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今川氏真はなんだかんだ生き残れただけで凄いと思います
でも早雲が天国で悲しんでるやろね
子孫が吉良上野介なのがアレ
日本版劉禅www
@@勇者ヒロユキ ということは綱憲以降の上杉家当主も子孫か。あの名君の鷹山公も。
@@yh6146 そうですねただ鷹山公は遠い親戚からの婿養子
秀吉さん『親ガチャ?何それ?』
やっぱり、さおりちゃんは聞きやすいし癒されるし最高でござる🎵
さおりさんありがとうございます。お疲れさまです。♥♥♥
先代が自分亡き後を見越した体制固めをしなかった上、秀頼の場合は幼いうちに滅亡へのレールが敷かれてしまっていたわけ。生き残るとしたら氏真方式しか無かったろう。
義信廃嫡の時点で詰んでたのかも
義信の同母弟が盲目で無かったら良かった。盲目だったけど子どもがいたから子孫が徳川幕府高家になっている。
お店も人生も店じまいの仕方が大事ですね
武田晴信を誉め称える人が意味分からないと自分が思う理由
神君家康公に勝ってるから徳川幕府が持ち上げまくったんでしょ
結構強引だよね外政とか
氏真が生き残れたのは、軍才や野心がないから、生かしておいても害にならない、って見られていたからなんだろうなーと勝手に思っている。一応、徳川さんからしたら元主君筋ではあるし
秀頼はある意味謎の多い武将なのでなんとも言えませんぬ
武田勝頼は生まれた時からハンディキャップがあり、可哀想。大きなハンディを抱えてよく信長に対抗したと思うよ。
勝頼さんは隣の相手が強大でしたから不運でした。
さおりさん、頑張って下さいねえ。
その通りですねえ。
長宗我部盛親もクローズアップして欲しかったです。
1番は秀頼でしょうね。非はなくレディ・ジェン・グレイのようなもの。
まぁ中世から近世の過渡期だからなぁという月並な感想をね義昭は良くも悪くも次々と担いでくれる有力大名取っ替え引っ替えする室町将軍らしい
無能義昭
家督争いとは無縁だった北条5代は奇跡的ですね。
勝頼については信玄の遺命である「京に武田の旗を立てよ」というのもかなりの重しになってたのかなと思います。情勢を鑑みれば、一度織田に臣従して息子の代を狙うという家康戦法の方が天下取りの可能性も高かったように思いますし、無理なら決起せずに一大名家として100万石級の名藩として存続できてたかもしれません。長篠決戦を決定した遠因になっているように思います。
謙信も親父が散々やらかしてたから「義」を強調しないとヤバかったとか、
初代長尾為景が下剋上の雄だからな二代目晴景は舐められてたし更に山内上杉憲政は亡国寸前で
後継した景勝もクーデターで当主になったようなもんだし
毛利輝元「儂は?」
戦国最弱の武将と言われた小田氏治さんも15才で跡を継いだ時は、大変だったでしょうね~。その後も大変でしたが~(^o^;)
三好義継と長宗我部盛親は共に先代が精神状態がボロボロになり、家中が揉めている最中での家督相続だったのは不幸だと思います。
その両家は本来の後継者の早逝が惜しまれますね…どちらも聡明であったと伝わってるようですし
それをいったら毛利輝元も波乱万丈だと思いますよ。父親は早く亡くなり偉大な祖父のあとを継ぎ、これまた偉大な叔父のサポートはあったとしても相手は織田、豊臣、徳川の相手をして最後には両川の裏取引を知らず大坂城に入り大減俸なんですから。
勝頼は信玄公の負の遺産を抱え悲運。景勝側でなく景虎側について置けば…が、結末は同じだったかなぁ…
結果は大差ないと思います。結局の所、信長に滅ぼされる運命ですね。
いっそ織田に臣従出来れば生き残れたかもしれないが中途半端に力があった(織田抜きで徳川だけが相手なら勝てる)からそうもいかなかったのも厳しかったな勝頼は
結論は信長が強くなり過ぎたと。信玄存命中はそこまで織田は強くなかったが、信玄没後に謙信も没。どんどん強くなって、信玄存命中と遜色なくても相対的に敵し得なくなってしまった。信長の敵がいなくなっていって、武田は単独で戦うほかなくなり、結果滅ぼされた。仮に北条、上杉と同盟しても、北条は様子見だし、上杉が援軍を出す余裕はなかっただろう。
先代が偉大すぎると、後継者は何かと先代と比較されて大変なストレスになったという。毛利輝元もそうだったとか。
輝元の父隆元も元就が頭抱える程のネガティブぶりで三矢訓戒状書いたのその為だとか
宗滴が死んだ後の朝倉義景も
今川氏実は桶狭間の、龍造寺正家も沖田畷の、北条氏直は小田原征伐の、数年前には家督を継いでおり、当主の急死による相続ではない。勝頼については晴信の死去が遠征先だったこともあり求心力の低下は仕方がないが彼が晴信亡きあと武田最大領土を数年持ち、長篠敗戦後も外交などをして北や東からの進攻を防げていたのだから能力が低かったわけではない。晴信の遺言が勝頼を孫の信勝16歳までの陣代だとした点が事実なら正式な後継者たる、自分の亡きあとの当主だと言わなかったことに滅亡の原因がある。勝頼が領土拡大した点は「陣代」すなわち戦闘継続中の当主の代理としてやった行動とも理解できる。陣代が甲斐に帰るまでを指していたなら、戻ったあとにすぐに家督を継げなかった理由はいったん武田を出た人間、という回りからの侮りが強く、これも晴信が原因になる。だとすると、自分が遠征先で死ぬことを半ばわかっていながら遠征し、問題を残して死んだ晴信が優秀だったのかという点のほうに疑問符がつく。
ん~この中で家を江戸時代まで残したのは氏真だけだから。ある意味成功か?
景勝・・・
@@abcdefgghcnok 忘れてました(T_T)影が薄くてf(^_^)
武田も大名としては滅亡したけど、勝頼の兄の子孫が徳川幕府の高家になったし、弟が上杉の家臣として生き延びた。
@@yh6146 ええ、本家(信勝)は勝頼公と腹切ったので途絶えて。信玄公の次男の家計と梅雪から養子、徳川から最終的に養子は出しましたねぇ!信長の家計も信雄ですし。景勝公の家計も。でも吉良は今川の家ですから江戸後期までは今川の直流残せた氏真は凄いと。桃山時代も生きていましたし。
@@xjcity 実際の今川家の滅亡は明治。明治維新で没落して後継ぎに先立たれた最後の当主が亡くなって断絶した。
上杉憲政が北条よりだったのが意味がわからない
次三男に生まれて、「次男以下は家臣」の伝統の下、他家の養子に入ってたのに、実家に呼び戻されて日本最大の差別・出戻り差別が強い状況で実家を継ぐと「番代」「守護代」扱いで正式に当主扱いされず、先代当主の後見がない限りは大体は弱体化・滅亡してたのが相場でそういう傾向は江戸時代中期まで残ってたそこら辺が顕著に出てた島津勝久と島津義弘の違い足利義昭の場合は織田信長だけでなく、近衛家とも折り合い悪く、摂関家と縁戚関係がない上に、「室町幕府がなくても朝廷は何とかなる状況」が定着してたのも一因豊臣秀頼は公卿なのか、武家なのかが中途半端で実質「最後にして最大の戦国国司」だったのも滅亡の一因
足利将軍家など、初代将軍の「ツケ」に15代義昭まで悩まされ続けたな(^^;)
氏真と勝頼は信玄に人生をめちゃくちゃにされ両者は従兄弟同士爺ちゃんの信虎は名君だった評価もあるので爺ちゃんの陰にも悩まされたのかも
大内、土佐一条、飫肥伊東、大友(と島津勝久)も親戚同士で没落組だった
確かに一応戦経験して伊達政宗と同世代の羽柴秀次の方がマシだと家康の嫡男松平信康健在なら。羽柴秀次対徳川信康で天下分け目見たかったが
羽柴秀次が生きていたら、そのまま徳川家は信康が生きていても臣従したままだったんじゃないかなぁ。秀忠も秀康もかなり近かったし。ついでに信雄も…
そう考えると、徳川家康は偉大だと思います。今川家は、当主が代々不審な死に方をしてますね
一時嫡男徳川信康が粛清されて大ピンチだったけど乗り越えたな。
ほんとに家康は偉大だな松平家も代々不審な死に方してるのに
@@brigabiergerarb513 祖父と父親は若くして家臣に殺された。
@@corjioono7463 信康を切腹させたけど、家康が長いしたから。実際に家康が若くして亡くなったら徳川は滅んでいた。
徳川家康影武者伝説……
義昭は愚鈍どころかイヤらしいって感じだなぁ。秀頼は・・・父親 (仮) は天下人という意味で "SSR" だと思うけど、もう一方は・・・・・・"R" どころか "大凶" って書いてありそうだよ・・・・・・
今の天皇家の血筋にも入っている秀吉の姉方の方がある意味UR級の当たりだったな
秀吉も秀次事件てとんでもない負の遺産残してるし
家康は親ガチャ成功なのか失敗なのかよくわからない、家臣団は結構優秀だから成功なのか
信長の息子たち(u_u)
尼子晴久も
晴久の子義久の方が晴久は尼子全盛期築いてるやり手
@@takazaki1824 元就も晴久存命時は結局尼子に勝てませんでしたからね
ゲームやけど信長の野望ではあの領土の信長勝てん😇
家康の孫越前家二代目忠直。父は二代将軍秀忠の兄で上杉押さえの任を果たした秀康、正室は秀忠娘勝姫。元服前秀康沒、家中騒動が絶えず苦悩する忠直。将軍家尾張家紀伊家の兄の制外の家の特権も次第に無くなり加賀藩に次ぐ75万石の越前藩は沒落。菊池寛の小説のモデルになっている。
某が一番乗りでござるぅ!
親云々を言うなら信長は親が斎藤に大敗して病死、家中の統一から初めなきゃいけなかったし、家康も祖父父二代に渡って家臣にやられて若死に衰微したお家再興から初めなきゃいけなかったし、武田の親が悪いよーはひいきの引き倒しでは?
信長 周りも似たり寄ったりの小勢力家康 今川という頼れる当てがある勝頼 国持大名複数との抗争引継ぎスタート時点の状態は相当違う
勝頼の生き延びる道かぁ…晴信が上杉や北条と時間を潰してたからなぁ…今川攻めなんて本当の無駄…最初から美濃方面に全力を集中していれば…こんな状態で生き延びるには引き継いですぐに正式な権力を譲って、織田に臣従するしかなかったんじゃないかと思うよ。
織田弾正忠家は守護代ですらない武田から見りゃ下っ端の家、頭下げられるかねえ
まあ家格に拘れば無理ですね。やはり晴信の政略と大戦略の無駄が最も痛い…北条方面と上杉方面は守勢に徹していれば(特に村上にある程度の領地を返して緩衝地帯とするなどしておけば)上杉はその大部分を関東に集中してたと思うし、斎藤の時代なら美濃も取れたと思う。そこから当時の織田を制圧しておけば尾張という穀倉地帯が得られたのにね…とっても残念だと思います。
@@清水ひろゆき-s6u 美濃は未だしも尾張に手を出したら今川が黙ってない氏真がああいう顛末だったから舐められがちだが今川は元々武田より強い家武田は今川義元存命中はひたすら低姿勢だったし無視して動こうものなら義信事件が史実より大規模になって収拾着かなくなる恐れもある尾張に手を出さなくても六角朝倉三好が反武田で纏まったらそれ以上は苦しいし後知恵で考えるほど武田の西進は楽じゃない
@@takazaki1824 美濃手に入れた後でやっと今川と対等ぐらいだと思っています。その時点で織田の取り合いです。松平が完全に今川配下になる直前までに美濃まで出られれば可能性はあったと思う。確かに楽じゃないけど最初から今川と戦うとか、史実通り北条や上杉と戦うよりはよっぽどよっぽど可能性があったと思います。さらに言えば晴信の代で近江まで行く必要はなかったでしょう。
@@清水ひろゆき-s6u 尾張切り取りレースは今川の圧勝でしょ織田信秀時代から尾張に影響力浸透させている今川と美濃安定から始めないといけない武田とでは今川が有利すぎるそれに義元健在で今川と武田が戦端開いたら今川が上杉に小笠原再興名分の働きかけすることもできるそれやられて南信濃不安定にされたら武田は尾張制圧どころではなくなるだろうね……あるいは武田主力を濃尾に誘い込んだ上で東美濃国人衆を寝返らせれば三増峠の北条宜しく山地で挟撃に持ち込んで武田大打撃の可能性も等々考えると早い段階での西進が武田有利の正解だったかは一概には決めつけられないななんか今川義元の存在の大きさを確認したような話になってきたが
これもほとんど全員の武将に当てハマリますよ…親は偉大であり、遺書もなく死んだら子は全員悩みますよ…最近ネタ切れなのか、無理矢理作った苦しいトップ5ばかりで歴史の話からズレまくりで残念です…
もうこんな嘘ばかりはいいです。もっと勉強して下さい武田家の後継ぎは勝頼ではないですよ。
陣代説と当主説で今だに論戦になるけど当主の力持ってたのは勝頼でしょ
陳代説は甲陽軍艦史観という話もあるけれども…信玄は義昭に頼んで勝頼の大膳大夫任官を目指してたんだっけ?
勝頼はあくまでも後見人信玄の遺言では勝頼の子信玄の孫が武田家の後継ぎ
形式はどうあれ信玄死後甲州征伐による滅亡まで当主の力を行使できたのは勝頼だけその形式は守っていて甲州征伐以前に信勝は正式に武田当主の座についてはいるが弱年過ぎてまだまだ勝頼無しではやっていけなかった状態でオーバーキル食らって滅亡だがちょっと煩雑な話になるまぁ娯楽寄りチャンネルなら多少甘めでも目をつむれるが学術方面だと文句つけられても仕方ないか
@@久米幹雄 武田研究的には甲陽軍艦出典だし疑問視されてたりするよって話では?
今川氏真はなんだかんだ生き残れただけで凄いと思います
でも早雲が天国で悲しんでるやろね
子孫が吉良上野介なのがアレ
日本版劉禅www
@@勇者ヒロユキ ということは綱憲以降の上杉家当主も子孫か。あの名君の鷹山公も。
@@yh6146
そうですねただ鷹山公は遠い親戚からの婿養子
秀吉さん『親ガチャ?何それ?』
やっぱり、さおりちゃんは聞きやすいし癒されるし最高でござる🎵
さおりさんありがとうございます。お疲れさまです。♥♥♥
先代が自分亡き後を見越した体制固めをしなかった上、秀頼の場合は幼いうちに滅亡へのレールが敷かれてしまっていたわけ。生き残るとしたら氏真方式しか無かったろう。
義信廃嫡の時点で詰んでたのかも
義信の同母弟が盲目で無かったら良かった。盲目だったけど子どもがいたから子孫が徳川幕府高家になっている。
お店も人生も店じまいの仕方が大事ですね
武田晴信を誉め称える人が意味分からないと自分が思う理由
神君家康公に勝ってるから徳川幕府が持ち上げまくったんでしょ
結構強引だよね外政とか
氏真が生き残れたのは、軍才や野心がないから、生かしておいても害にならない、って見られていたからなんだろうなーと勝手に思っている。
一応、徳川さんからしたら元主君筋ではあるし
秀頼はある意味謎の多い武将なので
なんとも言えませんぬ
武田勝頼は生まれた時からハンディキャップがあり、可哀想。大きなハンディを抱えてよく信長に対抗したと思うよ。
勝頼さんは隣の相手が強大でしたから不運でした。
さおりさん、頑張って下さいねえ。
その通りですねえ。
長宗我部盛親もクローズアップして欲しかったです。
1番は秀頼でしょうね。非はなくレディ・ジェン・グレイのようなもの。
まぁ中世から近世の過渡期だからなぁという月並な感想をね
義昭は良くも悪くも次々と担いでくれる有力大名取っ替え引っ替えする室町将軍らしい
無能義昭
家督争いとは無縁だった北条5代は奇跡的ですね。
勝頼については信玄の遺命である「京に武田の旗を立てよ」というのもかなりの重しになってたのかなと思います。
情勢を鑑みれば、一度織田に臣従して息子の代を狙うという家康戦法の方が天下取りの可能性も高かったように思いますし、無理なら決起せずに一大名家として100万石級の名藩として存続できてたかもしれません。
長篠決戦を決定した遠因になっているように思います。
謙信も親父が散々やらかしてたから「義」を強調しないとヤバかったとか、
初代長尾為景が下剋上の雄だからな
二代目晴景は舐められてたし
更に山内上杉憲政は亡国寸前で
後継した景勝もクーデターで当主になったようなもんだし
毛利輝元「儂は?」
戦国最弱の武将と言われた小田氏治さんも15才で跡を継いだ時は、大変だったでしょうね~。その後も大変でしたが~(^o^;)
三好義継と長宗我部盛親は共に先代が精神状態がボロボロになり、家中が揉めている最中での家督相続だったのは不幸だと思います。
その両家は本来の後継者の早逝が惜しまれますね…
どちらも聡明であったと伝わってるようですし
それをいったら毛利輝元も波乱万丈だと思いますよ。
父親は早く亡くなり偉大な祖父のあとを継ぎ、これまた偉大な叔父のサポートはあったとしても相手は織田、豊臣、徳川の相手をして最後には両川の裏取引を知らず大坂城に入り大減俸なんですから。
勝頼は信玄公の負の遺産を抱え悲運。景勝側でなく景虎側について置けば…が、結末は同じだったかなぁ…
結果は大差ないと思います。
結局の所、信長に滅ぼされる運命ですね。
いっそ織田に臣従出来れば生き残れたかもしれないが中途半端に力があった(織田抜きで徳川だけが相手なら勝てる)からそうもいかなかったのも厳しかったな勝頼は
結論は信長が強くなり過ぎたと。
信玄存命中はそこまで織田は強くなかったが、信玄没後に謙信も没。
どんどん強くなって、信玄存命中と遜色なくても相対的に敵し得なくなってしまった。
信長の敵がいなくなっていって、武田は単独で戦うほかなくなり、結果滅ぼされた。
仮に北条、上杉と同盟しても、北条は様子見だし、上杉が援軍を出す余裕はなかっただろう。
先代が偉大すぎると、後継者は何かと先代と比較されて大変なストレスになったという。毛利輝元もそうだったとか。
輝元の父隆元も元就が頭抱える程のネガティブぶりで三矢訓戒状書いたのその為だとか
宗滴が死んだ後の朝倉義景も
今川氏実は桶狭間の、龍造寺正家も沖田畷の、北条氏直は小田原征伐の、数年前には家督を継いでおり、当主の急死による相続ではない。勝頼については晴信の死去が遠征先だったこともあり求心力の低下は仕方がないが彼が晴信亡きあと武田最大領土を数年持ち、長篠敗戦後も外交などをして北や東からの進攻を防げていたのだから能力が低かったわけではない。晴信の遺言が勝頼を孫の信勝16歳までの陣代だとした点が事実なら正式な後継者たる、自分の亡きあとの当主だと言わなかったことに滅亡の原因がある。勝頼が領土拡大した点は「陣代」すなわち戦闘継続中の当主の代理としてやった行動とも理解できる。陣代が甲斐に帰るまでを指していたなら、戻ったあとにすぐに家督を継げなかった理由はいったん武田を出た人間、という回りからの侮りが強く、これも晴信が原因になる。だとすると、自分が遠征先で死ぬことを半ばわかっていながら遠征し、問題を残して死んだ晴信が優秀だったのかという点のほうに疑問符がつく。
ん~この中で家を江戸時代まで残したのは氏真だけだから。ある意味成功か?
景勝・・・
@@abcdefgghcnok 忘れてました(T_T)影が薄くてf(^_^)
武田も大名としては滅亡したけど、勝頼の兄の子孫が徳川幕府の高家になったし、弟が上杉の家臣として生き延びた。
@@yh6146 ええ、本家(信勝)は勝頼公と腹切ったので途絶えて。信玄公の次男の家計と梅雪から養子、徳川から最終的に養子は出しましたねぇ!信長の家計も信雄ですし。景勝公の家計も。でも吉良は今川の家ですから江戸後期までは今川の直流残せた氏真は凄いと。桃山時代も生きていましたし。
@@xjcity 実際の今川家の滅亡は明治。明治維新で没落して後継ぎに先立たれた最後の当主が亡くなって断絶した。
上杉憲政が北条よりだったのが意味がわからない
次三男に生まれて、「次男以下は家臣」の伝統の下、他家の養子に入ってたのに、実家に呼び戻されて日本最大の差別・出戻り差別が強い状況で実家を継ぐと「番代」「守護代」扱いで正式に当主扱いされず、先代当主の後見がない限りは大体は弱体化・滅亡してたのが相場でそういう傾向は江戸時代中期まで残ってた
そこら辺が顕著に出てた島津勝久と島津義弘の違い
足利義昭の場合は織田信長だけでなく、近衛家とも折り合い悪く、摂関家と縁戚関係がない上に、「室町幕府がなくても朝廷は何とかなる状況」が定着してたのも一因
豊臣秀頼は公卿なのか、武家なのかが中途半端で実質「最後にして最大の戦国国司」だったのも滅亡の一因
足利将軍家など、初代将軍の「ツケ」に15代義昭まで悩まされ続けたな(^^;)
氏真と勝頼は
信玄に人生を
めちゃくちゃにされ
両者は従兄弟同士
爺ちゃんの信虎は
名君だった評価も
あるので
爺ちゃんの陰にも
悩まされたのかも
大内、土佐一条、飫肥伊東、大友(と島津勝久)も親戚同士で没落組だった
確かに一応戦経験して伊達政宗と同世代の羽柴秀次の方がマシだと
家康の嫡男松平信康健在なら。
羽柴秀次対徳川信康で天下分け目見たかったが
羽柴秀次が生きていたら、そのまま徳川家は信康が生きていても臣従したままだったんじゃないかなぁ。
秀忠も秀康もかなり近かったし。
ついでに信雄も…
そう考えると、徳川家康は偉大だと思います。
今川家は、当主が代々不審な死に方をしてますね
一時嫡男徳川信康が粛清されて大ピンチだったけど乗り越えたな。
ほんとに家康は偉大だな
松平家も代々不審な死に方してるのに
@@brigabiergerarb513 祖父と父親は若くして家臣に殺された。
@@corjioono7463 信康を切腹させたけど、家康が長いしたから。実際に家康が若くして亡くなったら徳川は滅んでいた。
徳川家康影武者伝説……
義昭は愚鈍どころかイヤらしいって感じだなぁ。
秀頼は・・・父親 (仮) は天下人という意味で "SSR" だと思うけど、もう一方は・・・・・・
"R" どころか "大凶" って書いてありそうだよ・・・・・・
今の天皇家の血筋にも入っている
秀吉の姉方の方がある意味UR級の当たりだったな
秀吉も秀次事件てとんでもない負の遺産残してるし
家康は親ガチャ成功なのか失敗なのかよくわからない、家臣団は結構優秀だから成功なのか
信長の息子たち(u_u)
尼子晴久も
晴久の子義久の方が
晴久は尼子全盛期築いてるやり手
@@takazaki1824 元就も晴久存命時は結局尼子に勝てませんでしたからね
ゲームやけど信長の野望ではあの領土の信長勝てん😇
家康の孫越前家二代目忠直。父は二代将軍秀忠の兄で上杉押さえの任を果たした秀康、正室は秀忠娘勝姫。元服前秀康沒、家中騒動が絶えず苦悩する忠直。将軍家尾張家紀伊家の兄の制外の家の特権も次第に無くなり加賀藩に次ぐ75万石の越前藩は沒落。菊池寛の小説のモデルになっている。
某が一番乗りでござるぅ!
親云々を言うなら信長は親が斎藤に大敗して病死、家中の統一から初めなきゃいけなかったし、家康も祖父父二代に渡って家臣にやられて若死に衰微したお家再興から初めなきゃいけなかったし、武田の親が悪いよーはひいきの引き倒しでは?
信長 周りも似たり寄ったりの小勢力
家康 今川という頼れる当てがある
勝頼 国持大名複数との抗争引継ぎ
スタート時点の状態は相当違う
勝頼の生き延びる道かぁ…晴信が上杉や北条と時間を潰してたからなぁ…今川攻めなんて本当の無駄…最初から美濃方面に全力を集中していれば…
こんな状態で生き延びるには引き継いですぐに正式な権力を譲って、織田に臣従するしかなかったんじゃないかと思うよ。
織田弾正忠家は守護代ですらない武田から見りゃ下っ端の家、頭下げられるかねえ
まあ家格に拘れば無理ですね。
やはり晴信の政略と大戦略の無駄が最も痛い…北条方面と上杉方面は守勢に徹していれば(特に村上にある程度の領地を返して緩衝地帯とするなどしておけば)上杉はその大部分を関東に集中してたと思うし、斎藤の時代なら美濃も取れたと思う。
そこから当時の織田を制圧しておけば尾張という穀倉地帯が得られたのにね…
とっても残念だと思います。
@@清水ひろゆき-s6u 美濃は未だしも尾張に手を出したら今川が黙ってない
氏真がああいう顛末だったから舐められがちだが今川は元々武田より強い家
武田は今川義元存命中はひたすら低姿勢だったし無視して動こうものなら義信事件が史実より大規模になって収拾着かなくなる恐れもある
尾張に手を出さなくても六角朝倉三好が反武田で纏まったらそれ以上は苦しいし
後知恵で考えるほど武田の西進は楽じゃない
@@takazaki1824
美濃手に入れた後でやっと今川と対等ぐらいだと思っています。
その時点で織田の取り合いです。
松平が完全に今川配下になる直前までに美濃まで出られれば可能性はあったと思う。
確かに楽じゃないけど最初から今川と戦うとか、史実通り北条や上杉と戦うよりはよっぽどよっぽど可能性があったと思います。
さらに言えば晴信の代で近江まで行く必要はなかったでしょう。
@@清水ひろゆき-s6u 尾張切り取りレースは今川の圧勝でしょ
織田信秀時代から尾張に影響力浸透させている今川と美濃安定から始めないといけない武田とでは今川が有利すぎる
それに義元健在で今川と武田が戦端開いたら今川が上杉に小笠原再興名分の働きかけすることもできる
それやられて南信濃不安定にされたら武田は尾張制圧どころではなくなるだろうね……
あるいは武田主力を濃尾に誘い込んだ上で東美濃国人衆を寝返らせれば三増峠の北条宜しく山地で挟撃に持ち込んで武田大打撃の可能性も
等々考えると早い段階での西進が武田有利の正解だったかは一概には決めつけられないな
なんか今川義元の存在の大きさを確認したような話になってきたが
これもほとんど全員の武将に当てハマリますよ…
親は偉大であり、遺書もなく死んだら子は全員悩みますよ…
最近ネタ切れなのか、無理矢理作った苦しいトップ5ばかりで歴史の話からズレまくりで残念です…
もうこんな嘘ばかりはいいです。
もっと勉強して下さい
武田家の後継ぎは勝頼ではないですよ。
陣代説と当主説で今だに論戦になるけど当主の力持ってたのは勝頼でしょ
陳代説は甲陽軍艦史観という話もあるけれども…信玄は義昭に頼んで勝頼の大膳大夫任官を目指してたんだっけ?
勝頼はあくまでも後見人
信玄の遺言では勝頼の子
信玄の孫が武田家の後継ぎ
形式はどうあれ信玄死後甲州征伐による滅亡まで当主の力を行使できたのは勝頼だけ
その形式は守っていて甲州征伐以前に信勝は正式に武田当主の座についてはいるが弱年過ぎてまだまだ勝頼無しではやっていけなかった状態でオーバーキル食らって滅亡だがちょっと煩雑な話になる
まぁ娯楽寄りチャンネルなら多少甘めでも目をつむれるが学術方面だと文句つけられても仕方ないか
@@久米幹雄 武田研究的には甲陽軍艦出典だし疑問視されてたりするよって話では?