ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
※誤記の訂正です「伊勢神社」と表記している箇所がありますが、正しくは「伊勢神宮」です。大事なところを間違えてしまいました。大変失礼いたしました。
正式名称は「伊勢神宮」ではなく「神宮」ですね。
弘法にも筆の誤り、お気になさらずちなみにチャンネル登録&ベルマーク❝すべて❞設定しました ヨロシク
@@speedworker7779それは細かすぎ
まあでも伊勢神宮じゃなく神宮って言ってほしい気持ちはわかるよく調べているチャンネルと思うので余計にね
一生に一度、あるかないかの伊勢への旅に、誇らしげに旅立ち、楽しさも大変さもあれこれお土産話にする当時の庶民の方々の様子が目に浮かびました😌
道標や案内本が庶民の必需品というのが、当時の識字率の高さを物語るなあ。
毎回素晴らしい配信をありがとうございます。日本という素敵な国に生まれ育ったわたくしとしては、江戸時代にタイムスリップしてみたい…との思いが物凄く強いのです。ですから、江戸見聞録さんの動画は本当に楽しみにさせて頂いております。とってもためになる内容のナレーションを邪魔し ない控えめなBGMもさすがだなぁって思います。
江戸時代、たまに憧れてしまうよね
旅行と言っても、全て自分の足で進まないといけないから大変。
一度、伊勢旅行行ったことがあるが、自分の遠い先祖ももしかしたら行った事があるのかもしれない。
それわかります。神宮だけではなくて熊野古道の大門坂だったり大内宿などの旧宿場町とか行くと、ここ自分の先祖も歩いてたのかな〜とか自分のじゃなくても何百年も前遠いご先祖様が歩いてたんだな〜とか思うとなんか楽しくなってきます。
このサイトはシンプルで、無駄がなくて観やすいね。いつもわかりやすい。これからもよろしく。
地元に多くの庚申塔が道端に置かれています。請は本当に庶民の生活の向上に寄与したのですね。今回も庶民の旅行事情がとても分かりやすく解説していただきありがとうございました。とても勉強になりました。
東海道5番目の宿場町で育ちました。この動画を観て歩くとまた違ったものが見える気がします。
ナレーションいいな。とても快適。内容も、いいな。
今でも都内のあちこちで、江戸時代の石の道標があるからな。大山や富士講の道標が板橋や三軒茶屋にもある
一人で初めてお伊勢さん行ったら旅館の方が朝参拝のツアーを無料で行なっているから参加しないかと声をかけて頂き御心遣い有難いなぁと参加しながら思った。こんなに昔から参拝客第一と思える国はお伊勢様だけだと思う!素晴らしいおもてなしをする側も得される側も得おもてなしってすごーい😂
今回も勉強になりました。つくづく現代の人間としこうが変わらないと思いました。テクノロジーしか違いが無く、人間性は発達してないのか?面白かったです。
二見ヶ浦の夫婦岩は小学校の旅行で行ったなぁ。今からすると何で見に行ったのかとも思うが、昔からの伝統なのか。
解説も滑舌が良くて聞いていて心地よい。
そりゃ機械だからな
こう見ると、やっぱり日本の文化レベルってめちゃくちゃ高いのがよくわかるわ。
文明や文化、習慣は昔から脈々と紡がれてきたのだなあと実感します
今や新幹線と近鉄で一泊二日なんだから便利になったもんだなあ
近鉄は名古屋・難波・京都から豪華特急しまかぜを運行しています。お伊勢参りの後は京都に行くのも良し、大阪に行くのも良し、名古屋に行くのも良し。自分は名古屋からは休日ダイヤなら9時25分発の伊勢志摩ライナーのDXシートを確保していましたね~。
ねずみ講の「講」ですね。戦前までいろいろな講があったと聞いています。
このチャンネルめちゃめちゃおもしろいです。江戸時代の、江戸以外の地方の人たちの江戸への思いや、江戸とそれ以外の暮らしの違いなんかも知りたいです。
江戸時代から落書きするなとかのマナーが今でも通用するの考えると便利になっても人は変わらないなって笑える
伊勢参り取り扱うなら、「抜け参り」も取り扱って欲しかった。柄杓一本で、江戸から伊勢へ移動した人も居たという。抜け参りを考察すると、当時の人情感や、伊勢参りに対する庶民の想いが、もっと濃厚に感じられると思う。
旅費が約30万、お土産やら旅支度やらで同じくらいかかるとして合計60万。往復の日数約1か月。農家の人なら農閑期なら一か月休むのは不可能じゃないから、ちょっと上層の農家や隠居した商家のご隠居なら十分行けるね。その下のクラスの人は2週間ぐらいで大山か成田山がちょうどいい。費用も半分くらいでしょうな。現代ならヨーロッパ旅行やクルーズに行く層と、パッケージでグアムやらシンガポールやらへ行くクラスって感じですかね。
二戸史料叢書 第六集 『旅へのいざない』-伊勢参宮道中記―(岩手県二戸市教育委員会発行)に江戸時代から明治初期の伊勢参りの道中記が複数掲載されていますが、当時の東北の人は、伊勢参りの後に関西旅行(西国三十三所めぐり)や四国旅行(金刀比羅宮参拝)をセットに旅をしていたようです。
一部の人間だけよ旅なんか
@@kathuyaaa-1115 二戸市を含む岩手県北は昭和初期にも飢饉が発生したという日本の中でも最も貧しい地域の一つです。そこの農民でも伊勢講のシステムで旅ができたのです。くじに当たった一部の人は。
徒歩だから旅行先から帰ってくるのめんどくさくなりそう
大変興味深く拝見いたしました。今みたいに新幹線や車でかんたんに行こう‼️とはいかないけど、一生に一度なら楽しみも大きかっただろうね。宿代やその他の代金が結構かるのもびっくりですね‼️
毎回ためになる動画をありがとうございます。
何処の世界も聖地巡礼ですね、エルサレムにある最後の晩餐が催されたと言われる教会の14世紀頃の修道士の日記には巡礼者が削ったり落書きするから、毎週最後の晩餐のテーブル新調が大変だと愚痴がたっぷり書いて有るそうです。スペインのサンティアゴ巡礼は死ぬまでに一度参加してみたいものです。
江戸時代の関所の取り調べの厳しさを「無限の住人」と言う漫画で知ったのですが、その厳しさは漫画の演出でフィクションかと思ってました。本当だったんだw
感染症の心配さえなければこの時代に行ってみたい
伊勢神宮のすぐそばに寺があり、セットで参詣するのが江戸期の慣わしだったというのは、明治の神仏分離政策以前はどこの神社もそうだったのでは。伊勢大踊りは、女性客も見物していたというのも興味深いですね。
先達さんの苦労話も聞きたかったです。
江戸から伊勢まで、15日て行くとは健脚ですね。昔の人は、現代人より足腰が鍛えられてたんだろうか。
昔から、旅人と遊女は切り離さないと思います。
四国霊場八十八ヶ所巡礼でも、道中に道標がありますね。あと、巡礼者の休憩所でお茶等を出したりするのもあり、また巡礼者の為の宿も道中に数多くあり、今でもその名残で民宿等が残ってる所もあります。それから、特徴的なのが巡礼者がお寺の前や道端(今は、スーパー等の出入り口でしてる人が多いです)にてお椀を道に置き、お経を唱えてると地元住民がお金を入れてくれる風習があります。巡礼者が行き倒れで亡くなったとかの場所にお地蔵様かあったりもします。※八十八ヶ所巡礼には、1番から88番迄番号順に巡礼する巡打ち。願いが成就した場合等に巡礼する逆打ち。四国各県毎に区切る一国打ち等がありますが、閏年に逆打ちすると願いが3倍になって叶うとかの言い伝えもあります。
急におすすめち出てきて 見たい と思わせる動画。視聴します。
ありがとうございます
岡山県から山陰の鳥取ㇸ向かう山道が有りますがそこは昔に山賊とか追い剥ぎが出ていたそうです。私がその山道の近くに有る仕事で行くと杖をついたおばあさんが歩いて私達の近くに近づいて来てその話をしてくれた事が有ります、そしてその向こうに無縁仏が有りますよと教えてくれた事を覚えています。昔の旅人達は大変だったんだなぁと思いましたね。
今回もスゴイ面白かった。宿泊のマナーについては厳しいですね。若い女性が相部屋に居たらむやみに話しかけない、しかし逆に男女相部屋と言うのは今では考えられないですね。通行手形は女性に厳しいですね、旅の荷物が随分軽いですが伊勢迄15日かかるのに振り分け荷物では下着などは毎日洗濯ですね。慣れればどうって事ないのか?
毎日洗濯をするようになったのは戦後になってからだそうです。江戸時代の旅道中なら下着の類は何日も同じものを身につけたままだったんでしょうね。
移動手段が徒歩しかないが、その歩くスピードは現代人を遥かに上回る身体能力から繰り出されるから結構早かったに違いないです。😱💦幕末に日本を訪れたイギリス人が飛脚の能力を見て驚いていた記録がありましたね。( ̄▽ ̄;)💦
講は30年くらい前まではまだあったな。その時は何なのか知らなかったけど。
退屈を回避すべく新たな事を 発明するんだな、、、
伊勢はもちろん四国、西国、坂東、秩父を巡礼しましたが昔の人はどうやって旅したんだろう?めちゃくちゃ大変だよな〜。と思っていたので大変参考になりました!🙏やっぱ命懸けだし色々大変ですね😅
手甲が格好良いなぁ。いざ道中で獣や人に襲われた時に、ガード出来るように付けとくのかな?
軍手みたいな物だから流石に獣やらナンやらへの防御力はほぼ無いけど、不意なかすり傷を防ぐのには有用でしょうね葉っぱとかでも皮膚は切れちゃいますし、切ったら出血して着物は汚れるし、場合によってはソレが膿んだりもしかねないし、何よりそういう服に血痕のシミとか生傷があると関所で「コイツなんかやって来たか?」と疑われる可能性もあるでしょうしね
江戸時代の国を跨ぐ移動は今の海外旅行よりも厳しく、特に女性は参拝目的でもなければ難しかった背景が伊勢参りに掛ける熱量を上げてますよね人気の高かった伊勢と富士では当時富士山が女人禁制だったこともあり、よりお伊勢参りへの人気が集中個人的には江戸からのお伊勢参りだけじゃなくて、西日本ではどんな感じだったのかも興味があります
昔(江戸時代)の人は健脚だったのですね!後、大坂(大阪)から、伊勢参りする場合、どういうルート使ったのか?気になります。
今の名阪国道あたりの道じゃなかろうか
河内から大和、榛原と進んで、現在の国道165号線が通る青山峠を抜けて松阪、伊勢と行くのが一般的だったみたいです。若しくは、榛原から東吉野へ進んで現在の国道166号線が通る高見峠を越えて勢和、多気、伊勢と向かう少し難所を含んだルートもあります。(伊勢付近に住んでいる者より)
@@miema7120 さん近鉄大阪線のルートですかね?
面白かった!
人見女といった後に改め婆ww 庶民らしいささやかな抵抗ですね。
前近代の旅行といったら何より重要なイベントは渡河だよね、旅といえば渡河、とにかくひたすら渡河の連続、一体1日の旅程の間に何百の川を渡らなければいかないのやら、自転車か徒歩で旅行をしたことのある人なら同感してくれるはず、川を一個わたり渡りきったら、もう次の川をどう渡るかを考えていて憂鬱になる、橋はかかっているか、渡し船はあるか、歩いて渡れるか、財布と相談しながら川の心配ばかりすることになる、それくらい重大な事項だけど水戸黄門とか旅の時代劇でもファンタジーの勇者の一行が渡河で難儀するというエピソードはほとんど見かけることがない
犬の伊勢参りも凄いよな
当時、こういった情報が文献として記録され、それらの資料に庶民が触れて理解出来た ってのが、当時世界的に見て「最先端」だったんだよね。当時は、欧米でも文字の読み書きが出来るのはエリート層の嗜みで、庶民が読み書きできるなんてまずなかった。
今や伊勢神宮へ行くには新幹線と近鉄でビューン。
聖地巡礼をする東海道中膝栗毛のファンもいたんだろうか。
草鞋1日あたり一足!
自分の国の歴史くらい知っておかなきゃ!と思い、最近歴史関連の動画を見ています。関所の存在は知っていましたが、通るの大変だったんですね!賄賂目当てにわざと厳しくしてたのかなぁ?人見女、良い商売になりますね😅細かい情報がたくさんあり、とても勉強になりました!他の動画も見させていただきますね✨チャンネル登録しましたー🎶
「入り鉄砲に出女」って話で。今切の関所とかは、女性は別室で尻の穴まで調べられてたらしいので相当厳しかったみたいですね。賄賂渡したり、姫街道の迂回ルート回ったり、賊に頼んで関所抜けしてたみたいですよ。なので、今切の改め婆や宿、関所抜けを手伝う賊は高めに吹っ掛けて儲かったみたいです。
@@9lives90 でも、賄賂貰って通しちゃいけない人通してたら、関所の意味なくて草🤣私腹を肥やすことしか考えてない無能がいるのは、今も昔も変わらないんですね!
@@Chobi36963 そうですよね、アカンですよね抜け道だらけで。。。ちなみに今切の関所抜けると緩くなるので、宿も激安競争でギリギリの色仕掛けで客引きしてたみたいですよ。今も昔も変わらない。。。
季節はいつ頃が一般的だったのでしょうか?
ありがとう😺
今でも講は沖縄であったような
改めババアに苦笑いw現代には紫ババアというのがいたそうな(´・ω・`)
旅の必需品で出てこなかったけど、身だしなみを整える物(整髪料等)も必需品だったらしいですね余りみすぼらしいと関所で不審者と思われるから、関所前で身だしなみを整えてから望んだとか
信仰にかこつけた、物見遊山?、ちょっとした外国旅行の体を成し得る金額見たいですね。
とても興味深く面白かったです改め婆w
今の時代に生まれてよかった。昔の人は日本全国旅行するのは無理だっただろう、今の時代なら北海道から沖縄まで旅行できる。
いいんですよ、元は伊勢神社があった場所ですから。
お伊勢参りには柄杓を持った「抜け参り」も解説しないとちょっと足りない。いろいろ足すと長くなるので、仕方が無いですけど。
現在よりも防衛しっかりしてたんだー現在の日本人より防衛意識高かったのですね 現在の日本文化も防衛意識も江戸時代の方が遥かに勝れています何時から日本人からサザ真真🍑
これが頼母子か
一生に一度は伊勢参り。信仰の旅は多めに見てくれるとはいえ、徒歩で数日はかかるし、関所を通るには手形というパスポートもいるし、道中は胡麻の蝿という盗人、山賊なんかもいるし、女性は尚更危険も多いし、今の海外旅行に近い感覚なんですかね?🤔それにしても人見女に渡す賄賂が¥6,000は高くね?😅
江戸時代、庶民は神社仏閣参拝などの宗教目的な旅行以外の物見遊山の旅は許されなかった。そこで「お伊勢参り」などにかこつけて物見遊山の旅に出掛けた。本当の目的は、ここでも最後に触れらていたように「精進落し」。参拝よりは、遊郭で女と遊ぶ事だけが「お伊勢参り」の本当の目的だった。(個人の憶測です。)そりゃ、昔も今も、男は「神様」よりは「女」のほうが好きだよね。(実感です。)でも、江戸時代の男は良かったよね。各所に遊郭はあったし、「お伊勢参り」にかこつけて公然と女と遊ぶ旅も出来たんだからね。今なら、こんなコメしただけで「女性蔑視だ」などと抗議のコメが湧いてきそう…
「橋や石に落書きしない」とか現代じゃやらない…とは言えないのが残念舞い上がった修学旅行生だけじゃなく良い年下大人までやる事あるからな…
現代でも徒歩で東海道歩く人まれーにいるけど…それはどこに辿り着こうと大抵は衣食住しっかりしているからで、一汁一菜でないとはいえ動画内に出てくるような食事で東京から三重まで行ってたら現代人生きて辿り着けるのだろうか…足は草鞋一足だし長い道中怪我したり風邪でもひこうものなら下手したらそれだけで致命傷に…
関所の通過はそれほど大変なものではなかったようです。そもそも通行手形の記載内容に疑問があってもそれを確かめる手段がありません。発行元に電話で問い合わせることもできません。いちいち投獄していては手間が増えるだけなので、関所役人もできる限り面倒は避けたい。そもそも関所の周りでは通行手形の発行屋が繁盛していたとか。結果的に、通行手形っぽいものを持っていれば役人は横を向いていてくれるので通過できたらしい。
1日35km徒歩で。は現代人からすると凄すぎる😅
幕府の最大の罪は神社でなく寺にアホな加担をした事。
あらためババアは草
現代の最貧国と江戸時代の日本はどっちが豊かなんですか?
やじさん♪きたさん♪
珍しく荒れていますね😅お気に入りの服を脱がされたかなぁ😅
ほぅ、講は取り無尽と同じか。
江戸時代の性事情もいつかお願いします🙇♂️
日本人は平等を大事にしてるのが凄くわかるよね。誰かの為に生きるのが日本人の特徴。
1日35キロ移動となると普通の人は無理かなと思います。平生からよく歩く人ならわかると思いますが、意識せずにごく普通の人で1日の歩距離は多い人で6キロ、少ない人で2キロ以下です。35キロ以上移動しようとしたら時間で、5キロ以上歩かないと達成できない。これを一日連続となると無理。普通の人だと普段からかなり歩いてる人でも、せいぜい20キロが関の山かな。
江戸の庶民は豊かだったということ。さよくの江戸暗黒史観の嘘だとわかるね。
伊勢神宮は正式には神宮だけでも通る別格の官幣大社です。それを伊勢神社と呼ぶのはおかしいので今後は気をおつけください
伊勢神社って何なんだ?『神宮」だろ。
伊勢神宮は明治までそこまで信仰されてないゾ 持統天皇の後は明治天皇まで参拝してないからな
マイナンバーカードにも宗教を書くべき
統一教会だと自民が衣食住の世話してくれそう
@@元ヒモテ 日本の真の愛国者とは聖なる国の韓国の為に血を流すのです
憲法フル無視で草
@@憲灋を変える男 聖なる国の韓国に従う自民党が憲法です
@@762forest_railway もう少しおべんきょう頑張ろう!
お伊勢参りとは嫁に怒られずに女を買いに行く旅?だった説もありますな〜😂だいたい、大きな寺社仏閣の裏に必ず遊郭がありまんな〜😂そして、その寺の檀家でんな〜😂
それが事実ですよね。いつの時代も男は、神様より「女」を拝みたいですよね。
@@火の鳥-v4b そこは「観音様」でしょうよw
※誤記の訂正です
「伊勢神社」と表記している箇所がありますが、正しくは「伊勢神宮」です。
大事なところを間違えてしまいました。
大変失礼いたしました。
正式名称は「伊勢神宮」ではなく「神宮」ですね。
弘法にも筆の誤り、お気になさらず
ちなみにチャンネル登録&ベルマーク❝すべて❞設定しました ヨロシク
@@speedworker7779
それは細かすぎ
まあでも伊勢神宮じゃなく神宮って言ってほしい気持ちはわかる
よく調べているチャンネルと思うので余計にね
一生に一度、あるかないかの伊勢への旅に、誇らしげに旅立ち、楽しさも大変さもあれこれお土産話にする当時の庶民の方々の様子が目に浮かびました😌
道標や案内本が庶民の必需品というのが、当時の識字率の高さを物語るなあ。
毎回素晴らしい配信をありがとうございます。日本という素敵な国に生まれ育ったわたくしとしては、江戸時代にタイムスリップしてみたい…との思いが物凄く強いのです。
ですから、江戸見聞録さんの動画は本当に楽しみにさせて頂いております。とってもためになる内容のナレーションを邪魔し ない控えめなBGMもさすがだなぁって思います。
江戸時代、たまに憧れてしまうよね
旅行と言っても、全て自分の足で進まないといけないから大変。
一度、伊勢旅行行ったことがあるが、自分の遠い先祖ももしかしたら行った事があるのかもしれない。
それわかります。
神宮だけではなくて熊野古道の大門坂だったり大内宿などの旧宿場町とか行くと、ここ自分の先祖も歩いてたのかな〜とか自分のじゃなくても何百年も前遠いご先祖様が歩いてたんだな〜とか思うとなんか楽しくなってきます。
このサイトはシンプルで、無駄がなくて観やすいね。
いつもわかりやすい。
これからもよろしく。
地元に多くの庚申塔が道端に置かれています。
請は本当に庶民の生活の向上に寄与したのですね。
今回も庶民の旅行事情がとても分かりやすく解説していただきありがとうございました。
とても勉強になりました。
東海道5番目の宿場町で育ちました。この動画を観て歩くとまた違ったものが見える気がします。
ナレーションいいな。とても快適。内容も、いいな。
今でも都内のあちこちで、江戸時代の石の道標があるからな。
大山や富士講の道標が板橋や三軒茶屋にもある
一人で初めてお伊勢さん行ったら
旅館の方が朝参拝の
ツアーを無料で
行なっているから
参加しないかと
声をかけて頂き
御心遣い有難いなぁと
参加しながら思った。
こんなに昔から
参拝客第一と思える国は
お伊勢様だけだと思う!
素晴らしいおもてなしをする側も得される側も得
おもてなしってすごーい😂
今回も勉強になりました。
つくづく現代の人間としこうが変わらないと思いました。
テクノロジーしか違いが無く、人間性は発達してないのか?
面白かったです。
二見ヶ浦の夫婦岩は小学校の旅行で行ったなぁ。
今からすると何で見に行ったのかとも思うが、昔からの伝統なのか。
解説も滑舌が良くて聞いていて心地よい。
そりゃ機械だからな
こう見ると、やっぱり日本の文化レベルってめちゃくちゃ高いのがよくわかるわ。
文明や文化、習慣は昔から脈々と紡がれてきたのだなあと実感します
今や新幹線と近鉄で一泊二日なんだから便利になったもんだなあ
近鉄は名古屋・難波・京都から豪華特急しまかぜを運行しています。
お伊勢参りの後は京都に行くのも良し、大阪に行くのも良し、名古屋に行くのも良し。
自分は名古屋からは休日ダイヤなら9時25分発の伊勢志摩ライナーのDXシートを確保していましたね~。
ねずみ講の「講」ですね。戦前までいろいろな講があったと聞いています。
このチャンネルめちゃめちゃおもしろいです。
江戸時代の、江戸以外の地方の人たちの江戸への思いや、
江戸とそれ以外の暮らしの違いなんかも知りたいです。
江戸時代から落書きするなとかのマナーが今でも通用するの考えると便利になっても人は変わらないなって笑える
伊勢参り取り扱うなら、
「抜け参り」
も取り扱って欲しかった。
柄杓一本で、江戸から
伊勢へ移動した人も居たという。
抜け参りを考察すると、
当時の人情感や、
伊勢参りに対する庶民の想いが、
もっと濃厚に感じられると思う。
旅費が約30万、お土産やら旅支度やらで同じくらいかかるとして合計60万。往復の日数約1か月。農家の人なら農閑期なら一か月休むのは不可能じゃないから、ちょっと上層の農家や隠居した商家のご隠居なら十分行けるね。
その下のクラスの人は2週間ぐらいで大山か成田山がちょうどいい。費用も半分くらいでしょうな。
現代ならヨーロッパ旅行やクルーズに行く層と、パッケージでグアムやらシンガポールやらへ行くクラスって感じですかね。
二戸史料叢書 第六集 『旅へのいざない』-伊勢参宮道中記―(岩手県二戸市教育委員会発行)に江戸時代から明治初期の伊勢参りの道中記が複数掲載されていますが、当時の東北の人は、伊勢参りの後に関西旅行(西国三十三所めぐり)や四国旅行(金刀比羅宮参拝)をセットに旅をしていたようです。
一部の人間だけよ旅なんか
@@kathuyaaa-1115 二戸市を含む岩手県北は昭和初期にも飢饉が発生したという日本の中でも最も貧しい地域の一つです。そこの農民でも伊勢講のシステムで旅ができたのです。くじに当たった一部の人は。
徒歩だから旅行先から帰ってくるのめんどくさくなりそう
大変興味深く拝見いたしました。
今みたいに新幹線や車でかんたんに行こう‼️とはいかないけど、一生に一度なら楽しみも大きかっただろうね。
宿代やその他の代金が結構かるのもびっくりですね‼️
毎回ためになる動画をありがとうございます。
何処の世界も聖地巡礼ですね、エルサレムにある最後の晩餐が催されたと言われる教会の14世紀頃の修道士の日記には巡礼者が削ったり落書きするから、毎週最後の晩餐のテーブル新調
が大変だと愚痴がたっぷり書いて有るそうです。スペインのサンティアゴ巡礼は死ぬまでに一度参加してみたいものです。
江戸時代の関所の取り調べの厳しさを「無限の住人」と言う漫画で知ったのですが、その厳しさは漫画の演出でフィクションかと思ってました。
本当だったんだw
感染症の心配さえなければこの時代に行ってみたい
伊勢神宮のすぐそばに寺があり、セットで参詣するのが江戸期の慣わしだったというのは、明治の神仏分離政策以前はどこの神社もそうだったのでは。
伊勢大踊りは、女性客も見物していたというのも興味深いですね。
先達さんの苦労話も聞きたかったです。
江戸から伊勢まで、15日て行くとは健脚ですね。
昔の人は、現代人より足腰が鍛えられてたんだろうか。
昔から、旅人と遊女は切り離さないと思います。
四国霊場八十八ヶ所巡礼でも、道中に道標がありますね。
あと、巡礼者の休憩所でお茶等を出したりするのもあり、また巡礼者の為の宿も道中に数多くあり、今でもその名残で民宿等が残ってる所もあります。
それから、特徴的なのが巡礼者がお寺の前や道端(今は、スーパー等の出入り口でしてる人が多いです)にてお椀を道に置き、お経を唱えてると地元住民がお金を入れてくれる風習があります。
巡礼者が行き倒れで亡くなったとかの場所にお地蔵様かあったりもします。
※八十八ヶ所巡礼には、1番から88番迄番号順に巡礼する巡打ち。願いが成就した場合等に巡礼する逆打ち。四国各県毎に区切る一国打ち等がありますが、閏年に逆打ちすると願いが3倍になって叶うとかの言い伝えもあります。
急におすすめち出てきて 見たい と思わせる動画。視聴します。
ありがとうございます
岡山県から山陰の鳥取ㇸ向かう山道が有りますがそこは昔に山賊とか追い剥ぎが出ていたそうです。私がその山道の近くに有る仕事で行くと杖をついたおばあさんが歩いて私達の近くに近づいて来てその話をしてくれた事が有ります、そしてその向こうに無縁仏が有りますよと教えてくれた事を覚えています。昔の旅人達は大変だったんだなぁと思いましたね。
今回もスゴイ面白かった。宿泊のマナーについては厳しいですね。若い女性が相部屋に居たらむやみに話しかけない、しかし逆に男女相部屋と言うのは今では考えられないですね。通行手形は女性に厳しいですね、旅の荷物が随分軽いですが伊勢迄15日かかるのに振り分け荷物では下着などは毎日洗濯ですね。慣れればどうって事ないのか?
毎日洗濯をするようになったのは戦後になってからだそうです。江戸時代の旅道中なら下着の類は何日も同じものを身につけたままだったんでしょうね。
移動手段が徒歩しかないが、その歩くスピードは現代人を遥かに上回る身体能力から繰り出されるから結構早かったに違いないです。😱💦
幕末に日本を訪れたイギリス人が飛脚の能力を見て驚いていた記録がありましたね。( ̄▽ ̄;)💦
講は30年くらい前まではまだあったな。その時は何なのか知らなかったけど。
退屈を回避すべく
新たな事を 発明するんだな、、、
伊勢はもちろん四国、西国、坂東、秩父を巡礼しましたが昔の人はどうやって旅したんだろう?めちゃくちゃ大変だよな〜。
と思っていたので大変参考になりました!🙏
やっぱ命懸けだし色々大変ですね😅
手甲が格好良いなぁ。
いざ道中で獣や人に襲われた時に、ガード出来るように付けとくのかな?
軍手みたいな物だから流石に獣やらナンやらへの防御力はほぼ無いけど、不意なかすり傷を防ぐのには有用でしょうね
葉っぱとかでも皮膚は切れちゃいますし、切ったら出血して着物は汚れるし、場合によってはソレが膿んだりもしかねないし、何よりそういう服に血痕のシミとか生傷があると関所で「コイツなんかやって来たか?」と疑われる可能性もあるでしょうしね
江戸時代の国を跨ぐ移動は今の海外旅行よりも厳しく、特に女性は参拝目的でもなければ難しかった背景が伊勢参りに掛ける熱量を上げてますよね
人気の高かった伊勢と富士では当時富士山が女人禁制だったこともあり、よりお伊勢参りへの人気が集中
個人的には江戸からのお伊勢参りだけじゃなくて、西日本ではどんな感じだったのかも興味があります
昔(江戸時代)の人は健脚だったのですね!後、大坂(大阪)から、伊勢参りする場合、どういうルート使ったのか?気になります。
今の名阪国道あたりの道じゃなかろうか
河内から大和、榛原と進んで、現在の国道165号線が通る青山峠を抜けて松阪、伊勢と行くのが一般的だったみたいです。
若しくは、榛原から東吉野へ進んで現在の国道166号線が通る高見峠を越えて勢和、多気、伊勢と向かう少し難所を含んだルートもあります。
(伊勢付近に住んでいる者より)
@@miema7120 さん
近鉄大阪線のルートですかね?
面白かった!
人見女といった後に改め婆ww 庶民らしいささやかな抵抗ですね。
前近代の旅行といったら何より重要なイベントは渡河だよね、旅といえば渡河、とにかくひたすら渡河の連続、一体1日の旅程の間に何百の川を渡らなければいかないのやら、自転車か徒歩で旅行をしたことのある人なら同感してくれるはず、川を一個わたり渡りきったら、もう次の川をどう渡るかを考えていて憂鬱になる、橋はかかっているか、渡し船はあるか、歩いて渡れるか、財布と相談しながら川の心配ばかりすることになる、それくらい重大な事項だけど水戸黄門とか旅の時代劇でもファンタジーの勇者の一行が渡河で難儀するというエピソードはほとんど見かけることがない
犬の伊勢参りも凄いよな
当時、こういった情報が文献として記録され、それらの資料に庶民が触れて理解出来た ってのが、当時世界的に見て「最先端」だったんだよね。
当時は、欧米でも文字の読み書きが出来るのはエリート層の嗜みで、庶民が読み書きできるなんてまずなかった。
今や伊勢神宮へ行くには新幹線と近鉄でビューン。
聖地巡礼をする東海道中膝栗毛のファンもいたんだろうか。
草鞋1日あたり一足!
自分の国の歴史くらい知っておかなきゃ!と思い、最近歴史関連の動画を見ています。
関所の存在は知っていましたが、通るの大変だったんですね!賄賂目当てにわざと厳しくしてたのかなぁ?人見女、良い商売になりますね😅
細かい情報がたくさんあり、とても勉強になりました!
他の動画も見させていただきますね✨チャンネル登録しましたー🎶
「入り鉄砲に出女」って話で。
今切の関所とかは、女性は別室で尻の穴まで調べられてたらしいので相当厳しかったみたいですね。
賄賂渡したり、姫街道の迂回ルート回ったり、賊に頼んで関所抜けしてたみたいですよ。
なので、今切の改め婆や宿、関所抜けを手伝う賊は高めに吹っ掛けて儲かったみたいです。
@@9lives90
でも、賄賂貰って通しちゃいけない人通してたら、関所の意味なくて草🤣
私腹を肥やすことしか考えてない無能がいるのは、今も昔も変わらないんですね!
@@Chobi36963 そうですよね、アカンですよね抜け道だらけで。。。
ちなみに今切の関所抜けると緩くなるので、宿も激安競争でギリギリの色仕掛けで客引きしてたみたいですよ。
今も昔も変わらない。。。
季節はいつ頃が一般的だったのでしょうか?
ありがとう😺
今でも講は沖縄であったような
改めババアに苦笑いw
現代には紫ババアというのがいたそうな(´・ω・`)
旅の必需品で出てこなかったけど、身だしなみを整える物(整髪料等)も必需品だったらしいですね
余りみすぼらしいと関所で不審者と思われるから、関所前で身だしなみを整えてから望んだとか
信仰にかこつけた、物見遊山?、ちょっとした外国旅行の体を成し得る金額見たいですね。
とても興味深く面白かったです
改め婆w
今の時代に生まれてよかった。
昔の人は日本全国旅行するのは無理だっただろう、今の時代なら北海道から沖縄まで旅行できる。
いいんですよ、元は伊勢神社があった場所ですから。
お伊勢参りには柄杓を持った「抜け参り」も解説しないとちょっと足りない。
いろいろ足すと長くなるので、仕方が無いですけど。
現在よりも防衛しっかりしてたんだー
現在の日本人より防衛意識高かったの
ですね 現在の日本文化も防衛意識も
江戸時代の方が遥かに勝れています
何時から日本人からサザ真真🍑
これが頼母子か
一生に一度は伊勢参り。信仰の旅は多めに見てくれるとはいえ、徒歩で数日はかかるし、関所を通るには手形というパスポートもいるし、道中は胡麻の蝿という盗人、山賊なんかもいるし、女性は尚更危険も多いし、
今の海外旅行に近い感覚なんですかね?🤔
それにしても人見女に渡す賄賂が¥6,000は高くね?😅
江戸時代、庶民は神社仏閣参拝などの宗教目的な旅行以外の物見遊山の旅は許されなかった。
そこで「お伊勢参り」などにかこつけて物見遊山の旅に出掛けた。
本当の目的は、ここでも最後に触れらていたように「精進落し」。
参拝よりは、遊郭で女と遊ぶ事だけが「お伊勢参り」の本当の目的だった。(個人の憶測です。)
そりゃ、昔も今も、男は「神様」よりは「女」のほうが好きだよね。(実感です。)
でも、江戸時代の男は良かったよね。
各所に遊郭はあったし、「お伊勢参り」にかこつけて公然と女と遊ぶ旅も出来たんだからね。
今なら、こんなコメしただけで「女性蔑視だ」などと抗議のコメが湧いてきそう…
「橋や石に落書きしない」とか現代じゃやらない…とは言えないのが残念
舞い上がった修学旅行生だけじゃなく良い年下大人までやる事あるからな…
現代でも徒歩で東海道歩く人まれーにいるけど…
それはどこに辿り着こうと大抵は衣食住しっかりしているからで、一汁一菜でないとはいえ動画内に出てくるような食事で東京から三重まで行ってたら現代人生きて辿り着けるのだろうか…
足は草鞋一足だし
長い道中怪我したり風邪でもひこうものなら下手したらそれだけで致命傷に…
関所の通過はそれほど大変なものではなかったようです。
そもそも通行手形の記載内容に疑問があってもそれを確かめる手段がありません。
発行元に電話で問い合わせることもできません。
いちいち投獄していては手間が増えるだけなので、関所役人もできる限り面倒は避けたい。
そもそも関所の周りでは通行手形の発行屋が繁盛していたとか。
結果的に、通行手形っぽいものを持っていれば役人は横を向いていてくれるので通過できたらしい。
1日35km徒歩で。は現代人からすると凄すぎる😅
幕府の最大の罪は神社でなく寺にアホな加担をした事。
あらためババアは草
現代の最貧国と江戸時代の日本はどっちが豊かなんですか?
やじさん♪きたさん♪
珍しく荒れていますね😅お気に入りの服を脱がされたかなぁ😅
ほぅ、講は取り無尽と同じか。
江戸時代の性事情もいつかお願いします🙇♂️
日本人は平等を大事にしてるのが凄くわかるよね。誰かの為に生きるのが日本人の特徴。
1日35キロ移動となると普通の人は無理かなと思います。
平生からよく歩く人ならわかると思いますが、意識せずにごく普通の人で1日の歩距離は
多い人で6キロ、少ない人で2キロ以下です。
35キロ以上移動しようとしたら時間で、5キロ以上歩かないと達成できない。
これを一日連続となると無理。
普通の人だと普段からかなり歩いてる人でも、せいぜい20キロが関の山かな。
江戸の庶民は豊かだったということ。さよくの江戸暗黒史観の嘘だとわかるね。
伊勢神宮は正式には神宮だけでも通る別格の官幣大社です。それを伊勢神社と呼ぶのはおかしいので今後は気をおつけください
伊勢神社って何なんだ?『神宮」だろ。
伊勢神宮は明治までそこまで信仰されてないゾ 持統天皇の後は明治天皇まで参拝してないからな
マイナンバーカードにも宗教を書くべき
統一教会だと自民が衣食住の世話してくれそう
@@元ヒモテ 日本の真の愛国者とは聖なる国の韓国の為に血を流すのです
憲法フル無視で草
@@憲灋を変える男 聖なる国の韓国に従う自民党が憲法です
@@762forest_railway もう少しおべんきょう頑張ろう!
お伊勢参りとは嫁に怒られずに女を買いに行く旅?だった説もありますな〜😂
だいたい、大きな寺社仏閣の裏に必ず遊郭がありまんな〜😂
そして、その寺の檀家でんな〜😂
それが事実ですよね。
いつの時代も男は、神様より「女」を拝みたいですよね。
@@火の鳥-v4b そこは「観音様」でしょうよw