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28代庄之助は本当に良い行司さん。ちゃんと「勝負あり」って言うし、足捌きもキビキビしてるし
同感ですね❗️😊
後藤庄之助(錦太夫)親方は、「見合うて!」の立ち会いの掛け声と所作の全てにおいて風格があり、茶原伊之助(庄二郎)親方は「はっけよ〜いながった!」と立ち会いからのきびきびした声と真っ直ぐに裁く姿勢の良さ、そして福井伊之助(庄太郎)親方は「待ったありません。双方手を下ろして!」の立ち会いでの掛け声と素早い動きで、1984年の立ち会い正常化以降一気に頭角を表しました。御三方の素晴らしい裁きにより、結びの一番の熊谷庄之助親方の触れや掛け声、動きがより際立つ。そんな昭和末期の大相撲幕内後半戦でした。
当時小学校1年生だった頃の私でも、福井伊之助親方のかけ声はキビキビしていて、大好きだった。後藤庄之助のかけ声と美しい所作も好きだった。
行司さん、懐かしいですね
27代式守伊之助の甲高い声好きでしたね。
27代式守伊之助親方(14代木村庄太郎)は中々威厳のある土俵態度で、ジャッジも正確無比で声もよく通り、力士の立ち会わせもキビキビしていましたね。(今の白鵬あたりだと、この伊之助親方だったらきつく注意されるよ。)この伊之助親方の差し違いは、全くというほど見たことがないですね。
同感、よく通る声でしたね。
27代伊之助さんの、待ったありません手をついてっ、からのはっきょい残った残ったの一連の流れが見ていてすごい良かったと思います。まさに古武士と呼ぶにふさわしい名行司でした。
こんな素晴らしい行事さんが、横綱戦を捌いたのが定年の場所の決定戦だけ、なんですよね
26代伊之助親方綺麗な顔で好きでした
第27代式守伊之助さんは、ほんとに名行司だと思います。声の掛け方、裁き、足の運び、所作の良さは言うまでもなく、第26代式守伊之助に伊之助の地位を譲られるなんて、人間的にも優れておられ、まさに尊敬に値する人物ですね。ただ、失敗もあるようで幕内格時代に時間いっぱいになっても軍配をかえさなかったことがあるようです(笑)それぐらいしか、失敗がないなんて、素晴らしいですね!
この3人の行司さんは、3人とも抜擢昇格されていますね。現在の行司さんと比べても、品格・所作・技量ともに上回っていると思います。立合いの時の動き出すタイミングや合わせ方、掛ける言葉もいろいろ工夫されているのが分かります。
庄二郎が抜擢昇格したのは、序列順だと三役のままで定年を迎えてしまうので年下の先輩の庄太郎がゆずったのさ。
wurry77 その前に、江川勘太夫を抜いてます。
28代庄之助さんに何故「松翁」の名誉称号を贈らないのかと言う声がありましたね。曙が横綱になった時は曙にいろいろアドバイスしてたりしてました。27代伊之助さんもまた名行司でした。この伊之助さんは庄之助にはなれなかったけど、間違いなく庄之助になるにふさわしい行司さんでした。
【つづき】立行司としては在位期間が短かった26代伊之助氏ですが、在位期間中は九重2横綱から藤島部屋・ハワイ勢への世代交代期における名勝負を裁いた「太く短く、かつ中身の濃い伊之助」だと思います。
この画像に出ている同じ出羽の海一門の3人の行司(28代庄之助、26代伊之助、27代伊之助)は、差し違いもほとんどなく、土俵態度もすぐれ、模範的な行司だったと記憶しています。3人とも同じ一門だったため、親友だったようです。
平成の名行司28代木村庄之助は、20世紀以降では唯一『松翁』の称号を許された名人・20代庄之助に入門。松翁亡き後、22代庄之助の預かり弟子となり、長らく場内アナウンスを三役格行司になる頃まで務めた。キビキビしたかけ声・裁き、最後の「勝負あり!」まで行司の見本のような方でした。
27代伊之助が印象に残っていて動画探してました。
28代木村庄之助さんは、場内アナウンスの超ベテランさんだ‼️
25代伊之助(28代庄之助)の威厳のある捌きが27代庄之助の華々しい捌きをより引き立てた気がします
27代伊之助親方が好きです
27代式守伊之助さんの時は、水戸泉が大ケガした時に裁いた場面がないのが惜しい‼️
26代伊之助氏は、行司抜擢制度の関係から庄之助にはなれぬまま停年となりましたが、実力と人気を兼ね備えた名力士を裁き、さらには千代の富士関と貴乃花関の「昭和最後の大横綱の終焉と平成初の大横綱の始まり」の取組を裁かれた行司として、記憶に残る行司です。
26代伊之助は行司抜擢制度の煽りは受けていません。
@@karyo_binga19 さんあっ、そうですね(^_^)v
おそらく27代庄之助に抜かれてしまった24代伊之助の事かなと思います。
28代木村庄之助は、三役までの式守錦太夫の時のイメージが強く残ってる。木村正直と式守伊三郎か大好きだったけど、錦太夫が二人を抜かして伊之助になったので、正直は伊之助になったが庄之助になれず、伊三郎は三役止まりでした。でも、錦太夫の庄之助も良い行司だった。
いや、正直(24代伊之助)と伊三郎を抜かしたのは玉治郎(27代庄之助)でしょ。正直は錦太夫(28代庄之助)に抜かれてなんていませんよ。24代伊之助定年の際に錦太夫が伊三郎を抜かして25代伊之助になったんです。あと、最後の文の「でも」って何と何をつないでるんです?この文脈で「でも」を使うなら、「伊三郎も良い行司だった」じゃないのですか?
7代式守勘太夫が幕内格止まりのままで定年を迎える予定だったのは、この3人があまりにも良過ぎたから😩💦結果、2代式守伊三郎の死去に伴い勘太夫は三役格に昇格して定年を迎えた。錦太夫(25代伊之助→28代庄之助)さんは、伊三郎の後に昇格でも良かった気がするな😭
伊三郎さんは伊之助にはなれなかったけど、伊之助としての風格はありました。せめて死跡一場所でもいいから番付だけでも伊三郎改め26代伊之助として伊三郎の功績を称えて欲しかったと思います。
霧島ー安芸乃島の1番は大関 霧島ではなく関脇じゃなかったっけ?
1:17 多賀竜優勝、ということは千代の富士の成績は?小錦に強い千代の富士があっさり負けるとは、よほど調子が悪かったのかな?
千代の富士は前日まで9勝4敗。これは初顔の一番だから、小錦に強いも弱いもない。
通算対戦成績は千代の富士の20勝9敗なので、比較的小錦には苦戦してました。負ける時は廻しを取れずに一気に電車道で押し出されるパターンが多かったです。
28代庄之助は本当に良い行司さん。ちゃんと「勝負あり」って言うし、足捌きもキビキビしてるし
同感ですね❗️😊
後藤庄之助(錦太夫)親方は、「見合うて!」の立ち会いの掛け声と所作の全てにおいて風格があり、茶原伊之助(庄二郎)親方は「はっけよ〜いながった!」と立ち会いからのきびきびした声と真っ直ぐに裁く姿勢の良さ、そして福井伊之助(庄太郎)親方は「待ったありません。双方手を下ろして!」の立ち会いでの掛け声と素早い動きで、1984年の立ち会い正常化以降一気に頭角を表しました。
御三方の素晴らしい裁きにより、結びの一番の熊谷庄之助親方の触れや掛け声、動きがより際立つ。そんな昭和末期の大相撲幕内後半戦でした。
当時小学校1年生だった頃の私でも、福井伊之助親方のかけ声はキビキビしていて、大好きだった。
後藤庄之助のかけ声と美しい所作も好きだった。
行司さん、懐かしいですね
27代式守伊之助の甲高い声好きでしたね。
27代式守伊之助親方(14代木村庄太郎)は中々威厳のある土俵態度で、ジャッジも正確無比で声もよく通り、力士の立ち会わせもキビキビしていましたね。(今の白鵬あたりだと、この伊之助親方だったらきつく注意されるよ。)この伊之助親方の差し違いは、全くというほど見たことがないですね。
同感、よく通る声でしたね。
27代伊之助さんの、待ったありません手をついてっ、からのはっきょい残った残ったの一連の流れが見ていてすごい良かったと思います。まさに古武士と呼ぶにふさわしい名行司でした。
こんな素晴らしい行事さんが、横綱戦を捌いたのが定年の場所の決定戦だけ、なんですよね
26代伊之助親方
綺麗な顔で好きでした
第27代式守伊之助さんは、ほんとに名行司だと思います。声の掛け方、裁き、足の運び、所作の良さは言うまでもなく、第26代式守伊之助に伊之助の地位を譲られるなんて、人間的にも優れておられ、まさに尊敬に値する人物ですね。
ただ、失敗もあるようで幕内格時代に時間いっぱいになっても軍配をかえさなかったことがあるようです(笑)
それぐらいしか、失敗がないなんて、素晴らしいですね!
この3人の行司さんは、3人とも抜擢昇格されていますね。
現在の行司さんと比べても、品格・所作・技量ともに上回っていると思います。
立合いの時の動き出すタイミングや合わせ方、掛ける言葉もいろいろ工夫されているのが分かります。
庄二郎が抜擢昇格したのは、序列順だと三役のままで定年を迎えてしまうので年下の先輩の庄太郎がゆずったのさ。
wurry77 その前に、江川勘太夫を抜いてます。
28代庄之助さんに何故「松翁」の名誉称号を贈らないのかと言う声がありましたね。曙が横綱になった時は曙にいろいろアドバイスしてたりしてました。
27代伊之助さんもまた名行司でした。この伊之助さんは庄之助にはなれなかったけど、間違いなく庄之助になるにふさわしい行司さんでした。
【つづき】
立行司としては在位期間が短かった26代伊之助氏ですが、在位期間中は九重2横綱から藤島部屋・ハワイ勢への世代交代期における名勝負を裁いた「太く短く、かつ中身の濃い伊之助」だと思います。
この画像に出ている同じ出羽の海一門の3人の行司(28代庄之助、26代伊之助、27代伊之助)は、差し違いもほとんどなく、土俵態度もすぐれ、模範的な行司だったと記憶しています。
3人とも同じ一門だったため、親友だったようです。
平成の名行司28代木村庄之助は、20世紀以降では唯一『松翁』の称号を許された名人・20代庄之助に入門。松翁亡き後、22代庄之助の預かり弟子となり、長らく場内アナウンスを三役格行司になる頃まで務めた。キビキビしたかけ声・裁き、最後の「勝負あり!」まで行司の見本のような方でした。
27代伊之助が印象に残っていて動画探してました。
28代木村庄之助さんは、場内アナウンスの超ベテランさんだ‼️
25代伊之助(28代庄之助)の威厳のある捌きが27代庄之助の華々しい捌きをより引き立てた気がします
27代伊之助親方が好きです
27代式守伊之助さんの時は、水戸泉が大ケガした時に裁いた場面がないのが惜しい‼️
26代伊之助氏は、行司抜擢制度の関係から庄之助にはなれぬまま停年となりましたが、実力と人気を兼ね備えた名力士を裁き、さらには千代の富士関と貴乃花関の「昭和最後の大横綱の終焉と平成初の大横綱の始まり」の取組を裁かれた行司として、記憶に残る行司です。
26代伊之助は行司抜擢制度の煽りは受けていません。
@@karyo_binga19 さん
あっ、そうですね(^_^)v
おそらく27代庄之助に抜かれてしまった24代伊之助の事かなと思います。
28代木村庄之助は、三役までの式守錦太夫の時のイメージが強く残ってる。木村正直と式守伊三郎か大好きだったけど、錦太夫が二人を抜かして伊之助になったので、正直は伊之助になったが庄之助になれず、伊三郎は三役止まりでした。でも、錦太夫の庄之助も良い行司だった。
いや、正直(24代伊之助)と伊三郎を抜かしたのは玉治郎(27代庄之助)でしょ。
正直は錦太夫(28代庄之助)に抜かれてなんていませんよ。
24代伊之助定年の際に錦太夫が伊三郎を抜かして25代伊之助になったんです。
あと、最後の文の「でも」って何と何をつないでるんです?
この文脈で「でも」を使うなら、「伊三郎も良い行司だった」じゃないのですか?
7代式守勘太夫が幕内格止まりのままで定年を迎える予定だったのは、この3人があまりにも良過ぎたから😩💦
結果、2代式守伊三郎の死去に伴い勘太夫は三役格に昇格して定年を迎えた。
錦太夫(25代伊之助→28代庄之助)さんは、伊三郎の後に昇格でも良かった気がするな😭
伊三郎さんは伊之助にはなれなかったけど、伊之助としての風格はありました。せめて死跡一場所でもいいから番付だけでも伊三郎改め26代伊之助として伊三郎の功績を称えて欲しかったと思います。
霧島ー安芸乃島の1番は大関 霧島ではなく関脇じゃなかったっけ?
1:17 多賀竜優勝、ということは千代の富士の成績は?
小錦に強い千代の富士があっさり負けるとは、よほど調子が悪かったのかな?
千代の富士は前日まで9勝4敗。
これは初顔の一番だから、小錦に強いも弱いもない。
通算対戦成績は千代の富士の20勝9敗なので、比較的小錦には苦戦してました。負ける時は廻しを取れずに一気に電車道で押し出されるパターンが多かったです。