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大変勉強になりました
Awesome ❤
クナトの大神、大国主、富家と伝わるのか?ありがとうございます
アイヌ民族は奈良時代あたりに大陸から北海道に渡ってきた史実があります。それ以前から縄文人つまり日本人が暮らしていました。
クナト王はシヴァだったのか
NTTが光のオーラ研究をしてるので、太陽の光さえなんか妙だ お日様が見守ってくれるのはありがたいのだが!スマホのレンズ等の集合研究も妙だ(半導体)
丁寧な動画をありがとうございます♪まとめ方がとてもスッキリ美しいです。❣️八耳王は初代大国主ではなく、初代大名持では⁈八千矛王のことを大国主と称したと理解していますが、違うでしょうか⁈
この場を借りて少し動画の補足させて頂きます🙇♂️『大国主』として最もよく知られるのが『八千矛王』であったという事が出雲の伝承で伝わっています。水戸黄門で最も有名だったのが徳川光圀であったという感覚でしょうか。出雲王国の王は『大名持』の称号を冠していましたが、出雲王=大国主という解釈でこれらを総じて大国主と呼ばれていたようです。
@@qpjvision 様、出雲の伝承についてほんの少しだけ補足をさせてください。大国主とは総じて出雲の国王の事をそのように呼んだようですし、ホツマツタヱにも何人もの大国主が登場するようですが、大元出版のー伝承の日本史ーの本は出雲東王家富家に伝わる口伝を本にまとめられており、それによると、どうやら、大名持とは、出雲王国の主王の役職名で、大国主とは、第8代出雲王国主王大名持の西王家郷戸家神門臣家のヤチホコ王の個人名のことであったようで、歴代の主王大名持や、8代目主王八千矛王大国主とその副王少名彦八重波津身事代主は二人の総称として「大己貴」とも呼ばれているようですね。この大己貴も、ヤチホコ王大国主のことを後に『記紀』のなかで名付けられた別称であったようです。
@@qpjvision さま丁寧にお返事、ありがとうございます。正史によって、大国主=出雲王になったのでしょうね。出雲口伝を読みますと、大国主とは八千矛王個人の名のようです。「第◯代大国主」とは言わず、「第◯代大名持・第◯代主王」が出雲王国での呼び名のようです。出雲口伝から見ますと、正史は事代主の所業も大国主のこととして描かれていますし、一般的に出雲を語るときは、大国主の名で記されています。それは、あえて出雲王国の内情をはっきり書きたくなかったという意志が感じられますが、(書けない事情があって、オブラートに包んだのですね)それと同時に、正史には大国主の名がいくつも記され、大己貴→大名持(主王の役職名)八千矛→大国主の本名大物主→東王家の事代主系など、名前を残すことにより、知っている人が読めば、暗号が分かるようになっています。古事記には17代の出雲王の系図がしっかり記入されていますし、消したいのではなく、残したかったのだろうと思います。
お疲れ3です〜。この動画を見て ンッて思ったんだけど、クナトの王ってモーゼじゃないかなァ⁇ それか何代か後のモーゼの子孫とかさぁ⁇ 四国の剣山にアークを持ってきたのはモーゼだろうし、徐福では無い100%徐福の系統じゃ無いと思うのよ。石川県にはモーゼの墓も有るし、モーゼは鬼と間違われたって話も有るし。口伝だと出雲族を鬼扱いしてるしね。あくまでも俺の妄想ですがー😅
…男性?…母系社会だから女性?次回が早く見たいです!
天照大御神は立派な男王です。 天照大御神には皇后の瀬織津姫をはじめ13人の皇妃がいらっしゃいました。 そして、忍穂耳命をはじめ多数の皇子、皇女があり、天孫降臨された邇邇芸命はお孫さんです。 魏志倭人伝の邪馬台国はヤマト国と発音して、現在の奈良県を指しています。 魏志倭人伝の時代に奈良県には大和政権があり、第10代崇神天皇を中心として政治及び祭祀が行われていました。 以来、都が京都に遷都されるまでの間歴代天皇が奈良県にいらっしゃいました。 従って、邪馬台国はヤマト国即ち奈良県にほかなりません。
ここで言うアイヌ人とは、鎌倉時代から江戸時代にかけて内地から北海道に入植したアイヌと称している人達とは血統の異なるシベリアから古代に渡ってきた古代アイヌ人のことですね。
南インドから出雲族の日本移住。そんな昔に、アイヌ人がいたのですか。
あくまでも古文書によるものだと考えています。素戔嗚尊は古文書編纂の際に、いくつかの口伝で出てきた伝承を一人のキャラクターにまとめてしまったと考えます。そのため、神であるはずなのに子供じみた事をして暴れ、時には人助けを買って出て、時には嫌がらせ的な事もします。僕は素戔嗚尊と云う記紀上の登場人物が絡んだ事象は、基本的に天災だったと考えます。八岐大蛇は河川の氾濫、高天原で暴れた事は台風、岩戸隠れは日食の現象と火山噴火と説明がつきます。また素戔嗚尊は強い武神と云う側面も持ち合わせます。大和王権成立に尽力した人物が王権形成の有力国に存在したのではないかと考えます。
アイヌ人は縄文時代にはいてない
内は川の意味山内丸山遺跡のころはアイヌ人はまだいない
非常に参考になりました。ただ、アイヌ人は先住民族ではないと思います。それこそ日本本土に土着したドラビィダ族の子孫とシベリア方面から南下した民族と後に混血したのがアイヌ人では無いですか。
それを言うなら、天皇だとか出雲族などの渡来人の支配層は先住民ではないよ。縄文系だけになる。
アイヌはおよそ9~13世紀ごろに文化が成立したと言われているようなのでアイヌと混血したというのは時代が合わない気がするのですが・・どうなんでしょうか
アイヌが先住民?やめてください
ここで出している『アイヌ人』と呼ばれてる人の解釈が曖昧です…
出雲国風土記に天照大神は登場しません
スサノオが徐福、徐福が神武天皇ですか?
天照皇大神が日本神道の最高神だなんて誰が言っているんですか?
天照大御神は天皇の祖先で、天照大御神の孫のひ孫が神武天皇と言う事です。天照大御神は卑弥呼と言う説があります。。
@@どうく-p8u そんなことは、誰でも知っている事です。真偽のほどは解りませんが!!
@@富士三太郎-t2w 卑弥呼の孫のひ孫が神武天皇と言う事は正しい事だと思います。と言うのは、卑弥呼の死後孫の台与が九州から畿内に東遷して崇神天皇になり、崇神天皇のひ孫は成務天皇で、成務天皇は武内宿禰と同一人物で、武内宿禰は神武天皇と言う説がありますから結局卑弥呼の孫台与が崇神天皇でそのひ孫が神武天皇武内宿禰と言う事になります。
@@どうく-p8u 卑弥呼に子供が居たなんて聞いた事がありませんが、孫は居るんですね?それは、どの卑弥呼の事ですか?魏志倭人伝に書かれている倭国の女王である卑弥呼の事ですか? ではその子供は何処から出て来た誰の事ですか?
@@富士三太郎-t2w 邪馬台国の女王卑弥呼の事で、台与は実際は姪だと思われます。
大変勉強になりました
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クナトの大神、大国主、富家と伝わるのか?ありがとうございます
アイヌ民族は奈良時代あたりに大陸から北海道に渡ってきた史実があります。それ以前から縄文人つまり日本人が暮らしていました。
クナト王はシヴァだったのか
NTTが光のオーラ研究をしてるので、太陽の光さえなんか妙だ
お日様が見守ってくれるのはありがたいのだが!
スマホのレンズ等の集合研究も妙だ(半導体)
丁寧な動画を
ありがとうございます♪
まとめ方がとてもスッキリ
美しいです。❣️
八耳王は
初代大国主ではなく、
初代大名持では⁈
八千矛王のことを
大国主と称したと
理解していますが、
違うでしょうか⁈
この場を借りて少し動画の補足させて頂きます🙇♂️
『大国主』として最もよく知られるのが『八千矛王』であったという事が出雲の伝承で伝わっています。
水戸黄門で最も有名だったのが徳川光圀であったという感覚でしょうか。
出雲王国の王は『大名持』の称号を冠していましたが、出雲王=大国主という解釈でこれらを総じて大国主と呼ばれていたようです。
@@qpjvision 様、
出雲の伝承についてほんの少しだけ補足をさせてください。
大国主とは総じて出雲の国王の事をそのように呼んだようですし、ホツマツタヱにも何人もの大国主が登場するようですが、
大元出版のー伝承の日本史ーの本は出雲東王家富家に伝わる口伝を本にまとめられており、
それによると、どうやら、大名持とは、出雲王国の主王の役職名で、大国主とは、第8代出雲王国主王大名持の西王家郷戸家神門臣家の
ヤチホコ王の個人名のことであったようで、
歴代の主王大名持や、8代目主王八千矛王大国主とその副王少名彦八重波津身事代主は二人の総称として「大己貴」とも呼ばれているようですね。
この大己貴も、ヤチホコ王大国主のことを後に『記紀』のなかで名付けられた別称であったようです。
@@qpjvision さま
丁寧にお返事、
ありがとうございます。
正史によって、
大国主=出雲王に
なったのでしょうね。
出雲口伝を読みますと、
大国主とは
八千矛王個人の名のようです。
「第◯代大国主」とは言わず、
「第◯代大名持・第◯代主王」
が出雲王国での呼び名のようです。
出雲口伝から見ますと、
正史は事代主の所業も
大国主のこととして
描かれていますし、
一般的に出雲を語るときは、
大国主の名で記されています。
それは、あえて
出雲王国の内情を
はっきり書きたくなかった
という意志が感じられますが、
(書けない事情があって、
オブラートに包んだのですね)
それと同時に、
正史には大国主の名が
いくつも記され、
大己貴→大名持(主王の役職名)
八千矛→大国主の本名
大物主→東王家の事代主系
など、名前を残すことにより、
知っている人が読めば、
暗号が分かるようになっています。
古事記には
17代の出雲王の系図が
しっかり記入されていますし、
消したいのではなく、
残したかったのだろうと思います。
お疲れ3です〜。この動画を見て ンッて思ったんだけど、クナトの王ってモーゼじゃないかなァ⁇ それか何代か後のモーゼの子孫とかさぁ⁇ 四国の剣山にアークを持ってきたのはモーゼだろうし、徐福では無い100%徐福の系統じゃ無いと思うのよ。石川県にはモーゼの墓も有るし、モーゼは鬼と間違われたって話も有るし。口伝だと出雲族を鬼扱いしてるしね。あくまでも俺の妄想ですがー😅
…男性?
…母系社会だから女性?
次回が早く見たいです!
天照大御神は立派な男王です。
天照大御神には皇后の瀬織津姫をはじめ13人の皇妃がいらっしゃいました。
そして、忍穂耳命をはじめ多数の皇子、皇女があり、天孫降臨された邇邇芸命はお孫さんです。
魏志倭人伝の邪馬台国はヤマト国と発音して、現在の奈良県を指しています。
魏志倭人伝の時代に奈良県には大和政権があり、第10代崇神天皇を中心として政治及び祭祀が行われていました。
以来、都が京都に遷都されるまでの間歴代天皇が奈良県にいらっしゃいました。
従って、邪馬台国はヤマト国即ち奈良県にほかなりません。
ここで言うアイヌ人とは、鎌倉時代から江戸時代にかけて内地から北海道に入植したアイヌと称している人達とは血統の異なるシベリアから古代に渡ってきた古代アイヌ人のことですね。
南インドから出雲族の日本移住。そんな昔に、アイヌ人がいたのですか。
あくまでも古文書によるものだと考えています。素戔嗚尊は古文書編纂の際に、いくつかの口伝で出てきた伝承を一人のキャラクターにまとめてしまったと考えます。そのため、神であるはずなのに子供じみた事をして暴れ、時には人助けを買って出て、時には嫌がらせ的な事もします。
僕は素戔嗚尊と云う記紀上の登場人物が絡んだ事象は、基本的に天災だったと考えます。八岐大蛇は河川の氾濫、高天原で暴れた事は台風、岩戸隠れは日食の現象と火山噴火と説明がつきます。
また素戔嗚尊は強い武神と云う側面も持ち合わせます。大和王権成立に尽力した人物が王権形成の有力国に存在したのではないかと考えます。
アイヌ人は縄文時代にはいてない
内は川の意味
山内丸山遺跡のころはアイヌ人はまだいない
非常に参考になりました。ただ、アイヌ人は先住民族ではないと思います。それこそ日本本土に土着したドラビィダ族の子孫とシベリア方面から南下した民族と後に混血したのがアイヌ人では無いですか。
それを言うなら、天皇だとか出雲族などの渡来人の支配層は先住民ではないよ。縄文系だけになる。
アイヌはおよそ9~13世紀ごろに文化が成立したと言われているようなので
アイヌと混血したというのは時代が合わない気がするのですが・・どうなんでしょうか
アイヌが先住民?やめてください
ここで出している『アイヌ人』と呼ばれてる人の解釈が曖昧です…
出雲国風土記に天照大神は登場しません
スサノオが徐福、徐福が神武天皇ですか?
天照皇大神が日本神道の最高神だなんて誰が言っているんですか?
天照大御神は天皇の祖先で、天照大御神の孫のひ孫が神武天皇と言う事です。天照大御神は卑弥呼と言う説があります。。
@@どうく-p8u そんなことは、誰でも知っている事です。
真偽のほどは解りませんが!!
@@富士三太郎-t2w 卑弥呼の孫のひ孫が神武天皇と言う事は正しい事だと思います。と言うのは、卑弥呼の死後孫の台与が九州から畿内に東遷して崇神天皇になり、崇神天皇のひ孫は成務天皇で、成務天皇は武内宿禰と同一人物で、武内宿禰は神武天皇と言う説がありますから結局卑弥呼の孫台与が崇神天皇でそのひ孫が神武天皇武内宿禰と言う事になります。
@@どうく-p8u 卑弥呼に子供が居たなんて聞いた事がありませんが、孫は居るんですね?
それは、どの卑弥呼の事ですか?
魏志倭人伝に書かれている倭国の女王である卑弥呼の事ですか? ではその子供は何処から出て来た誰の事ですか?
@@富士三太郎-t2w 邪馬台国の女王卑弥呼の事で、台与は実際は姪だと思われます。