ハーバーマスの思想 理想のコミュニケーションとは【

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  • เผยแพร่เมื่อ 7 มิ.ย. 2024
  • ハーバーマスを解説しました
    ハーバーマスはコミュニケーションを通じた民主的な社会統合を説きました
    コミュニケーション的行為
    コミュニケーション的合理性
    コミュニケーション的理性などを解説しました
    公共性の構造転換(1962年)
    コミュニケーション的行為の理論(1981年)など

ความคิดเห็น • 20

  • @hiroyukimiyazaki8198
    @hiroyukimiyazaki8198 หลายเดือนก่อน +4

    ハーバーマスが存命中なのを初めて知った・・・。

  • @user-ez9lh1yw6m
    @user-ez9lh1yw6m หลายเดือนก่อน +1

    生活社会の植民地化が問題で
    その問題が解決せず終わるこの動画は文学的に終わらない形で終わる所が美しいと感じた

  • @user-green_ika_7
    @user-green_ika_7 หลายเดือนก่อน +4

    チャンネル登録7000人おめでとうございます!

    • @koumin
      @koumin  หลายเดือนก่อน +1

      ありがとうございます!

  • @zuyafour
    @zuyafour หลายเดือนก่อน +4

    1959年の西ドイツで公然とマルクス主義を掲げたら「お前、東ドイツの人間か」と言われてもおかしくないですからね。
    ハーバーマスの思う戦時下のドイツの件に関してはブラント首相の登場まで待たなきゃあかん。
    思想編の内容を聞いて様々な人々と行ったのは論争ではなく対話だと感じました。
    「お互いの主張の優劣をつけたり間違いを指摘して論破したい。」と言うよりも「大量の付箋がついてびっしり書き込みがなされた論文を片手に相手のもとを訪ねて論議する。」の方がしっくりくる思想だと思ったからです。

    • @koumin
      @koumin  หลายเดือนก่อน +1

      対話でお互いの理論が進化してるんですよね

  • @user-dt3ss7ky4d
    @user-dt3ss7ky4d หลายเดือนก่อน +1

    初見ですが、高校倫理の続きが見れそうなチャンネルですね!

    • @koumin
      @koumin  หลายเดือนก่อน +1

      ありがとうございます!

  • @JK-xf1dw
    @JK-xf1dw หลายเดือนก่อน +3

    相互でなされているの合理性に対して、部外者は手続きの正当性しか問えないって部分、最近批判されてるポリコレに近いものを感じます
    部外者(ポリコレの信者や過激なフェミニスト)が急に割り込んできて上から目線でルールそのものに批判を加えていく時のあの感覚がまさにそれ
    漫画家Georege Alexopoulosによる戯画化でちょっと有名になったあの感じ

    • @koumin
      @koumin  หลายเดือนก่อน

      なんとなく嫌な感じだったのがハーバーマスのコミュニケーション論によってクリアになりましたね

  • @xiangzaici
    @xiangzaici หลายเดือนก่อน +3

    唐突な沢田知可子…!中の人もしかして結構年長者ですか…?

    • @koumin
      @koumin  หลายเดือนก่อน +4

      昭和でもレジェンドクラスの名曲は10代女子の霊夢と魔理沙でもわかります😂

  • @user-kv9ys6pe6p
    @user-kv9ys6pe6p หลายเดือนก่อน +1

    わかり合うために論争する。ユル理論というよりゆで理論

    • @koumin
      @koumin  หลายเดือนก่อน

      ジャンプのテンプレはハーバーマスが由来?

  • @user-ks2nn5fb3e
    @user-ks2nn5fb3e หลายเดือนก่อน

    あるコミュニティの決定には、まるで外部の者は関われない。
    まるで全体主義者の同調圧力のようだ。
    彼の形作る社会や国家で生きて行きたくは無いな。

  • @meroppa1
    @meroppa1 หลายเดือนก่อน +2

    ミームに毒されたのか「何日で何歳になる」と言われるとその日まで生きられないフラグを想像してしまいます。俺も二十歳頃から鬱だったりホームレスだったりして毎年のように「今年こそ最後かな」と思い続けて結局50歳目前まで来ました(自己フラグ)。ネガティブに生きて来たり特にここ数年は生きる事に執着が薄れる一方で義務感も強まり続けているのはたぶん親父譲りのASD(アスペ)と権威主義パーソナリティの完璧主義的呪縛で、6歳までひきこもりとして英才教育を受けコミュの機会自体が無かったのも一因です。ネガティブな言葉を聞き続けると聴覚野の上側頭皮質回灰白質肥大→脳の情報伝達力低下→言語能力低下という物理的悪影響があるそうで、恐らくコミュ力を自ら制限する事で守りに入る訳です。それを治療するには反対にポジティブな事を聴けば良いかと言うとそうも行かず、孤立してて自己肯定感の低い人はおだてられると過剰に喜んでしまい詐欺に引っかかり易く親父は年収規模の損をしました。俺は小学生の時から一貫して非リアだったので俺の事を褒めて来る女は水商売経験者か壺カタログでも持ってる人だと早々に悟っていたものの、人生投げやり度が過ぎて自虐的に騙されに行ったりしたものです。相手にすれば収穫さえ得られれば俺の論理はどうでも良いです。
    家庭内での対話が圧倒的に不足していると家の外でもろくに対話出来ないし、対話の無い家庭が量産されるのは社会に対話が不足しているからでもあります。岡檀「生き心地の良い町」では地域住人同士が主張し合うと決定までは面倒だけど決定がどうであれ言うだけ言ったという点で住人全体のトータル満足感が高くなる様を書いています。どの集団もいきなりそれをすれば良い訳では無く、それがプラスになる集団土壌が備わっていないと無駄だとも言い、彼女はそれに必要な具体的要素も述べていますが簡単に言うと人間関係のリセットです。革命とか財閥解体とかですね。学校での虐めも頻繁なクラス替えや席替えや転校くらいしか現実的な対応方法が有りません。武闘派はそこを根性論を振りかざして正面から戦えと追い込んで玉砕からの引きこもり廃人か無差別冊人という形の犠牲者を出します。思考停止的二極思想です。チクセントミハイのフローモデル(≒ヤーキーズドットソンの法則)が好きですが、各人にとって適度なストレスを維持するのには適度な権利が必要であり、権威的社会下ではそれは望めません。リッツカールトンではどう振舞って良いのか分からないし自分には務まらなさそうで劣等感とストレスにしかならないけどいつかもう一度海で泳ぎたいです。泳ぎ放題の熱帯の島に住んでた時は雪や紅葉に飢えました。そこを去る前に無人の浜で全裸で排泄したら家畜になった気がしたと共に、それを意識してしまうあたりが文明社会の不自然さだとも実感しました。野生動物に還った実感を得たかったのに万一誰かに見られたらどうしよう、対話すら許されないという不安が野生動物ではなく家畜をイメージさせたのです。
    現代学者がまだ生きてると知ると「存命のうちにその存在を知れた、間に合った」という失礼な自己都合から嬉しくなったり、どんな人か動画を探したり、著書を読む気が増したりします。既に亡くなっていると知っていたら読まなかった本もちらほらあります。

    • @koumin
      @koumin  หลายเดือนก่อน

      動画アップ日と誕生日が近いからです

    • @user-qn6yt3ht9b
      @user-qn6yt3ht9b หลายเดือนก่อน

      現在の日本でも真のコミュニケーションは無いと感じられますね。
      そして閉塞感が半端なく、絶望感へと向かってはいないか?
      それを誤魔化す様にスポーツ等の娯楽的なものに逃げているようにも感じられますが。。。
      まあ日常的に難解なやり取りを続けると疲れると言うのも有るでしょうが。。。