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最近こういう動画で、戦国時代等の戦を見直してますが驚くことが多々ありますそして今回も極端な言い方になってしまいますが、賤ケ岳の戦いにおいて勝家は負けて当たり前みたいなところがありましたでもこの動画を見て、実のところそうではなく、むしろ秀吉の方が危なかった本当に驚きましたし勉強になりましたこれからも楽しみにしてますね
結果を知らないで見たらどっちが勝つかわからないくらいお互い考えまくっててすごい。
負けたけど柴田勝家かっこよすぎるよ…侍の鑑
私はよだれありです。面白いので。今回もすごくわかりやすく面白かったです!こうしてみると前半は勝家は勝ち気味で思ったより戦略に長けていたのだなあと感じました。盛政と勝家のどちらかが挟撃したら結果は変わっていたのかと思うと感慨深いです。それにしても前田利家は酷い。あと、最後の佐久間盛政が佐久間信盛になっていました。
秀吉の勝利が紙一重だった事が良くわかる動画でした。秀吉は揖斐川の洪水、徳川家康は天正大地震に助けられて命拾いしています。天下を取るくらいの人物になると、天が味方しているのだなぁと思いました。
情報がシンプルでめっちゃ見やすい‼️そしてリアルというか全てが計算ずくではなく、偶然や色んな状況が合わさった結果だというのがメチャクチャ伝わって来ていいです‼️通説では佐久間盛政が突っ込みすぎたのが敗因とよく言いますがこういう事なんですね敵陣深く入ったことによる連絡の取りにくさと現地とそうじゃない所の状況判断の微妙なズレが柴田軍に悪く作用してしまったみたいですね…今みたいにスマホでビデオ通話って訳にはいかんからの情報伝達の難しさその辺の駆け引きが勝敗を分けるのでしょうね…
本当に見やすい。お待ちしておりました。
勝家の利家への言葉にこそ粋を理解できる。素敵だ。もう言葉もない。
勝家が利家と会見した時の、勝家の心情を考えると息が詰まります。今まで一緒に戦ってきた戦友ですからね。でも勝家は一言も利家を責めなかったのですから、如何に人間ができていたのか。秀吉とは比べものになりません。
人生に誤解も失敗もつきものだが、それを如何に勝利に導くか勉強になりました。塞翁が馬ですね。ありがとうございます。
損害と戦果のバランスをどうとるのかが常に勝敗の別れ道なんだよなぁ。全体を把握していればどこで損害を覚悟すべきだったのかはわかるけど、当事者にそれはわからない。あとは勇気の問題になってくる。蛮勇で無駄な損害を出して負けるものもいれば、臆病で損害を出すのをためらい負けるものもいる。賤ケ岳の指揮官が武田勝頼だったら大勝利してるし、長篠の指揮官が柴田勝家なら大敗してない。難しいもんです。
面白かったよ!それぞれの武将があくまで自分の考える最善手を取っていることがよくわかっていいね!
諸将の思惑・動きが細かく、とても分かりやすい。
一人称で思惑が語られるのは臨場感あってかっこいい
待ってましたー!このシリーズめっちゃ好きです
秀吉と勝家の違い、失敗は織田家内紛だけでなく、敵対していた毛利とうまく和睦出来た事逆に勝家は上杉との戦で最後に失敗をしてめちゃくちゃ恨みを勝手いた事、(本能寺の変の数日前にお城を開城したら許すといいながら信長を参考にしたのか?開城してきた将兵を皆殺しにした事)だから本能寺の変で駆けつけたくても、上杉からの猛攻が100%あるので動けなかった、上杉は勝家憎しだったから秀吉との親交は当然で、賤ヶ岳でも上杉からの追撃があるから佐々成政は越中から動けなかった、逆に秀吉は毛利と親交によって秀吉軍は後ろの心配なく全軍でいけたのが大きい、これだけみても勝家には天下を収める器量はなかったと思えますわ、
そりゃ天下取るつもりがないんだもん。だから足利義昭を担いだりしたんだもの😊
近年では清洲会議において羽柴と柴田ともに三法師を推しており、対立関係はのちの、信雄信孝兄弟の国境線巡りからとも言われてますね。(光成2021)
両者とも、信雄信孝兄弟には織田家を継ぐだけの器量がないと見なしていたのかも?なので、いわば消去法で三法師を推したと🤔
信長死んでからの数ヶ月間の秀吉の動き、天才的だよね
軍師の差もあったのかもしれませんね😅劉邦といい秀吉といい人タラシの元には優秀な人材が向こうから寄ってきます😂勝家にはそういったものはないので、その差が顕著に現れた戦いなのかもしれません
佐久間盛正の最期が佐久間信盛になってたけど、それを含めても分かりやすい動画ですね!
勝つべくして勝ったと思っていたのですが意外と綱渡りだったんですね
このシリーズ、大変面白いです。ただ、前田利家の鬼畜っぷりにちょっと笑ってしまったw
当時の秀吉(勢力)が267万石、柴田(勢力)が188万石とはとても興味深いです
面白かったです。小牧長久手での秀吉軍が何故あのようなことになったかの解釈に期待してます。
確かに。何故にあのような布陣にしたか?思考がわからん?わざと徳川に勝たせたのか?
役立たずの池田と森が負けたのまで責任は取れないだろ。
敗因の一端は鬼玄藩こと佐久間盛政が大岩山砦を陥落させたあと勝家のいったん兵を退けとの命令を無視して突出し過ぎたのが通説だと思ってた。これ見ると勝家自身の腰が引けて慎重すぎるやはり勝つにはどこかで博打が打てないとダメなんだね
流石に兵を引け説は柴田勝家の臆病さと盛政のイノシシ振りを喧伝するためのもので後世の作り話ぽく例え劣勢であっても犬千代の裏切りさえなければ激戦となっていたかと思うと盛政の無念いかばかりかと
前田がたかが三千の兵で参戦しても情勢は変わらない。丹羽長秀が賤ヶ岳にどれほどの兵力で参戦してかは定かではないが、8000との説もある。秀長の兵と合わせれば3万人以上。一万足らずで尚且つ撤退中の盛政には情勢を変える術はない。仮に前田が敵の側面を突いても、その背後から敵に攻められる。いち早く撤退しなければ全滅は避けられない。この動画は想像でしかないが、仮にこれが史実であるなら勝家の戦術の甘さが敗因。
この戦いは秀吉にとって勝家は倒すべくして倒す相手なのだったのだろうけど、その時の遺恨がその後巡り巡って32年後に繋がったのだと思います。
ビジネスにも通じるこの駆け引き。大変毎回助けられます。ありがとうございます。
この動画だけ見ていると、秀吉は勝家を倒すことだけに集中していた。そこに誤算も幸運もあったみたいだが、結局この大戦略をしっかり持っていたから引き返せた、勝てた。勝家は秀吉を倒すことを考えていたのだろうか?どれもその場その場の判断ばかりになっている。賤ケ岳の戦いも勝家は戦術的にはともかく、戦略的には後手後手のように思えた。
多分、お互いのスタンスの違いでしょうね。勝家はあくまで織田家家臣としての立場で行動してたけど、秀吉はすでに自分が天下を獲るつもりで行動してからこそ相手の上をいったのかもしれないですね。皮肉にも関ヶ原の戦いの石田三成と徳川家康の形に似てると思います。あくまで豊臣家臣としての三成に対して、天下を獲る構えの家康。
1万の兵で但馬を平定し信長も評価していた羽柴秀長がなぜ柵から出てこなかったのか?ひたすら柴田側からの視点で、羽柴側の視点も秀吉だけ。秀吉が戻ってくるまでの現場指揮を執った秀長の視点を描いても良かったのでは?寄せ集めの羽柴側の恐れていたことは遠征による長陣は最悪なわけだから寧ろ短期決戦を求めていた羽柴側の思惑通りになってしまっただけに、撤退できなかった段階で詰んでいたし、もっといえば秀長本陣まで攻め掛かれていない段階で勝負がついていたのでは。秀長は秀吉が戻ってくることは承知していたわけだからできるだけ引き込めばいいわけで、最早奇襲と言えないほど攻め込んでしまったわけだから柴田勢も引くに引けなくなっていたのだから。
撤退する利家には、鼻水よだれ流しててほしかったわw
柴田勝家は当初の、秀吉の大軍を分散させたのちに最前線を突破する戦略どおりの展開になったのに、さらに突破した後の秀吉軍との衝突時のため軍勢の消耗を少なくしようという欲をかいたために、佐久間隊に期待しすぎた。大勝利を欲したために、当初の戦略(大枠の勝ち筋)を蔑ろにしてしまった。前田利家ら先を見通せる武将は、勝家のそういう所をみて、「先々の命運を預けるには不安」と感じても仕方なかったかも。投資するに値するかどうかの「雰囲気(現代なら景気のようなもの)」が、多々な事情に様々な要素に軽微ながら干渉して、のちの結果に多大に影響する。。そこまで自在に操作するのは人知を超えた世界。時の運は、人知を超えている。勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし勝ちに絶対的な方程式はない(同じやり方で常に成功するわけじゃない)。負けには再現性ある法則が存在する(それをやれば確実に失敗するやり方というのが存在する)。
どのみち勝家には待っていたらジリ貧だったからあの戦法は間違いでもない。利家の裏切りがなければ戦のクライマックスはこれからだったんだから。
勝利を目前にした柴田陣営の思惑の行き違いが個人的なハイライトでした。賤ヶ岳ってただの秀吉軍の圧勝なのではなかったのですね。
大河で秀吉が言ってましたが、見方って非常に面白いですね!動画主さんのような意見もとてもおもしろいですし、秀吉が逆にわざと勝家を踊らせていたとも考えられます。とくに伊勢攻めは、勝家を誘き出すためにわざとゆっくりやってたように感じますね…
秀吉が川の氾濫で岐阜城へ行けずに戦場に引き返したことと、利家を調略していたことが勝利につながったが、戦略の齟齬で勝家と盛政が連携して羽柴軍を挟撃できなかった為、それを見ていた利家が完全に勝家を見限って退却した様に思います。
完全な日和見でワロタ
理詰めで考えて最善手を打ったつもりでも相手からしたら組みやすしと取られたり、戦略って難しもんですね…。基本自分が考えていることは相手も考えている前提で考えて行くのが基本ということですかね…知らんけど。奇襲迄は良かったんですけど勝家は慎重過ぎて失敗したんですかね…。人間ある程度の犠牲は覚悟してでも動きゃなきゃならん時も有るって事ですかね…。
どちらかといえば、賤ヶ岳は丹羽のお陰で秀吉軍がなんとか勝てた面がありますね。あそこで現れなけば負けてたかも。秀吉は戦後、前田ではなく、丹羽の方を重用して大封を与えたのをみるとそうなんでしょう。長秀はほどなく病死したのでその後の丹羽家は没落したが。
現代の通信が当たり前の状況だと感覚が狂ってしまうが当時、密で瞬時な相互通信なんて望めないよなぁ
大雪があったとはいえ出陣が遅すぎる。すでに柴田勝家は負けていると考えます。それに滝川一益の1月の挙兵もまずい。連絡を蜜にすべき。柴田勝家はここまでの人物だったと感じます。
哀愁やなあ勝家も歴史が長く残されてるから、ちょっと感情移入します
いやー秀吉は持ってる男ですね。勝家達がモタモタしてくれたのと調略が功を奏した、まさかこんな紙一重とは思わなかったです。
毎度のことながらモブ兵が有能w
小早川秀秋「前田殿はなんで後世で英雄になられたのですか?」
戦いの後、家を残したか否かでしょう…小早川はわずか2年でその後、終わってしまった
前田殿「秀秋どの、慶次でことあれば、あれは、現代でも歌舞いておりますが。」
酒を慎んだからじゃ
戦国期の大名評価は、江戸幕府にとって都合の良い滅私奉公型(e.g. 鳥居)か、徳川家に反発する世論を味方にする人気型(e.g 真田)かに分けられると思う。ちなみに、20年位前までは、明智光秀は凡将でただの外道として描かれることが多い評価であった。
もう少し長生きして大阪の陣で武功を上げれば変わっていたのかもしれませんが、家中の内紛および自身も秀吉の親族の身であるので遅かれ早かれ改易されていた可能性が高いですね…
面白かったです(・ω・)これからも新作を楽しみにしてます。
前田利家の敵前逃亡⇒加賀百万石の繁栄の礎となりましたとさ😊。めでたしめでたし…。
この後、前田利家に加賀を与えてくれたことを考えれば、秀吉は前田利家に裏切ればビッグボーナスを約束してたんだろうな。勝家は、そういう恩賞を空約束するアイデアは浮かんでこなかったのかもしれない。恩賞は織田信考様がお考えになると思ってたのかも。
足利義昭担いでるからなあ
与えられたのは加賀の一部。勝家の遺領は丹羽長秀に与えられた。利家に与えられたのは長秀の死後。
信長存命中は、諸将としての立場に満足して謀反とか起こさなかったのに(信行配下時代の勝家は1度したけど)なぜ、お互い天下をめざしたのだろう?織田直系を傀儡におき、それぞれ、以前とは比べ物にならない所領を持ったことで満足し、上手いことやれなかったのだろうか?
めっちゃおもろい....
秀吉の織田簒奪の手口は、じつは徳川の豊臣簒奪よりも大分スマートかつ、あくどいんよねぇ最後の最後以外は豊臣と敵対しなかった家康と、早い段階で主家の織田に敵対した秀吉
いやいや、最後の最後で裏切った家康もあくどいと思うけどな。
@@nekosakura393939 家康はねえ、成長して立派になった豊臣秀頼を見て、ビックリしたのであろう。そして今までの自分の苦労を省みて、これはいかぬ。徳川の安泰のためにもなんとしても豊臣をほろぼすしか方法がない、と強く思ったのであろうな。
長曾我部・毛利・徳川の力を借りるという事は織田の力をそぐという事になる、勝家も何振りかまっていられなくなったという事だろうね。
前田利家の軍勢は実際にはかなり損害受けていて、有力家臣も複数失ってるんだよ
漫☆画太郎の系譜をつないでいた、鼻水、ヨダレを期待してたのに。。
人の心は計り知れない。前田利家の気持ちはわかる
加賀藩「勝家こんなこと言ってたんゴ、許された😊」
秀吉は信長の死後に棚ボタ的に楽勝で天下を取ったわけではないというのが良くわかりますね
白目とよだれをください
勝家軍は正面攻撃部隊と迂回奇襲部隊の連携が旨くいかなかったのが敗因だったと言えますね。秀吉本隊の帰還が早すぎたのも予定外だったでしょうが、大岩山を確保した段階で動けない状況になってしまい、前線部隊の後背を突くか秀長隊を牽制するかの判断が難しかったのでしょう。利家隊の動向が敗因だったのでしょうけれど、内応工作を受けていて当てにならない戦力だったのは致命的でした。
やっぱ勝つには腐れ外道でなければならんのか・・・
よだれ有り、無し🤤賛否両論
勝家が好きになる
36:45 誤)佐久間信盛 ⇒ 正)佐久間盛政
北ノ庄城なんて越中・魚津城辺りになってるこの地図おかしい
面白いわ。最近、YUKINARIチャンネル飽きてきたから今が好機である。You Tubeも下剋上である。励め
YUKIMURA?あれは動画時間が長過ぎる
秀吉の留守を狙って奇襲をかけ、成功したのに詰め切れなかったのが痛いな。多少の犠牲を払っても南北から挟撃して第一防衛線を突破するべきだった。秀長は秀吉の後方(兵站線)を守るために動けない。ここが落ちれば秀吉が木之本まで戻る意味はなくなるし、日和ってた利家も腹を据えて勝家側に立ったろう。
今となっては謎のまた謎
親父殿カッコイイな、、、
秀吉の声が残念…(泣)
柴田勝家は上杉景勝と和睦をし、越中侵攻の不可侵を締結すれば良かった。そして、佐々成政率いる15,000と滝川一益率いる8,000を北ノ庄城に入城させて、姉川の戦いのように川を挟んで戦えば勝てたかも。
滝川一益は伊勢志摩の所領を捨てて大垣城に入り、岐阜城にいる織田信孝と一緒に北ノ庄城に入るべきだった
和睦は絶対無理。景勝にとっては勝家は滅亡寸前に追い込まれた天敵なんだから。
@@pianochandaisuki なら、越中の領土を渡して、佐々成政率いる15,000を賤ヶ岳に参陣させるべきだったね。
盛政の心境が、この戦いの真骨頂かなぁ。
このとき徳川家康はどこで何をしていたんですか?
甲斐 信濃で北条と武田領取り合いしてたんじゃないかな?
最後佐久間信盛では盛政じゃあないかな。
上杉謙信の動きの意味不明さが、色んなところに影響を与えたのではないのかな。なんせ、神のお告げだの義心だので動く。
事実かどうかはともかく、勝家最後に度量見せたな。私なら利家に当たり散らしてしまうだろうw
秀吉の賤が谷勝利の要因は大雨のせいでも何でもなく単に前田利家の裏切りの賜物である
神江里見先生の画風に似てていい感じ
利家ほんと風見鶏でズルいわ。こんな裏切りかましておいて、よく秀吉に信用されたもんだ。
足軽の頃からの友人って話もあるし、公私ともの仲なのも大きかったのかも
32:0015000の兵が52kmを5時間で移動・・・?記録違いじゃねーの(戦慄)
ほとんど世界最速記録に近いと言われてますね。万を超える軍勢をこれと同等の速度で動かし、そこから決戦した例はアウステルリッツのナポレオンぐらいです。柴田勝家は相手が悪かった。相手が並の武将なら多少迷っても時間が許してくれたはず。
ほんと秀吉の兵はナポレオンの大陸軍並みの機動力ですよ。あの時代にこれだけの速度で動けるのは戦いにおいてかなりのアドバンテージです
だからこそ、最初から即引き返すつもりだった説もあるんだよね。美濃への進行中に帰る為の準備を最初から道中に仕込んでたみたいな。
白目鼻水よだれが無いとなんか物足りない歴史上の偉人への敬意とか考えたら無い方が良いのは判るでもコノ動画に関してはやはり物足りなく感じてしまう
秀吉の伊勢進行の時に勝家が家康と連係が取れてれば違う結果になったかな
これ秀吉は分かってて大群連れて岐阜へ向かった説もあるよな……じゃないと美濃大返しなんかできんよねこのチャンネルだと勝家と盛政の意思疎通が出来てないのが敗北か最後のBGMだけでかいのは何とかして欲しい
サラッと流しているけど、上杉対策で佐々成政の越中兵が使えなかったのが痛恨。距離的な制約があっても、秀吉が美濃攻略に動いたタイミングで成政が後詰で賤ケ岳に来ていたら兵力的には勝家方は圧倒していただろうに。
利家を残してくれば良かったね
@@user-yf6xt4nm9s それな。まあ、調略されてる事に気付けなかったのが痛かったな。佐々成政と前田利家を入れ替えてたら結果は違ってたのかもね。
柴田家伝来奥義=その名も『必殺!権六無双』賤ヶ岳の戦いでは終ぞ発動せななんだ…誠無念也😭!
某ユキ○ラチャンネルの見過ぎ😂
高山右近の父友照と柴田勝家は親交があり(荒木謀反後の蟄居先が越前)、このため高山右近を調略しようとした高山右近の内応の風聞があったが実際は父友照のみが内応しており戦後に佐久間盛政の証言の裏付けもあり高槻城の友照は攻められている(多聞院日記)
信孝はわしに楯突いた外道だが・・・ 皆さんご唱和ください。「外道はお前じゃー!!」
佐久間信盛?佐久間盛政では?
柴田さんは信長を殺そうとしたのに、本当に信長について行ってたのかなー?
川が渡れなくて戻ってきた秀吉そしてまさか犬が裏切るとは!
絵が大人しくなっちゃったな
越前・府中城が能登・七尾城辺りにあるこの地図、間違ってる
勝家が62歳で以下略秀吉も62歳で以下略😅
長生きした方だな。
佐久間と柴田がリスクを冒して挟撃したら、前田も動いたのでしょうか
この長宗我部の判断が滅亡に繋がる・・・・この時に秀吉に味方したら⁉️秀吉に怨まれずにすんだのに
やはり実力だけではなく、天候/天災もその後の運命を決定付ける大きな一因になり得たんだね
👍👍👍👍
岐阜城は何回落城してるんだよ
岐阜城は巨大な物見櫓と言われるのは伊達ではない。実際城の防御力は低いですからね。
戦国無双では絶対通る戦い。
利家の腐れ外道毎回、腐れ外道が出るのを楽しみにしてます
今川一家の親分がやられたー!
清洲会議の後、羽柴秀吉に味方した織田家臣は一部を除いて秀吉の野心込みでついていったのであろう織田家の大黒柱だった信長と当主であった信忠の倒れた結果、誰も口にしなくても織田家が瓦解する先が見えたので織田家を見切り力も名声もある秀吉についたのであろうと考えると前田利家の態度も納得一方の勝家はそもそも信長と信勝の兄弟争いでは信勝に与し信長生粋の部下ではなく信長の信頼も秀吉程厚くなかったそもそも勝家自身も大黒柱と当主を失った織田家のために行動していたかも定かではなくこの戦いは織田家の内紛ではなく次の天下人を決める戦いだったと言えるそういった意味でも秀吉と勝家の技量を見る限り戦う前に既に決していたといえなくもない
池田恒興「毒を食らわば皿まで。拙者は織田家を捨てて秀吉どのにお仕えする」丹羽長秀「せや」前田利家「せやせや」
歴史的な側面を見ても、僕もそう思います。やはり北陸から天下を目指すのはキツく、海路と陸路の2ルートでの兵站補給の重要性と街道が発達している陸路、及び地政学的な京や関東へのルート的に太平洋側を配下に取っていた秀吉が有利だなぁ、と。
信長の信頼が薄い人間が筆頭家老で180万石も貰えるかって話。
@@pianochandaisuki 誰のことを言ってるのか知らんが、筆頭家老の柴田勝家でやっと信長に与えられた直轄領60万石ちょっとだぞ。秀吉が近江長浜+播磨の大半で50万石くらい。光秀が近江坂本+丹波一国で同じくらい。180万石って織田家の支配地の過半数越えるだろ。
@@紳士先輩-f8t 越前、加賀、能登、越中合わせたらそれくらいだよ。勝家の本拠だけなら越前一国だけど、組下大名も入れたらそれくらいだよ。
賤ヶ岳の合戦における柴田方の敗因は、前田利家・利長父子の敵前逃亡だった!?[最終改訂版]byタモギタケ雨水 でネット検索な
勝ち方も負け方もドでかいリスク背負って胃を痛めつけながら行動してるんですね~。
柴田勝家が正面から動けなかったのは、前田利家の裏切りを予測していたからなんてことは・・・。側面から討たれる可能性があって動きたくても動けないとか妄想。
しかし利家はずるがしこい。確実に自分の行動で決着がつく状況を待ち構えていたな。ただ勝家側についていれば勝家は勝っていた、または負けはしなかったと思われる。つまり先々をにらんで秀吉を選んだということになる。つまり前田利家が天下を決定したといってもいいかもね。
最近こういう動画で、戦国時代等の戦を見直してますが驚くことが多々あります
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本当に驚きましたし勉強になりました
これからも楽しみにしてますね
結果を知らないで見たらどっちが勝つかわからないくらいお互い考えまくっててすごい。
負けたけど柴田勝家かっこよすぎるよ…侍の鑑
私はよだれありです。面白いので。
今回もすごくわかりやすく面白かったです!こうしてみると前半は勝家は勝ち気味で思ったより戦略に長けていたのだなあと感じました。盛政と勝家のどちらかが挟撃したら結果は変わっていたのかと思うと感慨深いです。それにしても前田利家は酷い。
あと、最後の佐久間盛政が佐久間信盛になっていました。
秀吉の勝利が紙一重だった事が良くわかる動画でした。秀吉は揖斐川の洪水、徳川家康は天正大地震に助けられて命拾いしています。天下を取るくらいの人物になると、天が味方しているのだなぁと思いました。
情報がシンプルでめっちゃ見やすい‼️
そしてリアルというか全てが計算ずくではなく、偶然や色んな状況が合わさった結果だというのがメチャクチャ伝わって来ていいです‼️
通説では佐久間盛政が突っ込みすぎたのが敗因とよく言いますがこういう事なんですね
敵陣深く入ったことによる連絡の取りにくさと現地とそうじゃない所の状況判断の微妙なズレが柴田軍に悪く作用してしまったみたいですね…
今みたいにスマホでビデオ通話って訳にはいかんからの情報伝達の難しさ
その辺の駆け引きが勝敗を分けるのでしょうね…
本当に見やすい。
お待ちしておりました。
勝家の利家への言葉にこそ粋を理解できる。素敵だ。
もう言葉もない。
勝家が利家と会見した時の、勝家の心情を考えると息が詰まります。今まで一緒に戦ってきた戦友ですからね。でも勝家は一言も利家を責めなかったのですから、如何に人間ができていたのか。秀吉とは比べものになりません。
人生に誤解も失敗もつきものだが、それを如何に勝利に導くか勉強になりました。
塞翁が馬ですね。ありがとうございます。
損害と戦果のバランスをどうとるのかが常に勝敗の別れ道なんだよなぁ。全体を把握していればどこで損害を覚悟すべきだったのかはわかるけど、当事者にそれはわからない。
あとは勇気の問題になってくる。蛮勇で無駄な損害を出して負けるものもいれば、臆病で損害を出すのをためらい負けるものもいる。
賤ケ岳の指揮官が武田勝頼だったら大勝利してるし、長篠の指揮官が柴田勝家なら大敗してない。難しいもんです。
面白かったよ!それぞれの武将があくまで自分の考える最善手を取っていることがよくわかっていいね!
諸将の思惑・動きが細かく、とても分かりやすい。
一人称で思惑が語られるのは臨場感あってかっこいい
待ってましたー!
このシリーズめっちゃ好きです
秀吉と勝家の違い、失敗は
織田家内紛だけでなく、
敵対していた毛利とうまく和睦出来た事
逆に勝家は上杉との戦で最後に失敗を
してめちゃくちゃ恨みを勝手いた事、
(本能寺の変の数日前にお城を開城したら許すといいながら
信長を参考にしたのか?開城してきた将兵を皆殺しにした事)だから
本能寺の変で駆けつけたくても、
上杉からの猛攻が100%あるので動けなかった、上杉は勝家憎しだったから
秀吉との親交は当然で、賤ヶ岳でも
上杉からの追撃があるから佐々成政は越中から動けなかった、逆に秀吉は毛利と親交によって秀吉軍は後ろの心配なく
全軍でいけたのが大きい、
これだけみても勝家には天下を
収める器量はなかったと思えますわ、
そりゃ天下取るつもりがないんだもん。だから足利義昭を担いだりしたんだもの😊
近年では清洲会議において羽柴と柴田ともに三法師を推しており、対立関係はのちの、信雄信孝兄弟の国境線巡りからとも言われてますね。(光成2021)
両者とも、信雄信孝兄弟には
織田家を継ぐだけの器量がないと見なしていたのかも?
なので、いわば消去法で三法師を推したと🤔
信長死んでからの数ヶ月間の秀吉の動き、天才的だよね
軍師の差もあったのかもしれませんね😅劉邦といい秀吉といい人タラシの元には優秀な人材が向こうから寄ってきます😂
勝家にはそういったものはないので、その差が顕著に現れた戦いなのかもしれません
佐久間盛正の最期が佐久間信盛になってたけど、それを含めても分かりやすい動画ですね!
勝つべくして勝ったと思っていたのですが意外と綱渡りだったんですね
このシリーズ、大変面白いです。
ただ、前田利家の鬼畜っぷりにちょっと笑ってしまったw
当時の秀吉(勢力)が267万石、柴田(勢力)が188万石とはとても興味深いです
面白かったです。
小牧長久手での秀吉軍が何故あのようなことになったかの解釈に期待してます。
確かに。
何故にあのような布陣にしたか?
思考がわからん?
わざと徳川に勝たせたのか?
役立たずの池田と森が負けたのまで責任は取れないだろ。
敗因の一端は鬼玄藩こと佐久間盛政が大岩山砦を陥落させたあと勝家のいったん兵を退けとの命令を無視して突出し過ぎたのが通説だと思ってた。これ見ると勝家自身の腰が引けて慎重すぎる
やはり勝つにはどこかで博打が打てないとダメなんだね
流石に兵を引け説は柴田勝家の臆病さと盛政のイノシシ振りを喧伝するためのもので
後世の作り話ぽく例え劣勢であっても犬千代の裏切りさえなければ激戦となっていたかと思うと
盛政の無念いかばかりかと
前田がたかが三千の兵で参戦しても情勢は変わらない。
丹羽長秀が賤ヶ岳にどれほどの兵力で参戦してかは定かではないが、8000との説もある。
秀長の兵と合わせれば3万人以上。
一万足らずで尚且つ撤退中の盛政には情勢を変える術はない。
仮に前田が敵の側面を突いても、その背後から敵に攻められる。
いち早く撤退しなければ全滅は避けられない。
この動画は想像でしかないが、仮にこれが史実であるなら勝家の戦術の甘さが敗因。
この戦いは秀吉にとって勝家は倒すべくして倒す相手なのだったのだろうけど、その時の遺恨がその後巡り巡って32年後に繋がったのだと思います。
ビジネスにも通じるこの駆け引き。大変毎回助けられます。ありがとうございます。
この動画だけ見ていると、秀吉は勝家を倒すことだけに集中していた。そこに誤算も幸運もあったみたいだが、結局この大戦略をしっかり持っていたから引き返せた、勝てた。
勝家は秀吉を倒すことを考えていたのだろうか?どれもその場その場の判断ばかりになっている。賤ケ岳の戦いも勝家は戦術的にはともかく、戦略的には後手後手のように思えた。
多分、お互いのスタンスの違いでしょうね。勝家はあくまで織田家家臣としての立場で行動してたけど、
秀吉はすでに自分が天下を獲るつもりで行動してからこそ相手の上をいったのかもしれないですね。
皮肉にも関ヶ原の戦いの石田三成と徳川家康の形に似てると思います。
あくまで豊臣家臣としての三成に対して、天下を獲る構えの家康。
1万の兵で但馬を平定し信長も評価していた羽柴秀長がなぜ柵から出てこなかったのか?ひたすら柴田側からの視点で、羽柴側の視点も秀吉だけ。秀吉が戻ってくるまでの現場指揮を執った秀長の視点を描いても良かったのでは?
寄せ集めの羽柴側の恐れていたことは遠征による長陣は最悪なわけだから寧ろ短期決戦を求めていた羽柴側の思惑通りになってしまっただけに、撤退できなかった段階で詰んでいたし、もっといえば秀長本陣まで攻め掛かれていない段階で勝負がついていたのでは。秀長は秀吉が戻ってくることは承知していたわけだからできるだけ引き込めばいいわけで、最早奇襲と言えないほど攻め込んでしまったわけだから柴田勢も引くに引けなくなっていたのだから。
撤退する利家には、鼻水よだれ流しててほしかったわw
柴田勝家は当初の、秀吉の大軍を分散させたのちに最前線を突破する戦略どおりの展開になったのに、さらに突破した後の秀吉軍との衝突時のため軍勢の消耗を少なくしようという欲をかいたために、佐久間隊に期待しすぎた。
大勝利を欲したために、当初の戦略(大枠の勝ち筋)を蔑ろにしてしまった。前田利家ら先を見通せる武将は、勝家のそういう所をみて、「先々の命運を預けるには不安」と感じても仕方なかったかも。
投資するに値するかどうかの「雰囲気(現代なら景気のようなもの)」が、多々な事情に様々な要素に軽微ながら干渉して、のちの結果に多大に影響する。。そこまで自在に操作するのは人知を超えた世界。時の運は、人知を超えている。
勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし
勝ちに絶対的な方程式はない(同じやり方で常に成功するわけじゃない)。負けには再現性ある法則が存在する(それをやれば確実に失敗するやり方というのが存在する)。
どのみち勝家には待っていたらジリ貧だったからあの戦法は間違いでもない。利家の裏切りがなければ戦のクライマックスはこれからだったんだから。
勝利を目前にした柴田陣営の思惑の行き違いが個人的なハイライトでした。賤ヶ岳ってただの秀吉軍の圧勝なのではなかったのですね。
大河で秀吉が言ってましたが、見方って非常に面白いですね!
動画主さんのような意見もとてもおもしろいですし、秀吉が逆にわざと勝家を踊らせていたとも考えられます。
とくに伊勢攻めは、勝家を誘き出すためにわざとゆっくりやってたように感じますね…
秀吉が川の氾濫で岐阜城へ行けずに戦場に引き返したことと、利家を調略していたことが勝利につながったが、
戦略の齟齬で勝家と盛政が連携して羽柴軍を挟撃できなかった為、それを見ていた利家が完全に勝家を見限って退却した様に思います。
完全な日和見でワロタ
理詰めで考えて最善手を打ったつもりでも相手からしたら組みやすしと取られたり、戦略って難しもんですね…。
基本自分が考えていることは相手も考えている前提で考えて行くのが基本ということですかね…知らんけど。
奇襲迄は良かったんですけど勝家は慎重過ぎて失敗したんですかね…。
人間ある程度の犠牲は覚悟してでも動きゃなきゃならん時も有るって事ですかね…。
どちらかといえば、賤ヶ岳は丹羽のお陰で秀吉軍がなんとか勝てた面がありますね。あそこで現れなけば負けてたかも。秀吉は戦後、前田ではなく、丹羽の方を重用して大封を与えたのをみるとそうなんでしょう。長秀はほどなく病死したのでその後の丹羽家は没落したが。
現代の通信が当たり前の状況だと感覚が狂ってしまうが
当時、密で瞬時な相互通信なんて望めないよなぁ
大雪があったとはいえ出陣が遅すぎる。すでに柴田勝家は負けていると考えます。それに滝川一益の1月の挙兵もまずい。連絡を蜜にすべき。柴田勝家はここまでの人物だったと感じます。
哀愁やなあ勝家も歴史が長く残されてるから、ちょっと感情移入します
いやー秀吉は持ってる男ですね。
勝家達がモタモタしてくれたのと調略が功を奏した、まさかこんな紙一重とは思わなかったです。
毎度のことながらモブ兵が有能w
小早川秀秋「前田殿はなんで後世で英雄になられたのですか?」
戦いの後、家を残したか否かでしょう…
小早川はわずか2年でその後、終わってしまった
前田殿「秀秋どの、慶次でことあれば、あれは、現代でも歌舞いておりますが。」
酒を慎んだからじゃ
戦国期の大名評価は、江戸幕府にとって都合の良い滅私奉公型(e.g. 鳥居)か、徳川家に反発する世論を味方にする人気型(e.g 真田)かに分けられると思う。
ちなみに、20年位前までは、明智光秀は凡将でただの外道として描かれることが多い評価であった。
もう少し長生きして大阪の陣で武功を上げれば変わっていたのかもしれませんが、家中の内紛および自身も秀吉の親族の身であるので遅かれ早かれ改易されていた可能性が高いですね…
面白かったです(・ω・)これからも新作を楽しみにしてます。
前田利家の敵前逃亡⇒加賀百万石の繁栄の礎となりましたとさ😊。めでたしめでたし…。
この後、前田利家に加賀を与えてくれたことを考えれば、秀吉は前田利家に裏切ればビッグボーナスを約束してたんだろうな。
勝家は、そういう恩賞を空約束するアイデアは浮かんでこなかったのかもしれない。恩賞は織田信考様がお考えになると思ってたのかも。
足利義昭担いでるからなあ
与えられたのは加賀の一部。
勝家の遺領は丹羽長秀に与えられた。
利家に与えられたのは長秀の死後。
信長存命中は、諸将としての立場に満足して謀反とか起こさなかったのに(信行配下時代の勝家は1度したけど)
なぜ、お互い天下をめざしたのだろう?
織田直系を傀儡におき、それぞれ、以前とは比べ物にならない所領を持ったことで満足し、上手いことやれなかったのだろうか?
めっちゃおもろい....
秀吉の織田簒奪の手口は、じつは徳川の豊臣簒奪よりも大分スマートかつ、あくどいんよねぇ
最後の最後以外は豊臣と敵対しなかった家康と、早い段階で主家の織田に敵対した秀吉
いやいや、最後の最後で裏切った家康もあくどいと思うけどな。
@@nekosakura393939 家康はねえ、成長して立派になった豊臣秀頼を見て、ビックリしたのであろう。そして今までの自分の苦労を省みて、これはいかぬ。徳川の安泰のためにもなんとしても豊臣をほろぼすしか方法がない、と強く思ったのであろうな。
長曾我部・毛利・徳川の力を借りるという事は織田の力をそぐという事になる、勝家も何振りかまっていられなくなったという事だろうね。
前田利家の軍勢は実際にはかなり損害受けていて、有力家臣も複数失ってるんだよ
漫☆画太郎の系譜をつないでいた、鼻水、ヨダレを期待してたのに。。
人の心は計り知れない。前田利家の気持ちはわかる
加賀藩「勝家こんなこと言ってたんゴ、許された😊」
秀吉は信長の死後に棚ボタ的に楽勝で天下を取ったわけではないというのが良くわかりますね
白目とよだれをください
勝家軍は正面攻撃部隊と迂回奇襲部隊の連携が旨くいかなかったのが敗因だったと言えますね。
秀吉本隊の帰還が早すぎたのも予定外だったでしょうが、大岩山を確保した段階で動けない状況になってしまい、前線部隊の後背を突くか秀長隊を牽制するかの判断が難しかったのでしょう。
利家隊の動向が敗因だったのでしょうけれど、内応工作を受けていて当てにならない戦力だったのは致命的でした。
やっぱ勝つには腐れ外道でなければならんのか・・・
よだれ有り、無し🤤賛否両論
勝家が好きになる
36:45 誤)佐久間信盛 ⇒ 正)佐久間盛政
北ノ庄城なんて越中・魚津城辺りになってる
この地図おかしい
面白いわ。
最近、YUKINARIチャンネル飽きてきたから今が好機である。
You Tubeも下剋上である。
励め
YUKIMURA?
あれは動画時間が長過ぎる
秀吉の留守を狙って奇襲をかけ、成功したのに詰め切れなかったのが痛いな。多少の犠牲を払っても南北から挟撃して第一防衛線を突破するべきだった。秀長は秀吉の後方(兵站線)を守るために動けない。ここが落ちれば秀吉が木之本まで戻る意味はなくなるし、日和ってた利家も腹を据えて勝家側に立ったろう。
今となっては謎のまた謎
親父殿カッコイイな、、、
秀吉の声が残念…(泣)
柴田勝家は上杉景勝と和睦をし、越中侵攻の不可侵を締結すれば良かった。
そして、佐々成政率いる15,000と滝川一益率いる8,000を北ノ庄城に入城させて、姉川の戦いのように川を挟んで戦えば勝てたかも。
滝川一益は伊勢志摩の所領を捨てて大垣城に入り、岐阜城にいる織田信孝と一緒に北ノ庄城に入るべきだった
和睦は絶対無理。景勝にとっては勝家は滅亡寸前に追い込まれた天敵なんだから。
@@pianochandaisuki なら、越中の領土を渡して、佐々成政率いる15,000を賤ヶ岳に参陣させるべきだったね。
盛政の心境が、この戦いの真骨頂かなぁ。
このとき徳川家康はどこで何をしていたんですか?
甲斐 信濃で北条と武田領取り合いしてたんじゃないかな?
最後佐久間信盛では盛政じゃあないかな。
上杉謙信の動きの意味不明さが、色んなところに影響を与えたのではないのかな。
なんせ、神のお告げだの義心だので動く。
事実かどうかはともかく、勝家最後に度量見せたな。
私なら利家に当たり散らしてしまうだろうw
秀吉の賤が谷勝利の要因は
大雨のせいでも何でもなく
単に前田利家の裏切りの賜物である
神江里見先生の画風に似てていい感じ
利家ほんと風見鶏でズルいわ。こんな裏切りかましておいて、よく秀吉に信用されたもんだ。
足軽の頃からの友人って話もあるし、公私ともの仲なのも大きかったのかも
32:00
15000の兵が52kmを5時間で移動・・・?
記録違いじゃねーの(戦慄)
ほとんど世界最速記録に近いと言われてますね。万を超える軍勢をこれと同等の速度で動かし、そこから決戦した例はアウステルリッツのナポレオンぐらいです。
柴田勝家は相手が悪かった。相手が並の武将なら多少迷っても時間が許してくれたはず。
ほんと秀吉の兵はナポレオンの大陸軍並みの機動力ですよ。あの時代にこれだけの速度で動けるのは戦いにおいてかなりのアドバンテージです
だからこそ、最初から即引き返すつもりだった説もあるんだよね。美濃への進行中に帰る為の準備を最初から道中に仕込んでたみたいな。
白目鼻水よだれが無いとなんか物足りない
歴史上の偉人への敬意とか考えたら無い方が良いのは判る
でもコノ動画に関してはやはり物足りなく感じてしまう
秀吉の伊勢進行の時に勝家が家康と連係が取れてれば違う結果になったかな
これ秀吉は分かってて大群連れて岐阜へ向かった説もあるよな……
じゃないと美濃大返しなんかできんよね
このチャンネルだと勝家と盛政の意思疎通が出来てないのが敗北か
最後のBGMだけでかいのは何とかして欲しい
サラッと流しているけど、上杉対策で佐々成政の越中兵が使えなかったのが痛恨。距離的な制約があっても、秀吉が美濃攻略に動いたタイミングで成政が後詰で賤ケ岳に来ていたら兵力的には勝家方は圧倒していただろうに。
利家を残してくれば良かったね
@@user-yf6xt4nm9s
それな。まあ、調略されてる事に気付けなかったのが痛かったな。
佐々成政と前田利家を入れ替えてたら結果は違ってたのかもね。
柴田家伝来奥義=その名も『必殺!権六無双』賤ヶ岳の戦いでは終ぞ発動せななんだ…誠無念也😭!
某ユキ○ラチャンネルの見過ぎ😂
高山右近の父友照と柴田勝家は親交があり(荒木謀反後の蟄居先が越前)、このため高山右近を調略しようとした
高山右近の内応の風聞があったが実際は父友照のみが内応しており戦後に佐久間盛政の証言の裏付けもあり高槻城の友照は攻められている(多聞院日記)
信孝はわしに楯突いた外道だが・・・ 皆さんご唱和ください。「外道はお前じゃー!!」
佐久間信盛?
佐久間盛政では?
柴田さんは信長を殺そうとしたのに、本当に信長について行ってたのかなー?
川が渡れなくて戻ってきた秀吉そしてまさか犬が裏切るとは!
絵が大人しくなっちゃったな
越前・府中城が能登・七尾城辺りにある
この地図、間違ってる
勝家が62歳で以下略
秀吉も62歳で以下略😅
長生きした方だな。
佐久間と柴田がリスクを冒して挟撃したら、前田も動いたのでしょうか
この長宗我部の判断が滅亡に繋がる・・・・
この時に秀吉に味方したら⁉️
秀吉に怨まれずにすんだのに
やはり実力だけではなく、天候/天災もその後の運命を決定付ける大きな一因になり得たんだね
👍👍👍👍
岐阜城は何回落城してるんだよ
岐阜城は巨大な物見櫓と言われるのは伊達ではない。
実際城の防御力は低いですからね。
戦国無双では絶対通る戦い。
利家の腐れ外道
毎回、腐れ外道が出るのを楽しみにしてます
今川一家の親分がやられたー!
清洲会議の後、羽柴秀吉に味方した織田家臣は一部を除いて秀吉の野心込みでついていったのであろう
織田家の大黒柱だった信長と当主であった信忠の倒れた結果、誰も口にしなくても織田家が瓦解する先が見えたので織田家を見切り力も名声もある秀吉についたのであろうと考えると前田利家の態度も納得
一方の勝家はそもそも信長と信勝の兄弟争いでは信勝に与し信長生粋の部下ではなく信長の信頼も秀吉程厚くなかった
そもそも勝家自身も大黒柱と当主を失った織田家のために行動していたかも定かではなくこの戦いは織田家の内紛ではなく次の天下人を決める戦いだったと言える
そういった意味でも秀吉と勝家の技量を見る限り戦う前に既に決していたといえなくもない
池田恒興「毒を食らわば皿まで。拙者は織田家を捨てて秀吉どのにお仕えする」
丹羽長秀「せや」
前田利家「せやせや」
歴史的な側面を見ても、僕もそう思います。やはり北陸から天下を目指すのはキツく、海路と陸路の2ルートでの兵站補給の重要性と街道が発達している陸路、及び地政学的な京や関東へのルート的に
太平洋側を配下に取っていた秀吉が有利だなぁ、と。
信長の信頼が薄い人間が筆頭家老で180万石も貰えるかって話。
@@pianochandaisuki
誰のことを言ってるのか知らんが、筆頭家老の柴田勝家でやっと信長に与えられた直轄領60万石ちょっとだぞ。秀吉が近江長浜+播磨の大半で50万石くらい。光秀が近江坂本+丹波一国で同じくらい。180万石って織田家の支配地の過半数越えるだろ。
@@紳士先輩-f8t 越前、加賀、能登、越中合わせたらそれくらいだよ。勝家の本拠だけなら越前一国だけど、組下大名も入れたらそれくらいだよ。
賤ヶ岳の合戦における柴田方の敗因は、前田利家・利長父子の敵前逃亡だった!?[最終改訂版]byタモギタケ雨水 でネット検索な
勝ち方も負け方もドでかいリスク背負って胃を痛めつけながら行動してるんですね~。
柴田勝家が正面から動けなかったのは、前田利家の裏切りを予測していたからなんてことは・・・。側面から討たれる可能性があって動きたくても動けないとか妄想。
しかし利家はずるがしこい。確実に自分の行動で決着がつく状況を待ち構えていたな。ただ勝家側についていれば勝家は勝っていた、または負けはしなかったと思われる。つまり先々をにらんで秀吉を選んだということになる。つまり前田利家が天下を決定したといってもいいかもね。