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1:15 で小さいミニいけ先生が下で高速移動してて可愛い😆
スイングインパクトは汁物に匹敵する。
ウィトゲンシュタインは、哲学のグループのどの位置に含めるのか?なかなか難しいですね。前期・後期 一貫して「言葉(に類するもの)の使用が人間の生で行われる、とはどういうことか?」ということが問題になっているのですが、これは、分析哲学の範囲を超えていることを意味します。取り分け前期は「言語的実存哲学(実存的言語哲学)」と呼んでもよい内容ですし、後期の「言語ゲーム」は、全ての言語使用が為される一種の「枠組み-言語を使用するものが、否応なく投げ込まれている言語使用空間」として導入されていて、「言語ゲームの内側から、架空の対話者(もしかしたら第2のウィトゲンシュタイン?)に考察をさせるわけです。なので、「言語ゲームそれ自体を論ずる-つまり言語ゲーム論 」も 言語ゲーム内のバリエーションのひとつ、ということになってしまうのです。後期ウィトゲンシュタイン哲学は、それまでどの哲学者が考えてもみなかったことに問題を見つけ、それを独力で考えた点で特異な哲学者と言えそうです。一方のクワインは、正に分析哲学の伝統の正統な発展的継承者であり、如何にも「THAアメリカ哲学」という気がします。クワインはウィトゲンシュタインのように言語ゲームという枠組みの中に投げ込まれている自分とその対話者が、その言語ゲームの内部で考察を進めるような設定はせず、言語使用をその外部から観察することで議論を構成していきます。「カヴァガイ」は、その典型的な例と言えます。クワインは、その意味では、典型的な分析哲学者と言えます。分析哲学ではクワイン=正統 ウィトゲンシュタイン=異端 という位置付けと言ってもよさそうです。
説明している時に出てくる小さいminiいけ先生が可愛いですね。miniいけ先生は、本名が「小池」さんなのですか?
ありがとうございます!!小池ではありません笑miniの車が好きなのでつけてみました!!
言語ゲームの考え方は本当に大好きです笑
ここでは、分析哲学は真偽の判断ができる論理に基づくべき立場と捉えられていますが、これは分析哲学史のごく一部の考え方なので注意が必要です。このような立場は20世紀後半に捨て去られています。現在の分析哲学は様々なトピック(もちろん、形而上学や倫理学を含む)に対して様々なアプローチ(論理学重視ではない)で行われているので、もはや一言で特徴づけることができないものになっています。
3:15
すかぢ先生のエロゲーの理解を深めることができました。
まじすかぢさんマジ何物!?ってなる
そもそも難解な哲学を説明できる教師とかいるのか?3行説明で分かった気になるのが一番きけんだろ。
間違いは散見すれども、こういう入門的な動画にクワインが登場したことこそが、快挙。私が修士論文を書いた1980年代には「クワイン」って言っても「誰それ?」どころか人名とすら認識してもらえず「何それ?」状態でしたから(^^;)
「論考」は詩集です。この詩集の中の、私が好きな詩は、「言葉に成し得ない答えに対しては、その問いも言葉に成し得ない。例え、・・・・」 この・・・の、続きの部分、忘れてしまいました。教えて下さい。私はこの詩を昔、泣きながら読んでいました。分けの分からない事で悩んで、自殺でもしようかと思ってた時、論考を読んで、理解できませんでしたが、答えが分からなければ、その問いも、発する必要は無いんだよ、と言われたようで、救われたように思いました。現在、私が生きているのは、論考を読んだおかげです。「論考」は「論語」に匹敵する名著です。「論語」と同じように、分かろうが、分かるまいが、全ての高校生が読むべきです。
分析ハゲ学 創始者 鹿児島県警本部長 野川ハゲ輝👍
西洋思想教える前に日本の禅や神道思想を高校で教えようよ。日教組が拒否するか。西洋哲学は理屈だから誰でも理解できるけど、禅はね...無理だね先生が、ゴメン
禅とか神道は宗教でしょう、学校で取り上げるのは変でしょう。更に禅とか無茶苦茶難解で簡単に教える事が出来る教師っているんですかね?
禅は不立文字だから学校教育で教えられる性質じゃないね
でも宗教としてではなく日本思想としてなら禅や神道も学問の領域だけど、それは大学でやればいいんじゃないかな。難解だし。
1:15 で小さいミニいけ先生が下で高速移動してて可愛い😆
スイングインパクトは汁物に匹敵する。
ウィトゲンシュタインは、哲学のグループのどの位置に含めるのか?なかなか難しいですね。前期・後期 一貫して「言葉(に類するもの)の使用が人間の生で行われる、とはどういうことか?」ということが問題になっているのですが、これは、分析哲学の範囲を超えていることを意味します。取り分け前期は「言語的実存哲学(実存的言語哲学)」と呼んでもよい内容ですし、後期の「言語ゲーム」は、全ての言語使用が為される一種の「枠組み-言語を使用するものが、否応なく投げ込まれている言語使用空間」として導入されていて、「言語ゲームの内側から、架空の対話者(もしかしたら第2のウィトゲンシュタイン?)に考察をさせるわけです。なので、「言語ゲームそれ自体を論ずる-つまり言語ゲーム論 」も 言語ゲーム内のバリエーションのひとつ、ということになってしまうのです。後期ウィトゲンシュタイン哲学は、それまでどの哲学者が考えてもみなかったことに問題を見つけ、それを独力で考えた点で特異な哲学者と言えそうです。
一方のクワインは、正に分析哲学の伝統の正統な発展的継承者であり、如何にも「THAアメリカ哲学」という気がします。クワインはウィトゲンシュタインのように言語ゲームという枠組みの中に投げ込まれている自分とその対話者が、その言語ゲームの内部で考察を進めるような設定はせず、言語使用をその外部から観察することで議論を構成していきます。「カヴァガイ」は、その典型的な例と言えます。クワインは、その意味では、典型的な分析哲学者と言えます。分析哲学ではクワイン=正統 ウィトゲンシュタイン=異端 という位置付けと言ってもよさそうです。
説明している時に出てくる小さいminiいけ先生が可愛いですね。miniいけ先生は、本名が「小池」さんなのですか?
ありがとうございます!!
小池ではありません笑
miniの車が好きなのでつけてみました!!
言語ゲームの考え方は本当に大好きです笑
ここでは、分析哲学は真偽の判断ができる論理に基づくべき立場と捉えられていますが、これは分析哲学史のごく一部の考え方なので注意が必要です。このような立場は20世紀後半に捨て去られています。現在の分析哲学は様々なトピック(もちろん、形而上学や倫理学を含む)に対して様々なアプローチ(論理学重視ではない)で行われているので、もはや一言で特徴づけることができないものになっています。
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すかぢ先生のエロゲーの理解を深めることができました。
まじすかぢさんマジ何物!?ってなる
そもそも難解な哲学を説明できる教師とかいるのか?3行説明で分かった気に
なるのが一番きけんだろ。
間違いは散見すれども、こういう入門的な動画にクワインが登場したことこそが、快挙。
私が修士論文を書いた1980年代には「クワイン」って言っても「誰それ?」どころか人名とすら認識してもらえず「何それ?」状態でしたから(^^;)
「論考」は詩集です。この詩集の中の、私が好きな詩は、「言葉に成し得ない答えに対しては、その問いも言葉に成し得ない。例え、・・・・」 この・・・の、続きの部分、忘れてしまいました。教えて下さい。
私はこの詩を昔、泣きながら読んでいました。分けの分からない事で悩んで、自殺でもしようかと思ってた時、論考を読んで、理解できませんでしたが、答えが分からなければ、その問いも、発する必要は無いんだよ、と言われたようで、救われたように思いました。
現在、私が生きているのは、論考を読んだおかげです。「論考」は「論語」に匹敵する名著です。「論語」と同じように、分かろうが、分かるまいが、全ての高校生が読むべきです。
分析ハゲ学 創始者 鹿児島県警本部長 野川ハゲ輝👍
西洋思想教える前に日本の禅や神道思想を高校で教えようよ。日教組が拒否するか。
西洋哲学は理屈だから誰でも理解できるけど、禅はね...無理だね先生が、ゴメン
禅とか神道は宗教でしょう、学校で取り上げるのは変でしょう。更に禅とか無茶苦茶
難解で簡単に教える事が出来る教師っているんですかね?
禅は不立文字だから
学校教育で教えられる性質じゃないね
でも宗教としてではなく日本思想としてなら禅や神道も学問の領域だけど、それは大学でやればいいんじゃないかな。難解だし。