<記憶の光景>洞爺丸事故 取材カメラマン70年目の証言と洞爺丸台風海難写真集
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- เผยแพร่เมื่อ 9 พ.ย. 2024
- 洞爺丸事故。1954年(昭和29年)9月26日、台風15号が道南を直撃、大勢の乗客を乗せ函館港を出た青函連絡船の洞爺丸と貨物船4隻(日高丸、十勝丸、北見丸、第十一青函丸)が転覆した。死者、行方不明者あわせて1430人。北海道新聞社の書庫に「洞爺丸台風海難写真集」が保存されている。事故から27回忌にあたる1980年、当時の国鉄青函船舶鉄道管理局(青函局)が事件の記憶を末永くとどめ、その教訓を安全運航への絶え間ない努力の礎にしようと、手製の写真集を制作した。写真集には北海道新聞社が撮影、保存していた約2千枚の写真の中から156枚が使われる。事故発生時、取材した住吉洋三さんが写真集を見ながら、悲惨な当時の様子を語った。
私の小学生の担任は「七重浜で遺体の収容作業をした」と話していました。
事故当日、函館桟橋で保管してあった乗船名簿をある新聞社(M新聞と言われている)が無断で持ち出して乗船客の把握に支障をきたしたという出来事があったそうです。
写真撮っていたら怒られたとのことですが、その怒った方の気持ちも理解できますし、記録として残すことの重要性も理解できます。こういう大事件があったと、言い伝えで聴いても、イメージが人によって異なるでしょうし、やはり記録は必要かと。遺体の写真を加工されていますが、真実を伝えるためにも、敢えてそのまま公開するというのもありだと私は思います。
報道機関の乗船名簿持ち出しという事実も伝えないといかんのじゃないかな。
私が 生まれる 4年前の 事故でも 何故か知っていたり
中高でか 教師が言っていたか t.v.かどうか
私は 二十歳頃 独り旅 片道 羊蹄丸だったかなあ どうかなあ・・
報道の自由という柵を越せば報道の暴力知る自由と知りたくない自由はあるのかな名簿の持ち出しはよくはないまた写真はなくなられた人がどこに打ち上げられた証拠になるけどカメラマンさんの気持ちあるが被害者感情を考えると複雑であり警察の鑑識であれば証拠となる記録資料であつても意見は様々であり複雑でありますなくななられた方々のご冥福心からお祈りいたします