【仏教の原点】人は死んだらどこへ行くのか
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- เผยแพร่เมื่อ 15 มิ.ย. 2022
- 「死んだらどうなるんだろう」
こんな問いを考えられた経験はあるでしょうか。
「そんなこと考えたこともないよ」と一笑に付す人もあるでしょうし、
「子供の頃ふと考えた」という人もあるかと思います。
私は小学生の頃、テレビの心霊特集を見たりしてたせいか、無性に幽霊が怖い時期があって、その頃は暗いところで寝るのがとても嫌でした。
アコーディオンカーテンで兄の部屋と仕切られた部屋で寝ていたのですが、中学生の兄が夜更かしして明かりが漏れているとほっとして寝れるのですが、そうでない真っ暗な部屋で寝なければならない時は、幽霊が出そうで、怖くて寝れなくなってしまうのです。
それで私は子供心に、なんで自分は幽霊がそんなに怖いんだろう、と自分の心をよく見つめたのですが、その時出した私の答えは「幽霊にあっちの世界に連れて行かれるのが怖い」でした。
「あっちの世界」とは、死んだ後の世界のこと。
幽霊の存在と共にあの世が口を開けているような感じがして、そのまま得体の知れない「あの世」に引っ張って行かれてしまうことへの、盲目的な恐怖でした。
死んだ後どうなるか、具体的なイメージなど何もないので現実的な恐怖ではないのですが、何か一人ぼっちで真っ暗な虚空に足を踏み入れるような感じがしておびえていたのです。
それがどうしたことか成長するにつれ、いつしかあの世の恐怖など、自分の中では「取るに足らないこと」となり、学校の成績やクラスの人間関係、部活でのレギュラー争奪の方がよっぽど気になる、重大な関心事となっていきました。
中学、高校時代、ふとしたおりに「死んだらどうなるのかな」と頭をよぎることがあるにはありましたが、なにしろそんなことは、親も、教師も、友人も、社会も誰も問題にしないし、自分も口にすることはないし、考えたところでどうなるでもない、「つまらない事柄」でした。
私のように子供のころ、「死んだらどうなるか」考えたことがある、という人は結構あります。
その当時に地下のガス管の爆発事故で死者が出たという報道があり、そんなガス管が自宅や学校の地下にも通っていると聞き、自分も突然死ぬことあるのかなと思ったことをきっかけに「死んだらどうなるか」を考え、怖くなったという人もあります。
お祖父ちゃんの葬式の時に、天国だとか墓の下だとか聞いて、実際はどうなんだろうと気になって考えた時、死んで自分の存在自体が消滅するのかと思い至って、圧倒的な恐怖を感じてしまった、という人もあります。
私や多くの人が感じていた、この漠然とした疑問、ぼんやりした不安は、いつしか大人になり、生活に追われるうちに忘れてしまうものですが、それは決して解決できたわけではなく、心の深いところに内在しています。
私がその存在に気付いたのは、18歳で仏教の話を聞いた時でした。
仏教を説かれた釈迦も、浄土真宗の開祖である親鸞聖人も、決して「死んだらどうなるか」を「取るに足らないこと」とも「つまらない事柄」とも言われず、それどころか万人の確実な将来であり、これ以上の一大事はないと説かれています。
これを「後生の一大事」といわれます。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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配信、お疲れ様です。
いつも感慨深く拝聴しております。
自分は「死化粧師」という仕事をしており、以前は看護師でもありまして述べ1万件の人の死に関わって参りました。
こんな仕事をしていると、不思議な体験が数多くあり、死後の意思とは?そう思う事は多々、ありました。
死化粧師とは亡くなった方のお顔の修復や復元などが多く、特に私に来る依頼は難儀なケースが多くあります。
とあるケースですが、死後3日経過した方のご依頼で伺った時に、自分は故人であっても普通に言葉を掛けながら仕事をするのですが、故人が涙を流し始めたのです。
実はこれは初めてではなく、これまでも何度か体験がありました。
関わった葬儀社の担当の方も、実は同じ体験をされておりました。
聴覚が死後も暫くは残っていると、最近の医学でも言われています。
しかし、それが何時まであるのか?まだ、解明されてはおりません。もしかすると、肉体が無くなるまでは、実は聴こえていて、意識はあるのでは?最近、そんな風に思う事があります。
肉体と言う器が無くなったら、意識は何処にゆくのかな?今回のお話はそれを改めて考える動画でした。
ありがとうございます。
期待していた、どうしたらいいかの答えを聴きたかったのですが、残念でした。
私は死んでも意識はあると思ってます。
幼い頃から霊感とは無縁だったのですが、何度も肉親の死を体験した時にいつも身近にいると感じました。父親が亡くなった時は愛用していた車のヘッドライトが、いつの間にか点いていて、スイッチを切っても消えなかったので、修理屋さんにお願いしても駄目だったので、コードを切断して消していただきました。でも四十九日からは徐々に遠ざかるように感じました。死後の事が書かれている本も読みました。本の内容は実際体験しないと分からないことですが、私が肉親の死で感じた事もいくつか書かれていました。世の中の常識や科学で説明出来ない事が、この世では沢山あるのではと思ってます。
ありがとうございます。母は、絶対無と信じ亡くなりました。が、私は、母が、極楽に行っていたらといつも思ってます。
いつも仏教を聴聞させていただきありがとうございます。仏教がよりたくさんの人々に広がっていくことを願っております。
お布施拝受しました。ありがとうございました。
仏教の言う後生の世とはどのような世界でしょうか、実は私は75歳になるのですが、死後の世に
行くのが楽しみでしょうがありません、すぐに行きたいとは思いませんが(まだやることがあるので)
いずれ行くことになる世界を思うとワクワクします。
私は魂は永遠に生きると信じています、魂(アストラル体)になったら思うだけで瞬時に移動ができます、
また時間のない世界ですから時を超えることもできます。どこに行こうか、何を見ようか、
それを思うと限りなく夢が広がります。
私は彼方の世界へ行って帰ってきた来た人の話を聞いた事がありません。故に彼方の世界がどの様な物なのかは解りません。解らないことは解らないで良いのでは無いでしょうか。わたしは50~60才台に身体と心の病で二度しにかけて、三年が経ちます。この大事な経験から今CoCoに生かされて居ることに感謝しか有りません。今CoCoに生かされて居るのに何故過去に拘り未来に不安をおぼえる必要が有るでしょうか。私は総ての変化をたのしみ、今幸せに生きています。有り難うございます。
とても大切なお話をありがとうございました。
私の母の戒名に「満願」が入っていて、「破闇満願」を聴いたとき「はっ」としました。
母が命を懸けて私に本当の幸せを教えてくれたと感じた瞬間でした。
結局どうすればいいのですか?死んだら、何もできなくなるし、死ぬ時のために今から何をしておけばいいのかが聞きたかった
死後が暗い心の不安の解決を説かれたのが仏教ですから、仏教を重ねてお聞きいただきたいと思います。
菊谷さんの動画はたくさん拝見させていただいてますが、無明の闇を取り払うことが仏教の目的です、とお伝えされていつも終わってしまいます。
今度仏教の闇の捉え方というテーマで結論からお話いただければ嬉しいです
肝心なとことは、講座でお願いします的な感じですね。で講座受講するとカルトに入れられてしまう。
そうです。いつも答えは闇の中
何時も興味深く拝聴させて頂いております。
ただ、先生の話は長く最終的にタイトルに対する答えが不明確に思います。
今回のタイトルである「死んだらどこに行くのか」に対する答えは結局どうなのですか?
私も山田さんに同感します。タイトルの答えが何時出てくるのかと待ってましたが今回も到頭出てきませんでした。
いつもありがとうございます。
死をどうでもいいと思うと毎日が不安になります。でも後生の事を考えた時、心も安楽になると思います。
朝元気やった母が昼には亡くなってた。その現実を見て、真剣に死の事を考えるようになりました。
親鸞聖人もご両親が亡くなられたことをきっかけに死をまじめに考えられるようになりました。お母さまが導かれた仏縁かと思います。
これから先のお話が楽しみです。ありがとうございました😊
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
妻はくも膜下出血で亡くなりました、その後部屋の電気が消える現象があり、初お盆に13日の朝と16日の夕方に部屋の電気が消えました。これから不思議な事はありません。
質問者の質問には答えておられないように思いました。意識、心はどうなるのか、それが質問者の質問であったように思いましたが。
あの世のことは仏陀、名のある高層も知らない別次元のことだから、答えを用意するのがおかしな話。
意識・心がなくなり、考えても答えがあるかも分からないしゼロであるべきと思う心が自分だけの根拠のない真実でもない都合のいい考えで、因縁果の道理から逸脱します。あなたの今世行った良いことも悪いことも見聞知で全て心や行動が録画されてるかの如く阿頼耶識に収まっています。
過去が収まっているから人間に生まれてこれたとも思えますね。
ありがとうございます。
あるお坊さんが、死んだらおしめーよ、と言われていました。それが全てと思います。ただ、間違いなく子どもの心には残ります。父も母も亡くなり、はじめて父や母の心が、あの時に言った意味はそういうことだったのかということが沢山分かってきました。父や母が亡くなってから、どれだけ親がありがたかったかに気付く、本当に苦しいです。
そうなんですよ
菊谷さんはいつも質問に答えないのです。
勉強になります。お話ありがとうございます。。
「人生は気楽に生きなさい。
どんなに必死に勉強しても、体を鍛えても、仕事に打ち込んでも、最後はパーになる。
全ては最後には意味がなくなる。
全部終わる。
死ぬ時には、何も持っていけない。
人生は明るく、明るく、元気で楽しんで生きなさい」。
スリランカ初期仏教スマナーサラ長老の法話。
いつもありがとうございます✌️🙋♀️
今日も素晴らしいお話をありがとうございましたご苦労様です🙇♀️🙇♀️
菊谷先生、今回も大切なお話と有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。後生を撥無する心…あわれというも中々おろかなり、ですね。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
死後は無になり、魂の質が似ているもの同士が寄り添ってグループ化し、来世で生まれ変わる時にそのグループの魂が家族、友達、同僚となって繋がっていくと聞きました。いい魂と寄り添いたいのならば、今生で魂を磨くことを念頭に日々精進すること。
整体のドクターに聞いた説ですが、ストンと心にハマり、今まで抱いていた疑問がある程度解けました。ここからは私の勝手な解釈ですが、天国と地獄というのは極端な死後の2世界で、実際は魂のグループ化じゃないでしょうか。グループがいくつあるのか分かりませんし、この説が合っているかも分かりません。でも死を悲しいこと恐ろしいことと考えるのではなく、いつか出会うソウルメイトが素晴らしい人たち(魂たち?)であることを願うと、自然と人の役に立ったり、世の中にお返しのできる人間でありたいと思うようになりました。
死後のことはモヤモヤして疑問だらけですが、宗教に関係なく、その時々で今の自分をいい方向へ促してくれる説に頼っていきたいと思います。
明日があるかないかは、私たちにはわからない。でも、仏教を深く知理、只今よりずっと幸せになり、死んでからも、来世になっても、幸せの道を歩みます。ありがとうございます😭。
毎回、聞かせていただいて自分なりの理解をまとめています。
「おかしなことその1・2・3を知り、破闇満願でこの世から未来永遠に幸せになれる」について、間違えて解釈し、
「今生の活動に身を投じ、全世界全人類の貧しい人、虐げられている人をなくす活動をする人(国境なき医師団、JICA、ボランティア活動をする人々…)が「後生の一大事」を重んじてしまい、そんな活動をしても虚しい、無常なのだというように解釈してしまう心配はないだろうか?いや、「後生の一大事」を知った上で今を生きる道を見つけることが大事だと理解しました。
「後生の一大事」をもっと深く知らなければ誤ってしまいそうです。
今回も貴重なお話をありがとうございました。
確かにここは間違えやすいところです。後生の一大事を今生で解決できるからこそ、今生は限りなくかけがえのないものになる、と説かれているのが仏教です。
ひとりひとりの心がけ次第です😌
人を当てにせずに自分を律する、自律じりつする精神が大事です。
私は そこに行き着きました。
仏教では、自己の行為に応じて次の世界が決まる、と説かれています。
ありがとうございます!
お布施拝受しました。ありがとうございました。
@@byBuddhism
いつも貴重な、お話、有難う御座います
物凄く助けられています
ありがとうございました。
深く感じ入り、腑に落ちるお話、有難い思いで聞かせて頂いております。
私のような仏教初心者向けの先生のご本はありますか?聞き流してしまうだけでなく、ゆっくり読み返したいと思います。
いつも🙏無明では居られない😒まさかの思想だらけです。勉強に成ります有難う御座います。
私は人生で2回ばかり気を失いました。風呂で転んで後頭部を強打した時、走っていて転んで前歯付近を強打した時。
2回とも瞬間的に気を失いました。暫くして人から声をかけられて目が覚めました。
その時思ったのですが、死ぬってこう言う事なんだよな、でした
全く死ぬとは思っていいない時に突然死はやってくる、まさに「明日ありと思う心」に想定外にやってくるのが死、です。
二度ほど全身麻酔にかかりました。
かなり痛いこともあったハズなのに、肩をポンポンと叩かれて「意識」が戻りました。
時計を見ると2時間ほど経過していました。
それなのにその間は何も感じなくて、心がある無しなど無関係だと感じました。
死んでから肉体を焼かれ、素焼きの骨になっても心が存在して、いわゆる「あの世」に住み続けるなんて贅沢すぎると思っています。
天国に鶏がいますか?よく卵を盗んでくれましたとか、豚さんがよく食べてくれましたとか、草花をちぎってくれましたなど言うとおもいますか?
極楽浄土に、そのような動物、小鳥、草花があるとおもいますか?
あの世とか極楽とか天国などの考えは宗教上の教えをわかりやすくする「便法」だと考えています。
今の私は「生けてよし、死んでよし」の考え方です。
@@byBuddhism 私は子供の頃から不思議な霊感的な経験がありました。私には守護霊が付いているとも言われたことが数回あります。仏教的には守護霊とか祟りをどのように捉えているのですか?
菊谷先生恐れ入ります。仏教では生きる事は苦しむと教えがあります。誰しもいつ死ぬかわからないので宵越しの金を持たず、早く人間を卒業出来るようにと思って毎日仕方なく生きてます。愛猫や先祖に彼岸で会えるようにと思ってます。現世で家族は味方ですが世知辛い世の中になりました。瀬戸内寂聴さんや菊谷先生みたいな立派な人が一人でも多く増えればいい世の中になるでしょう。
死んだ後も現世と同じ意識があり延々と続くのであれば考えるでしょうがあるのか無いのかわからない様な「あの世」の為に現世で思い悩むのは阿弥陀佛様のご意志なのでしょうか? あーでもねーこーえもねーと思い悩むより「南無阿弥陀仏」を唱えてあの世は阿弥陀佛様にお任せじゃダメですか?
スミマセン、素朴な質問です
こんばんは。🤽♂️🤽♂️🤽♂️🤽♀️🤽♀️🤽♀️ステキな解説、ありがとうございます。🙋♂️🙋♂️🙋♂️🙋♀️🙋♀️🙋♀️
いつも尊い法話ありがとうございます。仏教の目的をわかりやすく教えて頂き感謝いたします。無明
の闇が苦悩の根源と知らされました。行き先が明かるい身になるために聴聞させて頂きます。合掌。🙏
1日1日大切に生きなきゃいけないですね。お話ありがとうございました。
すごく納得できました。
ありがとうございました✨
私は「この宇宙に帰る」「この宇宙に溶ける・解ける」と答えます。
何処へも行かないし消え去らない。でも固有の形は無くなる。
だから又別の命の中に宿るかもしれない。それは全部そのまま移るわけではなく多分一部だけ。
だから生まれ変わりと言っても良いがそっくりそのままコップからコップへ移すのとは違う。
お椀の味噌汁を鍋に戻してから又別のお椀によそう。一部は必ずそこに入っている。
「死なないために食べて、生きると言うのは死を避けると言うカラクリなんです。
死なないために頑張って来たので、死ぬと腹が立つんです。
だから死にたくないと言う気持ちが凄いんです。
頑張れば頑張るほど死にたくないと言う気持ちがどんどん強くなっちゃうんです。
生命が死ぬと言う事を認めたくないと言う気持ちが強くなります。
しかし、認めたいとか認めないとか関係なくなく生命は死ぬんです。
しょうがないと言えばしょうがないんです。
死とはただそれだけですとしか言えないのです」。
スリランカ初期仏教日本支部のスマナサーラ長老。
人間死んだら何処へ行くのか?
それは、誰も死んだことは無いので、誰にも分からない。
それが答えなのではと思います。
死んだら仏になる、生まれ変わる、それも本当かどうか誰にも分からない。
結局死んだらどうなるんでしょうか?
こちらにまたお話ししております。th-cam.com/video/ht0y8CsemlU/w-d-xo.html よろしくお願いいたします。
@@byBuddhism ありがとうございます。
生が幸福であるなら生の対の死も幸福です 肉体の対として心があります 肉体が起こした幸福に応じて肉体の対となる心も幸福となります この世は悩みの闇でこの闇が解消された光が仏です この世での明日はないですが 心が佇む時間はあります 目に見える明日があるだけでは死んで明日がなくなるものとも言えません 自分を中心にすると対を忘れます 対に学びがあると 闇は上がります ありがとうございました
人間死んだら無になるということは、本当はみんな分かっているのではないか?それではあまりにも虚しいので、魂だけは生きている、あの世や極楽があるなどというのは、人間の図々しさではないでしょうか?
タイトルと内容の乖離があります。
意識、心・心なるものとは何か、どう捉えるかを言うことなしに、この質問者に答えることにはならないのではないでしょうか。
死とは、こんな風に考えて(しまって)いるので、どこへも行かないのだろうと。
肉体は滅び朽ち果て物質に還り、その肉体に内在していた(脳を座としてしていた)意識・心は、脳の座を失い空間に蒸発し、無になる。
身も心も外界との縁が可逆的完全に断たれ、内界を持って存在していた身も心も、外界との境を失い、生きていたこの世に溶け込み姿が消え、無になる。
命が途絶える・死とは、こう言うことだと思えてなりません。死後に物語はないのだとも。
因みに、心・心なるものとは、縁と記憶を拠り所とする、他者との関係性の発露と振舞いの大元、その座は脳にある、と。
無明の闇はよくわかるけど、死語どうなるのか?は結局わからないのか、輪廻転生してまた人間なのか?その人間は前の自分の意識は完全に消去されているのか?それとも他の動物に輪廻転生する場合もあるのか? それは死んでみなきゃわからないという事ですか?
死が暗いものと何故断定なされているのでせうか?私には死は恐ろしく無く暗くなく明るくなく、只有るだけです
死んだら あっちの世界で父と母に会いたいです 会えるのかな 知りたい。
結局、死んだら意識はどうなるのですか?????😮
私見ですが意識は肉体の五感に依存することでのみ存在していると思っております。
質問の答えになってないですね。心はどうなる?
いつもこんな感じで、同じ事ばっかり言って質問に答えてないですよね
まず、結論から聞きたいです。
そりゃそうでしょ?
亡くなった方に会ったことないし、会えないんだから。亡くなった方に会ったら、亡くなっていないって言うことですよ。
ただ後生がどうなるか?解った時に安心して死を迎え入れることができる。
仏教の立場からでも死後の人間の心(魂)がどうなるかは「わからない」が答えで良いと思います。六道輪廻なども「想像」ですから東洋哲学の一つが仏教にすぎません。それでいいじゃないですか!
@@user-wm8ee9ub2d それを、菊谷さんの口から聞けないから言ってるんでしょ?
こちらにまたお話ししております。th-cam.com/video/q8-jMO3lZxY/w-d-xo.html
無になると言うから虚しいんです。
千の風になるとか 魂が生き続けると思うと 何をするかわかります。
お釈迦様は輪廻転生を説かれていますが、死後の魂の存続については否定的な言葉も残されています。生まれ変わらないことが最上だともおっしゃられます。ナニが言いたいのか正直わかりません。ぜひそのあたり教えて欲しいです。
仰る通り、仏教は無霊魂説です。阿頼耶識が転生して輪廻すると説かれています。「生まれ変わらないことが最上だ」とは、輪廻からの解脱を目指しなさい、という教えですね。th-cam.com/video/K-wsLRERIFc/w-d-xo.html
いわゆる二見と言って
霊魂による自性を説く考え方も、無になって消滅するという考え方も
仏教では両方否定されます。
あるのは因果性であって、それは輪廻転生という形で来世に表れます。
日本人はどういうわけか生まれ変わりに対してポジティブなイメージを持ちがちだけど、輪廻転生のベースには「生きている以上は必ず苦しみがつきまとう」という考え方があります。
仮に今生が苦しいからといって自殺したところで、来世も生を受けた以上はやはり苦しみがつきまとう。人間に生まれても虫に生まれても鳥に生まれても植物に生まれても、常に何らかの形で苦しみ続ける。
生まれ変わりを断つ事でその苦しみの連鎖から逃れる事を解脱と言います。
この輪廻転生という考え方は仏陀が説いたわけではなく、それ以前からあったものを仏陀が魂を否定する事で輪廻転生自体を否定したんだと思います。
「死んだら何も無い」と。
米国の大学の臨死体験者を対象とした論文から。心肺停止後自分が体から離脱したとの報告がある。また脳は心肺停止から5分間は暴走状態となる。この時に走馬灯の如く生まれてからの記憶が全て蘇るのかも知れない。報告は全て生還者のもので本当に死んでしまうとどうなるかは不明。参考までに。
助かろうと思っているその心が無明の原点? 助かってどうするんでしょうか?
人は死んだら無です。何もないです。動物も虫さんもお魚さんも鳥さんも全て無です。何故言い切れるのかって❓死の世界に行ってそしてまた現世界に戻って来た人がいないからです。死の世界や死後の世界を語る人は生きてる人です。生きてる人に死後の世界が分かるはずがないでしょうよ。そうあって欲しい、と言う願望でしかありません。
いつも、ありがとうございます🙇お釈迦様の弟子が死んだらどうなりますか?にお釈迦様は答えてはくれなかったと、答えは後で分かるのですかね、今までに不思議な体験を何度か経験しています。死後はきっと何かが待っていると思っています。
結局、意識がどうなるかの具体的なお教えはありませんでしたが…
要するに、どんなに恵まれた人生を送ったとしても、不幸な人生を送ったとしても、皆、行き着く先は、「死」だという事。その時がいつかは来る のだから、現在がたとえ、幸せだと思えなかったとしても、落ち込む必要はない って事です。そうなら、生きてる間は皆と仲良く、助け合って、生きていきたい って思います。
宇宙や地球、人や物が、昨日の記録や過去の記録もありとあらゆる物がすべてが昨日できたならものなら明日は来るのでしょうか?それとも永遠に今日なのでしょうか?
以前は「死後のことは何も解らない」と言ったのに、なぜ自己矛盾に気付かないのだろう?
ありがとうございます♡
ありがとうございました。
意識は無くなります。
実体験から‼️
嗚呼 生きていてありがとう😆💕✨嗚呼 最高😃⤴️⤴️ 生きている 最高😃⤴️⤴️ 死なない‼️ 生きる 生きるぞ‼️みんな
いい日があるから 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう 生きていこう
一番重要な事、それは死の直前にどんな意識で貴方が死んで行くのかです。その為に善を積むのです(他の人が喜んでくれる事を貴方が与える事)、楽しい思いで死んで行く事が出来る様に徳を他の人に与えるのです、楽しく死ぬ事が出来れば来世は極楽です!人の魂は死ぬ直前に巨大になる。
肝腎の人間死んだらどうなるかについて、何も答えてない。?
要するに、死ぬとは肉体から魂が抜けでて、あの世に行くことであり、生前の意識、こころはそのままもって行くこと。
死んだら意識はどうなるのか?、、、、、死んだ人にしかわかりません!つまり毎日その謎に遭遇する人がいるという事ね、
三生を、仏教が前提として認めている時点で、今生を終える、すなわち死んだ後の生はある! と、言っていることになりませんか? はっきり言って、仏教関係の方々は、話が端的ではありませんねぇ🤫
はい、そうなりますね。端的に話ができるよう、努めていきたいと思います。
科学でも体の何処に意識があるのかわからないですね。結局生きている私は今生しかわからなのでしょうか。
いつも勉強させて頂きありがとうございます。後生の解決方法については、高森様も『なぜ生きる2』で解明されていません。菊谷様には、仏教の真髄を広めるために、僭越ながらこの件を念仏宗の者に確認を取って頂くことを強く希望致します。
佛教の原点は「死んだらどこへ行くのか」ではなく、「なぜ苦しみは生じるのか。それにはどう向き合えばいいのか」だと考えていました。これは間違いでしょうか?
この言葉を思い出しました。「毎日がオマケのようなものです。明日の朝、目が覚めるかは分かりません」
カラヤン(1908-1989)/20世紀を代表する指揮者。
筋肉少女帯の「おまけの一日」という曲を思い出した。
"ルチャドールになるために猛練習を積んだ少年が トペデレベルサの失敗で短い生涯を終えました。
哀れに思った神様は少年におまけの一日をお与えになりました。
おまけの一日、さりとてするべき事はなく、なんとなーく日が暮れて、「ああ、僕の一生こそおまけのようなものだったなあ」と思いました。"
菊谷さん亡くなつたのですか?理由知りたいです 誰か教えて下さい
いつでも、今しかない私は、今、生きているのか❓死んでいるのか❓どのように証明できるのでしょうか。
尊者の説く真の諦めの意味を教えて頂きたいです。
だから宗教と言うマーケティングが成り立っのね
先生、すみません。統計云々。なにが真実。もう53になりました。適応障害になり、ドクターと話しました。4年前です。ドクターには貴方は職種変えた方がいいと言われました。
糧を得るために。いっぱい本読みます。ため息しか出ない。諸行無常、マントラ。風呂に浸かりマントラを唱えてる自分。そんなヤツいるかい?
夢見が悪すぎて。頑張ります。
いつも分かりやすい説明ありがとうございます。
ところで、人間は身体と心と魂できています。身体は土に帰り魂は六道輪廻または浄土に還ります。心はどうなるのでしょうか?疑問を感じています。
ご教授お願いします。
魂の中心にこころがあると教わりました。
「地獄極楽この世に御座い!」と言われるように自分の犯した罪の結果はこの世で罰を受けているのですか?確かに火事、水害、圧死等、死後の地獄絵図は、この世で見るように思えます!死んでも又、死後の世界が有るとしても、誰1人として知る方法は有りませんね!どうやってその時に備えれば良いのですか?
感無量‼️
わからないです。意識は どうなるのか?
意識はずっと続くのか?
体感してないから わからないです😢
時間も人間も存在しない、特に人間は宇宙の強欲が生んだ一瞬の過ち以外何者でもない、何の意味もなくやがて無に帰るのでとりあえず、宇宙、家族に感謝して正しく生きましょう。強欲は強欲に戻り夢が覚め無に帰るのみ。この世は脳宇宙がもたらした仮想の夢なんですよ。
先生の仏教の教義の説明には、申し訳ないが、かなり乱暴です!時間の制約があるかも知れないが、言葉の使い方に持つと丁寧な説明が成されたほうが宜しいかと思います!例えば、明日は無いとんだーと、段源。してしまうと、普通の人は誤解してしまいます。先生の言わんとしている意味は十分解ります。しかし、もしかしたら、明日が絶対無いかも知れないと全ての人が考えて行動したら、一体どうでしょうか?明日があると信じているから、人間の、社会的営みが存在しているのですよね急に、交通事故や急性の病気でなくなる人は、日本の人口の何%でしかありませね個人個人に関しては、明日が絶対有るかどうか、これは誰にも解りません。何れにせよ人間には、信ずる、という心があります!だから信仰が存在します!現代科学の時代では、もう三千年前の教義は余り現代人には、すんなり受け入れられないでしよう。その証拠に、戦争をどんなに優秀な哲学者や科学者達にも止められないですねバチカンの偉い人達、世界のあらゆる宗教従事者なら日に学者達も、いま現実のイラク問題にも、何の効力も、何故ですか?先生!教えて下さい!過去の仏教の教義も大切だが、現実に虐殺されて居る人達を如何に救うか?が真の、もし存在するとしたらだが?ー、私は決して宗教を否定する者では有りません寧ろ、仏教的な教義は世界に普及して頂きたいが、仏教の教義は、余りにもその弟子たちが複雑かつ、難しくしてしまいました!!だから、インドで発生したにも関わらず、バラモン教の方がインドでは定着普及されたのではないでしょうか?人間の存在の意義、または意味を教えて下さい!私はその意味や意義が私なりに悟りました!
いつも面白い話で勉強させて頂いております。只、都合悪きコメントは削除されるのは如何と思います。
良きも悪くも受け取る広さが無ければいけませんよ。それがカルトと云われる所以かと思います。
いつもありがとうございます。コメントで勧誘したり、自分のユーチューブのURLを貼ったりする行き過ぎのものは削除しますが、基本的に削除はしていないと思います。
なんか反対動画を上げている本願寺の僧侶も都合の悪いコメントを消しているのを同業者に指摘されてる
th-cam.com/video/0W86HMeRsVw/w-d-xo.html
この世は夢か幻か? 楽しまなきゃ損 でしょうか? 美味しい料理を食べる事が生きる目的?
幸せ って何なんでしょう? やりたい事やって、悔いのない人生を送る事しかないと思います。
享楽を貪る生き方が幸せとは思いません。生き甲斐は人それぞれ。
簡単 死んだら 死んだら眠るのだ‼️ 死んだら 永遠に眠るだけ しかし ひとは 永遠に生きて 幸せを得る‼️存在なのです‼️
唯識さいこうです。
平等承知
少なくとも5年は側にいる
「私を幸せにさせない5つの間違った常識」をプレゼント希望します。
たぶん菊谷先生も分からないからと思います。😅
死んだら意識不明 ^^
正直な所、どうなっていたか覚えていない過去世とどうなるかわからない来世に現世は挟まれていますが、知らぬ間に連れてこられた現世こそ今だ何もわからぬ不思議以外の何ものでもないと思います。
死んだら無。ならば、幽霊はいません。幽霊が存在するなら、死は無ではありません。
宗教の違いは何ですか。
死んだこと、ありますか?
イスラム教は、あなたが死んだときにあなたを救ってくれる宗教です。創造主である全能の神はこう言いました。「確かに、神の宗教はイスラム教であり、イスラム教以外の宗教を求める者は誰でも受け入れられません。来世では彼は敗者の一人になるでしょう。 死ぬ前にイスラム教を探し、それを探求することをお勧めします。そうすればあなたの運命は地獄の火になるでしょう。真実について調べてください。
この記事には批判的コメント多いですね 死んだらどうなるか以前の記事でも
三世通してみ観た人いないんですわかるのは今世だけ今世すら1秒ですら先不確定です
故に答が難いんです前世も後世も観た人いないんです
はい、言葉足らずだったかと反省しております。
@@byBuddhism 様
生意気なこと言って申し訳ございません
ただ恐縮しておりますご返信ありがとうございました
もっと仏教を勉強致します いつも感謝しております今後共よろしくお願い申し上げます
何度生まれ変わってもこんな馬鹿な神の創った世界では同じ事の繰り返しですよ。最後苦しいのがわかってますから。
仏教徒が天国と言うのに、凄く違和感を感じます。
是非とも日本人の多くに、聖書を読んで貰いたいです🎚️
私達クリスチャンの国籍は天にあります🎚️
仏教にも天国や地獄の概念はありますよ。
いわゆる神などの住まう理想郷的な天界や、延々と責め苦にあう地獄界。ただ仏教でいう天国~地獄は、業のしがらみがともなう迷いの世界とされてますので、聖道または浄土門にて解脱する、というのが仏教の教義です。
クリスチャンの方々も仏教を学ばれた方が善いし、仏教徒の方々もキリスト教を学ばれた方が善い。両方を学ばれたら、お互いに優劣を主張することは、教えに反することだとわかるはず!そうならなければ、どちらのかたがたも、真の教えを理解出来てないし、身に付けてもいないから、体現もできないでしょう。
クリスチャンは嘘つき、人殺しでも天国ですか?
@@user-lx1mj7ux8p 様
私は元、真言宗豊山派の仏教徒です。
学ぶ程、仏教が信じられなくなりました。
@@user-nk1kp3ht8b 様
宗教が何のためにあるのか、原点を理解していれば、キリスト教でも、仏教でもかまわないと思います。すくなくとも、争うため、優劣を競うためにあるとはおもえませんが。原点から、はずれたから、ガッカリしたのではないのかな?
死はただの思想だから。
仏教だけでなくほぼすべての宗教は後生があることを前提に説かれていますが
後生の存在を示す根拠が一切説明されていません。
これでは仏教を信じろと言われても信じられないのではないでしょうか。
三世因果ですね。こちらからどうぞth-cam.com/video/Ktg2mPwcVj8/w-d-xo.html
返信ありがとうございます
しかし、まずは生物学的な因果ならわかりますが、因果から三世にいくのは飛躍しすぎだと思います。
おしり
不良のじこ❗で、死ぬ人は、さはようのか
死んだらどうなるのか?南海トラフ?何の関係があるんや?