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お仕事でもそうですが、良い先輩に恵まれると良い指導が後輩にきちんと引き継がれそれをまた後輩が後輩へと引き継いで良いものになっていきますよね(^^)指導者は大事ですね!mintより
そのとおりです。(*^_^*)
快楽の絆 様多くの者がアメリカを「日本の上」と考えていますが、実際は「日本がアメリカより上」です。その証に核兵器の特許を持っているのは日本です。表向きは第二次世界大戦は「連合軍」=「アメリカ」が勝った事に成っていますが、日本政府は、世論に支持されないことを「日本人」にしたい時に「アメリカの圧力」という形を用います。アメリカを「日本の上」とする事で利点があるのです。人は、暴力には逆らえますが借金には逆らえません。日本からアメリカに渡されている資金は、アメリカ(の発言権)を牛耳っているのです。
クレアの衝撃 、
その通り
バリ?
野村克也氏の人を残す事が大事という意味が、よくわかる。
放出されたヒルは弱いアロウズにいきハンガロリンクであわや優勝しかけた(ヒルはハンガロリンクを得意とするのもある)、ジョーダンではスパで大量リタイアの中優勝。ヒルはマシン頼りのレーサーでなくマシン開発が非常に優れたレーサーだった
レース中にタイヤとの会話が出来る(状態や限界など)のはヒルとアレジぐらいかと。(因みにシューマッハはタイヤへの把握力は今一つの評価)
FW14系の開発に携わってたのはヒルやったもんね。
伊達にチャンピオンにはなっていませんよ、いいレーサーだったと思います。ただ身の引き方が残念でした。
デーモン ヒルまでもどらなくても、ボッタス マッサがいた頃は充分トップチームの雰囲気が有ったけど、2018年になってとくに墜ちた感じがします。
2005年から地上波撤退までF1を見ていましたが、ウィリアムズは「いつも二桁順位でポイントが取れればラッキー」ってイメージしかないんですよね。黄金期は凄かったんだなぁ
この四半世紀、ロス・ブラウンもしくはエイドリアン・ニューウェイのいないプライベーターはチャンピオンになれていません。いかに人材が大切であるかを思い知らされます。
でもほえみ
あとニューウェイにチームの株式を少しでも渡しておけば違っていたかもね
ウイリアムズはドライバーを大事にしないからなぁ。1990年のハンガリーでブーツェンが勝った後、表彰式」を終えてピットへ帰ったらチームクルーは帰り支度を終えた後で、フランク・ウイリアムズからの祝福の言葉も後日ファックスで自宅にとどいたとかの酷い話もあった。圧倒的成績で1992年のチャンピオンになった人気者のマンセルを実質上のクビにしたり、マシンが速いからって少々傲慢にやり過ぎちゃったんだな。やっぱり功労者のドライバーは大事にしなきゃ。
ブーツェンの件はカナダでの大ミスの影響もありそうアレで見限ったんはホンマやったんか
挙げ句の果てには、FW15のお茶濁しのマシンであるFW16で、セナを殺しましたからね!
@@k727i それもありますしマンセルのように過激に走るドライバーを好むフランクに対して堅実に走るブーツェンはフランクにあまりきにいられなかったようです
サンマリノGPスタート直後にリアサスが不調になり レース止めてればよかったのに無理して追ってしまった。リアサス故障まではアナウンスされたがチームの責任は問われなかった。
デレック・デイリーの扱いも酷過ぎる
寂しいですが…ブラバム、ロータス、ティレルのように
ターニングポイントは、やはりデイモン・ヒルの離脱だったか。エイドリアン・ニューウェイだけでなくベルナール・デュドのようなルノー関係者も彼を信頼していたからなぁ。
アン・ブラッドショーも忘れないでね。デーモン離脱に、彼女も抗議の意味合いで、長年の広報職を捨て、アロウズ・ヤマハへ。男前な方でした。
ルノーもヒルを乗せないならエンジン供給はストップすると言えば良かったのにと思いませんか?><
ヒル放出は20年以上経った今でも謎。でも放出してくれたお陰でアロウズとヤマハエンジンが最後のポディウムを飾れた訳だ。フランクにはちょっと感謝してる。
アランジョーンズとロイテマンの確執からおかしい
チームに貢献していたパトレーゼを簡単には切ったのはどうなんだろう?パッシブな車が好きだったみたいだから、ハイテクてんこ盛りになったF1に嫌気がさしたのかも知れないが。
天才に後継者はいないよ天才は離散的に個として発生する
ウン👏同感です。😊
ヒルがチャンピオンを獲得した1996年のウィリアムズは16戦・12勝。1992年・1993年の16戦10勝を上回る最高の成績。やはりヒル放出は失敗。
1996年はまさに、ウィリアムズにとっては最高のシーズンでしたね。ミハエルがベネトンを離れて、ジャン・トットとロス・ブラウンのもとで立て直し途上のフェラーリに移籍し、ミハエルの後釜には実力が落ちるアレジとベルガーが入ったこと、メルセデスで立て直し途上のマクラーレンがあまり勝てない、いわば敵失という運の良さもありましたが、96年のデイモンには、加入したばかりのオドオドしたところがなく、(その当時、フランクがミハエルはインチ単位でピットストップを決めるが、デイモンはまだ2フィート手前でピットストップしていると言っていた)実力が備わった感じがありましたね。
マシン開発に関してはF1史上最強のドライバーだったからね
ezel さん デイモン・ヒルは1962年と68年の2回ワールドチャンピオンを獲得したグラハム・ヒルの息子で、80年代はバイクレースですでに2回タイトルを獲得し、96年にF1でワールドチャンピオンを獲得した唯一の人物です。確かに、マシン開発の際には、工学知識もあったこともあり、マジメに参加していたようです。 ちなみに彼のヘルメットは父親譲りの、黒地にてっぺんにボートのオールが8つ描かれていたデザインでした。
toshihiko fukami 思わずにはおれんのですがドイツ人入れたってだけでエンジン供給してるもらえるもんなんですかね?それよりは「このドライバーがいるから勝てるよ!」って営業掛けれるドライバーを入れるべきじゃないかとσ(°▽°)は思うんです。
@@yassan7106 結果だけを見てアレジの実力はシューマッハより下!?トンでもない!!!シューマッハは運やチーム力に恵まれ過ぎなだけの事で有り、逆にアレジとベルガーが移籍したベネトンは有能なスタッフをシューマッハが移籍したフェラーリに引き抜かれたりと散々な状態だったのだからモチベーションを保つのも精一杯だった事が伺える。ドライバーとしての実力なら、ビルヌーブへのブッ突け野郎の愚行やクルザードへの糞呆け理不尽な責任転嫁を唱えるシューマッハなんかよりアレジの方が断然上に決まってる!!!あと、フェラーリで最もの一番の犠牲者はカペリでしょう!
一時期BMWが3L V10 1万9千回転とかやってましたよね〜
やはりデイモン・ヒル放出でエイドリアン・ニューエイが激怒してチームを離れてからウイリアムズは斜陽化してしまったのはフランク・ウィリアムズ最大の決断の誤りであった。今は娘のクレアが代表になってはいるが苦しい、歯に絹着せぬジャック・ヴィルヌーヴが出入り禁止になってしまうほどだし
96年と97年のウィリアムズはメチャクチャ強かったな。特にジャック・ヴィルヌーヴは今でも印象に残ってる。しかし翌98年のメカクロームとかいう訳が分からないエンジンは何だっのだろうと思える。実際に98年はフレンツェンが開幕戦で3位に入ったのが最高順位で他はパッとしなかった。
マクラーレン以上に堕ちちゃったな。
マクラーレンもこうなるのでしょうか
今じゃもう…
BMWとのタッグ解消(BMWがウィリアムズを買収しょうとしたから)あたりからなんかテイルエンダーにだんだん近づいて行ったな。
マッサ、ボッタスがいた頃はまたトップチームに返り咲いた感じかあったのになーフロントロー独占やマッサPP、コンストラクター3位、ボッタスシリーズ4位など
そうですね。ニューウェイの離脱は痛かったと思います。今迄もそうでしたが、ワールドチャンピオンが出ているにもかかわらず、契約を結ばない←莫大な契約金を懸念したと言ってます。セナとヴィルヌーブを除いては。ルノーの撤退も大きかったです。のちにニューウェイはマクラーレン、レッドブルとコンストラクターズに輝くマシンを出してますから。
勝ってるのがマルドナードってすげ
振り向けば・・・ブーツェン。懐かしい・・・
ウィリアムズは60年代からF1に参戦。後にウォルター・ウルフ・レーシングの母体となるチームを運営していました。ウルフが初出場で初優勝できたのもウィリアムズの築いた下地があったからです。当然76年の初めての日本グランプリにも出場しています。決して70年代後半に参戦してきて数年で勝てるようになったわけではありません。ウィリアムズのそういう苦労も紹介してほしかったですね。
60年代には生沢徹やトヨタをカモにして儲けていましたよ!
ウィリアムズはチャンピオン取っても再契約しない事で有名デーモンを放出 コレにエイドリアン・ニューウェイが激怒しチームを去ってしまったと聞いています。エイドリアンが抜けたことが大きいのか判らないけど何とかジャックがチャンピオンになったもののウイリアムズはチーム力を急速に低下させ、一度も王座に就くことなく現在に至っている。
ウィリアムズルノー時代が凄かっただけにね、、、
トヨタエンジン載せてカズキが乗ってた事も紹介してほしかった
「ウチに来れば誰でも勝たせてやる」という気風はいいんだけどベテランなら誰でもいいとドライバーに無頓着すぎるのと、自分らのエンジニアリングのプライド高すぎ(かつコンサバ)てサプライヤーに問題を押しつけすぎた。テストドライバーの重要性をいまだにわかってない感じもする。ワークスと組めなければただのプライベーターなのよね。
60年代と70年代は「持参金さえ積めば何時でも誰でも載せてくれる」チームでした!
ICIの黄色が抜けて寂しく思っていたらキャメルの黄色が入って喜んでた思い出。
ウィリアムズの青と黄色の車、好きっだたのにな・・・。FW14B。娘では無理だったか・・・。 まさにクレアの衝撃!。
やっぱり「走る大塚家具」としか形容し得ない。
F1に限らず全てにおいて言えることだけど優秀な人材で少数精鋭ってのが一番だす。✌ おバカと言われる人でもその道に精通した人材がいれば勝利への道は開かれると思う。
主さんのまとめ方は分かり易くて簡潔でいいと思いますニューエイは遅かれ早かれ出て行ったとは思いますけどね若くしてこの世界に入って爺になるまでずっと同じチームにいたデザイナーなんて居ないですしただ黄金期はもっと長く続いたとは思います
ウィリアムズは人にやさしくない
チャンピオンを捨てるチーム。
セナも安易にウイリアムズに行かなければ、死なずに済んだかも知れませんね。
当時としては、マクラーレンよりウィリアムズがそれだけ魅力的だったんだよ。けど、移籍した直後に改変されたレギュレーションによってよかったチームマシンが悪い方向へ行った。ウィリアムズというよりFIAが殺したと言っても過言ではない。
セナのウィリアムズ移籍は「安易」じゃなくて「待望」だったからなぁ。セナ本人が兎に角如何なる手段でもウィリアムズに乗るんだ!って手を尽くしてたのは当時F1見てた連中は痛いほど伝わって来てたもんな。
セナは本望だったのかな 急にこの世から居なくなっちゃって 生きてたら今頃なにしてたのかな
@@tokiapo 生きていても60歳ですから、安全委員会とか立ち上げているかも。
ヒル放出ニューエイ離脱後もそれなりの車でそれなりの成績は残しています。ですがセナの事故裁判が長引いた事で、チームやパトリック・ヘッドのイメージが良くならず、スポンサーが徐々に離れていった事が決定打。フランクの勇退もチームのイメージを刷新したかった狙いがあったと思います。
セナの事故原因って、セナ自身にもあったような気がします。セナは、FW16の性能の高さは評価していたものの、ステアリングの位置が自分の好みに合わず、事故前日に、メカニックに突貫でステアリングの位置を直させました。事故当日、その突貫で直させたステアリング部分が、破損してコントロールを失い、コンクリートウォールに激突して帰らぬ人となりました。
やっぱり師匠はすげぇや!
来年はマクラーレンとウィリアムズの白熱した(下位)争いになりそう。。。(泣)
元々逸材を見極めるのが得意なフランクなのに、チャンピオン獲ったらポイじゃ何れはこうなるヘッドまで早い内に見切りつけてたらもっと悲惨だったかも
でもジャック・ラフィーやパトレーゼに優しいのは何故でしょう?
ヒルの時代もさておきながら、事と次第では2003年にタイトル獲得の可能性が高かったのは事実。前半戦は各チーム共にくすぶってて、不況をいち早く抜けたらタイトルってのが2003年だったんだが、シーズン半ばにフェラーリ、マクラーレンら競合チームを圧倒してアドバンテージすら築く勢いだったのに、ラルフとモントーヤの仲裁に失敗したが故にフェラーリに獲られた感がある。マンセル、ヒルの契約問題しかり、上記のモントーヤとラルフの不仲問題しかり、肝心な場面でドライバーをコントロール出来ない。それがこのウイリアムズというチームだと思う。
ウィリアムズは見限ったドライバーに酷く冷たかったね。契約が切れる事が決定したブーツェンが優勝したとき、記者会見を終えてブーツェンがピットに戻ってきたときにはクルーが1人も残っていない、全て後片付けも完了してもぬけの殻だったらしいし。HONDAがウィリアムズと縁を切った決定的な理由も、日本の企業であるHONDAに対して信頼が全く無く、HONDAからの提案は議論の余地なく却下され、フランクとパトリック・ヘッドからの一方的な要求が多すぎたと当時のPリーダーの桜井氏の著書にあった。(氏の本はどこまで事実を書いていたか不明だが)良くも悪くもフランク・ウィリアムズとパトリック・ヘッドのチームで、彼らの意思が絶対的すぎたのでしょう。上手くいってる時はそれで良かったのでしょうが。
確かにFW14Bは最強マシンだな
栄枯盛衰、諸行無常…メーカーチームというよりプライベーター的雰囲気のウィリアムズだからカッコ良かった。パトリックヘッド+ニューウェイなんて奇跡だもん。普通は両雄並び立たず、だから。(バーナード・マーレイ他…)フランク・パトリックの一代限りで良かったんだ。
ウイリアムズが強かった時期は、87年・91年等いくつか在るが、アラン・ジョーンズの頃が一番強かったと感じる。
ジョーンズが勝ち出したら、レガッゾーニを放出したよね!😓
ナレーションの音声が綺麗で感動しました。。どのようなソフト使用されているか教えていただけると嬉しいです😃
予算上限が導入されればかつての名門にも再びチャンスも巡ってくるのかな。
盛者必衰、このままティレルのように消えていくんや……
昔あった雑誌AS-Fには、F-1 HUMAN DOCUMENTなるサブタイトルがあった。記事の中心は、F-1に関わる人達のインタビューだった。 モータースポーツは、人と人の戦いなんだよね。 何でもそうだけど、人材を大切にしなくてはダメだよ。
ヒルと契約更新しなかったのが転機になったのは間違い無いけどF1のコンストラクターズは栄枯盛衰か理。ブラバム然りアロウズ然りロータス然り…枚挙に暇がない。近年ではマクラーレンもまた然り。それと無縁なのはフェラーリ位のモノでしょう。
バランスですかチームと開発とドライバーとの巡り合わせ
ロスマンズカラー時代が素敵
結局ヒルを見限らなければニューエイは離れることがなかった。ジャックよりもヒルを残すべきだった。
ニューウェイ離脱は痛恨の極みだよね。マーチ(レイトンハウス)在籍中は『空力バカ』と貶され腐っていたニューウェイが、パトリック小父さんに「四つのタイヤが地面にしっかりくっ着いてるから速く走れるんだ!」と叱らながらもFW14BというF1史上に特筆される名車を創り上げるまでになったのに・・・ ウィリアムズは有形無形の大きな投資が損失になっちゃったよな。尤も、手堅く保守的なマシン設計を持ち味にするウィリアムズがハイテク満載路線に切り替わったはニューウェイが加入した影響が大きかった。それだけに尚更痛恨の極みだけどね。
デミ夫デミ qq
正直フェラーリもいろんな意味で落ちぶれたからなぁ……名門全チームが落ちぶれたような気がする
ぱっつぁん F1自体がダメだね〜
2.4L V8 NA時代までの、あの甲高いエンジンサウンドから、1.6L V6ターボになってからのハエが飛んできたときのような盛り上がりのないサウンドになってから、見る気がしなくなりましたね。
ドライバーの格が確実に落ちたよなフェラーリが自分とこのスクール上がりのドライバーを起用するなんて昔じゃ考えられんかったよ
ウィリアムズの黄金期の横暴は今なお苦しめている不振に繋がるとは皮肉だな・・・やっぱりデーモン・ヒルの解雇は致命傷であの選択は名門を迷門に落とした大戦犯。マンセル、パトレーゼ、プロスト、セナ、ヒルと黄金期に集った名レーサーのウィリアムズで走った走りは今でも忘れられん。
ロズベルクとピケも忘れないでね。
アクティブサスは圧倒的だった。全くレースにならない強さ。
もう自動車メーカーがバックについてないプライベーターがやっていける時代じゃ無い。あまりにもお金が掛かりすぎる。
ホンダエンジンの時とルノーエンジンの時が凄かったなぁ(個人的な意見です)
ヒルを追い出した事がすべてやろうなあ
自分が生まれる前にこんないい車があったなんて人生損。てかかわいい
ウィリアムズもルノーエンジンを失った時にフォードのワークスエンジンを獲得していたら三年間未勝利で終わらなかったかもな。
ヤマハV10でも良かったと思いませんか?
誠実で会社に貢献した人を簡単に捨てる会社に誰もいたいとは思わない。まさに「覆水は盆に帰らず」ですな。
80年のタイトル獲得は物議されましたね。数年前から新興チーム参戦により名門(当時はフェラーリ、ロータス、ブラバムも?)が大きい番号でのレース参戦が不安視されていた。(当時のファンは見慣れない番号での常勝チームの参戦に違和感を感じたからですかね?)81年はフェラーリが27、28番を付けてのGP参戦となり「かっこ悪い」と揶揄されておりましたが結果フェラーリの27番は特別な意味を持つカーナンバーとなりましたね。84年のストーブリーグでもマンセルのウィリアムズ入りが決定した後ケケは公にマンセル不要論を訴えてフランクが沈静化しましたが、ケケとマンセルの関係が最悪から良好に転換した事からもドライバー同士の確執も人間性次第のではないかと。(タイミングなども影響するかな)。この辺りはチャップマン死去から始まり、をウォーとマンセルの確執、それに伴うセナのロータス移籍(マンセルはシートを失うのでウィリアムズ移籍へ)、セナ移籍後のアンジェリスのセナ不信。ケケとマンセルの確執からの和解、ケケのマクラーレンへの移籍、ホンダの影響力が大きくなりなぜかラテン系ドライバ贔屓へ。ウィリアムズへ中嶋の入閣要請(マンセルがシートを失うシナリオ)、断ったら結果、ホンダエンジン供給できず+ピケもホンダと共に移籍へ。ルノーはロータスで結果が出せず撤退(エンジンパワーだけではホンダ並でその後のロータスを観ればシャシー性能欠落による成績不振は明らかですが)、ウィリアムズへのエンジン提供で復活。その後自国の英雄?プロストのシート確保など。流れが読めると面白いですね。フェラーリはエンツォ死後の15年は厳しい状態でしたが、まぁ伝統的なお家騒動ですので。
マシンが良ければだれが乗っても勝てるんだ・・・と豪語していたのはパトリックヘッドさんだっけ車は勝手に走らないよ、良いドライバーが居て初めて勝つんだから、誰が乗っても勝てるマシン何てこの世には無いFW14が出来過ぎてしまった奢りだったんだね、何でもそうだけど一度天に登った物は後は落ちるだけさ過去も見ればみんなそうだけど天に居残った物は無い、必ず最後は地に落ちてしまう
こういったformula-1に関連する企画をどんどんやってほしいと思います。
今のウィリアムズは、ストロールとシロトキンだな…
ジョーンズVSロイテマンやマンセルVSピケとドライバー同士の揉め事を解決出来なかったツケでしょうか?
僕は信じている。必ず復活すると。。 個人的にはホンダはウィリアムズにPUを供給して欲しかった。でも少しづつ良くなっていると思う。ハンガリーも少し良かったしね。
ハイテク禁止が無ければな~
ウィリアムズはドライバーに優しくないチームだという印象しかない何度チャンピオンを獲った年のドライバー放り出したんだよ?そうかと思えば適正も考えずインディでチャンピオンだったというだけでぽんぽん引っ張ってきては成功せずだしな
neokaazu まるで、プロ野球でいえば、他球団の4番クラスの打者やエース級のピッチャーを引き抜いては酷使して、調子が悪いとすぐに放り出す巨人みたいなチームですね。
ジョーンズ(1980年)・K.ロズベルグ(1982年)・ピケ(1987年)・マンセル(1992年)・プロスト(1993年)・D.ヒル(1996年)・J.ヴィルヌーヴ(1997年)と7名がウィリアムズでチャンピオンになっているが、翌年ウィリアムズでカーナンバー1をつけたのはジョーンズ・ロズベルグ・ヴィルヌーヴのみ。1987年のピケは翌年ロータスへ移籍、1992年のマンセルは引退(その後復帰)、1993年のプロストも引退、1996年のヒルはアロウズへ移籍した。
あのレギュレーションがなければウィリアムズも6輪マシン出していただろうに…
デーモン・ヒル離脱とヒル放出に激怒したエイドリアン・ニューウェイ離脱で落ちていった。2年連続でWC出してて調子にノッてたみたいな感じ?
元々、ドライバーを大切にしないチームだからね。チャンピオン取っても、皆離れていった。「誰が乗っても勝てる」と言って、給料値切るからね。
F-1は人間ドラマとはいえ、これだけしがらみが多いとねぇ😣
F1自体が墜ちた。
ウイリアムズホンダを復活させてみそ。運気上がって来るから。其れこそ今ならホンダも参戦してるんだから。
ドライバーの扱い見るとパワハラ凄そうな企業だよね。いい製品出すけど、社員には冷淡な。その点、ロンデニスマクラーレンは雰囲気よかった。フランクやパトリック・ヘッドにはいたずら仕掛ける感じもないだろう。それにしても、あの雰囲気でここまで活動してきたのは凄いんじゃないか。プライベーターとしては素晴らしい実績だ。F1ビジネスが巨大になりすぎたことが今回の原因だろう。
昔からこのチームはドライバーに対してはドライで冷淡、「結果出せ口出すな」「車が良ければ誰が乗っても勝てる」ていう感覚だったのが露骨だったように見えた。'90年にアレジ争奪戦に参戦するためにブーツェン放出を内定した中で残留を目指してハンガリーGPで優勝したブーツェンに対して表彰式中に撤収して置き去りにした挙句に他人事な祝福FAXを1枚だけ送ったとか、'92年にチャンピオンを決めたマンセルに対して「セナはタダでもいいと言っている」と減俸を示唆したとか、チャンピオンのヒルを放出してまで獲得したフレンツェンを冷遇した挙句に離脱を表明されても引き留めを一切しなかったとか、ドライバーに対する冷たいエピソードは多々あるんだよね。
名門ウィリアムズ撤退はショックですね
チーム自体は撤退はしてない。創設者一族であるウィリアムズ家が手を引いたってだけ。
ボッタスがいた頃はまだ古豪っていう感じだったけど抜けてからはマジで落ちぶれたな
マジで名門ウィリアムズが撤退しない事を切に願う。ロスマンズカラーのマシンが好きだったな。背中が事故で亡くなった時は恨みもしたが、やはり必要なチームだよ。
結局、チームは身売りしちゃいました。
個人的にはルノーエンジンを失ってからおかしくなったような?でも、BMWエンジンの時はよかったなー。
ヒルの解雇が全ての元凶フランクが後にBMWの復帰を見据えてヒルを解雇してドイツ人で当時実力派だったフレンツェンにシートを与えたのが後の不振につながります
そうだったの(泣)
1992年のモナコGPでマンセル対セナのバトルは凄かったな~今でも覚えています(*´▽`*)
マクラーレン&ウィリアムズ&ロータスはかつての名門だけど今の惨状には目を覆うよねロータスに至ってはもうないし
結局、運営が金儲けと特定のチームのため変更をしたことが問題。最高の車と運転手の技量で観衆を魅了させる時代ではなくなったってことかな。
メーカー系のワークス全盛になったのと、レッドブルのような金持ちオーナーのチームが入ってきて、参戦に必要な資金もうなぎ上り。古豪のマクラーレンやウィリアムズは相対的にその位置を下げていった。
やっぱりどうしてもマルドナードで草
自分はウィリアムズと言えばセイウチだわ失敗だったけど好き
ウィリアムズの凋落傾向は今に始まった事じゃなく、BMWを搭載してた時にマリオ・タイセンの申し出を受けるべきだったのでは?って感じだったし、共同経営にしてれば嫌な感じに袂を別つ事にならなかったし、ウィリアムズの将来に向けた地固めができてた筈だね(-_-)ましてやフランク・ウィリアムズはドライバーじゃなくチームとしてのコンストラクタータイトルを重視してたし、ドライバーは逐一ポイントを稼げば良しとしか思わなかったって感じだったし、これはプロストやセナも戸惑ったみたいだし、ミハエル・シューマッハはチームの雰囲気が冷たいと評して見向きもされずにフェラーリに移籍したし、シューマッハはウィリアムズに所属してたらこんなに成績を残せなかったし、BMWを搭載してたザウバーの躍進も大いに物語れるし、フランク・ウィリアムズのコメント通りにヒルとニューウェイを失った事が凋落する予兆だったね(-_-)今さら重い腰を上げる感じに娘に舵取りを任せても時すでに遅しだし、マクラーレンもウィリアムズも斜陽と化してるよ(-_-)
1994年のセナの乗ってのはハイテク禁止になってセナが乗りづらいって言ってたなセナやから乗りこなしてたけどヒル少し遅れてたもんな。
ウィリアムズは確かに名門かもしれませんが、所詮はプライベーターチーム。メーカーチームが幅を利かせている現在のF1では、もはや過去の栄光なのではないでしょうか。どんな名門でも予算が限られたプライベーターでは上位に返り咲くのはかなり難しいのでは・・・と思います。
1980~1981年のカルロス:・ロイテマンとアラン・ジョーンズの組み合わせは何も起こらなければ最高の組み合わせでした。しかし、フォークランド紛争が起こり、「イギリスのチームになぜアルゼンチンのドライバーがいるんだ!」とイギリス中でウィリアムスに対する批判が起こり、チーム内でもロイテマンは孤立していきます。1981年はチャンピオンを獲得する最後のチャンスで、フォークランド紛争でイギリスとアルゼンチンが戦争をしている最中、出来うる限りの走りでアルゼンチンの人々に小さな幸せを与えていきました。しかし、ブラバムのネルソン・ピケがチャンピオンとなり、戦争が原因でアルゼンチンに帰郷して政治家となったのです。もし、あの戦争がなかったら、ロイテマンのワールドチャンピオンはあったかもしれません。
違います。フォークランド紛争は1982年の出来事ですよ。すでにジョーンズは引退し、後任はケケでした。そもそもロイテマンとジョーンズの確執は、1981年ブラジルGPでロイテマンがチームオーダーを無視したことが発端で、連覇の可能性がなくなったジョーンズは引退を表明。ロイテマンはずっとポイントリーダーでしたが、シーズン期間中にチームを二分して2人でポイントを奪い合った結果、最終戦アメリカGPでネルソン・ピケに1点差を逆転されてドライバーズタイトルをかっさらわれ、この翌年に勃発したフォークランド紛争が引き金となり、2戦しただけで引退したのです。
プロストとセナを入れた事。
クレアの衝撃 ミント様 いくつか、興味深く見させていただきました。ありがとう!! 昔が懐かしいですね。 環境問題はわかるのですが、今のF1はつまらなすぎます。昔のセナ、プロスト、マンセルのような人が居ないですものね。陰ながら応援させていただきます。これからも頑張ってくださいね。
プライベートチ-ムだから、こんなもんだね👾でもいまだに良くやっているよね😃
ベネトンも‼️
レッドブル
最後は「人間」ですね。人間性と人間の能力が肝心なんですね。
そう、これこそ「クレアの衝撃」。_〆(゚▽゚*)
セナを死に追いやってしまったこと。
ロータスは?
ブーツェン頑張ってたのに、見ててなんか変な感じはしてました。チームが優しくなかったんですね、、苦笑
日本人選手にとっては、外国人選手は強敵である😱
me gusta la F1 👍
お仕事でもそうですが、良い先輩に恵まれると良い指導が後輩にきちんと引き継がれ
それをまた後輩が後輩へと引き継いで良いものになっていきますよね(^^)
指導者は大事ですね!
mintより
そのとおりです。(*^_^*)
快楽の絆 様
多くの者がアメリカを「日本の上」と考えていますが、実際は「日本がアメリカより上」です。
その証に核兵器の特許を持っているのは日本です。
表向きは第二次世界大戦は「連合軍」=「アメリカ」が勝った事に成っていますが、
日本政府は、世論に支持されないことを「日本人」にしたい時に「アメリカの圧力」という形を用います。
アメリカを「日本の上」とする事で利点があるのです。
人は、暴力には逆らえますが借金には逆らえません。
日本からアメリカに渡されている資金は、アメリカ(の発言権)を牛耳っているのです。
クレアの衝撃 、
その通り
バリ?
野村克也氏の人を残す事が大事という意味が、よくわかる。
放出されたヒルは弱いアロウズにいきハンガロリンクであわや優勝しかけた(ヒルはハンガロリンクを得意とするのもある)、ジョーダンではスパで大量リタイアの中優勝。
ヒルはマシン頼りのレーサーでなくマシン開発が非常に優れたレーサーだった
レース中にタイヤとの会話が出来る(状態や限界など)のはヒルとアレジぐらいかと。
(因みにシューマッハはタイヤへの把握力は今一つの評価)
FW14系の開発に携わってたのはヒルやったもんね。
伊達にチャンピオンにはなっていませんよ、いいレーサーだったと思います。ただ身の引き方が残念でした。
デーモン ヒルまでもどらなくても、ボッタス マッサがいた頃は充分トップチームの雰囲気が有ったけど、2018年になってとくに墜ちた感じがします。
2005年から地上波撤退までF1を見ていましたが、ウィリアムズは「いつも二桁順位でポイントが取れればラッキー」ってイメージしかないんですよね。黄金期は凄かったんだなぁ
この四半世紀、ロス・ブラウンもしくはエイドリアン・ニューウェイのいないプライベーターはチャンピオンになれていません。いかに人材が大切であるかを思い知らされます。
でもほえみ
あとニューウェイにチームの株式を少しでも渡しておけば違っていたかもね
ウイリアムズはドライバーを大事にしないからなぁ。1990年のハンガリーでブーツェンが勝った後、表彰式」を終えてピットへ帰ったらチームクルーは帰り支度を終えた後で、フランク・ウイリアムズからの祝福の言葉も後日ファックスで自宅にとどいたとかの酷い話もあった。
圧倒的成績で1992年のチャンピオンになった人気者のマンセルを実質上のクビにしたり、マシンが速いからって少々傲慢にやり過ぎちゃったんだな。やっぱり功労者のドライバーは大事にしなきゃ。
ブーツェンの件はカナダでの大ミスの影響もありそう
アレで見限ったんはホンマやったんか
挙げ句の果てには、FW15のお茶濁しのマシンであるFW16で、セナを殺しましたからね!
@@k727i それもありますしマンセルのように過激に走るドライバーを好むフランクに対して堅実に走るブーツェンはフランクにあまりきにいられなかったようです
サンマリノGPスタート直後にリアサスが不調になり レース止めてればよかったのに無理して追ってしまった。リアサス故障まではアナウンスされたがチームの責任は問われなかった。
デレック・デイリーの扱いも酷過ぎる
寂しいですが…ブラバム、ロータス、ティレルのように
ターニングポイントは、やはりデイモン・ヒルの離脱だったか。
エイドリアン・ニューウェイだけでなく
ベルナール・デュドのようなルノー関係者も
彼を信頼していたからなぁ。
アン・ブラッドショーも忘れないでね。
デーモン離脱に、彼女も抗議の意味合いで、長年の広報職を捨て、アロウズ・ヤマハへ。男前な方でした。
ルノーもヒルを乗せないならエンジン供給はストップすると言えば良かったのにと思いませんか?><
ヒル放出は20年以上経った今でも謎。でも放出してくれたお陰でアロウズとヤマハエンジンが最後のポディウムを飾れた訳だ。フランクにはちょっと感謝してる。
アランジョーンズとロイテマンの確執からおかしい
チームに貢献していたパトレーゼを簡単には切ったのはどうなんだろう?
パッシブな車が好きだったみたいだから、ハイテクてんこ盛りになったF1に嫌気がさしたのかも知れないが。
天才に後継者はいないよ
天才は離散的に個として発生する
ウン👏同感です。😊
ヒルがチャンピオンを獲得した1996年のウィリアムズは16戦・12勝。
1992年・1993年の16戦10勝を上回る最高の成績。
やはりヒル放出は失敗。
1996年はまさに、ウィリアムズにとっては最高のシーズンでしたね。ミハエルがベネトンを離れて、ジャン・トットとロス・ブラウンのもとで立て直し途上のフェラーリに移籍し、ミハエルの後釜には実力が落ちるアレジとベルガーが入ったこと、メルセデスで立て直し途上のマクラーレンがあまり勝てない、いわば敵失という運の良さもありましたが、96年のデイモンには、加入したばかりのオドオドしたところがなく、(その当時、フランクがミハエルはインチ単位でピットストップを決めるが、デイモンはまだ2フィート手前でピットストップしていると言っていた)実力が備わった感じがありましたね。
マシン開発に関してはF1史上最強のドライバーだったからね
ezel さん デイモン・ヒルは1962年と68年の2回ワールドチャンピオンを獲得したグラハム・ヒルの息子で、80年代はバイクレースですでに2回タイトルを獲得し、96年にF1でワールドチャンピオンを獲得した唯一の人物です。確かに、マシン開発の際には、工学知識もあったこともあり、マジメに参加していたようです。
ちなみに彼のヘルメットは父親譲りの、黒地にてっぺんにボートのオールが8つ描かれていたデザインでした。
toshihiko fukami
思わずにはおれんのですがドイツ人入れたってだけでエンジン供給してるもらえるもんなんですかね?それよりは「このドライバーがいるから勝てるよ!」って営業掛けれるドライバーを入れるべきじゃないかとσ(°▽°)は思うんです。
@@yassan7106
結果だけを見てアレジの実力はシューマッハより下!?
トンでもない!!!
シューマッハは運やチーム力に恵まれ過ぎなだけの事で有り、逆にアレジとベルガーが移籍したベネトンは有能なスタッフをシューマッハが移籍したフェラーリに引き抜かれたりと散々な状態だったのだからモチベーションを保つのも精一杯だった事が伺える。
ドライバーとしての実力なら、ビルヌーブへのブッ突け野郎の愚行やクルザードへの糞呆け理不尽な責任転嫁を唱えるシューマッハなんかよりアレジの方が断然上に決まってる!!!
あと、フェラーリで最もの一番の犠牲者はカペリでしょう!
一時期BMWが3L V10 1万9千回転とかやってましたよね〜
やはりデイモン・ヒル放出でエイドリアン・ニューエイが激怒してチームを離れてからウイリアムズは斜陽化してしまったのはフランク・ウィリアムズ最大の決断の誤りであった。今は娘のクレアが代表になってはいるが苦しい、歯に絹着せぬジャック・ヴィルヌーヴが出入り禁止になってしまうほどだし
96年と97年のウィリアムズはメチャクチャ強かったな。特にジャック・ヴィルヌーヴは今でも印象に残ってる。しかし翌98年のメカクロームとかいう訳が分からないエンジンは何だっのだろうと思える。実際に98年はフレンツェンが開幕戦で3位に入ったのが最高順位で他はパッとしなかった。
マクラーレン以上に堕ちちゃったな。
マクラーレンもこうなるのでしょうか
今じゃもう…
BMWとのタッグ解消(BMWがウィリアムズを買収しょうとしたから)あたりからなんかテイルエンダーにだんだん近づいて行ったな。
マッサ、ボッタスがいた頃はまたトップチームに返り咲いた感じかあったのになー
フロントロー独占やマッサPP、コンストラクター3位、ボッタスシリーズ4位など
そうですね。ニューウェイの離脱は痛かったと思います。
今迄もそうでしたが、ワールドチャンピオンが出ているにもかかわらず、契約を結ばない←莫大な契約金を懸念したと言ってます。
セナとヴィルヌーブを除いては。
ルノーの撤退も大きかったです。のちにニューウェイはマクラーレン、レッドブルとコンストラクターズに輝くマシンを出してますから。
勝ってるのがマルドナードってすげ
振り向けば・・・ブーツェン。懐かしい・・・
ウィリアムズは60年代からF1に参戦。後にウォルター・ウルフ・レーシングの母体となるチームを運営していました。
ウルフが初出場で初優勝できたのもウィリアムズの築いた下地があったからです。
当然76年の初めての日本グランプリにも出場しています。決して70年代後半に参戦してきて数年で勝てるようになったわけではありません。ウィリアムズのそういう苦労も紹介してほしかったですね。
60年代には生沢徹やトヨタをカモにして儲けていましたよ!
ウィリアムズはチャンピオン取っても再契約しない事で有名
デーモンを放出
コレにエイドリアン・ニューウェイが激怒しチームを去ってしまったと聞いています。
エイドリアンが抜けたことが大きいのか判らないけど
何とかジャックがチャンピオンになったもののウイリアムズはチーム力を急速に低下させ、
一度も王座に就くことなく現在に至っている。
ウィリアムズルノー時代が凄かっただけにね、、、
トヨタエンジン載せてカズキが乗ってた事も紹介してほしかった
「ウチに来れば誰でも勝たせてやる」という気風はいいんだけど
ベテランなら誰でもいいとドライバーに無頓着すぎるのと、
自分らのエンジニアリングのプライド高すぎ(かつコンサバ)て
サプライヤーに問題を押しつけすぎた。
テストドライバーの重要性をいまだにわかってない感じもする。
ワークスと組めなければただのプライベーターなのよね。
60年代と70年代は「持参金さえ積めば何時でも誰でも載せてくれる」チームでした!
ICIの黄色が抜けて寂しく思っていたらキャメルの黄色が入って喜んでた思い出。
ウィリアムズの青と黄色の車、好きっだたのにな・・・。FW14B。娘では無理だったか・・・。 まさにクレアの衝撃!。
やっぱり「走る大塚家具」としか形容し得ない。
F1に限らず全てにおいて言えることだけど優秀な人材で少数精鋭ってのが一番だす。✌
おバカと言われる人でもその道に精通した人材がいれば勝利への道は開かれると思う。
主さんのまとめ方は分かり易くて簡潔でいいと思います
ニューエイは遅かれ早かれ出て行ったとは思いますけどね
若くしてこの世界に入って爺になるまでずっと同じチームにいたデザイナーなんて居ないですし
ただ黄金期はもっと長く続いたとは思います
ウィリアムズは人にやさしくない
チャンピオンを捨てるチーム。
セナも安易にウイリアムズに行かなければ、死なずに済んだかも知れませんね。
当時としては、マクラーレンよりウィリアムズがそれだけ魅力的だったんだよ。けど、移籍した直後に改変されたレギュレーションによってよかったチームマシンが悪い方向へ行った。ウィリアムズというよりFIAが殺したと言っても過言ではない。
セナのウィリアムズ移籍は「安易」じゃなくて「待望」だったからなぁ。
セナ本人が兎に角如何なる手段でもウィリアムズに乗るんだ!って手を尽くしてたのは当時F1見てた連中は痛いほど伝わって来てたもんな。
セナは本望だったのかな 急にこの世から居なくなっちゃって 生きてたら今頃なにしてたのかな
@@tokiapo 生きていても60歳ですから、安全委員会とか立ち上げているかも。
ヒル放出ニューエイ離脱後もそれなりの車でそれなりの成績は残しています。
ですがセナの事故裁判が長引いた事で、チームやパトリック・ヘッドのイメージが良くならず、スポンサーが徐々に離れていった事が決定打。
フランクの勇退もチームのイメージを刷新したかった狙いがあったと思います。
セナの事故原因って、セナ自身にもあったような気がします。
セナは、FW16の性能の高さは評価していたものの、ステアリングの位置が自分の好みに合わず、
事故前日に、メカニックに突貫でステアリングの位置を直させました。
事故当日、その突貫で直させたステアリング部分が、破損してコントロールを失い、コンクリートウォールに激突して帰らぬ人となりました。
やっぱり師匠はすげぇや!
来年はマクラーレンとウィリアムズの白熱した(下位)争いになりそう。。。(泣)
元々逸材を見極めるのが得意なフランクなのに、チャンピオン獲ったらポイじゃ何れはこうなる
ヘッドまで早い内に見切りつけてたらもっと悲惨だったかも
でもジャック・ラフィーやパトレーゼに優しいのは何故でしょう?
ヒルの時代もさておきながら、事と次第では2003年にタイトル獲得の可能性が高かったのは事実。
前半戦は各チーム共にくすぶってて、不況をいち早く抜けたらタイトルってのが2003年だったんだが、シーズン半ばにフェラーリ、マクラーレンら競合チームを圧倒してアドバンテージすら築く勢いだったのに、ラルフとモントーヤの仲裁に失敗したが故にフェラーリに獲られた感がある。
マンセル、ヒルの契約問題しかり、上記のモントーヤとラルフの不仲問題しかり、肝心な場面でドライバーをコントロール出来ない。
それがこのウイリアムズというチームだと思う。
ウィリアムズは見限ったドライバーに酷く冷たかったね。
契約が切れる事が決定したブーツェンが優勝したとき、記者会見を終えてブーツェンがピットに戻ってきたときには
クルーが1人も残っていない、全て後片付けも完了してもぬけの殻だったらしいし。
HONDAがウィリアムズと縁を切った決定的な理由も、日本の企業であるHONDAに対して信頼が全く無く、HONDAからの提案は議論の余地なく却下され、フランクとパトリック・ヘッドからの一方的な要求が多すぎたと当時のPリーダーの桜井氏の著書にあった。(氏の本はどこまで事実を書いていたか不明だが)
良くも悪くもフランク・ウィリアムズとパトリック・ヘッドのチームで、彼らの意思が絶対的すぎたのでしょう。
上手くいってる時はそれで良かったのでしょうが。
確かにFW14Bは最強マシンだな
栄枯盛衰、諸行無常…
メーカーチームというよりプライベーター的雰囲気のウィリアムズだからカッコ良かった。
パトリックヘッド+ニューウェイなんて奇跡だもん。普通は両雄並び立たず、だから。(バーナード・マーレイ他…)
フランク・パトリックの一代限りで良かったんだ。
ウイリアムズが強かった時期は、87年・91年等いくつか在るが、アラン・ジョーンズの頃が一番強かったと感じる。
ジョーンズが勝ち出したら、レガッゾーニを放出したよね!😓
ナレーションの音声が綺麗で感動しました。。
どのようなソフト使用されているか教えていただけると嬉しいです😃
予算上限が導入されればかつての名門にも再びチャンスも巡ってくるのかな。
盛者必衰、このままティレルのように消えていくんや……
昔あった雑誌AS-Fには、F-1 HUMAN DOCUMENTなるサブタイトルがあった。記事の中心は、F-1に関わる人達のインタビューだった。
モータースポーツは、人と人の戦いなんだよね。
何でもそうだけど、人材を大切にしなくてはダメだよ。
ヒルと契約更新しなかったのが転機になったのは間違い無いけどF1のコンストラクターズは栄枯盛衰か理。ブラバム然りアロウズ然りロータス然り…枚挙に暇がない。近年ではマクラーレンもまた然り。それと無縁なのはフェラーリ位のモノでしょう。
バランスですか
チームと開発とドライバーとの巡り合わせ
ロスマンズカラー時代が素敵
結局ヒルを見限らなければニューエイは離れることがなかった。
ジャックよりもヒルを残すべきだった。
ニューウェイ離脱は痛恨の極みだよね。
マーチ(レイトンハウス)在籍中は『空力バカ』と貶され腐っていたニューウェイが、パトリック小父さんに「四つのタイヤが地面にしっかりくっ着いてるから速く走れるんだ!」と叱らながらもFW14BというF1史上に特筆される名車を創り上げるまでになったのに・・・ ウィリアムズは有形無形の大きな投資が損失になっちゃったよな。尤も、手堅く保守的なマシン設計を持ち味にするウィリアムズがハイテク満載路線に切り替わったはニューウェイが加入した影響が大きかった。それだけに尚更痛恨の極みだけどね。
デミ夫デミ qq
正直フェラーリもいろんな意味で落ちぶれたからなぁ……
名門全チームが落ちぶれたような気がする
ぱっつぁん F1自体がダメだね〜
2.4L V8 NA時代までの、あの甲高いエンジンサウンドから、1.6L V6ターボになってからのハエが飛んできたときのような盛り上がりのないサウンドになってから、見る気がしなくなりましたね。
ドライバーの格が確実に落ちたよな
フェラーリが自分とこのスクール上がりのドライバーを起用するなんて
昔じゃ考えられんかったよ
ウィリアムズの黄金期の横暴は今なお苦しめている不振に繋がるとは皮肉だな・・・
やっぱりデーモン・ヒルの解雇は致命傷であの選択は名門を迷門に落とした大戦犯。
マンセル、パトレーゼ、プロスト、セナ、ヒルと黄金期に集った名レーサーのウィリアムズで走った走りは今でも忘れられん。
ロズベルクとピケも忘れないでね。
アクティブサスは圧倒的だった。全くレースにならない強さ。
もう自動車メーカーがバックについてないプライベーターがやっていける時代じゃ無い。
あまりにもお金が掛かりすぎる。
ホンダエンジンの時とルノーエンジンの時が凄かったなぁ(個人的な意見です)
ヒルを追い出した事がすべてやろうなあ
自分が生まれる前にこんないい車があったなんて人生損。てかかわいい
ウィリアムズもルノーエンジンを失った時にフォードのワークスエンジンを獲得していたら三年間未勝利で終わらなかったかもな。
ヤマハV10でも良かったと思いませんか?
誠実で会社に貢献した人を簡単に捨てる会社に誰もいたいとは思わない。まさに「覆水は盆に帰らず」ですな。
80年のタイトル獲得は物議されましたね。数年前から新興チーム参戦により名門(当時はフェラーリ、ロータス、ブラバムも?)が大きい番号でのレース参戦が不安視されていた。(当時のファンは見慣れない番号での常勝チームの参戦に違和感を感じたからですかね?)81年はフェラーリが27、28番を付けてのGP参戦となり「かっこ悪い」と揶揄されておりましたが結果フェラーリの27番は特別な意味を持つカーナンバーとなりましたね。84年のストーブリーグでもマンセルのウィリアムズ入りが決定した後ケケは公にマンセル不要論を訴えてフランクが沈静化しましたが、ケケとマンセルの関係が最悪から良好に転換した事からもドライバー同士の確執も人間性次第のではないかと。(タイミングなども影響するかな)。この辺りはチャップマン死去から始まり、をウォーとマンセルの確執、それに伴うセナのロータス移籍(マンセルはシートを失うのでウィリアムズ移籍へ)、セナ移籍後のアンジェリスのセナ不信。
ケケとマンセルの確執からの和解、ケケのマクラーレンへの移籍、ホンダの影響力が大きくなりなぜかラテン系ドライバ贔屓へ。
ウィリアムズへ中嶋の入閣要請(マンセルがシートを失うシナリオ)、断ったら結果、ホンダエンジン供給できず+ピケもホンダと共に移籍へ。ルノーはロータスで結果が出せず撤退(エンジンパワーだけではホンダ並でその後のロータスを観ればシャシー性能欠落による成績不振は明らかですが)、ウィリアムズへのエンジン提供で復活。その後自国の英雄?プロストのシート確保など。
流れが読めると面白いですね。フェラーリはエンツォ死後の15年は厳しい状態でしたが、まぁ伝統的なお家騒動ですので。
マシンが良ければだれが乗っても勝てるんだ・・・と豪語していたのはパトリックヘッドさんだっけ
車は勝手に走らないよ、良いドライバーが居て初めて勝つんだから、誰が乗っても勝てるマシン何てこの世には無い
FW14が出来過ぎてしまった奢りだったんだね、何でもそうだけど一度天に登った物は後は落ちるだけさ
過去も見ればみんなそうだけど天に居残った物は無い、必ず最後は地に落ちてしまう
こういったformula-1に関連する企画をどんどんやってほしいと思います。
今のウィリアムズは、ストロールとシロトキンだな…
ジョーンズVSロイテマンやマンセルVSピケとドライバー同士の揉め事を解決出来なかったツケでしょうか?
僕は信じている。必ず復活すると。。 個人的にはホンダはウィリアムズにPUを供給して欲しかった。でも少しづつ良くなっていると思う。
ハンガリーも少し良かったしね。
ハイテク禁止が無ければな~
ウィリアムズはドライバーに優しくないチームだという印象しかない
何度チャンピオンを獲った年のドライバー放り出したんだよ?
そうかと思えば適正も考えずインディでチャンピオンだったというだけでぽんぽん引っ張ってきては成功せずだしな
neokaazu まるで、プロ野球でいえば、他球団の4番クラスの打者やエース級のピッチャーを引き抜いては酷使して、調子が悪いとすぐに放り出す巨人みたいなチームですね。
ジョーンズ(1980年)・K.ロズベルグ(1982年)・ピケ(1987年)・マンセル(1992年)・プロスト(1993年)・D.ヒル(1996年)・J.ヴィルヌーヴ(1997年)と7名がウィリアムズでチャンピオンになっているが、翌年ウィリアムズでカーナンバー1をつけたのはジョーンズ・ロズベルグ・ヴィルヌーヴのみ。1987年のピケは翌年ロータスへ移籍、1992年のマンセルは引退(その後復帰)、1993年のプロストも引退、1996年のヒルはアロウズへ移籍した。
あのレギュレーションがなければウィリアムズも6輪マシン出していただろうに…
デーモン・ヒル離脱とヒル放出に激怒したエイドリアン・ニューウェイ離脱で落ちていった。
2年連続でWC出してて調子にノッてたみたいな感じ?
元々、ドライバーを大切にしないチームだからね。チャンピオン取っても、皆離れていった。「誰が乗っても勝てる」と言って、給料値切るからね。
F-1は人間ドラマとはいえ、これだけしがらみが多いとねぇ😣
F1自体が墜ちた。
ウイリアムズホンダを復活させてみそ。運気上がって来るから。其れこそ今ならホンダも参戦してるんだから。
ドライバーの扱い見るとパワハラ凄そうな企業だよね。いい製品出すけど、社員には冷淡な。その点、ロンデニスマクラーレンは雰囲気よかった。フランクやパトリック・ヘッドにはいたずら仕掛ける感じもないだろう。それにしても、あの雰囲気でここまで活動してきたのは凄いんじゃないか。プライベーターとしては素晴らしい実績だ。F1ビジネスが巨大になりすぎたことが今回の原因だろう。
昔からこのチームはドライバーに対してはドライで冷淡、
「結果出せ口出すな」「車が良ければ誰が乗っても勝てる」
ていう感覚だったのが露骨だったように見えた。
'90年にアレジ争奪戦に参戦するためにブーツェン放出を内定した中で
残留を目指してハンガリーGPで優勝したブーツェンに対して
表彰式中に撤収して置き去りにした挙句に他人事な祝福FAXを1枚だけ送ったとか、
'92年にチャンピオンを決めたマンセルに対して
「セナはタダでもいいと言っている」と減俸を示唆したとか、
チャンピオンのヒルを放出してまで獲得したフレンツェンを冷遇した挙句に
離脱を表明されても引き留めを一切しなかったとか、
ドライバーに対する冷たいエピソードは多々あるんだよね。
名門ウィリアムズ撤退はショックですね
チーム自体は撤退はしてない。
創設者一族であるウィリアムズ家が手を引いたってだけ。
ボッタスがいた頃はまだ古豪っていう感じだったけど抜けてからはマジで落ちぶれたな
マジで名門ウィリアムズが撤退しない事を切に願う。
ロスマンズカラーのマシンが好きだったな。
背中が事故で亡くなった時は恨みもしたが、やはり必要なチームだよ。
結局、チームは身売りしちゃいました。
個人的にはルノーエンジンを失ってからおかしくなったような?でも、BMWエンジンの時はよかったなー。
ヒルの解雇が全ての元凶
フランクが後にBMWの復帰を見据えてヒルを解雇してドイツ人で当時実力派だったフレンツェンにシートを与えたのが後の不振につながります
そうだったの(泣)
1992年のモナコGPでマンセル対セナのバトルは
凄かったな~今でも覚えています(*´▽`*)
マクラーレン&ウィリアムズ&ロータスはかつての名門だけど今の惨状には目を覆うよね
ロータスに至ってはもうないし
結局、運営が金儲けと特定のチームのため変更をしたことが問題。最高の車と運転手の技量で観衆を魅了させる時代ではなくなったってことかな。
メーカー系のワークス全盛になったのと、レッドブルのような金持ちオーナーのチームが入ってきて、参戦に必要な資金もうなぎ上り。古豪のマクラーレンやウィリアムズは相対的にその位置を下げていった。
やっぱりどうしてもマルドナードで草
自分はウィリアムズと言えばセイウチだわ
失敗だったけど好き
ウィリアムズの凋落傾向は今に始まった事じゃなく、BMWを搭載してた時にマリオ・タイセンの申し出を受けるべきだったのでは?って感じだったし、共同経営にしてれば嫌な感じに袂を別つ事にならなかったし、ウィリアムズの将来に向けた地固めができてた筈だね(-_-)
ましてやフランク・ウィリアムズはドライバーじゃなくチームとしてのコンストラクタータイトルを重視してたし、ドライバーは逐一ポイントを稼げば良しとしか思わなかったって感じだったし、これはプロストやセナも戸惑ったみたいだし、ミハエル・シューマッハはチームの雰囲気が冷たいと評して見向きもされずにフェラーリに移籍したし、シューマッハはウィリアムズに所属してたらこんなに成績を残せなかったし、BMWを搭載してたザウバーの躍進も大いに物語れるし、フランク・ウィリアムズのコメント通りにヒルとニューウェイを失った事が凋落する予兆だったね(-_-)
今さら重い腰を上げる感じに娘に舵取りを任せても時すでに遅しだし、マクラーレンもウィリアムズも斜陽と化してるよ(-_-)
1994年のセナの乗ってのはハイテク禁止になってセナが乗りづらいって言ってたなセナやから乗りこなしてたけどヒル少し遅れてたもんな。
ウィリアムズは確かに名門かもしれませんが、所詮はプライベーターチーム。メーカーチームが幅を利かせている現在のF1では、もはや過去の栄光なのではないでしょうか。どんな名門でも予算が限られたプライベーターでは上位に返り咲くのはかなり難しいのでは・・・と思います。
1980~1981年のカルロス:・ロイテマンとアラン・ジョーンズの組み合わせは何も起こらなければ最高の組み合わせでした。しかし、フォークランド紛争が起こり、「イギリスのチームになぜアルゼンチンのドライバーがいるんだ!」とイギリス中でウィリアムスに対する批判が起こり、チーム内でもロイテマンは孤立していきます。1981年はチャンピオンを獲得する最後のチャンスで、フォークランド紛争でイギリスとアルゼンチンが戦争をしている最中、出来うる限りの走りでアルゼンチンの人々に小さな幸せを与えていきました。しかし、ブラバムのネルソン・ピケがチャンピオンとなり、戦争が原因でアルゼンチンに帰郷して政治家となったのです。もし、あの戦争がなかったら、ロイテマンのワールドチャンピオンはあったかもしれません。
違います。
フォークランド紛争は1982年の出来事ですよ。
すでにジョーンズは引退し、後任はケケでした。
そもそもロイテマンとジョーンズの確執は、1981年ブラジルGPでロイテマンがチームオーダーを無視したことが発端で、連覇の可能性がなくなったジョーンズは引退を表明。ロイテマンはずっとポイントリーダーでしたが、シーズン期間中にチームを二分して2人でポイントを奪い合った結果、最終戦アメリカGPでネルソン・ピケに1点差を逆転されてドライバーズタイトルをかっさらわれ、この翌年に勃発したフォークランド紛争が引き金となり、2戦しただけで引退したのです。
プロストとセナを入れた事。
クレアの衝撃 ミント様 いくつか、興味深く見させていただきました。ありがとう!! 昔が懐かしいですね。 環境問題はわかるのですが、今のF1はつまらなすぎます。昔のセナ、プロスト、マンセルのような人が居ないですものね。陰ながら応援させていただきます。これからも頑張ってくださいね。
プライベートチ-ムだから、こんなもんだね👾でもいまだに良くやっているよね😃
ベネトンも‼️
レッドブル
最後は「人間」ですね。
人間性と人間の能力が肝心なんですね。
そう、これこそ「クレアの衝撃」。_〆(゚▽゚*)
セナを死に追いやってしまったこと。
ロータスは?
ブーツェン頑張ってたのに、見ててなんか変な感じはしてました。チームが優しくなかったんですね、、苦笑
日本人選手にとっては、外国人選手は強敵である😱
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