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2007年にロンドン郊外のRAF博物館マイルストーン室で見たけど、当時の敵国が名機として保存してくれていることが、何よりこの機種の評価を表していると思う
海軍の土方敏夫が手記の中で五式戦の戦いぶりを評価している。・陸軍もなかなかやる」・F6Fに追われた五式戦が上昇で振り切って逃げおおせた。・燃料切れで着陸してきた五式戦を隊長の蔵田大尉が試乗した。「上昇と突っ込みの良い戦闘機」海軍パイロットの目から見てもよく戦っており、性能も良好と映ったようだ。
元になった三式戦闘機と比べて重量が大幅に軽くなり、パワーは二型と同等。三式戦闘機の主要生産型一型丁でエンジンのパワー不足で悪化していた上昇力と加速性能も大幅に向上。元々優秀だった急降下性能もあって大戦後期の連合国軍戦闘機とは相性の良い機体に。この相性の良さが登場時期を考えればある程度の活躍が出来た要因でしょう。
五式戦の排気管回りの造りは昭和18年に輸入されたFw190A-5の排気管回りを参考にしたそうです。FW190の排気管回りの処理の仕方を上手く流用した結果、エンジン換装によって生じた段差回りに発生する渦流を吹き飛ばす効果あったという。その他に空冷化によってラジエターなどの液冷エンジンの補器類やウェイトを取り外すことによってかなり軽量になり空気抵抗で最高速は落ちたかわりに中間加速や再加速がかなり良くなり、この辺がパイロットに歓迎された一因かと。やっぱクルマやバイクと一緒で軽さは正義!ですね(笑)
まるでスズキのバイクに通じるような機体ですな。
荒蒔義次は「五式戦のレンジ(高度)で戦ったこともあるが、ものをいったのは上昇力」と評している。 上昇力の無さに泣いた三式とは対照的だ。
まさに瓢箪から駒…応急的な処置だったけど意外と良かった…ってパターンでしたね。三式戦はスマートで美しい機体でしたが五式戦は無骨でカッコイイ機体ですね。(僕は初期型のファストバック形状が大好きです。)
エンジンに対して機体がスリムだったので、空冷エンジンの冷却効果が高く、使いやすく馬力が出やすかったのでしょう。始めからこの路線で行けば良かったのかもしれません。今、手に入る空冷エンジンの乗り物と言えば低排気量バイクエンジン。冬に乗ったら空気が冷えてて密度も濃いいので、エンジンの始動性は低下しつつも出力が素直で力強いですね。
撃墜マークがズラ〜ッと多く、長く描かれた小林隊長機がカッコ良すぎる五式戦ですね!
ヘルキャットよりはかなり良かったと思います。ヘルキャットは最高速600キロですが、これは空虚燃料状態であり満タン時では570キロでした。五式戦は満タン時で580キロ、水平速度はほぼ同等。急降下性能はヘルキャットがやや良く、上昇力は五式戦がかなり良い。旋回性は五式戦が圧倒的に良い。と言ったところです。陸軍よりもむしろ海軍で必要とされていた機体だったと思う。零戦の生産分のうち3000機を五式戦に回していたらかなり活躍したと思います。
アメリカの公表スペックって燃料ギリギリとかで出してるスペックがけっこうあるんよね日本はそれも計測するけど満載状態で計測するからねなので某フライトシムでは可能なものは米軍の鹵獲機テストでの数値を参照にしたらしい…その為に、妙に高性能な雷電が誕生したんだとか
@@大東亜解放神-d8p 帝国陸海軍の軍用機は性能テストでは基準が厳し目だったと聞いてます。
そもそも戦闘機同士の空戦で最高速なんて飾りBf109Eよりずっと遅いI-16-28が加速力の差で優勢に事を進めてるしP-47が隼に引き離された事案も有名、一撃離脱がやたら持ち上げられるけれど単純に効率悪いし味方の護衛や低高度じゃ使えないんよ、あとは制限速度があればダイブしても逃がさないくらいか
競争でもするのなら最高速度が速い方が有利だろうけどドッグファイトとなると速度だけではなく操縦性の良さなどいろいろな要素が加わる。現に模擬戦闘で速度が速くて有利なはずの鐘馗が零銭に負けてしまっている。零戦の勝因は操縦性の良さだった。
@@akibanokitune それで駄作扱いされそうになってましたもんねドイツからメッサーシュミットと一緒に来たパイロットが特性を生かした操縦して絶賛したおかげで評価変わりましたけどまあくるくる回る設計にした零戦相手にくるくる回る模擬戦したから負けたらしいですが
何よりも大事な、信頼性と稼働率😉
隼だと20ミリ機関銃を積むと飛行性能が低下してしまうし、最新式の疾風は稼働率や耐久性能を改善するのに時間がかかる。その点、五式戦は胴体に20ミリ機関銃を搭載でき、エンジンを始め熟成されたパーツで構成されている。空戦性能と稼働率や耐久性能のバランスを考えると、新型機の補助的な役割として五式戦が最適だった可能性はあると思う。
このチャンネルは安心して視聴でくる♪
当時の日本の国力の限界が見えて、泣きたくなる。ゼロ戦や隼はスゴイ、紫電改、疾風は米軍機に負けない。って言いたくなる気持ちは分かる。その気持ちは分かるが、既に、ある程度の一般市民が、自家用車やトラック、トラクターを所有していた米国の事情を理解していれば、明らかに無理がある。全ての家庭に自家用車が有ったとは言わないが、田舎町にも、修理工場、ガソリンスタンドが有り、簡単な修理なら自分で出来た国と、自動車を一度も見たことが無い人が、大多数だった国では、差が有りすぎ。「五式戦」への思いは分かるが、無理なものは無理です。
信頼性が高く、稼働率が高いエンジンと急降下にも耐えられる頑強な機体は現場においては何よりも代えがたい物だったのだと思います。
五式戦は「エンジンの供給不足で余った機体」と「百式司偵くらいでしかおらず余剰のあったエンジン」を上手く組み合わせ時期的にもギリギリのタイミングで戦力化できたのがポイント高いですね飛行ニ四四戦隊 小林戦隊長の評価は…三式戦:F4U(対等) F6F(強敵) P-51(敵わない)から五式戦:F4U(楽勝) F6F(互角) P-51(勝てないかもしれないけど負けもしない)と言う意味での「絶対無敗」である点に注意が必要です余談ですが「硫黄島」の呼び方は「いおうとう」です(アメリが映画の影響で「イオウジマ」と言う人が多くなりましたが、戦前生まれの両親は「いおうとう」といってましたよ)
@@corporal-aria 小林少佐の証言はかなり強気ですね。 実際の三式戦の搭乗経験者の証言では、P38やF4Uに対しては旋回戦闘以外では対応不可能で、F6Fには旋回戦闘すら勝てないとされており。 P51に至っては話しにすらならない差とされています。 五式戦は確かに、上昇性能と軽量化による機動性能の向上と旋回性能の向上はありましたが。 実質的な性能は、隼の上位互換程度ですから旋回性能に依存するしかない戦闘機でした。 軽爆からの機種転換で戦闘機パイロットになった小林少佐の証言は割引く必要があります。 47戦隊、64戦隊、航空審査部で戦闘機一筋だった黒江少佐の五式戦の評価はあまり高くはありません。 審査部のP51で空戦訓練を実施した歳に、五式戦のパイロットが『P51と互角❗これで勝てる‼️』と鼻息の荒い連中に『貴様❗そんな飛びかたをしたら死ぬぞ‼️P51は全力を出していないのだ‼️』と注意警告しています。 審査部のP51はエンジン保護の為、馬力を7割程度にしていました。 五式戦の実力は馬力を7割程度に下げたP51以下だったのです。 実際、模擬空戦では旋回では五式戦が優位でしたが。 P51は後ろに周りこむ5式戦を引き離し、絶対に後ろを捕らせませんでした。 五式戦は過大評価なのです。 誉(ハ45)が完調の疾風ならば5000m付近の空戦ならばP51と互角だったのを忘れてはいけません。 もっとも、1945年の疾風は額面性能が下がっていましたが(涙)
@@三浦英則-i6o 小林少佐の証言は隊員を鼓舞していったものと解釈すべきだろう。低空ならかなりやれるようになったわけだ。四式戦というかハ45の性能は激落していた。冷却フィンの変更による冷却力の低下…熱ダレが大きな要因ではないかと思っている。烈風に与えられた誉の性能が当時の実力と思うべきだろう。そんな四式戦3機より1機の五式戦、3式戦3型の方がずっとましという評価が実力を表している。47戦隊のように整備をしっかりすれば飛ぶことはできた。
@@miyamiya2237 1945年に入って92オクタンのガソリンの供給は益々困難なっていましたからね。 堀越二郎が烈風の性能未達の原因を誉の性能不足として、実際に馬力計測した結果6000mで1600馬力以上出ていなければ成らないところ、1300馬力しか出ていないと海軍と中島に対してクレームを入れています。 ご指摘の様に、誉は生産性向上の為に、シリンダー冷却フィンをピッチの荒い簡易型にした事による冷却問題と、燃料気化不均一問題、コンロッドメタルの焼き付き、オクタン価低下と様々な不具合によって馬力が落ちていました。 そんな状況でも中島の中川良一技士は、問題解決に邁進しており。 ブーストアップにより1600馬力程度まで馬力を発揮させています。 残念ながら、南方パレンバンからの原油の入手がとだえてしまい誉に必要な92オクタン価ガソリンの供給が不可能になっています。 誉に限らず、栄、金星も指定燃料は92オクタン価でしたから。 一様に馬力低下していました。 海軍が全力支援していた、紫電改の343空ですら、終戦直前には松根油を混ぜたガソリンが供給される状態でした。 そうなると、尚一層、誉は馬力低下していたと想像できます。 馬力不足の疾風よりソコソコ馬力が出ていた五式戦闘機。 そんな状態で比較すれば、五式戦が高い評価を受けて当然ではありますね。 補足、580km/hとされている五式戦ですが、実際は560km/hしか出ていなかったとも言われています。
工場からロールアウトしたばかりの新品の疾風でさえ、女工の作った精度の悪い部品を使っていた為、配備先の基地の整備兵が全バラシしないと本来の性能をなかなか出せなかったとか。高性能だがピーキーで整備性が悪い疾風より、整備がしやすく稼働率が高い五式戦の方が評判が良かったとか。
ええ?戦時中「いおうじま」って歌ってる歌ありますよ?
三式戦が「曲がらない、登らない」だった理由は、機首の重さとバランスを取るための錘が300Kgもあったせい。五式戦では機首が短くなって錘が不要だった。(誤字修正)
飛燕は翼の左翼と右翼が一体成形で胴体と繋げるんですが、エンジンを変更した時の調節が他の戦闘機と比べて遥かにやり易い構造なんですよね。他の機体の10分の1の時間で調節ができたとか。まぁ、エンジンが軽かったおかげもありますが。
全速度域からのダッシュ力でしょうね。当時の搭乗員をして戦争に勝てる希望を抱かせたってのは大きいことです。
一番好きな戦闘機。生まれ変われるというところがいいじゃないですか。
やっぱ科学力はとても大事。三菱、川崎、中島、川西等多くの航空機製造メーカーがあり、それぞれの得意な機体を作って量産出来て、優れたエンジンを搭載。ムリしても壊れない、整備、補給が容易、搭乗員が生きて帰ってこれる機体、これに尽きる。「2位じゃダメなんですよ」😅
空冷化は提案された時点で実現出来たはずなので1年近く早く登場出来たはずで勿体無い機体ですね。
本当に大戦後期・末期の戦闘機はエンジンに泣かされましたね。DB601はドイツ本国では悪い話を特に聞かないのに日本では資源(特にニッケル)不足と基礎工業力不足のせいで製造から整備・運用に至るまでトラブル続きでしたし。液冷だけではなく、空冷もハ45(誉)は疾風のほか海軍の紫電・紫電改などで馬力不足やトラブルに見舞われましたね。
ドイツ空軍では、基本的に最前線でエンジンのオーバーホールはしません。 要修理になったエンジンは後方に搬送される方式です。 最前線にはリビルドエンジンないし新品エンジンが搬送される方式。 ロジスティックスが維持されている内は、鉄道、空輸、船舶輸送、トラック運搬で最前線の整備部隊に届けられています。 アメリカも同様で、基本的にエンジンの様なデリケートな機械は、現場でのオーバーホールではなく、交換でした。 硫黄島がB29の基地になってからの写真では大量の交換用機材で溢れているのが確認できます。 また、ドイツもアメリカも中古部品のリビルドに力を入れておりました。 日本は、後方支援も不足していました。 南方戦線への交換部品の輸送にも苦労しています。 共食い整備が常態化していますね。
誰だったか忘れましたが、元々視察に行った人はDB601は日本の工業力では手に余るので別の液冷エンジンを進言していたそうです。冷却液のエチレングリコールさえ生産できず、水で代用っていうのだから話にならないです。
@@三浦英則 疾風は基準孔方式のお陰でエンジンの載せ替えでボルト穴がぴったり合ったという話。逆に言えばそれ以前の機種はハンドメイドのようなものでボルト穴の位置からまちまちだったんでしょうから、前線でエンジン載せ替えも当たり前にはできなかったんではないでしょうか。まあ川崎の水準がどうだったかは知りませんが。
@@jx6004 川崎の林技師ですね。当時ドイツに駐留していた林技師が視察に動向して、DB601は難しいとしてJumo211系統を推奨していました。残念ながら陸軍関係者はDB601に惚れこんでしまい、林技師の意見はスルーされています。 これには林技師の経歴にも原因があるかもしれません。 林技師は、液冷エンジン部門が主力の川崎内部では異例の空冷エンジン部門の技術者でしたから『専門外の技術者』と陸軍関係者から見られていた可能性もあります。 林技師は、日本の工業技術レベルでは空冷エンジンの方が良いと考えていた方でしたから。 単なる否定的意見と黙殺された可能性があるかもしれません。
@@jx6004 流石にエンジンは交換可能でしょうね。 エンジンは酷使される部分ですから、頻繁に交換される部位ですからね、エンジンが送られて来る度に取り付け部位がズレていたら大問題ですから。 零戦に関して言えば本家三菱の零戦と中島の零戦では微妙に仕様が異なり、部品の流用が難しかった様子です。実際に、中島での生産にあたり細部の仕様を変更したことを三菱の曽根技師がノートに残しています。 零戦の増産を計るために、中島の設備で生産しやすい様に細部を変更しています。 増産が優先であり、互換性には留意していませんでした。 海外も似たり寄ったりで、ライセンス生産型は本家とは仕様が異なっていたようで。 型式名も変えてますから、細部の互換性が異なっていた可能性は高いです。有名なのはイギリスのマーリンとアメリカのパッカードマーリンは互換性が一切なかったこと。 一応インチ規格なんですけど英インチと米インチの規格が異なっていたので、スピットファイアへの取り付けが不可能でした。 そこで、イギリスの戦闘機には本家マーリンを供給してパッカードマーリンはランカスター等の爆撃機に供給していました。 P-51Bから搭載されたパッカードマーリンは本家のマーリンよりも加工精度が高くオイル漏れも少なく好評でしたが、スピットには取り付けできないのでイギリス空軍戦闘機パイロットはパッカードマーリンを搭載したP-51を羨んでいました。
比較的軽い機体に中庸な出力の空冷エンジンですから、F6Fより上昇力が良くて、ズーム・ダイブでも切れが出るし、急降下が普通にできるし、小さくロールしても動きが良いですから、不利な位置からも逃げれたようですので、高出力の米国製重量機よりも上手く立ち回れる機会が多かったようです。但し、出力は離昇1500HPですから、2000HP級のダブルワスプが標準の米国機相手だと、チェイスしても逃げられてしまうので、サンボルやP-51と互角というのは言い過ぎかもしれません。低・中高度で600~650kmが出せる相手だと、多勢相手にロッテ戦組まれたら かなり不利になることもあったでしょうし。確かに零戦より加速や上昇力は遥かに良いし急降下が得意だったので、当時の日本機の中では良い機体とは言えますけどね。
サンボル「隼に追いつけないんだが?」F6F「特攻の隼の突破率50%いってるんだけれど・・・」
追記するならズーム・ダイブだけで言えばほぼ同じ出力(1450hp)で約500kg軽い鍾馗がピカ1高度5000mまで6分の五式戦を尻目に4分30秒で駆け上がるし制限速度も勝るとも劣らない欠点は搭載機銃の生産が間に合って無くて長い間7.7mmに世話になってた事と疾風の稼働率100%まで持って行った刈谷大尉でも手を焼く気まぐれエンジン
待ってました!
五式戦が名機たる由縁は主翼にある。アスペクト比が異例に高いその主翼は実は高速領域で隼以上の格闘能力を付与した。三式戦とP51 を比べるとP51 は1トン近く重い。然しながらP51 が優速なのは空気抵抗の少なさ、マリーンエンジンの出力的優位(カタログ値でその差600HP程度)がある。一方、五式戦とP51 では出力差は200HPしかなく、重量は五式戦が1.3トンも軽い。そりゃ逃げられるわけだ。三式戦が敵側からP40相当としてしか評価されていないのも理由がある。試作機の高評価と実戦での評価がことなるのは試作機から大幅に防弾板、搭載機器が増えており尾輪上にバラストを積んで調整していたことなとから試作機より鈍重な運動性能となった。重心より遠いところにバラストを積んだのであるから運動性は落ちる。機体の重心B29 対策で武装や防弾版を下した機体は高空でも比較的高い性能を保持している。
私の睨んでいたところを書かれてしまって嬉し悔しいですww高アスペクト比・頑丈な主翼の設計の良さが最大要因、それに軽量化・マスの集中化、適切なプロペラ径等の相乗効果ですね。米戦闘機はP-51でもとにかく重く、中間重量で5式の1.5倍、しかし全幅はかえって狭い。結果離昇2200hpでも馬力荷重は1500hpの5式と同等。翼面荷重は1.4倍、翼幅荷重は1.6倍。数値的にもP-51が劣ってる部分はたくさんありますね。
よっしゃー! この声が、一番です 動画も最高!
動画UP嬉しいです
元の三式戦に比べると鼻がぐっと短くなったのに飛行性能のバランスが悪くならないというのが面白い。もちろん細心の慎重さで改造してるんだろうけど。
もともとエンジンが大型化することを見越して、主翼取り付け位置を前後させて重心を調整できる設計だったそうで。
飛行機の重心は主翼の前縁から1/3あたりに決まっているし、重心位置から遠いところに重量物があると機動性が悪化する。鼻は短い方がよいのだ。ついでに言えば、五式戦になり、尾部のバラストが不要になった。これも縦方向の運動性改善に寄与する。
@@miyamiya2237まさに自動車で言うとショートノーズのライトウエイトスポーツカーに当てはまる理屈ですね!
歴戦のパイロットであった、檜少佐も、その手記の中で「五式戦に乗りながら、撃墜される奴いる!なんて気がしれない!」と言ったそうです。あのP-51とも互角に渡り合えたそうです。最も、緒戦から、加藤部隊の一員として戦って来た歴戦のパイロットだから言える言葉だったんでしょうけれどね…。
わお復活してる!やっぱこの声よ
名機中の名機
戦闘機の強さは単純にカタログスペックだけでは決められないってことだね。
日本陸軍最良の兵器の一つでしょう、三式戦のハ40(DB601のライセンス製品)の生産性と信頼性が揃わない中で信頼性ある空冷エンジンに換装しマスタングに善戦した事は三式戦の素性の良さが発揮されてました、日本は航空機エンジンの開発生産には苦労してましたから
大戦末期、未熟な新人パイロットを零戦21型に搭乗させたところ、零戦52型に乗る先輩たちより撃墜数が多かったという話があります。五式戦が有効だったという説は納得です。
そら逃げる時に敏しょうな方が有利というだけの話だw
大戦末期の、日本パイロットの申告する撃墜数が、信用できるのか?ですね。
劣勢に立たされ補充もままならない戦況なら撃墜されにくさも大事。
末期に撃墜できるなら、2人とも優秀
零戦の傑作期は21か23型だったって言われていてその後は改悪だとパイロットからは不評だった。確かにスペック上では52型の方が良さそうに思えるがその性能が出る条件はかなり限られていて条件によっては21型の方がパワーがあったという。真夏の高温化で冷房のコンプレッサーと同じで役に立たない過給機なんていらねーっていう意見が多かったとか
もともとの機体にかなりの自由度があった。 主翼の移動可能(悪く言えば最後は自己調整)などの箇所があり水冷から空冷エンジンへの切り替え手による適合性のの調整が可能であった。 これは、ゼロ戦の三菱と違ってある程度の制作自由性?をもった土井の会社の特性とも言える。 戦争の最後を飾る新鋭戦闘機は日本の誇りである。
渡辺洋二さんの本にも三式戦のシャシの元々の性能が発揮できたとありましたね。
技術的には最低でも1年早く実用化出来ていた戦闘機ではある…ドイツのエンジンを日本で造るには、あまりにも工業力や「素材」の品質が低すぎた
べつにエンジン自体は普通に作れてたけど、整備の人間にマニュアルも工具も液冷エンジン用のものをメーカーがろくに手配してくれなかっただけだろ。現物もってきてハイ使ってくださいは通用しないからな。飛燕は正直技術者のオナニー臭がするんだよな。あれはほんと現場の人間迷惑だろうな。いきなりノウハウないエンジン持ってきたくせに栄と大差ないゴミエンジンだもんなw正直飛燕のるくらいならエミールのほうがマシ。同世代のF型になんか足元にも及ばない
専用加工機械の導入がドイツの開戦でできなくなったのも大きいけどね。汎用加工機械じゃ加工に時間も掛かって精度も出ない
あと、エンジンのライセンスと機付き燃料ポンプのライセンスが別で売らないってのをボッシュがやらかしてるんよななので三菱にそれっぽいものを作らせたらしい
3式戦は整備ができていたものはかなり良かったようだ
飛行第244戦隊でしょう。効率的な整備法が採用され稼働率の良さとかで、近衛部隊ともいわれてましたね。
@@松尾直-q2j 調布は陸軍の航空機研究開発拠点であった立川飛行場も近かったことも整備法とか確立するうえで良かったのでしょうね。
四式戦がエンジンで苦しんだ分、エンジンがマシだった五色戦が際立つんだよな・・・アメリカでのテストでは四式戦は最も高い評価が出てるし
搭乗したパイロットのインタビューによると上昇力が上がった事が良かったそうです上昇力の増加はスピードの増加と同じ位大事とも倒立V型液冷エンジンから空冷エンジンに換装してプロペラ軸線が上がった分プロペラ直径を増やしてプロペラ効率が上がった為と推論していました逆に彗星は軸線が下がってプロペラ直径が小さくなり効率が悪くなったとか
プロペラ直径は2型より10cm短縮されているので間違い。 上昇力の向上は、軽量化と出力の向上(特に低空)による。
5式戦は1400馬力の機体として平均的な速度性能でしょうね。元の3式戦が頑丈設計だったので、ムリが利く機体だったと思う。つまり逃げ易い。4式戦のエンジンが不調だと5式戦とどっこいの出力になって来るから、縦横比の大きい方が操縦性が良いと思います。てか、そもそも3式戦が中戦って言ってなかったかな。
おっしゃる通り3式戦は軽戦と重戦を兼ねる中戦というコンセプトで生まれましたが、重量ゆえ軽戦としては運動性が悪く、重戦としてはダッシュ力や上昇性能が足りず、5式戦になってようやく計画通りの役目を果たせるようになった感じですね。
中戦←重戦の鍾馗より500kg近く重い
正確な所見だと思います。日本軍機は600キロクラブに入ったのが一周遅れだった、設計は優秀だったがとにかくエンジンでトラブった。当時アメリカに多くの将校が駐在武官としていたにも関わらずアメリカの自動車王国が来る戦争の戦闘機エンジンの元となるという見方は山本五十六さえも指摘していなかった。国力の違いは正確に掴んだが地上の自動車と空の戦闘機を結び付けた人はいなかった。
米軍側は終戦まで五式戦の存在に気づかず、小牧基地で4機接収されたが米陸海軍共に全く興味を示さず本格的な試験もしなかった。一応書類や地上で調査したが性能や構造などで感銘を受けた様子はなかった
むしろ日本の工業力がこの程度でよくやってたなってのが正直の向こうの感想だったみたいですね。
機体の技術解説や実戦での記録を見るとまるで自動車でいうWRCマシンのお話のよう。ガラスの高性能サラブレッドより、信頼性のある頑丈な駄馬の方が実戦に向いているのでしょうね。深いなあ。
1500馬力程度の戦闘機でも使えたなら、この程度の戦闘機は終戦間際でなく1943年後半には前線に出すべきでしたね。零戦・隼を出した後、日本の工業技術力にそぐわない液冷エンジン機の三式戦でなく、火星エンジンで良いから一式戦・二式戦を担当した糸川博士に設計を頼み、防弾も考慮した陸海共用戦闘機を出すくらいでないと、前線の戦闘機搭乗員が気の毒。特に海軍。当時の首相が戦争指導に先見力があり、小さなリソースをもっと有効に活用できるリーダーシップを取れる能力があれば、後半戦以降の空戦の負け続きと搭乗員の消耗を減らせられたかも。
糸川英雄は軍の指図で仕事をさせられるのに嫌気がさして1941年11月には中島を辞めて大学助教授に転職しています。飛燕の初陣が1943年5月ですから真価を問うのはそれからで、1943年後半は「こりゃダメだ」と分かったころでしょう。その時期に空冷で間に合わせるなら最初から空冷でなきゃ無理。
ドイツ製DBエンジンはイタリアでもライセンス生産されてたが、イタリアでも工作不良に悩まされて最終的に直輸入に切り替えた。 と言う動画があった。「そんなエンジンをライセンス生産させるなよ」と一言ツッコミたい(笑)
え、そうだったの?日本よりは自動車用とかでノウハウが蓄積されてると思ってたわ独や米英よりは家内制手工業寄りな生産ペースってだけで
@@yamkatz8386シュナイダートロフィー、っつーアタマのネジ外れた水上機競技があってだな
押し売りされたわけではない 日伊の方がおねだりをした側
当のドイツはダイムラーベンツDB601Aaより工作が容易なユンカースユモ211Aを勧めたけどね。当時の陸軍が戦時における戦略物質であるニッケルの使用制限つけていたからなぁ、一概に川崎エンジン開発陣を責めるわけにはいかない。
日本では、1700なんて無理、アメリカの高性能工作機械に、良質のオイルとガソリンに加えて元々冶金技術が高い、日本のエンジンでもオイルとガソリンが違うと高性能に成ったのは、史実の通り。日本は小手先にこだわり過ぎた感がある。大排気量の小型エンジンと言う発想ならもう少し何とか成ったかも😂
実戦に於いては仕様性能よりも信頼性を取るべき時があるわけだ…(深甚)
よくFW190と比較されるのが当時の工業力の差を感じさせる。それでも双方とも性能が良かったのは職人の国だなとも思う。
あの当時の日本技術ではスーパーチャージャー付き液冷エンジンは部品段階から難しかったんだろうね。パッキンが全然駄目だったらしいです。星型空冷はある意味バイクエンジンを丸く並べただけだから、工業技術の高度的にはそれほどでもない。
五式戦は終戦後に滋賀県で武装解体へ参加した祖父があまりに簡単に燃えて信じられかったと言ってた
陸軍機好きだからプラモ作ったな隼と疾風、鍾馗や雷電、飛燕など
カタログスペックの話で言うと零戦の3千kmにも及ぶ広大な航続距離は単座戦闘機の搭乗員にとってかなり過酷な長時間労働だったらしーですねーいくら長く飛べても人間の限界を超えたら意味ありせんもんね😂
逆に飛燕並みに登場時期を早くすると金星もトラブル出ていた時期だし、機数増えれば特性を米軍に周知される本当に、たまたま戦争末期のこの時期だからスペック以上の評価得たって感じ
実機は、イギリスにしかないよな。
本来はキ-100(五式戦は俗称)という独立した機体番号ではなく三式戦Ⅲ型と称するべき機体。、三式戦Ⅰ型は─発動機の故障もさることながら─機体重量の増加で最大速度が540km/h前後にまで低下し、性能向上を期した三式戦Ⅱ型は川崎製DB発動機「ハ140」の実用化が絶望的と判明したことから空冷式発動機への転換を決意。開発中止となった他機種から捻出したハ-112Ⅱ(金星)発動機を搭載したことで飛行性能が三式戦「試作機」に近い程度に回復し、稼働率も他機種と同程度となった─決して良好というわけではない─のが実態。「その程度」でも大戦最末期の陸軍戦闘機部隊としては干天の慈雨に感じられたのだから、この機体は大戦最末期の状況を象徴していると見るべきかも知れない。
陸軍は、飛燕に搭載する液冷エンジンは、愛知航空のアツタをアテにしていたそうです。しかし、予想以上に生産は困難を極め、とても陸軍に回せる余裕はなく、仕方なくライセンスを別に取得して、川崎重工に作らせたそうです。
ライセンス重複とはいえ技術指導もそれぞれ別途に必要だし
ちょっと誤解があるようですね。海軍が愛知の発動機部門に導入させるも13試艦爆用に安定した生産を行えるようにするのは極めて困難とされたのはDB600です。こちらは海軍(愛知)がダイムラーベンツからライセンスを取得していましたが、陸軍は海軍経由で愛知の生産するエンジンを受け取ることが出来る取り決めでした。その後DB600の改良型のDB601が大幅に信頼性が向上しているいエンジンだということがわかると陸軍は次期主力戦闘機の発動機として導入に前向きになりますが、海軍側も13試艦爆だけでなく局戦や水上機への搭載も検討しはじめており、愛知の生産能力では陸海軍分の生産は賄えないと見込まれたため陸海軍1社ずつ並列でライセンス契約を結ぶことになります。ちなみに海軍の結んだDB600のライセンスにはその改良型も含まれるという契約でしたが、ダイムラーベンツにDB601は全く別のエンジンとして新規に契約を結ばされています。また愛知の生産したDB601A→アツタ21型は十分な信頼性を持っていて故障も少ない発動機でした。独自の性能向上型であるアツタ30系列も含め川崎のハ40→ハ140と対照的です。そこははっきり差があるんですよ。
@@underhat-gc4ru さん なるほど😊
当時の日本にはシリンダヘッドを下に持ってくる配置は難しかったのかな?ヘッド周りのオイル漏れとかクランク周りの潤滑とか正立とは異なるポイントが問題を引き起こしたのかも。BF109がFE190Aに生まれ変わるというね。
液冷エンジンを早めに見切り付けて、開発していればね
飛燕での機体の優秀性を活かせたのがこのエンジンしか、無かったのが当時の現状だったのでしょうね😂😂😂😂😂
目視での戦闘だしエンジンが太いから重戦だと思ったら旋回速い!ってかんじだったんじゃない
もっと早く実用化できていたらな、
P-51HやF8Fが来るようになったらキツいだろうな
戦争が一年か二年長引けばそうなっていたと思います。P-47Nも飛来していた事でしょう。
F6Fヘルキャットも日本本土近くまで母艦が近づけたら互角も怪しい。P51に至っては硫黄島からの往復のハンデがなければ相手にもならない。一部の凄腕パイロット以外は生き残るのも難しいのが現実では。ただ5式戦は日本が持ち得た最良の戦闘機だと思う。
海軍と空自で勤務した叔父は、s19〜20の海軍機のエンジンも機体も波打ってボロばっかりとか廃油を濾して使ってたとか造りがボロだからオイル漏ればっかりとか言ってました。空自でT6やF86接して米国の底力を感じたと生前聞いてます。テキサンのエンジンでもオイル漏れは皆無だったそうです。
アメリカはこの時代にすでにOリング使ってたそうです。潤滑油のクオリティーに問題が有ったのは確かにあるようです。ガソリンの質についてはよく言われますが実際はオイルもまずかったのはおそらく確実です。
@@masahiroyamagami407 当時の整備士の方が濾過しただけの使用済みオイルをエンジンにぶち込んでるのを見て絶句したみたいな話がありましたねエース部隊なんかだと戦前輸入品や鹵獲品をストックしておいたり撃墜した敵機のエンジンから回収したりとかしてたらしい一応末期には生産量は絶望的だけどどうにか石炭から作るオイルでマシなのが出来たらしいですが
@user-yj5xl8zy9y ちょっと混ぜる位なら使えない事は無いかな?位だったらしいですね
@@sei-un 松根油を混ぜた燃料だと離陸してまっすぐ目的地まで飛んで降りるくらいなら使えたが、空戦などの機動を行うと詰まってしまい戦闘機の燃料としては使えないということでレシプロ発動機での松根油混合燃料は正式採用されなかったとのことです。
零戦21型で一升瓶にOIL詰めて操縦席からOIL補給出来る様に改造した機体で戦ったパイロットも居たそうです。戦闘機動した後は必須だったとか。
独自に集めた情報はありませんか?
10:02 疾風が本来中戦として登場とは聞いたことがありません。中戦はキ61開発時の土井技師の考えでしょう。
陸軍では「搭乗員」とは言わず、「空中勤務者」と言います。「搭乗員」は海軍用語です。
こういうガバガバ言うchって嫌だよね
陸軍は海軍より航空勝るな
え!?復活!?
液冷エンジンと空冷エンジンでは求められる精度が違いすぎる。当時の日本では無理だったのでしょう。彗星のアツタは本当の試作機で熟練工がちゃんと作ったものなので、もう、量産なんてムリなんですよ。液冷エンジンの何がムリって、冷却する液体を液漏れさせたらオーバーヒートになるって事なんです。そして冷却する液体もエンジンの温度によって熱くなるって事なんです。ゴムのパッキンだって緩くなる。そこを計算してちゃんとパッキン嵌めなきゃ、冷却液がそこから漏れてエンジンが冷えなくなってオーバーヒートするんです。空冷はオイルがある程度漏れても大丈夫なんですよ。凄い暴論な言い方をしますが、最低でも冷却は空流に任せてるから致命的にはならんのです。
そもそも冷却液のエチレングリコールを作れず、水で代用なんだから本来の性能が出せるはずがないんです。
エンジン不良を見切り付けて、こちらに切り換えたらな
同じ5ナンバーでLa5が相手ならどうだろう?
もっと前にエンジンを換装していれば活躍の度合いは違っていただろう。さらに簡易型のスーパーチャージャーとエンジンを三菱のハ43を装備したらどんな機体になっていただろう?まぁ、夢のまた夢のタラレバだが。
二社で液例エンジンが開発されていたのは道理なんですよ。第一にリスク分散です。どちらかが開発に失敗しても…と言うわけです。第二に、各社の生産力の限界です。また、ライセンスを両社がとったのは、これも当たり前で、普通は企業間の契約なんですよこれは。と言うわけで、不仲説や非効率説はデマなんです。
5式戦が出現した当時の戦域は既に日本本土上空になっていた訳で、米軍機側には幾分不利な土俵となる。往復分の燃料、より長い飛行時間、憎悪から起きるであろう不時着時の搭乗員の危険。5式戦の活躍は兵器としての能力だけでは説明出来ない。
日本のパイロットは格闘戦に固執し過ぎるから五式戦不敗は褒め過ぎでは?
不敗であって必勝とは言っていない。加速力があり格闘線が得意な隼も「落とせないが落とされない」と評価されていた。
@@ほえほえ-w3x 上坊さんが「選ぶなら1式戦3型、勝てないかもしれないけど負けないから」って仰ってましたね
まさかの再来動画は幾つか消えたけど再アップする予定は?
このテストパイロットとかの証言って、信用していいの? 言わされてるんちゃうの?
この五式戦闘機と烈風がもっと早く登場していたら・・・
大戦末期の日本陸海軍軍用機は、稼働率の良好な零戦、隼でもガソリン品質の低下で額面性能割れが普通でした。 誉(ハ45)も昭和20年に入って、粗製乱造によるエンジン品質低下と燃料品質低下により。 額面性能は金星62型(ハ112)並みに低下していました。 疾風は試作機と量産初期に発揮していた620~650粁を発揮不可能となっており、最良の部隊で610粁程度に低下。最悪の部隊では580粁程度しか出せず上昇性能も著しく低下していました。 疾風の稼働率100%を発揮していた 飛行47戦隊ですら、整備隊長である刈谷大尉の証言から、額面性能が下がっていたとも取れる証言が残っています。 キー100の搭載したハ112(金星62型)は、性能凋落の著しい中に有って、額面性能を発揮していた数少ないエンジンでした。 確実に1500馬力を出し、2速全開高度でも1250馬力を出せるハ112ならば、2速全開馬力が1300馬力に低下していたとされる疾風よりも高い空戦性能を発揮できても惜しくはない。 それ故に、キー100は高い評価を受けたのでしょう。 キー100が高性能だった訳ではなく、単に、疾風の性能が低下していただけなのです😢。 また、ハ112は、高い稼働率だったと証言が残っていますが。 大袈裟な証言と言えます、檜少佐や小林少佐の『燃料とオイルを入れれれば100%の稼働率だった』との証言も確かにありますが。 実際は稼働率60%程度だったと言われています。 誉やハ40.ハ140に比べれば格段に故障の少ないエンジンだったのは事実です。
三式戦「飛燕」は川崎が18年末に出した,液冷エンジン(独DB)を搭載した、翼面荷重が異常に高い日本では珍しい重戦闘機でした。独製のマウザー20ミリを胴体横に搭載し高空性能と急降下性能で期待されたが、工業力が劣る日本ではエンジンでつまずいた。結果が翼面荷重の低い取り回しの良い五式戦であるが、速度は560キロくらい、整備は安定、量産効果もあったので末期の功労機であった。重戦に期待した三式戦であったが、五式戦は重戦に慣れた先進国の開発競争に突然現れた格闘戦闘機に戸惑わされ五式戦は末期に評価された。だが世界は既にP-38の時速700キロ時代に入っており、じり貧は免れなかった。
翼面荷重は“重量“が関係する、とだけ言っておきます
@@しょー-m9m 翼面積もかんけいします。一般的に海軍機の方が翼面荷重は低く設計してあります。空母着艦がその理由です。機体重量は翼の面積と翼幅で変わります。
艦載機は概して翼面荷重を低く製造する、着艦の時のふんわり浮きが目的です、つまり翼が大きく作られる、だが、その代償は速度と急降下性能を犠牲にする。アメリカはこれをエンジンパワーの巨大さで逆転したF6F以降の海軍機は翼面荷重が大きい割には陸上機を凌ぐ速度を出した。
5式戦は日本のみならず、大戦参加機の中で最高の性能を持つと当時の我が国の航空技術の高さを証明できる戦闘機だから今でも国民人気も高い。実際当時の戦った軍人たちは五式戦があればP51等問題にならぬという言葉を残した位、今でも大戦最高傑作機の一つと評価されている。
大戦参加機の中で最強は草んなわけ無いやろ基礎工業力の低い日本にしては優秀だっただけや全然世界に通用する性能ではない
ぶっちゃけ無い無いづくしの大戦末期に何とか動いてくれて抗戦出来たから無いよりマシ程度のもんなんだよなぁ…
大戦末期での、程々に性能が良く、製品として程々に安定していて、従来機よりは程々に軽戦寄り それが偶然の成り行きでニッチ的にハマっただけ キツく言えばちょっと良い凡庸、末期での戦闘機トレンド・空戦トレンドから外れた事が奏功した結果論機
大戦末期に投入された機は、紫電改も疾風もこの五式戦も、燃料もエンジンオイルも粗悪品で運用せざるを得ず、設計性能を発揮できてない。さらに日本の機銃は薬莢の火薬充てん量が少なくてまっすぐ飛ばない。どうやっても負けるべくして負けた戦争。
オイル云々より工業製品のクオリティが日本は低いんだよ。一回飛ぶとエンジンにオイルまき散らすからな。アメリカなんかバッファローでさえそんなの一切なかったからな。電線の被膜もろくにゴムがないしそこらへん理解してないと燃料とか頓珍漢なこということになる。 一つだけの問題じゃないからな
@@ニシノフラワー0パッキン以外も金属精錬技術、溶接技術、耐熱金属等日本には工夫で埋められないぐらいに基礎工業力がなかったというかその工夫のための技術すら日本にはなかったまあ敗戦は必然だな
@@ニシノフラワー0 一つだけの問題じゃないのはその通りです。疾風が戦後米軍のテスト飛行でアメリカのスパークプラグやガソリンを使用したところ日本の設計スペックより高い性能を出したことはウィキにも書いてあります。なお、戦争末期のガソリンやオイルがどれだけ粗悪だったか、ガソリンのオクタン価がどれだけ下がっていたか、果ては松根油までが混入されたいたといった事実は、笠井智一氏の「最後の紫電改パイロット」に詳しく書いてあります。どちらが頓珍漢か確認してみてください。
@@ニシノフラワー0 ピストン一つとっても工員がヤスリ掛けで調整してるせいで別の場所やエンジンに入れようとしたらヤスリ掛けして調整しないと入らないのでニコイチ修理がしにくかったり冷却時にピタリに合わせたせいでエンジン温まると調子が悪くなるとかね…計測機器の精度の問題があるけどアメリカは膨張を計算して温まったらピタリにしてた38式歩兵銃ですらニコイチ修理が出来ないものがあったらしいし当時の日本は列強っつっても列強最下位で海外から材料買ってきて海外の中古機械を頼りに加工して後進国に輸出ってしてた国だからね…
小さな小さな問題を一つ二つ紹介して、そこから導く結論が「負けるべくして負けた」という日本のWWⅡ総括って…
機首の空気取り入れ口がしびれる。
三式戦闘機をエンジンスワップしたってことでおk?
優秀な機体に 優秀なエンジン(空冷エンジン)なら 優秀機になるのは当たり前でしょ?例で イギリスのスピットファイアのエンジンも 最初はロールスロイスのマリーンエンジンを付けていたけど 後期型は 強馬力のグリフォンエンジン(付けるときの変更は殆ど無しなほど)を付けたような感じで分かりやすかったですけどね.
基礎工業力が問題と、エンジンのクランクシャフトの精度不良、ドイツでは流れ作業で簡単に量産してたがそれが出来無い。又ベアリングの精密量産もダメだった。水冷直列エンジンだクランクシャフトやベアリングの精度不良ではエンジンは直ぐにガタガタに成る。その上ガソリンの低オクタン価(質度)では充分な馬力は得られ無い。そんな低品質の兵器で戦わさせられた兵士はたまらない。日本は国として二流だった。首無し飛燕から5式戦に乗換これを褒めた小林少佐はB29攻撃に活躍、戦後は暫く苦労された様だが後に空自のジェット戦闘機乗り、セィバー機?で訓練中機体不良の事故で殉職されてます。
生産機数300機程度の実働半年たらずの機体が活躍はないんじゃない?
プラモでブンドドする次元で考えれば「活躍」、戦争を全般的に見れば「活躍」でもなんでもない 視点によるのでしょう
どんなに良い兵器があってもパイロットが居なければ意味がない。初戦で優秀なパイロットを使い捨てにした結果後に優秀な戦闘機が開発されてもそれを操縦できるパイロットが居なかったので実力が発揮できなかった。
連合国側も枢軸国側も基本的に兵隊は消耗品 英独ソ見ろ 米国だけは回収リソースが豊富にあったからやれただけ 日本だけがどーのこーのという話ではない
@@しょー-m9m アメリカ軍だけは違ったんだよ。パイロットの育成には2年の歳月と現在貨幣で2億円かかるという事実を冷静に分析してパイロットの損耗を可能な限り防ぐ設計をさせたんだよ。手練れのパイロットを救出すればバケツ一杯のアイスクリームが配られたそうだから駆逐艦や偵察機が躍起になって探したんのに対して日本軍は帰って来ないから死んだなで見放した。
@@しょー-m9m 回収リソースが豊富にあったからじゃないんだ、あえて豊富にしたんだよパイロットは貴重だと先に気付いたアメリカ軍の勝利だ。
パイロットの育成には2年の歳月と現在の貨幣価値で2億円もの費用がかかるという事実を米軍は冷静に分析し航空機<人名の方針をたてた。この差が勝敗を分けた。
アメリカの評価は 普通 末期の日本勢…
欧米でジェット機が飛び始めた昭和20年に1500馬力レシプロ戦闘機が善戦した。生産数400機では米戦闘機の大群と戦えない。というのが普通の評価です
そういう冷静かつ高い視点から俯瞰で見る事ができる人がなかなか少ないのが困った問題
p51に撃墜される気がしない!気がしないだけでp51に乗せて貰ったら5式戦なんていらないと思いそう😢
P51は中・低高度だと速度も出ないし運動性も良く無いよ、最高速度は高高度の空気が薄くて抵抗の少ない時のスペックで低高度だと翼の設計の関係で運動性もガタ落ちだよ。戦時中に鹵獲されたP51の評価も高高度で一撃離脱以外だと以外と凡庸な機体。
みないほうが目のため。
三式戦は明らかに日本の実情にそぐわない機体だった、その意味では駄作と言える。
ろくに戦わなかくてたまたま運がよかっただけで評価されただけなのになんで夢見すぎなんだろうな。常識的に考えて熱田と大差なくて終戦間際で活躍できるとでも思ってるのかと。飛燕は機体的に別に優れてたわけでもないしな
これはただの推測に過ぎないが、陸軍のパイロットにまだ優秀な人が残っていたのと末期でアメリカも油断していたからだろうかあとパイロット達が神格化する理由は隼はそもそも通用しない鍾馗は生産数が少なく性能面も末期では厳しい飛燕はまず動かないしまともに使えるものはもっと限られていた疾風も末期じゃ稼働率が低すぎるこの状況では末期の劣悪な使用環境でも運用できて敵機にも通用するレベルの五式戦が称賛されるのも頷けるまあ、必要なときに戦場で通用するレベルの物を製造できたところは評価できると思う
>飛燕は機体的に別に優れてたわけでもないしな急降下制限速度が隼、疾風、ゼロよりも遥かに優速であるアドバンテージを理解出来ないバカ。
ムカムカするw💢
単に稼働率が高く扱いが簡単だったのではないか、過大評価のような気がする😀😀😀
2007年にロンドン郊外のRAF博物館マイルストーン室で見たけど、当時の敵国が名機として保存してくれていることが、何よりこの機種の評価を表していると思う
海軍の土方敏夫が手記の中で五式戦の戦いぶりを評価している。
・陸軍もなかなかやる」
・F6Fに追われた五式戦が上昇で振り切って逃げおおせた。
・燃料切れで着陸してきた五式戦を隊長の蔵田大尉が試乗した。「上昇と突っ込みの良い戦闘機」
海軍パイロットの目から見てもよく戦っており、性能も良好と映ったようだ。
元になった三式戦闘機と比べて重量が大幅に軽くなり、パワーは二型と同等。三式戦闘機の主要生産型一型丁でエンジンのパワー不足で悪化していた上昇力と加速性能も大幅に向上。元々優秀だった急降下性能もあって大戦後期の連合国軍戦闘機とは相性の良い機体に。この相性の良さが登場時期を考えればある程度の活躍が出来た要因でしょう。
五式戦の排気管回りの造りは昭和18年に輸入されたFw190A-5の排気管回りを参考にしたそうです。
FW190の排気管回りの処理の仕方を上手く流用した結果、エンジン換装によって生じた段差回りに発生する渦流を吹き飛ばす効果あったという。その他に空冷化によってラジエターなどの液冷エンジンの補器類やウェイトを取り外すことによってかなり軽量になり空気抵抗で最高速は落ちたかわりに中間加速や再加速がかなり良くなり、この辺がパイロットに歓迎された一因かと。
やっぱクルマやバイクと一緒で軽さは正義!ですね(笑)
まるでスズキのバイクに通じるような機体ですな。
荒蒔義次は「五式戦のレンジ(高度)で戦ったこともあるが、ものをいったのは上昇力」と評している。 上昇力の無さに泣いた三式とは対照的だ。
まさに瓢箪から駒…応急的な処置だったけど意外と良かった…ってパターンでしたね。
三式戦はスマートで美しい機体でしたが五式戦は無骨でカッコイイ機体ですね。(僕は初期型のファストバック形状が大好きです。)
エンジンに対して機体がスリムだったので、空冷エンジンの冷却効果が高く、使いやすく馬力が出やすかったのでしょう。
始めからこの路線で行けば良かったのかもしれません。
今、手に入る空冷エンジンの乗り物と言えば低排気量バイクエンジン。冬に乗ったら空気が冷えてて密度も濃いいので、エンジンの始動性は低下しつつも出力が素直で力強いですね。
撃墜マークがズラ〜ッと多く、長く描かれた小林隊長機がカッコ良すぎる五式戦ですね!
ヘルキャットよりはかなり良かったと思います。
ヘルキャットは最高速600キロですが、これは空虚燃料状態であり満タン時では570キロでした。
五式戦は満タン時で580キロ、水平速度はほぼ同等。
急降下性能はヘルキャットがやや良く、
上昇力は五式戦がかなり良い。
旋回性は五式戦が圧倒的に良い。
と言ったところです。
陸軍よりもむしろ海軍で必要とされていた機体だったと思う。
零戦の生産分のうち3000機を五式戦に回していたらかなり活躍したと思います。
アメリカの公表スペックって燃料ギリギリとかで出してるスペックがけっこうあるんよね
日本はそれも計測するけど満載状態で計測するからね
なので某フライトシムでは可能なものは米軍の鹵獲機テストでの数値を参照にしたらしい…
その為に、妙に高性能な雷電が誕生したんだとか
@@大東亜解放神-d8p 帝国陸海軍の軍用機は性能テストでは基準が厳し目だったと聞いてます。
そもそも戦闘機同士の空戦で最高速なんて飾り
Bf109Eよりずっと遅いI-16-28が加速力の差で優勢に事を進めてるし
P-47が隼に引き離された事案も有名、一撃離脱がやたら持ち上げられるけれど
単純に効率悪いし味方の護衛や低高度じゃ使えないんよ、あとは制限速度があればダイブしても逃がさないくらいか
競争でもするのなら最高速度が速い方が有利だろうけどドッグファイトとなると速度だけではなく操縦性の良さなどいろいろな要素が加わる。
現に模擬戦闘で速度が速くて有利なはずの鐘馗が零銭に負けてしまっている。
零戦の勝因は操縦性の良さだった。
@@akibanokitune それで駄作扱いされそうになってましたもんね
ドイツからメッサーシュミットと一緒に来たパイロットが特性を生かした操縦して絶賛したおかげで評価変わりましたけど
まあくるくる回る設計にした零戦相手にくるくる回る模擬戦したから負けたらしいですが
何よりも大事な、信頼性と稼働率😉
隼だと20ミリ機関銃を積むと飛行性能が低下してしまうし、最新式の疾風は稼働率や耐久性能を改善するのに時間がかかる。
その点、五式戦は胴体に20ミリ機関銃を搭載でき、エンジンを始め熟成されたパーツで構成されている。
空戦性能と稼働率や耐久性能のバランスを考えると、新型機の補助的な役割として五式戦が最適だった可能性はあると思う。
このチャンネルは安心して視聴でくる♪
当時の日本の国力の限界が見えて、泣きたくなる。
ゼロ戦や隼はスゴイ、紫電改、疾風は米軍機に負けない。って言いたくなる気持ちは分かる。
その気持ちは分かるが、既に、ある程度の一般市民が、自家用車やトラック、トラクターを所有していた米国の事情を理解していれば、明らかに無理がある。
全ての家庭に自家用車が有ったとは言わないが、田舎町にも、修理工場、ガソリンスタンドが有り、簡単な修理なら自分で出来た国と、自動車を一度も見たことが無い人が、大多数だった国では、差が有りすぎ。
「五式戦」への思いは分かるが、無理なものは無理です。
信頼性が高く、稼働率が高いエンジンと急降下にも耐えられる頑強な機体は現場においては何よりも代えがたい物だったのだと思います。
五式戦は「エンジンの供給不足で余った機体」と「百式司偵くらいでしかおらず余剰のあったエンジン」を上手く組み合わせ時期的にもギリギリのタイミングで戦力化できたのがポイント高いですね
飛行ニ四四戦隊 小林戦隊長の評価は…三式戦:F4U(対等) F6F(強敵) P-51(敵わない)から五式戦:F4U(楽勝) F6F(互角) P-51(勝てないかもしれないけど負けもしない)と言う意味での「絶対無敗」である点に注意が必要です
余談ですが「硫黄島」の呼び方は「いおうとう」です(アメリが映画の影響で「イオウジマ」と言う人が多くなりましたが、戦前生まれの両親は「いおうとう」といってましたよ)
@@corporal-aria 小林少佐の証言はかなり強気ですね。 実際の三式戦の搭乗経験者の証言では、P38やF4U
に対しては旋回戦闘以外では対応不可能で、F6Fには旋回戦闘すら勝てないとされており。 P51に至っては話しにすらならない差とされています。 五式戦は確かに、上昇性能と軽量化による機動性能の向上と旋回性能の向上はありましたが。 実質的な性能は、隼の上位互換程度ですから旋回性能に依存するしかない戦闘機でした。 軽爆からの機種転換で戦闘機パイロットになった小林少佐の証言は割引く必要があります。 47戦隊、64戦隊、航空審査部で戦闘機一筋だった黒江少佐の五式戦の評価はあまり高くはありません。 審査部のP51で空戦訓練を実施した歳に、五式戦のパイロットが『P51と互角❗これで勝てる‼️』と鼻息の荒い連中に『貴様❗そんな飛びかたをしたら死ぬぞ‼️P51は全力を出していないのだ‼️』と注意警告しています。 審査部のP51はエンジン保護の為、馬力を7割程度にしていました。 五式戦の実力は馬力を7割程度に下げたP51以下だったのです。 実際、模擬空戦では旋回では五式戦が優位でしたが。 P51は後ろに周りこむ5式戦を引き離し、絶対に後ろを捕らせませんでした。 五式戦は過大評価なのです。 誉(ハ45)が完調の疾風ならば5000m付近の空戦ならばP51と互角だったのを忘れてはいけません。 もっとも、1945年の疾風は額面性能が下がっていましたが(涙)
@@三浦英則-i6o 小林少佐の証言は隊員を鼓舞していったものと解釈すべきだろう。低空ならかなりやれるようになったわけだ。
四式戦というかハ45の性能は激落していた。冷却フィンの変更による冷却力の低下…熱ダレが大きな要因ではないかと思っている。烈風に与えられた誉の性能が当時の実力と思うべきだろう。そんな四式戦3機より1機の五式戦、3式戦3型の方がずっとましという評価が実力を表している。47戦隊のように整備をしっかりすれば飛ぶことはできた。
@@miyamiya2237 1945年に入って92オクタンのガソリンの供給は益々困難なっていましたからね。 堀越二郎が烈風の性能未達の原因を誉の性能不足として、実際に馬力計測した結果6000mで1600馬力以上出ていなければ成らないところ、1300馬力しか出ていないと海軍と中島に対してクレームを入れています。 ご指摘の様に、誉は生産性向上の為に、シリンダー冷却フィンをピッチの荒い簡易型にした事による冷却問題と、燃料気化不均一問題、コンロッドメタルの焼き付き、オクタン価低下と様々な不具合によって馬力が落ちていました。 そんな状況でも中島の中川良一技士は、問題解決に邁進しており。 ブーストアップにより1600馬力程度まで馬力を発揮させています。 残念ながら、南方パレンバンからの原油の入手がとだえてしまい誉に必要な92オクタン価ガソリンの供給が不可能になっています。 誉に限らず、栄、金星も指定燃料は92オクタン価でしたから。 一様に馬力低下していました。 海軍が全力支援していた、紫電改の343空ですら、終戦直前には松根油を混ぜたガソリンが供給される状態でした。 そうなると、尚一層、誉は馬力低下していたと想像できます。 馬力不足の疾風よりソコソコ馬力が出ていた五式戦闘機。 そんな状態で比較すれば、五式戦が高い評価を受けて当然ではありますね。 補足、580km/hとされている五式戦ですが、実際は560km/hしか出ていなかったとも言われています。
工場からロールアウトしたばかりの新品の疾風でさえ、女工の作った精度の悪い部品を使っていた為、配備先の基地の整備兵が全バラシしないと本来の性能をなかなか出せなかったとか。
高性能だがピーキーで整備性が悪い疾風より、整備がしやすく稼働率が高い五式戦の方が評判が良かったとか。
ええ?
戦時中「いおうじま」って歌ってる歌ありますよ?
三式戦が「曲がらない、登らない」だった理由は、機首の重さとバランスを取るための錘が300Kgもあったせい。
五式戦では機首が短くなって錘が不要だった。(誤字修正)
飛燕は翼の左翼と右翼が一体成形で胴体と繋げるんですが、エンジンを変更した時の調節が他の戦闘機と比べて遥かにやり易い構造なんですよね。
他の機体の10分の1の時間で調節ができたとか。
まぁ、エンジンが軽かったおかげもありますが。
全速度域からのダッシュ力でしょうね。当時の搭乗員をして戦争に勝てる希望を抱かせたってのは大きいことです。
一番好きな戦闘機。生まれ変われるというところがいいじゃないですか。
やっぱ科学力はとても大事。三菱、川崎、中島、川西等多くの航空機製造メーカーがあり、それぞれの得意な機体を作って量産出来て、優れたエンジンを搭載。ムリしても壊れない、整備、補給が容易、搭乗員が生きて帰ってこれる機体、これに尽きる。「2位じゃダメなんですよ」😅
空冷化は提案された時点で実現出来たはずなので1年近く早く登場出来たはずで勿体無い機体ですね。
本当に大戦後期・末期の戦闘機はエンジンに泣かされましたね。
DB601はドイツ本国では悪い話を特に聞かないのに日本では資源(特にニッケル)不足と基礎工業力不足のせいで製造から整備・運用に至るまでトラブル続きでしたし。
液冷だけではなく、空冷もハ45(誉)は疾風のほか海軍の紫電・紫電改などで馬力不足やトラブルに見舞われましたね。
ドイツ空軍では、基本的に最前線でエンジンのオーバーホールはしません。 要修理になったエンジンは後方に搬送される方式です。 最前線にはリビルドエンジンないし新品エンジンが搬送される方式。 ロジスティックスが維持されている内は、鉄道、空輸、船舶輸送、トラック運搬で最前線の整備部隊に届けられています。 アメリカも同様で、基本的にエンジンの様なデリケートな機械は、現場でのオーバーホールではなく、交換でした。 硫黄島がB29の基地になってからの写真では大量の交換用機材で溢れているのが確認できます。 また、ドイツもアメリカも中古部品のリビルドに力を入れておりました。 日本は、後方支援も不足していました。 南方戦線への交換部品の輸送にも苦労しています。 共食い整備が常態化していますね。
誰だったか忘れましたが、元々視察に行った人はDB601は日本の工業力では手に余るので別の液冷エンジンを進言していたそうです。冷却液のエチレングリコールさえ生産できず、水で代用っていうのだから話にならないです。
@@三浦英則 疾風は基準孔方式のお陰でエンジンの載せ替えでボルト穴がぴったり合ったという話。逆に言えばそれ以前の機種はハンドメイドのようなものでボルト穴の位置からまちまちだったんでしょうから、前線でエンジン載せ替えも当たり前にはできなかったんではないでしょうか。まあ川崎の水準がどうだったかは知りませんが。
@@jx6004 川崎の林技師ですね。当時ドイツに駐留していた林技師が視察に動向して、DB601は難しいとしてJumo211系統を推奨していました。残念ながら陸軍関係者はDB601に惚れこんでしまい、林技師の意見はスルーされています。 これには林技師の経歴にも原因があるかもしれません。 林技師は、液冷エンジン部門が主力の川崎内部では異例の空冷エンジン部門の技術者でしたから『専門外の技術者』と陸軍関係者から見られていた可能性もあります。 林技師は、日本の工業技術レベルでは空冷エンジンの方が良いと考えていた方でしたから。 単なる否定的意見と黙殺された可能性があるかもしれません。
@@jx6004 流石にエンジンは交換可能でしょうね。 エンジンは酷使される部分ですから、頻繁に交換される部位ですからね、エンジンが送られて来る度に取り付け部位がズレていたら大問題ですから。 零戦に関して言えば本家三菱の零戦と中島の零戦では微妙に仕様が異なり、部品の流用が難しかった様子です。実際に、中島での生産にあたり細部の仕様を変更したことを三菱の曽根技師がノートに残しています。 零戦の増産を計るために、中島の設備で生産しやすい様に細部を変更しています。 増産が優先であり、互換性には留意していませんでした。 海外も似たり寄ったりで、ライセンス生産型は本家とは仕様が異なっていたようで。 型式名も変えてますから、細部の互換性が異なっていた可能性は高いです。有名なのはイギリスのマーリンとアメリカのパッカードマーリンは互換性が一切なかったこと。 一応インチ規格なんですけど英インチと米インチの規格が異なっていたので、スピットファイアへの取り付けが不可能でした。 そこで、イギリスの戦闘機には本家マーリンを供給してパッカードマーリンはランカスター等の爆撃機に供給していました。 P-51Bから搭載されたパッカードマーリンは本家のマーリンよりも加工精度が高くオイル漏れも少なく好評でしたが、スピットには取り付けできないのでイギリス空軍戦闘機パイロットはパッカードマーリンを搭載したP-51を羨んでいました。
比較的軽い機体に中庸な出力の空冷エンジンですから、F6Fより上昇力が良くて、ズーム・ダイブでも切れが出るし、急降下が普通にできるし、小さくロールしても動きが良いですから、不利な位置からも逃げれたようですので、高出力の米国製重量機よりも上手く立ち回れる機会が多かったようです。但し、出力は離昇1500HPですから、2000HP級のダブルワスプが標準の米国機相手だと、チェイスしても逃げられてしまうので、サンボルやP-51と互角というのは言い過ぎかもしれません。低・中高度で600~650kmが出せる相手だと、多勢相手にロッテ戦組まれたら かなり不利になることもあったでしょうし。確かに零戦より加速や上昇力は遥かに良いし急降下が得意だったので、当時の日本機の中では良い機体とは言えますけどね。
サンボル「隼に追いつけないんだが?」
F6F「特攻の隼の突破率50%いってるんだけれど・・・」
追記するならズーム・ダイブだけで言えばほぼ同じ出力(1450hp)で約500kg軽い鍾馗がピカ1
高度5000mまで6分の五式戦を尻目に4分30秒で駆け上がるし制限速度も勝るとも劣らない
欠点は搭載機銃の生産が間に合って無くて長い間7.7mmに世話になってた事と
疾風の稼働率100%まで持って行った刈谷大尉でも手を焼く気まぐれエンジン
待ってました!
五式戦が名機たる由縁は主翼にある。アスペクト比が異例に高いその主翼は実は高速領域で隼以上の格闘能力を付与した。三式戦とP51 を比べるとP51 は1トン近く重い。然しながらP51 が優速なのは空気抵抗の少なさ、マリーンエンジンの出力的優位(カタログ値でその差600HP程度)がある。一方、五式戦とP51 では出力差は200HPしかなく、重量は五式戦が1.3トンも軽い。そりゃ逃げられるわけだ。
三式戦が敵側からP40相当としてしか評価されていないのも理由がある。試作機の高評価と実戦での評価がことなるのは試作機から大幅に防弾板、搭載機器が増えており尾輪上にバラストを積んで調整していたことなとから試作機より鈍重な運動性能となった。重心より遠いところにバラストを積んだのであるから運動性は落ちる。機体の重心B29 対策で武装や防弾版を下した機体は高空でも比較的高い性能を保持している。
私の睨んでいたところを書かれてしまって嬉し悔しいですww
高アスペクト比・頑丈な主翼の設計の良さが最大要因、それに軽量化・マスの集中化、適切なプロペラ径等の相乗効果ですね。
米戦闘機はP-51でもとにかく重く、中間重量で5式の1.5倍、しかし全幅はかえって狭い。
結果離昇2200hpでも馬力荷重は1500hpの5式と同等。翼面荷重は1.4倍、翼幅荷重は1.6倍。数値的にもP-51が劣ってる部分はたくさんありますね。
よっしゃー!
この声が、一番です
動画も最高!
動画UP嬉しいです
元の三式戦に比べると鼻がぐっと短くなったのに飛行性能のバランスが悪くならないというのが面白い。もちろん細心の慎重さで改造してるんだろうけど。
もともとエンジンが大型化することを見越して、主翼取り付け位置を前後させて重心を調整できる設計だったそうで。
飛行機の重心は主翼の前縁から1/3あたりに決まっているし、重心位置から遠いところに重量物があると機動性が悪化する。鼻は短い方がよいのだ。ついでに言えば、五式戦になり、尾部のバラストが不要になった。これも縦方向の運動性改善に寄与する。
@@miyamiya2237まさに自動車で言うとショートノーズのライトウエイトスポーツカーに当てはまる理屈ですね!
歴戦のパイロットであった、檜少佐も、その手記の中で「五式戦に乗りながら、撃墜される奴いる!なんて気がしれない!」と言ったそうです。
あのP-51とも互角に渡り合えたそうです。最も、緒戦から、加藤部隊の一員として戦って来た歴戦のパイロットだから言える言葉だったんでしょうけれどね…。
わお復活してる!
やっぱこの声よ
名機中の名機
戦闘機の強さは単純にカタログスペックだけでは決められないってことだね。
日本陸軍最良の兵器の一つでしょう、三式戦のハ40(DB601のライセンス製品)の生産性と信頼性が揃わない中で信頼性ある空冷エンジンに換装しマスタングに善戦した事は三式戦の素性の良さが発揮されてました、日本は航空機エンジンの開発生産には苦労してましたから
大戦末期、未熟な新人パイロットを零戦21型に搭乗させたところ、零戦52型に乗る先輩たちより撃墜数が多かったという話があります。五式戦が有効だったという説は納得です。
そら逃げる時に敏しょうな方が有利というだけの話だw
大戦末期の、日本パイロットの申告する撃墜数が、信用できるのか?ですね。
劣勢に立たされ補充もままならない戦況なら撃墜されにくさも大事。
末期に撃墜できるなら、2人とも優秀
零戦の傑作期は21か23型だったって言われていてその後は改悪だとパイロットからは不評だった。
確かにスペック上では52型の方が良さそうに思えるがその性能が出る条件はかなり限られていて条件によっては21型の方がパワーがあったという。
真夏の高温化で冷房のコンプレッサーと同じで役に立たない過給機なんていらねーっていう意見が多かったとか
もともとの機体にかなりの自由度があった。 主翼の移動可能(悪く言えば最後は自己調整)などの箇所があり水冷から空冷エンジンへの切り替え手による適合性のの調整が
可能であった。 これは、ゼロ戦の三菱と違ってある程度の制作自由性?をもった土井の会社の特性とも言える。 戦争の最後を飾る新鋭戦闘機は日本の誇りである。
渡辺洋二さんの本にも三式戦のシャシの元々の性能が発揮できたとありましたね。
技術的には最低でも1年早く実用化出来ていた戦闘機ではある…
ドイツのエンジンを日本で造るには、あまりにも工業力や「素材」の品質が低すぎた
べつにエンジン自体は普通に作れてたけど、整備の人間にマニュアルも工具も液冷エンジン用のものをメーカーがろくに手配してくれなかっただけだろ。
現物もってきてハイ使ってくださいは通用しないからな。
飛燕は正直技術者のオナニー臭がするんだよな。あれはほんと現場の人間迷惑だろうな。いきなりノウハウないエンジン持ってきたくせに栄と大差ないゴミエンジンだもんなw
正直飛燕のるくらいならエミールのほうがマシ。同世代のF型になんか足元にも及ばない
専用加工機械の導入がドイツの開戦でできなくなったのも大きいけどね。
汎用加工機械じゃ加工に時間も掛かって精度も出ない
あと、エンジンのライセンスと機付き燃料ポンプのライセンスが別で売らないってのをボッシュがやらかしてるんよな
なので三菱にそれっぽいものを作らせたらしい
3式戦は整備ができていたものはかなり良かったようだ
飛行第244戦隊でしょう。
効率的な整備法が採用され稼働率の良さとかで、近衛部隊ともいわれてましたね。
@@松尾直-q2j 調布は陸軍の航空機研究開発拠点であった立川飛行場も近かったことも整備法とか確立するうえで良かったのでしょうね。
四式戦がエンジンで苦しんだ分、エンジンがマシだった五色戦が際立つんだよな・・・
アメリカでのテストでは四式戦は最も高い評価が出てるし
搭乗したパイロットのインタビューによると上昇力が上がった事が良かったそうです
上昇力の増加はスピードの増加と同じ位大事とも
倒立V型液冷エンジンから空冷エンジンに換装してプロペラ軸線が上がった分プロペラ直径を増やしてプロペラ効率が上がった為と推論していました
逆に彗星は軸線が下がってプロペラ直径が小さくなり効率が悪くなったとか
プロペラ直径は2型より10cm短縮されているので間違い。 上昇力の向上は、軽量化と出力の向上(特に低空)による。
5式戦は1400馬力の機体として平均的な速度性能でしょうね。
元の3式戦が頑丈設計だったので、ムリが利く機体だったと思う。つまり逃げ易い。
4式戦のエンジンが不調だと5式戦とどっこいの出力になって来るから、縦横比の大きい方が操縦性が良いと思います。
てか、そもそも3式戦が中戦って言ってなかったかな。
おっしゃる通り3式戦は軽戦と重戦を兼ねる中戦というコンセプトで生まれましたが、重量ゆえ軽戦としては運動性が悪く、重戦としてはダッシュ力や上昇性能が足りず、5式戦になってようやく計画通りの役目を果たせるようになった感じですね。
中戦←重戦の鍾馗より500kg近く重い
正確な所見だと思います。日本軍機は600キロ
クラブに入ったのが一周遅れだった、設計は優秀
だったがとにかくエンジンでトラブった。
当時アメリカに多くの将校が駐在武官として
いたにも関わらずアメリカの自動車王国が
来る戦争の戦闘機エンジンの元となるという
見方は山本五十六さえも指摘していなかった。
国力の違いは正確に掴んだが地上の自動車と
空の戦闘機を結び付けた人はいなかった。
米軍側は終戦まで五式戦の存在に気づかず、小牧基地で4機接収されたが米陸海軍共に全く興味を示さず本格的な試験もしなかった。一応書類や地上で調査したが性能や構造などで感銘を受けた様子はなかった
むしろ日本の工業力がこの程度でよくやってたなってのが正直の向こうの感想だったみたいですね。
機体の技術解説や実戦での記録を見るとまるで自動車でいうWRCマシンのお話のよう。ガラスの高性能サラブレッドより、信頼性のある頑丈な駄馬の方が実戦に向いているのでしょうね。深いなあ。
1500馬力程度の戦闘機でも使えたなら、この程度の戦闘機は終戦間際でなく1943年後半には前線に出すべきでしたね。
零戦・隼を出した後、日本の工業技術力にそぐわない液冷エンジン機の三式戦でなく、火星エンジンで良いから一式戦・二式戦を担当した糸川博士に設計を頼み、防弾も考慮した陸海共用戦闘機を出すくらいでないと、前線の戦闘機搭乗員が気の毒。特に海軍。
当時の首相が戦争指導に先見力があり、小さなリソースをもっと有効に活用できるリーダーシップを取れる能力があれば、後半戦以降の空戦の負け続きと搭乗員の消耗を減らせられたかも。
糸川英雄は軍の指図で仕事をさせられるのに嫌気がさして1941年11月には中島を辞めて大学助教授に転職しています。
飛燕の初陣が1943年5月ですから真価を問うのはそれからで、1943年後半は「こりゃダメだ」と分かったころでしょう。その時期に空冷で間に合わせるなら最初から空冷でなきゃ無理。
ドイツ製DBエンジンはイタリアでもライセンス生産されてたが、イタリアでも工作不良に悩まされて最終的に直輸入に切り替えた。
と言う動画があった。「そんなエンジンをライセンス生産させるなよ」と一言ツッコミたい(笑)
え、そうだったの?
日本よりは自動車用とかでノウハウが蓄積されてると思ってたわ
独や米英よりは家内制手工業寄りな生産ペースってだけで
@@yamkatz8386シュナイダートロフィー、っつーアタマのネジ外れた水上機競技があってだな
押し売りされたわけではない 日伊の方がおねだりをした側
当のドイツはダイムラーベンツDB601Aaより工作が容易なユンカースユモ211Aを勧めたけどね。
当時の陸軍が戦時における戦略物質であるニッケルの使用制限つけていたからなぁ、一概に川崎エンジン開発陣を責めるわけにはいかない。
日本では、1700なんて無理、アメリカの高性能工作機械に、良質のオイルとガソリンに加えて元々冶金技術が高い、日本のエンジンでもオイルとガソリンが違うと高性能に成ったのは、史実の通り。
日本は小手先にこだわり過ぎた感がある。
大排気量の小型エンジンと言う発想ならもう少し何とか成ったかも😂
実戦に於いては仕様性能よりも信頼性を取るべき時があるわけだ…(深甚)
よくFW190と比較されるのが当時の工業力の差を感じさせる。
それでも双方とも性能が良かったのは職人の国だなとも思う。
あの当時の日本技術ではスーパーチャージャー付き液冷エンジンは部品段階から難しかったんだろうね。パッキンが全然駄目だったらしいです。星型空冷はある意味バイクエンジンを丸く並べただけだから、工業技術の高度的にはそれほどでもない。
五式戦は終戦後に滋賀県で武装解体へ参加した祖父があまりに簡単に燃えて信じられかったと言ってた
陸軍機好きだからプラモ作ったな
隼と疾風、鍾馗や雷電、飛燕など
カタログスペックの話で言うと零戦の3千kmにも及ぶ広大な航続距離は単座戦闘機の搭乗員にとってかなり過酷な長時間労働だったらしーですねー
いくら長く飛べても人間の限界を超えたら意味ありせんもんね😂
逆に飛燕並みに登場時期を早くすると金星もトラブル出ていた時期だし、機数増えれば特性を米軍に周知される
本当に、たまたま戦争末期のこの時期だからスペック以上の評価得たって感じ
実機は、イギリスにしかないよな。
本来はキ-100(五式戦は俗称)という独立した機体番号ではなく三式戦Ⅲ型と称するべき機体。、三式戦Ⅰ型は─発動機の故障もさることながら─機体重量の増加で最大速度が540km/h前後にまで低下し、性能向上を期した三式戦Ⅱ型は川崎製DB発動機「ハ140」の実用化が絶望的と判明したことから空冷式発動機への転換を決意。開発中止となった他機種から捻出したハ-112Ⅱ(金星)発動機を搭載したことで飛行性能が三式戦「試作機」に近い程度に回復し、稼働率も他機種と同程度となった─決して良好というわけではない─のが実態。
「その程度」でも大戦最末期の陸軍戦闘機部隊としては干天の慈雨に感じられたのだから、この機体は大戦最末期の状況を象徴していると見るべきかも知れない。
陸軍は、飛燕に搭載する液冷エンジンは、愛知航空のアツタをアテにしていたそうです。しかし、予想以上に生産は困難を極め、とても陸軍に回せる余裕はなく、仕方なくライセンスを別に取得して、川崎重工に作らせたそうです。
ライセンス重複とはいえ技術指導もそれぞれ別途に必要だし
ちょっと誤解があるようですね。海軍が愛知の発動機部門に導入させるも13試艦爆用に安定した生産を行えるようにするのは極めて困難とされたのはDB600です。こちらは海軍(愛知)がダイムラーベンツからライセンスを取得していましたが、陸軍は海軍経由で愛知の生産するエンジンを受け取ることが出来る取り決めでした。その後DB600の改良型のDB601が大幅に信頼性が向上しているいエンジンだということがわかると陸軍は次期主力戦闘機の発動機として導入に前向きになりますが、海軍側も13試艦爆だけでなく局戦や水上機への搭載も検討しはじめており、愛知の生産能力では陸海軍分の生産は賄えないと見込まれたため陸海軍1社ずつ並列でライセンス契約を結ぶことになります。ちなみに海軍の結んだDB600のライセンスにはその改良型も含まれるという契約でしたが、ダイムラーベンツにDB601は全く別のエンジンとして新規に契約を結ばされています。
また愛知の生産したDB601A→アツタ21型は十分な信頼性を持っていて故障も少ない発動機でした。独自の性能向上型であるアツタ30系列も含め川崎のハ40→ハ140と対照的です。そこははっきり差があるんですよ。
@@underhat-gc4ru さん なるほど😊
当時の日本にはシリンダヘッドを下に持ってくる配置は難しかったのかな?
ヘッド周りのオイル漏れとかクランク周りの潤滑とか正立とは異なるポイントが問題を引き起こしたのかも。
BF109がFE190Aに生まれ変わるというね。
液冷エンジンを早めに見切り付けて、開発していればね
飛燕での機体の優秀性を活かせたのがこのエンジンしか、無かったのが当時の現状だったのでしょうね😂😂😂😂😂
目視での戦闘だしエンジンが太いから重戦だと思ったら旋回速い!ってかんじだったんじゃない
もっと早く実用化できていたらな、
P-51HやF8Fが来るようになったらキツいだろうな
戦争が一年か二年長引けばそうなっていたと思います。
P-47Nも飛来していた事でしょう。
F6Fヘルキャットも日本本土近くまで母艦が近づけたら互角も怪しい。P51に至っては硫黄島からの往復のハンデがなければ相手にもならない。一部の凄腕パイロット以外は生き残るのも難しいのが現実では。ただ5式戦は日本が持ち得た最良の戦闘機だと思う。
海軍と空自で勤務した叔父は、s19〜20の海軍機のエンジンも機体も波打ってボロばっかりとか廃油を濾して使ってたとか造りがボロだからオイル漏ればっかりとか言ってました。空自でT6やF86接して米国の底力を感じたと生前聞いてます。テキサンのエンジンでもオイル漏れは皆無だったそうです。
アメリカはこの時代にすでにOリング使ってたそうです。潤滑油のクオリティーに問題が有ったのは確かにあるようです。ガソリンの質についてはよく言われますが実際はオイルもまずかったのはおそらく確実です。
@@masahiroyamagami407 当時の整備士の方が濾過しただけの使用済みオイルをエンジンにぶち込んでるのを見て絶句したみたいな話がありましたね
エース部隊なんかだと戦前輸入品や鹵獲品をストックしておいたり撃墜した敵機のエンジンから回収したりとかしてたらしい
一応末期には生産量は絶望的だけどどうにか石炭から作るオイルでマシなのが出来たらしいですが
@user-yj5xl8zy9y ちょっと混ぜる位なら使えない事は無いかな?位だったらしいですね
@@sei-un 松根油を混ぜた燃料だと離陸してまっすぐ目的地まで飛んで降りるくらいなら使えたが、空戦などの機動を行うと詰まってしまい戦闘機の燃料としては使えないということでレシプロ発動機での松根油混合燃料は正式採用されなかったとのことです。
零戦21型で一升瓶にOIL詰めて操縦席からOIL補給出来る様に改造した機体で戦ったパイロットも居たそうです。
戦闘機動した後は必須だったとか。
独自に集めた情報はありませんか?
10:02 疾風が本来中戦として登場とは聞いたことがありません。中戦はキ61開発時の土井技師の考えでしょう。
陸軍では「搭乗員」とは言わず、「空中勤務者」と言います。「搭乗員」は海軍用語です。
こういうガバガバ言うchって嫌だよね
陸軍は海軍より航空勝るな
え!?復活!?
液冷エンジンと空冷エンジンでは求められる精度が違いすぎる。
当時の日本では無理だったのでしょう。彗星のアツタは本当の試作機で熟練工がちゃんと作ったものなので、もう、量産なんてムリなんですよ。
液冷エンジンの何がムリって、冷却する液体を液漏れさせたらオーバーヒートになるって事なんです。
そして冷却する液体もエンジンの温度によって熱くなるって事なんです。
ゴムのパッキンだって緩くなる。そこを計算してちゃんとパッキン嵌めなきゃ、冷却液がそこから漏れてエンジンが冷えなくなってオーバーヒートするんです。
空冷はオイルがある程度漏れても大丈夫なんですよ。凄い暴論な言い方をしますが、最低でも冷却は空流に任せてるから致命的にはならんのです。
そもそも冷却液のエチレングリコールを作れず、水で代用なんだから本来の性能が出せるはずがないんです。
エンジン不良を見切り付けて、こちらに切り換えたらな
同じ5ナンバーでLa5が相手ならどうだろう?
もっと前にエンジンを換装していれば活躍の度合いは違っていただろう。さらに簡易型のスーパーチャージャーとエンジンを三菱のハ43を装備したらどんな機体になっていただろう?まぁ、夢のまた夢のタラレバだが。
二社で液例エンジンが開発されていたのは道理なんですよ。第一にリスク分散です。どちらかが開発に失敗しても…と言うわけです。第二に、各社の生産力の限界です。また、ライセンスを両社がとったのは、これも当たり前で、普通は企業間の契約なんですよこれは。と言うわけで、不仲説や非効率説はデマなんです。
5式戦が出現した当時の戦域は既に日本本土上空になっていた訳で、米軍機側には幾分不利な土俵となる。
往復分の燃料、より長い飛行時間、憎悪から起きるであろう不時着時の搭乗員の危険。
5式戦の活躍は兵器としての能力だけでは説明出来ない。
日本のパイロットは格闘戦に固執し過ぎるから五式戦不敗は褒め過ぎでは?
不敗であって必勝とは言っていない。
加速力があり格闘線が得意な隼も「落とせないが落とされない」と評価されていた。
@@ほえほえ-w3x 上坊さんが「選ぶなら1式戦3型、勝てないかもしれないけど負けないから」って仰ってましたね
まさかの再来
動画は幾つか消えたけど再アップする予定は?
このテストパイロットとかの証言って、信用していいの? 言わされてるんちゃうの?
この五式戦闘機と烈風がもっと早く登場していたら・・・
大戦末期の日本陸海軍軍用機は、稼働率の良好な零戦、隼でもガソリン品質の低下で額面性能割れが普通でした。 誉(ハ45)も昭和20年に入って、粗製乱造によるエンジン品質低下と燃料品質低下により。 額面性能は金星62型(ハ112)並みに低下していました。 疾風は試作機と量産初期に発揮していた620~650粁を発揮不可能となっており、最良の部隊で610粁程度に低下。最悪の部隊では580粁程度しか出せず上昇性能も著しく低下していました。 疾風の稼働率100%を発揮していた 飛行47戦隊ですら、整備隊長である刈谷大尉の証言から、額面性能が下がっていたとも取れる証言が残っています。 キー100の搭載したハ112(金星62型)は、性能凋落の著しい中に有って、額面性能を発揮していた数少ないエンジンでした。 確実に1500馬力を出し、2速全開高度でも1250馬力を出せるハ112ならば、2速全開馬力が1300馬力に低下していたとされる疾風よりも高い空戦性能を発揮できても惜しくはない。 それ故に、キー100は高い評価を受けたのでしょう。 キー100が高性能だった訳ではなく、単に、疾風の性能が低下していただけなのです😢。 また、ハ112は、高い稼働率だったと証言が残っていますが。 大袈裟な証言と言えます、檜少佐や小林少佐の『燃料とオイルを入れれれば100%の稼働率だった』との証言も確かにありますが。 実際は稼働率60%程度だったと言われています。 誉やハ40.ハ140に比べれば格段に故障の少ないエンジンだったのは事実です。
三式戦「飛燕」は川崎が18年末に出した,液冷エンジン(独DB)を搭載した、翼面荷重が異常に高い
日本では珍しい重戦闘機でした。独製のマウザー20ミリを胴体横に搭載し高空性能と急降下性能で
期待されたが、工業力が劣る日本ではエンジンでつまずいた。結果が翼面荷重の低い取り回しの良い
五式戦であるが、速度は560キロくらい、整備は安定、量産効果もあったので
末期の功労機であった。重戦に期待した三式戦であったが、五式戦は重戦に慣れた先進国の開発
競争に突然現れた格闘戦闘機に戸惑わされ五式戦は末期に評価された。だが世界は既にP-38の
時速700キロ時代に入っており、じり貧は免れなかった。
翼面荷重は“重量“が関係する、とだけ言っておきます
@@しょー-m9m 翼面積もかんけいします。一般的に海軍機の方が翼面荷重は
低く設計してあります。空母着艦が
その理由です。機体重量は翼の面積と
翼幅で変わります。
艦載機は概して翼面荷重を低く製造する、
着艦の時のふんわり浮きが目的です、
つまり翼が大きく作られる、だが、その代償は
速度と急降下性能を犠牲にする。アメリカは
これをエンジンパワーの巨大さで逆転した
F6F以降の海軍機は翼面荷重が大きい割には
陸上機を凌ぐ速度を出した。
5式戦は日本のみならず、大戦参加機の中で最高の性能を持つと当時の我が国の航空技術の高さを証明できる戦闘機だから今でも国民人気も高い。実際当時の戦った軍人たちは五式戦があればP51等問題にならぬという言葉を残した位、今でも大戦最高傑作機の一つと評価されている。
大戦参加機の中で最強は草
んなわけ無いやろ
基礎工業力の低い日本にしては優秀だっただけや
全然世界に通用する性能ではない
ぶっちゃけ無い無いづくしの大戦末期に何とか動いてくれて抗戦出来たから無いよりマシ程度のもんなんだよなぁ…
大戦末期での、程々に性能が良く、製品として程々に安定していて、従来機よりは程々に軽戦寄り それが偶然の成り行きでニッチ的にハマっただけ キツく言えばちょっと良い凡庸、末期での戦闘機トレンド・空戦トレンドから外れた事が奏功した結果論機
大戦末期に投入された機は、紫電改も疾風もこの五式戦も、燃料もエンジンオイルも粗悪品で運用せざるを得ず、設計性能を発揮できてない。さらに日本の機銃は薬莢の火薬充てん量が少なくてまっすぐ飛ばない。どうやっても負けるべくして負けた戦争。
オイル云々より工業製品のクオリティが日本は低いんだよ。一回飛ぶとエンジンにオイルまき散らすからな。アメリカなんかバッファローでさえそんなの一切なかったからな。
電線の被膜もろくにゴムがないしそこらへん理解してないと燃料とか頓珍漢なこということになる。 一つだけの問題じゃないからな
@@ニシノフラワー0パッキン以外も金属精錬技術、溶接技術、耐熱金属等日本には工夫で埋められないぐらいに基礎工業力がなかった
というかその工夫のための技術すら日本にはなかった
まあ敗戦は必然だな
@@ニシノフラワー0 一つだけの問題じゃないのはその通りです。疾風が戦後米軍のテスト飛行でアメリカのスパークプラグやガソリンを使用したところ日本の設計スペックより高い性能を出したことはウィキにも書いてあります。なお、戦争末期のガソリンやオイルがどれだけ粗悪だったか、ガソリンのオクタン価がどれだけ下がっていたか、果ては松根油までが混入されたいたといった事実は、笠井智一氏の「最後の紫電改パイロット」に詳しく書いてあります。どちらが頓珍漢か確認してみてください。
@@ニシノフラワー0 ピストン一つとっても工員がヤスリ掛けで調整してるせいで別の場所やエンジンに入れようとしたらヤスリ掛けして調整しないと入らないのでニコイチ修理がしにくかったり
冷却時にピタリに合わせたせいでエンジン温まると調子が悪くなるとかね…
計測機器の精度の問題があるけどアメリカは膨張を計算して温まったらピタリにしてた
38式歩兵銃ですらニコイチ修理が出来ないものがあったらしいし
当時の日本は列強っつっても列強最下位で海外から材料買ってきて海外の中古機械を頼りに加工して後進国に輸出ってしてた国だからね…
小さな小さな問題を一つ二つ紹介して、そこから導く結論が「負けるべくして負けた」という日本のWWⅡ総括って…
機首の空気取り入れ口がしびれる。
三式戦闘機をエンジンスワップしたってことでおk?
優秀な機体に 優秀なエンジン(空冷エンジン)なら 優秀機になるのは当たり前でしょ?
例で イギリスのスピットファイアのエンジンも 最初はロールスロイスのマリーンエンジンを付けていたけど 後期型は 強馬力のグリフォンエンジン(付けるときの変更は殆ど無しなほど)を付けたような感じで分かりやすかったですけどね.
基礎工業力が問題と、エンジンのクランクシャフトの精度不良、ドイツでは流れ作業で簡単に量産してたがそれが出来無い。
又ベアリングの精密量産もダメだった。
水冷直列エンジンだクランクシャフトやベアリングの精度不良ではエンジンは直ぐにガタガタに成る。
その上ガソリンの低オクタン価(質度)では充分な馬力は得られ無い。
そんな低品質の兵器で戦わさせられた兵士はたまらない。
日本は国として二流だった。
首無し飛燕から5式戦に乗換これを褒めた小林少佐はB29攻撃に活躍、戦後は暫く苦労された様だが後に空自のジェット戦闘機乗り、セィバー機?で訓練中機体不良の事故で殉職されてます。
生産機数300機程度の実働半年たらずの機体が活躍はないんじゃない?
プラモでブンドドする次元で考えれば「活躍」、戦争を全般的に見れば「活躍」でもなんでもない 視点によるのでしょう
どんなに良い兵器があってもパイロットが居なければ意味がない。
初戦で優秀なパイロットを使い捨てにした結果後に優秀な戦闘機が開発されてもそれを操縦できるパイロットが居なかったので実力が発揮できなかった。
連合国側も枢軸国側も基本的に兵隊は消耗品 英独ソ見ろ 米国だけは回収リソースが豊富にあったからやれただけ 日本だけがどーのこーのという話ではない
@@しょー-m9m
アメリカ軍だけは違ったんだよ。
パイロットの育成には2年の歳月と現在貨幣で2億円かかるという事実を冷静に分析してパイロットの損耗を可能な限り防ぐ設計をさせたんだよ。
手練れのパイロットを救出すればバケツ一杯のアイスクリームが配られたそうだから駆逐艦や偵察機が躍起になって探したんのに対して日本軍は帰って来ないから死んだなで見放した。
@@しょー-m9m
回収リソースが豊富にあったからじゃないんだ、あえて豊富にしたんだよ
パイロットは貴重だと先に気付いたアメリカ軍の勝利だ。
パイロットの育成には2年の歳月と現在の貨幣価値で2億円もの費用がかかるという事実を米軍は冷静に分析し航空機<人名の方針をたてた。
この差が勝敗を分けた。
アメリカの評価は 普通
末期の日本勢…
欧米でジェット機が飛び始めた昭和20年に1500馬力レシプロ戦闘機が善戦した。生産数400機では米戦闘機の大群と戦えない。というのが普通の評価です
そういう冷静かつ高い視点から俯瞰で見る事ができる人がなかなか少ないのが困った問題
p51に撃墜される気がしない!気がしないだけでp51に乗せて貰ったら5式戦なんていらないと思いそう😢
P51は中・低高度だと速度も出ないし運動性も良く無いよ、最高速度は高高度の空気が薄くて抵抗の少ない時のスペックで低高度だと翼の設計の関係で運動性もガタ落ちだよ。
戦時中に鹵獲されたP51の評価も高高度で一撃離脱以外だと以外と凡庸な機体。
みないほうが目のため。
三式戦は明らかに日本の実情にそぐわない機体だった、その意味では駄作と言える。
ろくに戦わなかくてたまたま運がよかっただけで評価されただけなのになんで夢見すぎなんだろうな。常識的に考えて熱田と大差なくて終戦間際で活躍できるとでも思ってるのかと。
飛燕は機体的に別に優れてたわけでもないしな
これはただの推測に過ぎないが、陸軍のパイロットにまだ優秀な人が残っていたのと末期でアメリカも油断していたからだろうか
あとパイロット達が神格化する理由は
隼はそもそも通用しない
鍾馗は生産数が少なく性能面も末期では厳しい
飛燕はまず動かないしまともに使えるものはもっと限られていた
疾風も末期じゃ稼働率が低すぎる
この状況では末期の劣悪な使用環境でも運用できて敵機にも通用するレベルの五式戦が称賛されるのも頷ける
まあ、必要なときに戦場で通用するレベルの物を製造できたところは評価できると思う
>飛燕は機体的に別に優れてたわけでもないしな
急降下制限速度が隼、疾風、ゼロよりも遥かに優速であるアドバンテージを理解出来ないバカ。
ムカムカするw💢
単に稼働率が高く扱いが簡単だったのではないか、過大評価のような気がする😀😀😀
歴戦のパイロットであった、檜少佐も、その手記の中で「五式戦に乗りながら、撃墜される奴いる!なんて気がしれない!」と言ったそうです。
あのP-51とも互角に渡り合えたそうです。最も、緒戦から、加藤部隊の一員として戦って来た歴戦のパイロットだから言える言葉だったんでしょうけれどね…。