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動画目次00:10 イントロ01:57 カルト的二元論 --世界の分け方03:02 仮想敵をつくる05:03 1. 信者に対して行われること05:39 1.1 批判的思考の放棄07:14 1.2 個性を認めない08:54 1.3 仮想敵との関係を断たせる10:22 1.4 特定の物を捨てさせる・持たせない10:52 1.5 裏切者・脱会者への見せつけ的制裁11:14 1.6 過去の自分との断絶12:32 1.7 時間的・金銭的な余裕を持たせない13:12 1.8 その他、日常の色々なことに制約を課す15:03 2. 仮想敵に対して行われること15:35 2.1 徹底した批判・排除17:24 2.2 テロ等による物理的な破壊工作17:38 2.3 アピール工作、予言19:18 3. 補足:マインドコントロール20:38 3.1 褒める等のポジティブなアクション21:54 3.2 制裁等のネガティブなアクション
パノプティコンという語を初めて知ることができました!(筋からそれてすみません🙇)僭越ながら調べてみると、相互監視というよりは、塔の人(権力者や漠然と社会とか?)に「常に監視されている」という感覚を内在化させて秩序に沿った行動をとらせることで、個々人の監視を自動化することを指すようですね。(光の加減で個々の独房の人からは他の囚人や監視者をはっきり見ることはできないそうです。夜に自車と対向車の間でホワイトアウトする歩行者みたいに、真ん中の監視者のことはよく見えないようになっている?…違うかもしれません💦)エホバの証人の場合でいうと、「エホバが常に見ておられるので教義に沿った行動をとるように」ということになるでしょうか。そういえば、教義には「エホバは目に見えない存在である」ともありましたね…(笑)
身近な具体例を挙げながら説明がされていてとても分かりやすい
日本の学校、会社すべてこれな気がする
とても勉強になりました!ありがとう!
カルトの定義ってなんなんでしょうかね。カルト化している場所を探せとなると、宗教だけでなく会社、村、政治団体、部活、ジム、種類を問わず色々出てくると思います。
一般的な教会でもあります。反対意見を聞かない。反対意見いう人をのけ者にする。サークル活動ならよくある話で納得しますが神様の組織だからいやなんです。老人ホームみたいな教会ですが活気ある人がいつかないです
私は宗教について、いちいち調べてしまう傾向があります。なんやかんや宗教が好きなんでしょうね。ところで、エホバの証人については、まだ末日聖徒キリスト教会(モルモン教会)の方がストーリーが通っていると思います。ジョセフ・スミスは神の言葉を伝える預言者という設定になっていますが、チャールズ・ラッセルは単なる聖書研究者なので、教会作れとか言われた訳でもない。ただ、1914年の第一次世界大戦勃発を預言したから、神に選ばれた(神の谷?)という話になっている訳で、別に神が教団をどう思っているかどうかはよく分からないので、なんでしょうかねえ、という感じですね。ただ、宗教的な教儀に関しては、大変興味深いものがありますが、矛盾を指摘するとなんやなんや怒ります。もっとも、カトリックやプロテスタントがまともかといえば、そうでもなくて、やはり聖書自体に矛盾があふれていますが、そこを指摘するともめます。笑さて、私は歴史的に存在した宗教は、基本的にカルト教団しか存在しないと理解して良いと思います。カルトかよりマシな教団かのどちらかだ、という事です。古代ローマ帝国、レコンキスタ、十字軍、大航海時代、宗教改革など、宗教教儀を巡り、血みどろの争いが繰り広げられてますし。また、原始仏教に関しても、実質古代インド版共産主義みたいなものだと思います。私はない。あるのは錯覚だ、なんて自我存在を否定されても、私(自我)はあるとしか思えないので、私はない、色即是空、諸法無我なんて説明されても、それは教説的なマインドコントロールであり、事実じゃないでしょう、と言いたくなります。(アイデンティティー・自我同一性の否定、私は私であってはいけない。)カルト研究については、かのマックス・ウェバー先生を初め、アメリカの社会学者もあれやこれや主張しているようですが、人文科学の領域であるので、客観的定義が曖昧なものになり、ゆえに勝手に定義しても良い、と思います。あくまでこの人はこう言っているという仮説に過ぎないのです。そこで、私もカルトについて定義しました。X軸1・独善性 哲学と宗教は違うと思います。宗教は直列的で、哲学は並列的なのです。基本的に哲学の構造は、A説とB説とC説があり、A説を支持するが、このような欠点があり、それを説明するのはC説が長けている、という見解で良いのです。ハイデカーによれば、全ての哲学は挫折する訳だから、それぞれ欠点を持っていても良い訳だけど、宗教はそれが完璧なものだと思い込んじゃう訳です。うちの教儀は最高哲学だ、と誇らしげに言っちゃった時点で駄目。2・排他性 他の教儀は駄目だと主張する。間接的に自説が正しい事を証明しようとする。Y軸3・閉鎖性独自の教儀体型が存在している。オリジナリティ、差別化をはかり、コミュニティーの結束をはかる。4・外交性世界救済を名目に、布教活動をする。信者の獲得。(xy軸のグラフの中心には集団主権がある。)このような感じで、こうした性質は多かれ少なかれどの教団もそうした傾向はみてとれます。イチローだって、3割バッターであり、7割は打てないのです。それが普通なんですが、完璧な教儀、神、存在を追求する事が、この世ならざるもの、という感じで、気持ちが悪いですね。みんなカルト教団(程度の問題)であった、世界は不完全で矛盾だらけだ、と解釈すれば、この手の話はすっきりする、と思うのです。
そ○か二世。まさにその通りです。
動画目次
00:10 イントロ
01:57 カルト的二元論 --世界の分け方
03:02 仮想敵をつくる
05:03 1. 信者に対して行われること
05:39 1.1 批判的思考の放棄
07:14 1.2 個性を認めない
08:54 1.3 仮想敵との関係を断たせる
10:22 1.4 特定の物を捨てさせる・持たせない
10:52 1.5 裏切者・脱会者への見せつけ的制裁
11:14 1.6 過去の自分との断絶
12:32 1.7 時間的・金銭的な余裕を持たせない
13:12 1.8 その他、日常の色々なことに制約を課す
15:03 2. 仮想敵に対して行われること
15:35 2.1 徹底した批判・排除
17:24 2.2 テロ等による物理的な破壊工作
17:38 2.3 アピール工作、予言
19:18 3. 補足:マインドコントロール
20:38 3.1 褒める等のポジティブなアクション
21:54 3.2 制裁等のネガティブなアクション
パノプティコンという語を初めて知ることができました!(筋からそれてすみません🙇)
僭越ながら調べてみると、相互監視というよりは、塔の人(権力者や漠然と社会とか?)に「常に監視されている」という感覚を内在化させて秩序に沿った行動をとらせることで、個々人の監視を自動化することを指すようですね。(光の加減で個々の独房の人からは他の囚人や監視者をはっきり見ることはできないそうです。夜に自車と対向車の間でホワイトアウトする歩行者みたいに、真ん中の監視者のことはよく見えないようになっている?…違うかもしれません💦)
エホバの証人の場合でいうと、「エホバが常に見ておられるので教義に沿った行動をとるように」ということになるでしょうか。そういえば、教義には「エホバは目に見えない存在である」ともありましたね…(笑)
身近な具体例を挙げながら説明がされていてとても分かりやすい
日本の学校、会社すべてこれな気がする
とても勉強になりました!ありがとう!
カルトの定義ってなんなんでしょうかね。カルト化している場所を探せとなると、宗教だけでなく会社、村、政治団体、部活、ジム、種類を問わず色々出てくると思います。
一般的な教会でもあります。反対意見を聞かない。反対意見いう人をのけ者にする。サークル活動ならよくある話で納得しますが神様の組織だからいやなんです。老人ホームみたいな教会ですが活気ある人がいつかないです
私は宗教について、いちいち調べてしまう傾向があります。なんやかんや宗教が好きなんでしょうね。
ところで、エホバの証人については、まだ末日聖徒キリスト教会(モルモン教会)の方がストーリーが通っていると思います。
ジョセフ・スミスは神の言葉を伝える預言者という設定になっていますが、チャールズ・ラッセルは単なる聖書研究者なので、教会作れとか言われた訳でもない。ただ、1914年の第一次世界大戦勃発を預言したから、神に選ばれた(神の谷?)という話になっている訳で、別に神が教団をどう思っているかどうかはよく分からないので、なんでしょうかねえ、という感じですね。ただ、宗教的な教儀に関しては、大変興味深いものがありますが、矛盾を指摘するとなんやなんや怒ります。もっとも、カトリックやプロテスタントがまともかといえば、そうでもなくて、やはり聖書自体に矛盾があふれていますが、そこを指摘するともめます。笑
さて、私は歴史的に存在した宗教は、基本的にカルト教団しか存在しないと理解して良いと思います。
カルトかよりマシな教団かのどちらかだ、という事です。
古代ローマ帝国、レコンキスタ、十字軍、大航海時代、宗教改革など、宗教教儀を巡り、血みどろの争いが繰り広げられてますし。また、原始仏教に関しても、実質古代インド版共産主義みたいなものだと思います。私はない。あるのは錯覚だ、なんて自我存在を否定されても、私(自我)はあるとしか思えないので、私はない、色即是空、諸法無我なんて説明されても、それは教説的なマインドコントロールであり、事実じゃないでしょう、と言いたくなります。(アイデンティティー・自我同一性の否定、私は私であってはいけない。)
カルト研究については、かのマックス・ウェバー先生を初め、アメリカの社会学者もあれやこれや主張しているようですが、人文科学の領域であるので、客観的定義が曖昧なものになり、ゆえに勝手に定義しても良い、と思います。あくまでこの人はこう言っているという仮説に過ぎないのです。そこで、私もカルトについて定義しました。
X軸
1・独善性
哲学と宗教は違うと思います。宗教は直列的で、哲学は並列的なのです。基本的に哲学の構造は、A説とB説とC説があり、A説を支持するが、このような欠点があり、それを説明するのはC説が長けている、という見解で良いのです。ハイデカーによれば、全ての哲学は挫折する訳だから、それぞれ欠点を持っていても良い訳だけど、宗教はそれが完璧なものだと思い込んじゃう訳です。うちの教儀は最高哲学だ、と誇らしげに言っちゃった時点で駄目。
2・排他性
他の教儀は駄目だと主張する。間接的に自説が正しい事を証明しようとする。
Y軸
3・閉鎖性
独自の教儀体型が存在している。オリジナリティ、差別化をはかり、コミュニティーの結束をはかる。
4・外交性
世界救済を名目に、布教活動をする。信者の獲得。
(xy軸のグラフの中心には集団主権がある。)
このような感じで、こうした性質は多かれ少なかれどの教団もそうした傾向はみてとれます。
イチローだって、3割バッターであり、7割は打てないのです。それが普通なんですが、完璧な教儀、神、存在を追求する事が、この世ならざるもの、という感じで、気持ちが悪いですね。
みんなカルト教団(程度の問題)であった、世界は不完全で矛盾だらけだ、と解釈すれば、この手の話はすっきりする、と思うのです。
そ○か二世。まさにその通りです。