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とてもとても面白かったです。私は歴史に詳しいわけではありませんが、本当に分かりやすく楽しく視聴できました。この時代の価値観、雰囲気が推測とはいえ、興味が高まりました。視聴してすごくすごく得した気持ちです。ありがとうございます!
すごいクォリティーの高さです。長髪の時も似合ってたけど、今も(ちょっと)武士のおもむきがありますねw 本当に歴史が好きなのが伝わって来ます。公正な視点がいいですね。
承久の乱では坂東武士がちょっと腰砕けになりかかってる時に、京都下りの文官だったはずの大江殿とか三善殿がゴリゴリの主戦論者で都に攻め上るべきですみたいな立場だったのが興味深いですね。
吾妻鏡の承久の乱、創作感バリバリすぎて笑ってしまった頼朝挙兵時のエピソードも後から付け足されたのが丸わかりのものがありますからね(巫女のお告げが当たった!とか)
「頼朝様の恩は山よりも高く海よりも深い」は、『鎌倉殿の13人』では石橋山の戦いで大庭景親が「平家相国様の恩は〜」に変えて言ってましたね!僕は『鎌倉殿の13人』がこれから承久の乱に突入するのに一番の疑問というか、「三谷さんはどう描くのだろう?」と思うのが慈円です。慈円の動画をミスター武士道チャンネルで拝見しましたが、『愚管抄』は承久の乱を止める為に書いたもので、慈円は戦いには反対だったと…、でも今のドラマ内では慈円は後鳥羽上皇にズブズブですから、これから仲違いする未来が見えないんですよね・・・以前に九条兼実と兄弟で密談してるシーンがあって「頼むぞ、慈円…」みたいに言っていたから、基本朝廷をより良い方向に導こうとするのが、あの兄弟のポリシーなのでしょうか⁉️それにしては、後鳥羽上皇と義時は似た者同士❤️…と言って煽ったりしてますよね(笑)
詳しく歴史解説ありがとうございます、承久の乱は作り話は初めて知った、勉強になりました
歴史も現代史も現時点でわかっていることでどうしても組み立てないといけないですもんね面白かったです
当たり前に習った、疑問すら思わなかった『承久の乱』の疑問点に気付かせて頂いて有難うございます!大飢饉に繋がる前の当時の異常気象に更に加味して印象操作する天候の記述部分(やっぱりオチの肩パントキューサ)。乱のきっかけになる地頭職への干渉の理由も、後鳥羽上皇の印象下げになってる気がします。処罰を逃れようとする敗者側の証拠隠匿と勝者・為政者側が造り上げる歴史(日本書紀にも言えますね)。其処に踏み込み、気付かせくれた解説動画有難うございます!ドラマで、ゴッシー、後鳥羽んと夢枕シーンがあったなら、政子にも天照大御神の夢枕シーンあったりして(長澤まさみさんが演じるなら面白いかも)。
トキューサ、吾妻鏡でもイジられる😂
歴史は苦手ですが、武士道さんの喋りがお上手なので引き込まれてしまいます。
ペルシア戦争で負けたペルシア側がこの戦争に関してほとんど資料を残さなかったように、負けた側も都合悪い事を隠す事によって歴史を作ってるともいえるんですよね。
たしかに、作り話かもしれませんね。しかしながら、泰時は、大きな器の人だった事は、変わりませんね
”吾妻鏡”以外に、承久の乱を伝える資料がないとは知りませんでした。なかなか目を通すことの難しい”吾妻鏡”の内容を解説して下さり、ありがとうございます。史実の残党狩りの厳しさに全く触れられていないのも、いかにも北条氏びいきですね。泰時が神に守られているという記述は、ドラマでの頼朝と同じですね。黒の着物、とてもお似合いですよ。
三国志も正史が史書で三国志演義が芝居の台本やねん演劇に人形劇に読み物や漫画や芝居の (`=ω=) 台本学校の図書館にあった中国古典集の三國志の巻末の解説に書いたった正史の作者は陳寿やったかなぁ?
@@知花信 確かに!三国誌演義も、いろいろ盛ってあって、読み物的に面白いですよね。
十三人の解説でお忙しいとは思いますが、いつか逃げ上手の若君の解説もブシドー殿にやってほしいなぁ…作中で語られていたのですが、南北朝期には有名な北畠顕家や護良親王以外にも公家や皇族が実際に武器を持って戦った特異な時代であったとあり関心が深まりました。それこそマジの“戦国”やんけ!って思いましてね笑
公卿 くぎょう こうぎょう どちらの読み方もあるのですね。学びました。感謝。
吾妻鏡ってプロパガンダだよね 出来が良すぎて
素晴らしい動画でした。切り口が鋭過ぎる!これだから武士道先生はやめらんねーぜっ😏トキューサ新築倒壊🤣
承久の乱をよく知らない私でも、わかりやすく解説して下さってあったので、とーーてっも面白い内容でした
これを見た人は歴史承久者、、、なんて
素晴らしい解説!分からない事があるからこそ歴史って夢がありますね。
話しの構成と進行が面白いです。チャンネル登録しました。
後鳥羽上皇には弓をひくな!顔を見たら降伏せよ!と泰時は父義時に言われていた。しかし上皇は戦いには参加せず普通に御所で過ごしていた。だから朝廷側に進軍でき勝利した。地域の歴史講座で教えてもらいました。
諏訪明神からの神ってる御家人のエピソードも大河に出てきたらおもろいなぁ諏訪湖大好き!
吾妻鏡の脚本家って天才だな
面白い
ありがとうございます。他のチャンネルを見ていないのでいろいろと勉強になります。
九州の南朝で大活躍した菊池武光の御先祖も後鳥羽上皇軍で戦ってるのは感慨深い
今日の話もとても役に立ちました。ところで、袴は自分で着けてるのですか。私はお茶をやっているので自分で着けます。なかなか似合ってますよ😃
ありがとうございます。自分で着ています。練習しました。
本筋からそれる部分で恐縮ですが「源平合戦時に諏訪大社はどこの勢力に味方していたのか?(丁度、頼朝·義仲·武田の勢力と重なる地域なので)」という疑問も解消出来ました。ありがとうございます。(「鎌倉殿」が終わったら「逃げ若」の解説で引き続き鎌倉時代の解説もして欲しいと思いますw)
とある書物の虚構疑惑。真偽は抜きにして歴史考察を楽しむ方法、情報を俯瞰することが現世だけでなく通用することに歴史に親しみを感じますね。
曲筆が多いとされる吾妻鏡だけど意外?とマトモなんだなと思った一次史料としては京都側の…幕府側でも朝廷側でも…公家や坊主の日記も全く残っていないんですかね??
解説ありがとうございます、時房の家だけ壊れたのは吾妻鏡出来たのが貞時の時代で時房の子孫の大仏流と争ってたせいもあるんですかね?全体的に得宗家の権威を高めようと言う意思は感じます。
私も歴史上級者の仲間入り?いやいや、これからもご教授いただきたい
小学生のときに歴史マンガとかで三英傑や義経、北条政子などの活躍を読んだときの幻想がガラガラと崩れていく。歴史って何だろうという想いに駆られます。
例え、それが作り話だとしても、作り話になったのには理由があるわけで、そこまで含めて歴史なのかなと……だから歴史物語がすべて無意味というわけではないと私は思っています。
ということは本編は八田殿以上にやりたい放題できるというわけですね
承久の乱作り話ではなく大きな脚色があったと言うことですね。吾妻鏡書いたのは三谷さんのご先祖様だったのでは?
承久の乱の一次資料がないのが驚きですが、貴族や僧侶の日記などから探れないんですかね?吾妻鏡が得宗家の正統性を主張するため書かれたのなら、真相は分からないまま…🤔
7:30あたりで解説されていますが、鎌倉側の執拗な残党狩りを逃れるためにそうした日記等も破棄されたのでしょうね
タイムマシンに乗って確かめに行かないといけませんね
鎌倉時代とか戦国時代めっちゃ行きたいな。
この時代の資料で一番の問題は兵力が出鱈目なこと、上総介の2万、富士川の合戦の20万は精々その1割程度でしかありえない。ほぼ400年後の関ケ原でさえ東西両軍で20万です。鎌倉期の日本の総人口は1000万ほどと推測されてます。20万とは50人に1人を動員してるわけだから完全にあり得ない。良く総勢3万とか呼号するのは出兵時にはあるがあまりにも盛り過ぎ、それをさも当然のように引用してる連中は本当に研究してるとは思えない。
私は歴史は詳しくないですが平家物語はかなり創作入っているなと思いました。解説にも中国の故事を元に書かれていると書いてありました。吾妻鏡は読んだことはないですが政子の演説もシーザーだったかの故事に似ているとか読んだことがあります。つまり後で付け加えられた?又はGHQに捏造された?方丈記にも戦乱の記載がなく災害の記録ばかりだったように思います。
これは歴史上級者になりましたわ!
坂東武者=(鎌倉時代の頭蓋骨=長頭=縄文人と同一)=非大和系=国譲りで抵抗したタケミナカタ神がシンボル=諏訪大神 というわけで全部つながってる。
武士道先生! 動画、ありがとうございます🙇所で、日本人の法令遵守の歴史的な偉業である御成敗式目の制定は北条泰時ではありませんか? 論じて頂きたいです✌️
和田義盛の孫 和田朝盛は和田合戦で生き残り、上皇方で戦います。朝盛の嫡男 家盛は佐久間家村の養子となり、名を佐久間家盛と名乗り、幕府方で戦います。つまり、和田親子は東西に分かれて戦った。これって、関ヶ原で真田親子が東西に分かれたのと同じですかね?どちらかが勝って生き残る作戦宇治川の戦いでは、総大将 泰時は劣勢となり、泰時は息子の 時氏に渡川を命ずると、時氏は家盛ら6騎とともに川を渡ります。これがうまくいき形勢逆転戦後 家盛は褒美として、尾張御器所をいただきます。この御器所がのちの織田信長の宿老 佐久間信盛の根拠地となり、さらに幕末の佐久間象山に続く家系となったそうです。
もしも後鳥羽上皇が自ら出陣していたら、結果は違ったものになったかもしれません。関ヶ原でも、秀頼が出陣していれば勝ったかも?秀頼らまだ幼いが、後鳥羽上皇はマルチな人物のわりに情けない。
この頃はまだ戦国期に見える「家」の概念が希薄なので、真田の東西に分かれた作戦とは少し違うかもしれません。家のためというよりは、個人個人が「誰に恩があるか」で動く時代です。鎌倉武士の家族に対する感覚は、むしろ現代に近いかもしれません。
@@sengokubanashi ありがとうございます。鎌倉と戦国では 家 の概念が違ったのですね!中世研究の呉座先生は、吾妻鏡の不審な点を幾つも指摘してますね。
韓国史劇ドラマはファンタジーで、NHK大河ドラマは史実だと思い込んでる人がいますね😅
天照大神と政子の場面が大河で描かれたら、漫才やな?😁
「政子・・・、政子・・・、大御神様だよ❤」
先祖代々からの伝統芸だったのかw
@@おやすミタパン 後白河も使えますねw
実朝暗殺から承久の変までの一連の出来事は、朝廷の切り崩し工作と幕府・北条氏側の対立が繋がっていると思っていましたが、今回の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではどうも切り離してしてやるようですね。実朝暗殺後の阿野時元の反乱。朝廷側への内通が知られたためと思っていましたが、実衣さんが次の将軍を狙うようなそぶりでした。親王の将軍即位も朝廷側から断るようです。
吾妻鏡によると和田合戦の褒美として、実朝は泰時に陸奥の領地を与えたが、泰時はこれを固辞をしたと三日後、実朝は訳をきくと合戦で亡くなった遺族に与えて下さい となんたる 聖人君子❗
承久の乱の後も京都は南北朝時代、応仁の乱、天文法華の乱、織田信長の上京焼き討ちと色々あったのが痛いです。
何か三国志演義に近いですね。某チャンネルの言葉に「真実は誰も知らない」「そして絶対もない」という名言があります。
本当は幕府が一方的に朝廷を攻撃したんだろうな
三谷さんの前世は吾妻鏡の作者だったりして😆
夢か…これは実朝と陳和卿のエピソードと一緒じゃないですか?www
とりあえず、後鳥羽上皇はクズ中のクズで、最後は挙兵した武将のトップ2人を「こいつら勝手にやりましたー笑」みたいに見捨てたから…この話も事実かどうかは分かりませんけどねぇ…ほんと、カエサルのガリア戦記は客観的に書いてると言いますけど、歴史において事実を書くということは、本人だけでなく一族も危険にさらされるので、難しいと思います。勝者のみの特権でしょう…
後鳥羽の最後のクズムーブは、朝廷敗北の理由を後鳥羽一人に擦り付けるための創作という説もありますね。「朝廷が負けたんじゃなくて、後鳥羽がアホだっただけです。泰時さんありがとう。」って言っておいた方が、その後の運営が楽なので(笑)勝者も敗者も、生き残った人間の都合よくされるものなのかもしれません……
以下、参考までに…「よみがえる承久の乱展」ニコニコ内覧会2021th-cam.com/video/LHzbnjCz3FI/w-d-xo.html(図録は入手困難かも)
承久の時代って令和に時代みたいですね。
イマジンブレイカー
「僕も詳しくないんですけど」はいわないほうがいいとおもいます
やたのかがみvs(東魔)あづまかがみ?
トキューサ😂
承久の乱も上級の乱もなかったのか
吾妻鏡の正しくない点といえば「上皇軍1700に対し幕府軍190000」という件ぐらいでしょうね。実際は幕府軍はその十分の一くらいしかいなかったようです。つまり上皇軍があまりにもショボかったせいで楽勝だった、という事でしょう。
1333年鎌倉幕府が滅ぼされた時に北条得宗家は一族郎党全滅させられた。これは明らかに朝廷による承久の変に対する報復措置だと言える。
いつも楽しく見ています。今回の内容をこのタイミングでやる意図がよく分かりません。本来、ドラマで承久の乱が描かれた後にやる内容だったんじゃないか? との感想を持ちました。
むしろ今回の武士道さんの解説を聞いてドラマがどんな風に描かれるんだろうと楽しみになりました!吾妻鏡の通りの英雄譚なのか、それとも三谷さんの解釈が入るのか、トキューサの家は崩壊するのか…
ありがとうございます。基本的には、歴史研究の成果を知った上で、ドラマでどう描かれるかを見ていくというスタンスでやってますので、いつもと趣旨を変えたつもりはございません。
最終回で源九郎義経が大船団を率いて博多湾に襲来して大円団したら爆笑 (`=ω=) 間違い無いたぶんw
先生のお話は大変すばらしい話だと思いますが、北条家は大嫌いです。 武士は平の朝臣とか源の朝臣というのが正式な名前で天皇家に通じる存在というのが武士が武士たる根拠のはずなんだが、北条は一応平のなにがしと名乗ってるはずなんだけど、歴代の「朝敵」と言われる存在は歴史上何人か存在しますが、北条は勝手に「執権」と名乗ってみたり、将軍家である「源家」を滅ぼしてみたり、天皇家にまで正面切って争っている。 一見足利も天皇家と争ってるように見えるが正面切って争ってるわけではなく楠や新田という存在と戦っているが天皇家と戦ってわけではないが、北条は武士としても怪しい存在なのにまともに天皇家と戦ってるんだね、しかも、後鳥羽上皇らを追放し間接的に死に至らしめているとんでもない存在で正しく「朝敵」なんだね。
だいぶ太りましたな
とてもとても面白かったです。私は歴史に詳しいわけではありませんが、本当に分かりやすく楽しく視聴できました。この時代の価値観、雰囲気が推測とはいえ、興味が高まりました。視聴してすごくすごく得した気持ちです。ありがとうございます!
すごいクォリティーの高さです。長髪の時も似合ってたけど、今も(ちょっと)武士のおもむきがありますねw
本当に歴史が好きなのが伝わって来ます。公正な視点がいいですね。
承久の乱では坂東武士がちょっと腰砕けになりかかってる時に、京都下りの文官だったはずの大江殿とか三善殿がゴリゴリの主戦論者で都に攻め上るべきですみたいな立場だったのが興味深いですね。
吾妻鏡の承久の乱、創作感バリバリすぎて笑ってしまった
頼朝挙兵時のエピソードも後から付け足されたのが丸わかりのものがありますからね(巫女のお告げが当たった!とか)
「頼朝様の恩は山よりも高く海よりも深い」は、『鎌倉殿の13人』では石橋山の戦いで大庭景親が「平家相国様の恩は〜」に変えて言ってましたね!
僕は『鎌倉殿の13人』がこれから承久の乱に突入するのに一番の疑問というか、「三谷さんはどう描くのだろう?」と思うのが慈円です。
慈円の動画をミスター武士道チャンネルで拝見しましたが、『愚管抄』は承久の乱を止める為に書いたもので、慈円は戦いには反対だったと…、でも今のドラマ内では慈円は後鳥羽上皇にズブズブですから、これから仲違いする未来が見えないんですよね・・・
以前に九条兼実と兄弟で密談してるシーンがあって「頼むぞ、慈円…」みたいに言っていたから、基本朝廷をより良い方向に導こうとするのが、あの兄弟のポリシーなのでしょうか⁉️
それにしては、後鳥羽上皇と義時は似た者同士❤️…と言って煽ったりしてますよね(笑)
詳しく歴史解説ありがとうございます、承久の乱は作り話は初めて知った、勉強になりました
歴史も現代史も現時点でわかっていることでどうしても組み立てないといけないですもんね
面白かったです
当たり前に習った、疑問すら思わなかった『承久の乱』の疑問点に気付かせて頂いて有難うございます!大飢饉に繋がる前の当時の異常気象に更に加味して印象操作する天候の記述部分(やっぱりオチの肩パントキューサ)。乱のきっかけになる地頭職への干渉の理由も、後鳥羽上皇の印象下げになってる気がします。処罰を逃れようとする敗者側の証拠隠匿と勝者・為政者側が造り上げる歴史(日本書紀にも言えますね)。其処に踏み込み、気付かせくれた解説動画有難うございます!ドラマで、ゴッシー、後鳥羽んと夢枕シーンがあったなら、政子にも天照大御神の夢枕シーンあったりして(長澤まさみさんが演じるなら面白いかも)。
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歴史は苦手ですが、武士道さんの喋りがお上手なので引き込まれてしまいます。
ペルシア戦争で負けたペルシア側がこの戦争に関してほとんど資料を残さなかったように、負けた側も都合悪い事を隠す事によって歴史を作ってるともいえるんですよね。
たしかに、作り話かもしれませんね。しかしながら、
泰時は、大きな器の人だった事は、変わりませんね
”吾妻鏡”以外に、承久の乱を伝える資料がないとは知りませんでした。なかなか目を通すことの難しい”吾妻鏡”の内容を解説して下さり、ありがとうございます。史実の残党狩りの厳しさに全く触れられていないのも、いかにも北条氏びいきですね。泰時が神に守られているという記述は、ドラマでの頼朝と同じですね。黒の着物、とてもお似合いですよ。
三国志も正史が史書で
三国志演義が芝居の台本やねん
演劇に人形劇に読み物や漫画や
芝居の (`=ω=) 台本
学校の図書館にあった中国古典集の三國志の巻末の解説に書いたった
正史の作者は陳寿やったかなぁ?
@@知花信 確かに!三国誌演義も、いろいろ盛ってあって、読み物的に面白いですよね。
十三人の解説でお忙しいとは思いますが、いつか逃げ上手の若君の解説もブシドー殿にやってほしいなぁ…作中で語られていたのですが、南北朝期には有名な北畠顕家や護良親王以外にも公家や皇族が実際に武器を持って戦った特異な時代であったとあり関心が深まりました。それこそマジの“戦国”やんけ!って思いましてね笑
公卿 くぎょう こうぎょう どちらの読み方もあるのですね。学びました。感謝。
吾妻鏡ってプロパガンダだよね 出来が良すぎて
素晴らしい動画でした。切り口が鋭過ぎる!
これだから
武士道先生はやめらんねーぜっ😏
トキューサ新築倒壊🤣
承久の乱をよく知らない私でも、わかりやすく解説して下さってあったので、とーーてっも面白い内容でした
これを見た人は歴史承久者、、、なんて
素晴らしい解説!
分からない事があるからこそ歴史って夢がありますね。
話しの構成と進行が面白いです。チャンネル登録しました。
後鳥羽上皇には弓をひくな!
顔を見たら降伏せよ!と泰時は父義時に言われていた。
しかし上皇は戦いには参加せず普通に御所で過ごしていた。
だから朝廷側に進軍でき勝利した。
地域の歴史講座で教えてもらいました。
諏訪明神からの神ってる御家人のエピソードも大河に出てきたらおもろいなぁ
諏訪湖大好き!
吾妻鏡の脚本家って天才だな
面白い
ありがとうございます。他のチャンネルを見ていないのでいろいろと勉強になります。
九州の南朝で大活躍した菊池武光の御先祖も後鳥羽上皇軍で戦ってるのは感慨深い
今日の話もとても役に立ちました。ところで、袴は自分で着けてるのですか。私はお茶をやっているので自分で着けます。なかなか似合ってますよ😃
ありがとうございます。自分で着ています。練習しました。
本筋からそれる部分で恐縮ですが
「源平合戦時に諏訪大社はどこの勢力に味方していたのか?(丁度、頼朝·義仲·武田の勢力と重なる地域なので)」という疑問も解消出来ました。
ありがとうございます。
(「鎌倉殿」が終わったら「逃げ若」の解説で引き続き鎌倉時代の解説もして欲しいと思いますw)
とある書物の虚構疑惑。
真偽は抜きにして歴史考察を楽しむ方法、情報を俯瞰することが現世だけでなく通用することに歴史に親しみを感じますね。
曲筆が多いとされる吾妻鏡だけど意外?とマトモなんだなと思った
一次史料としては京都側の…幕府側でも朝廷側でも…公家や坊主の日記も全く残っていないんですかね??
解説ありがとうございます、時房の家だけ壊れたのは吾妻鏡出来たのが貞時の時代で時房の子孫の大仏流と争ってたせいも
あるんですかね?全体的に得宗家の権威を高めようと言う意思は感じます。
私も歴史上級者の仲間入り?
いやいや、これからもご教授いただきたい
小学生のときに歴史マンガとかで三英傑や義経、北条政子などの活躍を読んだときの幻想がガラガラと崩れていく。歴史って何だろうという想いに駆られます。
例え、それが作り話だとしても、作り話になったのには理由があるわけで、そこまで含めて歴史なのかなと……だから歴史物語がすべて無意味というわけではないと私は思っています。
ということは本編は八田殿以上にやりたい放題できるというわけですね
承久の乱作り話ではなく大きな脚色があったと言うことですね。吾妻鏡書いたのは三谷さんのご先祖様だったのでは?
承久の乱の一次資料がないのが驚きですが、貴族や僧侶の日記などから探れないんですかね?吾妻鏡が得宗家の正統性を主張するため書かれたのなら、真相は分からないまま…🤔
7:30あたりで解説されていますが、鎌倉側の執拗な残党狩りを逃れるためにそうした日記等も破棄されたのでしょうね
タイムマシンに乗って確かめに行かないといけませんね
鎌倉時代とか戦国時代めっちゃ行きたいな。
この時代の資料で一番の問題は兵力が出鱈目なこと、上総介の2万、富士川の合戦の20万は精々その1割程度でしかありえない。ほぼ400年後の関ケ原でさえ東西両軍で20万です。鎌倉期の日本の総人口は1000万ほどと推測されてます。20万とは50人に1人を動員してるわけだから完全にあり得ない。良く総勢3万とか呼号するのは出兵時にはあるがあまりにも盛り過ぎ、それをさも当然のように引用してる連中は本当に研究してるとは思えない。
私は歴史は詳しくないですが平家物語はかなり創作入っているなと思いました。解説にも中国の故事を元に書かれていると書いてありました。吾妻鏡は読んだことはないですが政子の演説もシーザーだったかの故事に似ているとか読んだことがあります。つまり後で付け加えられた?又はGHQに捏造された?方丈記にも戦乱の記載がなく災害の記録ばかりだったように思います。
これは歴史上級者になりましたわ!
坂東武者=(鎌倉時代の頭蓋骨=長頭=縄文人と同一)=非大和系=国譲りで抵抗したタケミナカタ神がシンボル=諏訪大神 というわけで全部つながってる。
武士道先生! 動画、ありがとうございます🙇
所で、日本人の法令遵守の歴史的な偉業である御成敗式目の制定は北条泰時ではありませんか? 論じて頂きたいです✌️
和田義盛の孫 和田朝盛は和田合戦で生き残り、上皇方で戦います。
朝盛の嫡男 家盛は佐久間家村の養子となり、名を佐久間家盛と名乗り、幕府方で戦います。
つまり、和田親子は東西に分かれて戦った。
これって、関ヶ原で真田親子が東西に分かれたのと同じですかね?
どちらかが勝って生き残る作戦
宇治川の戦いでは、総大将 泰時は劣勢となり、泰時は息子の 時氏に渡川を命ずると、時氏は家盛ら6騎とともに川を渡ります。
これがうまくいき形勢逆転
戦後 家盛は褒美として、尾張御器所をいただきます。
この御器所がのちの織田信長の宿老 佐久間信盛の根拠地となり、さらに幕末の佐久間象山に続く家系となったそうです。
もしも後鳥羽上皇が自ら出陣していたら、結果は違ったものになったかもしれません。
関ヶ原でも、秀頼が出陣していれば勝ったかも?
秀頼らまだ幼いが、後鳥羽上皇はマルチな人物のわりに情けない。
この頃はまだ戦国期に見える「家」の概念が希薄なので、真田の東西に分かれた作戦とは少し違うかもしれません。家のためというよりは、個人個人が「誰に恩があるか」で動く時代です。鎌倉武士の家族に対する感覚は、むしろ現代に近いかもしれません。
@@sengokubanashi
ありがとうございます。
鎌倉と戦国では 家 の概念が違ったのですね!
中世研究の呉座先生は、吾妻鏡の不審な点を幾つも指摘してますね。
韓国史劇ドラマはファンタジーで、NHK大河ドラマは史実だと思い込んでる人がいますね😅
天照大神と政子の場面が大河で描かれたら、漫才やな?😁
「政子・・・、政子・・・、大御神様だよ❤」
先祖代々からの伝統芸だったのかw
@@おやすミタパン 後白河も使えますねw
実朝暗殺から承久の変までの一連の出来事は、朝廷の切り崩し工作と幕府・北条氏側の対立が繋がっていると思っていましたが、今回の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではどうも切り離してしてやるようですね。実朝暗殺後の阿野時元の反乱。朝廷側への内通が知られたためと思っていましたが、実衣さんが次の将軍を狙うようなそぶりでした。親王の将軍即位も朝廷側から断るようです。
吾妻鏡によると
和田合戦の褒美として、実朝は泰時に陸奥の領地を与えたが、泰時はこれを固辞をしたと
三日後、実朝は訳をきくと
合戦で亡くなった遺族に与えて下さい と
なんたる 聖人君子❗
承久の乱の後も京都は南北朝時代、応仁の乱、天文法華の乱、織田信長の上京焼き討ちと色々あったのが痛いです。
何か三国志演義に近いですね。
某チャンネルの言葉に「真実は誰も知らない」「そして絶対もない」という名言があります。
本当は幕府が一方的に朝廷を攻撃したんだろうな
三谷さんの前世は吾妻鏡の作者だったりして😆
夢か…
これは実朝と陳和卿のエピソードと一緒じゃないですか?www
とりあえず、後鳥羽上皇はクズ中のクズで、
最後は挙兵した武将のトップ2人を「こいつら勝手にやりましたー笑」みたいに見捨てたから…
この話も事実かどうかは分かりませんけどねぇ…
ほんと、カエサルのガリア戦記は客観的に書いてると言いますけど、
歴史において事実を書くということは、本人だけでなく一族も危険にさらされるので、
難しいと思います。勝者のみの特権でしょう…
後鳥羽の最後のクズムーブは、朝廷敗北の理由を後鳥羽一人に擦り付けるための創作という説もありますね。
「朝廷が負けたんじゃなくて、後鳥羽がアホだっただけです。泰時さんありがとう。」って言っておいた方が、その後の運営が楽なので(笑)
勝者も敗者も、生き残った人間の都合よくされるものなのかもしれません……
以下、参考までに…
「よみがえる承久の乱展」ニコニコ内覧会2021
th-cam.com/video/LHzbnjCz3FI/w-d-xo.html
(図録は入手困難かも)
承久の時代って令和に時代みたいですね。
イマジンブレイカー
「僕も詳しくないんですけど」はいわないほうがいいとおもいます
やたのかがみvs(東魔)あづまかがみ?
トキューサ😂
承久の乱も上級の乱もなかったのか
吾妻鏡の正しくない点といえば「上皇軍1700に対し幕府軍190000」という件ぐらいでしょうね。
実際は幕府軍はその十分の一くらいしかいなかったようです。
つまり上皇軍があまりにもショボかったせいで楽勝だった、という事でしょう。
1333年鎌倉幕府が滅ぼされた時に北条得宗家は一族郎党全滅させられた。
これは明らかに朝廷による承久の変に対する報復措置だと言える。
いつも楽しく見ています。今回の内容をこのタイミングでやる意図がよく分かりません。本来、ドラマで承久の乱が描かれた後にやる内容だったんじゃないか? との感想を持ちました。
むしろ今回の武士道さんの解説を聞いてドラマがどんな風に描かれるんだろうと楽しみになりました!吾妻鏡の通りの英雄譚なのか、それとも三谷さんの解釈が入るのか、トキューサの家は崩壊するのか…
ありがとうございます。基本的には、歴史研究の成果を知った上で、ドラマでどう描かれるかを見ていくというスタンスでやってますので、いつもと趣旨を変えたつもりはございません。
最終回で
源九郎義経が
大船団を率いて
博多湾に襲来して大円団したら
爆笑 (`=ω=) 間違い無い
たぶんw
先生のお話は大変すばらしい話だと思いますが、北条家は大嫌いです。
武士は平の朝臣とか源の朝臣というのが正式な名前で天皇家に通じる存在というのが武士が武士たる根拠のはずなんだが、北条は一応平のなにがしと名乗ってるはずなんだけど、歴代の「朝敵」と言われる存在は歴史上何人か存在しますが、北条は勝手に「執権」と名乗ってみたり、将軍家である「源家」を滅ぼしてみたり、天皇家にまで正面切って争っている。
一見足利も天皇家と争ってるように見えるが正面切って争ってるわけではなく楠や新田という存在と戦っているが天皇家と戦ってわけではないが、北条は武士としても怪しい存在なのにまともに天皇家と戦ってるんだね、しかも、後鳥羽上皇らを追放し間接的に死に至らしめているとんでもない存在で正しく「朝敵」なんだね。
だいぶ太りましたな