【ゆっくり歴史解説】神風特攻隊 特攻の日【特攻隊の真実】
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- เผยแพร่เมื่อ 17 ก.ย. 2024
- このチャンネルでは第二次世界大戦にまつわるエピソードを解説しています。 戦争が身近に感じる今だからこそ「人は極限状態でどんな判断を下すのか?」「何故、人は戦争を起こしてしまうのか?」 「一体、当時、何があったのか? 」を真摯に出来うる限り正確にお伝えし、悲惨な戦争が二度と起こらないことを目的に制作しております。
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VOICEVOX:四国めたん
#ゆっくり解説 #ゆっくり歴史 #第二次世界大戦 #太平洋戦争 #神風特攻隊 #歴史解説
志願だろうが強制だろうが犬死にとは言わないで欲しい。
自らの命を防波堤たらんとした方々を卑下するつもりはない
だが美化することはあってはならない
@@ロドリゲス幸治 さん
先輩方が命をもってやられた事です。
その時代の事です 絶対に先輩方の批判はしちゃだめ。先輩の御霊を
@@user-ol8uk5uj2s 様
まず、「こんなこと(特攻)を子孫たちに繰り返してほしくない」と思った方がいたと私は考えます
美化するという事はソレが再び行われる可能性が上がります
ソレが再び繰り返されることを先人はどう思うのでしょう
美化することは先人に対して逆に失礼に当たるのでは?と考えます
世界一の犬死にですよww
@@ヨシ-c3u
冗談で言ってても素面になった時に恥ずかしくならない?
関行男大尉も確か奥様とお子様がいらっしゃいましたよね(記憶違いならすみません)
関大尉は私の故郷から生まれた英雄です。
御母堂は戦前は軍神の母などと呼ばれてたにも関わらず、戦後になったとたん手のひらを返すように国賊呼ばわりをされて苦労なさったそうです。関大尉とそのお母様、本当に尊敬しております。
たびたびすみません。記憶違いがあったので訂正いたします。関大尉には奥様はいらっしゃったけどお子様はいらっしゃらなかったようです。奥様とお子様がいらっしゃったのは中津留大尉です。
ちなみに関大尉と中津留大尉は海軍兵学校同期だそうです。
穴沢さんの遺書
何度も
涙止まらない
英霊にただ
感謝
だけど
今の日本を見て
どう感じるか
特攻作戦に対する賛否はあるだろうけど、任務を遂行された隊員の方々には只々、感謝しかない。
本土上陸を断念させ、日本が分断されることが無かったことを考えても意味があったのだと思います。
その通りかと思います。先輩方が頑張れたのです。先輩方の御霊の靖国を問題にするな 中国 韓国💢
特攻隊の必要性を唱えたのは他に山本五十六の側近であった黒島亀人もそうですね。
大西瀧治郎はずっと「外道である」と批判していたが最後は立場上ハンコを押した。
そのことを後悔して最期は介錯なしの割腹自決を遂げた。
知覧特攻平和祈念館で印象に残る遺書を思い出します。
「お母さま、泣いてはなりません。私はこれからアメリカの母を、妻を
泣かせに行くのですから」
そういえばそうだ。 特攻は日本側だけの悲劇ではない。
突っ込まれるほうも特攻精神なのだ。
それを突っ込む側が若くして自覚しているのがなんとも言い切れない。
特攻は無意味であったか?
いや、アメリカを震え上がらせこの国に再び戦争させてはならず
反米機運を持たせてはならないという決意をさせて単独占領統治と
日米安保条約につながっていると思います。
最初の特攻隊として有名な敷島隊の例、関行男は命令の為という兵学校出身者の使命感で克己していた。隊員のうち、二名は「味方撃ち」で同僚を死なせていたため自らの死に場所を求めていた。他の隊員も何らかの事情を持っていた。
現在残された出撃時の映像の中の者たちが妙に悲壮感がないのはこのような事情によるものであった。
ただ、この映像が特攻志願のプロパガンダに利用され進んで特攻にいく雰囲気を作り出したのは否めない。
昭和30年代の文芸春秋の特別号で上記の最初の特攻隊の裏事情が詳しく述べられている。
現在に至るまで、米海軍にとって史上最大の被害が出たのが特攻です。
日本側からだけ伝えられがちな特攻ですが、アメリカが撮った写真で、
特攻された空母の米パイロットたちが沢山、通路に積まれていたのを見ました。
愕然としました。海軍、海兵隊にPTSDが多発したのが分かりました。
ある基地のある将校が、深夜、基地周辺を巡回していた時、兵舎の近くで
集団が騒いでいるので、叱咤しようと行った時、
十代の若者が車座になって「ふるさと」を歌っていて、
物陰でむせび泣いたそうです。
他の特攻隊の将校であった方からも色々お聞きしました。
私は「ふるさと」を聞くたびに、涙が出ます。
「うさぎ追いし、かの山~。小鮒釣りしかの川~。
夢は今も巡りて、忘れがたきふるさと~」
私なんぞ若輩者が、「その気持が分かる」などと言えません。
ただ、元陸軍特攻隊の指揮官であった方の気持ちは分かるような気がします。
「私なんぞが生き残って良かったのかな」
「あなたのような方が居たから今があるんです」
「ありがとう。初めて意味が分かったよ。もうすぐ戦友に会えるね」で、
その明後日、その方は戦友に会いに行きました。
私は泣きませんでした。元防衛省の人間として泣きませんでした。
ただ、敬礼をしました。それしか出来ませんでした。
今、京都橘吹奏楽部の女の子たちが台湾の建国記念日に呼ばれ、すぐに
「ふるさと」を歌った動画を見た時、恥ずかしくも大泣きしました。
「やっぱり平和がいいなあ」って。
「日本は1945年以降、一発の弾丸も海外に撃たずに、
世界第三位の経済大国になったんだぞ、もっと威張っていいんだぞ」と。
その復興日本も特攻隊への感謝を忘れ果てるころ、凋落が始まった。
今酒飲みながら聞いて居るけど最後の遺書には泣くしかないだろう、日本人なら
この写真を観ただけで、もう続きを見れない。
はだしのゲンどうこうあるけど
ユーチューブで伝えるのも現代版って感じがします。
アップ主制作ご苦労さまです。
特攻隊員の皆様の遺書は、神様の言葉です。靖国、知覧、鹿屋といつ見ても、心が洗われます。学校教育の場でも、教えて欲しい。子供達に日本人に生まれた誇りがめばえるかも知れません。ひろし
ただただ切ない。
山本五十六なんて国葬される将ちゃうやろ
安倍晋三もな
自分自身で言うのもあれだが
玄関で俺が出ていくと最後まで見ている2人が居る。その2人は俺が死んだら死ぬかもしれない。
本当は死ぬこともないし。
俺が死んだぐらいなら忘れるかも知れない。
ただ、2人に飛んでくる機銃や焼夷弾を少しでも遅らせることができるなら、きっと 2人は俺を語り合ってくれるかもしれない。
最初の特攻隊は、敷島隊の数日前に久納中尉を指揮官として出撃して戦果を上げています。
関大尉は海軍兵学校出の士官でしたが、久納中尉は法政大学出の予備士官というのが、事実を公表しなかった理由です。
冒頭のタイトル画面、有名な知覧飛行場から出撃する陸軍特攻隊の画像です。この写真を撮影した従軍カメラマンは、桜花を持った女学生達にもっと飛行機に近づくようにお願いして撮影したそうですが、後ほど部隊長から厳しく叱咤されたそうです。
久納中尉は関大尉より先に、単機で出撃されましたが、残念ながら米側の損害は記録されていません。
特攻隊の英霊が見たら今の我々は…
南中亭田楽
〝戦争を知らない右翼の子供たち〟がよく使いたがる言葉→《英霊》w
そんな呼び方出来んのか?
この時代の日本人と今の日本人、はっきり言って本質はそんなに、いや全然変わってないぞ?
昔の特攻隊員たちが今の日本を見たら、発展して自由意見を発することができる今の社会を喜ぶんじゃないか?
@@user-mj4wn2nt3k
そう興奮しないで下さい
他人の意見を尊重しないとご自身の意見も無になりますよ
意見が合わないからといって相手を罵るのは良くないですよ
@@TN-ju3px そのトンチンカンな反応で君が今顔真っ赤にして興奮してるってのはとてもよく分かったぜwww
@@user-mj4wn2nt3k
プッ(笑)
@@user-mj4wn2nt3k
プッ(笑)
今は亡き俳優で歌手の鶴田浩二さん、元海軍航空隊でこの方が歌われている軍歌「同期の桜」聞いていて胸熱になります。
敬意と美化は結びつきやすいし…何とも言えないよな。
せめて後世の教訓にする位しか出来ることが無い…とはいえ戦になったらどうしても誰かの献身が必要になるし、どうしても戦争か亡国かを迫られる時は来るかもしれないし…日本民族が続く限り答えが出ない気がする。
極端な「平和主義」に傾倒してどうなるとも思えないし…
最後の特攻隊となった中津留達雄大尉についても紹介していただきたいです。
8/15終戦の勅が放送された後、宇垣纏中将を乗せて大分から沖縄に向かって飛び立ちました。
あの時宇垣中将が特攻すると言わなければ大尉を初めとする若者たちは生きて戦後日本に多大な貢献をされていたのではと思うと残念な気持ちです。
戦争は終わってたのに…
宇垣さんの無念も分かるが、周りの若者を巻き込んで飛んでくことも無いだろうに…
心からの志願でも音頭を取った感は拭えないよね
祖国を 護るために お亡くなりになられた英霊の皆様に 感謝します🙇♂️鹿児島 知覧特攻平和会館には 日本人ならば 必ず1度は 行って頂きたいです!
初めて、行った時私はもう30を超えていましたが 涙が止まりませんでした
遺書の裏を読まないと本音はわからないでしょうね
ミグ25が強行着陸した際
当時の陸自戦車隊は
出撃直前まで死ぬかもしれない 自分にできるか
迷っていたが戦車に乗り込むと迷いはなくなりやってやると
言うきもちになったそうです。
戦争に比べたら卑小だが、オウム真理教の狂気の沙汰を後世に伝えて行きたいものだ。
鹿児島行く機会がある方は、知覧行くと良いよ。
志願制ながら同庁圧力による事実上の強制。特攻なんてやるべきじゃなかった。
敷島の大和心を人問えば朝日に薫る山桜かな(本居宣長)時を経て特別攻撃隊の名に使われるとは思いもしなかったでしょうね。
これはたしか、偵察員として彗星艦爆特攻隊員であった小沢孝公(たかひろ)兵曹が思いついて、関大尉に進言し、関大尉自身が採用したのでした。奇跡的に生き残った小沢兵曹の回想記「搭乗員挽歌」によれば、関大尉は「小沢兵曹、貴様うまいことを思いついたな。」と気に入った風であったと伝えられています。
@@離人彷辺 樣
とても貴重なお話ありがとうございます。このあといくつもの部隊名がつきましたましたが士気を鼓舞するように勇ましい名前が多かった様に見受けられます。本当はレイテ戦の為の一度きりの作戦(私見では作戦とは思えません)のはずが護送空母撃沈に天皇陛下に奏上した際に陛下は絶句したあと「そうか…でもよくやってくれた」とお言葉がありこの「よくやってくれた」だけが伝わり継続した作戦になった
団子一つで「死ね」とは、、、
志願者など1人もいない。
こんな作戦を出した上官は地獄へ行っただろうな。
そもそも日本対アメリカ、
初めからの負け戦で草
アジアが1つなって欧米に戦いに 挑む 大東和
真珠湾 攻撃時の 山本長官は 生還の見込みがあるなら甲標的の 出撃を認めるとした逸話があるように 特攻は 作戦ではない ≒ 長官が 御存命なら 承認しなかったと思います m(__)m
違うと思いますね。山本長官は5隻の特殊潜航艇に関して、「場合によってはこれを捨てる覚悟で」、と語った事が裏付けのある記録として残されています。
13:46 「命を賭して国を護って頂いた」←こういう言い方は是非やめていただきたい。
こんなことを言うせいで、命じた奴らや結果的に逝かずに済んだ連中が、特攻を美化している事実に気付かないか?
まったくそのとおりです。
おれもいずれ後を追うとか嘘を言い特攻を命じた奴らが戦後オメオメ生き残って天寿を全うした連中がどれだけいる事か
@@akibanokitune 俺だって愚かなリベラル気取りのパヨクじゃないつもりではいる。
でも、どうしても特攻隊話になると、生き残ってしまったばかりに〇ぬより苦しく屈辱的な目を見る羽目になった、元特攻要員の大貫健一郎さんのことが頭に浮かぶ。
特攻隊員たちを見下げるようなことは言いたくないが、貴方が言うように、偉大な特攻隊員たちの影に隠れてコソコソと生き残り、責任も負わず謝罪もしないでいる卑怯な日本人たちがいたことも忘れてはならない。
奴らのような悪辣な存在を記憶から消してしまわない為には、悲しいことだが、多くの偉大な特攻隊員たちを含めて特攻を批判し続ける必要がある。
こういう動画を見る度にそう思うんだよね。
米軍側からの神風特別攻撃隊の評価もお願いします
@@雅弘-w5z こちらありがとうございます!今後、作成したく思います!
狂気の沙汰、後々日本の頭脳になる若い人たちの命と引き換えに得たものは何だ絶対に美化してはならない戦果を上げようとも。
酒の代わりに、ヒロポンや昔はそこら辺に生えてる、大麻はやったのだろうか? 英霊には敬礼
気持ちは理解できるけど、生きて兵として戦った方が、相手にダメージを与えることができるたのではなかったか?簡単に兵をなくす特攻は、本当に効率が良かったのか?
これが皮肉なことに、通常爆撃の十倍近い命中率があるんだ…
在りし日の一航戦の精鋭たちと米軍に互角に渡り合える装備があるならまだしも、人も物も技術も払底した当時の日本にとって、未熟な搭乗員と飛べるならどんな機体でも投入できる航空特攻は倫理観を度外視すれば軍事的に有用だったと言わざるを得ないのもまた事実なんだよ…
必要技量、戦術、成功率、成功効果において急降下爆撃とほとんど同じ。
兵士と戦闘機が生き残れる可能性がある点に置いて急降下爆撃のほうがはるかに上。
特攻ってのは戦局の趨勢を左右する決戦時のみに敢行する奇策なんだよ。
常態運用するなんてアホとしか言いようがない
ありきたりな事しか言えませんが、涙無しには観れませんでした。
うまく言葉にならん。