第1261回「初めて日本に伝わった禅」2024/6/20【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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  • เผยแพร่เมื่อ 18 มิ.ย. 2024
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    ■管長日記「初めて日本に伝わった禅」
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    最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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    『禅学大辞典』で「禅宗」という項目を調べてみると、日本の禅の伝来について次のように書かれています。
    「日本における禅の流伝は、伝説によれば、孝徳天皇白雉四年(六五三)に入唐した元興寺道昭が慧可の法孫慧満から禅法を伝え、元興寺東南隅に禅院を建てたのを初伝とし、次いで天平八年(七三六)普寂の門人道璿が来朝して北宗禅を伝え、延暦二一年(八〇二)最澄が入唐して傭然から牛頭禅を受け、嵯峨天皇の橘(檀林)皇后の招請で、馬祖下、斉安の法嗣、義空が来朝して南宗禅を伝えた。
    また承安元年(一一七一)叡山の覚阿が入宋して、瞎堂慧遠から心印を受けたと伝えられる。
    以上の五伝はその法系が栄えなかった。
    次いで三宝寺の大日能忍は、自ら修した禅法の得悟を、入宋させた練中・勝辨の二弟子に託して、育王山の拙庵徳光に呈示させ、その印可証明を受けた。
    彼等の帰朝後、能忍は日本達磨宗の旗織(きし)を掲げ、盛んに禅を鼓吹した。
    道元禅師の弟子となった懐弊・義介・義演等は、初め達磨宗の禅風を受けていた。
    本格的な禅が日本に伝えられたのは、文治三年(一一八七)に入宋して虚庵懐敞から黄竜一派を伝えた明庵栄西に始まる。」
    と書かれていますように、初めて禅を伝えたとされる方が道昭であります。
    道昭について『仏教辞典』には
    629(舒明1)ー700(文武4)
    「法相宗の僧。
    河内国(大阪府)丹比郡船連(ふねのむらじ)の出身。
    653年(白雉4)入唐、玄奘三蔵に師事して法相教学を学び(一説には摂論教学)、660年(斉明6)頃帰朝、法興寺(飛鳥寺(あすかでら)・元興寺(がんごうじ))の一隅に禅院を建てて住し、日本法相教学初伝(南寺伝)となった。」
    と書かれていて、禅を伝えたことに言及されていません。
    またこの道昭は日本で初めて火葬にされた僧でもあります。
    道璿については『仏教辞典』には、
    「702(中国長安2)ー760(天平宝字4) 一説に757年没。
    中国、許州(河南省)衛氏の出身。
    定賓(じょうひん)から戒律、普寂から北宗禅を受学。
    戒師招請のため入唐していた普照、栄叡の要請に応じて736年(天平8)来朝。
    伝戒師として大安寺西唐院に住し、東大寺大仏開眼会には呪願師(じゅがんし)を勤めた。
    晩年病を得て吉野の比蘇寺(ひそでら)に退き没。
    没時には律師。道は華厳・天台にも通じ、これらの教学は弟子行表(ぎょうひょう)(724ー797)を通じて最澄に影響を与えた。」
    と記されています。
    普寂という方は五祖弘忍の法を嗣いだ神秀のお弟子であります。
    最澄については、『興禅護国論』の中に次の記述があります。
    『日本禅語録1 栄西』から古田紹欽先生の現代語訳を参照します。
    「伝教大師の譜の文に次のようにいっている。「謹んで自分が受けた得度の公の許状を見るに、そこに師主は奈良の左京の大安寺伝燈法師位行表である、引文。
    その行表の祖の道璿和上が、大唐国より持って来て写し伝えた達磨大師の教えを説いたものが、比叡山の宝蔵にある。
    延暦の歳の末に自分は大唐国に到り、師について教えを受け、さらに達磨大師の禅の教えを師から付授された。
    それは大唐国の貞元二十年十月十三日のことであり、天台山禅林寺(今の大慈寺)の翛然からである。
    翛然はインドから大唐国にいたる代々の祖師に伝わった法脈を受け継ぎ、また達磨大師の禅の教え、すなわち牛頭禅の法門を授かって伝えていたのであるが、その翛然から禅法をちょうだいして帰国したのであり、それは比叡山に安置し行なっているところである」と。」
    と書かれています。
    翛然という方については、諸説ありますが、牛頭禅の系統だと書かれています。
    牛頭禅とは、牛頭法融(ごずほうゆう)(594ー657)を祖とする中国禅宗であります。
    牛頭の名称は、法融所住の弘覚寺が江蘇省牛頭山に存したことに由来します。
    それから、檀林皇后によってまねかれた義空という僧もいました。
    義空は、馬祖の弟子である塩官斉安禅師のお弟子であります。
    馬祖系の禅を伝えています。
    義空は檀林寺の開山となったと『禅学大辞典』には書かれていますが、数年で中国に帰ってしまいました。
    檀林皇后は、義空に参じて、
    「唐土の 山のあなたに 立つ雲は ここに焚く火の 煙なりけり」という和歌を残されています。
    それから先日紹介した覚阿という僧がいて禅を伝え、更に大日房能忍がいたのでした。
    結局『禅学大辞典』にある通り、
    「本格的な禅が日本に伝えられたのは、文治三年(一一八七)に入宋して虚庵懐敞から黄竜一派を伝えた明庵栄西に始まる。」ということになるのです。
    『興禅護国論』に「鏡に垢あれば色像現ぜず、垢除けばすなわち現ずるがごとく、衆生もまたしかり。心未だ垢を離れざれば法身現ぜす、垢離るればすなわち現ず。(『興禅護国論』第七)」という言葉があります。
    『日本の禅語録1 栄西』には、
    「もし鏡に汚れが付いていれば映像は現れませんが、その汚れを取り除けば現れます。私たち衆生も同様です。
    衆生の心に垢という煩悩がまとわりついていては、仏の本身は現れませんが、その垢を取り除けば、 はっきりと現れます。」と訳されています。
    この教えなどは、即心是仏を標榜しながらも北宗の禅であります。
    やはり戒や禅定など実際の修行を重んじられたからこそ、日本において禅が受け容れられていったのではないかと思っています。
     
     
    横田南嶺
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