ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
晩節で迷走だが、一時期は本当に無双。運もいい。とくに私は政治家、土木エンジニア面を評価したい。黒幕説は採らないけど、大返し→清須会議の仕切りは邪推されそうな神業です。
日本史戦国の秀吉好きで事の流れからずっと本能寺の裏に秀吉関係しているはずと思っていました‼️
はじめて拝見しました。都市伝説系と違い言い切らず、少し距離を置いたわかりやすい解説ときれいな字と先生のキャラに惹かれてch登録させて頂きました。
光秀が秀吉と組んでいたら諸将への手紙に「秀吉も味方だよ!」って大々的に書くよねえ。それで味方の増え方が大分違うんだし。光秀が秀吉の事に何も触れない時点で秀吉とは何の関係もないと思わざるをえないかと、、、
そうですよね。他の方の受け売りですが秀吉黒幕説は丹羽長秀と織田信孝の軍勢が変を知って逃げ出しちゃったことをまったく無視した説です。つまり本来ならこの二人がまず明智軍と衝突したはずで、賊軍を一番先に討って天下人へ・・・は成り立たないことになります。
BSでたまたま見た番組では「秀吉は信長のご機嫌を取ることを常に考えていた」から戦争中であっても本能寺までマメに間者を走らせて信長の状況を探らせていたらしいから本能寺の変に早く気がついた、みたいな説でして、それはそれで秀吉らしいなと感じました。
秀吉のもっともすごい能力は「ひとたらし」。あの信長さえたらされた。家康もたらされた。家臣にすごいのがそろっているのもこの能力のおかげだと思う。心理学者が研究してほしい人材である。
そういう所がサイコパスっぽく感じる。やはり、黒幕は秀吉か
いつも、ホワイトボードの文字に惚れ惚れしています。これからもよろしくお願いします。
あっちゃんをリスペクトした話し方ですね!凄くわかりやすかった
わかりやすいな~~!
信長に援軍を要請した理由が、信長に毛利のトドメを刺させるためだった(秀吉のヨイショ)と聞いたことがあります。街道は信長の援軍が気持ちよく行軍してもらうためにあらゆる面で整備されていたと思います。秀吉のことですから大軍用の休憩所はもちろん、随所に気遣いを施し万難を排して信長に御越しいただこうとしていたに違いありません。その整備されまくった街道を秀吉の軍が使用したとすれば7日での帰還も夢では無いのではないでしょうか。
17:30 鎧とか武器は別送でしょ?
毎回動画を楽しみに見てます。秀吉公は誰かが謀反を起こすとおもっていたのでは。信長公は何回か謀反を起こされてるから織田家の家中からも出るだろうと。その時は京都の近くで何があっても良い備えはしていたのでは?秀吉公の中では家康公や光秀公など誰かがやるだろうと。それが光秀公だった。
夢があっていいですね!
1:03武士道さん、「なんやかんやありまして」って言ってますね。「どうする家康」の伝説的(!)ナレーション、3年前に先取りしてたんですね。
偽情報流すところは凄いなと思う信長生きてる事考えたら光秀側にはつけないよね…
私は歩きで四国遍路をしたことがあるのですが、後半は毎日30キロ前後歩いていました。テントや米重い荷物を背負ってです。他の人でもっと歩く人も沢山いましたし40キロ歩いている人もいました。思うに昔乗り物が無かった時代は尚更歩ける人は多かったと思います。昔行ったインドの山の民は驚くほど早く、ついていけなかった程です。やはり途中明智からの手紙を読む機会を得た秀吉の話に人生の(宇宙の)不思議を感じます。
最初に秀吉黒幕説を知ったのが妖刀伝って古いアニメでその受け売りで大学の教授に話をしたらめっちゃ食いついてきたの思い出しましたw
秀吉の中国大返しって、別に奇跡でも何でもなくて、当時の織田家の兵站の補給網を考慮すると可能な範囲なんだよな。秀吉はそれを利用したに過ぎない。
光秀に対し何らかの不安があり、諜報員を張り付かせていたと思う。その自らの諜報員の情報だから信じて帰還した。忍びが間違って秀吉陣営に行って、なおかつ情報を鵜呑みにして帰還したわけではないと考えてるのが妥当かなと。
私もそう思います。すべては秀吉の描いた壮大なシナリオに沿って歴史が進行したと思います。
その諜報員の主力が千利休だったという説が近年浮上しております。
大返しは全軍を率いたわけでなくごく一部の主力だけを率いて帰ってきたらしいですね。山崎の戦いの主力は大阪の軍勢だったらしいです。
騎馬兵だけみたいですね。
中国大返しをしたとはいえ、山崎の戦いに間に合わなかった兵士も多かったようですね。本当に秀吉が黒幕だったらもうちょっと準備していたと思います。
疑われないようにわざとそうしたんでしょ用意周到すぎたら怪しまれる
話し方や効果音が面白いので楽しく拝見させてもらいました。で、気が付いたことを二つ、一つは今回の話とは少しずれる話。墨俣一夜城のところで蜂須賀小六が出てくるが、蜂須賀小六はこの時点で野武士の集団で一種の野盗のたぐいのようにして太閤記等でイメージされるがこの人はなかなかの知恵者で墨俣一夜城もこの人の作戦ともいわれる。後に秀吉の軍師と言われる竹中半兵衛や黒田官兵衛が有名であるが半兵衛がなくなり官兵衛がとらえられていた期間などには蜂須賀小六が軍師として動いていたようだ。徳島の蜂須賀家の所領も上手く治めており小六の手腕がみられる。 二つ目はこの動画のテーマである本能寺の黒幕の話だが、 その前に安土における家康の信長表敬訪問時の家康接待宴会時の話からこの時の様子を後世描かれた絵をもとにまるでその時その場に居合わせた画家が描いたのように、歴史学者の方も光秀の信長に対する怨念説の根拠のようにして説明しているがあくまで後世に逸話をもとに描かれたものに過ぎないのではないかと思うがどうかな。本当に言いたいことはそこではなく、この時家康の接待は非常に重要なものであったはずで織田家により家康の父親は討たれ、信長の命令もあり家康の妻と長男が死去する流れとなり、徳川家と織田家の関係が微妙な時期となっており家康に敵対されると浅井・朝倉の戦い以上の戦いになることになり東の関東武家団の抑えがいなくなり、滝川軍の東征や柴田軍の北征も上手くいかなく可能性もあった。そんな時期、天下統一後の将来の行方を頭首に問う声もあり主な家来が集まった席で信長から今後の方針の一端の話があったんだと思う。であれば、光秀が言ったとされる「苦労のかいがありました。」という言葉に近いものがあったとしても不思議ではない。腐った魚の話が出てくるがそれは多分「鮒ずし」の事ではないか言われているが多分そうであろうと思われる。安土は琵琶湖の沿岸であり古くからあった「鮒ずし」は地元では御馳走の一つであったと思われる知者であった光秀は近江地方の御馳走の一つとして出したんだと思われるが地元の人間ではなく御世辞等とは縁遠い無骨物揃いの家康の配下の武将から魚が腐っているとの声が上がったんだろうね、信長はその様子をみて接待する対象の家康に恥をかかせないために自分の配下である光秀を𠮟りつけたんだろうね(光秀は賢いから家康に恥をかかせないための信長の行動だとわかってくれるだろうと思い、本当は悪くもない光秀を叱っているという事を)でも、周りの反応は信長が予想した物とは異なった反応となった。更にはこの席で今後の事を話した内容も部下達にも上手く理解してもらえなかった。この時頭の回転の速い秀吉は近い将来起きるであろう謀反を予想したんだろうね。別に自分が謀反者のそしりを受けなくとも家臣内で誰かが謀反を起こすとね。で、用心深い秀吉はその日を想定して主な家臣に手を打ったんだろうね。で、自分以外のもので謀反を起こしそうなのはと考えると光秀か丹羽、信長の息子たち、九龍家とか筒井とか高山、中川、細川など何人か思い浮かぶが信長を討ったのちの事まで考慮すると動けるのは何人しかいないとまで秀吉は読み光秀か他家では家康が怪しいと睨んだろうね。 で、秀吉の大返しに繋がると思うんだね。だから、秀吉は黒幕じゃないと思うが、信長が討たれることを止もしなかったんだろうね。
今浜➡長浜になったのか~。長浜の長は信長の長!?目から鱗(が落ちる)
歴史探偵で船でいっている可能性があるよ
46歳で、中国大返しか~、今でもすごい!
秀吉は備中高松から山崎までの移動は、律速になる兵士の鎧や刀や装備品は全て脱がせて丸裸にして別送りしたとか。
ブシドーさんは既にチェック済みでしょうが、渡邊大門先生の清洲会議は気になりますね。副題がまんま気になります。
徳川秀忠「中国…ハァハァ…大返しって…ハァハァ… ……言うほど…ハァハァ…早く……ないよね?」
本能寺の変については、いろんな説がありますが、秀吉黒幕説は奈良大学の千田嘉博先生や安土城考古博物館の高木叙子先生が明確に否定されていますよね。特に、中国大返しについては、信長のための軍道と御座所を利用したので、そこまで難しくなかったという説は有名ですね。これは、千田先生やその教え子の皆さんによる、御座所の発掘調査から明らかになっています。あと、秀吉の後方支援部隊として石田三成がいたので、情報収集もいち早く行えたと思います。そもそも、北陸に出兵していた柴田勝家も、情報を入手してから10日で近江まで返っているので、事前の街道整備と情報収集さえしっかりしている人が光秀討伐一番乗りになるのは当たり前です。もし、柴田勝家が一番乗りだったら、「勝家黒幕説」になるんでしょうかね(笑)
織田家に対するその後の処遇を見ると黒幕説もあながちとんでも説とは思えなくなる。
秀吉が大返しをする際に、小早川隆景が毛利の旗指物を秀吉に渡したという逸話があるね。明智軍は秀吉軍の陣地に毛利の旗が立っていることに、とても驚いたそうな。
秀吉は光秀が謀叛起こすのは想定内だったのは間違いないが黒幕では無いでしょうね。山崎の戦い~清洲会議あたりは官兵衛さんの策謀ては?本来策士は表に出て来ないし秀吉が天下取ってからの処遇もその智謀を恐れてとも思えます。あと光秀の根回し不足だけだったのでは?
大事なのは「動機」だと思う。秀吉には黒幕になる動機がない。信長の右腕としてこのまま天下統一に貢献したら大大名で歴史に名前残せるし。
賛成!頑張って仇討ちして黒幕だって言われたらたまらんね!それに暗殺するなら、わざわざ光秀に託すかな?光秀が裏切るかも知れないのに そんな危険な事するとは思えない!やるなら自分でするでしょ
但し、その広大な領地は半島や大陸になると思われますが…充分な動機になりませんか?
@@chitasei-goyou そもそも半島や大陸になるというのは根拠は無いです秀吉なら何処でも統治出来そうですしw
@@brigabiergerarb513 変後の秀吉の至上命題は『自分は信長の天下を盗んだのではない。自分は信長の正統なる後継者だと世間に認めさせる』だと思います。なので、大坂築城も検地も刀狩もバテレン追放令も唐入りも信長が予定していた事だと考えていいと思います(信長と市の娘である茶々との子に拘った事も)。つまり、逆算すれば、変が無くて順調であれば、信長は確実に唐入りをしています。そうなれば中途採用で不安な立場な重臣の日向と筑前なんかはどう思うでしょうか?「武田滅亡以降、大殿は身近な者に甘くなり、我等の扱いが更に雑になった。遂ぞ、日向殿は敵地への転封を命ぜられた…。更に、日ノ本を平らげた暁には唐入りなされるという…。我等はいつまでコキ遣われるのか?この筑前とて、日向殿同様、手柄を挙げても異国にトバされるは見え透いておる。それだけではない。功の無かった佐久間殿と違い、大領を得た有能な自分を、身内可愛いになった大殿が見逃してくれるとは思えぬ。必ずや難癖を付けられた上で滅ぼされるであろう…。それに見知らぬ異国に億石を得たとて、腐心を重ねた長浜や播磨を失っては何の価値があろうか…。それならば、今のうちにイッソ…。これはこれは日向殿、お忙しいところ痛みいる…」と自然になりませんか?「会長、次は海外展開ですか?自分の活躍次第で自分にグリーンランドを全部くれてやるから日本での給料はもう打ち切り!?ですか…」なんて言われたら、アナタはどういう感情を抱きますか?
柴田勝家は勝手に使うんじゃねーよって言いそう
なぜそもそも無抵抗で明智光秀が秀吉にやられたのかそれは明智と秀吉が共謀だったのを直前で秀吉が裏切ったから
全然関係ないけど低評価つけてる人たちは何なんだろうね。。。大阪人として興味深い動画でした。ありがとうございます!
史実の孔明は軍師でない。丞相だから政治家
信長の異能を引き継げたのはやはり異能の秀吉しかいなかったと思うね。
正直なところ20%くらいあり得ると思います。しかしあとの80%は自分も無いと思う理由は信長の死によって丹羽・信孝の兵隊が逃亡したような変則的な事案が勃発する可能性はとりあえず無いという前提に基づいた説だからです。他の黒幕説にも言えると思うけど、怪しいと思ったらその人物のどんな行動も怪しく思える好例。秀吉本人的には毛利から少しでも離れたい明智にただ勝つだけでは不充分でできるだけ早く滅ぼさないといけない(時間を置くと光秀に味方が増えたりするかもだから厄介)などの理由で急いだ
個人的な感想なんですが、柴田勝家と配下の武将以外の織田家家中の全員がグルだったのかも?と思うようになりました。ようは、関ケ原の戦いの家康VS三成のような感じで。三成の周り以外全員グルみたいな。理由は、各作戦方面の敵領主を、武田や朝倉、浅井のように殲滅しなければならない任務を、各方面軍は持っていたが、これではいつまでたっても戦が終わらない。(死ぬリスクが終わらない)相手が降伏し軍門に下れば家臣に召し抱えるで良いじゃない?と、皆が思い始めていたが、信長と息子は武田征伐で寝返った武将を次々殺し、武田家も滅ぼした。憎い相手でもない地方の戦国大名を、殲滅しなきゃならない理由がわからんし、新たな領土の領民とうまくやるのも骨が折れる。ようやっと和解して領主として安定してきたら国替え・・ちょっと、現場を無視する机上論を押し付けてくる信長様を、誰かが止めるしかないよね・・・もはや。どうする?・・・・皆で合議の上、柴田殿だけは誘えば謀反がばれるから誘わなかった・・・なんて茶番かもしれませんよ。それと、本能寺の変で光秀軍が夜の京都に侵入しても、誰も不審がらずにいた、おかしくないですか?1万5千もの大軍が夜更けに進軍してきたら何事かと騒ぐでしょ。もともと、光秀軍が京の本能寺へ信長を迎えに行き、光秀軍が信長直属部隊として中国を目指す予定だったなら、誰も不審に思わないし警戒もしない。予定通りの京への入城だったんじゃないんですかね。光秀軍中ですら、京行きを不審に思わなかったのもその為。
関白、関白、ww長浜の長は信長の長なんだ知らんかった
豊臣秀吉がバテレンを追放した経緯を詳しく教えて下さい!😊🍠
秀吉と家康はスペインのキリスト教を布教したあと、キリスト教徒に反乱を起こさせ、スペインの領土にすることを知っていた。だから、キリスト教を追放した。大坂の陣では豊臣家にスペインがついて、豊臣が勝ったらスペインのキリスト教の布教することを許していた。もし、キリスト教が布教していたら、今の独立国家日本はなかっただろう。
木下って名字、結婚したねねさんの名字だと聞いたのですが。秀吉は逆玉。( ゚□゚)!✴️
三法師は決まってたんだ三法師を誰が支えるのかの話しだったんだ知らんかった
伝説レベルが多い!
半兵衛・官兵衛なくして秀吉の天下なし
そんな事ないでしょ
半兵衛のおかげで数多くの将を退けることができた実際本能寺が起きた時官兵衛が機転をきかせたら中国大返しができた官兵衛と半兵衛がいなかったら数多くの戦に勝てなかったし官兵衛がいなければ光秀様が秀吉を討ち取れていた
光秀が秀吉の命令(依頼)を聞いて本能寺の変を起こす?この可能性は非常に少ないと思いますしかし、秀吉は敵の内情や城に通じる隠された通路を知ることにたけていて、多くの武将を織田方に寝返らせたり、城攻めをしたりしていましたこのことから秀吉は優秀な忍者を何人も雇っていたと推測できますここからはわたしの空想ですが、その中の忍者の一人が信長暗殺計画を察知したとすれば秀吉の行動の速さも納得できます信長が襲われやすいように援軍を要請したのか、自分の軍が守れる範囲に信長を呼んでその間に、証拠集めをするつもりだったのかはわかりませんが
俺の日本史の先生言ってたけど、山崎の戦いの時、荷物だけ船で運んでたらしいほんとかわからんけど
秀吉というより黒田官兵衛黒幕の方が有りうると思う。官兵衛は天下を狙ってた痕跡もあるし。
何の後ろ立てもなく、力を持った親戚もいない…じゃあ、俺に惚れてくれる奴を探すか…
結局は得したのだから秀吉は黒幕で無くとも変が起こる事は知っていたのだろう思います。矢張、朝廷(近衛前久)が黒幕で沢山の人物が共謀したのだろうと、、、、デロリアンに乗って見てきたい(笑)
お疲れ様でございまする。太閤と関白、摂政、太政大臣、もう一回勉強させて頂けないでしょうかでござる。
主人公
三木城で、2年もかかるのか~
黒幕は朝廷やで
羽柴が謀反を起こすのならば明智が動くのも分かるが、私は、羽柴は純粋な動きをしただけだとおもう。真の黒幕は徳川だとおもう
そんな事ないでしょう
秀吉も、家康も、逃げ足が速い!
秀吉が黒幕であるという一次史料はあるのやろか?
中国大返しは、秀吉が信長の性格を知っていたので、わざわざ信長を呼び、毛利を倒したのは、信長と言う事にするために、大義名分と言う事です!信長を呼んだんですよ!ですから、信長が高松城まで行きやすいように、街道(道)を整備して綺麗にしてましたよ!専門家や、TH-camの人達は、勉強不足ですね!石田三成が高松城までの道を整備していた、書状が出て来てますし、TH-camの専門家は、高松城までの道の整備を説明してませんし、走っても小走りでも、昔の道は、不可能とか言ってますが(笑)秀吉が三成に整備をさせる命令をした書状が有りますし、三成が秀吉に分かりました!と書いてある書状も有りますよ!また、清洲会議は、跡目争いだと思われがちですが、跡目は、筋道的に三法師が筋だと思われますし、織田家の当主が京都二条城で明智光秀に討たれ、(この時期信長は家督を譲ってます)信長が二条城で死んでません!信長は、京都本能寺です!二条城で討たれた織田家の当主の子供が三法師であるので、筋目では、三法師になります、跡目争いでは無いです!清洲会議は、織田家の領土問題です!柴田勝家が一応織田家の筆頭でしたが、織田家で初めて、秀吉が朱傘を信長からもらったり、茶器をもらったり、信長から朱傘が許されたのは、秀吉が初めてですし、茶会にしても、明智光秀の次に茶会の許しをもらってました、ここは、私の推測ですが、中国攻めの時点で羽柴秀吉が信長の中では筆頭だったかと思います。話しを戻しますが、清洲会議は、織田家の領土問題です!秀吉が明智光秀を討ったので、その功績で、秀吉は、本能寺の変が起こり、山崎の合戦の前より、22万石増えました!織田家で一番領土が増え持っている事になりました。ついでに、清洲会議で、長浜城を柴田勝家に譲りましたが、柴田勝家と仲が悪かった家臣に長浜城の城代にする事で、柴田勝家を納得させ、柴田勝家からすると、長浜城が事実上自分の物になったので、京都まで行きやすくなったと油断したんだと思います!結果的に、柴田勝家と仲が悪かった家臣を調略し、長浜城が秀吉に戻ってきましたし、秀吉がやはり上手だったと思います。
秀吉黒幕説は好きですね。秀吉の智略、人心掌握術、人脈から見て可能性はある気がします。秀吉、安国寺恵瓊、足利義昭、黒田孝高が謀議、朝廷と足利義昭を通じ明智光秀を唆し秀吉が謀反の場を整えて信長を討たせ、秀吉が何食わぬ顔で何も知らない明智光秀を討つ。諸説ある中で最有力ではないかなと個人的に思う。
秀吉説はあり得ないという歴史諸家は多いですがおっしゃる通り秀吉の人心掌握術の凄さからして本能寺の変とその後の天下取りまですべて彼の企みは大成功をおさめたと言えましょう。ただし断定するには時系列に沿ってどのような企みであったか説明出来ねばならないですね。
秀吉が黒幕とは思いませんが変が起こる可能性が高いと思っていたのではないかと。1、信長が討たれた情報も真偽を確かめる時間も割かず直ぐに行動を起こしている。2、信長饗応のために情報網や物資の運搬ルートを張っていた。それを利用したとはいえ移動速度が現代人の陸上選手並み。3、変時に光秀旗下だった武将が許されて家臣になっている(有名なのは奥羽・大崎の大名になった木村吉清)4、公家や朝廷の因果関係を不問にし、その見返りに関白になった?(想像)1~3で秀吉は怪しいと思ってます。
おっ!鋭い(笑)
天下分け目の天王山❗️
ライバル関係である光秀と手を組むか?どっちかが裏切ったら完璧にお終いだから 暗殺するなら自分自身でやると思うよ!頑張って仇討ちして黒幕だって言われたらたまらんな!と言う事で多分違うんじゃないかな?
もし仮に手を組むなら人質を取りますねお互いなんの担保も取らずに秒で裏切られるなんてもし仮に秀吉と光秀の共謀だとしたら光秀は稀に見る無能じゃないですか
@@brigabiergerarb513 それくらい光秀は追い込まれていたかもしれないし、人質の出し合いもしていたかもしれない。しかし、秀吉は後の絶対独裁者。口封じ、証拠隠滅、なんでも出来るし、実際にやった形跡は多くある。更に利休キリシタン説とイエズス会黒幕説、八上城の波多野氏と丹波でお馴染みの秦氏、この辺を絡めると秀吉が担がれた理由や光秀が決行せざるを得なかった理由が違ったカタチで見えてきますよ
成り上がり者
お館様ー
秀吉は信長に援軍を要請し信長が間もなく京をたつことを知っていた。であれば、信長軍のため道中に宿舎と食糧を用意して、道や橋も整備していたことだろう。中国大返しが出来ても不思議ではない。
秀吉が信長に援軍要請をしておきながら、本能寺の変の2日後には、毛利との和議が成立してしまっているのは、不自然極まりないです。つまり、信長の援軍は必要がなかったんですよね。信長に華を持たせるための援軍要請と言う話もありますが、そこまでする理由がわかりません。やはり中国大返しが早すぎたのは胡散臭いです。
関与はしていると思いますと言うか起きることはしていてそうでなければあの距離を事前に準備もできないだろうし大返しできるはずがないと思います
当時のいかにも武士と想える堅っ苦しい方々が秀吉を毛嫌いしていたのは、秀吉に怪しさが有ったからだと思いますよ。武士は基本海千山千の命を懸けて生きている訳だから情報収集は神経質になっていたはずです。今なら探偵くらいは常に外に出していたでしょうね。柴田勝家も家康も北条も黒幕は秀吉と睨んでいた筈です。決定的な現行犯的な手掛かりがないから、言えないだけで、軍事に明るい武士は霧のような話し半分の情報を元に推察して答えを出していく職業の方々です。犯人は秀吉とは分かっていたはずです。彼らも馬鹿では無いから。家康が豊臣から天下をむしり取ろうとした背景には秀吉が許せなかったからだと思います。小牧長久手も家康からしたら皆が想っている以上に義戦だったはずです。簡単に降伏に近い和睦をした信雄は怒髪天に腹が立ったはずです。北条が始め降伏しなかったのも信長殺しの下になりたなかったはずです。武士の滅び方を観れば興した方の足跡が推察出来ます。徳の多い家は先ず滅びないし、徳川は大半滅んでいない。豊臣は家臣に立派な人達が一握りいた。でも秀頼と淀は最低だった。家の興し方は功罪両方有る興し方だったのだと思います。秀吉は多分信長殺しの黒幕だと思います。大体主君殺しをした家は三代持たないです。興した人が有能でも後が続かないケースが多いです。業の深い家は三代くらいで終わります。鎌倉源氏を観て思います。
秀吉はたぶん忍者軍団のトップ。「猿」や「木下」は忍者の隠語。そして山の民とも深い関係にあった。だから情報戦に強かったし土木事業が得意だった。そういう人間が将軍家や光秀の動きを見張っていないわけがない、と推測できる。分かっていて京都に誘い出したとすれば確信犯と言えるだろうね。
義昭か?羽柴と徳川を説得できたんか?なぜ柴田と戦わなくちゃいけなかったの?明智はのちに家康の見方になっている名前変えて。その証拠が日光東照宮にある家紋
みんな本能寺の変の議論は大好きなんですが、結局、今ある史料からは「光秀の動機を断定できる状況には至っていない」という点は、忘れてはいけませんね。感覚的に50%~70%は「わからない」という前提を意識して、残りのパイの中で可能性が高い説は何か?という議論が一番冷静で建設的な議論になるのかと思います。その上で特に学問的には光秀が誰かと繋がっていた明確な史料が無い以上は、単独説の可能性が高いと言わざるを得ないでしょう。学問として黒幕説を推したい人は、議論するよりも、その明確な史料を見つけることが大事だと思います。(創作で楽しむ限りは自由ですし、私も好きです。)そういった史料はその後の独裁者によって改竄された、もみ消されたという意見もありますが、あまりそれを主張しすぎると極論なんでもありになってしまいますからね。(因みに証拠隠滅の件で書状を例にしたとき、自分が受け取った書状は破棄できても、自分が送った書状が破棄しきれているかなんてどうやって判断するんだろう?写しを作成することもあるだろうし・・・)にしてもブシドーさん、確信的な動画タイトルですね♪
th-cam.com/video/IYrbH4v9meA/w-d-xo.html呉座先生の講座の動画があったので。
自分は感じます。この事件、未だに完全な昔話なのではない。と…どうやら、その辺は武士道さんもご存知なようですね
本能寺の変からまるで秀吉がスムーズに天下を取ったように描かれているため黒幕説が囁かれるがこれは後に秀吉が自分の天下の正当性を認めてもらうために書いた書物を元に創作された物語がまるで歴史のように話されているからでしかないホワイトボードに書かれている戦いもそうだが実際 スムーズにいっていない信長が秀吉の元へ行くために街道を整備したために中国大返しで戻れたにすぎないまるで秀吉が嘘の情報を流したように話したが信孝の所に信長の死が伝わったときみんな逃げ出しているのでなるべく情報を伏せただけだろうと思う秀吉が黒幕という説は自分は一番ありえないと思う
この話は昔から私が一番好きな話です 秀吉が天下を取れたのは彼一人の力では有りませ やりりょうくんし 竹中半兵衛黒田官兵衛の力があったとおもいます この時黒田官兵衛は昔頼朝と義経の同じを持ち出すんですよ ゆかりが言うのは あまり手柄を立てすぎると信長に睨まれる 勝ってる戦を 終わらかさないんですよ そして信長を 手柄を信長にあける戦法です これでこの戦は勝つんですよ
織田信長と豊臣秀吉と徳川家康は同じ愛知県出身です。織田信長は尾張国(愛知県西部)の戦国大名織田信秀の息子として生まれ、豊臣秀吉は尾張国中村(愛知県名古屋市中村区)の農民の子として生まれ、徳川家康は三河国(愛知県東部)の岡崎城主松平広忠の長男として生まれたそうです。僕はそれを知る前は3人とも違う所出身だと思ってました。
小学生の頃から秀吉が黒幕だと思ってる明らかに段取りがおかしい
徹底抗戦の毛利がなぜ簡単に和睦に応じたのか?秀吉政権下での毛利家の優遇。とりわけ小早川家。秀吉・毛利連合による黒幕説はどうでしょうか?
戦国の処世術という本オススメです!
武功夜話のような偽書にしか書かれていないことを取り上げていて残念です
古田織部を主人公にした漫画「へうげもの」では、バッチリ黒幕というか、実行犯でした😁
基本的に、テレビは家康政権(共産主義)が好きだからねw
言葉か早すぎる。当初よりか倍の早さだ。聴きずらくなってきてるよ。
秀吉のクズみたいな性格を考えると黒幕説もありだと思う。
ろ
自己申告かよ!
秀吉黒幕?そのネタ飽きたよ
いち
秀吉が百姓?作り話
多分朝廷も何かしら関わってると思う秀吉は真実を知ってたんじゃないかな?だから黙ってるかわりに関白の座をよこせと…
間違い無く黒幕は秀吉でしょ!信長が死んでトントン拍子に天下人になれた人間!
俺もそう思うねだから秀吉亡き後誰も関ヶ原で誰も本気で戦わなかった石田と大谷らへんだけでしょ本気だったの豊臣家滅亡は生前秀吉がしてきたことのバチが当たったとしか思えない
まぁこれで得したの豊臣だしなだから豊臣は好かん
秀吉が本能寺の変に絡んでいる可能性は低いかな。最終的に一番得をしている人間が犯人という、現代のサツペンスであれば最も疑わしい人間だが、不確定要素が多すぎ。それよりは家康の方が疑わしいのはある。本能寺の変にさいし、京都へ軍を進める明智軍の兵が、信長を襲うのでなく、家康を襲うと思っていたという書物が残っているし、本能寺の変当日、信長に会いに堺から京へ移動するときは、普通大坂を経由するはずが何故か奈良方面に向かい、そこで本能寺の変の報告を受けている。どうも、本能寺の変あたりの家康の動きがおかしい。だから黒幕とは言えないけど。
秀吉が庶民と言うのは嘘っぱち。草履を暖めたのもデタラメ。秀吉は嘘だらけ
晩節で迷走だが、一時期は本当に無双。運もいい。とくに私は政治家、土木エンジニア面を評価したい。黒幕説は採らないけど、大返し→清須会議の仕切りは邪推されそうな神業です。
日本史戦国の秀吉好きで事の流れからずっと本能寺の裏に秀吉関係しているはずと思っていました‼️
はじめて拝見しました。都市伝説系と違い言い切らず、少し距離を置いたわかりやすい解説ときれいな字と先生のキャラに惹かれてch登録させて頂きました。
光秀が秀吉と組んでいたら諸将への手紙に「秀吉も味方だよ!」って大々的に書くよねえ。それで味方の増え方が大分違うんだし。光秀が秀吉の事に何も触れない時点で秀吉とは何の関係もないと思わざるをえないかと、、、
そうですよね。他の方の受け売りですが秀吉黒幕説は丹羽長秀と織田信孝の軍勢が変を知って
逃げ出しちゃったことをまったく無視した説です。つまり本来ならこの二人がまず明智軍と
衝突したはずで、賊軍を一番先に討って天下人へ・・・は成り立たないことになります。
BSでたまたま見た番組では
「秀吉は信長のご機嫌を取ることを常に考えていた」から
戦争中であっても本能寺までマメに間者を走らせて
信長の状況を探らせていたらしいから本能寺の変に早く気がついた、
みたいな説でして、それはそれで秀吉らしいなと感じました。
秀吉のもっともすごい能力は「ひとたらし」。あの信長さえたらされた。家康もたらされた。
家臣にすごいのがそろっているのもこの能力のおかげだと思う。心理学者が研究してほしい人材である。
そういう所がサイコパスっぽく感じる。
やはり、黒幕は秀吉か
いつも、ホワイトボードの文字に惚れ惚れしています。
これからもよろしくお願いします。
あっちゃんをリスペクトした話し方ですね!
凄くわかりやすかった
わかりやすいな~~!
信長に援軍を要請した理由が、信長に毛利のトドメを刺させるためだった(秀吉のヨイショ)と聞いたことがあります。
街道は信長の援軍が気持ちよく行軍してもらうためにあらゆる面で整備されていたと思います。
秀吉のことですから大軍用の休憩所はもちろん、随所に気遣いを施し万難を排して信長に御越しいただこうとしていたに違いありません。
その整備されまくった街道を秀吉の軍が使用したとすれば7日での帰還も夢では無いのではないでしょうか。
17:30 鎧とか武器は別送でしょ?
毎回動画を楽しみに見てます。秀吉公は誰かが謀反を起こすとおもっていたのでは。信長公は何回か謀反を起こされてるから織田家の家中からも出るだろうと。その時は京都の近くで何があっても良い備えはしていたのでは?秀吉公の中では家康公や光秀公など誰かがやるだろうと。それが光秀公だった。
夢があっていいですね!
1:03武士道さん、「なんやかんやありまして」って言ってますね。「どうする家康」の伝説的(!)ナレーション、3年前に先取りしてたんですね。
偽情報流すところは凄いなと思う
信長生きてる事考えたら光秀側にはつけないよね…
私は歩きで四国遍路をしたことがあるのですが、後半は毎日30キロ前後歩いていました。テントや米重い荷物を背負ってです。他の人でもっと歩く人も沢山いましたし40キロ歩いている人もいました。思うに昔乗り物が無かった時代は尚更歩ける人は多かったと思います。昔行ったインドの山の民は驚くほど早く、ついていけなかった程です。
やはり途中明智からの手紙を読む機会を得た秀吉の話に人生の(宇宙の)不思議を感じます。
最初に秀吉黒幕説を知ったのが妖刀伝って古いアニメで
その受け売りで大学の教授に話をしたら
めっちゃ食いついてきたの思い出しましたw
秀吉の中国大返しって、別に奇跡でも何でもなくて、当時の織田家の兵站の補給網を考慮すると可能な範囲なんだよな。秀吉はそれを利用したに過ぎない。
光秀に対し何らかの不安があり、諜報員を張り付かせていたと思う。その自らの諜報員の情報だから信じて帰還した。忍びが間違って秀吉陣営に行って、なおかつ情報を鵜呑みにして帰還したわけではないと考えてるのが妥当かなと。
私もそう思います。すべては秀吉の描いた壮大なシナリオに沿って歴史が進行したと思います。
その諜報員の主力が千利休だったという説が近年浮上しております。
大返しは全軍を率いたわけでなくごく一部の主力だけを率いて帰ってきたらしいですね。
山崎の戦いの主力は大阪の軍勢だったらしいです。
騎馬兵だけみたいですね。
中国大返しをしたとはいえ、山崎の戦いに間に合わなかった兵士も多かったようですね。
本当に秀吉が黒幕だったらもうちょっと準備していたと思います。
疑われないようにわざとそうしたんでしょ
用意周到すぎたら怪しまれる
話し方や効果音が面白いので楽しく拝見させてもらいました。で、気が付いたことを二つ、一つは今回の話とは少しずれる話。墨俣一夜城のところで蜂須賀小六が出てくるが、蜂須賀小六はこの時点で野武士の集団で一種の野盗のたぐいのようにして太閤記等でイメージされるがこの人はなかなかの知恵者で墨俣一夜城もこの人の作戦ともいわれる。後に秀吉の軍師と言われる竹中半兵衛や黒田官兵衛が有名であるが半兵衛がなくなり官兵衛がとらえられていた期間などには蜂須賀小六が軍師として動いていたようだ。徳島の蜂須賀家の所領も上手く治めており小六の手腕がみられる。
二つ目はこの動画のテーマである本能寺の黒幕の話だが、 その前に安土における家康の信長表敬訪問時の家康接待宴会時の話からこの時の様子を後世描かれた絵をもとにまるでその時その場に居合わせた画家が描いたのように、歴史学者の方も光秀の信長に対する怨念説の根拠のようにして説明しているがあくまで後世に逸話をもとに描かれたものに過ぎないのではないかと思うがどうかな。本当に言いたいことはそこではなく、この時家康の接待は非常に重要なものであったはずで織田家により家康の父親は討たれ、信長の命令もあり家康の妻と長男が死去する流れとなり、徳川家と織田家の関係が微妙な時期となっており家康に敵対されると浅井・朝倉の戦い以上の戦いになることになり東の関東武家団の抑えがいなくなり、滝川軍の東征や柴田軍の北征も上手くいかなく可能性もあった。そんな時期、天下統一後の将来の行方を頭首に問う声もあり主な家来が集まった席で信長から今後の方針の一端の話があったんだと思う。であれば、光秀が言ったとされる「苦労のかいがありました。」という言葉に近いものがあったとしても不思議ではない。腐った魚の話が出てくるがそれは多分「鮒ずし」の事ではないか言われているが多分そうであろうと思われる。安土は琵琶湖の沿岸であり古くからあった「鮒ずし」は地元では御馳走の一つであったと思われる知者であった光秀は近江地方の御馳走の一つとして出したんだと思われるが地元の人間ではなく御世辞等とは縁遠い無骨物揃いの家康の配下の武将から魚が腐っているとの声が上がったんだろうね、信長はその様子をみて接待する対象の家康に恥をかかせないために自分の配下である光秀を𠮟りつけたんだろうね(光秀は賢いから家康に恥をかかせないための信長の行動だとわかってくれるだろうと思い、本当は悪くもない光秀を叱っているという事を)でも、周りの反応は信長が予想した物とは異なった反応となった。更にはこの席で今後の事を話した内容も部下達にも上手く理解してもらえなかった。この時頭の回転の速い秀吉は近い将来起きるであろう謀反を予想したんだろうね。別に自分が謀反者のそしりを受けなくとも家臣内で誰かが謀反を起こすとね。で、用心深い秀吉はその日を想定して主な家臣に手を打ったんだろうね。で、自分以外のもので謀反を起こしそうなのはと考えると光秀か丹羽、信長の息子たち、九龍家とか筒井とか高山、中川、細川など何人か思い浮かぶが信長を討ったのちの事まで考慮すると動けるのは何人しかいないとまで秀吉は読み光秀か他家では家康が怪しいと睨んだろうね。
で、秀吉の大返しに繋がると思うんだね。だから、秀吉は黒幕じゃないと思うが、信長が討たれることを止もしなかったんだろうね。
今浜➡長浜になったのか~。
長浜の長は信長の長!?
目から鱗(が落ちる)
歴史探偵で船でいっている可能性があるよ
46歳で、中国大返しか~、
今でもすごい!
秀吉は備中高松から山崎までの移動は、律速になる兵士の鎧や刀や装備品は全て脱がせて丸裸にして別送りしたとか。
ブシドーさんは既にチェック済みでしょうが、
渡邊大門先生の清洲会議は気になりますね。
副題がまんま気になります。
徳川秀忠「中国…ハァハァ…大返しって…ハァハァ…
……言うほど…ハァハァ…早く……ないよね?」
本能寺の変については、いろんな説がありますが、秀吉黒幕説は奈良大学の千田嘉博先生や安土城考古博物館の高木叙子先生が明確に否定されていますよね。
特に、中国大返しについては、信長のための軍道と御座所を利用したので、そこまで難しくなかったという説は有名ですね。これは、千田先生やその教え子の皆さんによる、御座所の発掘調査から明らかになっています。あと、秀吉の後方支援部隊として石田三成がいたので、情報収集もいち早く行えたと思います。
そもそも、北陸に出兵していた柴田勝家も、情報を入手してから10日で近江まで返っているので、事前の街道整備と情報収集さえしっかりしている人が光秀討伐一番乗りになるのは当たり前です。
もし、柴田勝家が一番乗りだったら、「勝家黒幕説」になるんでしょうかね(笑)
織田家に対するその後の処遇を見ると黒幕説もあながちとんでも説とは思えなくなる。
秀吉が大返しをする際に、小早川隆景が毛利の旗指物を秀吉に渡したという逸話があるね。明智軍は秀吉軍の陣地に毛利の旗が立っていることに、とても驚いたそうな。
秀吉は光秀が謀叛起こすのは想定内だったのは間違いないが黒幕では無いでしょうね。山崎の戦い~清洲会議あたりは官兵衛さんの策謀ては?本来策士は表に出て来ないし秀吉が天下取ってからの処遇もその智謀を恐れてとも思えます。あと光秀の根回し不足だけだったのでは?
大事なのは「動機」だと思う。秀吉には黒幕になる動機がない。信長の右腕としてこのまま天下統一に貢献したら大大名で歴史に名前残せるし。
賛成!頑張って仇討ちして黒幕だって言われたらたまらんね!それに暗殺するなら、わざわざ光秀に託すかな?光秀が裏切るかも知れないのに そんな危険な事するとは思えない!やるなら自分でするでしょ
但し、その広大な領地は半島や大陸になると思われますが…
充分な動機になりませんか?
@@chitasei-goyou そもそも半島や大陸になるというのは根拠は無いです
秀吉なら何処でも統治出来そうですしw
@@brigabiergerarb513
変後の秀吉の至上命題は『自分は信長の天下を盗んだのではない。自分は信長の正統なる後継者だと世間に認めさせる』だと思います。なので、大坂築城も検地も刀狩もバテレン追放令も唐入りも信長が予定していた事だと考えていいと思います(信長と市の娘である茶々との子に拘った事も)。
つまり、逆算すれば、変が無くて順調であれば、信長は確実に唐入りをしています。そうなれば中途採用で不安な立場な重臣の日向と筑前なんかはどう思うでしょうか?
「武田滅亡以降、大殿は身近な者に甘くなり、我等の扱いが更に雑になった。遂ぞ、日向殿は敵地への転封を命ぜられた…。更に、日ノ本を平らげた暁には唐入りなされるという…。我等はいつまでコキ遣われるのか?この筑前とて、日向殿同様、手柄を挙げても異国にトバされるは見え透いておる。それだけではない。功の無かった佐久間殿と違い、大領を得た有能な自分を、身内可愛いになった大殿が見逃してくれるとは思えぬ。必ずや難癖を付けられた上で滅ぼされるであろう…。それに見知らぬ異国に億石を得たとて、腐心を重ねた長浜や播磨を失っては何の価値があろうか…。それならば、今のうちにイッソ…。これはこれは日向殿、お忙しいところ痛みいる…」
と自然になりませんか?
「会長、次は海外展開ですか?自分の活躍次第で自分にグリーンランドを全部くれてやるから日本での給料はもう打ち切り!?ですか…」なんて言われたら、アナタはどういう感情を抱きますか?
柴田勝家は勝手に使うんじゃねーよって言いそう
なぜそもそも無抵抗で明智光秀が秀吉にやられたのか
それは明智と秀吉が共謀だったのを
直前で秀吉が裏切ったから
全然関係ないけど低評価つけてる人たちは何なんだろうね。。。
大阪人として興味深い動画でした。ありがとうございます!
史実の孔明は軍師でない。
丞相だから政治家
信長の異能を引き継げたのはやはり異能の秀吉しかいなかったと思うね。
正直なところ20%くらいあり得ると思います。しかしあとの80%は
自分も無いと思う理由は信長の死によって丹羽・信孝の兵隊が逃亡したような
変則的な事案が勃発する可能性はとりあえず無いという
前提に基づいた説だからです。
他の黒幕説にも言えると思うけど、怪しいと思ったら
その人物のどんな行動も怪しく思える好例。
秀吉本人的には毛利から少しでも離れたい
明智にただ勝つだけでは不充分で
できるだけ早く滅ぼさないといけない(時間を置くと
光秀に味方が増えたりするかもだから厄介)
などの理由で急いだ
個人的な感想なんですが、柴田勝家と配下の武将以外の織田家家中の全員がグルだったのかも?と思うようになりました。
ようは、関ケ原の戦いの家康VS三成のような感じで。三成の周り以外全員グルみたいな。
理由は、各作戦方面の敵領主を、武田や朝倉、浅井のように殲滅しなければならない任務を、各方面軍は持っていたが、これではいつまでたっても戦が終わらない。(死ぬリスクが終わらない)
相手が降伏し軍門に下れば家臣に召し抱えるで良いじゃない?と、皆が思い始めていたが、信長と息子は武田征伐で寝返った武将を次々殺し、武田家も滅ぼした。
憎い相手でもない地方の戦国大名を、殲滅しなきゃならない理由がわからんし、新たな領土の領民とうまくやるのも骨が折れる。ようやっと和解して領主として安定してきたら国替え・・
ちょっと、現場を無視する机上論を押し付けてくる信長様を、誰かが止めるしかないよね・・・もはや。
どうする?・・・・皆で合議の上、柴田殿だけは誘えば謀反がばれるから誘わなかった・・・なんて茶番かもしれませんよ。
それと、本能寺の変で光秀軍が夜の京都に侵入しても、誰も不審がらずにいた、おかしくないですか?1万5千もの大軍が夜更けに進軍してきたら何事かと騒ぐでしょ。
もともと、光秀軍が京の本能寺へ信長を迎えに行き、光秀軍が信長直属部隊として中国を目指す予定だったなら、誰も不審に思わないし警戒もしない。
予定通りの京への入城だったんじゃないんですかね。光秀軍中ですら、京行きを不審に思わなかったのもその為。
関白、関白、ww長浜の長は信長の長なんだ知らんかった
豊臣秀吉がバテレンを追放した経緯を詳しく教えて下さい!😊🍠
秀吉と家康はスペインのキリスト教を布教したあと、キリスト教徒に反乱を起こさせ、スペインの領土にすることを知っていた。
だから、キリスト教を追放した。
大坂の陣では豊臣家にスペインがついて、豊臣が勝ったらスペインのキリスト教の布教することを許していた。
もし、キリスト教が布教していたら、今の独立国家日本はなかっただろう。
木下って名字、結婚したねねさんの名字だと聞いたのですが。秀吉は逆玉。( ゚□゚)!✴️
三法師は決まってたんだ三法師を誰が支えるのかの話しだったんだ知らんかった
伝説レベルが多い!
半兵衛・官兵衛なくして
秀吉の天下なし
そんな事ないでしょ
半兵衛のおかげで
数多くの将を退けることができた
実際本能寺が起きた時官兵衛が機転をきかせたら中国大返しができた
官兵衛と半兵衛がいなかったら
数多くの戦に勝てなかったし
官兵衛がいなければ光秀様が秀吉を
討ち取れていた
光秀が秀吉の命令(依頼)を聞いて本能寺の変を起こす?この可能性は非常に少ないと思います
しかし、秀吉は敵の内情や城に通じる隠された通路を知ることにたけていて、多くの武将を織田方に寝返らせたり、城攻めをしたりしていました
このことから秀吉は優秀な忍者を何人も雇っていたと推測できます
ここからはわたしの空想ですが、その中の忍者の一人が信長暗殺計画を察知したとすれば秀吉の行動の速さも納得できます
信長が襲われやすいように援軍を要請したのか、自分の軍が守れる範囲に信長を呼んでその間に、証拠集めをするつもりだったのかはわかりませんが
俺の日本史の先生言ってたけど、山崎の戦いの時、荷物だけ船で運んでたらしい
ほんとかわからんけど
秀吉というより黒田官兵衛黒幕の方が有りうると思う。
官兵衛は天下を狙ってた痕跡もあるし。
何の後ろ立てもなく、力を持った親戚もいない…
じゃあ、俺に惚れてくれる奴を探すか…
結局は得したのだから秀吉は黒幕で無くとも変が起こる事は知っていたのだろう思います。
矢張、朝廷(近衛前久)が黒幕で沢山の人物が共謀したのだろうと、、、、デロリアンに乗って見てきたい(笑)
お疲れ様でございまする。太閤と関白、摂政、太政大臣、もう一回勉強させて頂けないでしょうかでござる。
主人公
三木城で、2年もかかるのか~
黒幕は朝廷やで
羽柴が謀反を起こすのならば明智が動くのも分かるが、私は、羽柴は純粋な動きをしただけだとおもう。真の黒幕は徳川だとおもう
そんな事ないでしょう
秀吉も、家康も、逃げ足が速い!
秀吉が黒幕であるという一次史料はあるのやろか?
中国大返しは、
秀吉が信長の性格を知っていたので、わざわざ信長を呼び、毛利を倒したのは、信長と言う事にするために、大義名分と言う事です!
信長を呼んだんですよ!
ですから、信長が高松城まで行きやすいように、街道(道)を整備して綺麗にしてましたよ!
専門家や、TH-camの人達は、勉強不足ですね!
石田三成が高松城までの道を整備していた、書状が出て来てますし、
TH-camの専門家は、高松城までの道の整備を説明してませんし、走っても小走りでも、昔の道は、不可能とか言ってますが(笑)秀吉が三成に整備をさせる命令をした書状が有りますし、三成が秀吉に分かりました!と書いてある書状も有りますよ!
また、清洲会議は、跡目争いだと思われがちですが、
跡目は、筋道的に三法師が筋だと思われますし、
織田家の当主が京都二条城で明智光秀に討たれ、(この時期信長は家督を譲ってます)信長が二条城で死んでません!信長は、京都本能寺です!
二条城で討たれた織田家の当主の子供が三法師であるので、筋目では、三法師になります、
跡目争いでは無いです!
清洲会議は、織田家の領土問題です!
柴田勝家が一応織田家の筆頭でしたが、織田家で初めて、秀吉が朱傘を信長からもらったり、
茶器をもらったり、
信長から朱傘が許されたのは、秀吉が初めてですし、
茶会にしても、明智光秀の次に茶会の許しをもらってました、
ここは、私の推測ですが、中国攻めの時点で羽柴秀吉が信長の中では筆頭だったかと思います。
話しを戻しますが、
清洲会議は、織田家の領土問題です!秀吉が明智光秀を討ったので、
その功績で、秀吉は、本能寺の変が起こり、山崎の合戦の前より、22万石増えました!織田家で一番領土が増え持っている事になりました。
ついでに、清洲会議で、長浜城を柴田勝家に譲りましたが、
柴田勝家と仲が悪かった家臣に長浜城の城代にする事で、柴田勝家を納得させ、柴田勝家からすると、長浜城が事実上自分の物になったので、京都まで行きやすくなったと油断したんだと思います!結果的に、柴田勝家と仲が悪かった家臣を調略し、長浜城が秀吉に戻ってきましたし、
秀吉がやはり上手だったと思います。
秀吉黒幕説は好きですね。
秀吉の智略、人心掌握術、人脈から見て可能性はある気がします。
秀吉、安国寺恵瓊、足利義昭、黒田孝高が謀議、朝廷と足利義昭を通じ明智光秀を唆し秀吉が謀反の場を整えて信長を討たせ、秀吉が何食わぬ顔で何も知らない明智光秀を討つ。
諸説ある中で最有力ではないかなと個人的に思う。
秀吉説はあり得ないという歴史諸家は多いですがおっしゃる通り秀吉の人心掌握術
の凄さからして本能寺の変とその後の天下取りまですべて彼の企みは大成功をおさめた
と言えましょう。ただし断定するには時系列に沿ってどのような企みであったか
説明出来ねばならないですね。
秀吉が黒幕とは思いませんが変が起こる可能性が高いと思っていたのではないかと。
1、信長が討たれた情報も真偽を確かめる時間も割かず直ぐに行動を起こしている。
2、信長饗応のために情報網や物資の運搬ルートを張っていた。それを利用したとはいえ移動速度が現代人の陸上選手並み。
3、変時に光秀旗下だった武将が許されて家臣になっている(有名なのは奥羽・大崎の大名になった木村吉清)
4、公家や朝廷の因果関係を不問にし、その見返りに関白になった?(想像)
1~3で秀吉は怪しいと思ってます。
おっ!鋭い(笑)
天下分け目の天王山❗️
ライバル関係である光秀と手を組むか?どっちかが裏切ったら完璧にお終いだから 暗殺するなら自分自身でやると思うよ!頑張って仇討ちして黒幕だって言われたらたまらんな!と言う事で多分違うんじゃないかな?
もし仮に手を組むなら人質を取りますねお互い
なんの担保も取らずに秒で裏切られるなんてもし仮に秀吉と光秀の共謀だとしたら光秀は稀に見る無能じゃないですか
@@brigabiergerarb513
それくらい光秀は追い込まれていたかもしれないし、人質の出し合いもしていたかもしれない。しかし、秀吉は後の絶対独裁者。口封じ、証拠隠滅、なんでも出来るし、実際にやった形跡は多くある。
更に利休キリシタン説とイエズス会黒幕説、八上城の波多野氏と丹波でお馴染みの秦氏、この辺を絡めると秀吉が担がれた理由や光秀が決行せざるを得なかった理由が違ったカタチで見えてきますよ
成り上がり者
お館様ー
秀吉は信長に援軍を要請し信長が間もなく京をたつことを知っていた。であれば、信長軍のため道中に宿舎と食糧を用意して、道や橋も整備していたことだろう。
中国大返しが出来ても不思議ではない。
秀吉が信長に援軍要請をしておきながら、本能寺の変の2日後には、毛利との和議が成立してしまっているのは、不自然極まりないです。つまり、信長の援軍は必要がなかったんですよね。信長に華を持たせるための援軍要請と言う話もありますが、そこまでする理由がわかりません。やはり中国大返しが早すぎたのは胡散臭いです。
関与はしていると思います
と言うか起きることは
していて
そうでなければ
あの距離を事前に
準備もできないだろうし
大返し
できるはずがないと思います
当時のいかにも武士と想える堅っ苦しい方々が秀吉を毛嫌いしていたのは、
秀吉に怪しさが有ったからだと思いますよ。
武士は基本海千山千の命を懸けて生きている訳だから情報収集は神経質になっていたはずです。
今なら探偵くらいは常に外に出していたでしょうね。
柴田勝家も家康も北条も黒幕は秀吉と睨んでいた筈です。決定的な現行犯的な手掛かりがないから、
言えないだけで、軍事に明るい武士は霧のような話し半分の情報を元に推察して答えを出していく職業の方々です。
犯人は秀吉とは分かっていたはずです。彼らも馬鹿では無いから。
家康が豊臣から天下をむしり取ろうとした背景には秀吉が許せなかったからだと思います。
小牧長久手も家康からしたら皆が想っている以上に義戦だったはずです。
簡単に降伏に近い和睦をした信雄は怒髪天に腹が立ったはずです。
北条が始め降伏しなかったのも信長殺しの下になりたなかったはずです。
武士の滅び方を観れば興した方の足跡が推察出来ます。
徳の多い家は先ず滅びないし、徳川は大半滅んでいない。豊臣は家臣に立派な人達が一握りいた。
でも秀頼と淀は最低だった。家の興し方は功罪両方有る興し方だったのだと思います。
秀吉は多分信長殺しの黒幕だと思います。大体主君殺しをした家は三代持たないです。
興した人が有能でも後が続かないケースが多いです。業の深い家は三代くらいで終わります。
鎌倉源氏を観て思います。
秀吉はたぶん忍者軍団のトップ。「猿」や「木下」は忍者の隠語。そして山の民とも深い関係にあった。
だから情報戦に強かったし土木事業が得意だった。
そういう人間が将軍家や光秀の動きを見張っていないわけがない、と推測できる。分かっていて京都に誘い出したとすれば確信犯と言えるだろうね。
義昭か?羽柴と徳川を説得できたんか?なぜ柴田と戦わなくちゃいけなかったの?明智はのちに家康の見方になっている名前変えて。その証拠が日光東照宮にある家紋
みんな本能寺の変の議論は大好きなんですが、
結局、今ある史料からは「光秀の動機を断定できる状況には至っていない」という点は、
忘れてはいけませんね。
感覚的に50%~70%は「わからない」という前提を意識して、
残りのパイの中で可能性が高い説は何か?
という議論が一番冷静で建設的な議論になるのかと思います。
その上で特に学問的には光秀が誰かと繋がっていた明確な史料が無い以上は、
単独説の可能性が高いと言わざるを得ないでしょう。
学問として黒幕説を推したい人は、
議論するよりも、その明確な史料を見つけることが大事だと思います。
(創作で楽しむ限りは自由ですし、私も好きです。)
そういった史料はその後の独裁者によって改竄された、もみ消されたという意見もありますが、
あまりそれを主張しすぎると極論なんでもありになってしまいますからね。
(因みに証拠隠滅の件で書状を例にしたとき、
自分が受け取った書状は破棄できても、
自分が送った書状が破棄しきれているかなんてどうやって判断するんだろう?
写しを作成することもあるだろうし・・・)
にしてもブシドーさん、確信的な動画タイトルですね♪
th-cam.com/video/IYrbH4v9meA/w-d-xo.html
呉座先生の講座の動画があったので。
自分は感じます。
この事件、未だに完全な昔話なのではない。
と…
どうやら、その辺は武士道さんもご存知なようですね
本能寺の変からまるで秀吉がスムーズに天下を取ったように描かれているため黒幕説が囁かれるが
これは後に秀吉が自分の天下の正当性を認めてもらうために書いた書物を元に創作された物語がまるで歴史のように話されているからでしかない
ホワイトボードに書かれている戦いもそうだが実際 スムーズにいっていない
信長が秀吉の元へ行くために街道を整備したために中国大返しで戻れたにすぎない
まるで秀吉が嘘の情報を流したように話したが信孝の所に信長の死が伝わったときみんな逃げ出しているのでなるべく情報を伏せただけだろうと思う
秀吉が黒幕という説は自分は一番ありえないと思う
この話は昔から私が一番好きな話です 秀吉が天下を取れたのは彼一人の力では有りませ やりりょうくんし 竹中半兵衛黒田官兵衛の力があったとおもいます この時黒田官兵衛は昔頼朝と義経の同じを持ち出すんですよ ゆかりが言うのは あまり手柄を立てすぎると信長に睨まれる 勝ってる戦を 終わらかさないんですよ そして信長を 手柄を信長にあける戦法です これでこの戦は勝つんですよ
織田信長と豊臣秀吉と徳川家康は同じ愛知県出身です。織田信長は尾張国(愛知県西部)の戦国大名織田信秀の息子として生まれ、豊臣秀吉は尾張国中村(愛知県名古屋市中村区)の農民の子として生まれ、徳川家康は三河国(愛知県東部)の岡崎城主松平広忠の長男として生まれたそうです。僕はそれを知る前は3人とも違う所出身だと思ってました。
小学生の頃から秀吉が黒幕だと思ってる
明らかに段取りがおかしい
徹底抗戦の毛利がなぜ簡単に和睦に応じたのか?
秀吉政権下での毛利家の優遇。とりわけ小早川家。
秀吉・毛利連合による黒幕説はどうでしょうか?
戦国の処世術という
本オススメです!
武功夜話のような偽書にしか書かれていないことを取り上げていて残念です
古田織部を主人公にした漫画「へうげもの」では、バッチリ黒幕というか、実行犯でした😁
基本的に、テレビは家康政権(共産主義)が好きだからねw
言葉か早すぎる。当初よりか倍の早さだ。聴きずらくなってきてるよ。
秀吉のクズみたいな性格を考えると黒幕説もありだと思う。
ろ
自己申告かよ!
秀吉黒幕?そのネタ飽きたよ
いち
秀吉が百姓?作り話
多分朝廷も何かしら関わってると思う
秀吉は真実を知ってたんじゃないかな?
だから黙ってるかわりに関白の座をよこせと…
間違い無く黒幕は秀吉でしょ!信長が死んでトントン拍子に天下人になれた人間!
俺もそう思うね
だから秀吉亡き後誰も関ヶ原で誰も本気で戦わなかった
石田と大谷らへんだけでしょ本気だったの
豊臣家滅亡は
生前秀吉がしてきたことのバチが当たったとしか思えない
まぁこれで得したの豊臣だしな
だから豊臣は好かん
秀吉が本能寺の変に絡んでいる可能性は低いかな。最終的に一番得をしている人間が犯人という、現代のサツペンスであれば最も疑わしい人間だが、不確定要素が多すぎ。
それよりは家康の方が疑わしいのはある。
本能寺の変にさいし、京都へ軍を進める明智軍の兵が、信長を襲うのでなく、家康を襲うと思っていたという書物が残っているし、本能寺の変当日、信長に会いに堺から京へ移動するときは、普通大坂を経由するはずが何故か奈良方面に向かい、そこで本能寺の変の報告を受けている。
どうも、本能寺の変あたりの家康の動きがおかしい。
だから黒幕とは言えないけど。
秀吉が庶民と言うのは嘘っぱち。草履を暖めたのもデタラメ。秀吉は嘘だらけ
いち