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テレビで何度も何度も再放送、その都度何度も何度も何か身につまされて見ました。白黒モノトーンの哀愁に満ちた映画、見終わった後の余韻が今だ残っています。
コメントありがとうございますテレビで何度も再放送されてなのですね僕は残念ながら余韻が残るほどこの映画を理解できてないかも・・・
思わずコメントします。あそこにあの2人が座っていたと想像するだけで鳥肌が立ちます。変わらない物も多くて昭和時代のロマンを感じながら拝見させて頂きました。感謝します。
こちらこそ、ありがとうございます。ぜひロケ地を訪れてはいかがでしょうか
ありがとうございます!
こちらこそ、ありがとうございますやる気出てきました~
8:32 アーチ状の黒い柱のようなのが被っていますが、その奥の白い丸窓の建物は東京メトロ本社の旧社屋だと思います。上野駅と言えばJRの正面玄関口の建物が立派ですが、上野駅の歴史を調べていると向かいのメトロ(帝都高速度交通営団)も中々のもので、戦前の開業当時建物全体が大きな時計に装飾されていたとか。80年代半ばぐらいに解体されたみたいで、アラフィフの私でも殆ど記憶にありませんが、地下鉄ストアという元祖駅ナカと言えるべき商業施設も併設されていたそうで、デパートやJRの駅と違い、唯々老朽化の波に消えて行ったのがもったいないですね…。
情報ありがとうございます。東京メトロの旧社屋なんですねこの時代の建物は検索しても、全然出てこないので助かりました上野駅周辺にも興味がわいてきました。
ロケ地はドラマを超える!さん、70年前の映画をここまで探すのはなかなか出来ないと思います!もう素晴らしいとしか言えず登録させていただきました。
コメントありがとうございます正直言いますと、ロケ地の場所は検索すると出てきたのでした・・・他の動画もタイプは違いますが、よければどうぞ!
尾道の東久保町、久保二丁目、長江一丁目辺りへどうぞ行ってみてください。映画「転校生」、「時をかける少女」、「ふたり」のロケ地は、小津安二郎監督が関わった「東京物語」のロケ地と深い深い関係がある場所ばかりなんです。「タイル小路」と「福善寺」が隣り合う地であることを知って本当に驚きました。1953年7月に平山敬三が腰かけた「福善寺の縁側」と、1983年4月に芳山和子が通った「タイル小路」は10メートルしか離れていません。
66年生きてきて一番好きな映画ですレンタルビデオでも沢山の外国映画も観ましたがこの映画が一番好きです。
コメントありがとうございます僕はだんだん「いいなあ~」と思い始めてる感じです
@@roketidorama 様へもう71年前の映画で当時のロケ地と比べてその地域の様子も変わっているのによくみつけられましたね、今では長男の息子さん役の子役さん達除くと香川京子さんしか大人の役者さん残っていませんよ。
高評価だからというので若い頃に観た時は何でこんな映画が⁇って思ったけど、歳を経ながら何度も観て、今やタオルは必需品です。尾道行った時も大林作品はさておいて東京物語のロケ地巡りしてしまった。
@@岡山タタ 様へ今でもテレビで放送された「東京物語」録画したビデオはデッキの中に入っております、今では大人の出演者はお一人(香川京子さん)しか健在ではありませんが皆様のその当時の顔が浮かびます、また出演者の名前が直ぐに出てくるのはそれほど心に刻まれた作品ですからね。ちなみに映画上映始まったのは1953年11月3日(文化の日、戦前は明治節)で私の生まれる四年三ヶ月前でも心に残る作品です。
物干しのシーンですが3:48 の進行方向とは逆の堀切橋の方へ草の道を100mぐらい行くと、2-3年前まで民家とその玄関前に物干し竿を掛ける柱が残っており、映画と同じ雰囲気が味わえました。ユニオン映画「パパと呼ばないで」の第1回オープニングのシーンは、やはり堀切駅前から始まり画面には物干しが映されており、撮影スタッフの小津リスペクトではないか?と想像しております。
興味深いコメントありがとうございます「パパと呼ばないで」と繋がっていたのですね
2年前、尾道を見に行きました。浄土寺は中の配置は変わっていましたがもの自体はそのままでした。その近くにある筒湯小学校(香川京子が先生をやっていた)は廃校となり建物の位置も変わっていました。
コメントありがとうございます尾道のロケ地もぜひ行きたいですね
@@roketidorama 映画「ふたり」のラストシーンで、石田ひかりさん演じる実加が東久保町の坂下から現れた地点は、小津監督が「筒湯小学校」の木造校舎を撮影するためカメラをセットしたポジションそのものです。そして、「千津子の事故現場」を通り過ぎた場面から坂道を登る女性は千津子を演じた中嶋朋子さんに替わるのですが、大林監督は彼女の「顔」でなくその「お尻」を撮影しています。千津子の背後にあったものはスクリーンの中に映し込まれませんが、それこそが「筒湯小学校」なのです。
今でも昭和の香りが強く残っている堀切駅周辺。「東京で開業医をしている」という言葉から想像される豪勢な暮らしぶりと現実とのギャップを表現するのには格好のロケーションだったと思います。
なるほど!豪華な暮らしぶりとのギャップですか?僕にはそこまで読み取る力はないです・・・奥が深いですね!
堀切駅は「こち亀」の扉絵シリーズにありましたね。子供の頃、京成線の堀切菖蒲園駅近くに住んでいて、浅草からこの駅に着き、まだ木製の堀切小橋(大橋も木製でした)を渡って帰った記憶があります。
ついでですが、「表門」は「おもてもん」ではなく、「ひょうもん」と呼ぶのでしょうか?
和光ビルはこの翌年、ゴジラが壊しました。遠くに見える国会議事堂も蹂躙されました。
コメントそして思い出をありがとうございます
(笑)
名作「東京物語」の老夫婦が見ていた東京各地を辿り、映画のシーンと現況を丹念に比較して下さり、有難うございます。教えられることが多々あり、大変勉強になりました。また「東京物語」を見る時、とても参考になるでしょう。「麦秋」などについても同様にご検証下さると非常に嬉しいです。
コメントありがとうございます小津安二郎監督の作品は実はあまり知りません・・・これを機に見てみようと思います「麦秋」ですね!
@@roketidorama ご返信、恐れ入ります。「麦秋」は小津の1951年作、これもまた心に沁みる名作です。北鎌倉が中心の舞台ですので、調べ易いかと思います。
麦秋の最後あたりは近鉄奈良線耳成駅付近からだと思います。耳成山の形からです。画面中央の大きな農家はもうありませんが、敷地はそのままのようです。現在は大きな民家に建て替え。そして婚礼の行列もそのあたりから東に向かっています。
@@swalka 近鉄奈良の耳成の辺りは行ったことがなく、貴重な知見をお与え下さり、有難うございます。奈良は大好きな地ですので、何時かそこの辺りに行けたら良いのですが。
情報ありがとうございますぜひ奈良のロケ地も訪れたいですね
石立鉄男シリーズ「パパと呼ばないで」第一話が堀切駅前のシーンから始まります
コメントありがとうございます「パパと呼ばないで」に出てくるんですね
堀切駅は昔は構内に踏切があり土手(旧堀切橋)からバスも通っていました。鐘ヶ淵寄りにありました。女性二人が立って会話してるシーンに踏切が写っていますね。
情報ありがとうございます
堀切駅ホームのシーンは京成の現八広駅で撮影され駅名板は撮影用だったようです
貴重な情報ありがとうございます八広駅だったのですね・・・また機会があれば八広駅も調査してみます
昔は荒川駅といいましたね、ずーとこの近くに住んでますから正に昔の荒川駅の面影がよみ返ります確か駅下の建物は1963年松竹映画、山田洋次郎監督、倍賞千恵子主演「下町の太陽」?のロケ地だったはずですね😊😊😊
嫁の紀子が住むアパートのロケ地である、同潤会アパートの近くに住んでいた者です。小学校の同級生が住んでいて、アパートの中庭でよく遊んでいました。紀子の部屋の窓から見える建物の壁のようすが懐かしいです・・・・。
いや~すごい情報ですねありがとうございますどこの同潤会アパートでしょうか?痕跡は残ってないですよね・・・
@@roketidorama 横浜市西区平沼にあった同潤会アパートです。蓮実重彦著「監督 小津安二郎」に厚田雄春氏の撮影日誌が掲載されており、同記述があります。私は二丁目の住人だったのですが、私が子どもだった1970年代後半にもなると老朽化が酷く、なかばお化けアパートとなっており昼間でも怖かったです。1980年代半ばに壊されて別のマンションが建てられました。
横浜にある同潤会アパートだったのですね貴重な情報と当時の話をありがとうございます。
半年ほど前にBSで映画を見ました。ロケ地巡りしたとあり、凄いですね。さすがです。70年前だし白黒で画像も鮮明じゃないですからね。
どうも!ありがとうございます。そうなんですよ、なんせ70年前ですからね・・・
この映画に限り、いろんな事情で残っていたのは16mmのリプリント版だけだったとか。それもかなり痛んだ状態で。それを何度かリマスタリングして現在の映像になったようです。一番できの良いのはアメリカのクライテリオン版だとか。これ当然、英語の字幕付きです。しかしどれも音が悪いですね。どうにかしてほしいです。
金八先生ロケの集合は堀切駅だったと薬丸さんがアド街で言ってました。シリーズ違うけど順子さんとかも行ったのかな。
情報ありがとうございますやはりここは金八先生のロケ地みたいですね
尾道市長江一丁目の「タイル小路」へ初めて行った時、私は本当に驚きました。平山敬三が母の突然の死を嘆いた「福善寺」の縁側は、なんと「タイル小路」から直線で10メートルの位置にあったからです。「タイル小路」と「福善寺」は隣り合う土地だったのです。
コメントありがとうございます尾道のロケ地ぜひ行きたいですね!
1991年劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンで、石田ひかりさん演じる制服姿の「実加」が東久保町の坂下から現れた地点は、小津監督が「筒湯小学校」の木造校舎を撮影するためカメラをセットしたポジションそのものです。また、「実加」の背後に「松本病院」が映り込みますよね。どうして「松本病院」が映り込むのか、そこは小津監督がカメラをセットし、「浄土寺」と「山陽本線を走行する蒸気機関車」を撮影したポジションだからです。映画「東京物語」の冒頭の5カットのうち、3番目の絵が撮影されたのが久保三丁目の「松本病院」辺りだったのです。
興味深い情報ありがとうございます尾道のロケ地もぜひ散策してみたいですね
私も以前上野駅両大師橋のシーンで東京物語を出した動画を作りました。
コメントありがとうございます蒸気機関車専門のチャンネルなんですね
この映画が封切られたときに生まれた人がもう古希だもんね。この映画に出ていた人たちは95歳以上だろう。そりゃ、変わるわ。でも今の駅や街並みはなんか味気ないね。映画は何度か見たけど、淡々とした寂しさと怖さが伝わってくる不思議な映画だった
コメントありがとうございます今の駅や街並みが味気ないのは撮影の仕方にも問題あるのでしょうか?「淡々とした寂しさと怖さ」ですか~なんとなく分かる気が・・・
後の金八先生のロケ地とだいぶかぶってますね。
コメントありがとうございます金八先生の記憶がほとんどないのですがそれは知りませんでした
「堀切駅」のタイトルで驚いたと同時に懐かしい!!思わずコメントしました。鐘紡の社宅で生まれ育ち堀切駅は最寄り駅でした。北千住方面行きホームのすぐ脇隣は旧足立第2中学校です。駅の住所は足立区ですが、鐘ヶ淵方面に行くと墨田川と荒川を結ぶ運河があり対岸は墨田5丁目になります。堀切駅のホーム牛田寄りの端から牛田駅が目視できるほど駅間が短いです。昭和30年代、荒川に架かる堀切橋は木造でした。土手も舗装されておらずノリ面も草がボウボウでした。幼少の頃、父のボーナスが出ると上野に買い物に行き聚楽で食事するのが定番でした。社宅から徒歩で関屋駅まで行き京成電車に乗って上野に向かう途中「おばけ煙突」が見えました。見る方向により煙突の本数が変わるので幼少の頃不気味に感じたのが懐かしいです。浅草にも良く行きました。浅草は「松屋デパート」上野は「松坂屋」って松ばっかりですね。
当時の貴重な情報と思い出話をありがとうございます。こういうコメントをいただくと本当に動画作ってよかったなぁ~としみじみ思います。はい、「松」ばっかですね・・・
@@roketidoramaこちらこそ有難うございます。鐘ヶ淵はカネボウ(鐘淵紡績)発祥の地で大規模な紡績工場と社宅、社員寮、診療所、幼稚園が有りましたが昭和46年頃に所謂紡績不況により工場は閉鎖解体されました。跡地には現在もある都営の高層防災住宅なるものが墨田川沿いに数棟建てられました。
昔、堀切駅の近くに住んでいました。当時は土手が現在より数メートル低く、構内踏切が下り線の駅舎の近くにあり、上り線の改札口は無かったと思います。下り線の駅舎は当時と同じです。
情報ありがとうございます当時は土手が低かったのですね納得です
@@roketidorama 当時、駅の少し先の川沿いの道は、踏切で線路を越えて旧堀切橋に続き、荒川を渡っていました。従って、線路から少し高かっただけだったはずです。
鐘ヶ淵のカネボウ化粧品の工場へ、うちの母親が新潟県から15歳で集団就職で上京しています!八広駅なら土手がすぐです。赤線地帯です。
コメントありがとうございます八広駅の土手も一度調べてみたいと思っております15歳で集団就職ですか・・・時代を感じますね
まだ15歳ぐらいの子供たちが集団就職して、大人になり覚えた技術で肉屋さんや、床屋さん、八百屋さん、その他になり町で商店を作り昭和を作り今の繁栄の日本をつくったんだよね。みんな頑張りました。これからもみんなコツコツと頑張ろうな。
1982年公開の映画「転校生」のラストシーンは昭和の映画史に残るとても感動的なものです。斉藤一美を演じた小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が映り込むのは決して偶然ではなく、「東京物語」の冒頭シーンにある「栗吉材木店の看板」のオマージュであると思います。斉藤一夫を演じた尾美としのりさんの背後には「浄土寺山」が映し込まれますが、なぜでしょうか。「東京物語」の最後の最後、東京へ帰るために平山紀子が乗った汽車が山陽本線を東京へ向けて走り去るシーンに注目してください。同じですよね、汽車の背後に映っている「浄土寺山」の様子が。ちなみに、大林監督は、トラックを追い駆ける一美のことを「栗吉材木店の看板」があった地から走らせています。そのロケ地を訪問した人全員が違和感を覚えると思うのですが、一美は、海岸通りをつい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っています。これは大林監督とそのスタッフが意図的に仕組んだものでしょう、ロケ地を訪問する人はそこで「時間と空間の無限ループ」を楽しむことが出来ます。そして、引越し屋のトラックの右側には「栗吉木材店」と「竹村家本館」の看板が小さく映し込まれています。これは本当に注意深く観察しないとその事実はわかりません。
コメントありがとうございます「時間と空間の無限のループ」を楽しむことですか・・・ん~深いですね!
東武の堀切駅やその周辺といえば他に有名なのは、3年B組金八先生をはじめとする、桜中学シリーズですね。
コメントありがとうございます金八先生のロケ地なんですね
更に桜中学の外観のロケは、堀切駅沿いの建物です。今は「東京未来大学」が入居しています。旧中学校校舎はそのままですが、校庭だったところにも大学の建物が建ってしまいました。
面白かったです。堀切駅は大幅には変わってないですね。線路自体、位置が高くなっているので見え方が変わりますかね。寛永寺は小津さんが50mmレンズを使っていたとしても門の位置関係が変わっている気がします。尾道に行きましたが意外にあっちも全然変わってて。原節子のロケシーンは2000人とか人が集まってたらしくて、よくあんな芝居をできたなあと感心します。もう一度見てみたくなりました。
貴重な情報ありがとうございます2000人も集まるなんてすごい人気ですね!尾道のロケ地もいつか行ってみたいです
小津マニアのくせに堀切も、寛永寺も行った事がなく反省しました💦古い映画もお願いします!
荒川の土手は71年前に比べてかさ上げしているはずなので、堀切駅のホームから京成鉄橋は昔よりも見えづらくなっているかもしれません。また、京成鉄橋は現在掛け替えの工事中なので、たどれるのは今のうちだと思います。
情報ありがとうございます荒川の土手はもう少し低かったのですね、納得です!京成鉄橋が架け替え工事中とは・・・間に合ってよかったです
銀座松屋は建て替わって無くて、外装だけの変更じゃないのかな?
コメントありがとうございますはい、外装だけの変更ですね
堀切駅は昭和中後期世代だと『3年B組金八先生』の印象が強いな。
コメントありがとうございますやはりここは金八先生のロケ地なんですね
堀切駅前にあった駄菓子屋が出て来なくて残念・・・
コメントありがとうございます駄菓子屋ですか・・・
両大師橋から見えるピルは松坂屋かと思います。
情報ありがとうございます松坂屋ですか
すばらしい動画です、4分10秒あたりの合致、すげぇと思いました。
あれ、火力発電所の「煙突」って、通称「おばけ煙突」のことでしょうか?たぶんそうだと思いますが…、地元の方、情報ください(笑)。
コメントありがとうございますそこは僕もビビりましたよ!
お邪魔致します😅😢両大師橋は、確か「成瀬監督の「晩菊」で「望月優子さんと細川ちか子さんの「モンローウォーク」の「名場面」だったでしょうか😅😢😂
情報ありがとうございます成瀬監督作品は都内のロケ地がけっこう出てくるんですね
🎉🎉厲害推
おばけ煙突は1964年に無くなりました。
火力発電所の煙突はお化け煙突と呼ばれてました菱形に立ってたので見る角度で本数が変わって見えていました今はモニュメントがあります
情報ありがとうございます見る角度によって本数が変わって見えるとは興味深いですね、跡地も訪れたいです
仰っる通り、菱形4本ですから、きっと画面の左側の4本ですね。補助発電所で4本一斉の稼働は滅多になかったそうで、画面の煙も同じ様子です。
良かったヨ😀
ありがとう~
世界的な映画ですから英訳したらヨーロッパなんかでバズリそうですね 世界名作4位の映画ですからね
コメントありがとうございますたしかに世界の名作ですね英訳ですか・・・
熱海の堤防はどこかなって観光案内所に尋ねてみたら、「東京物語」って何?てな反応で愕然とした。
おお~熱海まで行かれたのですね場所を特定したいですよね~
寛永寺の門は門の前での撮影かと思います。
動画の青空と スクリーンの青空は(自分の中では)変わらぬ 碧ろ
コメントありがとうございますん~僕の頭では難しすぎます・・・
秋刀魚の味も是非やってください🎉
秋刀魚の味ですねとりあえず見てみます
ヴィム・ヴェンダース氏に是非見て頂きたい!!!!😍
コメントありがとうございますビィム・ヴェンダース氏の名前は今覚えました!
松屋の高さでは国会議事堂は見えないでしょうもうその高さでは眺望は期待できませんね
たしかにその通りですねコメントありがとうございます
松屋のアクセントが其れだと牛丼屋ななっちゃうんデ、フラットにお願い🙏
アクセントに違いがあるとは知りませんでした・・・どんな違いがあるのですか?
@@roketidorama 子供時代浅草に住み、隅田川沿いの松屋デパートにしょっちゅう行っていましたが、小学校の同級生も含め、マツヤはフラットに発音していました。一方、牛丼のチェーン店の松屋についてはマにアクセントをつけて発音するように思われ、「研一」さんの言われる通りではないでしょうか。
現地取材お疲れ様です、楽しませていただきましたが少しだけ詰めが甘い印象。映画の画角とできるだけ近くなるような配慮や映画に映った同じ石垣を探してほしかったし、現存しない煙突の位置などはマップで方向確認もして欲しかった。ありがとうございました。
コメントありがとうございますそうですね、詰めが甘いですね・・・頑張ります!
すごいです、世界の小津安二郎です、世界の東京。海外に住んでますが、こういった動画をみるとドキドキします。
コメントありがとうございます海外でも人気ありますからねとはいえ日本の方ですよね・・・
戦前から戦後三十年代にかけての懐かしの風景を、今時の殺風景と重ね合わせるのは無粋の極みというもの。
コメントありがとうございます
東京という街をこんなにも暴力的に変えてしまった戦後の再開発なるものを反省するには決して無粋な行為ではないと思うのですが……。
テレビで何度も何度も再放送、その都度何度も何度も何か身につまされて見ました。
白黒モノトーンの哀愁に満ちた映画、見終わった後の余韻が今だ残っています。
コメントありがとうございます
テレビで何度も再放送されてなのですね
僕は残念ながら余韻が残るほどこの映画を理解できてないかも・・・
思わずコメントします。あそこにあの2人が座っていたと想像するだけで鳥肌が立ちます。変わらない物も多くて昭和時代のロマンを感じながら拝見させて頂きました。感謝します。
こちらこそ、ありがとうございます。
ぜひロケ地を訪れてはいかがでしょうか
ありがとうございます!
こちらこそ、ありがとうございます
やる気出てきました~
8:32 アーチ状の黒い柱のようなのが被っていますが、その奥の白い丸窓の建物は東京メトロ本社の旧社屋だと思います。
上野駅と言えばJRの正面玄関口の建物が立派ですが、上野駅の歴史を調べていると向かいのメトロ(帝都高速度交通営団)も中々のもので、戦前の開業当時建物全体が大きな時計に装飾されていたとか。
80年代半ばぐらいに解体されたみたいで、アラフィフの私でも殆ど記憶にありませんが、地下鉄ストアという元祖駅ナカと言えるべき商業施設も併設されていたそうで、デパートやJRの駅と違い、唯々老朽化の波に消えて行ったのがもったいないですね…。
情報ありがとうございます。東京メトロの旧社屋なんですね
この時代の建物は検索しても、全然出てこないので助かりました
上野駅周辺にも興味がわいてきました。
ロケ地はドラマを超える!さん、70年前の映画をここまで探すのはなかなか
出来ないと思います!もう素晴らしいとしか言えず登録させていただきました。
コメントありがとうございます
正直言いますと、
ロケ地の場所は検索すると出てきたのでした・・・
他の動画もタイプは違いますが、よければどうぞ!
尾道の東久保町、久保二丁目、長江一丁目辺りへどうぞ行ってみてください。
映画「転校生」、「時をかける少女」、「ふたり」のロケ地は、小津安二郎監督が関わった「東京物語」のロケ地と深い深い関係がある場所ばかりなんです。
「タイル小路」と「福善寺」が隣り合う地であることを知って本当に驚きました。
1953年7月に平山敬三が腰かけた「福善寺の縁側」と、1983年4月に芳山和子が通った「タイル小路」は10メートルしか離れていません。
66年生きてきて一番好きな映画ですレンタルビデオでも沢山の外国映画も観ましたがこの映画が一番好きです。
コメントありがとうございます
僕はだんだん「いいなあ~」と思い始めてる感じです
@@roketidorama 様へ
もう71年前の映画で当時のロケ地と比べてその地域の様子も変わっているのによくみつけられましたね、今では長男の息子さん役の子役さん達除くと香川京子さんしか大人の役者さん残っていませんよ。
高評価だからというので若い頃に観た時は何でこんな映画が⁇って思ったけど、歳を経ながら何度も観て、今やタオルは必需品です。尾道行った時も大林作品はさておいて東京物語のロケ地巡りしてしまった。
@@岡山タタ 様へ
今でもテレビで放送された「東京物語」録画したビデオはデッキの中に入っております、今では大人の出演者はお一人(香川京子さん)しか健在ではありませんが皆様のその当時の顔が浮かびます、また出演者の名前が直ぐに出てくるのはそれほど心に刻まれた作品ですからね。
ちなみに映画上映始まったのは1953年11月3日(文化の日、戦前は明治節)で私の生まれる四年三ヶ月前でも心に残る作品です。
物干しのシーンですが3:48 の進行方向とは逆の堀切橋の方へ草の道を100mぐらい行くと、2-3年前まで民家とその玄関前に物干し竿を掛ける柱が残っており、映画と同じ雰囲気が味わえました。
ユニオン映画「パパと呼ばないで」の第1回オープニングのシーンは、やはり堀切駅前から始まり画面には物干しが映されており、撮影スタッフの小津リスペクトではないか?と想像しております。
興味深いコメントありがとうございます
「パパと呼ばないで」と繋がっていたのですね
2年前、尾道を見に行きました。浄土寺は中の配置は変わっていましたがもの自体はそのままでした。その近くにある筒湯小学校(香川京子が先生をやっていた)は廃校となり建物の位置も変わっていました。
コメントありがとうございます
尾道のロケ地もぜひ行きたいですね
@@roketidorama
映画「ふたり」のラストシーンで、石田ひかりさん演じる実加が東久保町の坂下から現れた地点は、小津監督が「筒湯小学校」の木造校舎を撮影するためカメラをセットしたポジションそのものです。
そして、「千津子の事故現場」を通り過ぎた場面から坂道を登る女性は千津子を演じた中嶋朋子さんに替わるのですが、大林監督は彼女の「顔」でなくその「お尻」を撮影しています。
千津子の背後にあったものはスクリーンの中に映し込まれませんが、それこそが「筒湯小学校」なのです。
今でも昭和の香りが強く残っている堀切駅周辺。「東京で開業医をしている」という言葉から想像される豪勢な暮らしぶりと現実とのギャップを表現するのには格好のロケーションだったと思います。
なるほど!豪華な暮らしぶりとのギャップですか?
僕にはそこまで読み取る力はないです・・・
奥が深いですね!
堀切駅は「こち亀」の扉絵シリーズにありましたね。
子供の頃、京成線の堀切菖蒲園駅近くに住んでいて、浅草からこの駅に着き、まだ木製の堀切小橋(大橋も木製でした)を渡って帰った記憶があります。
ついでですが、「表門」は「おもてもん」ではなく、「ひょうもん」と呼ぶのでしょうか?
和光ビルはこの翌年、ゴジラが壊しました。遠くに見える国会議事堂も蹂躙されました。
コメントそして思い出を
ありがとうございます
(笑)
名作「東京物語」の老夫婦が見ていた東京各地を辿り、映画のシーンと現況を丹念に比較して下さり、有難うございます。
教えられることが多々あり、大変勉強になりました。また「東京物語」を見る時、とても参考になるでしょう。「麦秋」などについても同様にご検証下さると非常に嬉しいです。
コメントありがとうございます
小津安二郎監督の作品は実はあまり知りません・・・
これを機に見てみようと思います
「麦秋」ですね!
@@roketidorama ご返信、恐れ入ります。「麦秋」は小津の1951年作、これもまた心に沁みる名作です。
北鎌倉が中心の舞台ですので、調べ易いかと思います。
麦秋の最後あたりは近鉄奈良線耳成駅付近からだと思います。耳成山の形からです。画面中央の大きな農家はもうありませんが、敷地はそのままのようです。現在は大きな民家に建て替え。そして婚礼の行列もそのあたりから東に向かっています。
@@swalka 近鉄奈良の耳成の辺りは行ったことがなく、貴重な知見をお与え下さり、有難うございます。
奈良は大好きな地ですので、何時かそこの辺りに行けたら良いのですが。
情報ありがとうございます
ぜひ奈良のロケ地も訪れたいですね
石立鉄男シリーズ「パパと呼ばないで」第一話が堀切駅前のシーンから始まります
コメントありがとうございます
「パパと呼ばないで」に出てくるんですね
堀切駅は昔は構内に踏切があり土手(旧堀切橋)からバスも通っていました。鐘ヶ淵寄りにありました。女性二人が立って会話してるシーンに踏切が写っていますね。
情報ありがとうございます
堀切駅ホームのシーンは京成の現八広駅で撮影され駅名板は撮影用だったようです
貴重な情報ありがとうございます
八広駅だったのですね・・・
また機会があれば八広駅も調査してみます
昔は荒川駅といいましたね、ずーとこの近くに住んでますから正に昔の荒川駅の面影がよみ返ります
確か駅下の建物は1963年松竹映画、山田洋次郎監督、倍賞千恵子主演「下町の太陽」?のロケ地だったはずですね😊😊😊
嫁の紀子が住むアパートのロケ地である、同潤会アパートの近くに住んでいた者です。
小学校の同級生が住んでいて、アパートの中庭でよく遊んでいました。紀子の部屋の窓から見える建物の壁のようすが懐かしいです・・・・。
いや~すごい情報ですね
ありがとうございます
どこの同潤会アパートでしょうか?
痕跡は残ってないですよね・・・
@@roketidorama 横浜市西区平沼にあった同潤会アパートです。蓮実重彦著「監督 小津安二郎」に厚田雄春氏の撮影日誌が掲載されており、同記述があります。私は二丁目の住人だったのですが、私が子どもだった1970年代後半にもなると老朽化が酷く、なかばお化けアパートとなっており昼間でも怖かったです。1980年代半ばに壊されて別のマンションが建てられました。
横浜にある同潤会アパートだったのですね
貴重な情報と当時の話をありがとうございます。
半年ほど前にBSで映画を見ました。ロケ地巡りしたとあり、凄いですね。さすがです。70年前だし白黒で画像も鮮明じゃないですからね。
どうも!ありがとうございます。
そうなんですよ、なんせ70年前ですからね・・・
この映画に限り、いろんな事情で残っていたのは16mmのリプリント版だけだったとか。それもかなり痛んだ状態で。それを何度かリマスタリングして現在の映像になったようです。一番できの良いのはアメリカのクライテリオン版だとか。これ当然、英語の字幕付きです。しかしどれも音が悪いですね。どうにかしてほしいです。
情報ありがとうございます
金八先生ロケの集合は堀切駅だったと薬丸さんがアド街で言ってました。シリーズ違うけど順子さんとかも行ったのかな。
情報ありがとうございます
やはりここは金八先生のロケ地みたいですね
尾道市長江一丁目の「タイル小路」へ初めて行った時、私は本当に驚きました。
平山敬三が母の突然の死を嘆いた「福善寺」の縁側は、なんと「タイル小路」から直線で10メートルの位置にあったからです。
「タイル小路」と「福善寺」は隣り合う土地だったのです。
コメントありがとうございます
尾道のロケ地ぜひ行きたいですね!
1991年劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンで、石田ひかりさん演じる制服姿の「実加」が東久保町の坂下から現れた地点は、小津監督が「筒湯小学校」の木造校舎を撮影するためカメラをセットしたポジションそのものです。
また、「実加」の背後に「松本病院」が映り込みますよね。
どうして「松本病院」が映り込むのか、そこは小津監督がカメラをセットし、「浄土寺」と「山陽本線を走行する蒸気機関車」を撮影したポジションだからです。
映画「東京物語」の冒頭の5カットのうち、3番目の絵が撮影されたのが久保三丁目の「松本病院」辺りだったのです。
興味深い情報ありがとうございます
尾道のロケ地もぜひ散策してみたいですね
私も以前上野駅両大師橋のシーンで東京物語を出した動画を作りました。
コメントありがとうございます
蒸気機関車専門のチャンネルなんですね
この映画が封切られたときに生まれた人がもう古希だもんね。この映画に出ていた人たちは95歳以上だろう。
そりゃ、変わるわ。でも今の駅や街並みはなんか味気ないね。
映画は何度か見たけど、淡々とした寂しさと怖さが伝わってくる不思議な映画だった
コメントありがとうございます
今の駅や街並みが味気ないのは撮影の仕方にも問題あるのでしょうか?
「淡々とした寂しさと怖さ」ですか~なんとなく分かる気が・・・
後の金八先生のロケ地とだいぶかぶってますね。
コメントありがとうございます
金八先生の記憶がほとんどないのですが
それは知りませんでした
「堀切駅」のタイトルで驚いたと同時に懐かしい!!思わずコメントしました。
鐘紡の社宅で生まれ育ち堀切駅は最寄り駅でした。北千住方面行きホームのすぐ脇隣は旧足立第2中学校です。駅の住所は足立区ですが、鐘ヶ淵方面に行くと墨田川と荒川を結ぶ運河があり対岸は墨田5丁目になります。堀切駅のホーム牛田寄りの端から牛田駅が目視できるほど駅間が短いです。昭和30年代、荒川に架かる堀切橋は木造でした。土手も舗装されておらずノリ面も草がボウボウでした。幼少の頃、父のボーナスが出ると上野に買い物に行き聚楽で食事するのが定番でした。社宅から徒歩で関屋駅まで行き京成電車に乗って上野に向かう途中「おばけ煙突」が見えました。見る方向により煙突の本数が変わるので幼少の頃不気味に感じたのが懐かしいです。浅草にも良く行きました。浅草は「松屋デパート」上野は「松坂屋」って松ばっかりですね。
当時の貴重な情報と思い出話をありがとうございます。
こういうコメントをいただくと本当に動画作ってよかったなぁ~としみじみ思います。はい、「松」ばっかですね・・・
@@roketidorama
こちらこそ有難うございます。
鐘ヶ淵はカネボウ(鐘淵紡績)発祥の地で大規模な紡績工場と社宅、社員寮、診療所、幼稚園が有りましたが昭和46年頃に所謂紡績不況により工場は閉鎖解体されました。跡地には現在もある都営の高層防災住宅なるものが墨田川沿いに数棟建てられました。
昔、堀切駅の近くに住んでいました。当時は土手が現在より数メートル低く、構内踏切が下り線の駅舎の近くにあり、上り線の改札口は無かったと思います。下り線の駅舎は当時と同じです。
情報ありがとうございます
当時は土手が低かったのですね
納得です
@@roketidorama 当時、駅の少し先の川沿いの道は、踏切で線路を越えて旧堀切橋に続き、荒川を渡っていました。従って、線路から少し高かっただけだったはずです。
鐘ヶ淵のカネボウ化粧品の工場へ、うちの母親が新潟県から15歳で集団就職で上京しています!八広駅なら土手がすぐです。赤線地帯です。
コメントありがとうございます
八広駅の土手も一度調べてみたいと思っております
15歳で集団就職ですか・・・
時代を感じますね
まだ15歳ぐらいの子供たちが集団就職して、大人になり覚えた技術で肉屋さんや、床屋さん、八百屋さん、
その他になり町で商店を作り昭和を作り今の繁栄の日本をつくったんだよね。
みんな頑張りました。これからもみんなコツコツと頑張ろうな。
1982年公開の映画「転校生」のラストシーンは昭和の映画史に残るとても感動的なものです。
斉藤一美を演じた小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が映り込むのは決して偶然ではなく、「東京物語」の冒頭シーンにある「栗吉材木店の看板」のオマージュであると思います。
斉藤一夫を演じた尾美としのりさんの背後には「浄土寺山」が映し込まれますが、なぜでしょうか。
「東京物語」の最後の最後、東京へ帰るために平山紀子が乗った汽車が山陽本線を東京へ向けて走り去るシーンに注目してください。
同じですよね、汽車の背後に映っている「浄土寺山」の様子が。
ちなみに、大林監督は、トラックを追い駆ける一美のことを「栗吉材木店の看板」があった地から走らせています。
そのロケ地を訪問した人全員が違和感を覚えると思うのですが、一美は、海岸通りをつい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っています。
これは大林監督とそのスタッフが意図的に仕組んだものでしょう、ロケ地を訪問する人はそこで「時間と空間の無限ループ」を楽しむことが出来ます。
そして、引越し屋のトラックの右側には「栗吉木材店」と「竹村家本館」の看板が小さく映し込まれています。
これは本当に注意深く観察しないとその事実はわかりません。
コメントありがとうございます
「時間と空間の無限のループ」を楽しむことですか・・・
ん~深いですね!
東武の堀切駅やその周辺といえば他に有名なのは、3年B組金八先生をはじめとする、桜中学シリーズですね。
コメントありがとうございます
金八先生のロケ地なんですね
更に桜中学の外観のロケは、堀切駅沿いの建物です。今は「東京未来大学」が入居しています。旧中学校校舎はそのままですが、校庭だったところにも大学の建物が建ってしまいました。
面白かったです。堀切駅は大幅には変わってないですね。線路自体、位置が高くなっているので見え方が変わりますかね。寛永寺は小津さんが50mmレンズを使っていたとしても門の位置関係が変わっている気がします。尾道に行きましたが意外にあっちも全然変わってて。原節子のロケシーンは2000人とか人が集まってたらしくて、よくあんな芝居をできたなあと感心します。もう一度見てみたくなりました。
貴重な情報ありがとうございます
2000人も集まるなんてすごい人気ですね!
尾道のロケ地もいつか行ってみたいです
小津マニアのくせに堀切も、寛永寺も行った事がなく反省しました💦古い映画もお願いします!
荒川の土手は71年前に比べてかさ上げしているはずなので、堀切駅のホームから京成鉄橋は昔よりも見えづらくなっているかもしれません。また、京成鉄橋は現在掛け替えの工事中なので、たどれるのは今のうちだと思います。
情報ありがとうございます
荒川の土手はもう少し低かったのですね、納得です!
京成鉄橋が架け替え工事中とは・・・
間に合ってよかったです
銀座松屋は建て替わって無くて、外装だけの変更じゃないのかな?
コメントありがとうございます
はい、外装だけの変更ですね
堀切駅は昭和中後期世代だと『3年B組金八先生』の印象が強いな。
コメントありがとうございます
やはりここは金八先生のロケ地なんですね
堀切駅前にあった駄菓子屋が出て来なくて残念・・・
コメントありがとうございます
駄菓子屋ですか・・・
両大師橋から見えるピルは松坂屋かと思います。
情報ありがとうございます
松坂屋ですか
すばらしい動画です、4分10秒あたりの合致、すげぇと思いました。
あれ、火力発電所の「煙突」って、通称「おばけ煙突」のことでしょうか?たぶんそうだと思いますが…、地元の方、情報ください(笑)。
コメントありがとうございます
そこは僕もビビりましたよ!
お邪魔致します😅😢両大師橋は、確か「成瀬監督の「晩菊」で「望月優子さんと細川ちか子さんの「モンローウォーク」の「名場面」だったでしょうか😅😢😂
情報ありがとうございます
成瀬監督作品は都内のロケ地がけっこう出てくるんですね
🎉🎉厲害推
おばけ煙突は1964年に無くなりました。
情報ありがとうございます
火力発電所の煙突はお化け煙突と呼ばれてました
菱形に立ってたので見る角度で本数が変わって見えていました
今はモニュメントがあります
情報ありがとうございます
見る角度によって本数が変わって見えるとは
興味深いですね、跡地も訪れたいです
仰っる通り、菱形4本ですから、きっと画面の左側の4本ですね。
補助発電所で4本一斉の稼働は滅多になかったそうで、画面の煙も同じ様子です。
良かったヨ😀
ありがとう~
世界的な映画ですから英訳したらヨーロッパなんかでバズリそうですね 世界名作4位の映画ですからね
コメントありがとうございます
たしかに世界の名作ですね
英訳ですか・・・
熱海の堤防はどこかなって観光案内所に尋ねてみたら、「東京物語」って何?てな反応で愕然とした。
おお~熱海まで行かれたのですね
場所を特定したいですよね~
寛永寺の門は門の前での撮影かと思います。
情報ありがとうございます
動画の青空と スクリーンの青空は(自分の中では)変わらぬ 碧ろ
コメントありがとうございます
ん~僕の頭では難しすぎます・・・
秋刀魚の味も是非やってください🎉
秋刀魚の味ですね
とりあえず見てみます
ヴィム・ヴェンダース氏に是非見て頂きたい!!!!😍
コメントありがとうございます
ビィム・ヴェンダース氏の名前は今覚えました!
松屋の高さでは国会議事堂は見えないでしょう
もうその高さでは眺望は期待できませんね
たしかにその通りですね
コメントありがとうございます
松屋のアクセントが
其れだと牛丼屋ななっちゃうんデ、フラットにお願い🙏
アクセントに違いがあるとは知りませんでした・・・
どんな違いがあるのですか?
@@roketidorama 子供時代浅草に住み、隅田川沿いの松屋デパートにしょっちゅう行っていましたが、小学校の同級生も含め、マツヤはフラットに発音していました。一方、牛丼のチェーン店の松屋についてはマにアクセントをつけて発音するように思われ、「研一」さんの言われる通りではないでしょうか。
現地取材お疲れ様です、楽しませていただきましたが少しだけ詰めが甘い印象。映画の画角とできるだけ近くなるような配慮や映画に映った同じ石垣を探してほしかったし、現存しない煙突の位置などはマップで方向確認もして欲しかった。ありがとうございました。
コメントありがとうございます
そうですね、詰めが甘いですね・・・
頑張ります!
すごいです、世界の小津安二郎です、世界の東京。海外に住んでますが、こういった動画をみるとドキドキします。
コメントありがとうございます
海外でも人気ありますからね
とはいえ日本の方ですよね・・・
戦前から戦後三十年代にかけての懐かしの風景を、今時の殺風景と重ね合わせるのは無粋の極みというもの。
コメントありがとうございます
東京という街をこんなにも暴力的に変えてしまった戦後の再開発なるものを反省するには決して無粋な行為ではないと思うのですが……。