賛美「イエスのみ名に」(『讃美歌21』183)

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  • เผยแพร่เมื่อ 27 ต.ค. 2024
  • 新田キリスト教会3月の月間賛美、『讃美歌21』183「イエスのみ名に」の作詞者は、キャロライン・マリア・ノエルです。
    彼女は、40代半ばに大病にかかり、寝たきりになります。この自身の経験を通して、病弱な人や孤独な人に向け、信仰に基づく慰めの詩集を発刊します。その詩集の最初の詩が、「All the Name of Jesus(イエスのみ名において)」です。
    フィリピ2:1-11のみことばをもととして書かれたこの詩は、キリストが人となられ、十字架で罪を贖われ、復活により勝利をおさめられ、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて「イエスは主である」と告白する、スケールの大きな賛美です。イギリスの教会で広く愛唱され、日本でも『讃美歌第二編』13として収められ、賛美されてきました。
    まことに神であるイエス様は、へりくだられ、人となられ、神様と人に仕えられました。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため」(ヨハネ3:17)との父なる神様のみこころに従われた主は、罪人となって、十字架で死なれました。罪人である私たちの罪を赦すためです。
    低いものを高くされる神様は、十字架に至るまで従順であられたイエス様を高く上げられ、あらゆる名に勝ってあがめられるべき御名を与えられました。イエス様のみ名には、すべての人に与えられるべき救いと癒し、平安と希望があります。従順で正しいイエス様の十字架の死によって、そして、十字架の三日目の復活によって、イエス様を信じる人に、罪と死からの解放、永遠の命、天の御国が与えられます。
    『讃美歌21』183では割愛されていますが、『讃美歌第二編』13の5節の歌詞は、このように私たちに語ります。
     わがすべてを 主にささげ、
     罪と とがに 打ち勝ちて、
     悩みの日に 主を 覚え、
     御心にぞ 沿いまつらん。
    英語詞の後半にも、この『讃美歌第二編』の5節にあたる詩が見えます。病の人、孤独な人を慰めたいと願うノエルの思いが見えるようです。
    悩みや苦しみの時に、私たちは揺るぎ、涙を流し、立ち止まるでしょう。罪と死にさえ勝利される、復活して今も生きておられる王なるイエス様は、信じる者をみことばと御心によって慰め、力づよめ、治め、導いてくださいます。
    イエス様のみ名を何よりも高いものとしてほめたたえ、またみ名によって絶えず祈る人は、力と平安の主に支えられ、一歩、歩いていくでしょう
    イエス・キリストは、十字架で死なれ、復活なさいました。私たちを罪から救い、いのちを、主とともに生きる日々を与えるために。
    「ホサナ、主よ罪人の私をあわれんでください」との願いをもって、私たちを愛し、ゆるし、新たにされるイエス様を、私の主、私の王として、お迎えしましょう。
     
    人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。(フィリピ 2:7-9)

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