ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
※ 15:57 あたりの補足です。頼朝の「勝長寿院供養に参加するように」という命令を義経が拒否した確かな史料はありません。(しかし、他の源氏一族が参加するなか、義経だけを呼ばないのは不自然なので、命令自体はあったはずです。)勝長寿院供養の開催前に、義経は挙兵していますが、おそらくこの命令拒否が最後のトリガーだったのではないか?という推測になります。だいぶわかりづらくなってしまいて申し訳ございません。
は
😢🎉😢な😊wt0 t
ひ
若貴もギャラガー兄弟もビックリだなw
いつも楽しく拝見しています。今回の動画は本編の予習、復習になっていたので、本編をより理解できました。有難う御座います。もし可能なら、このような本編の予習動画をアップして頂けると嬉しいです。
弟の範頼も処分されてるし、力を持ちすぎた義経に対していろいろと言って、上総広常みたいに消したかっただけな気もする源氏は一族同士の争いばっかりだし
私も、自分の地位を危うくする者を処分しただけだと思う。兄弟全てやられてるし。そもそも、頼朝自身も危うかったのでは?なんの地盤もないただの神輿。黒幕は北条でしょう。最終的には頼朝も、その子も孫も消されちゃったしね。
義経には不満より不安が大きかったのでは?その不安は壇ノ浦の勝利の絶頂で、帝と宝剣を失った時に味わった絶望感から生じたと思います。その後の行動を考えると、それをきっかけに鬱状態に陥っていたのではないでしょうか?そのため尚更疑心暗鬼が強くなって、滅亡への道を突き進んだように思います。
ありがとうございます!
スーパーサンクス、ありがとうございます!
『義経と頼朝の対立』の解説、有り難う御座います義経と頼朝、この2人、性格や生き方、考え方が全く違うなぁと思いました 組織を大事にする頼朝と個人プレーが目立つ義経 いくら異母兄弟とは言え、頼朝は義経を脅威に思っていたのでしょうね 2人の確執に、後白河法皇が介入した事も、余計に拍車をかけてしまいましたね黄瀬川の陣で、感動的な出会いがあったのに…結末は寂しいものですね
とてもわかり易かったです。ありがとうございました。
解説ありがとうございます、初めて知りましたが父義朝の法事不参加は決定的かと思います。足利尊氏、直義の兄弟も仲良かったのに決裂しましたしどの道避けられない道だったように思います。
個人的には、義経に問題があると思う。義経のスタンドプレーを弟だからと言って容認していたら、組織のトップとして示しがつかないわ。
義経は戦いで結果を残し頼朝に認めて欲しかったけど、政治的な面が弱くて後白河法皇にも巧く利用されてしまった。一方頼朝は義経を弟というより御家人の一人と考えており、そこからすれ違いが生じたのでしょうね。ゲームのように頼朝が世界征服を狙っていたら義経を海外に派遣して互いに距離を置けたのかもと感じます。
それに義経は楠木正成みたいに朝廷や皇室に純粋に献身的に仕える武将だったので頼朝の描いてた武士の世の為に尽力する気は無かったかもしれませんね…だから拗れていったと自分は思いますね…
なんか、「兄弟げんか」とか「対立」みたいなのに、違和感ある。今の兄弟の感覚だよね。昔は、兄弟どころか、叔父でも家臣は家臣
そこが複雑で頼朝の地位ってまだ不安定で頼朝の血筋が嫡流と定まったのはすべてが終わった後なのよね、行家にしてみれば何でお前に命令されるなきゃいかんのかという
今でも日本の皇室でも皇太子(皇嗣)及び宮様含めて例え天皇陛下の叔父宮でも家臣です。
でも、近代国家の大日本帝国でも後に天皇陛下に成った明仁殿下が生まれる前の、秩父宮雍仁親王殿下も本人の意思にかかわらず国民的人気がヤバイモノだったそうですよ。
@@菅沼域雄 だからその為にも皇位継承順位を定めたのです。しかし殿下に無事に男子が御生まれになれば秩父宮家が存続していたと思うと残念です。
政治家の頼朝と戦略家の義経倒すべき敵の平家が滅亡したら衝突するのは必然だったんだろうか?政治と武力の最強が退場し両方をバランスよく併せ持つ北条が実権を握る歴史って不思議です
「信心深い頼朝が、父の菩提寺落成供養にかこつけて血なまぐさいことはしない」という判断ができないくらい義経は焦っていたのか、行家が煽りまくったのか……
井沢元彦さんも語ってましたが、義経は弟だからという甘えがあったのだと思います。頼朝としては、今後の展開(鎌倉幕府の運営)を考えれば弟だからといって特別扱いは出来ない、それが義経には終始理解できなかったのが悲劇なのだと思います。頼朝は義経を追い詰めれば奥州に逃げると算段していたのではないでしょうか。運良く秀衡が死んだので、これで奥州が取れると算段したと思います。
昨日大河を観てからこの解説を視聴したので、とてもわかりやすかったです。挙兵したものの、義経に付く味方が少なかったのは、京の人や公家に人気はあっても、武士には人気が無かったからなんですかね。ドラマでは三浦義村が言ってましたね!
兄弟対立の原因が義経にあったとしても、義経のこと嫌いにはなれないんだよなぁもう疫病神の行家おじさんが全部悪いってことにしよw
「兄弟ではないか…」いらんこというてお兄さん川で死なせたん誰でしたっけ?
はい義経です☆
勝長寿院供養参加命令と義経暗殺計画をセットで義経に伝えたら義経が自分から頼朝に反発して供養に参加しないっていう構図が作れますねー。
私も「義経の方が先に頼朝を討とうとした派」なんですが、そこらを「愚管抄」になんと書いてあるのか、腰越状のところを見てみました。youtubeの解説では「愚管抄には対面の記述有」ということでしたが、腰越の辺りを読むと義経は「頼朝のところに下っていった」とあるだけで、義経と頼朝が会ったかどうかという点に関する記述は見当たりませんでした。(他の箇所の愚管抄のどこかにあるのでしょうか?)。ただ後の部分で、義経は「鎌倉の館に趣き、また都に戻ってきたり」とも書かれているので、自由に鎌倉を出入りしていたようです。この点を持ってして頼朝とも会えていたはず、と判断しているのでしょうか?
源氏は元々骨肉の争い・・・親兄弟で殺し合いをするような一族なので頼朝と義経が争ったのは別に驚きでも何でもないんだよね。
なんで同じ天皇の子孫なのに平家とはこうも違うのか…でも摂津源氏は身内争いは酷くなかった…
頼朝にとって異母兄弟は実は危険な存在だった。結果的に、義仲、行家、義経、範頼は頼朝に滅ぼされる結果となった。第19回の果たせぬ凱旋辺りで行家が退場しそうな気がする。行家の最期がどう描かれるのだろうか……。
結局、頼朝と義経はドラマの梶原景時のセリフのように、戦う運命にあったのだろう。義経には源氏の頭領になる資格があったことを忘れてはいけないし、頼朝が彼に安心できなかった理由の一つだ。その義経の最大の欠点は仁徳のなさだ。単なる人気ではない。どんなに負け戦をしようとも、彼に味方になり支援をしてくれる頼りになる武将や豪族が最後まで現れななかった。それと対照的なのが頼朝だ。ある意味で、それは生まれついてのものかもしれない。三国志の劉備玄徳も仁徳があり、数多くの負け戦をしても、必ず味方になり支援してくれ武将や地元民が常に存在した。
兄弟対立はこうやれば仲良くてきたんじゃないかってifストーリーを色々想像してしまいます。
偉大な功績を残す為には身内さえも切る覚悟が周りのスタッフに対して一番説得力がある。だから700年の基礎を築けたんです❗️
頼朝から見たら義経は組織の和を乱すスタンドプレイヤーですからね。一兵卒なら良いが大将格としては失格です。
そうですね。私も 功績は大ですが 平家を滅ぼしたあとに 個人で何万の兵を率いるのはかなり難しいかもしれません。
申し訳ないのですが元々義経贔屓では無かった自分と、今回の大河の上総介ロスのせいで頼朝も庇いたくない自分とが若干スッキリしました。この兄弟関係をどう落とし込んでいくかが今後の三谷脚本の楽しみ方なのかな🤔
どっちも優秀だと争うんですよねどっちかがポンコツなら良いのに。
なるほど
義経が先に挙兵か…なら仕方ないですね。
もうホントざっくり言えば後白河法皇に担がれただけの義経に行家の賭けがはまったっていう感じなんでしょうね。あんまり鎌倉時代は本を買ってなかったので浅識で申し訳ないですけど。ただ、とりなす人々もいたような感じはありますけどね。土肥実平とか(あー三谷さん、これで阿南さんなんだねって納得しましたもん。シーンであるかは微妙だけど、テイストだけでもみたいな執念が感じられて。三谷舞台だったら1000%やるシーンですけど。すいません暴走してますが三谷さん大好きなんで(笑))
草薙剣は御座舟と一緒に焼けてしまっていたのですね。それじゃあ何年探したって回収は無理ですな。
勝長寿院供養に参加拒否したのか行けない事情があったのか…最初はボタンのかけ違い程度のすれ違いが決定的になりましたねこの後戦国時代においても兄弟というのは覇権争いが絶えないわけですが…悲しいことです
黒幕は後白河法皇。常に分断しか考えてない。
まぁ彼からしたら藤原政権、平家政権の次は源氏政権なんてまっぴら御免という感じでしたから…だから後醍醐天皇に仕えた楠木正成や新田義貞みたいに献身的に朝廷に従う義経を気に入ったのでしょう…
それが皇室の権力掌握術!
@@rikkas2327 まぁ日本の皇室は国民第一に考えて質素に慎ましくやってきたお陰で何とか今に至るまで続いて来れましたから…
義経が滅ぼされるきっかけをまとめると頼朝より人気が高くなり、命令を無視して戦を実行したこと(鵯越の逆落としは義経の独断とも言われていますし、三種の神器が全て揃えることができませんでした。おまけに安徳天皇を結果的に帰らぬ人にしてしまいました。)勝手に後白河上皇から検非違使という冠位(今で言う警視総監のようなもの)を貰ったこと前述した複数の事柄から鎌倉武士団の結束を弱めたことそして、最終的に源氏による支配体制に反することになりました。義経が可哀想だとよく言われるようですが、それにしても頼朝は言い掛かりを付けすぎじゃないでしょうか。
行家によるデスゲーム
一党のトップに立つと、自分の身を案ずるあまり、周りを信頼出来なくなるかもしれませんね。心理的にも疑心暗鬼で兄弟すら信じられない結果なのですかね。
はっきり言って鎌倉時代は興味無かったけど、解説動画見させて頂き、日曜日が待ち遠しいです。兄弟喧嘩の延長が悲惨過ぎる。すれ違い想い違いが招いた事実。やはり北条政子が一番怖い。
なんか藤原氏が簡単に旅立たせたん分かる気がする厄介物扱いやないかーい と
源氏は骨肉の争いがお好き✨😘
内容、すごくいいと思うんですけど一つだけ。「平家(へいけ)」の発音なんですが「景気」と同じ発音で言われのですが「ケーキ」と同じ発音が一般的なのかなと。
そう言えば前回コメント忘れてました。腰越状って弁慶が書いた説ありますよね?昨年、江ノ電腰越の満福寺に行きましたら、弁慶が腰越状を書いてる石像がありました。隣には偉そうに義経が座ってる像ですwミスター武士道さんも他の動画で言ってました?
明日の放送の予習にはピッタリでしたね。予告でも、伊予守任官や行家の煽りは出てましたし。
後白河からしたら、平家はどうしても倒したい相手なわけじゃん。そんな中で源氏の兄弟ケンカをさせてる場合じゃないし。
👍👍👍
義経の政治音痴っぷりはよく聞いていたけど、想像以上に酷かった…
義経かわいそう
なんで大和源氏は繁栄しなかったのか…
争う原因は哲太と西田ですよ
オープニングの「・・・編!!」のセリフの時に一歩カメラに近づくと迫力出ます。カット割りするよりも自然かと・・・。ガチョ~ンのイメージです。
間違えて低評価になってました💦気づきすぐ直しました。すみません💧
河内源氏。あいつらいっつも兄弟ゲンカしてんな。頼朝が平家を滅ぼそうとしてなかったっていうのは、それこそ何か出典があるんですかね??
九条兼実の日記『玉葉』に頼朝から後白河法皇への提案に、『古昔のごとく、源氏平氏相並び召し仕ふべきなり。』とあります。つまり昔みたいに源氏・平氏を共存させて召し使ってはどうか?という提案ですね。安徳天皇と神器の奪還についても、平家軍を皆殺しにしつつ、無傷で天皇と神器を奪うというのは現実的ではないため、平家を降伏させ、それらを回収するという構想があったのは間違いないかと。
頼朝って小心者すぎるんだよな。
義経は兄を恨んで無かったんじゃないの
左衛門少尉遠山金四郎と同じだな😁
頼朝、猜疑心強いからなあ~
平家の娘と結婚するとか、もうこれ謀反する気まんまんですやん・・・w
パワーアップした弟が邪魔になったんですよね・・・立ち回りは難しいっすね。
今回のドラマは本当のクソ義経を忠実に表現してくれている。まさに 末代迄の恥 義経の恥は源氏の恥でもあるからね。
前世義経に殺されでもしたんかってくらいの義経アンチやな
@@陰陽キャ ん?そんなに酷い表現してるかな?小説や映画漫画の活躍を信じて評価されている歴史上の人物は嫌いだけどね😄あと龍馬や前田慶次も😁
@@to4342 お前こそ嫌われるだろう
兄弟とは言っても異母兄弟で、実際には子供の頃に会った事も無い兄弟だったので、鼻っから兄が弟として思ってたかどうか疑問だ。しかも頼朝の母親は身分の高い女で、義経の母親はそうでもなかったみたいなので、頼朝は、本当の弟のように見ていなかったんじゃね??
頼朝さん義経さん兄弟なのに争いするの?なんでなのいまだに謎?兄弟争いするのかな?怖い
今の時代でも同じ父母持ち、小さい頃から一緒に育ってきても仲の悪い兄弟はいます。頼朝と義経は母は違いますし、年齢もひと回り違います。また義経が生まれた年に平治の乱が起こり頼朝は伊豆に流されているので、幼い頃にあった回数はさほどないはずです(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも頼朝が弟達とのエピソードを間違えるシーンがありましたが、あの場にいた弟はみな異母弟なので幼い頃に共に過ごした時間がほとんどなさ過ぎて一人ひとりとのエピソードを覚えていないのが実情でしょう。)。ここまで一緒にいないと兄弟とはいえ、ほぼ赤の他人です。意見が食い違えば争うのが当たり前。ましてや本当に赤の他人なら気楽だが、血縁上は弟なので自らの立場に代わる可能性があるから余計厄介ですよね。
ニッシーさんありがとうございましたためになりました
こんにちは。 悲しくなっちゃいますね( ;∀;)。幼いころに共に過ごさなくても、血縁のある兄弟、家族。争うのが当たり前なんて時代が悲しいわ。戦国BANASHIさんが最後におっしゃったように、できれば兄弟仲良くがよいです。頼朝ー義経を参考に?自分ならどう相手を思いやり、争いを避けられるかな??という視点でドラマを視聴してみます。
@@hskwmnb 徳川家光は同母弟の忠長とは仲があまり良くなかったらしいですが、異母弟の保科正之の事は大変可愛がり重用しているので、一概に全部の親兄弟が争っていたとは言えないですけど、そのような家庭が多かった事は悲しい事ですよね。まあ親兄弟で争うのが源氏の定めと言えばそれまでですが。
@@ヨシヒコ-i6u そうですね( ;∀;)。源氏ご一族は、みんな仲よく治世を行ない鎌倉時代は平和でした、では、ドラマにならないものね。徳川家光は乳母の春日局に育てられ、忠長は実母のお江与の方に育てられ、最初から張り合っていたようなところがあるでしょう。保科は側室の子という立場をわきまえていて、家光のライバルになろうなんて毛頭思わなかったんじゃないかなあ。保科家が後年まで栄えたことを思うと、子どもを育てる養育者、側近のしつけって、大事ですね。親が上手に子どもたちを育てて、兄弟仲良くの礎をつくることが、地位や財産を残すより大事なことかもね。
京都大学教授の元木泰雄って人の本を読んで、通説がいかに間違ってるかよくわかった。元木さんはメチャクチャ優秀な学者だよ。😊
義経と後白河法皇ってアナキンとパルパティーンみたいやなww
※ 15:57 あたりの補足です。
頼朝の「勝長寿院供養に参加するように」という命令を義経が拒否した確かな史料はありません。(しかし、他の源氏一族が参加するなか、義経だけを呼ばないのは不自然なので、命令自体はあったはずです。)
勝長寿院供養の開催前に、義経は挙兵していますが、おそらくこの命令拒否が最後のトリガーだったのではないか?という推測になります。
だいぶわかりづらくなってしまいて申し訳ございません。
は
😢🎉😢な😊wt0 t
ひ
若貴もギャラガー兄弟もビックリだなw
いつも楽しく拝見しています。
今回の動画は本編の予習、復習になっていたので、本編をより理解できました。有難う御座います。
もし可能なら、このような本編の予習動画をアップして頂けると嬉しいです。
弟の範頼も処分されてるし、力を持ちすぎた義経に対していろいろと言って、上総広常みたいに消したかっただけな気もする
源氏は一族同士の争いばっかりだし
私も、自分の地位を危うくする者を処分しただけだと思う。兄弟全てやられてるし。そもそも、頼朝自身も危うかったのでは?なんの地盤もないただの神輿。黒幕は北条でしょう。
最終的には頼朝も、その子も孫も消されちゃったしね。
義経には不満より不安が大きかったのでは?
その不安は壇ノ浦の勝利の絶頂で、帝と宝剣を失った時に味わった絶望感から生じたと思います。
その後の行動を考えると、それをきっかけに鬱状態に陥っていたのではないでしょうか?
そのため尚更疑心暗鬼が強くなって、滅亡への道を突き進んだように思います。
ありがとうございます!
スーパーサンクス、ありがとうございます!
『義経と頼朝の対立』の解説、有り難う御座います
義経と頼朝、この2人、性格や生き方、考え方が全く違うなぁと思いました 組織を大事にする頼朝と個人プレーが目立つ義経 いくら異母兄弟とは言え、頼朝は義経を脅威に思っていたのでしょうね 2人の確執に、後白河法皇が介入した事も、余計に拍車をかけてしまいましたね
黄瀬川の陣で、感動的な出会いがあったのに…結末は寂しいものですね
とてもわかり易かったです。ありがとうございました。
解説ありがとうございます、初めて知りましたが父義朝の法事不参加は決定的かと思います。足利尊氏、直義の兄弟も仲良かったのに決裂しましたしどの道避けられない道だったように思います。
個人的には、義経に問題があると思う。
義経のスタンドプレーを弟だからと言って容認していたら、組織のトップとして示しがつかないわ。
義経は戦いで結果を残し頼朝に認めて欲しかったけど、政治的な面が弱くて後白河法皇にも巧く利用されてしまった。
一方頼朝は義経を弟というより御家人の一人と考えており、そこからすれ違いが生じたのでしょうね。
ゲームのように頼朝が世界征服を狙っていたら義経を海外に派遣して互いに距離を置けたのかもと感じます。
それに義経は楠木正成みたいに朝廷や皇室に純粋に献身的に仕える武将だったので頼朝の描いてた武士の世の為に尽力する気は無かったかもしれませんね…だから拗れていったと自分は思いますね…
なんか、「兄弟げんか」とか「対立」みたいなのに、違和感ある。
今の兄弟の感覚だよね。
昔は、兄弟どころか、叔父でも家臣は家臣
そこが複雑で頼朝の地位ってまだ不安定で頼朝の血筋が嫡流と定まったのはすべてが終わった後なのよね、行家にしてみれば何でお前に命令されるなきゃいかんのかという
今でも日本の皇室でも皇太子(皇嗣)及び宮様含めて例え天皇陛下の叔父宮でも家臣です。
でも、近代国家の大日本帝国でも後に天皇陛下に成った明仁殿下が生まれる前の、
秩父宮雍仁親王殿下も本人の意思にかかわらず国民的人気がヤバイモノだったそうですよ。
@@菅沼域雄 だからその為にも皇位継承順位を定めたのです。しかし殿下に無事に男子が御生まれになれば秩父宮家が存続していたと思うと残念です。
政治家の頼朝と戦略家の義経
倒すべき敵の平家が滅亡したら
衝突するのは必然だったんだろうか?
政治と武力の最強が退場し
両方をバランスよく併せ持つ
北条が実権を握る
歴史って不思議です
「信心深い頼朝が、父の菩提寺落成供養にかこつけて血なまぐさいことはしない」という判断ができないくらい義経は焦っていたのか、行家が煽りまくったのか……
井沢元彦さんも語ってましたが、義経は弟だからという甘えがあったのだと思います。頼朝としては、今後の展開(鎌倉幕府の運営)を考えれば弟だからといって特別扱いは出来ない、それが義経には終始理解できなかったのが悲劇なのだと思います。
頼朝は義経を追い詰めれば奥州に逃げると算段していたのではないでしょうか。運良く秀衡が死んだので、これで奥州が取れると算段したと思います。
昨日大河を観てからこの解説を視聴したので、とてもわかりやすかったです。挙兵したものの、義経に付く味方が少なかったのは、京の人や公家に人気はあっても、武士には人気が無かったからなんですかね。ドラマでは三浦義村が言ってましたね!
兄弟対立の原因が義経にあったとしても、義経のこと嫌いにはなれないんだよなぁ
もう疫病神の行家おじさんが全部悪いってことにしよw
「兄弟ではないか…」いらんこというてお兄さん川で死なせたん誰でしたっけ?
はい義経です☆
勝長寿院供養参加命令と義経暗殺計画をセットで義経に伝えたら義経が自分から頼朝に反発して供養に参加しないっていう構図が作れますねー。
私も「義経の方が先に頼朝を討とうとした派」なんですが、そこらを「愚管抄」になんと書いてあるのか、腰越状のところを見てみました。youtubeの解説では「愚管抄には対面の記述有」ということでしたが、腰越の辺りを読むと義経は「頼朝のところに下っていった」とあるだけで、義経と頼朝が会ったかどうかという点に関する記述は見当たりませんでした。(他の箇所の愚管抄のどこかにあるのでしょうか?)。ただ後の部分で、義経は「鎌倉の館に趣き、また都に戻ってきたり」とも書かれているので、自由に鎌倉を出入りしていたようです。この点を持ってして頼朝とも会えていたはず、と判断しているのでしょうか?
源氏は元々骨肉の争い・・・親兄弟で殺し合いをするような一族なので
頼朝と義経が争ったのは別に驚きでも何でもないんだよね。
なんで同じ天皇の子孫なのに平家とはこうも違うのか…でも摂津源氏は身内争いは酷くなかった…
頼朝にとって異母兄弟は実は危険な存在だった。結果的に、義仲、行家、義経、範頼は頼朝に滅ぼされる結果となった。
第19回の果たせぬ凱旋辺りで行家が退場しそうな気がする。行家の最期がどう描かれるのだろうか……。
結局、頼朝と義経はドラマの梶原景時のセリフのように、戦う運命にあったのだろう。義経には源氏の頭領になる資格があったことを忘れてはいけないし、頼朝が彼に安心できなかった理由の一つだ。その義経の最大の欠点は仁徳のなさだ。単なる人気ではない。どんなに負け戦をしようとも、彼に味方になり支援をしてくれる頼りになる武将や豪族が最後まで現れななかった。それと対照的なのが頼朝だ。ある意味で、それは生まれついてのものかもしれない。三国志の劉備玄徳も仁徳があり、数多くの負け戦をしても、必ず味方になり支援してくれ武将や地元民が常に存在した。
兄弟対立はこうやれば仲良くてきたんじゃないかってifストーリーを色々想像してしまいます。
偉大な功績を残す為には身内さえも切る覚悟が周りのスタッフに対して一番説得力がある。だから700年の基礎を築けたんです❗️
頼朝から見たら義経は組織の和を乱すスタンドプレイヤーですからね。
一兵卒なら良いが大将格としては失格です。
そうですね。
私も 功績は大ですが 平家を滅ぼしたあとに 個人で何万の兵を率いるのはかなり難しいかもしれません。
申し訳ないのですが元々義経贔屓では無かった自分と、今回の大河の上総介ロスのせいで頼朝も庇いたくない自分とが若干スッキリしました。
この兄弟関係をどう落とし込んでいくかが今後の三谷脚本の楽しみ方なのかな🤔
どっちも優秀だと争うんですよね
どっちかがポンコツなら良いのに。
なるほど
義経が先に挙兵か…
なら仕方ないですね。
もうホントざっくり言えば後白河法皇に担がれただけの義経に行家の賭けがはまったっていう感じなんでしょうね。あんまり鎌倉時代は本を買ってなかったので浅識で申し訳ないですけど。ただ、とりなす人々もいたような感じはありますけどね。土肥実平とか(あー三谷さん、これで阿南さんなんだねって納得しましたもん。シーンであるかは微妙だけど、テイストだけでもみたいな執念が感じられて。三谷舞台だったら1000%やるシーンですけど。すいません暴走してますが三谷さん大好きなんで(笑))
草薙剣は御座舟と一緒に焼けてしまっていたのですね。それじゃあ何年探したって回収は無理ですな。
勝長寿院供養に参加拒否したのか行けない事情があったのか…
最初はボタンのかけ違い程度のすれ違いが
決定的になりましたね
この後戦国時代においても兄弟というのは
覇権争いが絶えないわけですが…
悲しいことです
黒幕は後白河法皇。
常に分断しか考えてない。
まぁ彼からしたら藤原政権、平家政権の次は源氏政権なんてまっぴら御免という感じでしたから…だから後醍醐天皇に仕えた楠木正成や新田義貞みたいに献身的に朝廷に従う義経を気に入ったのでしょう…
それが皇室の権力掌握術!
@@rikkas2327 まぁ日本の皇室は国民第一に考えて質素に慎ましくやってきたお陰で何とか今に至るまで続いて来れましたから…
義経が滅ぼされるきっかけをまとめると
頼朝より人気が高くなり、
命令を無視して戦を実行したこと(鵯越の逆落としは義経の独断とも言われていますし、三種の神器が全て揃えることができませんでした。おまけに安徳天皇を結果的に帰らぬ人にしてしまいました。)
勝手に後白河上皇から検非違使という冠位(今で言う警視総監のようなもの)を貰ったこと
前述した複数の事柄から鎌倉武士団の結束を弱めたこと
そして、最終的に源氏による支配体制に反することになりました。
義経が可哀想だとよく言われるようですが、それにしても頼朝は言い掛かりを付けすぎじゃないでしょうか。
行家によるデスゲーム
一党のトップに立つと、自分の身を案ずるあまり、周りを信頼出来なくなるかもしれませんね。心理的にも疑心暗鬼で兄弟すら信じられない結果なのですかね。
はっきり言って鎌倉時代は興味無かったけど、解説動画見させて頂き、日曜日が待ち遠しいです。
兄弟喧嘩の延長が悲惨過ぎる。
すれ違い想い違いが招いた事実。
やはり北条政子が一番怖い。
なんか藤原氏が簡単に旅立たせたん
分かる気がする
厄介物扱いやないかーい と
源氏は骨肉の争いがお好き✨😘
内容、すごくいいと思うんですけど一つだけ。
「平家(へいけ)」の発音なんですが
「景気」と同じ発音で言われのですが「ケーキ」と同じ発音が一般的なのかなと。
そう言えば前回コメント忘れてました。腰越状って弁慶が書いた説ありますよね?
昨年、江ノ電腰越の満福寺に行きましたら、弁慶が腰越状を書いてる石像がありました。隣には偉そうに義経が座ってる像ですw
ミスター武士道さんも他の動画で言ってました?
明日の放送の予習にはピッタリでしたね。予告でも、伊予守任官や行家の煽りは出てましたし。
後白河からしたら、平家はどうしても倒したい相手なわけじゃん。
そんな中で源氏の兄弟ケンカをさせてる場合じゃないし。
👍👍👍
義経の政治音痴っぷりはよく聞いていたけど、想像以上に酷かった…
義経かわいそう
なんで大和源氏は繁栄しなかったのか…
争う原因は哲太と西田ですよ
オープニングの「・・・編!!」のセリフの時に一歩カメラに近づくと迫力出ます。カット割りするよりも自然かと・・・。ガチョ~ンのイメージです。
間違えて低評価になってました💦
気づきすぐ直しました。
すみません💧
河内源氏。あいつらいっつも兄弟ゲンカしてんな。
頼朝が平家を滅ぼそうとしてなかったっていうのは、それこそ何か出典があるんですかね??
九条兼実の日記『玉葉』に頼朝から後白河法皇への提案に、『古昔のごとく、源氏平氏相並び召し仕ふべきなり。』とあります。つまり昔みたいに源氏・平氏を共存させて召し使ってはどうか?という提案ですね。
安徳天皇と神器の奪還についても、平家軍を皆殺しにしつつ、無傷で天皇と神器を奪うというのは現実的ではないため、平家を降伏させ、それらを回収するという構想があったのは間違いないかと。
頼朝って小心者すぎるんだよな。
義経は兄を恨んで無かったんじゃないの
左衛門少尉
遠山金四郎と同じだな😁
頼朝、猜疑心強いからなあ~
平家の娘と結婚するとか、もうこれ謀反する気まんまんですやん・・・w
パワーアップした弟が邪魔になったんですよね・・・
立ち回りは難しいっすね。
今回のドラマは本当のクソ義経を忠実に表現してくれている。
まさに 末代迄の恥
義経の恥は源氏の恥でもあるからね。
前世義経に殺されでもしたんかってくらいの義経アンチやな
@@陰陽キャ ん?そんなに酷い表現してるかな?
小説や映画漫画の活躍を信じて評価されている歴史上の人物は嫌いだけどね😄
あと龍馬や前田慶次も😁
@@to4342
お前こそ嫌われるだろう
兄弟とは言っても異母兄弟で、実際には子供の頃に会った事も無い兄弟だったので、鼻っから兄が弟として思ってたかどうか疑問だ。
しかも頼朝の母親は身分の高い女で、義経の母親はそうでもなかったみたいなので、頼朝は、本当の弟のように見ていなかったんじゃね??
頼朝さん義経さん兄弟なのに争いするの?なんでなのいまだに謎?兄弟争いするのかな?怖い
今の時代でも同じ父母持ち、小さい頃から一緒に育ってきても仲の悪い兄弟はいます。
頼朝と義経は母は違いますし、年齢もひと回り違います。また義経が生まれた年に平治の乱が起こり頼朝は伊豆に流されているので、幼い頃にあった回数はさほどないはずです(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも頼朝が弟達とのエピソードを間違えるシーンがありましたが、あの場にいた弟はみな異母弟なので幼い頃に共に過ごした時間がほとんどなさ過ぎて一人ひとりとのエピソードを覚えていないのが実情でしょう。)。
ここまで一緒にいないと兄弟とはいえ、ほぼ赤の他人です。意見が食い違えば争うのが当たり前。ましてや本当に赤の他人なら気楽だが、血縁上は弟なので自らの立場に代わる可能性があるから余計厄介ですよね。
ニッシーさんありがとうございましたためになりました
こんにちは。 悲しくなっちゃいますね( ;∀;)。幼いころに共に過ごさなくても、血縁のある兄弟、家族。争うのが当たり前なんて時代が悲しいわ。戦国BANASHIさんが最後におっしゃったように、できれば兄弟仲良くがよいです。頼朝ー義経を参考に?自分ならどう相手を思いやり、争いを避けられるかな??という視点でドラマを視聴してみます。
@@hskwmnb 徳川家光は同母弟の忠長とは仲があまり良くなかったらしいですが、異母弟の保科正之の事は大変可愛がり重用しているので、一概に全部の親兄弟が争っていたとは言えないですけど、そのような家庭が多かった事は悲しい事ですよね。
まあ親兄弟で争うのが源氏の定めと言えばそれまでですが。
@@ヨシヒコ-i6u そうですね( ;∀;)。源氏ご一族は、みんな仲よく治世を行ない鎌倉時代は平和でした、では、ドラマにならないものね。
徳川家光は乳母の春日局に育てられ、忠長は実母のお江与の方に育てられ、最初から張り合っていたようなところがあるでしょう。保科は側室の子という立場をわきまえていて、家光のライバルになろうなんて毛頭思わなかったんじゃないかなあ。
保科家が後年まで栄えたことを思うと、子どもを育てる養育者、側近のしつけって、大事ですね。
親が上手に子どもたちを育てて、兄弟仲良くの礎をつくることが、地位や財産を残すより大事なことかもね。
京都大学教授の元木泰雄って人の本を読んで、通説がいかに間違ってるかよくわかった。
元木さんはメチャクチャ優秀な学者だよ。😊
義経と後白河法皇ってアナキンとパルパティーンみたいやなww