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高木さんは脚気撲滅運動の一環で現在につながる海軍カレーという文化を作ったらしい
当時の風潮として、せっかく軍隊に入れば銀シャリが食べれると聞いていたのに麦飯を出されたのでは兵の士気に差し障るという事情もあったようですね。抗生物質の発見もまだまだ先の時代では死というものは今よりもぐっと身近で、脚気も死因の一つにすぎず、それより腹一杯銀シャリを食わせて戦いに臨んでほしいというふうちょうがあったのかもしれませんね。
麦は米と比べたら長期保存が出来んだろ。俗説を信じ過ぎで草。
食が充実すれば辛い日々の中にも生き甲斐が出来るし兵の士気を考えての面もあったのかも。盲点だったんだと思う。
@@村山男爵当時の麦は長期保存が米より悪いもありますが食感がよくなくて兵士に大不評だったとか
@@youyah7440 嗜好に関しては何とも言えませんね。慣れたら麦飯の方が美味いと感じる、軍人軍属も居ましたから。現に私も銀シャリ飯がすっかりと、小学生の時から麦飯を始めて、苦手になりましたから。銀シャリ信仰に関しては、かなり誇張があると思いますよ。それに昭和の常備軍が20万体制時は、銀シャリよりも美味しいおかずが、ふんだんにありましたから。
@@村山男爵 麦飯むさぼってた、貧乏家庭が、痩せ我慢してるだけだ、わはは😂 #ジミンを許すな
主流を占める学者たちが、自らの学説の誤りを認めることは簡単なことではない。高木兼寛や鈴木梅太郎が学会で冷遇されたのは、本当に残念でなりません
財務官僚が30年の誤りを認められないのも同じこと。
学説間違ってると学会から追放されちゃうもん
医学でも司法でも何でも「権威」が真実を凌駕する暗黒時代が明治時代。軍も出身が重んじられ、一般家庭も長男が重んじられた闇。それに殉じた林太郎も文壇の権威。現代から過去を批判するのはたやすいが詮無い
鈴木梅太郎は農学者で実験したのが動物だったから「人間に適用するのは疑問」と疑われたり、今でもそうだか日本人でも欧米の言う事は正しみたいな逆差別みたいところもあったからね。
未知の栄養素が原因とか普通気付かないって! だから仕方ないと思う………
陸軍も明治時代に一度、麦飯を採用して脚気を減らしてんだよねなのに「栄養価のコスパで白飯が最強」とか言い出してまた白飯に戻し、そこから脚気が再度蔓延しだすという愚を犯している
各師団が隷下聯隊の糧食管理をしたときは玄米食中心で脚気は撲滅寸前にまでになっていたから、陸軍も経験上、玄米麦飯が良いことは知っていた。だが日露開戦となり糧食の管理を中央の陸軍省で一括して行ったら「白米の方が士気は上がるだろう。」と考えて手配をしたらしい。東京の第一師団で玄米か白米かいずれか、ソレで脚気がどうなったかが判らんから、判定に困った点もあったかも知れないが。でも開戦後に戦地の満洲軍で脚気患者が急増したのは確からしい。森軍医監は脚気では自国兵を殺したが、満洲で蔓延したチフスは抑え込んでロシア軍よりは良好な状況に持って行ったから、功罪の判定はムズイ。
愚ではない英断
なんで半々にするっていう選択肢がなかったんだろう
この動画を見るまで森鴎外を害悪のごとく描かれた動画や記事を幾つか見たせいか、自分もそんな風に捉えてました。根本原因を知ることができ、目から鱗が出る思いです。
ほんの少しの行動で救えた命があり意地とプライドで正しいものを見失い、結果としてたくさんの若い人の命が散ったのは森鴎外の責任である事は変わらない、もう少し意思を強く持って正しい事間違っている事を見抜いて下さい。
@@ryustg5434 これでも読んでください 山下 政三『鴎外森林太郎と脚気紛争』(2008/11/1)
森鴎外だけが悪いわけではないという事だが、軍医総監だった森鴎外に責任がなかったわけではないぞ。
@@tetsupa ウィルス/栄養素 論争の決着が付いた後、栄養素説を取っていた陸軍軍医の論文集の緒言に、「かねてより栄養素説を主張されていた森総監の助言により本書の刊行に至り」云々との一文を、鷗外は付け加えさせている。汚い男だと思う。
陸軍は戦地では手の込んだ料理なんて作れない事情もあったし、今の様な栄養学があったわけじゃないしな。帝国ホテル料理長のムッシュ村上の従軍時の逸話にカレーを作ったら、匂いで中国軍が日本軍の攻勢を予想して撤退したなんて話もある。
軍医としてかなりの地位の有った森鴎外が、小説家に精を出しすぎたのもよくないよな
逆に小説家として高名なんだし小説家に専念すればよかった
とても聞きやすい見やすい動画
理論よりも統計学的な証拠を重視する、"論より証拠" の医学だった。理屈はともかく、証拠が沢山あるんだから麦飯を食べさせよう。これがイギリス医学の考え方なんですね。未知の問題に取り組む時考えてもしょうがない時は前にある事実を大事にした方がいいのか。事実をベースに物事を考えられるかが2人の分かれ道だったのか。
因みにイギリス海軍でも似たような感じで壊血病(ビタミンCの不足)が流行った際にライムなどの柑橘類食わせたら減少した。でも脚気と同じような感じで「何で治ったんだろうね?」みたいな感じだった。
世紀の発見が埋もれた理由のひとつが、鈴木梅太郎博士は医学部ではなく、農学部の博士であったので日本の医学会から軽視され、協力も得られなかった事も大きい
それな。夾雑物が多かったとも言われるが、成果としては素晴らしいものなのだ。
ちなみに森鴎外の名作「雁」をトルコ語に翻訳したのは私です。彼が脚気を引き起こすなにか生きた病原体があると勘違いしたせいで病気の対策が遅れてしまいました。
凄い人や!ありがとう!
鈴木梅太郎がオリザニンを発見した際の医学界の反応は典型的なセンメルヴェイス反射ですね。(今回の動画を見る限り、特に顕著な例の一つが森鴎外の対応。)古今東西、今までの常識が実は間違っていたというのを指摘して、それを是正するのは至難の業なのだ…。
センメルヴェイスはただただ不憫すぎる。
医学会以外でもセンメルヴェイス反射ばかりだ。。。
まだエビデンスが無いだけで認められていないことは今でもあるかもしれない。認識されていないだけかもしれない。当時のビタミンのように新しい概念が出来るかもしれない。
高木さん有能すぎないか?
高校生の時、ストレスから拒食症になったのが原因で脚気になりました。手足に力が入りにくくて、よく物を落としたり立ち上がれない、とにかくむくみがひどくて足首のない象のような足になる、足がつることが爆増、と結構しんどかったです。診断を受けてから点滴と内服薬でたちまち治ったので先人達に本当に感謝です。
ほとんど何も食べない日々だったのですか?
食事の違いで陸軍と海軍とでは脚気を患う人の割合が大きく違ったのは面白いですよね
我が国日本のカレーライスは、明治時代、大日本帝国海軍が、艦隊勤務員の曜日感覚の維持と脚気防止のために、イギリスのカレーをもとにして、考案・採用したもので、とろみは洋上で艦が揺れても、こほれおちにくくしたものであります。
陸軍と海軍は食生活も違ってました。
奇跡的に原因を解決する献立メニューを作ってしまったせいで正しい原因が分からなくなったのすごい
"リアル"にできるだけ近づこうと試みた素晴らしい動画作り。
めちゃくちゃ勉強になりました🙂↕️鈴木先生かわいそうですね、、
なるほど、当時は食物繊維の有用性が発見されてなくて「うんこは食べ物を捨ててるだけ」っていう認識だったのか
戦国時代の雑兵も米6合だったですね弥生時代から昭和の30年代に至るまで、日本人の食事は少量の貧弱なおかずで大量の米飯を食べるが基本白米をお腹いっぱい食べられるような「贅沢」ができたのは昭和30年代以降で、それまではそれができるのは軍隊くらい米以外の雑穀やイモ類を主食にする場合がほとんどだった今からじゃ考えられないけど今は「おかわり」なんてしないし何なら米飯自体食べない人も多いが一汁三菜の和食なんてのは、一応存在はしたとしても現実の大部分の日本人からは縁遠いファンタジーの世界それでもその文化が残ってるのが自衛隊隊員がほとんどを過ごす駐屯地での食事は昭和の時代の学校給食が多少良くなったくらいだが、白米だけは食える食えるおかずになる濃い味付けのおかすが足りなければふりかけで食べるいわゆる戦闘糧食にしても、ご飯パック(300g 2合)が2パックとレトルトのおかずが1パック、ご飯は片方はおかずがなくても食べられるように味付けご飯系1食で4合食べてることになるちなみに一般に売られているご飯パックは180~200gくらい蛇足だけれども、こうしたご飯パックを「レトルト」だとい持ってる人が多いが、正確には「無菌米飯」ご飯をレトルトしたらすごくまずくなってしまう各国の戦闘糧食とか知っている人ならわかるが、ここまで炭水化物に徹底してるのは自衛隊だけ他の国はもっとバランスがとれているよく「日本の戦闘糧食は世界一」なんて言ってる人がいるが実は根拠はない、戦闘糧食2型が出始めの時にたまたま自衛隊初の海外派遣(カンボジア)があって、そこにいた他国の軍隊と持ち合って食べた時に評判が良かったという話が独り歩きして話が膨らんだだけトッカグンのyoutubeとか見てる人はわかると思うが他国は様々な意味で自衛隊より全然豪華ちなみに日本人が米を炊くのは1日一回朝だけそれ以外は冷や飯だから平安時代の貴族も湯漬けや水漬けでご飯を食べた日本軍も一回飯盒で炊くだけその手間もあるし、敵からは個々で飯盒炊爨する煙とかで日本軍の存在がバレたまあ3食ホットミールでないといけない中国軍よりはマシだったけど
10年くらい前までの中国も同じ とくに農村部では 現地法人の食堂へ行くと 女子含めてみんなご飯を山盛りに そして塩辛いものが好き 健康のため味を薄めにすると文句が出たとか日本人はそんな塩辛いもの健康に良くないので(それと肝炎が移る?)別メニューでしたね
ドラマ坂の上の雲では日清戦争に軍医として従軍し脚気について語る森林太郎が格好良く描かれております。
森鴎外悪玉説を信じてましたが、実際には麦の排泄などに焦点を当てた反論もあったんですね…改めて高木はスゴいと思いました。自戒を込めて言いますが、虚心に見る努力をしないといけませんね…
白飯上手いよ日本の米だから米を貪ったのも良く分かる科学のインパクトは凄かった
江戸幕府14代将軍、徳川家茂に降嫁して御台所となった和宮親子内親王(家茂死後、静寛院)は、明治10年9月2日、脚気衝心のため療養先の塔ノ沢で薨去したとされております。
一人暮らししているけど、一時期朝昼晩「白米と魚、大根とほうれん草の味噌汁」にしたらよく眠れるようになった
んあー、よだれ出てきた
@@user-cw7zo2re6q 今日は魚じゃなくて肉じゃが(豚肉)とオニオンサラダ、納豆、大根とシイタケとほうれん草の味噌汁にしました
@@25ja2k 肉じゃがいいなー、てか全部いい。和食な…久しく作ってないなー。
多少気になったので、くだらぬアドバイスを一言。ほうれん草にはシュウ酸が多く含まれているため、おひたしにしてシュウ酸をお湯に溶かし、お湯を捨ててから味噌汁に入れよう。シュウ酸を多く摂ると血液内でシュウ酸カルシウムになり、腎結石の元になる。
@@745yop6 情報提供感謝致します!
脚気発病を抑える事に成功した海軍だったが、僅かに出る脚気患者は何故か食事を作る主計課からだった。カラクリは麦飯を炊くと、麦は表面に浮くので混ぜる前に主計課分は表面の麦を避けて白飯だけを取り分け、飯碗によそった後に別に取り分けて有った麦を振り掛けた偽装麦飯にして喰っていたからだそうだ。
戦争による技術発展は食料など幅広い分野にわたると再認識できる動画だ!
仮に現代の学者がタイムスリップして近代初期の方々に、未来の医学科学を説明し証明しても納得してくれるかは未知数なんだなって感じた。
説明したい理論を当時の常識に基づいて再構築するってのはだるそうよねそこら辺をちゃんとした作品とかあったら面白そう
ドラマ仁はその辺描いてるね。
下手したら異端として潰される。運悪ければスパイ扱いもありえるかもあとその時代で高い地位とかはるかな権威にならないと誰も言うこと聞かないだろうな。
意地とプライドの為に救えた筈の命を無駄にした森鴎外が批判される事は何ら間違って居ない、そこの部分の責任転嫁はしてはいけない
江戸時代の第14代将軍の徳川家茂も脚気で亡くなったかと。その後、海軍でも潜水艦は白米が食されました。これは玄米だと日持ちが短い為でした。
初代将軍の徳川家康は儀式や合戦時は白米を食べて、それ以外は麦飯を生涯食べたので脚気に成らなかったが前例主義の大奥で将軍の食事に神君家康公にあやかって徳川家康と同じ食事にしなかったのだろうか?
他にも家茂は大の甘党で、お菓子ばかり食べて腹を満たしてたのも大きいのかな。遺骨を見ると歯のほとんどが虫歯だったらしいし
本気で生きて悩んで調べて導き出した答えは長く人を救う事に繋がると知れる良い例。
鈴木さんの論文がちゃんと翻訳されてたら今でもビタミンB1とかじゃなくてオリザニンい一とかになってたんかな?
まさに、「麦と兵隊」。
脚気が栄養失調によるものというところに至るまでも長く、ビタミンが発見されても頑迷な医学界に阻害され、と。
発見されてもビタミンに懐疑的な意見は長く続いたからね
故郷の偉人の高木兼寛がTH-camで映ってるのを初めて見た
森鴎外がお札になれない理由の一つだなw
カレーライスはやっぱ美味くて健康に良い。
脚気の話で高木と聞いても誰?という人は多いが、森鴎外は文学者としてたいていの人が知っているから、陸軍軍医としての森鴎外は許すまじ!という風潮になるのだと思う。
これも一種の判官贔屓のようなものですかね。片や歴史だけでなく国語の教科書にも載る有名人なのに対してあまりに不遇だから。
真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である
陸自では運搬食の時に用いる食べ物の容器をばっかん[麦缶]と呼びます、由来としては旧陸軍では小隊で飯を食うことが定番で新米兵が食事をばっかんで受領して新米兵がご飯を用意して古参兵に先に食べさせていました、しかし白米と麦飯を混ぜた米を古参兵は嫌うものが多く、ばっかん上部の方に白米が偏っている為白米だけを取り食べていました、その為新米兵はほとんど麦飯ばかり食べていました、しかしそれが新米兵にとっては健康的にも良いことでした、白米ばかりを好んで食べいた古参兵は脚気になる確率が高く新米兵はしっかり麦飯を食べていたことから脚気になることは少なくなったとか。話はそれましたが、旧陸軍時代食事を受領する際使用していた容器に麦飯が入っていた事から兵士たちの間で麦缶→バッカンと言うふうに現代の自衛隊でも使用され続けています、僕はなぜバッカンというのかきになり調べてみましたが由来を調べるのはとても面白いです、皆さんも気になる言葉があれば調べてみてください。
昔から欧米で評価されないと、絶対認められ無いんだよね。 コレが日本人はオリジナルが出来ないと言うふざけた風説があると思う。(アメリカでもオリジナルは極々一部どころか、天文学的確率だろうけど)
海軍兵学校の朝食は食パン1斤とパンに付ける砂糖少々と味噌汁だった。
高木兼寛が創設した東京慈恵医大病院に入院してた時、たまにこのストーリーの紙と一緒に麦飯が出てきたのを思い出す。
これより前にヨーロッパでは大航海時代に船員はほとんどが脚気に亡くなりました。原因はやはり生ものが食べられなくなってしまった事によるビタミン不足なのですが、それが解明されるまで100年以上経過してたそうで…
ビタミンC不足による壊血病じゃないっけ?
それはビタミンC不足による壊血病な。新鮮な野菜や果物が食べられなかったから。ただし、栄養学の知識があれば、例えば大豆を船に積んで、もやしにして食べればビタミンCが摂れたはず。
イギリス兵の蔑称ライミーは壊血病予防のライムジュースをイギリス海軍が水兵に支給していたから
1日6合は凄すぎですね。自分は1日2合炊いて食べてますが、食べ過ぎかなと思っていたくらいです。自分の茶碗だと1合分丸々入るんで、2杯なんだけど、これって丼なのかなと改めて思った。因みに朝晩の食事量で昼食は買っています。
今みたいにオカズが少ない時代なので食べ物は米、漬物、味噌汁のみ
良く足りるな俺最低一食2合は食べないと腹がふくれない
全然食べ過ぎじゃない。やせすぎでしょ
米で腹を満たすから日本人は大陸の人より小さくなってしまった
森鴎外らの生き方から、孔子のことばを思い出します「過ちて改めざる。これを過ちという」
過ちて改めざるどころか。後に「栄養素説」が勝利を収めると、陸軍軍医森鴎外は、前々から栄養素説を唱えていた軍医の著作の前書きに、己の地位を利用して「森軍医から研究/出版を勧められた」との一文を挿入させ、さも前々から栄養素説を認めていたかの様なポーズを作っている。文学作品にしても、「なんかやらかしちゃったから小説でイイワケ」的な言動が妙に多いのが森鴎外。
徳川将軍でも10代家治、13代家定、14代家茂が脚気衝心による心不全で死亡している。それと鈴木梅太郎の論文が顧みられなかった原因の一つが彼が農学者だったから、というのもある。今なら栄養と食物の一人者として普通に注目されるが、当時の医学界からすれば門外漢が何を言う?だったのであろう。司祭で物理や数学の教師だったメンデルが数理的見地(実験と統計)で遺伝の法則を発見したように、門外漢の変わった見方が大発見をしてしまうこともある、という2つの例。
脚気って江戸時代には江戸や大阪などの大都市で多く見られ江戸患いって言われていたけど農村部には脚気患者はほとんど居なかったし療養の為に農村部に移って白米から玄米に主食が変わったら良くなったから原因は分からなかったけど民間療法では玄米食療法が推奨されていたらしい🤔
当時は江戸でもそばが食べられるようになり、そばを食べると脚気が治ることから、そばをすすめる医者もあったそうだ。
白米だけで6合も食べてたら血糖値スパイクもやばそうだけど、そこら辺から異変に気付けなかったのかな体が重いとなっても、弛んでるからだって叱責される環境なのも響いてそうだな
森鴎外は、それでも沢山の貴重な祖先を殺した事実に変わりはない。戦死者よりも脚気による死亡が多かったから、人災です。陸軍はドイツ派で、海軍はイギリス派という図式も大きいのはよく分かりました。
当時、陸軍は戦争の仕方をドイツに学び、海軍はイギリスに学んでいたから、ということもあっただろうね。
何故脚気が起きるのかは、消化の際にビタミンを消費するから
「脚気はオリザニン(ビタミンB1)の不足が原因」と農学博士鈴木梅太郎は力説したが、当時(今も?)医者の主張にはかなわなかった。のちに汚いバケツの水と同じ味と称された合成酒の生みの親でもありますが・・
生まれた時代が悪いとひどい目に合う
陸軍大臣が麦飯支給の命令を下してもなお、部下の森鴎外が自説を変えなかったあたり、やはり頑迷と言われても仕方ないのでは。中間管理職を飛び越えてトップが真逆の命令を下すのは、その中間管理職が無能で信用できないと言われたようなものですからね。
いやあ江戸時代でもオトナひとりあたり5合は食ってたからね。それも今みたいな美味いコメではない。とにかく量が取れればいいというもの美味いコメというものができたの戦後になってからの話
江戸時代は精米技術が向上した事や、菜種油が照明用として普及したのも、白米食が普及した一因だった。だが、仏教の影響で肉食が嫌われたのが脚気が広まった一因だ。
玄米が栄養があり良いとの落ちでしたね。
脚気になるのはビタミンb1不足だが此れは体内では合成出来ないから。ビタミンb1はミトコンドリア内のTCA回路でブドウ糖を利用してATPを作る時に補酵素としての必須物質。ATPは人体を動かすエネルギー源であるが、低体温でもこのTCA回路の生成速度が遅くなりATP不足で死を迎える。
寺内氏の指示で兵隊が助かっていたのか。ビリケン様と拝められそうね。
論理的思考は説得力を持つが実際に重要なのは現実に起きた結果のほう
江戸時代、米は年貢で納めるから庶民が腹いっぱいの白米なんてまず食えなかっただから明治期になり、入隊すると白米が食えるのはとても幸せなことだったらしいだから脚気対策で陸軍で麦飯とか取り入れたらめっちゃ不評だったらしい
今もそうだけど、当時の日本って官僚主義、権威主義、派閥主義がすごい別に細菌派だからといって実績のあった麦飯を出さない理由にはならない
ビタミンがオリザニンって言われてた可能性もあるのか
いつの時代も大きい組織になればなるほど日本の対応は大きく遅れるよね。なぜ集団になると危機感が欠落するんだろうか
不消化 今なら食物繊維として認められているのに…
農家の実家では白米が食えなかった兵士達。美味しい白米は身体には悪かった。しかしドイツに影響されると録な事が無い(苦笑)
管理栄養士を目指している高校生です。自分の興味のある歴史と栄養が意外なところで接点があった事を知って少し驚いています。脚気がまだ蔓延っていた当時、森鴎外も高木兼寛も脚気の撲滅を目指し研究していたのを考えると、森が一概に悪であるとは言えないです(動画のはじめの方でそう思っていました。森さん、ごめんなさい。)。
森が間違っていたところは、自分が信じる物は正しい、ということに固執していたこと。今日でも医学も栄養学もそうだが、常に従来の説の誤りを正し、進歩している。それを認めず、従来の説は絶対正しい、と固執すると、森のような誤りを犯す。あなたが今学んでいる学問も、未来には正されることもありうる、と思ってほしい。
@@745yop6同感
陸軍の兵士達は白米を食いたかったからね。なかなか難しいよ。
大麦にはビタミンB1はほとんど含まれていない。それが脚気に有効なのは、腸内細菌が大麦の食物繊維を分解してビタミンB1を産生するため。つまり細菌の力。だからこんな論争はどっちでもいい。必要な対処をしたかどうかだ。
腸内細菌すごすぎだろ。ゴリラも草からタンパク質作るっていうよね✨
そう言う事だったんですか!麦だって精麦すればビタミンはほとんど残ってないのに(白米より少し多い程度)、どっからビタミンが来るのか不思議でした。
@8mm633 大麦を発酵させたものであるビール酵母が特にビタミンb1豊富で、栄養剤として使われた歴史もありますからわかりやすいかと思います。江戸時代でもたくあん漬けなどは脚気対策として食べられていましたし(不足で脚気流行ってますが)、ビタミンb1は発酵によって生み出される代表的なビタミンなんですね。
それもこれも、食べる米が…アレばこその話。
脚気患者はたくさん出るしチフスは流行るし、日露戦争に行った陸軍兵は日本という国の被害者だよな。たしか田山花袋もボロボロになって帰ってきたんだよね。
田山花袋は日露戦争に従軍記者で大陸で参加したが、体験をもとに脚気で死んでいく兵士を描いた「一兵卒」という作品がある。高木博士は英国留学組で後に慈恵医大を創設している。
脚気はビタミンB1不足によるものビタミンB1は大豆や豚肉などに含まれ、糖質を代謝する等の働きを持つ
主食を白米に変えただけで脚気が多発することからも、元来「日本食」は健康食でも何でもないとよくわかる
昔の日本食という意味で「元来」と書いたのであればその通り。そうでなければ、現代と当時の食事の違いを考慮する必要があります。当時は、主食が食事のほとんどで副食はほんのわずかという構成。現代とはまるで違う。つまり、当時において主食を白米にするということは精米により白米にしたことで失われる栄養素がまるで摂取できなくなってしまうことになります。
う〇こもりもり森鴎外だったのか…
森鴎外は北里柴三郎とも脚気細菌説で仲が悪くなったはず
森鴎外のせいで大勢亡くなったと思ってました、森さんごめんなさい
森『ええよ。』
でも、無罪ではないね。
いや、謝らなくてもいいよ。その通りなのだから。ただ、森一人の責任ではない、というだけ。
和食はビタミンだけじゃなく、タンパク質も少ない。だから日本人の身長は伸びない。
日本の食の知識が、いかに世界的に見て劣っていたかを示していますね。
論文の翻訳がちゃんとしていればビタミンではなく、オリザニンと呼ばれていていたという事か。
おかしいと思ったなら森鴎外が兵士と同じものを食べて見れば良かった。
米で腹を満たすから大陸の人より小柄になってしまったんだな。
一人6合とか体格の良くなった現代の日本人でも多いような気が…
日本のお偉いさんがいつも足引っ張ってますね‥
立浪和義「白米を禁止したのは正解だったな。まさか米騒動になるとは思わなかったけど。」
そうだったのか😮
これがビタミン発見のきっかけになった。当時の陸軍首脳は陸軍軍医の言うことはあまり信用していなかったようだ。
ビタミンの発見は、ポーランドのフンク。(実質的にはその前年の鈴木梅太郎だが、その『オリザニン』は夾雑物が多く、評価されなかった)別に日本の陸軍は関係ない。陸軍軍医森鴎外の姑息なところは、前々から栄養素説を唱えていた軍医の著作の前書きに、己の地位を利用して「森軍医から研究を勧められた」との一文を挿入させ、さも前々から栄養素説を認めていたかの様なポーズを作ったこと。その文学作品にしても、「なんかやらかしちゃったから小説でイイワケ」的な言動が妙に多いのが森鴎外。
100年くらい前に生まれてたら脚気で死んでたかもしれないんだなぁ
科学が不能と意味したいのでは無いが、流行の分野を通して現象を理解しようとしたり、そもそも、麦飯配給で改善したという事象ではなく、論説への反駁に終始したりと、ままならない営みなんだな。
森鴎外のイメージ変わったわ
今も未知の栄養素ってあったりするのかな
今の自衛隊も場所によってシゴきはあるだろうけど衣食住とちゃんと休みと福利厚生あるから職に困ったら行くのもありかも…?
曹になる頭もってないと数年で契約切られるあんな職業安定もくそもねえわ。そのうえで過重労働だし日雇いの方がはるかに楽
あと違法な借金取りから逃れる オウム真理教があったころ 借金取りから逃れるには 自衛隊へ行くか オウムのサティアンに行くかであった
この動画は、戦史に興味の無い人達にも見て欲しいですね
そうでヤンス、
俺んちは生まれた時からずっと麦飯でした。かあちゃんありがとう
人の思い込みと言うのは時に恐ろしいものがありますね(´;ω;`)
味噌にもビタミンBは含まれているが、六合の白米には力不足だな。
高木すげー
別名ビタミンの父ですね。
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当時の風潮として、せっかく軍隊に入れば銀シャリが食べれると聞いていたのに麦飯を出されたのでは兵の士気に差し障るという事情もあったようですね。抗生物質の発見もまだまだ先の時代では死というものは今よりもぐっと身近で、脚気も死因の一つにすぎず、それより腹一杯銀シャリを食わせて戦いに臨んでほしいというふうちょうがあったのかもしれませんね。
麦は米と比べたら長期保存が出来んだろ。
俗説を信じ過ぎで草。
食が充実すれば辛い日々の中にも生き甲斐が出来るし兵の士気を考えての面もあったのかも。
盲点だったんだと思う。
@@村山男爵
当時の麦は長期保存が米より悪いもありますが食感がよくなくて兵士に大不評だったとか
@@youyah7440
嗜好に関しては何とも言えませんね。
慣れたら麦飯の方が美味いと感じる、
軍人軍属も居ましたから。
現に私も銀シャリ飯がすっかりと、
小学生の時から麦飯を始めて、
苦手になりましたから。
銀シャリ信仰に関しては、
かなり誇張があると思いますよ。
それに昭和の常備軍が20万体制時は、
銀シャリよりも美味しいおかずが、
ふんだんにありましたから。
@@村山男爵 麦飯むさぼってた、貧乏家庭が、痩せ我慢してるだけだ、わはは😂
#ジミンを許すな
主流を占める学者たちが、自らの学説の誤りを認めることは簡単なことではない。高木兼寛や鈴木梅太郎が学会で冷遇されたのは、本当に残念でなりません
財務官僚が30年の誤りを認められないのも同じこと。
学説間違ってると学会から追放されちゃうもん
医学でも司法でも何でも「権威」が真実を凌駕する暗黒時代が明治時代。軍も出身が重んじられ、一般家庭も長男が重んじられた闇。それに殉じた林太郎も文壇の権威。現代から過去を批判するのはたやすいが詮無い
鈴木梅太郎は農学者で実験したのが動物だったから「人間に適用するのは疑問」と疑われたり、今でもそうだか日本人でも欧米の言う事は正しみたいな逆差別みたいところもあったからね。
未知の栄養素が原因とか普通気付かないって! だから仕方ないと思う………
陸軍も明治時代に一度、麦飯を採用して脚気を減らしてんだよね
なのに「栄養価のコスパで白飯が最強」とか言い出してまた白飯に戻し、そこから脚気が再度蔓延しだすという愚を犯している
各師団が隷下聯隊の糧食管理をしたときは玄米食中心で脚気は撲滅寸前にまでになっていたから、陸軍も経験上、玄米麦飯が良いことは知っていた。
だが日露開戦となり糧食の管理を中央の陸軍省で一括して行ったら「白米の方が士気は上がるだろう。」と考えて手配をしたらしい。
東京の第一師団で玄米か白米かいずれか、ソレで脚気がどうなったかが判らんから、判定に困った点もあったかも知れないが。
でも開戦後に戦地の満洲軍で脚気患者が急増したのは確からしい。
森軍医監は脚気では自国兵を殺したが、満洲で蔓延したチフスは抑え込んでロシア軍よりは良好な状況に持って行ったから、功罪の判定はムズイ。
愚ではない英断
なんで半々にするっていう選択肢がなかったんだろう
この動画を見るまで森鴎外を害悪のごとく描かれた動画や記事を幾つか見たせいか、自分もそんな風に捉えてました。根本原因を知ることができ、目から鱗が出る思いです。
ほんの少しの行動で救えた命があり意地とプライドで正しいものを見失い、結果としてたくさんの若い人の命が散ったのは森鴎外の責任である事は変わらない、もう少し意思を強く持って正しい事間違っている事を見抜いて下さい。
@@ryustg5434 これでも読んでください 山下 政三『鴎外森林太郎と脚気紛争』(2008/11/1)
森鴎外だけが悪いわけではないという事だが、軍医総監だった森鴎外に責任がなかったわけではないぞ。
@@tetsupa
ウィルス/栄養素 論争の決着が付いた後、栄養素説を取っていた陸軍軍医の論文集の緒言に、
「かねてより栄養素説を主張されていた森総監の助言により本書の刊行に至り」
云々との一文を、鷗外は付け加えさせている。
汚い男だと思う。
陸軍は戦地では手の込んだ料理なんて作れない事情もあったし、今の様な栄養学があったわけじゃないしな。
帝国ホテル料理長のムッシュ村上の従軍時の逸話にカレーを作ったら、匂いで中国軍が日本軍の攻勢を予想して撤退したなんて話もある。
軍医としてかなりの地位の有った森鴎外が、小説家に精を出しすぎたのもよくないよな
逆に小説家として高名なんだし小説家に専念すればよかった
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理論よりも統計学的な証拠を重視する、
"論より証拠" の医学だった。理屈はともかく、証拠が沢山あるんだから麦飯を食べさせよう。これがイギリス医学の考え方なんですね。未知の問題に取り組む時考えてもしょうがない時は前にある事実を大事にした方がいいのか。事実をベースに物事を考えられるかが2人の分かれ道だったのか。
因みにイギリス海軍でも似たような感じで壊血病(ビタミンCの不足)が流行った際にライムなどの柑橘類食わせたら減少した。
でも脚気と同じような感じで「何で治ったんだろうね?」みたいな感じだった。
世紀の発見が埋もれた理由のひとつが、鈴木梅太郎博士は医学部ではなく、農学部の博士であったので日本の医学会から軽視され、協力も得られなかった事も大きい
それな。
夾雑物が多かったとも言われるが、成果としては素晴らしいものなのだ。
ちなみに森鴎外の名作「雁」をトルコ語に翻訳したのは私です。彼が脚気を引き起こすなにか生きた病原体があると勘違いしたせいで病気の対策が遅れてしまいました。
凄い人や!ありがとう!
鈴木梅太郎がオリザニンを発見した際の医学界の反応は典型的なセンメルヴェイス反射ですね。(今回の動画を見る限り、特に顕著な例の一つが森鴎外の対応。)古今東西、今までの常識が実は間違っていたというのを指摘して、それを是正するのは至難の業なのだ…。
センメルヴェイスはただただ不憫すぎる。
医学会以外でもセンメルヴェイス反射ばかりだ。。。
まだエビデンスが無いだけで認められていないことは今でもあるかもしれない。
認識されていないだけかもしれない。
当時のビタミンのように新しい概念が出来るかもしれない。
高木さん有能すぎないか?
高校生の時、ストレスから拒食症になったのが原因で脚気になりました。
手足に力が入りにくくて、よく物を落としたり立ち上がれない、とにかくむくみがひどくて足首のない象のような足になる、足がつることが爆増、と結構しんどかったです。
診断を受けてから点滴と内服薬でたちまち治ったので先人達に本当に感謝です。
ほとんど何も食べない日々だったのですか?
食事の違いで陸軍と海軍とでは脚気を患う人の割合が大きく違ったのは面白いですよね
我が国日本のカレーライスは、明治時代、大日本帝国海軍が、艦隊勤務員の曜日感覚の維持と脚気防止のために、イギリスのカレーをもとにして、考案・採用したもので、とろみは洋上で艦が揺れても、こほれおちにくくしたものであります。
陸軍と海軍は食生活も違ってました。
奇跡的に原因を解決する献立メニューを作ってしまったせいで正しい原因が分からなくなったのすごい
"リアル"にできるだけ近づこうと試みた素晴らしい動画作り。
めちゃくちゃ勉強になりました🙂↕️
鈴木先生かわいそうですね、、
なるほど、当時は食物繊維の有用性が発見されてなくて「うんこは食べ物を捨ててるだけ」っていう認識だったのか
戦国時代の雑兵も米6合だったですね
弥生時代から昭和の30年代に至るまで、日本人の食事は少量の貧弱なおかずで大量の米飯を食べるが基本
白米をお腹いっぱい食べられるような「贅沢」ができたのは昭和30年代以降で、それまではそれができるのは軍隊くらい
米以外の雑穀やイモ類を主食にする場合がほとんどだった
今からじゃ考えられないけど
今は「おかわり」なんてしないし何なら米飯自体食べない人も多いが
一汁三菜の和食なんてのは、一応存在はしたとしても現実の大部分の日本人からは縁遠いファンタジーの世界
それでもその文化が残ってるのが自衛隊
隊員がほとんどを過ごす駐屯地での食事は昭和の時代の学校給食が多少良くなったくらいだが、白米だけは食える食える
おかずになる濃い味付けのおかすが足りなければふりかけで食べる
いわゆる戦闘糧食にしても、ご飯パック(300g 2合)が2パックとレトルトのおかずが1パック、ご飯は片方はおかずがなくても食べられるように味付けご飯系
1食で4合食べてることになる
ちなみに一般に売られているご飯パックは180~200gくらい
蛇足だけれども、こうしたご飯パックを「レトルト」だとい持ってる人が多いが、正確には「無菌米飯」
ご飯をレトルトしたらすごくまずくなってしまう
各国の戦闘糧食とか知っている人ならわかるが、ここまで炭水化物に徹底してるのは自衛隊だけ
他の国はもっとバランスがとれている
よく「日本の戦闘糧食は世界一」なんて言ってる人がいるが実は根拠はない、戦闘糧食2型が出始めの時にたまたま自衛隊初の海外派遣(カンボジア)があって、そこにいた他国の軍隊と持ち合って食べた時に評判が良かったという話が独り歩きして話が膨らんだだけ
トッカグンのyoutubeとか見てる人はわかると思うが他国は様々な意味で自衛隊より全然豪華
ちなみに日本人が米を炊くのは1日一回朝だけ
それ以外は冷や飯
だから平安時代の貴族も湯漬けや水漬けでご飯を食べた
日本軍も一回飯盒で炊くだけ
その手間もあるし、敵からは個々で飯盒炊爨する煙とかで日本軍の存在がバレた
まあ3食ホットミールでないといけない中国軍よりはマシだったけど
10年くらい前までの中国も同じ とくに農村部では
現地法人の食堂へ行くと 女子含めてみんなご飯を山盛りに そして塩辛いものが好き 健康のため味を薄めにすると文句が出たとか
日本人はそんな塩辛いもの健康に良くないので(それと肝炎が移る?)別メニューでしたね
ドラマ坂の上の雲では日清戦争に軍医として従軍し脚気について語る森林太郎が格好良く描かれております。
森鴎外悪玉説を信じてましたが、実際には麦の排泄などに焦点を当てた反論もあったんですね…
改めて高木はスゴいと思いました。
自戒を込めて言いますが、虚心に見る努力をしないといけませんね…
白飯上手いよ
日本の米
だから米を貪ったのも良く分かる
科学のインパクトは凄かった
江戸幕府14代将軍、徳川家茂に降嫁して御台所となった和宮親子内親王(家茂死後、静寛院)は、明治10年9月2日、脚気衝心のため療養先の塔ノ沢で薨去したとされております。
一人暮らししているけど、一時期朝昼晩「白米と魚、大根とほうれん草の味噌汁」にしたらよく眠れるようになった
んあー、よだれ出てきた
@@user-cw7zo2re6q 今日は魚じゃなくて肉じゃが(豚肉)とオニオンサラダ、納豆、大根とシイタケとほうれん草の味噌汁にしました
@@25ja2k 肉じゃがいいなー、てか全部いい。和食な…久しく作ってないなー。
多少気になったので、くだらぬアドバイスを一言。
ほうれん草にはシュウ酸が多く含まれているため、おひたしにしてシュウ酸をお湯に溶かし、お湯を捨ててから味噌汁に入れよう。シュウ酸を多く摂ると血液内でシュウ酸カルシウムになり、腎結石の元になる。
@@745yop6 情報提供感謝致します!
脚気発病を抑える事に成功した海軍だったが、僅かに出る脚気患者は何故か食事を作る主計課からだった。
カラクリは麦飯を炊くと、麦は表面に浮くので混ぜる前に主計課分は表面の麦を避けて白飯だけを取り分け、飯碗によそった後に別に取り分けて有った麦を振り掛けた偽装麦飯にして喰っていたからだそうだ。
戦争による技術発展は食料など幅広い分野にわたると再認識できる動画だ!
仮に現代の学者がタイムスリップして近代初期の方々に、未来の医学科学を説明し証明しても納得してくれるかは未知数なんだなって感じた。
説明したい理論を当時の常識に基づいて再構築するってのはだるそうよね
そこら辺をちゃんとした作品とかあったら面白そう
ドラマ仁はその辺描いてるね。
下手したら異端として潰される。運悪ければスパイ扱いもありえるかも
あとその時代で高い地位とかはるかな権威にならないと誰も言うこと聞かないだろうな。
意地とプライドの為に救えた筈の命を無駄にした森鴎外が批判される事は何ら間違って居ない、そこの部分の責任転嫁はしてはいけない
江戸時代の第14代将軍の徳川家茂も脚気で亡くなったかと。
その後、海軍でも潜水艦は白米が食されました。これは玄米だと日持ちが短い為でした。
初代将軍の徳川家康は儀式や合戦時は白米を食べて、それ以外は麦飯を生涯食べたので脚気に成らなかったが前例主義の大奥で将軍の食事に神君家康公にあやかって徳川家康と同じ食事にしなかったのだろうか?
他にも家茂は大の甘党で、お菓子ばかり食べて腹を満たしてたのも大きいのかな。遺骨を見ると歯のほとんどが虫歯だったらしいし
本気で生きて悩んで調べて導き出した答えは長く人を救う事に繋がると知れる良い例。
鈴木さんの論文がちゃんと翻訳されてたら今でもビタミンB1とかじゃなくてオリザニンい一とかになってたんかな?
まさに、「麦と兵隊」。
脚気が栄養失調によるものというところに至るまでも長く、ビタミンが発見されても頑迷な医学界に阻害され、と。
発見されてもビタミンに懐疑的な意見は長く続いたからね
故郷の偉人の高木兼寛がTH-camで映ってるのを初めて見た
森鴎外がお札になれない理由の一つだなw
カレーライスはやっぱ美味くて健康に良い。
脚気の話で高木と聞いても誰?という人は多いが、森鴎外は文学者としてたいていの人が知っているから、陸軍軍医としての森鴎外は許すまじ!という風潮になるのだと思う。
これも一種の判官贔屓のようなものですかね。
片や歴史だけでなく国語の教科書にも載る有名人なのに対してあまりに不遇だから。
真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である
陸自では運搬食の時に用いる食べ物の容器をばっかん[麦缶]と呼びます、由来としては旧陸軍では小隊で飯を食うことが定番で新米兵が食事をばっかんで受領して新米兵がご飯を用意して古参兵に先に食べさせていました、しかし白米と麦飯を混ぜた米を古参兵は嫌うものが多く、ばっかん上部の方に白米が偏っている為白米だけを取り食べていました、その為新米兵はほとんど麦飯ばかり食べていました、しかしそれが新米兵にとっては健康的にも良いことでした、白米ばかりを好んで食べいた古参兵は脚気になる確率が高く新米兵はしっかり麦飯を食べていたことから脚気になることは少なくなったとか。話はそれましたが、旧陸軍時代食事を受領する際使用していた容器に麦飯が入っていた事から兵士たちの間で麦缶→バッカンと言うふうに現代の自衛隊でも使用され続けています、僕はなぜバッカンというのかきになり調べてみましたが由来を調べるのはとても面白いです、皆さんも気になる言葉があれば調べてみてください。
昔から欧米で評価されないと、絶対認められ無いんだよね。 コレが日本人はオリジナルが出来ないと言うふざけた風説があると思う。(アメリカでもオリジナルは極々一部どころか、天文学的確率だろうけど)
海軍兵学校の朝食は食パン1斤とパンに付ける砂糖少々と味噌汁だった。
高木兼寛が創設した東京慈恵医大病院に入院してた時、たまにこのストーリーの紙と一緒に麦飯が出てきたのを思い出す。
これより前にヨーロッパでは大航海時代に船員はほとんどが脚気に亡くなりました。
原因はやはり生ものが食べられなくなってしまった事によるビタミン不足なのですが、それが解明されるまで100年以上経過してたそうで…
ビタミンC不足による壊血病じゃないっけ?
それはビタミンC不足による壊血病な。新鮮な野菜や果物が食べられなかったから。
ただし、栄養学の知識があれば、例えば大豆を船に積んで、もやしにして食べればビタミンCが摂れたはず。
イギリス兵の蔑称ライミーは壊血病予防のライムジュースをイギリス海軍が水兵に支給していたから
1日6合は凄すぎですね。自分は1日2合炊いて食べてますが、食べ過ぎかなと思っていたくらいです。自分の茶碗だと1合分丸々入るんで、2杯なんだけど、これって丼なのかなと改めて思った。因みに朝晩の食事量で昼食は買っています。
今みたいにオカズが少ない時代なので食べ物は米、漬物、味噌汁のみ
良く足りるな
俺最低一食2合は食べないと腹がふくれない
全然食べ過ぎじゃない。やせすぎでしょ
米で腹を満たすから日本人は大陸の人より小さくなってしまった
森鴎外らの生き方から、孔子のことばを思い出します
「過ちて改めざる。これを過ちという」
過ちて改めざるどころか。
後に「栄養素説」が勝利を収めると、陸軍軍医森鴎外は、前々から栄養素説を唱えていた軍医の著作の前書きに、己の地位を利用して
「森軍医から研究/出版を勧められた」
との一文を挿入させ、さも前々から栄養素説を認めていたかの様なポーズを作っている。
文学作品にしても、
「なんかやらかしちゃったから小説でイイワケ」
的な言動が妙に多いのが森鴎外。
徳川将軍でも10代家治、13代家定、14代家茂が脚気衝心による心不全で死亡している。
それと鈴木梅太郎の論文が顧みられなかった原因の一つが彼が農学者だったから、というのもある。今なら栄養と食物の一人者として普通に注目されるが、当時の医学界からすれば門外漢が何を言う?だったのであろう。
司祭で物理や数学の教師だったメンデルが数理的見地(実験と統計)で遺伝の法則を発見したように、門外漢の変わった見方が大発見をしてしまうこともある、という2つの例。
脚気って江戸時代には江戸や大阪などの大都市で多く見られ江戸患いって言われていたけど農村部には脚気患者はほとんど居なかったし療養の為に農村部に移って白米から玄米に主食が変わったら良くなったから原因は分からなかったけど民間療法では玄米食療法が推奨されていたらしい🤔
当時は江戸でもそばが食べられるようになり、そばを食べると脚気が治ることから、そばをすすめる医者もあったそうだ。
白米だけで6合も食べてたら血糖値スパイクもやばそうだけど、そこら辺から異変に気付けなかったのかな
体が重いとなっても、弛んでるからだって叱責される環境なのも響いてそうだな
森鴎外は、それでも沢山の貴重な祖先を殺した事実に変わりはない。
戦死者よりも脚気による死亡が多かったから、人災です。
陸軍はドイツ派で、海軍はイギリス派という図式も大きいのはよく分かりました。
当時、陸軍は戦争の仕方をドイツに学び、海軍はイギリスに学んでいたから、ということもあっただろうね。
何故脚気が起きるのかは、消化の際にビタミンを消費するから
「脚気はオリザニン(ビタミンB1)の不足が原因」と農学博士鈴木梅太郎は力説したが、当時(今も?)医者の主張にはかなわなかった。
のちに汚いバケツの水と同じ味と称された合成酒の生みの親でもありますが・・
生まれた時代が悪いとひどい目に合う
陸軍大臣が麦飯支給の命令を下してもなお、部下の森鴎外が自説を変えなかったあたり、やはり頑迷と言われても仕方ないのでは。中間管理職を飛び越えてトップが真逆の命令を下すのは、その中間管理職が無能で信用できないと言われたようなものですからね。
いやあ江戸時代でもオトナひとりあたり5合は食ってたからね。
それも今みたいな美味いコメではない。とにかく量が取れればいいというもの
美味いコメというものができたの戦後になってからの話
江戸時代は精米技術が向上した事や、菜種油が照明用として普及したのも、白米食が普及した一因だった。
だが、仏教の影響で肉食が嫌われたのが脚気が広まった一因だ。
玄米が栄養があり良いとの落ちでしたね。
脚気になるのはビタミンb1不足だが此れは体内では合成出来ないから。ビタミンb1はミトコンドリア内のTCA回路でブドウ糖を利用してATPを作る時に補酵素としての必須物質。
ATPは人体を動かすエネルギー源であるが、低体温でもこのTCA回路の生成速度が遅くなりATP不足で死を迎える。
寺内氏の指示で兵隊が助かっていたのか。ビリケン様と拝められそうね。
論理的思考は説得力を持つが実際に重要なのは現実に起きた結果のほう
江戸時代、米は年貢で納めるから庶民が腹いっぱいの白米なんてまず食えなかった
だから明治期になり、入隊すると白米が食えるのはとても幸せなことだったらしい
だから脚気対策で陸軍で麦飯とか取り入れたらめっちゃ不評だったらしい
今もそうだけど、当時の日本って官僚主義、権威主義、派閥主義がすごい
別に細菌派だからといって実績のあった麦飯を出さない理由にはならない
ビタミンがオリザニンって言われてた可能性もあるのか
いつの時代も大きい組織になればなるほど日本の対応は大きく遅れるよね。
なぜ集団になると危機感が欠落するんだろうか
不消化 今なら食物繊維として認められているのに…
農家の実家では白米が食えなかった兵士達。美味しい白米は身体には悪かった。
しかしドイツに影響されると
録な事が無い(苦笑)
管理栄養士を目指している高校生です。自分の興味のある歴史と栄養が意外なところで接点があった事を知って少し驚いています。脚気がまだ蔓延っていた当時、森鴎外も高木兼寛も脚気の撲滅を目指し研究していたのを考えると、森が一概に悪であるとは言えないです(動画のはじめの方でそう思っていました。森さん、ごめんなさい。)。
森が間違っていたところは、自分が信じる物は正しい、ということに固執していたこと。
今日でも医学も栄養学もそうだが、常に従来の説の誤りを正し、進歩している。それを認めず、従来の説は絶対正しい、と固執すると、森のような誤りを犯す。あなたが今学んでいる学問も、未来には正されることもありうる、と思ってほしい。
@@745yop6
同感
陸軍の兵士達は白米を食いたかったからね。なかなか難しいよ。
大麦にはビタミンB1はほとんど含まれていない。
それが脚気に有効なのは、腸内細菌が大麦の食物繊維を分解してビタミンB1を産生するため。つまり細菌の力。
だからこんな論争はどっちでもいい。必要な対処をしたかどうかだ。
腸内細菌すごすぎだろ。ゴリラも草からタンパク質作るっていうよね✨
そう言う事だったんですか!
麦だって精麦すればビタミンはほとんど残ってないのに(白米より少し多い程度)、どっからビタミンが来るのか不思議でした。
@8mm633 大麦を発酵させたものであるビール酵母が特にビタミンb1豊富で、栄養剤として使われた歴史もありますからわかりやすいかと思います。
江戸時代でもたくあん漬けなどは脚気対策として食べられていましたし(不足で脚気流行ってますが)、ビタミンb1は発酵によって生み出される代表的なビタミンなんですね。
それもこれも、食べる米が…アレばこその話。
脚気患者はたくさん出るしチフスは流行るし、日露戦争に行った陸軍兵は日本という国の被害者だよな。たしか田山花袋もボロボロになって帰ってきたんだよね。
田山花袋は日露戦争に従軍記者で大陸で参加したが、体験をもとに脚気で死んでいく兵士を描いた「一兵卒」という作品がある。
高木博士は英国留学組で後に慈恵医大を創設している。
脚気はビタミンB1不足によるもの
ビタミンB1は大豆や豚肉などに含まれ、糖質を代謝する等の働きを持つ
主食を白米に変えただけで脚気が多発することからも、元来「日本食」は健康食でも何でもないとよくわかる
昔の日本食という意味で「元来」と書いたのであればその通り。そうでなければ、現代と当時の食事の違いを考慮する必要があります。当時は、主食が食事のほとんどで副食はほんのわずかという構成。現代とはまるで違う。つまり、当時において主食を白米にするということは精米により白米にしたことで失われる栄養素がまるで摂取できなくなってしまうことになります。
う〇こもりもり森鴎外だったのか…
森鴎外は北里柴三郎とも脚気細菌説で仲が悪くなったはず
森鴎外のせいで大勢亡くなったと思ってました、森さんごめんなさい
森『ええよ。』
でも、無罪ではないね。
いや、謝らなくてもいいよ。その通りなのだから。ただ、森一人の責任ではない、というだけ。
和食はビタミンだけじゃなく、タンパク質も少ない。だから日本人の身長は伸びない。
日本の食の知識が、いかに世界的に見て劣っていたかを示していますね。
論文の翻訳がちゃんとしていればビタミンではなく、オリザニンと呼ばれていていたという事か。
おかしいと思ったなら森鴎外が兵士と同じものを食べて見れば良かった。
米で腹を満たすから大陸の人より小柄になってしまったんだな。
一人6合とか体格の良くなった現代の日本人でも多いような気が…
日本のお偉いさんがいつも足引っ張ってますね‥
立浪和義「白米を禁止したのは正解だったな。まさか米騒動になるとは思わなかったけど。」
そうだったのか😮
これがビタミン発見のきっかけになった。当時の陸軍首脳は陸軍軍医の言うことはあまり信用していなかったようだ。
ビタミンの発見は、ポーランドのフンク。
(実質的にはその前年の鈴木梅太郎だが、その『オリザニン』は夾雑物が多く、評価されなかった)
別に日本の陸軍は関係ない。
陸軍軍医森鴎外の姑息なところは、前々から栄養素説を唱えていた軍医の著作の前書きに、己の地位を利用して
「森軍医から研究を勧められた」
との一文を挿入させ、さも前々から栄養素説を認めていたかの様なポーズを作ったこと。
その文学作品にしても、
「なんかやらかしちゃったから小説でイイワケ」
的な言動が妙に多いのが森鴎外。
100年くらい前に生まれてたら脚気で死んでたかもしれないんだなぁ
科学が不能と意味したいのでは無いが、流行の分野を通して現象を理解しようとしたり、そもそも、麦飯配給で改善したという事象ではなく、論説への反駁に終始したりと、ままならない営みなんだな。
森鴎外のイメージ変わったわ
今も未知の栄養素ってあったりするのかな
今の自衛隊も場所によってシゴきはあるだろうけど衣食住とちゃんと休みと福利厚生あるから職に困ったら行くのもありかも…?
曹になる頭もってないと数年で契約切られるあんな職業安定もくそもねえわ。そのうえで過重労働だし日雇いの方がはるかに楽
あと違法な借金取りから逃れる オウム真理教があったころ 借金取りから逃れるには 自衛隊へ行くか オウムのサティアンに行くかであった
この動画は、戦史に興味の無い人達にも見て欲しいですね
そうでヤンス、
俺んちは生まれた時からずっと麦飯でした。かあちゃんありがとう
人の思い込みと言うのは時に恐ろしいものがありますね(´;ω;`)
味噌にもビタミンBは含まれているが、六合の白米には力不足だな。
高木すげー
別名ビタミンの父ですね。