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吉原の側には山谷堀と呼ばれる小川があってここでは浅草紙と呼ばれる今でいうちり紙が作られていた。お察しの通りこの紙は吉原に卸され情事のために使用されていた。この紙を作るとき数時間紙を冷やさなければいけない行程があり山谷堀の職人たちにとってはこの時はどうしても暇な時間になってしまう。そこで職人たちは時間潰しがてら近くの吉原へ物見遊山をするようになった。やがてそれが遊女たちの間にも知られることになり金を使わずただ見て帰るだけの職人たちを紙の製造行程に準え『冷やかし』と呼ぶようになった。これが『冷やかし』という言葉の語源。
現代でも、お店とかで物を買うわけでもなくただ見るだけで帰るのが「冷やかす」ですが、金を使って遊ぶわけではなく、遊女たちをからかって時間をつぶしていたわけで、だから「からかう」ことも「冷やかす」と言います。意味の異なる二つの「冷やかす」ですが、どちらもここから来ています。
米田昌昭 g
へえーこれは知らんかったわ
1人の遊女にとっては、冷やかし1000人、客100人、間夫(気に入り客)は10人、恋(愛人)1人と言われました。
単なる風俗街であると思っていましたが、吉原を保持するための町民も一緒に住む巨大な街だとは初めて知りました。
突然娘が消えたら吉原を探せ という言葉があったらしいですね
江戸には公共の尋ね人専門の掲示板があってそこに行方不明の女性や子供を探す情報が絶え間なく乗っていたらしいですね。娘を買い取るのとさらって売るのとじゃ儲けが違うし吉原の性質上店に引き渡してしまえば足が付きにくいというのもあったんでしょうね。
まぁ人攫いが多かったからな
小学生時代に見た夢で、夢の中で自分が4歳か5歳くらいになっていて、とても自分の父親とは思えない、やたら屈強な体格な成人男性の肩車に乗せられて、とても豪華で華やかな街並みを散策する夢を見た事がある・・とにかくむちゃくちゃ、お祭りか!!ってくらい、華やかなで、格子の向こうの畳の間には、丸見えな複数の女性たちが・・そして、その女性たちの一人が「かわいい坊やだね・・顔をそっぽ向けるなんて、あたいの事が嫌いなのかな!?だったら、これで機嫌治して!!」って、風車か何かを手渡しで貰って、色々と散策させられた夢を見た事があります。
前世だったりして、、、
前世の記憶
4~5歳で見世を冷やかしに行くとは何という・・・(`・ω・´)
確か 観光地 で 昼間だと 女性や子供も行けたとか 花魁道中 子供も普通に見てたとか
自分も何回かにわたって昔っぽい夢を見たことある。土っぽくて狭い道を歩いてるんだけど、右の家も左の家もぺしゃんこで、少し歩いていくと浜に出るってゆう内容だった。一際大きな家?みたいなところに大仏みたいなものが置いてあったのも覚えてる。昔に見たから曖昧なとこもあるけど。
東横インを探すため、千束ってどこですか?と地元のおばさんたちに聞いて回ったら変な感じになったwwまさか吉原が千束にあるとは知らずにww
江戸時代の話の映画じゃあないけど吉原炎上も吉原の人間関係等しっかり作ってて面白かった印象ありますね
1日に千両を稼いだ魚河岸、芝居、吉原を「日千両」と言い、またシャレで「鼻の上、下、へその下」とも言いました。鼻の上は目で、目で見て楽しむ芝居、鼻の下は口で、食べて楽しむ魚河岸、そしてへその下は、、、、(笑) 江戸の人はこういうシャレがうまいねー
魚河岸は将軍様のお台所で魚の強制召し上げ。吉原は年間二千両も南北奉行所に上納。江戸の治安を担っていた。芝居は小屋主が相当な上納金を御上に収めていた。宮地芝居なら寺社に上納して身の置き所を確保。江戸で稼ぐにはそれなりの負担があったようです。
yukiusagi333 なるほど、そうですか。まあ、その代わりにそれなりに幕府の庇護(御免)を得ていた訳でしょうね。
@@piz2010 様皆様の蘊蓄拝見すればするほど百万都市江戸の凄さを感じます。
その数少ない女子リスナーです(笑)程よく詳しく長めの動画だけど勉強になるし楽しかったです。ドラマでは見れなかった裏側がわかるの良いですね
昔は遊女がここで頑張ってたんだなって考えながら吉原を歩くのが好き。
江戸時代の事色々興味があって、遊郭に興味を持ったらまたこのチャンネル登録しました。導入として分かりやすい説明ありがとうございます。
霊夢「3回通ってようやく床入り。凄く金掛かるよ」視聴者「マジかよ〜!たけーよ!」霊夢「何度も堕胎して身体はボロボロ」視聴者「かわいそう」さっきまで鼻息荒くして、床入りの事ばかり考えていた人が。よそ様に抱かれた始末に対して哀れむと言うのも不思議な光景だね。そりゃあ床入りしたい客に答えたければ、初見さんでも寝室に案内すれば良いけど。妊娠のリスクも、遊女の負担も見世は分かってるんだよ。だから「2回そっぽ向かれても腹を立てない寛大な心」を持ち「経済的にもゆとりのある」客に対してようやく床入りを許した。見世なりに遊女を思って、なるべく抱かれない様に出来る限りの対応は施している事もお忘れなく。つまり、ボロボロになる遊女は。「引手茶屋も通さず」「初回で床入りを迫る」ケチで余裕の無い客と。それを許す愚かな見世になる。吉原全ての見世が、そんな非情な所だと思い込まないで下さい。
以前ゲームで遊女へのプレゼントにお菓子、簪、布団って選択肢が出て、ネタアイテムかと思って布団を選んだら仲間キャラに解ってるねー!みたいな反応されて???ってなったけど綿がたっぷり詰まった布団は立派な財産だったって説明されてビックリしたことがあります
今やトルコ街、うちのおばあちゃんが花魁でタバコもキセルだったばあちゃん。もう生きていない、30年前以上の話し
テレビドラマ「仁」を思い出しました。
鬼滅の刃思い出した
@@nandemonaoshi49みやな ま
@@user-cz9bj6rz6j ?
年季が明けても吉原での生活しか知らないから表の社会では生きていけない人間になってしまったのだろうならば自分が必要とされる場所で生きていこうと思うのは至極当然とも言える例えそれが自分を苦しめた「吉原」であったとしても
吉原の定年は28歳でした。一生出られないというのは嘘。大体平均寿命45位だから余命は17年だね。居たくとも居られないシステムになっている。やり手以外にそういう婆さんばかり増えたら夢も醒めて通う男も減るでしょう。年季があけるとか定年で借金も無ければとにかく女が少ない江戸の町では紺屋高尾みたいにどんどん結婚したし借金があれば宿場女郎とか岡場所に住み替えた。吉原はあくまでも教養のある美女集団がブランド。
@@yukiusagi333 当時の平均寿命が40代なのは、40代で死ぬ人が多いのではなくて10歳にも満たない子供の死亡率が高くて平均値を下げるからですよ。あと年齢の数え方も現在と違う点に留意(´・ω・`)
私は、吉原と言えば「見返り柳」を思い出します。あと、「中見世」という言葉が出てきましたが、浅草の「仲見世」と何か関係があるのでしょうか?江戸っ子特有の「洒落」というやつ?落語などでよく出てくる吉原は「新吉原」の方を指すんですね。吉原周辺は今でも風俗店(ソープランド)などがあり、遊郭としての名残り(?)がある様に思えます。あと、花魁に関するエピソードは歌舞伎・落語・映画に度々登場します。映画では「吉原炎上」なんかがそうです。品川区にある「かむろ坂」も吉原に由縁のものです。サブチャンネル「zero sen」では是非とも明治・大正・昭和期の吉原の移り変わりと、映画「吉原炎上」の元ネタや吉原遊郭の終焉などをお願い致します。m(__)m
太夫と聞いて最初に浮かんだのが、小梅・・・。
わかる
毒蝮三太夫……。
笑った‼️🤣
グレート…
Ry O ウケた❣️😆👍
歴史解説とか、テレビでも好きだったけど、TH-camだと色々見られるって最近知りました。興味深いチャンネルを見つけられて嬉しい。ありがとうです
コウメ太夫って最上級の花魁だったのか…
今と違って当時は風俗に通う男の方がちゃんとした男として見られて居たんだよね逆に風俗にも通えない様な男の方がダメ男だと言われてた
新造には、番頭新造と留袖新造と振袖新造が居た気がするのですが。番頭新造は年季が明けてからも郭で女郎のマネージャーみたいな事をする人。留袖新造は、そんなに出世が見込まれない新造で、突き出しも道中はさせて貰えなかったとか。振袖新造は、エリート街道の引っ込み禿から花魁になるべく育てられた女の子。突き出しは姉女郎の同輩から振袖を貰い7日間道中したとか。諸説ありますが、私が聞いたのはこんな感じでした。
10歳以上で売られてくると、教育期間が足りず殆どが留袖新造にされたらしいねどちらがいいのか、なんともかんともだな……
今で言うと風営法とかなんだろうな。ウシジマくんをみると借金を作らせての人身売買は今も変わらないけど、保健所があったり、古今東西変わらない風俗。
成人式に花魁の着付け、、あれだけはいただけない。確かに艶やかで綺麗な姿だけど、結局は売春婦…私が親なら止める。
あの着崩し方は花魁ですらありません、あれは夜鷹です
@@persimmon_oyster 何が違うのですか?
っつか、背筋がピンとした教養と品のある美女しか似合わないから着ちゃいけない。花魁は高い教育を受けたくさんの場数を踏んだ人だから。
遊廓が栄えた時代でも、花魁の身なりは素人さんにも真似されてたみたいだし、なにも別に変わらないと思うんだけどなあ、モデルさんの真似をするのとそこまで違うものなのかなあ
しかもあれは花魁じゃないしな。キャバ嬢がそれっぽくしただけ。本物はもっと襟しめてるし、品も気高さもある。
今でも、吉原だけでなくフーの業界でも「お茶を挽く」という隠語はあるよ。
年季奉公として十年ほど。田舎から買われてきて禿時代から水あげ、床滑りまできっちり勤め上げて見受けされたり、お茶やお花、歌舞音曲の師範になったりパトロンを得て小料理屋のおかみになったり。むろんそのまま何かしらの仕事でい続けたりランクの低い遊女として他の場所へ移ったり、年季奉公も務まらず性病や病気で亡くなったりといろんな人がいただろう。そこは苦界としか言いようがないけども、それでも吉原のすごいところはただの売春窟ではなく、日本で最高級の磨きぬかれた芸と美貌と知性を持つ女と、お金持ってるだけじゃない選ばれて遊ぶことができる男との駆け引きの場だったことだろうな。今でも銀座や新地の最高級ホステスや風俗でも一日貸し切りコースで選ばれる女性は美貌だけではなく、男性を魅了する知性と会話の技術を持ってないと務まらない。むろん男の方も、そんな女性と時間を共にできる資格がないと遊べない。
さいたま2000さん古典的見解は其の通り。現代の姫様は個人事業主、所属は飽くまで業務提携 備品や必要経費は自己責任で自己負担します。確定申告も行います。困るのが職業名称 姫様に伺った処、広規な表現として コンパニオンで通るそう。確かに店の募集要項にはコンパニオン募集と在るが?範疇が広過ぎませんか?
この時代は貨幣価値の変動が激しいから、1両の値段を現代に換算するのって、結構難しいんだよな。少しでも時期が違うと価値が全然違うから。
お叱りを被ること覚悟で申し上げるならば、当時の人々は遊女達の、その儚さに思いを寄せて、吉原に憧れたのではないだろうか・・・・。
イヤ必要悪。特に庶民は女の割合が1割くらいでうかうかしていると一生独身。
それだけ稼いでも、吉原からはなかなか出られない・・・かわいそうだなあ
吉原の太夫を身請けした殿様がいたなあ、榊原政岑、そのせいで若隠居させられた上姫路城主まで取り上げられたけど、紀伊國屋文左衛門が一番景気が良かった時に贅沢の極みをして揚屋を借り切り小判をばら撒いたとか、徳川光圀の若き日は吉原通いしていたし、伊藤博文も派手に遊んだ記録があるし。
伊藤博文は「女好き」として有名でしたからねww。
松下雅訓 名前が読めない
@@sjfaow 政岑(まさみね)だそうです。
事もあろうにご老公様が郭通い?時の将軍→暴れん坊将軍 しかし将軍家には私設ソープランド「大奥」が存在するのに わざわざお忍びで....お世継ぎ製造と遊び方は別物?😤
@@rantaro-fl9yl1pn6c さん内閣府にモノ申す。初代総理大臣たる人物が遊郭に通いつめ 妾、愛人を囲い 淫行、破廉恥、助兵衛の限りを尽くす。幾ら政治的手腕に優れて居ても 人間として駄目であります。😰表向き 偉そうな能書きを垂れ 其の実、陰で女人をひぃひぃ言わせて....😤
夜遊びしてた頃(今もだけど)祖母に「お前はヨタカか!」と言われた事を思いだし‥‥あれって「夜鷹」の事だったのね。ひでぇ‥‥
ワロタw漢字でないと何言ってるか判らないよな。
はるか昔の子供の頃、午後の明るい時間にお風呂に入ると父に「ヨタカじゃあるまいし」と叱られた。時代劇見てた時、簀巻をもって客を待つ人をヨタカというのだと知った、、知ったがなぜ叱られたかいまだに分からない。父は心配していたのだろうか??何に??
@@user-rn2vs8oh7q おー!それ!明るい時間の入浴時も言われました!夜鷹さん達のタイムスケジュールは全国共通なのか??
うけるww笑ったw
Mitzel h. 可能性としては、あなた様のご両親も、同じ事をして…ご両親(あなた様から見て祖父や祖母で、あなた様は、お孫さん)に言われた事があるのかも…🤔
興味があって吉原やら遊女やらを調べていた時期があったんだけど、現代人からしたらどうにも魅力的に見えるんだよなー。悲惨な状況であったとしてもそれを客に悟らせないような気品ある花魁はまさに高嶺の花ってかんじで羨ましく感じるんだな。
Gjjkk
こんな深夜でも見ちゃうんだなあ、これが!!
「◯◯ありんす」は吉原言葉で江戸言葉ではありません。何処の地方から来た娘か判らないようにするためです。同じ地方から来た娘と判って、同情して駆け落ちする事を防ぐためです。吉原に限らず、有名な遊郭街には必ずありますよ。
shiba mofumofu 廓言葉ですよ。
遂に暴れん坊の登場....物凄く楽しみです。
昔、吉原の鎮魂碑がある公園みたいなとこに、行ったことがあるのですが、怨念のような、ぞっとする気配があって、あわてて逃げた記憶があります。大正時代、森光子という人が、吉原での手記を残してて、コミックにもなってるので、実際の悲惨さを多くの人が読んで知ってほしいです。森さんは、柳原白蓮のところへ逃げてたすけてもらい、朝ドラ 朝がきた では、壇蜜さんが森さんがモデルの女性を演じてました。
最低3回通わないと行けないってのも歌舞伎なんかで誇張された表現かもしれないそうだけどな。もう太夫が消えて花魁が最高位になった時代には面倒が少ない吉原以外の大衆店に押され始めて花魁も勿体ぶったりする余裕なんてなくなっていたらしい一度に何人もの客を掛け持ちして手が回らなくて放置って事があったくらい
なるほどー市場の原理ですよね
吉原炎上が吉原とのファーストコンタクト
因みに「吉原」の語源は遊廓の開拓者・庄司甚内の出身地が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と、葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説がある。
恋愛シミュレーションの付加価値がすごい。相手に困らない人だからこそ逆にそこに価値を感じるんだろう。
吉原と言えば仙台藩3代藩主「伊達 綱宗」かなぁ意にそわぬ身受けをされ靡かない太夫を切り捨て、大門横の柳に吊るしたとか・・・。
高尾太夫の話は俗説と言うか創作だよ。後西天皇の従兄弟の所為で伊達騒動後隠居させられなんだろうな。それ以降伊達家は結構従順になっているからね。
手引き茶屋ではなく、引手茶屋ではないでしょうか?
「引手茶屋」ということは「引手数多」の語源ということでそしようか?
苦界の苦界たる悲惨さを語らないのは逃げか配慮かどっちだろう?
どっちにしろだろう?その悲惨さを語るのが難しいからかな?
元は「葦原(あしはら)」ですよね、「あし」は験が悪いので「よし」と呼ばせて漢字も変えて「吉原」と変化。夜鷹は二十四文って話があるが、蕎麦が十六文の時代だから数百円か、安いけれど怖いですね。
田中利治 客ふたつ潰して夜鷹三つ食い、ですね
@@user-rb2uc4tq9r さん 時蕎麦は一文銭で支払いますが、実際には四文銭じゃなかったのかなと思います。 四文銭、今だと 100円玉くらいですね。
田中利治 いわゆる波銭ですね。元祖100円ショップの四文屋ですね
華やかに見えるけどかわいそうだし、こんな世の中だったことが信じられない。おぞましい。
遊郭の建物は千と千尋の神隠に出てくる風呂屋の建物みたい。吉原は経済面からみれば必要悪だったのでしょう。それと、内容と関係のないつっこみで申し訳ないですが、いちおうまだ女のアラフィフBBAもチャンネル登録してるぜ。
実際に遊郭をイメージしているそうですよ❗️✨☺️✨ お客様は八百万の神様や妖怪だけど笑笑
マジ話だけど、吉原界隈や川崎堀之内、ほとんどの風俗の建物が古いのは風営法の絡みで新規で建築してはいけない縛りがある。外壁はきれいでも昭和30~40年代の建物なので耐震性はヤバい。今ある店舗だけでも、現在の状況に鑑み部屋数を同じにして建て直してもいいとは思うけど…。近い未来、地震が来たら風俗街は建物は崩壊するのは間違いないです。
@@yuuukizurako39 湯屋じゃなかったっけ?まあやることは同じだけど
私、静岡の在ですが、吉原は家康が駿府城の南にあった遊郭の一部を江戸に移転させて作ったと聞いています。昭和の時代まで健在でしたが、残念ながら 売春防止法なるつまらん法律のおかげで消滅してしまい、その跡地は静岡地震センターになっています。二丁町遊郭と言うそうです。会社の先輩はその存在を知っていて、面白かったそうです。最後は朝鮮の女性が多かったと言ってました。この二丁町遊郭の本が出版されてます。興味のある方探してみてください。
「人身売買は禁止だから担保物件の留置権を行使する」現代的解釈だとこうなるのか?法律に詳しい方いたら解説希望 !!
大正解!です。
どちらかというと質に入れているというかんじですかね。例えばマイホーム購入の際に、ローンの担保として買った土地を担保物件としても、銀行はローン返済が滞らない限りはその土地を自由に使えませんし、占有できていない以上、留置権の行使ができません(民法295条)。質権設定からの、質物留置(民法347条)が妥当なところかと思います。勿論、現法でそのようなことは認められないことは大前提なのですが。
投げ込み寺という通称のお寺で御朱印貰う女性が多いらしいけど、多分この歴史は知らないでしょうね。
そんなアホな人がいるんだ?!
ですおいら 歴史に興味無い人だったら知らない事もあるでしょ。なんでそこまで頭回らないの?アホはどっちだよ
水戸黄門のジジイ正義の味方のツラして女遊びやっていたとは。やっぱり副将軍はいいご身分だな。
花魁の由来にもう一つ説があって、客を化かすからというのがある。狐は人を化かすときに尻尾を使うが、吉原の遊女には尾は使わない → 尾は要らん → 尾要らん → おいらん → 花魁まあ、こっちは花魁という呼び方が出来た後から洒落てつけられた理由だとは思うけど(´・ω・`)
「三千世界の鴉(カラス)を殺し主(ぬし)と朝寝がしてみたい」粋だね✌️
吉原遊女が廃止になって、その後残った遊女達はどうなったのか、知りたいです!
「吉原」というか、江戸に夢を見すぎw「商品」を「大切」にするのは別に「人情」じゃないよ。「商品」が「売物」にならなくなったら冷酷非情に捨てちゃう。だから「苦界」なの。花魁を「馬」、男性従業員を「牛」と呼んだんだけど、意味わかる?
一部は、トルコ風呂やソープランドに転身したそうです!
@@琉-n6q なるほど!トルコ風呂!!!?調べてみます!
@@Teme3960 お役に立てて良かったです!!
@@Teme3960さん、すんません。宛先間違えて貴方にレスしちゃいました。
とても良かったです。あと、リクエストなのですが、日本のゲイ(ホモ)事情や新宿2丁目などのゲイタウンの歴史についても教えていただけると幸いです!よろしくお願いいたします!
古典落語で「紺屋高尾」って話がある。無事年季があけた高尾太夫が純朴な染め物職人のところに嫁ぐ話。昔、立川談志で聞いたのだが、you-tubeで志ん朝、談春、などが聞ける。
現代風にアレンジした談笑さんの「ジーンズ屋のです。ようこたん」も面白いですよ
それは知りませんでした。昔、フジTVで深夜に「らくごのピン」という番組で立川流一門と小朝が出ていて志の輔、志らく、らにハマりました。今度、聞いてみます。
女性の一定数の「○○嬢」に対する憧れや作品数ってなんなんだろう?と時々思う自立した女性のシンボルとして見てるなら大方間違ってると思うし良くわからないです
優越感じゃね
江戸時代の芸能界ですよね。
花魁祭りとかあるけど、あれって花魁が何なのか分かってるのかね?
裏ルートまであるとは凄いね🦅
・身売りされても親との面会禁止ではなく、よく娘に会うために親が訪ねてきた。・元遊女だとしても世間からの差別意識は薄かった。うろ覚えですが「逝きし世の面影」という本にはそう書かれていましたよ。
鬼滅の影響でいろいろ調べるようになったけど、本当にすごい世界だよなぁ…
下女よりは人気の商売で、農村から下女で働きに来て、遊女に職替えするような商売です。あと10歳から働くのは当時では普通。その他、当時としては普通のこといろいろ...。
花魁はファッションリーダーでもありましたしね
明日花キララに憧れる様なものか…
花魁とかかっこ良い名前付いてるけど、病気貰ったら終わりだからな。
禿「おいらんとこの姉さん」→花魁
キター!
華やかな一方で梅毒に罹れば鼻も落ちて苦しみながら死んでゆくのよね…
床入りするまでの投資に比べれば、入浴料のほかに必要なサービス料なんて屁でもないな、現代吉原。の筈だけど、吉原遊びは現代でもそうそう気軽にはできぬ。
昔から好感度システムを使ったTRPGやってたようなもんか・・しかも、ギャルゲーと同じシステムで・・!!
落語の廓噺もあながち全て誇張…と言う訳ではないんですな
今は吉原の地名は無いけどとある交差点の信号機の上に吉原大門の看板が掲げてられてる所があってそこが大昔の吉原大門の跡地らしい!あと今の住所は台東区千束だ!
近くに 吉原神社が ありますよ。
@@darie539 それは初耳!教えてくれてアリガトウ!
4日前に吉原の高級店に行ってきた
こういった部分が歴史には埋もれてしまって、豪華絢爛な部分だけが誇張されるんですよね。ところで、1日に千両動くとかいう伝説ですが、その金銭はどこに消えてたのでしょうねぇ?まわりまわって、幕府に吸い取られてたのでしょうか?この大金の動きについては語られないですが・・・何かあるのでしょうか?
家を買ってあげるくらい浪費するラブプラスみたいな場所だったんだな…。
まっさらな娘は一級の店で働けるけど、病気持ちになったりしたら、路地裏や、外れに移っていく。社会保障もないから、どんなに安値になろうとも体を売り続けなければいけない。娘を売った家は家はその後どうなったんだろう?娘を全員売っていくのか?その後は平和に暮らしたのか?
おいらん姐さん だったかなマンガで面白かった自分の禿に琴の稽古だけは厳しくしてたシーンで年期があけたら琴のすじだけはいいから、それで生計立てれるようにという、、
見返り柳今は見返せばシェルのスタンドw
「吉原炎上」全てがこの映画に描かれてるよ(笑)
tonton tonto. 海藻煮てるとこしか思い出せない、、
百合セクロスと太もも噛んでー!しか思い出せない
冒頭で緒形拳が役人かなんかの役で登場してたっけ(´・ω・`)?
もう一つ、吉原に少し関連した話吉原があるのは現在の台東区。台東区は江戸城から北東の方向にあり北東は鬼門にあたる縁起の悪い方角だった。そのため鬼門から守るために建てられたのが徳川家の菩提寺の1つである寛永寺そして台東区、とくに隅田川沿いにあたる地域は江戸時代から今でも皮革業が盛んな地域、そうつまりここは江戸時代は穢多や非人のような差別階級が多かったのだ。さらにその隅田川の上流域には南千住の小塚原刑場もあった。幕府が吉原を鬼門にあたる北東部に移したのも売春業に後ろめたいところがあったかもしれない。ちなみに明暦の大火以前は隅田川から東の地域は江戸の範囲には入っていない(そもそもそこからは当時は武蔵ではなく下総であった。明暦の大火後に現在の城東にあたる地区が武蔵に編入)ので江戸市街の最北東は台東区と荒川区の東部あたりだった
映画「吉原炎上」では、年季明けの遊女が吉原を去る風景が描かれている。
いやで、逃げて、親指を切られて、鼻緒を履けず、指を一本づつ落とされて、鼻緒のない便所下駄を女郎下駄ということです❗
太夫は読み書きは勿論、歌が上手くて踊りも出来て、漢詩に通じ、字が綺麗で政治の話も出来る人じゃなきゃなれなかったらしい。そして美人なのは当たり前。世界中に娼婦は存在するが、娼婦が客を選ぶなんてのは吉原くらいじゃないのかな。娼婦に社会的地位が認められていたというのは、素晴らしいことだと思うんだぜ。
映画「吉原炎上」は名作です。
こういう時代があったことを私たちは忘れてはいけないと思います。江戸時代の光と影……明治維新で江戸時代の全てが文明開化という言葉に掻き消されて行った。明治維新は西洋文化が入ってきたが、日本文化を否定した歴史でもある。日本の文化は江戸時代にある。この美しい花魁道中も日本の歴史の1ページ。大門の中にいた女性の哀しい人生も歴史の1ページであり事実。タイムスリップして江戸時代を見てみたい。吉原の煌びやかな世界も見てみたい。煌びやかな世界の裏には女性の哀しい人生があることも、当時の人は知っていたのだろう。大門の中の女性たちは哀しい人生であったが、プライドを持っていたように思う。江戸時代を知る度に、今の日本人が忘れてしまったものを感じて切なくなる。
今のスーパーチャットみたい
桜ルートは闇
貧困から売られ、もしくは良家に生まれたはずが没落して売られ、地獄を生き抜いてトップの娼妓となり、そんな背景など1ミリも見せずに凛として歩く花魁、どこまで行っても囚われの身な事に変わりは無いが、その中でも矜持は失わない自分女だけど正直そそるよね男だったら絶対抱きたくなる
当時の遊女たちは世間からはどのような目で見られていたのでしょうか?かわいそうだな、とか、遊女なんて、とか。
13:26 当然Mrダンディー行くよね!
現在の吉原も周囲とは別世界ですね
時代の妖怪話が聞きたいな
人形町は問屋街で、被服生地や印刷包装紙を扱う問屋が多いですね。あと、香水輸入の商社もあったはず。そっかぁ、初めの吉原が人形町あたりに位置したため、当時の商売が根付いたのでしょうネ。
芸能界と全く同じ。
女衒みたいなプロデューサーもいますしね。
浅草のその墓地へ行ったことがある。
昔は、しらびょうし、夜鷹などと呼ばれ、むしろやござを持ち、袖ひきをしていました。が身分を与えたのが、我が先祖です。
だいたい今の千束四丁目全ての敷地が吉原だったとか・・・うぅ~む。昔の煙管で羅宇を回せる小さい煙管があり「三味線の絵柄」と「春画」と「二ヶ所の無印(初期位置)」の絵柄を変えられる煙管がありましたね!古道具屋で非売品でしたがね!。
ゲームで見たってのは龍が如くかな?花魁道中も綺麗だった。
男の土方力仕事より数倍過酷な事させられてたんだよな!?昔の女性は本当に虐げられた歴史があったんだよな!?日光などで花魁道中を見て凄く華やかで綺麗に見えるけど、好きでも無い男に抱かれたんだよね給料も貰えずに、昔と違って今は希望してソープ嬢入れるし高級取りで働けるけど、華やかな道中見ても歴史思うと素直に見れない自分がいるよねその排他的な陰を重ね合わせると魅惑的な芸術感が浮かび上がって来るのかな!?何か複雑な心境ですね(T_T)
手引き茶屋=今で例えると無料案内所
光なんて無いんじゃない!?
後ろの魚が気になって・・😅
𠮷原炎上という映画が思い出されます
白色電球握りつぶす奴だっけ(´・ω・`)?
吉原の側には山谷堀と呼ばれる小川があってここでは浅草紙と呼ばれる今でいうちり紙が作られていた。お察しの通りこの紙は吉原に卸され情事のために使用されていた。この紙を作るとき数時間紙を冷やさなければいけない行程があり山谷堀の職人たちにとってはこの時はどうしても暇な時間になってしまう。そこで職人たちは時間潰しがてら近くの吉原へ物見遊山をするようになった。やがてそれが遊女たちの間にも知られることになり金を使わずただ見て帰るだけの職人たちを紙の製造行程に準え『冷やかし』と呼ぶようになった。これが『冷やかし』という言葉の語源。
現代でも、お店とかで物を買うわけでもなくただ見るだけで帰るのが「冷やかす」ですが、
金を使って遊ぶわけではなく、遊女たちをからかって時間をつぶしていたわけで、だから「からかう」ことも「冷やかす」と言います。
意味の異なる二つの「冷やかす」ですが、どちらもここから来ています。
米田昌昭 g
へえーこれは知らんかったわ
1人の遊女にとっては、
冷やかし1000人、客100人、間夫(気に入り客)は10人、恋(愛人)1人と言われました。
単なる風俗街であると思っていましたが、吉原を保持するための町民も一緒に住む
巨大な街だとは初めて知りました。
突然娘が消えたら吉原を探せ という言葉があったらしいですね
江戸には公共の尋ね人専門の掲示板があってそこに行方不明の女性や子供を探す情報が絶え間なく乗っていたらしいですね。娘を買い取るのとさらって売るのとじゃ儲けが違うし吉原の性質上店に引き渡してしまえば足が付きにくいというのもあったんでしょうね。
まぁ人攫いが多かったからな
小学生時代に見た夢で、夢の中で自分が4歳か5歳くらいになっていて、とても自分の父親とは思えない、やたら屈強な体格な成人男性の肩車に乗せられて、とても豪華で華やかな街並みを散策する夢を見た事がある・・
とにかくむちゃくちゃ、お祭りか!!ってくらい、華やかなで、格子の向こうの畳の間には、丸見えな複数の女性たちが・・
そして、その女性たちの一人が「かわいい坊やだね・・顔をそっぽ向けるなんて、あたいの事が嫌いなのかな!?だったら、これで機嫌治して!!」って、風車か何かを手渡しで貰って、色々と散策させられた夢を見た事があります。
前世だったりして、、、
前世の記憶
4~5歳で見世を冷やかしに行くとは何という・・・(`・ω・´)
確か 観光地 で 昼間だと 女性や子供も行けたとか 花魁道中 子供も普通に見てたとか
自分も何回かにわたって昔っぽい夢を見たことある。土っぽくて狭い道を歩いてるんだけど、右の家も左の家もぺしゃんこで、少し歩いていくと浜に出るってゆう内容だった。一際大きな家?みたいなところに大仏みたいなものが置いてあったのも覚えてる。昔に見たから曖昧なとこもあるけど。
東横インを探すため、千束ってどこですか?と地元のおばさんたちに聞いて回ったら変な感じになったwwまさか吉原が千束にあるとは知らずにww
江戸時代の話の映画じゃあないけど吉原炎上も吉原の人間関係等しっかり作ってて面白かった印象ありますね
1日に千両を稼いだ魚河岸、芝居、吉原を「日千両」と言い、
またシャレで「鼻の上、下、へその下」とも言いました。
鼻の上は目で、目で見て楽しむ芝居、鼻の下は口で、食べて楽しむ魚河岸、
そしてへその下は、、、、(笑)
江戸の人はこういうシャレがうまいねー
魚河岸は将軍様のお台所で魚の強制召し上げ。
吉原は年間二千両も南北奉行所に上納。
江戸の治安を担っていた。
芝居は小屋主が相当な上納金を御上に収めていた。
宮地芝居なら寺社に上納して身の置き所を確保。
江戸で稼ぐにはそれなりの負担があったようです。
yukiusagi333
なるほど、そうですか。
まあ、その代わりにそれなりに幕府の庇護(御免)を得ていた訳でしょうね。
@@piz2010 様
皆様の蘊蓄拝見すればするほど
百万都市江戸の凄さを感じます。
その数少ない女子リスナーです(笑)
程よく詳しく長めの動画だけど勉強になるし楽しかったです。ドラマでは見れなかった裏側がわかるの良いですね
昔は遊女がここで頑張ってたんだなって考えながら吉原を歩くのが好き。
江戸時代の事色々興味があって、遊郭に興味を持ったらまたこのチャンネル
登録しました。導入として分かりやすい説明ありがとうございます。
霊夢「3回通ってようやく床入り。凄く金掛かるよ」
視聴者「マジかよ〜!たけーよ!」
霊夢「何度も堕胎して身体はボロボロ」
視聴者「かわいそう」
さっきまで鼻息荒くして、床入りの事ばかり考えていた人が。
よそ様に抱かれた始末に対して哀れむと言うのも不思議な光景だね。
そりゃあ床入りしたい客に答えたければ、初見さんでも寝室に案内すれば良いけど。
妊娠のリスクも、遊女の負担も見世は分かってるんだよ。
だから
「2回そっぽ向かれても腹を立てない寛大な心」を持ち
「経済的にもゆとりのある」客に対して
ようやく床入りを許した。
見世なりに遊女を思って、なるべく抱かれない様に
出来る限りの対応は施している事もお忘れなく。
つまり、ボロボロになる遊女は。
「引手茶屋も通さず」
「初回で床入りを迫る」
ケチで余裕の無い客と。
それを許す愚かな見世になる。
吉原全ての見世が、そんな非情な所だと思い込まないで下さい。
以前ゲームで遊女へのプレゼントに
お菓子、簪、布団って選択肢が出て、ネタアイテムかと思って布団を選んだら仲間キャラに解ってるねー!みたいな反応されて???ってなったけど
綿がたっぷり詰まった布団は立派な財産だったって説明されてビックリしたことがあります
今やトルコ街、うちのおばあちゃんが花魁でタバコもキセルだったばあちゃん。もう生きていない、30年前以上の話し
テレビドラマ「仁」を思い出しました。
鬼滅の刃思い出した
@@nandemonaoshi49みやな ま
@@user-cz9bj6rz6j ?
年季が明けても吉原での生活しか知らないから表の社会では生きていけない人間になってしまったのだろう
ならば自分が必要とされる場所で生きていこうと思うのは至極当然とも言える
例えそれが自分を苦しめた「吉原」であったとしても
吉原の定年は28歳でした。
一生出られないというのは嘘。
大体平均寿命45位だから余命は17年だね。
居たくとも居られないシステムになっている。
やり手以外にそういう婆さんばかり増えたら
夢も醒めて通う男も減るでしょう。
年季があけるとか定年で借金も無ければ
とにかく女が少ない江戸の町では
紺屋高尾みたいにどんどん結婚したし
借金があれば宿場女郎とか岡場所に住み替えた。
吉原はあくまでも教養のある美女集団がブランド。
@@yukiusagi333 当時の平均寿命が40代なのは、40代で死ぬ人が多いのではなくて10歳にも満たない子供の死亡率が高くて平均値を下げるからですよ。あと年齢の数え方も現在と違う点に留意(´・ω・`)
私は、吉原と言えば「見返り柳」を思い出します。あと、「中見世」という言葉が出てきましたが、浅草の「仲見世」と何か関係があるのでしょうか?江戸っ子特有の「洒落」というやつ?
落語などでよく出てくる吉原は「新吉原」の方を指すんですね。
吉原周辺は今でも風俗店(ソープランド)などがあり、遊郭としての名残り(?)がある様に思えます。
あと、花魁に関するエピソードは歌舞伎・落語・映画に度々登場します。
映画では「吉原炎上」なんかがそうです。
品川区にある「かむろ坂」も吉原に由縁のものです。
サブチャンネル「zero sen」では是非とも明治・大正・昭和期の吉原の移り変わりと、映画「吉原炎上」の元ネタや吉原遊郭の終焉などをお願い致します。m(__)m
太夫と聞いて最初に浮かんだのが、小梅・・・。
わかる
毒蝮三太夫……。
笑った‼️🤣
グレート…
Ry O
ウケた❣️😆👍
歴史解説とか、テレビでも好きだったけど、TH-camだと色々見られるって最近知りました。興味深いチャンネルを見つけられて嬉しい。ありがとうです
コウメ太夫って最上級の花魁だったのか…
今と違って当時は
風俗に通う男の方がちゃんとした男として見られて居たんだよね
逆に風俗にも通えない様な男の方がダメ男だと言われてた
新造には、番頭新造と留袖新造と振袖新造が居た気がするのですが。
番頭新造は年季が明けてからも郭で女郎のマネージャーみたいな事をする人。
留袖新造は、そんなに出世が見込まれない新造で、突き出しも道中はさせて貰えなかったとか。
振袖新造は、エリート街道の引っ込み禿から花魁になるべく育てられた女の子。突き出しは姉女郎の同輩から振袖を貰い7日間道中したとか。
諸説ありますが、私が聞いたのはこんな感じでした。
10歳以上で売られてくると、教育期間が足りず殆どが留袖新造にされたらしいね
どちらがいいのか、なんともかんともだな……
今で言うと風営法とかなんだろうな。ウシジマくんをみると借金を作らせての人身売買は今も変わらないけど、保健所があったり、古今東西変わらない風俗。
成人式に花魁の着付け、、あれだけはいただけない。確かに艶やかで綺麗な姿だけど、結局は売春婦…私が親なら止める。
あの着崩し方は花魁ですらありません、あれは夜鷹です
@@persimmon_oyster 何が違うのですか?
っつか、背筋がピンとした教養と品のある美女しか似合わないから着ちゃいけない。花魁は高い教育を受けたくさんの場数を踏んだ人だから。
遊廓が栄えた時代でも、花魁の身なりは素人さんにも真似されてたみたいだし、
なにも別に変わらないと思うんだけどなあ、モデルさんの真似をするのとそこまで違うものなのかなあ
しかもあれは花魁じゃないしな。キャバ嬢がそれっぽくしただけ。本物はもっと襟しめてるし、品も気高さもある。
今でも、吉原だけでなくフーの業界でも「お茶を挽く」という隠語はあるよ。
年季奉公として十年ほど。田舎から買われてきて禿時代から水あげ、床滑りまできっちり勤め上げて見受けされたり、お茶やお花、歌舞音曲の師範になったりパトロンを得て小料理屋のおかみになったり。むろんそのまま何かしらの仕事でい続けたりランクの低い遊女として他の場所へ移ったり、年季奉公も務まらず性病や病気で亡くなったりといろんな人がいただろう。そこは苦界としか言いようがないけども、それでも吉原のすごいところはただの売春窟ではなく、日本で最高級の磨きぬかれた芸と美貌と知性を持つ女と、お金持ってるだけじゃない選ばれて遊ぶことができる男との駆け引きの場だったことだろうな。今でも銀座や新地の最高級ホステスや風俗でも一日貸し切りコースで選ばれる女性は美貌だけではなく、男性を魅了する知性と会話の技術を持ってないと務まらない。むろん男の方も、そんな女性と時間を共にできる資格がないと遊べない。
さいたま2000さん
古典的見解は其の通り。現代の姫様は個人事業主、所属は飽くまで業務提携 備品や必要経費は自己責任で自己負担します。確定申告も行います。困るのが職業名称 姫様に伺った処、広規な表現として コンパニオンで通るそう。
確かに店の募集要項にはコンパニオン募集と在るが?範疇が広過ぎませんか?
この時代は貨幣価値の変動が激しいから、1両の値段を現代に換算するのって、結構難しいんだよな。少しでも時期が違うと価値が全然違うから。
お叱りを被ること覚悟で申し上げるならば、当時の人々は遊女達の、その儚さに思いを寄せて、吉原に憧れたのではないだろうか・・・・。
イヤ必要悪。
特に庶民は女の割合が1割くらいで
うかうかしていると一生独身。
それだけ稼いでも、吉原からはなかなか出られない・・・かわいそうだなあ
吉原の太夫を身請けした殿様がいたなあ、榊原政岑、そのせいで若隠居させられた上姫路城主まで取り上げられたけど、紀伊國屋文左衛門が一番景気が良かった時に贅沢の極みをして揚屋を借り切り小判をばら撒いたとか、徳川光圀の若き日は吉原通いしていたし、伊藤博文も派手に遊んだ記録があるし。
伊藤博文は「女好き」として有名でしたからねww。
松下雅訓 名前が読めない
@@sjfaow 政岑(まさみね)だそうです。
事もあろうにご老公様が郭通い?時の将軍→暴れん坊将軍 しかし将軍家には私設ソープランド「大奥」が存在するのに わざわざお忍びで....お世継ぎ製造と遊び方は別物?😤
@@rantaro-fl9yl1pn6c さん
内閣府にモノ申す。初代総理大臣たる人物が遊郭に通いつめ 妾、愛人を囲い 淫行、破廉恥、助兵衛の限りを尽くす。
幾ら政治的手腕に優れて居ても 人間として駄目であります。😰表向き 偉そうな能書きを垂れ 其の実、陰で女人をひぃひぃ言わせて....😤
夜遊びしてた頃(今もだけど)
祖母に「お前はヨタカか!」
と言われた事を思いだし‥‥
あれって「夜鷹」の事だったのね。
ひでぇ‥‥
ワロタw
漢字でないと何言ってるか判らないよな。
はるか昔の子供の頃、午後の明るい時間にお風呂に入ると父に「ヨタカじゃあるまいし」と叱られた。
時代劇見てた時、簀巻をもって客を待つ人をヨタカというのだと知った、、知ったがなぜ叱られたかいまだに分からない。父は心配していたのだろうか??何に??
@@user-rn2vs8oh7q
おー!
それ!明るい時間の入浴時も
言われました!
夜鷹さん達のタイムスケジュールは
全国共通なのか??
うけるww笑ったw
Mitzel h.
可能性としては、あなた様のご両親も、同じ事をして…ご両親(あなた様から見て祖父や祖母で、あなた様は、お孫さん)に言われた事があるのかも…🤔
興味があって吉原やら遊女やらを調べていた時期があったんだけど、現代人からしたらどうにも魅力的に見えるんだよなー。悲惨な状況であったとしてもそれを客に悟らせないような気品ある花魁はまさに高嶺の花ってかんじで羨ましく感じるんだな。
Gjjkk
こんな深夜でも
見ちゃうんだなあ、これが!!
「◯◯ありんす」は吉原言葉で江戸言葉ではありません。
何処の地方から来た娘か判らないようにするためです。
同じ地方から来た娘と判って、同情して駆け落ちする事を防ぐためです。
吉原に限らず、有名な遊郭街には必ずありますよ。
shiba mofumofu 廓言葉ですよ。
遂に暴れん坊の登場....物凄く楽しみです。
昔、吉原の鎮魂碑がある公園みたいなとこに、行ったことがあるのですが、怨念のような、ぞっとする気配があって、あわてて逃げた記憶があります。大正時代、森光子という人が、吉原での手記を残してて、コミックにもなってるので、実際の悲惨さを多くの人が読んで知ってほしいです。森さんは、柳原白蓮のところへ逃げてたすけてもらい、朝ドラ 朝がきた では、壇蜜さんが森さんがモデルの女性を演じてました。
最低3回通わないと行けないってのも歌舞伎なんかで
誇張された表現かもしれないそうだけどな。
もう太夫が消えて花魁が最高位になった時代には
面倒が少ない吉原以外の大衆店に押され始めて
花魁も勿体ぶったりする余裕なんてなくなっていたらしい
一度に何人もの客を掛け持ちして手が回らなくて放置って事があったくらい
なるほどー市場の原理ですよね
吉原炎上が吉原とのファーストコンタクト
因みに「吉原」の語源は遊廓の開拓者・庄司甚内の出身地が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と、葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説がある。
恋愛シミュレーションの付加価値がすごい。相手に困らない人だからこそ逆にそこに価値を感じるんだろう。
吉原と言えば仙台藩3代藩主「伊達 綱宗」かなぁ
意にそわぬ身受けをされ靡かない太夫を切り捨て、大門横の柳に吊るしたとか・・・。
高尾太夫の話は俗説と言うか創作だよ。
後西天皇の従兄弟の所為で伊達騒動後隠居させられなんだろうな。
それ以降伊達家は結構従順になっているからね。
手引き茶屋ではなく、引手茶屋ではないでしょうか?
「引手茶屋」ということは「引手数多」の語源ということでそしようか?
苦界の苦界たる悲惨さを語らないのは逃げか配慮かどっちだろう?
どっちにしろだろう?
その悲惨さを語るのが難しいからかな?
元は「葦原(あしはら)」ですよね、「あし」は験が悪いので「よし」と呼ばせて漢字も変えて「吉原」と変化。
夜鷹は二十四文って話があるが、蕎麦が十六文の時代だから数百円か、安いけれど怖いですね。
田中利治 客ふたつ潰して夜鷹三つ食い、ですね
@@user-rb2uc4tq9r さん
時蕎麦は一文銭で支払いますが、実際には四文銭じゃなかったのかなと思います。
四文銭、今だと 100円玉くらいですね。
田中利治
いわゆる波銭ですね。元祖100円ショップの四文屋ですね
華やかに見えるけどかわいそうだし、こんな世の中だったことが
信じられない。おぞましい。
遊郭の建物は千と千尋の神隠に出てくる風呂屋の建物みたい。
吉原は経済面からみれば必要悪だったのでしょう。
それと、内容と関係のないつっこみで申し訳ないですが、
いちおうまだ女のアラフィフBBAもチャンネル登録してるぜ。
実際に遊郭をイメージしているそうですよ❗️✨☺️✨
お客様は八百万の神様や妖怪だけど笑笑
マジ話だけど、吉原界隈や川崎堀之内、ほとんどの風俗の建物が古いのは風営法の絡みで新規で建築してはいけない縛りがある。外壁はきれいでも昭和30~40年代の建物なので耐震性はヤバい。
今ある店舗だけでも、現在の状況に鑑み部屋数を同じにして建て直してもいいとは思うけど…。
近い未来、地震が来たら風俗街は建物は崩壊するのは間違いないです。
@@yuuukizurako39
湯屋じゃなかったっけ?
まあやることは同じだけど
私、静岡の在ですが、吉原は家康が駿府城の南にあった遊郭の一部を江戸に移転させて作ったと聞いています。昭和の時代まで健在でしたが、残念ながら 売春防止法なるつまらん法律のおかげで消滅してしまい、その跡地は静岡地震センターになっています。二丁町遊郭と言うそうです。会社の先輩はその存在を知っていて、面白かったそうです。最後は朝鮮の女性が多かったと言ってました。
この二丁町遊郭の本が出版されてます。興味のある方探してみてください。
「人身売買は禁止だから担保物件の留置権を行使する」現代的解釈だとこうなるのか?法律に詳しい方いたら解説希望 !!
大正解!です。
どちらかというと質に入れているというかんじですかね。例えばマイホーム購入の際に、ローンの担保として買った土地を担保物件としても、銀行はローン返済が滞らない限りはその土地を自由に使えませんし、占有できていない以上、留置権の行使ができません(民法295条)。質権設定からの、質物留置(民法347条)が妥当なところかと思います。
勿論、現法でそのようなことは認められないことは大前提なのですが。
投げ込み寺という通称のお寺で御朱印貰う女性が多いらしいけど、多分この歴史は知らないでしょうね。
そんなアホな人がいるんだ?!
ですおいら
歴史に興味無い人だったら知らない事もあるでしょ。なんでそこまで頭回らないの?アホはどっちだよ
水戸黄門のジジイ正義の味方のツラして女遊びやって
いたとは。やっぱり副将軍はいいご身分だな。
花魁の由来にもう一つ説があって、客を化かすからというのがある。
狐は人を化かすときに尻尾を使うが、吉原の遊女には尾は使わない → 尾は要らん → 尾要らん → おいらん → 花魁
まあ、こっちは花魁という呼び方が出来た後から洒落てつけられた理由だとは思うけど(´・ω・`)
「三千世界の鴉(カラス)を殺し主(ぬし)と朝寝がしてみたい」
粋だね✌️
吉原遊女が廃止になって、その後残った遊女達はどうなったのか、知りたいです!
「吉原」というか、江戸に夢を見すぎw
「商品」を「大切」にするのは別に「人情」じゃないよ。「商品」が「売物」にならなくなったら冷酷非情に捨てちゃう。だから「苦界」なの。花魁を「馬」、男性従業員を「牛」と呼んだんだけど、意味わかる?
一部は、トルコ風呂やソープランドに転身したそうです!
@@琉-n6q なるほど!トルコ風呂!!!?
調べてみます!
@@Teme3960 お役に立てて良かったです!!
@@Teme3960さん、すんません。宛先間違えて貴方にレスしちゃいました。
とても良かったです。あと、リクエストなのですが、日本のゲイ(ホモ)事情や新宿2丁目などのゲイタウンの歴史についても教えていただけると幸いです!よろしくお願いいたします!
古典落語で「紺屋高尾」って話がある。無事年季があけた高尾太夫が純朴な染め物職人のところに嫁ぐ話。昔、立川談志で聞いたのだが、you-tubeで志ん朝、談春、などが聞ける。
現代風にアレンジした談笑さんの「ジーンズ屋のです。
ようこたん」も面白いですよ
それは知りませんでした。昔、フジTVで深夜に「らくごのピン」という番組で立川流一門と小朝が出ていて志の輔、志らく、らにハマりました。今度、聞いてみます。
女性の一定数の「○○嬢」に対する憧れや作品数ってなんなんだろう?と時々思う
自立した女性のシンボルとして見てるなら大方間違ってると思うし良くわからないです
優越感じゃね
江戸時代の芸能界ですよね。
花魁祭りとかあるけど、あれって花魁が何なのか分かってるのかね?
裏ルートまであるとは凄いね🦅
・身売りされても親との面会禁止ではなく、よく娘に会うために親が訪ねてきた。
・元遊女だとしても世間からの差別意識は薄かった。
うろ覚えですが「逝きし世の面影」という本にはそう書かれていましたよ。
鬼滅の影響でいろいろ調べるようになったけど、本当にすごい世界だよなぁ…
下女よりは人気の商売で、農村から下女で働きに来て、遊女に職替えするような商売です。
あと10歳から働くのは当時では普通。その他、当時としては普通のこといろいろ...。
花魁はファッションリーダーでもありましたしね
明日花キララに憧れる様なものか…
花魁とかかっこ良い名前付いてるけど、病気貰ったら終わりだからな。
禿「おいらんとこの姉さん」→花魁
キター!
華やかな一方で梅毒に罹れば鼻も落ちて苦しみながら死んでゆくのよね…
床入りするまでの投資に比べれば、入浴料のほかに必要なサービス料なんて屁でもないな、現代吉原。
の筈だけど、吉原遊びは現代でもそうそう気軽にはできぬ。
昔から好感度システムを使ったTRPGやってたようなもんか・・しかも、ギャルゲーと同じシステムで・・!!
落語の廓噺も
あながち全て誇張…と言う訳ではないんですな
今は吉原の地名は無いけどとある交差点の信号機の上に吉原大門の看板が掲げてられてる所があってそこが大昔の吉原大門の跡地らしい!あと今の住所は台東区千束だ!
近くに 吉原神社が ありますよ。
@@darie539
それは初耳!教えてくれてアリガトウ!
4日前に吉原の高級店に行ってきた
こういった部分が歴史には埋もれてしまって、豪華絢爛な部分だけが誇張されるんですよね。
ところで、1日に千両動くとかいう伝説ですが、その金銭はどこに消えてたのでしょうねぇ?
まわりまわって、幕府に吸い取られてたのでしょうか?
この大金の動きについては語られないですが・・・何かあるのでしょうか?
家を買ってあげるくらい浪費するラブプラスみたいな場所だったんだな…。
まっさらな娘は一級の店で働けるけど、病気持ちになったりしたら、路地裏や、外れに移っていく。
社会保障もないから、どんなに安値になろうとも体を売り続けなければいけない。
娘を売った家は家はその後どうなったんだろう?娘を全員売っていくのか?
その後は平和に暮らしたのか?
おいらん姐さん だったかなマンガで面白かった
自分の禿に琴の稽古だけは厳しくしてたシーンで年期があけたら琴のすじだけはいいから、それで生計立てれるようにという、、
見返り柳
今は見返せばシェルのスタンドw
「吉原炎上」全てがこの映画に描かれてるよ(笑)
tonton tonto.
海藻煮てるとこしか思い出せない、、
百合セクロスと太もも噛んでー!しか思い出せない
冒頭で緒形拳が役人かなんかの役で登場してたっけ(´・ω・`)?
もう一つ、吉原に少し関連した話
吉原があるのは現在の台東区。台東区は江戸城から北東の方向にあり北東は鬼門にあたる縁起の悪い方角だった。そのため鬼門から守るために建てられたのが徳川家の菩提寺の1つである寛永寺
そして台東区、とくに隅田川沿いにあたる地域は江戸時代から今でも皮革業が盛んな地域、そうつまりここは江戸時代は穢多や非人のような差別階級が多かったのだ。
さらにその隅田川の上流域には南千住の小塚原刑場もあった。
幕府が吉原を鬼門にあたる北東部に移したのも売春業に後ろめたいところがあったかもしれない。ちなみに明暦の大火以前は隅田川から東の地域は江戸の範囲には入っていない(そもそもそこからは当時は武蔵ではなく下総であった。明暦の大火後に現在の城東にあたる地区が武蔵に編入)ので江戸市街の最北東は台東区と荒川区の東部あたりだった
映画「吉原炎上」では、年季明けの遊女が吉原を去る風景が描かれている。
いやで、逃げて、親指を切られて、鼻緒を履けず、指を一本づつ落とされて、鼻緒のない便所下駄を女郎下駄ということです❗
太夫は読み書きは勿論、歌が上手くて踊りも出来て、漢詩に通じ、字が綺麗で政治の話も出来る人じゃなきゃなれなかったらしい。そして美人なのは当たり前。世界中に娼婦は存在するが、娼婦が客を選ぶなんてのは吉原くらいじゃないのかな。娼婦に社会的地位が認められていたというのは、素晴らしいことだと思うんだぜ。
映画「吉原炎上」は名作です。
こういう時代があったことを私たちは忘れてはいけないと思います。
江戸時代の光と影……
明治維新で江戸時代の全てが文明開化という言葉に掻き消されて行った。
明治維新は西洋文化が入ってきたが、日本文化を否定した歴史でもある。
日本の文化は江戸時代にある。
この美しい花魁道中も日本の歴史の1ページ。
大門の中にいた女性の哀しい人生も歴史の1ページであり事実。
タイムスリップして江戸時代を見てみたい。
吉原の煌びやかな世界も見てみたい。
煌びやかな世界の裏には女性の哀しい人生があることも、当時の人は知っていたのだろう。
大門の中の女性たちは哀しい人生であったが、プライドを持っていたように思う。
江戸時代を知る度に、今の日本人が忘れてしまったものを感じて切なくなる。
今のスーパーチャットみたい
桜ルートは闇
貧困から売られ、もしくは良家に生まれたはずが没落して売られ、地獄を生き抜いてトップの娼妓となり、そんな背景など1ミリも見せずに凛として歩く花魁、どこまで行っても囚われの身な事に変わりは無いが、その中でも矜持は失わない
自分女だけど正直そそるよね
男だったら絶対抱きたくなる
当時の遊女たちは世間からはどのような目で見られていたのでしょうか?かわいそうだな、とか、遊女なんて、とか。
13:26 当然Mrダンディー行くよね!
現在の吉原も周囲とは別世界ですね
時代の妖怪話が聞きたいな
人形町は問屋街で、被服生地や印刷包装紙を扱う問屋が多いですね。
あと、香水輸入の商社もあったはず。
そっかぁ、初めの吉原が人形町あたりに位置したため、当時の商売が根付いたのでしょうネ。
芸能界と全く同じ。
女衒みたいなプロデューサーもいますしね。
浅草のその墓地へ行ったことがある。
昔は、しらびょうし、夜鷹などと呼ばれ、むしろやござを持ち、袖ひきをしていました。が身分を与えたのが、我が先祖です。
だいたい今の千束四丁目全ての敷地が吉原だったとか・・・うぅ~む。
昔の煙管で羅宇を回せる小さい煙管があり「三味線の絵柄」と「春画」と「二ヶ所の無印(初期位置)」の絵柄を変えられる煙管がありましたね!古道具屋で非売品でしたがね!。
ゲームで見たってのは龍が如くかな?花魁道中も綺麗だった。
男の土方力仕事より数倍過酷な事させられてたんだよな!?
昔の女性は本当に虐げられた歴史があったんだよな!?
日光などで花魁道中を見て凄く華やかで綺麗に見えるけど、
好きでも無い男に抱かれたんだよね給料も貰えずに、
昔と違って今は希望してソープ嬢入れるし高級取りで働けるけど、
華やかな道中見ても歴史思うと素直に見れない自分がいるよね
その排他的な陰を重ね合わせると魅惑的な芸術感が浮かび上がって来るのかな!?
何か複雑な心境ですね(T_T)
手引き茶屋=今で例えると無料案内所
光なんて無いんじゃない!?
後ろの魚が気になって・・😅
𠮷原炎上という映画が思い出されます
白色電球握りつぶす奴だっけ(´・ω・`)?