良い子症候群等と共通するところがあるのかもしれない、と思います。 相手や場所に合わせて都合良く演じなければ生きていけないのではないか、見捨てられるのではないか、と思ってしまう。 ただでさえ生きづらいのにこれ以上否定されたりしたらどうしよう、どうすればいいかわからないからせめて嫌われないようにしようと色んな相手や場面で、そのように考えて行動していたりします。 「助けを必要とする人は、助けたくなるような姿をしていない」。 will not,do not,can not にそれぞれ違いがあるかどうかというのは、「諦め」「受容」にも似ているかもしれないと私は思います。 治療をしたり向き合ってきたからこそ、諦められるように、もしくは諦めざるをえなくなったりする事がある。それが障害の受容なのかもしれない。
「will not」 と「do not」の違いがよく分からなくて泣いた 翻訳機に入れて見ると 私は明日早起きしない。 I won't get up early tomorrow. 私は毎日早起きしない。 I don't get up early every day. どうやら「will not」の方が未来予測と意思を持って「しない」と言う意味で 「do not」の方が現在の状態を表し習慣的に「しない」と言う意味のようだ こんな理解であってるんだろうか? 日本語だとどちらも「しない」で区別がないから言語の壁を感じる 「can not」は「できない」と「しない」で日本語でも区別があるから理解できた ワタミ社長「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。 みたいな人もいるから「する」か「しない」かの概念しかない人もいるのかも知れない
愛されてきた人は本当に性格がいいなと感じます。傷付いてきた人はどこか攻撃的な部分があったり、卑屈だったり、湾曲した考え方をしてたり、承認欲求でいっぱいだったりして相手を困らせることがありますよね。感情のコントロールも効かなかったり。
愛されて真っすぐ生きてきた人を見てると、自分の未熟さや歪みをよく感じます。
能力も性格も下なら何が私の取り柄なんだろう?って感じですが、愛されてきた人から色々学べることがあるので見習って、無理せず自分のことも周りのことも愛していきたいです。
いつもお世話になっております。私は子供のころからいい子ちゃんで、周りに迷惑をかけないように自分のことは全部自分でやってきました。問題が起こっても、自分なりに解決したりごまかしたりしてやり過ごしていました。そういう未解決をどんどんため込み続けながら大人になってしまって、もう自分の内に抱え切れないほどになりました。それが破裂した時、警察、病院、役所が助けてくれました。でも、それぞれの機関には役割と限界があり、それにぶつかるたびに、裏切られたと感じました。毎日苦しくて、こんなことなら見殺しにされた方がましだったとさえ思いました。でも、それと同時に、どれほどみんな一生懸命やってくれているか、本当はよくわかっていました。今は、限界があるのは当然で、それぞれの立場で、みんな必死に生きているんだなあと、いとおしくおもったりしています。
いつも、手のかからない患者でいようと思ってます。
摂食障害の治療のなか、主治医が「いい患者でいようとしなくていいんですよ」と言ってくれたことを思い出しました。
ありのままの気持ちで、次の診察に向かおう、と、この動画を見て思いました。
「人間は産まれた時は真っ白なキャンバス」とか言うけど、遺伝子とか脳の構造とか最初から持たされた物が違うからそんな事言えんよな。
ヤバい犯罪をするヤバい人は生まれたときからその素養があるとしか思えません。
生活歴が原因の中で大きいとは思いますが、産まれた時点
で、確かに素因はあると思います。我が息子には、遺伝子は、切るよう言ってます。わら
障害と稼ぎのない親の借金に苦しみました。
病気障害と貧困は表裏一体です。
@@vuytskk
そんな彼等も結局不運の被害者である。
無敵の人となり処刑されるなんて。
生まれたとき、誰がこんな将来を想像するだろう。
益田先生は不都合な真実も伝えてくれるので、モヤモヤしないで入ってくるお話しです。
私は、一患者として精神科医はあくまでも診断と薬の処方をしてくれる方だと割り切っていて、自分の暮らしや生き方、思考は自分でより良い方向に進めていくものだと思います。
本日の宿題
一度折れてしまったり諦めてしまって、それが良い方向に向かわずに長い時間が経ってしまった人は難しいと感じました
もうずっとここで立ち止まると決めてしまっていて、どう接しようともビタとも動かないんです
理解し共感する、近づけば何か変わるかと思ってもこちらのエネルギーを果てしなく吸い込まれていく
それが数年続いたところでこれはダメだなとこちらが諦めてしまいました
ただそういった人を変えられる力を秘めているのが
漫画やアニメとか、芸能みたいな創作の力なのかなと色々学んでいく中で思ったことはあります
【宿題】
ある意味簡単です。両親です。いくら向き合っても無理でした。
今は神経発達症や人格障害を持っているのだな、医師でもカウンセラーでもない私には無理、と距離を置くことにしました。「一番の理解者であり、カウンセラーだと思ってたのに」と恨み言を言われましたが、両親がお互いにお互いを拗らせているので、私が個別に話を聞いてアドバイスしても、そのアドバイスを武器に相手を傷付けている現状に数年耐えて、私も病を患いながら関わっていたので限界となりました。
これは彼らの人生、関わった年月が長すぎて自分の人生はサッパリわかりませんが、距離を取り、安全な環境に身を置きたいと思います。
綺麗事ではなくこういう真実と優しさのある話をしてくれるドクターは貴重ですね。
ピュアな人を演じてはいるけど
実際は、両親を○したいほど憎んでて
それは世間に受け入れられないから隠してて
いい人ではないよなぁと思ってます😅
涙流したぶんだけ優しくなれる、みたいな歌詞があったけど、絶対嘘だと思ってた
それは私も以前から思っていました。苦しくて泣いている人に対して、自分はさらに過酷な状況を経験してきていたら、なんでその程度で?って思ってしまい、優しくする気持ちが出ないなんてこともあると思うのです。
宿題の私見
「人間ってそんなもんだよね。限界あるよね。」という考えに共感しました。初めから「人間には限界があるから自分にできる範囲でやる。他人に理解や変容を求めない。」というスタンスでいれば、相手に対し傲慢な物言いはしないよなぁと。まずは自分自身のできることとできないことという特性を理解することが大切。次に特性を生かして社会に活躍できる場所、人、時を探っていく。それらのサポートをしてくださってるのが精神科医の先生方なのだろうと思っています。最近は悲観主義の考え方を取り入れて、どうせ人や物の価値なんてコロコロ変わって無意味なのだから無意味なものに一喜一憂するのはやめよう…と考えると憂鬱な仕事が少し楽になってきました。
Dr.の言う通り、生まれつき明るい人はいます。私もです。発達が分かった時、取説を手に入れて本当に良かった✨ってポジティブに思いましたもん!なので本当に辛い人の気持ちはDr.の言う通り永遠に分からないのかもしれません。それでもこのチャンネルを視聴し続けたいなって思います。少なくとも頭では理解できるかもって。
こんばんは🌌🌙⭐
本日も動画ありがとうございます
主治医に私の生育歴を全公開してから信頼関係が深まったのもあって、私自身が主治医との距離感がバグりつつあると自覚しているので気をつけねばと身を引きしめます💦
私が思った事をそのまま発言する内容が主治医のツボに刺さるのか凄くウケて笑ってくれるのが嬉しくなりサービスしたくなって余計にバグる💦
改めて何のための診察かしっかり考えなきゃですね😅💦
【宿題】※いつも長文申し訳ございません。
☆人ってそんなもんだよな、こんな人って居るよね、頑張るけど限界があるよね
→ちょうど今日気づいたこと。
家族やパートナーの障害を「受け止める」事と「受け入れる」事は違うなと気づきました。
私が発達障害と判明したのは結婚してから。
主人に発達障害が判明したと伝えた時に「要は病的にどんくさいって事やろ?見たら分かるやんꉂ🤣𐤔」と軽いノリながらも本質を見てくれていたと嬉しかったです。
しかしながら、私はパート主婦で本来はほとんどの家事をするべきですが、どうしても苦手な掃除や整理整頓はなかなか手がつかないし、私が体調を崩した時は他の家事も出来ないこともよくあり、仕事帰りの主人は「ええよ、俺やるわ」と手伝ってくれますがイライラしている様子がヒシヒシと伝わり、仕事帰りで疲れている中、家事をする面倒さとしんどさを知っているから何も言えないし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
その半面、「イライラしながらするのならやらなくていい」「怒るくらいならほっといてくれ」という気持ちもあります。
掃除に関しては休みの日に一緒にする事が多いです。
頑張って片付けても2、3日すると元通りで主人は呆れ返っている様子です。
こういう日常生活を省みて「この人は障害があるんだな」と受け止める事はできても必ずしもそれを「仕方ないからココは私がフォローしなきゃな、また環境整備も必要だな」等と受け入れるのは困難だろうなと感じました。
フルタイムの仕事をしているなら尚の事。
全て私が悪いのですが…それでも頑張る事には限界があり、主人は主人で生活の為に仕事をしているので妻である私のフォローをするのにも限界がありますし、私が発達障害と診断されて2~3年の現在になってようやくお互いの限界点や噛み合わない部分を知りました。
退職するまでずっと外科の病院で働いていました 精神科は学生の時の実習でしか関わったことがありません 実習先の患者さんとの関わりで「精神科は私には無理」とインプットされたんでしょうね💦 益田先生のチャンネルを拝見するようになり
若い頃の私に 精神科は奥が深いよ と教えてあげたいですね とても勉強になります😊
精神科の仕事は本当に大変だなと思いました。人間は複雑ですもね。
人は変えられなけれど自分と未来は変えられる。と言うけど私の友人も誤解している事があってケンカになったけど最後まで聴こうとしなかったので限界を感じ別れました。本人が聴こうとしないと聴こえないのだなと思いました。それから私は人の話をまず聴くように意識するようになり良かったと思っています。
双極性障害で7年同じクリニックに通っています。予約の時間15分前に行って、変更もしたことが無いです。2年後に引っ越したい旨を伝えたので、先日お年賀でお菓子を持って行ったら快く受け取ってくれました。
ルールを無視する、と理解困難は近い、よく分かりました。
よく話せば分かるのではとか思うときもありますが、やっぱりできないからやらない、ということは多いと思います。拗れるときはどうやっても拗れるし、何かの動画でおっしゃられていたように、それでも「アク抜き」になるということなのだと思います。
よろしくお願いします😊冒頭の覚悟と優しさが印象的だっため、覚えていました。もう一度、拝見します😊
少し話がずれているかもしれませんが、私の父は発達障害で飲酒後暴言を吐く人です。
幼い頃は、いつかきっと、そんな父でも子供思いの理想的な父親に変わってくれる、と思っていたのですが、最近はそんなことは一生起きないのだと、父親という存在を諦めることが出来るようになりました。
相手に期待をしないことは、自分を守ることにつながるのだと、個人的にはそう思います。
自分自身が、何でこんなに短気なのか、双極症、ADHDからくるものだと分かり、発達障害の子供達に良く腹を立ててしまうので、
主治医に相談して、気分が安定させる頓服薬を貰いました。
もう、子育てに母親として向いて無いと何度も思いました。
実は、親から虐待を受けて育ったので、本音を打ち明けるのが苦手ですが、なるべく旦那には、一呼吸置いて、LINEを使ったりして本音を話す様にしています。
主治医からも、我慢せずになるべく話しするようにと言われています。
診察室という場所で、5分という時間の制約で、言葉で伝える、伝わるコミュニケーションをするということそのものが、心療内科や精神科ではそもそも難しいと感じています。
説明してるのに伝わらない、いつも同じ答えや同じ治療薬、話しても一緒だなと思って話さないと病状悪化と判断される、ということが続いてます。
確かにガイドラインに従った診療ですし、投薬も薬効は似たり寄ったりです。でも同じ治療でも伝え方や向き合い方は変えられるんじゃないかなと思うのです。
せめて、傷を深くするような抉るようなことはやめてほしいな…
簡単に病院を変えるのも、新患取ってないところが多くて見つからないし、多分変えてもガイドラインが同じだから変わらないと思うのです。
だから今日も診察室で我慢です。
そっか、迷惑な患者なのかな…病院にも逃げ場がないのかな
漫画ブラックジャック読んでて
「人間が命を救う(扱う?)なんて烏滸がましいと思わんかね」というようなセリフが突き刺さったことがある。主人公の恩師の言葉だったかな。
医師は医療知識で目の前の患者に出来るだけのことをするけど、あとは患者次第。患者の人生と医師の対応は別次元のもの。
緊急手当てはお願いするし感謝もあるけど、病気や怪我を治すのは自己治癒力だと思う。
自己治癒の方法やヒントを教えてもらいに通院してる。
主治医に全乗っかりしてると治りが遅いw
努力至上主義のようなものを叩き込まれて育ったので、なかなかそれが抜けなくて苦しいです。
成功していない、幸せになれない、お金が稼げない、健康になれない、すべて自分のせいだ、努力不足なんだと思いがちなので、とりあえずできることをやっている今の状態を受け入れたいです。宿題のテーマと外れていたらすみません。
私は皮膚科(美容皮膚科クリニック)勤務勤めが長位でしたが、通常の病院勤務も外来も病棟も経験して来ましたが。
どの科でも色んな患者さんはいます。例えばそれは明らかに皮膚科じゃないって事を訴え続けて、怒り出したりとか。
自分で選んで診察に来たのに、いきなり怒り出したりとか。
真面目に薬も塗らないのに痒みが治らないとか…
受付の人にはとても威圧的な態度なのに 看護師やドクターにはニコニコしてたり。
まぁ 病院に来るのだから基本的に、どこか体調がすぐれないからだと思いますが… 本当に色んな人がいます。
治しに来てるのに 人任せだったり。治療には本人の努力も理解も協力も必要なのに、とか。色んな人がいます。
ちょうど春なので、宿題部分を花粉症で考えてみました。
・花粉症というアレルギー持ちの体であること
↑自分ではどうしようもない、変えられない部分。
例えば盲腸手術のように患部をしっかり切り取る的な治療法が存在しない。生物としての限界
・症状的に花粉症かもしれないと考えて病院に行き、そこで出された薬を正しく飲む。他にも空気清浄機や加湿器やマスクなど基本的な対策を複数とる
↑症状が楽になる可能性の高い部分。つまり少しなら自分で変えられるかもしれない範囲。
また例えば数年後には今より更に使い勝手の良い対策グッズが市販されるかもしれない、十年後二十年後には画期的な治療法が発見されるかもしれない。
そういった文明・医療の新しい可能性という観点で言えば限界はないのかもしれない部分。
・たまたまアレルギーや花粉症という概念がまったく広まっていない国や地域に生まれた、または病院も薬も頼れないほどの貧困層に生まれた
↑環境的な限界に阻まれてしまったパターン
・日本のようにアレルギーの知識がちゃんと広まっている国に生まれ育ち、病院にかかれる経済力も十分にあるにも関わらず『アレルギーなんて甘え!』と本気で信じており他者のアレルギー対策を妨害してくる人、医師に説明してもらってもなお聞く耳持たない人。
↑少数ではあるが存在はするので出会ってしまうかどうかが完全に運。
その人を変えようとか説得しようとかはムダだと思われる、身を守るために距離を置くくらいしか思いつかない
カップル、夫婦間の対話でさえもいくら時間を割いても好き同士であっても、100%分かり合えることはないと思います。100%理解したということはどちらかが折れていると感じます。
そもそもしないことは、そもそもできない、これからもしない、そういうのってあると思います。でも他人からみると、あの人はできるはずなのにやらない!って思うから嫌ったり嫌われたりするのだと思いました。
動画配信ありがとうございます✨🐼
宿題 最近、絶対変わらないだろうと思ってた人が変わったな〜と思う事がありました。
迷惑な患者の要素を持っていると思う1人は、時間と⋯、多分、安定感の様なものを感じられての変化だと思います。
もう1人は聞き分けの良い患者の要素を持っていて、何かに追い込まれて、誠実にならなきゃって心底思ったからだと思います。
やっぱり人を変えるのは難しくて、それでも変えたい対象がいたら、優しさを以て頑張って影響力を働かせる🍀*゜
それは自分のためにもなるんだろな〜、って思います✨🐼
聞き分けの良い患者…!? ずっと私は、猫をかぶって、聞き分けの良い患者でいました。でも、、こないだとうとう…あることがきっかけで、今まで我慢していたことを言いました、主治医と言い合い?みたいになりました😭 平行線のままでした…。先生が分かってくれなかった、分からなくても受け止めくれなかったことが超ショックでした💧💧
辛かったね。しかし、主治医も人間だから、ありのままの貴方に驚いたのでしょう。私達は、総じてバランスが悪く出来ています。貴方が可能なら、先生と仲直りして見て下さい。私も主治医と喧嘩しながら、頑張っています。主治医も人間ですからね。😊
我慢する事を選んだのはご自身だし、それを他人が察して理解してくれると期待するのは他人に依存しすぎだと思います。他人が理解できるようにコミュニケーションを構築するのはご自身の役目、という意識と、他人は家族であっても自分のことはできないもの(だから丁寧なコミュニケーションや都度の説明がいる)という意識でいる方が生きやすい気がします。
@@moviesuzana6600 他人が理解できるようにコミュニケーションを構築…無理です🥲 日頃から下手で、人間関係もしばしば誤解されたり困っています…。 普通の会話なら…そのまま過ぎていきますが、精神科診療だから、精神科医だから、患者に分かるように、どこがどう間違っていたのか、行き違ったのか、、知りたいです。診察をこれからも大事にしていきたいのです。診察自体を完璧にしたいと思いすぎているのかもしれません…。
@@うたうた-x1wさん… あなた様の「辛かったね」で、心のわだかまりが溶け始めました…😭🥹🙏🙏🙏 私は…わかってほしかったんだと思います。 だんだんと、主治医の欠点?が許せるようになってきました。。そうしたら…自分の欠点までも許せる気持ちになってきました😭😭😭 こんな、ゆるい気持ち…初めてです😭🥹🙏 今まで…人の欠点や失敗、自分の欠点や失敗が許せなかった…苦しかった… なんか今、ゆるい気持ちになっています…🍀🍀 今回のケンカ?で、ものすごく勉強になりました🎉🎉得られるものがありました…✨✨めちゃくちゃしんどかったケドね😢😅 ほんとに、ありがとうございました🙏💖💖💖
@@moviesuzana6600丁寧な話し合い…丁寧な説明が無かったんです… ただ…自己弁護?←に私には思えた… や、私を責める…←に私には思えた… で、平行線でした 相手にわかりやすいコミュニケーションの構築…努力しています。…しかし、なかなか難しくて、、。それが簡単にできれば、精神科には通わないかと思います。
ただ…自分も、主治医に期待しすぎ、、わかってくれて当然…みたいな…勝手なところがありました。理想化と、被害妄想と、見捨てられ不安と、競争心・嫉妬心と…おごりと、どうせ自分は…というような卑屈さと、、、 妄想から事実を作り上げ、 自分で苦しみ、傷ついていました…。。。 これを、治したい。マシになりたいです。
メンクリ通院中に関節の病気になり仕事無理→その後ストレスの食い縛り永久歯3本折れてしまいうつ状態に→大腸癌のような症状見つかりと身体的な問題でメンタルがボロボロになっていき、社会復帰の方向とあまりにも逆に進んでる自分に主治医が呆れてるのではと悩んでいます...
人って、自分の感情を表に出す人、出さない人って2つに分かれると思います。私は出さない。先生は割と真面目で正直なので言葉に出す。人それぞれで正解。そんな先生がとても魅力的です♪
症状がひどい時通っていたクリニックの先生は、評判も良く優しい先生でした
けれど、私が症状が悪いにも関わらず、良い人間でいなければがっかりされることばかり気にしてしまって上部だけしか言えなくなっていました
また、本当にひどい時ほど治りたいというより、ありのままの自分が受け入れられるはずだと思い込んでいて、親から愛情が欲しいとか周りから優しくされたいという願いが当然だと思っていました
世界が自分が思っているほど優しくないと気づいていなかったです
優しくないと言われても、理不尽だと感じるばかりで理解できないことの方が多かったです
今は、人に対して純粋に期待もせず、人と他人の境界線を意識しながら日々の暮らしを意識しています
その上で、誰かに優しくできる人を目指すのは、自分の欲を満たしたいからだとも思っています
付き纏いする人にやたら寄り付かれるのが嫌だとカウンセラーに相談したら、
「そういう人の相談に乗ってあげるのもいいんだけどね。」
と言われて、
私はドン引きし「医療関係でもない私が生半可に危ないですし、絶対に嫌です。それはプロの仕事の範疇です」と即拒否したのも、
多分、カウンセラーには聞き分け悪いと思われてそう。笑。
人間同士の合う合わないってその人のバックグラウンドに負うところが大きい。ということで人々の多様性について知見を深めたいですね。
精神科医が殺される事件怖かった。恨まれやすい職業なんですよね。口コミを1とか付けるのは悪意を感じます。難しいですね。プレゼントは一切禁止受け取れない、がいいかと思います。前の病院には書いてありました。
症状などに怒りは自分でも感じます。周りを傷付けることも出来ないし、自分に向かいます。いい患者で居ようとしてしまいます。😢発散方法に問題が出ます
でも頑張ってます
話が長すぎる友人を迷惑な友人、人の時間を奪わないように都合などを伺ってくれる友人を素敵な友人だと思ってしまいます。話が長すぎる友人は1聞いたら1以外から説明してくれて-10~100くらいいくのだけど、親切だなって思いながら束縛されている気持ちになってしまいます。質問内容に気を付けます。
変えられるのは自分だけだと思います。他人によって変わるとしたら、その人の意見を聞いて自ら変えようと思った時だけだと思います。
誰かに言われたからそうした、そうなったと言わない方が最終的には楽だと思います。
傷ついた人達って、ピュアですよ。
とっても良心的で温かく素直ですよ。
だからこそ、
極端に偏った考えで行動発言する、
自分さえ良ければ他人はどうでもいいとか、
防衛がすごい攻撃の人とか、に出会って、
😱☀️ビックリしちゃうんですよ。
ショックでダメージで世界の捉え方がわからなくなるんですよ。
それで神経症になる。
元々はピュアで動物的ガツガツではない人権意識も高いわけで、
だから粗野で乱暴な人に苦しんで、対処できず暴走する、それをひねくれてると言われちゃうんでしょうね。
では、どうやって人類の多様な粗暴に驚かずに許すか、というのは、
正しくこの動画の益田院長の姿勢が手本だと思います。
「そういう人を相手にする仕事だから、殺人予告ともあるよね」
「まあ、よく見るよね、そういう人もいるよね」
このくらい、普通に見慣れてしまう、その境地に立つのがいいですよね。
ホントにいますからね、普通にゴロゴロ。
以前は、この世は妖怪屋敷か、鬼ヶ島か魑魅魍魎ではないか、と思っていましたが、
今は、私も慣れて来ました😅
人はみんな世界が怖いわけで、毒を持ったり威嚇したり、惑わせたり、
個人個人で処世術の対応策が違うんですね。
人類の妖怪バリエーションの豊富さとユニークさに面白いなぁと眺められるくらいになって
益田院長みたいに
「まあ、いるよね、あるよね」と平常心で言いたいです。
そこに着地しマッセ😅
変えられない事を受け入れたいけど…そしてクリニックの限界って分かるけど、まず予約をとること、そこに時間までにたどり着くまでの大変さ、待ち時間…薬局が混んでる事、薬剤師からも確認なんだろうけれど色々訊かれたり…それを毎月毎週ギリギリのとこで頑張ってるので、ナイーブになってしまう。幾つものイライラを堪えて通院しています。そこを労ってくれたら…って思ってます。
学校に勤めていますが、生徒に対しての限界性を感じることはあります。
しかし、教員側は(うまく生徒を扱えないのは、教員の力量不足)という空気を醸し出しています。
なので、うまくいかない時、私自身も自分を必要以上に責めていたんだなと思います。辛かったです😢
おお、英語で解説❣️
文脈の流れの中で自然に使う、レッスン効果ですね😉
ウィルとドゥーと、キャンで、どう違うんだったっけ???アレレレレ???あはははは😝
まっすぅを、レンジャー、ライフセーバー、電車に乗った王子様🤴✨😍素晴らしい存在と思い込みたい、陽性転移のマダムキラー🤣
娘の担任の先生のお母様が、元気だったらしいのですが
先々週突然お亡くなりになり。
担任の先生は小学6年のクラスを持つのは初めてで、この時期に、とても熱心に子どもと関わってくださっていて。
忌引きで一週間休みになって、カメラ電話で生徒と話をしたらしいけど、先生は生徒の前でかなり泣いていたらしい。
わたしはそれを聞いて『開放してストレス発散される人間だなぁ』
と冷静に思いました。
わたしは閉じ込め型で。
羨ましくもあり。うざくもあり。その熱意が保護者のわたしの冷たさを温めてくれているし、私に似た子どもまですっかり温めてくれて。
熱はうざいとかしつこいとか、そんなに思わなくなってきたのはこの担任の先生にであって2年たってやっとです。
ああ、続けることや待つことや応援することの言語化って、
大切やなと思います。
『宿題』
多様性を大事にしようとするとき、多様性を大事にしないという主張も必ず挙がってくるので、
人間関係において基本的には自分にとって快・不快で決めていいんじゃないかと思います。
益田Dr、お疲れ様です。
担当が精神科なので、大変な患者さんもいらっしゃるだろうことは想像出来ますし、TH-camを視聴して印象よく来院される方も納得出来ます。それが悪性転移する?その辺が想像出来ませんでした。
宿題📄
自分の家族に知的障がい者がいるので、親は「諦めたくなかった」でしょうし、自分は「しょうがないよね」と両方の気持ちがわかります。医療者もおりますので、医療の限界も聞きます。自分1人なら森の中で暮らすのも良いでしょうが、周囲が心配してくれるのでせめて簡単な仕事からでも復職出来たらなとは思います。矛盾してますが😊
聞き分けの良い患者ばかりが理想とは思えないよ。迷惑(限度はあるよ)な患者だって、好きで精神科に行かないよね⁉︎
そういう患者さん達とも向き合っていかないと、人間は直ぐに、本当直ぐに、傲慢になる命を持っているから、成長させられているんだと思います。
放火事件のあった梅田の近くに住んでいますが…
放火などは、当然ありうるのだから、そんなビルで開業していることに驚きました。
素晴らしい先生だったと思いますが、安全配慮義務の一部として、そういう建物には開業しないことが大事だと思います。
テレビが触れられない論点ですが、精神科だからこそ、そういう想定でのスタッフの避難誘導の訓練など、やっておいてほしいです。みんなのために。
発達障害、ACで性格悪くてどこでもトラブルで、鬱で苦労して56歳女性として生きてきました。傷つきまくりました。でも、いつも寂しくて不安で、良い人になりたかったです。ただ、人って自分が正しいと思っているから、歪んだ認知で人格向上目指しても、先生に否定されたら、恨んでしまう。意地悪されたと受け取るしかできないから。歪んだ認知で人格向上することの自己矛盾はどうやって抜け出せるんだ???って、悩みはじめました。そんな時、上座仏教で学んでかなり性格直りました。つまり、正見が養われてきたからだと思っています。唯一、人格向上できるのが正見を養うことでした。お釈迦さまの説法はどれも、それが目的で話されています。
配信有難うございました🥰。人間だもの、合う合わないあるし…益田先生好きな人多いと思います☺️💕。私も益田先生、面白いから好きー😆最近、おすすめで上がってきて拝見させてもうてます🥰。上手く言えませんが益田先生のサラッとしたあっけらかんさみたいな感じ?見習います🥹
有言不実行というか、「○○できるよ」と言っておきながら後で問い合わせると無視する人に最近腹を立ててしまいました。が、悪意はなくてその人のキャパシティの限界だったのでは、と考え直したら気にならなくなりました。私はもうご縁がないな、と思っていますが、その人は人気者。もうウマの合う人だけでワイワイやっていればいいのでは、と今は思います。
そういえば、数年前に担当医から「何をどうすればあなたの鬱が治るのか分からない。正直お手上げなんだよね」と言われたなぁ。その時は逆に一歩引いて、先生も大変なんだなぁ、とりあえず私にできることは見捨てられないように、これ以上迷惑かけないようにおりこうにしておかなきゃ!って思う事はできたけど…。いつまでも良くならないのも迷惑な患者になるのかなぁ😅
私も鬱の酷い時、大学病院で毎回3時間位待たされ何回目かに、僕はもう、君の事を見たくないんだよね。と言われて愕然とした事があります。コメ主様は自分が迷惑かから無い様にしなければと、考えられる方で凄い方だと思いました。私は、怒ってしまい家に帰ってからもモヤモヤして電話して文句を言ってしまった😢まさに迷惑な患者でした。今は別の病院で少しお年の先生ですが上手くいってます。やはり相性もあるかと思います😊
私の通ってるいるメンタルクリニック、先生はクールだけど話はキチンと聞いてくれるし人気です。午前50人、午後50人予約枠あるけど空きなしです。
しかし、口コミは2.0で悪い事沢山書いてあります。
メンタルが弱ってるとクールな先生が冷たく見える様です。
益田先生も、口コミの点数なんて気にしなくてよいと思います🥰
良い子症候群等と共通するところがあるのかもしれない、と思います。
相手や場所に合わせて都合良く演じなければ生きていけないのではないか、見捨てられるのではないか、と思ってしまう。
ただでさえ生きづらいのにこれ以上否定されたりしたらどうしよう、どうすればいいかわからないからせめて嫌われないようにしようと色んな相手や場面で、そのように考えて行動していたりします。
「助けを必要とする人は、助けたくなるような姿をしていない」。
will not,do not,can not にそれぞれ違いがあるかどうかというのは、「諦め」「受容」にも似ているかもしれないと私は思います。
治療をしたり向き合ってきたからこそ、諦められるように、もしくは諦めざるをえなくなったりする事がある。それが障害の受容なのかもしれない。
こういう話は精神科医同士やスタッフと裏で話して欲しいですね。精神に不調を抱える患者にとって「迷惑患者」などという言葉はナイフのようなもの。患者に寄り添う医師の発する言葉とは思えません.最近の益田Dr.は患者への愚痴や事業拡大の事ばかり熱心に発信していて、肝心な治療部分が疎かになっているように思えます。コメント欄も、なんか芸能人の盲目的なファンみたいな人のコメントが増えてきて違和感を覚えます。
@@健太-n8t わかります
ちょっと患者をオモチャにしてる印象受けます
益田先生、いつも動画ありがとうございます。
なんとADHDの息子も益田先生の動画見てました。
最近益田先生の本を買って読んでます。
今日の宿題の変わらないものは、性格だと思います。自分も含め、親、夫、こうした方が良いと思っても変わりませんね。
精神科に通院し始めた最初の数年は症状が悪く、主治医や作業療法士さんに随分無理を言ったことを思い出しました。とても恥ずかしく反省しています。
今は年齢を経て多少は落ち着き、出来ないことを諦めることで、心に余裕もできて来ました。
他人にたいしても同様で、以前は人の言動にいちいちイライラしていましたが、他人に余り期待するのをやめることで、余り心を乱されなくなって来たように思います。
自分も含めて人はこんなものなのだなと考えることで寛容になれるのかも知れないと思いました。
確かに…先生の口コミ見たら…めちゃ半分以上悪くて笑ってしまった😂
TH-camとかの動画のカッコいいフィルターましましで病院に行くから…想像してたものと現実の精神科医の対応の差がすごいと感じてしまうのかな😅(※私は行った事ありませんので偏見で語ってます)
解離性障害の一種
解離性健忘症があると最近、分かり
記憶があるうちにて、その時の症状
などメモ用紙に書いて、診察のときに
症状と不安な気持ちをだけしか言わないようにしてます。
自分の心の傷は、自分しか理解してあげられないと感じたので🙂
先生には、私みたいなタイプは、マシな方の人だと言われました。
記憶が継続?されないからなのか分からないですけど、先生も大変な苦労しているだなぁっと動画配信を見て感じました。
えーっ怖いじゃないですか、、、
益田先生に何かあったニュースなんて絶対見たくないです。
気をつけて下さい🙇♂️🙇♂️
母がイマイチ理解できない。
頭の中で思っていたら、してる事と一緒って人だから。
何も行動に移してないのに
心配してた、やろうと思ってた、私は分かってた
って主張して逃げる。
例えば、私が寝たきりになってヤバくなっても放置してたのに、
私は心配してた!
って主張する人だから
心で思うことと実際の行動の区別が付いてないのか、
回避なのか、よく分からないが…
こんな感じだから母は何か問題が起きても対処出来てない…
病識のない人……医療保護入院とか制度からして、治療って何だろと時折考えてしまいます。
認知症もそうですけど病棟で働いてると日々辛いです。深く考えないようにしてます。
クリニックへ来る方は少なくとも治したい、現状打破したい方なのかなと。そしたら希望がありますね。先生ファイテン、負けないで
PTとして働いていましたが、維持期の患者様と関わることが多かったです。
患者さんの病識や運動習慣、生活習慣など、こうした方がより良いよ、とお伝えしてもなかなかその通りに習慣づけていくことは難しかったです(ご高齢の方も多かったので)
人の意識を変えていくと言うのは難しく、限界がある、自分を変えることができるのは究極的には自分だけである、と言うことを痛感いたしました。
だからこそ、割り切ってお付き合いする、という先生の考え方とてもよく分かります。
医療は万能ではない、難しいですね。
過去動画に英語を使った例えを加えたのが記憶に残り以前観た時はただトラウマになっただけでしたがそれが以前よりリフレーミング出来ているのを感じたので自分が変わったと思えました。
やってないのではなくて、やれない。甘えではなくて、できない。しっかり見極めて、相手のことも自分のことも責めすぎないようにしたいです。解決できることは解決して、解決できないことは、その中でも、どうしたら、お互いに穏やかになれるかを一緒に考えていきます。お互いに得意なところを伸ばして、苦手な部分は補い合って、支え合って、助け合って、生活していきます。寛容な人になりたいです。🥲
過去にされてきた屈辱や侮辱は、ずっと恨みや憎しみとなって残り続けるから、ピュアとか清らかになれるとはちょっと考えづらい。
わかる。残るからね。
@@m700-j9t 新しい人と関わる時も、警戒したり身構えたりしてしまう。
先生私も昨年6月まで
医療現場で働き終活しましたが大変な患者様はおりました。
そのような患者様に 限りみなさんを困らせておりました。
評価を気にし過ぎたら他の患者様に迷惑かかるから頑張って下さい
先生お身体大事にして下さいませ。🙏🍀
カサンドラです。自分の双極性障害はさておいてしまい、夫のしゃあないところばかりに気がいってしまいます。疲れます。思い出しても、予測しても、現在ただいまもつらいです。だからマインドフルネスしています。
障害に基づく患者の性格傾向って、現場を見てきた先生の体感は確かに正しいだろうと思うけど、個人的には「善悪というより極端になりやすい」傾向があるように思います。あくまで私個人の体感ですが。
迷惑な患者になりたくはありませんが、いつも先生の動画を参考にしています。私も当事者として情報発信しています。
そこまで関りがあるんですね
私の通っていたところは状態聞いて薬出して終わりなんで2分で終わりますので関りが薄いです
こちらからあまり何も相談しないのも早く終わる理由なのかも知れませんが
上手く行くならば早いなら早いでも良いのですが
迷惑な患者はこの私です。先生の指示に従えてないです。私が楽になる生き方を考えて治療してくれてるのにいつも逆行してしまう私。薬も自己判断でやめたり。先生を困らせてます…
ぶん殴ってやるとかいうのに診察に足を運ぶという異常さには付き合う必要ないですよね。病人優先に考えてたら、コントロールされて患者の奴隷になってしまう。
統合失調症の友人は60歳男性一人暮らしで薬、訪問看護師、通院、という形を取って、生活しています。私は電話がきたり、Lineがきたりした時、対応しています。遠距離なので会うことはありません。会話やLine 文章でも考えをまとめて言いたいことを言うのが発症前と後では苦手になっています。
本人は気付いていないでしょう。本人は良く分からないことがあっても、たぶんこうだったかな、、、、と頭で思うと、その事が「そうだ。」になってそれが事実だと思い込んで会話してきます。物事に対する考え方や理解の深さも幼稚になった感じです。私も戸惑う事が多いいですが、そういう症状なんだと理解し聞き役になって対応しようと心がけています。
陰性、陽性転移についての解説を過去の動画で観てフムフムと思っていましたが、配偶者がそれが激しくて、てっきり「パーソナリティ障害」かと思っていました。アルコール依存もあるように見えましたが本人は認めません。弁護士さんに「依存症も否認の病気ですもんね」と言われたりもしましたが、パーソナリティ障害なのか精神疾患なのか分からないし、暴力があると共同生活もできないので快方には行かずに別居してます。もはや…本人次第ですよね。
私は双極性障害です。今日は3ヶ月ぶりに主治医の診察です、毎回「どうでしたか」と聞かれるので伝えたい事を簡潔にまとめたつもりがA4用紙が2枚にもなってしまい診察時間内に伝えられるかが不安です
迷惑な患者は変化を嫌う患者。薬変える。環境変える。生活態度変える。それができないで辛いので、先生は難しいと思います。私の先生は程よく距離おいて、よりそってくれてますが。10年変わらない私が申し訳ないと思ってしまう時があります。
同じ心療内科に15年以上、月1回の頻度で通い続けています。
障害厚生年金2級を15年間、受給し続けています。
心療内科の先生に期待することは、次回も障害厚生年金2級の更新の診断書を作成して欲しいということだけです。
どんなに優れた薬を処方されても、経済的に安定しなければ心の病気は悪化すると思います。
私は、それを一番恐れています。
たとえ今後も私の心の病気が治らなくても、主治医が、障害厚生年金2級に相当する診断書を作成してくれさえすれば、私は、主治医に対して何の不満もありません。
Do notの話ですが働けないのか働かないのかですごくこだわってしまった時期がありました。今は、働いていないのは自分の責任だし、でも今の自分に出来ることを精一杯やっているしという見方に変わりました。誰に言い訳が必要なわけでもないし、意味のないことだなと。
今なら笑い話ですが…
過ぎ去ってから振り返ると主治医や周りの助けて下さった方をやけに感謝や神格化していたり、
あれは病気の症状だったんだな、と動画を見て腹落ちしました。
傷ついた心を治すのは、難しいと思う。
身体的な傷だとしても、もし何年もかけて同じ所をえぐられてたら、治療の施しようがない。
これ以上、傷を増やさない、痛みに慣れるしかない。
‘‘人間ってこんなもんだよね’’といった発言は迂闊にやらないように気をつけようと思っています。そういう発言に対して憤って反論してくる人に何度か出くわしました。理想を否定されたと感じるのでしょうか。私はただ面白いと感じて言っただけなのですが。
はーい、わたしは良い患者です。こういう話も真実を語ってるんですね、。う〜ん、生身の人間同士、科学は万能ではないと、肝に命じておきたいとおもいました。
迷惑患者、という表現は本心なんでしょうか?苦しくて藁を掴む思いで診察にやっとギリギリいけたという事も多い。いつもの益田先生らしくないなと感じ見返したりしたのですが精神科は普通の科の先生とは関係性がまったく違います。親や身近な誰にも言えないことをうちあけたりします。
なんだか今日の動画はイライラしてしまいます。
救われたいとか治したいのに治らないものあるならどうしたらいいのか。
確かに「聞き分けのいい医者」ってヤバイですw
宿題の答え
頑張る能力がない人、盗む殴る散財する強姦するなどの衝動を抑えられない人もいることを大人になってから知りました。先天的なものです。
その人のためだと思って相手をコントロールしようとしたり、相手を必死に説得しようとするとこちらが疲弊してしまいます。私自身は平均的な知能だと思いますが、考える能力が違うので理解に苦しみます。それが多様性と気がつきました。
そう言った方々とは上手に付き合うしかないと思います。
研究が進み、その様な方が少しでも頑張れる様に、衝動を抑えられる様になる方法が解明されます様に。
益田先生
今の主治医に出会えるまでは、医師から酷いことを言われることばかりで、いつも診察後に傷ついて泣いておりました。
いつも診察前に、迷惑をかけないように短くわかりやすく伝えなければ…と思うのですが、診察室に入った瞬間、頭が真っ白になってしまうことばかりで、結局いつも主治医に迷惑をかけているような気がいたします…。
今の主治医は一緒に悩み考えて伴走してくださるので、心より感謝しております。
人を変えようとするのではなくて、自分を変えること、人の気持ちを尊重して、何事も寛容でありたいと心がけております。
出来ないことはたくさんあって、どうしてできないのかと言われても、原因がわからないことが多いので、難しいですね…。
人と比べてしまうと苦しいのですが、私はなぜ出来ないのか、出来ないならどうするべきか、病気と障害と向き合いながら、考え続けたいと思います。
いつも学びの場を提供していただきまして、ありがとうございます。
「精神科医は患者を治すもの」だなどと言う人がいるのですね…。 それって、精神科医に丸投げしてるということですよね。「こんな自分を変えてくれ」と言ってるってことですよね。
そんなんじゃ、一生治らないと、患者側の私でもわかります。 肉体の病気も本人が治す気がなければ治らないし。少しでも良くなりたいから精神科医のサポートを受けるんだという意思が最低限は必要だと思います。
迷惑な患者だと思われたくないから聞き分けの良い患者であろうとする。でも本当にそれで良いのかな?病気だから病院にいる、だけど病気の面を見せようとしない、自分からは言いたくない、察して欲しい。
親だな。50になってようやくあるがままでしょうがないと思えるようになった。
私はどうしても、てんかんの専門医がいる総合病院に通院しておりますので、そこの精神科へ通っております。
データの共有が医師も都合がいいと思い、そうしてます。
私は私です。ただ、しんどくてつらい病気になってしまっただけです。
限界はあると思いますね。それは成長するかしないかという点で言えば、
難しいならそこまでという見方もありますね。
その人がどこまでどういう能力があるか、見ていく事は大事で。
前に進んでもらいたいとも思いますが、様子を見たら時間が経てば進むのかどうかも、
見ていくことが必要ですかね。
宿題の答えになってるかなとおもいながら、
限界は話していう中で対話の中で、時間をかけていって見極めていくものでしょうか。
「やればできる」という言葉がありますが、確かにやればできるんです……。できるんですけど、自分も含めて、その「やる」という状態になかなかたどりつかないという人は多いと思います。「やる」までが難しいのです。can とdoも実は同じなのかなと思ったりしました。
私は解離性障害としての観測眼でいろんな人々を見てきましたが、そうですね。
病気だ、と認定するのはやっぱり外部なのかなって思います。
他の人が病気だと認定するんだから面倒を見てほしい、回復するまで絶対安静みたいに制限して欲しい。って思う人もいるだろうし、
医者として「何を治すべきか」を理解している人もいると思います。
心的余裕がないとキツく当たりたくなる時もあるし、素っ気ない対応(素早い対応)がキツイと、気になっちゃったりも。
私の観測している世界はカウンセリングでまとめてもらうしかまだ対応してもらってなくて、そこまで難しい説明してるかな。って思っても、治療として治療が行えていないのが現状で、観測世界を知ることだけで手一杯なのかなと。
私もこの病気を治すに当たって何処を治せばいいのかもわかっていないので…難しい問題です。
宿題の解答としては、
少し違う。できないと言う点ではどれも同じことでも、
脳のストッパーがかかったり、無意識部分での妨害もあって単純な生活習慣の見直しだけで解決できる問題でもない。
何かと理由をつけてやらないだけってよく言われますが、
自己定義はやっぱり必要だと思います。
守るから!助けるから!、何度も嘘つかれて裏切られて。でも、自分に価値がないから、
こういってくれる人に感謝していかなきゃ!っと思ったけど、自分よりみじめな私を、
見捨てない所に酔っているだけで、今迄の嘘も、反省してないと気づいた。変わらない。
確かに、病気になった後の方が性格悪いかも…
迷惑な患者と思われたくない思いがあります。でも、通院のたびに、迷惑をかけているようです。「精神医学的な困りごとをまとめて来てください」と前回の受診で言われてしまいました。色々問題あるけど、トピックは一つに絞ればよいのか?これもまた的外れなのか?精神医学では解決出来ない困りごとを話ているってことなんですかね?
「いつもと変わらず、落ち込むし、日常生活できてないし、部屋は散らかっているし昼夜逆転も直りません 」って言えばいいのかな?
だとしたら、毎回同じ事を言って薬もらって帰るだけ〜何年も
別種の援助職してますが、うんざりして、口コミ全部削除しました。残してるの強いですね。
「will not」 と「do not」の違いがよく分からなくて泣いた
翻訳機に入れて見ると
私は明日早起きしない。
I won't get up early tomorrow.
私は毎日早起きしない。
I don't get up early every day.
どうやら「will not」の方が未来予測と意思を持って「しない」と言う意味で
「do not」の方が現在の状態を表し習慣的に「しない」と言う意味のようだ
こんな理解であってるんだろうか?
日本語だとどちらも「しない」で区別がないから言語の壁を感じる
「can not」は「できない」と「しない」で日本語でも区別があるから理解できた
ワタミ社長「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。
みたいな人もいるから「する」か「しない」かの概念しかない人もいるのかも知れない
僕も最近思ってたのですが、will not〜は、今出来ていることが結果だ、と思ってました。働ける人は精神疾患の人も今働いてるし。働けない僕は今働いてません。若い頃は無理して働いてましたが、結果どうしてもできたとしても、体調を崩してしまうので、40代を境に何事も無理できなくなって、結局働いてません。
自分を大切にしたいと思ったからです。
それともうひとつ。
統合失調症になった頃は、家族関係がこじれてましたが、
今は親を信頼できるようになり、その影響か、主治医というか色んな科の医師自体をそれまで疑っていましたけど、今は安心して信頼してます。それと憎しみに支配されてましたね。
主治医等は悩みを話した時に、当たり前ですけど医師は頭が良いので、ちゃんと聞いてくれて苦しまない頭のいい答えが返ってくるので。それにどこの科のお医者さんでも、プロだから意見は正しいし薬も間違いないから大丈夫、と思えるようになりました。
人に対しての不信感等は、だいぶなくなりましたね。それまではいつも人を疑ってました。
他のことも人に話すと、それお前の力だよ、と言われますが、クリスチャンだからなのか人との関係性等が良くなったのは、キリストのお陰だと僕は思っています。
気づけば長文になってました。すみません。
医師は神様ではないし、薬はある程度の救いにしかならないということを、しっかりわかっていないと、余計な期待は、後に怒りに変わってしまうかもね。
できないことはこれからもある 今までもあった できないことが必要なことでどうしてもやらなきゃって時 方法論でどうしたらできるかを追究して 失敗してまた挑戦して失敗して 結局そういう人生なんだよなぁ そういう人生も疲れるよね 休んで寝て気が向いたら 挑戦で失敗でまた休む で良いと思う