【落合陽一】自立しなさい!って何?脳性まひの小児科医、熊谷晋一郎「自立は依存の反対語ではない、むしろ依存先が多いこと」当事者研究の専門家が語る、自立の必要条件「選択肢がたくさんある事、支配されない事」
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- เผยแพร่เมื่อ 1 ต.ค. 2024
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自分を受け入れる。大切な事だとは言われているものの、これがなかなか難しいと感じる人も多いはずだ。自分が思う欠点や弱さを認める事は、自尊心を傷つける行為にもなり得るからだ。しかし、この重要性を理解できた時、あなたに大きな変化が訪れるかもしれない。等身大の自分を受け入れ「世界が広がった」という熊谷晋一郎氏。東京大学先端科学技術研究センター准教授でありながら小児科医として活躍し、そして脳性まひのため車椅子生活を送っている。当事者研究の第一人者である熊谷氏にとって「自立」や「多様性」とは何か?幼少期の“過酷”なリハビリ生活、そして自分との向き合い方とは?AIやテクノロジーを用いた身体の多様性に取り組む落合陽一が「共生」を考える。
ゲスト:熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター 准教授)
#落合陽一 #weeklyochiai #熊谷晋一郎 #脳性まひ
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一人でも平気な人とかいるのは、依存先がたくさんあるからという理由でかなり腑に落ちた。
腑に落ちちゃったんだ!ww
出来ることが多い方が自立性が高いというのは言われてみて改めてそうだなと思いました
自立というのは、少なくとも『選択肢が沢山あること』と『支配支配されないこと』が必要条件。依存先が一個しかないとその相手から支配される。
なるほど。
この人の話を聞いてかなり腑に落ちました。
一人でもずっと平気で周りの言う一人でも寂しくないのという質問に疑問を抱いていたけど、自分は子供の頃から周りとうまく馴染めず一人で何かをすることが楽しかった。
一人でも本を読んだり、資格勉強したり、自炊したり、筋トレしたり、家具を見たり、アニメ、映画、ゲーム、ドラマを見たり、それらに依存していたから平気だったんだな。
なるほど!
人生充実してそう
凄く共感します。私も同じタイプです。
じゃあ依存しない人はいないってことでいいのかな?
@@ここほれわんわん-s2c 結局そういう事だと思います!
頼らないことが大事と教えられ信じて生きてきた中で行き詰まったことがたくさんあったけど、頼るものがたくさんあることが自立って聞いてあー全部間違ってたって気分になった。「依存先」の考え方が目から鱗でした。これからの生き方や人間関係の作り方を変えていけそう。ありがとうございます。
高校生のころうつで不登校になったけど、依存先が学校関連と家族しかなく狭い社会だった。
学校も家族にも頼れなくて鬱になってしまった。
今も多くの子どもが学校か家かみたいな環境に思うから、
この話を聞いて、学校や家以外の依存先を増やせないものかと感じた。
そもそも学校も副業みたいに複数行けるなど勉強の仕方を選べる、生活の幅が広げられたらいいのに。
1つの学校、1つのクラスで上手くいかなければ人生終わるなんて本当馬鹿らしい。
同時に色んなところに学びに行けると良いですね!
私も同感です
娘が通信制高校に通うことになり
かなり自由に過ごしています
親としても気が楽です
公立で望めないなら
民間でも小中学校でもこのような学校がこれからは増えてくるのではないでしょうか
画一的な公立のやり方一択というのはもう
ズレてますよね
不登校とは学校に依存しないこと。つまり、自立しようとしています!素晴らしい行動なのです。
@@asa01053
僕は、不登校が素晴らしい行動とはあんまり思えなかったです。学校に通えないから引きこもるだけで、それが自立的行動かと言われると謎ですし、何よりずっと辛かったので。学校に行ってもいいし、今日はいかなくてもいいし、みたいに自分で選べる方が自立的に思えました。
そして、精神が病むと目の前に依存先が複数転がっていても、殻に閉じこもるので
怖くて依存しないんですよね。
依存先が複数あることも大事だけど、
自ら依存しに行く行動も伴わなければ無駄だとふと気づかされました。
考える機会を下さり、ありがとうございました。
教育が歪んでいたことに早く気付けることを願います
精神障害の者です。自立する とは、依存先が逆に多い状態のことであり、実態のイメージとは全く逆である。先生の考え方にハッとさせられました。そもそも”自立”なるもの自体厳密な定義が難しい。 例えば親の実家を離れて、祖父母に養ってもらっていたら世間のイメージでは”自立”とは言えないとコメントする人が多いはず。しかし1人で家賃や食費も支払っていたら”自立”しているとなる。これは依存先が企業になるから。もっといえば、親や祖父母以外の依存先を持っているから。つまり自立力とは依存力。実体は逆である。
ギブだけでなくテイクできれば自立かと? 依存はするけどやれる事を全力でやる姿勢が必要でないと周りには依存してるばかりに見えるのでは?
@@Outofitscarecrow
そうとも限らないかなと思います。必ずしもギブアンドテイクにならなくていいと思います。
目に見える報酬や見返りが全てでもないと思うし、私個人に関しては私からのギブに関して全くテイクを求めない場合も多いです。
いろんな方がいますので、小さな依存をたくさん分散できればいいなと思います。
友人が産後鬱になった時、旦那さんが里帰りを許さず(取られたくない)、心療内科を受診することも許さず(薬が嫌い)、友人は亡くなってしまった
旦那さんは依存先を自分一人にすることで支配下においてしまってたんだろうな
家族の依存先を広げてあげるのも愛情だと思った
ご両親を頼ったり、心療内科で薬を飲んでいれば今も元気に会えたのかもと思うと、本当に悲しい
私の元カレが、その旦那さんと同じタイプです。
私は家族も友人も恋人も趣味も同じくらい大切で、全てが必要な事でしたが、彼は「自分を一番に考えて欲しい」と言う気持ちが強く、「あの人とは関わらないで」「1時間に1回は連絡して、長時間連絡出来ない時は事前に伝えて」等と束縛行為が多く、私も出来る限り合わせようとしましたが、結局そういう人は合わせれば合わせる程 要求が大きくなるんですよね。
結果的に私がしんどくなり、お別れしました。
私は適度に私を放っておいてくれる人じゃないと(友人でも恋人でも)、上手く行かないんだなと学べました。私の依存先を減らすような事をする人とは合わないんだなと。
私が彼と同じようなタイプなら、彼だけに依存するようなタイプだったら、ただただ幸せだったんだろうなと思います。
でも私とは正反対だったのでダメでした。
本当に相手を思うなら、相手の特性を尊重し、相手をありのまま受け入れ、ある程度相手の自由を認めてあげる事が、本当の愛情なんだと感じます。
その旦那さんは、その奥さんだけしか依存先が無かったのでしょうが、その奥さんが居なくなったら本末転倒ですよね。
結局奥さんよりも自分の方が大切なだけだったのでしょうが。。。その旦那さんが今どのように過ごされてるのか気になります。
そもそも植物に依存しないと自力で酸素を供給できないような人間が自立できると考えるのが思い上がり
自立ってなんだろう。なんでも一人で背負うことか?失敗の責任を全ておうことかとか考えていました。
この動画でおっしゃってたことが1番しっくりきました!
特定の人に依存しないためにたくさんのものに助けてもらうしか方法ないよねって感じてて、それらを一旦肯定的に捉えてみようと思います。
めちゃくちゃ深い話。
数多く選択肢があるのに、自分で選択肢を狭めてることに気付かされました。
健常者の方が依存先が多い…確かに言われてみればそうですね。色々気が付かせてくれて考えさせられました。
自立=依存先が多い 初めて知った考え方でした。勉強になりました。
目から鱗。依存は良くないと言われてるけど、誰もが何かに依存していることに対しての矛盾は解消できずにいた。スッキリした。
以前娘(現在24歳)が小さい時熊谷先生に診ていただいた時がありました。的確に優しく診察していただき本当に安心したのを覚えております。
ご活躍を期待しております。
サムネイルの時点で凄く共感しました。私も本当の自立とは依存先が多い事だと以前から感じてました。
依存先が1つしかないと、その1つを失わない為に必死になり自分を見失うような気がします。
私は依存先が多く、比較的精神も安定してますが、逆に言うと、私の自由を奪おうとされると、その行為が結果的に私の依存先を減らす事に繋がるので、それは絶対に耐えられない事です。
自分は自分、他人は他人だと思ってるので、他人がどんな行動をしようと私に被害がなければ腹が立ちません。反対に、自分の行動を制限されるのは本当に苦手です。
経歴とかなんも知らずに動画見たけどこの人恐ろしく賢いな。頭では分かっててもここまで自立と依存に関して言語化されたの初めてで感動した。素晴らしい方だな。
暇な時間、ぼーっとした時間をどれだけ取れるかでしかない
あくまで頭が恐ろしくいいからとかではない
インターネットなんてどこまで行っても私的な庭でしかないので、自分のためにアウトプットをしているだけなので、すべてが自分のためのパフォーマンスでしかないので、あくまで何か影響を与えたいわけではないので、おきにならさず
そこに吐き出す剥離したロボット
@@yadomij なんか辛いことあった?笑
先生のお話、国語の教科書に載ってた!読んだ人、多いと思う。
すごく印象に残ってる。若いとき読んでよかった!
それは、20年くらい前に、
幼稚園の園長先生から習いました。「自立とは、他に助けを求めることが出来ることです。自我を抑え、判断し、助けを求められる先との関係の構築…信頼関係が出来ている人間であること。なんでも自分で出来るとか自己責任とか、そんなのは当たり前で、その更に先に、自立はあるのです」
年中組さん(5歳児)なんでも「自分で出来るもん★」のお年頃…そう、
多くの成人男性は5歳児と同レベルなんです💞
凄く納得しました。
依存先(コミュニティ)を沢山もつ。
人との関わりを大切にしようと思いました。
困ってることを助けてくれる人が、必要なだけいる状態が自立とも言えるかな。言い換えただけだけど
小学生の子供にもこの話をしたいと思います。子供にとって、学校だけが選択肢だと思わせることは危険。学校、サッカー、ピアノ、習い事の化学教室、それぞれにいろんな場所にコミュニティをもつことって大事。もちろん一人でも本やゲームやブロックや、好きな依存先をたくさん持てば、それらに逃げられる
wwwどんだけ
熊谷先生の「自立」の話は明確で数年前に拝読した時に納得しました。
次は「責任」についてもお話聞きたいです!
NHKのライブエールで宇多田ヒカルが自立について同じことを言ってましたね。
こういう見方があるんだ、と思いました。視野が広がりました。そして気持ちが楽になりました。依存する対象が少ないと支配される。確かに。人間関係もある程度分散させる必要性を学びました。ありがとうございます。
これは本当に思う。人は1人では生きていけないし不確定な災害が多すぎる。
「物心ともに自立するのが大事」と言う人がいるけど、生まれつき障害がある人は「物」の方は無理だよ。障害者が不可能な時点で、目指すものとしては間違ってる気がする。障害者だって幸せになれるし、立派な人間になれるはず。
無理だろ。障害者だけの国を作って試せばええやん。
ほんとに幸せになれるか。
出来ない事とやらない事を
分けて考えるのが大事ですね。
合理的配慮です。
依存先が主観的に充分に有る事。
言い換えると、自律出来る選択肢が充分に有る事。
と理解しました。
人生の真理ですね
支配されたく無いのであれば依存先を増やしておいて、いつ1つの依存先が無くなっても平気な環境を作っておく必要がありますね。
納得したな〜😮
小中学校の時、クラスの友達(兼部活友達)か家族しか繋がりがなかったけど、高校に入って友達が増えて他校にもできてバイト先にもできて、大学入ってからはもっともっと繋がりが増えて、比べるとストレス減ったな〜って思う
逆に私にだけ依存してくる友達(バイトなしサークルなし他校の友達ほぼなし)はいつまでも苦しそう
私は田舎で生まれ育ったのですが、親戚や隣近所と日頃からお裾分け等して関係性を維持しています。野菜など、貰い物で食べていけそう。その代わり、私はお年寄りの携帯電話やパソコン等のサポートをしたり…
だから
いきなり会社をクビになっても、非貨幣経済によるネットワークがあるので食えないってことはないかなと。
今は親戚付き合いや近所付き合いを嫌う人もいますが、これらは一種のセーフティネットで、いろいろなソーシャルサポートネットワークを持っているとより安心して生きていけると思います。
依存できるもの、頼れるものが周りにたくさんあって、しかもそれを選べる立場なのはとても幸せなことですね😮
お金なくして自由なし、努力できる人は、自分の丈夫な体や持久力に依存できるのかも知れません。大谷翔平も自分の身体能力や才能に依存しているのかも知れませんね。
健常者のほうが依存するものが多い
確かにそうですね
.
もしここで生きていくとなったらどこで寝るか、何を食って生きるかなんてことを普段から考えて置くのは自立する上で大切
なるほど自立の意味、納得しました。健常者の方が依存して自立が成り立つのですね。
自立、依存先を増やすこと。確かにですね
AIを福祉に使ってください。私は、精神障がい者3級です。
とても面白く興味深く見させていただきました。
昨今、苦しむ男性が多いような気がしてたのですが
それってもしかして男性の脳特性がちょっと特殊というか偏りが大きい人が女性より多いんじゃないのかなとふと思ったりしました。
それこそもっと身近なところでいくと恋愛とか、「その人しかいない!」って気持ちが強いと別れた時に病むし、そうじゃなくて「友達や家族や仲のいい人の1人」って感覚でいた方が別れた時に病みづらいのと一緒だよなぁと思いました。
自立とは選択肢が多いこと、1つのものに依存しないこと、とても納得いたしました。自分も選択肢や依存先を増やせるようにします!
ベビーシッターです。子育てのゴールは子供を自立させる事ですが、自立には2種類あり、心身ケアの自立と経済的自立です。どちらか一方が自立していたらもうそれは十分素晴らしいです😊
自立とは、自分一人で生きていかなくてはいけない、という意味では決してない訳で、それを前提としてしまうと依存先を増やさなくては、となるのだと思います。
依存先を増やす、のではなく選択肢を増やす、ということでは無いでしょうか。
依存は選択肢がないから(ないと思っているから)限られたものに依存するのだと思うので、ほかにも沢山の選択肢があれば限られたものに執着する事も依存することも無くなるのだと思います。
選択することを依存の数が増えるという意見の発信者さんですか。
あらゆることに言えますが、依存の定義付けから始めないと言葉遊びになってしまいます。
経済的物理的な依存なのか精神的な依存なのかの区別が付かない上に障がい者自立支援と混同したこの考え方、視点は次第にぼやけるでしょう。
この動画の自立とは障がい者を含めた弱者の経済的な自立、そして対等な社会が目的地ですが現実は逆にも見えます。
対して精神的な依存とは障がい者だけでなく全ての人の問題として各自が答えを出すもの。宗教でも思想でも人格者でも各自勝手にすがりつき「依存」すればいい。そのほうが自立よりはるかに居心地が良く楽に決まってますが結果自己喪失となるよという事です。
この方もみんな依存してるんだから今の自立支援制度なんて無駄なことは止めようよ、と言いたいように聞こえます。その気持ちは分かる部分もあります。
その自立支援の問題とは別に日本では精神的な自立が出来ないさせない仕組みが理由で現在の停滞や混乱、自信の無さになってると考えます。
落合さんもいつもとは違い相手の中に入り込めないみたいだね。
依存って選択肢が少なくてそれをやめたくてもやめられない状態のことなんだから、選択肢がたくさんある人のことはそもそも依存しているとは言わないんじゃないかな。
自立=依存先が多いこと
本当にそうですね。
支配されずに依存する先が多くあること。これって例えば被災者の孤立を防ぐとか、限界集落に住む高齢者の孤立を防ぐとか当てはまるような気がします。
逆に依存先が0って不可能ですもんね
自立というのはようは仲間が多いかどうかってことでしょ
依存といより共存と言い換えた方がいい
依存というのは一方的な寄りかかり
共存してこそが社会だし人類だよ
依存する欲を克服したのが自立かと思ってたけど依存先が多いだけだったのか…腑に落ちた
依存先が多いことは自立に繋がるということ、なるほどです。
保育の研修でも、今後の子どもたちを育てるうえで、他者に上手く依存する事を伝えてください、と言われた事とリンクしました❣️😊
これが本当の自立なんですね。
一時期心理学で耳にした自己複雑性理論に近いですね。
コミュニティが多く、浅く広く沢山の人と触れ合う人の方が抑うつ傾向が低減されるという。
健常者の方が依存している。依存できる社会資源が多い。自立ということは選択肢がたくさんあることと支配されないことが必要条件。選択肢が1つしかないことは支配されることになる。権力関係が発生しやすい。だからこそ支配されずに権力関係が発生していないときは選択肢がたくさんあるとき。
自立は依存先が多い時に成り立つ。
とても考えさせられるお話でした。
入り口から共感できた。例えば、自立を自らの力で稼ぐ事とした場合、会社に依存する事より、国やサポート団体、顧客の支援を受けられる事の方が自立してると言える
aiも支援の一つだよね方、、、
熊谷先生の貴重な体験を聞けて良かったです。
自立できない親、子はこの動画を見るべきだ。
熊谷先生の自立の話、納得ですし、まさに依存先の分散が大切だと思います。
非常に共感しました。
親から甘え過ぎだ、お前には何にも出来ない、失敗するに決まってる、を刷り込まれてきました。
社会人になって、周りからは
「もっと周りを頼ったら?」「一人で頑張りすぎだよ。」と言われるようになり、
親からの刷り込みにより、人に甘える方法が分からずいつも我慢してしまい、
精神的に限界が来て仕事が長続きしないという生きにくい状況です。
正社員だとサービス残業をしてしまう環境を作ってしまうので、
パートタイマーに転身し、超低所得者として生活始めています。
依存の分散が自立になるということか
確かに依存先がたくさんありますね
よく考えさせられました。
素晴らしいお話ありがとうございます。
身体的障害を感じて差別するのは勝手な考えで当人は望んでいませんよね。
素晴らしい考えを聞かせていただきました
依存という言葉を間違えて、非論理であるものを論理と勘違いさせている気がする
とてもとても深いお話しですね
確かに一人でなんでもできるわけがない。自分の中の自立の意味を更新しました!
確かに
依存先が多い方が有利なので結果自立というか余裕ができるというか
となると、依存は悪い言葉ではないのかも
ヘーゲルの精神現象学っぽい話だと思いました。
自由に関しての議論を主人と奴隷との関係で表してますが、現代で言うと障害を絡めて話をすると面白いと感じます。
そうか……自分は 自分の稼いだ金だけで 生活してるから 自立してるつもりでいたけど、親と祖父母の 年金で生活してる 弟の方が 自立してたんだ…
ちょっとショックだな…
wwうける
結婚、子供を作る自体、将来依存するためにするものだし
独身ほど依存先があれば皆安心して社会で子育てに協力する余裕もできるのに
迷惑をかける面積の広さか
とても興味深く聞かせて頂きました。ありがとうございます
熊谷さんの「リハビリの夜」という本は、医療関係者が読んでとても学びになります(特に「ほどきつつ拾い合う関係」という概念)。
クロスダイバーシティ含め、落合さんとの親和性は高く、大阪万博にも期待が高まります!
よく分からなかった、一人で無人島行って同じこと言って欲しい。
自立について考えさせられました
落合陽一ってなんでこんな変人然としてんだよ
精神的自立と肉体的自立は考え方が真逆ということだね。
これから自分が生きていく中で、本当に必要な指針をくださった気がします。感謝しかないですし、あらためて、今のありがたさを実感しています。
精神障害の者ですが趣味の依存先がかなり多くて孤独でも夢にむかえています。
将来の仕事も依存先増やしていこうと考えています。
身体、精神に障害を持つ方が、社会貢献する側に立たれた時、何にも勝る威力を発揮出来るのではないか?乗り越えてこられた事の数が圧倒的に多いのですし、達観した、ある種、悟りに近い精神を持って、社会を見ておられるのでは
ないか? 健常者の気づかぬ視点を教わり、和やかな世界に向けて何が大切か?を、語っていただきたい。その際、出来ない事を、フォローするのが、健常者側には、品格として持ち合わせる必要がある。双方に、利他の精神を持つ事の大切さ。心に余裕ある人の、なんという少なさか。きりきりまいの世の中だ。自分に余裕が無いと他者に思いやりを向けられないもの。
かなり深まりました。
そっか、我々はそもそも他者の生産したモノに依存して成り立ちますね。
それに、リハビリというがReという言葉の意味をそこまできづいてなかった。
そもそもSTARTも違うのですよね😅
凄い経歴の人ですね!私も2年前に身体障碍者になりました。もっと表舞台に出て意見を言ってほしいですね。
改めて考えると、選択肢の有無って、依存度にも関わってくる…深い問題ですね。
視覚障害者が自立している印象があるのはなんでだろう
木がイメージしやすいですね!
とても興味深い内容でした。
支援をする人権団体は政府の税金=寄付で運営されてますからね。
免税もされてるし助成金もある
自立なんか何一つしてません。
恐らく先生のことも(メディアか、雑誌、書籍か何かで)見聞きしたことがあります。
この話しは、時間がある時にじっくり聞かせていただきます!
でも、冒頭だけ少し聞いても、そう、世の中など依存先(つまり自分でやれる、努力すればなんとかなる、やれる選択肢が極端に限られる、下手したら選択肢など皆無でないのですよ…今の環境や置かれている状況しか)=自力や自立とは(それぞれにしていても)見なされずほど通いと思い、思われます。そして、先生も話されていた支配関係。上か下か、閉塞的な世界。
あとは、世間からの見方は良くも悪くも、もう私なんかは仕方ないとこの社会には諦めてますので…。投げやりとかではなくて。世代的にも現状的にも。
自力でもどうにか努力し、頑張っても抜け出せない類の環境下や自分がなった事や身近な人がそうであったか、実体として感じた事がなければ、なかなか感覚的、体感的には難しいと思います。世間や世の中って、まだまだ(恐らく、私の寿命は分からなくとも、見方がとても(それは自分の内面、自分自身にも当然存在します。どれが良く、どれがいいのか自分でも分からないからです。)そして見られ方は厳しい。世の中から弾かれますから。それは弾かれる必要が本当はなくても、世代や時代によっては、個の努力や考えを越える出来事も沢山、時代ごとに生きているとあると感じています)
人は必ずいつか死ぬ…。誰しもにくる寿命や運だと腹くくってます。悲しいですけど…。思考実験をあえてされたお話しを聞いて、腑に落ちるものがありました。
貴重なお話しありがとうございました。
「依存」先という言葉以外で説明してほしかった
理解はできるけど依存先が多いという表現にいつも引っ掛かる
ハッとしました。目から鱗でした!。
目から鱗とは当にこの事
熊谷先生のお話しが、とても哲学的な思考で引き込まれました。
東宏紀さんを交えての対談を見てみたいです
>依存先が多いこと それって人気者ってことやんwww 何の不思議もないけど。
人はひとりでは生きられませんからね。山奥や孤島でサバイバルするのでなければ、社会性を持つと言うことが、自立するという事ですから、当然、接触先を増やして「詰まない」ようにするリスクヘッジをうまく出来るという事が、現代社会においては、自立している状態とされますよね。
自立という状態が選択肢が多いことを前提に成立する、という意見にまったく同意する。自由であることと自立は深く繋がっている。
そうですね。
考えさせられました。
宇多田ヒカルもおんなじこと言ってたなあ
「自立」という言葉が嫌いでしたね。言葉自体がある種のマウントの道具にしかなってなかった。何をもって「自立」とするかに共通の定義はない。有るとすればそれは自立ではなく「他律」でしかない。