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今年の夏津山へDE50 1を見てきました。試作車の多くは廃車後ひっそり解体される運命なのに今も保存展示されて後世に名を残す事が出来る、ある意味幸せな機関車かも知れません。
どうせなら鉄道博物館の様な所に保存して欲しいですよね。
@@hirokun88 DEで50番代だもの。高速旅客用途よ。
仮に量産化しても民営化前後の郵便小荷物廃止と旅客貨物の大幅整理でDD51やDE10と同様に大量廃車へ
スヤ11を初めて知りました。
好きな機関車です。もう50年以上ですかね。子供の頃、岡山機関区で見学させていただ来ました。運転席に座らしていただいたり、感動しました。DE10は運転席が横向きに対して、DE50は正面に向いていました。すごくカッコ良かった事、思い出します。その時、EH10も運転席に乗せていただきました。今だに、この機関車達、とても大好きです。時間が取れたら、会いに行きたいと思ってます。
DE50といえば、現在も津山まなびの鉄道館にひっそりと保存されていますなその昔、ワールド工芸のプラキットを北斗星っぽい塗装にして、夢の旅客牽引機だと遊んだことがありますな
詳報といわれるとまるでDF50が最近デビューしたように思ってしまう
DE50の性能試験の詳細を、ここまでわかりやすくまとめた動画は他には見られません。永久保存版です。当時の社会情勢、経済情勢等で、DE50の量産車やこの機関車の発展型が生まれなかったことは残念なことです。しかし、2000PSを吸収する液体変速機を実用化できた当機は、我が国の技術水準の高さを証明する記念碑的存在です。日本において、1機関2000PSクラスの壁を破り、世界水準の出力のディーゼル機関車が実際に量産されるようになったのは、その20年後の、バブル期以降の90年代のことです。ですが、この頃には、設計やメインテナンス等に厄介な液体式を考慮することは無くなっていました。状況は移ろいやすいものです。20年ぶりに懐かしい故郷の我が家に帰ったら、見知らぬ他人が住んでいた なんていう感じです。
@@権三郎平衛 ‘69年の鉄ピクにDE 50特集組まれてます。持ってますわ。
検測車の仕様の豪華さにビックリ😅試験対象の車両よりもある意味先進的…戦時中のレシプロ航空機でも同様ですが日本の場合インタークーラー(中間冷却器)や油温の温度管理に手間取り実用化に至らないケースが多い点は割と一貫した傾向がありますね外気の流量や流速の管理に対する知見が不足していたのか?という辺りは興味深いところです
DE50が実用化してたんなら、AAAを2つ装備したDF51なんてできてたのかなぁ?
実用化成らず残念でした。やはり日本は、“エンジン”、“トルコン”はどうしてもヨーロッパに勝てないなあ。結局後年、VVVFのおかげで軽量化できて電機のようなディーゼル機でまともになりましたか。もっかい残念。 A-A-A・B軸配置で大出力機は難しいのかな?
狭軌で大型エンジンを開発積載出来なかったのと電化が進み過ぎたのが原因では?
大出力のエンジンは要求さえあれば作れたが、世界の主流は電気式で日本の鉄道用にしか需要がなくて、メーカーが金銭的にも人的にも資源を投入しない大容量トルコンの性能アップが難しかったんです。
国鉄本社はディーゼル車の開発には予算を回してくれなかったというからね。
エンジンはともかく、欧州でも大容量トルコンの開発には相当の苦労があったようです。より先進的であったのは間違いないのですが...傑作として名高いドイツの V160軍団の量産機でもカタログスペックを満たせず、始動時にトルコンが踏ん張りきれないので、「炎天下と寒冷下で動粘度が変わるんだから、粘度指数の良い作動油を使えば良いんじゃない?」「そういう問題じゃねぇだろ。トルコン何とかしろよ」「無理」という不毛なやり取りも、頻繁にあったようで...
@@qzp01467 初期の日本の機関は船舶用ですもんね。船舶用が良くないかどうかはアレですが、専用機関が弱体だったのは残念。日本はどうも、cvccとか直噴とか比較的小負荷で精緻な制御は得意だけど、大負荷、大容量の機関は船舶以外に見られないね。重機もガスタービンに行ったりするし。
以前に取り上げのDF51はあくまでも強化されたDML60×2の3000ps級のDL構想だったが、DMP81×2の4000ps級のDLの開発構想もDE50の開発意図にあったと聞きます。投入するに相応しい線区があったかはわかりませんが、機会があれば是非取り上げ願います。それにしてもDD54にしろDE50にしろ、DF200が出るまで昭和30年代登場のDD51を上回るDLを全く出なかったことが国鉄のディーゼルに対するやる気のなさを象徴してますね。
今年の夏津山へDE50 1を見てきました。試作車の多くは廃車後ひっそり解体される運命なのに今も保存展示されて後世に名を残す事が出来る、ある意味幸せな機関車かも知れません。
どうせなら鉄道博物館の様な所に保存して欲しいですよね。
@@hirokun88 DEで50番代だもの。高速旅客用途よ。
仮に量産化しても民営化前後の郵便小荷物廃止と旅客貨物の大幅整理でDD51やDE10と同様に大量廃車へ
スヤ11を初めて知りました。
好きな機関車です。
もう50年以上ですかね。
子供の頃、岡山機関区で見学させていただ来ました。
運転席に座らしていただいたり、感動しました。
DE10は運転席が横向きに対して、DE50は正面に向いていました。
すごくカッコ良かった事、思い出します。
その時、EH10も運転席に乗せていただきました。
今だに、この機関車達、とても大好きです。
時間が取れたら、
会いに行きたいと思ってます。
DE50といえば、現在も津山まなびの鉄道館にひっそりと保存されていますな
その昔、ワールド工芸のプラキットを北斗星っぽい塗装にして、夢の旅客牽引機だと遊んだことがありますな
詳報といわれるとまるでDF50が最近デビューしたように思ってしまう
DE50の性能試験の詳細を、ここまでわかりやすくまとめた動画は他には見られません。永久保存版です。
当時の社会情勢、経済情勢等で、DE50の量産車やこの機関車の発展型が生まれなかったことは残念なことです。
しかし、2000PSを吸収する液体変速機を実用化できた当機は、我が国の技術水準の高さを証明する記念碑的存在です。
日本において、1機関2000PSクラスの壁を破り、世界水準の出力のディーゼル機関車が実際に量産されるようになったのは、その20年後の、バブル期以降の90年代のことです。
ですが、この頃には、設計やメインテナンス等に厄介な液体式を考慮することは無くなっていました。
状況は移ろいやすいものです。
20年ぶりに懐かしい故郷の我が家に帰ったら、見知らぬ他人が住んでいた なんていう感じです。
@@権三郎平衛 ‘69年の鉄ピクにDE 50特集組まれてます。持ってますわ。
検測車の仕様の豪華さにビックリ😅
試験対象の車両よりもある意味先進的…
戦時中のレシプロ航空機でも同様ですが
日本の場合インタークーラー(中間冷却器)や油温の温度管理に手間取り実用化に至らないケースが多い点は割と一貫した傾向がありますね
外気の流量や流速の管理に対する知見が不足していたのか?という辺りは興味深いところです
DE50が実用化してたんなら、
AAAを2つ装備したDF51なんてできてたのかなぁ?
実用化成らず残念でした。やはり日本は、“エンジン”、“トルコン”はどうしてもヨーロッパに勝てないなあ。結局後年、VVVFのおかげで軽量化できて電機のようなディーゼル機でまともになりましたか。もっかい残念。 A-A-A・B軸配置で大出力機は難しいのかな?
狭軌で大型エンジンを開発積載出来なかったのと電化が進み過ぎたのが原因では?
大出力のエンジンは要求さえあれば作れたが、世界の主流は電気式で日本の鉄道用にしか需要がなくて、
メーカーが金銭的にも人的にも資源を投入しない大容量トルコンの性能アップが難しかったんです。
国鉄本社はディーゼル車の開発には予算を回してくれなかったというからね。
エンジンはともかく、欧州でも大容量トルコンの開発には相当の苦労があったようです。より先進的であったのは間違いないのですが...
傑作として名高いドイツの V160軍団の量産機でもカタログスペックを満たせず、始動時にトルコンが踏ん張りきれないので、
「炎天下と寒冷下で動粘度が変わるんだから、粘度指数の良い作動油を使えば良いんじゃない?」
「そういう問題じゃねぇだろ。トルコン何とかしろよ」
「無理」
という不毛なやり取りも、頻繁にあったようで...
@@qzp01467 初期の日本の機関は船舶用ですもんね。船舶用が良くないかどうかはアレですが、専用機関が弱体だったのは残念。日本はどうも、cvccとか直噴とか比較的小負荷で精緻な制御は得意だけど、大負荷、大容量の機関は船舶以外に見られないね。重機もガスタービンに行ったりするし。
以前に取り上げのDF51はあくまでも強化されたDML60×2の3000ps級のDL構想だったが、DMP81×2の4000ps級のDLの開発構想もDE50の開発意図にあったと聞きます。
投入するに相応しい線区があったかはわかりませんが、機会があれば是非取り上げ願います。
それにしてもDD54にしろDE50にしろ、DF200が出るまで昭和30年代登場のDD51を上回るDLを全く出なかったことが国鉄のディーゼルに対するやる気のなさを象徴してますね。