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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよいの主ならまし。」心に沁みる歌ですね。辞世の唄に哀れを感じます。
子供の頃、祖母が聞いていた曲です。 美しいメロディと「平家の公達あわれ」の歌詞を頼りに、この動画にたどり着きました。私は50歳です。
同じ歳です。今日50になりました(笑)
母がまだ私が若かりし頃、平 敦盛と熊谷直実の話をこの「青葉の笛」の歌と共に、よく話して聞かせてくれてたものです。大好きだった様です。その母も、つい先日、92歳で安らかに永眠しました。「青葉の笛」は懐かしい母の思い出になりました。
名作のNHK人形劇「平家物語」のシーンを想い出します。たしか「汚し!敵に後ろをみせるは卑怯未練。引き返して尋常に勝負されよ!」という熊谷の挑発にのった敦盛でしたね。合戦の場に笛を携える心根の優しい少年でしたが、やっぱり根幹は廉恥を重んじる武者なんだなぁ、と思った記憶があります。凝縮された簡潔な歌詞がみごとです。UPに感謝。
平家の将として、挑発に乗らざるを得なかったんですね。熊谷は音に聞こえた源氏方の猛将。討たれるのを覚悟で。
@@yegassan1390 確か直実も自分の息子ほどの武者と気づき見逃そうとするが、熱盛はそのまま討たれることを望んでますから、死に場所と思い定めていたと思います。
私が子供の頃母がよく歌ってました。私もいつの間にか覚えてそれから何となく今でも口ずさんでいます。とても懐かしい歌で嬉しかった❤有難うございます。
中学生のとき、深夜放送で初めて聴いてから離れないメロディーです。もう日本人にはこういう歌は作れないでしょうね…。
日本人の心は素晴らしいですいつまでも伝えていきたいものです
私自身、何べん聴いても、涙の出る歌です。
雅ですね。物悲しい歌ですね。喧しいばかりの昨今の歌に比べ何と心を打たれる歌です。堪能させて頂きました。
ありがとうございます。私も大好きな歌です。
@@SENDO-du5hh 様。また雅な世界へ誘って下さい。楽しみにお待ちします。わざわざのご返信有難う御座いました。
侘び、寂びを感じる曲の一つですね。カラオケでたまに歌います。哀愁があり毎回は歌えません。永遠に残したい曲の一つですね。
何回聴いても泣けます
私がこの歌を初めて耳にしたのは30歳を超えた頃でした。難しそうな歌でしたが、メロディーが心に残りました。その後、歌詞を紐解いたら、敦盛と忠則のエピソードでした。明治の唱歌はすごいですね。
地元・埼玉県熊谷市では、小学校の運動会で、6年生全員が日の丸の扇を持って『直実節』を舞います。最高学年として誇り高い瞬間です。その直実節の間奏に、全くリズムの異なる曲が挿入されていました。ずっと不思議に思いましたが、この『青葉の笛』の一番がそれだと、大人になって知りました。アップロードしてくださり、ありがとうございます。
🎉
初めて聴きました。素晴らしい曲で、時代の流れを感じました。🎶
小学生のころ、担任の教師から、かの歌を教わりました。意味も、古事も、なにも知りませんでしたが、言葉の美しさや、なぜかしら哀愁を感じる旋律に感じるものがありました。その後、断片的に、意味を知り、古事を知り、かの曲の美しさに、60年を経た今も心に染みる曲の一つです。二番の歌詞が、特に好きです。現在の教師の皆さん。その意味がわからなくても、子供たちに、教えてあげて下さい。成長した跡、その曲を口ずさむ人は必ずいます。私のように。
私も中学の時に国語の先生が教えてくれました。意味も何もさっぱりわかりませんでしたが、メロディーと出だしで今検索してここに来ました。思わず同感してコメントしてます。おっしゃる通りです。70前の女性です、今現在。
この歌にはじめて接したのは、小学生の時に見た「三船敏郎さんの無法松の一生」という映画の中で、吉岡海底のぼんぼんが歌っていたのを基金、母に教えてもらい覚えた曲です。長じて、「平家物語」と知り、半世紀を越すか愛唱歌になった次第です、哀しくてとても素敵な歌です。
私も、三船敏郎の、映画で、しりました😄
同じです
@@修図師悲しみ時の❗😮😮😮😢😢流れかあか
私も三船敏郎の映画で見ました。無法松の一生という映画です。三船敏郎が祇園太鼓を打つシーンなど見事に撮られていますね。吉岡少年が歌うシーンと併せて胸を打つ名画と思います。❤
アニメの平家物語を観ながら平敦盛をウィキペディアで調べていたらこの曲の楽譜とメロディが記載されていました。直実節の1番の後にこの曲の1番が挿入されていたので「これだったのかぁ!」と納得しております。源平合戦の敵同士とは言えど切ないですね…。曲の理解が深まりました。直実節、これからもっと感情込めて踊ります。
青葉の笛という歌を恥ずかしながら85歳になって初めて小三治さんが落語のマクラで歌われたを聴いて関心を持ち今歴史を感じながら愛唱しています。
昔、縁側にて、歌ってくれた思い出の歌、懐かしいメロディを思いだしましたありがとう御座いました
平家物語の中で、「敦盛」の場面が深く心に残っています。
子どもたちの合唱の魅力、惹かれますね。心は一つ、上手いこと。この曲に惹かれるきっかけをつくってくれました。感謝。
何故か、小さい子供の頃から、耳に残ってます。まもなく78歳のわたし。
喜びも悲しみも幾年月
第二次世界対戦で負けた日本人をアメリカ政府は何よりも名誉を大切に思う国民である、と書き残しています。熱盛も直実もお互いに最期は名誉を重んじた、それが心に染みる青葉の笛の歌です。大好きです❤️
😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
一ノ谷の 軍破れ討たれし平家の 公達あはれこのフレーズが、ふと頭によぎる時があります。美しい日本語で涙がこぼれる時もあります。敦盛に比べ、忠度の知名度が低いのは残念ですね。忠度の和歌の師、藤原俊成は有名な藤原定家の父ですし。
あ聴いていると、懐かしい子供の頃ラジオしかなかったからからいつもラジオかけっぱなし子供の頃思い出されます。
きれいな日本語に感動です
さすがに明治の唱歌ですね。
神戸の須磨寺に一生のうちに一度は行きたいと心から思いました。
心にしみる素晴らしい動画、大好きです。歌声も背景も。ママさんコーラスでぜひ聞きたい。
ママさんコーラスも良いですが、子どもたちの歌声もまた格別です
清純で情緒的で華やかな敦盛ですが、本質は、誇り高いのですね。
私はフランス人。I don’t know more japanese, but I love your channel.
後世に残して欲しい名曲です
大好きな、歌。
桜貝の歌
わたくしもそおもあます。わたくしもそおもいます。🎉
清冽な響き、琴線に触れる。胸痛む
😊らむくがぃ
私がこの歌に出会ったのは、三船敏郎さんの「無法松の一生」の映画の中で、吉岡のぼんぼんが、学芸会で独唱しているのを見て、素敵だったので母に聞いて覚えました。あれ以来、平家物語が大好きになりました。中でも薩摩守忠徳の都落ちの段が大好き!「行き暮れて木の下陰を宿とせば
私は、母が口ずさんでいて、覚えました。懐かしく、メロデイ、歌詞が胸にしみ、聞いては、母を偲んでいます❤
今日初めて青葉の笛を聞き、涙しました。2019年8月5日に神戸市長田区に越してきましたが、源平合戦の地名のオンパレードに驚くこの頃です。
高校一年生で習いました。忘れられないです。
敦盛が、16歳でしたが、勇敢な最期だったようです。笛は、父親に、返されたようです。平家物語にも書かれている、熊谷直実の、直実節、もいいですよ。ぜひ聞いて下されば、うれしいです。
貴重な情報をありがとうございます。直実節は聴いてみたいですね。
哀愁溢れ涙出そう。
やはり昔の唄は良い。
アップロードありがとうございます。シェアさせていただいてもよろしいでしょうか?
「青葉の笛」は昔、父がよく歌っては涙を流していました。その父は台湾からの引揚者で、引揚の際に母親も幼い兄も妹も飢餓で亡くしました。かつては権勢を誇り、傲慢だったかもしれない平家、その公達として生を受け、闘いに敗れ、それでも命を失うその日まで、愛する笛を奏でていた敦盛の悲しい運命を思いながら、この歌を聴いていると、何故か、敗戦で故郷も家族も何もかもを失い、日本に戻ってきた、少年の頃の父の姿と重なってきます。
剣舞で踊りますが感情の出し方が難しいです、解説を読み源平合戦を刀扇で表現するのに先生からよく注意されす
されます。ゆっくりとした踊りですが刀と扇でこの哀しさを表すのに苦労しています
こんな綺麗な曲があるなんて知らなかったし習わなかった
そうなんですね。私も習っていませんが、かつての文部省唱歌だそうです。
なぜ音楽の教科書に載ってないんでしょうね?こんな良い歌なのに。知らなかったです。すごくもったいない。
亡き母が歌っていたので、自然に耳に残りました。高校の古文で敦盛最後の文を読み、この歌を思い出しました。「もののあわれ」は日本人の心に深くしみる情景😢。
この曲を初めて知ったのは、NHKの「名曲アルバム」です。確か倍賞千恵子さんが歌っていたと思います。最初は曲の素晴らしさに感激していたのですが、その後この詩の意味を知り感激しました。日本人の心を見事に表しています。戦前は小学校(当時は尋常小学校)で習ったそうですが、当時の先生は詩の意味も教えていたことでしょう。戦前の教育の方が優れていた点は、多々あるように思います。
まさに同感です。私の先輩がこの歌をよく歌っていて、メロディーもさることながら、公達や箙(えびら)などという歌詞に驚きました。神戸の須磨寺で敦盛と直実の銅像をみて納得しました。
今、BS12 トゥエルヴ 時間ですよ!で、森光子さんや船越英二さんが歌っていて、聞きへ惚れてしまいました。
そうだったのですか。見逃してしまい、残念です。
時間ですよ!第2シリーズ第9話です。数日過ぎたら、TH-camで探してみてください、今ある9話は前シリーズしかないので、。小学校のイケメンの同級生が池部良さんで、。帰った後に色々あるのですが、最初の歌詞を森光子さんが歌って、しばらくして二番めの歌詞を船越英二さんが歌ってます。ボロい靴をとイケメン俳優とこの名曲。
S. ENDO BS 12 トゥエルヴ時間ですよ!第9話あらすじ www.twellv.co.jp/sp/event/jikan2/009.html
雅の世界ですね。源平の戦ですか?平 敦盛は僅か14歳、今の子供達に見せたいです。
倍賞千恵子、森繁久弥さんの、うたも、いいですよね😊
青葉の笛、ありがとうございました。私が子供の頃満州に住んでいました。終戦直前に、6人の子供を残して他界した母。2週間後に父が出征。その1ヵ月後に終戦を迎えました。残された子供たちは、現地民の暴動に遭って難民生活を送りながら1年3ヶ月かかって日本へたどり着きました。その間弟妹は栄養失調で死亡しました。今思えば母は故郷を偲び青葉の笛を口ずさんでいたのでしょう。有難うございました。
素晴らしい演奏の「青葉の笛」で感動しました。ただ、こんな素晴らしい曲ですが、残念ながら標題にあるような“文部省唱歌”ではありません。これが掲載された「尋常小学唱歌」(M39)は、同名の国定教科書(M43)とは別物です。紛らわしいのですが、情報には正確さが求められると思いコメントしました。masao
ご指摘ありがとうございます。
一節目の「平敦盛」の話がどうしても有名ですが、二節目の「平忠度」のエピソード「自分という人間が確かに存在したんだ」という自己主張、そしてそれを「詠み人知らず」として反映させてあげた「藤原俊成」の男気、涙を禁じ得ません。
敦盛様は決戦の前に心を鎮めるために笛を奏でていたのでしょうか?それとも早世する方特有の感覚で、これを最期と奏でていたのでしょうか?美しい方が誇り高く滅んでいくさまは本当に悲しいです・・・
大人の人形劇「平家物語」で敦盛が討たれる場面を観て、ここに来ました。「青葉の笛」を初めて知ったのはもう半世紀以上も前、北杜夫氏の小説によってでしたが、こういうことだったのかと、今回初めて知り、感じ入っています。日本の歴史も文化も奥が深い。
子供の頃この話を母から聞きましたが、どうしても何と理不尽かと納得出来なかった、それは50過ぎだ今でも同じ、まだ始まったばかりの武士道、直実も心が揺れたのなら何故敦盛が何と言おうが見逃してあげなかったのか!其れも武士道の筈では
引き返してきた武人をみれば、我が子と変わらぬ年の頃。どうかお逃げください。と進言するも、正々堂々の勝負を受けて武人たらんとする若武者。ならば。と若き武人の矜持をたてて、正々堂々と一騎打ち。なればこそ、辞世の句と佳き笛 小枝(さえだ 青葉の笛)を預り。後に菩提を弔う。という経緯がありましたそうで。なかなか遠い昔に絵本で見ただけなので、ウロ覚えですが…。
子守唄に父親がよく歌ってくれてたなぁ
日本語の美しさを凝縮したような歌詞悲しい物語が心に響きますhb緑と四季の美しさのあわれこそ日本の美聴いていると間の前に山河が浮かんできます
亡き母が唯一歌ってくれた歌ー。
ガチなのですか?
@@yurara105 ゆ
釣りでボウズになった時の帰り道いつも頭の中で流れてます
釣りでボーズの帰りは正に敗れたもののふの心と同じですね。😂これからこの曲を横笛で練習します(笑)
😂💦💦💦これでいいんです。殺生しなくて良かった。
何だろう、この涙は。💦
評価をして戴いて有難うございます。私は、今月で70歳に.なります。55年前ですね。
私は平成31年現在で44歳ですが中学生のとき、深夜に流れていたこのメロディーに心打たれ日本の古い歌が大好きになりました
駕籠の鶏とか、亡き母に教わりました‼残念です😭大楠公とか青葉の笛を教えてほしいです❗
先日青葉の笛が展示されてます須磨寺に行きました。この笛の来歴は空海さんが唐から持ち返り、嵯峨天皇、平忠度、平敦盛と渡ったと説明書きにあります。
忠度の歌「花や今宵のあるじならまし」ですね。「あるじならまじ」となっていたので、失礼ながらコメントさせていただきました。💦
ガイドの講師の先生から初めて教わった懐かしい曲なの‼️
そうなんですね。悲しい歌ですが、歴史の重さが伝わってきます。
花や今宵の~ は 西行の 願わくば~ と同じ意味もあるってどっかで聞きました
神戸市民としては、伝えたい曲。
敦盛と熊谷が対峙している庭が素晴らしいてすね。どこの庭か、ご存知のかたは教えてくださいませ
神戸の須磨寺です
私は熊谷市に住んでいます。
阪東妻三郎主演の超感動映画『無法松の一生』松が未亡人を支えて育った子供が学芸会でこの歌を!感動の一コマでした。
板東妻三郎が熱演した映画無法松の一生では、愛する未亡人の息子が学芸会でこの曲を熱唱します。感動の名場面です。
コメントありがとうございます。1943年の映画のようですね。戦後にGHQによって「青葉の笛」の場面がカットされたとか。時代の流れを感じます。
未亡人の一人息子を演じたのは長門裕之だそうです
小学校とかで教えればいいのに
Yohei Okubo そうですよね。意味が解らなくても、歌う事に意義ありです!…
確かに。最近の小学生の教科書の音楽は美しく洗練されていて語句も平易で分かりやすい。逆に言えば回数を重ねて聴いても心に残らない。よく似たものが多い。
大昔、小学生の頃の文化発表会で歌いましたよ。「平家物語」の冒頭を私が叫び、「青葉の笛」を歌いました。
日本人の情緒を大切にして、小学校の音楽でも情操を養って頂きたいですね。
GHQが教科書に載せないように指導したんでしょうか?昔の教科書を墨塗りにしたらしいですね。
Subarachi music.😊
泣かせる歌だ
小学校と、中学校で習った。
凄いですね。明治の唱歌のレベルは高い。
聞いてて楽しい
青葉の笛 安徳帝が愛用していた 青葉の笛を地面にさかさまに刺しこの笛が青竹に成れとした土地が 高知県仁淀川町都に有りますね
いささか興醒めを畏れますが、「平家物語」では、熊谷直実は平家の公達、無冠の太夫敦盛を心ならずも手にかけしまったことに深く無常を感じて、蓮生坊として出家したとしていますが、近世の歴史家の研究では、直実は叔父の久下氏との領地争いについての幕府の裁定が不満で出家したのであり、敦盛を討ったことは全く動機ではなかったとする説があります。
領地争いもあったんですよね。敦盛を討ってすぐの出家でないので、その可能性もあります。でもそれ以上に敦盛のことが直実とってはトラウマだったのかもしれません。😭
『平忠度(ただのり)は薩摩守の官職にあったため、後世の人々は彼の名にちなみ無賃乗車のことを「薩摩守(さつまのかみ)」と呼んだ。』という解説テロップを入れてほしい。
一の谷って、須磨のこと??
そうです。現在も一ノ谷町といういう地名が残っています。
@@SENDO-du5hh 子供の頃、須磨にあった兵庫県立こども病院に通ってたので、よく、一の谷行きのバスに乗ってたもんで…
須磨寺を本陣としていた義経に首を見せ、この寺で首と笛を供養しました。
須磨寺だ。。
美しい小学唱歌を復活してほしいね。 二条按殿大納言資賢公の姫君は、近江三井寺で、夫、平敦盛卿は笛の役、其の姫君は事の役、楽しい日々を、やがて、平家源氏の転嫁をかけた大戦。 生きて後に哀れ平家の栄枯盛衰を哀愁をもって伝えられていますね。 敦盛卿はまだ十六・七の若侍。源平盛衰記には熊谷二郎直実が、ぼんやりしている一騎の公達が乗った馬を見て駆け寄り、組討ちしたる公達金覆輪(きんぷくりん)の鎧馬具を見るにつけてもただならぬやつと、「いざいざ尋常に勝負めされい!」と、兜を払うと、老いたるを身を、隠して白髪に墨を塗って黒髪となした老人直実。 其の逡巡して討ちとらえようか、逃がさまいかと、止めをためらい戸惑う、此の若い公達は、老人を叱咤して、「覚悟は、武家となってより、覚悟はもとより、早、わが御験しをば討ち候いて、急ぎ手柄と為せ」と、虚勢を張って、催促する。 老いたる直実、おいてなをも、荒武者ぶりは、引けに取らぬが、敵の平家といえど、殺すには、口惜しき、若武将・・・殺すに殺せぬ老人と、討ちとらえてその首を盗らべき、平家清盛の御一門衆・・・・か。 このくだりが織田信長公の「人間五十年・・・」あのお蘭も鼓に乗って舞う「幸若舞」・・「敦盛卿」の悲しい武家の運命を幽玄と哀愁で舞う有名な故事は、さまざまに、文芸の格好の題材となりましてより、多くの昨比がありますね。なかんずく、この「青葉の笛」は、実際、今に伝えられて、訪れる者の哀れを今に伝えている。
お詳しいですね。敦盛と言えば信長の舞くらいの知識しかありませんでした。須磨寺を訪れて、初めて一ノ谷の合戦を知りました。もっと勉強しなくては・・・。
@@SENDO-du5hh さん返信おくれました。私の祖母、がよく話をして、くれたのは源平合戦の壇ノ浦のはなし・・・・手前が言うのもなんですがm、私の家は、福島県飯坂の庄司佐藤の類縁の家で、家紋は、藤原門流の「竹丸笹に、籐の原(とうのばら)・・・「佐籐」(すけのとう)を名乗ったと聞きます。 俵藤太藤原秀郷・・・・だろうと思われますが、こら、中国地方の太守尼子経久に尼子軍団の総帥、山中鹿之助とともに、大内氏や新興の毛利氏と戦った、尼子十勇士の家と聞き及ぶ際に、この人間五十年・・}敦盛公と、平の公達熱盛公の話をして、熊谷次郎直実のエピソードw騙るとき、涙ぐんでいたのを懐かしく記憶しています。 まあ、明治の女学校を出たコメ問屋のお嬢さん育ちだったろうが、田舎の本百姓(庄屋郷士)に嫁ぐにはもったいないほど、のお方でしたが、この型の「おばあちゃんっこ」だったおかげで、日本の心をしっかりと受け継がしていただきました。 佐藤三郎兵尉嗣信がワツィの家の先祖で、福島の本願地の「庄司佐藤」も、いわき市内に、「尼子」という珍しい地名があるを見て、佐々木源氏の尼子のゆかりわおつくづく思う。 縁あって、福島に二か月ステイした縁もあって、先祖の故郷にたった灌漑は深いものがあるし、あの福島の飯坂温泉にある、医王寺にまつられらう、佐藤兄弟の二人の妻たちなお勇壮な武者姿の人形は、当時、線上に散った夫の未亡人たちとその母御前を大いにしのびました。 生来無学ゆえに、高等教育は成人を為してから為したものですが、特に、日本の歴史が好きで、また日本神道にも心ひけら仏教にも・・・無学がゆえに、無学歴の代荘言ではありますが、ついつい・・・・ 日本人が好きで和が先祖も明日る故に・・・・ご容赦を
敦盛の最期忠度都落ち共に滂沱の涙無しには語れない場面坂東の荒戎の裔として、平家にはこればかりの同情も無かった筈なのだが。
たいへん余計な話ですみません。平忠度(ただのり)は、薩摩守であったことから、現代では死語になりましたが、無賃乗車のことを「薩摩守(さつまのかみ)」、ただのりの意味とする隠語(主に学生が使ったようです)がありました。
キセル乗車ですね。そして、もしかしたら熊谷直実は単身赴任で欲求不満、兜を押しのけた敦盛の少女と見まごう美童ぶりに思わず欲情し、斬る前に敦盛のお尻を掘ってしまったのかもしれません。武勇の誉れ高き猛将直実、絶倫でタマっていたのでしょう。こんな恥ずかしい殺され方をした敦盛が怒って亡霊となり、熊谷直実を取り殺そうとしたので、直実は慌てて法然上人に助けを求め、魔除けのお札を家に貼りまくって念仏を唱え、難を逃れたとか・・・悲しき戦の習いでございます。
私も曲が大好き💓♥️❤️でも笛だけ‼️
青葉の笛
勝新の無法松で、敏雄坊ちゃま(ガム)が歌わされてたやつだな。下手くそだったが(笑)。
敦盛…
倍賞千恵子櫻井の別れ
部屋
三国連太郎でわ?
その気になれば偽の頼朝を倒す事も出来たが義経は逃げに逃げ出雲の最期の皇太子スクナヒコの足跡をたどりアイヌの王となります😮
聞こえしはではなく「聞えしは」ですよ
😮😅😢
小松家の末裔にはきつい
重盛公の御子孫ですか?😢
今令和は大陸人様方様すべてでございます!。償い終わったジャパン和合ありがとうございます!❤❤❤❤
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよいの主ならまし。」心に沁みる歌ですね。辞世の唄に哀れを感じます。
子供の頃、祖母が聞いていた曲です。
美しいメロディと
「平家の公達あわれ」
の歌詞を頼りに、この
動画にたどり着きました。私は50歳です。
同じ歳です。今日50になりました(笑)
母がまだ私が若かりし頃、平 敦盛と熊谷直実の話をこの「青葉の笛」の歌と共に、よく話して聞かせてくれてたものです。大好きだった様です。
その母も、つい先日、92歳で安らかに永眠しました。
「青葉の笛」は懐かしい母の思い出になりました。
名作のNHK人形劇「平家物語」のシーンを想い出します。
たしか「汚し!敵に後ろをみせるは卑怯未練。引き返して尋常に勝負されよ!」という熊谷の挑発にのった敦盛でしたね。合戦の場に笛を携える心根の優しい少年でしたが、やっぱり根幹は廉恥を重んじる武者なんだなぁ、と思った記憶があります。凝縮された簡潔な歌詞がみごとです。UPに感謝。
平家の将として、挑発に乗らざるを得なかったんですね。熊谷は音に聞こえた源氏方の猛将。討たれるのを覚悟で。
@@yegassan1390 確か直実も自分の息子ほどの武者と気づき見逃そうとするが、熱盛はそのまま討たれることを望んでますから、死に場所と思い定めていたと思います。
私が子供の頃母がよく歌ってました。私もいつの間にか覚えてそれから何となく今でも口ずさんでいます。とても懐かしい歌で嬉しかった❤有難うございます。
中学生のとき、深夜放送で初めて聴いてから離れないメロディーです。
もう日本人にはこういう歌は作れないでしょうね…。
日本人の心は素晴らしいですいつまでも伝えていきたいものです
私自身、何べん聴いても、涙の出る歌です。
雅ですね。物悲しい歌ですね。
喧しいばかりの昨今の歌に比べ何と心を打たれる歌です。
堪能させて頂きました。
ありがとうございます。私も大好きな歌です。
@@SENDO-du5hh 様。また雅な世界へ誘って下さい。楽しみにお待ちします。わざわざのご返信有難う御座いました。
侘び、寂びを感じる曲の一つですね。
カラオケでたまに歌います。
哀愁があり毎回は歌えません。
永遠に残したい曲の一つですね。
何回聴いても泣けます
私がこの歌を初めて耳にしたのは30歳を超えた頃でした。難しそうな歌でしたが、メロディーが心に残りました。その後、歌詞を紐解いたら、敦盛と忠則のエピソードでした。明治の唱歌はすごいですね。
地元・埼玉県熊谷市では、小学校の運動会で、6年生全員が日の丸の扇を持って『直実節』を舞います。最高学年として誇り高い瞬間です。その直実節の間奏に、全くリズムの異なる曲が挿入されていました。
ずっと不思議に思いましたが、この『青葉の笛』の一番がそれだと、大人になって知りました。アップロードしてくださり、ありがとうございます。
🎉
初めて聴きました。素晴らしい曲で、時代の流れを感じました。🎶
小学生のころ、担任の教師から、かの歌を教わりました。意味も、古事も、なにも知りませんでしたが、言葉の美しさや、なぜかしら哀愁を感じる旋律に感じるものがありました。その後、断片的に、意味を知り、古事を知り、かの曲の美しさに、60年を経た今も心に染みる曲の一つです。二番の歌詞が、特に好きです。現在の教師の皆さん。その意味がわからなくても、子供たちに、教えてあげて下さい。成長した跡、その曲を口ずさむ人は必ずいます。私のように。
私も中学の時に国語の先生が教えてくれました。意味も何もさっぱりわかりませんでしたが、メロディーと出だしで今検索してここに来ました。
思わず同感してコメントしてます。おっしゃる通りです。
70前の女性です、今現在。
この歌にはじめて接したのは、小学生の時に見た「三船敏郎さんの無法松の一生」という映画の中で、吉岡海底のぼんぼんが歌っていたのを基金、母に教えてもらい覚えた曲です。長じて、「平家物語」と知り、半世紀を越すか愛唱歌になった次第です、哀しくてとても素敵な歌です。
私も、三船敏郎の、映画で、しりました😄
同じです
@@修図師悲しみ時の❗😮😮😮😢😢流れかあか
私も三船敏郎の映画で見ました。無法松の一生という映画です。三船敏郎が祇園太鼓を打つシーンなど見事に撮られていますね。吉岡少年が歌うシーンと併せて胸を打つ名画と思います。❤
アニメの平家物語を観ながら平敦盛をウィキペディアで調べていたらこの曲の楽譜とメロディが記載されていました。
直実節の1番の後にこの曲の1番が挿入されていたので「これだったのかぁ!」と納得しております。
源平合戦の敵同士とは言えど切ないですね…。
曲の理解が深まりました。直実節、これからもっと感情込めて踊ります。
青葉の笛という歌を恥ずかしながら85歳になって初めて小三治さんが落語のマクラで歌われたを聴いて関心を持ち今歴史を感じながら愛唱しています。
昔、縁側にて、歌ってくれた思い出の歌、懐かしいメロディを思いだしましたありがとう御座いました
平家物語の中で、「敦盛」の場面が深く心に残っています。
子どもたちの合唱の魅力、惹かれますね。心は一つ、上手いこと。
この曲に惹かれるきっかけをつくってくれました。感謝。
何故か、小さい子供の頃から、耳に残ってます。まもなく78歳のわたし。
喜びも悲しみも幾年月
喜びも悲しみも幾年月
第二次世界対戦で負けた日本人をアメリカ政府は
何よりも名誉を大切に思う国民である、と書き残しています。熱盛も直実もお互いに最期は名誉を重んじた、それが心に染みる青葉の笛の歌です。大好きです❤️
😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
一ノ谷の 軍破れ
討たれし平家の 公達あはれ
このフレーズが、ふと頭によぎる時があります。美しい日本語で涙がこぼれる時もあります。
敦盛に比べ、忠度の知名度が低いのは残念ですね。忠度の和歌の師、藤原俊成は有名な藤原定家の父ですし。
あ聴いていると、懐かしい子供の頃ラジオしかなかったからからいつもラジオかけっぱなし子供の頃思い出されます。
きれいな日本語に感動です
さすがに明治の唱歌ですね。
神戸の須磨寺に一生のうちに一度は行きたいと心から思いました。
心にしみる素晴らしい動画、大好きです。歌声も背景も。ママさんコーラスでぜひ聞きたい。
ママさんコーラスも良いですが、子どもたちの歌声もまた格別です
清純で情緒的で華やかな敦盛ですが、本質は、誇り高いのですね。
私はフランス人。I don’t know more japanese, but I love your channel.
後世に残して欲しい名曲です
大好きな、歌。
桜貝の歌
わたくしもそおもあます。わたくしもそおもいます。🎉
清冽な響き、琴線に触れる。胸痛む
😊
らむくがぃ
私がこの歌に出会ったのは、三船敏郎さんの「無法松の一生」の映画の中で、吉岡のぼんぼんが、学芸会で独唱しているのを見て、素敵だったので母に聞いて覚えました。あれ以来、平家物語が大好きになりました。中でも薩摩守忠徳の都落ちの段が大好き!
「行き暮れて木の下陰を宿とせば
私は、母が口ずさんでいて、覚えました。懐かしく、メロデイ、歌詞が胸にしみ、聞いては、母を偲んでいます❤
今日初めて青葉の笛を聞き、涙しました。2019年8月5日に神戸市長田区に越してきましたが、源平合戦の地名のオンパレードに驚くこの頃です。
高校一年生で習いました。忘れられないです。
敦盛が、16歳でしたが、勇敢な最期だったようです。笛は、父親に、返されたようです。平家物語にも書かれている、熊谷直実の、直実節、もいいですよ。ぜひ聞いて下されば、うれしいです。
貴重な情報をありがとうございます。直実節は聴いてみたいですね。
哀愁溢れ涙出そう。
やはり昔の唄は良い。
アップロードありがとうございます。
シェアさせていただいてもよろしいでしょうか?
「青葉の笛」は昔、父がよく歌っては涙を流していました。その父は台湾からの引揚者で、引揚の際に母親も幼い兄も妹も飢餓で亡くしました。
かつては権勢を誇り、傲慢だったかもしれない平家、その公達として生を受け、闘いに敗れ、それでも命を失うその日まで、愛する笛を奏でていた敦盛の悲しい運命を思いながら、この歌を聴いていると、何故か、敗戦で故郷も家族も何もかもを失い、日本に戻ってきた、少年の頃の父の姿と重なってきます。
剣舞で踊りますが感情の出し方が難しいです、解説を読み源平合戦を刀扇で表現するのに先生からよく注意されす
されます。ゆっくりとした踊りですが刀と扇でこの哀しさを表すのに苦労しています
こんな綺麗な曲があるなんて知らなかったし習わなかった
そうなんですね。私も習っていませんが、かつての文部省唱歌だそうです。
なぜ音楽の教科書に載ってないんでしょうね?こんな良い歌なのに。
知らなかったです。すごくもったいない。
亡き母が歌っていたので、自然に耳に残りました。
高校の古文で敦盛最後の
文を読み、この歌を思い出しました。「もののあわれ」は日本人の心に深くしみる情景😢。
この曲を初めて知ったのは、NHKの「名曲アルバム」です。確か倍賞千恵子さんが歌っていたと思います。最初は曲の素晴らしさに感激していたのですが、その後この詩の意味を知り感激しました。日本人の心を見事に表しています。戦前は小学校(当時は尋常小学校)で習ったそうですが、当時の先生は詩の意味も教えていたことでしょう。
戦前の教育の方が優れていた点は、多々あるように思います。
まさに同感です。私の先輩がこの歌をよく歌っていて、メロディーもさることながら、公達や箙(えびら)などという歌詞に驚きました。神戸の須磨寺で敦盛と直実の銅像をみて納得しました。
今、BS12 トゥエルヴ 時間ですよ!で、森光子さんや船越英二さんが歌っていて、聞きへ惚れてしまいました。
そうだったのですか。見逃してしまい、残念です。
時間ですよ!第2シリーズ第9話です。数日過ぎたら、TH-camで探してみてください、今ある9話は前シリーズしかないので、。小学校のイケメンの同級生が池部良さんで、。帰った後に色々あるのですが、最初の歌詞を森光子さんが歌って、しばらくして二番めの歌詞を船越英二さんが歌ってます。
ボロい靴をとイケメン俳優とこの名曲。
S. ENDO
BS 12 トゥエルヴ
時間ですよ!第9話あらすじ
www.twellv.co.jp/sp/event/jikan2/009.html
雅の世界ですね。
源平の戦ですか?
平 敦盛は僅か14歳、今の子供達に見せたいです。
倍賞千恵子、森繁久弥さんの、うたも、いいですよね😊
青葉の笛、ありがとうございました。
私が子供の頃満州に住んでいました。終戦直前に、6人の子供を残して他界した母。2週間後に父が出征。その1ヵ月後に終戦を迎えました。残された子供たちは、現地民の暴動に遭って難民生活を送りながら1年3ヶ月かかって日本へたどり着きました。その間弟妹は栄養失調で死亡しました。今思えば母は故郷を偲び青葉の笛を口ずさんでいたのでしょう。有難うございました。
素晴らしい演奏の「青葉の笛」で感動しました。ただ、こんな素晴らしい曲ですが、残念ながら標題にあるような“文部省唱歌”ではありません。これが掲載された「尋常小学唱歌」(M39)は、同名の国定教科書(M43)とは別物です。紛らわしいのですが、情報には正確さが求められると思いコメントしました。masao
ご指摘ありがとうございます。
一節目の「平敦盛」の話がどうしても有名ですが、二節目の「平忠度」のエピソード「自分という人間が確かに存在したんだ」という自己主張、そしてそれを「詠み人知らず」として反映させてあげた「藤原俊成」の男気、涙を禁じ得ません。
敦盛様は決戦の前に心を鎮めるために笛を奏でていたのでしょうか?
それとも早世する方特有の感覚で、これを最期と奏でていたのでしょうか?
美しい方が誇り高く滅んでいくさまは本当に悲しいです・・・
大人の人形劇「平家物語」で敦盛が討たれる場面を観て、ここに来ました。「青葉の笛」を初めて知ったのはもう半世紀以上も前、北杜夫氏の小説によってでしたが、こういうことだったのかと、今回初めて知り、感じ入っています。日本の歴史も文化も奥が深い。
子供の頃この話を母から聞きましたが、どうしても何と理不尽かと納得出来なかった、それは50過ぎだ今でも同じ、まだ始まったばかりの武士道、直実も心が揺れたのなら何故敦盛が何と言おうが見逃してあげなかったのか!其れも武士道の筈では
引き返してきた武人をみれば、我が子と変わらぬ年の頃。
どうかお逃げください。と進言するも、正々堂々の勝負を受けて武人たらんとする若武者。
ならば。
と若き武人の矜持をたてて、正々堂々と一騎打ち。
なればこそ、辞世の句と佳き笛 小枝(さえだ 青葉の笛)を預り。
後に菩提を弔う。
という経緯がありましたそうで。
なかなか遠い昔に絵本で見ただけなので、ウロ覚えですが…。
子守唄に父親がよく歌ってくれてたなぁ
日本語の美しさを凝縮したような歌詞
悲しい物語が心に響きますhb
緑と四季の美しさのあわれこそ日本の美
聴いていると間の前に山河が浮かんできます
亡き母が唯一歌ってくれた歌ー。
ガチなのですか?
@@yurara105 ゆ
釣りでボウズになった時の帰り道
いつも頭の中で流れてます
釣りでボーズの帰りは正に敗れたもののふの心と同じですね。😂
これからこの曲を横笛で練習します(笑)
😂💦💦💦
これでいいんです。
殺生しなくて良かった。
何だろう、この涙は。💦
評価をして戴いて有難うございます。私は、今月で70歳に.なります。55年前ですね。
私は平成31年現在で44歳ですが
中学生のとき、深夜に流れていたこのメロディーに心打たれ
日本の古い歌が大好きになりました
駕籠の鶏とか、亡き母に教わりました‼残念です😭大楠公とか青葉の笛を教えてほしいです❗
先日青葉の笛が展示されてます
須磨寺に行きました。
この笛の来歴は空海さんが唐から持ち返り、嵯峨天皇、平忠度、平敦盛と渡ったと説明書きにあります。
忠度の歌「花や今宵のあるじならまし」ですね。
「あるじならまじ」となっていたので、失礼ながらコメントさせていただきました。💦
ガイドの講師の先生から初めて教わった懐かしい曲なの‼️
そうなんですね。悲しい歌ですが、歴史の重さが伝わってきます。
花や今宵の~ は 西行の 願わくば~ と同じ意味もあるってどっかで聞きました
神戸市民としては、伝えたい曲。
敦盛と熊谷が対峙している庭が素晴らしいてすね。
どこの庭か、
ご存知のかたは教えてくださいませ
神戸の須磨寺です
私は熊谷市に住んでいます。
阪東妻三郎主演の超感動映画『無法松の一生』
松が未亡人を支えて育った子供が学芸会でこの歌を!
感動の一コマでした。
板東妻三郎が熱演した映画無法松の一生では、愛する未亡人の息子が学芸会でこの曲を熱唱します。感動の名場面です。
コメントありがとうございます。1943年の映画のようですね。戦後にGHQによって「青葉の笛」の場面がカットされたとか。時代の流れを感じます。
未亡人の一人息子を演じたのは長門裕之だそうです
小学校とかで教えればいいのに
Yohei Okubo
そうですよね。
意味が解らなくても、歌う事に意義ありです!…
確かに。最近の小学生の教科書の音楽は美しく洗練されていて語句も平易で分かりやすい。逆に言えば回数を重ねて聴いても心に残らない。よく似たものが多い。
大昔、小学生の頃の文化発表会で歌いましたよ。「平家物語」の冒頭を私が叫び、「青葉の笛」を歌いました。
日本人の情緒を大切にして、小学校の音楽でも情操を養って頂きたいですね。
GHQが教科書に載せないように指導したんでしょうか?
昔の教科書を墨塗りにしたらしいですね。
Subarachi music.😊
泣かせる歌だ
小学校と、中学校で習った。
凄いですね。明治の唱歌のレベルは高い。
聞いてて楽しい
青葉の笛 安徳帝が愛用していた 青葉の笛を地面にさかさまに刺しこの笛が青竹に成れとした土地が 高知県仁淀川町都に有りますね
いささか興醒めを畏れますが、「平家物語」では、熊谷直実は平家の公達、無冠の太夫敦盛を心ならずも手にかけしまったことに深く無常を感じて、蓮生坊として出家したとしていますが、近世の歴史家の研究では、直実は叔父の久下氏との領地争いについての幕府の裁定が不満で出家したのであり、敦盛を討ったことは全く動機ではなかったとする説があります。
領地争いもあったんですよね。
敦盛を討ってすぐの出家でないので、その可能性もあります。
でもそれ以上に敦盛のことが直実とってはトラウマだったのかもしれません。😭
『平忠度(ただのり)は薩摩守の官職にあったため、後世の人々は彼の名にちなみ無賃乗車のことを「薩摩守(さつまのかみ)」と呼んだ。』
という解説テロップを入れてほしい。
一の谷って、須磨のこと??
そうです。現在も一ノ谷町といういう地名が残っています。
@@SENDO-du5hh 子供の頃、須磨にあった兵庫県立こども病院に通ってたので、よく、一の谷行きのバスに乗ってたもんで…
須磨寺を本陣としていた義経に首を見せ、この寺で首と笛を供養しました。
須磨寺だ。。
美しい小学唱歌を復活してほしいね。
二条按殿大納言資賢公の姫君は、近江三井寺で、夫、平敦盛卿は笛の役、其の姫君は事の役、楽しい日々を、やがて、平家源氏の転嫁をかけた大戦。
生きて後に哀れ平家の栄枯盛衰を哀愁をもって伝えられていますね。
敦盛卿はまだ十六・七の若侍。源平盛衰記には熊谷二郎直実が、ぼんやりしている一騎の公達が乗った馬を見て駆け寄り、組討ちしたる公達金覆輪(きんぷくりん)の鎧馬具を見るにつけてもただならぬやつと、「いざいざ尋常に勝負めされい!」と、兜を払うと、老いたるを身を、隠して白髪に墨を塗って黒髪となした老人直実。
其の逡巡して討ちとらえようか、逃がさまいかと、止めをためらい戸惑う、此の若い公達は、老人を叱咤して、「覚悟は、武家となってより、覚悟はもとより、早、わが御験しをば討ち候いて、急ぎ手柄と為せ」と、虚勢を張って、催促する。
老いたる直実、おいてなをも、荒武者ぶりは、引けに取らぬが、敵の平家といえど、殺すには、口惜しき、若武将・・・殺すに殺せぬ老人と、討ちとらえてその首を盗らべき、平家清盛の御一門衆・・・・か。
このくだりが織田信長公の「人間五十年・・・」あのお蘭も鼓に乗って舞う「幸若舞」・・「敦盛卿」の悲しい武家の運命を幽玄と哀愁で舞う有名な故事は、さまざまに、文芸の格好の題材となりましてより、多くの昨比がありますね。
なかんずく、この「青葉の笛」は、実際、今に伝えられて、訪れる者の哀れを今に伝えている。
お詳しいですね。敦盛と言えば信長の舞くらいの知識しかありませんでした。須磨寺を訪れて、初めて一ノ谷の合戦を知りました。もっと勉強しなくては・・・。
@@SENDO-du5hh さん
返信おくれました。
私の祖母、がよく話をして、くれたのは源平合戦の壇ノ浦のはなし・・・・
手前が言うのもなんですがm、私の家は、福島県飯坂の庄司佐藤の類縁の家で、家紋は、藤原門流の「竹丸笹に、籐の原(とうのばら)・・・「佐籐」(すけのとう)を名乗ったと聞きます。
俵藤太藤原秀郷・・・・だろうと思われますが、こら、中国地方の太守尼子経久に尼子軍団の総帥、山中鹿之助とともに、大内氏や新興の毛利氏と戦った、尼子十勇士の家と聞き及ぶ際に、この人間五十年・・}敦盛公と、平の公達熱盛公の話をして、熊谷次郎直実のエピソードw騙るとき、涙ぐんでいたのを懐かしく記憶しています。
まあ、明治の女学校を出たコメ問屋のお嬢さん育ちだったろうが、田舎の本百姓(庄屋郷士)に嫁ぐにはもったいないほど、のお方でしたが、この型の「おばあちゃんっこ」だったおかげで、日本の心をしっかりと受け継がしていただきました。
佐藤三郎兵尉嗣信がワツィの家の先祖で、福島の本願地の「庄司佐藤」も、いわき市内に、「尼子」という珍しい地名があるを見て、佐々木源氏の尼子のゆかりわおつくづく思う。
縁あって、福島に二か月ステイした縁もあって、先祖の故郷にたった灌漑は深いものがあるし、あの福島の飯坂温泉にある、医王寺にまつられらう、佐藤兄弟の二人の妻たちなお勇壮な武者姿の人形は、当時、線上に散った夫の未亡人たちとその母御前を大いにしのびました。
生来無学ゆえに、高等教育は成人を為してから為したものですが、特に、日本の歴史が好きで、また日本神道にも心ひけら仏教にも・・・無学がゆえに、無学歴の代荘言ではありますが、ついつい・・・・
日本人が好きで和が先祖も明日る故に・・・・ご容赦を
敦盛の最期
忠度都落ち
共に滂沱の涙無しには語れない場面
坂東の荒戎の裔として、
平家にはこればかりの同情も無かった筈なのだが。
たいへん余計な話ですみません。平忠度(ただのり)は、薩摩守であったことから、現代では死語になりましたが、無賃乗車のことを「薩摩守(さつまのかみ)」、ただのりの意味とする隠語(主に学生が使ったようです)がありました。
キセル乗車ですね。
そして、もしかしたら熊谷直実は単身赴任で欲求不満、
兜を押しのけた敦盛の少女と見まごう美童ぶりに思わず欲情し、
斬る前に敦盛のお尻を掘ってしまったのかもしれません。
武勇の誉れ高き猛将直実、
絶倫でタマっていたのでしょう。
こんな恥ずかしい殺され方をした敦盛が怒って亡霊となり、
熊谷直実を取り殺そうとしたので、
直実は慌てて法然上人に助けを求め、
魔除けのお札を家に貼りまくって念仏を唱え、
難を逃れたとか・・・
悲しき戦の習いでございます。
私も曲が大好き💓♥️❤️でも笛だけ‼️
青葉の笛
勝新の無法松で、敏雄坊ちゃま(ガム)が歌わされてたやつだな。下手くそだったが(笑)。
敦盛…
倍賞千恵子櫻井の別れ
部屋
三国連太郎でわ?
その気になれば偽の頼朝を倒す事も出来たが義経は逃げに逃げ出雲の最期の皇太子スクナヒコの足跡をたどりアイヌの王となります😮
聞こえしはではなく「聞えしは」ですよ
😮😅😢
小松家の末裔にはきつい
重盛公の御子孫ですか?😢
今令和は大陸人様方様すべてでございます!。償い終わったジャパン和合ありがとうございます!❤❤❤❤
聞いてて楽しい