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京都市の小学生は必ず蹴上に遠足に行きます。あの当時は学校の授業の一環だったのもあってここまですごいものだとなんとなくピンと来なかったですが・・・。改めてこうして見ると素晴らしいものだと感じます、いい機会になりました。
蹴上と岡崎にある疏水記念館、それから動物園がセットやったな。京都検定の教科書と授業でもしっかり教わった笑
大津市の一部の小学校でも蹴上まで疎水沿いに歩いて行く校外学習がありますよ。
僕は滋賀県民ですが、4年生の遠足で琵琶湖疎水の勉強しましたよちょうど大津市の県庁の見学と警察本部の見学とセットで回りました。今まで京都に人にいじられる時にしょっちゅう「水止める」って言ってましたが南郷洗堰のことかと思ってましたが琵琶湖疎水のことやったんですね(^^ゞ
今度天ヶ瀬ダムと南郷洗堰、枚方市にある淀川にあるスーパー堤防について解説してほしいです
心臓破りの蹴上坂
道徳の時間に、これを見ました。突然ゆっくりボイスが流れ、前のスクリーンには見覚えのあるまんじゅうが2人。私は琵琶湖疏水を説明する上で教科書を使わず、ゆっくりを利用する先生のことが少しすきになりました。
先人の偉大な業績に感動する思いだ。琵琶湖疏水の話は知ってはいたが、このような難工事に持てる技術と人材の全てを投入して実現せしめたことが素晴らしい。
21歳もすごいし任せた人も本当にすごい。
21歳でプロジェクトの責任者になるとか、どれほどのやりがいと重圧だったのだろう。そして任せる決断をした行政の長。皆さんご立派ぁ!
「あれはただの論文で」「なんや君ウソ書いたんかいな」「いやウソではありませんが」「ほならできるっちゅうことやろ?」「いやしか・・」「どっちなんや?できるんか?でけへんのか?」「・・・やらせていただきます」などと丸め込まれたにちがいない。
人材発掘とその人材を活用した行政側責任者である京都府知事の英断。まさに公共事業の典型的な成功例ですね。近年では政治家が小粒になってホント情けない。
老害跋扈魑魅魍魎の今じゃまずないな幕末明治ヤバい
@@sentinel397 へらはらほらは
@@sentinel397 へらはらほらはや
論文書いたら任されてしまった って凄い話だなぁ当時としては、誰もやろうとしなかった難事業でしょ。それを、「任せた」と登用する方も凄い。やってみろ程度だったのかもしれないけど、できちゃったのがまた凄い。現在では失われてしまった英断ですね。リスクを恐れて、責任者ですらやる気がない。
ありがと
久しぶりの土建図鑑、ありがとうございました。興味を持ったんで調べてみたら、田辺朔郎は後に北垣国道の娘と結婚したそうです。これが縁になったのかな
このゆっくり土建図鑑は本当に面白い動画で凄くお気に入りです。(笑)
滋賀県民「琵琶湖の水やってるやから感謝しろ」 京都府民「水流させたってるんやぞ、感謝しろ」が鉄板のネタやった
戦前はな、京都踏水会という水泳教室(今もある)が年に一回開く遠泳大会で琵琶湖から疏水を通って京都まで泳いで帰ったらしいぞ。そもそも水泳の授業を疏水の溜りでやってたみたいだし。
大津ー山科ー京都ってほとんど高低差ないので、疏水建設の技術はほんとすごいと思います。
庭園で石を敷く枯山水を用いるくらい京都では水が貴重で憧れだった琵琶湖疏水が開通し水をふんだんに使えるようになると知った資産家や事業家たちがこぞって新しい庭園を競うように造らせたそれが南禅寺門前にいくつもある塀に囲まれ一般公開されていない建築郡、現在では様々な一部上場企業が管理者となっている
発想力も行動力も良いものは学び吸収していく柔軟性もあるとかすごい逸材だ
学研の○年の学習シリーズの別冊付録で郷土の偉人マンガがあって、それを読んだのをちょびっと覚えています。たしか、計画が周知された時に、滋賀側の住民から『琵琶湖が干上がったらどうする』とか『琵琶湖の水位が下がって漁業がやり難くなる』と、大阪の方からは『大雨で疎水からあふれた水が流れてきて、大阪に大水害が起きる恐れがある』と猛烈な反対運動が起こったとか。「ウソみたいな実話」として、どうしても砕けない固い岩に、発明されたばかりのダイナマイトでドカンドカンとやっていたら、周辺の住民の間で、「山の向こうで戦争が始まった」という噂が広まったとか
ついに琵琶湖疏水か。滋賀県民としては取り上げていただけるのが大変うれしいです。
現代では知られる事も少ない傑物を知れる有り難い動画
この話ぜったいドラマ化すべし。なってなきゃおかしい!
琵琶湖疏水のドラマではありませんが、NHK大河ドラマ「西郷どん」の最終回(?)で第二疏水の話がちらっと出ました。西郷隆盛の息子菊次郎が当時京都市の市長で第二疏水建設に貢献したそうで。私もそれまで琵琶湖疏水の歴史を知りませんでした。
ドラマ化ではないですが、NHKで特集される際、再現されてましたね
インクラインと南禅寺水路閣はブラタモリで紹介されてました
滋賀県人が言う「琵琶湖の水を止めたろか」を実行すると水が溢れ滋賀県が水没するシュミレーションがあったな
逆に疎水路を作ってしまうことで琵琶湖の貯水体積が減少していかなかったのかなと無能な自分はふと想像を巡らせてしまいました
まあ、後からつけられたシステムだし。元に戻るだけだろう。下流の方が強い気なのは珍しいけどね
京都、億単位で金払ってるから、水を止めて困るのは結局滋賀になるんよな
瀬田川の流量がちょっと増えるだけじゃないの?
明治・大正の大洪水を考えれば、水を完全に止めた場合滋賀県は大変な被害を被ることになるね。下流は塩害で大変だろうけど。
滋賀側の地元民です。疏水船は春と秋の年2回運航シーズンが有ります。滋賀側からの下り・京都側からの上りの2コース有りますが、建造物ファンの方は滋賀側からの下りコースがおすすめで、トンネルの造りや扁額もゆっくり眺められます。下りコースは風景やトンネルをゆっくり眺める観光船らしさが、エンジン吹かして遡上する上りコースは稀に水飛沫を浴びたりとアトラクション感が楽しめます。
蹴上のインクライン、水路閣、琵琶湖疏水記念館は何回も行きましたがいい場所です。
この蹴上水力発電所と数年前に開業した西道頓堀火力発電所がアメリカ製の発電機だったので、西日本の電気は60Hzになったのですね。
わああああああ琵琶湖疏水リクエストした者です〜!!ありがとうございます!!!!
琵琶湖疎水の名称は知っていてもその中身はほぼ全く知りませんでした。当時の20代はすごいですね。ものすごいエピソード聞かせてもらいました。
蹴上インクラインは船を直接載せられて当時は楽だっただろうし、距離も高低差もあるから今でも迫力がすごい。ちなみに琵琶湖疏水が引かれるまでは井戸水で暮らしていたらしいけど、下水と混じって伝染病のもとになっていたから疏水建設同時期に下水道整備も計画されていた。だけど色々あって疏水建設ほどスムーズには進まなかったんじゃなかったっけなぁと
ここの主さん頭良いよなぁ~内容も分かり易く時間も短い土木関係って本当頭脳明晰👍
昔、この疎水の近所に住んでた。桜が綺麗なんだよねー☆
琵琶湖の水で発展した京都, 京都のベッドタウンとして近年発展した滋賀県。切っても切り離せない関係ですね。
京都人なので蹴上にある疏水記念館に見学行きました。見応えのある記念館です。しかし夜の疏水はめっちゃ不気味ですよ!
素晴らしい動画でした‼️👍👏👏南禅寺な行った時にもっと良く見ておけば良かったと、後悔しました😰もっと早くこの動画にめぐり合いたかった😢
疏水分線は哲学の道で有名ですね
哲学の道は銀閣寺まででしたかな?
白川今出川、銀閣寺道付近までかな。こちらも桜の名所。
@@N--T 様 日本人に生まれて良かったと思う施設ですね。玉川上水、見沼代用水、辰巳用水などなど。白虎隊が自刃した場所も用水隧道ではなかったかな?
「哲学の道」の横の川は、疎水分線だったんですか。修学旅行に行ったとき、この知識があれば。。
それ
京都vs滋賀の争いはただの様式美です
京都vs大阪は一部のみ様式美
昔「マザーレイク琵琶湖。預かっているのは滋賀県です」という脅迫めいたCMを下流の2府に流していたのを思い出す。おかげさまで水もきれいになりましたw 私も滋賀県民w
@@SteelTetsuya ?
そもそも滋賀県民が遊びに出ようとするとどうしたって京都に行かなきゃならないので、京都人を敵視しようなんて発想には絶対ならんよね
滋賀だけど他府県への対抗心みたいなの全然ない気がする
明治時代にこんな事業があったとは知りませんでした素晴らしい動画をありがとうございました土を掘ることも難しいでしょうけれど目的の通過点を正確に測って道を導く測量の面からも大変だったでしょうね
琵琶湖疏水、自分で調べてもわかりづらいところがあったので助かる
蹴上の地名は「平氏の馬の蹴り上げた泥水がかかって晴れの門出を汚されてキレた義経が馬を連れていた平氏を切り捨てた」という話が由来という説があるけどそこに京都の生命線とも言える琵琶湖疏水が通ってるのは不思議な縁を感じなくもない
そういえば、琵琶湖疏水の詳しい話を初めて聞いた。とても良い話をありがとう。田辺って人すごいね。
ところで、全く無関係ながら、京都盆地は元々は深い湖で、その貯水量は琵琶湖に匹敵したらしい。それが河川が運ぶ土砂や土砂崩れ等の堆積物 により次第に埋まり沼地から平野と成った。その名残が戦前まで存在していた巨椋池(湖と言って良いレベル)今も京都盆地の地下水の貯水量は琵琶湖に匹敵しているらしい。この豊富な地下水を利用したのが京都名物の湯葉や豆腐。と言ったことで、京都、平安京が建設された8世紀当時、未だ湿地や沼地が広がっていてかなりの難工事だったと言います(確か、)と、言う事から平安京以前は盆地の平野部は奈良盆地(湖だった。故に神武天皇は即位できませんし、侵攻戦争もできません)同様に住居や活動に不適だったことに?
確か、右京側かな、左京側やったかな?忘れてしまったけど、湿地というか、じめじめした環境で伝染病などが流行りやすく死体捨て場のようになってしまっていた地域が割りと広範囲であったはずです。それで早くに廃れたと。今でこそ整備されてるけど…。私の家の裏もボコボコ水がわいてサワガニ天国です(鳥に食われまくってある意味地獄?)。住んでいても湖の名残、あるいはその影響はあったんだなと思います。
こういう動画大好き!
日本土木史探訪 人は何を築いてきたか 山海堂ご一読ください。
京都市内東部で育ったので、小学校時代の社会の授業は疏水!インクライン!北垣、田邊!って感じだったw高校は疏水っぺりで、春の桜が本当に綺麗だった。懐かしい。
水路橋とインクライン、昔行ったことがありますがこんな素敵な事業の名残だったんですね!どうして当時調べなかったんだろうー😣
地元民としてお世話になっております(-人-)洋式のセメントも普及してない時代に煉瓦と漆喰でやりぬいた先人に感謝。
北海道在住、、京阪沿線に住んでました。南禅寺が大好きで、事ある度に訪れました。隣接する(少し離れていますが)琵琶湖疏水記念館も訪れました。他の京都の観光地と空気が違うように感じる。京都観光のオススメを聞かれると1番に紹介してます。コロナが落ち着いたら、疏水船に必ず乗りたい!
素晴らしい動画をありがとうございます。感動しました。大変な苦労の末に完成させた琵琶湖疎水。これだけ世のため人のためになる物をもっと多くの人に知ってほしいです。よろしければ「愛知用水」のお話もお願いします。
浜島先生ありがとうです…(元知多半島民)
確かに当時は外国の技術頼りですね長崎の明治産業遺産の大半は外国製ですしそれにしても、やはり明治時代は面白い!今の日本を形作った原形ですからね
この動画すげーな京都市出身だから何度か学校が習うがよく分からんかったけど、めちゃくちゃ分かりやすい
愛知や岐阜のヨハネス・デ・レーケみたいに、どこの地にもその地で語り継がれる水に関するエピソードはあるもんだな。
この判断がなかったら今では50万人ぐらいの普通の県庁所在地になってたかもしれないね
奈良状態になってたかもね。。
これがなかったら水がなくて人口が増やせない
ここまで大規模じゃなくても田舎の農業用水(路)でも立体に交差してたりするのを見ると「凄いなぁ~」って思う。おまけに詳しい人に聞くと目で見て全然わからないけど微妙に傾斜までつけてるらしい。
昔の村の丘陵の尾根伝いに深い水路がありました。先の大戦で誘導路建設でぶった切られましたが、大切に維持してきた水路だったようです。
次は草津川などの天井川についてやってほしい。オランダ堰や河川付け替え工事といった明治から今までずっと工事してたので。国道1号や東海道本線という主要インフラが川の下をくぐるというダイナミックなネタや、商店街の途中に川をくぐるトンネルあったりと面白いので
似たようなもので東京だと「玉川上水」がありますが、琵琶湖疎水は明治期に建設ということもあり「隧道」「立坑」「水力発電」を取り入れているのが技術の進化を感じさせます。今度はぜひ「玉川上水」の解説をお願いします。
水道橋とは神田上水を水戸屋敷に取り入れ、そこで鯉が大丈夫なことを確認して、江戸城に掛樋で導水していました。御三家に飲料水のバイオアッセイさせていました。
東京都民なら玉川上水は小学校で習うんだよね。難工事で資金が尽きる中、私財を投じてまで完成させ士分に取り立てられた玉川兄弟の物語は子供心にアツかった!
@@DJ-lt2yd 様 見沼代用水も取水口から、旧荒川伏せ越し、氷川神社裏、通船堀まで見ると感動再びですよ!
府中用水・六郷用水・二ヶ領用水も忘れないでね。
4月中旬にびわ湖疏水船の予約しているのでナイスタイミングな解説ありがとうございました!
インクラインから南禅寺に流れている水路が自然とマッチしてとても綺麗なので私は年に4回ほど訪れています。
まさに偉大なる先人だね。
一時、春、秋の京都によく行っていたので、琵琶湖疎水は知っていましたが、21歳の若い技術者が中心になって創られたものとは知りませんでした。そして、遷都後の京都復興の起爆剤になり、日本土木の礎にもなった。胸熱くなるものがあります。
京都に住んでた頃に小学校の遠足で琵琶湖疏水を見に行きました。わざわざ出発点まで行って山を通って途中から電車で蹴上という駅で降りインクラインを見ました。自分たちの学校だけかなと思っていましたがコメントのあちこちで小学校の時に疎水を見に行ったというがあったので結構行くんだなと思いました。
ちょうど今朝行ってきたけど蹴上インクラインの桜が満開ですよ秋は紅葉もあってなかなか良スポット
小学校の頃の4年生でやりましたが、とても凄いなも思いました。自分は京都産まれで田辺朔郎さんと北垣国道さんや建設してくれた人にも感謝しています。17人も死んでしまいましたが、琵琶湖疏水は京都の宝庫だと思いました。
この近所に住んでますいつもなにげに通ってますが改めてありがとうございました
登場人物全員優秀だよな。こんな若手に任せて外国にまでいかせる政府のその柔軟さもすごい
当時は世界的に見ても最先端は工事 恐るべき。
凄いよなぁ二年前に観光で見に行ったわ
荒川区民「荒川止めるぞ」 荒川区に荒川流れてないし墨田区民「隅田川止めるぞ」墨田区が水没するだけじゃなく江東区まで水没するぜ
座布団3枚!
…あれ?後者は江東区に対する自爆攻撃としてかなり有効なのでは?
@@SATOU-Kan 様 台風19号も紙一重で凌いでいるようです。昔の水害時に建設途中で、重機を犠牲にして雨水を入れた工事事務所長がいました。
多摩地域市民「玉川上水止めんぞ?お?」
@@AppLE--pi-n 様 25年位前、野火止用水を平林寺まで歩きました。
丁寧なご説明をありがとうございます。最初インクラインを見た時に、鉄道ファンとしてはあの軌道の幅に悩んだ。これは一体なんだ?南禅寺の水路閣も素晴らしい。京都ロケのドラマには、かなり登場します。京都の人が、滋賀県民を見下すと疎水の水を止められかもしれませんよ。
何年か前に京都に行った時に念願の南禅寺の疎水水路の水路閣レンガ造りを観ました!明治時代にこういった建築が出来たと感激しました‼️昔の人は偉い‼️🤔😅😁✌️
長く住んでいますがトンネル抜けの水上船復活寡聞でした歩いて行っていた20代の頃が懐かしいです、調べて乗ってみようかな
桜に囲まれた水路はめちゃくちゃ風情があるなあ…
行動力と技術力がヤバい
疏水の工事は南禅寺岩切り抜きて船を遣る知識の進歩もみられたり…と謳われた位に当時最新の工事だったのだろうな…
それって、『鉄道唱歌』の歌詞の一部ですね。🎵琵琶湖に引きて通したる疎水の工事は南禅寺岩切リ抜きて舟をやる知識の進歩も見られたり日本の地理・歴史・文化を調べたいなら、『鉄道唱歌』の本を探せば、ほぼ載っています。明治時代に作られた歌です。参考になれば、良いと思います。学生時代に役に立ちましたから、保証しますよ。
昔京阪三条駅が地上駅だった頃ホーム下をざあざあと音を立てて流れる疏水は風情があったな
琵琶湖疎水船に乗りました。今度行く機会がありましたらこの動画内容を思い出して観光します。
羨ましいです。
京都住んでるから今度いってみようかな
毎回とても面白い。まさに先人の努力ですねー
テレビ番組のせいで京都人の風評被害がすごい
今日ちょうど疏水に桜見に行ったんだよ。この動画見てから行けばよかったなあやはり琵琶湖は偉大だわBy滋賀県民
イギリスの18世紀産業革命と言っても、実際に生産性が上がってきたのは19世紀後半。発明が役に立つ為の付随技術加工技術が揃ってきたから。そして蒸気機関開発から100年後に発送電技術の普及。この時はイギリス日本のタイムラグが少なかった。ガソリンエンジンもタイムラグが少なかった。これが日本が早く発展出来た理由の一つやろね。そう言う意味で蹴上発電所の価値は非常に高い。電気社会という普遍の価値観は文明社会において重要だ。こらからEV社会にもなるし。電気は優秀。
慧眼ですl
田辺朔郎・・・知らなかった。こんな偉大な人物がいたとは。
京都の友人に「疎水で立ちションするぞ!」と笑いながら言い合いしてました。
近所の住職は南禅寺で修行してる時に、夏場は疎水で泳ぐのが楽しみだったと言ってた京都の夏はクソ暑いから、疎水の水は気持ちよかったらしい飲む気にはならなかったそうだが
深まった秋にびわ湖疏水船に乗ると、トンネルから抜けたとたん、紅葉が目に飛び込んで感動します。タイムリーな卒業論文や立派な学歴があれど、主任技術者として「大学出たて」の青年を起用した北垣国道の決断、そして期待に十二分に応えた田邊朔朗のコンビは奇跡とも言える巡り合わせだと思います。また、若い技術者を信じて過酷な労働に従事した現場の人がいなければ完成しなかった建造物だと、思いを馳せながら乗船しています。
我が郷土の誇り 北垣国道坂本龍馬とも交流があり、京都府知事で琵琶湖疎水を完成させ、その後北海道開拓を遂行する偉大な功績の割には後世であまり日の目を見ない偉人「北垣国道」皆様よろしくお願いします。
但馬の豪農出身で、幕末には「生野の変」で多くの勤王志士とともに挙兵に加わってはったんですよね。
@@aiai4445 その通りでございます。北垣国道の本「北垣国道の生涯と龍馬の影」是非御一読を
電車の写真は、北野線終点。後ろの鳥居は、北野天満宮の物です。琵琶湖疎水自体が京都市の所有物なので、滋賀県は水を止めることが出来ないのが現実なんだよな~。
蹴上インクライン周辺はお花見の時期に行くと楽しいですよ🌸
卒業制作が琵琶湖疏水ってすごいね
俺は建築設計の仕事してるから当然建築の歴史は勉強したし著名な建築家も沢山しってるけど、土木家の事は知らなかった。凄い人なんだね、田邊氏は。明治人は本当に才能と実力がある人達で溢れていたんだな。
おらぁ!滋賀県民を敬うんやぁ!!
玉川上水の歴史もオモロい
小学生の時に蹴上とか社会見学で見に行ったなぁ
今では疏水を引いた平安神宮東神苑の池の方が琵琶湖本来の生態系が保たれてるともといわれてる。他にも旧南禅寺寺領が時の権力者や成金に売却され、その中の西洋かぶれの山縣有朋が七代目小川治兵衛に言った言葉「日本の庭は辛気臭くてかなわん」この一言により疏水を用いた開放的かつ伸びやかな無鄰菴庭園が作られ江戸期には停滞していた日本庭園が近代になり大きく発展し現代の日本庭園の礎となる。
琵琶湖の水は神戸市民の半分くらいは利用してるので京都や大阪に限らす関西の宝物ですね。(´・ω・`)
今だと大学出たばかりの若造を責任者にとかありえないな。このあたりの社会の変化は面白い。
逃げた人間もいるのだろうが、歴史には名は残らないな
当時最新の技術を海外で学んだ人だから超エリートだろうね。
ナミビアでは去年大卒23歳女性が通信省副大臣になっている。同じく去年東欧のとある小さな国でも23歳女性が副大臣になっていた、国名も分野も覚えてないけど。人口数百万人とか国が貧しいとかだと大卒でもエリート視される可能性を持つ上に、任命する側にとっても候補者は少ない方がそれぞれの能力を把握しやすいだろう。ただこの若い女性を登用する風潮には「俺らは若者にも女性にも地位を与えてるよ」っていうパフォーマンス要素も考えられる。あんまり重要でない部署を設けて名ばかりの地位職を置いて若い女性を据えて開放感アピールしてるかもしれない。ナミビアの人はそう感じないけど東欧のは他にもいくつかの副大臣が若い女性になっていて揃って写真撮ってて、なんだか国のプロデュースしたアイドルグループみたいに見えなくもなかった。彼女たちも能力は人並み以上にはあるんだろうけどどこまで実権持たされてるかは分からない。台湾内閣のオードリータンは小卒だけど世界的には総統より有名になった。それも台湾が小さな国だった事が理由の一つだろう。日本だったら院卒とかIT大企業社長とか肩書持ってる人がいっぱいいる、総理は地位を資金源とでも考えて割り振らないと自分の地位を固められない、大した肩書も無い人に高い地位を与えても世間が納得しない、能力があってもその方向性が開放的だと保守的な政界と国民が叩き潰してしまう。この21歳の人を起用した時も彼自身と任命した側が批判を受けたらしく、それも当人たちも想像してたろうとはいえ、困難だったのは工事そのものよりも反対や妨害だったろう。
明治時代は変圧器の性能が良くなかったので、琵琶湖の水位によって疎水の水流の勢いが変化すると蹴上の水力発電の電圧がモロに変化して、電車の速度が速くなったり遅くなったりするという…お客が文句を言ったら乗務員が「速い遅いは電車に言ってくれ!」と言い返したとか(^^;…そういう、上方落語みたいなやり取りが実際にあったそうですねw
観光情報助かりすぎる...
発電所を横目に路面電車の蹴上駅を降りて、インクラインの横を通ってねじりまんぽを通り抜け、南禅寺を通って通学してた高校生時代が懐かしい。。
すげえな。明治維新後の役人って腹の中真っ黒な奴だらけだぜ。首都移転した後に水引くなんてさすが…京都。
映画化を期待したいお話ですね。
この事は地元の事なので小学校の道徳で習いました。母校はけいおん!の聖地です。琵琶湖から唯一瀬田川(宇治、淀川)が有ったけど京都市のかなり下の方に流れてたから、琵琶湖疎水作られたと思います。京都の発展の為に作られたのは知りませんでした。
なっつかしい。小学生の時社会でやったな〜。社会見学にも行ったっけ京都市あるあるかな?
ええ年やけど勉強なったわ
蹴上インクラインは映えスポットとかしましたね
鴨川運河の南にも伏見インクラインっていうのがありまして、こっちは史跡としても残ってないけどね。墨染発電所は、蹴上、夷川発電所と共に現役ですね。蹴上インクラインの近くに疎水の記念館もあります、すごく小さくてわかりにくい施設ですがね。あと、京都の水運といえば、角倉了以の高瀬川もありますね。
3:55 やっべw卒論で琵琶湖疎水のこと研究したらマジで作れって言われたンゴww
京都市の小学生は必ず蹴上に遠足に行きます。あの当時は学校の授業の一環だったのもあってここまですごいものだとなんとなくピンと来なかったですが・・・。改めてこうして見ると素晴らしいものだと感じます、いい機会になりました。
蹴上と岡崎にある疏水記念館、それから動物園がセットやったな。京都検定の教科書と授業でもしっかり教わった笑
大津市の一部の小学校でも蹴上まで疎水沿いに歩いて行く校外学習がありますよ。
僕は滋賀県民ですが、4年生の遠足で琵琶湖疎水の勉強しましたよ
ちょうど大津市の県庁の見学と警察本部の見学とセットで回りました。
今まで京都に人にいじられる時にしょっちゅう「水止める」って言ってましたが南郷洗堰のことかと思ってましたが琵琶湖疎水のことやったんですね(^^ゞ
今度天ヶ瀬ダムと南郷洗堰、枚方市にある淀川にあるスーパー堤防について解説してほしいです
心臓破りの蹴上坂
道徳の時間に、これを見ました。
突然ゆっくりボイスが流れ、前のスクリーンには見覚えのあるまんじゅうが2人。
私は琵琶湖疏水を説明する上で教科書を使わず、ゆっくりを利用する先生のことが少しすきになりました。
先人の偉大な業績に感動する思いだ。
琵琶湖疏水の話は知ってはいたが、このような難工事に持てる技術と人材の全てを投入して実現せしめたことが素晴らしい。
21歳もすごいし任せた人も本当にすごい。
21歳でプロジェクトの責任者になるとか、どれほどのやりがいと重圧だったのだろう。そして任せる決断をした行政の長。皆さんご立派ぁ!
「あれはただの論文で」
「なんや君ウソ書いたんかいな」
「いやウソではありませんが」
「ほならできるっちゅうことやろ?」
「いやしか・・」
「どっちなんや?できるんか?でけへんのか?」
「・・・やらせていただきます」
などと丸め込まれたにちがいない。
人材発掘とその人材を活用した行政側責任者である京都府知事の英断。
まさに公共事業の典型的な成功例ですね。
近年では政治家が小粒になってホント情けない。
老害跋扈魑魅魍魎の今じゃまずないな
幕末明治ヤバい
@@sentinel397 へらはらほらは
@@sentinel397 へらはらほらはや
論文書いたら任されてしまった って凄い話だなぁ
当時としては、誰もやろうとしなかった難事業でしょ。
それを、「任せた」と登用する方も凄い。
やってみろ程度だったのかもしれないけど、できちゃったのがまた凄い。
現在では失われてしまった英断ですね。
リスクを恐れて、責任者ですらやる気がない。
ありがと
久しぶりの土建図鑑、ありがとうございました。
興味を持ったんで調べてみたら、田辺朔郎は後に北垣国道の娘と結婚したそうです。これが縁になったのかな
このゆっくり土建図鑑は本当に面白い動画で凄くお気に入りです。(笑)
滋賀県民「琵琶湖の水やってるやから感謝しろ」
京都府民「水流させたってるんやぞ、感謝しろ」
が鉄板のネタやった
戦前はな、京都踏水会という水泳教室(今もある)が年に一回開く遠泳大会で琵琶湖から疏水を通って京都まで泳いで帰ったらしいぞ。
そもそも水泳の授業を疏水の溜りでやってたみたいだし。
大津ー山科ー京都ってほとんど高低差ないので、疏水建設の技術はほんとすごいと思います。
庭園で石を敷く枯山水を用いるくらい京都では水が貴重で憧れだった
琵琶湖疏水が開通し水をふんだんに使えるようになると知った資産家や事業家たちがこぞって新しい庭園を競うように造らせた
それが南禅寺門前にいくつもある塀に囲まれ一般公開されていない建築郡、現在では様々な一部上場企業が管理者となっている
発想力も行動力も良いものは学び吸収していく柔軟性もあるとかすごい逸材だ
学研の○年の学習シリーズの別冊付録で郷土の偉人マンガがあって、それを読んだのをちょびっと覚えています。たしか、
計画が周知された時に、滋賀側の住民から『琵琶湖が干上がったらどうする』とか『琵琶湖の水位が下がって漁業がやり難くなる』と、大阪の方からは『大雨で疎水からあふれた水が流れてきて、大阪に大水害が起きる恐れがある』と猛烈な反対運動が起こったとか。
「ウソみたいな実話」として、どうしても砕けない固い岩に、発明されたばかりのダイナマイトでドカンドカンとやっていたら、周辺の住民の間で、「山の向こうで戦争が始まった」という噂が広まったとか
ついに琵琶湖疏水か。
滋賀県民としては取り上げていただけるのが大変うれしいです。
現代では知られる事も少ない傑物を知れる有り難い動画
この話ぜったいドラマ化すべし。なってなきゃおかしい!
琵琶湖疏水のドラマではありませんが、NHK大河ドラマ「西郷どん」の最終回(?)で第二疏水の話がちらっと出ました。西郷隆盛の息子菊次郎が当時京都市の市長で第二疏水建設に貢献したそうで。私もそれまで琵琶湖疏水の歴史を知りませんでした。
ドラマ化ではないですが、NHKで特集される際、再現されてましたね
インクラインと南禅寺水路閣はブラタモリで紹介されてました
滋賀県人が言う「琵琶湖の水を止めたろか」を実行すると水が溢れ滋賀県が水没するシュミレーションがあったな
逆に疎水路を作ってしまうことで琵琶湖の貯水体積が減少していかなかったのかなと無能な自分はふと想像を巡らせてしまいました
まあ、後からつけられたシステムだし。元に戻るだけだろう。下流の方が強い気なのは珍しいけどね
京都、億単位で金払ってるから、水を止めて困るのは結局滋賀になるんよな
瀬田川の流量がちょっと増えるだけじゃないの?
明治・大正の大洪水を考えれば、水を完全に止めた場合滋賀県は大変な被害を被ることになるね。下流は塩害で大変だろうけど。
滋賀側の地元民です。疏水船は春と秋の年2回運航シーズンが有ります。滋賀側からの下り・京都側からの上りの2コース有りますが、建造物ファンの方は滋賀側からの下りコースがおすすめで、トンネルの造りや扁額もゆっくり眺められます。下りコースは風景やトンネルをゆっくり眺める観光船らしさが、エンジン吹かして遡上する上りコースは稀に水飛沫を浴びたりとアトラクション感が楽しめます。
蹴上のインクライン、水路閣、琵琶湖疏水記念館は何回も行きましたがいい場所です。
この蹴上水力発電所と数年前に開業した西道頓堀火力発電所がアメリカ製の発電機だったので、西日本の電気は60Hzになったのですね。
わああああああ琵琶湖疏水リクエストした者です〜!!ありがとうございます!!!!
琵琶湖疎水の名称は知っていてもその中身はほぼ全く知りませんでした。
当時の20代はすごいですね。ものすごいエピソード聞かせてもらいました。
蹴上インクラインは船を直接載せられて当時は楽だっただろうし、距離も高低差もあるから今でも迫力がすごい。
ちなみに琵琶湖疏水が引かれるまでは井戸水で暮らしていたらしいけど、下水と混じって伝染病のもとになっていたから疏水建設同時期に下水道整備も計画されていた。だけど色々あって疏水建設ほどスムーズには進まなかったんじゃなかったっけなぁと
ここの主さん頭良いよなぁ~
内容も分かり易く時間も短い
土木関係って本当頭脳明晰👍
昔、この疎水の近所に住んでた。桜が綺麗なんだよねー☆
琵琶湖の水で発展した京都, 京都のベッドタウンとして近年発展した滋賀県。切っても切り離せない関係ですね。
京都人なので蹴上にある疏水記念館に見学行きました。見応えのある記念館です。しかし夜の疏水はめっちゃ不気味ですよ!
素晴らしい動画でした‼️👍👏👏
南禅寺な行った時にもっと良く見ておけば良かったと、後悔しました😰もっと早くこの動画にめぐり合いたかった😢
疏水分線は哲学の道で有名ですね
哲学の道は銀閣寺まででしたかな?
白川今出川、銀閣寺道付近までかな。こちらも桜の名所。
@@N--T 様 日本人に生まれて良かったと思う施設ですね。玉川上水、見沼代用水、辰巳用水などなど。白虎隊が自刃した場所も用水隧道ではなかったかな?
「哲学の道」の横の川は、疎水分線だったんですか。修学旅行に行ったとき、この知識があれば。。
それ
京都vs滋賀の争いはただの様式美です
京都vs大阪は一部のみ様式美
昔「マザーレイク琵琶湖。預かっているのは滋賀県です」という脅迫めいたCMを下流の2府に流していたのを思い出す。おかげさまで水もきれいになりましたw 私も滋賀県民w
@@SteelTetsuya ?
そもそも滋賀県民が遊びに出ようとするとどうしたって京都に行かなきゃならないので、京都人を敵視しようなんて発想には絶対ならんよね
滋賀だけど他府県への対抗心みたいなの全然ない気がする
明治時代にこんな事業があったとは知りませんでした
素晴らしい動画をありがとうございました
土を掘ることも難しいでしょうけれど
目的の通過点を正確に測って道を導く測量の面からも
大変だったでしょうね
琵琶湖疏水、自分で調べてもわかりづらいところがあったので助かる
蹴上の地名は「平氏の馬の蹴り上げた泥水がかかって晴れの門出を汚されてキレた義経が馬を連れていた平氏を切り捨てた」という話が由来という説があるけどそこに京都の生命線とも言える琵琶湖疏水が通ってるのは不思議な縁を感じなくもない
そういえば、琵琶湖疏水の詳しい話を初めて聞いた。とても良い話をありがとう。田辺って人すごいね。
ところで、全く無関係ながら、
京都盆地は元々は深い湖で、
その貯水量は琵琶湖に匹敵したらしい。
それが河川が運ぶ土砂や土砂崩れ等の堆積物 により次第に埋まり沼地から平野と成った。
その名残が戦前まで存在していた
巨椋池(湖と言って良いレベル)
今も京都盆地の地下水の貯水量は琵琶湖に匹敵しているらしい。
この豊富な地下水を利用したのが京都名物の湯葉や豆腐。
と言ったことで、京都、平安京が建設された8世紀当時、
未だ湿地や沼地が広がっていてかなりの難工事だったと言います(確か、)
と、言う事から平安京以前は盆地の平野部は奈良盆地(湖だった。故に神武天皇は即位できませんし、侵攻戦争もできません)同様に住居や活動に不適だったことに?
確か、右京側かな、左京側やったかな?忘れてしまったけど、湿地というか、じめじめした環境で伝染病などが流行りやすく死体捨て場のようになってしまっていた地域が割りと広範囲であったはずです。それで早くに廃れたと。今でこそ整備されてるけど…。
私の家の裏もボコボコ水がわいてサワガニ天国です(鳥に食われまくってある意味地獄?)。
住んでいても湖の名残、あるいはその影響はあったんだなと思います。
こういう動画大好き!
日本土木史探訪 人は何を築いてきたか 山海堂ご一読ください。
京都市内東部で育ったので、小学校時代の社会の授業は疏水!インクライン!北垣、田邊!って感じだったw
高校は疏水っぺりで、春の桜が本当に綺麗だった。懐かしい。
水路橋とインクライン、昔行ったことがありますがこんな素敵な事業の名残だったんですね!
どうして当時調べなかったんだろうー😣
地元民としてお世話になっております(-人-)
洋式のセメントも普及してない時代に煉瓦と漆喰でやりぬいた先人に感謝。
北海道在住、、京阪沿線に住んでました。
南禅寺が大好きで、事ある度に訪れました。
隣接する(少し離れていますが)琵琶湖疏水記念館も訪れました。
他の京都の観光地と空気が違うように感じる。
京都観光のオススメを聞かれると1番に紹介してます。
コロナが落ち着いたら、疏水船に必ず乗りたい!
素晴らしい動画をありがとうございます。感動しました。大変な苦労の末に完成させた琵琶湖疎水。これだけ世のため人のためになる物をもっと多くの人に知ってほしいです。よろしければ「愛知用水」のお話もお願いします。
浜島先生ありがとうです…(元知多半島民)
確かに当時は外国の技術頼りですね
長崎の明治産業遺産の大半は外国製ですし
それにしても、やはり明治時代は面白い!
今の日本を形作った原形ですからね
この動画すげーな
京都市出身だから何度か学校が習うがよく分からんかったけど、めちゃくちゃ分かりやすい
愛知や岐阜のヨハネス・デ・レーケみたいに、どこの地にもその地で語り継がれる水に関するエピソードはあるもんだな。
この判断がなかったら今では50万人ぐらいの普通の県庁所在地になってたかもしれないね
奈良状態になってたかもね。。
これがなかったら水がなくて人口が増やせない
ここまで大規模じゃなくても田舎の農業用水(路)でも立体に交差してたりするのを見ると「凄いなぁ~」って思う。
おまけに詳しい人に聞くと目で見て全然わからないけど微妙に傾斜までつけてるらしい。
昔の村の丘陵の尾根伝いに深い水路がありました。先の大戦で誘導路建設でぶった切られましたが、大切に維持してきた水路だったようです。
次は草津川などの天井川についてやってほしい。
オランダ堰や河川付け替え工事といった明治から今までずっと工事してたので。
国道1号や東海道本線という主要インフラが川の下をくぐるというダイナミックなネタや、
商店街の途中に川をくぐるトンネルあったりと面白いので
似たようなもので東京だと「玉川上水」がありますが、琵琶湖疎水は明治期に建設ということもあり「隧道」「立坑」「水力発電」を取り入れているのが技術の進化を感じさせます。
今度はぜひ「玉川上水」の解説をお願いします。
水道橋とは神田上水を水戸屋敷に取り入れ、そこで鯉が大丈夫なことを確認して、江戸城に掛樋で導水していました。御三家に飲料水のバイオアッセイさせていました。
東京都民なら玉川上水は小学校で習うんだよね。
難工事で資金が尽きる中、私財を投じてまで完成させ士分に取り立てられた玉川兄弟の物語は子供心にアツかった!
@@DJ-lt2yd 様 見沼代用水も取水口から、旧荒川伏せ越し、氷川神社裏、通船堀まで見ると感動再びですよ!
府中用水・六郷用水・二ヶ領用水も忘れないでね。
4月中旬にびわ湖疏水船の予約しているのでナイスタイミングな解説ありがとうございました!
インクラインから南禅寺に流れている水路が自然とマッチしてとても綺麗なので私は年に4回ほど訪れています。
まさに偉大なる先人だね。
一時、春、秋の京都によく行っていたので、琵琶湖疎水は知っていましたが、21歳の若い技術者が中心になって創られたものとは知りませんでした。そして、遷都後の京都復興の起爆剤になり、日本土木の礎にもなった。胸熱くなるものがあります。
京都に住んでた頃に小学校の遠足で琵琶湖疏水を見に行きました。わざわざ出発点まで行って山を通って途中から電車で蹴上という駅で降りインクラインを見ました。自分たちの学校だけかなと思っていましたがコメントのあちこちで小学校の時に疎水を見に行ったというがあったので結構行くんだなと思いました。
ちょうど今朝行ってきたけど蹴上インクラインの桜が満開ですよ
秋は紅葉もあってなかなか良スポット
小学校の頃の4年生でやりましたが、とても凄いなも思いました。自分は京都産まれで田辺朔郎さんと北垣国道さんや建設してくれた人にも感謝しています。17人も死んでしまいましたが、琵琶湖疏水は京都の宝庫だと思いました。
この近所に住んでます
いつもなにげに
通ってますが
改めてありがとうございました
登場人物全員優秀だよな。こんな若手に任せて外国にまでいかせる政府のその柔軟さもすごい
当時は世界的に見ても最先端は工事 恐るべき。
凄いよなぁ
二年前に観光で見に行ったわ
荒川区民「荒川止めるぞ」 荒川区に荒川流れてないし
墨田区民「隅田川止めるぞ」墨田区が水没するだけじゃなく江東区まで水没するぜ
座布団3枚!
…あれ?後者は江東区に対する自爆攻撃としてかなり有効なのでは?
@@SATOU-Kan 様 台風19号も紙一重で凌いでいるようです。昔の水害時に建設途中で、重機を犠牲にして雨水を入れた工事事務所長がいました。
多摩地域市民「玉川上水止めんぞ?お?」
@@AppLE--pi-n 様 25年位前、野火止用水を平林寺まで歩きました。
丁寧なご説明をありがとうございます。最初インクラインを見た時に、鉄道ファンとしてはあの軌道の幅に悩んだ。これは一体なんだ?南禅寺の水路閣も素晴らしい。京都ロケのドラマには、かなり登場します。京都の人が、滋賀県民を見下すと疎水の水を止められかもしれませんよ。
何年か前に京都に行った時に念願の南禅寺の疎水水路の水路閣レンガ造りを観ました!明治時代にこういった建築が出来たと感激しました‼️
昔の人は偉い‼️🤔😅😁✌️
長く住んでいますがトンネル抜けの水上船復活寡聞でした
歩いて行っていた20代の頃が懐かしいです、調べて乗ってみようかな
桜に囲まれた水路はめちゃくちゃ風情があるなあ…
行動力と技術力がヤバい
疏水の工事は南禅寺岩切り抜きて船を遣る知識の進歩もみられたり…と謳われた位に当時最新の工事だったのだろうな…
それって、『鉄道唱歌』の歌詞の一部ですね。
🎵琵琶湖に引きて通したる
疎水の工事は南禅寺
岩切リ抜きて舟をやる
知識の進歩も見られたり
日本の地理・歴史・文化を調べたいなら、
『鉄道唱歌』の本を探せば、ほぼ載っています。
明治時代に作られた歌です。
参考になれば、良いと思います。
学生時代に役に立ちましたから、
保証しますよ。
昔京阪三条駅が地上駅だった頃ホーム下をざあざあと音を立てて流れる疏水は風情があったな
琵琶湖疎水船に乗りました。今度行く機会がありましたらこの動画内容を思い出して観光します。
羨ましいです。
京都住んでるから今度いってみようかな
毎回とても面白い。まさに先人の努力ですねー
テレビ番組のせいで京都人の風評被害がすごい
それ
今日ちょうど疏水に桜見に行ったんだよ。この動画見てから行けばよかったなあ
やはり琵琶湖は偉大だわBy滋賀県民
イギリスの18世紀産業革命と言っても、実際に生産性が上がってきたのは19世紀後半。発明が役に立つ為の付随技術加工技術が揃ってきたから。そして蒸気機関開発から100年後に発送電技術の普及。この時はイギリス日本のタイムラグが少なかった。ガソリンエンジンもタイムラグが少なかった。これが日本が早く発展出来た理由の一つやろね。そう言う意味で蹴上発電所の価値は非常に高い。電気社会という普遍の価値観は文明社会において重要だ。こらからEV社会にもなるし。電気は優秀。
慧眼ですl
田辺朔郎・・・知らなかった。こんな偉大な人物がいたとは。
京都の友人に「疎水で立ちションするぞ!」と笑いながら言い合いしてました。
近所の住職は南禅寺で修行してる時に、夏場は疎水で泳ぐのが楽しみだったと言ってた
京都の夏はクソ暑いから、疎水の水は気持ちよかったらしい
飲む気にはならなかったそうだが
深まった秋にびわ湖疏水船に乗ると、トンネルから抜けたとたん、紅葉が目に飛び込んで感動します。
タイムリーな卒業論文や立派な学歴があれど、主任技術者として「大学出たて」の青年を起用した北垣国道の決断、そして期待に十二分に応えた田邊朔朗のコンビは奇跡とも言える巡り合わせだと思います。
また、若い技術者を信じて過酷な労働に従事した現場の人がいなければ完成しなかった建造物だと、思いを馳せながら乗船しています。
我が郷土の誇り 北垣国道
坂本龍馬とも交流があり、京都府知事で琵琶湖疎水を完成させ、その後北海道開拓を遂行する
偉大な功績の割には後世であまり日の目を見ない偉人「北垣国道」
皆様よろしくお願いします。
但馬の豪農出身で、幕末には「生野の変」で多くの勤王志士とともに挙兵に加わってはったんですよね。
@@aiai4445 その通りでございます。
北垣国道の本「北垣国道の生涯と龍馬の影」是非御一読を
電車の写真は、北野線終点。後ろの鳥居は、北野天満宮の物です。
琵琶湖疎水自体が京都市の所有物なので、滋賀県は水を止めることが出来ないのが現実なんだよな~。
蹴上インクライン周辺はお花見の時期に行くと楽しいですよ🌸
卒業制作が琵琶湖疏水ってすごいね
俺は建築設計の仕事してるから当然建築の歴史は勉強したし著名な建築家も沢山しってるけど、土木家の事は知らなかった。
凄い人なんだね、田邊氏は。
明治人は本当に才能と実力がある人達で溢れていたんだな。
おらぁ!滋賀県民を敬うんやぁ!!
玉川上水の歴史もオモロい
小学生の時に蹴上とか社会見学で見に行ったなぁ
今では疏水を引いた平安神宮東神苑の池の方が琵琶湖本来の生態系が保たれてるともといわれてる。
他にも旧南禅寺寺領が時の権力者や成金に売却され、その中の西洋かぶれの山縣有朋が七代目小川治兵衛に言った言葉
「日本の庭は辛気臭くてかなわん」この一言により疏水を用いた開放的かつ伸びやかな無鄰菴庭園が作られ
江戸期には停滞していた日本庭園が近代になり大きく発展し現代の日本庭園の礎となる。
琵琶湖の水は神戸市民の半分くらいは利用してるので京都や大阪に限らす関西の宝物ですね。(´・ω・`)
今だと大学出たばかりの若造を責任者にとかありえないな。このあたりの社会の変化は面白い。
逃げた人間もいるのだろうが、歴史には名は残らないな
当時最新の技術を海外で学んだ人だから超エリートだろうね。
ナミビアでは去年大卒23歳女性が通信省副大臣になっている。同じく去年東欧のとある小さな国でも23歳女性が副大臣になっていた、国名も分野も覚えてないけど。人口数百万人とか国が貧しいとかだと大卒でもエリート視される可能性を持つ上に、任命する側にとっても候補者は少ない方がそれぞれの能力を把握しやすいだろう。ただこの若い女性を登用する風潮には「俺らは若者にも女性にも地位を与えてるよ」っていうパフォーマンス要素も考えられる。あんまり重要でない部署を設けて名ばかりの地位職を置いて若い女性を据えて開放感アピールしてるかもしれない。ナミビアの人はそう感じないけど東欧のは他にもいくつかの副大臣が若い女性になっていて揃って写真撮ってて、なんだか国のプロデュースしたアイドルグループみたいに見えなくもなかった。彼女たちも能力は人並み以上にはあるんだろうけどどこまで実権持たされてるかは分からない。
台湾内閣のオードリータンは小卒だけど世界的には総統より有名になった。それも台湾が小さな国だった事が理由の一つだろう。日本だったら院卒とかIT大企業社長とか肩書持ってる人がいっぱいいる、総理は地位を資金源とでも考えて割り振らないと自分の地位を固められない、大した肩書も無い人に高い地位を与えても世間が納得しない、能力があってもその方向性が開放的だと保守的な政界と国民が叩き潰してしまう。
この21歳の人を起用した時も彼自身と任命した側が批判を受けたらしく、それも当人たちも想像してたろうとはいえ、困難だったのは工事そのものよりも反対や妨害だったろう。
明治時代は変圧器の性能が良くなかったので、琵琶湖の水位によって疎水の水流の勢いが変化すると蹴上の水力発電の電圧がモロに変化して、電車の速度が速くなったり遅くなったりするという…
お客が文句を言ったら乗務員が「速い遅いは電車に言ってくれ!」と言い返したとか(^^;
…そういう、上方落語みたいなやり取りが実際にあったそうですねw
観光情報助かりすぎる...
発電所を横目に路面電車の蹴上駅を降りて、インクラインの横を通ってねじりまんぽを通り抜け、南禅寺を通って通学してた高校生時代が懐かしい。。
すげえな。明治維新後の役人って腹の中真っ黒な奴だらけだぜ。首都移転した後に水引くなんてさすが…京都。
映画化を期待したいお話ですね。
この事は地元の事なので小学校の道徳で習いました。母校はけいおん!の聖地です。琵琶湖から唯一瀬田川(宇治、淀川)が有ったけど京都市のかなり下の方に流れてたから、琵琶湖疎水作られたと思います。京都の発展の為に作られたのは知りませんでした。
なっつかしい。小学生の時社会でやったな〜。社会見学にも行ったっけ
京都市あるあるかな?
ええ年やけど勉強なったわ
蹴上インクラインは映えスポットとかしましたね
鴨川運河の南にも伏見インクラインっていうのがありまして、こっちは史跡としても残ってないけどね。墨染発電所は、蹴上、夷川発電所と共に現役ですね。蹴上インクラインの近くに疎水の記念館もあります、すごく小さくてわかりにくい施設ですがね。
あと、京都の水運といえば、角倉了以の高瀬川もありますね。
3:55 やっべw卒論で琵琶湖疎水のこと研究したらマジで作れって言われたンゴww