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この時代の大雪や利尻の自由席に寝台車が入っていてすごく得した感じがありましたね。上段は使ってはいけないのですが、実際には使っていましたね。
コメントありがとうございます。自由席扱いの寝台車(大雪、利尻)は、私は乗った事は無かったですが、周りに他の人がいなければ、のびのび使用できますよね。上段を使用して、車掌さんに注意はされませんでしたか?
北海道旅行で重宝したのは利尻、大雪、まりも。宿代を浮かせながら移動もできた。稚内では夜遅く、利尻を待ちながらの駅そばが美味しかった。
コメントありがとうございます。私も北海道フリー切符で2回ほど道内旅行をしました(収録の利尻もその際のものです)が、道内夜行は本当に宿代わりで便利でしたね。稚内駅の駅そばは、18年前に食べたのが最後でしたね。
駅蕎麦と言えば、音威子府でしたね。天北線が「健在」だった昔は、駅のホ―ムに在りました。その後は駅構内に。何年か前にご主人がお亡くなりなり、店を閉められましたが‥。旧の稚内駅の立喰い蕎麦も美味しかった。蕎麦と言えば、信州や出雲が有名ですが、道内の幌加内は蕎麦の生産日本一。深名線の車窓から見る蕎麦の花畑の景色は圧巻でした。深名線も廃止。羽幌線も廃止。道北は寂しいばかりです。
遅くなりましたが、コメントありがとうございます。音威子府の駅蕎麦は一度は食べて見たかったですが、とうとう叶いませんでした。相次ぐ路線の廃止も寂しいですが、駅蕎麦も少なくなった様な………。
新婚旅行で乗車しました。懐かしいな。当時、鉄オタのわたしは、飛行機嫌いの妻と、大阪から鉄道のみで乗り換えて北海道まで旅行しました。北斗星とかで。今ではなくなった列車が多いです。
コメントありがとうございます。懐かしんで頂きありがとうございます。私も飛行機は苦手な方で、本州へ行く場合は可能な限り鉄道を利用していました。利用者の減少やJR各社の運用上の都合もあり、北斗星等の寝台列車が消えてしまったのは残念でなりませんね。
1989年のゴールデンウイーク期間中に座席指定車に乗車しました。下り稚内行でした。翌朝稚内市内はうっすら雪が積もっていました!後は急行まりもと大雪にも乗車しました!
返信が遅くなりましたが、コメントありがとうございます。1989年のゴールデンウイーク期間中は利尻やまりも、大雪を利用して道内を旅行されていたのですね。あの頃は、道内夜行がまだまだ健在で宿代わりにしても使い勝手が良かったですね。
80年代の北海道の急行列車は急行天北急行大雪急行利尻急行マリモ号等が存在していたと前にJRの年配の駅員さんから教えてもらった事があります
コメントありがとうございます。仰るとおり、80年代は道内には急行列車が多数残っておりました。国鉄からJRに変わった当初は狩勝等の昼間の急行列車もわずかながら残っていましたが、90年代に入って夜行列車以外は廃止されてしまいましたね。
90年代から2000年代前半の北海道は夜行列車も少し残ってましたね、快速ミッドナイト等の列車が走ってました
仰るとおり、90年代から2000年代前半まで道内夜行列車も残っておりましたが、現在は全て廃止になってしまいました。個人的には季節列車でもいいから復活して欲しいところですが、現在のJR北海道の経営状況、格安の都市間バスとの競合、コロナ渦問題等、完璧に難しいですよね………。
@@user-kiha56-100 札幌都市圏以外の人口減少も加わり、夜行列車を動かすだけの費用をかけ辛いのもありますからね。その上、そもそも鉄道線を残していく事自体が危機的状況となると…
@@r41541lRKDT コメントありがとうございます。最悪な事態を想定すると、鉄道線が維持出来ても札幌圏と新幹線だけになってしまうことも充分あり得ますね…。
宗谷本線の駅が次々と廃止された現在。夜行列車が走っていた昔の宗谷本線が懐かしい。車掌さんの車内放送がいいですね。今の自動放送とは違って、旅情を掻き立てます。旅する鉄道。まさにそうですね。何時までも残したい北海道の遺産です。私は大阪在住ですが、北海道の大の鉄道ファンです。
コメントありがとうございます。この動画を聴いて頂いて少しでも懐かしんでい頂けたのでしたら、幸いでございます。道内では極端に利用者の少ない駅が次々と廃止になっております。宗谷本線も同様の状況ですね。そして夜行列車も無くなって寂しくなり、風情も無くなりましたね。道内夜行が走っていた頃は、金曜や土曜の夜に札幌を出て、目的地で半日観光又は乗り鉄の様な事をして、夕方の特急で再び札幌へ戻って来る様な旅が簡単に出来て便利でしたね。
@@user-kiha56-100 車掌さんの肉声放送も良かったですが、駅の肉声放送も良かった。昔、函館=網走間を走っていた「おおとり」と言う特急に何度か乗りましたが、途中駅の駅の放送が涙が出る程、旅情を掻き立てられました。長万部の放送は、「おしゃまんべ〜い、おしゃまんべ〜い」連絡列車に時間があれば、「お待ち合わせの連絡列車まで時間がございます。橋を渡って待合室でお寛ぎ下さい」
@@user-kiha56-100 洞爺駅では、「温泉へお越しのお客様、駅前からバスが出て御座います」遠軽では「えんがる〜〜。えんがる〜〜。これより進む方向が変わりまぁ〜す」網走では「あばしりぃ〜。あばしりぃ〜」いやはや、ホントに涙がでます。
@@厚床に会っとこ 仰るとおり、かつては駅の構内放送(肉声放送)も駅ごとに味がありましたね。長万部駅の「おしゃまんべ〜い、おしゃまんべ〜い」放送は、一度だけ函館から釧路まで乗車した特急おおぞら7号のデッキ内で聞いたことがありました。(録音した音源があるので、何かの機会にアップしたいですね。)特急おおとりはキハ183系化後に一度だけ、網走から函館まで乗り通しました。車掌さんが旭川と札幌で二度交代していましたね。
@@厚床に会っとこ 洞爺駅では、洞爺湖温泉へのバスの案内放送もあったのですね。かつて函館直通の特急おおぞらに乗車した時に、登別や洞爺到着前の案内放送では、温泉へのバスへの案内放送がありましたね。遠軽駅の「えんがる〜〜。えんがる〜〜。」は聞いた事がないのですが、網走駅の「あばしりぃ〜。あばしりぃ〜」は急行しれとこ2号で網走に着いた際に聞きました。(こちらも録音した音源があるので、いずれアップしたいですね。)
懐かしいです。感激です。U P ありがとうございます。1978年夏に稚内から乗るつもりだったけど満員だったので、仕方なく臨時キハ急行利尻に乗りました。でもここで放送聴けて嬉しいです。やっぱ客車急行は最高ですね。
コメントありがとうございます。私のUPした急行利尻の車内放送音源で感激して頂けたのでしたら、光栄でございます。私は乗ったことはなかったのですが、昔は利尻の臨時便もあったのですね。気動車だったのでしょうか?客車急行が無くなり寂しい限りです。客車列車自体がイベント列車しか存在せず、時代の波とは言え、風情も旅情も無くなりましたね…。
そうです。気動車3両編成でした。あの夏は大盛況で、上下便とも乗れず臨時利尻気動車便でした。私は高知からの旅行でしたが、当時は急行利尻と同じ客車が土讃線にも多数運行されていました。函館→札幌急行すずらん51号や釧路→小樽からまつ号も乗れてうれしかったです。
臨時の急行利尻は気動車3両編成でしたか。定期の利尻も晩年は客車から気動車に変更(その後特急化)され、最後は季節便化されて静かに消えてしまいました…。夏場だけでも臨時で復活して欲しいですが、無理なのでしょうね…。客車列車は14系の道内急行(まりも、ニセコ、大雪、利尻、臨時すずらん、はまなす)に乗車する機会はありましたが、旧客列車はあまり乗車する機会はありませんでした。からまつや札幌ー函館直通の普通列車に乗ってみたかったですね。
利尻島、礼文島へは、急行利尻の下り列車に乗り稚内へ、朝一番の船で礼文島に渡りました。昭和46年頃には、まだフェリーではなく、250トンくらいの小さな客船でした。大いに船酔いをしました。懐かしい限りです。
コメントありがとうございます。昭和46年頃は、礼文島方面の船は、まだフェリーではなかったのですね。稚内には何度か訪れていますが、時間の都合上、利尻島や礼文島には一度も渡っておりませんでした。いつかは一度は行ってみたいところです。
「本日、5号車は寝台車を連結しておりますが、自由席座席車としてご利用いただけます」? 乗ってみたかった。
コメントありがとうございます。恐らく座席車が足れず、運用の都合で寝台車を使用したものと思われますが、隣に人が乗ってこなければ、足を伸ばしてゆっくり横になれますよね。
一度だけ乗りました。もちろん枕とかシーツはなしの2段B寝台でした。検札のとき「上段は使わないで」と注意された覚えがあります。これは昼間便のお話でした。
@@y.kichijoji3508 返信ありがとうございます。急行利尻の昼間番は急行天北でしたか?昔の東京発のブルトレは、大体が静岡を走行中に寝台を作る作業があったのですが、昭和の終わり(B寝台が全て二段式になった)頃から上段寝台はセットされていて、「上段寝台は放送があるまで使用しないでください」とか検札にきた車掌さんに注意されました。
オレンジカード……懐かしいですね!未使用の新幹線100系のオレンジカードを持っています。1000円分です。いくらの価値があるのでしょうね?
コメントありがとうございます。未使用の新幹線100系のオレンジカード(1000円分)をお持ちなんですね。オレンジカードはスイカ等のICカードの普及で一気に衰退してしまい、未使用の物は今となっては非常に貴重ですよね。
お晩でございます…さすが北海道d( ̄  ̄)
今晩は。コメントありがとうございました。
オリジナル色の1095!これは貴重!
コメントありがとうございます。この機関車のその後の状況を把握していなかったのですが、オリジナル色から北斗星色になったのですか………?
@@user-kiha56-1001095は北斗星牽引機の中の1台だったと思います
@@青空うれし-n5i コメントありがとうございます。1095は北斗星の牽引機だったのですね。情報ありがとうございました。
5号車自由席ですが寝台車です
座席車が足れなくて、やむを得ず寝台車を座席車として使用したのでしょうね。
@@user-kiha56-100 1月なので増結してたでしょうし
@梨田ヒカリ仰る通りですね。年末年始の混雑期でしたから。
この時代の大雪や利尻の自由席に寝台車が入っていてすごく得した感じがありましたね。
上段は使ってはいけないのですが、実際には使っていましたね。
コメントありがとうございます。
自由席扱いの寝台車(大雪、利尻)は、私は乗った事は無かったですが、
周りに他の人がいなければ、のびのび使用できますよね。
上段を使用して、車掌さんに注意はされませんでしたか?
北海道旅行で重宝したのは利尻、大雪、まりも。宿代を浮かせながら移動もできた。稚内では夜遅く、利尻を待ちながらの駅そばが美味しかった。
コメントありがとうございます。
私も北海道フリー切符で2回ほど道内旅行をしました
(収録の利尻もその際のものです)が、道内夜行は本当に
宿代わりで便利でしたね。
稚内駅の駅そばは、18年前に食べたのが最後でしたね。
駅蕎麦と言えば、音威子府でしたね。天北線が「健在」だった昔は、駅のホ―ムに在りました。その後は駅構内に。
何年か前にご主人がお亡くなりなり、店を閉められましたが‥。
旧の稚内駅の立喰い蕎麦も美味しかった。
蕎麦と言えば、信州や出雲が有名ですが、道内の幌加内は蕎麦の生産日本一。深名線の車窓から見る蕎麦の花畑の景色は圧巻でした。深名線も廃止。羽幌線も廃止。道北は寂しいばかりです。
遅くなりましたが、コメントありがとうございます。
音威子府の駅蕎麦は一度は食べて見たかったですが、
とうとう叶いませんでした。相次ぐ路線の廃止も寂しいですが、駅蕎麦も少なくなった様な………。
新婚旅行で乗車しました。懐かしいな。当時、鉄オタのわたしは、飛行機嫌いの妻と、大阪から鉄道のみで乗り換えて北海道まで旅行しました。北斗星とかで。今ではなくなった列車が多いです。
コメントありがとうございます。
懐かしんで頂きありがとうございます。
私も飛行機は苦手な方で、本州へ行く場合は可能な限り
鉄道を利用していました。
利用者の減少やJR各社の運用上の都合もあり、
北斗星等の寝台列車が消えてしまったのは残念でなりませんね。
1989年のゴールデンウイーク期間中に座席指定車に乗車しました。下り稚内行でした。翌朝稚内市内はうっすら雪が積もっていました!後は急行まりもと大雪にも乗車しました!
返信が遅くなりましたが、
コメントありがとうございます。
1989年のゴールデンウイーク期間中は利尻やまりも、
大雪を利用して道内を旅行されていたのですね。
あの頃は、道内夜行がまだまだ健在で宿代わりにしても
使い勝手が良かったですね。
80年代の北海道の急行列車は急行天北急行大雪急行利尻急行マリモ号等が存在していたと前にJRの年配の駅員さんから教えてもらった事があります
コメントありがとうございます。
仰るとおり、80年代は道内には急行列車が多数残っておりました。
国鉄からJRに変わった当初は狩勝等の昼間の急行列車もわずかながら
残っていましたが、90年代に入って夜行列車以外は廃止されて
しまいましたね。
90年代から2000年代前半の北海道は夜行列車も少し残ってましたね、快速ミッドナイト等の列車が走ってました
仰るとおり、90年代から2000年代前半まで道内夜行列車も
残っておりましたが、現在は全て廃止になってしまいました。
個人的には季節列車でもいいから復活して欲しいところですが、
現在のJR北海道の経営状況、格安の都市間バスとの競合、
コロナ渦問題等、完璧に難しいですよね………。
@@user-kiha56-100 札幌都市圏以外の人口減少も加わり、夜行列車を動かすだけの費用をかけ辛いのもありますからね。その上、そもそも鉄道線を残していく事自体が危機的状況となると…
@@r41541lRKDT
コメントありがとうございます。
最悪な事態を想定すると、
鉄道線が維持出来ても札幌圏と新幹線だけになってしまう
ことも充分あり得ますね…。
宗谷本線の駅が次々と廃止された現在。
夜行列車が走っていた昔の宗谷本線が懐かしい。
車掌さんの車内放送がいいですね。今の自動放送とは違って、旅情を掻き立てます。旅する鉄道。
まさにそうですね。
何時までも残したい北海道の遺産です。私は大阪在住ですが、北海道の大の鉄道ファンです。
コメントありがとうございます。
この動画を聴いて頂いて少しでも懐かしんでい頂けたのでしたら、幸いでございます。道内では極端に利用者の少ない駅が次々と廃止になっております。
宗谷本線も同様の状況ですね。そして夜行列車も無くなって寂しくなり、
風情も無くなりましたね。
道内夜行が走っていた頃は、金曜や土曜の夜に札幌を出て、
目的地で半日観光又は乗り鉄の様な事をして、夕方の特急で
再び札幌へ戻って来る様な旅が簡単に出来て便利でしたね。
@@user-kiha56-100
車掌さんの肉声放送も良かったですが、駅の肉声放送も良かった。
昔、函館=網走間を走っていた「おおとり」と言う特急に何度か乗りましたが、途中駅の駅の放送が涙が出る程、旅情を掻き立てられました。
長万部の放送は、「おしゃまんべ〜い、おしゃまんべ〜い」連絡列車に時間があれば、「お待ち合わせの連絡列車まで時間がございます。橋を渡って待合室でお寛ぎ下さい」
@@user-kiha56-100
洞爺駅では、「温泉へお越しのお客様、駅前からバスが出て御座います」
遠軽では「えんがる〜〜。えんがる〜〜。これより進む方向が変わりまぁ〜す」
網走では「あばしりぃ〜。あばしりぃ〜」
いやはや、ホントに涙がでます。
@@厚床に会っとこ
仰るとおり、かつては駅の構内放送(肉声放送)も駅ごとに味がありましたね。長万部駅の「おしゃまんべ〜い、おしゃまんべ〜い」放送は、
一度だけ函館から釧路まで乗車した特急おおぞら7号のデッキ内で
聞いたことがありました。(録音した音源があるので、何かの機会に
アップしたいですね。)
特急おおとりはキハ183系化後に一度だけ、網走から函館まで乗り通しました。車掌さんが旭川と札幌で二度交代していましたね。
@@厚床に会っとこ
洞爺駅では、洞爺湖温泉へのバスの案内放送もあったのですね。
かつて函館直通の特急おおぞらに乗車した時に、登別や洞爺到着前の案内放送では、温泉へのバスへの案内放送がありましたね。
遠軽駅の「えんがる〜〜。えんがる〜〜。」は聞いた事がないのですが、
網走駅の「あばしりぃ〜。あばしりぃ〜」は急行しれとこ2号で網走に着いた際に聞きました。(こちらも録音した音源があるので、いずれアップしたいですね。)
懐かしいです。感激です。U P ありがとうございます。1978年夏に稚内から乗るつもりだったけど満員だったので、仕方なく臨時キハ急行利尻に乗りました。でもここで放送聴けて嬉しいです。やっぱ客車急行は最高ですね。
コメントありがとうございます。
私のUPした急行利尻の車内放送音源で感激して頂けたのでしたら、光栄でございます。
私は乗ったことはなかったのですが、昔は利尻の臨時便もあったのですね。気動車だったのでしょうか?
客車急行が無くなり寂しい限りです。客車列車自体がイベント列車しか存在せず、時代の波とは言え、風情も旅情も無くなりましたね…。
そうです。気動車3両編成でした。あの夏は大盛況で、上下便とも乗れず臨時利尻気動車便でした。私は高知からの旅行でしたが、当時は急行利尻と同じ客車が土讃線にも多数運行されていました。函館→札幌急行すずらん51号や釧路→小樽からまつ号も乗れてうれしかったです。
臨時の急行利尻は気動車3両編成でしたか。定期の利尻も晩年は客車から気動車に変更(その後特急化)され、
最後は季節便化されて静かに消えてしまいました…。夏場だけでも臨時で復活して欲しいですが、無理なのでしょうね…。客車列車は14系の道内急行(まりも、ニセコ、大雪、利尻、臨時すずらん、はまなす)に乗車する機会はありましたが、旧客列車はあまり乗車する機会はありませんでした。からまつや札幌ー函館直通の普通列車に乗ってみたかったですね。
利尻島、礼文島へは、急行利尻の下り列車に乗り稚内へ、朝一番の船で礼文島に渡りました。
昭和46年頃には、まだフェリーではなく、250トンくらいの小さな客船でした。大いに船酔いをしました。懐かしい限りです。
コメントありがとうございます。
昭和46年頃は、礼文島方面の船は、
まだフェリーではなかったのですね。
稚内には何度か訪れていますが、
時間の都合上、利尻島や礼文島には一度も
渡っておりませんでした。
いつかは一度は行ってみたいところです。
「本日、5号車は寝台車を連結しておりますが、自由席座席車としてご利用いただけます」?
乗ってみたかった。
コメントありがとうございます。
恐らく座席車が足れず、運用の都合で寝台車を使用したものと
思われますが、隣に人が乗ってこなければ、
足を伸ばしてゆっくり横になれますよね。
一度だけ乗りました。もちろん枕とかシーツはなしの2段B寝台
でした。検札のとき「上段は使わないで」と注意された覚え
があります。これは昼間便のお話でした。
@@y.kichijoji3508 返信ありがとうございます。急行利尻の昼間番は急行天北でしたか?
昔の東京発のブルトレは、大体が静岡を走行中に寝台を作る作業があったのですが、昭和の終わり(B寝台が全て二段式になった)頃から上段寝台はセットされていて、
「上段寝台は放送があるまで使用しないでください」とか検札にきた車掌さんに注意されました。
オレンジカード……懐かしいですね!
未使用の新幹線100系のオレンジカードを持っています。1000円分です。
いくらの価値があるのでしょうね?
コメントありがとうございます。
未使用の新幹線100系のオレンジカード(1000円分)を
お持ちなんですね。
オレンジカードはスイカ等のICカードの普及で一気に衰退してしまい、
未使用の物は今となっては非常に貴重ですよね。
お晩でございます…
さすが北海道d( ̄  ̄)
今晩は。
コメントありがとうございました。
オリジナル色の1095!これは貴重!
コメントありがとうございます。
この機関車のその後の状況を把握していなかったのですが、
オリジナル色から北斗星色になったのですか………?
@@user-kiha56-1001095は北斗星牽引機の中の1台だったと思います
@@青空うれし-n5i コメントありがとうございます。1095は北斗星の牽引機だったのですね。情報ありがとうございました。
5号車自由席ですが寝台車です
座席車が足れなくて、やむを得ず寝台車を
座席車として使用したのでしょうね。
@@user-kiha56-100 1月なので増結してたでしょうし
@梨田ヒカリ
仰る通りですね。年末年始の混雑期でしたから。