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きりゅうさんの愛猫ゆーくんのプレミア公開でしたね!!可愛い!!🐱🐈⬛鉄砲隊VS騎馬隊の対戦、以前から威力の点で無理だろうと思っていましたが、右から攻められたら、確かに身体の向きを変えるか、足の位置を変えるかしないと対戦できませんね!!意外な盲点でした。織田、徳川連合軍の勝因を、分かりやすく簡潔にまとめられていて、とても納得しました。結局、いち早く経済活動の重要性を見極め、自らの財力で武器を大量に得ていた物量作戦の勝利ですね。それを可能にした領国の港から上がる収益が、織田家の拡大と強大化を支えていたのですね。
今回の大河ドラマでは、勝頼がインパクト大だった。彼は自身の出自から、諏訪と武田本家との勢力が家中で分断していることを危惧し、一刻も早く家中を取り纏める必要性を感じていた。あのカリスマ的で力強い演説は、それを表している。しかし、”手堅い勝利を百重ねようが、一の神業に及ばぬ”という言葉には、同時に彼の一種の焦りも感じられる。ただ信長は勝頼の非凡さに既に気づいていて、だからこそ”息の根を止めろ!”という発言に繋がっていく。瀬名の変身が、どうのように描かれるのか、期待と不安の中での1週間となりそうだ!
学生時代は、日本史がつまらなかったのに、きりゅうさんのお話を聞いていると、武将やその時代を生きた人たちの個性が身近な人間ドラマのように楽しめます✨
同感です。私はいままでNHKの大河ドラマを最初は見ていてもだいたい長くて3月ごろには挫折していました。でもこのチャンネルのおかげで、元々戦国時代が好きだったこともあり毎週録画して2回見るようになりました。本当に感謝!です。
新しい史実が知れてとても面白いです。武田勝頼が無能とされて聞いていた頃よりもとても現実味があって、様々な事がとても紙一重だったんだなぁと感じます。長篠の合戦での織田徳川の勝利は、鳥居強右衛門の功績や酒井忠次の功績があってのものだったんだなぁと思いました。っていうか、設楽ケ原の戦いっていうの知らなかったので、説明があって良かったです!
新しい説がどんどん出てきて追いつくのが大変ですw
なるほど…!知識が無くドラマを見たので、武田軍がまるで太平洋戦争の特攻隊のように、無謀な突撃をしているように思えました。織田・徳川軍の頭脳戦で、もはや逃げるのも難しかったのですね。あれだけスパルタで鍛練したのに、鉄砲玉にあっけなく倒れる武田軍がかわいそうでした😢
エンタメだけで判断しないで、史実を学んでも良いのでは。ドラマでは旧い通説が採用されてましたが、実際には3倍近い兵力差で連合軍の3割に損害を与える異常な強さでした。
かしまし歴史チャンネルの皆さん、いつも配信ありがとうございます😊今まで歴史に興味を持てませんでしたが、かしまし歴史チャンネルの皆さんの配信のお陰で歴史が好きなりました。『どうする家康』も毎回かかさず見ていますが、ここ2〜3回のエピソードから胸が痛くなります。。。戦国時代だから仕方ないのですが、人の死、狂乱が増していくたびに見ていて苦しいです。せなちゃんが疲れた顔をする気持ちが分かるような気がします。よしながふみさんの『大奥』での春日局が争いが絶えない世の中を強く望む気持ちも見えてきました。せなちゃん、来週はどうするんだろう⁈どうするにゃ〜⁈
解説ありがとうございます😊 火縄銃の対策‥そうですよねぇ、いくら手際良くやってもなかなか大変そうと思っていました。また、この戦いに酒井忠次の仕掛けた夜襲が大事だった事が良く分かりました🙏❣️
現在の通説をほぼすべて盛り込んでの解説でした。とても良かったと思います。私は、戦国時代に興味があって、実際に長篠城跡と設楽が原付近を見て来ました。馬防柵から武田方の陣地を見ると、二、三百メートルぐらいしか離れていなく、自分が射撃手で、向こうから騎馬を先頭に武田軍が突撃してきたらと想像したら、とても怖くなりました。よく織田・徳川の将兵はその恐怖に耐えたと思います。馬防柵のすぐ後ろは小高い丘になっていて、そこには空堀を掘り、土手を作り、多くの兵が潜んでいたそうです。つまり、陣城が作られていたそうです。だから、馬防柵が引き倒され、武田兵が柵内に乱入しても、それからさらに空堀を越えたり、土手を登ったりしなければならず、相当苦しんだそうです。それでも6時間以上戦闘が続いたということは、武田軍が相当死力を尽くして戦ったということでしょう。だから、もし、織田・徳川軍の鉄砲の数が少なかったら、あるいは陣城を築いていなかったら、兵数がもう少し少なかったら、織田・徳川軍は負けていたかもしれません。でも、その時は信長は決戦を避けたでしょうから、どっち道、信長が負けることはなかったでしょう。この頃の信長は勝つ戦しかしないですね。長篠の戦が終わった後、信長は珍しく、興奮していたようです。さすがに信長も、当時最強と言われていた武田軍を、相当警戒していたのだと思います。勝つためのいくつかの作戦がすべて成功して、実際に最強軍団を完膚なきまで叩きのめしたのですから、平常心ではいられなかったのでしょう。
今回勝頼君辛そうだし信康君も病んでたし大物の2世はプレッシャーも凄かったんだニァ〜🐈
走れ走れ山県とこの後のコメをユーリ君が可愛くて真っ白になりました
前回、鳥居強右衛門を武田鉄砲隊が撃ったりしてたし武田隊も鉄砲持ってますよというのをああいう形で表現してたんだと思います
設楽原合戦の「三段撃ちは無かった」「馬防柵」は、あちこちの記事や番組で扱うのを見ます。そして、多くはそこで止まってしまう。ですが、武田のゲリラ戦を封じ、馬防柵+土塁、弾と硝石の経済・貿易面、最後には武田によるその馬防柵撤去作業を狙い撃ち、といったところまで扱う解説記事は始めて見ました。説得力あります。
当時の日本は、硝石だけでなく、鉛も輸入に頼る状況だったそうです。さらに武田軍は長篠城での攻城戦で携行する弾数が減っており、家康・信長連合軍の総兵力もよくわからず、前日の前哨戦で武田軍は連合軍を追い払って気をよくしていたようです。そりゃあ、何とかなると思って柵に突っ込むのも分かる気がします。信長の壮大なワナにはめられた感が強いですね。
ありがとうございます!めっちゃ、わかりやすい❗️きりゅうサンでしたー👏
ありがとうございます。
今回もとてもわかりやすかったです!ドラマでも信玄さんが山に囲まれた土地に生まれて云々。。。って言ってましたもんね。港がある、貿易できるってそういうことかーと思いました。
こんばんは。武田軍は難攻不落の鉄騎兵と称されていたので、鉄砲を持っていないと思っていました。今日の解説でそうではないことと、細かな戦い方を知ることができて興味深かったです。家臣団の有能さは織田も徳川も武田も互角だと思うのですが、京堺に近く海に面している地の利があり、新しいもの好きと経済力と天才的軍略家の信長さんが何万手先もリードしていたのでしょうね。
歴史を変えた戦いを見られて、昨日は目が釘付けでした。時代の先を読めるものが生き残るのは、今も昔も変わらないですね。
最近は設楽ケ原の戦いという呼び名がついているのを今回初めて知りました。今回のドラマすごくリアルに戦の酷さを感じました。
んー、流石です。信長様。ウキウキしながら、拝見させて頂きました。愉しく聴いて、わかりやすい。😂
鎌倉殿以来こちらのチャンネルに戻ってきました。きりゅうさん、さすがです。圧倒的に面白い。
他のチャンネルでも書きましたが桶狭間の戦いで真偽不明な迂回奇襲説がやたらと宣伝される割には比較的確度が高いと思われる狭義の「長篠の戦い」における酒井忠次と金森長近らによる奇襲説があまり宣伝されないのが不思議です。
いつも楽しく拝見してます。鉄砲が右に向きにくい話や信長が兵を隠してた話など、納得です。先日、番組『歴史探偵』でも、特集してましたが、長篠城の後方にある睦平に鉛の鉱山があって、武田はその鉱山が欲しくて長篠を攻めたという説もあるみたいですね。今度、現地を散策してみようと思ってます。
小学校の頃名古屋に居ました。遠足で長篠にも行きました。先生の話しでは、馬防柵でどんどん誘導されて鉄砲隊の前を横切る形になったところを馬を撃ったそうです。馬が無ければただの歩兵だとの説明でした。鉄砲も最初は大きな玉で、沢山撃つと銃身が汚れて口径が小さくなるのでだんだん弾を小さくすると聞きました。今回色々と当時の状況を聞けて勉強になりました。
城攻めのようなものというのが理解しやすかったです。
戦いの一番新しい説、ありがとうございます!武田勝頼の見方がこれでずいぶん変わりました
きりゅうさんの説明でよく分かりました😊
高校のとき、歴史の教科書では、長篠の戦いで習いましたけど、今では長篠 設楽ヶ原の戦いて言うんですね…真田昌幸はこの時から兄たちが死んだんで真田の地は家督継承することになったんですよね…のちに勝頼をお迎えのために、真田昌幸は出てくるかはわからないけど出てくるのかな〜🤔
今回も勉強になりました〜!ボクはそこまで大河ドラマで合戦を重視して見てなかったのもあって詳しく無くて、今回のどうする家康ときりゅうさんの動画でめっちゃ勉強になってます!!改めて過去の大河ドラマではどう描いてたのかとかもう一度見たいくらい!!😆✨メイン所以外の武将の事も詳しく知れるし、助かります〜😚
わぁい❤ゆーくん🎶可愛いにゃあ😍🎶
待ってましたー!😊 そうそう。きりゅうさんがいうように長篠の戦いで覚えましたので、設楽原の方は印象薄いですw 時代と共に解釈が変わっていくのかなあ?
おもしろかった😊ありがとうございます。🎉
いつも楽しく観させてもらってます
うちにもヒトがZoom会議をしていると参加してくるにゃんがいます。今日もニャンと一緒に歴史を楽しみました♡キュン♡
見てみたい💓
鉄砲を撃つときは、座って打つのではなく、馬防柵に銃身を乗せて、より命中精度を高めていたはず。いわば即席の鉄砲狭間。戦の最中は長雨で織田・徳川が布陣した山側も地面はぬかるんでいたはず。そんなところに座るより、立って銃身を固定した方が、効果は上がるはずでしょう。
いつも楽しく拝見しています!!武田軍の鉄砲の玉数が織田・徳川に負けていた!!とのお話しがありましたが、NHKの番組でやっていたのが、武田軍は玉の原料が手に入らず苦労していたとのことでした(改めて色々納得)。中学生時代の歴史の授業で習っていたことが(高校では諸般の事情で日本史を履修していない(笑))最近新説が次々出て、歴史って奥が深いな面白いなとつくづく思う今日この頃。これからも楽しみにしています(^^)/(実は、内緒ですけど、大河本編よりきりゅうさんのどうがのほうが楽しみ(笑))
きりゅうさんは中国の歴史だけではなくて日本の歴史も詳しんですね👀鉄砲隊が右側からの攻撃に弱いお話しとか、歴史に詳しくない人達にとてもわかり易くそして楽しく解説してくださるので難しい日本史がすんなりと入ってきます。それにしてもあまりに細かい所までご存知なので、実際にずーーーっと歴史を見てきた不老不死のトラベラーにゃんだなっ??と思ってしまいました。
地元では設楽原の読み方は“しだらがはら”ではなく“したらがはら”と呼びます。
今回は織田家臣でダチョウ倶楽部のどうぞどうぞが開催されてたのがおもしろかったです。
やった!速く見れた!!!
信玄が言っていた「勝者は戦う前に勝ちを決める」「敗者は戦ってから勝とうとする」これを信長と勝頼がそれぞれ実践した。
長篠の戦いは、歴史漫画で、読んだり、歴史で、習ったり知ってます。鉄砲は、三千丁が凄い、信長さんが武田さんを、ぼこぼこしたんだね、火縄銃かな?めっちゃめっちゃ凄い音だったかな?きりゅうさんは、猫飼ってますか?猫可愛い鳴き声だったので、
武田の騎馬隊と猫の攻撃に耐え抜いたきりゅうさんは 次回からは3重の防猫柵を用意するのかもしれない
鉄砲の使い方が勝敗を分けたんですね。信長の作戦勝ちぃ〜‼️ここから日本での戦の仕方が変わっていったんでしょうね。それにしても 瀬名ちゃん、気になりますぅ😮
このあたりの戦から、死亡者数が跳ね上がります。
日本史を全然やってなかったので、戦国時代もなんのことやら、でしたが大河とこのチャンネルのおかげでようやく少しずつ分かってきました。昨日はゴードン君の演説の迫力がすごかったですよね!武田なにがし(名前覚えてない)も戦で命懸けだっただろうけど、ゴードン君も役者人生を賭けた演説だったように思います。(きりゅうさんのお好みではなかったかなぁ。)いい役者になってきたなあ、という感じです。
先週の歴史探偵でやってましたね!見ていて、ああ、なるほどって思いました😮
この後の田辺誠一さんの出演尺が気になります!完全に武田を見限って家康に付き最後は…。にゃんこの乱入何時でも大歓迎でーす😺💓
近所を散歩していて、武田信玄が駿河を制圧して今の静岡市清水区魚町に江尻城を築いた城跡を発見しました今は稲荷神社になっています
戦争の基本は、多兵をもって寡兵を撃つ。信長の天才である所以、それは桶狭間という先例を踏襲しなかったこと。
ヤン・ウェンリーでしたかね。
はじめまして。いつも妄想しながら楽しみに聞いています。真田幸村ファンなので、真田の話まで聞けて、話が繋がってすごく嬉しかったです。😭😭😭これからも楽しみにしています。😊
初コメありがとうございます。
勝頼の「御旗楯無御照覧あれ!!」に痺れました。そうそう!武田はこれだよ!!と。勝頼にこの名台詞を叫ばせる演出に涙でした。
カッコよかったです!
えびすくいのうたをみんなが歌い出したから死亡フラグかと思ったのに生きてましたね
結局、馬房柵、土塁、堀と言った昔ながらの戦いが重要だったとは…意外でした。
ためになる解説、楽しく視させていただきました。武田のゲリラ戦法で信長は痛い目にあってたのですね。明知城の戦いですね。今の明智鉄道の終着駅明智駅の辺りですかね。
騎馬戦というと平地の方が山岳戦より有利な感じしますけどね。史実は武田の御自慢の騎馬隊が惨敗した戦いでしたね。
10:14 あと寒狭川も無視できないこの当時、渡河点がほとんど無い川なんすわしかも谷は深いそれを渡って決戦。背水の陣。ところが劣勢撤退しようにも渡河点は、ほぼ1つそれも1本橋みたいなショボいの現代でも寒狭川の西岸だけで北進するルートはありません
火力の集中運用による最終防護射撃土塁と馬防柵は塹壕戦織田軍だけ第一次世界大戦の頃のような戦術で、兵力差もあるし、そりゃ勝ちますよね織田信長は本当にタイムスリップしたんじゃないかなと思う先見性がありますね
野戦陣地と弾幕の組み合わせは、第一次大戦まで無敵の戦術なので信長さんの発想がかなり進んでいるのが解ります。少なくともこの戦以降、日本の戦争の仕方が変わってますね
長篠・設楽原の戦いは、まさに最新の研究が入り乱れて諸説交々で面白いですね。鉄砲の3段打ちの戦術は、秀吉による明出兵によって学んだと思われる明の資料にあるそうなので、まんざらなかったとも言えないとの話もあるそうです。馬房柵も3重くらいになっていてこれが3段打ちなんだとか、武田方の馬房柵への攻撃は囮で、実は徳川軍に重きを置き背後を突く作戦をとっており、勝頼は無謀で愚かであったわけではない…とか。結局、結論は仰られたように、人数と鉄砲という新兵器による圧倒的物量作戦が決定的だったんでしょうね。これまでの戦い方ではあり得なかったほどの夥しい戦死者が出たというのもそういう新時代の戦争を象徴していたんではないかと思います😊
明日、絶対、録画観ます!楽しみー!
たいへん勉強になりました。分かり易い解説ありがとうございます。☺
今回の大河で、「誰がやる」〜「オレが」「私が」「いやオレが」「なら私が」〜「どうぞどうぞ」のダチョウ倶楽部ギャグが2回はいっていましたね.二回目、けっきょく東三河の担当の酒井忠次が長篠城の包囲を蹴散らし、武田軍の退路を絶った.信長から「後ろに目がある」と評価されたほどの功績は大きかったようです😊
先日NHKの番組「歴史探偵」でこの戦いを検証していました。銃弾の形で命中率が変わるから引き付けて発砲していたとか、(従来の丸玉より流線形のほうが空気抵抗が少なくて命中率が上がる)長篠の近くに鉛が採掘できる鉱山があったから両陣営が死守したかったんだとか、新説がいろいろあって興味深かったです。
しゃべり手のきりゅうさんの枠が全体の7割くらいを占めているのが一番面白い
解説を聞いてて、馬防柵こそ、三段撃ちの肝だったのではないかと思いました。火縄銃の射程は数十メートルと短かくひきつけて撃たないと当たらなかったと聞きますし、そうなると、刃物振り回して殺意丸出しの敵を眼前にしないといけないと想像すると、銃がいくら強力とわかっていたとしても、馬防柵なく勢いそのままで来られる状況となると、恐怖心や焦りから玉込め作業がうまくいかなかったり、場合によっては逃げ出してしまったり、それこそ騎馬で向かってこられたら、撃ち殺したとしても勢いあまって飛び込んできて、隊列を崩される可能性が高いですから、隊列の維持こそが、三段撃ちを効果的にさせているのかなそう考えると、それらを防ぐために一度、敵を止まらせるというのは撃ち手の心理的負担を軽減させて武田騎馬隊の利点を潰す以上に、三段撃ちというシステムを確実に実行させるための環境整備が馬防柵だったのかな
どうしてもきりゅうさんがもたいまさこさんに見える回でした。やっぱり猫は好きでしょうか?お三人の面白いトークを聞かせて頂きありがとうございます。陰ながら応援させて頂いております
大久保彦左衛門の初陣が鳶巣山でした?徳川を餌にして美味しいところは全部織田軍、ゲスの秀吉に家康さんもさぞかし堪忍袋が破裂しそうやったやろ。
設楽ヶ原の戦いは個人的に興味が有って自分なりに研究していて詳しいと自負しておりましたが、流石ですね。殆ど付け加える事も無い、いつも通りの見事な解説でした。あえて少し訂正させて頂くなら、武田の主な将で馬防柵を取り除く戦いの時に戦死したのは土屋昌続くらいで、殆どの将は織田徳川連合軍の追撃時に戦死したと言われています。それだけ追撃戦というのは被害が大きくなる物なので、勝者側としては、戦いに勝った後は、追撃戦で敵をすり減らす事がとても重要だという事なんですね。三方ヶ原の戦いでの信玄の誤算が有ったとすれば、戦いが始まった時には、既に夕方に差し掛かっていて、追撃戦が夜間になってしまい、思った程の敵戦力の殲滅が出来なかったという事です。それでも徳川はかなりの損害を出しましたが……。ちなみに、設楽ヶ原の戦いの武田軍は、敵の鉄砲対策として、竹を束ねた物を盾として使いながら突撃したとも言われています。
鳥居強右衛門も武田の竹束をもって偽装してたんですよね~。
鉄砲三段撃は各一列が一斉射撃を続けると最も準備の遅い兵に合わせることになるということでかしまし歴史チャンネルさんの姿勢による三段撃ちという新説も聞きましたが前後三人ごとのグループですばやく三段撃ちをして三段斉射より早く打てるようにした説も聞きました正直歴史や考古学は昔のことを少しの証拠で推察するため有力説がころころ変わっていま語られた説もまた変わってしまう可能性が大いにあるうえあとの説が正しいとは限らないと思います馬防柵については柵の前に三段の高低差をつけてちょっとした砦みたいになってた説も最近テレビで見ました武田は馬防柵の弱点の右翼側を迂回して攻めようとしたが地形に巧妙に隠されていた信長軍本体に迎撃された説も聞きました敵の右翼から攻撃は東西世界の古代紀元前よりはるか昔からのスタンダードな戦法らしいですね
私たちは子供の頃「設楽原の戦い」という名で習ったので、長篠では鳥居強右衛門が頑張っただけで大した戦はなかったのに、「長篠の戦」とはおかしいと思っていた。今後、「設楽原の戦い」になれば嬉しい。勝頼の「御旗楯無御照覧あれ」はかっこよかった。今年の大河では随一では。ドラマの通り、開戦直前に雨があがったとすれば、足場は悪かなるわ、火縄が濡れる心配が無くなるわで、勝頼が見て「吉兆なり。」と叫んだ虹は織田・徳川軍にとっての「吉兆」でしょう。信康の「これが戦か、なぶり殺しじゃないか。」に感銘を受けた。彼は、まともなさむらいだ。彼のこういう資質を篤姫を通して知った信長はどう思っただろう。
お猫様かわいい!😊もう義務教育を終えてから20年近く経つので、長篠の戦いの名前も変わってるし、三段打ちも新設が出てるのですね〜〜😂大人になっても学び直しは大切ですね!日々勉強になって助かります!
今日も楽しい解説ありがとうございます😁信長さんが勝った理由はたくさんあったと思いますが、ここでも天候が桶狭間みたいに信長さんに味方してると思います😄今回は雨が降ったのではなく止んだんですが。ドラマの中では雨降ってるのに呑気に囲碁打ってダチョウ倶楽部の真似をして喜んでいましたが、明日雨が止むと判っていたのかな?信長さんの所には観天望気の達人でもいたのでしょうか😂🤣🤔
赤壁の諸葛孔明みたいな?
走れ走れ山県、岡田信長の生前の永遠の0に重なり瀬名の前に涙しました
お猫さま😅生類憐れみの令じゃ!ねこきりゅうさん(;^ω^)
😸ちゃん今日はいっぱい喋っててかわいー❤❤❤きりゅうさんより😸ちゃん気になった😂
私猫大好き❤️
この時の武田軍は、真珠湾とインド洋海戦で勝って自信をつけた帝国海軍がミッドウェーで大逆転された図に重なりますね。
どーぞどーぞのダチョウコントからの海老すくいで始まった時はこんな泣かされる展開になるとは思いませんでした北条政子の演説にも劣らぬごーどん勝頼の名演説からの御旗楯無ご照覧あれー私も武田軍の一員なら喜んで突撃していたと思います史実は変えられないけれど今回の長篠設楽原の戦いは武田に勝ってほしかった
今作の信長、秀吉って、スゲー嫌なヤツなんでそう思いますよね。
@@bigmarch8686 本当に…無音からの、あー面白えように死んでいくわーとケタケタ笑う秀吉には恐怖でした
圧倒的な兵力と組織された近代兵器の前では、負けるべくして負けたよね 🐧
昨日の放送では、柵を乗り越えようとした武田軍の足軽が、槍で突かれて落ちてしまうシーンがありましたが、戦い終盤は、柵の前で両軍とも入り乱れた状態だったのではないかと思います。一節には、織田•徳川連合軍も、かなりの死傷者が出たとか。
長篠・設楽ヶ原の戦いは、合戦場所が未だに何処かが特定できておらず、戦ったと伝承されている合戦場には三段撃ちの弾や死者の骨などが残っていない事から、私はそもそも三段撃ちは誇大された逸話かと考えています。私は、鉄砲の一番の利点は大きな音に過敏に反応する馬の神経を逆なでしてパニックに陥らせて、戦場での機動力を削ぐことであり、丸い鉄の球を火薬で発射させる当時の火縄銃の射撃精度はかなり低く、殺傷能力はかなり低いものであったと思われます。逸話として考えるのは、墨俣の一夜城、稲葉山の搦手からの奇襲攻撃、金ヶ崎の退き口、小谷城落城時の市・茶々・初・江の救出、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が関係する数多くの武功には、脚色が色濃く感じるエピソードも多く、今回の鉄砲三段撃ちもその一つかと考えてます。諏訪四郎勝頼が無能であったか否かは不明ですが、畿内を掌握したこの時期の織田信長とでは、経済力で天と地ほどの差がついてしまっていたと考えられるので、そもそも戦いを選択した時点でお家滅亡は避けられなかったと思われます。仮に信玄入道が生存しており陣頭指揮を執っていたとしても、動員兵力に雲泥の差があり、何れは敗北せざるを得ない運命であったのではないかなと考えてます。
誰だったか忘れたが、穴山梅雪がすでに織田がたの調略受けて裏切り裏崩れした。って言ってたけど、あながち飛んでも説とまでは言えないのかも。
今回のどうする家康では、3段撃ちではなくローテーション撃ちですね
当時の情勢としては信長は畿内で本願寺や三好勢とガチでやり合っている。徳川には武田方による岡崎城の調略が失敗したとは言え、内部の統制がかき乱された状況。北方の不安であった上杉は信長による足利将軍追放により織田・上杉同盟が齟齬をきたした状況。対する武田軍は重臣を揃え兵も精鋭揃い。一説には武田軍の鉄砲は1000丁とも言われていますが、これかなりの戦力ですよ。長篠の戦いで後背を取られたとは言え、見方を変えれば織田・徳川軍は兵を割いた状況。要するに後ろの軍が合流する前に主力を撃滅してしまえばいいわけなのですよね。想定外だったのは信長の動員数。まさか主戦場の畿内に不安を抱えた状況で3万を超える兵と虎の子の大量の鉄砲・弾薬をこの戦線に投入してくるとは普通思わない。信長にとってここは僻地なはずで、ここを引いても織田領に何ら影響は出ない。逆にここでこんなに弾薬使ったら今後の信長の各地の戦線どうするの?ってレベル。故にここまで全力で投入してくるとは勝頼でなくとも思わない。兵力を見誤ったとよく言われますが、「常識」から考えれば「なんでこんなに鉄砲弾薬持ってきてるの!?」ですよ。
もうもうもうもう(🐮)今回は勝頼とえびすくいにうるうる🥺し、秀吉に痺れる長篠でした秀吉いいねぇ…あの勝家使って囲碁落とすわざとらしい芝居武士育ちじゃないから人の死に様への無邪気な感覚人の懐にスルッと入り込むキャラを小狡賢く不快な無邪気さで描いている事に逆に人間味を感じるそしてそして、えびすくい!!死地に赴く忠次を真っ先にえびすくいで励ます数正と三河家臣団にうるうる🥺いっつも斜に構えている康政、すぐいきり立つ忠勝まで一生懸命忠次の無事を祈る様に踊る姿に三河家臣団の一途さが出ていて…😮としている直政と相まって泣き笑いですそして!そして勝頼ー😖父ちゃんの最後の言葉がまんま呪縛になるという(宗盛、頼家)図式にピタッとはまってしまった…二代目は辛いよ演じるゴードンくんの表情にやられっぱなしの長篠回だった
秀吉も今後が楽しみになってきましたね!
長篠城の西部に織田、徳川連合軍が布陣した山に、野戦築城(堀などの罠)の後が多数ある事からも、布陣した山陣地の防御力を高める工兵を使い、野戦築城をしたのは物的証拠として実際に残っている。山中での戦い=ゲリラ戦という訳でもなく、(そうした戦が他ではあったでしょうが)勝頼は出張ってきたからには勝って実績を残す必要があったから、無茶でも野戦築城した山中に突撃せざるを得ず負けた説が有力。織田軍が出張ってきて武田が退陣したのでは、武田のメンツがたたず、次々と離反する。鉄砲を撃ってるのは、作り物のドラマのような平地じゃなく、山中での高場から山中で撃つのがメイン。平場で柵を立てたとしても、平場で鉄砲は役に立たない。鉄砲は防御兵器。(鉄砲は弓の代わりで、弓兵は育てるのに時間がかかるが、鉄砲は少し練習すれば誰でも撃てるので便利だった)長年研究している人が言うには、当時から地形が変わっていない長篠城西部の布陣地周辺を見ると、野戦築城した山中と、山の麓のあまり広くない平地で戦ったとのこと。グーグルマップでも確認できる。一番の勝因は、勝頼が何もせず退陣できない事をわかってる信長が、それありきの野戦築城の戦を組んだから。家康は野戦築城まで考えていない。謙信や信玄だったら、大雨の夜に攻めたかもしれず、実際に手取川の戦いで謙信は織田軍の鉄砲に圧勝している。戦の強さでは、「謙信、信玄 > 秀吉(秀吉は城攻めだと強い人)、信長 > 家康」になる。本性的には「謙信、信玄は戦のプロ。信長、秀吉は商売人。家康はすごい人達の残り人材と考えを吸収した人」才能がないから人の良さを真似て、人を大事にする人が250年の覇者になった。
日本国内では弾の原料の鉛が中々採れなかったので、輸入できなかった武田軍は球に銅の貨幣を使っていたそうですね(:.;゚;Д;゚;.:)
さすがに信長が鳶ヶ巣山砦への抜け道を予め知っていたとは思えませんが、武田軍を馬防柵に攻め込ませたところをことごとく撃ち倒す戦術を立てていたなら武田軍を誘き寄せる策はいくつか考えていたとは思います。「どっかの武田軍の砦への抜け道、たぶんあるんじゃ?」くらいは考えてたかもしれません。そこに酒井忠次が具体的な献策と実行部隊として名乗りを挙げ、採用したように思います。織田軍も酒井に兵を付けてますしね。また射撃の名人が撃ちやすい射撃場所から動かず、撃ち終わった鉄砲をお付きの者に渡して、その人たちが熟練の技で掃除や弾込めを行い、準備ができた鉄砲を狙撃手に渡して撃つ……鉄砲を順次交換していく方法はたしか雑賀孫一がやってた様に思います
いつもわかりやすく、深い解説をありがとうございます。徳川家康は三方ヶ原で惨敗しましたが、その後復活したのは、やはり運が良かったということなのでしょうか。
今回の長篠の戦いについてはNHKさんでも検証されてたので、その方法が取られてるのかなと思いました。何よりも勝頼が逃げ道がなくなって選択を迫られたとき、無茶と知っていても父親を越えたいと攻めていった姿が辛かったし、初めて戦を見た信康くんが「なぶり殺しじゃないか」と呆然としながら、戦で嬉々としながら槍を振り回しつつ心を病んでくのも切なかったですね
切ない……( ノД`)シクシク…
鉄砲玉の原料は鉛ですから、やはり海外貿易にたけた武将が有利でしょうね。以前、私が勤めていた大学の学長、茶屋四郎次郎の子孫ですが、武田軍の玉は銅銭を溶かしたものだった、とか言ってたニャーァ。本当かニャーァ
NHKの「歴史探偵」で、銅銭を溶かしたと言ってました。鉛が手に入らなかったので。
そうでしたか。信長にとって南蛮貿易は、重要だったのですね
今回の解説もお見事でした(* ´ ▽ ` *)私も三段打ちは、交代で一斉撃っていくと教わりましたが、NHKの歴史探偵で、鉄砲の玉を詰め終えた人からどんどん撃っていく説を聞いて成る程と思っていましたが、今回は撃った後に後ろの人に鉄砲を渡していました。成る程、凄く良い案!鉄砲を撃つのが上手い人、玉詰めの上手い人と分かれるだろうし、効率的❗と思いました。そういう考察もすでに有ったんですねにゃあ~(=^ェ^=)可愛い➰💖どうでも良い話(笑) 見ないといけない録画が溜まっているのに何故か【スターウォーズ】を見てしまい。あーそう言えば、かしましチャンネルさんのエンディングがたまにスターウォーズぽい時が有るなぁ!素敵と思いました😄✴ゆうくん(=^ェ^=)ゆうくんで合ってますか❓もっと登場して欲しいにゃあ~こちらはどうでも良くないお話しでしたにゃん🐱💖
ありがとうにゃん(BYゆ~)
3段撃ち、NHKで実際に検証していて興味深かったです!馬房柵って、素人考えなのですが内側だけじゃなく外側にも足つけたらもっと倒れないのになぁと思ってるのですが、何で内側にしか足ないのでしょうか。不思議だにゃ〜笑笑
実は、ロシアのイワン雷帝が当時、天下無敵のモンゴル騎兵を打ち破った戦いでも、馬防柵と鉄砲を使用しています。ただし柵には移動できるように車輪がついてた様です。
あの恐っそろしいイワン雷帝が😨⚡やっぱりただ者ではないですね❗顔も怖すぎ😱
穴山売説がこの時に武田を見限ったのかもヤな描かれ方してるけど処世術としては見えてる武将だったんだな
殺伐とした時代劇のお話の渦中ににゃんこ様の登場に癒されました❤
きりゅうさん、猫飼ってますか?、猫可愛い❤️
実際は長篠城攻めで使った竹束とかぎ縄があり、身隠ししながらかぎ縄で柵を引っ掛けて押し倒すような戦い方をしたとも言われてます。ただ人数的に3倍以上の差があったのでどうしようもない戦いでもあった。あと1万五千の兵力で1万人の死者はあり得ないですよw京都の坊さんの日記にある「甲斐衆千余討ち死に」が正しいと思います。
長篠・設楽ヶ原の戦いはすごいですね
きりゅうさん、髪をアップするのお似合いですね。益々お美しい❤
玉かあ。確かに玉がなくなったらただの棒ですよね。かといって貴重な鉄砲、壊れてもいないのに捨てていくわけにもいかない。玉が尽きた鉄砲は文字通りお荷物になってしまうわけですね。
あとある説では、武田騎馬軍団の一番の武器は行軍の速さであったといいます。つまり、自分が望む、有利な場所での戦ができるから、ということです。それは作戦の発起点から戰場までの、戦略的な移動速度の速さであり、戰場では地形によっては、馬から降りて徒歩で移動・突撃をしていたとも言います。馬を産する土地柄とはいへ、足りなくなったらすぐ補充できるというものではないので、馬は大切に扱ったのでは、と言われています。またドラマにもあったように、雨の合い間の晴天時ですから、足元はぬかるんでいる可能性も高く、騎馬による突撃があったとしても、何割かは勢いが削がれていたのでは、と愚行します。
鉄砲隊に対し騎馬隊、無謀だなと思ってましたが、まさかのセオリー通りだったとは。先日NHKで鉄砲の話や球数の話やらを検証した番組してましたよね。(再放送かも)。合わせて本当に勉強になりました。
今回は勝頼が勝つかと思ったけど残念ですw
@@kashimashi_rekishi_ch ごーどん君がキャスティングされましたもんね。何回か前に言われてたきりゅうさんの勝頼くん勝つ説、私も密かに楽しみにしていましたw
たしか、武田信玄考案の竹を束にした盾を装備していたと何かの資料で読んだことがあります。
@@bigmarch8686 竹束の盾、勉強になりました。教えてくださりありがとうございます。
こんばんはです。
武田軍の一兵のつもりになって考えると、鳶が巣山砦が落ちた時点で、ドラマのように士気高く織田・徳川連合軍に突っ込んでいけるのかな⁉️と。そうなると、長篠・設楽原の戦いは情報戦の面があったのでは、と推測します。例えば「織田軍は畿内で本願寺と戦うため、武田軍と戦う意思がなく、だから馬防柵の後ろで防御に徹するつもりだ」とか。
きりゅうさんの愛猫ゆーくんのプレミア公開でしたね!!可愛い!!🐱🐈⬛
鉄砲隊VS騎馬隊の対戦、以前から威力の点で無理だろうと思っていましたが、右から攻められたら、確かに身体の向きを変えるか、足の位置を変えるかしないと対戦できませんね!!意外な盲点でした。織田、徳川連合軍の勝因を、分かりやすく簡潔にまとめられていて、とても納得しました。結局、いち早く経済活動の重要性を見極め、自らの財力で武器を大量に得ていた物量作戦の勝利ですね。それを可能にした領国の港から上がる収益が、織田家の拡大と強大化を支えていたのですね。
今回の大河ドラマでは、勝頼がインパクト大だった。彼は自身の出自から、諏訪と武田本家との勢力が家中で分断していることを危惧し、一刻も早く家中を取り纏める必要性を感じていた。あのカリスマ的で力強い演説は、それを表している。しかし、”手堅い勝利を百重ねようが、一の神業に及ばぬ”という言葉には、同時に彼の一種の焦りも感じられる。ただ信長は勝頼の非凡さに既に気づいていて、だからこそ”息の根を止めろ!”という発言に繋がっていく。
瀬名の変身が、どうのように描かれるのか、期待と不安の中での1週間となりそうだ!
学生時代は、日本史がつまらなかったのに、きりゅうさんのお話を聞いていると、武将やその時代を生きた人たちの個性が身近な人間ドラマのように楽しめます✨
同感です。私はいままでNHKの大河ドラマを最初は見ていてもだいたい長くて3月ごろには挫折していました。
でもこのチャンネルのおかげで、元々戦国時代が好きだったこともあり毎週録画して2回見るようになりました。本当に感謝!です。
新しい史実が知れてとても面白いです。
武田勝頼が無能とされて聞いていた頃よりもとても現実味があって、様々な事がとても紙一重だったんだなぁと感じます。
長篠の合戦での織田徳川の勝利は、鳥居強右衛門の功績や酒井忠次の功績があってのものだったんだなぁと思いました。
っていうか、設楽ケ原の戦いっていうの知らなかったので、説明があって良かったです!
新しい説がどんどん出てきて追いつくのが大変ですw
なるほど…!知識が無くドラマを見たので、武田軍がまるで太平洋戦争の特攻隊のように、無謀な突撃をしているように思えました。織田・徳川軍の頭脳戦で、もはや逃げるのも難しかったのですね。
あれだけスパルタで鍛練したのに、鉄砲玉にあっけなく倒れる武田軍がかわいそうでした😢
エンタメだけで判断しないで、史実を学んでも良いのでは。
ドラマでは旧い通説が採用されてましたが、実際には3倍近い兵力差で連合軍の3割に損害を与える異常な強さでした。
かしまし歴史チャンネルの皆さん、いつも配信ありがとうございます😊
今まで歴史に興味を持てませんでしたが、かしまし歴史チャンネルの皆さんの配信のお陰で歴史が好きなりました。
『どうする家康』も毎回かかさず見ていますが、ここ2〜3回のエピソードから胸が痛くなります。。。戦国時代だから仕方ないのですが、人の死、狂乱が増していくたびに見ていて苦しいです。せなちゃんが疲れた顔をする気持ちが分かるような気がします。よしながふみさんの『大奥』での春日局が争いが絶えない世の中を強く望む気持ちも見えてきました。
せなちゃん、来週はどうするんだろう⁈
どうするにゃ〜⁈
解説ありがとうございます😊 火縄銃の対策‥そうですよねぇ、いくら手際良くやってもなかなか大変そうと思っていました。また、この戦いに酒井忠次の仕掛けた夜襲が大事だった事が良く分かりました🙏❣️
現在の通説をほぼすべて盛り込んでの解説でした。とても良かったと思います。私は、戦国時代に興味があって、実際に長篠城跡と設楽が原付近を見て来ました。馬防柵から武田方の陣地を見ると、二、三百メートルぐらいしか離れていなく、自分が射撃手で、向こうから騎馬を先頭に武田軍が突撃してきたらと想像したら、とても怖くなりました。よく織田・徳川の将兵はその恐怖に耐えたと思います。
馬防柵のすぐ後ろは小高い丘になっていて、そこには空堀を掘り、土手を作り、多くの兵が潜んでいたそうです。つまり、陣城が作られていたそうです。だから、馬防柵が引き倒され、武田兵が柵内に乱入しても、それからさらに空堀を越えたり、土手を登ったりしなければならず、相当苦しんだそうです。
それでも6時間以上戦闘が続いたということは、武田軍が相当死力を尽くして戦ったということでしょう。だから、もし、織田・徳川軍の鉄砲の数が少なかったら、あるいは陣城を築いていなかったら、兵数がもう少し少なかったら、織田・徳川軍は負けていたかもしれません。でも、その時は信長は決戦を避けたでしょうから、どっち道、信長が負けることはなかったでしょう。この頃の信長は勝つ戦しかしないですね。
長篠の戦が終わった後、信長は珍しく、興奮していたようです。さすがに信長も、当時最強と言われていた武田軍を、相当警戒していたのだと思います。勝つためのいくつかの作戦がすべて成功して、実際に最強軍団を完膚なきまで叩きのめしたのですから、平常心ではいられなかったのでしょう。
今回勝頼君辛そうだし信康君も病んでたし大物の2世はプレッシャーも凄かったんだニァ〜🐈
走れ走れ山県とこの後のコメをユーリ君が可愛くて真っ白になりました
前回、鳥居強右衛門を武田鉄砲隊が撃ったりしてたし
武田隊も鉄砲持ってますよというのをああいう形で
表現してたんだと思います
設楽原合戦の「三段撃ちは無かった」「馬防柵」は、あちこちの記事や番組で扱うのを見ます。そして、多くはそこで止まってしまう。
ですが、武田のゲリラ戦を封じ、馬防柵+土塁、弾と硝石の経済・貿易面、最後には武田によるその馬防柵撤去作業を狙い撃ち、といったところまで扱う解説記事は始めて見ました。説得力あります。
当時の日本は、硝石だけでなく、鉛も輸入に頼る状況だったそうです。さらに武田軍は長篠城での攻城戦で携行する弾数が減っており、家康・信長連合軍の総兵力もよくわからず、前日の前哨戦で武田軍は連合軍を追い払って気をよくしていたようです。そりゃあ、何とかなると思って柵に突っ込むのも分かる気がします。信長の壮大なワナにはめられた感が強いですね。
ありがとうございます!めっちゃ、わかりやすい❗️きりゅうサンでしたー👏
ありがとうございます。
今回もとてもわかりやすかったです!ドラマでも信玄さんが山に囲まれた土地に生まれて云々。。。って言ってましたもんね。港がある、貿易できるってそういうことかーと思いました。
こんばんは。武田軍は難攻不落の鉄騎兵と称されていたので、鉄砲を持っていないと思っていました。
今日の解説でそうではないことと、細かな戦い方を知ることができて興味深かったです。
家臣団の有能さは織田も徳川も武田も互角だと思うのですが、京堺に近く海に面している地の利があり、新しいもの好きと経済力と天才的軍略家の信長さんが何万手先もリードしていたのでしょうね。
歴史を変えた戦いを見られて、昨日は目が釘付けでした。時代の先を読めるものが生き残るのは、今も昔も変わらないですね。
最近は設楽ケ原の戦いという呼び名がついているのを今回初めて知りました。
今回のドラマすごくリアルに戦の酷さを感じました。
んー、流石です。信長様。ウキウキしながら、拝見させて頂きました。愉しく聴いて、わかりやすい。😂
鎌倉殿以来こちらのチャンネルに戻ってきました。きりゅうさん、さすがです。圧倒的に面白い。
他のチャンネルでも書きましたが桶狭間の戦いで真偽不明な迂回奇襲説がやたらと宣伝される割には比較的確度が高いと思われる狭義の「長篠の戦い」における酒井忠次と金森長近らによる奇襲説があまり宣伝されないのが不思議です。
いつも楽しく拝見してます。
鉄砲が右に向きにくい話や信長が兵を隠してた話など、納得です。先日、番組『歴史探偵』でも、特集してましたが、長篠城の後方にある睦平に鉛の鉱山があって、武田はその鉱山が欲しくて長篠を攻めたという説もあるみたいですね。
今度、現地を散策してみようと思ってます。
小学校の頃名古屋に居ました。遠足で長篠にも行きました。先生の話しでは、馬防柵でどんどん誘導されて鉄砲隊の前を横切る形になったところを馬を撃ったそうです。馬が無ければただの歩兵だとの説明でした。鉄砲も最初は大きな玉で、沢山撃つと銃身が汚れて口径が小さくなるのでだんだん弾を小さくすると聞きました。今回色々と当時の状況を聞けて勉強になりました。
城攻めのようなものというのが理解しやすかったです。
戦いの一番新しい説、ありがとうございます!武田勝頼の見方がこれでずいぶん変わりました
きりゅうさんの説明でよく分かりました😊
高校のとき、歴史の教科書では、長篠の戦いで習いましたけど、今では長篠 設楽ヶ原の戦いて言うんですね…
真田昌幸はこの時から兄たちが死んだんで真田の地は家督継承することになったんですよね…のちに勝頼をお迎えのために、真田昌幸は出てくるかはわからないけど出てくるのかな〜🤔
今回も勉強になりました〜!ボクはそこまで大河ドラマで合戦を重視して見てなかったのもあって詳しく無くて、今回のどうする家康ときりゅうさんの動画でめっちゃ勉強になってます!!改めて過去の大河ドラマではどう描いてたのかとかもう一度見たいくらい!!😆✨メイン所以外の武将の事も詳しく知れるし、助かります〜😚
わぁい❤ゆーくん🎶可愛いにゃあ😍🎶
待ってましたー!😊 そうそう。きりゅうさんがいうように長篠の戦いで覚えましたので、設楽原の方は印象薄いですw 時代と共に解釈が変わっていくのかなあ?
おもしろかった😊ありがとうございます。🎉
いつも楽しく観させてもらってます
うちにもヒトがZoom会議をしていると参加してくるにゃんがいます。今日もニャンと一緒に歴史を楽しみました♡キュン♡
見てみたい💓
鉄砲を撃つときは、座って打つのではなく、馬防柵に銃身を乗せて、より命中精度を高めていたはず。
いわば即席の鉄砲狭間。
戦の最中は長雨で織田・徳川が布陣した山側も地面はぬかるんでいたはず。
そんなところに座るより、立って銃身を固定した方が、効果は上がるはずでしょう。
いつも楽しく拝見しています!!
武田軍の鉄砲の玉数が織田・徳川に負けていた!!とのお話しがありましたが、NHKの番組でやっていたのが、武田軍は玉の原料が手に入らず苦労していたとのことでした(改めて色々納得)。
中学生時代の歴史の授業で習っていたことが(高校では諸般の事情で日本史を履修していない(笑))最近新説が次々出て、歴史って奥が深いな面白いなとつくづく思う今日この頃。
これからも楽しみにしています(^^)/(実は、内緒ですけど、大河本編よりきりゅうさんのどうがのほうが楽しみ(笑))
きりゅうさんは中国の歴史だけではなくて日本の歴史も詳しんですね👀
鉄砲隊が右側からの攻撃に弱いお話しとか、歴史に詳しくない人達にとてもわかり易くそして楽しく解説してくださるので難しい日本史がすんなりと入ってきます。
それにしてもあまりに細かい所までご存知なので、実際にずーーーっと歴史を見てきた不老不死のトラベラーにゃんだなっ??
と思ってしまいました。
地元では設楽原の読み方は
“しだらがはら”ではなく
“したらがはら”と呼びます。
今回は織田家臣でダチョウ倶楽部のどうぞどうぞが開催されてたのがおもしろかったです。
やった!速く見れた!!!
信玄が言っていた「勝者は戦う前に勝ちを決める」「敗者は戦ってから勝とうとする」これを信長と勝頼がそれぞれ実践した。
長篠の戦いは、歴史漫画で、読んだり、歴史で、習ったり知ってます。鉄砲は、三千丁が凄い、信長さんが武田さんを、ぼこぼこしたんだね、火縄銃かな?めっちゃめっちゃ凄い音だったかな?きりゅうさんは、猫飼ってますか?猫可愛い鳴き声だったので、
武田の騎馬隊と猫の攻撃に耐え抜いたきりゅうさんは 次回からは3重の防猫柵を用意するのかもしれない
鉄砲の使い方が勝敗を分けたんですね。信長の作戦勝ちぃ〜‼️
ここから日本での戦の仕方が変わっていったんでしょうね。
それにしても 瀬名ちゃん、気になりますぅ😮
このあたりの戦から、死亡者数が跳ね上がります。
日本史を全然やってなかったので、戦国時代もなんのことやら、でしたが
大河とこのチャンネルのおかげでようやく少しずつ分かってきました。
昨日はゴードン君の演説の迫力がすごかったですよね!
武田なにがし(名前覚えてない)も戦で命懸けだっただろうけど、
ゴードン君も役者人生を賭けた演説だったように思います。
(きりゅうさんのお好みではなかったかなぁ。)
いい役者になってきたなあ、という感じです。
先週の歴史探偵でやってましたね!
見ていて、ああ、なるほどって思いました😮
この後の田辺誠一さんの出演尺が気になります!
完全に武田を見限って家康に付き最後は…。
にゃんこの乱入何時でも大歓迎でーす😺💓
近所を散歩していて、武田信玄が駿河を制圧して今の静岡市清水区魚町に江尻城を築いた城跡を発見しました
今は稲荷神社になっています
戦争の基本は、多兵をもって寡兵を撃つ。信長の天才である所以、それは桶狭間という先例を踏襲しなかったこと。
ヤン・ウェンリーでしたかね。
はじめまして。
いつも妄想しながら楽しみに聞いています。
真田幸村ファンなので、真田の話まで聞けて、話が繋がってすごく嬉しかったです。😭😭😭
これからも楽しみにしています。😊
初コメありがとうございます。
勝頼の「御旗楯無御照覧あれ!!」に痺れました。そうそう!武田はこれだよ!!と。勝頼にこの名台詞を叫ばせる演出に涙でした。
カッコよかったです!
えびすくいのうたをみんなが歌い出したから死亡フラグかと思ったのに生きてましたね
結局、馬房柵、土塁、堀と言った昔ながらの戦いが重要だったとは…意外でした。
ためになる解説、楽しく視させていただきました。
武田のゲリラ戦法で信長は痛い目にあってたのですね。
明知城の戦いですね。今の明智鉄道の終着駅明智駅の
辺りですかね。
騎馬戦というと平地の方が山岳戦より有利な感じしますけどね。史実は武田の御自慢の騎馬隊が惨敗した戦いでしたね。
10:14 あと寒狭川も無視できない
この当時、渡河点がほとんど無い川なんすわ
しかも谷は深い
それを渡って決戦。背水の陣。ところが劣勢
撤退しようにも渡河点は、ほぼ1つ
それも1本橋みたいなショボいの
現代でも寒狭川の西岸だけで
北進するルートはありません
火力の集中運用による最終防護射撃
土塁と馬防柵は塹壕戦
織田軍だけ第一次世界大戦の頃のような戦術で、兵力差もあるし、そりゃ勝ちますよね
織田信長は本当にタイムスリップしたんじゃないかなと思う先見性がありますね
野戦陣地と弾幕の組み合わせは、第一次大戦まで無敵の戦術なので信長さんの発想がかなり進んでいるのが解ります。少なくともこの戦以降、日本の戦争の仕方が変わってますね
長篠・設楽原の戦いは、まさに最新の研究が入り乱れて諸説交々で面白いですね。鉄砲の3段打ちの戦術は、秀吉による明出兵によって学んだと思われる明の資料にあるそうなので、まんざらなかったとも言えないとの話もあるそうです。馬房柵も3重くらいになっていてこれが3段打ちなんだとか、武田方の馬房柵への攻撃は囮で、実は徳川軍に重きを置き背後を突く作戦をとっており、勝頼は無謀で愚かであったわけではない…とか。結局、結論は仰られたように、人数と鉄砲という新兵器による圧倒的物量作戦が決定的だったんでしょうね。これまでの戦い方ではあり得なかったほどの夥しい戦死者が出たというのもそういう新時代の戦争を象徴していたんではないかと思います😊
明日、絶対、録画観ます!楽しみー!
たいへん勉強になりました。分かり易い解説ありがとうございます。☺
今回の大河で、
「誰がやる」〜「オレが」「私が」「いやオレが」「なら私が」〜「どうぞどうぞ」のダチョウ倶楽部ギャグが2回はいっていましたね.
二回目、けっきょく東三河の担当の酒井忠次が長篠城の包囲を蹴散らし、武田軍の退路を絶った.
信長から「後ろに目がある」と評価されたほどの功績は大きかったようです😊
先日NHKの番組「歴史探偵」でこの戦いを検証していました。
銃弾の形で命中率が変わるから引き付けて発砲していたとか、(従来の丸玉より流線形のほうが空気抵抗が少なくて命中率が上がる)長篠の近くに鉛が採掘できる鉱山があったから
両陣営が死守したかったんだとか、新説がいろいろあって興味深かったです。
しゃべり手のきりゅうさんの枠が
全体の7割くらいを占めているのが一番面白い
解説を聞いてて、馬防柵こそ、三段撃ちの肝だったのではないかと思いました。
火縄銃の射程は数十メートルと短かくひきつけて撃たないと当たらなかったと聞きますし、
そうなると、刃物振り回して殺意丸出しの敵を眼前にしないといけないと想像すると、
銃がいくら強力とわかっていたとしても、
馬防柵なく勢いそのままで来られる状況となると、恐怖心や焦りから玉込め作業がうまくいかなかったり、場合によっては逃げ出してしまったり、
それこそ騎馬で向かってこられたら、撃ち殺したとしても勢いあまって飛び込んできて、隊列を崩される可能性が高いですから、
隊列の維持こそが、三段撃ちを効果的にさせているのかな
そう考えると、それらを防ぐために一度、敵を止まらせるというのは撃ち手の心理的負担を軽減させて
武田騎馬隊の利点を潰す以上に、三段撃ちというシステムを確実に実行させるための環境整備が馬防柵だったのかな
どうしてもきりゅうさんがもたいまさこさんに見える
回でした。やっぱり猫は好きでしょうか?お三人の面白いトークを聞かせて頂きありがとうございます。
陰ながら応援させて頂いております
大久保彦左衛門の初陣が鳶巣山でした?徳川を餌にして美味しいところは全部織田軍、ゲスの秀吉に家康さんもさぞかし堪忍袋が破裂しそうやったやろ。
設楽ヶ原の戦いは個人的に興味が有って自分なりに研究していて詳しいと自負しておりましたが、流石ですね。殆ど付け加える事も無い、いつも通りの見事な解説でした。
あえて少し訂正させて頂くなら、武田の主な将で馬防柵を取り除く戦いの時に戦死したのは土屋昌続くらいで、殆どの将は織田徳川連合軍の追撃時に戦死したと言われています。それだけ追撃戦というのは被害が大きくなる物なので、勝者側としては、戦いに勝った後は、追撃戦で敵をすり減らす事がとても重要だという事なんですね。
三方ヶ原の戦いでの信玄の誤算が有ったとすれば、戦いが始まった時には、既に夕方に差し掛かっていて、追撃戦が夜間になってしまい、思った程の敵戦力の殲滅が出来なかったという事です。それでも徳川はかなりの損害を出しましたが……。
ちなみに、設楽ヶ原の戦いの武田軍は、敵の鉄砲対策として、竹を束ねた物を盾として使いながら突撃したとも言われています。
鳥居強右衛門も武田の竹束をもって偽装してたんですよね~。
鉄砲三段撃は各一列が一斉射撃を続けると最も準備の遅い兵に合わせることになるということでかしまし歴史チャンネルさんの姿勢による三段撃ちという新説も聞きましたが前後三人ごとのグループですばやく三段撃ちをして三段斉射より早く打てるようにした説も聞きました
正直歴史や考古学は昔のことを少しの証拠で推察するため有力説がころころ変わっていま語られた説もまた変わってしまう可能性が大いにあるうえあとの説が正しいとは限らないと思います
馬防柵については柵の前に三段の高低差をつけてちょっとした砦みたいになってた説も最近テレビで見ました
武田は馬防柵の弱点の右翼側を迂回して攻めようとしたが地形に巧妙に隠されていた信長軍本体に迎撃された説も聞きました
敵の右翼から攻撃は東西世界の古代紀元前よりはるか昔からのスタンダードな戦法らしいですね
私たちは子供の頃「設楽原の戦い」という名で習ったので、長篠では鳥居強右衛門が頑張っただけで大した戦はなかったのに、「長篠の戦」とはおかしいと思っていた。今後、「設楽原の戦い」になれば嬉しい。
勝頼の「御旗楯無御照覧あれ」はかっこよかった。今年の大河では随一では。
ドラマの通り、開戦直前に雨があがったとすれば、足場は悪かなるわ、火縄が濡れる心配が無くなるわで、勝頼が見て「吉兆なり。」と叫んだ虹は織田・徳川軍にとっての「吉兆」でしょう。
信康の「これが戦か、なぶり殺しじゃないか。」に感銘を受けた。彼は、まともなさむらいだ。彼のこういう資質を篤姫を通して知った信長はどう思っただろう。
お猫様かわいい!😊
もう義務教育を終えてから20年近く経つので、長篠の戦いの名前も変わってるし、三段打ちも新設が出てるのですね〜〜😂
大人になっても学び直しは大切ですね!日々勉強になって助かります!
今日も楽しい解説ありがとうございます😁信長さんが勝った理由はたくさんあったと思いますが、ここでも天候が桶狭間みたいに信長さんに味方してると思います😄今回は雨が降ったのではなく止んだんですが。ドラマの中では雨降ってるのに呑気に囲碁打ってダチョウ倶楽部の真似をして喜んでいましたが、明日雨が止むと判っていたのかな?信長さんの所には観天望気の達人でもいたのでしょうか😂🤣🤔
赤壁の諸葛孔明みたいな?
走れ走れ山県、岡田信長の生前の永遠の0に重なり瀬名の前に涙しました
お猫さま😅
生類憐れみの令じゃ!
ねこきりゅうさん(;^ω^)
😸ちゃん今日はいっぱい喋っててかわいー❤❤❤
きりゅうさんより😸ちゃん気になった😂
私猫大好き❤️
この時の武田軍は、真珠湾とインド洋海戦で勝って自信をつけた帝国海軍がミッドウェーで大逆転された図に重なりますね。
どーぞどーぞのダチョウコントからの海老すくいで始まった時はこんな泣かされる展開になるとは思いませんでした
北条政子の演説にも劣らぬごーどん勝頼の名演説からの
御旗楯無ご照覧あれー
私も武田軍の一員なら喜んで突撃していたと思います
史実は変えられないけれど今回の長篠設楽原の戦いは武田に勝ってほしかった
今作の信長、秀吉って、スゲー嫌なヤツなんでそう思いますよね。
@@bigmarch8686 本当に…
無音からの、あー面白えように死んでいくわーとケタケタ笑う秀吉には
恐怖でした
圧倒的な兵力と組織された近代兵器の前では、負けるべくして負けたよね 🐧
昨日の放送では、柵を乗り越えようとした武田軍の足軽が、槍で突かれて落ちてしまうシーンがありましたが、戦い終盤は、柵の前で両軍とも入り乱れた状態だったのではないかと思います。
一節には、織田•徳川連合軍も、かなりの死傷者が出たとか。
長篠・設楽ヶ原の戦いは、合戦場所が未だに何処かが特定できておらず、戦ったと伝承されている合戦場には三段撃ちの弾や死者の骨などが残っていない事から、私はそもそも三段撃ちは誇大された逸話かと考えています。
私は、鉄砲の一番の利点は大きな音に過敏に反応する馬の神経を逆なでしてパニックに陥らせて、戦場での機動力を削ぐことであり、丸い鉄の球を火薬で発射させる当時の火縄銃の射撃精度はかなり低く、殺傷能力はかなり低いものであったと思われます。
逸話として考えるのは、墨俣の一夜城、稲葉山の搦手からの奇襲攻撃、金ヶ崎の退き口、小谷城落城時の市・茶々・初・江の救出、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が関係する数多くの武功には、脚色が色濃く感じるエピソードも多く、今回の鉄砲三段撃ちもその一つかと考えてます。
諏訪四郎勝頼が無能であったか否かは不明ですが、畿内を掌握したこの時期の織田信長とでは、経済力で天と地ほどの差がついてしまっていたと考えられるので、そもそも戦いを選択した時点でお家滅亡は避けられなかったと思われます。仮に信玄入道が生存しており陣頭指揮を執っていたとしても、動員兵力に雲泥の差があり、何れは敗北せざるを得ない運命であったのではないかなと考えてます。
誰だったか忘れたが、
穴山梅雪がすでに織田がたの調略受けて裏切り裏崩れした。
って言ってたけど、あながち飛んでも説とまでは言えないのかも。
今回のどうする家康では、3段撃ちではなくローテーション撃ちですね
当時の情勢としては信長は畿内で本願寺や三好勢とガチでやり合っている。徳川には武田方による岡崎城の調略が失敗したとは言え、内部の統制がかき乱された状況。北方の不安であった上杉は信長による足利将軍追放により織田・上杉同盟が齟齬をきたした状況。
対する武田軍は重臣を揃え兵も精鋭揃い。一説には武田軍の鉄砲は1000丁とも言われていますが、これかなりの戦力ですよ。
長篠の戦いで後背を取られたとは言え、見方を変えれば織田・徳川軍は兵を割いた状況。要するに後ろの軍が合流する前に主力を撃滅してしまえばいいわけなのですよね。
想定外だったのは信長の動員数。まさか主戦場の畿内に不安を抱えた状況で3万を超える兵と虎の子の大量の鉄砲・弾薬をこの戦線に投入してくるとは普通思わない。
信長にとってここは僻地なはずで、ここを引いても織田領に何ら影響は出ない。逆にここでこんなに弾薬使ったら今後の信長の各地の戦線どうするの?ってレベル。
故にここまで全力で投入してくるとは勝頼でなくとも思わない。兵力を見誤ったとよく言われますが、「常識」から考えれば「なんでこんなに鉄砲弾薬持ってきてるの!?」ですよ。
もうもうもうもう(🐮)今回は勝頼とえびすくいにうるうる🥺し、秀吉に痺れる長篠でした
秀吉いいねぇ…あの勝家使って囲碁落とすわざとらしい芝居
武士育ちじゃないから人の死に様への無邪気な感覚
人の懐にスルッと入り込むキャラを小狡賢く不快な無邪気さで描いている事に逆に人間味を感じる
そしてそして、えびすくい!!死地に赴く忠次を真っ先にえびすくいで励ます数正と三河家臣団にうるうる🥺
いっつも斜に構えている康政、すぐいきり立つ忠勝まで一生懸命忠次の無事を祈る様に踊る姿に三河家臣団の一途さが出ていて…😮としている直政と相まって泣き笑いです
そして!そして勝頼ー😖
父ちゃんの最後の言葉がまんま呪縛になるという(宗盛、頼家)図式にピタッとはまってしまった…二代目は辛いよ
演じるゴードンくんの表情にやられっぱなしの長篠回だった
秀吉も今後が楽しみになってきましたね!
長篠城の西部に織田、徳川連合軍が布陣した山に、野戦築城(堀などの罠)の後が多数ある事からも、布陣した山陣地の防御力を高める工兵を使い、野戦築城をしたのは物的証拠として実際に残っている。
山中での戦い=ゲリラ戦という訳でもなく、(そうした戦が他ではあったでしょうが)勝頼は出張ってきたからには勝って実績を残す必要があったから、無茶でも野戦築城した山中に突撃せざるを得ず負けた説が有力。
織田軍が出張ってきて武田が退陣したのでは、武田のメンツがたたず、次々と離反する。
鉄砲を撃ってるのは、作り物のドラマのような平地じゃなく、山中での高場から山中で撃つのがメイン。
平場で柵を立てたとしても、平場で鉄砲は役に立たない。
鉄砲は防御兵器。(鉄砲は弓の代わりで、弓兵は育てるのに時間がかかるが、鉄砲は少し練習すれば誰でも撃てるので便利だった)
長年研究している人が言うには、当時から地形が変わっていない長篠城西部の布陣地周辺を見ると、野戦築城した山中と、山の麓のあまり広くない平地で戦ったとのこと。グーグルマップでも確認できる。
一番の勝因は、勝頼が何もせず退陣できない事をわかってる信長が、それありきの野戦築城の戦を組んだから。家康は野戦築城まで考えていない。
謙信や信玄だったら、大雨の夜に攻めたかもしれず、実際に手取川の戦いで謙信は織田軍の鉄砲に圧勝している。
戦の強さでは、「謙信、信玄 > 秀吉(秀吉は城攻めだと強い人)、信長 > 家康」になる。
本性的には「謙信、信玄は戦のプロ。信長、秀吉は商売人。家康はすごい人達の残り人材と考えを吸収した人」
才能がないから人の良さを真似て、人を大事にする人が250年の覇者になった。
日本国内では弾の原料の鉛が中々採れなかったので、輸入できなかった武田軍は球に銅の貨幣を使っていたそうですね(:.;゚;Д;゚;.:)
さすがに信長が鳶ヶ巣山砦への抜け道を予め知っていたとは思えませんが、武田軍を馬防柵に攻め込ませたところをことごとく撃ち倒す戦術を立てていたなら武田軍を誘き寄せる策はいくつか考えていたとは思います。「どっかの武田軍の砦への抜け道、たぶんあるんじゃ?」くらいは考えてたかもしれません。そこに酒井忠次が具体的な献策と実行部隊として名乗りを挙げ、採用したように思います。織田軍も酒井に兵を付けてますしね。
また射撃の名人が撃ちやすい射撃場所から動かず、撃ち終わった鉄砲をお付きの者に渡して、その人たちが熟練の技で掃除や弾込めを行い、準備ができた鉄砲を狙撃手に渡して撃つ……鉄砲を順次交換していく方法はたしか雑賀孫一がやってた様に思います
いつもわかりやすく、深い解説をありがとうございます。
徳川家康は三方ヶ原で惨敗しましたが、その後復活したのは、やはり運が良かったということなのでしょうか。
今回の長篠の戦いについてはNHKさんでも検証されてたので、その方法が取られてるのかなと思いました。
何よりも勝頼が逃げ道がなくなって選択を迫られたとき、無茶と知っていても父親を越えたいと攻めていった姿が辛かったし、初めて戦を見た信康くんが「なぶり殺しじゃないか」と呆然としながら、戦で嬉々としながら槍を振り回しつつ心を病んでくのも切なかったですね
切ない……( ノД`)シクシク…
鉄砲玉の原料は鉛ですから、やはり海外貿易にたけた武将が有利でしょうね。
以前、私が勤めていた大学の学長、茶屋四郎次郎の子孫ですが、武田軍の玉は銅銭を溶かしたものだった、とか言ってたニャーァ。本当かニャーァ
NHKの「歴史探偵」で、銅銭を溶かしたと言ってました。鉛が手に入らなかったので。
そうでしたか。信長にとって南蛮貿易は、重要だったのですね
今回の解説もお見事でした(* ´ ▽ ` *)私も三段打ちは、交代で一斉撃っていくと教わりましたが、NHKの歴史探偵で、鉄砲の玉を詰め終えた人からどんどん撃っていく説を聞いて成る程と思っていましたが、今回は撃った後に後ろの人に鉄砲を渡していました。成る程、凄く良い案!鉄砲を撃つのが上手い人、玉詰めの上手い人と分かれるだろうし、効率的❗と思いました。そういう考察もすでに有ったんですねにゃあ~(=^ェ^=)可愛い➰💖
どうでも良い話(笑) 見ないといけない録画が溜まっているのに何故か【スターウォーズ】を見てしまい。あーそう言えば、かしましチャンネルさんのエンディングがたまにスターウォーズぽい時が有るなぁ!素敵と思いました😄✴ゆうくん(=^ェ^=)ゆうくんで合ってますか❓もっと登場して欲しいにゃあ~こちらはどうでも良くないお話しでしたにゃん🐱💖
ありがとうにゃん(BYゆ~)
3段撃ち、NHKで実際に検証していて興味深かったです!
馬房柵って、素人考えなのですが内側だけじゃなく外側にも足つけたらもっと倒れないのになぁと思ってるのですが、何で内側にしか足ないのでしょうか。不思議だにゃ〜笑笑
実は、ロシアのイワン雷帝が当時、天下無敵のモンゴル騎兵を打ち破った戦いでも、馬防柵と鉄砲を使用しています。ただし柵には移動できるように車輪がついてた様です。
あの恐っそろしいイワン雷帝が😨⚡やっぱりただ者ではないですね❗顔も怖すぎ😱
穴山売説がこの時に武田を見限ったのかも
ヤな描かれ方してるけど処世術としては見えてる武将だったんだな
殺伐とした時代劇のお話の渦中ににゃんこ様の登場に癒されました❤
きりゅうさん、猫飼ってますか?、猫可愛い❤️
実際は長篠城攻めで使った竹束とかぎ縄があり、身隠ししながらかぎ縄で柵を引っ掛けて押し倒すような戦い方をしたとも言われてます。
ただ人数的に3倍以上の差があったのでどうしようもない戦いでもあった。
あと1万五千の兵力で1万人の死者はあり得ないですよw
京都の坊さんの日記にある「甲斐衆千余討ち死に」が正しいと思います。
長篠・設楽ヶ原の戦いはすごいですね
きりゅうさん、髪をアップするのお似合いですね。益々お美しい❤
玉かあ。
確かに玉がなくなったらただの棒ですよね。
かといって貴重な鉄砲、壊れてもいないのに捨てていくわけにもいかない。
玉が尽きた鉄砲は文字通りお荷物になってしまうわけですね。
あとある説では、武田騎馬軍団の一番の武器は行軍の速さであったといいます。つまり、自分が望む、有利な場所での戦ができるから、ということです。それは作戦の発起点から戰場までの、戦略的な移動速度の速さであり、戰場では地形によっては、馬から降りて徒歩で移動・突撃をしていたとも言います。馬を産する土地柄とはいへ、足りなくなったらすぐ補充できるというものではないので、馬は大切に扱ったのでは、と言われています。
またドラマにもあったように、雨の合い間の晴天時ですから、足元はぬかるんでいる可能性も高く、騎馬による突撃があったとしても、何割かは勢いが削がれていたのでは、と愚行します。
鉄砲隊に対し騎馬隊、無謀だなと思ってましたが、まさかのセオリー通りだったとは。
先日NHKで鉄砲の話や球数の話やらを検証した番組してましたよね。(再放送かも)。合わせて本当に勉強になりました。
今回は勝頼が勝つかと思ったけど残念ですw
@@kashimashi_rekishi_ch ごーどん君がキャスティングされましたもんね。何回か前に言われてたきりゅうさんの勝頼くん勝つ説、私も密かに楽しみにしていましたw
たしか、武田信玄考案の竹を束にした盾を装備していたと何かの資料で読んだことがあります。
@@bigmarch8686 竹束の盾、勉強になりました。教えてくださりありがとうございます。
こんばんはです。
武田軍の一兵のつもりになって考えると、鳶が巣山砦が落ちた時点で、ドラマのように士気高く織田・徳川連合軍に突っ込んでいけるのかな⁉️と。
そうなると、長篠・設楽原の戦いは情報戦の面があったのでは、と推測します。
例えば「織田軍は畿内で本願寺と戦うため、武田軍と戦う意思がなく、だから馬防柵の後ろで防御に徹するつもりだ」とか。