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【訂正】◆公暁(こうぎょう/くぎょう)⇨最新学説で「こうぎょう」読みが唱えられています。理由は公暁の師匠筋がみな「公=こう」読みだからです。「くぎょう」が間違いの可能性があります。◆配流(はいる/はいりゅう)⇨「はいる」のほうが適切かもしれませんが、意味は通じるのでそのままにしました。広辞苑を参照しています。◆建久10年(頼朝の死亡年)⇨ホワイトボードの誤字です。正しくは1199。
7@_gg😇😿⏳☹️☹️☹️☹️🚛
かたなにけなかあ🎉かいに2なくわけか、
江戸時代にも、「神君家康公が主家今川を裏切った」ってのは都合悪いので「いや、今川はとんでもない暗君だったから」と言うイメージ操作されましたし(そのイメージがつい最近まで影響してますね)、同じく「神君家康公が主家豊臣家を裏切って滅ぼした」ってのは都合悪いので「いや、淀殿がとんでもない悪女で、息子の秀頼も何の決断も出来ないバカだったから」というイメージ操作されましたし…吾妻鏡で北条にとって都合悪いから「頼家は暗君」イメージ操作は当然あったでしょうね
昭和の歴史漫画や教育アニメビデオとかだと線引きの件とかで確実に「暗君」扱いされてた頼家を「吾妻鏡バイアス」を取り除いたうえで「当時の文化や価値観事情」も照らし合わせて「果たして暗君と言えるのか?」様々な切り口で考察されているのが見応えがあって良かったですね。それでもダメだろうと思える部分やうまく立ち回れなかった面も含めて、それらのツケが比企家や公暁にも回ってくるのかもしれませんし、鎌倉殿本編の進展と共にとても気になります…。
坂東武者達はかなり扱いづらい御家人だっただろうし、若年で頭領に据えられてしまったのが原因かなと、乳母の比企にも、蹴鞠相手の北条時房も結果的に坂東の権力者争いの中心なわけでは、、家人にもタイミングにも見放された悲しい後継ぎかと個人的には思います、、
動画楽しく見ています。以前、富士宮市の人穴浅間神社に行った時、動画で出てきたような洞窟の伝説を読んだような気がします。洞窟は立ち入り禁止で入れなかったんですが…入口狭くてよくこんなところに入ったなぁ〜昔の人すごいと思いました😅
郷ひろみの頼家は、北条との軋轢で狂おしくなってく過程がじつによかったですよねぇ。郷ひろみさんにあまり演技派のイメージが無かったので新鮮でした。
頼家は足利義詮とか徳川秀忠とちがって創業の戦いに参加できていない二代目なので舐めれがちだったり、御家人からの支持基盤も弱かったのかなとかおもったりします
いつも面白い動画ありがとうございます。
今回の大河だと聡明そうな感じがしたから、北条と比企の勢力争いに嫌気がさして頼家自ら動こうとしたのを目障りに思われて暗殺、なんて展開を予想。
全くの暗愚より、中途半端に才気があって味方の実力者と喰い合うのが一番困る
織田信孝みたいな存在ですね。
武田勝頼に立場近いかもなあ
@@netdm21 勝頼は信玄の負の遺産が多すぎて不憫ですね。
秀頼然り、暗君扱いされやすい人物をわざわざ美男子選ぶのはもはや三谷幸喜の性癖だろ。
三谷さんは頼家の配役として 軟弱でなくキリッとしたイケメンの金子大地さんにして、政治も教養も素質のある優秀な後継者になりえたんだけどなと思ってるのかな
有難うございます。
これから三谷脚本が頼家をどう描くのか楽しみですね。。。
18歳で後を継いだのは織田信長も同じですね、頼家は真価を発揮する前に家中の内紛で死んでしまった悲劇の将軍だと思います。
この時に義経と範頼が存命ならまだ救いはあったかもしれない…
✨蹴鞠はゴルフ✨!!ドラマの巻狩りの回の接待ゴルフ感と云い、当時の社交術としての蹴鞠が、具体的にイメージが出来ました。今川氏と云い、頼家と云い、歴史の印象操作ですね😲。頼家なりに幕府を刷新したかったかも知れませんね。ステレオタイプの頼家のイメージが変わりました。様々な角度からの考察や補足解説有難うございます!
郷ひろみはおばさん世代にはバリバリのアイドルでドラマに出てるのも知ってたけど、草燃えでここまで演技ができるなんて…と一気に見てしまいました頼家の苦悩が上手く表現されてましたよね13人の三谷さんが描く頼家も楽しみです
郷ひろみの頼家、懐かしい❗頼家は若かったし幕府側からすれば蚊帳の外だったのでは?捨て鉢になる気持も分かります。ところで公暁を「こうぎょう」とも言うのですか?
今の学説では「くぎょう」読みは間違いで、「こうぎょう」が正しいと言われています。理由は、公暁の師匠の僧侶たちの「公」は「こう」と読まれているからです。
頼朝が亡くなったのは1199年です。
武士道さんに征夷大将軍についての解説してほしいです!何故秀吉は征夷大将軍を名乗らずに関白だったのでしょうか?
ざっくりいってしまうと征夷大将軍(以下将軍)は血筋が良くないと(源氏の長者など)なることが出来ないので百姓の出で血筋がよろしくなかった秀吉はなることが出来なかった。そして秀吉も将軍になるため義昭の養子になることに失敗し、源氏になることを諦めるしかありませんでしたが、関白という地位を手に入れることに方向転換し、征夷大将軍よりもさらに上の官職に就くことに成功したっといった感じだったと思います。
@@Satosato-xp5yz 解説ありがとうございました😊勉強になりました!
@@パンちゃん-n3n いえいえ!武士道さん本人からじゃなくてすみません🙇♂️
古今東西、改革は既得権益層の少なくとも一部と協調しなければ出来ませんね…頼家が坂東武士の権益を尊重しつつ、合議制体下で将軍派とでも言うような多数派閥を形成できれば…
明暗を判断できるほど長生きしてない
そういえば平重衡は三位中将という官職だったのを思い出した…
20:02 父親の源頼朝も、大河ドラマでも描かれているようにかなりの助平だったし、血は争えない・・・
蹴鞠と言えば、今川氏真の方かなぁ(笑)いつも勉強になります🤣
中国の歴史書では、前王朝の最後の皇帝を暗君か残忍非道な人物として記述し、現王朝を正当化するのが常ですから、吾妻鏡の著者もそれを真似た可能性は大ですね。なお、頼家の最期については、岡本綺堂の「修禅寺物語」にそのシーンが目に浮かぶように描かれています。青空文庫に入っていますので無料で読めますよ。
指摘する人もコメント欄読んでから書き込んで欲しいなぁ同じ指摘が重なるとネチネチ嫌味で不快なのよねそういう人は他の人のコメント読まないからこのコメントも読んでくれないだろうけど🤣
そういう人達は他のチャンネルもいっぱいいますね…竹田恒泰先生の動画なんて特に酷いです😅
多分気づいてると思いますが 建久10年は1199年です
頼家は乏しめられてますからね。吾妻鏡の悪影響がつい最近までは千年王国ヴェネチアの如きの存在感でしたし。仁田忠常も義時に討たれたなんて話もありますから。やっぱここでも善次の出番がありそうな気はしますよね。
義経の正妻郷を差し置いて妾で京女静の方が、断然描かれてるのも坂東者として承伏いかんけど
頼家様修禅寺物語をむかし、中学の頃演劇部でやりました。
やればできる!氏があっさりと巻き込まれでタヒんでた…
ナデシコジャパンが、国民栄誉賞もらってたように思います。
色々あるんだろうけど、頼家はどちらかというと「2.5代目」でタイミング的な悲運と思います。他の2代目、足利義詮や徳川秀忠と違い、頼家は幕府創立に直接関わってないし、天下を掛けた合戦にも参加できてない。一方で3代目と違って、取り巻き連中の世代交代は出来てない。少し境遇が似るのが豊臣秀頼でしょう。父秀吉との世代が開きすぎてる一方、3代目のような「生まれながら将軍・太閤」特権もない。初期での体制安定には、創業者と後継者が同じ時間を共有し、仕事をすることです。
2代目だと義時と秀忠が似ているな
@@森元貞頼 これ実は私も同感です。しかし鎌倉時代の方はは権力争いで血が流れすぎですね。「13人」と聞いてまさかバトルロワイヤルみたいなのは想像してなかったw
時代が違うから何とも言えないが、幕府の支配体制を固めて後の世の礎となった足利義詮や徳川秀忠に比べると見劣りするかな?
配流・・・「はいる」だとおもいます。前回から細かいことばかり言ってごめんなさい。いえ、歴史知識については、戦国BANASHIさんには全く及びませんので、毎回楽しく視聴させていただいております。解説のリズムや話の広がり等、面白くてお気に入りの歴史チャンネルですので。
「流」(る)は古代の刑罰の一つで、島流しのことです。流罪、流人などの「流」も同じく「りゅう」ではなく「る」です。
私も編集中に「はいる」だなと思ったんですが、広辞苑で「はいりゅう」とも読むと書かれていたのでそのままにしました。ご指摘ありがとうございます。
ナデシコジャパンがW杯優勝した後に国民栄誉賞もらってますね!
去年の大河でも、水戸斉昭が主催した追い鳥狩りで七郎麻呂が雉を仕留めてましたねあれも軍事であり示威行動ですから意外と斉昭も、合理的近代人だなと分かりました令和の感覚で「趣味に現を抜かした」かの様に見える事も当時としてはリアルな政治だったのかも知れません実朝や道灌の歌道とか道誉の華道忠興の小細工や秀吉の茶道チャカポン直弼ひょっとしたら、義政の寺社庭園造営、大規模土木も命懸けの武士は、確かに現実的なのですけど対朝廷、公武交渉となるとやんごとなく雅な公家文化も、死活に関わったのかも
一部の御家人からは確実に嫌われる存在。可哀想だけどそういう現実。抗うべきでしたかね。無視ってわけにもいかなかっただろうし。みんな揃って悲しい選択するしかなかったから、済んだ後もあんなに揉めた。さすがの政子も義時もお手上げ。でも全部これ頼家にはひとつも責任ないことだよね。やりきれない。もうちょい賢くなるべきだったし、両親の情をもっと受けるべきだった。ほんの少しでいい努力してればねぇー。
政子さーん、本当マジ、そこまでぇー?
0:19おんJ民大河ドラマ「草生える」
3:15で、「綿密な関係」って言いましたか?「緊密な関係」ですよね?或いは「親密な関係」でしょうか?
サッカーで国民栄誉賞というとなでしこジャパンですね
金子大地の演技力凄いな。こんな無能な跡取りなかなかいない。
こうぎょうではなくくぎょうでは?
いやー、権力を笠に着て部下の彼女を奪ってはダメですよ。
この人、風呂でキャン玉を切られて殺されちゃうんだよね。やっぱり女性関係で恨まれていた?
北条が有能だったのか比企が無能だったのかだと思う
あの、公暁は、くぎょうと読むはずですが。
最近の研究では「こうきょう」「こうぎょう」だったんじゃないかとか言われてるらしいですよ
@@怠惰な貧乏神 ありがとうございます。
今回の大河では こうぎょう 読みをすることになっているので、その設定に合わせているのだと思います。近年では こうぎょう 読みも有力になっていて、学者の間でもする人がいます。一般的には くぎょう なのはその通りなので一般層が見る大河では くぎょう 読みでいいとは私も思いました。
配流=はいる
「配流」…「はいる」
もう少し 静かに 解説が出来ないですか。 ナンや カンや で わ~ って 言いかた は 下品です。 その言葉で 本を書いてみます?。 ヤンキーも 買いませんね。
【訂正】
◆公暁(こうぎょう/くぎょう)⇨最新学説で「こうぎょう」読みが唱えられています。理由は公暁の師匠筋がみな「公=こう」読みだからです。「くぎょう」が間違いの可能性があります。
◆配流(はいる/はいりゅう)⇨「はいる」のほうが適切かもしれませんが、意味は通じるのでそのままにしました。広辞苑を参照しています。
◆建久10年(頼朝の死亡年)⇨ホワイトボードの誤字です。正しくは1199。
7@_gg😇😿⏳☹️☹️☹️☹️🚛
かたなにけなかあ🎉かいに2なくわけか、
江戸時代にも、「神君家康公が主家今川を裏切った」ってのは都合悪いので
「いや、今川はとんでもない暗君だったから」
と言うイメージ操作されましたし(そのイメージがつい最近まで影響してますね)、
同じく「神君家康公が主家豊臣家を裏切って滅ぼした」ってのは都合悪いので
「いや、淀殿がとんでもない悪女で、息子の秀頼も何の決断も出来ないバカだったから」
というイメージ操作されましたし…
吾妻鏡で北条にとって都合悪いから「頼家は暗君」イメージ操作は当然あったでしょうね
昭和の歴史漫画や教育アニメビデオとかだと線引きの件とかで確実に「暗君」扱いされてた頼家を
「吾妻鏡バイアス」を取り除いたうえで「当時の文化や価値観事情」も照らし合わせて
「果たして暗君と言えるのか?」様々な切り口で考察されているのが見応えがあって良かったですね。
それでもダメだろうと思える部分やうまく立ち回れなかった面も含めて、
それらのツケが比企家や公暁にも回ってくるのかもしれませんし、
鎌倉殿本編の進展と共にとても気になります…。
坂東武者達はかなり扱いづらい御家人だっただろうし、若年で頭領に据えられてしまったのが原因かなと、
乳母の比企にも、蹴鞠相手の北条時房も結果的に坂東の権力者争いの中心なわけでは、、家人にもタイミングにも見放された悲しい後継ぎかと個人的には思います、、
動画楽しく見ています。
以前、富士宮市の人穴浅間神社に行った時、動画で出てきたような洞窟の伝説を読んだような気がします。
洞窟は立ち入り禁止で入れなかったんですが…入口狭くてよくこんなところに入ったなぁ〜昔の人すごいと思いました😅
郷ひろみの頼家は、北条との軋轢で狂おしくなってく過程がじつによかったですよねぇ。郷ひろみさんにあまり演技派のイメージが無かったので新鮮でした。
頼家は足利義詮とか徳川秀忠とちがって創業の戦いに参加できていない二代目なので舐めれがちだったり、御家人からの支持基盤も弱かったのかなとかおもったりします
いつも面白い動画ありがとうございます。
今回の大河だと聡明そうな感じがしたから、北条と比企の勢力争いに嫌気がさして頼家自ら動こうとしたのを目障りに思われて暗殺、
なんて展開を予想。
全くの暗愚より、中途半端に才気があって味方の実力者と喰い合うのが一番困る
織田信孝みたいな存在ですね。
武田勝頼に立場近いかもなあ
@@netdm21 勝頼は信玄の負の遺産が多すぎて不憫ですね。
秀頼然り、暗君扱いされやすい人物をわざわざ美男子選ぶのはもはや三谷幸喜の性癖だろ。
三谷さんは頼家の配役として 軟弱でなくキリッとしたイケメンの金子大地さんにして、政治も
教養も素質のある優秀な後継者になりえたんだけどなと思ってるのかな
有難うございます。
これから三谷脚本が頼家をどう描くのか楽しみですね。。。
18歳で後を継いだのは織田信長も同じですね、頼家は真価を発揮する前に家中の内紛で死んでしまった悲劇の将軍だと思います。
この時に義経と範頼が存命ならまだ救いはあったかもしれない…
✨蹴鞠はゴルフ✨!!ドラマの巻狩りの回の接待ゴルフ感と云い、当時の社交術としての蹴鞠が、具体的にイメージが出来ました。今川氏と云い、頼家と云い、歴史の印象操作ですね😲。頼家なりに幕府を刷新したかったかも知れませんね。ステレオタイプの頼家のイメージが変わりました。様々な角度からの考察や補足解説有難うございます!
郷ひろみはおばさん世代にはバリバリのアイドルでドラマに出てるのも知ってたけど、草燃えでここまで演技ができるなんて…と一気に見てしまいました
頼家の苦悩が上手く表現されてましたよね
13人の三谷さんが描く頼家も楽しみです
郷ひろみの頼家、懐かしい❗
頼家は若かったし幕府側からすれば蚊帳の外だったのでは?捨て鉢になる気持も分かります。ところで公暁を「こうぎょう」とも言うのですか?
今の学説では「くぎょう」読みは間違いで、「こうぎょう」が正しいと言われています。理由は、公暁の師匠の僧侶たちの「公」は「こう」と読まれているからです。
頼朝が亡くなったのは1199年です。
武士道さんに征夷大将軍についての解説してほしいです!何故秀吉は征夷大将軍を名乗らずに関白だったのでしょうか?
ざっくりいってしまうと征夷大将軍(以下将軍)は血筋が良くないと(源氏の長者など)なることが出来ないので百姓の出で血筋がよろしくなかった秀吉はなることが出来なかった。そして秀吉も将軍になるため義昭の養子になることに失敗し、源氏になることを諦めるしかありませんでしたが、関白という地位を手に入れることに方向転換し、征夷大将軍よりもさらに上の官職に就くことに成功したっといった感じだったと思います。
@@Satosato-xp5yz 解説ありがとうございました😊勉強になりました!
@@パンちゃん-n3n いえいえ!武士道さん本人からじゃなくてすみません🙇♂️
古今東西、改革は既得権益層の少なくとも一部と協調しなければ出来ませんね…
頼家が坂東武士の権益を尊重しつつ、合議制体下で将軍派とでも言うような多数派閥を形成できれば…
明暗を判断できるほど長生きしてない
そういえば平重衡は三位中将という官職だったのを思い出した…
20:02 父親の源頼朝も、大河ドラマでも描かれているようにかなりの助平だったし、血は争えない・・・
蹴鞠と言えば、今川氏真の方かなぁ(笑)
いつも勉強になります🤣
中国の歴史書では、前王朝の最後の皇帝を暗君か残忍非道な人物として記述し、現王朝を正当化するのが常ですから、吾妻鏡の著者もそれを真似た可能性は大ですね。
なお、頼家の最期については、岡本綺堂の「修禅寺物語」にそのシーンが目に浮かぶように描かれています。青空文庫に入っていますので無料で読めますよ。
指摘する人もコメント欄読んでから書き込んで欲しいなぁ
同じ指摘が重なるとネチネチ嫌味で不快なのよね
そういう人は他の人のコメント読まないからこのコメントも読んでくれないだろうけど🤣
そういう人達は他のチャンネルもいっぱいいますね…竹田恒泰先生の動画なんて特に酷いです😅
多分気づいてると思いますが 建久10年は1199年です
頼家は乏しめられてますからね。吾妻鏡の悪影響がつい最近までは千年王国ヴェネチアの如きの存在感でしたし。仁田忠常も義時に討たれたなんて話もありますから。やっぱここでも善次の出番がありそうな気はしますよね。
義経の正妻郷を差し置いて
妾で京女静の方が、断然描かれてるのも
坂東者として承伏いかんけど
頼家様修禅寺物語をむかし、中学の頃演劇部でやりました。
やればできる!氏があっさりと巻き込まれでタヒんでた…
ナデシコジャパンが、国民栄誉賞もらってたように思います。
色々あるんだろうけど、頼家はどちらかというと「2.5代目」でタイミング的な悲運と思います。他の2代目、足利義詮や徳川秀忠と違い、頼家は幕府創立に直接関わってないし、天下を掛けた合戦にも参加できてない。一方で3代目と違って、取り巻き連中の世代交代は出来てない。少し境遇が似るのが豊臣秀頼でしょう。父秀吉との世代が開きすぎてる一方、3代目のような「生まれながら将軍・太閤」特権もない。初期での体制安定には、創業者と後継者が同じ時間を共有し、仕事をすることです。
2代目だと義時と秀忠が似ているな
@@森元貞頼 これ実は私も同感です。しかし鎌倉時代の方はは権力争いで血が流れすぎですね。「13人」と聞いてまさかバトルロワイヤルみたいなのは想像してなかったw
時代が違うから何とも言えないが、幕府の支配体制を固めて後の世の礎となった足利義詮や徳川秀忠に比べると見劣りするかな?
配流・・・「はいる」だとおもいます。
前回から細かいことばかり言ってごめんなさい。
いえ、歴史知識については、戦国BANASHIさんには全く及びませんので、毎回楽しく視聴させていただいております。解説のリズムや話の広がり等、面白くてお気に入りの歴史チャンネルですので。
「流」(る)は古代の刑罰の一つで、島流しのことです。流罪、流人などの「流」も同じく「りゅう」ではなく「る」です。
私も編集中に「はいる」だなと思ったんですが、広辞苑で「はいりゅう」とも読むと書かれていたのでそのままにしました。ご指摘ありがとうございます。
ナデシコジャパンがW杯優勝した後に国民栄誉賞もらってますね!
去年の大河でも、水戸斉昭が主催した追い鳥狩りで
七郎麻呂が雉を仕留めてましたね
あれも軍事であり示威行動ですから
意外と斉昭も、合理的近代人だなと分かりました
令和の感覚で「趣味に現を抜かした」かの様に見える事も
当時としてはリアルな政治だったのかも知れません
実朝や道灌の歌道とか道誉の華道
忠興の小細工や秀吉の茶道
チャカポン直弼
ひょっとしたら、義政の寺社庭園造営、大規模土木も
命懸けの武士は、確かに現実的なのですけど
対朝廷、公武交渉となると
やんごとなく雅な公家文化も、死活に関わったのかも
一部の御家人からは確実に嫌われる存在。可哀想だけどそういう現実。抗うべきでしたかね。無視ってわけにもいかなかっただろうし。みんな揃って悲しい選択するしかなかったから、済んだ後もあんなに揉めた。さすがの政子も義時もお手上げ。でも全部これ頼家にはひとつも責任ないことだよね。やりきれない。もうちょい賢くなるべきだったし、両親の情をもっと受けるべきだった。ほんの少しでいい努力してればねぇー。
政子さーん、本当マジ、そこまでぇー?
0:19
おんJ民大河ドラマ「草生える」
3:15で、「綿密な関係」って言いましたか?
「緊密な関係」ですよね?或いは「親密な関係」でしょうか?
サッカーで国民栄誉賞というとなでしこジャパンですね
金子大地の演技力凄いな。こんな無能な跡取りなかなかいない。
こうぎょうではなくくぎょうでは?
いやー、権力を笠に着て部下の彼女を奪ってはダメですよ。
この人、風呂でキャン玉を切られて殺されちゃうんだよね。やっぱり女性関係で恨まれていた?
北条が有能だったのか比企が無能だったのかだと思う
あの、公暁は、くぎょうと読むはずですが。
最近の研究では「こうきょう」「こうぎょう」だったんじゃないかとか言われてるらしいですよ
@@怠惰な貧乏神 ありがとうございます。
今回の大河では こうぎょう 読みをすることになっているので、その設定に合わせているのだと思います。近年では こうぎょう 読みも有力になっていて、学者の間でもする人がいます。一般的には くぎょう なのはその通りなので一般層が見る大河では くぎょう 読みでいいとは私も思いました。
配流=はいる
「配流」…「はいる」
もう少し 静かに 解説が出来ないですか。 ナンや カンや で わ~ って 言いかた は 下品です。
その言葉で 本を書いてみます?。 ヤンキーも 買いませんね。