など北側)の税収をぶち込んで港と街を大きくしたと。
国が方針を示して取り組めば大都市が生み出せた時代、小さい国だから出来たことですが、ダイナミックでワクワクする時代ではあったでしょうね。
今回も興味深い解説でした。鎮守府と言う言葉は良く聞いていましたが、その構成や歴史については初見知識でした。鎮守府と言うのは日本海軍独自のものなのでしょうか? イギリスやアメリカの海軍基地とは異なるものなのでしょうかね。
国内の自衛隊や米軍の拠点は旧軍から継承したものが多いですね新規の大規模な開発は馬毛島が戦後初ではないでしょうか
西海は“さいかい”ですよ
6:44 防戦戦隊ではなく、防備戦隊ではないでしょうか?海軍区内の警備に従事する艦艇の集合体が警備戦隊。それに様々な付加価値(教育訓練、人事など)をつけたものが防備戦隊。・・・という関係だったはず。
祖父が海軍海兵隊だったので物凄く既視感があります😂呉や横須賀で明らかな派閥があるので今でも鎮守府が西だと上方由り、下方の方が一目置かれるみたいですね。大戦末期に横須賀に派兵された際は艦艇は元より、風呂釜沸かす薪と燃料も無くてシラミだらけだったと聞きました。呉や西から撤兵して来た市民や軍需品をしこたま詰め込んだ商船が朝鮮や南洋から帰還する船舶を連日、機雷で狙い撃ちにされていたので、瀬戸内海では潮の流れで朝夕の浜辺に大量の物資が打ち上げれていたそうです。
13:10 川上純義ではなく川村純義です。固有名詞、特に人名は慎重に扱っていただければと思います。
ご指摘ありがとうございます。
西海が正解なんちて😂
鎮守府の説明に「鎮守の森」の概念が全く出ないことにビックリした。その手の神道系統や明治維新の精神云々には距離を置いている人間なのだが、それでも、殊更避けているような投稿内容には違和感を覚える。
鬱陶しい…
13:10 川上純義と説明していますが川村純義の誤りです。謹んで訂正いたします。
広島県民です、呉日本製鉄跡地は海上自衛隊が買い上げたいとの意向で進んでますが、
呉市は前向きな一方、広島県はあまり積極的でないようです。
自衛隊規模拡大に市民団体の反対もあり行政も表向き積極的になれないというのは肌で感じますが、
元製鉄所だけに土壌汚染もあり、ほかに有効な跡地構想があるとも思えず、このまま呉地方総監部の拡張というのが現実的ではないでしょうか。
いつも興味深い話題をありがとうございます♪
鉄鉱石の原材料を運んだら軍艦ができるような、製鉄から造船から必要なものはほぼ鎮守府の中で完結したと聞いたことがあります。
今回鎮守府の組織を見たことで、かなり権限やできることの幅が大きかったのでできたこと、と理解が深まりました。
一国の海軍組織の小型版って感じなんですかね?
中央集権国家に属する国軍が何百年も無くてどうしたら良いか分からなくて律令制の時代まで戻したってのは面白いなあ😄
○十年前、舞鶴湾某所で仕事した時に、「機雷調査は必ず指定業者やれ、自分でやるな」と言われ、ちょっと驚きました。
今はどうなんだろ?
落とせなかったネタの供養に、その時の会話をば。
機雷調査員「兄ちゃん、海軍好きか?」
自分「はい、舞鶴要港で仕事なんで-
調査員「鎮守府!」
自分「・・・あ、はいすんません。鎮守府でした」
「-舞い上がってます、舞鶴だけに」というオチを言わせて貰えなかった良い思い出。
貴重なお話を伺えてありがたいです。
復員に関して知りたければ、舞鶴訪問は必須ですね。青葉山も登りたいですし、海の幸込みで再び行きたい場所です。
神戸も軍港ではないですが、江戸時代は「神戸村」ですからねぇ。幕末から明治にかけて城下町である姫路(プラス丹波など北側)の税収をぶち込んで港と街を大きくしたと。
国が方針を示して取り組めば大都市が生み出せた時代、小さい国だから出来たことですが、ダイナミックでワクワクする時代ではあったでしょうね。
今回も興味深い解説でした。鎮守府と言う言葉は良く聞いていましたが、その構成や歴史については初見知識でした。
鎮守府と言うのは日本海軍独自のものなのでしょうか?
イギリスやアメリカの海軍基地とは異なるものなのでしょうかね。
国内の自衛隊や米軍の拠点は旧軍から継承したものが多いですね
新規の大規模な開発は馬毛島が戦後初ではないでしょうか
西海は“さいかい”ですよ
6:44 防戦戦隊ではなく、防備戦隊ではないでしょうか?
海軍区内の警備に従事する艦艇の集合体が警備戦隊。
それに様々な付加価値(教育訓練、人事など)をつけたものが防備戦隊。
・・・という関係だったはず。
祖父が海軍海兵隊だったので物凄く既視感があります😂呉や横須賀で明らかな派閥があるので今でも鎮守府が西だと上方由り、下方の方が一目置かれるみたいですね。大戦末期に横須賀に派兵された際は艦艇は元より、風呂釜沸かす薪と燃料も無くてシラミだらけだったと聞きました。呉や西から撤兵して来た市民や軍需品をしこたま詰め込んだ商船が朝鮮や南洋から帰還する船舶を連日、機雷で狙い撃ちにされていたので、瀬戸内海では潮の流れで朝夕の浜辺に大量の物資が打ち上げれていたそうです。
13:10 川上純義ではなく川村純義です。固有名詞、特に人名は慎重に扱っていただければと思います。
ご指摘ありがとうございます。
西海が正解なんちて😂
鎮守府の説明に「鎮守の森」の概念が全く出ないことにビックリした。その手の神道系統や明治維新の精神云々には距離を置いている人間なのだが、それでも、殊更避けているような投稿内容には違和感を覚える。
鬱陶しい…