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思っていることと真逆のことを、カラ元気で家康に伝える数正こと松重さんの演技が素晴らしすぎて泣きました。😭「自分はどこまでも殿と一緒です」と、2回繰り返してたの良かったです。家康を、三河を守りたかったんだと思いたいですね。
いや、言っていることが本音で、行ったこと(出奔)が、ウソ(本意ではない)、と表現しているのだが?
「老体を鞭打って、もうひと暴れいたします」とは、「殿の将来のために出奔いたします」と、言ってることなんだが⁈
数正がいないと戦えない、という言葉が最後の決め手になったんだと思います。逆に言えば自分がいなければ戦えないってことなので、これ以上の戦いを避け、家康を殺させないために出奔したと思いたいですね
アメリカの国力を知っていたら、太平洋戦争しなかったのに…という話を連想しました。数正の辛くて悲しい選択!きりゅうさんの深い洞察と妄想💕感動です。
今回の数正回はドラマ34分辺りから「どこまでも殿と一緒でござるぞ」と言って立ち去るシーンに全てが描かれていた様に思いました特に松潤家康が冷静に「そなたがいれば勝てるかもしれない」と説得している直後、数正が「忘れられないのですね、亡きお方との約束が」と返す。その瞬間、松潤家康の顔つきがそれまでの大人になり冷静に数正を説得していた顔から昔、嫌じゃ嫌じゃとダダをコネ数正を困らせていた頃の感情ダダ漏れの子供家康に変化する所は鳥肌が立つ!そこから堰を切ったように感情のまま捲し立てる松潤家康に対して「もうひと暴れ」と返す松重数正からの松潤家康が泣いているシーン…もう何度見ても泣けてしまったあの三方ヶ原で広次が金陀仁具足を取り上げて嫌じゃ嫌じゃと泣く松潤家康の身代わりになるシーンと重なって…もう涙涙涙😭古沢さんの鬼脚本に泣き過ぎて目が腫れあがってしまう回でした
殿の元を去る数正の寂しそうな後ろ姿に涙が出ました。切なすぎる。。。最後の秀吉の荘厳な城の中を居心地悪そうに歩いている数正夫婦の姿を見るのが辛かったです😢
ものすごく納得できる解説でした!!数正はずーーっと険しい顔で何か考え込んでいる表情だったから、どうしたら殿を生かせるか考えに考え抜いたんですね。鍋さんも分かっていたから黙って夫について行ったと。お二人の表情のお芝居本当に素晴らしかったです。なぜ出奔したのかあまりピンと来ていなかったのでモヤモヤが晴れてスッキリしました。
松重さんがやったからかもしれませんが、数正にものすごく肩入れしてしまいます。。私は殿の味方でございます、で号泣でした😭すごく誠実だしみんなのことを考えてくれてるのに……若者たちが誤解してて悲しい……と思ってたので、きりゅうさんの、殿を生かすための出奔だったというのに赤べこくらい頷きました
ドラマ上の説については、きりゅうさんの解釈に同意ですが、史実上で気になるのは、石川数正が出奔に踏み切れた根拠ですかね仮に、秀吉から何らかの誘いがあっても、それは自身の安全を絶対的に保証するのものはなく出奔して秀吉の配下に入っても徳川方の情報を抜き出されるだけ抜き出されて後は、言いがかりをつけて処罰される可能性もあるし実際、秀吉は数正の出奔を受け入れても、徳川方を攻める気満々との話ですしあと、秀吉にしても、長く家康仕えた数正を迎え入れてスパイ行為の危険性もあるのに、相応の領地を与えて家康の国替えのさえも、家康の防波堤的役割を与えているが、逆に考えれが家康の急先鋒になりかねない現代より生存戦略にシビアな思考にてなぜ、数正は秀吉を信じて、秀吉も数正を信じれたのかそこに何かあるのかもしれませんね
「女が甘いものを笑って食べている」平和で豊かな秀吉の街を、聞くのとみるのとでは全然違う、まさにそうだと思います!石川さんは仲間と意見が対立して、「ここはもう俺の居場所じゃない…」ってなっちゃったのかな。でも、徳川方の情報を持つ自分が秀吉側に行くことで、徳川vs豊臣の戦を防ごうとしたっていうのは、もし本当だとしたらすごいですね!頭良いし勇気がある。
数正が見て来た大阪の繁栄‥カメラ1つあったら‥「ほーら、こんなに違いますよ。」って言えたのに。実際見た人とそうじゃない人の温度差が悔しいですね。 ドラマの家康と数正2人のシーンが、悲し過ぎました😢ありがとうございました🙏❣️
絵師を連れて行くべきだった。😂
今回のドラマを見終わった時、数正の発言が矛盾していて???状態きりゅうさんのポジティブ解説でやっと納得できました🎉この復習があるから、継続視聴できていますNHKさんから感謝されていいと思います😂
今回も解説ありがとうございます、いつも楽しみにしております。真実は解らず、今作の答え合わせも次回を待つしかありませんが、きりゅうさんのお考えの通りであって欲しいと思います。その方が浪漫や救いが有るようで、素敵だと思いますし、そう信じたいです。そう思うと、最後の対面はまるで諫死の口上のようで、美しくも悲しくも見えました。
やっぱりきりゅうさんいい❤
私も家康討伐回避のために数正は出奔したのだと思います。時の関白が妹と母親を人質同然にしてまでも戦を避けようとするなんて数正の陰の働きなしには考えられません。
松本城の月見やぐらで、松本市長と松重さんの対談が行われた松本市の広報動画で、松潤家康と最後のシーンに、松重さんの考えたアドリブの言葉があって、編集で採用されてるかなぁとおっしゃられてたので、あの最後の別れのシーン、とても引き込まれました❗松重数正の心は家康と共にあると思います🎵 今日、実家から急に電話かかってきて、松重さんと松本城がTVに映ってるよ早く見てとの母からの伝言が😂英雄たちの選択!松本城取り上げられると嬉しい信濃の民❤ 漆の黒塗りの城は秀吉好みだったのですね!
今回も、大変良かったです。石川数正の気持ちが大変よく理解できました✨
18:39 数正が家康に「殿を天下人にするのが夢云々」言った時、家康が真顔で涙を流していましたが。あれは数正が心の奥では納得していない、胸に何か別の意図を秘めているのを感じたからでしょうか…?
私としては きりゅうさんに1票激しく同意❗なのですが数正の想いがあまりにつらくて「このままでは眠れない」と思い 気分転換のためにバスケットを見たら ものすごい試合で結局眠れなくなってしまいましたとさ😅
今回の数正の出奔の説は、全く きりゅうさんのご意見に同意です。数正は殿そして徳川を守る為の最後の一手だったと思います。最後の殿への決意の場面では、数正の心の内を思うと涙が止まりませんでした。(私の妄想ですが)
おまけの部分が素晴らしいです。18:06 からのきりゅうさんの解説、家康と数正の最後のやりとり。ドラマで感じたあのグッとくる切ない感触。 忘れないで、どこまでも殿と一緒。 決して嘘ではない。熱く、美しい解説、聴かせていただきました。
妄想でも何でも、そのようにしか思えません。家康の出兵を停め、秀吉の出兵を止め、さらに神に祈祷して地震まで呼び寄せたのが正解だと思います。
今後は、家康も秀吉に臣従して国内が平和になっていくことで「やっぱりこれでいいのかもしれん」と考えが傾き始めるものの、秀吉の際限のない欲望を垣間見て「やっぱり豊臣は滅ぼさなきゃだめだ」と改めて天下取りを目指す…という形に描かれるかもしれませんね。千姫と秀頼との縁談のことも含めて胃の痛い決断を続けることとなりましょう。
はじめてコメントします。ドラマ始まってからなんでこの人が殿を裏切るのか不思議だったんだけど、先週の放送見て、これは裏切りではなく、殿と徳川家を救うための出奔だったんだと思いました。私はいつまでも殿と一緒、っていうあのセリフ深かった😢今回の動画は試験で満点取った気分で見れました❣
る
やはり、鍋さんが寧々様から頂いた櫛を置いて行ったシーン、これは「欲目に溺れて出奔したわけではない」ことを示しているのかなと
家康さんも迷っていた、頭ではわかっていたような気がします。ただ臣従すると家臣のモチベダダ下がるだろうし、なにより自分のこれまでの戦歴からくるプライドで頭を垂れることができなかったんだと思います。私も昔つまらないプライドを振りかざし、意地を張ったことで右腕だった人を失いました。頭ではわかっているのに振り上げた拳を下ろせない。数正はそんな殿の気持ちを汲み取って拳を下ろす大義名分を与えたのでは?と思ってみてました。今回はそんな気持ちを殿に、数正に投影してしまって号泣でしたwきりゅうさんとくーさんの話にうんうんと激しく頷きながら😂さーてもう一回おさらいしてこうようかなぁ笑笑
きりゅうさんのご意見のまま、深読みしてドラマを観ていました。数正の気持ち、いつか家康に伝わるのかな、なんて。でも、家康はどこまでももってますよね、大地震で秀吉側に大きな被害がでるなんで、、、。
私もきりゅうさんの説に同感です。家康の幼少期からずっと支えてきた数正がお金や地位で調略されるとは思えません。NHKの英雄たちの選択もみましたが、あの時点で秀吉との圧倒的な差を実感していたのは数正しかいません。だからこそ自分が出奔することによって家康が秀吉と戦えなくすることが徳川家の存続につながると思ったのではないでしょうか。
石川数正の出奔理由、きりゅうさんの妄想を含め私もそうあってほしいと思う解釈だと思います。ドラマの方もそれに近い感じですが、殿潤に、数正の本当の気持ち早く気付いてほしいです。次回の動画も、楽しみにしています。
殿に会いに行った時には、もう二択になると心に決めてたんでしょうね。最後、大阪城内を歩きながら心細げに振り返るシーンが印象的でした
きりゅうさんの説明いつも躍動感あってマシンガンになるほど面白い!!
数正の出奔理由がこれしか思えないくらい納得です!(笑)殿と一緒でござる。と2回言うあの姿は史実を知ってる側からしたら、数正あああああぁ💦ってなりました😂
クーさんが饒舌で嬉しい🎉
いつもとても楽しく視聴させていただいてます♫歴史が全然わからなかったんですが、このチャンネルのおかげで興味が出てきました。ありがとうございます♫
数正が出奔したために軍政とかお城の秘密とかを変えないといけなくはなりましたよね。大坂をじかに見て、ねねの戦は嫌とかは瀬名の考えに通じますね。
そういう意味だったのですね!絶対そうですね!
いつも大河見たあと気付かされる解説、ありがとうございます!大河はNHKプラスで見るのを遅くして、見終わった後にこのチャンネル見るようにしてます。
石川数正も色々あったと思うし、家康や家康の家臣からの追及や秀吉や秀長による責めを色々と言わられて、最終的に徳川家を守るための出奔だったと思う。
秀吉との交渉に、数正以外の家臣も連れて行けばよかったのに。そうすれば秀吉の凄さがわかる者が増えて、家康さん説得出来たかも?
数正の解説ありがとうございます✨今川での人質時代から側にいて、家康の側近中の側近である数正が家康の不利になるだけの出奔はしないはず!!とゆう永年の妄想が間違いではないかも?とゆう希望の見える解説、ありがとうございました😂瀬名ちゃんが良い人なのは今回の大河独特の設定(実際はどちらだったのかは不明ですが)ですけど、私は今回のきりゅうさんの解説は妄想じゃないのでは??とワクワクしながら動画を見せていただきました。く〜さんの『茶々のせいなの?』には爆笑しましたが、私もずーーっとそう思っています😁沢山いた側室や正妻には子供が出来なかった事を考えると、秀吉に殺された両親の復讐に燃えた淀殿が誰ぞと作った子供を利用して秀吉を誑かした…とか 笑っそういえば、以前数正が好きでいろいろ調べていたら嫡男の康長の他に成綱とゆう人が長男だとゆう記述を見たことがあります。いわゆる康長より先に生まれた側室の子供なのでしょうか。
私も、ドラマにも、史実的にも、きりゅうさんの説に賛成❗きっと殿を守りたい思いはいつまでも❗だったはずですよね❗そう考えると、ホントに殿との別れ際の、ずっと一緒ですが抜けています(;_;)数正の切ない別れもそうでしたが、出奔したあと秀吉に挨拶に行った石川夫妻の言葉のないやり取りが印象的でした❗鍋さんはきっと、あの城に入り廊下に並んだ灯りの量に秀吉達の衣装に、恐れを感じたはずですよね。それを毎回感じながら、家康達を説得していた夫は、どれだけ苦しかったかと、胸が締め付けられる思いだったと思います。
Yahooニュースで「結局秀吉の方が就職先としては高条件だったから」という身もふたもないニュース解説読みました。当時の武士はそれこそ幾つも武将の間を渡り歩いているのが当然で、石川数正も単に自分を大名(10万石)に取り立ててくれた秀吉の方に仕える事にしただけという説です。確かに家康が関東支配するようになった後でようやく家康の家臣も万石取りの大名になったのですが、それでも石川数正の10万石以上の家康の家臣は井伊直政(12万石)本多忠勝(10万石)榊原康政(10万石)だけでしたから。
数正出奔の理由は、自分もきりゅうさんのいう通りだと思いますし、そうであって欲しいとも思います。、
その妄想に乗ります(笑)石川数正の名乗りですが、伯耆から隣の出雲になってましたね。
きりゅさん、ラット様、くぅさんいつも楽しく動画配信拝見しております。(動画配信挨拶順)(笑い)😂今回の石川数正の出奔は、私からして「どうして、数正みたいな家康と苦楽をともにした家臣が出奔するのかと」不思議でたまりませんでした。だけど今回のきりゅさんの おまけ動画での補足に納得でした。大河ドラマが始まる前からいろんな歴史番組を拝していますが、みな石川数正の出奔をいち早く取り上げてました。今回の「かしまし歴史チャンネル」動画やたくさんのTV歴史番組からの解説を観て私なりに感じたのは数正の出奔は、徳川家臣団の小牧・長久手の戦いでの一時的な勝利に浮かれた家臣団の誤った考えが徳川家の滅亡をにむかって行く事を心配しての行動だと確信しました。数正の出奔に関してある番組では、数正家臣団出奔当日の岡崎城を捨て出ていく時には、すでに家康や家臣団には、情報が伝わっていたのですが、あえて家康も数正達に追ってを送ることもせずに、すんなりと岡崎から出ていく数正家臣団を見過ごしたとのお話も聴いてます。この背景から、家康自身も若い家臣団の勢いを止められなくなっている殿の様子を数正自体も察しての行動だと感じてます。家康自身もこのときには、「なぜ自分のもとを去るのだ数正」と感じたかもしれないのですが家康さんも数正の出奔行動が徳川家を生かす為の行動だったと後には、石川数正の出奔行動に感謝し理解したのではないかなと私なりにそう願っています。話が長くなりましたが今後もお三人様の楽しい動画配信を楽しみにしておりますのでよろしくおねがいします。
私もきりゅうさんが最後言うてたように、心は殿の事を思って居ますよと思う!数正が、木彫りの神様に手を夫婦で合わせてる時にねねから頂いたかんざしも箱さら置いて行ってますしね!数正は、三河家臣とは、違う方法で家康を支えようとしたのでしょうね!
今日は偶然にも『英雄たちの選択』でも石川数正の出奔に関する内容でした~どう家考証の平山優先生をはじめ、司会の磯田道史先生もお城博士の千田嘉博先生も国際交渉人?の島田先生?も皆さん一様に「徳川を守るため」が動機だろうと推察してましたね~
秀吉の唐入りは白人による植民地化が影響していて、朝鮮にも協力を求めたけど従ってもらえなくて戦になった、と聞いたことがあります。キリスト教を利用しての奴隷貿易から秀吉が危機感を抱いたのだとしたら、あり得るかも。きりゅうさんの見解を伺いたいです🙇🏻♀️
フィリピンを占領したスペインが次に明を狙っていた。明が落ちると明や朝鮮の兵を使って「元寇」の二の舞いになる恐れがあったのです。当時明は衰退していたので、先に秀吉が征服しようと考えたんです。
今回、哀しく、心の想い、辛さ、伝わりました。やはり、殿、思いだと思う😢
初めてコメント致します。数正が出奔しなければ徳川家は北条と同じ憂き目に合っていたのではないでしょうか?秀吉の威光を伝えきれなかったから出奔するしか徳川家を救う事が出来なかったのじゃないでしょうか?
そうかもしれませんね、これは想像が膨らみますね。徳川がここで滅んでいたら、後の北条征伐のときの伊達政宗みたいな立場に北条がなって、秀吉に臣従して北条は残る。 その後、豊臣政権下で生き抜いて、秀吉亡き後は・・・・・・。正史で徳川が辿った道を、北条が辿ったかもしれないですね。
オープニングの出演者クレジットで、松重豊さんが最後に出てくることの意味を思うと、たんに役者の重要度だけではないと思えてきました。これまでの、そして今後の、石川数正が、この物語に与える影響度を考慮しての、クレジット最後尾であると痛烈に思えてきました!
来週、酒井忠次が「囚われてる。」みたいな事を言ってましたね❗瀬名ちゃんの思いに自分が答えるって事に固執しちゃってるって言う意味なら、忠次は数正の思いを一番理解し、殿へ進言でし、結果殿を救ってあげられるみたいな展開ならいいなぁと。
昔の滝田栄さん主演の大河ドラマでも、石川数正は敢えて悪役となる為に出奔した…という描かれ方でしたね〜。ドラマ的には美談なんですけど…私は単純に徳川家臣団の中で孤立したんで打算もあっての出奔だったと思います。数正もやはりお家第一の戦国武将の一人でしょうから。
おまけの熱い解説でドラマのシーンを思い出し涙がでました。私が考えていた数正の想いと全く一緒で素晴らしい解説でした。ただ、家康に関しては私の考えはことなります。それは家康は数正の考えも分かっていたのではなないかということです。家康の立場では、瀬名の意思だけでなく家臣たちの思いもあり。秀吉に勝てないと分かっていても屈服することはできなかったのでは?と思っています。
『おまけ』が本編並の熱さ(笑)。たまたま大地震があって、家康はほんと運があるお人なんだなぁ。
家臣団の若さを感じました😂若いって本当に素晴らしい!私も若い同僚達が大好き!でもでも、古参達の多くの経験や研鑽を積んできたことに耳を傾けることもとても大事なことなのですよ!このドラマの数正は本当に素晴らしいです😂若い家臣団達もこのことでまた一つ大きくなるでしょうね!私も老体に鞭打ってもうひと頑張りします!
今回、改めて本能寺の変から秀吉があっという間に関白豊臣秀吉に出世して天下統一するスピードすごいなぁと驚いてます。衣装や内装の豪華さでその成金ぶりが伝わってきますが、追って沙汰するに質問が!なんとなくしか秀吉の財テクほうがわからないのですが、大阪の商人とか何か秀吉の財政面支えたものや街ずくりのキーパーソンみたいなのがいるのですか?!百姓から成り上がりやっぱり凄い瓢箪の力?!朝廷工作も上手いことやってますが、中々ドラマには出てこないのでその辺りの所よかったら解説が聞きたいです🎵
今回のドラマでは、いろんな説がどれもありそうに描かれていましたね。数正が「良いな」と聞いて鍋さんが「はい」と答えたのは、殿と三河のために出奔する覚悟をしたけど、その事で周りや後世の人に「裏切り者」と後ろ指指される事になるだろう、それでも良いのだな、と言う二人の覚悟を確認している感じがしました。自分が汚名をきても良いという覚悟は瀬名ちゃんの時みたいと思いました。
きりゅうさんのお話を聞きながら、そうだよねー、数正も苦渋の決断だったんだよねー、と感じているところにサブリミナルのように挟まれる「孤独の数正」。笑ってしまいました。
石田数正、松重豊さんは個人的なイメージで昔の大河で毛利元就の次男の吉川元春のイメージがありまして、あのときは若さ溢れるイケイケの雰囲気がこの度の石田数正を見て、(あ~老けたなぁ)と😄あたりまえですが、毛利元就の吉川元春からだいぶ年数たってますもんね😅
数正が将来を見通せていたと仮定したら、欲深い秀吉が自滅した後であれば若い家臣団を率いる家康に勝ち目があると踏んで、その時点で役に立たない自分は捨石として出奔した、みたいな仮説も成り立つのかなーと思って拝見しました。
家康VS秀吉の戦を防ぐ為の出奔で 徳川を守りたいって事だったんじゃ無いかなーって勝手に思ってます。
とうとう数正さん家康さんから出て行ってしまいましたね、どうして、数正さんは、家康さんとこから、出て行ってしまったかな?まさか秀吉さんか、スカウトされた説、家康さんともめるだけもめて、出て行ってしまった説などありますが、あ、どうする家康の、松重さんの、数正さんがみれないのかな?このまま退場かな?私数正さん大好きだったので数正さんロスなりました。家康さんと数正さんの、お別れシーンは、もらい泣きそうなりました。かしまし歴史チャンネルさん、ラットさん今日いなかったから、風邪ですか?お大事にしてくださいまた動画観ますよ
ちょうど今日「英雄たちの選択」で石川数正でした。新しい書状が見つかって、家康も秀吉も、和睦の落とし所を探っていたようで、その鍵となるのが数正、というもの。「お前がいれば勝てる」という家康を止めるには、こうするしかない…と心を決めた数正の笑顔が悲しいほど切ない回でした(´;ω;`)
孤独の石川数正、最後の交渉
きりゅうさんの考察、私も同感です。戦の無い世が出来るのかも?と思ったのかもしれませんね。今みたいに動画があれば、大阪こんなになってます!!って話せるのになぁ〜って妄想失礼しました。
自分もキリユウさんと同じ考えです。数正は戦を止めたかったと思います。地震は家康を助けた。天に守られてたね😎
野球で言えば、正捕手が移籍したようなものですね。個人的にはスパイ説が好きです(vivantの見すぎ(笑))
『黄金の日日』(1978年)からどっぷり大河ファンの姉が言うには、「少なくとも『どうする家康』では石川数正が私欲で裏切るという解釈は絶対ないはず。だってドラマ本編後の紀行で松重さんがナレーションを担当してはるんやから。家康をただ見切った人物の声がナレーションになるわけないもん」とのこと。それを聞いてなるほどなーと納得したところで今回の動画を拝見し、やはり私も、きりゅうさんの熱と願いと説得力がこもった解釈に一票~っ!て思いました。(『どうする家康』、前半期で離脱しなくてよかった。かしましのおかげです)
木村多江さん演じる鍋さんの、地味だけど品のある打ち掛けと寧々の金蘭豪華な打ち掛け、無駄なあかりを灯すこともなく質素だが静謐に整った石川家と廊下にまでじゃんじゃん火をたきまくっている無駄に広い秀吉邸、対比がみごとでしたね。史実は存じませんが、出奔したことで鍋など家族に被害が及ばなかったことにホッとしました。この時代の奥様たちのその後についても解説、ぜひお願いしたいです!いつも楽しませていただいてます。ありがとうございます。
説の一つとしてある方針の違いで孤立していた時に、数正が面倒を見ていた小笠原貞慶が謀反したことで責任問題もあり居場所がなくなったために出奔したというのも考えられるかも。
数正は「私の殿は家康だけだ」と念押ししてたからきっと内部から豊臣を崩す何かをしてくれると信じてます〜😢奥方の鍋さんも寧々さんからもらった櫛を置いて出られたからお金目当ても無いはずと信じたいですね。数正推しです😊
今日も楽しい解説ありがとうございます😁数正さんが出奔した時に妻の鍋さんあっさりと大坂について行ったんですね、何かあると思っていたのですが・・・。今回の小牧長久手の戦いでも徳川水軍は出てこなかったのでチョット残念です。(番組予算的に無理かな)く~さんはラットさんがお休みの日は(たしか2回目)饒舌なるようですがいつもこの調子でお願いします😁
きりゅうさんの説が私はしっくりきました。😊あと寧々様から頂いた綺麗な櫛を鍋様は置いて行かれましたね。そばにあった木彫りは家康様から頂いたものでしょうかね?例の兎のと彫りかたが似ていましたけど。
何で朝鮮出兵してしまったんだろう…とのお話がありましたので、それに関して、少し私個人の思うことを書かせていただきます。(あくまで、素人の単なる想像、妄想でございます)秀吉が、のちに朝鮮出兵したのは、常々、信長のもとで彼の野望をそばで聞いていたがゆえ、その遺志というか、野望を受け継いで世界へ進出してみたいという思いが、秀吉の心のどこかにずっとあったからかなと私は想像しています。秀吉は、たとえ関白になって、天下を治める者に成っても、それはあくまで日本という国での範囲であって、信長の目指した野望に比べれば、まだまだ自分が為したことは程遠く、信長が本能寺で亡くなるようなことが起こらず、そのまま日本を統一後、世界を目指していたら…などという思いが時折よぎっていたのではないかなと想像しています。それゆえ、いつか、狙える機会があれば…信長の描いていた世界進出、世界征服へと、己も挑戦したい、そしてそれを実現し、そういう意味で信長を真に越えたいと密かに考えていたのではないかと想像しています。
この作品では、数正がただのお使いしてるだけみたいな風味しか感じなくて難だけど、この頃の「取り次ぎ」という役の重要性が、数正がどういう立ち位置にあるかが分かってくるんじゃないだろうか。信玄に家康が直接会おうとしてバカにされた時があったけど、取り次ぎをもう少し深堀りできるとこの時代のお役目に関する理解ができそう。
数正と殿の最後のやり取りに涙して見てました。私もきりゅうさんの妄想中〜❤の理由が出奔理由だと思ってます❗️今回ラットさんがお休みだったので、く〜さんの『x』が、初めて見れました❤xをやった後のテレテレのく〜さんが可愛かったです😊
今回のきりゅうさんキレイ
石川数正が出奔した理由諸説あるとは知らなかったです・桐生さま説明ありがとうございました。
何時も面白い歴史解説楽しみに拝聴しています。今回のタイトル『裏切り者』は石川数正と徳川家康の二人に掛かっているダブルミーニングの様にも感じました。人は忘れる生き物です。忘れるから生きていける。同じ様な失敗をした家康を正面に見ずに過去を思い出す様にして上手側を見る本多正信の真剣な顔がドラマ最後に印象に残りました。これからも楽しく拝聴します。御三方共夏バテには気を付けて無理せずに楽しんでください。
初めてコメントします♪鎌倉殿の13人の解説ぐらいから楽しく拝見させていただいております♪おまけのかっこ何故秀吉は朝鮮出兵したか?」の部分について自分なりの推測がありますので書かせていただきます♪信長と秀吉は元々世界戦略で動いていたのではないかと考えています♪ポルトガルやスペインが世界の各地に植民地を持っているという情報を得ていたと考えますので、それらの国に伍するべく日本も世界に打って出ようと考えていたんだと思います♪信長は本能寺の変で死んでしまったのでかないませんでしたが、秀吉が推し進めたと考えます♪
いつも楽しく拝見してます。すごく些細なことですが、今回のドラマでのキーワード、王道と覇道。家康がこの言葉を発するときは家康自身も王道を見失ってるな~と感じてしまいます。裏切り者の回での家康と数正の対峙しているシーンでも、つくづくそう思いました。これからもどうする家康の中で家康さんは王道と覇道を見誤ってしまう場面がでてくるんでしょうか。歴史で伝わっていることはわかっていても、家康さんを人として見ていくドラマとして、楽しもう、と思っています。
家康を死なせずに秀吉の下で平和が来るならそれでもいいかもしれないか…なんか分かる気がするな。
家康が秀吉に臣従した後、教正と家康が出会うことはなかったのかな。出会っていたらどんな話をしたのか気になるところです。
いつも楽しく聞いています。私はきりゅうさんの説が好きです~ドラマも同じ説だったらいいな~🤗ラットちゃんお休みちょっと寂しいです~
ウフフ「孤独の数正」って松重さんのグルメ番組をもじったの?
この後、家康が秀吉に臣従した後で家康と数正は実際に相対することはあったんでしょうか?普通に考えれば大坂(諸大名の集合時)や小田原の陣・朝鮮の役の名護屋の陣屋などで会う機会はあったように思えるのですが・・・やはりどちらも気まずいので避けていたのでしょうか?🤔
忠臣は陰腹を切り主君を御諫めすると申しますが、それで戦が止められるならば間違いなく石川数正は腹を切っていたでしょう。しかし、それでは戦を止められないと解っていたから、きりゅうサンの言うように、殿のお命を守る為に最後の手段として出奔を選んだのでしょね~。(^o^)/
すみません、質問です。数正出奔の月日とか、ここで言われている月日というのは旧暦なのでしょうか?
ラットちゃん、シュッポン?きりゅうさん、いつもながら熱い語りが止まらず、笑ってしまいました(^^;お鍋さんが、櫛を置いていった祭壇に置いてある木彫の仏像?なんか意味深?気になる
今日の『英雄たちの選択』で「家康の掃きすてられし古箒(ホウキ 石川数正のこと)」と江戸時代にはかなりけなされた数正であったが実際には家康も和議に賛成していていたらしい が 家臣たちの反発が強くてしぶしぶ開戦に同意することになったらしい それでいままで交渉に関わっていた数正が逃げ出すわけだが家康はこれを黙認していたらしい 岡崎から尾張までの家族を連れての逃避行 距離は約20キロあったそうだが家康は追手を放たなかった数正の出奔は優柔不断な家康が招いた事件だったんだな
石川数正「大阪の串カツはうまかったなぁ 赤味噌にも飽きたしそろそろ」
結構石川数正が徳川家のために秀吉のところに行った節があるが、自分は違うと思う。石川数正が徳川を裏切ったところ秀吉が徳川を攻めるのは野心は止まらない、実際地震が起きなかったら戦いがまた勃発してたかもしれない。だから結局石川数正は自分のために裏切ったと思う。
きりゅうさんの喋りの熱さにマジリスペクトです。
らっとさん、茶々がいなくても、一見絢爛豪華な秀吉の世は、秀吉が厳然といるからこぞ、安定しているように見えるが、秀吉という存在がなければ、すぐにでも崩れ得る、という脆いものです。茶々ひとりのせいではありません。
他の大河ドラマで、この後、家康と秀吉が対面したときに、秀吉の陣羽織をもらって、「殿(秀吉)に二度と陣羽織はお着せいたしません❗」って言うシーンを二度ほど見たんてすが、あれって、本当のことだったのですか❓次の日に、大坂城でみんなの前でもう一度、その言葉を言って欲しい、なんていう流れでしたが…。
なかなか家康が大坂城来ないし、人質も差し出さないから『代わりに…』的に数正の独断で出奔したのかもしれませんね…(モタモタしてたら秀吉攻め込んで来るかもしれませんし💦)徳川の情報も熟知してるし人質の対価に相当すると思って😢
唐入りは戦国の世が終わりに向かい仕事を失いつつあった多くの武士のための公共事業の側面も強いと思いますこの仕事を失った武士(浪人)問題は江戸時代の綱吉頃まで尾を引っ張る大問題だったはずですので
確かに天下統一した後で邪魔な武装勢力の後処理は中華帝国見ても「内部粛清」か「外征」しかないですしね。前に「戦国バブル(兵力の)が弾けた後を考えていたのは秀吉と家康だけ」と言う方もいますし。外征しなかった家康は只管内部粛清し続けましたが、それは浪人を増やすことになりましたし。
そう、秀吉は「朝鮮出兵」ではなくて、「唐入り」なんです。当時スペインがフィリピンを占領しており、明を落とそうとしていた。明が落ちると、「元寇」のときのように、中国、朝鮮人の兵を集めて攻めてくる可能性が大きかった。だから、スペインより先に明を落とそうと考えた。朝鮮は単なる通り路でしかない。
秀吉の武力行使で家康を屈服させるとなると、家康の首は勿論、人質の命、家臣団の多くの命が失われる。野戦にしろ、城攻めにしろ岡崎はまず落とされる事になるので「岡崎城城代として」多くの犠牲を出す前にやむを得ず出奔したんだと思います。むしろ諦めの境地だったのでは?と思います。後世に伝わる資料がそこを明確にしてないのが徳川にとって都合の悪い事…だったようにも感じます。
あえて敵側に立つことで、家康を強くするためだった?巨人の星の星一徹を妄想してしまいました。
だもんでと言うのは東海地方の方で合っていますか?
当時は、戦国から続けていた成長経済。成長をとめることは困難。でも、日本の中にもう与える土地はない、ので朝鮮せめて、新しい領土拡大しなければならない。成長経済を止めて安定経済にした家康は、その点では評価できる。
思っていることと真逆のことを、カラ元気で家康に伝える数正こと松重さんの演技が素晴らしすぎて泣きました。😭
「自分はどこまでも殿と一緒です」と、2回繰り返してたの良かったです。
家康を、三河を守りたかったんだと思いたいですね。
いや、言っていることが本音で、行ったこと(出奔)が、ウソ(本意ではない)、と表現しているのだが?
「老体を鞭打って、もうひと暴れいたします」とは、「殿の将来のために出奔いたします」と、言ってることなんだが⁈
数正がいないと戦えない、という言葉が最後の決め手になったんだと思います。
逆に言えば自分がいなければ戦えないってことなので、これ以上の戦いを避け、家康を殺させないために出奔したと思いたいですね
アメリカの国力を知っていたら、太平洋戦争しなかったのに…という話を連想しました。数正の辛くて悲しい選択!きりゅうさんの深い洞察と妄想💕感動です。
今回の数正回はドラマ34分辺りから「どこまでも殿と一緒でござるぞ」と言って立ち去るシーンに全てが描かれていた様に思いました
特に松潤家康が冷静に「そなたがいれば勝てるかもしれない」と説得している直後、数正が「忘れられないのですね、亡きお方との約束が」と返す。その瞬間、松潤家康の顔つきがそれまでの大人になり冷静に数正を説得していた顔から昔、嫌じゃ嫌じゃとダダをコネ数正を困らせていた頃の感情ダダ漏れの子供家康に変化する所は鳥肌が立つ!そこから堰を切ったように感情のまま捲し立てる松潤家康に対して「もうひと暴れ」と返す松重数正からの松潤家康が泣いているシーン…もう何度見ても泣けてしまった
あの三方ヶ原で広次が金陀仁具足を取り上げて嫌じゃ嫌じゃと泣く松潤家康の身代わりになるシーンと重なって…もう涙涙涙😭
古沢さんの鬼脚本に泣き過ぎて目が腫れあがってしまう回でした
殿の元を去る数正の寂しそうな後ろ姿に涙が出ました。切なすぎる。。。
最後の秀吉の荘厳な城の中を居心地悪そうに歩いている数正夫婦の姿を見るのが辛かったです😢
ものすごく納得できる解説でした!!数正はずーーっと険しい顔で何か考え込んでいる表情だったから、どうしたら殿を生かせるか考えに考え抜いたんですね。鍋さんも分かっていたから黙って夫について行ったと。お二人の表情のお芝居本当に素晴らしかったです。なぜ出奔したのかあまりピンと来ていなかったのでモヤモヤが晴れてスッキリしました。
松重さんがやったからかもしれませんが、数正にものすごく肩入れしてしまいます。。
私は殿の味方でございます、で号泣でした😭
すごく誠実だしみんなのことを考えてくれてるのに……若者たちが誤解してて悲しい……
と思ってたので、きりゅうさんの、殿を生かすための出奔だったというのに赤べこくらい頷きました
ドラマ上の説については、きりゅうさんの解釈に同意ですが、
史実上で気になるのは、石川数正が出奔に踏み切れた根拠ですかね
仮に、秀吉から何らかの誘いがあっても、それは自身の安全を絶対的に保証するのものはなく
出奔して秀吉の配下に入っても徳川方の情報を抜き出されるだけ抜き出されて
後は、言いがかりをつけて処罰される可能性もあるし
実際、秀吉は数正の出奔を受け入れても、徳川方を攻める気満々との話ですし
あと、秀吉にしても、長く家康仕えた数正を迎え入れて
スパイ行為の危険性もあるのに、相応の領地を与えて
家康の国替えのさえも、家康の防波堤的役割を与えているが、逆に考えれが家康の急先鋒になりかねない
現代より生存戦略にシビアな思考にて
なぜ、数正は秀吉を信じて、秀吉も数正を信じれたのか
そこに何かあるのかもしれませんね
「女が甘いものを笑って食べている」平和で豊かな秀吉の街を、聞くのとみるのとでは全然違う、まさにそうだと思います!
石川さんは仲間と意見が対立して、「ここはもう俺の居場所じゃない…」ってなっちゃったのかな。でも、徳川方の情報を持つ自分が秀吉側に行くことで、徳川vs豊臣の戦を防ごうとしたっていうのは、もし本当だとしたらすごいですね!頭良いし勇気がある。
数正が見て来た大阪の繁栄‥カメラ1つあったら‥「ほーら、こんなに違いますよ。」って言えたのに。実際見た人とそうじゃない人の温度差が悔しいですね。 ドラマの家康と数正2人のシーンが、悲し過ぎました😢ありがとうございました🙏❣️
絵師を連れて行くべきだった。😂
今回のドラマを見終わった時、数正の発言が矛盾していて???状態
きりゅうさんのポジティブ解説でやっと納得できました🎉
この復習があるから、継続視聴できています
NHKさんから感謝されていいと思います😂
今回も解説ありがとうございます、いつも楽しみにしております。
真実は解らず、今作の答え合わせも次回を待つしかありませんが、きりゅうさんのお考えの通りであって欲しいと思います。その方が浪漫や救いが有るようで、素敵だと思いますし、そう信じたいです。
そう思うと、最後の対面はまるで諫死の口上のようで、美しくも悲しくも見えました。
やっぱりきりゅうさんいい❤
私も家康討伐回避のために数正は出奔したのだと思います。
時の関白が妹と母親を人質同然にしてまでも戦を避けようとするなんて数正の陰の働きなしには考えられません。
松本城の月見やぐらで、松本市長と松重さんの対談が行われた松本市の広報動画で、松潤家康と最後のシーンに、松重さんの考えたアドリブの言葉があって、編集で採用されてるかなぁとおっしゃられてたので、あの最後の別れのシーン、とても引き込まれました❗松重数正の心は家康と共にあると思います🎵 今日、実家から急に電話かかってきて、松重さんと松本城がTVに映ってるよ早く見てとの母からの伝言が😂
英雄たちの選択!松本城取り上げられると嬉しい信濃の民❤
漆の黒塗りの城は秀吉好みだったのですね!
今回も、大変良かったです。石川数正の気持ちが大変よく理解できました✨
18:39 数正が家康に「殿を天下人にするのが夢云々」言った時、家康が真顔で涙を流していましたが。
あれは数正が心の奥では納得していない、胸に何か別の意図を秘めているのを感じたからでしょうか…?
私としては きりゅうさんに1票
激しく同意❗なのですが
数正の想いがあまりにつらくて「このままでは眠れない」と思い 気分転換のためにバスケットを見たら ものすごい試合で結局眠れなくなってしまいましたとさ😅
今回の数正の出奔の説は、全く きりゅうさんのご意見に同意です。数正は殿そして徳川を守る為の最後の一手だったと思います。最後の殿への決意の場面では、数正の心の内を思うと涙が止まりませんでした。(私の妄想ですが)
おまけの部分が素晴らしいです。
18:06 からのきりゅうさんの解説、家康と数正の最後のやりとり。
ドラマで感じたあのグッとくる切ない感触。 忘れないで、どこまでも殿と一緒。 決して嘘ではない。
熱く、美しい解説、聴かせていただきました。
妄想でも何でも、そのようにしか思えません。家康の出兵を停め、秀吉の出兵を止め、さらに神に祈祷して地震まで呼び寄せたのが正解だと思います。
今後は、家康も秀吉に臣従して国内が平和になっていくことで「やっぱりこれでいいのかもしれん」と考えが傾き始めるものの、秀吉の際限のない欲望を垣間見て「やっぱり豊臣は滅ぼさなきゃだめだ」と改めて天下取りを目指す…という形に描かれるかもしれませんね。
千姫と秀頼との縁談のことも含めて胃の痛い決断を続けることとなりましょう。
はじめてコメントします。ドラマ始まってからなんでこの人が殿を裏切るのか不思議だったんだけど、先週の放送見て、これは裏切りではなく、殿と徳川家を救うための出奔だったんだと思いました。私はいつまでも殿と一緒、っていうあのセリフ深かった😢今回の動画は試験で満点取った気分で見れました❣
る
やはり、鍋さんが寧々様から頂いた櫛を置いて行ったシーン、これは「欲目に溺れて出奔したわけではない」ことを示しているのかなと
家康さんも迷っていた、頭ではわかっていたような気がします。
ただ臣従すると家臣のモチベダダ下がるだろうし、なにより自分のこれまでの戦歴からくるプライドで頭を垂れることができなかったんだと思います。
私も昔つまらないプライドを振りかざし、意地を張ったことで右腕だった人を失いました。
頭ではわかっているのに振り上げた拳を下ろせない。数正はそんな殿の気持ちを汲み取って拳を下ろす大義名分を与えたのでは?と思ってみてました。
今回はそんな気持ちを殿に、数正に投影してしまって号泣でしたw
きりゅうさんとくーさんの話にうんうんと激しく頷きながら😂
さーてもう一回おさらいしてこうようかなぁ笑笑
きりゅうさんのご意見のまま、深読みしてドラマを観ていました。
数正の気持ち、いつか家康に伝わるのかな、なんて。
でも、家康はどこまでももってますよね、大地震で秀吉側に大きな被害がでるなんで、、、。
私もきりゅうさんの説に同感です。家康の幼少期からずっと支えてきた数正がお金や地位で調略されるとは思えません。NHKの英雄たちの選択もみましたが、
あの時点で秀吉との圧倒的な差を実感していたのは数正しかいません。だからこそ自分が出奔することによって家康が秀吉と戦えなくすることが
徳川家の存続につながると思ったのではないでしょうか。
石川数正の出奔理由、きりゅうさんの妄想を含め私もそうあってほしいと思う解釈だと思います。
ドラマの方もそれに近い感じですが、殿潤に、数正の本当の気持ち早く気付いてほしいです。
次回の動画も、楽しみにしています。
殿に会いに行った時には、もう二択になると心に決めてたんでしょうね。
最後、大阪城内を歩きながら心細げに振り返るシーンが印象的でした
きりゅうさんの説明いつも躍動感あってマシンガンになるほど面白い!!
数正の出奔理由がこれしか思えないくらい納得です!(笑)
殿と一緒でござる。と2回言うあの姿は史実を知ってる側からしたら、数正あああああぁ💦ってなりました😂
クーさんが饒舌で嬉しい🎉
いつもとても楽しく視聴させていただいてます♫歴史が全然わからなかったんですが、このチャンネルのおかげで興味が出てきました。ありがとうございます♫
数正が出奔したために軍政とかお城の秘密とかを変えないといけなくはなりましたよね。
大坂をじかに見て、ねねの戦は嫌とかは瀬名の考えに通じますね。
そういう意味だったのですね!絶対そうですね!
いつも大河見たあと気付かされる解説、ありがとうございます!
大河はNHKプラスで見るのを遅くして、見終わった後にこのチャンネル見るようにしてます。
石川数正も色々あったと思うし、家康や家康の家臣からの追及や秀吉や秀長による責めを色々と言わられて、最終的に徳川家を守るための出奔だったと思う。
秀吉との交渉に、数正以外の家臣も連れて行けばよかったのに。そうすれば秀吉の凄さがわかる者が増えて、家康さん説得出来たかも?
数正の解説ありがとうございます✨
今川での人質時代から側にいて、家康の側近中の側近である数正が家康の不利になるだけの出奔はしないはず!!
とゆう永年の妄想が間違いではないかも?とゆう希望の見える解説、ありがとうございました😂
瀬名ちゃんが良い人なのは今回の大河独特の設定(実際はどちらだったのかは不明ですが)ですけど、私は今回のきりゅうさんの解説は妄想じゃないのでは??とワクワクしながら動画を見せていただきました。
く〜さんの『茶々のせいなの?』には爆笑しましたが、私もずーーっとそう思っています😁
沢山いた側室や正妻には子供が出来なかった事を考えると、秀吉に殺された両親の復讐に燃えた淀殿が誰ぞと作った子供を利用して秀吉を誑かした…とか 笑っ
そういえば、以前数正が好きでいろいろ調べていたら嫡男の康長の他に成綱とゆう人が長男だとゆう記述を見たことがあります。
いわゆる康長より先に生まれた側室の子供なのでしょうか。
私も、ドラマにも、史実的にも、きりゅうさんの説に賛成❗きっと殿を守りたい思いはいつまでも❗だったはずですよね❗
そう考えると、ホントに殿との別れ際の、ずっと一緒ですが抜けています(;_;)
数正の切ない別れもそうでしたが、出奔したあと秀吉に挨拶に行った石川夫妻の言葉のないやり取りが印象的でした❗鍋さんはきっと、あの城に入り廊下に並んだ灯りの量に秀吉達の衣装に、恐れを感じたはずですよね。それを毎回感じながら、家康達を説得していた夫は、どれだけ苦しかったかと、胸が締め付けられる思いだったと思います。
Yahooニュースで「結局秀吉の方が就職先としては高条件だったから」という身もふたもないニュース解説読みました。当時の武士はそれこそ幾つも武将の間を渡り歩いているのが当然で、石川数正も単に自分を大名(10万石)に取り立ててくれた秀吉の方に仕える事にしただけという説です。確かに家康が関東支配するようになった後でようやく家康の家臣も万石取りの大名になったのですが、それでも石川数正の10万石以上の家康の家臣は井伊直政(12万石)本多忠勝(10万石)榊原康政(10万石)だけでしたから。
数正出奔の理由は、自分もきりゅうさんのいう通りだと思いますし、そうであって欲しいとも思います。、
その妄想に乗ります(笑)
石川数正の名乗りですが、伯耆から隣の出雲になってましたね。
きりゅさん、ラット様、くぅさんいつも楽しく動画配信拝見しております。(動画配信挨拶順)(笑い)😂
今回の石川数正の出奔は、私からして「どうして、数正みたいな家康と苦楽をともにした家臣が出奔するのかと」不思議でたまりませんでした。だけど今回のきりゅさんの おまけ動画での補足に納得でした。大河ドラマが始まる前からいろんな歴史番組を拝していますが、みな石川数正の出奔をいち早く取り上げてました。
今回の「かしまし歴史チャンネル」動画やたくさんのTV歴史番組からの解説を観て私なりに感じたのは数正の出奔は、徳川家臣団の小牧・長久手の戦いでの一時的な勝利に浮かれた家臣団の誤った考えが徳川家の滅亡をにむかって行く事を心配しての行動だと確信しました。
数正の出奔に関してある番組では、数正家臣団出奔当日の岡崎城を捨て出ていく時には、すでに家康や家臣団には、情報が伝わっていたのですが、あえて家康も数正達に追ってを送ることもせずに、すんなりと岡崎から出ていく数正家臣団を見過ごしたとのお話も聴いてます。この背景から、家康自身も若い家臣団の勢いを止められなくなっている殿の様子を数正自体も察しての行動だと感じてます。
家康自身もこのときには、「なぜ自分のもとを去るのだ数正」と感じたかもしれないのですが家康さんも数正の出奔行動が徳川家を生かす為の行動だったと後には、石川数正の出奔行動に感謝し理解したのではないかなと私なりにそう願っています。
話が長くなりましたが今後もお三人様の楽しい動画配信を楽しみにしておりますのでよろしくおねがいします。
私もきりゅうさんが最後言うてたように、心は殿の事を思って居ますよと思う!数正が、木彫りの神様に手を夫婦で合わせてる時にねねから頂いたかんざしも箱さら置いて行ってますしね!数正は、三河家臣とは、違う方法で家康を支えようとしたのでしょうね!
今日は偶然にも『英雄たちの選択』でも石川数正の出奔に関する内容でした~
どう家考証の平山優先生をはじめ、司会の磯田道史先生もお城博士の千田嘉博先生も国際交渉人?の島田先生?も皆さん一様に「徳川を守るため」が動機だろうと推察してましたね~
秀吉の唐入りは白人による植民地化が影響していて、朝鮮にも協力を求めたけど従ってもらえなくて戦になった、と聞いたことがあります。
キリスト教を利用しての奴隷貿易から秀吉が危機感を抱いたのだとしたら、あり得るかも。
きりゅうさんの見解を伺いたいです🙇🏻♀️
フィリピンを占領したスペインが次に明を狙っていた。明が落ちると明や朝鮮の兵を使って「元寇」の二の舞いになる恐れがあったのです。当時明は衰退していたので、先に秀吉が征服しようと考えたんです。
今回、哀しく、心の想い、辛さ、伝わりました。やはり、殿、思いだと思う😢
初めてコメント致します。
数正が出奔しなければ徳川家は北条と同じ憂き目に合っていたのではないでしょうか?秀吉の威光を伝えきれなかったから出奔するしか徳川家を救う事が出来なかったのじゃないでしょうか?
そうかもしれませんね、これは想像が膨らみますね。
徳川がここで滅んでいたら、後の北条征伐のときの伊達政宗みたいな立場に北条がなって、秀吉に臣従して北条は残る。 その後、豊臣政権下で生き抜いて、秀吉亡き後は・・・・・・。
正史で徳川が辿った道を、北条が辿ったかもしれないですね。
オープニングの出演者クレジットで、
松重豊さんが最後に出てくることの意味を思うと、
たんに役者の重要度だけではないと思えてきました。
これまでの、そして今後の、石川数正が、この物語に与える影響度を考慮しての、クレジット最後尾であると痛烈に思えてきました!
来週、酒井忠次が「囚われてる。」みたいな事を言ってましたね❗瀬名ちゃんの思いに自分が答えるって事に固執しちゃってるって言う意味なら、忠次は数正の思いを一番理解し、殿へ進言でし、結果殿を救ってあげられるみたいな展開ならいいなぁと。
昔の滝田栄さん主演の大河ドラマでも、石川数正は敢えて悪役となる為に出奔した…という描かれ方でしたね〜。
ドラマ的には美談なんですけど…私は単純に徳川家臣団の中で孤立したんで打算もあっての出奔だったと思います。数正もやはりお家第一の戦国武将の一人でしょうから。
おまけの熱い解説でドラマのシーンを思い出し涙がでました。
私が考えていた数正の想いと全く一緒で素晴らしい解説でした。
ただ、家康に関しては私の考えはことなります。
それは家康は数正の考えも分かっていたのではなないかということです。
家康の立場では、瀬名の意思だけでなく家臣たちの思いもあり。
秀吉に勝てないと分かっていても屈服することはできなかったのでは?
と思っています。
『おまけ』が本編並の熱さ(笑)。たまたま大地震があって、家康はほんと運があるお人なんだなぁ。
家臣団の若さを感じました😂若いって本当に素晴らしい!私も若い同僚達が大好き!でもでも、古参達の多くの経験や研鑽を積んできたことに耳を傾けることもとても大事なことなのですよ!
このドラマの数正は本当に素晴らしいです😂
若い家臣団達もこのことでまた一つ大きくなるでしょうね!
私も老体に鞭打ってもうひと頑張りします!
今回、改めて本能寺の変から秀吉があっという間に関白豊臣秀吉に出世して天下統一するスピードすごいなぁと驚いてます。衣装や内装の豪華さでその成金ぶりが伝わってきますが、追って沙汰するに質問が!なんとなくしか秀吉の財テクほうがわからないのですが、大阪の商人とか何か秀吉の財政面支えたものや街ずくりのキーパーソンみたいなのがいるのですか?!百姓から成り上がりやっぱり凄い瓢箪の力?!朝廷工作も上手いことやってますが、中々ドラマには出てこないのでその辺りの所よかったら解説が聞きたいです🎵
今回のドラマでは、いろんな説がどれもありそうに描かれていましたね。
数正が「良いな」と聞いて鍋さんが「はい」と答えたのは、殿と三河のために出奔する覚悟をしたけど、その事で周りや後世の人に「裏切り者」と後ろ指指される事になるだろう、それでも良いのだな、と言う二人の覚悟を確認している感じがしました。自分が汚名をきても良いという覚悟は瀬名ちゃんの時みたいと思いました。
きりゅうさんのお話を聞きながら、そうだよねー、数正も苦渋の決断だったんだよねー、と感じているところにサブリミナルのように挟まれる「孤独の数正」。
笑ってしまいました。
石田数正、松重豊さんは個人的なイメージで昔の大河で毛利元就の次男の吉川元春のイメージがありまして、あのときは若さ溢れるイケイケの雰囲気がこの度の石田数正を見て、(あ~老けたなぁ)と😄
あたりまえですが、毛利元就の吉川元春からだいぶ年数たってますもんね😅
数正が将来を見通せていたと仮定したら、欲深い秀吉が自滅した後であれば若い家臣団を率いる家康に勝ち目があると踏んで、その時点で役に立たない自分は捨石として出奔した、みたいな仮説も成り立つのかなーと思って拝見しました。
家康VS秀吉の戦を防ぐ為の出奔で 徳川を守りたいって事だったんじゃ無いかなーって勝手に思ってます。
とうとう数正さん家康さんから出て行ってしまいましたね、どうして、数正さんは、家康さんとこから、出て行ってしまったかな?まさか秀吉さんか、スカウトされた説、家康さんともめるだけもめて、出て行ってしまった説などありますが、あ、どうする家康の、松重さんの、数正さんがみれないのかな?このまま退場かな?私数正さん大好きだったので数正さんロスなりました。家康さんと数正さんの、お別れシーンは、もらい泣きそうなりました。かしまし歴史チャンネルさん、ラットさん今日いなかったから、風邪ですか?お大事にしてくださいまた動画観ますよ
ちょうど今日「英雄たちの選択」で石川数正でした。新しい書状が見つかって、家康も秀吉も、和睦の落とし所を探っていたようで、その鍵となるのが数正、というもの。
「お前がいれば勝てる」という家康を止めるには、こうするしかない…と心を決めた数正の笑顔が悲しいほど切ない回でした(´;ω;`)
孤独の石川数正、最後の交渉
きりゅうさんの考察、私も同感です。
戦の無い世が出来るのかも?
と思ったのかもしれませんね。
今みたいに動画があれば、
大阪こんなになってます!!
って話せるのになぁ〜
って妄想失礼しました。
自分もキリユウさんと同じ考えです。数正は戦を止めたかったと思います。地震は家康を助けた。天に守られてたね😎
野球で言えば、正捕手が移籍したようなものですね。個人的にはスパイ説が好きです(vivantの見すぎ(笑))
『黄金の日日』(1978年)からどっぷり大河ファンの姉が言うには、「少なくとも『どうする家康』では石川数正が私欲で裏切るという解釈は絶対ないはず。だってドラマ本編後の紀行で松重さんがナレーションを担当してはるんやから。家康をただ見切った人物の声がナレーションになるわけないもん」とのこと。それを聞いてなるほどなーと納得したところで今回の動画を拝見し、やはり私も、きりゅうさんの熱と願いと説得力がこもった解釈に一票~っ!て思いました。
(『どうする家康』、前半期で離脱しなくてよかった。かしましのおかげです)
木村多江さん演じる鍋さんの、地味だけど品のある打ち掛けと寧々の金蘭豪華な打ち掛け、無駄なあかりを灯すこともなく質素だが静謐に整った石川家と廊下にまでじゃんじゃん火をたきまくっている無駄に広い秀吉邸、対比がみごとでしたね。
史実は存じませんが、出奔したことで鍋など家族に被害が及ばなかったことにホッとしました。
この時代の奥様たちのその後についても解説、ぜひお願いしたいです!
いつも楽しませていただいてます。ありがとうございます。
説の一つとしてある方針の違いで孤立していた時に、数正が面倒を見ていた小笠原貞慶が謀反したことで責任問題もあり居場所がなくなったために出奔したというのも考えられるかも。
数正は「私の殿は家康だけだ」と念押ししてたからきっと内部から豊臣を崩す何かをしてくれると信じてます〜😢
奥方の鍋さんも寧々さんからもらった櫛を置いて出られたからお金目当ても無いはずと信じたいですね。数正推しです😊
今日も楽しい解説ありがとうございます😁数正さんが出奔した時に妻の鍋さんあっさりと大坂について行ったんですね、何かあると思っていたのですが・・・。
今回の小牧長久手の戦いでも徳川水軍は出てこなかったのでチョット残念です。(番組予算的に無理かな)
く~さんはラットさんがお休みの日は(たしか2回目)饒舌なるようですがいつもこの調子でお願いします😁
きりゅうさんの説が私はしっくりきました。😊あと寧々様から頂いた綺麗な櫛を鍋様は置いて行かれましたね。そばにあった木彫りは家康様から頂いたものでしょうかね?例の兎のと彫りかたが似ていましたけど。
何で朝鮮出兵してしまったんだろう…とのお話がありましたので、
それに関して、少し私個人の思うことを書かせていただきます。
(あくまで、素人の単なる想像、妄想でございます)
秀吉が、のちに朝鮮出兵したのは、常々、信長のもとで彼の野望をそばで聞いていたがゆえ、
その遺志というか、野望を受け継いで世界へ進出してみたいという思いが、
秀吉の心のどこかにずっとあったからかなと私は想像しています。
秀吉は、たとえ関白になって、天下を治める者に成っても、
それはあくまで日本という国での範囲であって、
信長の目指した野望に比べれば、まだまだ自分が為したことは程遠く、
信長が本能寺で亡くなるようなことが起こらず、そのまま日本を統一後、
世界を目指していたら…などという思いが時折よぎっていたのではないかなと想像しています。
それゆえ、いつか、狙える機会があれば…信長の描いていた世界進出、世界征服へと、
己も挑戦したい、そしてそれを実現し、そういう意味で信長を真に越えたいと密かに考えていたのではないかと想像しています。
この作品では、数正がただのお使いしてるだけみたいな風味しか感じなくて難だけど、
この頃の「取り次ぎ」という役の重要性が、数正がどういう立ち位置にあるかが分かってくるんじゃないだろうか。
信玄に家康が直接会おうとしてバカにされた時があったけど、取り次ぎをもう少し深堀りできるとこの時代のお役目に関する理解ができそう。
数正と殿の最後のやり取りに涙して見てました。
私もきりゅうさんの
妄想中〜❤の理由が出奔理由だと思ってます❗️
今回ラットさんがお休みだったので、く〜さんの『x』が、初めて見れました❤
xをやった後のテレテレのく〜さんが可愛かったです😊
今回のきりゅうさんキレイ
石川数正が出奔した理由諸説あるとは知らなかったです・桐生さま説明ありがとうございました。
何時も面白い歴史解説楽しみに拝聴しています。今回のタイトル『裏切り者』は石川数正と徳川家康の二人に掛かっているダブルミーニングの様にも感じました。人は忘れる生き物です。忘れるから生きていける。同じ様な失敗をした家康を正面に見ずに過去を思い出す様にして上手側を見る本多正信の真剣な顔がドラマ最後に印象に残りました。これからも楽しく拝聴します。御三方共夏バテには気を付けて無理せずに楽しんでください。
初めてコメントします♪鎌倉殿の13人の解説ぐらいから楽しく拝見させていただいております♪
おまけのかっこ何故秀吉は朝鮮出兵したか?」の部分について自分なりの推測がありますので書かせていただきます♪信長と秀吉は元々世界戦略で動いていたのではないかと考えています♪ポルトガルやスペインが世界の各地に植民地を持っているという情報を得ていたと考えますので、それらの国に伍するべく日本も世界に打って出ようと考えていたんだと思います♪信長は本能寺の変で死んでしまったのでかないませんでしたが、秀吉が推し進めたと考えます♪
いつも楽しく拝見してます。
すごく些細なことですが、今回のドラマでのキーワード、王道と覇道。
家康がこの言葉を発するときは家康自身も王道を見失ってるな~と感じてしまいます。
裏切り者の回での家康と数正の対峙しているシーンでも、つくづくそう思いました。
これからもどうする家康の中で家康さんは王道と覇道を見誤ってしまう場面がでてくるんでしょうか。
歴史で伝わっていることはわかっていても、家康さんを人として見ていくドラマとして、楽しもう、と思っています。
家康を死なせずに秀吉の下で平和が来るならそれでもいいかもしれないか…なんか分かる気がするな。
家康が秀吉に臣従した後、教正と家康が出会うことはなかったのかな。出会っていたらどんな話をしたのか気になるところです。
いつも楽しく聞いています。私はきりゅうさんの説が好きです~ドラマも同じ説だったらいいな~🤗
ラットちゃんお休みちょっと寂しいです~
ウフフ「孤独の数正」って松重さんのグルメ番組をもじったの?
この後、家康が秀吉に臣従した後で家康と数正は実際に相対することはあったんでしょうか?
普通に考えれば大坂(諸大名の集合時)や小田原の陣・朝鮮の役の名護屋の陣屋などで会う機会はあったように思えるのですが・・・やはりどちらも気まずいので避けていたのでしょうか?🤔
忠臣は陰腹を切り主君を御諫めすると申しますが、それで戦が止められるならば間違いなく石川数正は腹を切っていたでしょう。しかし、それでは戦を止められないと解っていたから、きりゅうサンの言うように、殿のお命を守る為に最後の手段として出奔を選んだのでしょね~。(^o^)/
すみません、質問です。
数正出奔の月日とか、ここで言われている月日というのは旧暦なのでしょうか?
ラットちゃん、シュッポン?
きりゅうさん、いつもながら熱い語りが止まらず、笑ってしまいました(^^;
お鍋さんが、櫛を置いていった祭壇に置いてある木彫の仏像?
なんか意味深?気になる
今日の『英雄たちの選択』で「家康の掃きすてられし古箒(ホウキ 石川数正のこと)」と江戸時代にはかなりけなされた数正であったが
実際には家康も和議に賛成していていたらしい が 家臣たちの反発が強くてしぶしぶ開戦に同意することになったらしい それでいままで交渉に関わっていた数正が逃げ出すわけだが家康はこれを黙認していたらしい 岡崎から尾張までの家族を連れての逃避行 距離は約20キロあったそうだが家康は追手を放たなかった
数正の出奔は優柔不断な家康が招いた事件だったんだな
石川数正「大阪の串カツはうまかったなぁ 赤味噌にも飽きたしそろそろ」
結構石川数正が徳川家のために秀吉のところに行った節があるが、自分は違うと思う。石川数正が徳川を裏切ったところ秀吉が徳川を攻めるのは野心は止まらない、実際地震が起きなかったら戦いがまた勃発してたかもしれない。だから結局石川数正は自分のために裏切ったと思う。
きりゅうさんの喋りの熱さにマジリスペクトです。
らっとさん、茶々がいなくても、一見絢爛豪華な秀吉の世は、秀吉が厳然といるからこぞ、安定しているように見えるが、秀吉という存在がなければ、すぐにでも崩れ得る、という脆いものです。茶々ひとりのせいではありません。
他の大河ドラマで、この後、家康と秀吉が対面したときに、秀吉の陣羽織をもらって、「殿(秀吉)に二度と陣羽織はお着せいたしません❗」って言うシーンを二度ほど見たんてすが、あれって、本当のことだったのですか❓次の日に、大坂城でみんなの前でもう一度、その言葉を言って欲しい、なんていう流れでしたが…。
なかなか家康が大坂城来ないし、人質も差し出さないから『代わりに…』的に数正の独断で出奔したのかもしれませんね…(モタモタしてたら秀吉攻め込んで来るかもしれませんし💦)
徳川の情報も熟知してるし人質の対価に相当すると思って😢
唐入りは戦国の世が終わりに向かい仕事を失いつつあった多くの武士のための公共事業の側面も強いと思います
この仕事を失った武士(浪人)問題は江戸時代の綱吉頃まで尾を引っ張る大問題だったはずですので
確かに天下統一した後で邪魔な武装勢力の後処理は中華帝国見ても「内部粛清」か「外征」しかないですしね。前に「戦国バブル(兵力の)が弾けた後を考えていたのは秀吉と家康だけ」と言う方もいますし。外征しなかった家康は只管内部粛清し続けましたが、それは浪人を増やすことになりましたし。
そう、秀吉は「朝鮮出兵」ではなくて、「唐入り」なんです。当時スペインがフィリピンを占領しており、明を落とそうとしていた。明が落ちると、「元寇」のときのように、中国、朝鮮人の兵を集めて攻めてくる可能性が大きかった。だから、スペインより先に明を落とそうと考えた。朝鮮は単なる通り路でしかない。
秀吉の武力行使で家康を屈服させるとなると、家康の首は勿論、人質の命、家臣団の多くの命が失われる。野戦にしろ、城攻めにしろ岡崎はまず落とされる事になるので「岡崎城城代として」多くの犠牲を出す前にやむを得ず出奔したんだと思います。むしろ諦めの境地だったのでは?と思います。後世に伝わる資料がそこを明確にしてないのが徳川にとって都合の悪い事…だったようにも感じます。
あえて敵側に立つことで、家康を強くするためだった?巨人の星の星一徹を妄想してしまいました。
だもんでと言うのは東海地方の方で合っていますか?
当時は、戦国から続けていた成長経済。成長をとめることは困難。でも、日本の中にもう与える土地はない、ので朝鮮せめて、新しい領土拡大しなければならない。
成長経済を止めて安定経済にした家康は、その点では評価できる。