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中央線の国分寺駅から、南武線府中本町駅のすぐ西側の少し南のところにあった東京競馬場前駅までの5~6㎞くらいの距離を下河原線は伸びていた。立川崖線を南下して東にカーブし、南武線に直角に当たるあたりに、東京競馬場前駅はあり、そこから南武線のガード下を徒歩で超えると、府中の東京競馬場は、もうすぐ目の前だった。現在は、府中本町駅から徒歩通路で競馬場へとつながっている。下河原線は国分寺駅を出て、途中にある北府中駅までの北の区間は、ほぼ今の武蔵野線と重なる。北府中駅の南を通る甲州街道には踏切があった。ここから南の方面へ伸びる下河原線の線路は現在、遊歩道にかわった。DD13形ディーゼル機関車が、多摩川の砂利を載せた貨車を引いて走っていたのを覚えている。競馬開催日や朝夕には、101系か72系電車が5両くらいで、多くの乗客を乗せて走っていた。それ以外の日や昼間などは、40系電車が単行(1両)などで走っていた。40系電車は戦前製で、当時、最もデザインの優れた端正な顔立ちの名車だった。周りの武蔵野の雰囲気にも溶け込んでいた。今はもう知っている人もほとんどいなくなった。動画のはじめの写真のように、幻想の靄の彼方に暮れかけようとしている。少なくとも、古き良き時代に存在した、一瞬の記憶のひとコマであったことは確かである。
多摩地域では中々ない、線形が綺麗に残ってる遊歩道なのでよくサイクリングに行きます。当時の風景をこうして見ることができてよかったです。確かにここには鉄道路線があったんだなと改めて実感しました
国鉄既存線が同じ国鉄の新線と競合し廃止されるという珍しいケースでしたね。閑散時間帯にのんびり往復していた半流型のクモハ40074は下河原線の廃止後も2000年まで生き永らえ、現在は大宮の鉄道博物館で余生を過ごしています。
子供の頃ウチの街の機関庫に一両忘れられて放置されていたが鉄道博物館が出来て引き取られていった。空になった機関庫が寂しくなった😢
存在は知っていましたが乗ることが出来なかった路線です今までホーム先に見える路線は武蔵野線だと思い込んでいたのですが南武線だったのですねしかも無人駅だと思い込んでいたのでけど駅員いらしたのですね駅の構造も変わっていて改札口が南武線をくぐった先にあったとは国分寺駅には1985年頃までクモハ40が発着していた短いホームが残っていたような記憶がありますホームに降りないように立川向きにあった階段にロープを張ってありました
一昨年、下河原線廃線跡を訪れました。遺構は何も残っておりませんが、遊歩道として甲州街道から東京競馬場前駅、及び下河原貨物駅方は、ほぼ残っておりました。甲州街道を挟んで北府中駅方は、当時の下河原線を模した公園?と申しますか憩いの場となっております。
小学校の社会の授業で下川原線という路線を知りましたが翌年に廃止になり、私としては幻の路線です。車両の写真は初めて見ました。
50年前の現実にあったある日の思い出😢
懐かしい。101系も入線していて北府中ではドアが閉じたままの臨時列車も多々あった。
東京競馬場前、鉄道クイズでよく出ていました。私鉄も含めると「尼崎センタープール前」だったかと。
モータリーゼーションの影響で廃止されていく鉄道路線東京都にも廃止された路線があったのですね初めて知りました 1両編成に車掌の乗務現在では考えられない光景です古き良き時代だったと思います
武蔵野線開業と引き換えに「発展的解消」として廃止になったもので、モータリゼーションは無関係です。
中央線の国分寺駅から、南武線府中本町駅のすぐ西側の少し南のところにあった東京競馬場前駅までの5~6㎞くらいの距離を下河原線は伸びていた。
立川崖線を南下して東にカーブし、南武線に直角に当たるあたりに、東京競馬場前駅はあり、そこから南武線のガード下を徒歩で超えると、府中の東京競馬場は、もうすぐ目の前だった。
現在は、府中本町駅から徒歩通路で競馬場へとつながっている。
下河原線は国分寺駅を出て、途中にある北府中駅までの北の区間は、ほぼ今の武蔵野線と重なる。
北府中駅の南を通る甲州街道には踏切があった。ここから南の方面へ伸びる下河原線の線路は現在、遊歩道にかわった。
DD13形ディーゼル機関車が、多摩川の砂利を載せた貨車を引いて走っていたのを覚えている。
競馬開催日や朝夕には、101系か72系電車が5両くらいで、多くの乗客を乗せて走っていた。
それ以外の日や昼間などは、40系電車が単行(1両)などで走っていた。40系電車は戦前製で、当時、最もデザインの優れた端正な顔立ちの名車だった。周りの武蔵野の雰囲気にも溶け込んでいた。
今はもう知っている人もほとんどいなくなった。動画のはじめの写真のように、幻想の靄の彼方に暮れかけようとしている。少なくとも、古き良き時代に存在した、一瞬の記憶のひとコマであったことは確かである。
多摩地域では中々ない、線形が綺麗に残ってる遊歩道なのでよくサイクリングに行きます。
当時の風景をこうして見ることができてよかったです。
確かにここには鉄道路線があったんだなと改めて実感しました
国鉄既存線が同じ国鉄の新線と競合し廃止されるという珍しいケースでしたね。
閑散時間帯にのんびり往復していた半流型のクモハ40074は下河原線の廃止後も2000年まで生き永らえ、現在は大宮の鉄道博物館で余生を過ごしています。
子供の頃ウチの街の機関庫に一両忘れられて放置されていたが鉄道博物館が出来て引き取られていった。空になった機関庫が寂しくなった😢
存在は知っていましたが
乗ることが出来なかった路線です
今までホーム先に見える路線は
武蔵野線だと思い込んでいたのですが
南武線だったのですね
しかも無人駅だと思い込んでいたのでけど
駅員いらしたのですね
駅の構造も変わっていて
改札口が南武線をくぐった先にあったとは
国分寺駅には1985年頃まで
クモハ40が発着していた
短いホームが残っていたような記憶があります
ホームに降りないように
立川向きにあった階段に
ロープを張ってありました
一昨年、下河原線廃線跡を訪れました。遺構は何も残っておりませんが、遊歩道として甲州街道から東京競馬場前駅、及び下河原貨物駅方は、ほぼ残っておりました。甲州街道を挟んで北府中駅方は、当時の下河原線を模した公園?と申しますか憩いの場となっております。
小学校の社会の授業で下川原線という路線を知りましたが翌年に廃止になり、私としては幻の路線です。
車両の写真は初めて見ました。
50年前の現実にあったある日の思い出😢
懐かしい。101系も入線していて北府中ではドアが閉じたままの臨時列車も多々あった。
東京競馬場前、鉄道クイズでよく出ていました。私鉄も含めると「尼崎センタープール前」だったかと。
モータリーゼーションの影響で廃止されていく鉄道路線東京都にも廃止された路線があったのですね初めて知りました 1両編成に車掌の乗務現在では考えられない光景です古き良き時代だったと思います
武蔵野線開業と引き換えに「発展的解消」として廃止になったもので、モータリゼーションは無関係です。