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自殺を思いとどまることは、死にたい気持ちが無くなることではなく、死にたい気持ちを抱えながらでも生きることなのだと思いました。精神疾患も完治するのではなく、その疾患も付き合っていくことが大切になります。それと同じように、死にたくても生きていていいし、そのような人同士が交流できたらいいなと思いました。
先日亡くなった母も、気疲れしやすい人の特徴に当てはまっていました。周囲の変化に気がつきすぎる、心配性、真面目。明るく振る舞っていても一人で抱えてストレスを溜め込んでいたんだなと思います。自死でなかったのは幸いでした。家族、親族が息を引き取る瞬間を見届けられたのは、母の最後の気遣いだったのかな。天国では気楽に過ごしててほしいな。
それでもしぬこともできずいきているのはつらいです。
17時のサイレンの音に、娘が保育園で迎えを待っている…きっと最後の一人になってポツンと寂しく私を待っている…と突然思って、死を思いとどまったことがあります。今でも時々あの瞬間を思い出し、泣いてしまいます。
自殺を思いとどまった人だけでなく、時間をかけて回復してる人、完治はしないけどどうにか自分の病気と付き合っている人、色んなバリエーションがありそうです。私は双極ですが、うつや躁に振り回されてつらいときは「双極を抱えながら自暴自棄にならず、幸せを投げ出さず自分の人生を着実に過ごす勇気を持った人たち」を具体的にイメージして「自分もこんな生き方を目指せるかもしれない」を奮い立たせています。タイトルを見て何となく共感できるなぁと。以前、何かの番組で知能境界の方の生きづらさについての特集を見ました。ですが自分がそこで特集されていた方に感じたのは生きづらさというよりも、理知的に、嚙みしめるように受け答えをされているその方の知性や人間性の素晴らしさでした。しばらくして「きっと自分が双極になったのは数多くの人生の数多くある不幸のうちの一つで、人生のバリエーションの中にはそういったものを抱えて生きるという人生も当たり前にあるのだな」「羨むのはやめて自分はそういう人生だと諦め、そしてこの病気や症状自体が自分の人生に与えられた課題みたいなものとして、学びながら付き合っていきたいな」と思えるようになりました。少しずつそういった話を咀嚼できてきたのかもしれません。もしかすると「疾患から立ち直る」みたいな話も病気からの一足飛びの社会的な成功だけではなく「辛い部分も多くあるが、どうにか幸せを目指して生きていけている」みたいな不幸と普通の間くらいの話がもっとあっていいのかもしれませんね。
初めてコメントします。まさにマイルールでなんとか生き延びてきた人間です。何度も転職を繰り返してきて、このまま生きていて何かいいことあるのかなぁ……とか定期的に悩む時期があります。気楽に考えられるようになりたいと思いつつも、それが何より難しくて。先生の動画を見て、皆様のコメントを読んで、自分だけではないのだと思うと少しだけホッとしました。また動画見させていただきます。ありがとうございました。
約10年前ですね、初めてのお産後に実家にいた時に家族からモラハラされて産後うつになり衝動的に強いお酒を飲んで首にヒモをかけてました(ぶら下がる前に酔いつぶれて倒れていた)祖母と母は世間体ばかり気にしてましたので私がうつで精神科に通うことすらキ◯ガイだ恥ずかしいと言ってました助けてくれたのは旦那さんと義家族です「ずっと一緒にいるから」「家のことは気にせず病院に行っておいで」その言葉に救われました実家に毒されていた私なのでうつから解放された今でも夜中に泣いてることもありますしインナーチャイルドも癒され足りません衝動的に消えたいとも思いますが何とか今日も生きましたそんな日々です
遺書も書いて自殺場所も決めてさあ死のうと思ったらお局と部長が飲みに連れて行って下さって自分は1人じゃないんだなと思って今日まで生き抜いてます。(原因だった上司は左遷されました。)部長たちには今でも感謝してます。
鬱が酷いときに自殺を思いとどまったのは、自分は痛いことや苦しいことは苦手だと気づいたからでした。資格がないとは思わなかったけど、痛いからやめておこう、今じゃなくてもいいと先延ばしにしました。「死にたいと思うのは鬱の症状」で、少し良くなってからは「体調が良くなったら死にたい気持ちが治まるからうっかり死なないように気をつけよう」と思ってます。それにしても復職できるくらい体調が落ち着いても希死念慮はなかなかなくならないですね。楽しいことも沢山ある生活を送ってるのに不思議です。
昨日、心が決壊することがあって、夜に抗うつ薬を大量に飲みました。ですが、両親の救いで何とか生きています。学生時代からあんなに頑張ったのになれなかったものにあっさりなれてしまった身内からの報告。喜ばしいと思う心と、自分はもうなれない悔しさと素直に喜んであげられない心の葛藤で自分がどんなに醜い存在なのかの上での行動でした。今日も、常に心の中にある重いなにかをずっと抱えながらですが何とか生きてはいます。
完璧主義をやめて少しいい加減に生きたいな
私は病み始めた頃初めて自分が完璧主義だと気がつきました。無意識だったのですが指摘されて納得しました。心がドン底まで落ちた時は生きる価値もないと思っていたし、自傷を繰り返し何度も死のうとしたり、毎日そのことばかり考えていましたが、大好きな家族が悲しむだろうなとか…特に仲の良い姉と会えなくなるのは寂しいなという思いが頭の端っこにあったので死ぬのはやめました。今のところは自傷もしてません。ごくたまに病みモード入りますがそれなりに楽しく生活してます。死ななくてよかった。
平野啓一郎:作の「空白を満たしなさい」は希死念慮で苦しんだ方やその周りにいる方に是非読んでもらいたい小説です。自殺者は本当は生きたかったのではないかというようなことが書いてあります。私も心の底からそうだと思います。今は適切な休養が取れたお陰で生きる気力だけはしっかりありますが、数年前は私も適応障害からの希死念慮で苦しみました。初めて挑戦してしまった時は五体満足の未遂で済みましたが、色々な感情が混ざりボロボロ泣いていました。ちょうどその時に愛してた人(恋人のような存在)から電話があり、泣きながら今起こったことをそのまま話したら、相手も泣いて、でも死にたい気持ちは肯定し「死ぬ前は連絡してくれ、全財産はたいて一緒に2人で豪遊しよう」と言ってくれました。その言葉に救われ、数ヶ月頑張って休養していました。しかしある日その人が新しい恋人を作ったことを知り、心の支えにしてたあの言葉は結局ウソだったのかという絶望に襲われて、吐くし起きれないし食べれないしの状態になり、また希死念慮が強くなってしまいました。ある時ふらっと動いた時に母に呼び止められ、今から死ぬと言ったら、強く抱きしめられ泣きながら「生きて!!」「あなたが死んだら生きていけない!!」と言ってくれました。こんなにも私を愛し大切にしてくれる人がいることを強く実感し、しばらくは母のために生きる事にしました。その後も寝たきりの状態が続きましたが、友人が定期的に花を届けてくれて、それにもかなり救われました。あの頃の私は本当は生きたかったから死を考え、生きたかったから人の言動に救われたのかもしれません。
留まった経験談です。衝動に駆られたのですが泣き疲れて寝落ちてしまって、起きたら夕方でした。そしてたまたま晩御飯が好物の母が作った唐揚げで、それを口にした時に安堵や落ち着きを感じました。寝てご飯を食べたからなのか、母に対して申し訳なさを感じたのか、その両方なのかはわからないのですが、どうか誰かにパパゲーノ効果がありますように。🍗
自殺しようと橋に行ったら、ちょうど工事をしていて、工事の作業員さんが頑張ってるのをボンヤリ見てたら、邪魔しちゃ悪いなぁ…と思って帰ってきて、とりあえず寝たらなんだかスッキリして今も生きています。あの時はなんで橋に行っちゃったんだろう、うつが酷かったのかな?不思議に思います。
単純に死が想像以上に怖くなって思い留まったなぁ。
一番最強のマイルール『HUNTER×HUNTERが完結するまでは死ねない』
もう辛い、消えてしまおうと思い立った時にいつも考えるのは「でも生きているうちにあのサブスク解約しなきゃ」や「せめて部屋片付けなきゃ」です。いなくなった後の処理を考えるうちに「そんなめんどいことしなきゃなら生きるか」を繰り返して今生きてます。
自分は自殺を考えエンディングノートを書き始めた。家紋を書く欄に、パソコンからプリントアウトして貼ろうと思い印刷しようとしたら、不具合でプリンターと接続できずに諦めた。そして今自分がいる。
親の臨終に立ち会ってから、死ぬことが命を使い切るようなイメージに変わりました。それまではスイッチを切るようなイメージだったのが、時計の電池が切れるときのようなイメージに変わりました。気がついたら時間が遅れていて、針も一定の速度ではなくなって、何日も経って、いつの間にか止まっている、というようなイメージです。思っていたより大変なことだと思いました。
『ゴールデンカムイの最終回を見届けるまでは死ねない!!!』があったのでマイルールにとても共感しました。最終回見届けてしまったのですが(笑)
いい加減にフワフワ生きていくのが大事だよって、いいですね✨ふわふわ存在してたらいいんですよね。自分がどういうものかとか色々考えずに。
自分の話をさせてください。別の場所で話したことあるけれど、なんとなくここに残しておけばなんとなく誰かのためかつわたしのためになるんじゃないかなと思った。きっと気持ちのいい話ではないと思うし、長文になるので読みたい方だけ。何度か自殺未遂をしています。昔から溜め込んで溜め込んで、普段はできる限りニコニコして、文句言わずに生きてきました。わたしが自死を選ぼうとするときは何かしらきっかけがあって衝動的にしてしまうようにも思えましたが、今思うとそこまで溜め込み続けてしまったことが原因のひとつだったと思います。溜め込んでしまったことにもちゃんと原因があり、ものすごく簡単に説明すると「そういうきもちになる前に相談してほしい」と言ってくれた相手にいざ助けを求めると「それくらい気にしなければいい」だとか「甘えてるんじゃない?」と、何を言っても責められることが多かった。だから、何も言えなくなりました。言えなくなったからつらい想いを身近な人に伝えられず、限界を迎えた時に事を起こしてしまう、この繰り返し。せめてわたしが追い詰められて仕方なくそうなってしまったんだ、と早い段階でわかってほしかったな、などと感じています。結局最終的に言われたことは「死ぬ気もないくせに」とか「死ぬ死ぬ詐欺」とか、そういったわたしが極限まで苦しんでいた事実を否定することばばかりでした。要は、わたしが異常者で甘ったれている弱い人間だから死ぬ気もないくせに自殺を仄めかして周りをコントローラーしようとしてる、みたいな。そういう見方をされた。そしてわたしは「嘘じゃないと証明しなければ」と考えるようになった。希死念慮が頭について離れなくなった。ここまでが今までの流れです。なぜ今回この様な場で長文コメントを投稿しようと思ったのか、それは動画内に登場する「自死の美化」とはまた別の形で「わたしには自殺する資格はない」と感じており、その件について書き記したかったからです。わたしの希死念慮の種類が「死ぬ死ぬ詐欺なんかじゃない、嘘じゃないと証明しなくちゃ」というものに変わったきっかけは両親にそのようなことを言われたから、そしてもうひとつ大きな理由として「自殺をしようとしたお前だけが悪だと一方的に責められたから」です。具体的に話すと、限界状態でなんとかの電話という相談窓口へ電話相談をしたところ「そんなに死にたければ死ねば?でもそれで済むと思ってる?死ぬのは迷惑」だと言われたのでじゃあ死ななくちゃと感じ起こした自殺未遂、その入院先で死のうとしたことについての反省文を書かされ、いかに自分が最低なことをした甘ったれなのに生かして貰えているのかという部分を植え付けられました。「その程度の苦しみで自殺する資格なんてないのにそれをやろうとしたわたしが最低」と理解するまで退院させられないと言われました(両親の希望です)その時から、希死念慮を抱くような異常者であるわたしは生きてる資格も死ぬ資格もないから今まで以上に何も文句を言わず世間のすべてに期待もせず笑顔で生きなくちゃと思うようになった。というか、そうしなくちゃ生きていてはいけないと思っていた。自死を選ぶのがよくないことだなんてわかっていても追い詰められてそうせざるを得なかっただけだったけど、それであっても全部自分のせいになるということは、まじでこれはわたしが産まれてきてしまい申し訳ないなって。ですが、根本的な原因を解決しなくちゃわたしの希死念慮は一生ついて回るもの。そして、助かりたいのが当然なんだから追い詰められたうえでのSOSを出すことは簡単にはやめられませんでした。助けて、ほんとは生きたい、でも死ななくちゃ、そうやって発言するたびに自身に関する許せないポイントがどんどんと増えていった。でも適度に許して適度に自責してそれを落ち込むことなく次に活かし強く振る舞うことしか許されないから、健常者として振る舞わないとまた異常って責められるから、生きるのがよりこわくなった。そんな中、「わたしには死ぬ資格もない」という教え込みは抑止力としては相当な力を発揮していたと思います。ですが、生きるために自己否定をしなくちゃいけないのはとてもとてもかなしいんです。人はよく「生きていればそれだけでいい」と言うけれど、そうじゃない場面だってある。こんな理由で自死を回避してもうれしくない。わたしだってこの世界にちゃんと存在しているのだと認めてほしかった。どうしようもないほど苦しみ抜いたわたしの影を消さないでほしかった。今にも死んでしまいそうなほど悩んでしまった自分をどうか許してほしたかったし、あげたかった、それだけでした。今もまだ死ねていません。わたしがダメになる度にきっとまた「死ぬ死ぬ詐欺だ」と言われてしまうでしょう。死ねなくてごめんなさい、死ぬ資格もないのにごめんなさい、みなさんの理想通り生きられなくてごめんなさい、自分よりつらい人は周りにたくさんいるのにごめんなさい、色んな感情があります。ただ、最近になってようやく出会えた人達との関わりあいのおかげで少しずつ、ほんとに少しずつですが自責ループから脱却しようとしています。死ななくちゃって思い込んでるわたしのきもちをなかったことにせずに、まず真っ先にわたしを好きだと伝えてくれる人達がいます。「なんなら詐欺で終わったほうがまだマシだからよかった」と言ってくれる人もいます。自分にはどうしようもないことで責められるのが1番苦しくてつらいのだと理解してくれる人がちゃんといる。理解して大切にしてくれる人達の言うことばはすんなりと入ってきます。世間体とか一般常識とかじゃなくてほんとにこころからわたしに生きてほしいのだと信じることができます。苦しみながら生きる自分を責められる頻度が減った結果、こころに余裕が産まれたので将来について穏やかに考えられるようになりました。まだ不十分かもしれないけれど、わたしを大切にしてくれる人達のためならがんばれます。先日、長年そう言われながらもいまいちしっくり来なかった「統合失調症」という診断名が変わりました。原因を改めてきちんと捉え直して、今度は自分が好きな人達としあわせに生きるためにつよくなることを目指していきたいです。みなさんにお願いがあります。そりゃあ所謂死ぬ死ぬ詐欺的な思惑でそういう発言をする人だってたくさんいます(それであっても疾患などから来る言動でしょうから決して甘えだとかわたしは思わないけれども)しかし、大多数の「死にたい」にはきっとそんな駆け引き的意図はないはず。誰かの「死にたい」は「生きたい」だと思うから、どうかなかったことにしないで、否定しないで、無碍にしないでほしいです。弱く産まれてきてしまった自分、疾患により健常者として振る舞えない自分、助けを求めたくて仕方なくなってしまう自分、そんな自分を責められると心底つらくなります。そして、それらのきもちは生きるという選択肢を目隠ししてしまうことに繋がりかねないと考えています。少なくともわたしはそうでした。たまたま運良く生き延びられただけなんです。ただ、そうは言っても他人のことなんて構ってられねーやい!という周りのきもちもわかります。理解されて当然だとか思いません。なので、当事者としての詳密な感情を知るわたしだけは、せめてわたしだけは誰かの「死にたい」を否定しない人間でありたい。わたし何気に音楽やってるんだけどネガティブなことばっか歌ってます。死は美徳なんかじゃないけれど、憧れを駆使してこれから先を生きられるならそれでいいと思います。大切なあの人やまだ見ぬ誰かが死にたい消えたいきもちだって大切にして生き延びられますように。そして烏滸がましいながらも、わたしの楽曲とかがそんな未来を作る一員にほんの僅かでもなれたらいいな、などと。めっちゃ長文になってしまった!!普段から長文厨すぎるのでしょうがないご清聴ありがとうございました( ¯ᒡ̱¯ )و
何度か自殺を考えて実行した事もありましたが、若い頃と違って今ではここから飛び降りようと思っても割と冷静になって、事故物件になって家族にも入居者にも迷惑をかけるなと思いとどまっています。ODする時もあるけど、どれだけ飲んでも死ねないし吐いたり気分が悪くなるだけなので精神安定剤みたいなものです。だけど、10代のころからいつでも死ねると思うことが生きる支えになってた気がします。
私も鬱がひどい時は、ロープとカッターを買ってきて私物をゴミ袋にまとめて準備してました。でもいざとなると、色んな思い出?がフラッシュバックして涙が溢れ出ました。それと同時に、タヒんだら周りが迷惑だと思うだろうなど、様々な心配や考え事をした結果、今生きてます。今回の先生の話とはちょっと違う事をコメントしましたが、何かのきっかけ(なんでもいいけど)がないと生きれませんでした。
今、他の方の意見を見て気づきがありました。辛いときは周りに目を向ける事。辛いのは精神疾患だけでなく、怪我をしている方や、体の病気の方、それぞれに何か抱えながらも皆生きている。自分だけではない。他の方のコメントに勇気づけられました。ありがとうございました。辛くなった時は、周りに目を向けることですね。
律儀であることにこだわって苦しくなってしまうことが多いのですが「うまくやることも大事」「嘘も方便」みたいなアドバイスを繰り返しもらって楽になってきました。フワフワ生きていくことが大事、というのも似ていますね。
思いとどまる理由って単純だったりする。好きな曲を2度と聞けなくなっちゃうとか、この前買ったワンピースまだ1回しか着てないから勿体ないとか。。
首を吊ろうと鉄骨にロープを掛けたら鉄骨が折れ、手首を切ろうとしたら包丁が根元から折れたので何か見えない力が【まだ死なずにもっと苦しめ❗】という事なんだろうなと諦めてます。
死を美化しているというのは知りませんでした。三島由紀夫とかもそうなんでしょうね。ナルシシズムがありますね。楽しい気持ちになった、褒められて嬉しくなったなどが死の美しさを汚してしまうと思い、死を思いとどませるのですね。へぇと思いました。周りにいる人は遊びに誘ったり、少し褒めるということをしてみるだけで自殺を思い止まらせることができるというのは知っておけてよかったです。ありがとうございました。
よく生きてる理由がわからないから死ぬっていいますが、私はもともと、生きてる実感さえ感じたことがなく、心の底から生きたいとか、生きていく希望や理由さえないから時々死んでもいいかなと思いつめます。今まで誰にも死にたいとか話したこともありません。時々、自殺を試して、ほんとに周りは自分のことを本気で心配してくれるのか思ってくれてるのか試したい強い衝動に駆られます。でも試して、もし失敗してほんとに死んでしまったらどうしようっていう不安があり、どっちにしろ死ねません。苦しいです。暗い話ですいません。精神科に通ってます。
こんばんは。今日もありがとうございました。 若い頃に未遂をしてしまったコトがあるのですが、今は大切な友人が止めてくれた言葉から持ちこたえています。 若い頃の大ショックな出来事も時間がたって薄れて来ているのかもしれません。
バッファロー'66 という映画で、毒親育ちの主人公がこれ以上生きられないと感じ拳銃自殺しようとした時に、彼の両親が彼の墓の前で無関心に振る舞うイメージが浮かんで、自殺するのが馬鹿馬鹿しくなってやめるシーンがあります。益田先生の話を聞いてこのシーンが思い浮かびました笑
電車に飛び込もうとしてたけど、自分の人生が人に左右されてることに気付けたので思いとどまりました。なんであいつらの為に命まで捧げないとあかんねん!って逆に腹立ってきて納得できるだけ思いつく仕返しして辞めては成長し、辞めては成長し続けてきました😂おみくじでは、信心深く続けていたら願いが叶うってどこで、何回引いても、同じ内容出るしそれを心の支えにずっと耐えて頑張りました。親から離れても生活できてるし、癖は抜けきれないけど旦那にも惠まれたので適度に受け入れて流してくれてるので10年前に死ななくて良かったと思います。
保険の死亡一時金が100万円。自分の命、諦める未来の値段をあまりにも安く見積もられた気がして、ブチ切れたので生きることにしました。まだうつ寛解してないので、たまに希死念慮は出てきますが。
私は、酷い時は雨の日に濁流の川に飛び込みたくて仕方なかったです私の留まった理由は特別で、従兄弟の自殺でした12階から母親と娘の前で投身自殺しましたその葬儀に参加して、家族の悲しんでいる姿を見て、自殺を考えるのをやめましたその家族は弟さんも孤独死をしていて、息子2人共母親より先に亡くなってしまったので、その悲しんでいる姿は本当に辛かったですその葬儀の途中で、会社に電話をして休む事も決断しました
えー!パパゲーノ効果が高まるような動画?!😍それは、新しい✨楽しみです♥😊あと、真面目に完璧主義だったり、律儀にならないで、ふわふわ生きていくという話を聞いて、わたしも予定を詰めすぎてしまう癖をクッションの中身60%くらいなら抱きしめたときふわふわだなと思って意識してやりすぎるのを気をつけています。プラス、ふわふわで思い出したのが、芸能人のフワちゃんです✨(笑)フワちゃんも好きなので、ふわふわをもっと生活に取り入れて行けたらと思いました💓😄
本気で自殺したくて、飛び降りるビルも決めていましたが、ふと目に入ったバッティングセンターで一発打てたらやめる。打てなかったら死ぬ。と思って挑戦したらうっかり打ててしまって、思いとどまりました。泣きながら帰宅しました。
最近、他の精神疾患も身体症状症の疼痛も酷くなり、悩みや痛みに一日中支配され毎日何度も死にたいと思います。自殺を考える度に母が自殺した事を思い出し、死んでも色んな人に迷惑がかかると思い何とか死なずにいます。でも今回のコメントを作成するのにも、また5時間程かかってしまい、頭がモヤモヤおかしくなり、身体の痛みも増して来て、コメントも普通に出来ないのかと落ち込みます。本当にいい加減になりたい。
思いとどまる理由がポロっと見つかってしまう人がいるのはうらやましい。
6:11「解決できない問題は本当にない」と言い切れるくらい、問題って解決出来るものなんですね。永遠に逃れられないと思ってました。恐らく私の環境では、逃れられないと思いますが、何だかびっくりしました!!
親族を自死や希少癌で亡くし、母は比較的若くして病死しました。それ迄は、自分はずっと死にたいと思っていたし、口にもしていましたが、実際の死を目の当たりにして実感し、自分は死ねないな、むしろ生きたいと強く思う様になりました。美化して言うと命を託された感じが有って、自分の死を肩代わりしてもらった気がします。(内的対象と言えるのかどうかは分かりませんが。)(狭義ではパパゲーノ効果かなと思います。)今日も、有難うございました。
なんだかんだ皆さん家族とか恋人とか友だちもかいるんですね…。あたしにはいないから羨ましいですが、同時にそう言う存在が怖いです。
配信ありがとうございます○○が終わるまで死ねないで止めた過去があります今は全て整えていつでも実行できると気楽に考えて日々生きています
主治医と「もうしない」と約束したのでそれを守り続けています。
19歳のとき、4年前。鬱病と適応障害で寝たきりで、調子が良くなったら橋まで行って飛び降りようと何度もしました。25歳までに死ぬとも決めてました。1年後発達障害と診断されてまた落ち込み引きこもりがちになり、何とか乗り越え来年には夢だった上京が叶いそうです。母親が「辛いことは長くは続かん」とずっと言い続けてくれ、その言葉を信じて何とか生きてきました。学校をやめても連絡をずっとくれた人たちのおかけでもあります。不安や落ち込みと無縁にはなれないけど、昔よりはずっとマシです。これからもっともっと幸せと思えるようになりたいな
適応障害で、私もこの世から去ろうと思ったことが幾度もあります。自殺の妄想をしてしまいます。ですが、私も「このイベントに行くまでは。。。」「このドラマ見終わるまでは。。。」「この人たちが活動再開するまでは。。。」と、なんとか時間稼ぎをしています。就活がうまく行かなくてこの世から求められてないのだともういいやと思っていましたが、先生の「ほとんど問題はなんとかなる」という言葉を胸に、なんとか生きようと思います。
死んでも自分の心の中の苦しみは終わらないと、そして周りの人に残す負の印象と迷惑を考えると、死への憧れはなくなってしまいました。
自分もパニック発作の症状がひどい時、あまりに辛くてもう死にたいと思う事があります。家族が助けてくれたりして何とか生きてます。やはり人との繋がりは大事ですね。
自分は3でした。1も2も自分の中にはないなあ。色んな人がいるんですね…生き延びはしましたが、問題が目の前あったまま解決していないので生き地獄ではあります、消耗戦です
死ぬことばかり考えてた時の自分に何回も、あなたの事が大切だ、世界一大好き、ずっと味方だからねって言い続けてくれた母親の気持ち考えたら涙出てきた
私は広義の発達障害です。正直何度も行動を起こして命の危機を乗り越え今を生きています。人生のほとんどを苦しんでいましたが今誰よりも当たり前とされる人生を満喫しています。苦しみもがいたからこそ今の幸せがあります。そして全力で支えてくれた、今も支えてくれている仲間に感謝しています。
自分はマイルールに1番当てはまっているなと思いながら見させていただきました。全部あーうんうんわかるわかるって聞いてるんですけどマイルールが1番ですね。ねこを飼っているので自分が居なくなったらこの子達はと考えてしまうとどーしても無理となるのでこの子達が生きて居続けてくれるだけ自分も頑張ろうと思えます。覚悟はしてますでも何十年と生きて一緒にいつまでも居てほしいと思えるくらいに大事で仕方がないです!
「権利がない」「亡き祖父や父が悲しむ」「うちのぬいぐるみが悲しむ」「推しがグッズ出したから生きれる」とかでなんとか生きてます最近驚いたのは「もう嫌だ、どこかに消えたい」って家を出た数秒後に雨が降ってきたことですね生かされてるのかな?って思いました
もうすぐ30代後半になりますが、自殺未遂を2回ほどしました。今まだ鬱は全快はしてなくて、薬の服用で抑えてる状態です。ただ、自死はあまり考えなくなりました。母親がとても悲しんでくれたので…これ以上悲しませてはいけない。と思ったからです。死にたい。と思うことは未だによくあるんですが、その時の記憶が、もう一歩を踏みとどまらせてくれています。いつか、その一歩を踏み出してしまわないか、不安ですが…逆に感謝もしています。
もっといい加減にフワフワ生きていく。いつもコメントの文面を考えすぎてしまうのも完璧主義だなと思います。
自分は 人と比べてはいけないと思います 自分の個性を活かして生きるべきです
2日に1日は希死念慮が強くなりますが、実践しようとするといつも母の事が頭をよぎり、涙が止まらず結局部屋に戻っています。母がいなくなると分かりません。
明日から復職だけど適当にやってく。ベルセルクの最終回読むまでは死ねぬ。
私はとある人に言われた「心を柔らかくしておく」という言葉で思い止まっているような気がします。今心が硬いよ、大丈夫だよと自分に言い聞かせるんです。そうすると段々と心が柔らかくなってくる感じがします。あまり思い詰めすぎずに、時には開き直ってラク〜に生きたいものです。
死にたい気持ちや、実行に移そうとすることは今は無くなったし、当時のことを思い出すとちょっと怖いことしてたなぁとは思います。でも、生きてたいって気持ちにはなかなかなれなくて、生きなきゃいけないから生きてるって気持ちは、鬱になってからずっと続いています。楽に死ねるなら、そっちを選ぶかもしれないくらい。日常の中で楽しいと思うことは沢山あるんですけどね。よくわからないです。難しいですね。
うつ状態で苦しんでいる方は、まずは薬を飲んでゆっくり療養してあとは全部後回しで良いと思います。乗り越えるべき壁が来たらその時に頑張りましょう。今はまだその時ではないです。生きていくのが不安なら誰かのために生きていくのが良いかもしれません。エネルギーを回復させながら少しずつでも安心できる居場所を増やしていけたら不安感も薄らいでいくのかなと思います。
死にたみがマックスになってきたのでこの動画見にきたのですがわかるようなわからないような…? 私の場合躁転すると「よっしゃ!気分最高!今死のう!」ってとんでもないことしてしまうので気をつけたいです…生き延びる…開き直る…生きる…
ワーカホリックの親に育てられて鬱になり約20年通院治療していますがその毒になった親が死ぬまで死ねない状態にいます。自分が自殺をすることで苦しめてやりたい復讐してやりたいと思ってるのに、変ですね...
悩んでる人を救う方法を模索してる中、たどり着きました。勉強になりました、ありがとうございます。
ベスト1,2の気持ちが凄く共感しました。やっぱりその様な理由に行き着くのだなと思いました。いい加減にフワフワ生きていけたらと本当に思います。
自分は単純に勇気が出なくて諦めました。
教員をしていた時、毎日死にたい思いでした。人前がこわい、教える自信がない。仕事は遅い。でも、自分でやりたいと人生で初めて決めた仕事だったので、どうにかこうにか頑張っていました。ある時、支援学級で担任していた生徒が「命を大切にする」というテーマで書いた作文を読みました。彼は、家庭環境に恵まれておらず、施設で暮らしていましたが、それでも好きなものがあって、友達思いでした。自分は両親もいて、大学も出て、なのに毎日、死にたい思いで働いて生きて、こんな純粋に、生きるこが大事だと作文に書くような生徒に何を教えるんだ、と暗い思いを抱いていました。しかし、生徒が関知するような死は絶対嫌でした。どんな恥をかいても、生徒の前では生きなければならないと思っていました。先生という仕事を選んだ、最大の理由だったかもしれません。負けず嫌いもあったと思います。「生きてほしい。」その後、休職し、退職しました。今でも、よくうつ状態になることはありますが、なんとか生きています。益田先生、動画ありがとうございます。長文失礼いたしました。
吸い寄せられるように窓の外を見たり、線路に近ずいたりすることもありますよね。自分ではどうすることも出来ないことも多いから、自殺はいけないもの、じゃなくて根本的な疾患を見てあげることが大事だと思いました。死にたい気持ちは、病気のせいなんだと考えるだけでも楽になると思います。
確かに、私もまだ目標を達成してないから絶対に死にたくないってのはある。まあでも、真面目すぎる所あるからもっとフワフワ、何となくで生きりゃいいのかな。米がうめえみたいな。
臨床での情報を教えてくださって参考になります。私は「未遂で死ねなくなるのが怖かった」のが死ねなかった理由です。
自殺を思い留まった経緯を自分に自信を持たせるために書きます。ので、閲覧は自分の精神状態を考えた上でご覧下さい。小学生の時、父が交通事故にあい、精神的に無理して高校生まで奮闘しておりましたが、心のガソリンが尽きてしまい、うつ病を患いました。その時は気づきませんでしたが、母が所謂毒親で、うつ病は甘えなどと言われ、なかなか寛解しないまま10年が経ちました。その間に祖父母の死や、親友の自殺を経験しました。最終的に、毒親とうつ病が原因で、もう生きてられない、と思い自殺を試みました。ですが、友人として、家族として、自殺された遺族の心はまだ理解の範疇にある。でも、恋人だけは理解の範疇を得ないと思ったのです。その時ラッキーなことに、私には恋人が居ました。経験したことないことを、他人に経験させるのはあまりに酷だと思い、自死を思い留まりました。その恋人とはまだ続いており、同棲もはじめ、毒親からも逃れて段々うつ病も良くなり、バイトですが週4で働くことも可能な体と精神状態になりました。原因を見極め、そこから脱却するのはとてもむずかしいと思いますが、同士の皆様方のお声を聞いて、励まされた時も沢山あります。本当にありがとうございます。
誰かにパパゲーノ起こればいいなという事で、私が自殺を思い止まった時の考えでトップクラスに変なやつを共有します!笑本かネットかどこかで、しにたい気持ちをやり過ごすには「死」について真剣に考えてみるという方法があったので、その日の私は「しんだら墓とか要らないから粉々にして海に撒いて欲しいなー」なんて考えて散骨について調べ始めました。笑もちろんその辺の海に骨のまま捨てたら気持ち悪すぎるし大問題だな、海洋散骨ツアーなるものがあるんだな、本当にしぬなら私がしんだあとの手配もしてからしにたいな、でも結構お金かかるな、海に撒く前にまず骨を砕かなきゃいけなくて粉骨業者なんてものがあるのか...などと調べていた中で「ご自身で粉骨して頂く1番簡単な方法は、遺骨を布袋などに入れてひたすらハンマーで叩くことですが、全部の骨を砕くのには丸一日ほどかかります」という文章を目にしました...家族などが亡くなった悲しみで涙ながらに庭で全力で骨を叩いている遺族の姿を想像すると...なんともシュールで思わず笑い転げてしまい、なんだか自殺するのも馬鹿らしくなって、その日はひとしきり笑った後大人しく寝ました。笑健常者に話すと多分引かれるし、自分でも何という恐ろしいことを考えていたんだろうと思いますが、確かに私はその日、自殺を思いとどまりました。多分、思いとどまれるならどんな下らないことでも、怖い考えでも、些細なことでも、何でもいいのでしょうね!
ウェルテル効果、パパゲーノ効果!専門用語から、知識を身に付けることも、大切だと思いました。いつもありがとうございます。
最近夜遅くに眠剤を包丁で切る時人差し指をザックリ切ってティッシュ3枚が血まみれになるくらい出血して実家の親に連絡しようかどうか迷ったけど、何より血を流す=怖いという思考に直結してしまって、それまで精神的に不安定になって何度も自殺を考えてたのにこの一件で吹き飛んでしまいました。マイルールってあまり考えた事なかったけど「今死んだらもしかしたら面白いマンガに会えるかもしれないのにもったいない」とか「アニメの最終回見るまでは」と思いとどまった・・・のは学生の頃の話で、大人になってからもマイルールって考えてなかったけど、「楽しい事を見つける」のを考えました
昔、凄く好きだった元カノにフラレたとき絶望して死のうと思ったけど、別の女の子から「○○さんと話してると楽しい!」って言われて一瞬で立ち直りました😂
本音は、PTSDで生きているのがかなり苦しいです、大小な、希死念慮が常にあります。今回の動画で私は、マイルールで止めているのが分かりました、それでも良いのだと、脳の力がフット抜けました、なんだか良い意味で、面白いですね。。。カウンセリングの先生に“死にたくなる時が、あります”と、勇気を出して話しても、“でも、ここに来れているのだから良かったですね”で、終わってしまいます、先生のこういう会話を望んでいるのだな、と思いました。続き、お願い致します🌲
身近に悲しんでくれる人がいるからと推しを応援し続けないとっていうのが今は多いかな確かに病んで病んでヤバかった時は死を美化してたかも人間だと裏切ったり嘘ついたり傷つけ傷つけられがあるから思いとどまるには力が弱かったりするけど、私の推しは人間じゃないし生きてないから死ぬこともない存在だからどこまでも安心してついていけるだから大げさでもなんでもなくて推しがいるから生きてこれたし生きていける
とりあえず、”ピンチはチャ〜ンス”とだけ心の中でつぶやきながら生きながらえてきた感じです。
自分は役立たずで得意なこともなくて他人よりすべてが劣っていて時々こんな苦しい人生があと何十年も続くなら一瞬の苦しみを選んだ方が‥って思ってしまうことがよくあります。首を吊る道具や場所を頭の中で想像していると少し安心したりもします。そんなとき、あと1か月後に読みたい本が出る、とかオンラインライブがあるとそこを目標にあと1か月なら頑張って生きていけるかもしれない‥という気持ちで20年生きてきました。人生とは案外そういうものなのかもしれません。
わたくしは準備が面倒で動けませんでした(w寝てる時に一番簡単(準備)にできる方法を考えてたら餓死に行き着きましたが、これはこれでジャマが入るのでできないという始末。この時は死よりも絶望の方が怖かったですね。楽しいって思えてとどまるのるは羨ましいです。
明るい話が少ないとおっしゃっていましたが、例えばさっきまで死にたいと思ってた人が急に晴れ晴れとした笑顔で「自殺やめました!」って言ってたらそれはそれで怖いし心配だな…と思うのでこの手の話がうっすら暗いのはかえって健康的かな、等と考えていました。動画のアップおつかれさまです。
親を悲しませたくなかったから死ねなかったです。あと自殺とはちょっと違いますが、主治医や心理士さんに自傷したって言いたくないから自傷やめました。そうなんだって感じでいい意味で流されるのが目に見えていますが、それでも言いたくないんですよね。
生きている罪悪感や劣等感、トラウマなどが原因で希死念慮が自殺願望に変わったことがありました。私の場合、トラウマを植え付けた人物が憎いから私が死ぬことでその人に罪悪感を与えてやろうというように自殺が挑戦的なものだったのですが、実際私が死んでも相手には何も響かないだろうと気づいてから、その人のせいで死んでしまうのは無駄だと感じるようになりました。自分の死=相手への屈辱や罪悪感という考えもまたある種のナルシシズムだったのかもしれないです。
自分が初めて思いとどまった時が最初の死の美化でした今まで言語化出来なかった曖昧な感情が理解できて凄くスッキリしました!
やろうにしてもネガティブ思考で、見つけて貰えなかったらどうしよう?賃貸だから大家さんに迷惑かけるしどうしよう?親に請求いくと嫌だな。。時間とか方法をぐるぐる考えてたら、考え過ぎてやれませんでしたねw(だいたいの問題は一人で生きられるくらいのお金があれば解決できると思いますね。。)
益田先生のライブ配信で「辛い時は念仏を唱えなさい」と言っていたので私はクリスチャンなのでロザリオの祈りを唱えてます心が落ち着きます
ウェルテル効果、パパゲーノ効果、初めて聴きました!パパゲーノ効果を広げたいです!
私は死にたいと思ったことはなく、絶え間なく死ぬ手段を考えていました。ベランダから下にある花壇の角を毎日のように見ていました。恐怖心が全くなく動画にあったものに近い、芸能人の亡くなられたニュースで次は自分だと考えていました。思いとどまったのは両親が数年のうちに介護が必要になるからです。そのためだけに生きていこうと思っていました。
医者も他人だなと良い意味で思いました。患者との距離感は大切ですね。
自分の価値は自分で決めることさ、つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ勝海舟の名言だそうです。毎日希死念慮が酷く、緩やかな自殺といわれるネグレクト状態にありましたが、少しずつ食生活や運動で自分を大切にしてみようと思えました。
日本って、国土の割に人が多いのに。何でこんなにも孤独が多いのかな
以前はマイルールの事を考えて、推しジャンルの実写映画が公開されるまで死ねない!って思っていたのですが、それももう私の中で通用しなくなってきました。実写映画を見ずに死んでたまるか!→公開されるからどうしたの?どうでもいいかな…どうせ死んだら見ないんだし、となってしまって命綱の役割を殆ど果たしていません。死を回避するほど強い生き甲斐を見つけるのってどうすればいいのでしょうか。
2週間前に薬を大量に飲んで自殺未遂をしましたが失敗してしまいました。2回目の試みでしたが、今回は消えたいや楽になりたいと言う理由ではなく、私は必要が無いし私が居なくなったら住宅ローンが無くなるし、保険金が入ってそのお金が子供達に残せると思ってだったんですが、失敗した今でも死への恐怖もなく、後悔もないです。あの日から味覚障害になり心の中も空っぽで、仕事には行ってますが毎日が無の状態です。1年後に1番下の子供が就職するのを見届けたら次は確実に成功する方法でやりたいと日々思って生きてます。私は変ですか?私が居なくなったら住宅ローンがなくなり、家と保険金が残るんですよ😅いい事だらけだと思いません?
時間は経っているけど、なかなか消えないでない時々死にたくなるけど、やはり個人差があるんでしょうか?いつこの気持ちが無くなるのか。
ウェルテル効果→思いつくのは30年前に有名だった女性アイドルの事を、思い出しました。私も好きだったので、凄くショックでした。パパゲーノ効果→私も数ヶ月前に。初めて、命の事を考えました。家族の事で高ストレスがかかり限界が来て、具合が悪くなり、大腸がんに似たような症状が現れて、ひょっとしたらがんかも?どうしよう?消化器内科に通いましたが症状は良くならず、大腸内視鏡の検査を先生が予約をしようとした時にすぐに従えず少し待って、下さいと言いました。検査しないでこのまま病気になって○んでもいいかな?とも思いました。貧困もあるし、病気になってもお金もかかるし。どうでもいいやって思ってました。友達に相談したらちゃんと受けなよ!と。励まされ。思いとどまる事ができました。マイルールは今は息子が心配なので生きていたいです🍀息子も中学一年の時学校に行くのが辛く、自傷行為。自○念慮もありました。きつい、苦しい、○にたい。学校に行くのをやめて休ませました。私は息子に『あなたがいなくなるとお母さんは悲しい。だから生きていて。』と話しました。しばらくはそばに寄り添うようにしました。今は自傷行為は無くなりましたが、息子が、話しをしてきたら、手を止めて顔を見ながらうん。うんと聴くようにしてます。
何の為に生きていよう!とか具体的な理由なく、自死したら後処理とか迷惑になるから只死んでいないだけで延命してます。幼稚園児の時分から、何か人間に向いてないな、私はこれから生きるの周りの子より大変なんだろうな〜と思ってました。これは自殺願望より希死念慮なんでしょうか?
思いとどまった理由…コナン君の最後を見届けるまでは死ねない!と思った事ですかね
私は何事も適当にが出来ないんですよね。出来れば楽なんでしょうけど。昔は自殺とか否定してたし自分では怖いと思っちゃうから出来ないと思ってました。でも今年の2月衝動的に未遂しました。衝動で自分がコントロール出来なかったです。人間何が起こるか分からないなぁと思いました。
涙が勝手に出てくる
自殺を思いとどまることは、死にたい気持ちが無くなることではなく、死にたい気持ちを抱えながらでも生きることなのだと思いました。
精神疾患も完治するのではなく、その疾患も付き合っていくことが大切になります。それと同じように、死にたくても生きていていいし、そのような人同士が交流できたらいいなと思いました。
先日亡くなった母も、気疲れしやすい人の特徴に当てはまっていました。周囲の変化に気がつきすぎる、心配性、真面目。明るく振る舞っていても一人で抱えてストレスを溜め込んでいたんだなと思います。自死でなかったのは幸いでした。家族、親族が息を引き取る瞬間を見届けられたのは、母の最後の気遣いだったのかな。天国では気楽に過ごしててほしいな。
それでもしぬこともできずいきているのはつらいです。
17時のサイレンの音に、娘が保育園で迎えを待っている…きっと最後の一人になってポツンと寂しく私を待っている…と突然思って、死を思いとどまったことがあります。
今でも時々あの瞬間を思い出し、泣いてしまいます。
自殺を思いとどまった人だけでなく、時間をかけて回復してる人、完治はしないけどどうにか自分の病気と付き合っている人、色んなバリエーションがありそうです。
私は双極ですが、うつや躁に振り回されてつらいときは「双極を抱えながら自暴自棄にならず、幸せを投げ出さず自分の人生を着実に過ごす勇気を持った人たち」を具体的にイメージして「自分もこんな生き方を目指せるかもしれない」を奮い立たせています。タイトルを見て何となく共感できるなぁと。
以前、何かの番組で知能境界の方の生きづらさについての特集を見ました。ですが自分がそこで特集されていた方に感じたのは生きづらさというよりも、理知的に、嚙みしめるように受け答えをされているその方の知性や人間性の素晴らしさでした。
しばらくして「きっと自分が双極になったのは数多くの人生の数多くある不幸のうちの一つで、人生のバリエーションの中にはそういったものを抱えて生きるという人生も当たり前にあるのだな」「羨むのはやめて自分はそういう人生だと諦め、そしてこの病気や症状自体が自分の人生に与えられた課題みたいなものとして、学びながら付き合っていきたいな」と思えるようになりました。
少しずつそういった話を咀嚼できてきたのかもしれません。
もしかすると「疾患から立ち直る」みたいな話も病気からの一足飛びの社会的な成功だけではなく「辛い部分も多くあるが、どうにか幸せを目指して生きていけている」みたいな不幸と普通の間くらいの話がもっとあっていいのかもしれませんね。
初めてコメントします。
まさにマイルールでなんとか生き延びてきた人間です。
何度も転職を繰り返してきて、このまま生きていて何かいいことあるのかなぁ……とか定期的に悩む時期があります。
気楽に考えられるようになりたいと思いつつも、それが何より難しくて。
先生の動画を見て、皆様のコメントを読んで、自分だけではないのだと思うと少しだけホッとしました。
また動画見させていただきます。
ありがとうございました。
約10年前ですね、初めてのお産後に実家にいた時に家族からモラハラされて産後うつになり衝動的に強いお酒を飲んで首にヒモをかけてました(ぶら下がる前に酔いつぶれて倒れていた)
祖母と母は世間体ばかり気にしてましたので私がうつで精神科に通うことすらキ◯ガイだ恥ずかしいと言ってました
助けてくれたのは旦那さんと義家族です
「ずっと一緒にいるから」「家のことは気にせず病院に行っておいで」その言葉に救われました
実家に毒されていた私なのでうつから解放された今でも夜中に泣いてることもありますしインナーチャイルドも癒され足りません
衝動的に消えたいとも思いますが何とか今日も生きましたそんな日々です
遺書も書いて自殺場所も決めてさあ死のうと思ったら
お局と部長が飲みに連れて行って下さって自分は1人じゃないんだなと思って今日まで生き抜いてます。(原因だった上司は左遷されました。)部長たちには今でも感謝してます。
鬱が酷いときに自殺を思いとどまったのは、自分は痛いことや苦しいことは苦手だと気づいたからでした。資格がないとは思わなかったけど、痛いからやめておこう、今じゃなくてもいいと先延ばしにしました。
「死にたいと思うのは鬱の症状」で、少し良くなってからは「体調が良くなったら死にたい気持ちが治まるからうっかり死なないように気をつけよう」と思ってます。
それにしても復職できるくらい体調が落ち着いても希死念慮はなかなかなくならないですね。楽しいことも沢山ある生活を送ってるのに不思議です。
昨日、心が決壊することがあって、夜に抗うつ薬を大量に飲みました。ですが、両親の救いで何とか生きています。
学生時代からあんなに頑張ったのになれなかったものにあっさりなれてしまった身内からの報告。
喜ばしいと思う心と、自分はもうなれない悔しさと素直に喜んであげられない心の葛藤で自分がどんなに醜い存在なのかの上での行動でした。
今日も、常に心の中にある重いなにかをずっと抱えながらですが何とか生きてはいます。
完璧主義をやめて少しいい加減に生きたいな
私は病み始めた頃初めて自分が完璧主義だと気がつきました。無意識だったのですが指摘されて納得しました。
心がドン底まで落ちた時は生きる価値もないと思っていたし、自傷を繰り返し何度も死のうとしたり、毎日そのことばかり考えていましたが、大好きな家族が悲しむだろうなとか…特に仲の良い姉と会えなくなるのは寂しいなという思いが頭の端っこにあったので死ぬのはやめました。
今のところは自傷もしてません。ごくたまに病みモード入りますがそれなりに楽しく生活してます。死ななくてよかった。
平野啓一郎:作の「空白を満たしなさい」は希死念慮で苦しんだ方やその周りにいる方に是非読んでもらいたい小説です。
自殺者は本当は生きたかったのではないかというようなことが書いてあります。
私も心の底からそうだと思います。
今は適切な休養が取れたお陰で生きる気力だけはしっかりありますが、数年前は私も適応障害からの希死念慮で苦しみました。
初めて挑戦してしまった時は五体満足の未遂で済みましたが、色々な感情が混ざりボロボロ泣いていました。ちょうどその時に愛してた人(恋人のような存在)から電話があり、泣きながら今起こったことをそのまま話したら、相手も泣いて、でも死にたい気持ちは肯定し「死ぬ前は連絡してくれ、全財産はたいて一緒に2人で豪遊しよう」と言ってくれました。
その言葉に救われ、数ヶ月頑張って休養していました。
しかしある日その人が新しい恋人を作ったことを知り、心の支えにしてたあの言葉は結局ウソだったのかという絶望に襲われて、吐くし起きれないし食べれないしの状態になり、また希死念慮が強くなってしまいました。
ある時ふらっと動いた時に母に呼び止められ、今から死ぬと言ったら、強く抱きしめられ泣きながら「生きて!!」「あなたが死んだら生きていけない!!」と言ってくれました。
こんなにも私を愛し大切にしてくれる人がいることを強く実感し、しばらくは母のために生きる事にしました。
その後も寝たきりの状態が続きましたが、友人が定期的に花を届けてくれて、それにもかなり救われました。
あの頃の私は本当は生きたかったから死を考え、生きたかったから人の言動に救われたのかもしれません。
留まった経験談です。
衝動に駆られたのですが泣き疲れて寝落ちてしまって、起きたら夕方でした。そしてたまたま晩御飯が好物の母が作った唐揚げで、それを口にした時に安堵や落ち着きを感じました。
寝てご飯を食べたからなのか、母に対して申し訳なさを感じたのか、その両方なのかはわからないのですが、どうか誰かにパパゲーノ効果がありますように。🍗
自殺しようと橋に行ったら、ちょうど工事をしていて、
工事の作業員さんが頑張ってるのをボンヤリ見てたら、邪魔しちゃ悪いなぁ…と思って帰ってきて、
とりあえず寝たらなんだかスッキリして今も生きています。
あの時はなんで橋に行っちゃったんだろう、うつが酷かったのかな?
不思議に思います。
単純に死が想像以上に怖くなって思い留まったなぁ。
一番最強のマイルール
『HUNTER×HUNTERが完結するまでは死ねない』
もう辛い、消えてしまおうと思い立った時にいつも考えるのは「でも生きているうちにあのサブスク解約しなきゃ」や「せめて部屋片付けなきゃ」です。いなくなった後の処理を考えるうちに「そんなめんどいことしなきゃなら生きるか」を繰り返して今生きてます。
自分は自殺を考えエンディングノートを書き始めた。家紋を書く欄に、パソコンからプリントアウトして貼ろうと思い印刷しようとしたら、不具合でプリンターと接続できずに諦めた。
そして今自分がいる。
親の臨終に立ち会ってから、死ぬことが命を使い切るようなイメージに変わりました。
それまではスイッチを切るようなイメージだったのが、
時計の電池が切れるときのようなイメージに変わりました。
気がついたら時間が遅れていて、針も一定の速度ではなくなって、何日も経って、いつの間にか止まっている、というようなイメージです。
思っていたより大変なことだと思いました。
『ゴールデンカムイの最終回を見届けるまでは死ねない!!!』
があったのでマイルールにとても共感しました。
最終回見届けてしまったのですが(笑)
いい加減にフワフワ生きていくのが大事だよって、いいですね✨ふわふわ存在してたらいいんですよね。
自分がどういうものかとか色々考えずに。
自分の話をさせてください。別の場所で話したことあるけれど、なんとなくここに残しておけばなんとなく誰かのためかつわたしのためになるんじゃないかなと思った。
きっと気持ちのいい話ではないと思うし、長文になるので読みたい方だけ。
何度か自殺未遂をしています。
昔から溜め込んで溜め込んで、普段はできる限りニコニコして、文句言わずに生きてきました。
わたしが自死を選ぼうとするときは何かしらきっかけがあって衝動的にしてしまうようにも思えましたが、今思うとそこまで溜め込み続けてしまったことが原因のひとつだったと思います。
溜め込んでしまったことにもちゃんと原因があり、ものすごく簡単に説明すると「そういうきもちになる前に相談してほしい」と言ってくれた相手にいざ助けを求めると「それくらい気にしなければいい」だとか「甘えてるんじゃない?」と、何を言っても責められることが多かった。だから、何も言えなくなりました。
言えなくなったからつらい想いを身近な人に伝えられず、限界を迎えた時に事を起こしてしまう、この繰り返し。
せめてわたしが追い詰められて仕方なくそうなってしまったんだ、と早い段階でわかってほしかったな、などと感じています。結局最終的に言われたことは「死ぬ気もないくせに」とか「死ぬ死ぬ詐欺」とか、そういったわたしが極限まで苦しんでいた事実を否定することばばかりでした。
要は、わたしが異常者で甘ったれている弱い人間だから死ぬ気もないくせに自殺を仄めかして周りをコントローラーしようとしてる、みたいな。そういう見方をされた。
そしてわたしは「嘘じゃないと証明しなければ」と考えるようになった。希死念慮が頭について離れなくなった。ここまでが今までの流れです。
なぜ今回この様な場で長文コメントを投稿しようと思ったのか、それは動画内に登場する「自死の美化」とはまた別の形で「わたしには自殺する資格はない」と感じており、その件について書き記したかったからです。
わたしの希死念慮の種類が「死ぬ死ぬ詐欺なんかじゃない、嘘じゃないと証明しなくちゃ」というものに変わったきっかけは両親にそのようなことを言われたから、そしてもうひとつ大きな理由として「自殺をしようとしたお前だけが悪だと一方的に責められたから」です。
具体的に話すと、限界状態でなんとかの電話という相談窓口へ電話相談をしたところ「そんなに死にたければ死ねば?でもそれで済むと思ってる?死ぬのは迷惑」だと言われたのでじゃあ死ななくちゃと感じ起こした自殺未遂、その入院先で死のうとしたことについての反省文を書かされ、いかに自分が最低なことをした甘ったれなのに生かして貰えているのかという部分を植え付けられました。
「その程度の苦しみで自殺する資格なんてないのにそれをやろうとしたわたしが最低」と理解するまで退院させられないと言われました(両親の希望です)
その時から、希死念慮を抱くような異常者であるわたしは生きてる資格も死ぬ資格もないから今まで以上に何も文句を言わず世間のすべてに期待もせず笑顔で生きなくちゃと思うようになった。というか、そうしなくちゃ生きていてはいけないと思っていた。自死を選ぶのがよくないことだなんてわかっていても追い詰められてそうせざるを得なかっただけだったけど、それであっても全部自分のせいになるということは、まじでこれはわたしが産まれてきてしまい申し訳ないなって。
ですが、根本的な原因を解決しなくちゃわたしの希死念慮は一生ついて回るもの。そして、助かりたいのが当然なんだから追い詰められたうえでのSOSを出すことは簡単にはやめられませんでした。
助けて、ほんとは生きたい、でも死ななくちゃ、そうやって発言するたびに自身に関する許せないポイントがどんどんと増えていった。でも適度に許して適度に自責してそれを落ち込むことなく次に活かし強く振る舞うことしか許されないから、健常者として振る舞わないとまた異常って責められるから、生きるのがよりこわくなった。
そんな中、「わたしには死ぬ資格もない」という教え込みは抑止力としては相当な力を発揮していたと思います。
ですが、生きるために自己否定をしなくちゃいけないのはとてもとてもかなしいんです。
人はよく「生きていればそれだけでいい」と言うけれど、そうじゃない場面だってある。
こんな理由で自死を回避してもうれしくない。わたしだってこの世界にちゃんと存在しているのだと認めてほしかった。どうしようもないほど苦しみ抜いたわたしの影を消さないでほしかった。
今にも死んでしまいそうなほど悩んでしまった自分をどうか許してほしたかったし、あげたかった、それだけでした。
今もまだ死ねていません。わたしがダメになる度にきっとまた「死ぬ死ぬ詐欺だ」と言われてしまうでしょう。死ねなくてごめんなさい、死ぬ資格もないのにごめんなさい、みなさんの理想通り生きられなくてごめんなさい、自分よりつらい人は周りにたくさんいるのにごめんなさい、色んな感情があります。
ただ、最近になってようやく出会えた人達との関わりあいのおかげで少しずつ、ほんとに少しずつですが自責ループから脱却しようとしています。
死ななくちゃって思い込んでるわたしのきもちをなかったことにせずに、まず真っ先にわたしを好きだと伝えてくれる人達がいます。
「なんなら詐欺で終わったほうがまだマシだからよかった」と言ってくれる人もいます。
自分にはどうしようもないことで責められるのが1番苦しくてつらいのだと理解してくれる人がちゃんといる。
理解して大切にしてくれる人達の言うことばはすんなりと入ってきます。世間体とか一般常識とかじゃなくてほんとにこころからわたしに生きてほしいのだと信じることができます。苦しみながら生きる自分を責められる頻度が減った結果、こころに余裕が産まれたので将来について穏やかに考えられるようになりました。
まだ不十分かもしれないけれど、わたしを大切にしてくれる人達のためならがんばれます。
先日、長年そう言われながらもいまいちしっくり来なかった「統合失調症」という診断名が変わりました。原因を改めてきちんと捉え直して、今度は自分が好きな人達としあわせに生きるためにつよくなることを目指していきたいです。
みなさんにお願いがあります。
そりゃあ所謂死ぬ死ぬ詐欺的な思惑でそういう発言をする人だってたくさんいます(それであっても疾患などから来る言動でしょうから決して甘えだとかわたしは思わないけれども)
しかし、大多数の「死にたい」にはきっとそんな駆け引き的意図はないはず。
誰かの「死にたい」は「生きたい」だと思うから、どうかなかったことにしないで、否定しないで、無碍にしないでほしいです。
弱く産まれてきてしまった自分、疾患により健常者として振る舞えない自分、助けを求めたくて仕方なくなってしまう自分、そんな自分を責められると心底つらくなります。そして、それらのきもちは生きるという選択肢を目隠ししてしまうことに繋がりかねないと考えています。少なくともわたしはそうでした。たまたま運良く生き延びられただけなんです。
ただ、そうは言っても他人のことなんて構ってられねーやい!という周りのきもちもわかります。理解されて当然だとか思いません。なので、当事者としての詳密な感情を知るわたしだけは、せめてわたしだけは誰かの「死にたい」を否定しない人間でありたい。
わたし何気に音楽やってるんだけどネガティブなことばっか歌ってます。死は美徳なんかじゃないけれど、憧れを駆使してこれから先を生きられるならそれでいいと思います。
大切なあの人やまだ見ぬ誰かが死にたい消えたいきもちだって大切にして生き延びられますように。
そして烏滸がましいながらも、わたしの楽曲とかがそんな未来を作る一員にほんの僅かでもなれたらいいな、などと。
めっちゃ長文になってしまった!!普段から長文厨すぎるのでしょうがない
ご清聴ありがとうございました( ¯ᒡ̱¯ )و
何度か自殺を考えて実行した事もありましたが、若い頃と違って今ではここから飛び降りようと思っても割と冷静になって、事故物件になって家族にも入居者にも迷惑をかけるなと思いとどまっています。ODする時もあるけど、どれだけ飲んでも死ねないし吐いたり気分が悪くなるだけなので精神安定剤みたいなものです。
だけど、10代のころからいつでも死ねると思うことが生きる支えになってた気がします。
私も鬱がひどい時は、ロープとカッターを買ってきて私物をゴミ袋にまとめて準備してました。でもいざとなると、色んな思い出?がフラッシュバックして涙が溢れ出ました。それと同時に、タヒんだら周りが迷惑だと思うだろうなど、様々な心配や考え事をした結果、今生きてます。今回の先生の話とはちょっと違う事をコメントしましたが、何かのきっかけ(なんでもいいけど)がないと生きれませんでした。
今、他の方の意見を見て
気づきがありました。
辛いときは周りに目を向ける事。辛いのは精神疾患だけでなく、怪我をしている方や、体の病気の方、それぞれに何か抱えながらも皆生きている。
自分だけではない。
他の方のコメントに勇気づけられました。
ありがとうございました。辛くなった時は、周りに目を向けることですね。
律儀であることにこだわって苦しくなってしまうことが多いのですが
「うまくやることも大事」「嘘も方便」みたいなアドバイスを繰り返しもらって楽になってきました。
フワフワ生きていくことが大事、というのも似ていますね。
思いとどまる理由って単純だったりする。
好きな曲を2度と聞けなくなっちゃうとか、この前買ったワンピースまだ1回しか着てないから勿体ないとか。。
首を吊ろうと鉄骨にロープを掛けたら鉄骨が折れ、手首を切ろうとしたら包丁が根元から折れたので何か見えない力が【まだ死なずにもっと苦しめ❗】という事なんだろうなと諦めてます。
死を美化しているというのは知りませんでした。三島由紀夫とかもそうなんでしょうね。ナルシシズムがありますね。
楽しい気持ちになった、褒められて嬉しくなったなどが死の美しさを汚してしまうと思い、死を思いとどませるのですね。へぇと思いました。
周りにいる人は遊びに誘ったり、少し褒めるということをしてみるだけで自殺を思い止まらせることができるというのは知っておけてよかったです。ありがとうございました。
よく生きてる理由がわからないから
死ぬっていいますが、私はもともと、生きてる実感さえ感じたことがなく、心の底から生きたいとか、生きていく希望や理由さえないから時々死んでもいいかなと思いつめます。今まで誰にも死にたいとか話したこともありません。
時々、自殺を試して、ほんとに周りは自分のことを本気で心配してくれるのか思ってくれてるのか試したい強い衝動に駆られます。
でも試して、もし失敗してほんとに死んでしまったらどうしようっていう不安があり、どっちにしろ死ねません。苦しいです。暗い話ですいません。精神科に通ってます。
こんばんは。今日もありがとうございました。 若い頃に未遂をしてしまったコトがあるのですが、今は大切な友人が止めてくれた言葉から持ちこたえています。 若い頃の大ショックな出来事も時間がたって薄れて来ているのかもしれません。
バッファロー'66 という映画で、毒親育ちの主人公がこれ以上生きられないと感じ拳銃自殺しようとした時に、彼の両親が彼の墓の前で無関心に振る舞うイメージが浮かんで、自殺するのが馬鹿馬鹿しくなってやめるシーンがあります。益田先生の話を聞いてこのシーンが思い浮かびました笑
電車に飛び込もうとしてたけど、自分の人生が人に左右されてることに気付けたので思いとどまりました。
なんであいつらの為に命まで捧げないとあかんねん!って逆に腹立ってきて納得できるだけ思いつく仕返しして辞めては成長し、辞めては成長し続けてきました😂
おみくじでは、信心深く続けていたら願いが叶うってどこで、何回引いても、同じ内容出るしそれを心の支えにずっと耐えて頑張りました。
親から離れても生活できてるし、癖は抜けきれないけど旦那にも惠まれたので適度に受け入れて流してくれてるので10年前に死ななくて良かったと思います。
保険の死亡一時金が100万円。自分の命、諦める未来の値段をあまりにも安く見積もられた気がして、ブチ切れたので生きることにしました。まだうつ寛解してないので、たまに希死念慮は出てきますが。
私は、酷い時は雨の日に濁流の川に飛び込みたくて仕方なかったです
私の留まった理由は特別で、従兄弟の自殺でした
12階から母親と娘の前で投身自殺しました
その葬儀に参加して、家族の悲しんでいる姿を見て、自殺を考えるのをやめました
その家族は弟さんも孤独死をしていて、息子2人共母親より先に亡くなってしまったので、その悲しんでいる姿は本当に辛かったです
その葬儀の途中で、会社に電話をして休む事も決断しました
えー!パパゲーノ効果が高まるような動画?!😍
それは、新しい✨
楽しみです♥😊
あと、真面目に完璧主義だったり、律儀にならないで、ふわふわ生きていくという話を聞いて、
わたしも予定を詰めすぎてしまう癖をクッションの中身60%くらいなら抱きしめたときふわふわだなと思って意識してやりすぎるのを気をつけています。
プラス、ふわふわで思い出したのが、芸能人のフワちゃんです✨(笑)
フワちゃんも好きなので、ふわふわをもっと生活に取り入れて行けたらと思いました💓😄
本気で自殺したくて、飛び降りるビルも決めていましたが、ふと目に入ったバッティングセンターで一発打てたらやめる。打てなかったら死ぬ。と思って挑戦したらうっかり打ててしまって、思いとどまりました。
泣きながら帰宅しました。
最近、他の精神疾患も身体症状症の疼痛も酷くなり、悩みや痛みに一日中支配され毎日何度も死にたいと思います。
自殺を考える度に母が自殺した事を思い出し、死んでも色んな人に迷惑がかかると思い何とか死なずにいます。
でも今回のコメントを作成するのにも、
また5時間程かかってしまい、頭がモヤモヤおかしくなり、身体の痛みも増して来て、コメントも普通に出来ないのかと落ち込みます。
本当にいい加減になりたい。
思いとどまる理由がポロっと見つかってしまう人がいるのはうらやましい。
6:11
「解決できない問題は本当にない」と言い切れるくらい、問題って解決出来るものなんですね。
永遠に逃れられないと思ってました。
恐らく私の環境では、逃れられないと思いますが、何だかびっくりしました!!
親族を自死や希少癌で亡くし、母は比較的若くして病死しました。
それ迄は、自分はずっと死にたいと思っていたし、口にもしていましたが、実際の死を目の当たりにして実感し、
自分は死ねないな、むしろ生きたいと強く思う様になりました。
美化して言うと命を託された感じが有って、自分の死を肩代わりしてもらった気がします。
(内的対象と言えるのかどうかは分かりませんが。)
(狭義ではパパゲーノ効果かなと思います。)
今日も、有難うございました。
なんだかんだ皆さん
家族とか恋人とか友だちもかいるんですね…。
あたしにはいないから羨ましいですが、同時にそう言う存在が怖いです。
配信ありがとうございます
○○が終わるまで死ねないで止めた過去があります
今は全て整えていつでも実行できると気楽に考えて日々生きています
主治医と「もうしない」と約束したのでそれを守り続けています。
19歳のとき、4年前。
鬱病と適応障害で寝たきりで、調子が良くなったら橋まで行って飛び降りようと何度もしました。
25歳までに死ぬとも決めてました。
1年後発達障害と診断されてまた落ち込み引きこもりがちになり、何とか乗り越え来年には夢だった上京が叶いそうです。
母親が「辛いことは長くは続かん」とずっと言い続けてくれ、その言葉を信じて何とか生きてきました。
学校をやめても連絡をずっとくれた人たちのおかけでもあります。
不安や落ち込みと無縁にはなれないけど、昔よりはずっとマシです。
これからもっともっと幸せと思えるようになりたいな
適応障害で、私もこの世から去ろうと思ったことが幾度もあります。自殺の妄想をしてしまいます。ですが、私も「このイベントに行くまでは。。。」「このドラマ見終わるまでは。。。」「この人たちが活動再開するまでは。。。」と、なんとか時間稼ぎをしています。就活がうまく行かなくてこの世から求められてないのだともういいやと思っていましたが、先生の「ほとんど問題はなんとかなる」という言葉を胸に、なんとか生きようと思います。
死んでも自分の心の中の苦しみは終わらないと、そして周りの人に残す負の印象と迷惑を考えると、死への憧れはなくなってしまいました。
自分もパニック発作の症状がひどい時、あまりに辛くてもう死にたいと思う事があります。
家族が助けてくれたりして何とか生きてます。やはり人との繋がりは大事ですね。
自分は3でした。1も2も自分の中にはないなあ。色んな人がいるんですね…
生き延びはしましたが、問題が目の前あったまま解決していないので生き地獄ではあります、消耗戦です
死ぬことばかり考えてた時の自分に何回も、あなたの事が大切だ、世界一大好き、ずっと味方だからねって言い続けてくれた母親の気持ち考えたら涙出てきた
私は広義の発達障害です。
正直何度も行動を起こして命の危機を乗り越え今を生きています。
人生のほとんどを苦しんでいましたが今誰よりも当たり前とされる人生を満喫しています。
苦しみもがいたからこそ今の幸せがあります。
そして全力で支えてくれた、今も支えてくれている仲間に感謝しています。
自分はマイルールに1番当てはまっているなと思いながら見させていただきました。
全部あーうんうんわかるわかるって聞いてるんですけどマイルールが1番ですね。
ねこを飼っているので自分が居なくなったらこの子達はと考えてしまうとどーしても無理となるのでこの子達が生きて居続けてくれるだけ自分も頑張ろうと思えます。
覚悟はしてますでも何十年と生きて一緒にいつまでも居てほしいと思えるくらいに大事で仕方がないです!
「権利がない」「亡き祖父や父が悲しむ」「うちのぬいぐるみが悲しむ」「推しがグッズ出したから生きれる」とかでなんとか生きてます
最近驚いたのは「もう嫌だ、どこかに消えたい」って家を出た数秒後に雨が降ってきたことですね
生かされてるのかな?って思いました
もうすぐ30代後半になりますが、自殺未遂を2回ほどしました。
今まだ鬱は全快はしてなくて、薬の服用で抑えてる状態です。
ただ、自死はあまり考えなくなりました。
母親がとても悲しんでくれたので…これ以上悲しませてはいけない。と思ったからです。死にたい。と思うことは未だによくあるんですが、その時の記憶が、もう一歩を踏みとどまらせてくれています。
いつか、その一歩を踏み出してしまわないか、不安ですが…逆に感謝もしています。
もっといい加減にフワフワ生きていく。いつもコメントの文面を考えすぎてしまうのも完璧主義だなと思います。
自分は 人と比べてはいけないと思います 自分の個性を活かして生きるべきです
2日に1日は希死念慮が強くなりますが、実践しようとするといつも母の事が頭をよぎり、涙が止まらず結局部屋に戻っています。
母がいなくなると分かりません。
明日から復職だけど適当にやってく。
ベルセルクの最終回読むまでは死ねぬ。
私はとある人に言われた「心を柔らかくしておく」という言葉で思い止まっているような気がします。
今心が硬いよ、大丈夫だよと自分に言い聞かせるんです。そうすると段々と心が柔らかくなってくる感じがします。
あまり思い詰めすぎずに、時には開き直ってラク〜に生きたいものです。
死にたい気持ちや、実行に移そうとすることは今は無くなったし、当時のことを思い出すとちょっと怖いことしてたなぁとは思います。
でも、生きてたいって気持ちにはなかなかなれなくて、生きなきゃいけないから生きてるって気持ちは、鬱になってからずっと続いています。楽に死ねるなら、そっちを選ぶかもしれないくらい。
日常の中で楽しいと思うことは沢山あるんですけどね。よくわからないです。
難しいですね。
うつ状態で苦しんでいる方は、まずは薬を飲んでゆっくり療養してあとは全部後回しで良いと思います。
乗り越えるべき壁が来たらその時に頑張りましょう。今はまだその時ではないです。
生きていくのが不安なら誰かのために生きていくのが良いかもしれません。
エネルギーを回復させながら少しずつでも安心できる居場所を増やしていけたら不安感も薄らいでいくのかなと思います。
死にたみがマックスになってきたのでこの動画見にきたのですがわかるようなわからないような…? 私の場合躁転すると「よっしゃ!気分最高!今死のう!」ってとんでもないことしてしまうので気をつけたいです…生き延びる…開き直る…生きる…
ワーカホリックの親に育てられて鬱になり約20年通院治療していますが
その毒になった親が死ぬまで死ねない状態にいます。
自分が自殺をすることで苦しめてやりたい復讐してやりたいと思ってるのに、変ですね...
悩んでる人を救う方法を模索してる中、たどり着きました。勉強になりました、ありがとうございます。
ベスト1,2の気持ちが凄く共感しました。やっぱりその様な理由に行き着くのだなと思いました。
いい加減にフワフワ生きていけたらと本当に思います。
自分は単純に勇気が出なくて諦めました。
教員をしていた時、毎日死にたい思いでした。人前がこわい、教える自信がない。仕事は遅い。
でも、自分でやりたいと人生で初めて決めた仕事だったので、どうにかこうにか頑張っていました。ある時、支援学級で担任していた生徒が「命を大切にする」というテーマで書いた作文を読みました。彼は、家庭環境に恵まれておらず、施設で暮らしていましたが、それでも好きなものがあって、友達思いでした。自分は両親もいて、大学も出て、なのに毎日、死にたい思いで働いて生きて、こんな純粋に、生きるこが大事だと作文に書くような生徒に何を教えるんだ、と暗い思いを抱いていました。
しかし、生徒が関知するような死は絶対嫌でした。どんな恥をかいても、生徒の前では生きなければならないと思っていました。先生という仕事を選んだ、最大の理由だったかもしれません。負けず嫌いもあったと思います。
「生きてほしい。」
その後、休職し、退職しました。今でも、よくうつ状態になることはありますが、なんとか生きています。
益田先生、動画ありがとうございます。
長文失礼いたしました。
吸い寄せられるように窓の外を見たり、線路に近ずいたりすることもありますよね。自分ではどうすることも出来ないことも多いから、自殺はいけないもの、じゃなくて根本的な疾患を見てあげることが大事だと思いました。死にたい気持ちは、病気のせいなんだと考えるだけでも楽になると思います。
確かに、私もまだ目標を達成してないから絶対に死にたくないってのはある。
まあでも、真面目すぎる所あるからもっとフワフワ、何となくで生きりゃいいのかな。
米がうめえみたいな。
臨床での情報を教えてくださって参考になります。
私は「未遂で死ねなくなるのが怖かった」のが死ねなかった理由です。
自殺を思い留まった経緯を自分に自信を持たせるために書きます。ので、閲覧は自分の精神状態を考えた上でご覧下さい。
小学生の時、父が交通事故にあい、精神的に無理して高校生まで奮闘しておりましたが、心のガソリンが尽きてしまい、うつ病を患いました。その時は気づきませんでしたが、母が所謂毒親で、うつ病は甘えなどと言われ、なかなか寛解しないまま10年が経ちました。その間に祖父母の死や、親友の自殺を経験しました。
最終的に、毒親とうつ病が原因で、もう生きてられない、と思い自殺を試みました。ですが、友人として、家族として、自殺された遺族の心はまだ理解の範疇にある。でも、恋人だけは理解の範疇を得ないと思ったのです。その時ラッキーなことに、私には恋人が居ました。経験したことないことを、他人に経験させるのはあまりに酷だと思い、自死を思い留まりました。
その恋人とはまだ続いており、同棲もはじめ、毒親からも逃れて段々うつ病も良くなり、バイトですが週4で働くことも可能な体と精神状態になりました。
原因を見極め、そこから脱却するのはとてもむずかしいと思いますが、同士の皆様方のお声を聞いて、励まされた時も沢山あります。本当にありがとうございます。
誰かにパパゲーノ起こればいいなという事で、私が自殺を思い止まった時の考えでトップクラスに変なやつを共有します!笑
本かネットかどこかで、しにたい気持ちをやり過ごすには「死」について真剣に考えてみるという方法があったので、
その日の私は「しんだら墓とか要らないから粉々にして海に撒いて欲しいなー」なんて考えて散骨について調べ始めました。笑
もちろんその辺の海に骨のまま捨てたら気持ち悪すぎるし大問題だな、海洋散骨ツアーなるものがあるんだな、本当にしぬなら私がしんだあとの手配もしてからしにたいな、でも結構お金かかるな、海に撒く前にまず骨を砕かなきゃいけなくて粉骨業者なんてものがあるのか...
などと調べていた中で
「ご自身で粉骨して頂く1番簡単な方法は、遺骨を布袋などに入れてひたすらハンマーで叩くことですが、全部の骨を砕くのには丸一日ほどかかります」
という文章を目にしました...
家族などが亡くなった悲しみで涙ながらに庭で全力で骨を叩いている遺族の姿を想像すると...なんともシュールで思わず笑い転げてしまい、なんだか自殺するのも馬鹿らしくなって、その日はひとしきり笑った後大人しく寝ました。笑
健常者に話すと多分引かれるし、自分でも何という恐ろしいことを考えていたんだろうと思いますが、
確かに私はその日、自殺を思いとどまりました。
多分、思いとどまれるならどんな下らないことでも、怖い考えでも、些細なことでも、何でもいいのでしょうね!
ウェルテル効果、パパゲーノ効果!専門用語から、知識を身に付けることも、大切だと思いました。
いつもありがとうございます。
最近夜遅くに眠剤を包丁で切る時人差し指をザックリ切ってティッシュ3枚が血まみれになるくらい出血して実家の親に連絡しようかどうか迷ったけど、何より血を流す=怖いという思考に直結してしまって、それまで精神的に不安定になって何度も自殺を考えてたのにこの一件で吹き飛んでしまいました。
マイルールってあまり考えた事なかったけど「今死んだらもしかしたら面白いマンガに会えるかもしれないのにもったいない」とか「アニメの最終回見るまでは」と思いとどまった・・・のは学生の頃の話で、大人になってからもマイルールって考えてなかったけど、「楽しい事を見つける」のを考えました
昔、凄く好きだった元カノにフラレたとき絶望して死のうと思ったけど、別の女の子から「○○さんと話してると楽しい!」って言われて一瞬で立ち直りました😂
本音は、PTSDで生きているのがかなり苦しいです、
大小な、希死念慮が常にあります。
今回の動画で私は、マイルールで止めているのが分かりました、
それでも良いのだと、脳の力がフット抜けました、
なんだか良い意味で、面白いですね。。。
カウンセリングの先生に“死にたくなる時が、あります”と、勇気を出して話しても、
“でも、ここに来れているのだから良かったですね”で、終わってしまいます、
先生のこういう会話を望んでいるのだな、と思いました。
続き、お願い致します🌲
身近に悲しんでくれる人がいるからと推しを応援し続けないとっていうのが今は多いかな
確かに病んで病んでヤバかった時は死を美化してたかも
人間だと裏切ったり嘘ついたり傷つけ傷つけられがあるから思いとどまるには力が弱かったりするけど、私の推しは人間じゃないし生きてないから死ぬこともない存在だからどこまでも安心してついていける
だから大げさでもなんでもなくて推しがいるから生きてこれたし生きていける
とりあえず、”ピンチはチャ〜ンス”とだけ心の中でつぶやきながら生きながらえてきた感じです。
自分は役立たずで得意なこともなくて他人よりすべてが劣っていて時々こんな苦しい人生があと何十年も続くなら一瞬の苦しみを選んだ方が‥って思ってしまうことがよくあります。首を吊る道具や場所を頭の中で想像していると少し安心したりもします。そんなとき、あと1か月後に読みたい本が出る、とかオンラインライブがあるとそこを目標にあと1か月なら頑張って生きていけるかもしれない‥という気持ちで20年生きてきました。人生とは案外そういうものなのかもしれません。
わたくしは準備が面倒で動けませんでした(w
寝てる時に一番簡単(準備)にできる方法を考えてたら餓死に行き着きましたが、これはこれでジャマが入るのでできないという始末。
この時は死よりも絶望の方が怖かったですね。
楽しいって思えてとどまるのるは羨ましいです。
明るい話が少ないとおっしゃっていましたが、例えばさっきまで死にたいと思ってた人が急に晴れ晴れとした笑顔で「自殺やめました!」って言ってたらそれはそれで怖いし心配だな…と思うのでこの手の話がうっすら暗いのはかえって健康的かな、等と考えていました。
動画のアップおつかれさまです。
親を悲しませたくなかったから死ねなかったです。
あと自殺とはちょっと違いますが、主治医や心理士さんに自傷したって言いたくないから自傷やめました。そうなんだって感じでいい意味で流されるのが目に見えていますが、それでも言いたくないんですよね。
生きている罪悪感や劣等感、トラウマなどが原因で希死念慮が自殺願望に変わったことがありました。私の場合、トラウマを植え付けた人物が憎いから私が死ぬことでその人に罪悪感を与えてやろうというように自殺が挑戦的なものだったのですが、実際私が死んでも相手には何も響かないだろうと気づいてから、その人のせいで死んでしまうのは無駄だと感じるようになりました。自分の死=相手への屈辱や罪悪感という考えもまたある種のナルシシズムだったのかもしれないです。
自分が初めて思いとどまった時が最初の死の美化でした
今まで言語化出来なかった曖昧な感情が理解できて凄くスッキリしました!
やろうにしてもネガティブ思考で、見つけて貰えなかったらどうしよう?賃貸だから大家さんに迷惑かけるしどうしよう?親に請求いくと嫌だな。。時間とか方法をぐるぐる考えてたら、考え過ぎてやれませんでしたねw(だいたいの問題は一人で生きられるくらいのお金があれば解決できると思いますね。。)
益田先生のライブ配信で「辛い時は念仏を唱えなさい」と言っていたので私はクリスチャンなのでロザリオの祈りを唱えてます
心が落ち着きます
ウェルテル効果、パパゲーノ効果、初めて聴きました!パパゲーノ効果を広げたいです!
私は死にたいと思ったことはなく、絶え間なく死ぬ手段を考えていました。ベランダから下にある花壇の角を毎日のように見ていました。恐怖心が全くなく動画にあったものに近い、芸能人の亡くなられたニュースで次は自分だと考えていました。
思いとどまったのは両親が数年のうちに介護が必要になるからです。そのためだけに生きていこうと思っていました。
医者も他人だなと良い意味で思いました。患者との距離感は大切ですね。
自分の価値は自分で決めることさ、つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ
勝海舟の名言だそうです。
毎日希死念慮が酷く、緩やかな自殺といわれるネグレクト状態にありましたが、少しずつ食生活や運動で自分を大切にしてみようと思えました。
日本って、国土の割に人が多いのに。
何でこんなにも孤独が多いのかな
以前はマイルールの事を考えて、推しジャンルの実写映画が公開されるまで死ねない!って思っていたのですが、それももう私の中で通用しなくなってきました。実写映画を見ずに死んでたまるか!→公開されるからどうしたの?どうでもいいかな…どうせ死んだら見ないんだし、となってしまって命綱の役割を殆ど果たしていません。死を回避するほど強い生き甲斐を見つけるのってどうすればいいのでしょうか。
2週間前に薬を大量に飲んで自殺未遂をしましたが失敗してしまいました。
2回目の試みでしたが、今回は消えたいや楽になりたいと言う理由ではなく、私は必要が無いし私が居なくなったら住宅ローンが無くなるし、保険金が入ってそのお金が子供達に残せると思ってだったんですが、失敗した今でも死への恐怖もなく、後悔もないです。
あの日から味覚障害になり心の中も空っぽで、仕事には行ってますが毎日が無の状態です。
1年後に1番下の子供が就職するのを見届けたら次は確実に成功する方法でやりたいと日々思って生きてます。
私は変ですか?
私が居なくなったら住宅ローンがなくなり、家と保険金が残るんですよ😅いい事だらけだと思いません?
時間は経っているけど、なかなか消えないでない時々死にたくなるけど、やはり個人差があるんでしょうか?いつこの気持ちが無くなるのか。
ウェルテル効果→思いつくのは30年前に有名だった女性アイドルの事を、思い出しました。私も好きだったので、凄くショックでした。
パパゲーノ効果→私も数ヶ月前に。初めて、命の事を考えました。家族の事で高ストレスがかかり限界が来て、具合が悪くなり、大腸がんに似たような症状が現れて、ひょっとしたらがんかも?どうしよう?消化器内科に通いましたが症状は良くならず、大腸内視鏡の検査を先生が予約をしようとした時にすぐに従えず少し待って、下さいと言いました。検査しないでこのまま病気になって○んでもいいかな?とも思いました。貧困もあるし、病気になってもお金もかかるし。どうでもいいやって思ってました。友達に相談したらちゃんと受けなよ!と。励まされ。思いとどまる事ができました。
マイルールは今は息子が心配なので生きていたいです🍀
息子も中学一年の時学校に行くのが辛く、自傷行為。自○念慮もありました。きつい、苦しい、○にたい。学校に行くのをやめて休ませました。私は息子に『あなたがいなくなるとお母さんは悲しい。だから生きていて。』と話しました。しばらくはそばに寄り添うようにしました。今は自傷行為は無くなりましたが、息子が、話しをしてきたら、手を止めて顔を見ながらうん。うんと聴くようにしてます。
何の為に生きていよう!とか具体的な理由なく、自死したら後処理とか迷惑になるから只死んでいないだけで延命してます。
幼稚園児の時分から、何か人間に向いてないな、私はこれから生きるの周りの子より大変なんだろうな〜と思ってました。これは自殺願望より希死念慮なんでしょうか?
思いとどまった理由…
コナン君の最後を見届けるまでは死ねない!
と思った事ですかね
私は何事も適当にが出来ないんですよね。出来れば楽なんでしょうけど。昔は自殺とか否定してたし自分では怖いと思っちゃうから出来ないと思ってました。でも今年の2月衝動的に未遂しました。衝動で自分がコントロール出来なかったです。人間何が起こるか分からないなぁと思いました。
涙が勝手に出てくる