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「役者の演技が下手」激しく同意です。邦画を見る気がしなくなる理由はそれ(特にドラマ)。演技が不自然なので、白けてくる。
すごい分かります。人前で声を上げて泣いたり、地団駄を踏んだり、情緒不安定か? と。やっぱり、ドラマに向かないストーリーをそのまま使ったり、不自然な動きを俳優にさせる監督がよくないんじゃないかな。あとスポンサーもか。
分かります。ドラマは特に見る気がしません。CM見てても大体が絶叫系で目をひこうとする演出が多くて興味より先に白けてしまいます。
平成以降、役者がショボ過ぎる まあ見る気が全く起きない
@@apartment-nq4wt 今のドラマの演技、何が良いのか分からないから、自分は時代においてかれたと思うようにしてる。
「いやぁぁぁー!!」とかキャハハハとか、やたら大きかったりね🤔
俳優が頭を抱えて「ウァアアアアアアアー!」と絶叫するシーンが最近多すぎる。演技力の欠如だけでなく、演出力も無いから絶叫するシーンを短絡的に入れたがるのだと思う。
最近多すぎるっていつと比べてどのくらい増えたんですか?
最近というか平成後半辺りの邦画もそんな感じマジで違和感しか無いんだよ邦画ってなんかいきなり走り出して「うわああああ」って言ったり変な間があって、これ必要?ってのがある米映画って極力無駄な事省いて、見てる観客にわかりやすく演技してるのが良いんだよでも、最近の米ドラマ映画は引き伸ばしやら主要人物が4ぬやらコロコロ人格が変わるのは見ていて苛つく邦画で近年良かったのは永遠の0かな岡田の演技が素晴らしくて、最後のニヤってするシーンは凄かったジャニーズ出身で岡田の演技は抜きに出てると思う
そう、そんなシーンがダメってわけじゃないけど、あからさまに「俳優が演技している」感が出過ぎ頭悪い感じがする
いきなりさっきまで冷静だったのに、目をひん剥いてうわぁぁぁぁって凄い声を上げる表現ですよね。僕生きていてそんなおかしな人に出会った事ありませんw
勝新太郎の「腹が減ってる演技なんてしなくったっていいんだよ、腹が減ってる人間の撮影なら三日間飯食わないで来いよそれで充分なんだよ余計な演技なんかするなよ」この動画見て、なるほどって思った。
俳優がヘタなんじゃなくって、役者に演技をつける映画監督がヘタなんですよね。ヘタで過剰な演技に「OK」を出す監督が一番の問題ですね。
万引き家族で高評価された城桧吏くんが約束のネバーランドのレイ役では大根だったのも監督のせいかもしれませんね
監督ガチャってのもあるんだな
役者が監督の違いで演技が違うのを見るとまさにそうなんだろうなと思いますなので役者よりも監督の力量を批判するべきなんですよね
自分もそう思いました。監督の思っているのがオーバーリアクションを求めていただけでもし岡田さんのいうとおりのことしてNGを出す監督もいるんじゃないかと思うんです。限られた時間の映像で1度見でわかりやすくやるにはこうするしかなかったと監督が思っているだけではと。個人の趣味嗜好のバイアスがあると思いました
顔芸の応酬が日本映画
俳優の問題ではなくそれを管理する側が変わる必要があるって事ですね
邦画に限らず今のドラマは見てると恥ずかしくなる。ウルトラマンやウルトラセブンの方が古いし子供番組だし、なのに現代のドラマより渋くに見えるんだから本当にどうしようもない。
腑に落ちました~見る目のない私でも長い間謎だな~と感じてたのですが一気に視界が開けたというかなんというか声優さんの絵ナシのセリフ強要も嫌だな~と感じてた部分も初めて合点がいきました岡田先生流石です
日本の演技の世界では「演じること=テンション上げること」みたいな思い込みがあって、未だにそれを引き摺ってる場合が多いですね。小劇場あたりは今もそのオンパレード。ナチュラル=演技に非ず!から始まってます。昔の東映作品あたり、それがよく表れてます。で、いかにもカメラが回り始めたところからテンション上げました!というのが、バレてるんですよね。アメリカ人の場合、日常から声もでかくて、ボディランゲージも豊かなのに対して、日本人は声もか細く、表情も外に出さないからナチュラルでは表現に成りにくい!というハンデはわかるのだけど。いずれにせよ、テンションのためのテンション動機や必然性のないデフォルメを演技と思い込むのは、そろそろ卒業して欲しいですね。
ささささささささささささささささささささささ
邦画で突然泣いたり叫んだり見せられても熱演に置き去りにされる感が酷いなーと思ってた。この動画みて納得w
洋画だってそうじゃない?邦画限定なの?
@@ヤクルトファン-j9h 日本人ってそもそもあまりオーバーリアクションしないからフィクション性が高まりすぎて荒唐無稽に見えて皆萎えるんじゃないかな欧米人は素でリアクションや感情表現がでかいからあまり違和感ない
@@ヤクルトファン-j9h 洋画は主人公が突然大袈裟に泣き叫んだりすることはほとんどない
@@TK-un7jk なるほどねー確かにそうかも
@@さキー 俺は洋画はそういうイメージ強いんだけどな笑見てる作品の違いかな
100%同意。デーブスペクターも似た意見言ってたね。欧米でもアジアでも他国の映画見てしまうと、もう日本の役者のテレビ的な時代遅れな演技(を強要する空気?演出家?)って見るに耐えないんですよね。
正にそれ。
日本大好きのデーブに言われたらおしまいですやん。真理なんだろうけど。
演技の中でも空想力と表現力を分けて考えるっていうのがとても岡田さんらしい切り口で面白いなと思います。監督が徹底的に役を固められないから、それぞれの俳優思い思いのありきたりな演技が増えちゃうんでしょうね。
漫画はデフォルメされた表現ってのはすごく共感できますだからデフォルメされた表現やデザインをそのまま実写で再現しようとするから、漫画の実写化はほとんどが失敗してる気がします。実写化に必要なのは漫画そのままの再現では無く、その漫画に「デフォルメされる前があったと仮定して、それを映像化する」事なんじゃないかと思ってます
問題はデフォルメされた表現を変えたら厄介オタクくん達は発狂しちゃうんよ
「キャー!!」って悲鳴ひとつとってもリアルにするようになったのはここ15年ほどの間。テレビドラマなんかはいまだに「これドラマなんすよ」って言わんばかりの節回しでセリフ発してる。そりゃ他国のコンテンツに見劣りするって。
ベターコールソウルを見てからは日本ドラマは見れない。
めちゃくちゃ納得です!!!舞台を観に行くと「凄い」と思う俳優さん達が何故映画やドラマでは微妙になるのかずっと疑問でした。
演技力の問題もあるけど、表現方法=演出(ジャンル)の違いでしかない現代劇(TV)出来る人が舞台、映画、歌舞伎、コメディを必ずしも出来る訳じゃないそれぞれのジャンルにあった表現が必要ってだけ、でもそれを実現する為には地力である演技力も必須あとは演出側の愛と受け手側とのズレ(方向性)次第岡田さんは例えで、声優や歌手を挙げてるけど声優にも演技力、歌手にも歌唱力という地力は必須ただ上手いだけでは感動は与えられない表現力が加わるから感動を与えられるだから只上手いだけの人なら大勢いる
渡辺謙のことかな?
日本の俳優は「絶叫=良い演技」というトンデモ価値観で演技してるからね。仕方ない。
某劇団の研究生だった時に、個性派俳優として売れていた劇団の大先輩に「説明的な芝居はやめなさい」「顔で演技するんじゃない」と指導されたものです。ダスティ・ホフマン、アルパチーノ、マーロン・ブランド、マイケル・ケインやオリビエ…と並べれば、なるほどねっと。
@@住所不定-o9r 日本ってゴミすぎ😂そりゃ、韓国に負けるわけだわ。
「日本人は意外に無表情」という言葉にハッとした
確かに昔の日本映画全盛期の役者たちは今見ると酷く無表情で淡々した演技してますよね
日本語は、顔の筋肉をほとんど動かさずに話せてしまいますしね(そういう事ではないかも知れないですが)100年ぐらい前は、海外の人々からすれば、日本人とはなぜこんなに朗らかなのだろうという印象だったようですが(これも少しずれているかも知れないですね😅)
問題は日本人のリアルを追及するとマジで誰も観ないということ映画でもドラマでもその方向性は何度か試みられてるんだけどただの一度も成功していないんだよねもう日本人そのものに魅力がないから無理に派手にせざるを得ないと言うしかないのかもしれない
俺は、日本人の無表情は別にいいと思うんだよ。文化だから。むしろ、その些細で微細な表現で感情を読み取れるところが日本の文化なんだから、そこをリスペクトした演出をすべきだと思う。どうせ、今も海外から酷評いただいてるんだから、だったら、海外媚びしないで日本らしい情景のドラマを作った方が良いと思うんだよね。まぁ、彼らはビジネスドラマを作ってるわけで、人気の作品を作ろうとはあまり思ってないかもしれないけど。
@@ぽいずんわさび確かに海外媚びいらないよな内は内よそはよそだな
邦画のつまらないというか、見てて「またか」「もう つらい」「無駄な絶叫 泣き 叫び」というところを物の見事に言い当ててます。感動ポルノ、下手演技の壁まさにこれです。
黒澤監督も役者の能力を全くアテにしてなくて、疲れた演技をやらせるんじゃなくて本当に何時間も走らせて実際に疲労困憊にさせたり、弓道の達人集めて本物の矢を飛ばして恐怖する顔を撮影してたの思い出した。役者なんてのは所詮道具でしかないっていう、サイコっぽい監督の方が向いてる場合もあるのかもな。
黒澤監督は「影武者」の製作で素人や無名俳優を募集したように、俳優の演技に頼らず「映像の構成と演出」で全て成立させる自信と方向性を持った監督でしたね。それが映画というものの原点ですし。総合芸術として映像以外の様々な要素が膨らんでいった映画表現ですが、やはり力のある監督ほどまずは映像表現で作品を成立させる力を有してますね。北野武監督はその典型。黒澤監督から、今後の日本映画を背負って立つ、とまで評価されてました。
黒澤映画は真っ暗闇で誰が何をしているのか分からない状態でとても小さな声で早口でゴニョゴニョ モゴモゴ何を話しているのか全く分からないまま終わる作品しかなくてそれが代表的な日本映画だと持て囃されてから他の監督も 見やすさ、分りやすさを全て犠牲にした暗闇でゴニョゴニョ話したり めちゃくちゃ遠い絵の中で米粒くらいの俳優が30分くらい何かしているシーンを多用するようになってきた文化がありそれが嫌なのでほとんど見てない。そんなのが好きな人がいるんかね?暗闇が見える猫目と草食動物なみの聴力が無いと日本映画は無理だと思う。
NHKの『坂の上の雲』で。戦闘シーンで、「うわっ、ぅたれたぁ」というのを日本兵エキストラがやりたがるので。監督が頭を抱え込む有様だったらしい。子供時代にドリフターズのギャグで。時代劇で斬られると、「うわあ、うわあ」といつまでもあるというのが有って。邦画の下手くそ演技からなのか。
@@りんひろ-k4s 黒澤に限らずですが、ゴニョゴニョ何を言っているのか聞き取れない時はストレスが溜まります。一言一句聞き逃したくないタイプなので、いっそ字幕にしてくれないだろうかと思う時があります。最近、『羅生門』を観ましたが、前半は意味が分からずつまらなく思えました。後半に入り、「なるほど」と思いました。原作がそもそも名作であるゆえなのかもしれませんが、映画として面白かったです。最後の一行、とても面白いです。吹きましたw。
@@南風-h7x 分かります。例え5分だとしても自分の人生を物凄い浪費した感が半端ないんですよね。最近30年くらいは某芸人監督の影響により、『とりあえず意味もなく切りつけて血しぶきあげとけば良い』みたいな風潮もあり、無意味な残虐シーンを無理矢理挿入し日本映画はやっぱり血しぶきが上がらなきゃ!!みたいな脈絡もない子供に見せたくない残虐シーンを多用するのも嫌いです。
全ての責任は監督にある。脚本がダメなのも役者の演技がダメなのも全て監督がOKを出した結果だから。
なんか邦画あまり見たくない理由、言語化できなかったけどこの説明をきいてスッキリした。アニメ映画はすごくいいの作るのに邦画はなぜ残念になってしまうのか
るろ剣ファイナルの誕生秘話をみると同然。佐藤健も有村架純も全く演技力がなかったと感じた。
@@金玉袋パンパン 表現力に変えとけ
アニメ=声優も、邦画=俳優同様に、声優の空想力=演技力に頼ってるアニメ=リアルではないから、受け入れられるでも声優に初挑戦する俳優やジャニタレが批判されるのは、やはり演技力がないから演技力があれば、窪田正孝さんなど俳優でも高評価を受けるなので、そもそも演技力なんてものはない、というのは違うということ
アニメもやたら叫んだり大げさ演技するけど、何故かフィットしてるんだよな逆に役者が声優の声充てたら抑揚がない棒演技に聞こえる
キムタクは好きじゃないけどハウルやっている時は演技が自然でうまいと思う(過激派)
「映画は監督のもの」と度々聞きますが、やっぱり役者を生かすも殺すも監督なんだと思います。役者の演技が、監督が想い描く画に合わないと何度もやり直しさせられるし、役者の演技と真逆の表現を求めたりもします。極端な話し、映画は編集で変わったりもすると思います。例えば、予告編は良かったが実際に見たらつまらなかったとかもあります。これは、予告編を製作してる会社のセンスが良くて、良いとこを上手く切り抜いて編集したから。テレビのニュースや、切り抜き動画も編集次第で印象が変わったりもする。今回、岡田さんの好みに合わなくて本当に残念ですが、これまで國村さんの出演作を多数見ましたが、本当に上手な役者さんで、絶対大味な役者ではないんです。
その通りだと思います私は日本人の役者さんは世界でもトップレベルだと思っています 監督さんやプロデューサーが役者に何を求めているかなんです それを役者は表現するんです海外の役者さんが上手いと思っているじたいでなんか違うんですよね 地元での人気映画 人気はあって評価はされてますがハリウッド俳優さん達の演技はボロクソに評価されてますしね でも売れればいいですよ あちらでは…
役者が下手なんじゃないよ。演出が下手なんだよ。
いやいや役者は下手やで見る価値なし
シンゴジラで良かったのは普通の映画なら「やったー!かったー」って歓声や喜びあうシーンにしそうな作戦成功のシーンが静まって粛々とおわったところ
明る過ぎるか暗すぎるかじゃないのよね。「やっと終わった…」の安堵。仮面ライダークウガとかモロそれだった。というか視聴してる自分がだけど。
「やっと終わった」・・・でもこれからのことを考えると単純に喜んでられるか、という空気感。事実上、東京はもう使えないしね・・・
NGテイクではみんなオーバーリアクションしてたから庵野が注意してた人が沢山死んでてその反応はおかしくないですか?って
スゴい納得!ダメなノベルも基本コレと一緒ですね。無表情の演技から読者が読み取る……その通りです。素晴らしい👏ここ数年のモヤモヤ感がスッキリしました。ありがとうございます。
ずっと感じてたことを知識と根拠を交えて完璧に言語化してくれるの、気持ち良すぎる
岡田さん、凄い!
マジで同意です!!!日本人は元々フラットな表情なのが当たり前で、ハリウッドみたいなドラマが起こり得ない状況なのに無理にドラマにしなければならないから演技が信じられないほど学芸会になってしまうんだと思う。だからハリウッドや韓国映画は元がドラマチックな、というか大袈裟な人ばかりの社会におけるドラマは、ドラマチックでもまったく不自然ではなくリアリティーを持ってくる。日本人だって感情がない訳ではなくもちろん日々色々明るんだけど、別の角度からの演出が必要だとずっと思ってました。平坦な表情の仮面を被らなければならない世間体とか、その裏にある渦巻くドス黒い感情とかを表現するとか。日本の映画とドラマはとにかく酷すぎてもう何十年も観ていない。NHKの夜10時のやつはたまに面白い。朝ドラも大河ドラマも酷すぎて一分も観ていられない。
ああ、なぜ自分が日本のドラマや映画が好きではないのか、岡田さんの説明で分かったような気がしました。
NHKのドラマを家族が流してるんだけど、演者みんな「ただ叫べばいいと思ってんのか?」と思うくらい張り叫ぶ声がやかましくて、演技とは言えないシロモノだったあれを10分も見たいとは思わない
丹波哲郎は、「私は役作りというものは一切しない。私にオファーが来た時点で、その役は私に合っている人物だからだ」というようなことを言ってますね。役者にとっても、「リアルな人物像」というのは、「自分」でしかない訳で、その枠組の中で「表現」をしていくのが、「演技」なんだと思うんだけど。
007でも撮影直前まで台本読まなかったとか。英語のセリフなのに・・
丹波哲郎は英語も大得意ですからね。大学は法学部英法科、終戦後は、GHQで通訳のアルバイトをしていたといいますし、007以前にも海外の映画には何本か出演しています。
そんなプライドが、あるから、昔はみんな棒読みになる
最近の俳優の印象を、岡田さんに全部言ってもらえて気分が、すっきりしました。
最近?昭和から平成初期ってイメージですが
作文みたいな詞の楽曲も一時期増えていましたしね。
『ガラスの仮面』のなかで高校生の北島マヤが演劇部員に「通行人をやって」と言われ、通行人のキャラ設定をしつこく訊く場面を思い出したわぁ
舞台役者はオーバーリアクション特に藤原竜也は舞台っぽいし、独り言も誰と話ているんだっていうくらい声がでかい。
どぉぉしてだよおぉ!俺は好きやであのオーバー演技。
藤原竜也さんの映画を全て見ているわけではないが、イカれた奴の役が多いから、オーバーリアクションが正解なのかもしれない。
@@fatahjerusalem2513大河での沖田総司もかなり危うさを感じさせましたしね........
そうでなくては何をしてるか話してるか、後ろの席とかに伝わりませんからね
アニメの実写映画が痛く感じるのもそう言う理由か、いやはや、この不自然さを分かりやすく説明出来るとは凄いな〜
日本にも小津安二郎や溝口健二や成瀬巳喜男といった映画監督がいました。 彼らの活躍していた全盛時代の日本映画を観ると岡田さんの言ってることが理解できます。
日常的にあまり出会わない外国の話だと、「向こうはこういう大袈裟な仕草をするのかな、」って勝手に納得しちゃうけど、実際に住んでる日本だと、「なんかわざとらしいな、」って思っちゃうんだよね、
外国人が手振りを大きくして表情豊かに喋ってるのは日常でもやってるから違和感ないんだよ。それと同じことを日本人が真似してやるからおかしく見える。「そんな話し方しねーよ」ってなるスティーブ・ジョブズが講演でステージに上ってあちこち動き回りながら話すのが受けて世界中でそれを真似してるけど、やっぱり日本人がやっても滑稽に映る。トヨタの社長とか
それあるよね。あと、日本人の俳優は普段のイメージとか出来上がってるから、違うことすると違和感感じる。外国の俳優は知らないからフラットな目で観れる。
@@tyororin6103 ただの海外コンプで草
@@shineTH-cam160 は?何言ってんだコイツ?外国人はジェスチャーが大きいってだけの話で、良し悪しは関係ねーよ。お前の周りにあんな芝居じみた話し方するやついんのかよ?あのよく見るプレゼンだって明らかにジョブズのマネだろ海外コンプっていうならそいつらに言えよハゲ
邦画に対する謎の嫌悪感と言うか、言語化しづらい”何か”を見事に説明できていて脳がスパークしたような感覚。。。。これだったんだ!
声優さんのくだり、コスプレのくだり、この人的確に指摘してくれるな。なんだろ、本当に岡田さんがわかってくれてて救われる。
以前から邦画やドラマの多くは、見た瞬間に目をそむけたくなるようなク〇演技に満ちているのを感じていましたが、きちんと言葉にして下さっているのを聞いて、強く共感しました。
岡田さん凄い!プロの中のプロ!
演技してる役者を演技してるよな
岡田さんとはほぼ同世代で同じ時代の映画や漫画やテレビを見て育ったのでとても納得の回でした。年寄りは直ぐかつての日本映画は良かったとか言いますがそれはそれなりに良い映画を観て育ったからで言葉では言えないけど肌で感じてしまっているから違和感を感じてしまっているのだと思いますね。黒澤明などは役者を追い込んで追い込んでさらに追い込んで演技ではなく自然に出てくるまで練習させたといいます。その場しのぎの演技を絶対にさせない徹底ぶりがあのような感情を揺さぶる作品として残っている証だと思います。今の時代には通用しないやり方ですね。😰役者もそうですが監督も育っていないと言う事ですね。黒澤明がこれからの映画産業の行く末を危惧していた通りの結果になってしまいましたね。そして昔の様に映画を作る事は時代的に無理なのでしょうね、監督の横暴がパワハラと言われ訴えられる時代ですからね。今までの映画の作り方では無理なのは分かりますが庵野秀明はそれを理解した上で巧みにどうすれば面白くなるかを考えて演出や監督した稀な存在だと思いますね。岡田さん言語化して頂きありがとうございます。🙇♂️
スッキリした〜!長年日本映画やドラマを見てきて、特に時代が近くなればなるほど役者の演技に違和感を覚えて見る気がしなくなるのはなぜなんだろうと思っていた。そして確かに良さそうな役者さんはみんな演劇の方に行ってしまって、言われてみれば演劇はそんなに違和感を感じないで見ることができできることに今更ながら気付かされました。岡田さんのお話でよーくわかりました。そう、会議の中であんなにオーバーアクションというか、表情豊かに言葉に抑揚つけて話すやつなんて見たことない。なるほどです。実相寺さんの才能というか、感性にも脱帽。そんな方の作品を子どもの頃に見ていた私は幸せものだと感じました。そして同じようなセンスを持ち合わせていた山崎監督にゴジラをやっとゴジラとして撮ってもらえて、これもまた幸せでした。感動の薄れつつあったこの歳になって久々に雷に打たれるような衝撃を受けました。
岡田さんと同年代ですが昭和の後半から日本の映画産業衰退とともに質も低下したままだと思います。アマプラで1950ー60年代の映画見たほうがずっとマシだと思っています。自分がなぜ現代の映画より昔の映画が面白く思えてしまうのか岡田さんの解説にヒントがある気がします。今振り返ると角川映画が悪い気がします。大したことない映画をしつこい宣伝と入場券の押し売りタイアップ商品で興行的に黒字にするやり方が日本映画の質を貶めたと思います。
なんの映画か忘れたけど、オーバーアクションの代表みたいな香川照之が抑えた演技をしてる映画があって、「こういうのもできる人なんだ」って思った。でも流行るのは「大和田常務」ということは、自然な演技なんてのを求めてるのは日本では少数派で、世間も制作現場もそんなのは求めてないんだろうな。
「ゆれる」の演技はよかったです
「観客の質」というのは確実にあると思います。「大袈裟にするのが演技」という思い込みが客の側にも一定数ありますね。役者の側もそこからスタートしがち。そして、それを修正できない監督との相互作用・・・。
そうそうだから日本人の言う演技が上手いの定義がよく分からんのよw 香川照之とか山田孝之が上手いってなるなら自然体を求めるハリウッドの演技なんかは日本人からすれば下手なんだけどね、米国の役者は上手い人多いとか韓国の役者はみんな上手いとかって言う人のほとんどは単に外国語だから上手い下手の判断が出来なくて上手いって言ってるだけだと思うw
@@チョロ-y6o 字幕で見て吹き替えバカにしてるやつの9割は言語理解してないから演技力がどうとか一切わかってないと思うわ
「半沢直樹」の素晴らしい点は、殆どのキャラがオーバーリアクションで成り立っているから違和感だらけで、平成令和の日本とは思えない世界観を作り上げているところ。
フランス映画なんかを観てると、会話が静かな割に演者さんの動きや表情に引き込まれる感じがします。邦画でも昔のものだとそんな感じのものもありますが…素敵な俳優さんも出ていて、せっかくお金をかけているのだから、表現物として質の高いものを作ってほしいなと思います。
今の映画でも大作系ではなく、是枝作品など小さな作品だといい演技も多いですよ
すっごく面白いし、なるほどなぁと思いました。聞いていて思ったのは小津安二郎監督は役者が表現しよう、爪痕残そう、みんなを自分の演技力で食ってやろう、場面をさらってやろう、という役者が何かをしようとするのを一番嫌った。なぜならそれが一番嘘だから。生活の中にないものだから。だから小津の映画ってセリフは棒読みだし、表情も無表情に近い。黒澤明が1シーンを複数キャメラで、しかも望遠で撮る。望遠だからってロングとは限らない。アップだったりする。すると役者はどこからどう撮られているかわからなくなるから真剣になるし全身で演技をする。キャメラを意識しないようにそういう手法をとったという、それと通じる部分があるのかなぁ・・・・とっても楽しく、またためになりました
是枝裕和監督の作品は演技させてない感じがあります。おっしゃる芝居を樹木希林はできる高度な人だから彼は映画に毎回呼んでたのかなと思いました。
邦画がコメディータッチの作品が多いのは演技過剰な役者ばかりでも成立するからなのかなと思いました
役者とドラマが連結してるのがなんか悪影響な気もしますね。そこをしっかり切り離したら、ドラマ特有のリアルな表現も舞台と比べられることなくしっかり評価されるようになるのでは?
國村さんはアウトレイジでメチャクチャ嫌な奴の演技が面白かったな~スパゲッティを音立ててズルズル食うのがゲスな人間性を表現していたよ
リーガルハイで大森南朋が絶叫してるの見て、演技が下手だなと思った事は間違いでは無かった。あんなの違和感しかない。
なるほどですね。能面の話は納得です。能面が一見無表情のうように見えるのは、役者のしぐさ、物語の流れの中で観客が喜怒哀楽を感じ取るためだ、みたいな話を聞いたことがある。
素晴らしい講話でした。その通りだと思います。それが真理であり、節理だと思います。私も近年のドラマとか映画は、演技が鼻について、見なくなってしまいました。昔の映画ばかりです。自分ではその違いを言葉には出来ず、感覚的に感じていただけですが、岡田さんがそれを言葉にしてくれました。全くその通りだと思います。仕事は何でもそうですよね。 役割りをしかりと受け止めて、それぞれが役割りの中で徹底したレベルを高める。だから、結果が素晴らしい。それしかありませんよね。そうすると、近年は、多くの分野で、それが崩れているのではないかと思います。
翔んで埼玉とかなら見られるのもわかる、半沢直樹とか頭の悪い絶叫をするとむしろプラスになる独特のサラリーマン世界を構築できたから成功できたんだな
すっげー分かるこの話。多くの役者が大袈裟なんだよな。演技じゃなくて演劇を映像でやっちゃうって事か
多くの役者というか作品によりけりこの作品では大げさだけど、他の作品では上手いなんてことはよくある
@@df_5565 制作側の問題よな
@@kykt_8526そうとも言い切れないなぁそれならば、一般人がやっても変わらんからね
まさに私が邦画を見ない理由が役者の演技がクサいことです。熱演が有っても名演技がない。
そうそう、大好きな國村隼を取り上げてくれて首が折れそうなくらい頷いちゃったんだけど、シンゴジ、アウトレイジ、全裸監督の國村隼とFWの國村隼の落差の理由がよくわかった。
ドラマの日本沈没にも出てたけど、あの日曜劇場枠は半沢以降、顔芸や叫びまくる演技が定番になってたけど、この時の國村隼だけ朴訥とした演技で良かったわ
國村隼さんはDr.コトーの演技も素晴らしかった本当にどこにでもいそうな親思いの息子の演技が自然で感動したな
國村隼自体は多分いい役者なのに監督が上手く演出できないと作品によってはクソに見えるのがかわいそうですね
@@df_5565 その最もたるものがハリウッド作品の「ミッドウェー」
これ俳優から監督まで業界に携わってる人みんなに感想聞きたいわ
近年のジブリの声優起用に批判が多いのもそれですよね。デフォルメされた画にはデフォルメされた声が合うんですよ。デフォルメされた画なのに声だけリアルにしようとするから違和感が生まれる。
上手い役者は舞台に行くっていってるけどドラマで叫んでるのが舞台経験者という現実が辛すぎる
舞台では上手くても結局突貫工事のドラマや映画では全くうまくいかない。なので実際は小銭稼ぎにドラマや映画は出る事もあるのだけれど、マインド的には舞台を主戦場として据えているって事でしょうかね。古田新太さんなんかは舞台やりたくて映画出てるとか言ってましたし。
舞台出身役者が多いから、オーバーアクションになる。舞台出身役者が、困惑するのはTVや映画は音響をいいので、声張らなくていいし、劇場じゃないのでオーバーアクションしなくてもいいのに無駄に動いて怒られると言っていた。石原さとみはどのドラマや映画も早口演技なので下手だと思った。
上手い役者が舞台にいくことの本質は、ドラマで俳優に期待する間違った上手さが演劇の正しい上手さと合致するからだと個人的に考えています。そのような意見も作者が捕まり連載が止まった漫画「アクタージュ」から。是非、読んで見てください。
岡田さんに合わせると短い期間でも高評価を得られる役者(塚本明)ってのは、そもそも演技力があるからであって舞台=長い準備期間がないと高評価を得られないのなら、演技力がないってことTVドラマ、時代劇、コメディ、映画、演劇、ミュージカル、歌舞伎など、それぞれのジャンルに合った表現力“も”必要ってこと演技力があった上での表現力それは声優も同じ歌手の場合は、演技力の代わりに歌唱力になるただカラオケ上手いだけの人が売れないのはその為
岡田さんが上手いっていってる柄本明だって自分の劇団もってるくらいの舞台役者なんですよ。演劇やってるからとかでなく、映画にはそれぞれの映画の中で誇張表現をどこまでするかというその映画ごとのルールがあって監督がそれを決めているんです。シンゴジラの場合庵野監督は全くそれをしなかったから石原さとみだけ浮いてしまったんです。石原さとみは会議のシーンには登場しないので、作品の誇張表現具合がわからなかったし、庵野監督もそれを教えなかった。実際石原さとみはインタビューで庵野監督に何度もそこを尋ねたけど監督は好きに思ったようにやってとしか言わなかったといってます。
邦画はもう死んでるよね。心配なのはアニメも。声優が萌え声とかイケボ重視で自然な表現がダメになっていきそう。
元から
アニメは、過剰な方が自然に感じる
男性声優はまだしも若手の女性声優に特徴のある声のある人消えたと思うわ。今の声優業界にベテランの野沢雅子や大山のぶ代みたいな声優が生まれるとは思えない
007なんかを見るとわかるけど脚本が緻密に組まれています。笑わせるところや、休むところ、エッチなところ、そういうのが出現するタイミングが計画的になってる。残念ながら日本の映画はだめ。「意味ありげに作ったから好きなように感じてくれ」っていう投げやりなところもあるのでまずは脚本家をなんとかしないと。。。
声優やコスプレがイタい話、「浮く」という言葉がいかにしっくりくるか納得できた
日本映画の演技が変っていう映画好きの人間は、業界にもめちゃくちゃいるけどね。じゃあなんで日本映画が変わらないかって商業的な理由が大半だよ。インディー映画は余計な口出しが無い分良作増えてる。
コメント見てて賛否あるみたいですけど言いにくい事を思い切って、よく言って下さいました。すごく腑に落ちる鋭い指摘だと思います。
😮
なんかの作戦が成功して指令室みたいなところで大勢の人が書類を投げ散らかしながら大騒ぎして喜ぶシーンが観ていて恥ずかしくなっていたたまれない気分になる
アメリカ人の真似だからなあ日本人はああいう喜びかたしないでしょうに
確かに普段の日本人の特徴をとらえてないと、リアルに見えないから演技力ないように感じるよな…動画内で言ってたように無表情かつ現実感ある演技が"映画"には必要だよね
映画の役割はその国の文化を世界へ知らしめることだと言う人がいて、なるほどと納得した。日本人の普通の日常を映画で表現できるように映画界の自浄活動が広まれば良いですね。月が綺麗ですねで通じる粋な文化があるのに。
@@後白河上皇-b3k ね?そーゆー作品は海外でも好評だしね。昔の侍映画なんかは変に演劇っぽくなくて日本人としての人間味があったから海外受けも良かったみたいだし
落語家が声を小さくしていって集中力を上げさせてバン大きい声を出すっていうのはすごく納得いった
舞台もこの点は変わりませんが、監督ばこう演じて欲しい゙と「結果の部分」を要求するだけでそこに至る経過、役者に必要とされる演技を構築する作業については無知な場合が殆どと思えます。この点、欧米の監督との大きな差、演技の技術についての知識の普及率に雲泥の差があるのは間違いありません。日本の監督は、AD修行から始まり、ある種「年功序列的な経緯」で「技術的なこと」をマスターすれば監督に至る場合が多く、そこに演技の知識は求められていないように思えます。そうした監督の場合、役者が「結果の部分」だけをそれらしく、いかにも、という表現で提示すれば、おそらくOKが出てしまうのでしょう。邦画を見ているとそうとしか思えない場面が非常に多いです。時間がない、ということもあるでしょうが、それ以上に、結果の部分だけを提示した役者の「内面がどう動いているか」を読みとれない監督の方が多いことも大きな要因でしょう。役の心情よりも、役者の「こう演じてみせよう!」という自意識(エゴ)があからさまな演技があまりにも多い。洋画の場合は、無表情でいても何もしていないわけではなく、*役の人物として内面が激しく動いています*そういう演技が古くから普及し、その「訓練法」が確立しています。無表情でことさら大声を出さずとも否応なくその感情が伝わってくるのは、映像技術によって達成される場合もありますが、欧米の俳優は、作った表情や身振り手振りに頼らず、強力な内面のパワーを滲み出す能力を有してます。日本の演技の世界では、そういう演技の獲得法、訓練法が全く普及しておらず、未だに「先人の技を見て盗め!」という抽象的にして職人気質の世界観で支配されています。勿論、それで大成する俳優も存在しますが、それは本人の稀な才能によるものであり、それを導くシステムは存在しません。訓練法が確立、普及している欧米とは雲泥の平均値の違いとなっています。洋画と邦画の演技の差・・・以上によるところ大と見ています。
もう金かけて大作作んなくていいからさ時間かけて満足に準備できるようにしてくれ
演技力と表現力の違いは本当に大切だと思う。表現すべき物を勝手に想像するなど役者の傲慢もいい所で、よほどの人生経験を積んで酸いも甘い全て経験し、役者としてのキャリアも長い人間でも、それが許されるのはごく一部だろうなと思う。そういう人の演技は原作者や監督が上手く言語化できなかった「表現して欲しいもの」を表現するなんて事も可能だったりするが、残念ながらこの辺は監督や原作者の能力との相対比較の中で起こる結果でしかなく、監督や原作者の程度が低いと低次元と言う形でそういう現象が起こったりもする。多分邦画は役者が下手くそなのは当たり前として、それ以前に監督の能力がショボいのが諸悪の根源なのかなと思ってる。
これには完全同意。小さい頃からオーバーアクションな演技に違和感があって、だからか知らないが日本のドラマとか観る気がしなくてホントに一切観なかった。イタイ演技を観させられるのは本当に苦痛なんですよ。あとアクションシーンというか喧嘩のシーンで殴った後にへっぴり腰で、間寛平のおじいちゃん演技みたいに数センチずつチョコチョコ歩くの何で?!その時の表情が、ひょっとこみたいな表情なのは何で?ホントに違和感しかないんだよなあ。
村上春樹さんは読んだ事ないけど、ドライブマイカーは見てみたいと思ったわ😓あまり「派手な演技」という印象じゃないけど、どうなんでしょう😓映画やアニメじゃなくゲームだけど、ゴーストオブツシマ好きなんですよ😄プロデューサーのブライアン・フレミングは黒澤明を参考にしたと言ってましたが、プログラマーのクリス・ジマーマンが「侍の戦いはこれまで作ってきた作品と比べて我慢できないほど動かない、しかし『静止する』という動作を加えたら驚くほど侍らしくなった」と話していたのが印象的でした😌
ドライブマイカーも無感情で本読みやってたらしい
@@alist6667 トレイラーの印象だけですが、分かる気がする😌
ドライブマイカーはみんな良い演技でしたよ
@@テニホハ 返信ありがとうございます😃見てみたいです☺
ずーと、思ってたけど、説明できなたかったものを見事に説明してくれましたね。やっぱ、斗司夫ちゃん凄いわ。
相変わらず洞察力・説得力が半端ない。ボクのような凡人にはぼんやり感じることしかできてないものが、この人には一瞬一瞬絵に描けるほど明確なのだ。
めっちゃわかる!
草
あなたも俺が思っていても上手く説明できないことを文字にしてくれました
岡田さん、凄い
@@ああ-r9i8i 確かに、岡田さん凄い!鋭い!
これで北野武の映画にリアリティを感じる理由がわかりました!
演技をしたら怒るね 取り直しもしないとか 演技に納得出来なくて取り直しを要求した役者に怒ってた
あのう、日本人の「演技観」全体に由来する話なので・・・歌舞伎とか「見得(みえ)」とかね・・・ラブコメとかオタクとかカワイイとかアイドルとかね。いわゆる「いまどきの声優さん」とかね。西洋的な演劇観とはまた別の世界なんですよ。この独自の世界観で今じゃ「萌えー」とか言いますし(もう古いのか?)、100年くらい前だとゴッホさんとかね「日本の文化はなんて独特で面白いんだ!!」とかね。当の日本人からすると「西洋と比べて、こうこうダメだ」、と、必ず言いたくなるんですけど、ようは、何と比較するか? なんですよ。自分が面白いと思うかどうかを、(西洋人をはじめ)他人に決めていただく必要は無くて、日本人が日本人だけのために「面白い」と用意したものを、上記のゴッホさんとかは勝手にほめてくれてる訳です。べつにゴッホさんに認めて欲しかったわけじゃないんです。ここが大事な点です。最初から、あちらの方に面白がっていただきたい、自分(日本人)が面白いかは二の次で良い、というならまた話は別ですが。とまあ、そういった視点も大事だと思いますよ。
誰かが言ってたけど邦画は演技じゃなく演劇をやっているとも言ってたな頭の中ではわかってるんだけどうまく表現できない事を言語化する能力は本当にうまいな斗司夫は日本アカデミー賞とか薄ら寒いし、酒が入ると演技論を熱く語る役者とかくさすぎる構造的にも今後日本映画界が伸びることはないと思ってる
構造的に・・・まず政治家が利権を追うばかりで芸術に無関心ですね。フランスなどではオーケストラの指揮をするような政治家もいるとか。イタリアでフェリーニが国葬されたのに対して、晩年の黒澤明は作品の製作費すら集まらず・・・本来なら国宝と言っていい監督でさえこの有り様。ましてや・・・ですね。韓国映画の隆盛も国が相当予算を組んでいると聞きました。
お話を聞いていましたか?映画についてのは演技がってことで舞台では凄い演技が悪いのではなくて、映画の作り方が悪いって話ですよいや、もしかして最後まで視聴してないのでしょうか
@@白黒-w4j 映画なのに舞台みたいな「演劇」やらせてるから邦画はダメという事でしょう。二人とも指摘している問題点は同じと思いますよ。
@@白黒-w4j 90年代に「静かな演劇」ムーブメントが起こるまでは、演劇界も岡田さん言う所の『クソ演技』が主流だったんで、コメ主の言ってる事は間違ってはいない。というか主張の内容自体は岡田さんと同じかと。
@@B4StudioJP さん前半だけ聞くとそうなんですけどね後半で反省している内容からは違う意味になるんですよなので、話聞いていましたか?(最後まで見ようよ)になるのです
昭和の映画俳優が演技がうまいのってセット周りのモノを充実させてたり、実体験に近かったりするから演技がうまくなりやすい?映画もそうだけど、アニメも手短に作るようになってきてるから、ここから先つらい気がする
要するに、日本には金が無いのかもね。
想像力と空想力かめちゃめちゃ説明がうまいな〜
動画でも指摘されてるけどエキストラからして過剰演技だからね一人一人が目立とうとしすぎで全体としての調和がとれてない。洋画に比べるとアマチュア感が凄まじくて見てるこっちが恥ずかしくなってくる
なぜ「ドライブマイカー」が日本映画として異質なのかの答えだと思う
ここで言う「下手」というのは「様式化」された演技が、演技として伝達を目的としていない「現実」の模写とは異なることを指しています。日本の演技にはいわゆる西洋演劇の「リアリズム」はなく、誇張を特性としています。それには長い歴史があります。例えば、「歌舞伎」「能・狂言」「落語」などからの日本の芸能の「様式美」の蓄積によるものです。漫画・アニメも日本特有の誇張の様式美を守ってきましたが、このカルチャーは優劣とは質の異なる議論なのですが、西洋演劇に曝されてきた我々の中にはその差異を深刻なものと自覚し始める人もいるかもしれません。
スタイルの違いに優劣をつけるのは確かに違いますね。優劣がつくとしたら・・・その様式的な演技が、形だけのものに終わってしまっているか?しっかりと、歌舞伎で言うところの「お腹の中」が埋まっているかどうか?そこかと。「下手!」と言われてしまうのは様式性を残しているから、という以上に、お腹の中、内面が埋まっておらず、身振り手振りや表情の大きさだけに頼ろうとしている場合が殆どかと思います。様式的な演技であっても、内面から漂うものにウソがなく、充実しているなら、観客は納得するでしょうね(そうでない人もいるかもしれませんが)。バレエなど、様式の極みの世界でも、一流の踊り手は演じる役の心情をヒシヒシと伝えますが、それが全くなくて振りだけの踊り手もいます。様式性の強い日本の演技においても、個々の役者でその力量の差は存在し、やはり、観客からヘタ!と言われてしまう時は形だけで終わっていることによる場合が多いのではないか?と思いますが、いかがでしょうか?西洋伝来のリアリズムを目指し始めて、すでに100年?近くは経っているはずですが、なかなか脱却はしませんね。それが意図しての様式性ならひとつの表現ですが、リアリズムを目的としているのに様式的、悪く言えば゙紋切り型゙になってしまうケースも多々あると思われ、それどころか、その区別、認識さえない状態で中途半端な演技を製造しているのも多いですね。私は、リアリズムであれ、様式であれ、役者の内側がどうなっているか次第で楽しめるか、帰りたくなるが大きく左右されます。いかにナチュラルな自然体の演技風でいても、内側がカラッポ!というのもあるし(でもこれに騙されて、一見ナチュラルというだけで評価してしまう人も!)、いずれにせよ、演技の質は・・・外側だけでは決まらない、そう確信しています。
黒澤明は役者が演技してるうちは絶対OK出さなかったって聞いたことある
演技指導の際、役者さんに与える前提データが薄すぎるというのはなんか納得しました。そんな指導しかできなくなっている映画作りの体制が続く限り、良い監督さんは育ちようがないでしょうね。しかしそんな中ですら岡田さんにうまいと言わせる柄本明さんの凄さ。
演技力っていうか、演出とかカメラアングルとか、照明?とかが何か素人がやったみたいな感じだなと思ってました。ドラマとかでも、画が立体的じゃ無いというか、舞台みたいに平面で切り取ってるみたいな。カット割りが少ないのも、お金が無いから仕方が無いからかもだけど。あと、陰がある画が個人的に好きなんですが、特にドラマはとにかく全体的に明るすぎて、専門用語分からないけど、全部ピントが合ってて、つまらないというか。私自身ただの視聴者だから、好き放題言っちゃいますがね。
照明もホント糞だな。蛍光灯の下で撮ってんのか?って思うぐらい陰影がない
実相寺監督の作品は役者の衣裳は役者任せでしたね。だから個性的でその人らしさが出てるなと思いました。國村隼さんは香港でチョウ・ユンファの映画でジョン・ウー仕込みの敵役やってたので実はアクションが上手くて、セリフ無しでも印象に残る芝居も得意です。彼の演技の幅が日本だと狭くていいセリフを言わせようとするばかりで残念だなと。声がいいからわかるけど、体で表現する國村隼さんもたまには観たいな。
邦画「私をスキーに連れてって」を何度も何度も見ています。かがみあきら始め、当時のオタク全ての羨望の的、原田知世が一番「女の子」の可愛らしい演技してたので。「今年も、よろしくお願いします!」ってペコッとロングヘアーを垂らすシーン。あれに匹敵する少女漫画アニメは「ななついろドロップス」くらいか。原田知世にあんな素晴らしい演技をさせたオタク馬場康夫さんに、大感謝です。
日本ですごい演技っていうと泣く、怒る、キレるで評価されるよね。演技で涙を出せるかとか。だから暗い作品ばかりが評価されるのかな。
本当は上手い役者を正しく使えていない映画監督が全部悪いってことだよね。でも日本の実写映画って役者の演技力以前に、とにかく面白くない。眠くなる。
面白かった!すごく良くわかりました。日本の映像ドラマが見るに堪えないのはそういうことだったんですね。岡田さんの「ブレードランナー」の解説で、主演のハリソン・フォードが監督のリドリー・スコットがCM畑出身だと知った時「あ、コイツ俺の演技になんにも期待してないな!」と見抜いて、無茶苦茶不機嫌になったのと同じことだったんですね。
個人的にザ世界仰天ニュースの実際日本で起きた事件の再現VTRがかなりリアル感が出てて好きです。役者も決まりきった有名俳優さんではなく普通の一般人に見える無名役者さんなのと大袈裟な演技が少なく連ドラなんかより日本人に近く再現してる。
めっちゃ分かります。他にもアンビリーバボーの再現ドラマの役者さんもリアリティーがあって良いですよね。
水曜日のダウンタウンでの仕込みの役者さん(だまし役)が皆うまいチャラいディレクターやアブナイおじさんとかを演じた人たち、どこかでブレイクしないかな〜
ずーっと日本のドラマ、邦画見るのが嫌だったけど理由がわかった気がする。日本人の演技って表現力を身につけた上でどこまで自分のなかに自然に凝縮することが出来るかが重要なのかな…。
米国の「ER」を見るととても自然に役を演じているが、日本の医療ドラマはなにか空しい。俳優がどうというより、病院での物語のはずなのに患者なしで物語が進んでいる感じがする。
ERファーストシーズンは最高の医療ドラマだと思います。日本の医療ドラマは全部余計に格好つけてしまってるんですよね…。本当の格好良さは淡々と現場を表現したERが正解。
石原さとみがダメなんじゃなくて石原さとみにあんな演技をさせた庵野監督の演出力のなさなんだよね。実際石原さとみが庵野監督とコミニュケーションとろうとしてもとりあわず、どういったキャラクターを求めてるのか全く分からなかったといってた。少なくとも石原さとみと一緒に映画を作り上げようという気はなかったんだろうな。
追い詰められたシーンなどで絶叫する演技して名演技名演技と持て囃す観客側にも否があると思う どの俳優かは言わんけど
監督や演出家の問題も…昔の時代劇俳優で今の大御所でも昔の演技の方が良いですし。あと昭和末期頃にどの番組で誰が言ったのか忘れたけど、「TVにはTVの演技、映画には映画の演技、舞台には舞台の演技がある」、舞台は全身を映し、映画はバストアップを映し、TVドラマはフェイスアップを映すのだからそれに合わせた演技をしなければならいッて話だった。殆どTV見て無いけど偶に(昼の食堂とかでニュースに出る一場面とか)見るとすべての俳優さんが舞台の演技をしてるように見えますねぇ
邦画は観ないけど舞台演劇は好きでよく観ますこの説明を聞いて、なんか納得しちゃいました
ほんとに日本の役者って大根だと思ってたけど、そういう分析かあ。具体的というか役者に想像を働かせる余地がないレベルまで教え込むというのが対策というなら、映画界に宮崎駿みたいな人がいたらすごくいい感じになるのかも
絶叫演技は長年、日本人に積もり積もった劇画漫画の影響も大きい気がするんですよねぇ。
アニメファンの中には「宮崎駿は声優を娼婦だとバカにした!」と思い込んでいる人がいるみたいですけど「日本の俳優はみんな男は兵士・女は娼婦」というのは戦前から言われている決まり文句なんですよね。日常の中で相手を意識した「演技」をしつけている外国人は、俳優も「日常の自然な演技」をスッとこなせるけれど、演技をしつけていない日本人はいざ「芝居」をするとなると、非日常的な怒鳴り、大げさな驚き、わざとらしい媚びといった大芝居になってしまう。ところがそうした大仰で不自然な態度を日常的にとる職業があって、男は部下の目を意識して不自然な怒鳴り声を上げ続けている兵隊、女は大げさな媚び演技をなりわいにしている娼婦。この二つだけは日本人の「不自然で非日常的な日常演技」にぴったりで「日本の俳優はなにをやらせても兵隊と娼婦になる」というのは戦前からの日本映画人の慨嘆だったのです。宮崎駿らはそれをふまえた話をしていたのだし、そうした傾向は今でも邦画の予告編が 「大げさな涙と絶叫演技ばかり」という形でよく話題に出てきてしまうわけで。思えばマーベルやDC映画など派手目の大作の予告編でもあちらの俳優は静かに日常演技をしているシーンが印象的です。
本当に邦画の演技は嘘くさくて回りくどくて好きになれない。実写ヤマトなんか最悪レベル。シンゴジは確かに役者の自分らしさが抑えられてストーリーに集中して見れたと思う。
それって自分が日本人だからだろ。日本人だから日本人の演技が嘘くさく見える。海外だって別に同じだと思うよ。
まるで労働者に多くを求める経営層と忖度して色々やってる労働者という日本社会そのままのような…
「役者の演技が下手」
激しく同意です。
邦画を見る気がしなくなる理由はそれ(特にドラマ)。
演技が不自然なので、白けてくる。
すごい分かります。
人前で声を上げて泣いたり、地団駄を踏んだり、情緒不安定か? と。
やっぱり、ドラマに向かないストーリーをそのまま使ったり、不自然な動きを俳優にさせる監督がよくないんじゃないかな。
あとスポンサーもか。
分かります。ドラマは特に見る気がしません。CM見てても大体が絶叫系で目をひこうとする演出が多くて興味より先に白けてしまいます。
平成以降、役者がショボ過ぎる まあ見る気が全く起きない
@@apartment-nq4wt 今のドラマの演技、何が良いのか分からないから、自分は時代においてかれたと思うようにしてる。
「いやぁぁぁー!!」とかキャハハハとか、やたら大きかったりね🤔
俳優が頭を抱えて「ウァアアアアアアアー!」と絶叫するシーンが最近多すぎる。演技力の欠如だけでなく、演出力も無いから絶叫するシーンを短絡的に入れたがるのだと思う。
最近多すぎるって
いつと比べてどのくらい増えたんですか?
最近というか平成後半辺りの邦画もそんな感じ
マジで違和感しか無いんだよ邦画って
なんかいきなり走り出して「うわああああ」って言ったり
変な間があって、これ必要?ってのがある
米映画って極力無駄な事省いて、見てる観客にわかりやすく演技してるのが良いんだよ
でも、最近の米ドラマ映画は引き伸ばしやら主要人物が4ぬやらコロコロ人格が変わるのは見ていて苛つく
邦画で近年良かったのは永遠の0かな
岡田の演技が素晴らしくて、最後のニヤってするシーンは凄かった
ジャニーズ出身で岡田の演技は抜きに出てると思う
そう、そんなシーンがダメってわけじゃないけど、あからさまに「俳優が演技している」感が出過ぎ頭悪い感じがする
いきなりさっきまで冷静だったのに、目をひん剥いてうわぁぁぁぁって凄い声を上げる表現ですよね。僕生きていてそんなおかしな人に出会った事ありませんw
勝新太郎の「腹が減ってる演技なんてしなくったっていいんだよ、腹が減ってる人間の撮影なら三日間飯食わないで来いよそれで充分なんだよ余計な演技なんかするなよ」
この動画見て、なるほどって思った。
俳優がヘタなんじゃなくって、役者に演技をつける映画監督がヘタなんですよね。ヘタで過剰な演技に「OK」を出す監督が一番の問題ですね。
万引き家族で高評価された城桧吏くんが約束のネバーランドのレイ役では大根だったのも監督のせいかもしれませんね
監督ガチャってのもあるんだな
役者が監督の違いで演技が違うのを見るとまさにそうなんだろうなと思います
なので役者よりも監督の力量を批判するべきなんですよね
自分もそう思いました。監督の思っているのがオーバーリアクションを求めていただけでもし岡田さんのいうとおりのことしてNGを出す監督もいるんじゃないかと思うんです。
限られた時間の映像で1度見でわかりやすくやるにはこうするしかなかったと監督が思っているだけではと。個人の趣味嗜好のバイアスがあると思いました
顔芸の応酬が日本映画
俳優の問題ではなくそれを管理する側が変わる必要があるって事ですね
邦画に限らず今のドラマは見てると恥ずかしくなる。
ウルトラマンやウルトラセブンの方が古いし子供番組だし、なのに現代のドラマより渋くに見えるんだから本当にどうしようもない。
腑に落ちました~
見る目のない私でも長い間謎だな~と感じてたのですが一気に視界が開けたというかなんというか
声優さんの絵ナシのセリフ強要も嫌だな~と感じてた部分も初めて合点がいきました
岡田先生流石です
日本の演技の世界では
「演じること=テンション上げること」
みたいな思い込みがあって、
未だにそれを引き摺ってる場合が多いですね。小劇場あたりは今もそのオンパレード。
ナチュラル=演技に非ず!
から始まってます。
昔の東映作品あたり、それがよく表れてます。で、いかにも
カメラが回り始めたところから
テンション上げました!というのが、
バレてるんですよね。
アメリカ人の場合、日常から
声もでかくて、ボディランゲージも豊かなのに対して、日本人は声もか細く、表情も外に出さないから
ナチュラルでは表現に成りにくい!
というハンデはわかるのだけど。
いずれにせよ、
テンションのためのテンション
動機や必然性のないデフォルメ
を演技と思い込むのは、そろそろ卒業して欲しいですね。
ささささささささささささささささささささささ
邦画で突然泣いたり叫んだり見せられても熱演に置き去りにされる感が酷いなーと思ってた。この動画みて納得w
洋画だってそうじゃない?邦画限定なの?
@@ヤクルトファン-j9h
日本人ってそもそもあまりオーバーリアクションしないからフィクション性が高まりすぎて荒唐無稽に見えて皆萎えるんじゃないかな
欧米人は素でリアクションや感情表現がでかいからあまり違和感ない
@@ヤクルトファン-j9h 洋画は主人公が突然大袈裟に泣き叫んだりすることはほとんどない
@@TK-un7jk なるほどねー確かにそうかも
@@さキー 俺は洋画はそういうイメージ強いんだけどな笑見てる作品の違いかな
100%同意。デーブスペクターも似た意見言ってたね。欧米でもアジアでも他国の映画見てしまうと、もう日本の役者のテレビ的な時代遅れな演技(を強要する空気?演出家?)って見るに耐えないんですよね。
正にそれ。
日本大好きのデーブに言われたらおしまいですやん。真理なんだろうけど。
演技の中でも空想力と表現力を分けて考えるっていうのがとても岡田さんらしい切り口で面白いなと思います。
監督が徹底的に役を固められないから、それぞれの俳優思い思いのありきたりな演技が増えちゃうんでしょうね。
漫画はデフォルメされた表現ってのはすごく共感できます
だからデフォルメされた表現やデザインをそのまま実写で再現しようとするから、漫画の実写化はほとんどが失敗してる気がします。
実写化に必要なのは漫画そのままの再現では無く、その漫画に「デフォルメされる前があったと仮定して、それを映像化する」事なんじゃないかと思ってます
問題はデフォルメされた表現を変えたら厄介オタクくん達は発狂しちゃうんよ
「キャー!!」って悲鳴ひとつとってもリアルにするようになったのはここ15年ほどの間。
テレビドラマなんかはいまだに「これドラマなんすよ」って言わんばかりの節回しで
セリフ発してる。
そりゃ他国のコンテンツに見劣りするって。
ベターコールソウルを見てからは日本ドラマは見れない。
めちゃくちゃ納得です!!!
舞台を観に行くと「凄い」と思う俳優さん達が何故映画やドラマでは微妙になるのかずっと疑問でした。
演技力の問題もあるけど、表現方法=演出(ジャンル)の違いでしかない
現代劇(TV)出来る人が舞台、映画、歌舞伎、コメディを必ずしも出来る訳じゃない
それぞれのジャンルにあった表現が必要ってだけ、でもそれを実現する為には地力である演技力も必須
あとは演出側の愛と受け手側とのズレ(方向性)次第
岡田さんは例えで、声優や歌手を挙げてるけど
声優にも演技力、歌手にも歌唱力という地力は必須
ただ上手いだけでは感動は与えられない
表現力が加わるから感動を与えられる
だから只上手いだけの人なら大勢いる
渡辺謙のことかな?
日本の俳優は「絶叫=良い演技」というトンデモ価値観で演技してるからね。仕方ない。
某劇団の研究生だった時に、個性派俳優として売れていた劇団の大先輩に「説明的な芝居はやめなさい」「顔で演技するんじゃない」と指導されたものです。
ダスティ・ホフマン、アルパチーノ、マーロン・ブランド、マイケル・ケインやオリビエ…と並べれば、なるほどねっと。
@@住所不定-o9r 日本ってゴミすぎ😂そりゃ、韓国に負けるわけだわ。
「日本人は意外に無表情」という言葉にハッとした
確かに昔の日本映画全盛期の役者たちは今見ると酷く無表情で淡々した演技してますよね
日本語は、顔の筋肉をほとんど動かさずに話せてしまいますしね(そういう事ではないかも知れないですが)
100年ぐらい前は、海外の人々からすれば、日本人とはなぜこんなに朗らかなのだろうという印象だったようですが
(これも少しずれているかも知れないですね😅)
問題は日本人のリアルを追及すると
マジで誰も観ないということ
映画でもドラマでもその方向性は何度か試みられてるんだけど
ただの一度も成功していないんだよね
もう日本人そのものに魅力がないから無理に派手にせざるを得ないと言うしかないのかもしれない
俺は、日本人の無表情は別にいいと思うんだよ。文化だから。
むしろ、その些細で微細な表現で感情を読み取れるところが日本の文化なんだから、そこをリスペクトした演出をすべきだと思う。
どうせ、今も海外から酷評いただいてるんだから、だったら、海外媚びしないで日本らしい情景のドラマを作った方が良いと思うんだよね。まぁ、彼らはビジネスドラマを作ってるわけで、人気の作品を作ろうとはあまり思ってないかもしれないけど。
@@ぽいずんわさび確かに海外媚びいらないよな内は内よそはよそだな
邦画のつまらないというか、見てて「またか」「もう つらい」「無駄な絶叫 泣き 叫び」というところを物の見事に言い当ててます。感動ポルノ、下手演技の壁まさにこれです。
黒澤監督も役者の能力を全くアテにしてなくて、疲れた演技をやらせるんじゃなくて本当に何時間も走らせて実際に疲労困憊にさせたり、弓道の達人集めて本物の矢を飛ばして恐怖する顔を撮影してたの思い出した。
役者なんてのは所詮道具でしかないっていう、サイコっぽい監督の方が向いてる場合もあるのかもな。
黒澤監督は「影武者」の製作で
素人や無名俳優を募集したように、俳優の演技に頼らず
「映像の構成と演出」で全て成立させる自信と方向性を持った監督でしたね。それが映画というものの原点ですし。
総合芸術として映像以外の様々な要素が膨らんでいった映画表現ですが、やはり力のある監督ほど
まずは映像表現で作品を成立させる力を有してますね。
北野武監督はその典型。
黒澤監督から、今後の日本映画を背負って立つ、とまで評価されてました。
黒澤映画は真っ暗闇で誰が何をしているのか分からない状態で
とても小さな声で早口でゴニョゴニョ モゴモゴ何を話しているのか全く分からないまま終わる作品しかなくて
それが代表的な日本映画だと持て囃されてから他の監督も 見やすさ、分りやすさを全て犠牲にした暗闇でゴニョゴニョ話したり めちゃくちゃ遠い絵の中で米粒くらいの俳優が30分くらい何かしているシーンを多用するようになってきた文化があり
それが嫌なのでほとんど見てない。
そんなのが好きな人がいるんかね?
暗闇が見える猫目と草食動物なみの聴力が無いと日本映画は無理だと思う。
NHKの『坂の上の雲』で。戦闘シーンで、「うわっ、ぅたれたぁ」というのを日本兵エキストラがやりたがるので。監督が頭を抱え込む有様だったらしい。
子供時代にドリフターズのギャグで。時代劇で斬られると、「うわあ、うわあ」といつまでもあるというのが有って。邦画の下手くそ演技からなのか。
@@りんひろ-k4s
黒澤に限らずですが、ゴニョゴニョ何を言っているのか聞き取れない時はストレスが溜まります。
一言一句聞き逃したくないタイプなので、いっそ字幕にしてくれないだろうかと思う時があります。
最近、『羅生門』を観ましたが、前半は意味が分からずつまらなく思えました。後半に入り、「なるほど」と思いました。
原作がそもそも名作であるゆえなのかもしれませんが、映画として面白かったです。
最後の一行、とても面白いです。吹きましたw。
@@南風-h7x 分かります。例え5分だとしても自分の人生を物凄い浪費した感が半端ないんですよね。
最近30年くらいは某芸人監督の影響により、『とりあえず意味もなく切りつけて血しぶきあげとけば良い』みたいな風潮もあり、無意味な残虐シーンを無理矢理挿入し日本映画はやっぱり血しぶきが上がらなきゃ!!
みたいな脈絡もない子供に見せたくない残虐シーンを多用するのも嫌いです。
全ての責任は監督にある。
脚本がダメなのも役者の演技がダメなのも全て監督がOKを出した結果だから。
なんか邦画あまり見たくない理由、言語化できなかったけどこの説明をきいてスッキリした。
アニメ映画はすごくいいの作るのに邦画はなぜ残念になってしまうのか
るろ剣ファイナルの誕生秘話をみると同然。
佐藤健も有村架純も全く演技力がなかったと感じた。
@@金玉袋パンパン 表現力に変えとけ
アニメ=声優も、邦画=俳優同様に、声優の空想力=演技力に頼ってる
アニメ=リアルではないから、受け入れられる
でも声優に初挑戦する俳優やジャニタレが批判されるのは、やはり演技力がないから
演技力があれば、窪田正孝さんなど俳優でも高評価を受ける
なので、そもそも演技力なんてものはない、というのは違うということ
アニメもやたら叫んだり大げさ演技するけど、何故かフィットしてるんだよな
逆に役者が声優の声充てたら抑揚がない棒演技に聞こえる
キムタクは好きじゃないけどハウルやっている時は演技が自然でうまいと思う(過激派)
「映画は監督のもの」と度々聞きますが、やっぱり役者を生かすも殺すも監督なんだと思います。
役者の演技が、監督が想い描く画に合わないと何度もやり直しさせられるし、役者の演技と真逆の表現を求めたりもします。
極端な話し、映画は編集で変わったりもすると思います。
例えば、予告編は良かったが実際に見たらつまらなかったとかもあります。これは、予告編を製作してる会社のセンスが良くて、良いとこを上手く切り抜いて編集したから。
テレビのニュースや、切り抜き動画も編集次第で印象が変わったりもする。
今回、岡田さんの好みに合わなくて本当に残念ですが、これまで國村さんの出演作を多数見ましたが、本当に上手な役者さんで、絶対大味な役者ではないんです。
その通りだと思います
私は日本人の役者さんは世界でもトップレベルだと思っています 監督さんやプロデューサーが役者に何を求めているかなんです それを役者は表現するんです
海外の役者さんが上手いと思っているじたいでなんか違うんですよね 地元での人気映画 人気はあって評価はされてますがハリウッド俳優さん達の演技はボロクソに評価されてますしね でも売れればいいですよ あちらでは…
役者が下手なんじゃないよ。演出が下手なんだよ。
いやいや役者は下手やで
見る価値なし
シンゴジラで良かったのは普通の映画なら「やったー!かったー」って歓声や喜びあうシーンにしそうな作戦成功のシーンが静まって粛々とおわったところ
明る過ぎるか暗すぎるかじゃないのよね。
「やっと終わった…」の安堵。
仮面ライダークウガとかモロそれだった。
というか視聴してる自分がだけど。
「やっと終わった」・・・でもこれからのことを考えると単純に喜んでられるか、という空気感。
事実上、東京はもう使えないしね・・・
NGテイクではみんなオーバーリアクションしてたから庵野が注意してた
人が沢山死んでてその反応はおかしくないですか?って
スゴい納得!ダメなノベルも基本コレと一緒ですね。無表情の演技から読者が読み取る……その通りです。素晴らしい👏ここ数年のモヤモヤ感がスッキリしました。ありがとうございます。
ずっと感じてたことを知識と根拠を交えて完璧に言語化してくれるの、気持ち良すぎる
岡田さん、凄い!
マジで同意です!!!日本人は元々フラットな表情なのが当たり前で、ハリウッドみたいなドラマが起こり得ない状況なのに無理にドラマにしなければならないから演技が信じられないほど学芸会になってしまうんだと思う。だからハリウッドや韓国映画は元がドラマチックな、というか大袈裟な人ばかりの社会におけるドラマは、ドラマチックでもまったく不自然ではなくリアリティーを持ってくる。日本人だって感情がない訳ではなくもちろん日々色々明るんだけど、別の角度からの演出が必要だとずっと思ってました。平坦な表情の仮面を被らなければならない世間体とか、その裏にある渦巻くドス黒い感情とかを表現するとか。日本の映画とドラマはとにかく酷すぎてもう何十年も観ていない。NHKの夜10時のやつはたまに面白い。朝ドラも大河ドラマも酷すぎて一分も観ていられない。
ああ、なぜ自分が日本のドラマや映画が好きではないのか、岡田さんの説明で分かったような気がしました。
NHKのドラマを家族が流してるんだけど、演者みんな「ただ叫べばいいと思ってんのか?」と思うくらい張り叫ぶ声がやかましくて、演技とは言えないシロモノだった
あれを10分も見たいとは思わない
丹波哲郎は、「私は役作りというものは一切しない。私にオファーが来た時点で、その役は私に合っている人物だからだ」というようなことを言ってますね。
役者にとっても、「リアルな人物像」というのは、「自分」でしかない訳で、その枠組の中で「表現」をしていくのが、「演技」なんだと思うんだけど。
007でも撮影直前まで台本読まなかったとか。英語のセリフなのに・・
丹波哲郎は英語も大得意ですからね。
大学は法学部英法科、終戦後は、GHQで通訳のアルバイトをしていたといいますし、007以前にも海外の映画には何本か出演しています。
そんなプライドが、あるから、昔はみんな棒読みになる
最近の俳優の印象を、岡田さんに全部言ってもらえて気分が、すっきりしました。
最近?昭和から平成初期ってイメージですが
作文みたいな詞の楽曲も一時期増えていましたしね。
『ガラスの仮面』のなかで高校生の北島マヤが演劇部員に「通行人をやって」と言われ、通行人のキャラ設定をしつこく訊く場面を思い出したわぁ
舞台役者はオーバーリアクション
特に藤原竜也は舞台っぽいし、独り言も誰と話ているんだっていうくらい声がでかい。
どぉぉしてだよおぉ!俺は好きやであのオーバー演技。
藤原竜也さんの映画を全て見ているわけではないが、イカれた奴の役が多いから、オーバーリアクションが正解なのかもしれない。
@@fatahjerusalem2513大河での沖田総司もかなり危うさを感じさせましたしね........
そうでなくては何をしてるか話してるか、後ろの席とかに伝わりませんからね
アニメの実写映画が痛く感じるのもそう言う理由か、
いやはや、この不自然さを分かりやすく説明出来るとは凄いな〜
日本にも小津安二郎や溝口健二や成瀬巳喜男といった映画監督がいました。 彼らの活躍していた全盛時代の日本映画を観ると岡田さんの言ってることが理解できます。
日常的にあまり出会わない外国の話だと、
「向こうはこういう大袈裟な仕草をするのかな、」って勝手に納得しちゃうけど、
実際に住んでる日本だと、
「なんかわざとらしいな、」って思っちゃうんだよね、
外国人が手振りを大きくして表情豊かに喋ってるのは日常でもやってるから違和感ないんだよ。
それと同じことを日本人が真似してやるからおかしく見える。「そんな話し方しねーよ」ってなる
スティーブ・ジョブズが講演でステージに上ってあちこち動き回りながら話すのが受けて世界中でそれを真似してるけど、やっぱり日本人がやっても滑稽に映る。トヨタの社長とか
それあるよね。
あと、日本人の俳優は普段のイメージとか出来上がってるから、違うことすると違和感感じる。
外国の俳優は知らないからフラットな目で観れる。
@@tyororin6103 ただの海外コンプで草
@@shineTH-cam160 は?何言ってんだコイツ?外国人はジェスチャーが大きいってだけの話で、良し悪しは関係ねーよ。お前の周りにあんな芝居じみた話し方するやついんのかよ?
あのよく見るプレゼンだって明らかにジョブズのマネだろ
海外コンプっていうならそいつらに言えよハゲ
邦画に対する謎の嫌悪感と言うか、言語化しづらい”何か”を見事に説明できていて脳がスパークしたような感覚。。。。これだったんだ!
声優さんのくだり、コスプレのくだり、この人的確に指摘してくれるな。なんだろ、本当に岡田さんがわかってくれてて救われる。
以前から邦画やドラマの多くは、見た瞬間に目をそむけたくなるようなク〇演技に満ちているのを感じていましたが、きちんと言葉にして下さっているのを聞いて、強く共感しました。
岡田さん凄い!プロの中のプロ!
演技してる役者を演技してるよな
岡田さんとはほぼ同世代で同じ時代の映画や漫画やテレビを見て育ったのでとても納得の回でした。
年寄りは直ぐかつての日本映画は良かったとか言いますがそれはそれなりに良い映画を観て育ったからで言葉では言えないけど肌で感じてしまっているから違和感を感じてしまっているのだと思いますね。
黒澤明などは役者を追い込んで追い込んでさらに追い込んで演技ではなく自然に出てくるまで練習させたといいます。その場しのぎの演技を絶対にさせない徹底ぶりがあのような感情を揺さぶる作品として残っている証だと思います。
今の時代には通用しないやり方ですね。😰
役者もそうですが監督も育っていないと言う事ですね。
黒澤明がこれからの映画産業の行く末を危惧していた通りの結果になってしまいましたね。
そして昔の様に映画を作る事は時代的に無理なのでしょうね、監督の横暴がパワハラと言われ訴えられる時代ですからね。
今までの映画の作り方では無理なのは分かりますが庵野秀明はそれを理解した上で巧みにどうすれば面白くなるかを考えて演出や監督した稀な存在だと思いますね。
岡田さん言語化して頂きありがとうございます。🙇♂️
スッキリした〜!
長年日本映画やドラマを見てきて、特に時代が近くなればなるほど役者の演技に違和感を覚えて見る気がしなくなるのはなぜなんだろうと思っていた。
そして確かに良さそうな役者さんはみんな演劇の方に行ってしまって、言われてみれば演劇はそんなに違和感を感じないで見ることができできることに今更ながら気付かされました。
岡田さんのお話でよーくわかりました。
そう、会議の中であんなにオーバーアクションというか、表情豊かに言葉に抑揚つけて話すやつなんて見たことない。
なるほどです。
実相寺さんの才能というか、感性にも脱帽。そんな方の作品を子どもの頃に見ていた私は幸せものだと感じました。
そして同じようなセンスを持ち合わせていた山崎監督にゴジラをやっとゴジラとして撮ってもらえて、これもまた幸せでした。
感動の薄れつつあったこの歳になって久々に雷に打たれるような衝撃を受けました。
岡田さんと同年代ですが昭和の後半から日本の映画産業衰退とともに質も低下したままだと思います。アマプラで1950ー60年代の映画見たほうがずっとマシだと思っています。自分がなぜ現代の映画より昔の映画が面白く思えてしまうのか岡田さんの解説にヒントがある気がします。今振り返ると角川映画が悪い気がします。大したことない映画をしつこい宣伝と入場券の押し売りタイアップ商品で興行的に黒字にするやり方が日本映画の質を貶めたと思います。
なんの映画か忘れたけど、オーバーアクションの代表みたいな香川照之が抑えた演技をしてる映画があって、「こういうのもできる人なんだ」って思った。でも流行るのは「大和田常務」ということは、自然な演技なんてのを求めてるのは日本では少数派で、世間も制作現場もそんなのは求めてないんだろうな。
「ゆれる」の演技はよかったです
「観客の質」というのは
確実にあると思います。
「大袈裟にするのが演技」
という思い込みが客の側にも
一定数ありますね。
役者の側もそこからスタートしがち。そして、それを修正できない監督との相互作用・・・。
そうそうだから日本人の言う演技が上手いの定義がよく分からんのよw 香川照之とか山田孝之が上手いってなるなら自然体を求めるハリウッドの演技なんかは日本人からすれば下手なんだけどね、米国の役者は上手い人多いとか韓国の役者はみんな上手いとかって言う人のほとんどは単に外国語だから上手い下手の判断が出来なくて上手いって言ってるだけだと思うw
@@チョロ-y6o 字幕で見て吹き替えバカにしてるやつの9割は言語理解してないから演技力がどうとか一切わかってないと思うわ
「半沢直樹」の素晴らしい点は、殆どのキャラがオーバーリアクションで成り立っているから違和感だらけで、平成令和の日本とは思えない世界観を作り上げているところ。
フランス映画なんかを観てると、会話が静かな割に演者さんの動きや表情に引き込まれる感じがします。邦画でも昔のものだとそんな感じのものもありますが…素敵な俳優さんも出ていて、せっかくお金をかけているのだから、表現物として質の高いものを作ってほしいなと思います。
今の映画でも大作系ではなく、是枝作品など小さな作品だといい演技も多いですよ
すっごく面白いし、なるほどなぁと思いました。聞いていて思ったのは小津安二郎監督は
役者が表現しよう、爪痕残そう、みんなを自分の演技力で食ってやろう、場面をさらってやろう、という役者が何かをしようとするのを一番嫌った。なぜならそれが一番嘘だから。生活の中にないものだから。だから小津の映画ってセリフは棒読みだし、表情も無表情に近い。黒澤明が1シーンを複数キャメラで、しかも望遠で撮る。望遠だからってロングとは限らない。アップだったりする。すると役者はどこからどう撮られているかわからなくなるから真剣になるし全身で演技をする。キャメラを意識しないようにそういう手法をとったという、それと通じる部分があるのかなぁ・・・・とっても楽しく、またためになりました
是枝裕和監督の作品は演技させてない感じがあります。おっしゃる芝居を樹木希林はできる高度な人だから彼は映画に毎回呼んでたのかなと思いました。
邦画がコメディータッチの作品が多いのは演技過剰な役者ばかりでも成立するからなのかなと思いました
役者とドラマが連結してるのがなんか悪影響な気もしますね。
そこをしっかり切り離したら、ドラマ特有のリアルな表現も舞台と比べられることなくしっかり評価されるようになるのでは?
國村さんはアウトレイジでメチャクチャ嫌な奴の演技が面白かったな~
スパゲッティを音立ててズルズル食うのがゲスな人間性を表現していたよ
リーガルハイで大森南朋が絶叫してるの見て、演技が下手だなと思った事は間違いでは無かった。あんなの違和感しかない。
なるほどですね。能面の話は納得です。能面が一見無表情のうように見えるのは、役者のしぐさ、物語の流れの中で観客が喜怒哀楽を感じ取るためだ、みたいな
話を聞いたことがある。
素晴らしい講話でした。その通りだと思います。それが真理であり、節理だと思います。私も近年のドラマとか映画は、演技が鼻について、見なくなってしまいました。昔の映画ばかりです。自分ではその違いを言葉には出来ず、感覚的に感じていただけですが、岡田さんがそれを言葉にしてくれました。全くその通りだと思います。仕事は何でもそうですよね。
役割りをしかりと受け止めて、それぞれが役割りの中で徹底したレベルを高める。だから、結果が素晴らしい。それしかありませんよね。そうすると、近年は、多くの分野で、それが崩れているのではないかと思います。
翔んで埼玉とかなら見られるのもわかる、
半沢直樹とか頭の悪い絶叫をするとむしろプラスになる独特のサラリーマン世界を構築できたから成功できたんだな
すっげー分かるこの話。多くの役者が大袈裟なんだよな。演技じゃなくて演劇を映像でやっちゃうって事か
多くの役者というか作品によりけり
この作品では大げさだけど、他の作品では上手いなんてことはよくある
@@df_5565
制作側の問題よな
@@kykt_8526
そうとも言い切れないなぁ
それならば、一般人がやっても変わらんからね
まさに私が邦画を見ない理由が役者の演技がクサいことです。
熱演が有っても名演技がない。
そうそう、大好きな國村隼を取り上げてくれて首が折れそうなくらい頷いちゃったんだけど、シンゴジ、アウトレイジ、全裸監督の國村隼とFWの國村隼の落差の理由がよくわかった。
ドラマの日本沈没にも出てたけど、あの日曜劇場枠は半沢以降、顔芸や叫びまくる演技が定番になってたけど、この時の國村隼だけ朴訥とした演技で良かったわ
國村隼さんはDr.コトーの演技も素晴らしかった
本当にどこにでもいそうな親思いの息子の演技が自然で感動したな
國村隼自体は多分いい役者なのに監督が上手く演出できないと作品によってはクソに見えるのがかわいそうですね
@@df_5565 その最もたるものがハリウッド作品の「ミッドウェー」
これ俳優から監督まで業界に携わってる人みんなに感想聞きたいわ
近年のジブリの声優起用に批判が多いのもそれですよね。
デフォルメされた画にはデフォルメされた声が合うんですよ。
デフォルメされた画なのに声だけリアルにしようとするから違和感が生まれる。
上手い役者は舞台に行くっていってるけど
ドラマで叫んでるのが舞台経験者という現実が辛すぎる
舞台では上手くても結局突貫工事のドラマや映画では全くうまくいかない。なので実際は小銭稼ぎにドラマや映画は出る事もあるのだけれど、マインド的には舞台を主戦場として据えているって事でしょうかね。
古田新太さんなんかは舞台やりたくて映画出てるとか言ってましたし。
舞台出身役者が多いから、オーバーアクションになる。
舞台出身役者が、困惑するのはTVや映画は音響をいいので、声張らなくていいし、劇場じゃないのでオーバーアクションしなくてもいいのに無駄に動いて怒られると言っていた。
石原さとみはどのドラマや映画も早口演技なので下手だと思った。
上手い役者が舞台にいくことの本質は、ドラマで俳優に期待する間違った上手さが演劇の正しい上手さと合致するからだと個人的に考えています。
そのような意見も作者が捕まり連載が止まった漫画「アクタージュ」から。
是非、読んで見てください。
岡田さんに合わせると
短い期間でも高評価を得られる役者(塚本明)ってのは、そもそも演技力があるからであって
舞台=長い準備期間がないと高評価を得られないのなら、演技力がないってこと
TVドラマ、時代劇、コメディ、映画、演劇、ミュージカル、歌舞伎など、それぞれのジャンルに合った表現力“も”必要ってこと
演技力があった上での表現力
それは声優も同じ
歌手の場合は、演技力の代わりに歌唱力になる
ただカラオケ上手いだけの人が売れないのはその為
岡田さんが上手いっていってる柄本明だって自分の劇団もってるくらいの舞台役者なんですよ。
演劇やってるからとかでなく、映画にはそれぞれの映画の中で誇張表現をどこまでするかというその映画ごとのルールがあって監督がそれを決めているんです。
シンゴジラの場合庵野監督は全くそれをしなかったから石原さとみだけ浮いてしまったんです。石原さとみは会議のシーンには登場しないので、作品の誇張表現具合がわからなかったし、庵野監督もそれを教えなかった。
実際石原さとみはインタビューで庵野監督に何度もそこを尋ねたけど監督は好きに思ったようにやってとしか言わなかったといってます。
邦画はもう死んでるよね。
心配なのはアニメも。
声優が萌え声とかイケボ重視で自然な表現がダメになっていきそう。
元から
アニメは、過剰な方が自然に感じる
男性声優はまだしも若手の女性声優に特徴のある声のある人消えたと思うわ。今の声優業界にベテランの野沢雅子や大山のぶ代みたいな声優が生まれるとは思えない
007なんかを見るとわかるけど脚本が緻密に組まれています。笑わせるところや、休むところ、エッチなところ、そういうのが出現するタイミングが計画的になってる。残念ながら日本の映画はだめ。「意味ありげに作ったから好きなように感じてくれ」っていう投げやりなところもあるのでまずは脚本家をなんとかしないと。。。
声優やコスプレがイタい話、「浮く」という言葉がいかにしっくりくるか納得できた
日本映画の演技が変っていう映画好きの人間は、業界にもめちゃくちゃいるけどね。じゃあなんで日本映画が変わらないかって商業的な理由が大半だよ。インディー映画は余計な口出しが無い分良作増えてる。
コメント見てて賛否あるみたいですけど
言いにくい事を思い切って、よく言って下さいました。
すごく腑に落ちる鋭い指摘だと思います。
😮
なんかの作戦が成功して指令室みたいなところで大勢の人が書類を投げ散らかしながら大騒ぎして喜ぶシーンが観ていて恥ずかしくなっていたたまれない気分になる
アメリカ人の真似だからなあ
日本人はああいう喜びかたしないでしょうに
確かに普段の日本人の特徴をとらえてないと、リアルに見えないから演技力ないように感じるよな…
動画内で言ってたように無表情かつ現実感ある演技が"映画"には必要だよね
映画の役割はその国の文化を世界へ知らしめることだと言う人がいて、なるほどと納得した。日本人の普通の日常を映画で表現できるように映画界の自浄活動が広まれば良いですね。月が綺麗ですねで通じる粋な文化があるのに。
@@後白河上皇-b3k ね?そーゆー作品は海外でも好評だしね。昔の侍映画なんかは変に演劇っぽくなくて日本人としての人間味があったから海外受けも良かったみたいだし
落語家が声を小さくしていって集中力を上げさせてバン大きい声を出すっていうのはすごく納得いった
舞台もこの点は変わりませんが、
監督ばこう演じて欲しい゙と
「結果の部分」を要求するだけで
そこに至る経過、役者に必要とされる演技を構築する作業については無知な場合が殆どと思えます。
この点、欧米の監督との大きな差、演技の技術についての知識の普及率に雲泥の差があるのは間違いありません。
日本の監督は、AD修行から始まり、ある種「年功序列的な経緯」で「技術的なこと」をマスターすれば監督に至る場合が多く、そこに演技の知識は求められていないように思えます。
そうした監督の場合、
役者が「結果の部分」だけを
それらしく、いかにも、という
表現で提示すれば、おそらくOK
が出てしまうのでしょう。邦画を見ているとそうとしか思えない場面が非常に多いです。
時間がない、ということもあるでしょうが、それ以上に、結果の部分だけを提示した役者の
「内面がどう動いているか」を読みとれない監督の方が多いことも大きな要因でしょう。
役の心情よりも、役者の「こう演じてみせよう!」という自意識(エゴ)があからさまな演技があまりにも多い。
洋画の場合は、無表情でいても
何もしていないわけではなく、
*役の人物として内面が激しく動いています*
そういう演技が古くから普及し、
その「訓練法」が確立しています。
無表情でことさら大声を出さずとも否応なくその感情が伝わってくるのは、映像技術によって
達成される場合もありますが、
欧米の俳優は、作った表情や身振り手振りに頼らず、強力な内面のパワーを滲み出す能力を有してます。
日本の演技の世界では、そういう演技の獲得法、訓練法が全く普及しておらず、未だに
「先人の技を見て盗め!」
という抽象的にして職人気質の
世界観で支配されています。
勿論、それで大成する俳優も存在しますが、
それは本人の稀な才能によるものであり、それを導くシステムは存在しません。
訓練法が確立、普及している欧米とは
雲泥の平均値の違いとなっています。
洋画と邦画の演技の差・・・
以上によるところ大と見ています。
もう金かけて大作作んなくていいからさ
時間かけて満足に準備できるようにしてくれ
演技力と表現力の違いは本当に大切だと思う。表現すべき物を勝手に想像するなど役者の傲慢もいい所で、よほどの人生経験を積んで酸いも甘い全て経験し、役者としてのキャリアも長い人間でも、それが許されるのはごく一部だろうなと思う。そういう人の演技は原作者や監督が上手く言語化できなかった「表現して欲しいもの」を表現するなんて事も可能だったりするが、残念ながらこの辺は監督や原作者の能力との相対比較の中で起こる結果でしかなく、監督や原作者の程度が低いと低次元と言う形でそういう現象が起こったりもする。多分邦画は役者が下手くそなのは当たり前として、それ以前に監督の能力がショボいのが諸悪の根源なのかなと思ってる。
これには完全同意。小さい頃からオーバーアクションな演技に違和感があって、だからか知らないが日本のドラマとか観る気がしなくてホントに一切観なかった。
イタイ演技を観させられるのは本当に苦痛なんですよ。
あとアクションシーンというか喧嘩のシーンで殴った後にへっぴり腰で、間寛平のおじいちゃん演技みたいに数センチずつチョコチョコ歩くの何で?!
その時の表情が、ひょっとこみたいな表情なのは何で?ホントに違和感しかないんだよなあ。
村上春樹さんは読んだ事ないけど、ドライブマイカーは見てみたいと思ったわ😓
あまり「派手な演技」という印象じゃないけど、どうなんでしょう😓
映画やアニメじゃなくゲームだけど、ゴーストオブツシマ好きなんですよ😄
プロデューサーのブライアン・フレミングは黒澤明を参考にしたと言ってましたが、プログラマーのクリス・ジマーマンが「侍の戦いはこれまで作ってきた作品と比べて我慢できないほど動かない、しかし『静止する』という動作を加えたら驚くほど侍らしくなった」と話していたのが印象的でした😌
ドライブマイカーも無感情で本読みやってたらしい
@@alist6667 トレイラーの印象だけですが、分かる気がする😌
ドライブマイカーはみんな良い演技でしたよ
@@テニホハ 返信ありがとうございます😃
見てみたいです☺
ずーと、思ってたけど、説明できなたかったものを見事に説明してくれましたね。
やっぱ、斗司夫ちゃん凄いわ。
相変わらず洞察力・説得力が半端ない。
ボクのような凡人にはぼんやり感じることしかできてないものが、この人には一瞬一瞬絵に描けるほど明確なのだ。
めっちゃわかる!
草
あなたも俺が思っていても上手く説明できないことを文字にしてくれました
岡田さん、凄い
@@ああ-r9i8i 確かに、岡田さん凄い!鋭い!
これで北野武の映画にリアリティを感じる理由がわかりました!
演技をしたら怒るね 取り直しもしないとか
演技に納得出来なくて取り直しを要求した役者に怒ってた
あのう、日本人の「演技観」全体に由来する話なので・・・歌舞伎とか「見得(みえ)」とかね・・・
ラブコメとかオタクとかカワイイとかアイドルとかね。いわゆる「いまどきの声優さん」とかね。
西洋的な演劇観とはまた別の世界なんですよ。この独自の世界観で今じゃ「萌えー」とか言いますし(もう古いのか?)、
100年くらい前だとゴッホさんとかね「日本の文化はなんて独特で面白いんだ!!」とかね。
当の日本人からすると「西洋と比べて、こうこうダメだ」、と、必ず言いたくなるんですけど、
ようは、何と比較するか? なんですよ。
自分が面白いと思うかどうかを、(西洋人をはじめ)他人に決めていただく必要は無くて、
日本人が日本人だけのために「面白い」と用意したものを、上記のゴッホさんとかは勝手にほめてくれてる訳です。
べつにゴッホさんに認めて欲しかったわけじゃないんです。ここが大事な点です。
最初から、あちらの方に面白がっていただきたい、自分(日本人)が面白いかは二の次で良い、というならまた話は別ですが。
とまあ、そういった視点も大事だと思いますよ。
誰かが言ってたけど邦画は演技じゃなく演劇をやっているとも言ってたな
頭の中ではわかってるんだけどうまく表現できない事を言語化する能力は本当にうまいな斗司夫は
日本アカデミー賞とか薄ら寒いし、酒が入ると演技論を熱く語る役者とかくさすぎる
構造的にも今後日本映画界が伸びることはないと思ってる
構造的に・・・まず政治家が利権を追うばかりで芸術に無関心ですね。フランスなどではオーケストラの指揮をするような政治家もいるとか。
イタリアでフェリーニが国葬されたのに対して、晩年の黒澤明は作品の製作費すら集まらず・・・本来なら国宝と言っていい監督でさえこの有り様。ましてや・・・ですね。韓国映画の隆盛も国が相当予算を組んでいると聞きました。
お話を聞いていましたか?
映画についてのは演技がってことで舞台では凄い
演技が悪いのではなくて、映画の作り方が悪いって話ですよ
いや、もしかして最後まで視聴してないのでしょうか
@@白黒-w4j 映画なのに舞台みたいな「演劇」やらせてるから邦画はダメという事でしょう。二人とも指摘している問題点は同じと思いますよ。
@@白黒-w4j 90年代に「静かな演劇」ムーブメントが起こるまでは、演劇界も岡田さん言う所の『クソ演技』が主流だったんで、コメ主の言ってる事は間違ってはいない。というか主張の内容自体は岡田さんと同じかと。
@@B4StudioJP さん
前半だけ聞くとそうなんですけどね
後半で反省している内容からは違う意味になるんですよ
なので、話聞いていましたか?(最後まで見ようよ)になるのです
昭和の映画俳優が演技がうまいのってセット周りのモノを充実させてたり、実体験に近かったりするから演技がうまくなりやすい?映画もそうだけど、アニメも手短に作るようになってきてるから、ここから先つらい気がする
要するに、日本には金が無いのかもね。
想像力と空想力か
めちゃめちゃ説明がうまいな〜
動画でも指摘されてるけどエキストラからして過剰演技だからね
一人一人が目立とうとしすぎで全体としての調和がとれてない。
洋画に比べるとアマチュア感が凄まじくて見てるこっちが恥ずかしくなってくる
なぜ「ドライブマイカー」が日本映画として異質なのかの答えだと思う
ここで言う「下手」というのは「様式化」された演技が、演技として伝達を目的としていない「現実」の模写とは異なることを指しています。日本の演技にはいわゆる西洋演劇の「リアリズム」はなく、誇張を特性としています。それには長い歴史があります。例えば、「歌舞伎」「能・狂言」「落語」などからの日本の芸能の「様式美」の蓄積によるものです。漫画・アニメも日本特有の誇張の様式美を守ってきましたが、このカルチャーは優劣とは質の異なる議論なのですが、西洋演劇に曝されてきた我々の中にはその差異を深刻なものと自覚し始める人もいるかもしれません。
スタイルの違いに優劣をつけるのは確かに違いますね。
優劣がつくとしたら・・・
その様式的な演技が、形だけのものに終わってしまっているか?
しっかりと、歌舞伎で言うところの「お腹の中」が埋まっているかどうか?そこかと。
「下手!」と言われてしまうのは
様式性を残しているから、という以上に、お腹の中、内面が埋まっておらず、身振り手振りや表情の大きさだけに頼ろうとしている場合が殆どかと思います。
様式的な演技であっても、内面から漂うものにウソがなく、充実しているなら、観客は納得するでしょうね(そうでない人もいるかもしれませんが)。
バレエなど、様式の極みの世界でも、一流の踊り手は演じる役の心情をヒシヒシと伝えますが、それが全くなくて振りだけの踊り手もいます。
様式性の強い日本の演技においても、個々の役者でその力量の差は存在し、やはり、観客からヘタ!と言われてしまう時は
形だけで終わっていることによる場合が多いのではないか?と思いますが、いかがでしょうか?
西洋伝来のリアリズムを目指し始めて、すでに100年?近くは
経っているはずですが、なかなか脱却はしませんね。
それが意図しての様式性なら
ひとつの表現ですが、リアリズムを目的としているのに様式的、悪く言えば゙紋切り型゙になってしまうケースも多々あると思われ、それどころか、その区別、認識さえない状態で中途半端な演技を製造しているのも多いですね。
私は、リアリズムであれ、様式であれ、役者の内側がどうなっているか次第で楽しめるか、帰りたくなるが大きく左右されます。
いかにナチュラルな自然体の演技風でいても、内側がカラッポ!というのもあるし(でもこれに騙されて、一見ナチュラルというだけで評価してしまう人も!)、いずれにせよ、演技の質は・・・
外側だけでは決まらない、そう確信しています。
黒澤明は役者が演技してるうちは絶対OK出さなかったって聞いたことある
演技指導の際、役者さんに与える前提データが薄すぎるというのはなんか納得しました。
そんな指導しかできなくなっている映画作りの体制が続く限り、良い監督さんは育ちようがないでしょうね。
しかしそんな中ですら岡田さんにうまいと言わせる柄本明さんの凄さ。
演技力っていうか、演出とかカメラアングルとか、照明?とかが何か素人がやったみたいな感じだなと思ってました。ドラマとかでも、画が立体的じゃ無いというか、舞台みたいに平面で切り取ってるみたいな。カット割りが少ないのも、お金が無いから仕方が無いからかもだけど。あと、陰がある画が個人的に好きなんですが、特にドラマはとにかく全体的に明るすぎて、専門用語分からないけど、全部ピントが合ってて、つまらないというか。私自身ただの視聴者だから、好き放題言っちゃいますがね。
照明もホント糞だな。蛍光灯の下で撮ってんのか?って思うぐらい陰影がない
実相寺監督の作品は役者の衣裳は役者任せでしたね。だから個性的でその人らしさが出てるなと思いました。
國村隼さんは香港でチョウ・ユンファの映画でジョン・ウー仕込みの敵役やってたので実はアクションが上手くて、セリフ無しでも印象に残る芝居も得意です。彼の演技の幅が日本だと狭くていいセリフを言わせようとするばかりで残念だなと。声がいいからわかるけど、体で表現する國村隼さんもたまには観たいな。
邦画「私をスキーに連れてって」を何度も何度も見ています。
かがみあきら始め、当時のオタク全ての羨望の的、原田知世が一番「女の子」の可愛らしい演技してたので。
「今年も、よろしくお願いします!」ってペコッとロングヘアーを垂らすシーン。あれに匹敵する少女漫画アニメは「ななついろドロップス」くらいか。
原田知世にあんな素晴らしい演技をさせたオタク馬場康夫さんに、大感謝です。
日本ですごい演技っていうと泣く、怒る、キレるで評価されるよね。
演技で涙を出せるかとか。
だから暗い作品ばかりが評価されるのかな。
本当は上手い役者を正しく使えていない映画監督が全部悪いってことだよね。
でも日本の実写映画って役者の演技力以前に、とにかく面白くない。眠くなる。
面白かった!すごく良くわかりました。日本の映像ドラマが見るに堪えないのはそういうことだったんですね。岡田さんの「ブレードランナー」の解説で、主演のハリソン・フォードが監督のリドリー・スコットがCM畑出身だと知った時「あ、コイツ俺の演技になんにも期待してないな!」と見抜いて、無茶苦茶不機嫌になったのと同じことだったんですね。
個人的にザ世界仰天ニュースの実際日本で起きた事件の再現VTRがかなりリアル感が出てて好きです。役者も決まりきった有名俳優さんではなく普通の一般人に見える無名役者さんなのと大袈裟な演技が少なく連ドラなんかより日本人に近く再現してる。
めっちゃ分かります。
他にもアンビリーバボーの再現ドラマの役者さんも
リアリティーがあって良いですよね。
水曜日のダウンタウンでの仕込みの役者さん(だまし役)が皆うまい
チャラいディレクターやアブナイおじさんとかを演じた人たち、どこかでブレイクしないかな〜
ずーっと日本のドラマ、邦画見るのが嫌だったけど理由がわかった気がする。日本人の演技って表現力を身につけた上でどこまで自分のなかに自然に凝縮することが出来るかが重要なのかな…。
米国の「ER」を見るととても自然に役を演じているが、日本の医療ドラマはなにか空しい。
俳優がどうというより、病院での物語のはずなのに患者なしで物語が進んでいる感じがする。
ERファーストシーズンは最高の医療ドラマだと思います。
日本の医療ドラマは全部余計に格好つけてしまってるんですよね…。
本当の格好良さは淡々と現場を表現したERが正解。
石原さとみがダメなんじゃなくて石原さとみにあんな演技をさせた庵野監督の演出力のなさなんだよね。
実際石原さとみが庵野監督とコミニュケーションとろうとしてもとりあわず、どういったキャラクターを求めてるのか全く分からなかったといってた。
少なくとも石原さとみと一緒に映画を作り上げようという気はなかったんだろうな。
追い詰められたシーンなどで絶叫する演技して名演技名演技と持て囃す観客側にも否があると思う どの俳優かは言わんけど
監督や演出家の問題も…昔の時代劇俳優で今の大御所でも昔の演技の方が良いですし。あと昭和末期頃にどの番組で誰が言ったのか忘れたけど、「TVにはTVの演技、映画には映画の演技、舞台には舞台の演技がある」、舞台は全身を映し、映画はバストアップを映し、TVドラマはフェイスアップを映すのだからそれに合わせた演技をしなければならいッて話だった。殆どTV見て無いけど偶に(昼の食堂とかでニュースに出る一場面とか)見るとすべての俳優さんが舞台の演技をしてるように見えますねぇ
邦画は観ないけど舞台演劇は好きでよく観ます
この説明を聞いて、なんか納得しちゃいました
ほんとに日本の役者って大根だと思ってたけど、そういう分析かあ。具体的というか役者に想像を働かせる余地がないレベルまで教え込むというのが対策というなら、映画界に宮崎駿みたいな人がいたらすごくいい感じになるのかも
絶叫演技は長年、日本人に積もり積もった
劇画漫画の影響も大きい気がするんですよねぇ。
アニメファンの中には「宮崎駿は声優を娼婦だとバカにした!」と思い込んでいる人がいるみたいですけど「日本の俳優はみんな男は兵士・女は娼婦」というのは戦前から言われている決まり文句なんですよね。日常の中で相手を意識した「演技」をしつけている外国人は、俳優も「日常の自然な演技」をスッとこなせるけれど、演技をしつけていない日本人はいざ「芝居」をするとなると、非日常的な怒鳴り、大げさな驚き、わざとらしい媚びといった大芝居になってしまう。ところがそうした大仰で不自然な態度を日常的にとる職業があって、男は部下の目を意識して不自然な怒鳴り声を上げ続けている兵隊、女は大げさな媚び演技をなりわいにしている娼婦。この二つだけは日本人の「不自然で非日常的な日常演技」にぴったりで「日本の俳優はなにをやらせても兵隊と娼婦になる」というのは戦前からの日本映画人の慨嘆だったのです。宮崎駿らはそれをふまえた話をしていたのだし、そうした傾向は今でも邦画の予告編が 「大げさな涙と絶叫演技ばかり」という形でよく話題に出てきてしまうわけで。思えばマーベルやDC映画など派手目の大作の予告編でもあちらの俳優は静かに日常演技をしているシーンが印象的です。
本当に邦画の演技は嘘くさくて回りくどくて好きになれない。実写ヤマトなんか最悪レベル。シンゴジは確かに役者の自分らしさが抑えられてストーリーに集中して見れたと思う。
それって自分が日本人だからだろ。日本人だから日本人の演技が嘘くさく見える。海外だって別に同じだと思うよ。
まるで労働者に多くを求める経営層と忖度して色々やってる労働者という日本社会そのままのような…