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この寺子屋の文化が何百年と続いてくれた御かげで、明治の期に日本が埋没しなかったことを思うといかに教育が国の宝であり礎であるとよくわかる
5世代前の爺ちゃんが寺子屋師匠だった。筆小塚も建ててもらえてる。誇りに思う。
コメ主さんも、その血を引き継いでるんですね。ご先祖様も素晴らしいですが、何かの縁があってこのように寺子屋の動画にコメントを残されて、そのコメントを読めて嬉しく思います。
今のように義務教育がない時代なのに、各家庭が自発的に子供の教育を受けさせていた考えてみると、結構すごいことですね
もう40年近く前の話。私は新社会人として老人ホームに勤めました。居ましたよ、「最終学歴=寺子屋」っていう人が!明治になっても小学校が全国つづ浦々にできたのは随分かかったみたいですからね。寺子屋がなくなったのはそんな昔でもありません。
日本の近代的な学校制度は明治5(1872)年の太政官布告[学制]に始まりますが、小学校は53,760校(翌年42,451校に改定)の計画に対し発布後2年で12,558校が設立されたそうです。[数字出典:Wikipedia「学制」]当時の文部省は国民教育制度の全般について定めた学制の実施に当たり着手の順序を初等教育→中等教育→高等教育として最初は小学校の充実に力を注いだようです。(ただし東京大学は維新直後の明治政府の方針に従い明治10(1877)年に東京開成学校と東京医学校を合同して創設されています。)初期の小学校には「寺子屋・私塾等を学区制に基づいて併合して、そのままこれを小学校に再編したもの」が多かったようで、短期間に大量の小学校を設立できた背景に江戸時代の寺子屋・私塾の基盤が寄与したのは間違いないようです。戦前の初等教育体制の大枠が完成したのは明治18(1885)年の第3次教育令の時期で全国の小学校は約30,000校前後で推移しています。[出典:文部科学省「学制百年史」]
すげぇ!!
ド田舎には、小学校は出来なかった・・・また都市部でも、小学校に通えない貧困世帯もいた。
当時の日本は識字率世界一と聞いていましたが、授業風景画などたくさん画かれていて、なるほどと納得しました。
面白過ぎる。これほど勉強になり、好奇心をそそられるチャンネルも珍しい。線香を持たされてる子供、犬と遊んでいる子供も目に入り、資料としてもとても興味深いです。
寺子屋の絵図を観ると何時もホッコリする。寝てる子と犬と遊ぶ子、何か楽しそう地方の農村では、大根二本で入学金OK子供は社会の宝と、どんな家の子供でも平等に教える。しかも個別指導とは、素晴らしい。実学と心学の両方も教えるこれが本当の学問のすすめですね。筆子塚には感動しました😮確固たる倫理観と高い美意識を築いた先人達に感謝ですね。素晴らしい動画有難う御座いますチャンネル登録させて頂きました。
日本人が昔から教育を真剣に考え実施していたのは素晴らしいことですよね。
下級武士や浪人にとっては寺子屋の謝金が非常に大きな収入源だった。だからこそ身分が低くても志を捨てず学問を追究して、ひいては明治維新や文明開化、そして富国強兵の原動力になった。
優劣をつけて序列化することが試験の目的ではなく、自尊心を刺激して学習意欲を高めるというのはいいですね。偏差値教育により停滞してしまった我々が見直すべき態度だと思います。
素晴らしいシステムですね。現代に採り入れたい基本がありますね。
筆子塚のあたりは涙ほろりとした、良い話です。
毎回、色んな興味あるテーマで、解り易い解説を、有難うございます。江戸時代物知りになる、時代劇ファンです。
内容によっては現在の教育システムより進んでいたのが驚き。当時日本の識字率が世界でも高かったのもうなずける。
商人の子は商業高校農民の子は農業高校職人の子は工業高校武士の子は、寺子屋ではなく藩校というエリート教育。
子どもの家庭状況によってかかる費用が異なること。そしてそうであっても他の人たちが決してそれに文句を言わない。日本人の共同精神です。
認可保育園の保育料も、所得によって違うけど・・・
このチャンネルの動画を見る度、明治以降より江戸中期〜後期の方が良さそうに思えてならない。
寺子屋ではなく塾の事ですが、大村益次郎が学んでいた適塾では、入門時の座席は部屋片隅、薄暗い場所が割り当てられ、成績が上がると窓際の明るい場所に移動できたというシステムだったようですね。
日本は明治時代に急速に西洋文化・文明の導入を図ってきたが、それを可能にしたのは寺子屋で学びの心を身につけた庶民が多数存在していたからだと思います。日本は何故欧米諸国の植民地とならなかったのか諸説あるが、既に国民の多くがある程度の文化程度であったことも一因と考えられ、寺子屋の功績はその面でも偉大であったと思います。
聞いた話ですが、日露戦争当時、外国の駐在武官が日本の一般の兵隊(職業軍人ではなく徴兵された下級兵士)まで新聞を読んでいるのを見て、日本の勝利を確信したらしいですね。
@@代表被怒役平社員こんばんは。コメント拝読しました。 外国の駐在武官達が、新聞を読む日本の兵隊さん達を見て驚いたのは理解出来ます。最近は差別に繋がるとして使用されなくなった文盲率でいうと、日本人の文盲率は明治初期の段階で0%に近い状況だったそうですからね。同じような話題として、太平洋戦争の頃、日本海軍の下士官クラス以上の人は海外で英語での会話が出来たと聞きます。日本海軍では英語の習得は必須と考え、教え込んでいたようです。読み書きそろばんは当り前という考え方に加え、将来必要だろうと考えて教えこんでおくという姿勢が日本には昔からあり、その成果ではないでしょうか。このような姿勢は今後とも継承していかなければならないと考えます。
@@terryniwadon631 西洋の将校の軍服についているレニヤード(金モール)はもともとは紐の先に鉛筆がついていたそうです。つまり、字が書けるということが一種のステータスとなっていた証左だと思います。
動画ありがとうございます。昔の人は道理で字が上手いはずだ。なるほど…
そこら辺のアナウンサーより全然発声が良い、かなりの美声ですね。
寺子屋教育に関する動画を2つ見ました。自分の認識とあまりに違う実際の教育制度の感動しました。なぜこのようなレベルの高い教育手法が江戸時代に行われていたか、唯々驚きで、現代の教育制度にこれが活かされていないことが不思議でなりません。これは未来教育にも通じる本来の仕組みに思えてなりません。この最初の動画の方をもう一度見ようとFBを検索しましたが出ませんでした。もしかして削除されたのかと思いました。この2つの動画は皆さんがみて欲しい内容です。今度機会があって上京した折は、唐沢博物館を訪ねてみようと思っています。
良いねえ。タイムスリップした気持ちで、なんだか懐かしく、自然に涙が出ます。
席書って今でいう文化祭みたいですね。屋台まで出てるとか面白い。
目を瞑って聞いてたら自分が親に連れられて入門してる様子がめちゃくちゃ想像できる笑くもんみたいな感じで笑
いつも興味深くて面白い動画をありがとうございます。今回もわかりやすかったですそのうち江戸時代の子供の遊びやおかげ犬とかも取り上げていただけるとうれしいです次回も楽しみにしております
本当こうしてみると、第二次大戦とか歴史的な躓きさえなければ圧倒的な文明国だったんじゃないかと…水も食料も豊富な国とは言え、庶民レベルでここまで文化的な国って他にほとんど無かったんじゃないかな
その躓きもまたそれまでの歩みによる影響が多々あると思うのでそう単純な話ではないと思う。
戦後の日本の教育はアメリカの都合のいいように、日本人がアメリカのいうことを無条件で受け入れるように、変えられてしまった‼️ 💢同時にマスメディアも日本人を、都合のいいように洗脳する機関と化し、財務省(元の大蔵省) に権限を集め、選挙で選ばれていない人間が、自分達の利益を最優先するシステムが作られて現在に至っているようだ‼️昔に戻したいね‼️
とはいっても、産業革命はイギリスに遅れをとった・・・
ほんと、根幹は現代と何も変わらないな。
円周率を計算する和算、鯨尺やカナ尺、オランダ人が、驚いたそうですね。
教師の体罰は軍国教育の影響ですから、寺子屋にはなかったでしょうね江戸時代にも子供らしい学校生活があったのだなと知ると親近感が増しますね教育テキストの多様さにも驚きました
体罰は昭和になってから
とても面白かったです!いつも楽しみに待ってます。
これこそ、本当の教育なんだよな。
現代より高度な教育だとおもう。
それはねぇわ〇〇
いたずらしてる絵と罰受けてる絵面白いなぁ。表情も豊かで漫画みたいに描かれてる。
この寺子屋教育が、のちの日本の近代化の礎を築いたんですよね。
近代化の礎は蘭学の導入に積極的な藩があったから佐賀藩が鉄製の洋式大砲を鋳造するため「1850年」に日本初の実用反射炉完成「1851年」に日本で初めて鉄製大砲を鋳造。遅れること「1853年」のペリー来航により、江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍に、幕府は反射炉の建造を命じる。しかし蘭書の記述のみを頼りに反射炉を建造するのは困難で進まず「1855年」江川英龍は韮山反射炉の竣工を見ることなく病死。跡を継いだ息子の英敏が、蘭学の導入に積極的で反射炉の建造も行っていた佐賀藩に応援を求め技術者の派遣を要請。佐賀藩は技術者 田代孫三郎、杉谷雍助以下11名を派遣。佐賀藩の助力を得て「1857年」に韮山反射炉は完成。江戸湾防備強化の必要性に迫られた幕府は、佐賀藩に鉄製大砲の製造も発注。鉄製大砲は依頼された50門が江戸に送られ、このうち42門が品川台場に配備された。
中国の科挙制度とは違うね・・・
非常に平和で理想的な教育だと思いました。現在の学校は文部科学省の指導要項に支配されているため学校の教員には立場があり真実を学ぶことが困難な科目もありますね。また教育全体の問題として偏差値で優劣をつけているのも問題と感じる。これらは日本の富国強兵の過程のなごりであると指摘されている。また学校は学校のブランドを一番重視しているようにも感じる。そのため一人一人に適切な指導ができていないように思う。また現在のフィンランドの教育と寺子屋では共通点があると感じた。
寺子屋は、今でいう公文式と共通点がある・・・
待ってましたよ〜👍
個別指導する師匠はあらゆる事に通じていたマルチ教育者。専門職とどっちが良いとは言えないが大変だったと思う。
200年も経ってないことなのに日本人は自分達の歴史を知らなさすぎだなぁって思った
江戸時代より明治時代の方が良いと思わせたい明治維新政府が江戸時代は貧しくて暗い時代だったという歪曲した歴史観を受け付けたからではないでしょうか。
爆睡する子供出てきた瞬間笑った笑笑
素晴らしい動画の内容なのに耳障りなBGM がナレーションに割り込み、残念な動画配信が多いといつも思っています。しかし、[江戸見聞録]のBGM はきわめて控えめ…わたくしは好感を持って拝見させて頂いております。これからも素敵な江戸時代の動画配信をお願いいたします❗
同感です!
席書=授業参観ですな。おどろくほど近代の教育システムと共通点がある。明治維新は一夜にして近代化したわけでなく、江戸時代のプレモダンがあったから、近代化できたとわかるね。その辺は西尾幹二の「江戸のダイナミズム」が詳しい
ただ産業革命は、イギリスに遅れてしまった・・・
オープンニングなく、いきなり始まるところが好き🥰 テーマも毎回興味深く、わかりやすいので、ついつい最後まで見てしまう( ^ω^ )
田舎だと寺小屋はたいして儲からないから、暇な隠居や物好きが半分ボランティアでやってたって昔聞いたなあ。読み書きそろばんは大事よね。
田舎は、寺自体も儲からないからね・・・だから住職の副業として、寺子屋をしたのが由来らしい。まあ平日はヒマだし、スペースも空いている。昭和になると、幼稚園を始めた寺・教会も多かった。
フリガナを読んでみるとカタカナと平仮名が入り混じっていたので当時はそれぞれの区別が無かったのか新たな疑問が芽生えました。
高知県香美郡物部村の神主さんの家から江戸時代の寺子屋の教科書が発見されています。尚この教科書は大阪で発行されたものだった。こんな山奥にまで寺子屋があったということは当時の識字率が現代と大して変わらなかったかもしれません。
今の教育システムより優れてるねー
遥かに上
筆子塚は京都に一杯有りましたね 東京にもかつては多く有ったのかもしれませんが空襲で倒壊してしまったのでは無いかと推測します
教育改革のヒントは寺子屋制度にありそうですね。
寺子屋=今でいう公文式が、正規の学校になった感じだね。小学生で、微積分をやってる子もいる・・・
一朱金が作られたのって、江戸時代もかなり末に近い遠山の金さんの時代だけ?授業料は年に5回で一人年間5朱とすると、20人で100朱(6両1分)、多分なんとかつましい生活がギリできる程度なのかな?
寺子屋の教科には問答って言うのがあったようです、落語(こんにゃく問答)で聞く滑稽問答とか塚原問答、安土問答、鈴木問答、沢庵問答、山伏問答と言ったものをやっていたのだろうか?
1800以降数を増やしたって事はそれ以前は稀な存在だったのだろうか?1800年は既に江戸時代後期、それ以前の町民は習学を望んだ場合どうしていたのか
各家庭での手習いや、武家や貴族などの相伝はあったでしょうが、庶民を対象とした学習塾は江戸のばあい徳川吉宗(1722年)の頃に今の足立区の西新井あたりの村の村医者(吉田順庵)が開いていたことが記録にあります。
現代の教育は、大人や国のため。寺子屋の教育は子供のため。んで実学。
江戸では、寺子「屋」というと本来教育という厳粛なものがお店みたいで下品だと言うことで、「手習い師匠」と言い習わしていたようです。
教育大事🥺
これが今の時代必要
この、今と変わらない感
イジメとかの問題にはどう対処したのかな?
起きてないんじゃない。構造的にかなり早い段階で止まるように出来てる。
寺子屋、興味が在りました。授業料はそれ程高くないけど、暖房費、畳費用ーーなどプラスすると、まあまあ高いですね。下級武士~町家のオーナーでないとダメですね。授業内容はとても体系的には出来ませんが、江戸時代に15000-30000 もあったのは立派です。但し江戸の末期には欧州ではドイツ、イギリスにすでに大学があったので日本は遅れてますね。
国外に敵がいる国々と島国で外敵が脅威でない国とじゃ同じ時期でも評価は違うんじゃ?
場合によっちゃ、寺子屋システムに帰っても良いのかも知れない
無学年制なので、飛び級・落第という概念すらない。
庶民向けが寺小屋、武士向けが藩校やな。寺小屋で学び足りないのがよりハイレベルな学びを求めて藩校などに移るのはザラ
9:45 でも絵巻の子ボコボコにされてませんか?😅
今こそ引退老人が自宅で寺子屋をすべきだと思う。老後の生きがいになるし塾へ行けぬ子供の為にもなる。
やってて良かった公文式老人というより、主婦のパートって感じだね。爺さんだと、今どきの子は集まらない。
今でいう公文式が、小学校になった感じだね・・・そもそも無学年制なので、落ちこぼれ・浮きこぼれとも存在しない。ていうか落第・飛び級という、概念すらありません。映像授業・学習アプリを使えば、今の学校も寺子屋に変えられる。
寺子屋もまるで習字だよなあ
寺小屋って論語の素読をやってるのかと思ってた
小浚の説明の所でも罰喰らってる子が居て草
学問成就の暁、さて何をすんでしょね。 羅山一派にはいってさらに高みを目指すか。モモヒキさむらいになって農業改良指導員をするか。その点、中華の帝国と違って我が国には道が少なかったと言われてます。
え、鞭ないの「笑」
ええでよ。
この寺子屋の文化が何百年と続いてくれた御かげで、明治の期に日本が埋没しなかったことを思うといかに教育が国の宝であり礎であるとよくわかる
5世代前の爺ちゃんが寺子屋師匠だった。筆小塚も建ててもらえてる。誇りに思う。
コメ主さんも、その血を引き継いでるんですね。ご先祖様も素晴らしいですが、何かの縁があってこのように寺子屋の動画にコメントを残されて、そのコメントを読めて嬉しく思います。
今のように義務教育がない時代なのに、各家庭が自発的に子供の教育を受けさせていた
考えてみると、結構すごいことですね
もう40年近く前の話。私は新社会人として老人ホームに勤めました。
居ましたよ、「最終学歴=寺子屋」っていう人が!
明治になっても小学校が全国つづ浦々にできたのは随分かかったみたいですからね。寺子屋がなくなったのはそんな昔でもありません。
日本の近代的な学校制度は明治5(1872)年の太政官布告[学制]に始まりますが、
小学校は53,760校(翌年42,451校に改定)の計画に対し発布後2年で12,558校が
設立されたそうです。[数字出典:Wikipedia「学制」]
当時の文部省は国民教育制度の全般について定めた学制の実施に当たり着手の順序を
初等教育→中等教育→高等教育として最初は小学校の充実に力を注いだようです。
(ただし東京大学は維新直後の明治政府の方針に従い明治10(1877)年に東京開成学校と
東京医学校を合同して創設されています。)
初期の小学校には「寺子屋・私塾等を学区制に基づいて併合して、そのままこれを
小学校に再編したもの」が多かったようで、短期間に大量の小学校を設立できた
背景に江戸時代の寺子屋・私塾の基盤が寄与したのは間違いないようです。
戦前の初等教育体制の大枠が完成したのは明治18(1885)年の第3次教育令の時期で
全国の小学校は約30,000校前後で推移しています。[出典:文部科学省「学制百年史」]
すげぇ!!
ド田舎には、小学校は出来なかった・・・
また都市部でも、小学校に通えない貧困世帯もいた。
当時の日本は識字率世界一と聞いていましたが、授業風景画などたくさん画かれていて、なるほどと納得しました。
面白過ぎる。これほど勉強になり、好奇心をそそられるチャンネルも珍しい。線香を持たされてる子供、犬と遊んでいる子供も目に入り、資料としてもとても興味深いです。
寺子屋の絵図を観ると
何時もホッコリする。
寝てる子と犬と遊ぶ子、何か楽しそう
地方の農村では、大根二本で入学金OK
子供は社会の宝と、どんな家の子供でも平等に教える。
しかも個別指導とは、素晴らしい。
実学と心学の両方も教える
これが本当の学問のすすめですね。
筆子塚には感動しました😮
確固たる倫理観と高い美意識を築いた
先人達に感謝ですね。
素晴らしい動画
有難う御座います
チャンネル登録させて頂きました。
日本人が昔から教育を真剣に考え実施していたのは素晴らしいことですよね。
下級武士や浪人にとっては寺子屋の謝金が非常に大きな収入源だった。
だからこそ身分が低くても志を捨てず学問を追究して、ひいては明治維新や文明開化、そして富国強兵の原動力になった。
優劣をつけて序列化することが試験の目的ではなく、自尊心を刺激して学習意欲を高めるというのはいいですね。偏差値教育により停滞してしまった我々が見直すべき態度だと思います。
素晴らしいシステムですね。現代に採り入れたい基本がありますね。
筆子塚のあたりは涙ほろりとした、良い話です。
毎回、色んな興味あるテーマで、解り易い解説を、有難うございます。江戸時代物知りになる、時代劇ファンです。
内容によっては現在の教育システムより進んでいたのが驚き。
当時日本の識字率が世界でも高かったのもうなずける。
商人の子は商業高校
農民の子は農業高校
職人の子は工業高校
武士の子は、寺子屋ではなく藩校というエリート教育。
子どもの家庭状況によってかかる費用が異なること。そしてそうであっても他の人たちが決してそれに文句を言わない。日本人の共同精神です。
認可保育園の保育料も、所得によって違うけど・・・
このチャンネルの動画を見る度、明治以降より江戸中期〜後期の方が良さそうに思えてならない。
寺子屋ではなく塾の事ですが、大村益次郎が学んでいた適塾では、入門時の座席は部屋片隅、薄暗い場所が割り当てられ、成績が上がると窓際の明るい場所に移動できたというシステムだったようですね。
日本は明治時代に急速に西洋文化・文明の導入を図ってきたが、それを可能にしたのは寺子屋で
学びの心を身につけた庶民が多数存在していたからだと思います。
日本は何故欧米諸国の植民地とならなかったのか諸説あるが、既に国民の多くがある程度の文化
程度であったことも一因と考えられ、寺子屋の功績はその面でも偉大であったと思います。
聞いた話ですが、日露戦争当時、外国の駐在武官が日本の一般の兵隊(職業軍人ではなく徴兵された下級兵士)まで新聞を読んでいるのを見て、日本の勝利を確信したらしいですね。
@@代表被怒役平社員こんばんは。コメント拝読しました。
外国の駐在武官達が、新聞を読む日本の兵隊さん達を見て驚いたのは理解出来ます。最近は差別に繋がるとして使用されなくなった文盲率でいうと、日本人の文盲率は明治初期の段階で0%に近い状況だったそうですからね。
同じような話題として、太平洋戦争の頃、日本海軍の下士官クラス以上の人は海外で英語での会話が出来たと聞きます。
日本海軍では英語の習得は必須と考え、教え込んでいたようです。
読み書きそろばんは当り前という考え方に加え、将来必要だろうと考えて教えこんでおくという姿勢が日本には昔からあり、その成果ではないでしょうか。このような姿勢は今後とも継承していかなければならないと考えます。
@@terryniwadon631 西洋の将校の軍服についているレニヤード(金モール)はもともとは紐の先に鉛筆がついていたそうです。つまり、字が書けるということが一種のステータスとなっていた証左だと思います。
動画ありがとうございます。
昔の人は道理で字が上手いはずだ。なるほど…
そこら辺のアナウンサーより全然発声が良い、かなりの美声ですね。
寺子屋教育に関する動画を2つ見ました。自分の認識とあまりに違う実際の教育制度の感動しました。なぜこのようなレベルの高い教育手法が江戸時代に行われていたか、唯々驚きで、現代の教育制度にこれが活かされていないことが不思議でなりません。これは未来教育にも通じる本来の仕組みに思えてなりません。この最初の動画の方をもう一度見ようとFBを検索しましたが出ませんでした。もしかして削除されたのかと思いました。この2つの動画は皆さんがみて欲しい内容です。今度機会があって上京した折は、唐沢博物館を訪ねてみようと思っています。
良いねえ。タイムスリップした気持ちで、なんだか懐かしく、自然に涙が出ます。
席書って今でいう文化祭みたいですね。屋台まで出てるとか面白い。
目を瞑って聞いてたら
自分が親に連れられて入門してる様子がめちゃくちゃ想像できる笑
くもんみたいな感じで笑
いつも興味深くて面白い動画をありがとうございます。今回もわかりやすかったです
そのうち江戸時代の子供の遊びやおかげ犬とかも取り上げていただけるとうれしいです
次回も楽しみにしております
本当こうしてみると、第二次大戦とか歴史的な躓きさえなければ圧倒的な文明国だったんじゃないかと…
水も食料も豊富な国とは言え、庶民レベルでここまで文化的な国って他にほとんど無かったんじゃないかな
その躓きもまたそれまでの歩みによる影響が多々あると思うのでそう単純な話ではないと思う。
戦後の日本の教育はアメリカの都合のいいように、日本人がアメリカのいうことを無条件で受け入れるように、変えられてしまった‼️ 💢同時にマスメディアも日本人を、都合のいいように洗脳する機関と化し、財務省(元の大蔵省) に権限を集め、選挙で選ばれていない人間が、自分達の利益を最優先するシステムが作られて現在に至っているようだ‼️昔に戻したいね‼️
とはいっても、産業革命はイギリスに遅れをとった・・・
ほんと、根幹は現代と何も変わらないな。
円周率を計算する和算、鯨尺やカナ尺、オランダ人が、驚いたそうですね。
教師の体罰は軍国教育の影響ですから、寺子屋にはなかったでしょうね
江戸時代にも子供らしい学校生活があったのだなと知ると親近感が増しますね
教育テキストの多様さにも驚きました
体罰は昭和になってから
とても面白かったです!いつも楽しみに待ってます。
これこそ、本当の教育なんだよな。
現代より高度な教育だとおもう。
それはねぇわ〇〇
いたずらしてる絵と罰受けてる絵面白いなぁ。
表情も豊かで漫画みたいに描かれてる。
この寺子屋教育が、のちの日本の近代化の礎を築いたんですよね。
近代化の礎は蘭学の導入に積極的な藩があったから
佐賀藩が鉄製の洋式大砲を鋳造するため「1850年」に日本初の実用反射炉完成「1851年」に日本で初めて鉄製大砲を鋳造。
遅れること「1853年」のペリー来航により、江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍に、幕府は反射炉の建造を命じる。
しかし蘭書の記述のみを頼りに反射炉を建造するのは困難で進まず「1855年」江川英龍は韮山反射炉の竣工を見ることなく病死。
跡を継いだ息子の英敏が、蘭学の導入に積極的で反射炉の建造も行っていた佐賀藩に応援を求め技術者の派遣を要請。
佐賀藩は技術者 田代孫三郎、杉谷雍助以下11名を派遣。
佐賀藩の助力を得て「1857年」に韮山反射炉は完成。
江戸湾防備強化の必要性に迫られた幕府は、佐賀藩に鉄製大砲の製造も発注。
鉄製大砲は依頼された50門が江戸に送られ、このうち42門が品川台場に配備された。
中国の科挙制度とは違うね・・・
非常に平和で理想的な教育だと思いました。現在の学校は文部科学省の指導要項に支配されているため学校の教員には立場があり真実を学ぶことが困難な科目もありますね。また教育全体の問題として偏差値で優劣をつけているのも問題と感じる。これらは日本の富国強兵の過程のなごりであると指摘されている。また学校は学校のブランドを一番重視しているようにも感じる。そのため一人一人に適切な指導ができていないように思う。また現在のフィンランドの教育と寺子屋では共通点があると感じた。
寺子屋は、今でいう公文式と共通点がある・・・
待ってましたよ〜👍
個別指導する師匠はあらゆる事に通じていたマルチ教育者。専門職とどっちが良いとは言えないが大変だったと思う。
200年も経ってないことなのに日本人は自分達の歴史を知らなさすぎだなぁって思った
江戸時代より明治時代の方が良いと思わせたい明治維新政府が江戸時代は貧しくて暗い時代だったという歪曲した歴史観を受け付けたからではないでしょうか。
爆睡する子供出てきた瞬間笑った笑笑
素晴らしい動画の内容なのに耳障りなBGM がナレーションに割り込み、残念な動画配信が多いといつも思っています。しかし、[江戸見聞録]のBGM はきわめて控えめ…わたくしは好感を持って拝見させて頂いております。これからも素敵な江戸時代の動画配信をお願いいたします❗
同感です!
席書=授業参観ですな。おどろくほど近代の教育システムと共通点がある。明治維新は一夜にして近代化したわけでなく、江戸時代のプレモダンがあったから、近代化できたとわかるね。その辺は西尾幹二の「江戸のダイナミズム」が詳しい
ただ産業革命は、イギリスに遅れてしまった・・・
オープンニングなく、いきなり始まるところが好き🥰 テーマも毎回興味深く、わかりやすいので、ついつい最後まで見てしまう( ^ω^ )
田舎だと寺小屋はたいして儲からないから、暇な隠居や物好きが半分ボランティアでやってたって昔聞いたなあ。読み書きそろばんは大事よね。
田舎は、寺自体も儲からないからね・・・
だから住職の副業として、寺子屋をしたのが由来らしい。
まあ平日はヒマだし、スペースも空いている。
昭和になると、幼稚園を始めた寺・教会も多かった。
フリガナを読んでみるとカタカナと平仮名が入り混じっていたので
当時はそれぞれの区別が無かったのか新たな疑問が芽生えました。
高知県香美郡物部村の神主さんの家から江戸時代の寺子屋の教科書が発見されています。尚この教科書は大阪で発行されたものだった。
こんな山奥にまで寺子屋があったということは当時の識字率が現代と大して変わらなかったかもしれません。
今の教育システムより優れてるねー
遥かに上
筆子塚は京都に一杯有りましたね 東京にもかつては多く有ったのかもしれませんが空襲で倒壊してしまったのでは無いかと推測します
教育改革のヒントは寺子屋制度にありそうですね。
寺子屋=今でいう公文式が、正規の学校になった感じだね。
小学生で、微積分をやってる子もいる・・・
一朱金が作られたのって、江戸時代もかなり末に近い遠山の金さんの時代だけ?授業料は年に5回で一人年間5朱とすると、20人で100朱(6両1分)、多分なんとかつましい生活がギリできる程度なのかな?
寺子屋の教科には問答って言うのがあったようです、落語(こんにゃく問答)で聞く滑稽問答とか塚原問答、安土問答、鈴木問答、沢庵問答、山伏問答と言ったものをやっていたのだろうか?
1800以降数を増やしたって事はそれ以前は稀な存在だったのだろうか?1800年は既に江戸時代後期、それ以前の町民は習学を望んだ場合どうしていたのか
各家庭での手習いや、武家や貴族などの相伝はあったでしょうが、庶民を対象とした学習塾は江戸のばあい徳川吉宗(1722年)の頃に今の足立区の西新井あたりの村の村医者(吉田順庵)が開いていたことが記録にあります。
現代の教育は、大人や国のため。寺子屋の教育は子供のため。んで実学。
江戸では、寺子「屋」というと本来教育という厳粛なものがお店みたいで下品だと言うことで、「手習い師匠」と言い習わしていたようです。
教育大事🥺
これが今の時代必要
この、今と変わらない感
イジメとかの問題にはどう対処したのかな?
起きてないんじゃない。構造的にかなり早い段階で止まるように出来てる。
寺子屋、興味が在りました。授業料はそれ程高くないけど、暖房費、畳費用ーーなどプラスすると、まあまあ高いですね。下級武士~町家のオーナーでないとダメですね。授業内容はとても体系的には出来ませんが、江戸時代に15000-30000 もあったのは立派です。但し江戸の末期には欧州ではドイツ、イギリスにすでに大学があったので日本は遅れてますね。
国外に敵がいる国々と島国で外敵が脅威でない国とじゃ同じ時期でも評価は違うんじゃ?
場合によっちゃ、寺子屋システムに帰っても良いのかも知れない
無学年制なので、飛び級・落第という概念すらない。
庶民向けが寺小屋、武士向けが藩校やな。寺小屋で学び足りないのがよりハイレベルな学びを求めて藩校などに移るのはザラ
9:45 でも絵巻の子ボコボコにされてませんか?😅
今こそ引退老人が自宅で寺子屋をすべきだと思う。
老後の生きがいになるし塾へ行けぬ子供の為にもなる。
やってて良かった公文式
老人というより、主婦のパートって感じだね。
爺さんだと、今どきの子は集まらない。
今でいう公文式が、小学校になった感じだね・・・
そもそも無学年制なので、落ちこぼれ・浮きこぼれとも存在しない。
ていうか落第・飛び級という、概念すらありません。
映像授業・学習アプリを使えば、今の学校も寺子屋に変えられる。
寺子屋もまるで習字だよなあ
寺小屋って論語の素読をやってるのかと思ってた
小浚の説明の所でも罰喰らってる子が居て草
学問成就の暁、さて何をすんでしょね。
羅山一派にはいってさらに高みを目指すか。モモヒキさむらいになって農業改良指導員をするか。その点、中華の帝国と違って我が国には道が少なかったと言われてます。
え、鞭ないの「笑」
ええでよ。