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シリコン整流器がはじめて採用されたD級交流電気機関車はED74ですな従来の水銀整流器では連続位相制御ができたので、空転時の再粘着も問題なかったが、シリコン整流器では電気的に位相制御ができず、再粘着や発車時に衝動が発生するなど、実質的に性能が低下してしまったED74では高圧タップ制御を採用したので扱う電流を少なくすることができたが、まだまだ無段階制御というわけにはいかなかったそこで空転対策としてED74は台車にジャックマン機構が採用され、機械的に空転を制御することとしたこの構造は後のD級交流電気機関車では標準装備となる画期的なものとなった
ED72・73の動力台車は逆ハリンク機構を持っていました。軸重移動にはかなり神経を使っていたようですね。
???「バーニア!バニア!バーニア!求人!」
バーニアバニアで高電流!
めっちゃ面白かったです。今まで水銀整流器時代が有って、その次がシリコン整流器、そしてチョッパ制御だと思ってました。水銀整流器に位相制御機能が有ったなんて知りませんでしたし、機械式ゼロクロススイッチをしてたなんてことも知りませんでした。マグアンプも有ったんですね。戦後、国産の電磁鋼板は大きく発展したので、その影響が有るのでしょうね。見応え有る動画をありがとうございました。今後も期待してますね。
直流電化での抵抗制御を思えば交流電化は魅力的に見えたんでしょうね当時は今や三相交流へ単相交流を大容量で変換する方式が直流経由しかないので交流電車でも一度VVVFへ送る前に直流にするのとは大違い……
インバーターへの夜明け前、ドラマチックですね。
序盤の制御とか空転、トルク変動の説明は中途半端な知識しか無いオタクにこそ見てほしい教育動画。
初期の出力制御は「常に使用電力100%」だったのね
「水銀整流器」は懐かしいですねえ。そこまで繊細な部品だったのですね。交流電化は、当時は結構話題となり、近代化の象徴のようにも思われていた時代でした。しかし、それほど成績も悪くなかったED70~ED74は、少量生産で、とっとと消えて行ってしまいました。まあ、今考えれば、いずれも試行錯誤をする試作車と言っていいでしょうね。量産車であるED75の技術的位置づけは、そういうものだったんですね。ところで、最近は、交流電化したところを、直流電化に切り替えるべきだ なんていう意見も出てきたりもしています。当時は交流電化が最適だった、北陸線や九州北部などでも、そんな意見があります。「低コストで」、交流電化区間を直流化する技術も開発する必要があるのかもしれません。常磐線や水戸線の柿岡周辺の地域の直流化の技術開発も、できればやってほしいものです。
常磐線は地磁気研究所かなんかの関係で難しいんじゃなかった?北陸は途中まで直流にすれば大阪から来やすくなるよねぐらい?
もう北陸本線もJR西から切り離されるし、どうでも良いかな
どうして架線の三相交流をそのまま使わず、一旦直流に変換してからまた交流に戻すんだったっけ?
交流電源をそのまま周波数制御できる半導体素子はまだ発明されてないからね。できたらノーベル賞もの。
架線は単相交流なんだが・・・そのまま交流モーターを回すと定速回転しかできない。昔はモーターが直流だったのもあるので最終的に直流変換するし、今のモーターは三相交流モーターだから単相交流でも一度直流にしてからインバーターで任意の周波数と電圧の三相交流を作って回すのが簡単だから。
このせいで常に抵抗に負荷がかかるような引き出し発車や山間区間の速度制限には直流機が弱かったのですね。気動車の変速機のように抵抗器を通すのが一時的である方針で、永続して抵抗器に電流を流し続けると熱で自損するという。サイリスタ位相制御もまだの時代、その前夜にはこのような苦闘があったのですね。しかし0系新幹線もシリコン整流器を用いた低圧側タップ切り替えを行っておりますが磁器増幅器なんてものは乗っけてなかったはず。どうなっているのですかね。
在来線に比べれば大出力ながら電車なんで電流量が機関車程はなく、単純なタップの切り替えでなんとかなると割り切った模様
起動時の直列接続だと1台のモーターが故障したらそれで全てのモーターに電流が流れなくなる。
技術進展の代償として重電各社に喰い物にされて血税が無駄遣いされてしまった負の側面を忘れてはならない
ED79取りあげてくださいm(_ _)m
シリコン整流器がはじめて採用されたD級交流電気機関車はED74ですな
従来の水銀整流器では連続位相制御ができたので、空転時の再粘着も問題なかったが、シリコン整流器では電気的に位相制御ができず、再粘着や発車時に衝動が発生するなど、実質的に性能が低下してしまった
ED74では高圧タップ制御を採用したので扱う電流を少なくすることができたが、まだまだ無段階制御というわけにはいかなかった
そこで空転対策としてED74は台車にジャックマン機構が採用され、機械的に空転を制御することとした
この構造は後のD級交流電気機関車では標準装備となる画期的なものとなった
ED72・73の動力台車は逆ハリンク機構を持っていました。
軸重移動にはかなり神経を使っていたようですね。
???「バーニア!バニア!バーニア!求人!」
バーニアバニアで高電流!
めっちゃ面白かったです。
今まで水銀整流器時代が有って、その次がシリコン整流器、そしてチョッパ制御だと思ってました。
水銀整流器に位相制御機能が有ったなんて知りませんでしたし、機械式ゼロクロススイッチをしてたなんてことも知りませんでした。
マグアンプも有ったんですね。戦後、国産の電磁鋼板は大きく発展したので、その影響が有るのでしょうね。
見応え有る動画をありがとうございました。今後も期待してますね。
直流電化での抵抗制御を思えば
交流電化は魅力的に見えたんでしょうね当時は
今や三相交流へ単相交流を大容量で変換する方式が直流経由しかないので
交流電車でも一度VVVFへ送る前に直流にするのとは大違い……
インバーターへの夜明け前、ドラマチックですね。
序盤の制御とか空転、トルク変動の説明は中途半端な知識しか無いオタクにこそ見てほしい教育動画。
初期の出力制御は「常に使用電力100%」だったのね
「水銀整流器」は懐かしいですねえ。そこまで繊細な部品だったのですね。
交流電化は、当時は結構話題となり、近代化の象徴のようにも思われていた時代でした。しかし、それほど成績も悪くなかったED70~ED74は、少量生産で、とっとと消えて行ってしまいました。
まあ、今考えれば、いずれも試行錯誤をする試作車と言っていいでしょうね。
量産車であるED75の技術的位置づけは、そういうものだったんですね。
ところで、最近は、交流電化したところを、直流電化に切り替えるべきだ なんていう意見も出てきたりもしています。当時は交流電化が最適だった、北陸線や九州北部などでも、そんな意見があります。
「低コストで」、交流電化区間を直流化する技術も開発する必要があるのかもしれません。
常磐線や水戸線の柿岡周辺の地域の直流化の技術開発も、できればやってほしいものです。
常磐線は地磁気研究所かなんかの関係で難しいんじゃなかった?北陸は途中まで直流にすれば大阪から来やすくなるよねぐらい?
もう北陸本線もJR西から切り離されるし、どうでも良いかな
どうして架線の三相交流をそのまま使わず、一旦直流に変換してからまた交流に戻すんだったっけ?
交流電源をそのまま周波数制御できる半導体素子はまだ発明されてないからね。できたらノーベル賞もの。
架線は単相交流なんだが・・・そのまま交流モーターを回すと定速回転しかできない。
昔はモーターが直流だったのもあるので最終的に直流変換するし、今のモーターは三相交流モーターだから単相交流でも一度直流にしてからインバーターで任意の周波数と電圧の三相交流を作って回すのが簡単だから。
このせいで常に抵抗に負荷がかかるような引き出し発車や山間区間の速度制限には直流機が弱かったのですね。
気動車の変速機のように抵抗器を通すのが一時的である方針で、永続して抵抗器に電流を流し続けると熱で自損するという。
サイリスタ位相制御もまだの時代、その前夜にはこのような苦闘があったのですね。
しかし0系新幹線もシリコン整流器を用いた低圧側タップ切り替えを行っておりますが磁器増幅器なんてものは乗っけてなかったはず。どうなっているのですかね。
在来線に比べれば大出力ながら電車なんで電流量が機関車程はなく、単純なタップの切り替えでなんとかなると割り切った模様
起動時の直列接続だと1台のモーターが故障したらそれで全てのモーターに電流が流れなくなる。
技術進展の代償として重電各社に喰い物にされて血税が無駄遣いされてしまった負の側面を忘れてはならない
ED79取りあげてくださいm(_ _)m