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私は視覚思考者になりたかった言語思考者です。お二人同様の言語ヤクザでありながら、美術大学に進んでしまいました。本物たちの中で、自分は絵が「好きなだけ」だったんだと思い知り、筆を置きました。現在は新聞記者として働いています。
皮肉なことに、言語思考者らしいきれいな文章です笑
偉大な美術家の中にも言語思考の人が居なかったかどうか気になる。美術が好きで、自分の気持ちに正直に進路決めて、美大まで進んで絵に取り組んでたの素敵だと思います。
コンセプチュアルアートなら言語思考の方が制作しやすそう!
現代美術で活躍されている村上隆さんは言語思考の芸術家だと思います。発信する内容がどう翻訳されるのかまでとても気を遣ってます。海外の記事だと芸術家ではなく肩書きが文化評論家になってたりして面白いです。堀元さんみたいな作品よりも解説を重視した記者がつけたのかもですね。
@@sma6899村上隆さんが実際のところどうかはわかりませんが、視覚思考者が文章が上手である場合も多々あると感じています。多量の思考から作品を生み出していますので、発信する内容の細部にまで意識がいっているからといって言語思考者であるわけではないと思いました。限界までの思考を行う際、どちらで100%考えられるかによって言語思考者か視覚思考者が区分できるとも言え、仮に視覚思考者の場合でも80%までは言語に落とし込めるとして、その80%のラインが一般的にみて優れている場合が多々あるといった具合です。他方、小説家を見たときその逆も然りで、見た映像を言語に落とし込む作業を行う作家の場合は、視覚思考者であることが多いように思います。
「この2人、こんなに喋ってるのに、頭の中にはなんの絵も浮かんでないんだ」と思って驚きました。ありがとうございました。
ピカソとかの下りで同じことを感じた。美術館の作品の脇に書かれてる長文のキャプション、作者の生い立ち、制作経緯の説明。そういうのを読んで言語知識インプットするのが好きな人(=言語思考者)と、作品自体を直接見るのが好きな人(=ビジュアルシンカー)がいる。私はゴリゴリの後者だが、世間では「芸術家の名前やムーブメントの名前(印象派とかアールヌーヴォーとか)、経緯などを沢山知っている人こそ偉い」みたいな風潮を感じる。例えばクイズ番組で美術の出題があったら大体作者名とか知識ばっかり。「でもそれって芸術の本質じゃないだろ…?作品そのものを直接摂取してこそだろ…?」とずっと思ってた。この風潮も全部、言語思考者のしわざだったんだなあと。ビジュアルシンカーにとっては当たり前のそのことに気付かせてくれたこの本は素晴らしいものだな。 当然、その本も「言語」で書かれているから、その本に書かれている内容はビジュアルシンカーにとっては読むまでもない当たり前の主張だ。「優劣は無いんだ」という、ビジュアルシンカーにとっては至極当たり前な内容に今更驚いてる2人を見て、「何を今更」と思った。しかし、言語思考者の2人にとっては新鮮な考え方だったんだろうな。 それを、言語思考者にも通じる「本」というフォーマットで伝えてくれたこの本に感謝。MBTIの名誉のためにも言わせてもらうと、MBTIも、視覚思考者にとっては面白くて価値あるものなんだよ。あれはビジュアルシンカーが自己を言語化するのに一役買ってるわけだが、MBTIを使って言語化能力を手に入れたビジュアルシンカーは、強いよ。 今度は逆に、 「MBTIなどする前から、初めから自分の事なんてもう分かってる」と言っている方(丸眼鏡のほう)に、ビジュアルシンクを習得してほしいな。 なぜならその方が対等だし、何より「ビジュアルシンクを通して見える自分像」は、きっと今までの言語的自分像とは全く違うものだから。それを知らない状態で、「もう分かってる」というのは思い込みなんだよね。 ……とはいえ、MBTI公式よりも、「メンタズル」というサイトの方が分かりやすいので、そっちを2人にお勧めしたいなあ。 (けどイラストやグラフが多いので、ビジュアルシンカー向けな内容となっています。2人にとっては面白くないのかなあ…あんなにいいサイトなのに)
見終わる前に書いちゃったが 動画最後で「何を今更」のくだり、まんま同じこと既に動画内で言ってたわ… まさにそうなんよ
わかる。私が以前から理解できないのは、映画の「脚本」というものの存在。映画は、映像でこそ表現できるものを作るチャンスであるはず。しかし、映画は脚本を中心に映像で補足して作るものと考える人がいる。おそらく映画制作の第一人者にも多い。私は「それだったら素直に脚本を文字で読みますよ……」と疑問に感じていた。ウォン・カーウァイが「恋する惑星」を撮ったとき、脚本は用意しなかったという。撮影スタッフをロケ地に集めてテーマ曲「夢のカリフォルニア」を聞かせ「これをテーマ曲に据えて撮影する。では始め。」と言って撮り始めた。どおりで映像作品の本来の良さが実現できているはずだと関心した。人々はなぜこの直截的な方法を取らずに、一旦脚本という次元の低いものにわざわざ投影してから撮ろうとするのかとますます不思議に思っていたが、今日気付いた。「そんな方法がありうるとさえ思わない人々が存在する」と。
@@niaocai6922 言葉で演技者を縛りたいのなら、歌の歌詞作る商売すれば良いんだよね。
@@yasudan7690 私もそう思いますが、ひょっとして演者の中には、いい脚本のいいセリフを言うためにやっている人もいるのだろうかとも思う
美大出身で、おそらく絵のビジュアルシンカーです。水野さんが、スラスラ言葉が出るのは絵を介してないからとおっしゃっているのを聞いて、そんな人がいるんだ!?と驚きました。誰しもがまずはイメージを思い浮かべ、それを言語化しているものと思っていたので…。そりゃスラスラ言葉が出てくるわけだ。しゃべるのが上手な人って絵が浮かんでないのね…。
彼氏になんでも言語化しなきゃだめだよ、話せないのは良くないと言われ続けてきました。私は喋れない私も私だと思っているので、言語化しなさいと言われるたびに人格まで否定されているように感じていました。ビジュアルシンカーかどうかは分かりませんが、私は私でいいんだと感じて、感動させるつもりの動画ではないかもしれませんが涙が出ました。
視覚思考者です。建築家です。師匠から言われ続けたのは「手で考えろ」でした。スケッチや図面を書きまくって、自分の考えをまとめていく。頭の中にあるものは映像で、手を動かしながら、頭の中の映像をブラッシュアップしていく作業。でき上がるのはたった一枚の図面ですが、これに込められた意味をことばに直すと膨大な文章量が必要です。(自分の能力が足りないだけ)このコメントを書くだけで、何十分掛かっていることやら。
建築学生です。私は平面図と動線を論理的に考えてからそれを立体にしてデザインを考えているんですが、友達は(コメ主さんに近く?)立体の空間がマテリアルつきで頭にうかんで、その空間を繋ぐようにデザインするらしいんです。私は平面図→立体→パース、友達は立体とパース同時に→平面図です。この友達に絶対に勝てないなーと思います。私はこのこよりは言語思考者に近いと思いますが、やはり建築家の中では視覚思考者が有利なんでしょうか?これが動画内でいう絵画と図形の考え方の違いなのかなーとも思います。本読んでみたいですね!
それ視覚思考とかいうのじゃなくて視覚的情報を脳内に集積してそのプールを元に出力してるんじゃないの?視覚思考者は建築が得意らしいけど因果関係が逆な気するわ。この視覚思考とかいうの眉唾としか思えん。自分がいわゆる「本物」に出会ってないだけか?
8面体、正八面体っていえとしてどうおもいますか?たてもの
@@つみ-t6j 普通は立体構造を考えながら平面図や立面図を書いて実際の数値等を算出して造形します。立方体などの多い建築では直接平面図や立面図を書いて立体をイメージすることもあります。オーディオルームを自分で設計して建設を委託しましたが、図面に沿って造って貰いました。反射構造の角度や位置が重要なので、板厚と位置の情報も図面有りきに成りますね。
@@user-oc1ky5bn6x 視覚思考の人が言語って粗いって別のコメントでさっき読んだけど、このコメントがまさにそうバカにしてるつもりはさっぱりないのだけど、あなたがどういう形考えたのか全く伝わらない八面体のは縦なのか横なのか地面に半分埋まってるのか、棒なようなもので支えられているのかとかねその前提で答えが全然違うんじゃない?と思った
留学経験があり人から「いつから思考が英語になった?」と聞かれますが、その度に「思考は図とかイメージで、それを説明する時に言語化するだけだから何語とかなくない?」と答えると変な空気になります。こういった質問をする人はおそらく全員「言語思考者」だからお互い話が通じなかったんですね。長年の謎が解けて初めてTH-camにコメントするくらい感動しました。本を読んで内容を覚えていても、記憶の中では勝手に動画化・ビジュアル化しているのでその本を何語で読んだのか分からなくなる事もよくあります。
バイリンガルや多言語話者が、言語思考タイプじゃない方が有利かもというのは、なかなか興味深いですね。でも確かに、言語思考じゃない方がロスが無いかも知れませんね。
「言葉を話す時って、自分の中で感覚的や視覚的にあるものを言語というツールで翻訳(言語化)してアウトプットしてるよね?」って思ってたんですが、なるほど…
僕は理論部物が専攻なのですが、似たような経験を僕もたくさんしました。
なるほど!言語思考型なのですが、日本語だと、自分なりの美しい構文で話せており、それなりに満足しているのに対して、外国語だとその自分なりの構文が身についてなく楽しめてないことに気づきました。
@@hannashucacth 日本語は多様な記述や発音が併存できるので発音と記述がより洗練して磨かれます。そんなことを平安時代から現代まで行ってきたので、他の言語がかなうはずは有りません。他の言語は相手を言い負かすことに勢力を使っていたので、せいぜい韻を踏む(繰り返す)程度のレベルです。
美大を出て絵でお金をもらって生活しています。ビジュアルシンカーです。昔から言語思考者に馬鹿にされる経験が多く言語思考の人間を憎んでいた時期がありました。あなたたちに私と同じように絵を描いてと言ったら困るはずなのに、そして出来なくても私はそれを馬鹿にはしないのに、自分は人を侮って良いと思っている、その傲慢さに腹が立っていました。絵を描く人ならわかると思いますが、色を使うときに木の葉の色を脳内で「緑」という言葉でラベリングした瞬間チューブの緑色しか置けなくなってしまいます。言葉には対象ををデフォルメし情報を単純化する仕組みがあるからです。それを避けるために画家は目で見た画を言葉の圧縮を介さずに画面に置く練習をするのです。商売にするために言語思考者は自分の言語思考を磨く勉強をしますが、同じように視覚思考者も脳内に言葉が不用意に入らないよう訓練をして精度を上げていたりするのです。今は本なども読みコンプレックスはだいぶ無くなりました。なので言語思考者は苦手ではありません。その経験から自分の得意なことを出来ない人を低く見ないよう気をつけて生きたいと常に思っています。
おもろい話だ
僕は逆で、絵が描けたり作曲できたり映画を作れたりする人々は、僕なんかより高度な頭脳を持っているんだと、ずっと思ってきました。仰るとおり、言葉は荒すぎる。単純すぎる。だからこそ、言葉を使うことは教えやすいし練習によって身につけやすい。絵や音楽や映画を「説明できる = 分かった」と勘違いしている人だらけなのをみると、わざわざ情報を切り捨ててもったいないことだと思います。
@@ryofurue 言葉の捉えやすさのおかげで社会の仕組みが作られ今の世界が回っているわけで…そんなにどちらかを上げたり下げたりはしなくて良いと思いますよ。ただ特性があるだけです。私も言語思考の方にも、非言語的で情報量が多い視覚的な思考を不安にならず楽しんでほしいなと常に思っています。きっとまた少し世界が楽しくなると思うので。言語思考派も視覚思考派も自分の苦手な思考を切り捨てない努力は大事ですね
@@ryofurue でも、お金 というアイデアは「価値」という体験の切り取りの極致なので、切り捨て・切り取りを否定したいなら、等価交換行為の否定、すなわち絵や音楽や映画を作る人たちの生活物資の工面を実力行使で実施しなければならない
ものすごく分かります言葉にできた時点ですでにこの世に存在しているものでもうかなり開拓され整理された物である可能性が高い気がします言葉にした時点でかなり可能性が狭まって今あるものの枠組みの中かかなりそれに近いものしか表現できなくなる。本当は違うものを想像しているのに…まだこの世に無いまたはあまり知られてないものは言葉にすらなってないものだと思っているので、それを言葉で論理的に説明させようとする人は、過去の人達がよく調べた有名な言葉しか使わない狭い世界の中に生きてる人たちなんだなと思ってしまいますね。
子供の頃親に好きなものの説明をさせられて、説明ができないなら好きじゃないんだねと言われて育ったので、自分が何かを好きという感覚がいまだに理解はできても証明ができずに苦しんでいます。言語化を求めることの残忍性の自覚を言語化してくれたのが、救いになりました。
お気の毒に。それはむしろ親の方に奇妙なこだわりと偏り、自己愛強くて配慮が苦手のハンデありでは?単にからかってマウンティングなら親の自覚が不足であなたはモラハラ被害者。あなたの方が多数派ですから自信を持っていただきたいかも。
昔から、私は「不立文字」と唱えています。
説明ができないんだったら....それ、すごく分かります。。読んでいて少し苦しくなりましたし、自分だけじゃないんだと少しホッとしました好きだと感じたものは好きだと揺るがないでいたいです
この能力と言うか特性?は遺伝要素は少ないのだろうか。・・・身近な人と異世界感があると生きるのが大変だよナ。
私は視覚思考寄りですが、考えを文で抽出するのが好きなタイプです。美大出たんですが、大学では「作品のコンセプトを言語化すること」を何度も教えられました。美術界隈でもう何年も「作家は言語化できないといけない」という風潮があるように感じてますが、これ聞いて「言語で思考する人にも作品を届けるため」なのかなと思いました。私は読書や書き物も好きなので苦ではなかったのですが、大学同期に作品について聞くと困ったような顔をされることがありました。その度(なんで自分で考えたのに喋らないの…?)と思ってしまっていましたが、単に作品を前にした時の考えのフィールドが違っただけなんだなと、やっと思い至りました……
私は、子どもの頃はバキバキに視覚思考→高校くらいから言語思考優位になった気がしてます。「言語化できるようになった」と言うと物事をより正確に捉えられるようになった感じがありますが、私はむしろ自分の言葉で言い表せる領域しか思考に使えなくなったように感じています。(そしてそれをさらに言語能力を高めることで克服しようとしてしまう。)
漫画家・イラストレーター、ゴリゴリのビジュアルシンカーです。漫画ゲームアニメにまみれた青春を送り、芸大では「言葉で説明できるならまだ作品とは言えない」と言われてきました。成人してから「言葉にしないことは考えてないも同じ」との言葉を知りショックを受けましたが、まさか言語優位者が圧倒的な多数とは…。お互いの存在が見えにくいのは、受験のため早く分断されるからというのもあるかもしれませんね。
建築設計をしているものです。私自身はゴリゴリに言語優位で生きてきたのですが、この業界に入ってから、周囲にビジュアルシンカーが非常に多いことに驚いた記憶があります。空間を把握することが重要な職の場合、第一言語は絵であり図でした。何か空で話していてもそれって絵で描いたらどういうことと?とよく問われますし、打ち合わせテーブルにはスケッチコミニュケーションと標語のように貼り出されています。今ではビジュアライズしながら思考する方法にもなれ、場面によって言語優位か視覚優位かを切り替えて思考できるようになりました。置かれてる状況の中で習慣づいている考え方がどちらなのかという環境に依存する部分は少なからずあると思いました。
視覚思考マッチョです。やっと分かってくれましたかという思いです。彫刻家として活動していますが、絵や図というよりは立体的な物体を想像するのが得意です。一度訪れた場所なら脳内で3Dマップみたいにある程度ざっくりと位置関係を記憶し、所々の風景を記憶することで大体迷うことはありません。
知的障害者支援施設で働いてますが、教育のせいで言語化能力求められる社会になってるという水野説に強く同意します。自閉スペクトラムの方への支援について彼らは視覚優位であると座学では学びますが、支援者側が言語思考者の視点から逃れられずに支援に苦慮する場面をよく見ますし、私も思考の切り替えを強く意識しないとなりません。ゆる言語学ではたまに障害関係の話題に触れることがありますが、大変興味深く観させていただいてます。私は現場支援員の研修を担当しておりますが、赤ちゃんの言語習得シリーズなどで得た知識を有効活用させていただいております。
わたしも知的障害のある方の多い場所で活動してますがその通りだなぁと合点がいきました。アート分野で活動してらっしゃる方も多い…。逆にテキスト化が得意な人はいないかもしれない…。
もし、そんなカルチャー、ぱたーんに、カウンターできたら。どんなすばらしい めずらしいせかいがまっているだろうきたいしているわたしは、きたいしている
私もASD持ちのビジュアルシンカーなのですが、働き方にいつも苦慮しています。サバイバル術だとか、向いてる職とかどんなものがあるでしょう?例えば相談の仕方がよくわからず、相談とは何かを必死で考えて、視覚的に整理をしました。仕事はそもそもスタートとゴールに向かう道筋で、スタートを見失ってるのか、ゴールを見失ってるのか、向かう方向がわからないのか、ゴールへのルートが見つからないのか、ゴールへ行くどのルートがいいか迷ってるのか、ルートが行き止まりになってて困ってるのか、のいずれかだなぁという感じで何とか視覚化したりしてます。就職してら8年かかりました。いろんな概念がもっと視覚化されていたらと、思います。
単純労働、肉体労働がが多かった昔より、現代のほうが社会で言語化能力が求められる場面が多くなった気がしますね。そのせいで発達障害とかが浮き彫りになってる感じかも
視覚思考です。小学生の時から授業のノートには必ずイラストや図を添えていました。テストの回答を考える(思い出す)時はノートや教科書の右上に赤色で書かれてたな、とイメージが思い浮かびます。高校までのテストはイメージを思い出す作業なので点数を取れていましたが、大学に入り論文形式の試験が増え苦労しました。考えをまとめようともがくほど、始めに思い浮かんでいたイメージがぼやけていき、結局何を考えていたっけ?と混乱したまま終了、ふんわりレポートの完成です。人に説明する時は、言葉を重ねるほど伝えたいイメージから遠ざかってしまうことも多いので、途中で諦め毎回ざっくりした表現で誤魔化しています。
誤魔化さずにこのいらだちをぶつけだすとあたまのおかしいひとになりますそのいらだちをあなたはどうしょうかする
言語化が好きな視覚思考者です。趣味で小説を書いています。文書を書く時はまず登場人物が見ている風景などが、写真や映像となって頭に浮かびます。リアルで、本当にそこに居るかのように思える時もあります。浮かんだものを、どんな風に文書にするかとゆう事を楽しんでいます。
頷くことばかりでした。社会人で美大に通っていた時、取り敢えずの努力をと、アートブックを頭に入れこむ魂胆で図書館に入り浸ってましたが、通りがかったクラスの子に何読んでるんですかぁ?と本を覗き込まれて、現代巨匠の作品たちをものの数秒の凝視で、「ヤバッ」「すご」「はー」「うんうん」と連打し、やーっぱいいなあ~、ありがとう~~と去っていった姿に超えられない感動を覚えたのでした。人の絵を見るときに小首をかしげながら、うーん、うん、とだけ言う彼らの信頼感は半端なかったし、大好きだった。
小説を読んでるときなんか特に自分が視覚思考者なんだと痛感します。文字を追っていることを忘れて、その本の景色や場面を頭に写しながら読んでます。気分が乗ってくるとイメージが勝手に動き出して、音や質感なんかも伝わってきます。そんな感じです。
それ、分かります!英語のように場面が流れるから、文字で描写されていないシーンも脳内補完で勝手に映像化されてて、あのシーンをもう一度見たいのに、ないってことがよくあります。漫画でも同じことが起きます。小説や漫画の世界に入り込んで疲れるから、年齢が上がるとともに、ハマりそうな内容のものには手を出さなくなりました💦
分かります頭で映像化しないと楽しめない派です。全く映像化しないと何がなんだか分からなくなります。それで読むスピードが遅くなってしまうんです。
わぁ、すごいわかります。私はこの前まで、少し言葉が強めですが、ただ文字を追うことの何が楽しいんだと思ってました。でも最近は、その文字を通して登場人物のいる空間の温度、湿度、触れているものの触感や、聞こえてくる音、その映像を想像しながら文章を読んでいくと、それはそれはもうおもしろくて小説など、本が好きになりましたね。調子の良いときしかそれらを想像するのができなくてあまり読めてませんが…。
一緒です!最近実写化やアニメ化が進んでる本がたくさんありますが、どちらの記憶かわからない時があります😂
この感覚、とても同感です。私の感覚を付け加えると、たま〜にイメージの前に言語が音声で再生されることがあって、その時は「調子が悪いな……」と思って本を閉じています(全然理解できないので)。
おそらく視覚思考者ですわたしは堀元さんとは逆で「わざわざ言語化するなんて程度が低い」と思っていました例えば映画を見た感想などをツイートやnoteに書いてる人を見ると、「映画を見て感じたことなんてすべて言語化できるわけないんだから、それによって消失してしまう感想があるだろうに勿体ない」と思っていました言語化思考者の人は本当に全部言語化できている可能性があるということに全く気づいていませんでした…!
言語思考者で映画の評論をしてます。「本当に全て言語化できている可能性」というコメントを見てハッとしました。確かにそういう感覚で見ていますし、あくまで自分が獲得できた感情に関しては漏らさず文字に出来ている、というか文字にすることで受け取れたものが完成する感覚があります。また何事もそうですがマイノリティ側にいながらして、マジョリティ側の世界を想像し、形にできる、というのは素晴らしい器量をお持ちだなと敬服しました。逆ならしやすいし、時に「上から目線」な驕りを含むことすらありますが反対の立場からそれを気づかれるのはすごいことだと思います。
@@islandsazoresttすみません、言語思考者と視覚思考者はどちらがマイノリティなのか、それを判断する十分なデータはないため分からないと思います。でも、自分はマジョリティ側にいると思ってしまう気持ちは分かります。色々な価値観を持つというのは難しいです。
@@Nanao777 あぁ、この場で言及したマジョリティは動画内で言われている「言語思考者が有利な社会構造が形成されている」ということについて言及してる感じです!言語思考のほうがゲタを履いて活躍しやすい社会の中で相対的に認知されていることが大事だし凄い、っていうニュアンスですね!ただ、確かにどちらの方が比率として多いか、はおっしゃる通り分からないですね...!
ふ、ばかだな。べつにすべて 表現し。伝えるひつようはないだろうし、伝わることはことわりに反するだろう とわたしにはおもわれた。ばかだといったのは、ネット上であやまりあうことの 誤りのそして、慇懃さやもはやぶれい千万
みてるぶんにはおもしろひけど
数年来の悩みが解決して嬉しいです。ありがとうございます。悩みが言語化できなかったので人に相談することもできず、一人でずっと抱えていたため、この動画に出会うことができてとてもすっきりしました。自分は視覚思考者です。自分の場合は「絵」というよりもやもやした「感情」みたいなものが頭にあって、それに近い言葉を記憶から探してくるのが「言語化」という感覚です。ちなみに方程式は図で説明できるのでわりと得意ですが、足し算引き算などの算数は2桁以上だとビジュアルにしずらくなるため苦手です。お二人のお話からとても感銘を受けたのでぜひいつかお話ししてみたいです。
ようやく腑に落ちる言葉に出会いました。ありがとう。50代後半ですがこれまで言語化できなくてことごとく劣等感を抱いていましたし、実際仕事ができないと判定されてきました。履歴書なんて本当に苦痛の極みです。言葉では全く差別化できないですから。視覚思考”マッチョ”かと聞かれると実感がありませんが、なぜならこれまで虐げられてきたから。ビジュアルシンカーは結論だけが先に見えるんです。途中をどう考えたかなんてわからないんです。理屈をつなげても結論にたどり着けません。信じてください。
@@oxtotomess3210 数万年先の人類がテレパシーを獲得したら我らビジュアルシンカーの本領発揮の時代かもしれませんが、現代ではどうひっくり返ったって言語コミュニケーションは重要です。企業に入ったら説明ができない人間は評価されません。どうかそんな言語化で苦労している子どもたちがいるということをわかって少しでもフォローしてあげてください。
わかるわかるわかります!!!結論が先に見えているんです!!!😂
材料化学とかなんか新しい科学の実験やったらすごい材料作れそうwたぶんいろんな材料の反応イメージを覚えられたら、これとこれを混ぜるとこういうものができる、とかわかりそう化学式なんかすっ飛ばして結果出せるとかw
分かります!結論に対しては自信があるのに、そこに到達するためのロジックが組めないんです。これからの時代は視覚思考が優位になる時代じゃないかと思います。グローバル社会では、言語より視覚のほうが共有しやすいですし、全て言語ではなくデータでの管理が簡単になっているからです。
私は言語思考者です。直感とか第六感とは違うのでしょうか?私は、直感や第六感で決めたことはその時は説明できませんが、何年か後に伏線回収するというか、細い支流が1本ずつ合流して川の流れになるような、ああそうそうこういうことだったみたいに理解が追いつく(言語化できるようになる)ことがままあります。
言語よりの視覚施行者です。美大入学時、周りが言語化できないのでバカにしてたら、作品でケチョンケチョンにされました。彼らのすごさを言語化して頂いて嬉しかったです。
考え事する時めちゃめちゃ脳内で喋るタイプだから間違いなく言語思考者だな〜と思って聞いてたんだけど、よくよく考えると「自分が喋っている場面」を想像している視覚思考者なのかもしれない。思い返せば、物事について考える時は「最初に思った意見を否定する自分」と議論してる。僕の思考には常に話し相手がいる。
やばいめちゃくちゃそれ言語化お上手ですね
@@kubikori ありがとう。脳内で何回も文章を読み上げながらコメントを打った甲斐がありますね。
脳内イメージ派ですが、一人で議論しながらイメージを改良している傾向です。子供の頃から一人で考えて行動しているので、また、それを伝えようとしているので、一人で孤独じゃないの?と思われていますが、全く孤独を感じません。孤独が好きなのかも? (笑)
全く同類です。でも「最初に思った意見を否定する自分」と議論するって珍しいんですかね…?
同じくです!!!私は自分と議論というか、1人であーでもないこーでもないと独り言を言っている私自身を頭の中で映像化しているような感じです!!沢山話した気になって、1日で一度も声を発してなかったと、その日の終わりに気づくこともあります。
私はゴリゴリの言語思考者で、妻はビジュアルシンカーです。よくふたりで今後の人生の展望などを話すのですが、言語化が得意な私がべらべら話し、妻が困った様子になるのはそういうことだったのかと反省しました。いつも勉強になります、ありがとうございます!
MBTIの魅力の本質は、自分の性格の言語化 で は な く、自分以外の他者が、どのような価値観を持ちどのように考えているか感じているかを説明してくれている点だと思います。つまり、まさにこの本のように、自分とは全く異なった価値基準を持った人間が世の中には沢山いて自分はむしろ少数派かもしれないということ、そして、具体的には人間の考え方の癖を4つの軸の組み合わせ(2⁴)だけで表してしまうといった壮大な洞察を、この上なく論理立てて説明してくれているのです。あと、ここからは自分語りですが、私は「言語化は得意だが、人との対話はクソ苦手」なタイプです。ゆえに、部屋の隅で一人でシコシコ言語化してはニヤつくことはできても、お二人のようにそれを軽妙なトークでボケやツッコミも交えながら繰り出すことは、私にとって全く別の競技です。いうなれば言語化は長距離走、会話は短距離走といったところでしょうか?
自分は視覚思考者かと思いましたが、言語化をサボっていたから言語化が苦手なだけの言語思考者の可能性が高そうで泣いています
(じぶんがいまうまくいっていないのは自閉症か発達障害なんじゃないかと疑って、心療内科にいったら、キミはこころの病気じゃないから自分の能力不足を何かのせいにするな…と言われてしまった、悲しい記憶が蘇りました)多重人格を紹介する本がヒットしたら多重人格者が大量発生した(より正確には、多重人格のつもりの演技性人格障害)…みたいな例もあるので、ここのコメント欄にいっぱい書かれている「この動画を見て自分がビジュアルシンカーだとはじめて気づきました」も、ちょっと触れていいのかわかんないですよね。大変センシティブな話ですが、何かのセミナーに参加して目覚めちゃった人のレポートと、ノリが同じですもの。
同感😇
あ、逆にね……………ドンマイ
くさ、まあ、それでもいいそれこそいいそんなひともいい
脳みそは使う部位が発達すると言います!おいくつかわかりませんが、どんどん視覚思考しましょう❤利き手交換の勢いで!
絵画的な思考です。飲食店などを「赤い建物を右折したところにある飲み屋で、看板は白地に黒の細字、内装は茶色っぽくて椅子の座面は黒」というように覚えており、人にこの説明をすると「いや、店名は?」と聞き返されることが多いのですが花屋の友人だけは「あぁ、あそこね!」と分かってくれました。また、本を読むときは文章を頭の中で映像化し、その映像の速さに合わせて読み進めるため時間がかかります。
ゴリゴリの視覚思考者なので、お二人が話す「言語思考者の感覚」に逐一驚かされて、開いた口の塞がらぬまま動画を見ていました。今まで「言語思考者=小説のように思考が文字として浮かんでくる人」だと思っていたのですが、どうやらそれすらも視覚にあたるようで、考えが根底から覆されました。「考えが纏まらないうちから、言葉が口を付いて出てくる」とは一体どんな感覚なのか、一度味わってみたいものです。今このコメントも、「ポカンと口をあけた人の顔」をイメージしながら「開いた口の塞がらぬ」と変換していますし、「脳みその乗った台がひっくり返って跳ね飛ぶ様子」を思い浮かべながら「考えが根底から覆される」と書いています。私は話すのがとても遅く、しょっちゅう言葉に詰まってはフリーズしています。感覚や視覚を言語化するにはあまりに選択肢が多く、且つあまりに少ないからです。どの言葉を表現として採用するか、会話の自然な流れにどう組み込むか、この言葉で言いたいことは本当に伝わるのか、一番伝えたいことを取り落としてはいないか、考えているうちに話すタイミングを逃していることがほとんどです。文章でも、書いては消してを繰り返しています。今もまさにそうです。私のような人間が多いからこそ、思考を棄損なく表現することに長けている稀有な才を持った人々が「文豪」と呼ばれているのだろう、と思っています。言語思考者の方々に質問なのですが、「詩」はどう映っているのでしょう。特に宮沢賢治が書くような情趣に富んだ詩にどんな感想を抱くのか、ぜひ聞いてみたいです。
私は言語思考者と視覚思考者の両方を中途半端に持ち合わせてる感じがします。テキストは図や絵として捉えたくなるし、逆に図や絵は言語化したくなる。言語と図・絵が相互に対応しあってる状態、補完し合ってる状態を目標に思考してるように思いました。
視覚思考者ですが「言語化が苦手」というより「見れば(想像すれば)わかるものを文字に起こすのが面倒」とか「自分の中で結論がわかっていることを文字に変換するが、だいたい浅いところまでしか理解されないので適当になる」という感覚が近いですかね。視覚思考を細部まで説明しようとすると語彙力が必要で説明が長くなったり例え話に逃げがち。また視覚思考者同士の会話はすぐわかります。お互いのビジョンを会話を通して見せ合いしてる感じに近いかなと思います。またそれが楽しいです。
同感です。ビジュアルシンカー同士だと少ない言葉で近いイメージが出来るので会話がラクですね。打てば響くみたいな、パッとこちらの意図が伝わるので話が早いです。
@@猫屋ニン 視覚思考者の話は身振り手振りが多く、時折り宙を見つめたりする傾向があるので見てすぐわかりますね。相手の言葉を聞いて、自分の中のイメージを補正していく感覚です。その点でみると動画のお二人は、話の中で動きや例話が少なく言語優位なのがわかります。「多数派と微妙に噛み合わない」とか「興味のツボが違う」となりがちなのですが、自分がマジョリティである。としっかり理解して他者にイメージを伝えるために「主語と結論を明確に」「身近な例え話やイラストを使う」などで表現力を強化すれば、「ちょっとぶっ飛んでるけど話しの面白い人」になれると思ってます。
そうそう!言語で表現しきれない感じ本当そうです。言語化して頂き腑に落ちました。ありがとうございます😊
あーわかる!なんでわかんないんだろ めんどくせーって
無限にいいね付けたいコメントです
視覚思考者が「話し合いで決めよう」と提案された時に感じる気持ちは言語思考者がメイウェザーに「殴り合いで決めよう」とかウサインボルトに「100メートル走で決めよう」とか言われた時と同じ気持ちってことですね「ンな無茶苦茶な提案するの酷くない?」
ワタシが小さい頃ワタシも含め周りの誰かしらがケンカを始めて手を出してしまった時に結構な割合で「口で言ってるんだから口で言い返しなよ」という口上を何度となく聞いた覚えがあります。しかし叩いた方は口だけのコミュニケーションや討論、況してや口喧嘩などは自分の共有出来る世界でもなく得意な分野世界でもないのでその時点でお互いの断絶を感じてしまったみたいな記憶が蘇りました😊分かりづらい話しですいません🙏
議論で譲れない部分で対立項が出来た際は何も決まらず時間体力を浪費するだけだしなぁ「話し合いなんてそんな野蛮な… ここは穏便に[話者の得意分野]で…」
user-kz2ej6yi5s話し合いで決めようと言われたとき、「なぜこんなモヤモヤするのか?」という内なる問いにピタリと突き刺さりました!ありがとうございます!そういうことだったのか〜!!
殴り合いで物事を決めるのも話し合いで物事を決めるのも、時代が良し悪しを決めてるだけで価値は同じですねー
視覚思考者といっても論理とか証拠に対して無関心なわけじゃないんだから、話し合いを無駄に感じることに直結するのか?
というか、こちらの動画のテロップの出方も、図の視覚思考にめちゃくちゃ助けになっている気がします🥹
言語思考者です。趣味で小説を読んだり書いたりしています。普段はあまり絵的に考えることはないのですが、文字を目で追っていると言語が消し飛んで、人物や情景だけが頭の中で動いていく瞬間を感じます。自分の文章でも人様の書かれたものでもそれは起こります。追いかけている間は時間の感覚もなくなっていきます。一方で言語化ヤクザの自覚もあります。喋ったあとで「そうだ、私本当はこう思ってた!」と腑に落ちることも本当に多いです。曖昧な会話が苦手で、相手の発言を自分のフィールドに落とし込んで掘り下げたくなります。「それって言い換えるとこういうこと? ニュアンスが違っていたら教えて」というようなことを迫っては怖がられていたと思います。美大を出て趣味で絵を描く友人がいました。その人は「私にはこの世界が色と光に溢れて見える」と話してくれました。世界は言葉で構成されていると信じて疑わなかった私は、本当に驚きました。その人には結局「なんで私はあなたにいつもいつも説明しなくちゃいけないの? してくれて当たり前と思っているでしょう?」というようなことを言われ、今は疎遠になっています。私の書いた文章に自らイメージイラストを描いて送ってくれたその人のことが、私はとても好きでした。だからこそ相手の考えを知りたくて、認識を言語化することでもっと分け合いたいと思ってしまった我が身の浅慮を、動画を拝見した今殴り飛ばしたい気持ちです。言葉というツールは限定的でとても不自由だと感じます。何をどう紡いでも、伝えたいことといつもどこかずれてしまうもどかしさ。でもその不自由さこそが、飽きることなく私を言葉の沼に駆り立てくれるような気もしています。『みんなそれぞれのタイプをグラデーション的に持つ』という言葉を信じて今後はあまり偏り過ぎずに、少しずつ言語化ヤクザを脱していきたいです。自戒を込めて、生まれて初めてTH-camにコメントしました。読んで下さってありがとうございました。
あまり関係ない話だけど、落語で映像が頭に浮かぶのを思い出した。落語が苦手な人は、どうもそこが苦手っぽい(NHKの「超入門!落語the Movie」への反応を見て感じたこと)。言語思考とか視覚思考以前に、単純に時代劇的世界観が分からないだけかもしれないが。
自分に合わせて説明してもらうんじゃなくて、相手の眼を借りて理解しよう、相手の見ている世界を観ようという発想が足りなかったんだと思います。
その人の存在のあり方が映像や絵から見える。しかし誰でも感受できるわけではない。ある世界感受認識ができた時その映画や絵が理解できる。これも知性の一つであると思う。これが未発達の人は人生を上手く楽しく生きられない。この知性は数値化できるわけではない。
まわらぬ舌で初めてあなたが「ふたり」と数えたとき私はもうあなたの夢の中に立っていた。 谷川俊太郎詩集より.
文章を読んでいるはずなのに映像の中に居るの良く分かります。頭や心の中にある素敵な情報を伝えたいけど、全部を言葉にしようとすると色褪せて輝きを失います。だからそんな時は感じて❗想像して❗って思う時があります。そしてそんな時は大体相手がこういう事?って言葉にすると、そうなんだけど内包する感覚的な部分を削られるので、自分の気持ちや想いを削られたり無視された様に感じます。きっとご友人も想いが伝わらずもどかしかったのかもしれませんね。これをきっかけに再び交友が戻ると良いですね🤗この動画とコメントとこれまでの人生を考えると、人間はそういう思考タイプがある事を理解して努力する必要があると感じました😊
私は絵で思考する視覚思考者寄りのようです。たくさん書きたいことがあって、30分程コメントを書いては消してを繰り返しましたが、長いしズレるしで諦めました。なんならコメントすること自体諦めたかったのですが、自分が視覚思者だと気づいて長年のコンプレックスが少し和らいだ感謝の気持ちを伝えたくてこれだけ残します。ありがとうございます。
大学の指導で、「まず書き出し、言語化することで思考が整理されてさらに深まる」と指導教官に言われ、書き出せば書き出すほど自分の見えてるものからかけ離れていく不自由さを感じ、留年しました。書き出した文字が私が理解したものと少しずれているので、そのズレにフォーカスされてゼミで展開されたりすると泣きたくなります。
めっっっっちゃわかります😭!!!!
めっっちゃ分かります...!書けば書くほど、文章が長くなるにつれて自分の想定していた結論から離れていくんですよね!なんで図で説明させてくれないんだろう?っていつも思っていました...
わかるぅー!
さしずめ、言語化すればするほど、思考が混乱してさらに霧の中といったところかな本人は笑い事じゃないんだろうけど
私はビジュアルシンク強めのタイプだと思います!(絵というか映像ですが)芸術作品とは、それ自体が思考のプロセスであるという言葉を聞いたことがあります。作品は、作者が「表現したいもの」を再現したものだから、作品に聞くより作者に聞くほうが良い、とかんがえる方も居ますが、そういう方は言語思考者が多いのかなと思いました!「もし踊りの意味が言葉で言えたら踊る必要なんてないでしょう?」というダンサーの言葉を思い出します。
美大卒後、住宅プランナーや宿泊飲食立ち上げの仕事をしてきましたが、完成イメージを絵におこし共感得てから実現させる手法が常です空間把握(図)と絵を用いるビジュアルシンカー、言葉はキャッチコピーほど短くて訴求力がないと頭に入ってこない気がします
視覚思考者です。今回の動画で私がなぜゆる言語学ラジオが好きなのかわかりました。それは 私が考えていることをどんな言葉を使ったら相手に伝わるようになるかを知れるからです。毎回水野さんが使っていた言葉を日常で使えるように覚えるようにしていました。辞書好きな水野さんが使う言葉だから的確な言葉が知っているんだなと思っていましたが、それは私が絵で思考していたから言葉が出てこなかったのだと知れました。
水野「あんまり考え事しないんですよね」室越「人である意味無くないですか?」今井「良いアブダクションですね」関係ない黒島「ベネファクティブ?」関係ない嶋村「プリミティブ?」関係ない伊藤「コーヒー飲む?」水野「あれ、この話しましたっけ?」丸山「そこでコーパスです」水野父「息子がご無礼を」本当に関係ない堀元「ボッキン!」
ゆる言語学ミーム大集合
らきすたのオープニングじゃん
Pepper《ペッパーくん》「まともに始めなさいよ」
何をしてるんですか? 落ち着きましょうか。
関係ない言語学者勢の耳が遠すぎる
イラストレーターです。言語化が苦手なので、頭の中のイメージをコメントという形に落とし込むことが出来ず断念しました。視覚思考者は文章を作るのに大量のMPを消費するので、普段コメントを書かない。→リスナーのほとんどは言語思考者と感じられるのもありそう。
帰還した戦闘機は胴体に弾痕がない現状はコメント欄にもありそうですね。ネット時代のコメント欄の在り方にも示唆されるものありそうと思いました。
私もコメ欄では昨年まではずっとステルスしてましたゆる言語視聴して面白いなーって感じてきてコメントするようになりました。↑視覚志向 あるある?見た目 体裁が気になって無駄に開業したくなる
ワ゛カ゛ル゛ッ゛!!!MPとか詠唱時間は大量消費するけど、決して出来ない訳でもないんだよね。逆に図や絵を使って説明しろって言われたときは言語思考マンは大量MPと時間を消費してそう(想像ですが)能力のグラデーション・トレードオフの関係な気がしますね!
わー!めっちゃよくわかります。私も図の思考と絵の思考を説明しようと思いましたが、後者は面倒なのでやめました(笑)。
@@daiku-1改行したくなるの分かります。Wordで文章を書く時に何とか変な所で改行されないように言い換えを検索しまくります。
美術の教員です。興味深かったです。絵を介在しないで表現できる人がいるのかと驚きました。私は頭の中の絵を見て言語化するので、その間は現世で何が起こっているのか見れないので苦労してます。また、日本の教育の話についても深く頷きながら聴きました。美術だけ3の話、私は逆で全て3で美術だけ5でした。今は言語の社会と教育だと実感する事ができました。
視覚思考が強いからこそ言語化するのが楽しいのか、と気づきました。自分が捉えた絵的な世界観を如何に言葉に表すかが楽しくて、苦手なりに文章を書いたり美しい言葉を知ったりするのが好きです。
めちゃめちゃ分かります!!!私も趣味で小説を書くのですが、視覚思考が強いからこそ頭の中で動くキャラクターたち、自分の見えてる世界を言語化するのが好きです。また、人が話すことを想像するのが好きなので、本を読むことが好きです。トピックの中に言語化の話が出てきましたが、もしかしたら言語化の部分については個人差が大きいのかもしれないなと思いました。イメージをアウトプットするのが好きな人は日頃からやっているので、視覚思考型でも言語化が得意になったりする気がします🤔
@@komachi_akita お節介で説明好きな人は言語化が得意になったりするのかも?ですね。(笑)
@@yasudan7690 あっ、心当たりがっっっそうかもしれないですね(笑)
めちゃくちゃしっくりきた
あああー!!すごくわかる
コメントを書いては「うーんなんか言いたいことと違うな」となって消してる視覚思考者の姿が見える
もう3回くらいこれをやった
コメント書くのに30分費やしました。
おれ。言語性iqまあまあたかいです。けっしょうせいちのうよりりゅうどうせいちのうだ IQきにしなくなりましたIQマウント ぶーむ、まいぶーむはおはったこの主とのかんけうのなさ 関係のなさどこからくるのだ。WAISじゃなくWiscのほう
コメント誤字をのこす相手のことがんがえるといくらてまいくらでもすいこうのよちがあろう外国しんはこの怪文書しょをぐーぐるほんやくにつっこめないびっくでーたのしゅうしゅうのじゃまものくらえ!!
空間視覚思考者どす 自称ベクトル思考となずけています
ゴリゴリの言語思考者だと思います喋りが思考を追い抜くことは多々ありますが、堀本さんのように「凄いこと言ったな」ってなる経験よりも「何言ってんだ俺?」ってなる経験の方が圧倒的に多いです。喋り終わってから思考がまとまるので、「あー、さっき言ったこと全然本質とちゃうかったな」ってよくなるので最近はよく考えてから喋ろうって思うようにしてます。
おそらくビジュアルシンカーの者です。初見です。このチャンネルの動画は字幕が見やすいかつ端的でわかりやすいため、言葉が頭にスルスル入ってきて面白かったです。人の考えを知るのが好きなのですが、よくある画面のないラジオだと音程の違う音が延々と流れてるようにしか聞こえないので、こういう形のラジオがあって大変助かりました。ありがとうございました!
美術館でキャプションを読むのが好きな言語思考者ですが、美術展の話が大変面白かったです。美術作品に「無題」の作品が多いのは鑑賞者が余計な偏見をもって鑑賞するのを嫌ってのことだと思っていましたが、題名を言語で付けること自体が作者にとって作品の情報を欠落させてしまう行為なのかもしれませんね。
学生時代部活の会議で一人黙り込んでた子がいたのだけど、ずっと何か思うところがありそうな顔をしていたので、小さな質問を重ねて思考を解く形で思うところを聞いてみたことがあるのですが、見事に誰よりも深かったことがあります。以来、「言語化できない=思考ができてない」という偏見は捨てました。なんなら自分が相手の世界を見えてないだけなのにそれに気づかず「世界の全てを知っている」と言っているようなものだなあと
今でも、原語で伝えられないのはコミュニケーション能力が無いと蔑むのが教育やマスコミです。欧米や中韓は(勝手な自己中の)発言力が無いと生きられない特殊な世界です。底に棲んでいる連中には分からないんでしょう。 (笑)
言語思考者と視覚思考者と、貴方の様に気づいて橋渡しをしてくれる方がいると良いチームになりそうですね。素敵です。
私は絵で思考するタイプの視覚思考者ですが、本動画のように、お二方の表情・身振り手振りの映像があると頭にスッと入ります。音声のみ、は必ず画を想像して話を追っています。余談ですが、言語の鬼の父と、視覚の鬼の母に挟まれて育ったので、思考の通訳を担当し、言語化も今ではそこそこ出来るようになりました。ある程度は鍛えられるものなのかな…と。
言語・視覚のミックスで、どちらかというと視覚(図)優位かなと思います。自分が話す時、いつも言葉にするとこぼれ落ちてしまうなにかが気になって「この表現は違うな、この表現でも伝わり切らないな」というもどかしさを抱えています。考える時は、抽象概念?のような何かで考えているイメージです。昔、おそらく言語思考者の友人が、「人間は言葉で考えるだろ、じゃなかったらどうやって考えるんだよ?」と言っていたのにうまく反論できなかったことを思い出しました。また、堀元さんが言語化ができない人を下に見ているようなのを少し怖いなと感じながら聴いていましたが、一方で空間把握が苦手なことに対しては全くコンプレックスを持っていなさそうなのが、この社会が言語思考者に優位な社会であることの証明なのか、はたまた人間としての健全な認知の持ち方なのか、いずれにせよ羨ましいなと感じました。
私も中間で、「抽象概念で思考している」という点で激しく共感を覚えました。言語を見ても映像を見ても自分の中で感じた感情、印象、雰囲気が思考に使われるので、言語化するのも映像にするのも時間がかかる傾向があります。言語化するほうが好きなので、言語寄りなのかもしれません。同じ特徴の方を見つけることができて少し安心しました…
「すごい絵画化」という”本”がベストセラーになってるだろうという話をしている時点で、もう言語優位の世界に囚われてる
本じゃなくて画集なのかな?
「すごい絵画化」の時点で「漫☆画太郎」先生のあの画風が脳裏に浮かんだ自分はビジュアル思考で良いのでしょうか?w
映像媒体になりそう
絵画化の説明をイラスト等で受けるって考えると大分難しそうだ
いや、対象は言語脳の人なわけだから、最も理にかなってる。間違ってるのは言語化本の方
図の人です。図に起こした時に整合性が取れない説明をされると混乱して思考停止します。涙。あと音楽を聴いてる時はイメージ(これは図じゃなくて絵に近い)が浮かんできます。なので歌詞はほぼ聞いてないです。クラシック音楽などは音のイメージで作曲家の性格とか分かる気がしてます。
同じく図の人ですが 同感ですゆる言語が楽しくなってからは音+歌詞の言葉の意味・裏・文脈・行間などが絡まって映像・動画・描写などがストーリーになって流れる感じがしていますイメージがより 鮮明になっていく感じ?ゆる言語学らじおありがとーーーーーーーー!
歌詞ほぼ聞いてないの分かります. だからかすぐ歌詞の意味が取れない洋楽の方が耳に入ってきやすいこともあるように感じます.
めちゃくちゃわかります!音楽は、なんとなく図というか、ぼんやりとしたフローチャートみたいな印象になります。
わかります…!相手から任されたことがきちんと説明されないと何を想定してどう手をつけていいか分からず、あり得ないほど頓珍漢なことをしてしまったりします😭
同じく図の視覚思考人です。私もクラシック好きでイメージ浮かぶのわかります、ブラームスなんかは大きな植物がニョキニョキ幹を延ばすイメージで7割くらい暗い緑色です。曲も図で理解したいので、機能和声や形式分析の存在を知ったときに、私が知りたかったのはこれなんだ!と夢中で勉強しました。
仕事をしていて、パワポ脳とワード脳の2種類の人がいるなと思っていました。ホワイトボードを書かせたりしたときに、情報を図と位置関係で整理したい人と、箇条書きの文で整理したい人みたいな。パワポ脳の人の方が資料を作るのが上手で、ワード脳の人の方が情報を1列に並べる能力が高いぶん喋りが上手で傾向があると思っているので、役割分担を意識的にしています。僕はもともとワード脳だったんですが、仕事でパワポ職人をしていたら後天的にパワポ脳になりました。
自分は絵のビジュアルシンカーだと思います。同じ文字フォントの文書を目で追う際は常に一人称視点で情景想像して読んでます。抽象的な内容の記述になると図で解釈し始めるし、自分にとって「分からない」という感覚は、「頭に情景が浮かばない」ことに等しいです
視覚思考者です。職業はカメラマンです。子供の頃から絵を描くのが好き/得意で、中学生の時は、小説を読んで頭で浮かんだ情景を絵に描くのが大好きでした。逆に「何を描いていいかわからない」という人の気持ちがわからなかったです。他にも、音楽を聞くと、頭の中でオリジナルのMVの映像が浮かびます。人の話を聞く時も、その人が見たであろう風景を思い浮かべています。なのでお二人が頭で絵を思い浮かべていないことに驚きました!また、赤ちゃんや乳幼児の気持ちも、なんとなくわかります。視覚思考者故に、まだ言語化能力が低い子供の気持ちを、言語がなくても感じ取れるからかもしれません。私の経験による推測ですが、視覚思考者の中でも空間派(3D)と、平面派(2D)がある気がします。空間派は建築や彫刻が得意、平面派は絵や映像が得意、など。まさに「言語化出来ない=劣っている」と思い、常に劣等感を感じていたので、そう思う必要はないんだ、と思えました。有益な動画をありがとうございます。
教育界や政界や社会の権力界では言語主張で優位に立っている人が多い傾向です。だから、「言語化出来ない=劣っている」と思い込まされるんですよね。
私はドがつくほど言語化が苦手な視覚思考者寄りで、我ながら自分はドアホのクソバカなんだと思っていましたが少し救われたような気がしました。ぜひ原著にもあたってみたいと思います。
絵で思考する視覚優位者です。以前、おそらく言語思考者の知人に、「あれどこに置いたっけ?のパターンの探し物をする時は、直前の行動を脳内に思い浮かべながらトレースすると見つけやすいよね」と話したら、何言ってんだコイツという顔をされた時のことを思い出しました。次回も楽しみにしてます!
分かります!最後に見た場面まで戻ってリプレイして探します(っ ॑꒳ ॑c)
え?万人、物を探す時は行動を最初から辿り直すんだと思ってました。言語シンカーはどう探すのかな?
言語思考というか論理思考だと、置く場所にプライオリティを想起して探すかな。
そうじゃない探し方が思い浮かばない
わかります、自分もあれ今何しようとしたんだっけって時にそれまでの自分の行動を思い返してます😂
ビジュアルシンカーです。就活で本気で志望している企業があったのですが、志望理由を言語化しようとしても全然差別化できず、悩んでいました。周りに相談しても、やる気がないと勘違いされてしまい、落ち込んでいました。今回の話を聞いて、少し気持ちが軽くなりました。ほんとに感謝です。これからは、言語化社会ということを意識して人一倍頑張りたいと思います。
うわぁ私もそうなりそう…「なんで」っていう言葉が嫌いすぎる
図やイメージを思い浮かべずに考えるという感覚が想像できない・・・大学でベクトル空間という概念が出てきたときに、ベクトルに対する矢印のイメージ とベクトルの定義が合わなくなってきつかったです。7+8を考えるときも、5の塊にそれぞれ2と3の飛び出た部分があって、その飛び出た部分がテトリスみたいにぴったりはまって5を作るようなイメージが浮かびます。6+9だと10の欠けた角の部分に6の飛び出た部分がぴったりはまるような感じ。こういう自分の考え方をを思い返したことも共有したことも無かったので、とても興味深い動画でした。続きを待ってます。
7+8の考え方マジでわかります!!!文章だから最初なんのことか分からなかったけど読み直すうちにわかってきて、もう仲間すぎる
自分はどっちも真っ直ぐな7と8だけど足す時に5の部分で足切りして、余った2と3を足すイメージが多い気がします。6と9の足し算だと既にその時点で素因数分解された2x3と3x3のブロックになっていて並べると3x5になる見たいなイメージ強いですね。
> 6+9だと10の欠けた角の部分に6の飛び出た部分がぴったりはまるめっちゃわかる
足し算のイメージ、わかりみが深いwあと掛け算も41*31とかなら、長方形4つに分けて足しますわ。
なるほど!足し算を図で考えるのってビジュアルシンカーのものなのですね。こう考えるとめっちゃ楽なのになんでわざわざ面倒な計算をするんだろうって思ってました
ラーメンズの小林賢太郎はコントの台本を書くとき最初は絵で描いていくそうです。言葉で組み上げていくと言葉の意味に縛られていって本当に表現したいものから外れていくからと言っていました。
へえ!小林賢太郎さん好きだけど初めて知った!私はどちらかと言うと言語化の方が得意だから、未知の世界を知れるのは楽しいな
@@名無しの権兵衛-g5u 小林賢太郎は美大出身にもかかわらず言葉の音や形をネタにしたコントをよく書くんで相当言葉を感覚的に捉えてるんでしょうね。ちなみにコントを書くとき絵から書く云々の出典は小林賢太郎テレビの3だったかと思います。
あー、ラーメンズあんまりなのわかった気がする。自分は視覚優位だけど同族嫌悪かも笑アンジャッシュとかサンドイッチマンみたいなしっかりした台本コントのが好きかもしれない。自分には無い能力に憧れがあるのかも笑 ダウンタウンのガキ使前の即興フリートークも好きだったな
言語思考者です。最近私もみんなの思考方法について気になって、友人や家族に聞き取り調査をしたところ、「脳内に知り合いを召喚して、その人との会話で思考する」「映像に対して、ゲームの選択肢を選ぶような感じ」「全てのモノ(無機物を含む)にアテレコする感じ」「ベン図で考える」「なんも考えてない」などさまざまでびっくりしました。
身内に水野さんいるの笑う知り合い召喚するのめちゃくちゃ分かります。思考内容に応じて、自然な反応を返せるを知り合いをその都度召喚してます。
自分が「絵で考えてる」とか「図で考えてる」と思ったことはないですが、言語化は苦手なタイプです。当てはまるかわかりませんが、マンガを読むのにとても時間がかかります。絵までじっくり見て、セリフを落とし込みます。セリフを読むだけだと理解できないからなのかなぁと思いました。お二人のやり取りがとてもリズミカルで楽しくて拝聴しています!
絵で思考してます。小学生のころ、当然に伝わると思って人の声を色で説明したら周りに伝わらず、「低いとか高いとかで言ってよ」と言われて、自分が変わっているかも?と意識しました。テスト勉強は得意不得意があり、苦手だった歴史は教科書の文章は上滑りしていくような感覚で頭に入りませんでしたし、逆に古文(特に和歌)は「全部表現されてるのになんで間違えるの?」「なんで暗記するの?」と思ってました。大学から、自分が言語化できないのは無能だからだ!と思い30歳まで訓練し続けた結果そこそこの社会的ポジションは得られたけど、言語化の土俵でネイティブ言語思考者と戦い続けることに限界を感じ始めています。早くビジネスから足を洗って田舎でゆっくり創作活動でもしたい…
始めて見たけど、人間版ゆっくり解説みたいな構成で喋ってくれて凄く見やすい
なんか、この知ってる感じは。。?と思ってたら、確かにそうですね!天才的🎉
言語でも絵でも考えている人間なので、そもそも片方しか使ってない人が居るという事実が衝撃でした。
他人に伝えるコミニュケーションは言語化が必要ですからね。昔は、どちらも手で描いたので両方出来る人が多かったかもですね。
確かに、同じくかも
言語をイメージとして捉えてるのが当たり前だと思ってたけど、言語を言語として認知してるって逆にどういう事?。
分かります。この一言につきますね
グラデーションだと思います
就活の言語化が苦痛だった経験などからビジュアルシンカーなのかと考えていましたが、美術に造詣が深いわけでもなく、絵で考えるという説明に若干の違和感を覚えながら視聴しました。しかし、最後"図"で捉えるタイプもいるとのお話があり、まさにそれだ!!となりました。人を説明したりする時も、自分の考えを整理する時も、パワポ的な感じで考えることが多いです。そのため、ある程度論理的な思考はできて、自分の中で論理は成立しているのに、言語化が苦手なので、脳内のパワポ見せたい!って思ってしまいます笑
視覚思考者です。本を読むの好きです。自分自身で本を作ろうと言語化すると秒でこれは違うとなります。ほぼコメントしません。ですが、話を聞くのはすきです。たのしんでます。
ド視覚思考者です。仕事で文章を書くとき「これでは自分の頭の中のイメージが伝わらないかな?」と感じることが多く、書いては消しを繰り返して無限に時間をかけて言語化しています。喋る時なんてもう目も当てられない…。そんな自分の無能さに挫けそうになっていたので、この動画に救われました。自分の不得意な分野でやってるんだからしゃーないくらいの気持ちで生きていけそうです。原著を読みつつ、続きを楽しみにしています。(このコメントを書くのも30分くらいかかりました。)
私はかなりビジュアルシンカー寄りだと思いますが、お二人のようにスラスラと、私が普段もやっとした状態で疑問に感じていることを言語化し、はっきりとピントを合わせてくれるコンテンツが大好きです。
好きな物について聞かれた時に、人に説明する為に好きな訳じゃないから口籠もってるとそんなに好きじゃないみたいな空気になってへこむ😭視覚というか感情優位です(INFP) 。討論者タイプの人と話してると理詰めされてる気分で「こわいー!」ってなります😂
むしろ言語思考者じゃない人がこのラジオを聞いているのか…?と思ったら思いのほかたくさんいた。すごい。
私は完全にビジュアルシンカーだと思います。図で思考するタイプだと思います。学生時代も、ノートは図でまとめてましたし、今も考え事する時は、自然と図を書いてます。万人が図で考えていると思ってました💦ゆる言語学ラジオは、自分が言語化できない部分を言語化してくれるような感じで、聞いていて気持ちいいのかもしれません💡
私は途方もなく言語思考者です。私の崇拝するあるラジオDJに「言葉が雑な人は思考が雑だ」という言葉があり、今でも半分本当だと思っていますが、今回の動画で、少しひいた目で見えるようになった気がします。ありがとうございます。
図や写真ですかね..人に説明する時は、もう一回それを紙に書き直して見せたり、相手の脳内で再現してもらえるように言語を使って指定していくという感覚が強いですポイントを落とさないように長文になったり、例え話や身振りで細かいニュアンスまで伝えたくなったり、相手と同じ絵を見ながら会話を進めていきたいという気持ちがあります
ラジオにあったように、子供の頃は絵に描いたり、独自のオノマトペや文字やハンドサインを使っていました。大人になるにつれて、他人とコミュニケーションを取るには「共通言語」しかないと実感しました。そして他の人も同様に、「自身の思考は言語では表現しきれない/伝達できない」と感じているのかと思っていました。
夫は言語、私は視覚思考者かなと思います。子育てをしたときにとても違和感がありましたが、こちらの動画を見て府に落ちました。第一子の妊娠中に、オムツ換えや沐浴方法の動画を夫と見ました。そのおかげで私は出産後すぐにできるようになりましたが、夫は全然できなかったです。「右耳の下に親指、左耳の下に人差し指をいれて頭を支える」など言葉で説明しないといけなくて、動画見てなかったの?とイライラしてました。言葉で説明するのが面倒な私にとっていちいち説明しないといけない状況は苦痛でした。夫はきっと、ちゃんと言葉で説明して!と思っていたことでしょう。タイプの違う二人がタッグを組むと良いみたいなことをおっしゃっていましたが、意志疎通は大変かもしれません。
当方、視覚思考マン(図形)です。水野さんや堀元さんのように、思考そのものが言語で進む人がいると初めて知ったとき、驚愕したのを覚えてる。それまでは「話が上手い人」=「イメージを言語化する作業スピードが速い人」だとばかり思ってたから、「話が上手い人」=「思考が言語で進む人」なのかもしれないと気づいて衝撃だった。それぞれの比率はわからないとのことだけど、実際どんな割合なのかは興味あるかも。長文失礼!次回も楽しみに待ってます!
めっちゃ共感です、視覚思考マン基準の物差しで世界を見ていると、加えて「本読むのが早い人」=「言語をイメージ化する作業スピードが早い人」だとばかり思いがちで、国語のテストとかでよく思う事なんですけど、文章を深く理解する為にはストーリーや場面を脳内で映像化したり、登場人物の相関図や関係図を想像したり書きながらじゃないと整理出来なくて時間ギリッギリになるんですよね。思考が言語で進む人の想像が全く理解出来ないですし、全然違う生き物なのかもしれないって衝撃がありました
図形の思考だと、否定形が思考できないんですよね。(「〇〇ではない」という属性について語れない。)
マジでこれ
@@しろくろ-l7k長文失礼します!って言葉、ビジュアルシンカーしか使わない気がします。たぶん自分言語優位ですが、全然長文じゃないよーって、いつも思ってました。
文章でモノを考える人が多数派だと聞いた時衝撃が走った。それまで、考え事するのにイチイチ文章で考える人なんかおらんやろって普通に思ってた。
mbti診断が流行ってるのは、自分を言語化できるからではなく、他人のパーソナリティについて簡単に知れる、もしくは知った気になれるという部分が大きいような気がしています。私自身は言語思考だと思いますが、対面する人の大雑把な分類がわかるという点に面白さを感じていました。
自分がMBTI診断をやった時はもちろん自己分析の意味合いもありますが、どちらかと言うと「自分はどこのカテゴリなんだろう」のような、学校のクラス分け発表と類似した楽しさを感じていました。他者と会話する際も、MTBI診断の結果を伝えればある程度の人間性を理解してくれるので言語を圧縮した記号として使ってます。私は視覚思考者だと思うので、こういった「人のイメージ」を一言で表現してくれると「楽だなぁ」と感じます。なんだか面白いですね。
@@あきりたん なるほど、確かにクラス分けのような楽しさはあったと思います。他者とのコミュニケーションの1ツールとして使いやすいですよね。
@@あきりたんクラス分けの楽しさは私も感じていたかもしれません。いずれにせよ自分の分類を知るためというよりはコミュニケーションツールとしての面白さが強いんだろうな、と思いました。
これ!!!!!
言語化するのが難しいものだからこそ、性格などをカテゴライズすることで自分も他人も分かりやすく規定できるんでしょうね😮
私はビジュアルシンカーよりなので、自分が出来ない言語化を気持ちよくしてくれるミズノさんの話聞くのが好き❤️
ゴリゴリの言語思考者です。堀元さんがおっしゃっていた、「話しながらまとめていく」がまさにその通りで、考える前に脊髄反射的に口から言葉がでて、その言葉を使って話を組み立てていくイメージです。
これです。一人でやる言語化が得意だから、論理立てて話すのが得意かというと、全然違う、さりとてビジュアル思考は大不得意ゆえ、自分はアホなのだろうかと思ってました。でも、よくあるのは、リラックスした状態で親しい友達に自分の考えを話していると、「自分はこんなに深く考えてたんだ、面白いアイデアを持ってたんだ」と思うことがある。まるで自分が頭が良くなったように感じる。その時に自分の中にあった雑多なトピックが統合されている感じです。
はーーー訳わからん
思考する対象によって自動的にツールが切り替わっているような気がします。① 絵思考は全体や概念、自分にとっての世界を主観的に捉えようとした時に起動し、② 図思考は俯瞰で把握しようとした時に起動する感覚です。③ 言語思考はそれら捉えた感覚の解像度・粒度を上げる過程で分割されたものに社会的なラベル(言語)を貼るときに起動します。最初の立ち位置がどこなのかで自覚する自分のタイプが変わると思いますが、そういう意味では自分は視覚思考型です。①が絶対必須の項目になってます。ただ上記のように、イメージをマイクロ化する時には言語思考になりますし、視覚思考でそれを成し得るとは思いません。絵と図、そして言語はそのツールが得意とする表現範囲があるので、みなさん思考の際には自動的に切り替えて使っていると思います。その上ではっきりとしたタイプ意識があるなら、多分ツールの偏りではなく、思考課題の偏りがあるのじゃないでしょうか?でっかいマクロな話が好きな人はでっかい絵と大雑把な言葉が好きで、細部の話や構造などのマイクロな話は絵で語るには不向きです(その集合体が絵ですからね)。そして実際の複雑な思考課題時においては、①~②~③を往復しながら煮詰めていくことも多いと思います。そのうえで、日常の思考の振る舞いのタイプを分けるとしたら、自分としては、視覚型か言語型かではなく、分解型か組み立て型か、で分けたほうがしっくり来ます。例えば①→③は分解型です。生来から視聴覚感度が高い人だと思います。日常的に感覚情報の入力の量が処理能力に対して相対的に多く、③まで下ろすのを社会的に要求されていることは理解しつつも、負担の方が大きく、訓練不足になりがちで③の精度は高くありません。そもそも自分だけが理解・処理すればいい事象は、①で完結します。③は負担のわりに益の薄い行為で、社会的に要求される状況になり仕方なく③をする、という場合が多いと思います。このタイプにとって世界とは内在しているもので、場合により言語で分解するもの、だとしています。③→①はその逆、組み立て型としましょう。言語と言語がもたらすものを先人達から蓄積された財産という理解をし、それをを用いて世界を捉えて共有しようという行為は、当然として社会の規範だと、言語というものはそういうものだと捉えていると思います。やもすれば個人主観の域を出ない分解型と比べると、言語を用いることを基本とする組み立て型は社会に対しての貢献性や受益性からそれを良しとされているのは、当然のことなのかな、とも思います。このタイプにとって世界とは、言語という細かい小さな部品を組み立て、ロジックを積み上げた先に見えてくる外在的であるもの、としているような気がします。チャンネルのお二人を見ててもそう感じます。長文失礼しました。好きな話題でした、いつも素敵な動画、ありがとうございます。
視覚思考者です、細かい分析で面白かったですが、分解型と組み立て型って結局ビジュアルシンカーのインプットとアウトプットの話なのかなって感じました。ビジュアルシンカーが自分の思ってる世界を言語にアウトプットする時って分解型の手順を踏みますよね。逆に文章(言語)を深く理解してインプットする時、組み立ての手順を踏みますよね。文章にまとめると思考がまとまる、言葉より絵や図で説明されたほうが理解しやすい寺・星座・個人的な会話というお題に対して、それらを補足する文章が頭に浮かぶか、絵や図が浮かぶかこういう話とは少しレイヤーが違うのかなって感じました。それはそれとして示唆に富んだ面白いコメントだと感じました。
一番共感する解釈でした!「絵だけで思考する」「言葉だけで思考する」というのがどうしても極端に思えてしまっていて、私も両方を使い分けていると思います。また、ビジュアル"シンカー" が自分の内側の話なのに対して、"言語化" は自分の外側への話だから、その2つは単純比較できるものじゃないなとも思って視聴していました。私自身は視覚思考優位です。映像というかぼやけた夢のようなものを頭に描いて思考することが多いです。例えば小説を読むときは映画を脳内で再生しているような感覚ですが、登場人物の顔や声まではくっきりしていない曖昧な状態がほとんど。なので、視覚思考ではありますがむしろ「頭に浮かべているものをそのまま映像で表現できたら…」とは思わなくて、仮にそれができたとしてその映像が「まさにそれ!」ってなる気がしないのです。くっきりしていない曖昧な脳内映像が、実際の映像になることで細部が明確になったとしたら、そこに違和感を感じてしまいそうで…。逆に言語化への苦手意識はなく、むしろ言葉ではその脳内映像の全てをそのまま伝えきれないからこそ、言語を駆使してできるだけ近い脳内映像を共有する、そのプロセスが相互理解であり、そこに価値を感じている気がします。(「脳内映像を共有する」という意識自体が視覚思考的かもしれませんが)そういう意味で、視覚と言語を内側と外側で切り分けた、「分解型」「組み立て型」の考え方は私にとって一番共感できるものでした。とはいえ確かに、 @user-in3zx1oz5y さんの言う通り、視覚思考者のインプットとアウトプットのことだと言われるとそうとも思います。だとしたら私は「言語化教育に適応した視覚思考者」かもしれません。
ほぼ確のビジュアルシンカーです。大学で細胞生物学分野を専攻してました。高校時代、起こっている現象を模式図を交えて必ず視覚的に説明してくれる形式が理解に易く、他分野よりも生物学を好きになりました。
衝撃的な回だった。自分は言語思考か視覚思考かわからない。両方で考えるものじゃないの??…というより自分が言葉で考えているか絵で考えているか分かっている人が当たり前のように大量にいることに非常に衝撃を受けた。この本を読んで「あ、視覚思考(または言語思考)とはこういうことね」と理解できれば自分を定義できるけど、驚きなのはその段階の前にみんな「自分は◯◯思考です」とわかっているところ。現にお二人も動画の冒頭から自分たちが言語思考だと分かっている。自分は記憶/演奏する時は視覚を使うけど言語化するのもそんな苦手ではない…。とにかく衝撃的すぎて1時間何を話しているかわからなかった。こんなこと300回にして初めて。 (…びっくりしすぎて批判めいた文章になっているけどその意図はないです😢)
多分割合なんだと思う。「視覚:言語」、みたいにどっちの割合が多いかでみんなどっちかすぐわかるんだと思う。あなたの場合は5:5ぐらいででどっちが優位か判断できないんじゃないでしょうか。
生まれたときは視覚優位者で教育によって言語を覚え徐々に言語優位になっていく人と視覚優位のままの人でグラデーションができるんじゃないかな。どっちかじゃなきゃいけないってこともないし両方あるくらいがバランスいいのかも
自分はどちらですと言い始めると、自分自身に対するバイアスがかかり始めるので、気にせず自分の感性を伸ばしていけばいいと思う。
自分も全部言ってから相手が理解して居ない所を説明します。相手が天才なら無駄な事ですから。 (笑)馬鹿でも分かった顔していること有るんですね。 困った。
言語も絵も図も全部使って思考してます。いっぺんに使うというよりは、思考内容にとって効率が良いと感じている方法を意識して使うようになりました。例えば、今このコメントを送信するまでのプロセスですが、①コメントを送信した世界線の「絵」を想像して、書くことを決意②コメントの構成をどういうようにしたら論理的でわかりやすいかを「図」のイメージで検討③コメントを入力するにあたって、言葉で整理となっています。
え、スゴいですね😃 私も多分、言語・図・ビジュアルのミックスかなって思っていますが、そんな感じにプロセスしてないです!コメントを書く場合なら、いきなり③をやって、文章の状態で整理したりしてます。もしかしたら… 例えばプレゼンとか、何かすごく真剣にやりたい大きめな事柄に取り組む前には、そうした方法を使っているのかもと思いました(意識したことは無かったです)
@@eraliy_jp 共感いただけて嬉しいです。たしかに、私もざっくり言えばコメントについては言語が割合としてはかなり高いですが、具体例としてあえて細分化してみました。そして、あなたにご返信いただけて気付いたのですが、絵を描く人にはよくある傾向なのかもしれません。私もお金を頂く程度には絵を描くのですが、振り返れば小中高大と授業を聞き学問を収めるかたわらずっとノートなどに絵を描いていました。言語で授業内容を理解しつつ、絵を描くマルチタスクをずっと続けてきたため、それぞれの切り替えや精度が高まったのかもしれないとも思いました。
これ過ぎるだから時間かかるんよね
③は言葉以外のアウトプット方法の選択肢がないから書いてるだけで主な思考は①②では??自分は文字打ってますけど言語として捉えてなくて音の響きと全体の仕上がりイメージを一塊で捉えて打ってる感じですね。文字は手段として使うけどただの素材って感じで、パズルのピースと同じ感覚です。ここにこれをはめ込んだら気持ちいいみたいな…
初めてコメントします。ゴリっゴリのビジュアルシンカーです。本を読むと同時に絵が浮かびますし、理解しにくい時は像を結ぶまで何回か読み返す時もあります。思考は図や絵よりも映像が多いかもしれません。それを言語化(翻訳)して人に伝えるのですが、そのままイメージを相手に転送できたらいいのになぁ、と思うこともあります。とは言え、思考を深掘りする際には言語化も大切だと感じてます。言語化すると客観視できるような気がして。視覚思考と言語思考、どちらも長所短所があると思います。どちらかが苦手だからと敬遠せずに機会があればチャレンジしてみると面白い発見があるかもしれません。どっちも大事。視覚思考の私、このコメントを書くのにも、メモに下書きして書き直してから書き込んでます。言語思考の人が絵を描く時に下絵を何度も描き直すのに似ているかもしれませんね。視覚や感覚優位な私ですが、読書は好きですし、ゆる言語学ラジオも大好き!次回も楽しみにしています!
絵を描く仕事してます、ビジュアルシンカー寄りです!感想文書くのは苦手だったけれどファンアート描くのは大好き。図形問題だけやたら得意。MBTI診断も楽しい。お二人のような言語思考者の考え方はこんなにも自分と違うのかと、むしろそっちの方が驚きでした!美大時代、展覧会に出す作品のキャプションを書かされるのがとても屈辱的でした・・。作品に題名を付けさせられるのも大っっ嫌いでした・・・!笑色や質感や湿度などなんとも言えないけど揺るがないイメージがまず先行してあるんですよ。それを無理くり文字に置き換えちゃうとなんか解像度が落ちて陳腐になっちゃんですよね・・。言葉に変換するのが勿体無いから取りこぼさないように絵で語ってるのに〜〜〜キィーーーーって感じです。笑キャプション読んで分かった気にならないで!絵から感じてくれ!!そっちの方が鮮度高くてギュッと詰まってて美味しいでしょ〜〜!?状態です(?)。キャプションなんてなければないほどいいヨォ。。。(個人の感想です)このコメントを書いていても表したいことをちっとも言語化できなくて、アホみたいな文章になっちゃってで悲しくなってきました。笑しかし、己の絵(脳内の写しでもあり商品でもある)を言語思考者にも売り出すためにも、もっと言語化能力を習得しないといかんなぁと痛感する今日の頃です。ゆる言語学ラジオ、為になります!!
めちゃ涙が出ました。言葉に出来ないところを世間から責められている様な気がしていて、劣等感を抱いて居たと思います。自分の性質このままで良いし、信じたいと思えました。
言語思考者です。中学2年生の頃に、明確にビジュアルで思考できなくなった!と思った瞬間があり、その瞬間以降急に図形問題なども苦手になりました。
私ずっと小学生の頃やらされた「読書感想画」っていう課題の意味が分からなくて、「本を読んだ感想を?絵で表す??なんだその美大生がやる様な課題は?!」って思ってたんですけれど、もしかして一部の人の救いになってたのかあれは…。
残念ながらなってないかと。何故なら実際に求められる事は『表現』ではなく『自分が感動したシーンを実写せよ』と言われているだけに過ぎません。本当に感じたようにピカソの様な作品を提出したとて先生に視覚的表現がわからなければ評価されません。あれ何の意味があるんだろうなんて思います。そもそも小中高の美術は美術の先生次第なのでアーティストの卵も潰される事は多いかなと思います。
先生が視覚思考であるかどうかが重要だったんですね!
読書感想画大好きでした。「そんな簡単なことでいいならいくらでも感想が書けるぞ。作品の不穏な空気を表現する灰色の背景に、異質な世界に迷い込んでしまった主人公の対比を鮮やかな青の服で表現、輪郭線は定規で引いたようにくっきりと際立たせれば大体の印象は描き出せるな」というようなことを即座に考えていました(視覚で)。
私もなんでもはなまる付けてくれる先生には自信を持って提出してました😂先生によるかも!絵に印つけられて「これはなんですか?」なんて書いてくる先生もいましたが、今思えば言語思考者の先生の純粋な疑問だったのかなぁと😅意地悪と思ってましたごめんね先生
国語の先生は言語シンキングですよね。何で、画像イメージ描かせてそれを評価できるんだろう?ストーリーのイメージを抽象表現したら評価は観た人の感性次第で教育に成らないかも?多様性のアリバイ工作かな?それとも、絵の説明を期待しているのか?
これを見て一個勝手に納得できたのが、日本語で話す時はビジュアルシンカーなのに、英語の時は、考えることに精一杯で文章を頭の中で想像してしまっていることに気がつきました。だから英語を話す時に、こんなにも考えてから発声するまでが遅いんだとわかってかなり納得です、、、!
視覚思考者です。本を読む時は絵画的に景色が見えますが、仕事中はフローチャートが見えてる感じです。「絵を通らないからね!」という一言に衝撃が走りました。あ、見えてる絵を言語化しようとするから無理が出るんだーと納得しました。
図で考える視覚思考者です。現在は数学の教員をしています。空間図形は「見ればわかるじゃん」と思ってしまうので教え方に苦労しています。幼少期から言葉と思考のずれを感じており、それがきっかけで語学にハマり、様々な言葉の中から自分の思考に合うものを探しています。現在は日本手話が最もしっくりくる言語です。
英語等の欧米語はダメですね。型に嵌まった言い回しで共有化しているので特許出願文書等で苦労します。今迄に無い構造や動作原理に付いて権利を主張するので、意外に、助詞や指示代名詞が豊富な日本語では複文でも誤解無く記述可能です。英語は単文用の原語ですね。 単文で何度も記述すれば誤解されません。
たぶんmあなたは視覚思考者ではないと思われます。
数学は、右脳ひらめきですもんね😊図形をパッと視覚だけで見てわかるなんて、まさにそうですね。
視覚思考者です。3Dで部品を設計する仕事をしています。会議や議論中は図やフローチャートを浮かべながら、部品の形状変更等を検討する際は絵を頭の中に浮かべながら思考しています。
そこで金型抜きやプレスまで考えて設計してれば最高っすねw
言葉にする方が速いのめちゃくちゃわかるんだよな〜着地点を喋りだしてから探すことがめちゃくちゃ多いし、自分で言ったことに感動することも頻繁にある
ビジュアルシンカーです。絵の仕事をしています。記憶が映像で残るタイプで、テストなんかだと頭の中で「教科書の何ページ目のここら辺に書いてあったな」という映像を思い浮かべて回答したり一度通った道はほとんど忘れることがないです。一方で言語に執着がないからか、絵についてるキャプションを見た時は「絵で描いてあるのに、わざわざ言葉をつけるのもったいないな」音楽も「音だけで伝わるのに歌詞がついてるのもったいないな」という感覚があります。
分かります。歌詞がない曲を聴きたいと思うことあります。
これ僕も全く同じですね、言葉で覚えるより俄然映像で、特になにか強く感じた映像は更に強く残ってて、本の情報とかは映像巻き戻して映る内容を見て思い出すみたいなこと良くしてます、デザイナーです
テストの回答の仕方、共感でしかないです!!!!!まるでスクショしたようなかんじで、頭の中にイメージが残っていました。
@@hito_and_me私も一緒です!そのページのどの部分を何色のマーカーでどのくらい引いたか、太字の文字の配置など覚えてました!もしかしたら、テストの点数は良かったけど社会人になったら苦労したみたいな人は視覚思考なんでしょうか😅勝手な仮説
歌は言葉を綺麗に表現できる音を選んで作られて、音が言葉に影響して詞が洗練されると云うこともあります。音楽だけが先行して後で詞が作られることもあります。音符に無理やり押し込んだ歌詞は不自然で窮屈な感じです。 最近の歌に多いですね。
視覚優位or言語優位の話、自認の上では中性に近いような気がしています。言語化の営みがめちゃくちゃ好きで、それが難しい話題に遭うとたまらなく嬉しくなります。自分の中で成る言葉についてのみでなく他人の中から出てくる言葉にも強い関心があり、「それって他の似たものとどう違くてどこがどう良いと感じるの?」というような、聞く人によれば言語化ハラスメントど真ん中の受け答えをしてしまいます。言語化することを道半ばで放棄してしまう人を見ると憐憫すら感じます。その一方で言語化することの限界も感じていて、究極のところ言語は思考に追いつかないという諦観が根底にあります。自分の外から多くを受け取っても言葉として音や文字になるのはその全部ではなく、またありのままでもないという意味で、思考の言語化は出力の限界がきつく絞られていると思っています。漂泊する思考のある一部を掬いとり、構成するという営みは視覚化についても同じことと言えますが、言語化は曖昧さをきらうという点が大きく異なると思います。ある意味では、言語思考者と視覚思考者の違いとは、そうした曖昧さをどの程度許容できるかという点にあるのではないでしょうか。全部を掬い上げられないのに曖昧さを排してしまうことが不誠実に感じられて、「言語化には限界がある」と自戒しています。これは、単純に私自身の能力不足のためという説もあります。と、この殴り書きの乱文、体たらくを見れば、私は「言語化が好きだけど別段得意な訳でもない視覚思考者」なのではと結論づけられそうです。視覚対言語比、8:2といった具合でしょうか。ほかの方の内省も興味深かったです。
あと陰キャです
自分はずっと言語思考だと思っていたのですが、よくよく感じ直してみたら、頭の中に先にイメージや場面の連続が浮かんで、それを丁寧に言葉に紐づけていく作業が好きなんだと気づきました!面白い!!
色弱とマジョリティ・マイノリティの話すごく腑に落ちたー
絵(映像?)で思考するタイプです。絵を描く人は「脳内イメージを念写したい」とが言いますが、ビジュアルシンカーならではの言葉なのでしょうか?私自身も言葉で説明できないから紙とペンをくれ!とよく思います。言葉がスラスラ出てくる人のことを「頭の回転が早い」と思って憧れていましたが、タイプが違うということなら自分のコンプレックスに対する考え方も変化しそうでワクワクする内容でした。続きも楽しみにしています!
ビジュアルシンカーです。グラフィックデザイナーをしています。小学生の頃は「良薬は口に苦し」などを頭の中でベン図にして遊んでいました。小説を読むときビジュアルイメージをしない人がいることに驚いたことがあります。カタカナが苦手なのはすごくよくわかります。目が滑ってまったく頭に入ってきません。カタカナの登場人物の多い少女漫画や外国の小説が全く読めません。世界史は全滅でした。大人になって読書を多くするようになったら、「言語で思考する」というのができるようになり、「あ、わたし今言語で思考してる!」と自分でびっくりしたことがあります。
タブンワタシモビジュアルシンカーデスワタシハニホンゴナラカタカナデモナンナクヨメマスガ、エイゴノオンドクダケガチメイテキニデキマセン
I can’t read this text well with my voice😢
まずベン図を小学生の時点で知ってるのもすごいし、自力で論理包含に辿り着くのもすごい
宮沢賢治は天敵やなw高校の時、日本だけより世界のこと知れた方が面白そうと思ってとったけど似た名前のなんとか何世が多すぎて、全く面白くなかった脇道にそれたエピソードトークでもあれば面白かったんだろうけど字面を追うだけのただの記憶作業で退屈だった
自分は明らかにビジュアルシンカーの図派です初めて世間との大きなギャップを自覚したのは世界史の教科書ですね高校の頃、世界史の教科書を見ても読むのが苦痛で全然覚えられなかったけど、大学に入ってから各国の勢力の遷移を世界地図上で解説する動画を見て簡単に理解できました
建築屋です。頭の中の絵を図にするのは誰でもできますが、それを 他者にに言葉で伝えるのが最も肝要です。ビジュアルシンカーであると同時にそれを言語化できる才能は得難いモノだと思います。
私は視覚思考者になりたかった言語思考者です。
お二人同様の言語ヤクザでありながら、美術大学に進んでしまいました。
本物たちの中で、自分は絵が「好きなだけ」だったんだと思い知り、
筆を置きました。現在は新聞記者として働いています。
皮肉なことに、言語思考者らしいきれいな文章です笑
偉大な美術家の中にも言語思考の人が居なかったかどうか気になる。
美術が好きで、自分の気持ちに正直に進路決めて、美大まで進んで絵に取り組んでたの素敵だと思います。
コンセプチュアルアートなら言語思考の方が制作しやすそう!
現代美術で活躍されている村上隆さんは言語思考の芸術家だと思います。発信する内容がどう翻訳されるのかまでとても気を遣ってます。海外の記事だと芸術家ではなく肩書きが文化評論家になってたりして面白いです。堀元さんみたいな作品よりも解説を重視した記者がつけたのかもですね。
@@sma6899村上隆さんが実際のところどうかはわかりませんが、視覚思考者が文章が上手である場合も多々あると感じています。
多量の思考から作品を生み出していますので、発信する内容の細部にまで意識がいっているからといって言語思考者であるわけではないと思いました。
限界までの思考を行う際、どちらで100%考えられるかによって言語思考者か視覚思考者が区分できるとも言え、仮に視覚思考者の場合でも80%までは言語に落とし込めるとして、その80%のラインが一般的にみて優れている場合が多々あるといった具合です。
他方、小説家を見たときその逆も然りで、見た映像を言語に落とし込む作業を行う作家の場合は、視覚思考者であることが多いように思います。
「この2人、こんなに喋ってるのに、頭の中にはなんの絵も浮かんでないんだ」と思って驚きました。ありがとうございました。
ピカソとかの下りで同じことを感じた。美術館の作品の脇に書かれてる長文のキャプション、作者の生い立ち、制作経緯の説明。そういうのを読んで言語知識インプットするのが好きな人(=言語思考者)と、作品自体を直接見るのが好きな人(=ビジュアルシンカー)がいる。私はゴリゴリの後者だが、世間では「芸術家の名前やムーブメントの名前(印象派とかアールヌーヴォーとか)、経緯などを沢山知っている人こそ偉い」みたいな風潮を感じる。例えばクイズ番組で美術の出題があったら大体作者名とか知識ばっかり。「でもそれって芸術の本質じゃないだろ…?作品そのものを直接摂取してこそだろ…?」とずっと思ってた。この風潮も全部、言語思考者のしわざだったんだなあと。
ビジュアルシンカーにとっては当たり前のそのことに気付かせてくれたこの本は素晴らしいものだな。 当然、その本も「言語」で書かれているから、その本に書かれている内容はビジュアルシンカーにとっては読むまでもない当たり前の主張だ。「優劣は無いんだ」という、ビジュアルシンカーにとっては至極当たり前な内容に今更驚いてる2人を見て、「何を今更」と思った。しかし、言語思考者の2人にとっては新鮮な考え方だったんだろうな。 それを、言語思考者にも通じる「本」というフォーマットで伝えてくれたこの本に感謝。
MBTIの名誉のためにも言わせてもらうと、MBTIも、視覚思考者にとっては面白くて価値あるものなんだよ。あれはビジュアルシンカーが自己を言語化するのに一役買ってるわけだが、MBTIを使って言語化能力を手に入れたビジュアルシンカーは、強いよ。 今度は逆に、 「MBTIなどする前から、初めから自分の事なんてもう分かってる」と言っている方(丸眼鏡のほう)に、ビジュアルシンクを習得してほしいな。 なぜならその方が対等だし、何より
「ビジュアルシンクを通して見える自分像」は、きっと今までの言語的自分像とは全く違うものだから。
それを知らない状態で、「もう分かってる」というのは思い込みなんだよね。 ……とはいえ、MBTI公式よりも、「メンタズル」というサイトの方が分かりやすいので、そっちを2人にお勧めしたいなあ。 (けどイラストやグラフが多いので、ビジュアルシンカー向けな内容となっています。2人にとっては面白くないのかなあ…あんなにいいサイトなのに)
見終わる前に書いちゃったが 動画最後で「何を今更」のくだり、まんま同じこと既に動画内で言ってたわ… まさにそうなんよ
わかる。私が以前から理解できないのは、映画の「脚本」というものの存在。映画は、映像でこそ表現できるものを作るチャンスであるはず。しかし、映画は脚本を中心に映像で補足して作るものと考える人がいる。おそらく映画制作の第一人者にも多い。私は「それだったら素直に脚本を文字で読みますよ……」と疑問に感じていた。
ウォン・カーウァイが「恋する惑星」を撮ったとき、脚本は用意しなかったという。撮影スタッフをロケ地に集めてテーマ曲「夢のカリフォルニア」を聞かせ「これをテーマ曲に据えて撮影する。では始め。」と言って撮り始めた。どおりで映像作品の本来の良さが実現できているはずだと関心した。人々はなぜこの直截的な方法を取らずに、一旦脚本という次元の低いものにわざわざ投影してから撮ろうとするのかとますます不思議に思っていたが、今日気付いた。「そんな方法がありうるとさえ思わない人々が存在する」と。
@@niaocai6922
言葉で演技者を縛りたいのなら、歌の歌詞作る商売すれば良いんだよね。
@@yasudan7690 私もそう思いますが、ひょっとして演者の中には、いい脚本のいいセリフを言うためにやっている人もいるのだろうかとも思う
美大出身で、おそらく絵のビジュアルシンカーです。
水野さんが、スラスラ言葉が出るのは絵を介してないからとおっしゃっているのを聞いて、そんな人がいるんだ!?と驚きました。
誰しもがまずはイメージを思い浮かべ、それを言語化しているものと思っていたので…。
そりゃスラスラ言葉が出てくるわけだ。しゃべるのが上手な人って絵が浮かんでないのね…。
彼氏になんでも言語化しなきゃだめだよ、話せないのは良くないと言われ続けてきました。私は喋れない私も私だと思っているので、言語化しなさいと言われるたびに人格まで否定されているように感じていました。
ビジュアルシンカーかどうかは分かりませんが、私は私でいいんだと感じて、感動させるつもりの動画ではないかもしれませんが涙が出ました。
視覚思考者です。建築家です。
師匠から言われ続けたのは「手で考えろ」でした。
スケッチや図面を書きまくって、自分の考えをまとめていく。
頭の中にあるものは映像で、手を動かしながら、頭の中の映像をブラッシュアップしていく作業。
でき上がるのはたった一枚の図面ですが、
これに込められた意味をことばに直すと膨大な文章量が必要です。(自分の能力が足りないだけ)
このコメントを書くだけで、何十分掛かっていることやら。
建築学生です。私は平面図と動線を論理的に考えてからそれを立体にしてデザインを考えているんですが、友達は(コメ主さんに近く?)立体の空間がマテリアルつきで頭にうかんで、その空間を繋ぐようにデザインするらしいんです。私は平面図→立体→パース、友達は立体とパース同時に→平面図です。
この友達に絶対に勝てないなーと思います。私はこのこよりは言語思考者に近いと思いますが、やはり建築家の中では視覚思考者が有利なんでしょうか?
これが動画内でいう絵画と図形の考え方の違いなのかなーとも思います。本読んでみたいですね!
それ視覚思考とかいうのじゃなくて視覚的情報を脳内に集積してそのプールを元に出力してるんじゃないの?
視覚思考者は建築が得意らしいけど因果関係が逆な気するわ。この視覚思考とかいうの眉唾としか思えん。自分がいわゆる「本物」に出会ってないだけか?
8面体、正八面体っていえとしてどうおもいますか?
たてもの
@@つみ-t6j
普通は立体構造を考えながら平面図や立面図を書いて実際の数値等を算出して造形します。
立方体などの多い建築では直接平面図や立面図を書いて立体をイメージすることもあります。
オーディオルームを自分で設計して建設を委託しましたが、図面に沿って造って貰いました。
反射構造の角度や位置が重要なので、板厚と位置の情報も図面有りきに成りますね。
@@user-oc1ky5bn6x 視覚思考の人が言語って粗いって別のコメントでさっき読んだけど、このコメントがまさにそう
バカにしてるつもりはさっぱりないのだけど、あなたがどういう形考えたのか全く伝わらない
八面体のは縦なのか横なのか地面に半分埋まってるのか、棒なようなもので支えられているのかとかね
その前提で答えが全然違うんじゃない?と思った
留学経験があり人から「いつから思考が英語になった?」と聞かれますが、その度に「思考は図とかイメージで、それを説明する時に言語化するだけだから何語とかなくない?」と答えると変な空気になります。
こういった質問をする人はおそらく全員「言語思考者」だからお互い話が通じなかったんですね。
長年の謎が解けて初めてTH-camにコメントするくらい感動しました。
本を読んで内容を覚えていても、記憶の中では勝手に動画化・ビジュアル化しているのでその本を何語で読んだのか分からなくなる事もよくあります。
バイリンガルや多言語話者が、言語思考タイプじゃない方が有利かもというのは、
なかなか興味深いですね。
でも確かに、言語思考じゃない方がロスが無いかも知れませんね。
「言葉を話す時って、自分の中で感覚的や視覚的にあるものを言語というツールで翻訳(言語化)してアウトプットしてるよね?」って思ってたんですが、なるほど…
僕は理論部物が専攻なのですが、似たような経験を僕もたくさんしました。
なるほど!言語思考型なのですが、日本語だと、自分なりの美しい構文で話せており、それなりに満足しているのに対して、外国語だとその自分なりの構文が身についてなく楽しめてないことに気づきました。
@@hannashucacth
日本語は多様な記述や発音が併存できるので発音と記述がより洗練して磨かれます。
そんなことを平安時代から現代まで行ってきたので、他の言語がかなうはずは有りません。
他の言語は相手を言い負かすことに勢力を使っていたので、せいぜい韻を踏む(繰り返す)程度のレベルです。
美大を出て絵でお金をもらって生活しています。ビジュアルシンカーです。
昔から言語思考者に馬鹿にされる経験が多く言語思考の人間を憎んでいた時期がありました。
あなたたちに私と同じように絵を描いてと言ったら困るはずなのに、そして出来なくても私はそれを馬鹿にはしないのに、自分は人を侮って良いと思っている、その傲慢さに腹が立っていました。
絵を描く人ならわかると思いますが、色を使うときに木の葉の色を脳内で「緑」という言葉でラベリングした瞬間チューブの緑色しか置けなくなってしまいます。
言葉には対象ををデフォルメし情報を単純化する仕組みがあるからです。
それを避けるために画家は目で見た画を言葉の圧縮を介さずに画面に置く練習をするのです。
商売にするために言語思考者は自分の言語思考を磨く勉強をしますが、同じように視覚思考者も脳内に言葉が不用意に入らないよう訓練をして精度を上げていたりするのです。
今は本なども読みコンプレックスはだいぶ無くなりました。なので言語思考者は苦手ではありません。その経験から自分の得意なことを出来ない人を低く見ないよう気をつけて生きたいと常に思っています。
おもろい話だ
僕は逆で、絵が描けたり作曲できたり映画を作れたりする人々は、僕なんかより高度な頭脳を持っているんだと、ずっと思ってきました。仰るとおり、言葉は荒すぎる。単純すぎる。だからこそ、言葉を使うことは教えやすいし練習によって身につけやすい。
絵や音楽や映画を「説明できる = 分かった」と勘違いしている人だらけなのをみると、わざわざ情報を切り捨ててもったいないことだと思います。
@@ryofurue 言葉の捉えやすさのおかげで社会の仕組みが作られ今の世界が回っているわけで…そんなにどちらかを上げたり下げたりはしなくて良いと思いますよ。ただ特性があるだけです。
私も言語思考の方にも、非言語的で情報量が多い視覚的な思考を不安にならず楽しんでほしいなと常に思っています。きっとまた少し世界が楽しくなると思うので。
言語思考派も視覚思考派も自分の苦手な思考を切り捨てない努力は大事ですね
@@ryofurue でも、お金 というアイデアは「価値」という体験の切り取りの極致なので、切り捨て・切り取りを否定したいなら、等価交換行為の否定、すなわち絵や音楽や映画を作る人たちの生活物資の工面を実力行使で実施しなければならない
ものすごく分かります
言葉にできた時点ですでにこの世に存在しているものでもうかなり開拓され整理された物である可能性が高い気がします
言葉にした時点でかなり可能性が狭まって今あるものの枠組みの中かかなりそれに近いものしか表現できなくなる。本当は違うものを想像しているのに…
まだこの世に無いまたはあまり知られてないものは言葉にすらなってないものだと思っているので、それを言葉で論理的に説明させようとする人は、過去の人達がよく調べた有名な言葉しか使わない狭い世界の中に生きてる人たちなんだなと思ってしまいますね。
子供の頃親に好きなものの説明をさせられて、説明ができないなら好きじゃないんだねと言われて育ったので、自分が何かを好きという感覚がいまだに理解はできても証明ができずに苦しんでいます。
言語化を求めることの残忍性の自覚を言語化してくれたのが、救いになりました。
お気の毒に。それはむしろ親の方に奇妙なこだわりと偏り、自己愛強くて配慮が苦手のハンデありでは?単にからかってマウンティングなら親の自覚が不足であなたはモラハラ被害者。あなたの方が多数派ですから自信を持っていただきたいかも。
昔から、私は「不立文字」と唱えています。
説明ができないんだったら....
それ、すごく分かります。。
読んでいて少し苦しくなりましたし、
自分だけじゃないんだと少しホッとしました
好きだと感じたものは好きだと揺るがないでいたいです
この能力と言うか特性?は遺伝要素は少ないのだろうか。・・・身近な人と異世界感があると生きるのが大変だよナ。
私は視覚思考寄りですが、考えを文で抽出するのが好きなタイプです。
美大出たんですが、大学では「作品のコンセプトを言語化すること」を何度も教えられました。美術界隈でもう何年も「作家は言語化できないといけない」という風潮があるように感じてますが、これ聞いて「言語で思考する人にも作品を届けるため」なのかなと思いました。
私は読書や書き物も好きなので苦ではなかったのですが、大学同期に作品について聞くと困ったような顔をされることがありました。その度(なんで自分で考えたのに喋らないの…?)と思ってしまっていましたが、単に作品を前にした時の考えのフィールドが違っただけなんだなと、やっと思い至りました……
私は、子どもの頃はバキバキに視覚思考→高校くらいから言語思考優位になった気がしてます。
「言語化できるようになった」と言うと物事をより正確に捉えられるようになった感じがありますが、私はむしろ自分の言葉で言い表せる領域しか思考に使えなくなったように感じています。(そしてそれをさらに言語能力を高めることで克服しようとしてしまう。)
漫画家・イラストレーター、ゴリゴリのビジュアルシンカーです。
漫画ゲームアニメにまみれた青春を送り、芸大では「言葉で説明できるならまだ作品とは言えない」と言われてきました。成人してから「言葉にしないことは考えてないも同じ」との言葉を知りショックを受けましたが、まさか言語優位者が圧倒的な多数とは…。お互いの存在が見えにくいのは、受験のため早く分断されるからというのもあるかもしれませんね。
建築設計をしているものです。私自身はゴリゴリに言語優位で生きてきたのですが、この業界に入ってから、周囲にビジュアルシンカーが非常に多いことに驚いた記憶があります。空間を把握することが重要な職の場合、第一言語は絵であり図でした。何か空で話していてもそれって絵で描いたらどういうことと?とよく問われますし、打ち合わせテーブルにはスケッチコミニュケーションと標語のように貼り出されています。今ではビジュアライズしながら思考する方法にもなれ、場面によって言語優位か視覚優位かを切り替えて思考できるようになりました。置かれてる状況の中で習慣づいている考え方がどちらなのかという環境に依存する部分は少なからずあると思いました。
視覚思考マッチョです。
やっと分かってくれましたかという思いです。
彫刻家として活動していますが、絵や図というよりは立体的な物体を想像するのが得意です。
一度訪れた場所なら脳内で3Dマップみたいにある程度ざっくりと位置関係を記憶し、所々の風景を記憶することで大体迷うことはありません。
知的障害者支援施設で働いてますが、教育のせいで言語化能力求められる社会になってるという水野説に強く同意します。
自閉スペクトラムの方への支援について彼らは視覚優位であると座学では学びますが、支援者側が言語思考者の視点から逃れられずに支援に苦慮する場面をよく見ますし、私も思考の切り替えを強く意識しないとなりません。
ゆる言語学ではたまに障害関係の話題に触れることがありますが、大変興味深く観させていただいてます。私は現場支援員の研修を担当しておりますが、赤ちゃんの言語習得シリーズなどで得た知識を有効活用させていただいております。
わたしも知的障害のある方の多い場所で活動してますがその通りだなぁと合点がいきました。アート分野で活動してらっしゃる方も多い…。逆にテキスト化が得意な人はいないかもしれない…。
もし、そんなカルチャー、ぱたーんに、カウンターできたら。
どんなすばらしい めずらしいせかいが
まっているだろう
きたいしている
わたしは、きたいしている
私もASD持ちのビジュアルシンカーなのですが、働き方にいつも苦慮しています。サバイバル術だとか、向いてる職とかどんなものがあるでしょう?例えば相談の仕方がよくわからず、相談とは何かを必死で考えて、視覚的に整理をしました。仕事はそもそもスタートとゴールに向かう道筋で、スタートを見失ってるのか、ゴールを見失ってるのか、向かう方向がわからないのか、ゴールへのルートが見つからないのか、ゴールへ行くどのルートがいいか迷ってるのか、ルートが行き止まりになってて困ってるのか、のいずれかだなぁという感じで何とか視覚化したりしてます。就職してら8年かかりました。いろんな概念がもっと視覚化されていたらと、思います。
単純労働、肉体労働がが多かった昔より、現代のほうが社会で言語化能力が求められる場面が多くなった気がしますね。そのせいで発達障害とかが浮き彫りになってる感じかも
視覚思考です。小学生の時から授業のノートには必ずイラストや図を添えていました。テストの回答を考える(思い出す)時はノートや教科書の右上に赤色で書かれてたな、とイメージが思い浮かびます。
高校までのテストはイメージを思い出す作業なので点数を取れていましたが、大学に入り論文形式の試験が増え苦労しました。考えをまとめようともがくほど、始めに思い浮かんでいたイメージがぼやけていき、結局何を考えていたっけ?と混乱したまま終了、ふんわりレポートの完成です。
人に説明する時は、言葉を重ねるほど伝えたいイメージから遠ざかってしまうことも多いので、途中で諦め毎回ざっくりした表現で誤魔化しています。
誤魔化さずにこのいらだちをぶつけだすと
あたまのおかしいひとになります
そのいらだちを
あなたは
どう
しょうか
する
言語化が好きな視覚思考者です。
趣味で小説を書いています。
文書を書く時はまず登場人物が見ている風景などが、写真や映像となって頭に浮かびます。
リアルで、本当にそこに居るかのように思える時もあります。
浮かんだものを、どんな風に文書にするかとゆう事を楽しんでいます。
頷くことばかりでした。社会人で美大に通っていた時、取り敢えずの努力をと、アートブックを頭に入れこむ魂胆で図書館に入り浸ってましたが、通りがかったクラスの子に何読んでるんですかぁ?と本を覗き込まれて、現代巨匠の作品たちをものの数秒の凝視で、「ヤバッ」「すご」「はー」「うんうん」と連打し、やーっぱいいなあ~、ありがとう~~と去っていった姿に超えられない感動を覚えたのでした。人の絵を見るときに小首をかしげながら、うーん、うん、とだけ言う彼らの信頼感は半端なかったし、大好きだった。
小説を読んでるときなんか特に自分が視覚思考者なんだと痛感します。文字を追っていることを忘れて、その本の景色や場面を頭に写しながら読んでます。気分が乗ってくるとイメージが勝手に動き出して、音や質感なんかも伝わってきます。そんな感じです。
それ、分かります!
英語のように場面が流れるから、文字で描写されていないシーンも脳内補完で勝手に映像化されてて、あのシーンをもう一度見たいのに、ないってことがよくあります。
漫画でも同じことが起きます。
小説や漫画の世界に入り込んで疲れるから、年齢が上がるとともに、ハマりそうな内容のものには手を出さなくなりました💦
分かります
頭で映像化しないと楽しめない派です。全く映像化しないと何がなんだか分からなくなります。
それで読むスピードが遅くなってしまうんです。
わぁ、すごいわかります。
私はこの前まで、少し言葉が強めですが、ただ文字を追うことの何が楽しいんだと思ってました。
でも最近は、その文字を通して登場人物のいる空間の温度、湿度、触れているものの触感や、聞こえてくる音、その映像を想像しながら文章を読んでいくと、それはそれはもうおもしろくて小説など、本が好きになりましたね。
調子の良いときしかそれらを想像するのができなくてあまり読めてませんが…。
一緒です!最近実写化やアニメ化が進んでる本がたくさんありますが、どちらの記憶かわからない時があります😂
この感覚、とても同感です。私の感覚を付け加えると、たま〜にイメージの前に言語が音声で再生されることがあって、その時は「調子が悪いな……」と思って本を閉じています(全然理解できないので)。
おそらく視覚思考者です
わたしは堀元さんとは逆で「わざわざ言語化するなんて程度が低い」と思っていました
例えば映画を見た感想などをツイートやnoteに書いてる人を見ると、「映画を見て感じたことなんてすべて言語化できるわけないんだから、それによって消失してしまう感想があるだろうに勿体ない」と思っていました
言語化思考者の人は本当に全部言語化できている可能性があるということに全く気づいていませんでした…!
言語思考者で映画の評論をしてます。
「本当に全て言語化できている可能性」というコメントを見てハッとしました。確かにそういう感覚で見ていますし、あくまで自分が獲得できた感情に関しては漏らさず文字に出来ている、というか文字にすることで受け取れたものが完成する感覚があります。
また何事もそうですがマイノリティ側にいながらして、マジョリティ側の世界を想像し、形にできる、というのは素晴らしい器量をお持ちだなと敬服しました。
逆ならしやすいし、時に「上から目線」な驕りを含むことすらありますが反対の立場からそれを気づかれるのはすごいことだと思います。
@@islandsazorestt
すみません、言語思考者と視覚思考者はどちらがマイノリティなのか、それを判断する十分なデータはないため分からないと思います。
でも、自分はマジョリティ側にいると思ってしまう気持ちは分かります。色々な価値観を持つというのは難しいです。
@@Nanao777 あぁ、この場で言及したマジョリティは動画内で言われている「言語思考者が有利な社会構造が形成されている」ということについて言及してる感じです!
言語思考のほうがゲタを履いて活躍しやすい社会の中で相対的に認知されていることが大事だし凄い、っていうニュアンスですね!
ただ、確かにどちらの方が比率として多いか、はおっしゃる通り分からないですね...!
ふ、ばかだな。べつにすべて 表現し。伝えるひつようはないだろうし、
伝わることはことわりに反するだろう とわたしにはおもわれた。
ばかだといったのは、ネット上であやまりあうことの 誤りの
そして、慇懃さや
もはやぶれい千万
みてるぶんには
おもしろひけど
数年来の悩みが解決して嬉しいです。ありがとうございます。悩みが言語化できなかったので人に相談することもできず、一人でずっと抱えていたため、この動画に出会うことができてとてもすっきりしました。
自分は視覚思考者です。自分の場合は「絵」というよりもやもやした「感情」みたいなものが頭にあって、それに近い言葉を記憶から探してくるのが「言語化」という感覚です。
ちなみに方程式は図で説明できるのでわりと得意ですが、足し算引き算などの算数は2桁以上だとビジュアルにしずらくなるため苦手です。
お二人のお話からとても感銘を受けたのでぜひいつかお話ししてみたいです。
ようやく腑に落ちる言葉に出会いました。ありがとう。50代後半ですがこれまで言語化できなくてことごとく劣等感を抱いていましたし、実際仕事ができないと判定されてきました。履歴書なんて本当に苦痛の極みです。言葉では全く差別化できないですから。視覚思考”マッチョ”かと聞かれると実感がありませんが、なぜならこれまで虐げられてきたから。ビジュアルシンカーは結論だけが先に見えるんです。途中をどう考えたかなんてわからないんです。理屈をつなげても結論にたどり着けません。信じてください。
@@oxtotomess3210 数万年先の人類がテレパシーを獲得したら我らビジュアルシンカーの本領発揮の時代かもしれませんが、現代ではどうひっくり返ったって言語コミュニケーションは重要です。企業に入ったら説明ができない人間は評価されません。どうかそんな言語化で苦労している子どもたちがいるということをわかって少しでもフォローしてあげてください。
わかるわかるわかります!!!
結論が先に見えているんです!!!😂
材料化学とかなんか新しい科学の実験やったらすごい材料作れそうw
たぶんいろんな材料の反応イメージを覚えられたら、これとこれを混ぜるとこういうものができる、とかわかりそう
化学式なんかすっ飛ばして結果出せるとかw
分かります!
結論に対しては自信があるのに、そこに到達するためのロジックが組めないんです。
これからの時代は視覚思考が優位になる時代じゃないかと思います。
グローバル社会では、言語より視覚のほうが共有しやすいですし、全て言語ではなくデータでの管理が簡単になっているからです。
私は言語思考者です。
直感とか第六感とは違うのでしょうか?
私は、直感や第六感で決めたことはその時は説明できませんが、何年か後に伏線回収するというか、細い支流が1本ずつ合流して川の流れになるような、ああそうそうこういうことだったみたいに理解が追いつく(言語化できるようになる)ことがままあります。
言語よりの視覚施行者です。美大入学時、周りが言語化できないのでバカにしてたら、作品でケチョンケチョンにされました。彼らのすごさを言語化して頂いて嬉しかったです。
考え事する時めちゃめちゃ脳内で喋るタイプだから間違いなく言語思考者だな〜と思って聞いてたんだけど、よくよく考えると「自分が喋っている場面」を想像している視覚思考者なのかもしれない。
思い返せば、物事について考える時は「最初に思った意見を否定する自分」と議論してる。僕の思考には常に話し相手がいる。
やばいめちゃくちゃそれ
言語化お上手ですね
@@kubikori ありがとう。脳内で何回も文章を読み上げながらコメントを打った甲斐がありますね。
脳内イメージ派ですが、一人で議論しながらイメージを改良している傾向です。
子供の頃から一人で考えて行動しているので、また、それを伝えようとしているので、一人で孤独じゃないの?と思われていますが、全く孤独を感じません。
孤独が好きなのかも? (笑)
全く同類です。でも「最初に思った意見を否定する自分」と議論するって珍しいんですかね…?
同じくです!!!私は自分と議論というか、1人であーでもないこーでもないと独り言を言っている私自身を頭の中で映像化しているような感じです!!
沢山話した気になって、1日で一度も声を発してなかったと、その日の終わりに気づくこともあります。
私はゴリゴリの言語思考者で、妻はビジュアルシンカーです。
よくふたりで今後の人生の展望などを話すのですが、言語化が得意な私がべらべら話し、妻が困った様子になるのはそういうことだったのかと反省しました。
いつも勉強になります、ありがとうございます!
MBTIの魅力の本質は、自分の性格の言語化 で は な く、
自分以外の他者が、どのような価値観を持ち
どのように考えているか感じているかを説明してくれている点だと思います。
つまり、まさにこの本のように、
自分とは全く異なった価値基準を持った人間が世の中には沢山いて
自分はむしろ少数派かもしれないということ、そして、
具体的には人間の考え方の癖を4つの軸の組み合わせ(2⁴)だけで表してしまう
といった壮大な洞察を、この上なく論理立てて説明してくれているのです。
あと、ここからは自分語りですが、
私は「言語化は得意だが、人との対話はクソ苦手」なタイプです。
ゆえに、部屋の隅で一人でシコシコ言語化してはニヤつくことはできても、
お二人のようにそれを軽妙なトークで
ボケやツッコミも交えながら繰り出すことは、私にとって全く別の競技です。
いうなれば言語化は長距離走、会話は短距離走といったところでしょうか?
自分は視覚思考者かと思いましたが、言語化をサボっていたから言語化が苦手なだけの言語思考者の可能性が高そうで泣いています
(じぶんがいまうまくいっていないのは自閉症か発達障害なんじゃないかと疑って、心療内科にいったら、キミはこころの病気じゃないから自分の能力不足を何かのせいにするな…と言われてしまった、悲しい記憶が蘇りました)
多重人格を紹介する本がヒットしたら多重人格者が大量発生した(より正確には、多重人格のつもりの演技性人格障害)…みたいな例もあるので、ここのコメント欄にいっぱい書かれている「この動画を見て自分がビジュアルシンカーだとはじめて気づきました」も、ちょっと触れていいのかわかんないですよね。
大変センシティブな話ですが、何かのセミナーに参加して目覚めちゃった人のレポートと、ノリが同じですもの。
同感😇
あ、逆にね……
………ドンマイ
くさ、
まあ、それでもいい
それこそいい
そんなひともいい
脳みそは使う部位が発達すると言います!おいくつかわかりませんが、どんどん視覚思考しましょう❤利き手交換の勢いで!
絵画的な思考です。
飲食店などを「赤い建物を右折したところにある飲み屋で、看板は白地に黒の細字、内装は茶色っぽくて椅子の座面は黒」というように覚えており、人にこの説明をすると「いや、店名は?」と聞き返されることが多いのですが花屋の友人だけは「あぁ、あそこね!」と分かってくれました。
また、本を読むときは文章を頭の中で映像化し、その映像の速さに合わせて読み進めるため時間がかかります。
ゴリゴリの視覚思考者なので、お二人が話す「言語思考者の感覚」に逐一驚かされて、開いた口の塞がらぬまま動画を見ていました。
今まで「言語思考者=小説のように思考が文字として浮かんでくる人」だと思っていたのですが、どうやらそれすらも視覚にあたるようで、考えが根底から覆されました。
「考えが纏まらないうちから、言葉が口を付いて出てくる」とは一体どんな感覚なのか、一度味わってみたいものです。
今このコメントも、「ポカンと口をあけた人の顔」をイメージしながら「開いた口の塞がらぬ」と変換していますし、「脳みその乗った台がひっくり返って跳ね飛ぶ様子」を思い浮かべながら「考えが根底から覆される」と書いています。
私は話すのがとても遅く、しょっちゅう言葉に詰まってはフリーズしています。感覚や視覚を言語化するにはあまりに選択肢が多く、且つあまりに少ないからです。どの言葉を表現として採用するか、会話の自然な流れにどう組み込むか、この言葉で言いたいことは本当に伝わるのか、一番伝えたいことを取り落としてはいないか、考えているうちに話すタイミングを逃していることがほとんどです。文章でも、書いては消してを繰り返しています。今もまさにそうです。私のような人間が多いからこそ、思考を棄損なく表現することに長けている稀有な才を持った人々が「文豪」と呼ばれているのだろう、と思っています。
言語思考者の方々に質問なのですが、「詩」はどう映っているのでしょう。特に宮沢賢治が書くような情趣に富んだ詩にどんな感想を抱くのか、ぜひ聞いてみたいです。
私は言語思考者と視覚思考者の両方を中途半端に持ち合わせてる感じがします。
テキストは図や絵として捉えたくなるし、逆に図や絵は言語化したくなる。
言語と図・絵が相互に対応しあってる状態、補完し合ってる状態を目標に思考してるように思いました。
視覚思考者ですが「言語化が苦手」というより「見れば(想像すれば)わかるものを文字に起こすのが面倒」とか
「自分の中で結論がわかっていることを文字に変換するが、だいたい浅いところまでしか理解されないので適当になる」
という感覚が近いですかね。
視覚思考を細部まで説明しようとすると語彙力が必要で説明が長くなったり例え話に逃げがち。
また視覚思考者同士の会話はすぐわかります。
お互いのビジョンを会話を通して見せ合いしてる感じに近いかなと思います。またそれが楽しいです。
同感です。ビジュアルシンカー同士だと少ない言葉で近いイメージが出来るので会話がラクですね。
打てば響くみたいな、パッとこちらの意図が伝わるので話が早いです。
@@猫屋ニン 視覚思考者の話は身振り手振りが多く、時折り宙を見つめたりする傾向があるので見てすぐわかりますね。相手の言葉を聞いて、自分の中のイメージを補正していく感覚です。
その点でみると動画のお二人は、話の中で動きや例話が少なく言語優位なのがわかります。
「多数派と微妙に噛み合わない」とか「興味のツボが違う」となりがちなのですが、自分がマジョリティである。としっかり理解して他者にイメージを伝えるために「主語と結論を明確に」「身近な例え話やイラストを使う」などで表現力を強化すれば、「ちょっとぶっ飛んでるけど話しの面白い人」になれると思ってます。
そうそう!言語で表現しきれない感じ本当そうです。言語化して頂き腑に落ちました。ありがとうございます😊
あーわかる!なんでわかんないんだろ めんどくせーって
無限にいいね付けたいコメントです
視覚思考者が「話し合いで決めよう」と提案された時に感じる気持ちは
言語思考者が
メイウェザーに「殴り合いで決めよう」とか
ウサインボルトに「100メートル走で決めよう」とか
言われた時と同じ気持ちってことですね
「ンな無茶苦茶な提案するの酷くない?」
ワタシが小さい頃ワタシも含め周りの誰かしらがケンカを始めて手を出してしまった時に結構な割合で「口で言ってるんだから口で言い返しなよ」という口上を何度となく聞いた覚えがあります。しかし叩いた方は口だけのコミュニケーションや討論、況してや口喧嘩などは自分の共有出来る世界でもなく得意な分野世界でもないのでその時点でお互いの断絶を感じてしまったみたいな記憶が蘇りました😊分かりづらい話しですいません🙏
議論で譲れない部分で対立項が出来た際は何も決まらず時間体力を浪費するだけだしなぁ
「話し合いなんてそんな野蛮な…
ここは穏便に[話者の得意分野]で…」
user-kz2ej6yi5s
話し合いで決めようと言われたとき、「なぜこんなモヤモヤするのか?」という内なる問いにピタリと突き刺さりました!
ありがとうございます!
そういうことだったのか〜!!
殴り合いで物事を決めるのも話し合いで物事を決めるのも、時代が良し悪しを決めてるだけで価値は同じですねー
視覚思考者といっても論理とか証拠に対して無関心なわけじゃないんだから、話し合いを無駄に感じることに直結するのか?
というか、こちらの動画のテロップの出方も、図の視覚思考にめちゃくちゃ助けになっている気がします🥹
言語思考者です。趣味で小説を読んだり書いたりしています。普段はあまり絵的に考えることはないのですが、文字を目で追っていると言語が消し飛んで、人物や情景だけが頭の中で動いていく瞬間を感じます。自分の文章でも人様の書かれたものでもそれは起こります。追いかけている間は時間の感覚もなくなっていきます。
一方で言語化ヤクザの自覚もあります。喋ったあとで「そうだ、私本当はこう思ってた!」と腑に落ちることも本当に多いです。曖昧な会話が苦手で、相手の発言を自分のフィールドに落とし込んで掘り下げたくなります。「それって言い換えるとこういうこと? ニュアンスが違っていたら教えて」というようなことを迫っては怖がられていたと思います。
美大を出て趣味で絵を描く友人がいました。その人は「私にはこの世界が色と光に溢れて見える」と話してくれました。世界は言葉で構成されていると信じて疑わなかった私は、本当に驚きました。その人には結局「なんで私はあなたにいつもいつも説明しなくちゃいけないの? してくれて当たり前と思っているでしょう?」というようなことを言われ、今は疎遠になっています。私の書いた文章に自らイメージイラストを描いて送ってくれたその人のことが、私はとても好きでした。だからこそ相手の考えを知りたくて、認識を言語化することでもっと分け合いたいと思ってしまった我が身の浅慮を、動画を拝見した今殴り飛ばしたい気持ちです。
言葉というツールは限定的でとても不自由だと感じます。何をどう紡いでも、伝えたいことといつもどこかずれてしまうもどかしさ。でもその不自由さこそが、飽きることなく私を言葉の沼に駆り立てくれるような気もしています。『みんなそれぞれのタイプをグラデーション的に持つ』という言葉を信じて今後はあまり偏り過ぎずに、少しずつ言語化ヤクザを脱していきたいです。自戒を込めて、生まれて初めてTH-camにコメントしました。読んで下さってありがとうございました。
あまり関係ない話だけど、落語で映像が頭に浮かぶのを思い出した。
落語が苦手な人は、どうもそこが苦手っぽい(NHKの「超入門!落語the Movie」への反応を見て感じたこと)。言語思考とか視覚思考以前に、単純に時代劇的世界観が分からないだけかもしれないが。
自分に合わせて説明してもらうんじゃなくて、相手の眼を借りて理解しよう、相手の見ている世界を観ようという発想が足りなかったんだと思います。
その人の存在のあり方が映像や絵から見える。しかし誰でも感受できるわけではない。ある世界感受認識ができた時その映画や絵が理解できる。これも知性の一つであると思う。これが未発達の人は人生を上手く楽しく生きられない。この知性は数値化できるわけではない。
まわらぬ舌で初めてあなたが「ふたり」と数えたとき私はもうあなたの夢の中に立っていた。 谷川俊太郎詩集より.
文章を読んでいるはずなのに映像の中に居るの良く分かります。頭や心の中にある素敵な情報を伝えたいけど、全部を言葉にしようとすると色褪せて輝きを失います。だからそんな時は感じて❗想像して❗って思う時があります。そしてそんな時は大体相手がこういう事?って言葉にすると、そうなんだけど内包する感覚的な部分を削られるので、自分の気持ちや想いを削られたり無視された様に感じます。きっとご友人も想いが伝わらずもどかしかったのかもしれませんね。これをきっかけに再び交友が戻ると良いですね🤗この動画とコメントとこれまでの人生を考えると、人間はそういう思考タイプがある事を理解して努力する必要があると感じました😊
私は絵で思考する視覚思考者寄りのようです。
たくさん書きたいことがあって、30分程コメントを書いては消してを繰り返しましたが、長いしズレるしで諦めました。なんならコメントすること自体諦めたかったのですが、自分が視覚思者だと気づいて長年のコンプレックスが少し和らいだ感謝の気持ちを伝えたくてこれだけ残します。ありがとうございます。
大学の指導で、「まず書き出し、言語化することで思考が整理されてさらに深まる」と指導教官に言われ、
書き出せば書き出すほど自分の見えてるものからかけ離れていく不自由さを感じ、留年しました。
書き出した文字が私が理解したものと少しずれているので、そのズレにフォーカスされてゼミで展開されたりすると泣きたくなります。
めっっっっちゃわかります😭!!!!
めっっちゃ分かります...!書けば書くほど、文章が長くなるにつれて自分の想定していた結論から離れていくんですよね!なんで図で説明させてくれないんだろう?っていつも思っていました...
わかるぅー!
さしずめ、言語化すればするほど、思考が混乱してさらに霧の中といったところかな
本人は笑い事じゃないんだろうけど
私はビジュアルシンク強めのタイプだと思います!(絵というか映像ですが)
芸術作品とは、それ自体が思考のプロセスであるという言葉を聞いたことがあります。
作品は、作者が「表現したいもの」を再現したものだから、作品に聞くより作者に聞くほうが良い、とかんがえる方も居ますが、そういう方は言語思考者が多いのかなと思いました!
「もし踊りの意味が言葉で言えたら踊る必要なんてないでしょう?」というダンサーの言葉を思い出します。
美大卒後、住宅プランナーや宿泊飲食立ち上げの仕事をしてきましたが、完成イメージを絵におこし共感得てから実現させる手法が常です
空間把握(図)と絵を用いるビジュアルシンカー、言葉はキャッチコピーほど短くて訴求力がないと頭に入ってこない気がします
視覚思考者です。今回の動画で私がなぜゆる言語学ラジオが好きなのかわかりました。
それは 私が考えていることをどんな言葉を使ったら相手に伝わるようになるかを知れるからです。
毎回水野さんが使っていた言葉を日常で使えるように覚えるようにしていました。
辞書好きな水野さんが使う言葉だから的確な言葉が知っているんだなと思っていましたが、それは私が絵で思考していたから言葉が出てこなかったのだと知れました。
水野「あんまり考え事しないんですよね」
室越「人である意味無くないですか?」
今井「良いアブダクションですね」
関係ない黒島「ベネファクティブ?」
関係ない嶋村「プリミティブ?」
関係ない伊藤「コーヒー飲む?」
水野「あれ、この話しましたっけ?」
丸山「そこでコーパスです」
水野父「息子がご無礼を」
本当に関係ない堀元「ボッキン!」
ゆる言語学ミーム大集合
らきすたのオープニングじゃん
Pepper《ペッパーくん》「まともに始めなさいよ」
何をしてるんですか? 落ち着きましょうか。
関係ない言語学者勢の耳が遠すぎる
イラストレーターです。言語化が苦手なので、頭の中のイメージをコメントという形に落とし込むことが出来ず断念しました。
視覚思考者は文章を作るのに大量のMPを消費するので、普段コメントを書かない。
→リスナーのほとんどは言語思考者
と感じられるのもありそう。
帰還した戦闘機は胴体に弾痕がない現状はコメント欄にもありそうですね。ネット時代のコメント欄の在り方にも示唆されるものありそうと思いました。
私もコメ欄では昨年まではずっと
ステルスしてました
ゆる言語視聴して
面白いなーって
感じてきて
コメントするようになりました。
↑視覚志向 あるある?
見た目 体裁が気になって
無駄に開業したくなる
ワ゛カ゛ル゛ッ゛!!!
MPとか詠唱時間は大量消費するけど、決して出来ない訳でもないんだよね。
逆に図や絵を使って説明しろって言われたときは言語思考マンは大量MPと時間を消費してそう(想像ですが)
能力のグラデーション・トレードオフの関係な気がしますね!
わー!めっちゃよくわかります。
私も図の思考と絵の思考を説明しようと思いましたが、後者は面倒なのでやめました(笑)。
@@daiku-1
改行したくなるの分かります。
Wordで文章を書く時に何とか変な所で改行されないように言い換えを検索しまくります。
美術の教員です。興味深かったです。絵を介在しないで表現できる人がいるのかと驚きました。私は頭の中の絵を見て言語化するので、その間は現世で何が起こっているのか見れないので苦労してます。また、日本の教育の話についても深く頷きながら聴きました。美術だけ3の話、私は逆で全て3で美術だけ5でした。今は言語の社会と教育だと実感する事ができました。
視覚思考が強いからこそ言語化するのが楽しいのか、と気づきました。自分が捉えた絵的な世界観を如何に言葉に表すかが楽しくて、苦手なりに文章を書いたり美しい言葉を知ったりするのが好きです。
めちゃめちゃ分かります!!!
私も趣味で小説を書くのですが、視覚思考が強いからこそ頭の中で動くキャラクターたち、自分の見えてる世界を言語化するのが好きです。
また、人が話すことを想像するのが好きなので、本を読むことが好きです。
トピックの中に言語化の話が出てきましたが、もしかしたら言語化の部分については個人差が大きいのかもしれないなと思いました。
イメージをアウトプットするのが好きな人は日頃からやっているので、視覚思考型でも言語化が得意になったりする気がします🤔
@@komachi_akita
お節介で説明好きな人は言語化が得意になったりするのかも?ですね。(笑)
@@yasudan7690
あっ、心当たりがっっっ
そうかもしれないですね(笑)
めちゃくちゃしっくりきた
あああー!!
すごくわかる
コメントを書いては「うーんなんか言いたいことと違うな」となって消してる視覚思考者の姿が見える
もう3回くらいこれをやった
コメント書くのに30分費やしました。
おれ。
言語性iqまあまあたかいです。
けっしょうせいちのうより
りゅうどうせいちのうだ
IQきにしなくなりました
IQマウント ぶーむ、
まいぶーむはおはった
この主とのかんけうのなさ 関係のなさ
どこからくるのだ。
WAISじゃなくWiscのほう
コメント
誤字をのこす
相手のことがんがえると
いくらてま
いくらでもすいこうのよちがあろう
外国しんは
この怪文書しょをぐーぐる
ほんやくにつっこめない
びっくでーたのしゅうしゅうのじゃまもの
くらえ!!
空間視覚思考者どす 自称
ベクトル思考となずけています
ゴリゴリの言語思考者だと思います
喋りが思考を追い抜くことは多々ありますが、堀本さんのように「凄いこと言ったな」ってなる経験よりも「何言ってんだ俺?」ってなる経験の方が圧倒的に多いです。
喋り終わってから思考がまとまるので、「あー、さっき言ったこと全然本質とちゃうかったな」ってよくなるので最近はよく考えてから喋ろうって思うようにしてます。
おそらくビジュアルシンカーの者です。
初見です。
このチャンネルの動画は字幕が見やすいかつ端的でわかりやすいため、言葉が頭にスルスル入ってきて面白かったです。
人の考えを知るのが好きなのですが、よくある画面のないラジオだと音程の違う音が延々と流れてるようにしか聞こえないので、こういう形のラジオがあって大変助かりました。ありがとうございました!
美術館でキャプションを読むのが好きな言語思考者ですが、美術展の話が大変面白かったです。
美術作品に「無題」の作品が多いのは鑑賞者が余計な偏見をもって鑑賞するのを嫌ってのことだと思っていましたが、題名を言語で付けること自体が作者にとって作品の情報を欠落させてしまう行為なのかもしれませんね。
学生時代部活の会議で一人黙り込んでた子がいたのだけど、ずっと何か思うところがありそうな顔をしていたので、
小さな質問を重ねて思考を解く形で思うところを聞いてみたことがあるのですが、
見事に誰よりも深かったことがあります。
以来、「言語化できない=思考ができてない」という偏見は捨てました。
なんなら自分が相手の世界を見えてないだけなのにそれに気づかず「世界の全てを知っている」と言っているようなものだなあと
今でも、原語で伝えられないのはコミュニケーション能力が無いと蔑むのが
教育やマスコミです。
欧米や中韓は(勝手な自己中の)発言力が無いと生きられない特殊な世界です。
底に棲んでいる連中には分からないんでしょう。 (笑)
言語思考者と視覚思考者と、貴方の様に気づいて橋渡しをしてくれる方がいると良いチームになりそうですね。素敵です。
私は絵で思考するタイプの視覚思考者ですが、
本動画のように、お二方の表情・身振り手振りの映像があると頭にスッと入ります。
音声のみ、は必ず画を想像して話を追っています。
余談ですが、言語の鬼の父と、視覚の鬼の母に挟まれて育ったので、思考の通訳を担当し、言語化も今ではそこそこ出来るようになりました。
ある程度は鍛えられるものなのかな…と。
言語・視覚のミックスで、どちらかというと視覚(図)優位かなと思います。
自分が話す時、いつも言葉にするとこぼれ落ちてしまうなにかが気になって「この表現は違うな、この表現でも伝わり切らないな」というもどかしさを抱えています。
考える時は、抽象概念?のような何かで考えているイメージです。
昔、おそらく言語思考者の友人が、「人間は言葉で考えるだろ、じゃなかったらどうやって考えるんだよ?」と言っていたのにうまく反論できなかったことを思い出しました。
また、堀元さんが言語化ができない人を下に見ているようなのを少し怖いなと感じながら聴いていましたが、一方で空間把握が苦手なことに対しては全くコンプレックスを持っていなさそうなのが、この社会が言語思考者に優位な社会であることの証明なのか、はたまた人間としての健全な認知の持ち方なのか、いずれにせよ羨ましいなと感じました。
私も中間で、「抽象概念で思考している」という点で激しく共感を覚えました。
言語を見ても映像を見ても自分の中で感じた感情、印象、雰囲気が思考に使われるので、言語化するのも映像にするのも時間がかかる傾向があります。言語化するほうが好きなので、言語寄りなのかもしれません。
同じ特徴の方を見つけることができて少し安心しました…
「すごい絵画化」という”本”がベストセラーになってるだろうという話をしている時点で、
もう言語優位の世界に囚われてる
本じゃなくて画集なのかな?
「すごい絵画化」の時点で「漫☆画太郎」先生のあの画風が
脳裏に浮かんだ自分はビジュアル思考で良いのでしょうか?w
映像媒体になりそう
絵画化の説明をイラスト等で受けるって考えると大分難しそうだ
いや、対象は言語脳の人なわけだから、最も理にかなってる。
間違ってるのは言語化本の方
図の人です。図に起こした時に整合性が取れない説明をされると混乱して思考停止します。涙。あと音楽を聴いてる時はイメージ(これは図じゃなくて絵に近い)が浮かんできます。なので歌詞はほぼ聞いてないです。クラシック音楽などは音のイメージで作曲家の性格とか分かる気がしてます。
同じく図の人ですが 同感です
ゆる言語が楽しくなってからは
音+歌詞の言葉の意味・裏・文脈・行間
などが絡まって
映像・動画・描写などが
ストーリーになって
流れる感じがしています
イメージが
より 鮮明になっていく感じ?
ゆる言語学らじお
ありがとーーーーーーーー!
歌詞ほぼ聞いてないの分かります. だからかすぐ歌詞の意味が取れない洋楽の方が耳に入ってきやすいこともあるように感じます.
めちゃくちゃわかります!
音楽は、なんとなく図というか、ぼんやりとしたフローチャートみたいな印象になります。
わかります…!相手から任されたことがきちんと説明されないと何を想定してどう手をつけていいか分からず、あり得ないほど頓珍漢なことをしてしまったりします😭
同じく図の視覚思考人です。私もクラシック好きでイメージ浮かぶのわかります、ブラームスなんかは大きな植物がニョキニョキ幹を延ばすイメージで7割くらい暗い緑色です。曲も図で理解したいので、機能和声や形式分析の存在を知ったときに、私が知りたかったのはこれなんだ!と夢中で勉強しました。
仕事をしていて、パワポ脳とワード脳の2種類の人がいるなと思っていました。
ホワイトボードを書かせたりしたときに、
情報を図と位置関係で整理したい人と、箇条書きの文で整理したい人みたいな。
パワポ脳の人の方が資料を作るのが上手で、
ワード脳の人の方が情報を1列に並べる能力が高いぶん
喋りが上手で傾向があると思っているので、役割分担を意識的にしています。
僕はもともとワード脳だったんですが、
仕事でパワポ職人をしていたら後天的にパワポ脳になりました。
自分は絵のビジュアルシンカーだと思います。同じ文字フォントの文書を目で追う際は常に一人称視点で情景想像して読んでます。抽象的な内容の記述になると図で解釈し始めるし、自分にとって「分からない」という感覚は、「頭に情景が浮かばない」ことに等しいです
視覚思考者です。職業はカメラマンです。
子供の頃から絵を描くのが好き/得意で、中学生の時は、小説を読んで頭で浮かんだ情景を絵に描くのが大好きでした。
逆に「何を描いていいかわからない」という人の気持ちがわからなかったです。
他にも、音楽を聞くと、頭の中でオリジナルのMVの映像が浮かびます。人の話を聞く時も、その人が見たであろう風景を思い浮かべています。
なのでお二人が頭で絵を思い浮かべていないことに驚きました!
また、赤ちゃんや乳幼児の気持ちも、なんとなくわかります。視覚思考者故に、まだ言語化能力が低い子供の気持ちを、言語がなくても感じ取れるからかもしれません。
私の経験による推測ですが、視覚思考者の中でも空間派(3D)と、平面派(2D)がある気がします。空間派は建築や彫刻が得意、平面派は絵や映像が得意、など。
まさに「言語化出来ない=劣っている」と思い、常に劣等感を感じていたので、そう思う必要はないんだ、と思えました。有益な動画をありがとうございます。
教育界や政界や社会の権力界では言語主張で優位に立っている人が多い傾向です。
だから、「言語化出来ない=劣っている」と思い込まされるんですよね。
私はドがつくほど言語化が苦手な視覚思考者寄りで、我ながら自分はドアホのクソバカなんだと思っていましたが少し救われたような気がしました。
ぜひ原著にもあたってみたいと思います。
絵で思考する視覚優位者です。
以前、おそらく言語思考者の知人に、「あれどこに置いたっけ?のパターンの探し物をする時は、直前の行動を脳内に思い浮かべながらトレースすると見つけやすいよね」と話したら、何言ってんだコイツという顔をされた時のことを思い出しました。
次回も楽しみにしてます!
分かります!
最後に見た場面まで戻ってリプレイして探します(っ ॑꒳ ॑c)
え?
万人、物を探す時は行動を最初から辿り直すんだと思ってました。
言語シンカーはどう探すのかな?
言語思考というか論理思考だと、置く場所にプライオリティを想起して探すかな。
そうじゃない探し方が思い浮かばない
わかります、自分もあれ今何しようとしたんだっけって時にそれまでの自分の行動を思い返してます😂
ビジュアルシンカーです。就活で本気で志望している企業があったのですが、志望理由を言語化しようとしても全然差別化できず、悩んでいました。周りに相談しても、やる気がないと勘違いされてしまい、落ち込んでいました。今回の話を聞いて、少し気持ちが軽くなりました。ほんとに感謝です。これからは、言語化社会ということを意識して人一倍頑張りたいと思います。
うわぁ私もそうなりそう…「なんで」っていう言葉が嫌いすぎる
図やイメージを思い浮かべずに考えるという感覚が想像できない・・・
大学でベクトル空間という概念が出てきたときに、ベクトルに対する矢印のイメージ とベクトルの定義が合わなくなってきつかったです。
7+8を考えるときも、5の塊にそれぞれ2と3の飛び出た部分があって、その飛び出た部分がテトリスみたいにぴったりはまって5を作るようなイメージが浮かびます。
6+9だと10の欠けた角の部分に6の飛び出た部分がぴったりはまるような感じ。
こういう自分の考え方をを思い返したことも共有したことも無かったので、とても興味深い動画でした。続きを待ってます。
7+8の考え方マジでわかります!!!
文章だから最初なんのことか分からなかったけど読み直すうちにわかってきて、もう仲間すぎる
自分はどっちも真っ直ぐな7と8だけど足す時に5の部分で足切りして、余った2と3を足すイメージが多い気がします。6と9の足し算だと既にその時点で素因数分解された2x3と3x3のブロックになっていて並べると3x5になる見たいなイメージ強いですね。
> 6+9だと10の欠けた角の部分に6の飛び出た部分がぴったりはまる
めっちゃわかる
足し算のイメージ、わかりみが深いw
あと掛け算も41*31とかなら、長方形4つに分けて足しますわ。
なるほど!足し算を図で考えるのってビジュアルシンカーのものなのですね。
こう考えるとめっちゃ楽なのになんでわざわざ面倒な計算をするんだろうって思ってました
ラーメンズの小林賢太郎はコントの台本を書くとき最初は絵で描いていくそうです。
言葉で組み上げていくと言葉の意味に縛られていって本当に表現したいものから外れていくからと言っていました。
へえ!小林賢太郎さん好きだけど初めて知った!
私はどちらかと言うと言語化の方が得意だから、未知の世界を知れるのは楽しいな
@@名無しの権兵衛-g5u 小林賢太郎は美大出身にもかかわらず言葉の音や形をネタにしたコントをよく書くんで相当言葉を感覚的に捉えてるんでしょうね。
ちなみにコントを書くとき絵から書く云々の出典は小林賢太郎テレビの3だったかと思います。
あー、ラーメンズあんまりなのわかった気がする。自分は視覚優位だけど同族嫌悪かも笑
アンジャッシュとかサンドイッチマンみたいなしっかりした台本コントのが好きかもしれない。自分には無い能力に憧れがあるのかも笑 ダウンタウンのガキ使前の即興フリートークも好きだったな
言語思考者です。
最近私もみんなの思考方法について気になって、友人や家族に聞き取り調査をしたところ、「脳内に知り合いを召喚して、その人との会話で思考する」「映像に対して、ゲームの選択肢を選ぶような感じ」「全てのモノ(無機物を含む)にアテレコする感じ」「ベン図で考える」「なんも考えてない」などさまざまでびっくりしました。
身内に水野さんいるの笑う
知り合い召喚するのめちゃくちゃ分かります。
思考内容に応じて、自然な反応を返せるを知り合いをその都度召喚してます。
自分が「絵で考えてる」とか「図で考えてる」と思ったことはないですが、言語化は苦手なタイプです。
当てはまるかわかりませんが、マンガを読むのにとても時間がかかります。
絵までじっくり見て、セリフを落とし込みます。
セリフを読むだけだと理解できないからなのかなぁと思いました。
お二人のやり取りがとてもリズミカルで楽しくて拝聴しています!
絵で思考してます。
小学生のころ、当然に伝わると思って人の声を色で説明したら周りに伝わらず、「低いとか高いとかで言ってよ」と言われて、自分が変わっているかも?と意識しました。
テスト勉強は得意不得意があり、苦手だった歴史は教科書の文章は上滑りしていくような感覚で頭に入りませんでしたし、逆に古文(特に和歌)は「全部表現されてるのになんで間違えるの?」「なんで暗記するの?」と思ってました。
大学から、自分が言語化できないのは無能だからだ!と思い30歳まで訓練し続けた結果そこそこの社会的ポジションは得られたけど、言語化の土俵でネイティブ言語思考者と戦い続けることに限界を感じ始めています。早くビジネスから足を洗って田舎でゆっくり創作活動でもしたい…
始めて見たけど、人間版ゆっくり解説みたいな構成で喋ってくれて凄く見やすい
なんか、この知ってる感じは。。?と思ってたら、確かにそうですね!
天才的🎉
言語でも絵でも考えている人間なので、そもそも片方しか使ってない人が居るという事実が衝撃でした。
他人に伝えるコミニュケーションは言語化が必要ですからね。
昔は、どちらも手で描いたので両方出来る人が多かったかもですね。
確かに、同じくかも
言語をイメージとして捉えてるのが当たり前だと思ってたけど、言語を言語として認知してるって逆にどういう事?。
分かります。この一言につきますね
グラデーションだと思います
就活の言語化が苦痛だった経験などからビジュアルシンカーなのかと考えていましたが、美術に造詣が深いわけでもなく、絵で考えるという説明に若干の違和感を覚えながら視聴しました。
しかし、最後"図"で捉えるタイプもいるとのお話があり、まさにそれだ!!となりました。
人を説明したりする時も、自分の考えを整理する時も、パワポ的な感じで考えることが多いです。そのため、ある程度論理的な思考はできて、自分の中で論理は成立しているのに、言語化が苦手なので、脳内のパワポ見せたい!って思ってしまいます笑
視覚思考者です。
本を読むの好きです。自分自身で本を作ろうと言語化すると秒でこれは違うとなります。
ほぼコメントしません。
ですが、話を聞くのはすきです。たのしんでます。
ド視覚思考者です。
仕事で文章を書くとき「これでは自分の頭の中のイメージが伝わらないかな?」と感じることが多く、書いては消しを繰り返して無限に時間をかけて言語化しています。喋る時なんてもう目も当てられない…。
そんな自分の無能さに挫けそうになっていたので、この動画に救われました。
自分の不得意な分野でやってるんだからしゃーないくらいの気持ちで生きていけそうです。
原著を読みつつ、続きを楽しみにしています。
(このコメントを書くのも30分くらいかかりました。)
私はかなりビジュアルシンカー寄りだと思いますが、
お二人のようにスラスラと、私が普段もやっとした状態で疑問に感じていることを
言語化し、はっきりとピントを合わせてくれるコンテンツが大好きです。
好きな物について聞かれた時に、人に説明する為に好きな訳じゃないから口籠もってるとそんなに好きじゃないみたいな空気になってへこむ😭視覚というか感情優位です(INFP) 。討論者タイプの人と話してると理詰めされてる気分で「こわいー!」ってなります😂
むしろ言語思考者じゃない人がこのラジオを聞いているのか…?と思ったら思いのほかたくさんいた。すごい。
私は完全にビジュアルシンカーだと思います。図で思考するタイプだと思います。
学生時代も、ノートは図でまとめてましたし、今も考え事する時は、自然と図を書いてます。
万人が図で考えていると思ってました💦
ゆる言語学ラジオは、自分が言語化できない部分を言語化してくれるような感じで、聞いていて気持ちいいのかもしれません💡
私は途方もなく言語思考者です。
私の崇拝するあるラジオDJに「言葉が雑な人は思考が雑だ」という言葉があり、今でも半分本当だと思っていますが、今回の動画で、少しひいた目で見えるようになった気がします。ありがとうございます。
図や写真ですかね..
人に説明する時は、もう一回それを紙に書き直して見せたり、相手の脳内で再現してもらえるように言語を使って指定していくという感覚が強いです
ポイントを落とさないように長文になったり、例え話や身振りで細かいニュアンスまで伝えたくなったり、相手と同じ絵を見ながら会話を進めていきたいという気持ちがあります
ラジオにあったように、子供の頃は絵に描いたり、独自のオノマトペや文字やハンドサインを使っていました。
大人になるにつれて、他人とコミュニケーションを取るには「共通言語」しかないと実感しました。そして他の人も同様に、「自身の思考は言語では表現しきれない/伝達できない」と感じているのかと思っていました。
夫は言語、私は視覚思考者かなと思います。子育てをしたときにとても違和感がありましたが、こちらの動画を見て府に落ちました。
第一子の妊娠中に、オムツ換えや沐浴方法の動画を夫と見ました。そのおかげで私は出産後すぐにできるようになりましたが、夫は全然できなかったです。「右耳の下に親指、左耳の下に人差し指をいれて頭を支える」など言葉で説明しないといけなくて、動画見てなかったの?とイライラしてました。言葉で説明するのが面倒な私にとっていちいち説明しないといけない状況は苦痛でした。夫はきっと、ちゃんと言葉で説明して!と思っていたことでしょう。
タイプの違う二人がタッグを組むと良いみたいなことをおっしゃっていましたが、意志疎通は大変かもしれません。
当方、視覚思考マン(図形)です。
水野さんや堀元さんのように、思考そのものが言語で進む人がいると初めて知ったとき、驚愕したのを覚えてる。
それまでは「話が上手い人」=「イメージを言語化する作業スピードが速い人」だとばかり思ってたから、「話が上手い人」=「思考が言語で進む人」なのかもしれないと気づいて衝撃だった。
それぞれの比率はわからないとのことだけど、実際どんな割合なのかは興味あるかも。
長文失礼!次回も楽しみに待ってます!
めっちゃ共感です、視覚思考マン基準の物差しで世界を見ていると、加えて「本読むのが早い人」=「言語をイメージ化する作業スピードが早い人」だとばかり思いがちで、
国語のテストとかでよく思う事なんですけど、文章を深く理解する為にはストーリーや場面を脳内で映像化したり、登場人物の相関図や関係図を想像したり書きながらじゃないと整理出来なくて時間ギリッギリになるんですよね。
思考が言語で進む人の想像が全く理解出来ないですし、全然違う生き物なのかもしれないって衝撃がありました
図形の思考だと、否定形が思考できないんですよね。(「〇〇ではない」という属性について語れない。)
マジでこれ
@@しろくろ-l7k長文失礼します!って言葉、ビジュアルシンカーしか使わない気がします。
たぶん自分言語優位ですが、全然長文じゃないよーって、いつも思ってました。
文章でモノを考える人が多数派だと聞いた時衝撃が走った。それまで、考え事するのにイチイチ文章で考える人なんかおらんやろって普通に思ってた。
mbti診断が流行ってるのは、自分を言語化できるからではなく、他人のパーソナリティについて簡単に知れる、もしくは知った気になれるという部分が大きいような気がしています。
私自身は言語思考だと思いますが、対面する人の大雑把な分類がわかるという点に面白さを感じていました。
自分がMBTI診断をやった時は
もちろん自己分析の意味合いもありますが、
どちらかと言うと「自分はどこのカテゴリなんだろう」のような、
学校のクラス分け発表と類似した楽しさを感じていました。
他者と会話する際も、MTBI診断の結果を伝えればある程度の人間性を理解してくれるので
言語を圧縮した記号として使ってます。
私は視覚思考者だと思うので、こういった「人のイメージ」を一言で表現してくれると「楽だなぁ」と感じます。
なんだか面白いですね。
@@あきりたん なるほど、確かにクラス分けのような楽しさはあったと思います。
他者とのコミュニケーションの1ツールとして使いやすいですよね。
@@あきりたんクラス分けの楽しさは私も感じていたかもしれません。いずれにせよ自分の分類を知るためというよりはコミュニケーションツールとしての面白さが強いんだろうな、と思いました。
これ!!!!!
言語化するのが難しいものだからこそ、性格などをカテゴライズすることで自分も他人も分かりやすく規定できるんでしょうね😮
私はビジュアルシンカーよりなので、自分が出来ない言語化を気持ちよくしてくれるミズノさんの話聞くのが好き❤️
ゴリゴリの言語思考者です。
堀元さんがおっしゃっていた、「話しながらまとめていく」がまさにその通りで、考える前に脊髄反射的に口から言葉がでて、その言葉を使って話を組み立てていくイメージです。
これです。一人でやる言語化が得意だから、論理立てて話すのが得意かというと、全然違う、さりとてビジュアル思考は大不得意ゆえ、自分はアホなのだろうかと思ってました。でも、よくあるのは、リラックスした状態で親しい友達に自分の考えを話していると、「自分はこんなに深く考えてたんだ、面白いアイデアを持ってたんだ」と思うことがある。まるで自分が頭が良くなったように感じる。その時に自分の中にあった雑多なトピックが統合されている感じです。
はーーー訳わからん
思考する対象によって自動的にツールが切り替わっているような気がします。
① 絵思考は全体や概念、自分にとっての世界を主観的に捉えようとした時に起動し、
② 図思考は俯瞰で把握しようとした時に起動する感覚です。
③ 言語思考はそれら捉えた感覚の解像度・粒度を上げる過程で分割されたものに社会的なラベル(言語)を貼るときに起動します。
最初の立ち位置がどこなのかで自覚する自分のタイプが変わると思いますが、そういう意味では自分は視覚思考型です。①が絶対必須の項目になってます。ただ上記のように、イメージをマイクロ化する時には言語思考になりますし、視覚思考でそれを成し得るとは思いません。
絵と図、そして言語はそのツールが得意とする表現範囲があるので、みなさん思考の際には自動的に切り替えて使っていると思います。
その上ではっきりとしたタイプ意識があるなら、多分ツールの偏りではなく、思考課題の偏りがあるのじゃないでしょうか?
でっかいマクロな話が好きな人はでっかい絵と大雑把な言葉が好きで、細部の話や構造などのマイクロな話は絵で語るには不向きです(その集合体が絵ですからね)。
そして実際の複雑な思考課題時においては、①~②~③を往復しながら煮詰めていくことも多いと思います。
そのうえで、日常の思考の振る舞いのタイプを分けるとしたら、自分としては、視覚型か言語型かではなく、分解型か組み立て型か、で分けたほうがしっくり来ます。
例えば①→③は分解型です。生来から視聴覚感度が高い人だと思います。日常的に感覚情報の入力の量が処理能力に対して相対的に多く、③まで下ろすのを社会的に要求されていることは理解しつつも、負担の方が大きく、訓練不足になりがちで③の精度は高くありません。そもそも自分だけが理解・処理すればいい事象は、①で完結します。③は負担のわりに益の薄い行為で、社会的に要求される状況になり仕方なく③をする、という場合が多いと思います。
このタイプにとって世界とは内在しているもので、場合により言語で分解するもの、だとしています。
③→①はその逆、組み立て型としましょう。言語と言語がもたらすものを先人達から蓄積された財産という理解をし、それをを用いて世界を捉えて共有しようという行為は、当然として社会の規範だと、言語というものはそういうものだと捉えていると思います。
やもすれば個人主観の域を出ない分解型と比べると、言語を用いることを基本とする組み立て型は社会に対しての貢献性や受益性からそれを良しとされているのは、当然のことなのかな、とも思います。
このタイプにとって世界とは、言語という細かい小さな部品を組み立て、ロジックを積み上げた先に見えてくる外在的であるもの、としているような気がします。チャンネルのお二人を見ててもそう感じます。
長文失礼しました。
好きな話題でした、いつも素敵な動画、ありがとうございます。
視覚思考者です、細かい分析で面白かったですが、分解型と組み立て型って結局ビジュアルシンカーのインプットとアウトプットの話なのかなって感じました。ビジュアルシンカーが自分の思ってる世界を言語にアウトプットする時って分解型の手順を踏みますよね。
逆に文章(言語)を深く理解してインプットする時、組み立ての手順を踏みますよね。
文章にまとめると思考がまとまる、
言葉より絵や図で説明されたほうが理解しやすい
寺・星座・個人的な会話というお題に対して、それらを補足する文章が頭に浮かぶか、絵や図が浮かぶか
こういう話とは少しレイヤーが違うのかなって感じました。
それはそれとして示唆に富んだ面白いコメントだと感じました。
一番共感する解釈でした!
「絵だけで思考する」「言葉だけで思考する」というのがどうしても極端に思えてしまっていて、私も両方を使い分けていると思います。
また、ビジュアル"シンカー" が自分の内側の話なのに対して、
"言語化" は自分の外側への話だから、その2つは単純比較できるものじゃないなとも思って視聴していました。
私自身は視覚思考優位です。映像というかぼやけた夢のようなものを頭に描いて思考することが多いです。
例えば小説を読むときは映画を脳内で再生しているような感覚ですが、登場人物の顔や声まではくっきりしていない曖昧な状態がほとんど。
なので、視覚思考ではありますがむしろ「頭に浮かべているものをそのまま映像で表現できたら…」とは思わなくて、
仮にそれができたとしてその映像が「まさにそれ!」ってなる気がしないのです。
くっきりしていない曖昧な脳内映像が、実際の映像になることで細部が明確になったとしたら、そこに違和感を感じてしまいそうで…。
逆に言語化への苦手意識はなく、むしろ言葉ではその脳内映像の全てをそのまま伝えきれないからこそ、
言語を駆使してできるだけ近い脳内映像を共有する、そのプロセスが相互理解であり、そこに価値を感じている気がします。
(「脳内映像を共有する」という意識自体が視覚思考的かもしれませんが)
そういう意味で、視覚と言語を内側と外側で切り分けた、
「分解型」「組み立て型」の考え方は私にとって一番共感できるものでした。
とはいえ確かに、
@user-in3zx1oz5y さんの言う通り、視覚思考者のインプットとアウトプットのことだと言われるとそうとも思います。
だとしたら私は「言語化教育に適応した視覚思考者」かもしれません。
ほぼ確のビジュアルシンカーです。
大学で細胞生物学分野を専攻してました。高校時代、起こっている現象を模式図を交えて必ず視覚的に説明してくれる形式が理解に易く、他分野よりも生物学を好きになりました。
衝撃的な回だった。自分は言語思考か視覚思考かわからない。両方で考えるものじゃないの??…というより自分が言葉で考えているか絵で考えているか分かっている人が当たり前のように大量にいることに非常に衝撃を受けた。この本を読んで「あ、視覚思考(または言語思考)とはこういうことね」と理解できれば自分を定義できるけど、驚きなのはその段階の前にみんな「自分は◯◯思考です」とわかっているところ。
現にお二人も動画の冒頭から自分たちが言語思考だと分かっている。自分は記憶/演奏する時は視覚を使うけど言語化するのもそんな苦手ではない…。
とにかく衝撃的すぎて1時間何を話しているかわからなかった。こんなこと300回にして初めて。 (…びっくりしすぎて批判めいた文章になっているけどその意図はないです😢)
多分割合なんだと思う。「視覚:言語」、みたいにどっちの割合が多いかでみんなどっちかすぐわかるんだと思う。
あなたの場合は5:5ぐらいででどっちが優位か判断できないんじゃないでしょうか。
生まれたときは視覚優位者で教育によって言語を覚え徐々に言語優位になっていく人と視覚優位のままの人でグラデーションができるんじゃないかな。どっちかじゃなきゃいけないってこともないし両方あるくらいがバランスいいのかも
自分はどちらですと言い始めると、自分自身に対するバイアスがかかり始めるので、気にせず自分の感性を伸ばしていけばいいと思う。
自分も全部言ってから相手が理解して居ない所を説明します。
相手が天才なら無駄な事ですから。 (笑)
馬鹿でも分かった顔していること有るんですね。 困った。
言語も絵も図も全部使って思考してます。いっぺんに使うというよりは、思考内容にとって効率が良いと感じている方法を意識して使うようになりました。
例えば、今このコメントを送信するまでのプロセスですが、
①コメントを送信した世界線の「絵」を想像して、書くことを決意
②コメントの構成をどういうようにしたら論理的でわかりやすいかを「図」のイメージで検討
③コメントを入力するにあたって、言葉で整理
となっています。
え、スゴいですね😃 私も多分、言語・図・ビジュアルのミックスかなって思っていますが、そんな感じにプロセスしてないです!
コメントを書く場合なら、いきなり③をやって、文章の状態で整理したりしてます。
もしかしたら… 例えばプレゼンとか、何かすごく真剣にやりたい大きめな事柄に取り組む前には、そうした方法を使っているのかもと思いました(意識したことは無かったです)
@@eraliy_jp 共感いただけて嬉しいです。たしかに、私もざっくり言えばコメントについては言語が割合としてはかなり高いですが、具体例としてあえて細分化してみました。
そして、あなたにご返信いただけて気付いたのですが、絵を描く人にはよくある傾向なのかもしれません。
私もお金を頂く程度には絵を描くのですが、振り返れば小中高大と授業を聞き学問を収めるかたわらずっとノートなどに絵を描いていました。
言語で授業内容を理解しつつ、絵を描くマルチタスクをずっと続けてきたため、それぞれの切り替えや精度が高まったのかもしれないとも思いました。
これ過ぎる
だから時間かかるんよね
③は言葉以外のアウトプット方法の選択肢がないから書いてるだけで主な思考は①②では??
自分は文字打ってますけど言語として捉えてなくて音の響きと全体の仕上がりイメージを一塊で捉えて打ってる感じですね。文字は手段として使うけどただの素材って感じで、パズルのピースと同じ感覚です。ここにこれをはめ込んだら気持ちいいみたいな…
初めてコメントします。ゴリっゴリのビジュアルシンカーです。本を読むと同時に絵が浮かびますし、理解しにくい時は像を結ぶまで何回か読み返す時もあります。思考は図や絵よりも映像が多いかもしれません。それを言語化(翻訳)して人に伝えるのですが、そのままイメージを相手に転送できたらいいのになぁ、と思うこともあります。とは言え、思考を深掘りする際には言語化も大切だと感じてます。言語化すると客観視できるような気がして。
視覚思考と言語思考、どちらも長所短所があると思います。どちらかが苦手だからと敬遠せずに機会があればチャレンジしてみると面白い発見があるかもしれません。どっちも大事。
視覚思考の私、このコメントを書くのにも、メモに下書きして書き直してから書き込んでます。言語思考の人が絵を描く時に下絵を何度も描き直すのに似ているかもしれませんね。
視覚や感覚優位な私ですが、読書は好きですし、ゆる言語学ラジオも大好き!次回も楽しみにしています!
絵を描く仕事してます、ビジュアルシンカー寄りです!
感想文書くのは苦手だったけれどファンアート描くのは大好き。図形問題だけやたら得意。MBTI診断も楽しい。
お二人のような言語思考者の考え方はこんなにも自分と違うのかと、むしろそっちの方が驚きでした!
美大時代、展覧会に出す作品のキャプションを書かされるのがとても屈辱的でした・・。
作品に題名を付けさせられるのも大っっ嫌いでした・・・!笑
色や質感や湿度などなんとも言えないけど揺るがないイメージがまず先行してあるんですよ。
それを無理くり文字に置き換えちゃうとなんか解像度が落ちて陳腐になっちゃんですよね・・。
言葉に変換するのが勿体無いから取りこぼさないように絵で語ってるのに〜〜〜キィーーーーって感じです。笑
キャプション読んで分かった気にならないで!絵から感じてくれ!!そっちの方が鮮度高くてギュッと詰まってて美味しいでしょ〜〜!?状態です(?)。
キャプションなんてなければないほどいいヨォ。。。(個人の感想です)
このコメントを書いていても表したいことをちっとも言語化できなくて、アホみたいな文章になっちゃってで悲しくなってきました。笑
しかし、己の絵(脳内の写しでもあり商品でもある)を言語思考者にも売り出すためにも、もっと言語化能力を習得しないといかんなぁと痛感する今日の頃です。
ゆる言語学ラジオ、為になります!!
めちゃ涙が出ました。
言葉に出来ないところを世間から責められている様な気がしていて、劣等感を抱いて居たと思います。自分の性質このままで良いし、信じたいと思えました。
言語思考者です。中学2年生の頃に、明確にビジュアルで思考できなくなった!と思った瞬間があり、その瞬間以降急に図形問題なども苦手になりました。
私ずっと小学生の頃やらされた「読書感想画」っていう課題の意味が分からなくて、「本を読んだ感想を?絵で表す??なんだその美大生がやる様な課題は?!」って思ってたんですけれど、もしかして一部の人の救いになってたのかあれは…。
残念ながらなってないかと。
何故なら実際に求められる事は『表現』ではなく
『自分が感動したシーンを実写せよ』と言われているだけに過ぎません。
本当に感じたようにピカソの様な作品を提出したとて
先生に視覚的表現がわからなければ評価されません。
あれ何の意味があるんだろうなんて思います。
そもそも小中高の美術は美術の先生次第なのでアーティストの卵も潰される事は多いかなと思います。
先生が視覚思考であるかどうかが重要だったんですね!
読書感想画大好きでした。「そんな簡単なことでいいならいくらでも感想が書けるぞ。作品の不穏な空気を表現する灰色の背景に、異質な世界に迷い込んでしまった主人公の対比を鮮やかな青の服で表現、輪郭線は定規で引いたようにくっきりと際立たせれば大体の印象は描き出せるな」というようなことを即座に考えていました(視覚で)。
私もなんでもはなまる付けてくれる先生には自信を持って提出してました😂先生によるかも!絵に印つけられて「これはなんですか?」なんて書いてくる先生もいましたが、今思えば言語思考者の先生の純粋な疑問だったのかなぁと😅意地悪と思ってましたごめんね先生
国語の先生は言語シンキングですよね。
何で、画像イメージ描かせてそれを評価できるんだろう?
ストーリーのイメージを抽象表現したら評価は観た人の感性次第で教育に成らないかも?
多様性のアリバイ工作かな?
それとも、絵の説明を期待しているのか?
これを見て一個勝手に納得できたのが、日本語で話す時はビジュアルシンカーなのに、英語の時は、考えることに精一杯で文章を頭の中で想像してしまっていることに気がつきました。だから英語を話す時に、こんなにも考えてから発声するまでが遅いんだとわかってかなり納得です、、、!
視覚思考者です。
本を読む時は絵画的に景色が見えますが、仕事中はフローチャートが見えてる感じです。
「絵を通らないからね!」という一言に衝撃が走りました。
あ、見えてる絵を言語化しようとするから無理が出るんだーと納得しました。
図で考える視覚思考者です。
現在は数学の教員をしています。
空間図形は「見ればわかるじゃん」と思ってしまうので教え方に苦労しています。
幼少期から言葉と思考のずれを感じており、それがきっかけで語学にハマり、様々な言葉の中から自分の思考に合うものを探しています。
現在は日本手話が最もしっくりくる言語です。
英語等の欧米語はダメですね。
型に嵌まった言い回しで共有化しているので特許出願文書等で苦労します。
今迄に無い構造や動作原理に付いて権利を主張するので、
意外に、助詞や指示代名詞が豊富な日本語では複文でも誤解無く記述可能です。
英語は単文用の原語ですね。 単文で何度も記述すれば誤解されません。
たぶんmあなたは視覚思考者ではないと思われます。
数学は、右脳ひらめきですもんね😊
図形をパッと視覚だけで見てわかるなんて、まさにそうですね。
視覚思考者です。
3Dで部品を設計する仕事をしています。
会議や議論中は図やフローチャートを浮かべながら、
部品の形状変更等を検討する際は絵を頭の中に浮かべながら思考しています。
そこで金型抜きやプレスまで考えて設計してれば最高っすねw
言葉にする方が速いのめちゃくちゃわかるんだよな〜
着地点を喋りだしてから探すことがめちゃくちゃ多いし、自分で言ったことに感動することも頻繁にある
ビジュアルシンカーです。絵の仕事をしています。
記憶が映像で残るタイプで、
テストなんかだと頭の中で「教科書の何ページ目のここら辺に書いてあったな」という映像を思い浮かべて回答したり
一度通った道はほとんど忘れることがないです。
一方で言語に執着がないからか、
絵についてるキャプションを見た時は「絵で描いてあるのに、わざわざ言葉をつけるのもったいないな」
音楽も「音だけで伝わるのに歌詞がついてるのもったいないな」という感覚があります。
分かります。歌詞がない曲を聴きたいと思うことあります。
これ僕も全く同じですね、言葉で覚えるより俄然映像で、特になにか強く感じた映像は更に強く残ってて、本の情報とかは映像巻き戻して映る内容を見て思い出すみたいなこと良くしてます、デザイナーです
テストの回答の仕方、共感でしかないです!!!!!
まるでスクショしたようなかんじで、頭の中にイメージが残っていました。
@@hito_and_me
私も一緒です!そのページのどの部分を何色のマーカーでどのくらい引いたか、太字の文字の配置など覚えてました!
もしかしたら、テストの点数は良かったけど社会人になったら苦労したみたいな人は視覚思考なんでしょうか😅勝手な仮説
歌は言葉を綺麗に表現できる音を選んで作られて、音が言葉に影響して詞が洗練されると云うこともあります。
音楽だけが先行して後で詞が作られることもあります。
音符に無理やり押し込んだ歌詞は不自然で窮屈な感じです。 最近の歌に多いですね。
視覚優位or言語優位の話、自認の上では中性に近いような気がしています。
言語化の営みがめちゃくちゃ好きで、それが難しい話題に遭うとたまらなく嬉しくなります。
自分の中で成る言葉についてのみでなく他人の中から出てくる言葉にも強い関心があり、「それって他の似たものとどう違くてどこがどう良いと感じるの?」というような、聞く人によれば言語化ハラスメントど真ん中の受け答えをしてしまいます。
言語化することを道半ばで放棄してしまう人を見ると憐憫すら感じます。
その一方で言語化することの限界も感じていて、究極のところ言語は思考に追いつかないという諦観が根底にあります。
自分の外から多くを受け取っても言葉として音や文字になるのはその全部ではなく、またありのままでもないという意味で、思考の言語化は出力の限界がきつく絞られていると思っています。
漂泊する思考のある一部を掬いとり、構成するという営みは視覚化についても同じことと言えますが、言語化は曖昧さをきらうという点が大きく異なると思います。
ある意味では、言語思考者と視覚思考者の違いとは、そうした曖昧さをどの程度許容できるかという点にあるのではないでしょうか。
全部を掬い上げられないのに曖昧さを排してしまうことが不誠実に感じられて、「言語化には限界がある」と自戒しています。
これは、単純に私自身の能力不足のためという説もあります。
と、この殴り書きの乱文、体たらくを見れば、私は「言語化が好きだけど別段得意な訳でもない視覚思考者」なのではと結論づけられそうです。
視覚対言語比、8:2といった具合でしょうか。
ほかの方の内省も興味深かったです。
あと陰キャです
自分はずっと言語思考だと思っていたのですが、よくよく感じ直してみたら、頭の中に先にイメージや場面の連続が浮かんで、それを丁寧に言葉に紐づけていく作業が好きなんだと気づきました!面白い!!
色弱とマジョリティ・マイノリティの話すごく腑に落ちたー
絵(映像?)で思考するタイプです。
絵を描く人は「脳内イメージを念写したい」とが言いますが、ビジュアルシンカーならではの言葉なのでしょうか?
私自身も言葉で説明できないから紙とペンをくれ!とよく思います。
言葉がスラスラ出てくる人のことを「頭の回転が早い」と思って憧れていましたが、タイプが違うということなら自分のコンプレックスに対する考え方も変化しそうでワクワクする内容でした。
続きも楽しみにしています!
ビジュアルシンカーです。グラフィックデザイナーをしています。小学生の頃は「良薬は口に苦し」などを頭の中でベン図にして遊んでいました。
小説を読むときビジュアルイメージをしない人がいることに驚いたことがあります。
カタカナが苦手なのはすごくよくわかります。目が滑ってまったく頭に入ってきません。カタカナの登場人物の多い少女漫画や外国の小説が全く読めません。世界史は全滅でした。
大人になって読書を多くするようになったら、「言語で思考する」というのができるようになり、「あ、わたし今言語で思考してる!」と自分でびっくりしたことがあります。
タブンワタシモビジュアルシンカーデス
ワタシハニホンゴナラカタカナデモナンナクヨメマスガ、エイゴノオンドクダケガチメイテキニデキマセン
I can’t read this text well with my voice😢
まずベン図を小学生の時点で知ってるのもすごいし、自力で論理包含に辿り着くのもすごい
宮沢賢治は天敵やなw
高校の時、日本だけより世界のこと知れた方が面白そうと思ってとったけど
似た名前のなんとか何世が多すぎて、全く面白くなかった
脇道にそれたエピソードトークでもあれば面白かったんだろうけど
字面を追うだけのただの記憶作業で退屈だった
自分は明らかにビジュアルシンカーの図派です
初めて世間との大きなギャップを自覚したのは世界史の教科書ですね
高校の頃、世界史の教科書を見ても読むのが苦痛で全然覚えられなかったけど、大学に入ってから各国の勢力の遷移を世界地図上で解説する動画を見て簡単に理解できました
建築屋です。頭の中の絵を図にするのは誰でもできますが、それを 他者にに言葉で伝えるのが最も肝要です。ビジュアルシンカーであると同時にそれを言語化できる才能は得難いモノだと思います。