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Ever once in a while i run across a checkpoint in life where i listen to this again.
この曲はグルービーで、本当にいいですね。28歳の僕ですが何か懐かしく感じます。
青純のシャッフルビートが凄まじいです。ハイハットのスイング系のハネ方が凄いですね〜さすが青純です。
明日、午前5時30分起きなのですが、なぜだか睡られず、この曲を聴きたくてTH-camに来てしまいました。あの頃、つきあっていた博子の事を夢に見て、『次の土曜日には会津の五色沼までドライブに行こうよ』なんてなぜか、リアルな夢を見てしまいました。
何度聞いても心地よい
This instrumental is so good
夜、これ聞きながらドライブしたらネオンの光がいつもより眩しくて
Love this, great music.
みなさんのコメントが素敵。まとめて一冊の本にしてほしい。
AMAZING
Beautiful…..From Paris ( France )
良い時代でしたね。何をしても楽しくて、明日への不安を考えた事もなかった。若かったんだと思います。学生時代から付き合っていた彼が就職で地方に配属、1ヶ月か2週間に1度会えるのが楽しみだった。すべてがきらきらした思い出。もう…2度と戻りたくても戻らないんですね。
+yoko yamauchi 平成も一桁の頃、僕は本当に、ひねもす、彼女だけを愛して、会っている時、彼女の中にいる時、この時が、本当に永遠に、続けばいい・・・ずっと、ずっと思っていました・・・この時が永遠でいたらと・・・
悲しい世代ですね。
可哀想ですね。本当に!!!
A man of culture anthem
bass so good
40年前のグルーヴ。令和の御代でこの感覚の音が紡げるミュージシャンが居るだろうか?青山純さんが居ない過去の音だからか…グルーヴの良さと比例して切なさが胸にこみ上げる。
人生で2000回は聞いてると思う
この曲を聴くこと楽しかった時を思い出す
テレビ東京の天気予報でよくつかわれていましたー。
このサウンド、なんていうか都会の孤独や人間模様を期待させる音だね。小気味いいリズムと脱力感がそう感じさせてる。
なぜだが、高田馬場駅で毎週、サークルの飲み会の飲み場所の告知で使われていたのを思い出します…『清流、黄色の酒飲みたい人、午後7時集合』等など…今でもあるのかしら清流…
高校からの友達が新潟の僕のマンションで1ヶ月住み続けて、僕は彼らの朝ごはんを作って、朝、『行ってきます、出かける時は鍵閉めてね』不思議なカンジでした。土曜日になると彼女が僕の部屋に来て、彼らの晩御飯を作ってくれて、僕達だけで単身赴任でお父さんのところにお母さんが行って不在の彼女の家で新婚気分で好きなだけ愛し合って・・・今、考えると、とても自由でサイコーでしたに本当に彼女を愛していたと思います。
なんか良い🎵この感じ懐かしい…💧俺もあったなこんな時が…あー今も変わらないこんな感じだわ
@@木村悟-p5e めんどうくさいから卵を4個(友人達は3人もいたので)を一挙にフライパンで焼いて目玉焼き、トーストは一回で2枚ずつ焼き、バター・ジャムはお好みで。今も休日に家族の朝食を作る度に、あの合宿生活のような日々を思い出します…一人は数学専攻の大学の教授に、一人は測量会社の経営者に、一人はある県の県職の土木の局長に…。皆、モラトリアムしていたけれど立派になって。30年経っても昨日のように思い出します。
青山純さんの伝家の宝刀ハーフタイムシャッフルかな??巧すぎる‼正確すぎる
Chilll
刑事ドラマにこの曲をつかってたなんて、当時のどらまのほうがセンスいい。いまの曲のほうが演歌に近い。
今では、夢幻のようにしか記憶に残っていませんが、確か、当時、小学生の自分には『刑事K』に達ちゃんが、ドラマのストーリーとは全然、関係なく、イキナリ、出てきて『マイ スュガーベイブ』を歌った記憶が有ります…当時流行りのVTRではなく映画のフィルムだったような気がします…
本当の話ですよ、実際に見ましたから、ぼけてませんよ。
「警視ーK」の最終回は「マイシュガーベイヴ」っていうタイトルでしたね。スカパーで全話見たはずだけど、達郎は出てなかったと思うなあ。もっとも出演するプランはあったらしいかど。
16ミリフィルムですね、たぶん。でも勝新だったら35ミリで撮ってそう・・。
ここちいい。
『刑事K』ではなくて『警視K』でした…警視って、警察では、とっても階級が上です…26歳の時につきあっていた彼女の父親が、新潟の某市の警察署長で毎週土日、単身赴任していた某市に彼女の母親が泊りに行っていました…本当に、あの頃、彼女の家に土日泊りに行くのが…今、考えても、いつも、ひねもす、ズボンを着ていた記憶が有りません…彼女の父親が『警視正』でした…太陽は黄色に見えませんでしたが…土曜日、夕方4時頃、彼女から『ニチイに晩御飯のおかずを買って来て!』って言われて1キロ先のスーパーに行くのが辛かった…足が…、膝が本当に上がりませんでした…
テレビ東京の土曜日曜の夕方の15分ニュース番組の天気予報コーナーのBGMだったのに変わっちゃいましたね。。。残念。
『刑事K』じゃなくて『警視K』でした…なぜだが、達ちゃんがスタジオにいて出演していた、あいまいな記憶が…
本当にEndless でしたにぃ・・・今では、現実にあったのか、信じられないぐらいです・・・混雑している東西線の車内で、あれは夢か幻かって、よく思い出します・・・今、現在の彼女が、映っている、Facebookを見ているとあの時の彼女、声が蘇り、とても現実とは思えないのです・・・
広いキッチンでエプロンしている彼女を後ろから抱きしめるのが大好きでした・・・・この時が永遠に続けば良い・・・・今にして思うと、本当に貴重で大切な時間だったんですね・・・失って初めて思います・・・痛いほど・・・
今、思うと、なぜ、女の子のベットは、なぜ、あんなにも甘くて、柔かくて、暖かい、香りがするのでしょうか?今でも女房が寝ているベットに横になるたび、不思議と心がドキドキします・・・あの頃、君がいるだけで、それだけで、僕は、なんて、夢中になれたんだろう・・・君のベットに、君がいるだけで・・・
飲み潰された 迷い込んだキリンが 僕の周りを泳いでいる乾かして 暖房の強さに負けている電車のスピードに負けないくらいの火花散らして 抜けていく改札とイシツブテお洒落小学生のジョウジは言うのさつまらない大人になるなとアイスキング オワ シャンディーガフ歪んだ太陽が消滅した後君と夜を星の数だけ祝福するのさララユララ パイプグラス 何もおかしくは無いと 頭を揺らしてる歪んだ世界にガソリンを入れて走るサーパス52
本当にひねもす、ズボンをはいていた記憶がなく仏間でひざの内側が擦り切れてとても痛かった記憶が・・・いくら僕が25歳と若かったとはいえ、朝9時、午前11時、お昼食べて午後1時、お昼寝して午後3時、晩御飯食べて7時、ちよっとt寝て午後9時、突然、目が覚めて午前1時(この時はとても長かったずっと、ずっとでした・・・)今、考えても元気でしたにぃ・・・
不思議と、あの時、新潟の亀田で仰ぎ見た黄色の太陽と、LAのリトルトーキョーで見た太陽が同じ色だったのが、忘れられません…
コンビニで売っていたセンベロ特集のムック本に大統領と一緒に高田馬場の清龍が、懐かしい!!!
たかだのばばのせいりゅう!!!せいりゅうのきいろのSAKE!!!魂が抜ける、あの黄色の酒ですね!!!
僕が就職する前の神奈川の友達が、ずっと新潟の駅前の僕のマンションでまちぼうでしたが、僕は、彼女のベットでうたた寝、夜明けまでには帰らなければいけないんだけれど、ずっと暖かい彼女のベッドを離れられず・・・
あの頃は、携帯電話もなく、いつも不在の僕のマンション横で待ちぼうけの高校以来の友人達は、真夏の新潟の午後2時から深夜3時過ぎまで・・・僕は、日曜日の朝帰りで、風体の悪い奴らが、車の中で3人も寝ていて、“やばい奴らがいるなぁ”と見てたら旧友達でした。
高校時代の旧友3人の内、1人は大学院の修士課程、2人目は教師を目指していた夏休中の臨時教員、3人目は日本に帰国中のクレージー・ジャーニー系のバックパッカー、僕だけが少し責任の有る仕事を任され始めた社会人3年目、本当に“結婚”を考えはじめていた25才の夏でした。
22歳の彼女が広いキッチンでエプロンを着て晩御飯を作っている、後ろから抱き締めるのが、本当に大好きでした…
白い清潔なシーツ、ピンク色のまくら、肌寒くなると懐かしくなる毛布・・・今でもまざまざと思い出す、君の部屋、君のにおい、君の二の腕・・・
와 기가 맥히다
いくら自分の娘が大ファンであっても、達ちゃんがイキナリ、ドラマに出てきて『マイ シュガーベイブ』を歌われてもねぇ…やりたい放題でしたねぇ、大御所『K』…
『お母さん、出かけたよ』って、土曜日の朝、彼女からの電話で目覚めて、急いでシャワーを浴びて、新潟から亀田へ車を飛ばして、ドアを開けた瞬間、彼女の唇にむしゃぶりつく・・・朝ご飯は、それから1時間後、今度は一緒にシャワーを浴びて、ゆっくりと・・・お昼ご飯を食べて、ひとときの昼寝の後、汗をかきながら・・・僕が25歳、彼女が22歳、若かったんですねぇ・・・
shihobo あるよねぇ、甘い想い出。そんな想い出をこういう曲で思い出せるって、幸せ。
山下達郎
僕が25歳、彼女は22歳、僕は彼女だけを愛していました。彼女の唇、胸・・・・僕は本当に彼女だけを愛していました・・・
そうですか...角松さんもいい人だと思うんですがねえ。こっちではまるで態度が違いますね。
+Cute Cats 達郎と角松では、尊敬度合いが全然、違うのは当然です!!!いくら同じRVCといえどもです・・・
+shihobo まあ山下達郎のサウンドは色褪せない名盤ばかりですが、やがて達郎の16ビートのノリは角松へと受け継がれていきましたからね。角松の81年のアルバムなんかはそうです。かにかに言ってないで角松も聞いてみたらどうです?シュガーベイブで音楽に目覚めてシカゴや、AORで育ったら誰だって達郎サウンドに似るでしょうに。
+Cute Cats 達郎を聞いて、日本のポップス界の革新、革命を感じない人はいないと思います。おそらく“村上のノルウェーの森”を読んだ衝撃と同じように・・・それぐらい達郎は素晴らしい人でした、今でもそうであるように。角松はどうでしょうか?パクッテ、パクッテ、惚れた女が結婚したら、隠遁生活・・・せいぜい寝たオンナの名前で曲を作るのが、せきのやま・・・悲しすぎます・・・
+Cute Cats おもしろい逸話、都市伝説が有ります。角松がグルーピィーのオネエチャンと寝た翌朝、鏡に彼女が残したルージュのメッセージ・・・“Welcome to Aids World”角松は震え上がったとか・・・
Tiene el estilo de "Te necesito" de Luis miguel :0
替えられないセンス
朝、目覚めても今ほどは、僕はひげも濃くなく、君の腕や顔をすりすりしても全然、痛いとは言われず、ただ、くすぐったい、お願いもうすこし寝させてせ、としか言われなかった・・・
Ever once in a while i run across a checkpoint in life where i listen to this again.
この曲はグルービーで、本当にいいですね。28歳の僕ですが何か懐かしく感じます。
青純のシャッフルビートが凄まじいです。ハイハットのスイング系のハネ方が凄いですね〜
さすが青純です。
明日、午前5時30分起きなのですが、なぜだか睡られず、この曲を聴きたくてTH-camに来てしまいました。
あの頃、つきあっていた博子の事を夢に見て、『次の土曜日には会津の五色沼までドライブに行こうよ』なんて
なぜか、リアルな夢を見てしまいました。
何度聞いても心地よい
This instrumental is so good
夜、これ聞きながらドライブしたらネオンの光がいつもより眩しくて
Love this, great music.
みなさんのコメントが素敵。
まとめて一冊の本にしてほしい。
AMAZING
Beautiful…..From Paris ( France )
良い時代でしたね。
何をしても楽しくて、明日への不安を考えた事もなかった。
若かったんだと思います。
学生時代から付き合っていた彼が就職で地方に配属、
1ヶ月か2週間に1度会えるのが楽しみだった。
すべてがきらきらした思い出。
もう…2度と戻りたくても戻らないんですね。
+yoko yamauchi 平成も一桁の頃、僕は本当に、ひねもす、彼女だけを愛して、会っている時、彼女の中にいる時、この時が、本当に永遠に、続けばいい・・・ずっと、ずっと思っていました・・・この時が永遠でいたらと・・・
悲しい世代ですね。
可哀想ですね。本当に!!!
A man of culture anthem
bass so good
40年前のグルーヴ。
令和の御代でこの感覚の音が紡げるミュージシャンが居るだろうか?
青山純さんが居ない過去の音だからか…グルーヴの良さと比例して切なさが胸にこみ上げる。
人生で2000回は聞いてると思う
この曲を聴くこと楽しかった時を思い出す
テレビ東京の天気予報でよくつかわれていましたー。
このサウンド、
なんていうか都会の孤独や人間模様を期待させる音だね。
小気味いいリズムと脱力感がそう感じさせてる。
なぜだが、高田馬場駅で毎週、サークルの飲み会の飲み場所の告知で使われていたのを思い出します…
『清流、黄色の酒飲みたい人、午後7時集合』等など…
今でもあるのかしら清流…
高校からの友達が新潟の僕のマンションで1ヶ月住み続けて、僕は彼らの朝ごはんを作って、朝、『行ってきます、出かける時は鍵閉めてね』不思議なカンジでした。土曜日になると彼女が僕の部屋に来て、彼らの晩御飯を作ってくれて、僕達だけで単身赴任でお父さんのところにお母さんが行って不在の彼女の家で新婚気分で好きなだけ愛し合って・・・今、考えると、とても自由でサイコーでしたに本当に彼女を愛していたと思います。
なんか良い🎵
この感じ
懐かしい…💧
俺もあったなこんな時が…
あー今も変わらない
こんな感じだわ
@@木村悟-p5e
めんどうくさいから卵を4個(友人達は3人もいたので)を一挙にフライパンで焼いて目玉焼き、トーストは一回で2枚ずつ焼き、バター・ジャムはお好みで。
今も休日に家族の朝食を作る度に、あの合宿生活のような日々を思い出します…
一人は数学専攻の大学の教授に、一人は測量会社の経営者に、一人はある県の県職の土木の局長に…。
皆、モラトリアムしていたけれど立派になって。
30年経っても昨日のように思い出します。
青山純さんの伝家の宝刀ハーフタイムシャッフルかな??巧すぎる‼正確すぎる
Chilll
刑事ドラマにこの曲をつかってたなんて、当時のどらまのほうがセンスいい。
いまの曲のほうが演歌に近い。
今では、夢幻のようにしか記憶に残っていませんが、確か、当時、小学生の自分には
『刑事K』に達ちゃんが、ドラマのストーリーとは全然、関係なく、イキナリ、出てきて『マイ スュガーベイブ』を歌った記憶が有ります…
当時流行りのVTRではなく映画のフィルムだったような気がします…
本当の話ですよ、実際に見ましたから、ぼけてませんよ。
「警視ーK」の最終回は「マイシュガーベイヴ」っていうタイトルでしたね。
スカパーで全話見たはずだけど、達郎は出てなかったと思うなあ。もっとも出演するプランはあったらしいかど。
16ミリフィルムですね、たぶん。でも勝新だったら35ミリで撮ってそう・・。
ここちいい。
『刑事K』ではなくて『警視K』でした…
警視って、警察では、とっても階級が上です…
26歳の時につきあっていた彼女の父親が、新潟の某市の警察署長で毎週土日、単身赴任していた某市に彼女の母親が泊りに行っていました…
本当に、あの頃、彼女の家に土日泊りに行くのが…
今、考えても、いつも、ひねもす、ズボンを着ていた記憶が有りません…
彼女の父親が『警視正』でした…
太陽は黄色に見えませんでしたが…
土曜日、夕方4時頃、彼女から『ニチイに晩御飯のおかずを買って来て!』って言われて1キロ先のスーパーに行くのが辛かった…
足が…、膝が本当に上がりませんでした…
テレビ東京の土曜日曜の夕方の15分ニュース番組の天気予報コーナーのBGMだったのに変わっちゃいましたね。。。残念。
『刑事K』じゃなくて『警視K』でした…
なぜだが、達ちゃんがスタジオにいて出演していた、あいまいな記憶が…
本当にEndless でしたにぃ・・・今では、現実にあったのか、信じられないぐらいです・・・混雑している東西線の車内で、あれは夢か幻かって、よく思い出します・・・今、現在の彼女が、映っている、Facebookを見ているとあの時の彼女、声が蘇り、とても現実とは思えないのです・・・
広いキッチンでエプロンしている彼女を後ろから抱きしめるのが大好きでした・・・・この時が永遠に続けば良い・・・・今にして思うと、本当に貴重で大切な時間だったんですね・・・失って初めて思います・・・痛いほど・・・
今、思うと、なぜ、女の子のベットは、なぜ、あんなにも甘くて、柔かくて、暖かい、香りがするのでしょうか?今でも女房が寝ているベットに横になるたび、不思議と心がドキドキします・・・あの頃、君がいるだけで、それだけで、僕は、なんて、夢中になれたんだろう・・・君のベットに、君がいるだけで・・・
飲み潰された 迷い込んだ
キリンが 僕の周りを泳いでいる
乾かして 暖房の強さに
負けている
電車のスピードに負けないくらいの
火花散らして 抜けていく改札と
イシツブテ
お洒落小学生のジョウジは言うのさ
つまらない大人になるなと
アイスキング オワ シャンディーガフ
歪んだ太陽が消滅した後
君と夜を星の数だけ祝福するのさ
ララユララ パイプグラス
何もおかしくは無いと 頭を揺らしてる
歪んだ世界にガソリンを入れて走る
サーパス52
本当にひねもす、ズボンをはいていた記憶がなく仏間でひざの内側が擦り切れてとても痛かった記憶が・・・いくら僕が25歳と若かったとはいえ、朝9時、午前11時、お昼食べて午後1時、お昼寝して午後3時、晩御飯食べて7時、ちよっとt寝て午後9時、突然、目が覚めて午前1時(この時はとても長かったずっと、ずっとでした・・・)今、考えても元気でしたにぃ・・・
不思議と、あの時、新潟の亀田で仰ぎ見た黄色の太陽と、LAのリトルトーキョーで見た太陽が同じ色だったのが、忘れられません…
コンビニで売っていたセンベロ特集のムック本に大統領と一緒に高田馬場の清龍が、懐かしい!!!
たかだのばばのせいりゅう!!!
せいりゅうのきいろのSAKE!!!
魂が抜ける、あの黄色の酒ですね!!!
僕が就職する前の神奈川の友達が、ずっと新潟の駅前の僕のマンションでまちぼうでしたが、僕は、彼女のベットでうたた寝、夜明けまでには帰らなければいけないんだけれど、ずっと暖かい彼女のベッドを離れられず・・・
あの頃は、携帯電話もなく、いつも不在の僕のマンション横で待ちぼうけの高校以来の友人達は、真夏の新潟の午後2時から深夜3時過ぎまで・・・
僕は、日曜日の朝帰りで、風体の悪い奴らが、車の中で3人も寝ていて、“やばい奴らがいるなぁ”と見てたら
旧友達でした。
高校時代の旧友3人の内、1人は大学院の修士課程、2人目は教師を目指していた夏休中の臨時教員、
3人目は日本に帰国中のクレージー・ジャーニー系のバックパッカー、僕だけが少し責任の有る仕事を任され始めた社会人3年目、本当に“結婚”を考えはじめていた25才の夏でした。
22歳の彼女が広いキッチンでエプロンを着て晩御飯を作っている、後ろから抱き締めるのが、本当に大好きでした…
白い清潔なシーツ、ピンク色のまくら、肌寒くなると懐かしくなる毛布・・・今でもまざまざと思い出す、君の部屋、君のにおい、君の二の腕・・・
와 기가 맥히다
いくら自分の娘が大ファンであっても、達ちゃんがイキナリ、ドラマに出てきて
『マイ シュガーベイブ』を歌われてもねぇ…
やりたい放題でしたねぇ、大御所『K』…
『お母さん、出かけたよ』って、土曜日の朝、彼女からの電話で目覚めて、急いでシャワーを浴びて、新潟から亀田へ車を飛ばして、ドアを開けた瞬間、彼女の唇にむしゃぶりつく・・・
朝ご飯は、それから1時間後、今度は一緒にシャワーを浴びて、ゆっくりと・・・
お昼ご飯を食べて、ひとときの昼寝の後、汗をかきながら・・・
僕が25歳、彼女が22歳、若かったんですねぇ・・・
shihobo あるよねぇ、甘い想い出。そんな想い出をこういう曲で思い出せるって、幸せ。
山下達郎
僕が25歳、彼女は22歳、僕は彼女だけを愛していました。彼女の唇、胸・・・・僕は本当に彼女だけを愛していました・・・
そうですか...角松さんもいい人だと思うんですがねえ。こっちではまるで態度が違いますね。
+Cute Cats 達郎と角松では、尊敬度合いが全然、違うのは当然です!!!いくら同じRVCといえどもです・・・
+shihobo まあ山下達郎のサウンドは色褪せない名盤ばかりですが、やがて達郎の16ビートのノリは角松へと受け継がれていきましたからね。角松の81年のアルバムなんかはそうです。かにかに言ってないで角松も聞いてみたらどうです?シュガーベイブで音楽に目覚めてシカゴや、AORで育ったら誰だって達郎サウンドに似るでしょうに。
+Cute Cats 達郎を聞いて、日本のポップス界の革新、革命を感じない人はいないと思います。おそらく“村上のノルウェーの森”を読んだ衝撃と同じように・・・それぐらい達郎は素晴らしい人でした、今でもそうであるように。角松はどうでしょうか?パクッテ、パクッテ、惚れた女が結婚したら、隠遁生活・・・せいぜい寝たオンナの名前で曲を作るのが、せきのやま・・・悲しすぎます・・・
+Cute Cats おもしろい逸話、都市伝説が有ります。角松がグルーピィーのオネエチャンと寝た翌朝、鏡に彼女が残したルージュのメッセージ・・・“Welcome to Aids World”角松は震え上がったとか・・・
Tiene el estilo de "Te necesito" de Luis miguel :0
替えられないセンス
朝、目覚めても今ほどは、僕はひげも濃くなく、君の腕や顔をすりすりしても全然、痛いとは言われず、ただ、くすぐったい、お願いもうすこし寝させてせ、としか言われなかった・・・