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この番組ほんと好き
大好きな番組です。🍃🌀☔️毎回楽しみにしています。🧊🎵🌀
岡野佐内に関しては、お金を貯めるのが趣味というより、そのお金で楽しむのが好きというように感じました。仲間におごってあげて楽しい時間を過ごすのが好き、みたいな人は今の世にもいるように思われます。
最初にでて来た前田慶次の画に驚き隠せない😅原先生の絵で育ってきたからビックリ
前田慶次は、単に目立ちたがり屋ということではなく、社会風潮に対して自由でありながらも信念を持っているような精神なのだろうに思いました。
加来さん大好き!
先生の話の面白さと悠里さん見たさで、毎回こぼれ話の方ばっかり見てしまいますw
I am also a big fan of Miss Nakanishi Yuuri.
初めてプレミア公開で観るから楽しみ
加来先生大好きです 本当に面白いお話が聞けて最高です
先生が推してらっしゃる岡野左内のエピソードが面白く調べてみたところ雨月物語の一節にあるようです。読んでみます。有難うございました。
中西さんってホントに和服が似合うね
花慶でしか知らんからクッソカッコいい印象
その幻想持ったままとしまつ観ると衝撃受けるぞw
16:06〜これ「伊達政宗の刀」ではなく「正宗」という刀の事を加来先生は言っていると思われます(岡佐内は臨終の際に主君に長年愛用した愛刀の正宗を献上したという逸話があるので)
公共放送かと思って無視しようと思ったら11かwテレビ無いので本放送は見れませんが、凄く上質の教養番組な気がする。
敵味方関係なく、辞世の句を大事にする。日本人として誇りですね。
めっちゃ。いい質問でしたね。
加来先生のご回答もすばらしい!!。
いつも楽しいです。
加来先生の〜説明、解説は〜分かりやすいです〜為に〜なりますよ〜☺
加来先生は詳しいので〜勉強に〜なりますよ〜☺
前田慶次は原哲夫先生の「花の慶次」のイメージが強すぎるけど実際の年齢は前田利家よりも歳上。「花の慶次」だと利家の方が年長で、おまつが若いから物凄く年下の妻を娶ったように勘違いするけど、描き方上の問題として仕方ないけど、歴史を知ってる人からすれば違和感だらけの描き方になってる。
古田織部もそのうち取り上げられるかなぁ…楽しみ…
おかさない、すごい
出て来たイラストと漫画の慶次が違い過ぎるーーーーーーーーーーーーーー!!w
"一夢庵風流記"などの小説や、後の大河ドラマ"利家とまつ"での仮名(通称)は「慶次郎」なんだが、しかし漫画でメジャー化したせいで「慶次」という呼び方が一般化してしまってるな
私は一夢庵双竜機読んでたからジャンプの漫画で有名になる前から知ってた😊😊
退却戦って難しいよな、っていつも思う。残滅率を認識しているんだけど、その滅するのが人の命だからなと。
ゲームの侍はかっこよく作られ過ぎていてなんだからなあと思う
岡野左内 興味津々です!
もう花の慶次は見れないかも笑この番組のおかげで真田幸村も、本当は信繁だと知った。だから幸村が出でくるたびに「君は信繁やろ」とツッコんでいる自分がいる。史実の慶次はさてさてどうか…ドキドキワクワク…でもすでに後ろの画像見て、花の慶次がもう読めなくなりそうで怖い…笑
そうか。テレビで無料ならば、別にTH-camで流してもおかしくないですね。
鳥の将に死なんとする時その声や善し。人の将に死なんとする時その言や善し。武士とはどう生きるべきか、人はどう生きるべきかを考えながら眺めながら生きてきた前田慶次が、最後に上杉が良いといって上杉に仕えた。勝ち負け損得を第一に考えてはいけないって事なんだろうな。今だけ金だけ自分だけの今の世を見たら慶次は何と言うだろうな。
慶次と細川幽斎の交流を松永貞徳が言及(鷹筑波)し、幽斎側の歌集(玄旨公御連歌)にも慶次主催の連歌会に幽斎が出席しているのが記録される直江兼続とは、亀岡文殊奉納の詩歌会での同席や慶次が兼続から書物を借りていた等、同好の士であるのが窺える。兼続は高レベルの文人(幽斎、里村 紹巴等)と文を通じての交流が出来る教養人である。※幽斎を招く事が出来る教養の持ち主なのが窺える※道中日記(和歌、漢詩)や亀岡文殊奉納の詩歌会での和歌5首や安田能元との100首近い連歌等々の詩歌を残している文武の人と評される慶次だが、慶次評に信憑性の高い部分が含まれていた事になる慶次の武具・朱色を基調とした甲冑※もしかしたら朱具足に分類されるかもしれない・皆朱の古式具足※皆朱の槍同様通常の武者では着用出来ないと指摘される・泉鏡花が旧蔵していた朱具足(赤備え)・螺鈿の槍(穂先に朱色)※武功の者や大将が用いた組外衆(1000石)の筆頭になる(上杉に仕官) ・配下が慶次を心逞しく猛将と評しているが、上杉家側も慶次の武勇を評価して筆頭にした可能性もある。殿での活躍・共に闘ったと思われる配下が慶次を「心逞しく猛将」と評している・上杉家側も慶次の武勇を評価して筆頭にした可能性もある。・上杉家の正史では、「前田慶次利貞槍を取って敵を突き崩す」と記される・史料が記す活躍をしたかは分からないが、奮戦した可能性はある
戦国時代の武将は誰もが傾奇者。織田信長、上杉謙信、松永久秀、豊臣秀吉、前田利家。その時代とは異なる「教養」の持主であったことは間違いないのでは。
Maeda Keiji, a really existed person in history ? I thought he's existed in Manga only.
資料や文献は少ないですが、実在した武士です。
@@errtg102 Thank you for your prompt reply. A rare kind of samurai, isn't he ?
@@annguyenvan5211 ご存じかと思いますが、前田慶次は織田信長の配下の滝川一益の一族です。前田家に養子に出されて、自分が前田家を継ぐものと思っていたのに、織田信長の命令で可愛がっていた前田利家に家督を継がれたのですね。それから、前田慶次はひねくれてしまったのだと思います。
@@errtg102 Thanks a million for your reply over Maeda Keiji.
武辺者と傾奇者と比べると、戦場での成果より、漢の美学(潔い生き方)にこだわったのが傾奇者じゃ無いかと思います。それと、南北朝時代からの婆娑羅大名は傾奇者と繋がっているのでしようか?
婆娑羅の語源は、仏教の守護神伐折羅大将に由来し、その同音異義語としてダイヤモンドの意味があったことから~美しく貴重で堅固な玉の意味から、派手で奇抜な反面、実用性も兼ね備えた武者姿を比喩して使われた言葉だそうですから~戦国時代の武将たちの精神性に通じるところがあったことは間違い無いと思いますね~そして、婆娑羅と傾奇者との関係についてですが、その間に数寄者という存在が挟まるみたいです~室町時代に婆娑羅的な嗜好で武芸や茶道、詩文を磨いた武将たちが数寄者と言われたそうで~そういった数寄者が一家の長である場合に、部屋住みの兄弟衆や若党、中間といった親族の郎党衆が~戦場装束はもとより生活全般まで数寄嗜好に傾けていく流れから生まれた戦国武者のことを、数寄を酷く傾けた感じであることから、傾奇者と呼んだのがはじまりのようです~面白いのが元傾奇者であっても、一家を背負う長となった途端に今までの様々な傾奇者行為一切を卒業し、以後は武家社会に適応して数寄者武将として生きていくのが世の習いでほとんどの戦国武将がそれを受け入れていたこと~そこから考えると、世の中のはみ出し者的行為を繰り返しているのに世間から温かい目で見守られ許容される傾奇者たちとは~死と隣り合わせの戦場の最前線で、常に命を張っているからこそ周りから許される『戦国の華』のような贅沢な生き方だったのかも?知れません~
返信をありがとうございます。なるほど、婆娑羅大名と傾奇者とは違いが有りますが、婆娑羅から数寄者〜そして傾奇者へ繋がる系譜の様なものはあったと考えて良いのでしょうか?
@@和田誠-o7w そうですね~婆娑羅→数寄者→傾奇者の流れは間違い無いと思います~ただ、傾奇者とは戦場を命懸けで駆け巡る特別な立場だったからこその戦国時代限定の生き様なので~その後の江戸時代に、傾奇者に憧れて旗本奴や町奴というならず者集団が生まれてその人たちも傾奇者を称しますが~それらは衣裳など外見を模倣しただけで中身は全くの別物だと思います~その人たちは、任侠者となり今でいう反社会的組織へと通じていくのですが~戦国時代に誕生した元祖傾奇者は、大名や武将といった組織の継承だの立身出世などという柵みとは無縁に、死を恐れず好き勝手に生きるという死生観であり~現在の反社会的組織のような法の隙間くぐり抜けながらお金儲けし図々しくも天寿を全うしようとする生き様と共鳴するところは全く無いと思います~そもそも、平和な時代に戦場の華的生き様が受け継がれていくこと自体がおかしな話で、江戸時代になり戦場が無くなると共に絶えたと考えていいと思います~たぶん島原の乱鎮圧直後に隠居した水野勝成さんが例外になるのでしょうが~これも徳川家ゆかりの水野勝成さんだったからこそ許されたことで、他の大名がやっていたらとっくの昔に改易でしょうしね~そう考えると傾奇者の人生の歩みに今の世の中を重ねると成功体験につながるような教訓はありませんし、やはり物語として楽しむのが一番よいのかも?知れませんね~
マンガの影響力が凄い‼️(笑)だけど史実に残っていると言う事がただ者ではない証拠なのだと思います。Σ(・ω・ノ)ノ
たしかに、辞世の句は誰が?でしたが、よく分かりました^ ^
甚だ不勉強ながら、私は前田慶次という人は、歴史マンガの世界にだけ存在する、架空の人物かと思っていました
花の慶次
秀吉に認められた人だから、魅力ある人だと思うよ。ただ前田慶次の物語は創作が多い花の慶次のイメージで見てはいけない
漫画?の前田慶次を知らないから正直ほとんどイメージもなかった。
お仲間さんならぱあり得る事でしょうけれど。❓️
僕とは異なり"お坊ちゃん"だったらしいですけど。⁉️
個人的に前田慶次と前田慶次郎利益は別人だと思ってる
北条氏邦の息子の嫁さんが前田慶次の娘だったかと。
望めば100万石ですよね。
紀州でも領地にもらえば、雑賀衆も手なずけ、高野山もてなずけ。
時代が違うが佐々木道誉を押したいです
確かに~道誉さん、ドウヨ~笑実名は足利高氏さんと同じ、京極高氏さんなんですよね~
前田慶次郎?確か花の慶次の漫画で慶次になったと思ったが
一般的に知られている“傾奇者”としての人物像は実は前田利家のほうであって前田慶次の文献はほとんど無くあまり知られてない謎の人物だと聞いたことがあります
花の慶次だしね
息子さんの前田正虎さんが戦場働きが無い文系武士だしね~
『虎は何故に強いと思う?』
『もともと強いからよ』でしたっけ?
お主(どこぞの武芸者)はもともと弱いから傷だらけになるまで鍛練せねばならんのだ
@@おさわがせかつぼう 返信ありがとうございます。そうです。イチローも似た様な事言ってましたね。
元々強いからよ。
虎や狼が日々鍛錬などするかね
毎週、日曜朝の地デジTBS、サンデーモーニングに御出演中の中西悠理アナとはまた違った側面と和装姿が本題テーマ以上に印象的です。まぁ時事ニュース番組と歴史教養番組ではそもそも内容が違いますからね。加来先生も多数のメディアに御出演されており、一時期TBSラジオの土曜か日曜の朝番組を毎週、聴いてました。NHK・各民放にも不定期にゲスト出演されてるので以前からお馴染みの存在ですね。学生時代は世界史を選択したので日本史の見方は同年代の比較対照としての日本史観で解釈してましたね。世界史から見た日本の戦国時代、日本史から見たその時代の世界の動向を各二面的に考察すると、より鮮明に立体的に歴史上の出来事が浮上して理解が深まりますね。特に世界史の西欧諸国、欧米諸国に於ける大航海時代〜日本史の海外と日本との関係性などは「その時、日本では...」「その時、世界では...」と調べて行くと改めて地球・世界は海を隔てても繋がって居るんだと実感できます。縄文・弥生以前にアジア系の民がユーラシア大陸やカムチャッカ半島沿いに北米大陸に移住したり、一方の北欧州のゲルマン系=バイキング、現ノルウェー人がコロンブス以前に北米大陸の北東部に船で既に辿り着いて新大陸の存在を認識し、その地を「葡萄の成る土地」と名付けて居たと云う文献資料の存在などを知ると益々、世界史と日本史のダブル対照史観で解釈すると歴史って物凄く面白いことが分かります。★長文および本題と逸れた感想で失礼、恐縮でした。
かわいい
画面、バックの書院の間のお飾りがぜんぜんなってない。ただ壺並べればいいというものじゃなくて約束事ある。
大武辺者とかいて、これは大ふべん者と読む事を、この先生は知ってるかなぁ
大ふへん者
「ふへん」ものだな。加来先生は当然わかってるに決まってますよ。便宜上そう発音してるだけだろう。
タキガワとタキカワでは、相当違いがあります。養子まえでは、ケイジロウ、ケイジでも違いが、、、
漫画がなければ、取り上げる程の人物ではない。
漫画と顔がぜんぜんちゃうやん(笑)
風流仕候日本男児諸君、本当に格好いい男になりたければ、花の慶次は絶対読んだ方がいい。漢のバイブル間違い無しだから。
前田慶次・・・戦国時代 当時の日本人の中で 最も 自由に生き抜いた人間。2022年 9月 現在の日本人・・・彼とは似ても似つかない。アメリカ人が彼を見たら・・・戦国時代のアメリカ人・・・と評価するやろ。
youtuberコメ氏で、前だけいじろうとかいうフザケタ汚っ惨ガイル👨💫
前田慶次さんが長谷堂城の合戦の殿戦を引き受けて成功させたからこそ前田家の名が復権したところがあるとは思う~昔、前田家は賤ヶ岳の合戦で殿戦を請け負わずに自らの大将、柴田勝家さんを見捨てて豊臣秀吉さんにつきました~その前田利家さんの行動は豊臣家にとっては大恩となりましたが、他の大名家からしたら不義理、不名誉な臆病者の行為に過ぎませんから~いくら天下の百万石の大名家と言えども他の大名家にとって前田家は豊臣家の付録扱いに過ぎなかったはずです~しかしながら、関ヶ原の合戦をへて時の政権が豊臣家から徳川家に移ろうという時代においては、そういった不名誉な経歴は前田家にとって致命的なものでした~それをひっくり返したのが、前田家を出奔し上杉家へ仕えた前田慶次さんの長谷堂城の合戦の殿戦です~これによって前田家も殿戦をやろうと思えばしっかりとこなせるんだということをしっかりと天下に示したワケです~この時の前田慶次さんの戦ぶりが、加賀百万石が徳川の世も永代続いた大きな理由の一つだったと思うことも出来るのではないでしょうか~?
あり得ません時系列も事実関係もめちゃくちゃですよ?
@@外道滅殺 え~と、時系列は、賤ヶ岳の合戦→関ヶ原の合戦→長谷堂城の合戦(前田慶次さんの殿戦)だから問題ないと思います~事実関係が違うというのは、賤ヶ岳の合戦で柴田軍の殿戦を請け負わ無かったため、豊臣家に恩を売ってのし上がり百万石前田家の基礎を築いたという話は、戦国時代の武将の処世術としては当たり前の事で不名誉では無かったハズってことかな~?確かに前田利家さんが活躍した当時の戦勝続きの豊臣軍にとっては敗戦自体がほとんど無く、殿戦での戦働きなどあり得なかったため、大して重要視されていなかった可能性はあります~しかし、朝鮮出兵の退却戦を経験した豊臣軍は敗戦時に命懸けで殿戦を引き受ける武将の重要性に気づいていたハズです~その歪みを利用して徳川家康さんが起こした軍事行動が、朝鮮出兵に参加しなかった前田家→上杉家への仕置きだと思っています~前田家は外交によって徳川家康さんに降伏して戦を回避、上杉家は正面から戦を請け負って天下分け目の関ヶ原となったワケですが~前田家も上杉家も関ヶ原の合戦主戦場には参加せず、前田家は浅井畷の合戦で敗北、上杉家も長谷堂城の合戦などで敗北しますが、浅井畷では長連龍さんや山崎長徳さんといった苛烈な猛将が殿として活躍し、長谷堂城では前田家一門の前田慶次さんが大活躍しました~これによって、前田家は日和見大名としての不名誉を一気に挽回することができ、徳川幕府に変わっても百万石の封土を保持し続けることが出来たのではないでしょうか~?上手く伝わるといいのですが、どうでしょう~
@@ライス-e1z え~と、面倒くさくて申し訳ありません~知識をひけらかしたいのも否定はしません~嘘つくワケじゃないから、個人的に楽しくコメントしてて悪いこと無いと思うな~
原哲夫のせいで変なイメージが付きまくってる
この番組ほんと好き
大好きな番組です。🍃🌀☔️毎回楽しみにしています。🧊🎵🌀
岡野佐内に関しては、お金を貯めるのが趣味というより、そのお金で楽しむのが好きというように感じました。仲間におごってあげて楽しい時間を過ごすのが好き、みたいな人は今の世にもいるように思われます。
最初にでて来た前田慶次の画に驚き隠せない😅原先生の絵で育ってきたからビックリ
前田慶次は、単に目立ちたがり屋ということではなく、社会風潮に対して自由でありながらも信念を持っているような精神なのだろうに思いました。
加来さん大好き!
先生の話の面白さと悠里さん見たさで、毎回こぼれ話の方ばっかり見てしまいますw
I am also a big fan of Miss Nakanishi Yuuri.
初めてプレミア公開で観るから楽しみ
加来先生大好きです 本当に面白いお話が聞けて最高です
先生が推してらっしゃる岡野左内のエピソードが面白く調べてみたところ雨月物語の一節にあるようです。読んでみます。有難うございました。
中西さんってホントに和服が似合うね
花慶でしか知らんからクッソカッコいい印象
その幻想持ったままとしまつ観ると衝撃受けるぞw
16:06〜
これ「伊達政宗の刀」ではなく「正宗」という刀の事を加来先生は言っていると思われます(岡佐内は臨終の際に主君に長年愛用した愛刀の正宗を献上したという逸話があるので)
公共放送かと思って無視しようと思ったら11かw
テレビ無いので本放送は見れませんが、凄く上質の教養番組な気がする。
敵味方関係なく、辞世の句を大事にする。日本人として誇りですね。
めっちゃ。いい質問でしたね。
加来先生のご回答もすばらしい!!。
いつも
楽しいです。
加来先生の〜
説明、解説は〜
分かりやすいです〜為に〜なりますよ〜☺
加来先生は
詳しいので〜
勉強に〜なりますよ〜☺
前田慶次は原哲夫先生の「花の慶次」のイメージが強すぎるけど実際の年齢は前田利家よりも歳上。
「花の慶次」だと利家の方が年長で、おまつが若いから物凄く年下の妻を娶ったように勘違いするけど、描き方上の問題として仕方ないけど、歴史を知ってる人からすれば違和感だらけの描き方になってる。
古田織部もそのうち取り上げられるかなぁ…楽しみ…
おかさない、すごい
出て来たイラストと漫画の慶次が違い過ぎるーーーーーーーーーーーーーー!!w
"一夢庵風流記"などの小説や、後の大河ドラマ"利家とまつ"での仮名(通称)は「慶次郎」なんだが、しかし漫画でメジャー化したせいで「慶次」という呼び方が一般化してしまってるな
私は一夢庵双竜機読んでたからジャンプの漫画で有名になる前から知ってた😊😊
退却戦って難しいよな、っていつも思う。
残滅率を認識しているんだけど、その滅するのが人の命だからなと。
ゲームの侍はかっこよく作られ過ぎていてなんだからなあと思う
岡野左内 興味津々です!
もう花の慶次は見れないかも笑
この番組のおかげで真田幸村も、本当は信繁だと知った。だから幸村が出でくるたびに「君は信繁やろ」とツッコんでいる自分がいる。史実の慶次はさてさてどうか…
ドキドキワクワク…
でもすでに後ろの画像見て、花の慶次がもう読めなくなりそうで怖い…笑
そうか。
テレビで無料ならば、別にTH-camで流してもおかしくないですね。
鳥の将に死なんとする時その声や善し。
人の将に死なんとする時その言や善し。
武士とはどう生きるべきか、人はどう生きるべきかを考えながら眺めながら生きてきた前田慶次が、
最後に上杉が良いといって上杉に仕えた。
勝ち負け損得を第一に考えてはいけないって事なんだろうな。
今だけ金だけ自分だけの今の世を見たら慶次は何と言うだろうな。
慶次と細川幽斎の交流を松永貞徳が言及(鷹筑波)し、幽斎側の歌集(玄旨公御連歌)にも慶次主催の連歌会に幽斎が出席しているのが記録される
直江兼続とは、亀岡文殊奉納の詩歌会での同席や慶次が兼続から書物を借りていた等、同好の士であるのが窺える。兼続は高レベルの文人(幽斎、里村 紹巴等)と文を通じての交流が出来る教養人である。
※幽斎を招く事が出来る教養の持ち主なのが窺える
※道中日記(和歌、漢詩)や亀岡文殊奉納の詩歌会での和歌5首や安田能元との100首近い連歌等々の詩歌を残している
文武の人と評される慶次だが、慶次評に信憑性の高い部分が含まれていた事になる
慶次の武具
・朱色を基調とした甲冑
※もしかしたら朱具足に分類されるかもしれない
・皆朱の古式具足
※皆朱の槍同様通常の武者では着用出来ないと指摘される
・泉鏡花が旧蔵していた朱具足
(赤備え)
・螺鈿の槍(穂先に朱色)
※武功の者や大将が用いた
組外衆(1000石)の筆頭になる(上杉に仕官)
・配下が慶次を心逞しく猛将と評しているが、上杉家側も慶次の武勇を評価して筆頭にした可能性もある。
殿での活躍
・共に闘ったと思われる配下が慶次を「心逞しく猛将」と評している
・上杉家側も慶次の武勇を評価して筆頭にした可能性もある。
・上杉家の正史では、「前田慶次利貞槍を取って敵を突き崩す」と記される
・史料が記す活躍をしたかは分からないが、奮戦した可能性はある
戦国時代の武将は誰もが傾奇者。織田信長、上杉謙信、松永久秀、豊臣秀吉、前田利家。その時代とは異なる「教養」の持主であったことは間違いないのでは。
Maeda Keiji, a really existed person in history ? I thought he's existed in Manga only.
資料や文献は少ないですが、実在した武士です。
@@errtg102 Thank you for your prompt reply. A rare kind of samurai, isn't he ?
@@annguyenvan5211
ご存じかと思いますが、前田慶次は織田信長の配下の滝川一益の一族です。
前田家に養子に出されて、自分が前田家を継ぐものと思っていたのに、織田信長の命令で可愛がっていた前田利家に家督を継がれたのですね。
それから、前田慶次はひねくれてしまったのだと思います。
@@errtg102 Thanks a million for your reply over Maeda Keiji.
武辺者と傾奇者と比べると、戦場での成果より、漢の美学(潔い生き方)にこだわったのが傾奇者じゃ無いかと思います。
それと、南北朝時代からの婆娑羅大名は傾奇者と繋がっているのでしようか?
婆娑羅の語源は、仏教の守護神伐折羅大将に由来し、その同音異義語としてダイヤモンドの意味があったことから~
美しく貴重で堅固な玉の意味から、派手で奇抜な反面、実用性も兼ね備えた武者姿を比喩して使われた言葉だそうですから~
戦国時代の武将たちの精神性に通じるところがあったことは間違い無いと思いますね~
そして、婆娑羅と傾奇者との関係についてですが、その間に数寄者という存在が挟まるみたいです~
室町時代に婆娑羅的な嗜好で武芸や茶道、詩文を磨いた武将たちが数寄者と言われたそうで~
そういった数寄者が一家の長である場合に、部屋住みの兄弟衆や若党、中間といった親族の郎党衆が~
戦場装束はもとより生活全般まで数寄嗜好に傾けていく流れから生まれた戦国武者のことを、数寄を酷く傾けた感じであることから、傾奇者と呼んだのがはじまりのようです~
面白いのが元傾奇者であっても、一家を背負う長となった途端に今までの様々な傾奇者行為一切を卒業し、以後は武家社会に適応して数寄者武将として生きていくのが世の習いでほとんどの戦国武将がそれを受け入れていたこと~
そこから考えると、世の中のはみ出し者的行為を繰り返しているのに世間から温かい目で見守られ許容される傾奇者たちとは~
死と隣り合わせの戦場の最前線で、常に命を張っているからこそ周りから許される『戦国の華』のような贅沢な生き方だったのかも?知れません~
返信をありがとうございます。
なるほど、婆娑羅大名と傾奇者とは違いが有りますが、婆娑羅から数寄者〜そして傾奇者へ繋がる系譜の様なものはあったと考えて良いのでしょうか?
@@和田誠-o7w
そうですね~
婆娑羅→数寄者→傾奇者の流れは間違い無いと思います~
ただ、傾奇者とは戦場を命懸けで駆け巡る特別な立場だったからこその戦国時代限定の生き様なので~
その後の江戸時代に、傾奇者に憧れて旗本奴や町奴というならず者集団が生まれてその人たちも傾奇者を称しますが~
それらは衣裳など外見を模倣しただけで中身は全くの別物だと思います~
その人たちは、任侠者となり今でいう反社会的組織へと通じていくのですが~
戦国時代に誕生した元祖傾奇者は、大名や武将といった組織の継承だの立身出世などという柵みとは無縁に、死を恐れず好き勝手に生きるという死生観であり~
現在の反社会的組織のような法の隙間くぐり抜けながらお金儲けし図々しくも天寿を全うしようとする生き様と共鳴するところは全く無いと思います~
そもそも、平和な時代に戦場の華的生き様が受け継がれていくこと自体がおかしな話で、江戸時代になり戦場が無くなると共に絶えたと考えていいと思います~
たぶん島原の乱鎮圧直後に隠居した水野勝成さんが例外になるのでしょうが~
これも徳川家ゆかりの水野勝成さんだったからこそ許されたことで、他の大名がやっていたらとっくの昔に改易でしょうしね~
そう考えると傾奇者の人生の歩みに今の世の中を重ねると成功体験につながるような教訓はありませんし、やはり物語として楽しむのが一番よいのかも?知れませんね~
マンガの影響力が凄い‼️(笑)
だけど史実に残っていると言う事がただ者ではない証拠なのだと思います。Σ(・ω・ノ)ノ
たしかに、辞世の句は誰が?でしたが、よく分かりました^ ^
甚だ不勉強ながら、私は前田慶次という人は、歴史マンガの世界にだけ存在する、架空の人物かと思っていました
花の慶次
秀吉に認められた人だから、魅力ある人だと思うよ。
ただ前田慶次の物語は創作が多い
花の慶次のイメージで見てはいけない
漫画?の前田慶次を知らないから正直ほとんどイメージもなかった。
お仲間さんならぱあり得る事でしょうけれど。❓️
僕とは異なり"お坊ちゃん"だったらしいですけど。⁉️
個人的に前田慶次と前田慶次郎利益は別人だと思ってる
北条氏邦の息子の嫁さんが前田慶次の娘だったかと。
望めば100万石ですよね。
紀州でも領地にもらえば、雑賀衆も手なずけ、高野山もてなずけ。
時代が違うが佐々木道誉を押したいです
確かに~
道誉さん、ドウヨ~笑
実名は足利高氏さんと同じ、京極高氏さんなんですよね~
前田慶次郎?
確か花の慶次の漫画で慶次になったと思ったが
一般的に知られている“傾奇者”としての人物像は実は前田利家のほうであって前田慶次の文献はほとんど無くあまり知られてない謎の人物だと聞いたことがあります
花の慶次だしね
息子さんの前田正虎さんが戦場働きが無い文系武士だしね~
『虎は何故に強いと思う?』
『もともと強いからよ』でしたっけ?
お主(どこぞの武芸者)はもともと弱いから傷だらけになるまで鍛練せねばならんのだ
@@おさわがせかつぼう 返信ありがとうございます。そうです。イチローも似た様な事言ってましたね。
元々強いからよ。
虎や狼が日々鍛錬などするかね
毎週、日曜朝の地デジTBS、サンデーモーニングに御出演中の中西悠理アナとはまた違った側面と和装姿が本題テーマ以上に印象的です。まぁ時事ニュース番組と歴史教養番組ではそもそも内容が違いますからね。
加来先生も多数のメディアに御出演されており、一時期TBSラジオの土曜か日曜の朝番組を毎週、聴いてました。NHK・各民放にも不定期にゲスト出演されてるので以前からお馴染みの存在ですね。
学生時代は世界史を選択したので日本史の見方は同年代の比較対照としての日本史観で解釈してましたね。
世界史から見た日本の戦国時代、日本史から見たその時代の世界の動向を各二面的に考察すると、より鮮明に立体的に歴史上の出来事が浮上して理解が深まりますね。
特に世界史の西欧諸国、欧米諸国に於ける大航海時代〜日本史の海外と日本との関係性などは「その時、日本では...」「その時、世界では...」と調べて行くと改めて地球・世界は海を隔てても繋がって居るんだと実感できます。縄文・弥生以前にアジア系の民がユーラシア大陸やカムチャッカ半島沿いに北米大陸に移住したり、一方の北欧州のゲルマン系=バイキング、現ノルウェー人がコロンブス以前に北米大陸の北東部に船で既に辿り着いて新大陸の存在を認識し、その地を「葡萄の成る土地」と名付けて居たと云う文献資料の存在などを知ると益々、世界史と日本史のダブル対照史観で解釈すると歴史って物凄く面白いことが分かります。
★長文および本題と逸れた感想で失礼、恐縮でした。
かわいい
画面、バックの書院の間のお飾りがぜんぜんなってない。
ただ壺並べればいいというものじゃなくて約束事ある。
大武辺者とかいて、これは大ふべん者と読む事を、この先生は知ってるかなぁ
大ふへん者
「ふへん」ものだな。
加来先生は当然わかってるに決まってますよ。
便宜上そう発音してるだけだろう。
タキガワとタキカワでは、相当違いがあります。養子まえでは、ケイジロウ、ケイジでも違いが、、、
漫画がなければ、取り上げる程の人物ではない。
漫画と顔がぜんぜんちゃうやん(笑)
風流仕候
日本男児諸君、本当に格好いい男になりたければ、花の慶次は絶対読んだ方がいい。
漢のバイブル間違い無しだから。
前田慶次・・・戦国時代 当時の日本人の中で 最も 自由に生き抜いた人間。2022年 9月 現在の日本人・・・彼とは似ても似つかない。アメリカ人が彼を見たら・・・戦国時代のアメリカ人・・・と評価するやろ。
youtuberコメ氏で、前だけいじろう
とかいうフザケタ汚っ惨ガイル👨💫
前田慶次さんが長谷堂城の合戦の殿戦を引き受けて成功させたからこそ前田家の名が復権したところがあるとは思う~
昔、前田家は賤ヶ岳の合戦で殿戦を請け負わずに自らの大将、柴田勝家さんを見捨てて豊臣秀吉さんにつきました~
その前田利家さんの行動は豊臣家にとっては大恩となりましたが、他の大名家からしたら不義理、不名誉な臆病者の行為に過ぎませんから~
いくら天下の百万石の大名家と言えども他の大名家にとって前田家は豊臣家の付録扱いに過ぎなかったはずです~
しかしながら、関ヶ原の合戦をへて時の政権が豊臣家から徳川家に移ろうという時代においては、そういった不名誉な経歴は前田家にとって致命的なものでした~
それをひっくり返したのが、前田家を出奔し上杉家へ仕えた前田慶次さんの長谷堂城の合戦の殿戦です~
これによって前田家も殿戦をやろうと思えばしっかりとこなせるんだということをしっかりと天下に示したワケです~
この時の前田慶次さんの戦ぶりが、加賀百万石が徳川の世も永代続いた大きな理由の一つだったと思うことも出来るのではないでしょうか~?
あり得ません
時系列も事実関係もめちゃくちゃですよ?
@@外道滅殺
え~と、時系列は、賤ヶ岳の合戦→関ヶ原の合戦→長谷堂城の合戦(前田慶次さんの殿戦)だから問題ないと思います~
事実関係が違うというのは、賤ヶ岳の合戦で柴田軍の殿戦を請け負わ無かったため、豊臣家に恩を売ってのし上がり百万石前田家の基礎を築いたという話は、戦国時代の武将の処世術としては当たり前の事で不名誉では無かったハズってことかな~?
確かに前田利家さんが活躍した当時の戦勝続きの豊臣軍にとっては敗戦自体がほとんど無く、殿戦での戦働きなどあり得なかったため、大して重要視されていなかった可能性はあります~
しかし、朝鮮出兵の退却戦を経験した豊臣軍は敗戦時に命懸けで殿戦を引き受ける武将の重要性に気づいていたハズです~
その歪みを利用して徳川家康さんが起こした軍事行動が、朝鮮出兵に参加しなかった前田家→上杉家への仕置きだと思っています~
前田家は外交によって徳川家康さんに降伏して戦を回避、上杉家は正面から戦を請け負って天下分け目の関ヶ原となったワケですが~
前田家も上杉家も関ヶ原の合戦主戦場には参加せず、前田家は浅井畷の合戦で敗北、上杉家も長谷堂城の合戦などで敗北しますが、浅井畷では長連龍さんや山崎長徳さんといった苛烈な猛将が殿として活躍し、長谷堂城では前田家一門の前田慶次さんが大活躍しました~
これによって、前田家は日和見大名としての不名誉を一気に挽回することができ、徳川幕府に変わっても百万石の封土を保持し続けることが出来たのではないでしょうか~?
上手く伝わるといいのですが、どうでしょう~
@@ライス-e1z
え~と、面倒くさくて申し訳ありません~
知識をひけらかしたいのも否定はしません~
嘘つくワケじゃないから、個人的に楽しくコメントしてて悪いこと無いと思うな~
原哲夫のせいで変なイメージが付きまくってる