This is over 100 years ago song for elementary school children. The song title is KAMAKURA(鎌倉) and the lyrics explains you Kamakura city where and there like a sightseeing guide. The following wiki assists your understandings. en.wikipedia.org/wiki/Kamakura
哀愁のある旋律 とても好きな歌ですが一番しか知りませんでした、こうして全部きくと遠い遠い鎌倉の時代鎌倉の地が浮かび、もっと好きになりました。ありがとうございました、
あおいあおいさん、フルバージョンを気に入って頂きありがとうございます。励みになります。
聴き入りました。美しいことばと翳りのある旋律。後世にもずっと残って欲しいです。UPありがとうございます!
菊池安兵衛さん、お聴き頂きありがとうございます。良い歌はいつまでも、、、在りたいものですね。
この歌、今から60年前に中学の修学旅行で箱根、東京方面に行った時、観光バスの車内でバスガイドのお姉さんが歌ってくれました。非常に懐かしかったです。
中学生くらいになるとお姉さんに憧れる時期ですね。楽しかった思い出いつまでも大切にしてください。
半世紀前、小学6年生の修学旅行は「江の島・鎌倉」、たしか2泊3日の旅、みんなでこの歌を覚え
バスの中で歌っていました。高崎からのバスの旅、都内をぬけるのはできたての首都高速でした。
いまでもこの歌で、鎌倉めぐりができます。仲間たちと歩いたここ鎌倉の思い出はつきません。
いまは横浜生活、この歌を口ずさみながらたびたびここを訪れています。今は八幡宮の大銀杏はありません。
Yu Sekiさん、お聴き頂きありがとうございます。年齢が近い方のようですが、当時の修学旅行の思い出、誰でも強く印象に残っているものですね。高度成長時代には会社でも慰安会などと称して観光バスを連ねてマイクを握りしめて歌ったものです。今のバスガイドさんは相変わらず歌を披露しているのでしょうか、、、。昭和形式の団体旅行、今は流行らないのかもしれませんね。
何度も、この画像と 歌がピッタリです❗️私の独り言ですが❓️紅孔雀さんの 鎌倉 が最高と思います。今から68年も前に、遠足で、鎌倉に行った事が思い出されます。東京に住まいしていますから、鎌倉を散歩する時には、何時も、紅孔雀さんの 鎌倉 を聴きながら、散歩致します。ありがとー御座います。❤
ネットで歌に見合うような適当と思われる画像を検索するには時間がかかってしまいますが、お気に召された由、うれしいですね。
私は1972年前後に札幌の小学校で教わりました。8番まであって随分長い歌だなと思ったモノでした。でも曲自体では好きです。歌詞は忘れましたが心には残っています。詩を見れば歌えます
戦後10年程度は戦前からの文部省唱歌的な歌が音楽教科書にも載っていたような気がしますが、その後はいわゆる皇国史観を連想させるようなものは一切否定され、日本は高度経済成長期を迎えます。そんな世の中になったのに昭和47年の小学校で教えていたのは初耳でした。音楽の先生の好みの一つだったのでしょうね。
悲哀の歌にも品格がありますね、昔修学旅行でバスガイドさんが歌ってくれましたそれ以来この唄が頭から離れません。源兄弟が会ったところですよね、新田義貞古戦場 露座の大仏本当に美男でおわす
フナジさん、お聴き頂きありがとうございます。昔は必ずガイドさんの歌を聞けたものですね。ところで、頼朝・義経の兄弟会見場所は鎌倉ではなく黄瀬川の陣でしたね。
俺は遠足だったよ、数回学校で行ったよ
とてもいい曲🎶
お風呂で歌っちゃうほどいい歌です!ままに時々うるさいと怒られます!でも、また歌っちゃう=いい歌
高野果音さん、こんにちは。名前に音の字が入っているので音楽に関係ある家族なのでしょうね、、、。文面から想像するに未だteenさんでしょうか、、、。お風呂で歌うと響きがあるので良い気分で歌えますね。健康にも良いですよ、おっと、teenさんには必要ないかな。
かれこれ、65年前小学校の旅行のしおりにこの歌、鎌倉がありました、鎌倉を歌いながらこの地を
旅行した思い出がよみがえります、ありがとうございました。
渋柿さん、お聴き頂きありがとうございます。同世代の方のようですね。私の小学6年修学旅行は日光(東照宮)、東京(浅草&タワー)、鎌倉(大仏)でした。
こういう歌はかいつまんで歌っても作者が表現したかった情景は浮かんでこないと思います。
全部聴ききると鎌倉という場所の一側面がはっきり浮かんでくる素晴らしい歌、そして歌唱だと思いました。
kyuurinoshiyahaさん、こんにちは。1年前に頂いたコメントに対しお返事を差し上げていなかったようです。時々、TH-camから当方へのメール連絡が来ないことがあるようで、見過ごしたのかもしれません。あるいは、お返事を差し上げたのに、それが何らかの原因で削除されて残っていないのか、いずれにしましても、本日、そんなことに気づきました。これからも宜しくお願いします。
11月に来ました
紅孔雀さんこんにちは。また良い歌を聴かせて頂きました。この鎌倉と言う曲🎶8番まであったんですね。知りませんでした。私が小学6年生の時、修学旅行で行ったのが江の島、鎌倉だったんですね。当時旅行の為、この曲を習った記憶が有るのですが1番〜3番までの歌詞しか覚えていません?懐かしい歌ありがとうございます。😅
ご視聴頂きありがとうございます。6年の修学旅行がこのあたりだと関東近県の小学校でしょうか、、、。私は静岡県ですが、旅行は東京+日光でした。歌は思い出を呼び覚ましてくれる効果もありますね。
返信ありがとうございます。
私は北関東の栃木県です。当時一泊二日の修学旅行でした。途中羽田空港を見学した記憶があります。
栃木なら割と近場でしたね。私の場合は2泊3日?3泊4日?だったかな。日光以外ではできたばかりの東京タワーの展望台に行きお土産を買い、確か鎌倉の大仏も見た記憶があります。
そうだったんですね。色々な思い出を知らせて頂きありがとうございました。
いつ聴いても良いですね。ちなみに紅孔雀さんの歌をを初めて聴いたのがこの曲でした。鎌倉へは中学の修学旅行で行っただけですけれど又行って観たいと思ってもニュースであの人混みを見ると二の足をふんでしまいます。
みさこさん、お聴き頂き感謝です。中学の修学旅行で大仏を見たのは同じですよ。狭い地域ですから混雑もまたひとしお、ニュースの通りの様です。時期を避ければゆったりといけるのではないでしょうか。
母が毎日なのように歌っていたので歌詞を覚えていますが漢字をみていま意味が分かりました。本当に三歳くらいかな?物心付いたときには暗記してた。懐かしいです。70年以上前です。四国在住です。知っているひといないかも
。
私73歳ですが、ほぼ同年齢のようですね。幼児の頃から今までの音楽シーンも共有しているのだろうと思いました。一つヒット曲が出てもそれは広く老若男女に知れ渡っていた時代でしたね。
@@beni9jyaku そうなんです。私は77歳になります。妹たちと同じです。気が若く、元気もあります。優しくカビ叱った母の声が聞こえて微笑むことさえあり、幸せだっった幼い頃。両親に感謝しています。
@@hiyo2153 そうでしたか。子供の頃の記憶は大概良い思い出だけが残るように出来ていると聞いたことがあります。脳の神秘の一つですね。ただ、それが幸福をもたらしている面もあるのだと思います。辛い悲しい思い出だけしかないのであれば、人生も悲惨なものになってしまいますから。
bni9iyakuさん、鎌倉って、学校で習ったって10歳位年下の方から聞きました。都会の方はみんな知ってたんだ。今更ながら、若き頃の母の姿を思い出しました。ただ、浪曲っぽい歌い方もしてました。分かってくれる人いらっしゃるかな。
@@hiyo2153 そうでしたか、、、。近年の音楽教科書に載っていたのかどうか分かりませんが、歌い継がれていくのは嬉しいですね。
懐かしいです!修学旅行で、長野県から関東地方へのバス旅行で、皆で合唱した事を思い出します😥🎵👍
過去の記憶とその時の歌は良くヒモ付いているようですね。私もそんな記憶が沢山あります、、、。
文部省唱歌や童謡など音楽の教科書から削除してはいけないと私は思います。歌謡曲を取り入れるのもいい。でもきちんとした歌を後世に残すのも使命だと思います。
おっしゃる通りかと、、、。歴史や国を考えることが少なくなりましたね。
今は変わってしまっていますが、以前の鎌倉駅の発車メロディーを最近聴く機会があり、こちらの動画にたどり着きました。発車メロディーのフルートの音色が好きなのですが、原曲は鎌倉の名所が歌い込まれていて素敵ですね😄
みきさん、こんにちは。その土地にゆかりのメロディーを流す駅はいろいろありますね。甲府駅(正しくは石和温泉駅)では武田節(三橋美智也)がチョロっと流れます。
@@beni9jyaku さん。失礼ですが武田節の発車メロディーは甲府駅ではなく石和温泉駅です。
@@y.nakajima1455さん、おっしゃる通り石和温泉でした。信玄の銅像も確か駅横にありましたね。訂正させて頂きました。
両親は明治生まれでした。年が離れているのでなかなか会話が成立できませんでしたがこうして聴いてみると何も世代間の違いがなかったと今、感じます。
昔の唄に魅せられた人生でしたが、中でも歌詞の意味を理解、解釈する事が、私の、趣味と成り、始まりは【鉄道唱歌】でした。「東海道本線編」だけで、1番〜66番迄在りましたから、1年では、調べ切れなかった思い出を、昨今は、思い返しておりますよ。
良い勉強に成り、歴史や地理に、興味を拡げる基になりました。
詩や歌は散文と違って直截的ではないので人の心の底流を伝えてくれるような気がします。ですから、数世代を超えてその感覚が共有できるのではないかと思います。
30年程前 バスガイドだった時に鎌倉に行った際に歌っていました。懐かしくて 一緒に歌わせて頂きました。
往年のバスガイドさん、こんにちは。一緒に唄ってくださり光栄です。歌詞表示がお役に立ったようですね。
私もよく鎌倉に行き学校の遠足で行きました、そこでバスガイドの人から聞きました、鎌倉は何回いったもってか覚えていませんがとてもいい歌です、これからもお願いします。
五十嵐さん、ご視聴ありがとうございます。今でもバスガイドさんはこういう歌を歌うんでしょうか、、。きっと、高齢者の団体さんにはチョイスするんでしょうね(微笑)。
確か小学生の頃に聞いてます。でも、1番しか覚えてませんでした、でもこの唄大好きで繰り返し唄ってました。平家が戦に負けたときの心情を唄ったもなのだと思いました。8番まで聴けて良かったです。
お聴き頂きありがとうございます。歴史的には源平合戦ではなく、執権北条氏が再び源氏(新田、足利)に滅ぼされ鎌倉時代が終わり室町時代に移り変わった頃に鎌倉の栄華を偲んだものだと思います。
ありがとうございます。詳しく教えていた抱きまして、大銀杏たしか近年台風かなにかで折れたとか倒れたとか残念です。
NHKの歌のアルバムで40年以上前に紹介されてますよ
鎌倉は本当に歴史があって、良い街ですね。父親がいきて、いた頃はよく
連れていってもらいました。
安藤妙子さん、お聴き頂きありがとうございます。子供の頃の思い出に幸あれかし。
鎌倉を旅立ち単身東京へ、そしてその二十年後位に東京も後にして早や計.四十年…
この曲も良く聴いたり歌った…小学生〜中学生の頃😭。
突隔!?さん、お聴き頂きありがとうございます。子供の頃の思い出、故郷の歌ってところですね。
beni9jyaku さん、
まさかの返信、有難う御座います。そして、時間差返信、ご了承…。
この歌は母校、地元(当時)の小学生の頃に音楽の授業で唄いましたが、こんなに何番まで歌詞が有るとは知りませんでした…唄ってたのも二〜三番位までだったのでw。
後、やはりあの地ゆかりの学校の学生数名の海難事故が歌詞のモデルの【真白き富士の嶺】(だったかな?)も授業で習いました…。
失礼致しました…。
声に出して歌いたいもっと大衆に認知されても良い日本の歌だと思います。
Akimichiさん、お聴き頂きありがとうございます。良い歌は歌い継がれて行って欲しいものですね。
私は長野県生まれですが、静岡県生まれの90才を超える母が60年くらい前に口ずさんでいたのを覚えています。
小川道子さん、お聴き頂きありがとうございます。母上様は昭和一桁世代の方のようですから恐らく当時の「尋常小学唱歌」で習われたのでしょう、、、。ご壮健、何よりです。
鎌倉市内を循環する観光バスにはぴったりですね😃
確かに。
大好き
Thank you.
今年の大河ドラマは鎌倉の13人これからが楽しみです。源氏は三代で滅んでしまいました。その後北条の時代になりました。北条が滅んで足利になりました。関東管領が上杉謙信です。鎌倉は時代に翻弄されました。今では鎌倉は関東の要所となりました。二度行ったことがあります。いい街です。
進マロさん、お聴き頂きありがとうございます。京都が公家の古都なら鎌倉は武家の古都ですね。
名将新田義貞は後醍醐天皇から拝領した黄金づくりの太刀を海に投げ入れ、水が引くことを祈ったというが、チャッカリ地元の漁師から潮の満ち引きの事を聞き出していたらしい。山国育ちの武将たちには潮の満ち引きのこと等知る者はいなかったので義貞の神力に驚いたことだろう。後に後醍醐天皇から、まさか朕が授けた太刀を投げたのではないだろうなと言われ、その太刀はここにと差し出したそうだが、こちらも後でしっかり引き揚げて回収していたという事らしい。
Chu2007peeさん、お聴き頂きありがとうございます。歴史の裏話というかエピソードというか、ご披露有難うございます。歴史は常に時の勝者が自分たちの都合の良いように作っているということがありますので、教科書に書かれていない真実が沢山ありそうですね。特に飛鳥時代以前はかなり?らしく、その最たるものが北九州王朝説ですが、中々面白いですよ。
知らないことが多すぎて、改めて、歌に込めた作者の心だけでなく歴史を教えて頂きました。ありがとうございました。歌の持つ意味を知り歌い方が変化することでしょう。歴史の重みを感じずには折れません。
多分頼朝公真似だと思う
小さい舟で鎌倉入り
七里ガ浜に
3つぐらい古戦場跡が近くあるよ
それだけ鎌倉は内乱が多い所だったから
最近の研究では、あのあたりの浜辺は、引き潮の時でも、弓の射程距離を超えるほど潮が引きませんが、数年に一度くらいの割合で、陸地から海側に強い風が吹く事があり、それに、引き潮が重なれば、鎌倉の歌のような事が起きるのだとか…。地元の漁師さんしかしるはずが無いことを、地元民から聴いたのでしょうね。
多分神奈川県民は聴いた事ある
詩ですよ
鎌倉の全てがこもっているよ
thank you for listening,,,.
この曲歌いながら観光地巡れるのでは?
そうですねぇ~、この歌の順番に沿って鎌倉巡りなんてTV旅企画があってもいいかも知れませんね。
私は外国人から、この歌の歌詞の意味が理解が難しいです。どうゆう意味ですか?
This is over 100 years ago song for elementary school children. The song title is KAMAKURA(鎌倉) and
the lyrics explains you Kamakura city where and there like a sightseeing guide. The following wiki assists your understandings.
en.wikipedia.org/wiki/Kamakura
@@beni9jyaku ありがとうございます。
でしょうね!私は歴史が大好きだったので、歌詞の内容は理解できています。