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いつもお世話様です、天皇の国事行為の中の、大赦、特赦云々って具体的にどのようなことなのでしょうか
刑の減刑ですね。懲役刑だった人たちの刑が減刑されたり、赦免されたりしました。
自分、高校生の時に世界史の先生に「天皇は必要かどうか」を問われ、全く答えを出せなかったことを思い出しました…今でも答えは出せていないのですが、皆さんはこの問いについてどう思います?
必要
『必要か?不要か?』と問われれば、先ずは『どちらでもない』と答えるでしょうね。その上で、敢えて、必要であると答えますね。その理由は、以下の書籍通りですね。■参考書籍 →日本人のための憲法原論
必要ですね全ての人間は家族で暮らしており、家族の長のお父さんのお父さんのお父さんの・・・の頂点が天皇だからです端的に言うと、家父長制の家長。その家長のトップが天皇なのです。人間のどんな社会の家族という最小単位がトップの元に団結しており、日本はそれが天皇です
なんで誰も知らん人をトップとして崇めないかんの、とか、血統で続いてるんならハーレム作れば良くね?、とか色々議論があるんだけど天皇の存在は歴史が長いので、その制度も色々変遷してる訳です現天皇制を作ったのは昭和帝という方です
衆議院の解散は内閣の仕事でもあるし天皇の仕事でもあるんでしょうか??
6:51 今頃ですが大嘗祭は皇室の儀式であって天皇の国事行為たる国の儀式ではありませんよ
そーなんですか!勉強になります!ありがとうございます!
先生!指名と任命の違いはなんですか??
「指名」と「任命」の意味の違いをわかりやすくまとめると、「この人がいいな」「この人にやってもらおう」というのが「指名」、「この役目をあなたに任せた」というのが「任命」です。
天皇制と天皇象徴制は同じものでしょうか?
日本国憲法下では同じと捉えて問題ありません。
@@miniikesensei ありがとうございます☺️
天皇は長い歴史があり、歴史の中でそのポジションが変わってきました。ざっくりまとめておきます大王(おおきみ)期日本の近畿に発生したヤマト朝廷の長であり、王でした。大王は軍事力で持って中部、四国、九州を征服し、各地の王を平定してヤマト朝廷に取り込んでいきます。そして王の中の王、大王(おおきみ)となりました。コレが古事記とかで語られる伝説の時代です。ちなみに今でも天皇の英訳がエンペラーなのは、この「王の中の王」という伝統です天皇の誕生こうして統一したヤマト朝廷ですが、大王の座を巡って跡目争いがおきます。で、これに勝利したのが大海人皇子という皇族です。大海人皇子は天武天皇として即位しましたが、ある意味戦争で地位を勝ち取った大王なので、その地位は不安定でした。なので大海人皇子は「天皇(俺は宇宙唯一の王やぞ) 」を名乗り、自分を神として崇めさせます。古事記、日本書紀を編纂して「お前らの氏族の神いるやろ?その神様の神様が俺の祖先や、だから従え」としたり、優秀な歌人を集めて「天皇は神」として崇めさせました。コレで有名な歌人の一人が、古代における最高峰の歌人、柿本人麻呂です。こういう政治体制を皇親政治と呼びます。もうちょい後になりますが、この時代くらいにヤマト朝廷から国号が「日本」になります。因みに、日本でおめでたい色の組み合わせで「紅白」ってありますよね?コレ、天武天皇の好きな色が赤だからなんですよ。鎮護国家時代 仏教の信奉者としての天皇激動の天武天皇時代から時代が下り、天皇の権威もかつて神と称されたほどでは無くなってきました。天武天皇は戦争も強いし、内政もバリバリやる、中央集権制を作ったバリバリのカリスマだった訳です。ですが、その息子、子孫達はカリスマどころか、病弱な者さえいたのです。その息子達は自分達の権威を守るため、仏教にすがりました。この頃の仏教は、催事の説法とか、坊さんのお悩み相談とかそういうのではなく「国家を守護する秘密の呪法」でしたコレを鎮護仏教と言います。鎮護仏教にハマった代表的な天皇が大仏を作った聖武天皇です。平安時代 貴族政治の時代聖武天皇の時代に重要な法律が制定されました。墾田永年私財法です。天武天皇の時代には、日本の田んぼは全部天皇のモノでした。だから税金払え、って理屈ですね。この法律はその前提を崩し「自分で開墾した田んぼは自分のモノだよ。だから税金取らないよ」という法律です。コレで、自分の田んぼを持ち、私財を溜め込む人が出てきました。貴族の誕生です。貴族たちは自分の娘を積極的に天皇と結婚させ、天皇の親戚として権力を振るいました。藤原氏とかが有名ですね。コレを摂関政治と言います。この頃からだいたい天皇はお飾りになっていきます武家の時代貴族の時代は長く続きましたが、その政治は腐敗していきました。ぶっちゃけて言うと、貴族たちはかなりしょっぱいものを食べて、全く運動せず歌遊びばかりしてたので、ゴリゴリに不健康になって行きました。そんな中、貴族に変わって権力を持ち始めるモノが出てきます。田んぼの警備員です。田んぼの警備員は農作業し、武装し、畑泥棒から田んぼを守っていました。彼らを武士と言います。長い歴史の中で、都会に引きこもってる貴族たちの言うことより、田んぼも守るし、争いも調停する武士の方が言うことに説得力が出てきたのですね。貴族や皇族はというと、武士に武器持って脅されて、官位を授与するだけの存在に成り下がりました。コレから長い時代、日本は武士の時代になります。余談ですが、武士は武力で持って貴族から権力を奪ったので、貴族たちは武士のことを野蛮人扱いしてたのですね。なので武士は理論武装のため、仏教を信じ始めました。「俺たちだって無闇に殺してる訳じゃない。仏教を信じ、倫理的にしっかりしてる」と正当性を確保する必要があったのです。この頃から日本の民衆に仏教が広がっていきます。大日本帝国の成立長い武士の時代、天皇は貴族たちの末裔と一緒に歌だけ読んでいました。江戸時代には武家も将軍も貴族化しましたが、「武家の作法」として運動が義務付けられていたので、平安時代のように腐敗しなかったのです。で、江戸時代にとんでもないモノが来ます。欧米諸国です。欧米諸国は開国を日本に迫っており、彼らの軍事力や文化は武士の対応能力を遥かに超えていたのですね。日本は大混乱に陥ります。そこで、外国排除を訴える一部武士の間に「天皇を日本の中心に据えて、武家を革命して日本を作り直そう」とする一派が現れます。そこで日本は内乱に突入するのですが、この革命は成功し、明治天皇が日本のトップになります。この革命を明治維新と言います。ここで重要な色々重要なものが決められます。まず、最初に「大日本帝国憲法」です。動画にも出てきましたね。この憲法で「天皇は神聖不可侵。天皇は日本を統治す」と決められます。天皇は神、で日本の最高権力者、という訳ですね。この憲法にはまた、大事な条文が一つあります。それが「天皇は陸海軍を統治す」という条文です。これは「武士の時代に天皇は権力を取られてしまったので、明確に天皇が上だ」と定めた条文で、これを「統帥権」と言います。コレが後に大問題を起こします。また、実は明治政府は革命によって成った政府なので、「江戸時代よりもいい暮らしさせてあげるよ」と民衆に約束しなければなりませんでした。そこで五箇条の御誓文という誓約書を民衆に発布します。そこに「広く公議を起こし、万機公論に決すべし(皆で話し合って何でも決めるよ)」と言う条文がありました。コレも後に大問題を起こします。大正デモクラシー時代明治時代、国の一部は西洋化して豊かになりましたが、大多数の農民の暮らしは変わりませんでした。そこで五箇条の御誓文に基づき「皆で話し合って決めるって言ったじゃねぇか」「何でも明治維新した奴らで決めるのが良くない、俺たちにも政治参加させろ」という運動が活発化します。コレを自由民権運動と言います。日本の各地で暴動が起こり、政府は民衆をなだめるため、選挙を実施して国会を開きます。しかし、天皇が絶対権利を持ってる国で、国会が決めることを国の方針とすると、権力の反逆になって政府に矛盾が生じる訳です。コレを解決したのが、美濃部達吉という憲法学者でした。美濃部達吉はドイツの「国家法人説」という学説を利用し、「天皇機関説」という学説を作ります。国家法人説とは「国家は会社である。会社は色んな権利があるけど、社長は会社のルールに従う」とする法の解釈です。美濃部達吉はコレを応用し「天皇は日本の最高機関だけど、日本という国のルールに従う」と唱えたのです。コレによって、天皇は国会の決定に従う機関になりました。コレが現代とにてますね。この時代を大正デモクラシーと言います。
軍部の台頭大正デモクラシー時代に、日本の生活水準は劇的に上がりました。電気ガス水道のある家が都市の一部に登場し、軍の調理法の普及で洋食が広まりました。しかし、突然エライことになります。世界恐慌と言って、アメリカが突然不景気になります。当時の世界の工場であったアメリカが不景気になることで、世界中が一気に不況になります。特に東北では大根盗んだり、娘を身売りするなどかなり悲惨なことになります。そこで「今の政治家が全部悪い、明治維新をもう一度起こして革命をすれば日本は良くなる」と考える軍部の一派が出始めます。彼らを「皇道派」と呼びます。彼らは国会自体を否定するため、帝国憲法で決められた「統帥権」を使って国会を理論的に批判し始めます。要するに「天皇が軍を統帥すると書いてるのに、国会や行政のトップが決めてるのはおかしいだろ」と言い始めたのです。クーデターや政治家の暗殺など、なんやかんやで軍部のトップの立ったのが「石原莞爾」という男です。石原莞爾はゴリゴリのサイコパスで「中国を植民地にしたら、日本経済回復するよね。中国も軍閥で分裂してるし、統一中国欲しいでしょ。」という考えで勝手に戦争をおっ始めてしまいます。そして恐ろしいことに実際に戦争に勝っちゃったし、日本経済は回復しました。日本の民衆も「何もできない政府より軍部の方が説得力ある」と政府より軍部の言う事を信じる時代になります。この時、石原莞爾が勝手に戦争をおっ始めた事により、一種の風潮が生まれます。「やったもん勝ち」という風潮です。要するに法律を無視しても、成果が上げらればいいでしょ、という風潮が広まります。この時、統帥権を持って否定されたことにより、「天皇機関説」も否定されました。美濃部達吉の本は発禁処分になり、「ルールが天皇に従うんじゃない。天皇が国家だ」となってしまいます。コレを天皇機関説事件と言います。「やったもん勝ち」の風潮と天皇機関説の否定により、「ルール無視しても、天皇の名の下なんでもゴリ押せる」というメチャクチャな社会になりました。と言っても、天皇は何もしておらず、天皇の名前で法律無視のゴリ押ししてたのは、軍部だったのですね。これが大日本帝国末期の現人神としての天皇です現代 象徴天皇制へ大日本帝国は戦争に負け、国家はほとんど滅びました。戦後、日本を統治したGHQは日本を民主化しようとします。そこで「日本がアチコチ戦争したのは天皇が悪い」として、天皇に「人間宣言」として「私、神の子孫じゃないよ。人間だよ」という宣言と、GHQの総司令官、マッカーサーとツーショットで写真を取ります。人間宣言と大柄なアメリカ人の隣に小柄な日本の天皇がいる写真は、当時の国民に取って衝撃的で、天皇の権威は大きく下がりました。で、帝国憲法は廃止され、今の日本国憲法が出来、天皇は「国民統合の象徴」という立場になります。そして、昭和天皇は日本各地、世界中各地を回って、戦争のことを謝罪しまくります。こうして出来た「神じゃないしけど、国民感情に寄り添うよ」という天皇は、日本統合の「象徴」として現天皇まで引き継がれますというのが天皇制の変遷です
歴史が長い、というか日本の歴史そのもなので、天皇制の変遷は日本の歴史と言って良いかもしれませんとりあえず、「現天皇制は昭和天皇が作った」と考えてOKです
単純な疑問ですが、天皇制はなぜ必要なのでしょうか?どなたか論理的に説明をしていただけますでしょうか。宜しくお願いします。
制定過程でマッカーサーが天皇制を残さないと、日本国民を統治できない・民主的に変えることができないと判断したからだと思います。マッカーサーは「もし天皇制を廃止すれば反乱が起きて100万もの軍隊の出動が必要になる」と報告しています。詳しくは日本国憲法制定の過程をご覧ください。th-cam.com/video/ZubFsI-aS3k/w-d-xo.html
@@miniikesensei ありがとうございます。拝見します。
すごくザックリ言うと、国民のお父さんだからです。全ての国民は家族で暮らしており、家族には家長、お父さんがいます。お父さんは会社で上司のもと働いており、その人をお父さん、家長として敬います。そのお父さんも組織に属し、別のお父さんを敬い、という風にお父さんのお父さんのお父さんの・・・という頂点が天皇なのです。国家は家族を最小単位としており、日本に暮らすお父さんの最高お父さんが天皇なのです大統領でいいんじゃねぇの?と思うかも知れませんが、日本は伝統が好きな国なので、伝統的なこの制度が維持されたままおる訳です
天皇のポジションは歴史の中で変化しており、実は現天皇制を作ったのは昭和天皇なのです昭和帝はぶっちゃけて言うと、歴代天皇の中でも最も賢明な天皇でした。帝国時代の現人神としての天皇、大正デモクラシーの「最高機関としての天皇」と、現代の「象徴」としての天皇と、全てを経験したかなり稀有な天皇です。そして初めて「海外留学した天皇」でもあります。で、その昭和帝の君主観はかなり西洋の君主観、ローマ皇帝観に近いです。その西洋の君主観、家父長制のトップ、という君主観で持って現天皇制を作ったので、今の天皇像は西洋の君主に近いのです。
日本国民統合の象徴ってどういう事ですか…😭
戦争の後、日本国民がバラバラになるのではなく日本国民が1つになる。その象徴が天皇だということです。マッカーサーは天皇を排除すれば日本が瓦解すると考えていたそうです。
『品格と良識』って事でしょうね。226事件の収拾や終戦の御聖断が叶わなかったら、クーデターや国家分裂または国家意思の発動による正当性や正統性が担保されません。また、もし仮に、中央政府が無い場合、ポツダム宣言を受諾できません。しかし、大日本帝国憲法では、天皇の命により、第8・14・31条で非常大権や緊急勅令・戒厳令が公布可能でした。中央政府及び内閣の機能が完全に停止した場合は、安全装置として、天皇自らが指揮・命令権を行使できる体制を整えていました。言わば、天皇の大権は伝家の宝刀で、平時は絶対に抜かれませんが、国家の一大事ではきちんと作動する様にしておきました。実際に、226事件や終戦の御聖断時には、辛うじて機能しました。では、何故、安全装置として機能できるかというと、天皇家(皇族)が126代続いており、権威としてきた歴史があり、それなりに信用信頼されてきたからでしょうね。また、歴代の武家勢力や豪族・土地有力者・金持ちと姻戚関係を持ち、それ相当の権威と誇りと威厳を持っているからでしょうね。だからこそ、126代も続いたとも言えます。話を戻すと、法秩序が完全に崩壊し、国の規律が乱れた場合(例えば、警察官が強盗強姦殺人し、自衛官が国民を虐殺し、医者が民衆を毒殺し、弁護士がヤクザと結託し財産を奪う場合など等)、最後に頼らざるを得ないのが権威者の『倫理・道徳』でしょうね。そうすると、適任者は、結果的に最終的に天皇とならざるを得ないでしょうね。(※因みに、天皇システム以上のシステムを構築出来れば、話は別です。)歴代の天皇の名に『仁・徳』が付くのはその為でしょうね。
すごくザックリ言うと、国民のお父さんということです。全ての国民は家族で暮らしており、家族には家長、お父さんがいます。お父さんは会社で上司のもと働いており、その人をお父さん、家長として敬います。そのお父さんも組織に属し、別のお父さんを敬い、という風にお父さんのお父さんのお父さんの・・・という頂点が天皇なのです。国家は家族を最小単位としており、日本に暮らすお父さんの最高お父さんが天皇なのです大統領でいいんじゃねぇの?と思うかも知れませんが、日本は伝統が好きな国なので、伝統的なこの制度が維持されたままおる訳です
平成天皇 ✕上皇陛下 ○ではないでしょうか。
今はそうですね。ありがとうございます。
天皇制ってなんだよ
いつもお世話様です、天皇の国事行為の中の、大赦、特赦云々って具体的にどのようなことなのでしょうか
刑の減刑ですね。懲役刑だった人たちの刑が減刑されたり、赦免されたりしました。
自分、高校生の時に世界史の先生に「天皇は必要かどうか」を問われ、全く答えを出せなかったことを思い出しました…今でも答えは出せていないのですが、皆さんはこの問いについてどう思います?
必要
『必要か?不要か?』と問われれば、先ずは『どちらでもない』と答えるでしょうね。
その上で、敢えて、必要であると答えますね。
その理由は、以下の書籍通りですね。
■参考書籍 →日本人のための憲法原論
必要ですね
全ての人間は家族で暮らしており、家族の長のお父さんのお父さんのお父さんの・・・の頂点が天皇だからです
端的に言うと、家父長制の家長。その家長のトップが天皇なのです。
人間のどんな社会の家族という最小単位がトップの元に団結しており、日本はそれが天皇です
なんで誰も知らん人をトップとして崇めないかんの、とか、血統で続いてるんならハーレム作れば良くね?、とか色々議論があるんだけど
天皇の存在は歴史が長いので、その制度も色々変遷してる訳です
現天皇制を作ったのは昭和帝という方です
衆議院の解散は内閣の仕事でもあるし天皇の仕事でもあるんでしょうか??
6:51 今頃ですが大嘗祭は皇室の儀式であって天皇の国事行為たる国の儀式ではありませんよ
そーなんですか!勉強になります!ありがとうございます!
先生!指名と任命の違いはなんですか??
「指名」と「任命」の意味の違いをわかりやすくまとめると、「この人がいいな」「この人にやってもらおう」というのが「指名」、「この役目をあなたに任せた」というのが「任命」です。
天皇制と天皇象徴制は同じものでしょうか?
日本国憲法下では同じと捉えて問題ありません。
@@miniikesensei
ありがとうございます☺️
天皇は長い歴史があり、歴史の中でそのポジションが変わってきました。
ざっくりまとめておきます
大王(おおきみ)期
日本の近畿に発生したヤマト朝廷の長であり、王でした。
大王は軍事力で持って中部、四国、九州を征服し、各地の王を平定してヤマト朝廷に取り込んでいきます。
そして王の中の王、大王(おおきみ)となりました。
コレが古事記とかで語られる伝説の時代です。
ちなみに今でも天皇の英訳がエンペラーなのは、この「王の中の王」という伝統です
天皇の誕生
こうして統一したヤマト朝廷ですが、大王の座を巡って跡目争いがおきます。
で、これに勝利したのが大海人皇子という皇族です。
大海人皇子は天武天皇として即位しましたが、ある意味戦争で地位を勝ち取った大王なので、その地位は不安定でした。
なので大海人皇子は「天皇(俺は宇宙唯一の王やぞ) 」を名乗り、自分を神として崇めさせます。
古事記、日本書紀を編纂して「お前らの氏族の神いるやろ?その神様の神様が俺の祖先や、だから従え」としたり、優秀な歌人を集めて「天皇は神」として崇めさせました。コレで有名な歌人の一人が、古代における最高峰の歌人、柿本人麻呂です。
こういう政治体制を皇親政治と呼びます。
もうちょい後になりますが、この時代くらいにヤマト朝廷から国号が「日本」になります。
因みに、日本でおめでたい色の組み合わせで「紅白」ってありますよね?コレ、天武天皇の好きな色が赤だからなんですよ。
鎮護国家時代 仏教の信奉者としての天皇
激動の天武天皇時代から時代が下り、天皇の権威もかつて神と称されたほどでは無くなってきました。
天武天皇は戦争も強いし、内政もバリバリやる、中央集権制を作ったバリバリのカリスマだった訳です。
ですが、その息子、子孫達はカリスマどころか、病弱な者さえいたのです。
その息子達は自分達の権威を守るため、仏教にすがりました。
この頃の仏教は、催事の説法とか、坊さんのお悩み相談とかそういうのではなく
「国家を守護する秘密の呪法」でしたコレを鎮護仏教と言います。
鎮護仏教にハマった代表的な天皇が大仏を作った聖武天皇です。
平安時代 貴族政治の時代
聖武天皇の時代に重要な法律が制定されました。墾田永年私財法です。
天武天皇の時代には、日本の田んぼは全部天皇のモノでした。だから税金払え、って理屈ですね。この法律はその前提を崩し「自分で開墾した田んぼは自分のモノだよ。だから税金取らないよ」という法律です。
コレで、自分の田んぼを持ち、私財を溜め込む人が出てきました。貴族の誕生です。
貴族たちは自分の娘を積極的に天皇と結婚させ、天皇の親戚として権力を振るいました。藤原氏とかが有名ですね。コレを摂関政治と言います。
この頃からだいたい天皇はお飾りになっていきます
武家の時代
貴族の時代は長く続きましたが、その政治は腐敗していきました。
ぶっちゃけて言うと、貴族たちはかなりしょっぱいものを食べて、全く運動せず歌遊びばかりしてたので、ゴリゴリに不健康になって行きました。
そんな中、貴族に変わって権力を持ち始めるモノが出てきます。
田んぼの警備員です。
田んぼの警備員は農作業し、武装し、畑泥棒から田んぼを守っていました。彼らを武士と言います。
長い歴史の中で、都会に引きこもってる貴族たちの言うことより、田んぼも守るし、争いも調停する武士の方が言うことに説得力が出てきたのですね。
貴族や皇族はというと、武士に武器持って脅されて、官位を授与するだけの存在に成り下がりました。
コレから長い時代、日本は武士の時代になります。
余談ですが、武士は武力で持って貴族から権力を奪ったので、貴族たちは武士のことを野蛮人扱いしてたのですね。
なので武士は理論武装のため、仏教を信じ始めました。「俺たちだって無闇に殺してる訳じゃない。仏教を信じ、倫理的にしっかりしてる」と正当性を確保する必要があったのです。
この頃から日本の民衆に仏教が広がっていきます。
大日本帝国の成立
長い武士の時代、天皇は貴族たちの末裔と一緒に歌だけ読んでいました。
江戸時代には武家も将軍も貴族化しましたが、「武家の作法」として運動が義務付けられていたので、平安時代のように腐敗しなかったのです。
で、江戸時代にとんでもないモノが来ます。欧米諸国です。
欧米諸国は開国を日本に迫っており、彼らの軍事力や文化は武士の対応能力を遥かに超えていたのですね。
日本は大混乱に陥ります。
そこで、外国排除を訴える一部武士の間に「天皇を日本の中心に据えて、武家を革命して日本を作り直そう」とする一派が現れます。
そこで日本は内乱に突入するのですが、この革命は成功し、明治天皇が日本のトップになります。
この革命を明治維新と言います。
ここで重要な色々重要なものが決められます。
まず、最初に「大日本帝国憲法」です。動画にも出てきましたね。
この憲法で「天皇は神聖不可侵。天皇は日本を統治す」と決められます。天皇は神、で日本の最高権力者、という訳ですね。この憲法にはまた、大事な条文が一つあります。それが「天皇は陸海軍を統治す」という条文です。
これは「武士の時代に天皇は権力を取られてしまったので、明確に天皇が上だ」と定めた条文で、これを「統帥権」と言います。
コレが後に大問題を起こします。
また、実は明治政府は革命によって成った政府なので、「江戸時代よりもいい暮らしさせてあげるよ」と民衆に約束しなければなりませんでした。そこで五箇条の御誓文という誓約書を民衆に発布します。そこに「広く公議を起こし、万機公論に決すべし(皆で話し合って何でも決めるよ)」と言う条文がありました。
コレも後に大問題を起こします。
大正デモクラシー時代
明治時代、国の一部は西洋化して豊かになりましたが、大多数の農民の暮らしは変わりませんでした。
そこで五箇条の御誓文に基づき「皆で話し合って決めるって言ったじゃねぇか」「何でも明治維新した奴らで決めるのが良くない、俺たちにも政治参加させろ」という運動が活発化します。
コレを自由民権運動と言います。
日本の各地で暴動が起こり、政府は民衆をなだめるため、選挙を実施して国会を開きます。
しかし、天皇が絶対権利を持ってる国で、国会が決めることを国の方針とすると、権力の反逆になって政府に矛盾が生じる訳です。
コレを解決したのが、美濃部達吉という憲法学者でした。
美濃部達吉はドイツの「国家法人説」という学説を利用し、「天皇機関説」という学説を作ります。
国家法人説とは「国家は会社である。会社は色んな権利があるけど、社長は会社のルールに従う」とする法の解釈です。
美濃部達吉はコレを応用し「天皇は日本の最高機関だけど、日本という国のルールに従う」と唱えたのです。
コレによって、天皇は国会の決定に従う機関になりました。コレが現代とにてますね。
この時代を大正デモクラシーと言います。
軍部の台頭
大正デモクラシー時代に、日本の生活水準は劇的に上がりました。電気ガス水道のある家が都市の一部に登場し、軍の調理法の普及で洋食が広まりました。
しかし、突然エライことになります。世界恐慌と言って、アメリカが突然不景気になります。
当時の世界の工場であったアメリカが不景気になることで、世界中が一気に不況になります。
特に東北では大根盗んだり、娘を身売りするなどかなり悲惨なことになります。
そこで「今の政治家が全部悪い、明治維新をもう一度起こして革命をすれば日本は良くなる」
と考える軍部の一派が出始めます。彼らを「皇道派」と呼びます。
彼らは国会自体を否定するため、帝国憲法で決められた「統帥権」を使って国会を理論的に批判し始めます。
要するに「天皇が軍を統帥すると書いてるのに、国会や行政のトップが決めてるのはおかしいだろ」と言い始めたのです。
クーデターや政治家の暗殺など、なんやかんやで軍部のトップの立ったのが「石原莞爾」という男です。
石原莞爾はゴリゴリのサイコパスで「中国を植民地にしたら、日本経済回復するよね。中国も軍閥で分裂してるし、統一中国欲しいでしょ。」という考えで勝手に戦争をおっ始めてしまいます。
そして恐ろしいことに実際に戦争に勝っちゃったし、日本経済は回復しました。
日本の民衆も「何もできない政府より軍部の方が説得力ある」と政府より軍部の言う事を信じる時代になります。
この時、石原莞爾が勝手に戦争をおっ始めた事により、一種の風潮が生まれます。
「やったもん勝ち」という風潮です。要するに法律を無視しても、成果が上げらればいいでしょ、という風潮が広まります。
この時、統帥権を持って否定されたことにより、「天皇機関説」も否定されました。美濃部達吉の本は発禁処分になり、「ルールが天皇に従うんじゃない。天皇が国家だ」となってしまいます。コレを天皇機関説事件と言います。
「やったもん勝ち」の風潮と天皇機関説の否定により、「ルール無視しても、天皇の名の下なんでもゴリ押せる」というメチャクチャな社会になりました。
と言っても、天皇は何もしておらず、天皇の名前で法律無視のゴリ押ししてたのは、軍部だったのですね。
これが大日本帝国末期の現人神としての天皇です
現代 象徴天皇制へ
大日本帝国は戦争に負け、国家はほとんど滅びました。
戦後、日本を統治したGHQは日本を民主化しようとします。そこで「日本がアチコチ戦争したのは天皇が悪い」として、天皇に「人間宣言」として「私、神の子孫じゃないよ。人間だよ」という宣言と、GHQの総司令官、マッカーサーとツーショットで写真を取ります。
人間宣言と大柄なアメリカ人の隣に小柄な日本の天皇がいる写真は、当時の国民に取って衝撃的で、天皇の権威は大きく下がりました。
で、帝国憲法は廃止され、今の日本国憲法が出来、天皇は「国民統合の象徴
」という立場になります。
そして、昭和天皇は日本各地、世界中各地を回って、戦争のことを謝罪しまくります。
こうして出来た「神じゃないしけど、国民感情に寄り添うよ」という天皇は、日本統合の「象徴」として現天皇まで引き継がれます
というのが天皇制の変遷です
歴史が長い、というか日本の歴史そのもなので、
天皇制の変遷は日本の歴史と言って良いかもしれません
とりあえず、「現天皇制は昭和天皇が作った」と考えてOKです
単純な疑問ですが、天皇制はなぜ必要なのでしょうか?どなたか論理的に説明をしていただけますでしょうか。宜しくお願いします。
制定過程でマッカーサーが天皇制を残さないと、日本国民を統治できない・民主的に変えることができないと判断したからだと思います。マッカーサーは「もし天皇制を廃止すれば反乱が起きて100万もの軍隊の出動が必要になる」と報告しています。詳しくは日本国憲法制定の過程をご覧ください。
th-cam.com/video/ZubFsI-aS3k/w-d-xo.html
@@miniikesensei ありがとうございます。拝見します。
すごくザックリ言うと、国民のお父さんだからです。
全ての国民は家族で暮らしており、家族には家長、お父さんがいます。
お父さんは会社で上司のもと働いており、その人をお父さん、家長として敬います。そのお父さんも組織に属し、別のお父さんを敬い、という風に
お父さんのお父さんのお父さんの・・・という頂点が天皇なのです。
国家は家族を最小単位としており、日本に暮らすお父さんの最高お父さんが天皇なのです
大統領でいいんじゃねぇの?と思うかも知れませんが、日本は伝統が好きな国なので、伝統的なこの制度が維持されたままおる訳です
天皇のポジションは歴史の中で変化しており、実は現天皇制を作ったのは昭和天皇なのです
昭和帝はぶっちゃけて言うと、歴代天皇の中でも最も賢明な天皇でした。
帝国時代の現人神としての天皇、大正デモクラシーの「最高機関としての天皇」と、現代の「象徴」としての天皇と、全てを経験したかなり稀有な天皇です。そして初めて「海外留学した天皇」でもあります。
で、その昭和帝の君主観はかなり西洋の君主観、ローマ皇帝観に近いです。
その西洋の君主観、家父長制のトップ、という君主観で持って現天皇制を作ったので、今の天皇像は西洋の君主に近いのです。
日本国民統合の象徴ってどういう事ですか…😭
戦争の後、日本国民がバラバラになるのではなく日本国民が1つになる。その象徴が天皇だということです。
マッカーサーは天皇を排除すれば日本が瓦解すると考えていたそうです。
『品格と良識』って事でしょうね。
226事件の収拾や終戦の御聖断が叶わなかったら、クーデターや国家分裂または国家意思の発動による正当性や正統性が担保されません。
また、もし仮に、中央政府が無い場合、ポツダム宣言を受諾できません。
しかし、大日本帝国憲法では、天皇の命により、第8・14・31条で非常大権や緊急勅令・戒厳令が公布可能でした。
中央政府及び内閣の機能が完全に停止した場合は、安全装置として、天皇自らが指揮・命令権を行使できる体制を整えていました。
言わば、天皇の大権は伝家の宝刀で、平時は絶対に抜かれませんが、国家の一大事ではきちんと作動する様にしておきました。
実際に、226事件や終戦の御聖断時には、辛うじて機能しました。
では、何故、安全装置として機能できるかというと、天皇家(皇族)が126代続いており、権威としてきた歴史があり、それなりに信用信頼されてきたからでしょうね。
また、歴代の武家勢力や豪族・土地有力者・金持ちと姻戚関係を持ち、それ相当の権威と誇りと威厳を持っているからでしょうね。
だからこそ、126代も続いたとも言えます。
話を戻すと、法秩序が完全に崩壊し、国の規律が乱れた場合(例えば、警察官が強盗強姦殺人し、自衛官が国民を虐殺し、医者が民衆を毒殺し、弁護士がヤクザと結託し財産を奪う場合など等)、最後に頼らざるを得ないのが権威者の『倫理・道徳』でしょうね。
そうすると、適任者は、結果的に最終的に天皇とならざるを得ないでしょうね。(※因みに、天皇システム以上のシステムを構築出来れば、話は別です。)
歴代の天皇の名に『仁・徳』が付くのはその為でしょうね。
すごくザックリ言うと、国民のお父さんということです。
全ての国民は家族で暮らしており、家族には家長、お父さんがいます。
お父さんは会社で上司のもと働いており、その人をお父さん、家長として敬います。そのお父さんも組織に属し、別のお父さんを敬い、という風に
お父さんのお父さんのお父さんの・・・という頂点が天皇なのです。
国家は家族を最小単位としており、日本に暮らすお父さんの最高お父さんが天皇なのです
大統領でいいんじゃねぇの?と思うかも知れませんが、日本は伝統が好きな国なので、伝統的なこの制度が維持されたままおる訳です
平成天皇 ✕
上皇陛下 ○
ではないでしょうか。
今はそうですね。ありがとうございます。
天皇制ってなんだよ