オフコースとあのころ 60 「愛のゆくえ」

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  • เผยแพร่เมื่อ 31 ธ.ค. 2022
  • 太陽がのぼり、沈む @落陽親父
    『I LOVE YOU』は、1982年7月1日に発売されたオフコース通算10作目のオリジナルアルバム。レコーディングは前作『over』のレコーディングを終えた2週間後から開始された
    このアルバムも一位を記録し、オフコースへの喪失感か
    ぼくにとっては、当時、複雑な心境で聞く気にも慣れなかった。
    このアルバムは、寄せ集めのような感じがしてならなかったし
    みんなで、作ってるぞ、という気迫も感じ取れなかった。
    しかし、ひとつひとつは素晴らしい曲なんですが、前作のアルバムが
    素晴らしすぎて、なかなか入ってこなかった。
    この年には、企画もので next というアルバムもだし
    オーバーツアーもやりつつ、本当に激務であったとおもう。
    おそらく、この間に、作れるだけ作っておこう、売れるだけ
    売っておこうというのがあったのかもしれない。オフコースカンパニーや
    そのほかの社員たちも、オフコース休止に伴い、失業してしまうし
    オフコースのメンバーも印税がはいってくるとはいえ、翌年でてくる
    膨大な税金の支払いなどあるから・・。小田さん自身が社長であるわけで
    前の苦い経験もあるだろうし・・・。
    鈴木康博さんは、抜けたいと、小田さんに告げたのが
    数年前、「さよなら」ヒットからだといわれてる。
    長い間、小田さんは説得していたんだと思うし、彼が抜けて一番
    悲しいのは小田和正しかいないと思う。
    小田を中心としたバンドで、売ろう。
    こういいだしたのは、だれか知らないが、同じように二人で
    売れない時期をやってきた彼らは、引き裂かれたわけで
    扱いも変わったのかもしれない。
    常に、Bサイドである鈴木作品も、そのジャケット写真を見れば
    わかるように、文字がほとんど読めないような小さな文字。
    「愛を止めないで」の ジャケットを見ればわかるが
    わざわざ、目立つように黄色にして、B面の文字は10分の一
    歴代見ていれば、文字が小さくなってゆくのがわかる。
    鈴木作品がだめだ、売れない。という判断であったのかもしれないが
    今聞いても遜色ない作品が多い。「さよなら」以降、若いファンが付いた、
    いま、オフコースファンと自認する人の9割はそうです。
    アルフィーもそうでしたが、ロック色を強めて、シンセとキーボードと
    エレキをかますと、好転して売れ出す。
    ギター一本で、はもって、やっていても、時代が変わった。
    同じようなグループが山のようにあり、変化していけなかった
    そういうグループは、売れないまま、終わるケース。
    商業音楽といわれるゆえんである。
    この歌のなかで、鈴木さんは、音楽は人生であり、自分の道である
    そう歌っている。
    「売れるための歌」だけをつくるのは、
    「本当に好きな音楽」を選んだ人生に反する、というコンセプトであろうか・・。
    いま、彼ら二人を対比すると、まさに、そういう道を歩んできたのあゆんできたのかもしれない。
    鈴木さんは、いまも、全国をまわりつづける、小さな会場を
    小田さんも、数年おきに でかいキャパのところを動員数10万以上で
    チケット入手困難、
    売れてるのが小田さんで、売れてないのが鈴木さん。
    でも、実際、好きな歌を歌って、ファンと直に接することができて
    やってる鈴木さんと、小田さんのいまとは別門の人生だと思う。
    鈴木さんは、脱退後、いろんな仕事をし、郷ひろみさんの歌が大ヒットしたり、CMもたくさんしたりして、がんばっていた。
    が、音楽業界の衰退もあり、レーベルもなくなり、事務所も
    いろいろあり、苦労を重ねてゆく、まあ、小田さんもそういう時期が
    あった。
    小田さんがだめだとか、鈴木さんがどうのこうの
    という話でなく、誰にも止められない流れ、というものが
    この歌にもあるように、あるのだとおもう、
    僕の人生もそうであるように、あなたの人生もそうだったかもしれないし、若い人たちがいま抱えてるいろんな問題。
    うまくゆくことのほうが少ない。
    鈴木さんは、それでも 歌を歌っている。そこだけが事実である。
    オフコース解散の事実とかなんとか、文句をいれれば、興味ある人間はつられる、釣り記事である。
    どう考えても、あなたが、鈴木さんの立場なら、脱退してると
    思います。
    あえて、言わないし、語らない。それでいいのだ。
    つまらないことをたくさん書いてきましたが
    「愛のゆくえ」を聞けばわかるのだ。
    追伸、オフコースは4人で再起し、最後、昭和とともに
    幕を閉じた。楽屋見舞いの品のひとつに
    鈴木康博のなまえがあったという、
  • บันเทิง

ความคิดเห็น • 19

  • @user-ee6ft2wq8u
    @user-ee6ft2wq8u 4 หลายเดือนก่อน +10

    あの頃のオフコースは癒し系の歌が多かったと思います。とくに鈴木さんの歌声癒やされました。

  • @bolivia-ny3ox
    @bolivia-ny3ox 10 หลายเดือนก่อน +29

    yassさんの繊細なアレンジが好き。yassさんのコーラスが好き。ギターが好き。yassさんが作ったオフコースサウンドが好き。

  • @tantansuke
    @tantansuke 6 หลายเดือนก่อน +5

    ヤスさんの解散への気持ちが伝わる曲ですよね。この曲を聴くとバンドを去る寂しさが滲みてしまいます。。

  • @howzit6435
    @howzit6435 2 หลายเดือนก่อน +3

    それだけオフコースが凄かったという事でもありますけど、同じ話を何十回、何百回も擦り倒す人は、前へ進まれてください🩷

  • @user-hp5xm7mw2r
    @user-hp5xm7mw2r ปีที่แล้ว +8

    私わ、18からオフコースが好きです、今も歌い聞いてます。

    • @sunsetdaddy1961
      @sunsetdaddy1961  ปีที่แล้ว +8

      コメントありがとうございます。僕は13歳から61のいまも・・。

  • @chubahono3944
    @chubahono3944 3 หลายเดือนก่อน +4

    こんな美しいメロディの曲に小田さんのコーラスが無いなんて、
    もうソロ活動の準備みたいなものだったんでしょうね。

    • @sunsetdaddy1961
      @sunsetdaddy1961  3 หลายเดือนก่อน +5

      もう。このときは別々の録音だったようです、

    • @user-lx7cv3lu6e
      @user-lx7cv3lu6e 27 วันที่ผ่านมา

      ​@@sunsetdaddy19611つの曲を二人一組 三人一組で録音してるのは昔から 仲が悪くなったからと言うのは考えすぎ

  • @user-uu8rm7vx6d
    @user-uu8rm7vx6d ปีที่แล้ว +11

    今回も学ばせていただきました。
    初めは同じ志でも、だんだん違いが生じるのは、仕方ないのかもしれないけど、虚しい気もします。
    オフコースのファンではないというのが本当のことですが、世代的に多くの楽曲を聴いて、ドラマやCMの主題歌なら毎日聴いていた。解散より前に鈴木氏の脱退があったことも記憶にあり、タモリさん司会の番組に鈴木氏が出演した時には偶然ですが見ました。
    平日の昼の番組なので、たまたま休みでテレビを見たんだと思います。タモリさんが脱退について触れ(例の如く)小田氏を暗い人と表現した。鈴木氏も「暗い人たちと別れて…。」と応じていましたが、お笑い番組なのでノリをよくするしかなかったのかな?
    だけど、こういう歌を聴かせていただき概要欄も読むと、葛藤も我慢も諦観も寂しさも、そして意志も…私なんかが言うべきではないと思うけど、鈴木氏の人生の分岐点に、様々な思いがあったでしょうに、タモリさん相手に敢えて生放送の娯楽番組で観客もいる場所で、あのような発言をした。
    私の記憶違いだったらすみません。
    本当に歌いたい歌とヒットする歌が一致していたら、オフコースは解散まで5人だったのでしょうか?

    • @sunsetdaddy1961
      @sunsetdaddy1961  ปีที่แล้ว +13

      本当に歌いたいうたでは、彼らは貧乏になり倒産して、別の仕事をしていたとおもいます。あえていうなら、本当に根暗なのは実はタモリです、人間の正体は表裏いったいです、裏の生地は自分の弱い面です、あの中島みゆきは、すごく明るいひとです、そういうひとだから暗い歌を歌えます、小田さんも女々しい暗いといわれましたが、実は男っぽく、さばさばして、野球少年でした。自分という人格はそういう裏の深い部分で支えられていて人と接したり、語ったりできるとおもいます。オフコースが好きだったのは、鈴木さんと小田さんのかもちだすハーモニーでした。この周波数の音階は、人々の聴感を心地よく刺激し、眠りにも誘います。鈴木さんがタモリの番組に出たという話は初めて聞きましたが、彼のその後の人生はいろいろあり、売れなくなり、CMもこなくなり、レーベルもだめになり、事務所の社長が逮捕され、苦労の連続でした。それでも音楽を続け、今でも小さいホールを全国を回っています。そういう生き方、尊敬します、まさに、オフコースです。ぼくもいまだに苦労連続体です、みんなそうです。うまくいくやつなんていませんし、一握りです、そういうのは運というのもあります。タモリも実はくそまじめで、根暗でお宅でした。そういう自分の影をしってるから、その深みにふれたくないから、馬鹿なことをやって、楽しんでいたのです。また、長文になりました。ありがとうございました

    • @r-fan2645
      @r-fan2645 7 หลายเดือนก่อน +4

      だいぶあとに、自分の過去の発言について、タモリは小田さんに直接謝っているんだよね。
      謝罪は快く受け入れられたとのこと。

  • @user-wv6kc3tb6o
    @user-wv6kc3tb6o 29 วันที่ผ่านมา +2

    この曲もそうですが、オフコースの中でもイーグルス色の漂う切ないアレンジはヤスさんの作品で、Yes-NoのB面の「愛が終わる時」もとても好きな曲でした。
    また「のがすなチャンスを」や「一億の夜を超えて」などのハードなサウンドはTOTOだったり、5人編成のサウンドの理想型に近づけて行ってたのはヤスさんだったと思います。
    ロックだけどフォークの香りがあり、アメリカンミュージックへの憧憬が込められたオフコースサウンドはあの5人の編成でひとつの完成を迎えたように感じてました。
    時代は変われど素晴らしいと思います。

  • @user-uu8rm7vx6d
    @user-uu8rm7vx6d ปีที่แล้ว +11

    小田氏に関しての記憶で印象に残っているのは、いつ頃だったか?団塊の世代のミュージシャンが集まりコンサートを行い収益は寄付する企画が頓挫した。途中でマスコミに情報が漏れたことが理由でした。吉田拓郎氏が怒りをぶちまけ、小田氏と泉谷しげる氏がなだめている。そういうドキュメンタリー番組だったと思います。
    なんとか企画を実行出来ないか、と尽力していたのが、小田氏と泉谷氏。意外な取り合わせのように思いました。話すことで伝えようとする泉谷氏、あまり語らない小田氏。結局、実現しなかったのか形を変えて実現したのか?が思い出せません。
    ただ、小田氏も実現に向けて行動している姿が、歌っている時のイメージと違って見えた。
    1989年。
    実に様々なことがありましたね。
    日本では天皇崩御、イランのホメイニ師逝去、中国の天安門事件、東欧革命、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結に向かい東欧民主化が進み、平和が訪れるかのように浮かれる評論家。そんな人々に冷や水を浴びせるかのように年末にチャウシェスク夫妻が公開処刑され、多くの孤児が発見され、しかもエイズに感染していた。児童福祉の道を歩み始めた私にはショッキング過ぎる出来事でした。
    日本の文化という意味でも、手塚治虫氏が亡くなり、美空ひばりさんも亡くなり、そして11月6日に松田優作が亡くなった。
    中森明菜さんが自ら命を絶とうとしたのも同じ89年、プロ野球では巨人の中畑清選手引退。
    何か、時代の変わり目を象徴するかのように、強烈な個性を持った人が表舞台から消えていった。
    つい、昨日ではありますが昨年2022年も世界で各分野の象徴のような存在の人たちが亡くなりましたね。
    エリザベス女王、ゴルバチョフ氏、年末にはサッカーのペレ氏。
    日本でも安倍元総理が殺害されるという信じ難い事件。プロレスラーのアントニオ猪木氏、作家で政治家の石原慎太郎氏、経済界では稲盛和夫氏、漫画家の藤子不二雄A氏…。
    年末に拝見させていただいた動画で、ウクライナへのロシアによる侵略、中国や北朝鮮の不穏な動きなど、転換点になる年かもしれないと(返コメントで)仰っていましたが、本当にそうなるように思います。
    いろいろ、ありがとうございました。長過ぎる文章になりすみませんでした。
    また、今年も学ばせてください。
    よろしくお願いします。
    遅い時間にすみません。思うところがいろいろあり、眠れません…。だけど、動画を拝見し歌を聴いて、落ち着きました。
    ありがとうございました。

    • @sunsetdaddy1961
      @sunsetdaddy1961  ปีที่แล้ว +5

      熱いコメントありがとうございます。まず、奥尻島の災害のチャリティであるとおもいます。泉谷さんは、ああ見えて、ああいう乱暴そうに見えるのはキャラを作り上げています、本人は全然そういう人ではなく、繊細でかつやさしく心配りができる、そういうひとです、神戸の震災でも助けてくれました。10年ほどまえか、近くの公園で音楽祭があるとき、ゲストで呼ばれて、帰ろうとしません、みんな、100人くらい列をつくり、握手とあいさつをぼくらにしてくれました。ぼくは神戸です。「震災の時はありがとうございました」と列に並び感謝の言葉をのべました。あのときの温かい手とうるんだ眼は、わすれることはできません、そして、拓郎が怒ったのは、歌う曲を勝手に小田泉谷がきめたからですよ、「春だったね」という歌だったと記憶しています。         今未来への分岐点にあると、僕は思います。環境破壊と自然災害が頻発しています。コロナ騒動もそうです、国家間のエゴと、エコノミーアニマルによって、自分たちのいいようにご都合主義であると、とんでもない未来がくるでしょう。食糧危機がきます、物価高騰も追い打ちをかけます、そして、政治不信と人気者が口のたつものが行う政治に振り回され、民主主義の根本の信念が崩壊していきます、結果、超管理主義になるとおもいます。良識ある知識ある信念ある政治が批判されようが、口がへたであろうが、できる人が大事です、長文になりました。ありがとうございます

    • @user-uu8rm7vx6d
      @user-uu8rm7vx6d ปีที่แล้ว +4

      @@sunsetdaddy1961 様
      丁寧なコメント、ありがとうございました。
      泉谷氏の人柄が伝わりました。
      神戸の復興が進んでも心に受けた悲しみは、人の優しさでしか癒やされないでしょうね。泉谷氏はそういう優しさを持っているんですね。素敵な人ですよね。
      自然破壊もコロナの原因も人間のエゴによるもの。政治家にも経済界にも、そして一般の人(私も含めて)にも自覚が足りないのかもしれないですね。
      いろいろ考えさせていただきました。ありがとうございました。

  • @r-fan2645
    @r-fan2645 7 หลายเดือนก่อน +11

    五人から四人のオフコースになって、どうなったかと言えば、繊細で華麗なガラス細工のようなサウンドが影をひそめてしまったこと。
    そのサウンドはまるっとやっさんのソロアルバムに引っ越した、というのは個人的主観だが。
    やっさんがオフコースの中でアレンジャーとしていかに大きな位置にいたか思い知らされた。
    あとレスポールと思われる泣きのギター。
    これもやっさんなきオフコースでは失われてしまった。

    • @howzit6435
      @howzit6435 2 หลายเดือนก่อน

      いまだ熱いですなあ

  • @user-fc1df2ms5u
    @user-fc1df2ms5u 17 วันที่ผ่านมา

    暗い歌は苦手