車田さんの正直な体験談に問題提起、独裁者チャップリンの「We think too much and feel too little.」がよぎりました。今回のお話、いつまでも忘れぬよう肝に銘じます。吹奏楽部で卒業式を迎えた三年生の一人から(色紙などのイベントを一通り終えてからさらに)「先生と一緒に演奏できてうれしかったです、ありがとうございました」という内容のメールもらった私の返しを紹介します。一流ならリヒターやBCJのバッハ、バーンスタインや朝比奈のベートーヴェン、ガーディナーのモンテヴェルディをこよなく愛する私の思いは、こうです:「たくさん助けてくれてありがとう。いつも頼りにしていたよ。私は君たちと一緒に作る音楽が好きだ。この馬鹿正直さだけはこれからも貫きたい。(生徒名)の新たなるステージに幸多かれと切に祈る。」
40年前、中学生の音楽の先生が、好きなレコードを持って来なさいと 言われて、全員、さまざまな、Chicagoやサイモン&ガーファンクル 等様々。でも、先生は、1曲づつプレイヤーで聞かせてくれました。生徒の感性を大事にしてくれました。最後に、オペラを歌ってくれました。音楽にみんな夢中になりました。クラシックも好きになっていきました。入り口を作ってくれた先生に、感謝です❤️それもですが、クラスのみんなが、持ち寄ったレコードに、びっくりしたんです。違う感性を認め合いました。感動しました。
本質ですね
音を楽しむ
いい先生ですね。
うらやましく思いました。
わたしがクラシック音楽が好きになったのは、学校教育ではなくて、夕暮れ時に自分の部屋で聴いた「新世界より」のレコードです。もっとも吹奏楽部に入ったので、演奏をしましたが、下手な部活だったので、かえって自由に音楽を楽しめました。コンクール金賞を目指してつまらない曲を繰り返し練習したりする必要はなく、編曲モノを演奏してそこから本当にしたい演奏を妄想したりして吹いていました。その後、音大を出て高校の教員もしました。いろいろ聴き続けて本も読んで、他の芸術や哲学も学んで、今は小さい子どもの教育に興味を持っています。この時代に学校に適応する準備でなく、心を開放して音楽をする喜びに触れてもらいたいと思っています。こういう話ができる音楽家の方は少ない印象ですので、車田さんの動画はとてもうれしく見させていただいています。
タイトルに興味を持ち拝見した小学校支援系教員です。分かり易いお話しでしたし、共感的に聴くことが出来ました。自分の知っているいくつかの地域では10歳以降には音楽専科の教員の授業が多くなります。音楽専科教員の授業も多く観ていますが、歌唱指導や演奏指導で「音が苦」を広めている方が多く、この動画を見て考えて頂きたい教員が多いです。歌で音の取れない子に対しては「よく聴いて」しか言えないし、演奏でも「頑張れ」としか言えない方が多いです。鍵盤やリコーダーなど、頑張ってもスムーズに出来ない子どもがいることを分かっていない教師が多いとも思います。現場で長くみてきましたが、音楽の授業で具体的な行動をアドバイスしていた教師は2人しか知りません。個人的に音楽教科廃止を主張してますが、知識技能でなく、感じることを大事にする指導&評価なら残すべきと思います。車田先生の考え方を学習指導要領に反映させて欲しいです。
音がとれない子にとって音楽(歌)の時間は地獄ですよね。私はそうではなかったのですが、高校の音楽の時間に作曲/編曲をやらされ、まったくできずに恥ずかしい思いをしたことがあります。普通の子に作曲なんて無理です。
ドイツでフリーランスのピアノ講師&演奏家として活動しているものです。過去に10年ほどAushilfeでオペラ座に関わっていたこともあります。☺普段、感じて来たことを、本当にうまく言語化していただいて、膝を打ちました!🙏✨こういう話を公でするのは、なかなかに勇気がいる事と思います。たくさんの演奏家が、「有名になれなかったから」音を奏でることを止めてしまっている現状があると思います。ドイツはまだまだ、「音楽そのもの」を聴く聴衆がいる為、日本ほどではないと思いますが。
音楽の心を感じる心が大事。そして、その心が大きく育つのは小中高の成長期。今、その年代の「教育のあり方」は芸術に関してだけでなく、日本の将来をも左右する大きな問題になっている、と私は思います。先生の真摯で温かい言葉がとても心に響きました。ありがとうございました。
おはようございます。
音楽についての捉え方、本当に同感でした。
閉じた感性(感覚が開かれていない)にたいする呼び掛け方に、とても感心させられましたよ...わたしたちは常日頃、詰め込み勉強のために暗記することを習慣化するだけの勉強法に傾倒しがちなのですよね。
これを音楽や美術にもやってしまうと、その教会本来の目的を全く果たさないものにしかならないのですけれどね。
自分の感じたことを素直に表現するという習慣を持たないと、クリエイティブな能力や自分で考えて何かをするということが難しくなってしまうのですよね。
人生を自分らしく生きていく為には、自分の本音や素直な感覚に従って感覚して、それに応じた選択をしてゆくことがとても大切なのですよね...そうして選んだものにならば、責任を持てるし、腹を据えて挑めるのですからね。
...動画のラストの方のティータイム☕️🌿✨
ソーセージに合うハーブティーって...ミントですか?
...セージでしょうか?
そこが一番氣になってしまいました😊💖✨
好きな音楽を聴きながら、そんなティータイムもステキですよね✨
私は小学生の頃から、クラスで皆んなが自由に発言しないのがつまらなくて仕方なかったです。生徒同士で空気を読むような風潮が嫌いでした。日本の教育では自分がダメになるように感じて、小学生から英会話教室に通い、自分の思ったこと感じたことを堂々と発言する練習をしてきました。
それが間違ってなかったんだとハッキリ言ってもらえて嬉しいです!!
音楽教育に限らず、教育の本質を説いていらっしゃると感じました。メインストリームのメディアで専門家と言われる人のことを鵜呑みにし、自分で調べもせず自分の頭で考えられなくなった多くの日本人。しかし、今、日本の教育は変わろうとしています。ロボットやAIが人間の労働環境に影響を与えはじめ、ようやく人間の価値はどこにあるのか気づき始めたからです。私も、この希望の為に自分のできることを楽しみながらやって人生終わりたいと思います。
どんな音楽も作曲家の魂の叫び、かもしれませんね。
巨匠や一流には足元にも及ばない素人のピアの発表会に行って思います。確かに技術はない、全体的に粗が沢山あるけど、あるパッセージだけものすごく引き込まれるような魅力的な演奏をしている人がいますよね。そういうのが音楽の面白みだと思います。
補足:今回の話は音楽教育に限定した話ではなく、あくまで教育全般に共通する問題点とその結果についての話です。
オススメに出てきたのを何気なく見ていたつもりが、今後の自分の人生の「豊かさ」を左右するほどの迫力あるご講義でした。音楽に限らず、まわりの評価や星の数で見る映画を決めたり、料理屋を選んだり...SNSが発達して多様化が進んだようで実は、選択肢は逆に少なくなっているのかもしれません。自分はこうにはなるまいと心がけてきたつもりが、先生のお言葉を聞いていると、どこか後ろめたい自分がいました。この動画に出会えてよかったです。自分自身を軌道修正して、「自分はどう思うのか。どう感じるのか。」自分の心の声にもっと耳を傾けていこうと思います。素晴らしいご講義ありがとうございました。
自分の知り合いがクラシックって指揮者で音楽が違うっていうけどホントなの?と聞いてきました。よりはっきりとわかる様に、ベートーヴェンの第5をクライバーとバーンスタインの演奏で第1楽章を聞かせました。その人は両者の違いに驚いていましたが、ではどちらが好きか?と聞くと、自分はゆったりとしたバーンスタインの方が丁寧に聞こえて、好きだ、と答えました。クラシックに馴染みのない人でも自分なりの視点を持っていて嬉しく感じました。実は自分も世評ではクライバーの演奏が圧倒的に高いのは知っていますが、バーンスタインの方が好きです。好みに人の目を気にする必要は無いと思います。日本人はクラシック音楽を神格化し過ぎていてはっきり好みを言う事に抵抗感があるのも教育のせいなのかなと思いました。
最近クラシックが楽しく聴けるようになったものです。元々はジャズとかブルースとかが好きだったのですが、しばらくはジャズもブルースも、「勉強」的に聞いていたのか、やっぱりマイルスとかコルトレーンとか、ロバート・ジョンソンとかじゃないとね、みたいに思っていました。そのうちブルーノートとかではなく小さいライブハウスに行くようになり、地元のミュージシャンの演奏を聴くようになりました。そういったライブハウスの音楽は決して一流の演奏ではないかも知れませんが、ビール片手に無心に聞いていると「きもちいい」んですよね。それから「音楽が楽しいって、ミュージシャンが一流かどうかあんまり関係ないんだな」と思うようになりました。そういうようになると、クラシックも楽しくなりました。そんな経験もあり、この動画は「ああーそうだな」とすごく共感しました。もちろん一流の演奏はいい、でもその前に、音楽って楽しいよね、と思う気持ちを大切に音楽をいろいろ聴いていきたいです。
😊😊
音楽教育について、いつもためになるお話しありがとうございます。学校での音楽教育について、私見を述べさせて下さい。ピアノを数年間練習している小学一年生もみんなと同じキラキラ星を鍵盤ハーモニカで演奏します。また、リコーダーを一生の楽器としたり、日本文化に加わったりすることもほとんどないと思います。今の日本の音楽教育の授業実践は学習指導要領を表面的にこなすが故に形骸化していると思います。私の知る小学校ではここ数十年卒業式で毎年威風堂々の展開部のみの演奏が続いています。ここからも形骸化を感じています。
私の小中学校時代には日本の公立学校で音楽教育は無きに等しかったと思います。今、車田さんのお話でその部分を補っているような感じです。そう、昔は音楽は恵まれた環境で育つ子供が個人的に学ぶものでした。公教育では小学校の先生自身が音楽をよく知らないようでした。こうしてクラシック音楽を知らずに大人になった人達がコンサートへ行こうとすれば、演奏家に対する評論家や世間の評判を頼りにしてコンサートを選ぶしか無いのでしょう。
そればかりではありません。或る国際ピアノ・コンクールを取材していたテレビのディレクターは、世間の評判と著名な評論家が勧めるコンテスタントにぴったりくっついて取材を続け、自分が知らないコンテスタントには見向きもしませんでした。ところが、結果は、それまでディレクターが全然取り上げなかった新人がいきなり優勝。これにはびっくりしました。このコンテスタントはそれまで名前も顔も演奏も一度も紹介されなかったのです。このディレクターは自分で音楽を聴く耳を持っていないのか?自分の耳で予選をチェックしていれば、いきなりの優勝発表で視聴者を驚かすことは無かったでしょうに。そんな番組を二つ経験しました。
放送局すらこれですからね。
ハッとさせられるお話でした。自分も、演奏を聞くのなら一流の演奏でなくては、と思っていた時期もありました。今は、アマチュアの演奏も聴く機会も結構多いです。不思議なもので、曲を聴き込んでいると、演奏に苦心している箇所も頭の中で修正しながら聴けるようになりました。アマチュアの演奏であっても、生で聴くと曲の持っている力を十分に感じることができるので、可能な限り演奏会に行きたいなぁと思っています。
ソーセージ、探してみようと思います。
車田さんのお話はバレエの世界に置き換えてもそのまま通じます。 長年バレエに関わる私が日頃モヤモヤしている事を言葉でまとめてお話されるので気づきが多いです。
ありがとうございます♪🩰
家庭内での親子関係のあり方や
教育にも通じるかもしれません。
子どもの素直な感性を否定せず
自由に感じていることを静かに
見守りたいと思います…🤫☺️
音楽を聞く上で大切なことをお話
下さりありがとうございます♬*。
こちらこそありがとうございます😊😊
素晴らしい教義てした。そうだな!ほんとだな!っていろいろ気付かせて頂きました。音楽と自分の心、感性に素直に向き合うこと、これから大切にしたいと思います。素晴らしい動画ありがとうございました。
今日のお話もとても興味深かったです。50代半ばの私の時代だと、学校の授業中にぶっ飛んだ意見を言っても大笑いされるくらいで、どちらかと言うと人気者?になれるチャンスがあったように思います。インターネットがなかったその昔、音楽雑誌の定期購入やレコード店に入り浸っていない限り、一般人・素人はその音楽のメロディー・演奏が好きか嫌いかで、指揮者・楽団が誰かはあまり気にしていなかったように思います。(少なくとも自分はそうでしたし、今もそんな感じです)
今日の薔薇、とても素敵ですね。ソーセージも美味しそうです!
初めて拝見しました。
教育問題は音楽に限らず、いつの時代も大変でしょうが、私が60年以上前に小学校で体験できた音楽授業が、結果的に今日もクラシックを楽しみ続けていられる理由と思いますので、感謝をこめて報告したいと思います。
当時、ラジオ番組で「ゼリーム」というのがありました。
モルダウのように説明的なイメージが付属している作品は多くありますが、ゼリームは逆に音楽を聴いて描かれたものを言葉で説明するという遊びです。
当時はアメリカの作曲家の新作もよく紹介されていましたし、一般に知られていないクラシック曲は多数あったのです。
ほとんどの感想は、曲の種明かしをされると検討違いで笑いをさそうものでしたが、たまにぴったりのイメージを感じ取れた人もいて盛り上がっていました。
音楽授業でレコードを聴き感想を書くというものがあり、聴いた後ではなく聴いている最中から印象を言葉にしていったのです。
例えばアンダーテカンタービレ、お話がついてないのが不思議なほどドラマチックだと思いませんか。
6年生の最後のレコード鑑賞はベートーベン9番、全曲聴いたのは初めてで、感想はワラ半紙いっぱいになりました。
オーケストラと歌声が集合して空中に浮かび遂に巨大な火の玉となる終楽章の感動は今でも懐かしく思い出されます。
レコードでさえ感動できるのですから、生のオーケストラを体験できたら、その印象の強さは圧倒的です。
子供の情操教育のために、交響楽団が小中学校を訪問するという活動がありまして、なんと山田一雄先生の指揮でベートーベン交響曲5番、P協奏曲5番等を体育館で聴くことができました。
その時目の当たりにできた音楽の姿は、60年以上たった今日も、音楽に向き合う時の指針となっています。
例えば山田先生は、簡単な歌を歌わせながら子供達の方を向いて指揮してくださり、背中からではわからない演奏中のコミュニケーションの素晴らしさを教えてくださいました。
「子供だからわからない」は事実と思いますが、子供は大人とは比較にならない記憶力を持っています。
その時でなくとも、いつか価値がわかる時が来るはずです。
子供にこそ最上の体験を用意すべきではないでしょうか。
Nacs
私は、埼玉県の北部、群馬県高崎市に近い街で育ちました。高崎市の群馬交響楽団はかけがいのない存在でした。昭和30年代の学校に群響がやって来て、オーケストラの演奏を聴かせてくれるのです。曲目が何かということではなく、ひたすらその響きに心が躍りました。やがて、高校生なると、毎月、高崎市の音楽センターに通い、群響の定期演奏会を聴かせていただきました。街にホールがあること、そしてオーケストラがあることの素晴らしさを知りました。我が街にホールができた時、群響を聴いて育った仲間たちとホールのこけら落としの公演を手伝ったことは良い思い出です。また、街の人々はアマチュアオーケストラの設立をめざし、群響の演奏家の皆さんも支援をしてくださいました。近年、地方都市のホールの民営化が進み、市民の活動が排除されることさへ珍しくないのです。チケットの売れる公演ということばかりが先に立ち、市民自らが楽しむ音楽空間を作ろうという熱意が感じる機会が減ったように思います。過去が恵まれていただけに、現在の状況をさみしくおもうばかりです。。
40年ほど前、ラヴェルのクープランの墓を初めて聴いたとき電気が走りました。
随分と後になって、あの曲が創られた背景を知ったものです。
近年、自分の尤も探求したい分野が「戦争」と「ナショナリズム」です。
不思議なものを感じました。
車田さんの音楽の話を聞くようになってまだ3ヶ月ですが、今回の日本の教育を考察する話を聞けたことに感謝します。広くて奥深いお話しの中に勇気や希望も感じました。
車田さんは都内の高校で音楽の先生をしていたり、長く遠いヨーロッパから日本を見ていらっしゃるからでしょうか、貴重な意見だと思います。
そして、ますます音楽を楽しもうと思いました。最初の3つの音に何を込められているのか、相談に乗るように耳を傾ける…いいですね、ありがとうございました😊
今回も大変大きな感銘を受けました。
いつも本質的な深いお話に唸らされたり目から鱗が落ちる思いがします。
私は子供の頃からクラシックに抵抗が無く、結構なマニアへの道を歩み、結構な「壁」も築いてきたのは自覚もありました。
超一流の演奏の感動は確かに筆舌に尽くし難いものがありますが、「演奏」のその向こうにある「音楽」を聴けなければ本末転倒にもなってしまいますね。
最近日本のオーケストラで素晴らしい演奏会にいくつか出会いましたが、どうしてこんなにがらがらなのかと残念な思いをしたこともあるので、偏見を持たずに音楽を聴く大切さが身に沁みます。
車田さんの動画を見るようになってから、クラシック音楽を素直に聴けるようになった気がします。
クラシック音楽に興味はあっても、自分が聴くには敷居が高く感じたり、よく知らないのに行くのは失礼なんじゃないかとコンサート会場には行けずにいました。
今は自分の行ける範囲で色んなクラシック音楽のコンサートに行き、無料のものや、後ろのリーズナブルなチケット代で済む席でオペラを見たり、工夫して色々見に行っています。
自分の感じるままに音楽を楽しむように、自分の人生もしなやかな感じ方で柔軟に生きていけたら…。
他者を批判したり見下したりせず、フラットな感覚でいることが大事なんだなと思いました。
いつも為になる動画を、ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます😊😊
音楽に限らず、クリエイティブな分野全てで言える事ですね。
でも、今の若い人たちからはそういう枠にとらわれない人たちが徐々に出てきているような印象を持っています。
私の世代は出る杭をしっかり打たれてきましたが、せめて同じ事をしないようにしたいです。
お話、お聞きし、
子どものころを思い出しました。
小学校の音楽の先生は、
音大を出ておらず、
独学で音楽教師になり、
とてもユニークな方でした。
わたしは、部活動で、
沢山の楽器を演奏させていただき、
とても楽しく過ごしました。
その先生の音楽の時間には、
鑑賞ノートがあり、
毎回、音楽の時間に聴いた曲の感想を
提出しなければなりませんでした。
何を書いても良い…
と言われました。
感じ方は皆、違うから。
本当に、
何を書いても、五重丸がもらえ、
いつも褒めていただきました。
中学へ入ると、
音楽のテストで
「どんな感じか…」という問いに
感じたそのままを書いたら、
思いっきり❌でした。
感じ方は自由だと
小学校で教えられて来たので、
凄くショックで、
先生に対して不信感を持ちました。
大好きだった音楽の授業は、
苦痛の時間となりました。
大学進学のための勉強にも、
おかしいと思うようになり、
高校なんて行かなくても良い!!
と言って、
親や先生を困らす生徒になりました。
結果的に
高校は行きましたけれど、
日本の形にハマッた社会に馴染めず、
現在、イタリアで生活しています。
小学校での音楽体験は、
その後のわたしの好みや生き方を
大きく左右したように感じます。
車田先生のおっしゃる通りです。私は音楽は好きですが、音楽の授業は嫌いでした。面白くなかった。国語も嫌い。この文章を読んでどう思いましたか?と問われて、思ったとおり書いたら❌されました。関東人や、田舎の人は行列のできる店に並ぶのが好きなのも似てると思います。
とても大事なお話でした。 ドキッとしましたし、大いに共感しました。
ついに長年の夢が叶って、先週までオペラ鑑賞のためウイーンにいました。
トリスタンとイゾルデ、愛の妙薬、フィデリオ等、滞在中観られるものを
全部楽しんできました。ただ一番楽しみにしていたトリスタンとイゾルデが
演出が現代風で、とても苦手な内容でした。目を瞑れば声もオーケストラも
素晴らしいのですが、目を開けると、ひどい内容で、心底ガッカリしました。
演奏家は歌うだけでも大変なのに、あんな過酷な演技までさせるなんてと怒りすら
感じました。 トリスタンはずっと水浸しの床に倒れていたり、テーブルや
椅子を投げたり、着ている服を破いたり等々ーもう呆れるばかりでした。
車田さんはそのような状況で歌われたことはありますか?
予算削減のために現代演出は仕方ないのでしょうか?
音楽を感じてそれを表現できること、とても大事だと思います。私はピアノレッスンで、聞くレッスンを取り入れて、タイトルも伏せて聞いたままを絵に描いてもらったりします。音楽をイメージするように聞いてほしいからです。
まさに今日のお話は、私もいつも感じていることでした。素晴らしいお話でした。
お菓子の代わりのソーセージ!斬新ですね。
私が、小学校の頃、音楽の時間に、音楽室で、月一回だけ、クラシック音楽を聴かせてもらえてました。毎回、楽しみでした。
「過度な聴き比べ」からの「超一流志向」という、聴衆の問題をズバッと言語化して下さって首がもげるほど頷いてしまいました。。
音楽をしていると、先生からの厳しすぎる指導等でどうしても超一流志向になってしまい自身を苦しめる時もあります。
でも、心から音楽を感じることが出来る瞬間が増えていくと、自分の心が一歩ずつ成長しているなぁと嬉しくなります。
音大にいると技術力ばかりが持て囃されて、音楽を感じる心や感性が重視されていないと感じています。悲しいことです。。
この動画で言われていることに全く同感です。
私は最近演奏にこだわらなくなってきました。(あまりにもお仕事って感じの演奏以外)
今年1月、東京でブラームスのピアノ協奏曲2番を立て続けに二つのコンサートで聞きました。
どちらもブラームスの大傑作の素晴らしさに心底打たれました。
クラシック音楽が好きでよかったです。
ある書籍を元に自分なりにずっと結論付けていたのですが、学校ではもっぱら西洋音楽(バロック以降のクラシック)の理論(12音音階の平均律がベース)や価値観で教えられてきました。その結果、恐らく奥深い音楽に違いない日本の常磐津、清元、長唄などの素晴らしさを我々は理解しにくくなっているのではないかと。海外の教育も大なり小なり同様で、もはや世界の音楽が12音にほぼ支配されているので、西洋理論の影響をあまり受けていない本場のキューバのモントゥーノとかインドのカーナティック音楽など聴いても、なんか「適当にやってる音楽」に聞こえてしまってる気がします。
神回です✨
うんちくを聞いた後に、出てくる音に、?😰という困惑がたくさんあります😂
感じること😌全ての始まりですね。
今一度、大切に、大切にしようと思います。
本当にありがとうございます❣️
こういう話は、私もとても強く同感します。。子ども時代の音楽の授業は酷いと思います。。さらに、その状況が延々と続いています。。少ししか、この動画を観ていませんが、またアップをお願い致します!!。。私達の世代で、変わりますように。。
感じる、ことの大切さを伝えてくださりありがとうございます😊
わかる、知る、感じる、
「音楽を聴く」「音楽が実現する」難しいです。
私は何も分かっていないと思います。でも、クラシック音楽は好きです❤耳と心に心地よいからです。
ソーセージ美味しそう!ビール🍺を合わせたいです。
時々見させていただいています。今回のお話はまさに自分の遍歴を見るようで以前は一流演奏家の雑誌で推薦になったCDばかりを持っていました。ある時全然聞いていない物が多いことがわかり処分しました。いまは違いを聴いているれべるですが、最近自分はそれどほ音楽が好きではないのではないか・・・と疑うようになりました。音楽というより美しいハーモニーや楽器の音の持つ魅力に気が付きました。だから音楽では音を聞いているのだと思います。それに気づいて自分ではすっきりし、今日車田さんのお話を聞いて「そうだよな~」と納得できた気がします。😌
車田先生、ありがとうございます。初めてコメントさせていただきます。
私は音楽の才能も知識も技術も経験も全くなく、ただ好きな曲を聴くだけ・一人で歌うだけです。有名な曲も作曲家も演奏家も存じません。新しい音楽をどんどん聴く余裕もなく、古い音楽を飽きもせず繰り返し聴いております。
しかし、噛めば噛むほど味の出るスルメのようだと感じております。中には情景が目に浮かんだり、ストーリーまで浮かんだりする曲もございます。ミュージシャンは凄いなぁと圧倒されつつ。
音楽チャンネルのコメント欄は、同じようなコメント(蘊蓄)ばかりで、感想を書く私は完全に浮いていると感じます。無知ですから当然といえば当然なのですが。ミュージシャンを志す青年と話してもポカンとされました。親友はジャンルに偏見があり、音楽に関しては話すこともできません。聴くだけの知人も、クラシックしか聴かないそうで、クラシックに(も)疎い私は何も話せません。(一事が万事、孤独です)。
しかし、音楽は自由に聴いて自由に感じて良い、むしろ勉強して批評するものではない(ですね?)と初めてお聞きし、救われた思いです。
そういえば、「出来の悪い子ほど可愛い」からなのか、学生時代の音楽のクラスとピアノの個人レッスン(必修でしたので避けて通れなかったのです)の先生から可愛がられ、家族ぐるみのお付き合いで、卒業して37年経っても先生(現・音楽事務所所長)の妹さんの世界的チェンバリストから毎回演奏会のチケットが贈られてきます。そういえば数年前、演奏会の後、先生と妹さんに誘われ、お食事会に加えていただいたとき、唯一のド素人の私の感想を真摯にお聴きくださり、当たっていると認めてくださいました。私は恐縮し、勉強しなくてはいけないと思いましたが、日々の仕事と雑事に追われ、不勉強・無知蒙昧のままです。しかし、にわかに勉強し始めて生意気になるくらいなら(勉強しないで生意気なのは最悪ですね)、無理せず、もっともっと感じることに努めた方が良いかと思えました。
お蔭様で、私は全然ダメではなかったようだと思えました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
一流志向で自分の音楽の楽しみを狭めてしまうとか、音楽家の演奏の違いをランク付されたものを見て安心したり、自分を納得させるために知識で補おうとするとか、自分にもアルアルだな、と思いました。
それでも車田先生の番組でいろいろな音楽に触れることで、以前よりはもっと素直に音楽を感じるようなったような?気がします。
小中学校で音楽を教えていた経験があります。今回お話いただいてる内容を、ずっと感じながらやっていました。車田さんが言語化してくださって、本当にその通り、、とずっと唸って聞かせていただきました。(豹柄のおばちゃんが出てきたところでは笑っちゃいました🤣)
でも、本当に本当に大事なお話で、音楽にとどまらず、日本の教育全体に言える問題です。音楽に携わる者として、何か出来ることはないか探し続けていきたいです。
素敵な動画ありがとうございました🙏💕
どんな世界も教育によって同じような傾向にあるんだなという事が良くわかりました。ブルースリーの言った言葉を日本人全員に送りたい「考えるな!感じろ!」笑
車田さんの正直な体験談に問題提起、独裁者チャップリンの「We think too much and feel too little.」がよぎりました。今回のお話、いつまでも忘れぬよう肝に銘じます。吹奏楽部で卒業式を迎えた三年生の一人から(色紙などのイベントを一通り終えてからさらに)「先生と一緒に演奏できてうれしかったです、ありがとうございました」という内容のメールもらった私の返しを紹介します。一流ならリヒターやBCJのバッハ、バーンスタインや朝比奈のベートーヴェン、ガーディナーのモンテヴェルディをこよなく愛する私の思いは、こうです:「たくさん助けてくれてありがとう。いつも頼りにしていたよ。私は君たちと一緒に作る音楽が好きだ。この馬鹿正直さだけはこれからも貫きたい。(生徒名)の新たなるステージに幸多かれと切に祈る。」
素晴らしいお話でした✨
子供が海外のインターから日本の公立に転入しましたが、まさに車田先生がおっしゃってることを日々感じています。給食の牛乳を飲むと気持ち悪くので、牛乳だけ除去してもらいたいのに、診断書が必要で、カルシウムとカロリーが足りなくなるから1ヶ月間くらい様子見てまた再開させて牛乳を飲ませて欲しいとのこと…牛乳が支給される子は自分が持参した水筒のお水も飲んではいけないそうで、驚きを隠せません。給食のシステムは大変有難いですが…。
海外の、先生が生徒の意見を尊重してくれて、自分の感情や意見を伝えられることが評価される環境が日本にも浸透することを願います。
後半部分は、全く同感です。日本人がブランドに弱いのも、元は同じかもしれませんね。
今回は、とても頷ける御話でした。車田さんにも私と同じ様な筋道を辿った事がとても興味深いですね…唯の音楽好きが僭越ですが…という訳でも無いでしょうが、地元の吹奏楽部やアマチュアの一般奏者の吹奏楽団で、良い演奏をする≒私の好みの演奏をする彼等を好んで聴きに演奏会に足を運んでいます。一回毎に微妙に違う演奏が楽しいですね。
「そう、そう、そう、そう、」頷きながら聴いていました。言葉にできない様なことを言葉に置き換えると、体感(感性)の機会が失われます。これでは教育は弊害にしかなりません。個人的な意見ですが、「美」に触れるとは、身近な自然に触れることです。ここにジャンルの違いはありません。美しい音楽は詩によっても絵によっても連想できます。それが想像力に続いていることは明らかです。情操教育とは言うけど、うまくやっているケースは少ない様に思います。
現代日本人の習性が教育に影響されているのは納得しました。
ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます😊😊
お勧めに出てきたので思わず見入ってしまいました。ジャンル問わず、聴いてみて「良い」と思うものを聴くのがベストかと思います。クラシックは普段聴かないけど、数年前たまたま仕事で滞在したフランクフルトで聴いたオペラの演奏にウットリし、またチャンスがあれば聴いていこうと思いました(あちらでのチケットはユーロ建てでも安かったし)。
小学生時代、読書感想文には正解はないと言われて好きに書いたら
先生から「悪いお手本として全校に貼り出していいか?」と聴かれたのでOKしといた。
自分の作品が世に出た瞬間だった。
音楽と言語の違いを感じました。素直に感じて書いたのだろう感想や、意見でも、思い込みや文脈の読み違えや、から来る誤読はやはり、国語のテストならバツです。作品を可能な限り誠実に読み取れていますか?ということです。音楽はそこらへんゆるくても言語ほど実害がないジャンルなのでしょう。で、まず、音を純粋に楽しめる感性が基本。それは大事にしたいですよね。😮言葉も音楽的側面で素直に感じる力はやはりとても重要だと思います。私事ですが、若い時古典作品など意味がとれないところがたくさんあるものを楽しんで繰り返し読んでいました。音読しなくても、頭の中では文字を音に変換して読んでいたんです。知識や経験値があがると、文字を目で読むだけの方が早く意味は取れたりもしますが、最初から意味が取れなくても韋編三絶させる力が優れた古典作品にはあると思います。それは言葉の音楽的な部分だと思います。子供達も持っていき方ですが、音読、けっこう嫌いじゃないです。
大変興味深いテーマでした。 私は、音楽が好きですが、無知、無教養です。10代の頃は、粋がって、少ない知識をひけらかしていました。。。🤣恥ずかしい…。 今は、すっかり呪縛が解けて、自分の下手なピアノに酔って自己満足してます。自分の感覚を信じて、楽しめれば良いです。😊(それもあまり褒められた事ではありませんが)
クラシックが好きになり、作曲家になりたいとまで思ったのは、小学校の音楽の時間に聞いた「月光」のおかげ
でした。中学校でメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲がそれに拍車をかけ、高校ではショスタコービッチを聞いて感動し、後年亡くなったときは心底がっくりしました。音楽は素晴らしいですね。
日本の学校教育では文科省の指導要領に従わなければなりません。そのため大学の入学試験の出題範囲は高等学校の指導要領の範囲を越えてはならないので、難関大学の難問と呼ばれる問題でさえ指導要領の範囲内で出題されます。ところが、音楽大学の入試では指導要領の範囲を大きく逸脱しています。高等学校の音楽教科ではピアノ副科がある訳でもなく、二声の旋律書き取りがある訳でもなく、テノール記号を含んだ調の判定をさせる楽典があるわけででもなく、などなど、指導要領など全く無視の出題がなされます。それなら音楽は文科省管轄の大学ではない養成機関にすべきであると考えます。
本当、ニッポンの教育は令和の今に至っても昭和、下手すりゃ明治のまま、政治家や国会議員にしても教育改革なんかする気配すら無い。
音楽一つとっても好みも感じ方も一人一人違う、皆同じなんて有り得ない、もしそうだとしたら気味が悪い。皆と違うのを悪とする風潮が有るから教育現場ではいじめが蔓延する。ニッポンの政治家役人はよくもまぁ何もせず税金貪っていられるものだ。
結局音楽は宝箱、フタを開けてみなければわからないわけで、つべこべ言わずにちょっとでも心に引っかかるものがあれば素直に聞いてみるのが一番なのではないのでしょうか。
教育についての思い、共感します。中学校までクラシック音楽を学校で強制的に習わされましたが全く興味を持てないし嫌いでした。『アマデウス』をたまたま見たことでモーツァルトに興味を持ち今ではモーツァルトだけ聴くことができます。映画のサリエリではないですが、ピアノ協奏曲20番の第2楽章に打ちのめされました。この部分だけでも聴かせてくれていたら好きになれたのに!と思いました。「歌うアレグロ」を探すというのが私の聴き方でした。18世紀の聴衆の聴いた音を聴きたいという意味でニコラウスやホグウッド、エストマンを知りました。どちらかというとケーゲルシュタットトリオとか珍妙な曲を好む傾向にあります。映画の影響でモーツァルトのオペラが特に好きです。
車田先生
今日のお話、ビックリしました!
え〜?超ビックリ!!
私は小学生の時、都はるみさんの、北の宿からを熱唱していました!
山口百恵さんやら、ピンクレディーとか、いつもいつも、熱唱でした。
中学生になって、吹奏楽部員になって、色々な曲を演奏しました。パチンコっていう曲も演奏しました。
パチンコ玉がジャラジャラする様子が、良くわかる曲でした。
黒田節には黒田節の、軍歌には軍歌の心を演奏し、
タンゴのキメキメのリズム、スイング、とか、ベートーヴェンやフィンランディアとか、あと、授業で一生懸命練習した合唱も。
卒業式には、タンホイザー行進曲が合唱と吹奏楽部で体育館に響きました。
私、幸せ者ですよ~!
💖👍😫
パキッとイイ音!
私、車田さんの素晴らしいお話を聞かせていただくのは勿論非常に楽しみですが、撮影後の『おコーヒータイム』がこれまたとても楽しみですw
私今日、友達と居酒屋で
『アカヴルスト』頂きました。
ま、赤ウインナーですが
美味しかったです♪
19:44 「音楽を聴くというのは、ものすごく個人的な行為」「自分と音楽の心と心のやり取り」
以前の動画で聴き込みの大切さを言われてましたが、その内容にも通じるものがあると実感しました。好きな曲は何回も聴きたくなるし、指揮者ごとの演奏の違いを感じて楽しんでますが、ある時点で感情移入がスーッと出来るようになるなぁ、と思えるようになりました。まだまだ感覚的に未熟ですが、その曲の持つ感情というのは確実に感じ取れます。
詳しく書くと長くなるので手短に書きますが、フルトヴェングラーが偉大な指揮者だと言われてるのはその楽曲にすんなり感情移入出来て、その体感を聴いている間ずっと維持させてくれるからかな?と思いました。ブラームスの交響曲を聴いた感覚がまさにそうだったので、指揮者ごとの聴き分けも音楽を理解するのに必要だと思いました。
車田先生の動画を拝見するようになって、自分の演奏活動において感情というものを最も大切にするように心がけるようになりました。
感情を表現するためには、自分が音楽から感情を読み取れるようにならなくてはならない。
まだまだ精進あるのみだなと感じております。
😊😊
中学の音楽の時間、確かに先生から「この曲を聴いてどんな情景が浮かびますか?」などという問いかけを受けたことがあります。私自身は「きれいなメロディー」という以外には何も思い浮かばず、自分は全く音楽の才能がないのだと思い込んでしまった記憶があります。才能はともかく、私自身は音楽が大好きで、色んなジャンルを聞いてきましたが、60数年の人生の中でたった1曲だけ情景が浮かんだ曲があります。それはアルベニスのピアノ曲”コルドバ”です。私の実家は山梨の甲府ですが、”コルドバ”の最初の数音を聞いた瞬間、これは実家の窓から眺めたまだ夜が明けきらない夜明けの景色だと直感しました。まだ薄暗い東の空、徐々に空が白み始め鳥がさえずりはじめ、街が活動を始める....解説書とは全く違う感じ方ですが、私には”コルドバ”=実家の情景、です。
車田さんの語りが、流れる音楽のよう、人の好みはそれぞれだし、感じ方もそれぞれ、ただ、経験値を高めていくことが大事かと、
💬興味深い話が多くて時々拝見してます
関係ないけど毎回最後のおやつタイムも美味しそうでイイですね😝
初見ですが、めちゃくちゃ大事なことをおっしゃっていると感じました。教育に関しては、我が国は出来るだけ個性を殺す戦前戦後教育から根本的に未だ何も変えていないわけですから、当然の結果と思います。この動画を見ろと日教組や教育委員会に強く申し上げたい。
音楽の「壁」のお話も大変共感いたしました。やはりクラシックとジャズの界隈は特に巨匠信仰が過ぎるように思います。
耳の肥えたファンであるほど、若手や邦人演奏家を小馬鹿にしてしまう傾向が強く、それが国内での日本人演奏家の観客動員が進まないばかりか、優秀な才能はみな海外へと活動拠点を移してしまう。これは本当に悲しいことです。
ただここ数年はストリートピアノ動画などのTH-camrピアニスト、や角野氏、清塚氏の様なTVでバラエティもこなすスターピアニストが現れ、ぐっとクラシック音楽の垣根を低くして下さっているように感じます。
あとは、聴衆の耳をもっともっと自由にしてくれるような、「各々が感じたことを肯定できる(否定しない)環境」が我が国にも欲しい、
そう感じました。
車田様の様なチャンネル登録者の多いインフルエンサーがこの様な大切な事を、言葉を濁さず発信しておられるのは頼もしい限りです。ご活動を応援しております。
初めまして。
コメントの内容私も同感です。
日本の教育を機械的な暗記と個性を潰す内容にしているのは政権である自民党と、
一部の既得権益のピラミッドを保ちたい官僚の体制だと思います。
日教組にも教育委員会にもそこまでの権限はないので、変えるべきはそこではないかと思います。
個性を潰す事によって機械的な支配をして得するのは権力と富を握るトップですから。
教育委員会の人間でもなんでもないのですが。
とにかく根本から変えていきたいものですね。
音楽家の動画制作やプロモーションのコンサルティングをしてみて思うこと。音楽大学の師弟関係がめんどくさい。これをやってはいけない、あなたは表現をしてはいけないなどなど
他の芸術の世界ではあまり見ない傾向です。
音楽だけでなくありとあらゆるところで、これと同じことが起きていますが、やはり特に芸術面(クラシックでなくても、ポップス、商業音楽や芸能も、です)でこの傾向は顕著ですね。
あるソプラノ歌手の方のコンサートを聴く機会があり、それはそれは感動して私の脳内夢見心地だったんですが、観衆はなんというか、、さすがヨーロッパ帰りの方、有名な人の歌を聞いた、という感じだけでそのコンサートの帰りの皆さんの会話が全然その舞台と関係ない話ばかりで、せっかく夢見心地の私の気分はなんだかな、、と言う気分になりました。
自分自身の感性で「感じる」という感性がない大人が多いと感じます。誰しも子供時分はそうでなかったでしょうに。。
哲学や文学、きっと理系の学問もでしょうが、明治以降の日本人にとってのお手本の捻じれ、(何が何でも欧米礼賛、それまでの伝統はすべてダメと断罪)とも絡み合っていて
なかなか複雑な精神構造なのだと思います(このあたりを解釈解説されている文芸評論家の方もおられます)が、、きっとこれも世代が変わっていけば少しずつ解消される気がします。
が、今の時点での日本の学校での音楽教育はトチ狂ってるので、これの影響を受けてしまう子供たちを何とか救いたいですね。
車田さんの今回のお話、普段から自分自身が長年モヤモヤと考えていたことを、素晴らしく上手に言語化されていたので感激しました。
皆さんとシェアしたいと思います。ありがとうございました!
感じることができなくなると判断を他人の意見に求める。か、それを常習化するから「考えること」をしなくなるんですね。
最近良く耳にするのが「考えることをせずに、答えを求める」人が多いと。
自分の中で色々繋がってきました。ありがとうございます。
クラシック音楽を聴いて何か言うと、すぐに専門家っぽい人が偉そうに講釈垂れるから言えなくなりますね(笑)
音楽が好きで、小学校に入ってから音楽の時間があるので時間割を見てとても楽しみにしていましたが、正直教科書丸覚えで慌てて教えられて楽しくなかった。だから好きな先生のところにレッスンに行ってました。中学までそんな感じでした。高校からは文系に行っていたので音楽の時間は割と自由で金曜日の二コマあって、作曲したりグループで演奏など、楽しかったですね。
私は、小学校で、ピアニカ、リコーダー、中学校で、アルトリコーダー、何人かのグループを作って、アンサンブル、高校で、ギター、一人で、何か、音楽のパフォーマンス、やりました。友達の中には、いままで知らなかった凄い才能を持った人もいて、興味深かったですね。こういうことが経験できたことは、よかったですね。しかも、ものすごく、上手い人もいましたから、音楽は、生まれてから現在までの環境に恵まれることが大事なのではないか、と思いました。あと、日本人の演奏家は、素晴らしい方がたくさんいらっしゃいますので、是非、外国人の方々に、もっと、聴いて欲しいと思います。余談になりますが、あと、車田さんのパパゲーノが、聴いてみたいですね。
クラシック音楽をこよなく愛する学校関係者です。拝見して心が痛みました。
一つは、生徒の感覚を大切に扱わない先生がいるという御指摘について。そのような先生にあたってしまわれた生徒さんには本当に申し訳なく思います。
もう一つは、そうした事例が一般化して考えられてしまいがちなことについて。印象や経験則からは見落とされてしまうかもしれませんが、多様性豊かな教育も実際には行われております。特に昨今では「主体的対話的で深い学び」に重点が置かれるようになっております。
困難な現実に直面して苦悩しながらも、過去の反省を生かして苦闘する教育現場について、この機会に音楽を愛する同志の皆様が少しでも関心を寄せてくだされば幸いです。
学校現場で奮闘されているとのこと。敬意を感じるばかりです。現場は過酷ですけん、どうぞ身体に気を付けて。「音楽が好きで好きでたまらない」素直な音楽愛を子どもにたくさん伝えてくださいね。♡
tetsu kobaさん、ありがとうございます。「美しいものに触れると自然に涙が流れる」そんな感覚を生徒と語れる瞬間が好きです!
私は「勉強」が子供の頃から大嫌いで学校の宿題もサボってばかりでした。でも「研究」するのは大好きというか知らず知らず研究している自分がいました。その結果が今の自分です。後悔はしてません。勉強と研究どちらも英語ではstudyですが欧米人のstudyを見ていると「研究」のニュアンスが強いと感じます。動画を見ていてそんな事を思い出しました。
私は、国語でも自分の感じた事を回答したら、間違えにされた。
でも、自分の意見は曲げなかった。
大人になってから、出題された作者の意図を聞いた番組を見ていたら、国語の正解とされている事とは違った事を言っていた。
学校の試験の正解なんて、いい加減なもんだ。
ホントです。どこかの芥川賞作家も自分の文章が試験問題になっていて、一つも正解できなかった、って散々言ってましたね。(笑)
当時は知りませんでしたが、学校の試験の正解は出題者(先生)が求めている答えを書く事だそうです。
上司の意向を読み取る為の訓練なんですよ…たぶん
大変素晴らしい内容のビデオ、感謝しています。これは芸術鑑賞全般に言える事で、「正しい」鑑賞を目指したがる日本人には耳の痛いお話です。有名人志向はファッションのブランド志向の様に、着るもので自己表現するのではなく、ブランド品を身につける事で自信の嗜好の自身のなさを隠すのとよく似ています。「正しい」から、「より親密に」「より深く」鑑賞する文化になってほしいものです。
知り合いの料理人がかねてから言うことには、多くの人が料理評論家やメディアが美味しいという店を訪れる。でもその人たちはその店の料理を味わっているのではなく、その店の料理が美味しいという『情報』を味わっているのだと。実際は言うほど美味くない店だったりする。
アートにも似た様なことが起きる。これといって特筆すべきものも無さそうな絵画が、ピカソの作品と言われただけで評価がガラッと変わる。
自分の肉体をとおして、その作品を味わうのではなく、脳がその作品にまつわる『情報』を味わっているだけという状況に人は陥りやすいのかも。
有名な人の聴き比べや超一流のものだけ聴くとどうしてもわかった気になりがちですよね。
いつ、今まで聴いたよりも素晴らしい曲(たとえ一部分でも)に出会うことがあってもいいように、苦手なもの、知らないひとであっても聴く機会を意識して用意していきたいと思っています。
そして、Live、配信、CDの情報はその時時点のもので、その時に感じたことは次に聴く時は違うように感じることは大いにあるのだ、だから「〜はよくない」などと否定的な発言などはするとしても、その時限定で、というように自分で注意するように心がけています。
今の音楽教育の実態が車田さんのお話で少し分かったような気がします。音楽以外の教科でもそれに近いのかも知れませんね。
孫が小学生なので、一度コンサートに連れて行きたいと思います、音楽を感じる体験をさせたいなと車田さんのお話を聞いて、そう思いました。
胸のつかえが取れた気がします。
感じることって大切なんですよね。
忘れかけていたことを認識させてもらいました。
小中学校の音楽ではまず簡単な音程やリズムの取り方、歌の練習にして、音楽の仕掛けを教えて、傾聴する時間を作る。何に聞こえたかは評価しない、音楽の嗜好は家庭や本人に任せる、というのが良いかな、と思います。
日本でもドイツで修行した職人さんがやっているお店で美味しそうなソーセージを買えるようになりました。
聴いていて心地よいという経験が幼少期からある子供は自然と耳が育ちますが、電子楽器とアコースティックが同等と考える環境に変化しつつの現代では感じる事すら難しいように思います。受難の時代かな
卒業してからずっと小中学校に勤務していました…テストで点数化するのも文科省唱歌ばかりしなきゃならないのもある程度仕方がないんです…カリキュラムだから😢
自分の場合はそこそこやった後、TV番組からもし音楽、効果音がなくなったらどう思う?受験生疲れてるだろうから今日はヒーリング音楽聴いてリラックスしよー!今日は私の生演奏きいておくれ〜!など割と自由に授業してました(管理職から呼び出され猛クレームきましたが😅)
教科書上の音楽を自分なりにアレンジして色んな授業しましたが、その方が生徒さんたちの目が生き生きしていたのを覚えています。
(例えば他教科の成績が非常に低く音楽の授業だけは好きだと言ってくれた生徒も居た→担任に報告、嘘でしょ❓あの子が❓…嘘でしょう❓という見方する職員多かったので、そこが一番問題だと思いました)
日本の音楽の教育の土壌はそこで止まってるんですね。。😭
🧐
今日は大変深いお話でしたねー❗️
幸いボクは音楽を楽しめてるからよかった。
洋服のセンスでヒョウ柄がでたのは笑ろた 先生のセンスが光ります
ところで今はひいきのピアニストにハマってまして…
そもそも、義務教育を
「子どもには小中学校まで教育を受ける義務がある」などと
アクロバティック(というか間違った)解釈してる人が、まだまだいっぱいいるのが現状ですからね。
学校なんか行きたい人だけが行けばいいんだし、必修にするにしても
選挙の仕組みとか税金のこととか、そういう住んでる社会の基礎部分だけ教えて、
あとは全部選択授業にしちゃってもいいんじゃないですかね。
「集団生活や協調性を学ぶ場だ!」などと訳のわからないことをわめく人もいますが、
そんなの地域社会でやりゃ十分で、あんな子ども各個人の個性を完全無視した
乱暴な線引き(機械的に◯歳=◯年生のような学年、学区)で子どもを一カ所に集めること自体が
そもそも虐待に近いと思います。管理しやすいっていう大人側の都合だけでしょ、そんなの。
今の仕組みである限り、学校はむしろ害にしかなってないと思いますよ。
音楽に対する感性に限らない話だと思います。
そもそも、今の学校の仕組み自体が、北欧あたりの傭兵養成所がルーツだと
モノの本で読んだことがあります。
子どもは大人のための傭兵じゃないので。
今人気のテレビ番組に出演者が提出した作品を顧問が採点して最下位の作品を司会者が破り捨てるってのがあるんだけどあれは絶対教育によくないと思うのです。
いいお話だなあ・・・・とコメントを書こうと思ったのに、最後のソーセージで全部ふっとんでしまった・・・・。
ドイツのソーセージいいなあ・・・。
日本は添加物だらけで、悲しい
私は物心ついた頃にクラシック曲や童謡・唱歌・叙情歌を聴かされた記憶があります。一方で両親や祖父母は懐メロ流行歌のテレビ番組を観ていました。
その影響があるのか、例えば「ドナウ川のさざなみ」を聴くと、作曲者の一生を川の流れに例えているのかな…と感じます。あと「白鳥の湖」は、作曲者の意図とは違うでしょうが、以前に大阪~青森まで走っていた特急「白鳥」という列車の沿線風景と車内風景が目に浮かんで来る。懐メロ流行歌に至っては、歌詞を読むとその情景が浮かび、メロディーに合わせて口ずさむと、時空を越えて、その時その場に居るように感じて涙が出ることがあります。
私は、音楽に関しては素人です。が、私は個人的には、音楽でも絵画でも感性がとてもとても大切なのではと思います。感じたら、この感じたことを表現することに繋がっていくのではと思うのです。イチゴは、赤であらわす。ではなく、もしかしてある人は、ワインレッド、人によっては、黄色でも、桜色もありかもしれません。
音もそうです。同じピアノで、同じ曲を弾いてもやはり違います。確かに作曲されたかたの思いは大切にされなければ、なりません。しかし、1人1人がかんじ、とらえたことは、音の違いでてくると思います。それは、良い意味での個性なのではとも思いました。車田先生のような方がおられることは、若い演奏家の方たちに、そして子どもたちにとっても音楽の良さやたのしさを学ぶために大きな影響を与えて下さる方なのではとお話を拝聴しながら感じました。これからも、お体を大切にされて末長くご活躍してくださることをお祈り致します。毎回貴重なお話感謝しています。🍀
本来 音を楽しむ なんだけど 音を学ぶ に固執してしまう教育のもあるかと思う
高校の現国で「因数分解の方法で『花』を伝えると花弁の数とか形とか色を分解してそれぞれを比べるときが多いけど、その部品の集合体は『花の綺麗』は表せない!」ってのが今でも忘れられません
こういった形で勉強させて頂きます。😔 ありがとうございました。心が震えました。私が勉強したいと思っていたことです。「教育学の講義」を頂きました。感動しています。お願いがありますが、その事に関わるような講義をできればお願いしたいです。今回の講義を踏まえて、一歩、人が本当に楽しい音楽を手にする(心に)方法や今後の教育学的な音楽のあり方、若しくは音楽の本質に迫るアプローチの仕方等、先生の考え方を踏まえた音楽の捉え方などもお願いできますか?宜しくお願い致します。😔 先日の頭がいい人が?...の講義を私は1として今回を2.その様にして自身が先生の講義を聴いていきたいです。後、先生のはクラシック講座も含めて幾つか聴いておりますが、動画がナンバリング無しなので、まとめて聴くための何かいい方法あるでしょうか。(登録はしてあります)
ドイツの道端で食べたソーセージはとても美味しく懐かしく感じました。ビールが合いそうです。今の添加物が沢山入った日本やアメリカで作られるソーセージなどは不健康食のイメージがありますがこれも悪い教育かもしれませんね。
私は泣いたことがない 本当の恋をしていない
誰の前でもひとりきりでも 瞳の奥の涙は隠していたから
いつか恋人に会える時 私の世界が変わる時
私泣いたりするんじゃないかと感じてる
きっと泣いたりするんじゃないかと感じてる
話を聞きながら、そんな歌を思い出しました
詩ですね❤
飾りじゃないのよ涙は〜はっはー😊
懐かしいです♪
井上陽水❤
「みなさ〜ん、お元気ですか?」
クラシックを聴き始めた頃、周りの色んな人から「自分はそんな高尚なものわからない」とか「そんなの聴いて何が面白いの?」と嫌味交じりに言われたのを思い出しました。「面白いから聞いてるに決まってるだろが!!」と今なら言い返しますが(笑)
あと若い頃は肉料理が好きだったのが年を取ると野菜や魚の味わいがわかってくるように、クラシックには人生経験積んでやっとわかる部分もあり、10代だと味わいがわからない面もあると思います。ブラ4の冒頭を聞いて諦念を感じ取るにはその人が自身の経験を通して諦念を知っていることが前提になるでしょうし。
心の中で感じてたモヤモヤを全部言語にしてくれた
大人になってから音楽の楽しさに気づいたのでわりと悔しかったです。何せ音楽が楽しくなってから色々なことに意欲的になりましたから。
難しいですね。問題は特に日本の教育が経団連に依って作られた労働者養成講座だからです。従順で自分の意志がない事が大切です。でも音楽は違います。ですが良い演奏とは成熟した高い質が求められると思います。音楽は語学と同じで他国の言葉・音楽を演奏するには相当大変です。西洋音楽(クラシック)を日本の音楽感性で演奏するのですから。それでも国際的に競争出来る日本の音楽家は素晴らしいですね!!創造力の賜物でしょう!
深く広くてなるほど。高校までの音楽教育をしっかり受けとめてこられたんだなあとも。
アイドルと無関係に十代はクラシックと洋楽(今は死語でしょう)方面をさまよっていた者としては、FM放送や兄およびそっち方面に詳しい友人の影響を受け、教育から遠かったように思います。
音楽について言語化できず悩んでいた(歌が上手いと聞いても判断できなかった)せいか、音楽の感想をいった記憶がありません。
アイドルと無関係に…とは
アイドルと同時にクラシック等も愛好という意味ですか?
それなら私の十代(青春時代)がそれでした(笑)
「自由に感じる心」を閉じ込めてしまう日本の学校教育のトップエリートが、高級官僚として財務省をトップに君臨してます。結果、劇場「一席」あたり20円位?しか国から補助が出ていないそうです。(←違っていたらスミマセンが)ドイツとかと比べると悲しいですね。芸術大学の問題も含めて、芸術を育てる気が無いのでしょうか?(だから、こんなにギスギスした余裕のない社会なのかなー?)
毎回役立つ動画をありがとうございます。同じ動画を何度も見直し聞き直すことも頻回です。指揮者、演奏家作曲家、声などなどあらゆるジャンルでとても勉強になります。以前から何度かバックに流れているバイオリンソナタですが、演奏者はどなたでしょうか?聴いた感じで、corey cerovsek &ユンパネンではないかと‥ もしもそうであれば彼らの演奏について取り上げて頂けたらと思っておりますがいかがでしょうか。