古城址再現「神奈川:津久井城」(神奈川県相模原市)
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- เผยแพร่เมื่อ 26 ธ.ค. 2024
- 関東に散在する古城・山城をマインクラフトを使い再現しています。国土地理院の基盤情報を基に1/1スケールで地形を作り、戦国時代の山城を構築しています。今回再現したのは、神奈川県相模原市にある津久井城です。
津久井城(神奈川県相模原市)
関東に散在する古城・山城をマインクラフトを使い再現しています。国土地理院の基盤情報を基に1/1スケールで地形を作り、戦国時代の山城を構築しています。今回再現したのは、神奈川県相模原市にある津久井城です。津久井城は、鎌倉時代に三浦党の筑井氏が築城し、戦国時代に北条氏が甲斐と小田原を結ぶ要所として本格的な城に改修しました。津久井城主は、内藤氏で津久井衆と呼ばれましたが、津久井の半分は武田氏の勢力下(小山田氏を盟主とする郡内衆)にあったため、半敵地とも呼ばれました。1590年(天正18年)の小田原征伐の際、徳川勢の平岩親吉らにより攻撃され6月25日に開城し、その後廃城となりました。
<ワールド・ダウンロード>
作成したマインクラフトのワールドは、以下のサイトで配布しています。
colerewith.net/
<動画BGM>
オープニング:akatsuki japan by SHW
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• Video
クロージング:New Me
今回も素晴らしい動画でした
如何に攻め昇るのが大変だったかよく分かります
戦国武将たちがこの動画を見たら「俺たちの時代に欲しかった!」と歯噛みすることでしょう😊
いつもコメントありがとうございます!通信手段も正確な地図もない時代に、よくぞ数千、数万の人を動かして戦なんてしていたものだ、といつも思います。実際に山城で急な崖を仰ぎ見ると、矢、鉄砲をかいくぐって進んだ昔の雑兵が信じられない思いです。
とても見やすいグラフィックでとても分かりやすいですね。
お城や戦国武将好きにはたまらない完成度のある動画おもしろかったです
コメントありがとうございます!津久井衆は国境のグレーゾーン独特のバランス感覚で存在感を出しており、とても魅力を感じます。これからも一つずつ山城を再現していきますので、よろしければ次回作も御覧になってください。
とても勉強になりました。元気な時には、圏央道の脇の登山道から入り、山の中に張り巡らされた道をアチコチと何周も回りました。立派な杉の大木が落雷で消失したのが残念です。珍しい種類のヒノキ林がダム側にあり、自然環境にも特徴があり、手軽で面白い山ですね。
コメントありがとうございます!男坂は結構勾配がきつく、自分の歳ではかなり息がきれました。山頂付近の迂回ルートは、張り巡らされていて、動画では紹介できませんでしたが、いろいろ見て回りました。ダム側の方が自然が残っていて、また城の険しさもわかって、個人的には楽しかったです。
素晴らしいですね!マイクラで築城するのは結構難しいと思うのですが、ここまでの再現度、流石です👍
コメントありがとうございます!励みになります。マインクラフトならではの再現ができれば、と思っていますので、もしよろしければ、次回作も見に来てください。
す、すごい
コメントありがとうございます!!励みになります!
マイクラで再現ご苦労様です~いつかワイの一押しの山城音羽城も・・・・
コメントありがとうございます!勉強不足で詳細を知りませんでした。蒲生氏の城ですね。石垣や抜け穴?もあると書かれていて興味がわきます!一つずつコツコツ作っていきますので、もしよろしければ次回作も御覧になってください。
陣屋の遠縁にあたる者です。
津久井城を紹介してもらい、とても嬉しいです。
子供の時に遠足等で散々登った城山ですが、また久しぶりに行きたくなりました。
魅力的に紹介してもらい、有り難いです。
コメントありがとうございます!ご縁者の方に動画を観ていただき嬉しいです。登山としても楽しい城山でした。もし宜しければ他の動画もぜひご覧になっていってください。
同じく陣屋の親戚の者です。
研修棟の建物を見ると、陣屋の母屋を思い出します。
研修棟西側の和室二間は、当時の陣屋母屋の奥の間を再現しています。
みーとぱいさんも、研修棟へ行ってらしてください。
陣屋母屋の北側に積まれていた石垣は、武田式と呼ばれていた積み方だったそうです。
北条方に属してはいたものの、武田との交流もあったのでしょうね。
コメントありがとうございます!研修棟の方は行きそびれてしまいました。時々近くに行きますので、改めて見に行きたいと思います。戦国時代の石垣は後年江戸にさしかかる時期の綺麗な積み方と違いますが、実戦のリアルさがとても好きです。
分かってはいましたが、現在の城跡は雑木林と崩落痕で台無しになってますね。
このマイクラ再現ぐらい整備してくれたら、山中城みたいな観光資源になると思うんですが、もったいない笑
いつもコメントありがとうございます!古城址公園をまわって感じるのは、同じく「もったいないな」という気持ちです。日本の城は海外とも異なり、とてもユニークなので、整備していろいろな人に楽しんでほしいです。
地理的な情報と3Dによる地形の状況がすごくわかりやすいです。 見せ方がうまいね。
コメントありがとうございます!励み成ります。引き続き一つずつ城を再現していきますので、もし宜しければ、次作なども御覧になってみてください。
寝小屋の地域名の意味初めて知りました
コメントありがとうございました!根小屋という地名は日本各地にあるようですね。群馬県には同名の駅もあるみたいです。
非常に丁寧に作成されていますね。また、視聴しても分かりやすく、城好きには、面白いです。
ありがとうございます。
これからも、沢山の城を紹介して下さい(笑)
コメントありがとうございます!できる限り分かりやすいように、と思っていましたので、このようにご評価いただけると本当に嬉しいです。励みにしてコツコツ城を再現していきますので、また宜しければ別の動画も見に来てください。
当時の景観って、こーだったんですね、大雨で土砂崩れしないか、めちゃ気になる
コメントありがとうございます!中世の山城は、城郭部分の木をすべて切っていたそうです。土がむき出しになるので雨で崩れることもあり、急こう配の部分には石垣を組むようになったのかと思います。
多々勢に見易く解り易い作りと思われます.
30年以上住む街に"土気城"並びに周囲状城砦群の痕跡が残ります.
是非こちらで採り上げ動画を作って貰いたいと思います.
コメントありがとうございます!土気城、上総国の城ですね。勉強不足でほとんど知識がありませんでした。かなり古くからある城で、切り通しも本当に見事で、非常に興味がわきます。しかも家から電車で行ける距離ですので、一度ぜひ見に行きたいと思います!
@@fusamichi 是非お願いします.
綱成が布陣していた辺りの、
さがみの霊園に、
以前、墓地が有りましたので、
とても興味深く拝見しました。
至近に、上三増バス停や、三増トンネル等、有りますが、
読み方は、ミマス・ミマシ・ミマセ、、、
時代や世代で別れる様ですね。
因みに郵便では「ミマセ」の様です。
あと、三増トンネルは、
諸々な逸話が有るそうですね。😱
コメントありがとうございます!三増峠の戦いが背景となって、三増トンネルにはいろいろ噂がありますね。八王子城や周辺(近くにある圏央道の高尾山インター付近)にも同様の噂があります。古戦場や古城址にはありがちなのかもしれません。
麓の畑の道路そばに首塚が有って古戦場だった歴史を物語っているんですよね~
コメントありがとうございます!激戦のあった城の周囲には首塚や耳塚とよばれる所が散見されますね。ご指摘の通り、まさに古戦場という感じがします。八王子城の場合、現在の元八王子付近にそう呼ばれる場所があるようです。
やっぱりかなり登山な感じの道なんですね。
とても参考になって楽しかったです。
コメントありがとうございます!直登の男坂はちょっとキツめです。下りは女坂を歩いてみましたが、山を半周する感じで、結構時間がかかりました。秋は紅葉もキレイでお勧めです。
津久井城と小松城の中間位に住んでいるものです。自分で見にいった地元近隣の史跡をこうして詳しく紹介して頂けるのはとても有難いです。
小松城跡の山道を下り、小松川沿いを進んで境川を目指すと、広田という所に下馬梅という小さな史跡(梅の木)があります。
八王子城落城の伝令が津久井を目指し、そこで津久井城の落城を聞いて鞭として代用していた梅の枝を指したら根付いた、という逸話があるらしいです。
コメントありがとうございます!実際に近くにお住いの方から観ていただけるのは、本当に嬉しいです。伝承の下馬梅は、ロマンを感じますし、八王子城落城とほぼ同時期だったのでリアルさも感じます。いずれぜひ見てみたいです。
解りやすく素晴らしい内容です。大好きな後北條氏の城なのでいつか行ってみたいです。
コメントありがとうございます!私も後北条氏の土の城が好きで、ジワジワ再現しています。もしよろしければ、また別の城動画を観に来てください。
@@fusamichi さん
是非とも見させてもらいます(登録させてもらいました!)。地元房総の本佐倉城、臼井城、久留里城、万木城、など…いつか再現されたら嬉しいです!
返信おそくなりました。ご登録ありがとうございます。嬉しいてす!佐倉城は近くトライしたいと思っていました。他の城もコツコツと作っていきたいと思いますので、時折ご覧になっていただけると幸いです。
素晴らしい動画をありがとうございます。
行政が制作した公式のプロモーション動画かと思うほど、解説も映像も大変分かりやすかったです。
この動画を参考に、近々行ってみようと思います。
他の動画も拝見させて頂きますね(*^^*)
コメントありがとうございます!動画を見て実際に、、というのは本当に嬉しいです。山城の魅力はやはり何と言っても現場で見ることだと思いますので、ぜひ楽しんでいらして下さい。
数年前の初夏にビーチサンダルで軽いトレッキング気分で登りました。
薮漕ぎの先に津久井城址の石碑が表れ殆ど這うように登る所が数か所あり、この様な場所で戦えるのが信じられなかった。
コメントありがとうございます!城というだけあって勾配も急で登るのが大変ですよね。甲冑や武器を持って登るだけでも大変はのに、上から矢や石が飛んでくるわけですから、本当に攻め手の兵達すごい・・・と思います。
今松代行きたいなぁと思ってます海津城見てみたいです
コメントありがとうございます!信濃(特に北信濃)はあまり足を運んだことが無く、長沼城や上田城も含めて一度見に行きたいものです。川中島の戦いはいろいろ学説が出ているようですが、きつつき戦法の話がはやり好きです。
有難うございます
コメントありがとうございます!励みになります。
昔の人は体力的に違うのかね。凄すぎ
コメントありがとうございます!移動にしても、城の建設にしても、かつては全て人力だけに頼っていたのが信じられない程です。特に後北条氏の城では、大規模な空堀が多く、鍬だけでよくぞ、、と思います。
根小屋の地名今も残ってますね。
コメントありがとうございます!全国各地に「根小屋」の名前がつく地名が点在しているようです。津久井の根小屋は、現在「相模原市津久井町根小屋」になっているのですね(緑区)。
内藤氏って田代城の系統だけ残っています。ただお寺が消失して古い記録がなくなってしまったらしいですけど。まだギリギリ古い風習も残っているのでは?
コメントありがとうございます!田代城系は、内藤秀勝の子孫になるのですね。勉強不足でここは初めて知った次第です。津久井城の支城だったようですが、三増峠の戦いでも出てくるし、興味がとてもわきます。
他の城にも言える事ですが岩殿山みたいな岩盤剥き出しでもない限り木を切ってしまったら見晴らしと引き換えに雨の度にしょっちゅう土砂崩れが起きそうな気がするのですが当時はどうしてたんですかね?
コメントありがとうございます!城が機能している間は、定期的に堀に流れた土を人力で上げ直すメンテナンスが有ったと思います。また、戦が近くなると、準備として堀を高くするなどの作業があったようです。戦国も後期になると、石垣で崩れを抑えるようなったのだと思います。
こんな地形で重い甲冑をつけて命がけの戦闘は大変だったのが偲ばれる。
コメントありがとうございます!軽装、ほぼ手ぶらでも登るのがしんどかったです。甲冑を着て、頭上から矢、石が降ってくる中、駆け上っていくのですから、本当に想像を絶します。。
地元民です。CGと現場の動画が組み合わされてたいへん分かりやすい素晴らしい動画でした。ありがとうございました。ただ一つ、言葉遣いですが「・・・となっています」(例えば「素晴らしい城址公園となっています」)は「・・・です」でいいのではないでしょうか?全編にわたり「なります」「なっています」「なっていました」が頻発され聞きにくい感じでした。
コメントありがとうございます!自分も比較的近場ですので、一度は行ってみたいとおもっていた城でした。ナレーションのセリフ、アドバイスありがとうございます。確かに、と思いました。今作成している動画がちょうどセリフを考えるところでしたので、早速改善してみます。
興味深く視聴させていただきました。
これからも楽しみにしております。
一つ残念なのは、BGMの音量が大きいので、聞きづらくお話に集中出来ない箇所がありました。
少しご配慮頂けるともっと楽しむことができると思います。
コメントありがとうございます!とても励みなります!音量のアドバイスもありがとうございます。修正、改善していきたいと思います。
夜も見張りとかいたんでしょうかね。隣の城から攻めてくるなんて現代の日本では考えられない。
コメントありがとうございます!隣の村、隣の領国といった外の感覚は、今とは比べ物にならないと思いますが、そんな場所から攻めてくるという状況は尚更ですね。もちろん見張りや狼煙台といった警戒システムが有ったと思いますが、本当に大変だったと想像します。。
この山城の山頂からダムの堰堤に至る東斜面の物凄いがけ地には、もちろん未成線ですが、相模川右岸を走ってきた県道511号線の線引きのみされた道路部分があります(道路調書という図上だけで実際は小道もなく都市計画道路にもなっていませんが、相模原の認定路線網図には記載があります。)。圏央道が出来た今、これを作る意味はないので、永遠にダムまではつながらないとは思いますが。
コメントありがとうございます!知りませんでしたが511号線は新小倉橋の下を通って、こだまプールの横を通る道につながっている感じでしょうか。こだまプールの前にある相模川岸のキャプ場には随分前に行った事がりますが、プール横の道ですね。この道はダムの前で切れていますが、、これが延びる予定だったのでしょうか。
旧町名の城山町も関係あるんですかね?
コメントありがとうございます!城山町という名前は全国に散在していますが、多くが近くに城があると思います。他にも、「大手」「大丸」「小丸」「二の丸」「三の丸」「中丸」などの名前は城にちなんだものであることが多いようです。
兵庫県朝来市にある「天空の城 竹田城」を再現して下さい
コメントありがとうございます!竹田城をマインクラフトで再現して、雲を出して雲海の上に浮かべたら最高ですね。ぜひトライしてみたいと思います!
津久井湖しごとでいったとき・オヤ・・・・と車止めて、史跡案内・みたら・山城。Σ(・□・;)・そこからいつか真相をしたいと・漠然とおもってましたが、ここに出会えて・感謝です。スッキリしました(*^-^*)
コメントありがとうございます!ご興味にミートしたとお聞きし、動画を作った甲斐がありました。山城跡(古城址)は思いもよらない場所にあって、学校の裏山が山城だったり、職場の近くに実は小さい砦跡があったりとか、そうしたところに楽しいです。
津久井湖の駐車場には何度か行って山城跡だとは知ってました。ただ、下から見ても木々がうっそうと茂ってる山で登る魅力を感じませんでした。
マイクラ再現のように、当時は木々も伐採されていたんでしょうかね?
そんなふうに当時の様子で今も整備してくれていたら、登ってみる気になるのに😅
コメントありがとうございます!戦国時代の山城では、曲輪の周囲の木を伐っていたようです。見通しを良くすることと、攻め手が隠れることがないようにするためです。当時のように再現されると、山城の魅力ももっと増しますね。ただ、木を完全に伐採している城址公園はかなり限られそうです。
津久井城を落城したのは本多忠勝ですが、津久井に本多、本田の苗字の家が多数あり現在農業を生業として昔の記録は残っていないのですが、面白いことに家紋が本多忠勝と同じ立葵(たちあおい)です。葵の家紋を用いることは江戸時代そう簡単ではないことを考えると、本多忠勝の縁者がそのまま津久井に住み着いたとも考えられるわけです。
コメントありがとうございます!家紋は思いもよらない歴史のつながりを示すのでとても興味がわきます。少しだけ調べてみましたが、津久井城と本多氏のつながりは見当たりませんでした。もう少し調べてみたいです。落城後に代官として入った彦坂元正は、大久保長安、伊奈忠次など並ぶ行政に力を発揮した武将のようですが、家紋は違う様でした(左三つ巴?)。
@@fusamichiそれではもう1つ、立葵を家紋にしているのは他には長野県にある有名な善光寺です。善光寺は真田家にゆかりあるお寺ですが、本多忠勝は娘の小松姫を真田昌幸の長男の嫁にしており、ここで本多忠勝と善光寺の不思議な家紋つながりがあります。そして真田家は猿飛佐助のモデルとなった忍術を持っており、本多忠勝もただの豪傑でなく表の世界に出てこないような働きがあったかも知れませんね。
善光寺~真田昌幸~本多忠勝、のつながりは想像できませんでした。関ケ原の後、忠勝が家康に真田父子の除名嘆願を行ったのは有名ですが、善行寺にまでは思いもよらなかったです。こうした話は歴史好きにはたまらないですね。
本多家は相模原の当麻に多いですよ! 旧昭和橋の近辺です。
小田原から八王子へつながる山城の一角だ
コメントありがとうございます!今では少し山間になりますが、津久井の土地は甲斐、武蔵、相模の参加国が交わる重要な拠点だったと思います。この一帯はご指摘の通り山城がたくさんあって、城好きにはたまらない地域です。
@@fusamichi武蔵相模の大大名だった後北条氏の底力が見えますね。小田原から八王子まで山城で連なっていたというのが本当なのかと思いますが小田原から現在の厚木の山側を通ってくれば甲斐国がそばです相模湖津久井湖に宮ヶ瀬ダムが隣接してます。古河公方関東管領という旧来の権威が上州には残っていて源氏の本拠です古河公方の家臣が太田道灌で江戸城を建造してます。北関東東北に勢力を持っていた蝦夷を警戒して江戸の地は東海道を守る拠点として作られたのでしょう頼朝が鎌倉に幕府を開いたのも同じ理由だったのでしょう。源氏が関東に多いのもそのためだと思ってます。常陸国の佐竹安房国の里見も新田系の源氏です。頼朝を支えた執権北条氏は桓武平氏です平安期の武士団が関東には揃ってあるのは蝦夷対応で坂上田村麻呂が征夷大将軍として上州に征伐に来たのが源氏と関東の繋がりの始まりでしょうね小田原から八王子まで後北条氏が押さえたのもその後古いしきたりに則ったのだと思います。北条氏照が後北条氏の最後の輝きを八王子🏯滝山城で見せますが上杉や前田の力攻めで犠牲者の亜血液が川となって浅川や多摩川に注いだという話が伝わっています。八王子在住です滝山城のそばに住んでます
北条氏の最大版図は200万石を越えているそうで、武田や上杉よりも大きく、さすがの底力だと思います。それが逆に太閤秀吉に目を付けられる背景になっていたかもしれません。今の関東には北条氏が築いた都市や街道が残っているものが多いですね。滝山城の近くにお住いなのは(山城好きとしては)うらやましいです。
昔登ったんですが、随分木々が生えて見晴らし悪くなってますね。行政には景観伐採してほしいところ。
コメントありがとうございます!最近登ったのですが、かつては更に見晴らしがよかったのですね。鷹射場からは本当に見晴らしがよく、また天気も良かったので、気持ちよく城巡りすることができました。
戦国時代の山城って本当によく出来てる^_^
当時の朝鮮とかなら絶対に落とせないだろう
(^_^;)
まぁ当時の朝鮮は海を渡る事も出来ずに降伏したんだけどね(^_^;)
今の自衛隊が海軍に力を入れる意味をお隣国人は分からないだろうけどね(^_^;)
陸軍が10倍いようが渡らなければ意味がない(^_^;)
コメントありがとうございます!小田原征伐後の秀吉が動員できた兵力は20〜30万人位で、当時世界でも屈指の規模だったようです。また同様に当時世界の鉄砲の半数以上を日本が保有していたということなので、守る城もかなりのものだったと思います。
昔、城山町と相模湖町に住んでいましたが、津久井の歴史を初めて観させて頂きました。
城山の山頂にお城があっと言うことは知っていましたが、過去に登ったこともなくどこから登れば良いのか
さえ知りませんでした。また寝小屋の意味も津久井浜の意味も教えてもらった気がします。
私が城山町の中で知っているのは ”小松、小沢、寝小屋経由、奥牧野”など、神奈中バスの終点になっている場所です。
すでに廃線になっている路線もあったりします。もともと乗客が少ない路線であり一日に朝、昼、夜しか無い
路線もありますね。
コメントありがとうございます!近くの道を車で走っているときも、とても存在感のある城だなぁ、と思っていました。地名や歴史の逸話が分かると、より郷土に興味がわいて楽しいですね。