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この事件は、当時のテレビのニュースで観た。私は事件の関係者じゃないけど、炭坑夫の家族が「お父ちゃんゴメン」と泣き崩れる姿がテレビに映り、ニュースを見ていた私も涙が止まらなかった。亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りいたします。
炭鉱夫の家庭では、朝食が一日の食事の中で一番豪華だったそうです。 無事に生きて帰れるかどうか判らないからと。いわば、最後の晩餐と言う意味合いで。
夕張で炭鉱事故があったのは知っていたけど、ここまで壮絶だったとは…。注水を決断した会社側も、さぞ苦しかった事だろう。炭鉱で亡くなられた皆様に、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
会社や社長を擁護することはできないけどお命ちょうだいいたしますの台詞を言えたことだけは評価できるでしょう普通の経営者ならただ申し訳ございませんを繰り返し土下座するだけ普通の政治家なら何も言わずに緊急入院するだけくれと言われてはいどうぞとはならないけどその台詞がなければ誰も諦められずさらなる事態の悪化もありえた
壮絶な覚悟を持っての一言ですよね....
道北出身者です。当時毎日のように北海道のテレビで事故を放送してました。。自分の親戚も違う街でしたが炭坑夫だったので複雑な心境でした。。
放水の段階で中に居た人は亡くなってたと信じたい…
ホント....わずかでも苦しみ少なく逝っていて欲しい....
[お命を頂戴いたします]……この言葉は令和になっても、語り継がれていきそう。夕張と聞くと、夕張メロンが真っ先に浮かんだんだが。
小学生の頃テレビでリアルタイムで見てました。炭坑夫の方々も、決断を強いられた経営陣も一生引き摺る決断でしたね…
生きているかタヒんでいるかは分からない。分からないうちは持てる希望を完全に断つ決断だからね。家族も社長も人間。大変だったと思うよ
知らなかった…これは泣ける…安全第一だよ…
テレビで泣いている家族もだけどずっと母は泣いていて、父は仕事から帰ってきても怒ったような険しい顔をしていたのを覚えている。両親ともに夕張出身。事故にあわれた方々に友達やら知り合いが多数いたとの事。あんなに悲しいサイレンの音は忘れられない。
夕張が元気だった頃に洋品店を経営していた人、何を仕入れても飛ぶように売れたと言ってました。もう、あっという間に。休む間もないと。
酷い事故でしたね。黒いダイヤと言われた石炭は衰退し、赤いダイヤと言われたメロンは発展したね。
北海道の赤いダイヤは小豆では?
俺が10歳の時か。 覚えてない。 遺族や会社は辛かったんだろうな。 ご冥福をお祈りいたします。。。
当時子供だったがニュースで「ホッカイドウユウバリタンコウ」という言葉が連日繰り返し流れていたのは強く記憶に残っている。当時、穴の中から煙が出ている映像や、大きな事故でそこで人が亡くなったのは何となく理解できたが、詳しい状況をきちんと聞けたのは初めてでした。ありがとうございました。
70歳近くの人がゆっくり解説動画見てると思うと令和って凄い時代なんだと思った
@@ディゾン昭和56年(1981年)の事故なので精々40〜50代ではないでしょうか?
@@namuru1226o それは失礼しました
@@ディゾン ご丁寧にお返事ありがとうございます。お節介失礼しました
この事件は幼き日の記憶として残っています。 子供だったから???でしたがTVの中で大人達が阿鼻叫喚していたのをハッキリと覚えています…
80年代なんてついこないだみたいな思い出だけど若い人にとっては40年前なんて大昔の遠い歴史の出来事なんだよね。改めて聞くと石炭がこの頃迄一応まあ有ったんだもん。。。
企業よりさらに政府が悪いな
補助金をエサに無理な出炭計画を半ば強いらせた国が1番悪いのではと思います。
この事故は知りませんでした。亡くなられた方は辛かったと思います。ご冥福お祈りします。合掌。
Amazonのプリントオンデマンドで「北炭夕張新炭鉱の悲劇」(古書もあり)、古書で「聞け炭鉱(ヤマ)の怒りを」があります。前者は経営側の視点で、後者は現場労働者の視点から記されています。この動画を見て一層の関心を持って読み進めています。
悲しくて仕方がない、やりきれない気持ちになりました。炭鉱は閉鎖空間なうえ、メタンガスが充満するんじゃ事故が起きたらどうしようもないんですね。「お命を頂戴いたします」、なんて重い言葉でしょうか。
大昔、小学校の暖房は石炭を燃やすダルマストーブだった。ある日、石炭を見たことのない婆ちゃんに見せる為に、学生服のポケットに一つ持って帰った。石が燃えるといっても信じないので、五右衛門風呂の焚き付けに使った。それを見て婆ちゃんは、「石が燃えるなんて、不思議な物んじゃのう!」とか言ってた。その石炭も夕張市から来ていたのかも知れない。
何でそんなにノルマがきつかったのかそれはもう日本政府が石炭は安価な外国からの輸入に切り替えたからこの炭鉱は日本各地の炭鉱が閉山しまくった後にできたもの(長崎で有名な端島も無人となった後かな)そもそも、日本でも炭鉱事故がめちゃくちゃ多かった夕張でそんな無茶をやればどうなるかなんて、彼等自身が1番よく理解していたでも、国からの支援を切られるわけにはいかない自分としては、会社よりもこんな事をしなければならないようなノルマを企業に出した当時の日本政府にこそ責任があると思ってるけどねまあ、結局のところ今のCの政府と当時の日本政府って同レベルだったって話今でこそ人命優先でいるけど、当時は使い捨てだったんでしょ日本各地で公害が発生したりもしてたし経済発展に犠牲はつきもの、というまさに今のCそのものだったってだけの事
サムネだけ見ると「はー?!」ってなったけど社長も辛すぎるな…
会社も会社だが 色々調べる限り当時の政府のやり口もなかなかのものだな。結果会社に全責任負わせたけど。閉山したら多数の失業者出るし、断ったら支援金貰えないし、どうやっても存続する道なかったろ
もし、自分がお命頂戴される側だったら、、絶望だな、、想像もしたくないそれを宣言しなければならないのも、実行しなければ被害が広がってしまうから、生きている自分たちの未来のために、命を頂戴します、って言わなきゃならなかった心情は、複雑だっただろうな苦渋の決断だったろうな、繰り返されてはならないとても悲惨な事件だと思いますちょっとした火傷でも、痛っ、てなるのに、それに加えて有害ガスとか煙とか、、怖かっただろうな、冥福を祈るしかありません
1981年にそんなことがあったとは… 炭坑事故はホラー小説「残穢(ざんえ)」にも出てきたけど悲惨ですね
炭鉱で働いてた人もだけど救護に来てこれはまじで可哀そう
当時24時間放送でなかったNHK第一放送が深夜に逐一報道していたのを聴きました。
注水、と一言で言うけど、これだけの規模の炭鉱を水没させるには何日もかかっただろう。さらにその水を抜くのにも何日もかかったはず。それからやっと捜索、遺体収容。この長い間のご家族の苦しみは想像を絶するものだったろう。
日本はまだ家族の同意書を貰ってからやるのだから偉いなぁ。中国やったら家族の反対があろうが無かろうが有無を言わさず強権発動しているやろうからな。
あそこは思想のせいか、人口が多すぎるせいか、人権も命も軽い国やしな。
中国にとって1番大切なのは中国共産党!人の命はゴミよりも軽んじる国家😡
言う方も壮絶な覚悟がいる
技術と危険は隣り合わせ。
そんなことはないぞ。技術が進化した今は、無人でできることも増えたし、昔より安全な世界になっとるぞ
@@純一郎鑑-p5e そういう意味ではないのでは?技術(現場技術然り経営技術然り)が向上する際には危険する(マニュアルは血で書かれている)みたいな。。
国も金を貸さなきゃいいのに返済の実現性を十分検討しないと破綻する
父ちゃんが3番方でギリギリ事故を避けれたから俺が今産まれてこれてるのか、、関係無い事で父ちゃんは居なくなっちゃけど色々人生って紙一重何だろうね。この悲惨な事故の裏話聞いた事あるけど塞いだ箇所に大量のご遺体が集まって発見されたんだってね…
三川坑炭塵事故の年に生まれたんだけど、1番方と2番方の交代時間前に爆発したんだったかな?少し時間がズレてたら2番方の方々が犠牲になられてたはずで、仕事をサボって休んだから助かった人も居たりして、どうなるか?は神のみぞ知るじゃない?たまたまウチの親父は3番方で、事故の時は自宅に居たみたいですけど、採炭の責任者をやってたそうで坑内に詳しいから、いの一番に連絡があり10日くらい会社へ泊まり込んで救助やら色んな処理をやってたみたいです。過酷な坑内作業の無理が祟ったのか?亡くなる5年くらい前から体調を崩して、地上勤務になってましたけど、出来れば長生きして好きだった酒を一緒に飲みたかったんですけどね。(あまり酒癖がいい方じゃなかったから、ちょっと扱いにくいですが・・・・)
見捨てという言い方はどうかと
魔理沙は「人の命をなんだと思ってるんだ!」と怒るが、坑道を封鎖して鎮火を待つ手段は説明の通り数カ月かかるし、それは坑内から酸素が無くなるという事なので行方不明者の安否はほぼ絶望的、注水と結果は同じ。無論ガス濃度が高い状態で爆発するような作業をしたのが悪いのだが会社としては国から補助金を交付されている以上不採算経営など許されるわけもないし、従業員の雇用も確保したかっただろう。結果論から言えば諦めて閉山すれば良かったのかもしれない。炭鉱労働者は失業するが、こんな死に方をするよりは良かったのではないか?
しかも私は、三菱南大夕張のガス爆発事故(昭和60年)の経験者です。
まだ小さかったけど、その内容の酷さからかよく覚えている事故のうちのひとつです。危険極まりない環境で安全対策をサボっていた会社、責任は実際より重いはず。危険だが高給って言う職も減った代わりに、安い給料でこき使う今の企業、根は一緒。
今ならメタンを資源にしようとするだろうけど時代が時代だけに石炭の方が大事だったんだろうね
ナレーションで、南大夕張(ミナミオオユウバリ)炭鉱の読み方を間違えていたような気がする
要するに国からの圧力で注水せざるを得なくなり、社長が影腹を切ったということだろう。
サムネ見た際社長クソだなって思ったけど、こんな辛い内容だったんだな…
普通に考えたら注水前に全員亡くなってるだろうに
小5の頃で、私はニュースとか新聞を読むのが好きで、豆鉄道博士で北海道マニアだったから夕張はよく知っていた。もちろん北の国からもその頃の放送当時から視ていた。ガス突出事故は何度もニュースで放送されていた。近隣の石勝線が開通した直後で、それこそ水を差す事故だっただろう。灼熱地獄で脱水し、熱中症に。坑内員はせいぜい水筒の水で、ポカリスエットは出た直後の時代。他にはロッテのクイッククエンチのドリンク位。多分あまりスポーツドリンクなんて飲まれていなかっただろう。大牟田の炭鉱で働いていたある坑内員は、マヨネーズの容器に水を入れて凍らせて持ち込んでいた。あの状況だったら助かる見込みはない。無茶な状況で操業していたから命懸けの毎日だったかと思う。この2年後近くの大牟田でも大規模な炭鉱事故があってずいぶん犠牲者が出た。今の技術や意識では安全を優先させるからだいぶ事故は減らせるだろうけど、採炭するとわりに合わない。ただ、ウクライナ侵攻のようなことを考えると、国内産も再度考えてみる必要はあるのではなかろうか。三池港に山積みされた輸入炭の向こうにある人口島を見て思ったな。三菱マテリアルも濃硝酸の国内需要は見込みがないから辞めてしまい、大牟田の三井には海外製のやつが来て炭鉱電車は廃止されてしまった。予想できない状況だったし、利益上仕方ないだろうが、国内産を残すのは決して無益ではないと考える。夕張はメロンとザ・リリーズで支えるしかないか?
10月1日に 石勝線が開業したばかりでした。家族が夕張に集まっても 新夕張には臨時停車しないですよね?通産大臣も来ましたが 声が小さいといわれました。数年後 保険金に、からむ事件がおきました
「地底の葬列」というビデオをオススメいたします
この事故で石炭業が廃れてから夕張市は活気を取り戻すために一人ケインズとも呼べる政策を実施して行く。行政が観光業に積極的に投資して行くことにより雇用を生み出し、新たな経済の循環を生み出そうとした。それは寂れて行く夕張市をなんかしたいという当時の市長の熱い思いがあったからだが結果として粉飾決算まで行って継続しようとしたが行き詰まってしまい、夕張市は財政再建団体へと転落してしまった。エネルギー政策は国策なので政策転換したならそれなりのフォローは国からあったハズだが十分なものでは無かったのかも知れない。
何て残酷なと思って見ていたが、これは既にみんな死んでるだろ。生きてるうちに溺死させたのかと思って、ぞっとしたわ
真谷地は「しんたにち」じゃなくて「まやち」な
社長の覚悟、お見事
そうやって命をかけてくださる方がいたから、生活が支えられてきたんだな…ありがとうございます補助金が欲しいからって、できもしない生産計画を提出した気がするんだけど、どうなんだろ
現場の警告を無視しておいて「お命頂戴」とは
国に責任はないのか
これはどうしようもない
ノルマを課されていたのを脅されていたって…無理なら無理で支援金諦めて断りなさいよ…会社の存続を賭けて支援金欲しさに安全を無視したのは会社でしょうにそれを脅されていたは正直どうかと思う。この事故で儚くなられた作業員の方々のご冥福を心よりお祈りします。
10:40
社長は自殺未遂か。自殺未遂するくらいなら、命がけで国とやり合えば良かった。人命を軽んじる社長と国の責任者は切腹せいと思った。
この事件が現在の夕張市の運命を決めましたね。
三井芦別炭鉱の爆発事故も頼みますm(_ _)m
事故が起きて補償やらで莫大な金がかかっても、ギリギリまで目先の利益を貪る方がトータルでプラス、と考えていたのでしょう。
タイトルがちょっと誤解招かないか本当に苦渋の決断だったんだからさ…
ガスが出まくってたなら逆手にとってそのガスを液化圧縮して都市ガスとして売るのも手その利益で安全性向上させるべき。
当時は炭鉱から出てくる低濃度のメタンを利用可能にする技術がありませんでした。炭鉱からガス(メタン)を取り出す技術(CBM)が確立されたのはこの事故からおよそ20年後です。皮肉にも、この夕張で実証実験が行われました。
フェイトさ~~~~~ん!!!!
三菱は、なんだいゆうばりではなく、みなみおおゆうばりです。
13:272000万円は高額だが、その後、十数年から数十年間生きていた場合の生涯賃金と比較して妥当だったのだろうか当時の物価を考慮しても5000万円程度、20代から40代の方を亡くした家族は納得できたのだろうか注水しようがしまいが、炭鉱で起きた災害でなくなっているわけだからそれに対する保証として充分であるのか
th-cam.com/video/XHDcyPdzujw/w-d-xo.htmlこの事故の解説してほしいです。
昭和56年か、大昔ではないな※、プロ野球珍プレーの中日宇野選手のヘディング事件、松本伊代がセンチメンタルジャーニー発売※、翌年は中森明菜デビュー※、58年にはPL学園が清原桑田の1年生で優勝!※、とはいえもう40年かあ※
石炭からガスを作る技術も、できたし無駄飯ぐらいの犯罪者の使い道としてはちょうど良かろう
ヤベエシャチョウ^_^
25年前、宿泊研修でここいったけど、坑道内で写真撮ったら、くそ心霊写真撮れたの覚えてる
当時の責任者は、殺されましたか?自分がやりにいっていいならいきますけど?
この事件は、当時のテレビのニュースで観た。私は事件の関係者じゃないけど、炭坑夫の家族が「お父ちゃんゴメン」と泣き崩れる姿がテレビに映り、ニュースを見ていた私も涙が止まらなかった。亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りいたします。
炭鉱夫の家庭では、朝食が一日の食事の中で一番豪華だったそうです。
無事に生きて帰れるかどうか判らないからと。
いわば、最後の晩餐と言う意味合いで。
夕張で炭鉱事故があったのは知っていたけど、ここまで壮絶だったとは…。注水を決断した会社側も、さぞ苦しかった事だろう。
炭鉱で亡くなられた皆様に、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
会社や社長を擁護することはできないけど
お命ちょうだいいたしますの台詞を言えたことだけは評価できるでしょう
普通の経営者ならただ申し訳ございませんを繰り返し土下座するだけ
普通の政治家なら何も言わずに緊急入院するだけ
くれと言われてはいどうぞとはならないけど
その台詞がなければ誰も諦められず
さらなる事態の悪化もありえた
壮絶な覚悟を持っての一言ですよね....
道北出身者です。
当時毎日のように北海道のテレビで事故を放送してました。。
自分の親戚も違う街でしたが炭坑夫だったので複雑な心境でした。。
放水の段階で中に居た人は亡くなってたと信じたい…
ホント....わずかでも苦しみ少なく逝っていて欲しい....
[お命を頂戴いたします]……この言葉は令和になっても、語り継がれていきそう。夕張と聞くと、夕張メロンが真っ先に浮かんだんだが。
小学生の頃テレビでリアルタイムで見てました。炭坑夫の方々も、決断を強いられた経営陣も一生引き摺る決断でしたね…
生きているかタヒんでいるかは分からない。分からないうちは持てる希望を完全に断つ決断だからね。家族も社長も人間。大変だったと思うよ
知らなかった…これは泣ける…
安全第一だよ…
テレビで泣いている家族もだけどずっと母は泣いていて、父は仕事から帰ってきても怒ったような険しい顔をしていたのを覚えている。両親ともに夕張出身。事故にあわれた方々に友達やら知り合いが多数いたとの事。あんなに悲しいサイレンの音は忘れられない。
夕張が元気だった頃に洋品店を経営していた人、何を仕入れても飛ぶように売れたと言ってました。もう、あっという間に。休む間もないと。
酷い事故でしたね。黒いダイヤと言われた石炭は衰退し、赤いダイヤと言われたメロンは発展したね。
北海道の赤いダイヤは小豆では?
俺が10歳の時か。 覚えてない。 遺族や会社は辛かったんだろうな。 ご冥福をお祈りいたします。。。
当時子供だったがニュースで「ホッカイドウユウバリタンコウ」という言葉が連日繰り返し流れていたのは強く記憶に残っている。
当時、穴の中から煙が出ている映像や、大きな事故でそこで人が亡くなったのは何となく理解できたが、詳しい状況をきちんと聞けたのは初めてでした。ありがとうございました。
70歳近くの人がゆっくり解説動画見てると思うと令和って凄い時代なんだと思った
@@ディゾン昭和56年(1981年)の事故なので精々40〜50代ではないでしょうか?
@@namuru1226o それは失礼しました
@@ディゾン ご丁寧にお返事ありがとうございます。お節介失礼しました
この事件は幼き日の記憶として残っています。
子供だったから???でしたがTVの中で大人達が阿鼻叫喚していたのをハッキリと覚えています…
80年代なんてついこないだみたいな思い出だけど若い人にとっては40年前なんて大昔の遠い歴史の出来事なんだよね。
改めて聞くと石炭がこの頃迄一応まあ有ったんだもん。。。
企業よりさらに政府が悪いな
補助金をエサに無理な出炭計画を半ば強いらせた国が1番悪いのではと思います。
この事故は知りませんでした。亡くなられた方は辛かったと思います。ご冥福お祈りします。合掌。
Amazonのプリントオンデマンドで「北炭夕張新炭鉱の悲劇」(古書もあり)、古書で「聞け炭鉱(ヤマ)の怒りを」があります。前者は経営側の視点で、後者は現場労働者の視点から記されています。この動画を見て一層の関心を持って読み進めています。
悲しくて仕方がない、やりきれない気持ちになりました。
炭鉱は閉鎖空間なうえ、メタンガスが充満するんじゃ事故が起きたらどうしようもないんですね。
「お命を頂戴いたします」、なんて重い言葉でしょうか。
大昔、小学校の暖房は石炭を燃やすダルマストーブだった。ある日、石炭を見たことのない婆ちゃんに見せる為に、学生服のポケットに一つ持って帰った。石が燃えるといっても信じないので、五右衛門風呂の焚き付けに使った。それを見て婆ちゃんは、「石が燃えるなんて、不思議な物んじゃのう!」とか言ってた。その石炭も夕張市から来ていたのかも知れない。
何でそんなにノルマがきつかったのか
それはもう日本政府が石炭は安価な外国からの輸入に切り替えたから
この炭鉱は日本各地の炭鉱が閉山しまくった後にできたもの
(長崎で有名な端島も無人となった後かな)
そもそも、日本でも炭鉱事故がめちゃくちゃ多かった夕張で
そんな無茶をやればどうなるかなんて、彼等自身が1番よく理解していた
でも、国からの支援を切られるわけにはいかない
自分としては、会社よりもこんな事をしなければならないようなノルマを企業に出した
当時の日本政府にこそ責任があると思ってるけどね
まあ、結局のところ今のCの政府と当時の日本政府って同レベルだったって話
今でこそ人命優先でいるけど、当時は使い捨てだったんでしょ
日本各地で公害が発生したりもしてたし
経済発展に犠牲はつきもの、というまさに今のCそのものだったってだけの事
サムネだけ見ると「はー?!」ってなったけど社長も辛すぎるな…
会社も会社だが 色々調べる限り当時の政府のやり口もなかなかのものだな。
結果会社に全責任負わせたけど。
閉山したら多数の失業者出るし、断ったら支援金貰えないし、どうやっても存続する道なかったろ
もし、自分がお命頂戴される側だったら、、
絶望だな、、想像もしたくない
それを宣言しなければならないのも、
実行しなければ被害が広がってしまうから、生きている自分たちの未来のために、命を頂戴します、って言わなきゃならなかった心情は、複雑だっただろうな
苦渋の決断だったろうな、
繰り返されてはならないとても悲惨な事件だと思います
ちょっとした火傷でも、痛っ、てなるのに、それに加えて有害ガスとか煙とか、、怖かっただろうな、
冥福を祈るしかありません
1981年にそんなことがあったとは… 炭坑事故はホラー小説「残穢(ざんえ)」にも出てきたけど悲惨ですね
炭鉱で働いてた人もだけど救護に来てこれはまじで可哀そう
当時24時間放送でなかったNHK第一放送が
深夜に逐一報道していたのを聴きました。
注水、と一言で言うけど、これだけの規模の炭鉱を水没させるには何日もかかっただろう。
さらにその水を抜くのにも何日もかかったはず。
それからやっと捜索、遺体収容。
この長い間のご家族の苦しみは想像を絶するものだったろう。
日本はまだ家族の同意書を貰ってからやるのだから偉いなぁ。中国やったら家族の反対があろうが無かろうが有無を言わさず強権発動しているやろうからな。
あそこは思想のせいか、人口が多すぎるせいか、人権も命も軽い国やしな。
中国にとって1番大切なのは中国共産党!人の命はゴミよりも軽んじる国家😡
言う方も壮絶な覚悟がいる
技術と危険は隣り合わせ。
そんなことはないぞ。技術が進化した今は、無人でできることも増えたし、昔より安全な世界になっとるぞ
@@純一郎鑑-p5e そういう意味ではないのでは?技術(現場技術然り経営技術然り)が向上する際には危険する(マニュアルは血で書かれている)みたいな。。
国も金を貸さなきゃいいのに
返済の実現性を十分検討しないと破綻する
父ちゃんが3番方でギリギリ事故を避けれたから俺が今産まれてこれてるのか、、
関係無い事で父ちゃんは居なくなっちゃけど色々人生って紙一重何だろうね。
この悲惨な事故の裏話聞いた事あるけど塞いだ箇所に大量のご遺体が集まって発見されたんだってね…
三川坑炭塵事故の年に生まれたんだけど、1番方と2番方の交代時間前に爆発したんだったかな?
少し時間がズレてたら2番方の方々が犠牲になられてたはずで、仕事をサボって休んだから助かった人も居たりして、どうなるか?は神のみぞ知るじゃない?
たまたまウチの親父は3番方で、事故の時は自宅に居たみたいですけど、採炭の責任者をやってたそうで坑内に詳しいから、いの一番に連絡があり10日くらい会社へ泊まり込んで救助やら色んな処理をやってたみたいです。
過酷な坑内作業の無理が祟ったのか?亡くなる5年くらい前から体調を崩して、地上勤務になってましたけど、出来れば長生きして好きだった酒を一緒に飲みたかったんですけどね。(あまり酒癖がいい方じゃなかったから、ちょっと扱いにくいですが・・・・)
見捨てという言い方はどうかと
魔理沙は「人の命をなんだと思ってるんだ!」と怒るが、坑道を封鎖して鎮火を待つ手段は説明の通り数カ月かかるし、それは坑内から酸素が無くなるという事なので行方不明者の安否はほぼ絶望的、注水と結果は同じ。無論ガス濃度が高い状態で爆発するような作業をしたのが悪いのだが会社としては国から補助金を交付されている以上不採算経営など許されるわけもないし、従業員の雇用も確保したかっただろう。結果論から言えば諦めて閉山すれば良かったのかもしれない。炭鉱労働者は失業するが、こんな死に方をするよりは良かったのではないか?
しかも私は、三菱南大夕張のガス爆発事故(昭和60年)の経験者です。
まだ小さかったけど、その内容の酷さからかよく覚えている事故のうちのひとつです。
危険極まりない環境で安全対策をサボっていた会社、責任は実際より重いはず。
危険だが高給って言う職も減った代わりに、安い給料でこき使う今の企業、根は一緒。
今ならメタンを資源にしようとするだろうけど時代が時代だけに石炭の方が大事だったんだろうね
ナレーションで、南大夕張(ミナミオオユウバリ)炭鉱の読み方を間違えていたような気がする
要するに国からの圧力で注水せざるを得なくなり、社長が影腹を切ったということだろう。
サムネ見た際社長クソだなって思ったけど、こんな辛い内容だったんだな…
普通に考えたら注水前に全員亡くなってるだろうに
小5の頃で、私はニュースとか新聞を読むのが好きで、豆鉄道博士で北海道マニアだったから夕張はよく知っていた。もちろん北の国からもその頃の放送当時から視ていた。ガス突出事故は何度もニュースで放送されていた。近隣の石勝線が開通した直後で、それこそ水を差す事故だっただろう。
灼熱地獄で脱水し、熱中症に。坑内員はせいぜい水筒の水で、ポカリスエットは出た直後の時代。他にはロッテのクイッククエンチのドリンク位。多分あまりスポーツドリンクなんて飲まれていなかっただろう。
大牟田の炭鉱で働いていたある坑内員は、マヨネーズの容器に水を入れて凍らせて持ち込んでいた。あの状況だったら助かる見込みはない。無茶な状況で操業していたから命懸けの毎日だったかと思う。この2年後近くの大牟田でも大規模な炭鉱事故があってずいぶん犠牲者が出た。
今の技術や意識では安全を優先させるからだいぶ事故は減らせるだろうけど、採炭するとわりに合わない。ただ、ウクライナ侵攻のようなことを考えると、国内産も再度考えてみる必要はあるのではなかろうか。三池港に山積みされた輸入炭の向こうにある人口島を見て思ったな。
三菱マテリアルも濃硝酸の国内需要は見込みがないから辞めてしまい、大牟田の三井には海外製のやつが来て炭鉱電車は廃止されてしまった。予想できない状況だったし、利益上仕方ないだろうが、国内産を残すのは決して無益ではないと考える。
夕張はメロンとザ・リリーズで支えるしかないか?
10月1日に 石勝線が開業したばかりでした。
家族が夕張に集まっても 新夕張には臨時停車しないですよね?
通産大臣も来ましたが 声が小さいといわれました。
数年後 保険金に、からむ事件がおきました
「地底の葬列」というビデオをオススメいたします
この事故で石炭業が廃れてから夕張市は活気を取り戻すために一人ケインズとも呼べる政策を実施して行く。
行政が観光業に積極的に投資して行くことにより雇用を生み出し、新たな経済の循環を生み出そうとした。
それは寂れて行く夕張市をなんかしたいという当時の市長の熱い思いがあったからだが結果として粉飾決算まで行って継続しようとしたが行き詰まってしまい、
夕張市は財政再建団体へと転落してしまった。
エネルギー政策は国策なので政策転換したならそれなりのフォローは国からあったハズだが十分なものでは無かったのかも知れない。
何て残酷なと思って見ていたが、これは既にみんな死んでるだろ。
生きてるうちに溺死させたのかと思って、ぞっとしたわ
真谷地は「しんたにち」じゃなくて「まやち」な
社長の覚悟、お見事
そうやって命をかけてくださる方がいたから、生活が支えられてきたんだな…ありがとうございます
補助金が欲しいからって、できもしない生産計画を提出した気がするんだけど、どうなんだろ
現場の警告を無視しておいて「お命頂戴」とは
国に責任はないのか
これはどうしようもない
ノルマを課されていたのを脅されていたって…無理なら無理で支援金諦めて断りなさいよ…会社の存続を賭けて支援金欲しさに安全を無視したのは会社でしょうにそれを脅されていたは正直どうかと思う。
この事故で儚くなられた作業員の方々のご冥福を心よりお祈りします。
10:40
社長は自殺未遂か。自殺未遂するくらいなら、命がけで国とやり合えば良かった。人命を軽んじる社長と国の責任者は切腹せいと思った。
この事件が現在の夕張市の運命を決めましたね。
三井芦別炭鉱の爆発事故も頼みますm(_ _)m
事故が起きて補償やらで莫大な金がかかっても、ギリギリまで目先の利益を貪る方がトータルでプラス、と考えていたのでしょう。
タイトルがちょっと誤解招かないか
本当に苦渋の決断だったんだからさ…
ガスが出まくってたなら逆手にとってそのガスを液化圧縮して都市ガスとして売るのも手
その利益で安全性向上させるべき。
当時は炭鉱から出てくる低濃度のメタンを利用可能にする技術がありませんでした。
炭鉱からガス(メタン)を取り出す技術(CBM)が確立されたのはこの事故からおよそ20年後です。皮肉にも、この夕張で実証実験が行われました。
フェイトさ~~~~~ん!!!!
三菱は、なんだいゆうばりではなく、みなみおおゆうばりです。
13:27
2000万円は高額だが、その後、十数年から数十年間生きていた場合の生涯賃金と比較して妥当だったのだろうか
当時の物価を考慮しても5000万円程度、20代から40代の方を亡くした家族は納得できたのだろうか
注水しようがしまいが、炭鉱で起きた災害でなくなっているわけだからそれに対する保証として充分であるのか
th-cam.com/video/XHDcyPdzujw/w-d-xo.html
この事故の解説してほしいです。
昭和56年か、大昔ではないな※、プロ野球珍プレーの中日宇野選手のヘディング事件、松本伊代がセンチメンタルジャーニー発売※、翌年は中森明菜デビュー※、58年にはPL学園が清原桑田の1年生で優勝!※、とはいえもう40年かあ※
石炭からガスを作る技術も、できたし無駄飯ぐらいの犯罪者の使い道としてはちょうど良かろう
ヤベエシャチョウ^_^
25年前、宿泊研修でここいったけど、坑道内で写真撮ったら、くそ心霊写真撮れたの覚えてる
当時の責任者は、殺されましたか?
自分がやりにいっていいならいきますけど?