ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
音大と美大は汎用性のない職業訓練所なので、周りの才能に気圧されて自分の能力に見切りをつけ転身したい人の為に、2年目と3年目に他大学に転学する制度があれば良いと思う。
ジャンル云々という以上に「伝統を優先するか?」「新天地開拓を優先するか?」の選択は重要ですよね。現代音楽作曲家は伝統的な教育を受け新天地目指して創作しているので…なんとも言えないところあります。それはともかくポピュラー音楽もクラッシックに負けず劣らずかなり保守的閉鎖的だと思います。
たしかに、ジョンレノンだけでなく、セックス・ピストルズなど、時代をつくったミュージシャンはそうですね!しかし、葉加瀬太郎のようにジャンルを超えたチャレンジも素晴らしいと僕は思います
専門学校ではすでにポップス(ギターなど)を教える場所はありますね。
ロックについてはその通りかと思います。ジャズに関しては型を破るにしてもその型を覚えるのが難しいくらいにレベルが上がっていて晩年のマイルス・デイヴィスの優秀なバンドメンバーだったマイク・スターンやジョン・スコフィールド、等、近年のジャズ · シンガー、ジャズミュージシャンに関してはバークリー音楽大学出身者やその他の音楽大学等で、又は個人的に何らかの音楽教育を受けてる方が圧倒的に多く、ことの良し悪しは別にして、個性を出す前に覚えることがクラシック音楽並に多くなっているのが現実です。歴史的なミュージシャンでもマイルス · デイヴィスはジュリアード音楽院で(一時)学んでいますし、かのチャーリー・パーカーはメシアンに作曲を学ぶ予定で有りました。ジャズピアニストはほとんどの方がクラシックピアノを子供の頃からみっちり学んでから転向した方が殆ど(バド・パウエル、オスカー・ピーターソン、ハービー · ハンコック、キース · ジャレット等など)です。唯、東京芸大や桐朋学園等でジャズ部門を作る必要は無いとも思いますがバークリーのような体系的にジャズに関して技術や音楽理論を学ぶ環境は良し悪しは別にして必要だと思います。追記元マイルス · デイヴィス クインテットのベーシスト、ロン · カーター氏は元々クラシックのコントラバス奏者としてオーケストラで仕事をしたかったが黒人は受け入れられずジャズに転向したとか…。
まさに高3の息子が音大の音楽領域ポップス、ロックのコースを受験しようとしています。ピアノ経験なく高校の軽音部でドラムを始めて音楽の魅力にはまり…それだけで音大の受験が出来るとは思っていなかったので全くイメージは出来ないのですが…本人は音楽について大学でもっと沢山の事を勉強したいと譲りません。クラシックの高いハードルが少し下がった事でこれまで興味はあっても諦めてきた若者にとり、ポップスやロックからでもクラシックにも触れ、その深さを知る事が出来たらとても素晴らしい事だと思いました。経営の為であったとしても大学で出会う仲間や先生からの影響は大きいと思いたい母です😂
昔聞いた流行歌はその時を思い懐かしく思いますが、クラシック音楽は小学生の頃から先生に教えてもらって今良かった鳥肌が立つ程感動しています。ビートルズが流行っても音も盛り合わせにしか感じない有難うございますのです。私個人的にです。96才の今クラシック音楽の良さがわかリました❤🎉
そもそもロックって先生に反抗するものですからね
ま、型破りってのは型を覚えてからやぶるんで、型にはまるようならロックンロールじゃないしな。
凄く説得力あります。
昔、マルクスブラザーズの映画で「陸軍に入って海を見よう」と云うギャグが有りました。
それは中々面白い!
教育か経営か、切実な問題ですね。ドイツの木製のおもちゃ、素敵ですね✨くるみ割り人形の兵隊さんも色や大きさが豊富で、素敵ですよね💕
モーツァルトやベートーヴェンをキチンと学びきったうえで、敢えてその外に出るというならアリだと思いますが、果たしてそれを音大で教えるべきなのかどうか。
わたしは、ポップスもクラシックも12音音階である限り基本は同じだ、と思ってますから音大で教えることについては何の抵抗もありません。米国にはバークリーのような学校もあり、互いに刺激を与えあえるならなお良いか、と。
悩ましいですね…私は作曲でお仕事をしていましたが、完全に独学でした。元々ハードロック好きだったので、仕事じゃない時はオリジナルやカバーを楽しんでいます。クラシックに興味のなかった私は音大という選択肢がなく、人様に教えてもらう前に自分で悩め…という矜持もありました。作曲家としてどこかの会社やレーベルのお世話になろうとする時、やはり音大の「肩書き」が欲しかったな…と思う瞬間が多々あります。一方、ポピュラーミュージックとクラシックでは理論が違う事もあり、それらを知る事に一定の価値もある様に感じます。正しい事を知った上で破壊する音楽も存在するので、一定程度有用な気も…いや…微妙だなぁ。。。結局「教わる」側にもある程度の利益になると思いますが、教えてもらう時間があるなら自分で学べ!という結論になるかもしれません…
音大の危機であって、音楽の危機ではないから、本当に必要な音大以外は淘汰され、必要な音大だけ残ればいい。これは、音大だけでなく、企業も、町村も、必要でないところは淘汰。。
「ロックやポップス」が恰も19世紀のクラシックと同じような立ち位置になりつつある、というのはあると思います。
ジャズのアドリブを理論にして教えたのはバークリー音楽大学ですが、バークリーのメソッドが行き渡ってジャズが面白くなったかといえば、それは違うと思います。1950年代の理論も知らなければ譜面も読めない人たちの方が、個性を持っていたと思います。学校に行くことで巧くはなっても、個性を失う人は多いだろうと感じます。
先生は雰囲気的に音楽版林修先生っていうカンジですね!😊
メタル系のアーティストはバロック音楽の影響を受けている方が多いと思いますね。
車田さん 初めてコメントします。毎回、楽しいトークと音楽を楽しませていただいております。感謝申し上げます。初めての投稿なのにあまりにもお粗末な質問をお許しください。私は高校生の時からラジオやアンプを作っていました。当時は真空管が全盛で大学に入って初めてトランジスタを使ってアンプを作りました。そんなこともあり音楽はいい「音」で楽しむことに主眼を置いてきました。ところが先日、天才バイオリニスト、渡辺茂夫をユーチューブにアップされた動画を見ました。そして日頃考えていたことですが音楽家の良し悪しはどこで決まるのでしょうか?例えばチャイコフスキー 国際コンクールなどでの優勝者はどのようにして決まるのでしょうか?私にはチャイコフスキーの優勝者と芸大の優秀な奏者との違いがいまだに聴き分けられません。以前、車田さんの解説の中で音楽は何回も聴きこんでその良さがわかるとの解説がありました。私には世界的に有名なベートヴェンの「運命」を100回聴いても指揮者の違いどころか演奏の良し悪しもわかりません。ただ音楽は好きなので感動すると体が身震いし涙さえ出すことがあります。特に昔、トランジスターラジオから流れる音楽を山で聴いていると不思議な感動に包まれました。60数年以上前のトランジスターラジオですから音がそんなに良いわけではありません。音楽に惹かれた最大の理由が山の中でした。音としてではなく何かわからない、不思議な感動で心が満たされました。それ以来、音楽が徐々に好きになりました。関係のない話ですが串田孫一の「音楽の絵本」を大学生時代に聴いて楽しんだ世代でもあります。CDよりレコードに愛着を感じている私ですが、残念ながら今では聴くこができません。(私はタイに住んでいるためレコードのセットは日本に置いてきました。レコード盤に針を落とすときの緊張感が大好きな世代です。)今ではもっぱらユーチューブにアップされた音楽を楽しんでいます。登山のできなくなった老いた体をいたわりながら、音楽で楽しんでいます。何か「音楽談話」から外れた質問ですが日ごろから不思議に思っていました。
最近唱歌調による連作歌曲を構想しています。車田さんの文部省唱歌へのご意見をうかがえたら幸いです。大学でのクラシック以外の需要のように、義務教育での唱歌の必要性が薄れつつあるなか、私は唱歌の良さを今も信じています。文語調で難しさもありますが、あの詞の美しさはポップスには表現できない気がして・・・さらに旋律も実践してみるとあんなに美しく書けないと気付くばかりです。
スティーヴ・ヴァイやDream Theaterのメンバーなど、バークリー音大の出身者が商業音楽の世界で成功していますね。日本人でも渡辺貞夫さんや大曽根真さんがバークリーで学ばれていました。これはバークリーが一般的な「音楽大学」とは違ってジャズや現代アメリカの商業音楽に特化した大学だからなのでしょう。スティーヴ・ヴァイやDream Theaterのやっているロックは、なかなか独学でその境地に達するのは難しいのではないかと思いました。ロックと言っても様々にジャンル分けができ、プログレッシブロックのように専門的な音楽の知識が必要になるジャンルもありますね。学ぶ学生が目指す道と大学の教育理念が合致すれば、大学でロックやポップスを教えることも一定の価値がありそうな気がします。
先生、質問です!演歌や民謡にある、こぶしを回す歌い方は日本(語)の音楽独特ですか?
独特だと思いますよ。
クラシック系の演奏家だとあまりいないかも知れませんが、作曲家で音大を出ていない人は山ほどいるし(後述)、何を音大で教えるべきかというのはまあ大変に自由度の大きい話ですよね。音大出でない作曲家の例:武満徹、柴田南雄、湯浅譲二、松平頼暁、信長貴富などなど。米国にはバークリー音楽院なんかもありますが、そういう音大が日本にあってもいいですよね。
音大でロックやポップスを教えることは難しいね。まるで違います。音大で教える必要があるのかどうかは、分かりません。但し、ジャズは音楽理論から教えることは出来るでしょうね。まぁ、講師次第です。
大学は、アカデミアなので、ロックなどを教える場合、その歴史、音楽としての特徴、ロック音楽の心理的影響、社会状況との関連など、アカデミアでこそできることを取り上げて欲しいです。ベートーベンの音楽も当初は、その時代のロック的存在だったのでしょうが、その価値を評価したり、解析、議論する場があったので、ベートーベンの音楽が生き残ってきたのだと思います。さて、ロックなどいろいろなジャンルの音楽は、どのように発展して生き残って行くのでしょうか。ポップスの大手の業界では、受けるメロディー、リズム、歌詞などを解析し、作曲するという話も聞きます。音楽とは何ぞやということを学生さんに考えさせることができるなら、大学でロック、ポップスなどを取り上げてもいいのかもしれませんね。
It's better to stick to the classical musics.
ロックは不良の音楽で良いのだと思います。興味深いのは、音楽には不良も真面目な人も夢中にさせる魅力があるという事実ですね。着る服がセンスや生き様で変わるように、好きな音楽、やりたい音楽もみんな違って当たり前だと思います。バークリーなどは卒業後の学生達の仕事の面までフォローする体制が出来てますよね。学ぶ音楽の種類より、学生達にとってはそこが重要なのかな、と思います。最終的には自分の力で切り拓いて行かなければならないとしても、端緒くらいフォローしてあげる事がやれれば、音大希望の子達も増える気がしました。
まんまでしかありませんが読書100ぺん意、おのずから通ず。
ロック、ポップス、ジャズにも型がありますよ。いわゆるジャンルというやつです。数限りない派生があるので、これらを本気で学ぼうと思ったらかなり専門的な学習が必要になると思います。ただ、これらの音楽は、型通りに演奏するというよりもそこから派生した自分なりのオリジナリティが求められることが多いのでクラシック音楽とは本質的に違うという意味で、音大で教えるのには限界がある気がします。
いつもながら、考えされられるお話しありがとうございました。ポピュラーで音大といえば、渡辺貞夫さんや、ミッキー吉野さんが卒業されたアメリカのバークリー音楽大学が思い浮かびますが、既に有名な人がさらに技術を研鑽するために入学するというイメージですね。小曽根真さんにせよ、15歳で既にプロデビューして、神戸市の普通高校を出てからここに留学されているし。クラシックだと、教養とか情操とか、学校教育の目的と合致する部分が多いと思うのですが、ポピュラーだと、それこそ個性が売れてなんぼの商業主義の部分が大きいから、難しいのかもしれませんね。
映画「イマジン」懐かしいです。学生の頃、新宿歌舞伎町の映画館でオールナイト上映で観ましたが髪型やメガネまねたジョン・レノンのそっくりさんが大勢観に来ていて微笑ましかったです。ロックやポップスは個人的にはMIDIやDAW、DTMといった機器の接続や使いこなし、PCを使った操作方法、レコーディングやマスタリングが学べる専門学校のようなところがあったら、周囲に詳しい人がゼロなので短期的に通ってみたいなと思ったことがありますが今はTH-cam動画で使い方やチュートリアルがなんでも紹介されていて独学で学ぶハードルが下がってますよね。ジャズは確かジュリアード音楽院に学科があったと記憶してます。宮田まゆみさんの演奏で笙に興味を持ったときに日本の雅楽はどこで習ったらいいのか疑問に思ったことがありました。音大によっては雅楽専門の学科が一部であったりするのでしょうか?
東京藝術大学音楽学部邦楽科があります
芸大にありますね。
型にはめて、型を破ればいいけど、型なしでは、お話にならないが、かといってロック聴く奴不良‼️クラシック音楽聴く人良い子ちゃん‼️と言う気持ちは更々無いですね~‼️ハイ‼️
ポピュラー音楽を目指す人には、少しくらい、音楽の勉強をして欲しい、という気持ちは、ありますが、某芸術大学のポピュラー音楽専攻の学生さんの演奏は、控え目にいって、イマイチでした。一緒に、クラシック音楽専攻の学生さんで、オーケストラの演奏も、あったのですが、そちらは、良かったです。学生さんのポピュラー音楽は、カラオケと同じ、という印象でした。
9:05 「凡庸性の高い」➡️「汎用性の高い」ではありませんか?🤔
おっしゃるとおりですね
「型にはめる」のが音大だが、「型を破るのが」ロック。
教えてもらうロックはすでにロックではない。喉を潰すくらいの気持ちで表現するのがロックだと思う。全盛期は短いものです。今のロバートプラントなどは抜け殻のようです。全盛期はすごかった‼️
ロックやポップスというより、逆に型を重視する演歌や民謡の方が音大に合うのでは?
まあ音大出のセックスピストルズとかはあり得ないですね。😂ただエンジニアリングと同様、再生や発展のために高度な技術とその背景の原理原則を学ぶ事が必要なものなら音大で教えるべきだと思います。
音大でミュージカルが盛んな様ですね🎶
いまはまだ大卒と高卒の初任給が違うので大学をモラトリアム期間にして自分探しをする子は多いと思います。他の大学と同じように音大に通いたい子はポップスコースがあると嬉しいのかもしれません。
音大も、そうなんですね。教育大学、工業大学も、経営のために、皆、総合大学になっていきますね。学科でキャンパスも違ったり、同じ大学とは思えないけど型とオリジナリティとてもわかりやすかったです!
今の時代は敢えて教えないと忘れ去られそうでコワイです・・・w
ロックやポップスは、あまり知らないので面白いお話しでした。ありがとうございました。
エレキギター科、今、あるそうですね。すなわち、何事も、基本から、ということではないのでしょうか?ロックバンドでも、クラッシックを参考にした、グループがありますからね。現代音楽にも、エレキギターのための曲がありますね。
学校で教えるようになるということは、教える需要が出てきたということと、その分野で知識や技術の蓄積が出てきたということです。19世紀に入って楽器は急速に発達します。それを受けてクラシック音楽の需要が高まり、音楽大学でクラシックを教えるようになったというのが現実ではないでしょうか。ジャズも、20世紀初頭に始まって需要が高まり、アメリカのいくつかの大学にはジャズ科があります。同じように、ロックやポップスも1960-1980頃に興隆し、最近になって特に需要が高まり、大学で教えるところが出てきたというだけだと思います。それでも大学で扱っている比率はクラシックが最大で、それがどのあたりの比率に落ち着くのか、というのは興味あるところです。問題は、日本で子供の数が減り、音大で教える内容が多様化、クラシックの人材供給不足が発生、大編成が国内ではムリになり、そもそも演奏できないということは危惧されます。2022年に生まれた子供は、車田さんの世代頃の2/3程度ですから。
私は圧倒的に音楽イコール歌だと思っているので、どちらかと言うと音楽イコール演奏という傾向のクラシックには興味が持てなかった。
実は私も「音大崩壊」を読んでみました。先生の問題提起を興味深く拝聴させていただきました。有り難うございました。私もピアノと歌謡曲(と言っても昭和懐メロですが…)を同じ教室の同じ先生に習っております。音大の体質と音楽教室の先生方を見ていると「クラシック原理主義」と言っても過言ではない位、クラシック至上主義を感じております。私は音大にロックやポップスといったコースがあっても良いと思います。ロックでもポップスでも基本はクラシックにあると思います。J―POPで息の長いミュージシャンは、大抵はクラシックピアノをやっていたような話を聞いたことがあります。クラシックという「型」にはめて、それをぶち壊す反骨精神を大学で養成しても良いのではないかと思っております。それと、私自身感じているのは音大に「流行歌コース」があっも良いのではないか。未来に唄い継がれる流行歌が果たしてあるのか常々疑問に思っております。音大の流行歌コースには「歌手」「作曲家」「作詞家」の「専攻」を設けて、当然一通り学修させる。歌手は発声法や作詞家の描く情景や作曲家の描く情景を考えさせること…。といった内容でしょうか。流行歌って、歌詞にも曲にも一定のルールがあるようでならない。歌詞を読んで情景が浮かび、曲が入って時空を越えてその時のその場に居るような気持ちになるものだと思います。そんな曲は、何等かの格好で聴衆の財産になるような気がしてならないからです。
先生はクラシック専門でありながらも、ゴリゴリのロック好きな私が聴いても反感しない話し方が魅力的です♪ロックとクラシックは求めてるものが全く違うので、音大でロックを学ぶのは筋違いかなと思います。やっぱロックンロールは素直な人は比較的向かないですよね😅Queen(特にフレディ)も誰に何を言われようとも型にハマらない音楽をやってましたね😊それが病みつきになるし、コンサートのセットリストは勿論、歌い回しを自由に変えることもあるので型にはまらない良さがありますよね😊ロック好きなので、長々と語ってすみません😅因みに教員時代、教員バンドで何を担当していらっしゃいますか?ボーカル?ギター?
主にギターやピアノですね。ドラムは生徒がやりました。
@@kazuhisakurumada 返信ありがとうございます!教師と生徒!バンドのセッションは自分の意見をドンドン言わなければいけないので、日本の生徒が自分の意見を億劫せずに伝えるのは想像できないです。生徒と教師ってことはセッションなしのぶっつけ本番かな??
昔は音大というとクラシック以外は音楽じゃないと思っている人間の集団というイメージだった。だから私はクラシックにはそんなに興味がなかったので音大という選択肢はなかった。
まっ、どうでもいい話しですが、ある人が芸大芸大と言ってあえて芸大と音大みたいな区別したがってる方がおられます❗️
バイオリンやピアノ、3歳4歳から毎日毎日泣きながら弾いて、コンクールで淘汰され、勝ち残った勝者と、ロクに練習もせず、ぽっと出の現代楽器と一緒にされたくない…
母方のいとこはみんな僕よりずっと年上で、ローリング・ストーンズとかのレコードを1960年代に聴いていた世代。その影響で僕が小学生の頃に初めて買ったLPレコードはローリング・ストーンズだった。中学生になった頃、すでにビートルズは解散していたのだけれど、やはり僕もビートルズの音楽にハマってしまって、彼らの音楽を通して、音楽の楽しさ、美しさ、そして自由と反骨というようなものを学んだような気がする。ギターを独学で習得し、作詞作曲もするようになった。英語をもっと上達させなきゃと思ったのも、彼らの歌詞の意味を知りたかったから。ビートルズによってロックに魅せられてしまったわけだけど、実際に活動しているロックバンドの音楽にはあまり魅力が感じられなくて、それで聴き始めたのがモーツァルトやベートーヴェンだった。現代のきれいなステレオ録音による演奏よりも、僕が何よりも気に入ったのはギーゼキングによるピアノソナタ集。ちょうどその頃、小学生の頃から独学でやり始めていたピアノで、K.545の第2楽章を練習していた。うちの親は、男子がピアノを習う必要はないなんていう考え方の持ち主だったから、妹のピアノ指導のために家に来ていた若いきれいな先生が帰ったあと、僕はピアノに向かい、妹の楽譜を開いて、いつの日か自分も美しい演奏がしてみたいと思ってツェルニーなどを練習していた。そのK.545の第2楽章だけど、ギーゼキングの演奏を聴いて、おったまげてしまった。ピアノの練習曲だと思っていたこの曲が、こんなにも美しい曲だったとは! あのレコードを何度も何度も聴いた。なんとかあんなふうに弾いてみたいと思った。でも、テクニック的にはやさしい曲のはずなのに、どうしてもギーゼキングのような音を出すことはできなかった。専門的なことはわからないけど、ギーゼキングの演奏を聴いていると、楽譜に忠実でありながら(つまり今回の車田さんのいう型にハマりながら)も、ギーゼキングの自由な個性が聞こえてくるような気がする。と同時に、モーツァルトの歌う声が聞こえてくるような気持ちにもなる。当時はまだクリスチャンじゃなかったけれど、大学に入ってからクリスチャンになって、モーツァルトの天才はやはり創造主からの賜物のように思えてしまい、僕は今でもあのK.545の第2楽章を聴いていると、神に感謝したい気持ちでいっぱいになる。モーツァルトが晩年、寒いウィーンの冬に薪も買えないほどに貧乏だったその頃、こんなにやさしく、美しい曲を作ってくれた。世の中の現実がどんなに悲しく見えてしまうことがあっても、モーツァルトやベートーヴェンやバッハの音楽、そして聖書がある限りは、決して希望を失うことはないだろう。*あとがき*いつも車田さんのお話を聴いていると、いろんなことが頭に浮かんできて、いろんなことを話したくなってしまうのだけど、コメントを書き始めるとすごい長文になってしまいそうだったから、今まで黙っていたのです。こんなに長くなってしまって申し訳ありません。
ロックの雑食性をみくびってはいけない。クラシックの美味しいところを大胆に取り入れるだろう。ロックがクラシックにいったん食い込んだらあっというまにクラシックを侵食するだろう。そして言うだろう、「クラシックの奴らは大昔の譜面をなぞっているだけ。自分たちで曲を作って演奏する自分たちの方が創造的だ」と。そうなったときクラシックはどう対抗するのであろうか。
先生のお話を聞いていて思い出したのが以前、坂本龍一氏が話していた話で、矢野顕子さんの音楽を初めて聞いた時、近現代の音を自然に使っていた矢野さんの音楽に触れて、何処で体系的に音楽を学んだのか、と聞いてみたら、体系的に音楽を学んだ事が無くて自然に耳に残った音を使っていて驚いたという話をされていました。天才ですね。
ロックやポップスは拡声器(マイクとスピーカー)ありきだからクラシックとは一線を画す、教わる必要はないだろう。ジャズもしかり。
イギリスを発祥とする大英帝国を創り上げたアングロサクソンの開拓精神そのものが型を重視するクラシック音楽と合わないのだと思います。バロック以外は数世紀前からイギリスはクラシック不毛の地だったし。英米豪なども一般的にクラシックは影が薄いし。
音大と美大は汎用性のない職業訓練所なので、周りの才能に気圧されて自分の能力に見切りをつけ転身したい人の為に、2年目と3年目に他大学に転学する制度があれば良いと思う。
ジャンル云々という以上に「伝統を優先するか?」「新天地開拓を優先するか?」の選択は重要ですよね。現代音楽作曲家は伝統的な教育を受け新天地目指して創作しているので…なんとも言えないところあります。
それはともかくポピュラー音楽もクラッシックに負けず劣らずかなり保守的閉鎖的だと思います。
たしかに、ジョンレノンだけでなく、セックス・ピストルズなど、時代をつくったミュージシャンはそうですね!しかし、葉加瀬太郎のようにジャンルを超えたチャレンジも素晴らしいと僕は思います
専門学校ではすでにポップス(ギターなど)を教える場所はありますね。
ロックについてはその通りかと思います。
ジャズに関しては型を破るにしてもその型を覚えるのが難しいくらいにレベルが上がっていて晩年のマイルス・デイヴィスの優秀なバンドメンバーだったマイク・スターンやジョン・スコフィールド、等、近年のジャズ · シンガー、ジャズミュージシャンに関してはバークリー音楽大学出身者やその他の音楽大学等で、又は個人的に何らかの音楽教育を受けてる方が圧倒的に多く、ことの良し悪しは別にして、個性を出す前に覚えることがクラシック音楽並に多くなっているのが現実です。
歴史的なミュージシャンでもマイルス · デイヴィスはジュリアード音楽院で(一時)学んでいますし、かのチャーリー・パーカーはメシアンに作曲を学ぶ予定で有りました。ジャズピアニストはほとんどの方がクラシックピアノを子供の頃からみっちり学んでから転向した方が殆ど(バド・パウエル、オスカー・ピーターソン、ハービー · ハンコック、キース · ジャレット等など)です。
唯、東京芸大や桐朋学園等でジャズ部門を作る必要は無いとも思いますがバークリーのような体系的にジャズに関して技術や音楽理論を学ぶ環境は良し悪しは別にして必要だと思います。
追記
元マイルス · デイヴィス クインテットのベーシスト、ロン · カーター氏は元々クラシックのコントラバス奏者としてオーケストラで仕事をしたかったが黒人は受け入れられずジャズに転向したとか…。
まさに高3の息子が音大の音楽領域ポップス、ロックのコースを受験しようとしています。ピアノ経験なく高校の軽音部でドラムを始めて音楽の魅力にはまり…それだけで音大の受験が出来るとは思っていなかったので全くイメージは出来ないのですが…本人は音楽について大学でもっと沢山の事を勉強したいと譲りません。クラシックの高いハードルが少し下がった事でこれまで興味はあっても諦めてきた若者にとり、ポップスやロックからでもクラシックにも触れ、その深さを知る事が出来たらとても素晴らしい事だと思いました。経営の為であったとしても大学で出会う仲間や先生からの影響は大きいと思いたい母です😂
昔聞いた流行歌はその時を思い懐かしく思いますが、クラシック音楽は小学生の頃から先生に教えてもらって今良かった鳥肌が立つ程感動しています。ビートルズが流行っても音も盛り合わせにしか感じない有難うございますのです。私個人的にです。96才の今クラシック音楽の良さがわかリました❤🎉
そもそもロックって先生に反抗するものですからね
ま、型破りってのは型を覚えてからやぶるんで、型にはまるようならロックンロールじゃないしな。
凄く説得力あります。
昔、マルクスブラザーズの映画で「陸軍に入って海を見よう」と云うギャグが有りました。
それは中々面白い!
教育か経営か、切実な問題ですね。
ドイツの木製のおもちゃ、素敵ですね✨
くるみ割り人形の兵隊さんも色や大きさが豊富で、素敵ですよね💕
モーツァルトやベートーヴェンをキチンと学びきったうえで、敢えてその外に出るというならアリだと思いますが、果たしてそれを音大で教えるべきなのかどうか。
わたしは、ポップスもクラシックも12音音階である限り基本は同じだ、と思ってますから音大で教えることについては何の抵抗もありません。米国にはバークリーのような学校もあり、互いに刺激を与えあえるならなお良いか、と。
悩ましいですね…私は作曲でお仕事をしていましたが、完全に独学でした。
元々ハードロック好きだったので、仕事じゃない時はオリジナルやカバーを楽しんでいます。
クラシックに興味のなかった私は音大という選択肢がなく、人様に教えてもらう前に自分で悩め…という矜持もありました。
作曲家としてどこかの会社やレーベルのお世話になろうとする時、やはり音大の「肩書き」が欲しかったな…と思う瞬間が多々あります。
一方、ポピュラーミュージックとクラシックでは理論が違う事もあり、それらを知る事に一定の価値もある様に感じます。
正しい事を知った上で破壊する音楽も存在するので、一定程度有用な気も…
いや…微妙だなぁ。。。
結局「教わる」側にもある程度の利益になると思いますが、教えてもらう時間があるなら自分で学べ!という結論になるかもしれません…
音大の危機であって、音楽の危機ではないから、
本当に必要な音大以外は淘汰され、必要な音大だけ残ればいい。
これは、音大だけでなく、企業も、町村も、必要でないところは淘汰。。
「ロックやポップス」が恰も19世紀のクラシックと同じような立ち位置になりつつある、というのはあると思います。
ジャズのアドリブを理論にして教えたのはバークリー音楽大学ですが、バークリーのメソッドが行き渡ってジャズが面白くなったかといえば、それは違うと思います。1950年代の理論も知らなければ譜面も読めない人たちの方が、個性を持っていたと思います。学校に行くことで巧くはなっても、個性を失う人は多いだろうと感じます。
先生は雰囲気的に音楽版林修先生っていうカンジですね!😊
メタル系のアーティストはバロック音楽の影響を受けている方が多いと思いますね。
車田さん 初めてコメントします。
毎回、楽しいトークと音楽を楽しませていただいております。
感謝申し上げます。
初めての投稿なのにあまりにもお粗末な質問をお許しください。
私は高校生の時からラジオやアンプを作っていました。
当時は真空管が全盛で大学に入って初めてトランジスタを使ってアンプを作りました。そんなこともあり音楽はいい「音」で楽しむことに主眼を置いてきました。
ところが先日、天才バイオリニスト、渡辺茂夫をユーチューブにアップされた動画を見ました。そして日頃考えていたことですが音楽家の良し悪しはどこで決まるのでしょうか?
例えばチャイコフスキー 国際コンクールなどでの優勝者はどのようにして決まるのでしょうか?
私にはチャイコフスキーの優勝者と芸大の優秀な奏者との違いがいまだに聴き分けられません。
以前、車田さんの解説の中で音楽は何回も聴きこんでその良さがわかるとの解説がありました。私には世界的に有名なベートヴェンの「運命」を100回聴いても指揮者の違いどころか演奏の良し悪しもわかりません。
ただ音楽は好きなので感動すると体が身震いし涙さえ出すことがあります。
特に昔、トランジスターラジオから流れる音楽を山で聴いていると不思議な感動に包まれました。60数年以上前のトランジスターラジオですから音がそんなに良いわけではありません。
音楽に惹かれた最大の理由が山の中でした。音としてではなく何かわからない、不思議な感動で心が満たされました。それ以来、音楽が徐々に好きになりました。
関係のない話ですが串田孫一の「音楽の絵本」を大学生時代に聴いて楽しんだ世代でもあります。
CDよりレコードに愛着を感じている私ですが、残念ながら今では聴くこができません。(私はタイに住んでいるためレコードのセットは日本に置いてきました。レコード盤に針を落とすときの緊張感が大好きな世代です。)
今ではもっぱらユーチューブにアップされた音楽を楽しんでいます。登山のできなくなった老いた体をいたわりながら、音楽で楽しんでいます。
何か「音楽談話」から外れた質問ですが日ごろから不思議に思っていました。
最近唱歌調による連作歌曲を構想しています。
車田さんの文部省唱歌へのご意見をうかがえたら幸いです。
大学でのクラシック以外の需要のように、
義務教育での唱歌の必要性が薄れつつあるなか、私は唱歌の良さを今も信じています。
文語調で難しさもありますが、あの詞の美しさはポップスには表現できない気がして・・・
さらに旋律も実践してみるとあんなに美しく書けないと気付くばかりです。
スティーヴ・ヴァイやDream Theaterのメンバーなど、バークリー音大の出身者が商業音楽の世界で成功していますね。
日本人でも渡辺貞夫さんや大曽根真さんがバークリーで学ばれていました。
これはバークリーが一般的な「音楽大学」とは違ってジャズや現代アメリカの商業音楽に特化した大学だからなのでしょう。
スティーヴ・ヴァイやDream Theaterのやっているロックは、なかなか独学でその境地に達するのは難しいのではないかと思いました。
ロックと言っても様々にジャンル分けができ、プログレッシブロックのように専門的な音楽の知識が必要になるジャンルもありますね。
学ぶ学生が目指す道と大学の教育理念が合致すれば、大学でロックやポップスを教えることも一定の価値がありそうな気がします。
先生、質問です!演歌や民謡にある、こぶしを回す歌い方は日本(語)の音楽独特ですか?
独特だと思いますよ。
クラシック系の演奏家だとあまりいないかも知れませんが、作曲家で音大を出ていない人は山ほどいるし(後述)、何を音大で教えるべきかというのはまあ大変に自由度の大きい話ですよね。音大出でない作曲家の例:武満徹、柴田南雄、湯浅譲二、松平頼暁、信長貴富などなど。米国にはバークリー音楽院なんかもありますが、そういう音大が日本にあってもいいですよね。
音大でロックやポップスを教えることは難しいね。
まるで違います。
音大で教える必要があるのかどうかは、分かりません。
但し、ジャズは音楽理論から教えることは出来るでしょうね。
まぁ、講師次第です。
大学は、アカデミアなので、ロックなどを教える場合、その歴史、音楽としての特徴、ロック音楽の心理的影響、社会状況との関連など、アカデミアでこそできることを取り上げて欲しいです。ベートーベンの音楽も当初は、その時代のロック的存在だったのでしょうが、その価値を評価したり、解析、議論する場があったので、ベートーベンの音楽が生き残ってきたのだと思います。さて、ロックなどいろいろなジャンルの音楽は、どのように発展して生き残って行くのでしょうか。ポップスの大手の業界では、受けるメロディー、リズム、歌詞などを解析し、作曲するという話も聞きます。音楽とは何ぞやということを学生さんに考えさせることができるなら、大学でロック、ポップスなどを取り上げてもいいのかもしれませんね。
It's better to stick to the classical musics.
ロックは不良の音楽で良いのだと思います。
興味深いのは、音楽には不良も真面目な人も夢中にさせる魅力があるという事実ですね。
着る服がセンスや生き様で変わるように、好きな音楽、やりたい音楽もみんな違って当たり前だと思います。
バークリーなどは卒業後の学生達の仕事の面までフォローする体制が出来てますよね。
学ぶ音楽の種類より、学生達にとってはそこが重要なのかな、と思います。
最終的には自分の力で切り拓いて行かなければならないとしても、端緒くらいフォローしてあげる事がやれれば、音大希望の子達も増える気がしました。
まんまでしかありませんが
読書100ぺん意、おのずから通ず。
ロック、ポップス、ジャズにも型がありますよ。
いわゆるジャンルというやつです。
数限りない派生があるので、これらを本気で学ぼうと思ったら
かなり専門的な学習が必要になると思います。
ただ、これらの音楽は、型通りに演奏するというよりも
そこから派生した自分なりのオリジナリティが求められることが多いので
クラシック音楽とは本質的に違うという意味で、音大で教えるのには限界がある気がします。
いつもながら、考えされられるお話しありがとうございました。
ポピュラーで音大といえば、渡辺貞夫さんや、ミッキー吉野さんが卒業されたアメリカのバークリー音楽大学が思い浮かびますが、既に有名な人がさらに技術を研鑽するために入学するというイメージですね。
小曽根真さんにせよ、15歳で既にプロデビューして、神戸市の普通高校を出てからここに留学されているし。
クラシックだと、教養とか情操とか、学校教育の目的と合致する部分が多いと思うのですが、ポピュラーだと、それこそ個性が売れてなんぼの商業主義の部分が大きいから、難しいのかもしれませんね。
映画「イマジン」懐かしいです。
学生の頃、新宿歌舞伎町の映画館でオールナイト上映で観ましたが
髪型やメガネまねたジョン・レノンのそっくりさんが
大勢観に来ていて微笑ましかったです。
ロックやポップスは個人的にはMIDIやDAW、DTMといった
機器の接続や使いこなし、PCを使った操作方法、レコーディングや
マスタリングが学べる専門学校のようなところがあったら、
周囲に詳しい人がゼロなので短期的に通ってみたいなと思ったことがありますが
今はTH-cam動画で使い方やチュートリアルがなんでも紹介されていて
独学で学ぶハードルが下がってますよね。
ジャズは確かジュリアード音楽院に学科があったと記憶してます。
宮田まゆみさんの演奏で笙に興味を持ったときに日本の雅楽は
どこで習ったらいいのか疑問に思ったことがありました。
音大によっては雅楽専門の学科が一部であったりするのでしょうか?
東京藝術大学音楽学部邦楽科があります
芸大にありますね。
型にはめて、型を破ればいいけど、型なしでは、お話にならないが、かといってロック聴く奴不良‼️クラシック音楽聴く人良い子ちゃん‼️と言う気持ちは更々無いですね~‼️ハイ‼️
ポピュラー音楽を目指す人には、少しくらい、音楽の勉強をして欲しい、という気持ちは、ありますが、
某芸術大学のポピュラー音楽専攻の学生さんの演奏は、控え目にいって、イマイチでした。
一緒に、クラシック音楽専攻の学生さんで、オーケストラの演奏も、あったのですが、
そちらは、良かったです。
学生さんのポピュラー音楽は、カラオケと同じ、という印象でした。
9:05 「凡庸性の高い」➡️「汎用性の高い」ではありませんか?🤔
おっしゃるとおりですね
「型にはめる」のが音大だが、「型を破るのが」ロック。
教えてもらうロックはすでにロックではない。喉を潰すくらいの気持ちで表現するのがロックだと思う。
全盛期は短いものです。
今のロバートプラントなどは抜け殻のようです。全盛期はすごかった‼️
ロックやポップスというより、逆に型を重視する演歌や民謡の方が音大に合うのでは?
まあ音大出のセックスピストルズとかはあり得ないですね。😂
ただエンジニアリングと同様、再生や発展のために高度な技術とその背景の原理原則を学ぶ事が必要なものなら音大で教えるべきだと思います。
音大でミュージカルが盛んな様ですね🎶
いまはまだ大卒と高卒の初任給が違うので大学をモラトリアム期間にして自分探しをする子は多いと思います。他の大学と同じように音大に通いたい子はポップスコースがあると嬉しいのかもしれません。
音大も、そうなんですね。
教育大学、工業大学も、経営のために、皆、総合大学になっていきますね。
学科でキャンパスも違ったり、同じ大学とは思えないけど
型とオリジナリティ
とてもわかりやすかったです!
今の時代は敢えて教えないと忘れ去られそうでコワイです・・・w
ロックやポップスは、あまり知らないので面白いお話しでした。ありがとうございました。
エレキギター科、今、あるそうですね。
すなわち、何事も、基本から、ということではないのでしょうか?ロックバンドでも、クラッシックを参考にした、グループがありますからね。現代音楽にも、エレキギターのための曲がありますね。
学校で教えるようになるということは、教える需要が出てきたということと、その分野で知識や技術の蓄積が出てきたということです。19世紀に入って楽器は急速に発達します。それを受けてクラシック音楽の需要が高まり、音楽大学でクラシックを教えるようになったというのが現実ではないでしょうか。ジャズも、20世紀初頭に始まって需要が高まり、アメリカのいくつかの大学にはジャズ科があります。同じように、ロックやポップスも1960-1980頃に興隆し、最近になって特に需要が高まり、大学で教えるところが出てきたというだけだと思います。それでも大学で扱っている比率はクラシックが最大で、それがどのあたりの比率に落ち着くのか、というのは興味あるところです。
問題は、日本で子供の数が減り、音大で教える内容が多様化、クラシックの人材供給不足が発生、大編成が国内ではムリになり、そもそも演奏できないということは危惧されます。2022年に生まれた子供は、車田さんの世代頃の2/3程度ですから。
私は圧倒的に音楽イコール歌だと思っているので、どちらかと言うと音楽イコール演奏という傾向のクラシックには興味が持てなかった。
実は私も「音大崩壊」を読んでみました。
先生の問題提起を興味深く拝聴させていただきました。有り難うございました。私もピアノと歌謡曲(と言っても昭和懐メロですが…)を同じ教室の同じ先生に習っております。音大の体質と音楽教室の先生方を見ていると「クラシック原理主義」と言っても過言ではない位、クラシック至上主義を感じております。
私は音大にロックやポップスといったコースがあっても良いと思います。ロックでもポップスでも基本はクラシックにあると思います。J―POPで息の長いミュージシャンは、大抵はクラシックピアノをやっていたような話を聞いたことがあります。クラシックという「型」にはめて、それをぶち壊す反骨精神を大学で養成しても良いのではないかと思っております。
それと、私自身感じているのは音大に「流行歌コース」があっも良いのではないか。未来に唄い継がれる流行歌が果たしてあるのか常々疑問に思っております。音大の流行歌コースには「歌手」「作曲家」「作詞家」の「専攻」を設けて、当然一通り学修させる。歌手は発声法や作詞家の描く情景や作曲家の描く情景を考えさせること…。といった内容でしょうか。流行歌って、歌詞にも曲にも一定のルールがあるようでならない。歌詞を読んで情景が浮かび、曲が入って時空を越えてその時のその場に居るような気持ちになるものだと思います。そんな曲は、何等かの格好で聴衆の財産になるような気がしてならないからです。
先生はクラシック専門でありながらも、ゴリゴリのロック好きな私が聴いても反感しない話し方が魅力的です♪ロックとクラシックは求めてるものが全く違うので、音大でロックを学ぶのは筋違いかなと思います。やっぱロックンロールは素直な人は比較的向かないですよね😅Queen(特にフレディ)も誰に何を言われようとも型にハマらない音楽をやってましたね😊それが病みつきになるし、コンサートのセットリストは勿論、歌い回しを自由に変えることもあるので型にはまらない良さがありますよね😊ロック好きなので、長々と語ってすみません😅因みに教員時代、教員バンドで何を担当していらっしゃいますか?ボーカル?ギター?
主にギターやピアノですね。ドラムは生徒がやりました。
@@kazuhisakurumada 返信ありがとうございます!教師と生徒!バンドのセッションは自分の意見をドンドン言わなければいけないので、日本の生徒が自分の意見を億劫せずに伝えるのは想像できないです。生徒と教師ってことはセッションなしのぶっつけ本番かな??
昔は音大というとクラシック以外は音楽じゃないと思っている人間の集団というイメージだった。
だから私はクラシックにはそんなに興味がなかったので音大という選択肢はなかった。
まっ、どうでもいい話しですが、ある人が芸大芸大と言ってあえて芸大と音大みたいな区別したがってる方がおられます❗️
バイオリンやピアノ、3歳4歳から毎日毎日泣きながら弾いて、コンクールで淘汰され、勝ち残った勝者と、ロクに練習もせず、ぽっと出の現代楽器と一緒にされたくない…
母方のいとこはみんな僕よりずっと年上で、ローリング・ストーンズとかのレコードを1960年代に聴いていた世代。その影響で僕が小学生の頃に初めて買ったLPレコードはローリング・ストーンズだった。中学生になった頃、すでにビートルズは解散していたのだけれど、やはり僕もビートルズの音楽にハマってしまって、彼らの音楽を通して、音楽の楽しさ、美しさ、そして自由と反骨というようなものを学んだような気がする。ギターを独学で習得し、作詞作曲もするようになった。英語をもっと上達させなきゃと思ったのも、彼らの歌詞の意味を知りたかったから。
ビートルズによってロックに魅せられてしまったわけだけど、実際に活動しているロックバンドの音楽にはあまり魅力が感じられなくて、それで聴き始めたのがモーツァルトやベートーヴェンだった。現代のきれいなステレオ録音による演奏よりも、僕が何よりも気に入ったのはギーゼキングによるピアノソナタ集。ちょうどその頃、小学生の頃から独学でやり始めていたピアノで、K.545の第2楽章を練習していた。うちの親は、男子がピアノを習う必要はないなんていう考え方の持ち主だったから、妹のピアノ指導のために家に来ていた若いきれいな先生が帰ったあと、僕はピアノに向かい、妹の楽譜を開いて、いつの日か自分も美しい演奏がしてみたいと思ってツェルニーなどを練習していた。
そのK.545の第2楽章だけど、ギーゼキングの演奏を聴いて、おったまげてしまった。ピアノの練習曲だと思っていたこの曲が、こんなにも美しい曲だったとは! あのレコードを何度も何度も聴いた。なんとかあんなふうに弾いてみたいと思った。でも、テクニック的にはやさしい曲のはずなのに、どうしてもギーゼキングのような音を出すことはできなかった。
専門的なことはわからないけど、ギーゼキングの演奏を聴いていると、楽譜に忠実でありながら(つまり今回の車田さんのいう型にハマりながら)も、ギーゼキングの自由な個性が聞こえてくるような気がする。と同時に、モーツァルトの歌う声が聞こえてくるような気持ちにもなる。
当時はまだクリスチャンじゃなかったけれど、大学に入ってからクリスチャンになって、モーツァルトの天才はやはり創造主からの賜物のように思えてしまい、僕は今でもあのK.545の第2楽章を聴いていると、神に感謝したい気持ちでいっぱいになる。モーツァルトが晩年、寒いウィーンの冬に薪も買えないほどに貧乏だったその頃、こんなにやさしく、美しい曲を作ってくれた。世の中の現実がどんなに悲しく見えてしまうことがあっても、モーツァルトやベートーヴェンやバッハの音楽、そして聖書がある限りは、決して希望を失うことはないだろう。
*あとがき*
いつも車田さんのお話を聴いていると、いろんなことが頭に浮かんできて、いろんなことを話したくなってしまうのだけど、コメントを書き始めるとすごい長文になってしまいそうだったから、今まで黙っていたのです。こんなに長くなってしまって申し訳ありません。
ロックの雑食性をみくびってはいけない。クラシックの美味しいところを大胆に取り入れるだろう。ロックがクラシックにいったん食い込んだらあっというまにクラシックを侵食するだろう。そして言うだろう、「クラシックの奴らは大昔の譜面をなぞっているだけ。自分たちで曲を作って演奏する自分たちの方が創造的だ」と。そうなったときクラシックはどう対抗するのであろうか。
先生のお話を聞いていて思い出したのが以前、坂本龍一氏が話していた話で、矢野顕子さんの音楽を初めて聞いた時、近現代の音を自然に使っていた矢野さんの音楽に触れて、何処で体系的に音楽を学んだのか、と聞いてみたら、体系的に音楽を学んだ事が無くて自然に耳に残った音を使っていて驚いたという話をされていました。天才ですね。
ロックやポップスは拡声器(マイクとスピーカー)ありきだからクラシックとは一線を画す、教わる必要はないだろう。ジャズもしかり。
イギリスを発祥とする大英帝国を創り上げたアングロサクソンの開拓精神そのものが型を重視するクラシック音楽と合わないのだと思います。
バロック以外は数世紀前からイギリスはクラシック不毛の地だったし。
英米豪なども一般的にクラシックは影が薄いし。