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何か胸が痛くなりました言いたい事も言えず悲しみにも耐え泣きそうな気持ち
本当に、立場は恵まれていても、女性として幸せかと問われたら、決してそうではなかったのだろうなあと、感じてしまいますね🥲
最初はまるでダイアナさんと同じようで美智子正室は本当に新婚なのに辛い悲しい思いをされのかと思いました。最期は辛抱強くすべてを乗り越えて日本女性の真の強さをみせていただきました。😢
以前、慶喜公のひ孫の徳川慶朝さんの著書「徳川慶喜家にようこそ」を読みました。慶喜は暗殺者に寝込みを襲われた時に備えて、利き手を切られないように生涯右腕を下側にして寝ていたとか、多分側室だったと思いますが女性2人と川の字ではなくYの字型に寝ていたとか、親族でなければ知らないようなことが書いてあって面白かったです。一番驚いたのは、短期間でも将軍であった人が、カメラが好きで鉄道で遠方まで撮りに行ったり、雑誌に投稿してよく落選したりしていたということです。雑誌に投稿なんてそんな現代的な行動をしていたとは、それで気になってしまって、「将軍が撮った明治」という写真集も手に入れました。畑で作業する農民の白黒写真に慶喜が彩色してカラーにしていますが、将軍であった人がそうやって丁寧に農民の姿に色を塗っている様子を想像すると、大河ドラマでの人格は全て嘘だと思ってしまい、それきり時代モノは全く観なくなりました。こちらの動画の美賀子さんの写真がカラーになっているのは慶喜が彩色したのでしょうか。夫がそういう技巧ができるのに他人がやるとは思えません。写真集にある作品の色合いもこのように塗りすぎない優しい彩色になっています。正妻の様子のことは知らなかったのでこちらの動画が見れて良かったです。ありがとうございます。
コメントをくださりありがとうございます。私も美賀子さんの人生を少し覗くという動画を作らせていただきましたが、なにぶん勉強不足で、後々になり、慶喜のいろいろな側面をしったり、写真のことも少し知りましたが、しっかりと写真集を拝見したりは出来ていなくて、また機会があればぜひ様々な慶喜の資料を今後も見てみたいと思います^ ^自転車が確かお好きだったりと、もし現代に生きていたらわりと趣味を楽しんで謳歌されたのかなあ、何やら親しみを感じますね😊あと、美賀子さんの写真は、今かなり写真をカラーにするなどの技術が発達していて、サムネイルの画像は私自身で色付けさせて頂きました。今は、画質も、ぼんやりした写真を高画質にするなど、驚くほど技術が発達していてビックリしますよ🫢!慶喜のカラー写真もぜひ見てみたいと思いました^ ^まだまだ内容は本当にサラッとしたくらいの事しか動画に出来ていませんが、また機会があれば、もっと詳しく、違う視点からでも美賀子さんや、慶喜の動画が作れたらなあと思います^ ^ありがとうございました^ ^
@@rekisi-club 返信ありがとうございます。そうでしたか、この動画のために彩色したんですね。いい感じですね。最近は何でもできますよね。写真集を確認したところ、側室の新村信の肖像写真はありますが、あとは女中某というのばかりで、後ろのほうに親戚の白黒記念写真が少しありました。畑の写真は素敵ですが、今のAmazon価格だと買いたくない感じですね。慶朝さんの著書は、税金で徳川家の土地財産は無くなったとか、職場の女の子にどこの出身か聞かれて困惑したとか、慶朝さん自身の話も多いですが、慶喜公がすごい多趣味だというのも書いてあってオススメです。後半生は趣味三昧でとても幸福だったそうです。
なんか泣いちゃった😢切ない。
😢
何かダイアナ妃とカミラを思い出した。カミラは今では王妃に収まってるけどねダイアナ妃も自殺未遂をしたんじゃなかったっけ?遠隔霊視のナターシャさんが盗っ人猛々しいとも言ってたな、ホントよく王妃に収まれるよな。
多分、徳信院は、男性として慶喜を好きだったとは思わないのですが、やはり美賀子に配慮が少し欠けていたのかなあ?と、思わざるを得ないところはありますよね🧐若い頃なので、微妙な気持ちもおありだったかもですが…しかしカミラさん、歳下男性を手のひらで転がしたかな的な…😅ぐっと堪えるという部分はないですよねー…
カミラを初めて見た時、子供ながらに「え?こんなブ○なお婆さんが??」「ダイアナ妃の方がずっと綺麗なのに」と思った。でも最近になって、チャールズは幼少期 母親(エリザベス女王)とは母であっても距離感を感じて他人のようだったということを知ってから、あぁなるほどカミラに母的なものも深層心理的に求めてるのかなと感じました。ダイアナは年下だし、母的な感じはしないからね。😢チャールズには向いてなかったんだろうな〜
全く同感です。
チャールズさんとダイアナさんは、世紀のミスマッチって英国民が言ってました。お互い結婚前に先が厳しい事に気付いて周囲に相談したようですが、時期が遅過ぎた。御輿を止める事は出来なかった。結婚すれば何か変わると期待したのでしょうか?殆どを子供の為に我慢した期間だった様に思います。
@@高槻美奈子さん ダイアナさんはまだ若く、王太子妃、王妃の立場に非常に憧れていて、夫との関係への不安や苦悩より、自分の身分にかなりのこだわりがあったとの事。イギリス人の見解です。後、自4未遂は、ダイアナさんの狂言でした。
歴史が好きで歴史小説大好きです。特に女性が主役になっている歴史小説はさらに好きで読みました。実写の写真が気になって見ましたが徳信院の写真が晩年のせいか美賀子さんの方が全然綺麗です。
コメントくださりありがとうございます😊動画では写真があれば写真を載せますが、徳信院の写真が本当に少ないのが残念です。昔の美人の定義も今とはかなり違うと思いますが、本当に和風なお顔立ちのように感じますね🧐美賀子さんは、可愛らしく、美人さんでもあるなあと思いました😊
徳信院は、顔がどうのという以上に、慶喜公と政治向きの話ができるような賢い人だったようです。慶喜の生母、吉子女王も、同様に賢い女性で、慶喜と2人で、暴走親父こと実父の徳川斉昭を諌めたりもしてました。慶喜公は、頭の良い、デキる女性が好きだったんですよ。特に若い頃は。あるいは、テキパキ仕事できる女性。京都滞在中に側においていた新門辰五郎の娘も、このタイプでした。逆に、美を競うしか能のない女性は好きではなかった。 徳信院や慶喜生母は宮家の姫。美香子の前の婚約者は、摂関家の姫。美香子の実家は、それに比べると見劣りがするので、コンプレックスの裏返しで、過激な行動に走ったのかな、とも思います。ただ、美香子は、慶喜公の謹慎中に娘を死産してるので、それなりのことはしてたと思いますよ。
側室の幸と信は本当の姉妹かと思われるくらい仲良しで、それぞれかわりばんこに慶喜のお相手を勤めていたとか。考えれば、寵愛をめぐっての不毛なバトルよりもはるかに得策です。生まれたお子達はそれぞれ良家に嫁いだり養子に行ったりして晩年対策もバッチリ‼️
素晴らしいおふたりですね!そういえばお顔も似ていらっしゃるような…😃なんとなく、みんな仲良かったような感じで、晩年は穏やかだったのかもですね〜😊
お江戸基準では、ややしゃくれた顎、細い目、狭い額の持ち主が美人だったので、おでこと目の大きい正室様は美人扱いされへんかったかもね・・
まあ…🥲美人の基準が本当に様々ですね。そういえば慶喜の後の妾お二人も、面長な、瓜実顔というか、、🤔
とても楽しく拝見しました。いろんなチャンネルで取り上げられていますが、特に今回胸詰まる思いがしました。次回更新楽しみにしています。
そのようにおっしゃっていただけて感無量です😂これからも頑張ります😊❗️
慶喜の気持ちも聞いてみたい
その事ですよ🧐
美賀子が気の毒になりました、慶喜は何を考えていると思ってしまいましたね。 徳信院が春嶽の兄嫁なんて世間は狭い、美賀子の次は徳信院の事も取り上げて欲しいです。
私もそう思いました。何も考えてないなと思いました😅まあ、育ちも手伝ってるのかなとも思いますが…晩年の頃は、もう少し優しくはなっていたのかなあとは思いますが、美賀子は本当に耐え忍んだ人生でしたよね。徳信院は聡明な方かなと思いますし、もし機会がありましたらぜひスポットをあてさせていただければと思います😊ありがとうございます😆
同じ女性として、何やら哀しい人生でしたね。こういう話をどなたか、ドラマにして頂けないかしらん😢
まさに「じっとがまんの子であった」と言うような人生でしたが、けど最後にあのような歌を残すとは、やはり慶喜も優しいところもあったのか?もっとよく調べてみたいと私も思いました。サラッと覗いてみたくらいではモノたらないですよね🤔
当時は武家 公家 お手つき女中 政略結婚 当たり前なんです
男子産むのが女性たちの役割
後嫉妬深きご気性。って?何?嫉妬するでしょうが。駄目なの?真っ当な気がするんだけどな。
ですよね😂わりとみんな言いたいように言っていた事に驚きました。😂何しろ調べていると当時の美賀君は気性が荒いと出ていますが、素直に自分を表現した正直な女性だと思うのです…可愛いと思うのですが🤔最期にあの歌を慶喜に贈る事が出来るくらい可愛らしく素直な女性きっと慶喜さんも案外面白い男性だったのかも…静岡では若い時の感情的に激しい面影は全くなく、とても気品溢れる美賀子さんだったようです!子供や孫から見ても本当に綺麗な人だったみたいです!😍
昔の天皇家も、将軍家も、正室は【飾り物】で、側室に子供を産ませる事が多かったように思います。正室はまず家柄のいい女子が条件で、そうなると、まず下世話な夜のご奉仕など出来ない訳ですよ。そのため、側室に選ばれし女子は、子供を産む事で出世に繋がり、ことさら男子を産めば生母として大切に扱われるので、それはそれは頑張ってご奉仕したのだと思います。勿論、人間同士なので、相性というのもありますが、昔の家柄がいい女子は、プライドが高く、気の強い人が多かったのかもしれませんね。
なるほど、非常にわかりやすく、納得しました!🤔たしかに美賀子は年齢も手伝って、やはりプライドが許さない部分はかなりあったでしょうね、そのような美賀子は慶喜を寄せ付けない雰囲気も醸したかも知れないですね…😅晩年にはなんとなく互いに心も開いて穏やかに過ごせたからこそ、あのような歌も美賀子は残して、早く互いにわかりあえたらよかったなあと残念に思ったでしょうか🥲いろいろな立場の女性の思いがありますが、慶喜はわりと女性には恵まれているような気がしますね😃
でも、嫁にくる前に夜のそういう事は勉強してからくるはず。特に良家は徹底して教えてから嫁ぐはず。ただ、好き好んで将軍家の御台所になろうとする公家や、皇族出身の姫はいなかったと思う。子供も産ませてもらえないし、多くは不遇だったんじゃないかな。お飾りの御台所。本当にそうですね。
恋心は、抑えられない年頃の夫。ならば立場をわきまえて、正室の元へ帰る様にいうのが普通。しかし、いつの世も、美人と優しさには勝てないのでしょうかね。おかわいそうに。最後まで正室として扱われたのは周囲のバランスを保つためには正しかったけど、胸が痛みました。イケメンは罪な一面がありますね。
美賀子さんには、生まれ変わったら、自由に思い切り好きな人と愛し愛される人生を送っていただきたいですね!🥹
@@rekisi-club そうですね。お互いに好きな人はいた様な気もしますが、身分の格差や美しさなどでは、限られた中で選ぶ側の皇太子様も割り切るしかないでしょうね。浪費家の妻には手を焼いていらっしゃる様ですよ(^^)上皇さまはね。
写真見ると美賀子さんは現代風で可愛い顔立ちなのにね。
そうなんですよね〜😍当時も周りの方々からとても綺麗な人と言われていたようで、静岡では性格もおっとりしてまさにお公家出身という感じだったようですよ🥰せっかくの美人で可愛い女性が勿体ない…仕方ないけど…🥲
@@rekisi-club さま 江戸時代は数え二十歳で「小年増」っていわれたんのにね。
たぶん慶喜さんも幕末の混乱期にあって、どういう方向に舵をきるかで精一杯だったのではないかと思います。癒やしてくれる人が必要だったのでしょう。正室として歳を重ねてその事がしっかりと理解できるようになったのではないかと。お輿入のはじめからきちんとしたサポート役がいればよかったのでしょうけれど。すべて敵か味方かの疑心暗鬼になったのでしょう。
なるほど、たしかにおっしゃる通りと感じます😃!幕末動乱期、重要な立場にいた慶喜たちは本当に大変だったでしょう、なかなか一般市民には理解できないほどの苦悩があったでしょうね。輿入れの時のサポート、そのような人がいたら当初は随分違ったでしょうね、互いに晩年には少しずつ互いを理解し合えるようになり、穏やかに過ごせたかもしれないですね^ ^
とてもいいお話でした。
ありがとうございます😭
私もすぐに浅田真央さんと似てる❤と思いました‼️
私もです💓😳
美賀子さんて…あまりにもかわいそうな人生だったのでは?徳川家に嫁がなければ、公家のお姫様として安泰な人生を~と、思ってしまいます。
また違いますが、孝明天皇の妹である和宮さんは降嫁して徳川家茂さんと半ば無理矢理結婚しますが、夫婦仲は非常に仲睦まじく、運命に翻弄されても幸せになったパターンかと思いますが、美賀子さんの場合はあまり幸せとは言えない夫婦仲となり、本当に残念です😢…こればかりは言うていくところもないですしね🥲
楽しく拝見しました。確か徳川慶喜さんは江戸に行くと「○○」←昔で言うイケメン、と言って、城内の女性達が沸き上がったそうですね。テレビでやってました。平安時代をのぞいて、今も昔もイケメンって同じなのでしょうか。左右均整な顔立ちで目が美しい。もしテレビでやるなら、ディーンフジオカに演じて欲しいです。
動画を見てくださりありがとうございます😊❗️やはり今も昔もイケメンを追いかける女性たち…😂🌸慶喜はどこかへ逃げる時も必ず近くに女性を伴ったらしいのですが、まあ自然と女性もついて行っちゃうんですかねー🤔本当慶喜(呼び捨てすみません🙇♀️)モテそうですもんね🤣仕方ないか🤔❗️
美賀君😢😢😢美人だよね。😢😢😢
ですよね🥹時代の基準はあるのかもしれませんが…
チャールズ皇太子と、カミラ夫人、ダイアナ王妃と同じですね!昔から皇室は、グダグダですね😮💨
いや〜江戸時代とかそれより前とか、乱れていますよね〜😂…徳信院さんは多分本当に母親のような女性だったのだと思いますが…
離婚も出来ないひどい話
そうなんですよね🥲ただ、最期に慶喜へ送ったという歌が、素直な美賀子のピュアさを感じますが、静岡では大人になって慶喜への見方も変化したのかなあとも思いました😊まあ本当に想像ですが😅
御台所に手を付けないのも江戸地代の伝統ではある慶喜は尊皇思想の強い水戸家の出身だから女王である義理の祖母には懐いたのだろうけど、いくら美人でも大納言程度の家の娘を有難がらなかったのだろう(慶喜の母も有栖川宮家出身)。
たしかにおっしゃる通りかもしれませんね🥲
30代になったら愛だの恋だの考えることもなく夫のことなど無関心になったから側室が何人いようが子供がいようが年上の愛人のような義姉がいようがどうでもよくなったんじゃないのかな?
歳をとるってある意味楽になりますよね〜🤔(しみじみ…)
女性としてあまりにも寂しい限り、そんな周囲の進めでの結婚は(女)としての幸せとは程遠い気の毒な人生です!そんな結婚は勧めませんししたくもない!
本当に、おっしゃる通りだと思います🥲晩年は少しでも穏やかに過ごされていたらほっとするのですが…
美香子の方が写真が若い頃のものなのか?可愛いと思うけど慶喜の感性とか当時の感覚と違うのでしょうか?何だか淋しいけどその時代に従わなければならなかったのですね。
美賀子さんの方が若い写真かもしれないですね、徳信院さんはやはり和風というか…??顔のタイプが全然違うように思います🤔面長なしっとりした和風美人が好みだったかも?ふたりの旗本の妾は写真で選んだそうですよ🤔本当に時代ですよね🥲
近代みたく、情報が垂れ流しじゃないからそんな技術なかった時代なんで真実はこれとは言えない所が歴史は面白い😆100年後200年後皆様が鬼籍に入ってる未来は、確実な歴史が伝えられるでしょうね!
コメントありがとうございます😍本当にそれが歴史のロマンですかね〜😄👍
林真理子が美賀子さんをモデルにした小説を書いてましたね
私はずかしながら読んだことがありませんが、紹介文等検索して拝見していますと、やはり晩年は何やらおだやかに夫婦暮らしておられたのかなあ?最後にもっと一緒にいたかったというようなうたをよんでいますしね🤔
「正妻」という小説です。
@@仁志-z8l サンクス!
篤姫と和宮までしか知りませんでした。慶喜にもちゃんと奥さんがいたんですね。
コメントありがとうございます😊やはり男性は有名でも妻はなかなか知らない事多いですよね。😃
人様の名前を誤読するって、最も失礼なことだと思います。びがご ってなんですの?
本当にすみません🙇♀️今後気をつけて参ります、どうぞ宜しくお願い致します🙇♀️
ミカコじゃなくビガコなの?聞いてて、えらく気になる
大変すみません🙇♀️ミカコでございます🙇♀️💦今後気をつけます💦💦💦
慶喜が好きというよりこれしか選択権が無いからしゃあないよね。他に趣味とかあれば気も紛れるだろうけど。
そうですよね〜😅たしかに🤙
どうせ政略結婚なのに顔(*゚∀゚)に痘痕が出来たくらいで駄目に成るってよう解らん😂
私もそう思いましたが、いろいろ残っている天然痘になった人の写真を拝見すると「確かにこれは非常に厳しいかも…」と思たんですよ😱どれくらいの痕だったのでしょうね😢
泣いてしまった😢
夫婦でありながら距離があり、切なくなりますね🥲
お公家の令嬢、公家の娘としては珍しく慶喜との間にお子をお生みになった(死産)
もしや10年もの歳月を一緒に過ごしていたら、大きくなる子供も授かったかもしれないですね🤔それもまたご縁でしょうが…
なかなか面白いですね!
本当ですか!😂よかったです…🌸
まおちゃん 私も 思いながら見ていて内容が入ってこなかった😊
😆
昔にだと、晩婚ですよね、もっともっと若く婚儀を結ぶから
今徳信院さんの動画を作っていますが、12歳で輿入れです!小学校6年生?
大河ドラマ慶喜では義理の母、と書かれてますよ
またあらためて動画にしたいですね〜😊
一橋慶喜は御三卿の登城日に登城したので、父徳川斉昭たちのような不時登城には当たりません。
ご指摘くださりありがとうございます!勉強不足で間違えておりました。もう一度しっかり勉強いたします😃ありがとうございました。
慶喜の母も公家出すよね
これまた高貴な公家の母親でしたね!
宅持ちでも徳川の甘えもあり徳川に与えるには勿体無い京都からの美賀子さんでした。あー勿体無い!心の贅沢も遥かに清く上だったのでしょう。能謡いを習うなら私の謡いの善さがわかるはずもなくと御華満ちて上手くなってから私の夫となったらと見限ったのでしょう。マナーと品位が有るから黙って頂きにいる妻を知らぬ罰当たりの夫の器量無しと見限りこんなはずではと嘆いたことでしょう。そもそも徳川が良い学があるだなんて今でも有るはずもないとわかったときは時すでに遅しで離婚したかったことでしょう。一条が京都で育ったのだから都にいるべきところを都落ちさせた酷さ。都は京都です。お気の毒に。魔が住む東京と百年前の悲劇。
コメントくださりありがとうございます😊たしかにもったいない美賀子さんですね😥気品があったのでしょうね、美賀子さんだからこそ耐え抜いたのか…🤔
いっちゃんアカン対応やええしのお嬢様は大概、線がずれていたのに、相当、他の気づかいなさすぎには面倒くさい嫁女に移ったんやろ。一緒に湯屋に入るとか・・方法はいくらもあったろうが豊島のテクニシャン委は負けたのやろ・・・そこ責められたくはないが…相当生霊飛ばしとったんやろVVVV
たしかに😊👍わりと不器用そうですよね、慶喜さん😃
天然痘は生き残っても跡が残ります。跡が顔に集中したのですね
そうですね、当時の写真なんかを見ると本当にこわいですね😢
せつないですね…
静岡では二人はわりと理解し合えたようにも思いますが、こればかりはふたりにしかわかりませんが…🥲
美賀子さまの方が私のタイプ。
😆👍
美人薄命 二重の現代美女みたい。
なんとなく激しい部分が取り沙汰されてしまっていますが、美賀子さん、お公家出身、京出身らしく、はんなりとしておっとりしたとても綺麗な女性だったようですね^ ^こんな女性が奥様で、慶喜さんは女性に恵まれたラッキーな男性ではないかと思いました😃
美人・・・?
^ ^どうでしょうか…?
一条は平民。本物なら嫁には取りません❗️皆さんもご存知の小倉の工藤組です❗️
美賀子さん、調べていますと、今出川公久の、もしかしたら妾の子供さんであったかもしれないですね🧐コメントくださりありがとうございます😊
烈公斉昭の好色の血と云うべきか?(笑)維新後に一気に慶喜のタガがハズレた模様(笑)そもそも大政奉還前後鳥羽伏見敗北から寛永寺水戸謹慎と別居期間が長過ぎたからなあ。
本当ですね!😊笑たしかに若い頃からいつも側に女性がいたというらしいので(身の危険が迫る折にも)これぞ好色一代男と言うのでしょうか😄一番の女性として魅力ある時期に離れ離れではなんともですよねー…😂もう、これは定めというか…
@@rekisi-club ルール
何か胸が痛くなりました
言いたい事も言えず悲しみにも耐え泣きそうな気持ち
本当に、立場は恵まれていても、女性として幸せかと問われたら、決してそうではなかったのだろうなあと、感じてしまいますね🥲
最初はまるでダイアナさんと同じようで美智子正室は本当に新婚なのに辛い悲しい思いをされのかと思いました。最期は辛抱強くすべてを乗り越えて日本女性の真の強さをみせていただきました。😢
以前、慶喜公のひ孫の徳川慶朝さんの著書「徳川慶喜家にようこそ」を読みました。慶喜は暗殺者に寝込みを襲われた時に備えて、利き手を切られないように生涯右腕を下側にして寝ていたとか、多分側室だったと思いますが女性2人と川の字ではなくYの字型に寝ていたとか、親族でなければ知らないようなことが書いてあって面白かったです。
一番驚いたのは、短期間でも将軍であった人が、カメラが好きで鉄道で遠方まで撮りに行ったり、雑誌に投稿してよく落選したりしていたということです。雑誌に投稿なんてそんな現代的な行動をしていたとは、それで気になってしまって、「将軍が撮った明治」という写真集も手に入れました。畑で作業する農民の白黒写真に慶喜が彩色してカラーにしていますが、将軍であった人がそうやって丁寧に農民の姿に色を塗っている様子を想像すると、大河ドラマでの人格は全て嘘だと思ってしまい、それきり時代モノは全く観なくなりました。
こちらの動画の美賀子さんの写真がカラーになっているのは慶喜が彩色したのでしょうか。夫がそういう技巧ができるのに他人がやるとは思えません。写真集にある作品の色合いもこのように塗りすぎない優しい彩色になっています。
正妻の様子のことは知らなかったのでこちらの動画が見れて良かったです。ありがとうございます。
コメントをくださりありがとうございます。
私も美賀子さんの人生を少し覗くという動画を作らせていただきましたが、なにぶん勉強不足で、後々になり、慶喜のいろいろな側面をしったり、写真のことも少し知りましたが、しっかりと写真集を拝見したりは出来ていなくて、また機会があればぜひ様々な慶喜の資料を今後も見てみたいと思います^ ^
自転車が確かお好きだったりと、もし現代に生きていたらわりと趣味を楽しんで謳歌されたのかなあ、何やら親しみを感じますね😊
あと、美賀子さんの写真は、今かなり写真をカラーにするなどの技術が発達していて、サムネイルの画像は私自身で色付けさせて頂きました。今は、画質も、ぼんやりした写真を高画質にするなど、驚くほど技術が発達していてビックリしますよ🫢!慶喜のカラー写真もぜひ見てみたいと思いました^ ^
まだまだ内容は本当にサラッとしたくらいの事しか動画に出来ていませんが、また機会があれば、もっと詳しく、違う視点からでも美賀子さんや、慶喜の動画が作れたらなあと思います^ ^
ありがとうございました^ ^
@@rekisi-club 返信ありがとうございます。そうでしたか、この動画のために彩色したんですね。いい感じですね。最近は何でもできますよね。
写真集を確認したところ、側室の新村信の肖像写真はありますが、あとは女中某というのばかりで、後ろのほうに親戚の白黒記念写真が少しありました。畑の写真は素敵ですが、今のAmazon価格だと買いたくない感じですね。慶朝さんの著書は、税金で徳川家の土地財産は無くなったとか、職場の女の子にどこの出身か聞かれて困惑したとか、慶朝さん自身の話も多いですが、慶喜公がすごい多趣味だというのも書いてあってオススメです。後半生は趣味三昧でとても幸福だったそうです。
なんか泣いちゃった😢切ない。
😢
何かダイアナ妃とカミラを思い出した。カミラは今では王妃に収まってるけどねダイアナ妃も自殺未遂をしたんじゃなかったっけ?遠隔霊視のナターシャさんが盗っ人猛々しいとも言ってたな、ホントよく王妃に収まれるよな。
多分、徳信院は、男性として慶喜を好きだったとは思わないのですが、やはり美賀子に配慮が少し欠けていたのかなあ?と、思わざるを得ないところはありますよね🧐若い頃なので、微妙な気持ちもおありだったかもですが…
しかしカミラさん、歳下男性を手のひらで転がしたかな的な…😅ぐっと堪えるという部分はないですよねー…
カミラを初めて見た時、子供ながらに
「え?こんなブ○なお婆さんが??」
「ダイアナ妃の方がずっと綺麗なのに」と思った。でも最近になって、チャールズは幼少期 母親(エリザベス女王)とは母であっても距離感を感じて他人のようだったということを知ってから、あぁなるほどカミラに母的なものも深層心理的に求めてるのかなと感じました。ダイアナは年下だし、母的な感じはしないからね。😢チャールズには向いてなかったんだろうな〜
全く同感です。
チャールズさんとダイアナさんは、世紀のミスマッチって英国民が言ってました。
お互い結婚前に先が厳しい事に気付いて周囲に相談したようですが、時期が遅過ぎた。御輿を止める事は出来なかった。
結婚すれば何か変わると期待したのでしょうか?
殆どを子供の為に我慢した期間だった様に思います。
@@高槻美奈子さん ダイアナさんはまだ若く、王太子妃、王妃の立場に非常に憧れていて、夫との関係への不安や苦悩より、自分の身分にかなりのこだわりがあったとの事。イギリス人の見解です。後、自4未遂は、ダイアナさんの狂言でした。
歴史が好きで歴史小説大好きです。特に女性が主役になっている歴史小説はさらに好きで読みました。実写の写真が気になって見ましたが徳信院の写真が晩年のせいか美賀子さんの方が全然綺麗です。
コメントくださりありがとうございます😊動画では写真があれば写真を載せますが、徳信院の写真が本当に少ないのが残念です。昔の美人の定義も今とはかなり違うと思いますが、本当に和風なお顔立ちのように感じますね🧐美賀子さんは、可愛らしく、美人さんでもあるなあと思いました😊
徳信院は、顔がどうのという以上に、慶喜公と政治向きの話ができるような賢い人だったようです。
慶喜の生母、吉子女王も、同様に賢い女性で、慶喜と2人で、暴走親父こと実父の徳川斉昭を諌めたりもしてました。
慶喜公は、頭の良い、デキる女性が好きだったんですよ。
特に若い頃は。
あるいは、テキパキ仕事できる女性。
京都滞在中に側においていた新門辰五郎の娘も、このタイプでした。
逆に、美を競うしか能のない女性は好きではなかった。
徳信院や慶喜生母は宮家の姫。
美香子の前の婚約者は、摂関家の姫。
美香子の実家は、それに比べると見劣りがするので、コンプレックスの裏返しで、過激な行動に走ったのかな、とも思います。
ただ、美香子は、慶喜公の謹慎中に娘を死産してるので、それなりのことはしてたと思いますよ。
側室の幸と信は本当の姉妹かと思われるくらい仲良しで、それぞれかわりばんこに慶喜のお相手を勤めていたとか。
考えれば、寵愛をめぐっての不毛なバトルよりもはるかに得策です。
生まれたお子達はそれぞれ良家に嫁いだり養子に行ったりして晩年対策もバッチリ‼️
素晴らしいおふたりですね!そういえばお顔も似ていらっしゃるような…😃なんとなく、みんな仲良かったような感じで、晩年は穏やかだったのかもですね〜😊
お江戸基準では、ややしゃくれた顎、細い目、狭い額の持ち主が美人だったので、おでこと目の大きい正室様は美人扱いされへんかったかもね・・
まあ…🥲美人の基準が本当に様々ですね。そういえば慶喜の後の妾お二人も、面長な、瓜実顔というか、、🤔
とても楽しく拝見しました。
いろんなチャンネルで取り上げられていますが、
特に今回胸詰まる思いがしました。
次回更新楽しみにしています。
そのようにおっしゃっていただけて感無量です😂これからも頑張ります😊❗️
慶喜の気持ちも聞いてみたい
その事ですよ🧐
美賀子が気の毒になりました、慶喜は何を考えていると思ってしまいましたね。
徳信院が春嶽の兄嫁なんて世間は狭い、美賀子の次は徳信院の事も取り上げて欲しいです。
私もそう思いました。何も考えてないなと思いました😅まあ、育ちも手伝ってるのかなとも思いますが…晩年の頃は、もう少し優しくはなっていたのかなあとは思いますが、美賀子は本当に耐え忍んだ人生でしたよね。
徳信院は聡明な方かなと思いますし、もし機会がありましたらぜひスポットをあてさせていただければと思います😊ありがとうございます😆
同じ女性として、何やら哀しい人生でしたね。こういう話をどなたか、ドラマにして頂けないかしらん😢
まさに「じっとがまんの子であった」と言うような人生でしたが、けど最後にあのような歌を残すとは、やはり慶喜も優しいところもあったのか?もっとよく調べてみたいと私も思いました。サラッと覗いてみたくらいではモノたらないですよね🤔
当時は武家 公家 お手つき女中 政略結婚 当たり前なんです
男子産むのが女性たちの役割
後嫉妬深きご気性。って?何?嫉妬するでしょうが。駄目なの?真っ当な気がするんだけどな。
ですよね😂
わりとみんな言いたいように言っていた事に驚きました。😂
何しろ調べていると当時の美賀君は気性が荒いと出ていますが、素直に自分を表現した正直な女性だと思うのです…可愛いと思うのですが🤔最期にあの歌を慶喜に贈る事が出来るくらい可愛らしく素直な女性
きっと慶喜さんも案外面白い男性だったのかも…
静岡では若い時の感情的に激しい面影は全くなく、とても気品溢れる美賀子さんだったようです!子供や孫から見ても本当に綺麗な人だったみたいです!😍
昔の天皇家も、将軍家も、正室は【飾り物】で、側室に子供を産ませる事が多かったように思います。正室はまず家柄のいい女子が条件で、そうなると、まず下世話な夜のご奉仕など出来ない訳ですよ。
そのため、側室に選ばれし女子は、子供を産む事で出世に繋がり、ことさら男子を産めば生母として大切に扱われるので、それはそれは頑張ってご奉仕したのだと思います。
勿論、人間同士なので、相性というのもありますが、昔の家柄がいい女子は、プライドが高く、気の強い人が多かったのかもしれませんね。
なるほど、非常にわかりやすく、納得しました!🤔たしかに美賀子は年齢も手伝って、やはりプライドが許さない部分はかなりあったでしょうね、そのような美賀子は慶喜を寄せ付けない雰囲気も醸したかも知れないですね…😅晩年にはなんとなく互いに心も開いて穏やかに過ごせたからこそ、あのような歌も美賀子は残して、早く互いにわかりあえたらよかったなあと残念に思ったでしょうか🥲いろいろな立場の女性の思いがありますが、慶喜はわりと女性には恵まれているような気がしますね😃
でも、嫁にくる前に夜のそういう事は勉強してからくるはず。
特に良家は徹底して教えてから嫁ぐはず。
ただ、好き好んで将軍家の御台所になろうとする公家や、皇族出身の姫はいなかったと思う。
子供も産ませてもらえないし、多くは不遇だったんじゃないかな。
お飾りの御台所。本当にそうですね。
恋心は、抑えられない年頃の夫。ならば立場をわきまえて、正室の元へ帰る様にいうのが普通。
しかし、いつの世も、美人と優しさには勝てないのでしょうかね。
おかわいそうに。最後まで正室として扱われたのは周囲のバランスを保つためには正しかったけど、胸が痛みました。イケメンは罪な一面がありますね。
美賀子さんには、生まれ変わったら、自由に思い切り好きな人と愛し愛される人生を送っていただきたいですね!🥹
@@rekisi-club そうですね。お互いに好きな人はいた様な気もしますが、身分の格差や美しさなどでは、限られた中で選ぶ側の皇太子様も割り切るしかないでしょうね。
浪費家の妻には手を焼いていらっしゃる様ですよ(^^)上皇さまはね。
写真見ると美賀子さんは現代風で可愛い顔立ちなのにね。
そうなんですよね〜😍当時も周りの方々からとても綺麗な人と言われていたようで、静岡では性格もおっとりしてまさにお公家出身という感じだったようですよ🥰
せっかくの美人で可愛い女性が勿体ない…仕方ないけど…🥲
@@rekisi-club さま 江戸時代は数え二十歳で「小年増」っていわれたんのにね。
たぶん慶喜さんも幕末の混乱期にあって、どういう方向に舵をきるかで精一杯だったのではないかと思います。癒やしてくれる人が必要だったのでしょう。正室として歳を重ねてその事がしっかりと理解できるようになったのではないかと。お輿入のはじめからきちんとしたサポート役がいればよかったのでしょうけれど。すべて敵か味方かの疑心暗鬼になったのでしょう。
なるほど、たしかにおっしゃる通りと感じます😃!
幕末動乱期、重要な立場にいた慶喜たちは本当に大変だったでしょう、なかなか一般市民には理解できないほどの苦悩があったでしょうね。輿入れの時のサポート、そのような人がいたら当初は随分違ったでしょうね、互いに晩年には少しずつ互いを理解し合えるようになり、穏やかに過ごせたかもしれないですね^ ^
とてもいいお話でした。
ありがとうございます😭
私もすぐに浅田真央さんと似てる❤と思いました‼️
私もです💓😳
美賀子さんて…あまりにもかわいそうな人生だったのでは?徳川家に嫁がなければ、公家のお姫様として安泰な人生を~と、思ってしまいます。
また違いますが、孝明天皇の妹である和宮さんは降嫁して徳川家茂さんと半ば無理矢理結婚しますが
、夫婦仲は非常に仲睦まじく、運命に翻弄されても幸せになったパターンかと思いますが、美賀子さんの場合はあまり幸せとは言えない夫婦仲となり、本当に残念です😢…こればかりは言うていくところもないですしね🥲
楽しく拝見しました。確か徳川慶喜さんは江戸に行くと「○○」←昔で言うイケメン、と言って、城内の女性達が沸き上がったそうですね。テレビでやってました。平安時代をのぞいて、今も昔もイケメンって同じなのでしょうか。左右均整な顔立ちで目が美しい。もしテレビでやるなら、ディーンフジオカに演じて欲しいです。
動画を見てくださりありがとうございます😊❗️やはり今も昔もイケメンを追いかける女性たち…😂🌸慶喜はどこかへ逃げる時も必ず近くに女性を伴ったらしいのですが、まあ自然と女性もついて行っちゃうんですかねー🤔
本当慶喜(呼び捨てすみません🙇♀️)モテそうですもんね🤣仕方ないか🤔❗️
美賀君😢😢😢
美人だよね。😢😢😢
ですよね🥹時代の基準はあるのかもしれませんが…
チャールズ皇太子と、カミラ夫人、ダイアナ王妃と同じですね!昔から皇室は、グダグダですね😮💨
いや〜江戸時代とかそれより前とか、乱れていますよね〜😂…徳信院さんは多分本当に母親のような女性だったのだと思いますが…
離婚も出来ないひどい話
そうなんですよね🥲
ただ、最期に慶喜へ送ったという歌が、素直な美賀子のピュアさを感じますが、静岡では大人になって慶喜への見方も変化したのかなあとも思いました😊まあ本当に想像ですが😅
御台所に手を付けないのも江戸地代の伝統ではある
慶喜は尊皇思想の強い水戸家の出身だから女王である義理の祖母には懐いたのだろうけど、いくら美人でも大納言程度の家の娘を有難がらなかったのだろう(慶喜の母も有栖川宮家出身)。
たしかにおっしゃる通りかもしれませんね🥲
30代になったら愛だの恋だの考えることもなく夫のことなど無関心になったから
側室が何人いようが子供がいようが年上の愛人のような義姉がいようがどうでもよくなったんじゃないのかな?
歳をとるってある意味楽になりますよね〜🤔(しみじみ…)
女性としてあまりにも寂しい限り、そんな周囲の進めでの結婚は(女)としての幸せとは程遠い気の毒な人生です!そんな結婚は勧めませんししたくもない!
本当に、おっしゃる通りだと思います🥲晩年は少しでも穏やかに過ごされていたらほっとするのですが…
美香子の方が写真が若い頃のものなのか?可愛いと思うけど慶喜の感性とか当時の感覚と違うのでしょうか?何だか淋しいけどその時代に従わなければならなかったのですね。
美賀子さんの方が若い写真かもしれないですね、徳信院さんはやはり和風というか…??顔のタイプが全然違うように思います🤔
面長なしっとりした和風美人が好みだったかも?
ふたりの旗本の妾は写真で選んだそうですよ🤔
本当に時代ですよね🥲
近代みたく、情報が垂れ流しじゃないからそんな技術なかった時代なんで真実はこれとは言えない所が歴史は面白い😆
100年後200年後皆様が鬼籍に入ってる未来は、確実な歴史が伝えられるでしょうね!
コメントありがとうございます😍
本当にそれが歴史のロマンですかね〜😄👍
林真理子が美賀子さんをモデルにした小説を書いてましたね
私はずかしながら読んだことがありませんが、紹介文等検索して拝見していますと、やはり晩年は何やらおだやかに夫婦暮らしておられたのかなあ?
最後にもっと一緒にいたかったというようなうたをよんでいますしね🤔
「正妻」という小説です。
@@仁志-z8l サンクス!
篤姫と和宮までしか知りませんでした。慶喜にもちゃんと奥さんがいたんですね。
コメントありがとうございます😊やはり男性は有名でも妻はなかなか知らない事多いですよね。😃
人様の名前を誤読するって、最も失礼なことだと思います。びがご ってなんですの?
本当にすみません🙇♀️今後気をつけて参ります、どうぞ宜しくお願い致します🙇♀️
ミカコじゃなくビガコなの?聞いてて、えらく気になる
大変すみません🙇♀️ミカコでございます🙇♀️💦今後気をつけます💦💦💦
慶喜が好きというよりこれしか選択権が無いからしゃあないよね。
他に趣味とかあれば気も紛れるだろうけど。
そうですよね〜😅たしかに🤙
どうせ政略結婚なのに顔(*゚∀゚)に痘痕が出来たくらいで駄目に成るってよう解らん😂
私もそう思いましたが、いろいろ残っている天然痘になった人の写真を拝見すると「確かにこれは非常に厳しいかも…」と思たんですよ😱どれくらいの痕だったのでしょうね😢
泣いてしまった😢
夫婦でありながら距離があり、切なくなりますね🥲
お公家の令嬢、公家の娘としては珍しく慶喜との間にお子をお生みになった(死産)
もしや10年もの歳月を一緒に過ごしていたら、大きくなる子供も授かったかもしれないですね🤔
それもまたご縁でしょうが…
なかなか面白いですね!
本当ですか!😂よかったです…🌸
まおちゃん 私も 思いながら見ていて
内容が入ってこなかった😊
😆
昔にだと、晩婚ですよね、もっともっと若く婚儀を結ぶから
今徳信院さんの動画を作っていますが、12歳で輿入れです!小学校6年生?
大河ドラマ慶喜では義理の母、と書かれてますよ
またあらためて動画にしたいですね〜😊
一橋慶喜は御三卿の登城日に登城したので、父徳川斉昭たちのような不時登城には当たりません。
ご指摘くださりありがとうございます!勉強不足で間違えておりました。もう一度しっかり勉強いたします😃ありがとうございました。
慶喜の母も公家出すよね
これまた高貴な公家の母親でしたね!
宅持ちでも徳川の甘えもあり徳川に与えるには勿体無い京都からの美賀子さんでした。あー勿体無い!心の贅沢も遥かに清く上だったのでしょう。能謡いを習うなら私の謡いの善さがわかるはずもなくと御華満ちて上手くなってから私の夫となったらと見限ったのでしょう。
マナーと品位が有るから黙って頂きにいる妻を知らぬ罰当たりの夫の器量無しと見限りこんなはずではと嘆いたことでしょう。
そもそも徳川が良い学があるだなんて今でも有るはずもないとわかったときは時すでに遅しで離婚したかったことでしょう。
一条が京都で育ったのだから都にいるべきところを都落ちさせた酷さ。
都は京都です。お気の毒に。
魔が住む東京と百年前の悲劇。
コメントくださりありがとうございます😊
たしかにもったいない美賀子さんですね😥気品があったのでしょうね、美賀子さんだからこそ耐え抜いたのか…🤔
いっちゃんアカン対応やええしのお嬢様は大概、線がずれていたのに、相当、他の気づかいなさすぎには面倒くさい嫁女に移ったんやろ。
一緒に湯屋に入るとか・・方法はいくらもあったろうが豊島のテクニシャン委は負けたのやろ・・・そこ責められたくはないが…相当生霊飛ばしとったんやろVVVV
たしかに😊👍
わりと不器用そうですよね、慶喜さん😃
天然痘は生き残っても跡が残ります。
跡が顔に集中したのですね
そうですね、当時の写真なんかを見ると本当にこわいですね😢
せつないですね…
静岡では二人はわりと理解し合えたようにも思いますが、こればかりはふたりにしかわかりませんが…🥲
美賀子さまの方が私のタイプ。
😆👍
美人薄命 二重の現代美女みたい。
なんとなく激しい部分が取り沙汰されてしまっていますが、美賀子さん、お公家出身、京出身らしく、はんなりとしておっとりしたとても綺麗な女性だったようですね^ ^
こんな女性が奥様で、慶喜さんは女性に恵まれたラッキーな男性ではないかと思いました😃
美人・・・?
^ ^どうでしょうか…?
一条は平民。本物なら嫁には取りません❗️
皆さんもご存知の小倉の工藤組です❗️
美賀子さん、調べていますと、今出川公久の、もしかしたら妾の子供さんであったかもしれないですね🧐
コメントくださりありがとうございます😊
烈公斉昭の好色の血と云うべきか?(笑)
維新後に一気に慶喜のタガがハズレた模様(笑)
そもそも大政奉還前後鳥羽伏見敗北から寛永寺水戸謹慎と
別居期間が長過ぎたからなあ。
本当ですね!😊笑
たしかに若い頃からいつも側に女性がいたというらしいので(身の危険が迫る折にも)これぞ好色一代男と言うのでしょうか😄
一番の女性として魅力ある時期に離れ離れではなんともですよねー…😂もう、これは定めというか…
@@rekisi-club ルール