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【参考文献】〇ドゥルーズ・コレクション 1: 哲学amzn.to/3L1E83K〇黒死館殺人事件amzn.to/3mSPaQQ〇ドグラ・マグラ(上)amzn.to/3osvgwC〇ロビンソン・クルーソーamzn.to/41PQGCg〇現代思想入門amzn.to/41x2fyi〇池澤夏樹の世界文学リミックスamzn.to/3Lj7GeG〇動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学amzn.to/41vVgG2〇ドゥルーズの哲学原理amzn.to/40wgAcU〇極限の思想 ドゥルーズ 内在性の形而上学amzn.to/3H7OsX0
よしのぶさんの見方に一票。デカルトやカントの流れは分からないけど、科学や心理学や生態系の分野が深まった現代だから感じることもある。
今回の話すごく面白いし、コメント欄も含めて面白いし、こういうのを面白いと思えるままでいたいなぁと切に願う
この回何度も聞き返してずっと「???」って思って未だによくわからないのですが「《私》は生得的に備わっているのか否か」って話は面白そうです!
お悩み共有回(解決回ではなく)いいスタイルだと思う
「蒼穹のファフナー」という作品でも、「私という存在」を他者がいることによって規定していましたねすべての個体が共に一つの意識を共有している地球外生命体を、非存在の象徴として扱っていました
島というのは一つの集団としてのイメージなのかなと思いました。人間は確かに他者がいるから自我を自覚できるけども、集団のなかで完全に100%すべて他者を理解することはできないはずです。なので、集団のなかに自分がいるときは他者という[自分以外]と[自分]という2項対立が生みだされる気がします。しかし[自分以外]と[自分]という2項対立自体は無人島でも成立するはずで、それは[自分以外]の自然と[自分]という構造です。人としての他者がいなくとも、無人島の草木や蛙ではないという[自分]がいるはずです。そのため、どの島に居ても[自分以外]と[自分]という構造は成立します。であれば、自然という[自分以外]と[自分]の方がより範囲が広いことになり、すべての島は無人島で、より狭い範囲が有人島になるのかと思いました。...これが限界です
ほぉ~面白かった!
「無人島に行った」のではなく、その前後の時間を取り払って「無人島にいる」という瞬間を切り取るってことですよね。そのとき島を他者(自分ではないもの)として認識せず自分として認識すると、自分は島の一部であり、同時に島は自分の一部であるということなんでしょうかね。
このコメントだけでなにかがわかった気になる(いい意味で)笑
日本語で「無"人"島」と言うときの「人」とフランス語の「無人島」(フランス語は分かりません)の「人」は同じなのか、さらに生物としての「ヒト」なのか人格、哲学的に想定された「人間」であることを前提とした「人」であるのか、本当によく分からない議論でした。
帽子はふつうに良い
水の汲める帽子なら 、なお良い
これを読んで「そもそも無人島特集ってなに?」ってなるのはあるある。
他者と共にありながら自分は自分であって大丈夫、という自己肯定感も、他者に対する信頼と自分に対する信頼、他があっての自。哲学じゃないかもだけどしんみりする。難しくてわからない、になんか泣ける。自と他に格闘するからかな。
哲学科で学んだことのない一般読者ですが、無人島に至って、人間としての「私」が無くなるだけじゃなく、生物や植物、その動物や植物や、あるいは無機物としても、種としてのカエル、そのカエルの中の個体がいて、、、。といった一般概念と個別概念と、その前提となる同一性と、、差異と、、っていう話ですよね。同一性批判の哲学、差異の哲学ですから、全ての島は無人島である、となるのかな。一方で、ドゥルーズは、経験論を重視しつつも、大陸合理論哲学のスピノザを哲学の王として称賛しますよね。メルロポンティなんかを読むと知覚は経験的に徐々に構成されるものでは無いというのも理解できるし、、、、むずいけど面白いですね。
そうなんだよな。ドゥルーズは本書も解説本も何冊も何回も読んだけどその度に霧の中に迷うんだよなぁ…
無人島に一人派遣した時点で無人島ではなくなる、という「無人島パラドクス」なるものは考えたことがあるのですがドゥルーズはその上を越えていた……!?
素人には難解でも専門家なら誰が読んでも同じように解釈出来るのなら良いけど、専門家でも解釈が出来なかったりバラバラだったりするような文章はもう学問じゃなくてポエムなのでは、と思ってしまう。
日本でも、今では解釈わからなくなってしまった古文書とか、あると思うが。ドゥルーズというか、おフランスのこういうのというか、わざとわかりにくく、賛否両論になるように書いているのもあるそう。結構、仏教とか道教、禅からヒントもらってそうな感ある。私から始まらない(反西洋的)、ご縁の中に私がいるとか。 ドゥルーズ用語の切断と結合(ご縁や縁切り)等。
他者と自己の1体1の場合のみ有人島になるとしてもその他者はまた別の他者有人島の関係を築いてるから結局連鎖反応的に自我が存在して有人島が発生しそう(?)
一方の島 → 分離型大地 → 地球一番高くにある構造 → 地殻沈下に乗じて上にある → くぼんだ部分の上に水が乗ってるってこと?
素人意見です。『全ての島は無人島』は『無人島特集』に対するサービスフレーズなのでは!
日焼け「ぼうし」の「ぼうし」w
無人島に何か一つだけ持っていくとしたらやっぱり靴かなぁ……
かまいたち山内さんに「無人島でサバイバルって、無人島じゃないやん」って文句言うネタ作ってもらっいましょう
なんだか後半の「どれくらいの距離で他人が居ないとするか」的な問に仮に日本列島は無人島と有人島を繰り返してそうだし、結局大きく見れば有人島に変わりなさそう🤔🤔🤔🤔無人島的距離の場所と有人島的距離の場所が日本列島各地で時間帯を選ばずに一日中発生してるから有人島に過疎・過密があるだけなのでは🤔🤔🤔🤔(深夜のうっっっすーい理解)
冒頭の何歳で執筆したかに心の中で28?て答えたらバッチリでビビりました✌️
お金の価値の裏付けは皆がそう思ってるという曖昧なものではなく納税義務を果たす事ができる機能から。
面白い
無人島に東京都持ってきます!
普通に無意味な詭弁だろ。ドゥルーズをブロックして終わり。
そんな結論でいいのかw
ソクラテス以来、解らないことを自覚するのが哲学では?
【参考文献】
〇ドゥルーズ・コレクション 1: 哲学
amzn.to/3L1E83K
〇黒死館殺人事件
amzn.to/3mSPaQQ
〇ドグラ・マグラ(上)
amzn.to/3osvgwC
〇ロビンソン・クルーソー
amzn.to/41PQGCg
〇現代思想入門
amzn.to/41x2fyi
〇池澤夏樹の世界文学リミックス
amzn.to/3Lj7GeG
〇動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学
amzn.to/41vVgG2
〇ドゥルーズの哲学原理
amzn.to/40wgAcU
〇極限の思想 ドゥルーズ 内在性の形而上学
amzn.to/3H7OsX0
よしのぶさんの見方に一票。デカルトやカントの流れは分からないけど、科学や心理学や生態系の分野が深まった現代だから感じることもある。
今回の話すごく面白いし、コメント欄も含めて面白いし、こういうのを面白いと思えるままでいたいなぁと切に願う
この回何度も聞き返してずっと「???」って思って未だによくわからないのですが「《私》は生得的に備わっているのか否か」って話は面白そうです!
お悩み共有回(解決回ではなく)いいスタイルだと思う
「蒼穹のファフナー」という作品でも、「私という存在」を他者がいることによって規定していましたね
すべての個体が共に一つの意識を共有している地球外生命体を、非存在の象徴として扱っていました
島というのは一つの集団としてのイメージなのかなと思いました。
人間は確かに他者がいるから自我を自覚できるけども、集団のなかで完全に100%すべて他者を理解することはできないはずです。なので、集団のなかに自分がいるときは他者という[自分以外]と[自分]という2項対立が生みだされる気がします。
しかし[自分以外]と[自分]という2項対立自体は無人島でも成立するはずで、それは[自分以外]の自然と[自分]という構造です。
人としての他者がいなくとも、無人島の草木や蛙ではないという[自分]がいるはずです。
そのため、どの島に居ても[自分以外]と[自分]という構造は成立します。
であれば、自然という[自分以外]と[自分]の方がより範囲が広いことになり、すべての島は無人島で、より狭い範囲が有人島になるのかと思いました。
...これが限界です
ほぉ~面白かった!
「無人島に行った」のではなく、その前後の時間を取り払って「無人島にいる」という瞬間を切り取るってことですよね。そのとき島を他者(自分ではないもの)として認識せず自分として認識すると、自分は島の一部であり、同時に島は自分の一部であるということなんでしょうかね。
このコメントだけでなにかがわかった気になる(いい意味で)笑
日本語で「無"人"島」と言うときの「人」とフランス語の「無人島」(フランス語は分かりません)の「人」は同じなのか、さらに生物としての「ヒト」なのか人格、哲学的に想定された「人間」であることを前提とした「人」であるのか、本当によく分からない議論でした。
帽子はふつうに良い
水の汲める帽子なら 、なお良い
これを読んで「そもそも無人島特集ってなに?」ってなるのはあるある。
他者と共にありながら自分は自分であって大丈夫、という自己肯定感も、他者に対する信頼と自分に対する信頼、他があっての自。哲学じゃないかもだけどしんみりする。難しくてわからない、になんか泣ける。自と他に格闘するからかな。
哲学科で学んだことのない一般読者ですが、無人島に至って、人間としての「私」が無くなるだけじゃなく、生物や植物、その動物や植物や、あるいは無機物としても、種としてのカエル、そのカエルの中の個体がいて、、、。といった一般概念と個別概念と、その前提となる同一性と、、差異と、、っていう話ですよね。同一性批判の哲学、差異の哲学ですから、全ての島は無人島である、となるのかな。一方で、ドゥルーズは、経験論を重視しつつも、大陸合理論哲学のスピノザを哲学の王として称賛しますよね。メルロポンティなんかを読むと知覚は経験的に徐々に構成されるものでは無いというのも理解できるし、、、、むずいけど面白いですね。
そうなんだよな。ドゥルーズは本書も解説本も何冊も何回も読んだけどその度に霧の中に迷うんだよなぁ…
無人島に一人派遣した時点で無人島ではなくなる、という「無人島パラドクス」なるものは考えたことがあるのですが
ドゥルーズはその上を越えていた……!?
素人には難解でも専門家なら誰が読んでも同じように解釈出来るのなら良いけど、
専門家でも解釈が出来なかったりバラバラだったりするような文章はもう学問じゃなくてポエムなのでは、と思ってしまう。
日本でも、今では解釈わからなくなってしまった古文書とか、あると思うが。
ドゥルーズというか、おフランスのこういうのというか、わざとわかりにくく、賛否両論になるように書いているのもあるそう。
結構、仏教とか道教、禅からヒントもらってそうな感ある。私から始まらない(反西洋的)、ご縁の中に私がいるとか。
ドゥルーズ用語の切断と結合(ご縁や縁切り)等。
他者と自己の1体1の場合のみ有人島になるとしてもその他者はまた別の他者有人島の関係を築いてるから結局連鎖反応的に自我が存在して有人島が発生しそう(?)
一方の島 → 分離型
大地 → 地球
一番高くにある構造 → 地殻
沈下に乗じて上にある → くぼんだ部分の上に水が乗ってる
ってこと?
素人意見です。
『全ての島は無人島』は『無人島特集』に対するサービスフレーズなのでは!
日焼け「ぼうし」の「ぼうし」w
無人島に何か一つだけ持っていくとしたらやっぱり靴かなぁ……
かまいたち山内さんに「無人島でサバイバルって、無人島じゃないやん」って文句言うネタ作ってもらっいましょう
なんだか後半の「どれくらいの距離で他人が居ないとするか」的な問に仮に日本列島は無人島と有人島を繰り返してそうだし、結局大きく見れば有人島に変わりなさそう🤔🤔🤔🤔
無人島的距離の場所と有人島的距離の場所が日本列島各地で時間帯を選ばずに一日中発生してるから有人島に過疎・過密があるだけなのでは🤔🤔🤔🤔(深夜のうっっっすーい理解)
冒頭の何歳で執筆したかに心の中で28?て答えたらバッチリでビビりました✌️
お金の価値の裏付けは
皆がそう思ってるという
曖昧なものではなく
納税義務を果たす事ができる機能から。
面白い
無人島に東京都持ってきます!
普通に無意味な詭弁だろ。ドゥルーズをブロックして終わり。
そんな結論でいいのかw
ソクラテス以来、解らないことを自覚するのが哲学では?
普通に無意味な詭弁だろ。ドゥルーズをブロックして終わり。