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正室の幸姫とのエピソードも心温まるんよな。
まず自らが模範と実践を示す.理論だけでなく行動で示す.まさに上司の鑑・・・簡単なようで難しい・・・まさに耳が痛い・・・
毛利家は、萩に移封される折、「今の家臣の数をそのまま抱える訳にはいかない」と言って家臣を減らす時、武士でなくなった元家臣達が「それでも殿様と一緒にいたい」と言って農民として萩に移住したと言う話もあるようですねその為、農民のモチベーションは高く、表高の三倍くらいの実高になったとかその力が幕末の維新志士に受け継がれると思うと、つくづく「歴史って繋がってるんだなぁ」と実感します
みなもと太郎氏の「風雲児たち」にも幕末の状況は江戸幕府開府の時点で作られたという見解がありますからね。
名前は知っていましたが具体的に知りませんでした。上杉鷹山の生き方や考え方、そして実行力に感銘しました。動画、ありがとうございました。
昔は戦国などの激動の時代を好んだものですが,歳を重ねるごとにより自分の生きる時代に近い江戸時代の文化に興味が強くなってきています.まあまだ20代前半ですが,趣味の変わり方を体感しており,このチャンネルは本当にありがたい存在です.
「為せば成る 為せねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」中学生くらいの時に知ってから、ずっと座右の銘にしている大事な言葉上杉鷹山公の紹介ありがとうございます!
先代円楽「為せばなるナセルはアラブの大統領」😅
本当に感動的な人ですよね。こんな人が国のトップに存在したとか、日本は幸せな国です。
鷹山公をとりあげていただき、ありがとうございます😊改革の熱意を生涯持ち続け、その施策は奇をてらわず地道そのもの。慎重かつ大胆な決断力に富んだ稀有な方でした。童門冬二氏の小説や、それを元にしたスペシャル時代劇もありましたね。
鷹山も二宮尊徳も自身も周りも損をしないでみんなが富を得られるようにして行ったという共通点があると思う。片方だけが笑顔なのは真の商いにあらずは現代にこそ唱えるべき言葉だと思う
戦後教育で、そういう概念を否定したからね
二宮さんは、金貸ししていたからねえ?少々その枠には、はみ出るのではないでしょうか?
鷹山公も改革して行くためには2人に切腹と1人を斬首だから、そう甘い話では無いのでは。それでも進めて行けたから、今でも尊敬されていると思いますね。
日本式共産主義
伝国の辞はすばらしいと思うフリードリヒ大王の「君主は国家第一の下僕」を思い出した
「理」と「利」を両立させるのは本当に難しい。一時成り立ってもすぐに崩れてしまう。それを永続させようと考えて実行したのは本当に稀有な事だと思う。
山形出身の私としては、大変感銘を受けた動画内容です。有り難う御座います。
戦前の教科書で採り上げられていた事が戦後否定or無視された、という話はよくありますが、ろくな考え無しに行われていた事が良く判りますね。歴史ではなく現代の政経でその思想を教えなくてはならない人物であるというのに…。
自分たちと異なる価値観を頭ごなしに全否定することがいかに危険な行為であるか良い見本だといえる。アイデンティティ、誇りも何もかも破壊していいものではない
それを推進したアメリカでは立派な政治家と知られているという皮肉。
立派だからその思想がアメリカには邪魔だった。半年で終わる筈の戦争が何故終わらなかったかの事実を知って教育から否定させたのでしょう。
火種は生き続けるって言葉好き
名君かどうかってのは後世の人が決めるのが常だが鷹山公は存命中から名君認定されていたまれな人物なんだよなちなみに藩校興譲館は現在山形県立米沢興譲館高校になっている。
米沢の上杉記念館に鷹山直筆の伝国の辞が掲示されています。「国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候」と書かれているのを見て、この時代に鷹山が民主主義の思想を持っていたことに驚きを覚えました。
童門 冬二の小説「上杉鷹山」が、面白い。
初めて鷹山公を知ったのがこの小説でした
現在米沢市在住してますが、勝手に米沢市民全員を代表して、御礼申仕上げます。上杉の城跡は観光名所で、鷹山や直江や前田慶次や伊達など豪華キャストのゆかりの場所になってます。
いい動画だった、政治家が見てほしい徳川吉宗⇒幕府(日本全体) 田沼意次⇒幕府(主に江戸) 上杉鷹山⇒地方自治体 二宮金次郎⇒民間(下請け) 同じ江戸時代の再生屋として 江戸後期の二宮金次郎 も是非に!
日本全体ならどっちかというと山王権現宗春公では
吉宗の時代は不況だったにでは?
@@韓非-h4u 上杉鷹山が行った藩政改革は地方自治体の再建策としては◎でも国家に当て嵌めると失敗すんですよね特に管理通貨制度の現代でやると正に今の日本の状態になる
興譲館の名づけ主で師範の細井平洲との関係で米沢市は愛知県東海市と姉妹都市の関係を結んでいますね
藤沢修平の最後の作品「漆の実のみのる国」は上杉謙信の家中を継いだ米沢藩主・上杉治憲(鷹山)の伝記。
私は全く知りませんでした!素晴らしい人物を取り上げてくださり有難う‼️
いつも楽しく視聴させております。60回おめでとうございます。これからもゆっくりで楽しみしています。
地元の名君である鷹山公を取り上げて頂きありがとうございます。鷹山公の改革の成果は明治時代の有名な旅行者イザベラバードの手記にてアジアのアルカディアと称する程、大変素晴らしいところだと伝えてます。それ位、土地が肥え・人々に活気があり秩序もあったところだったようです。今の米沢は人口も10万もなく寂れる一方なので、現状の米沢を鷹山公が見たらどう思うのでしょうね
鷹山の奥方は前藩主の娘だったんだけど、差別と言われるかもしれないけど、障害のため、寝たきりで話すことが出来なかったと聞いたことがあります。でも鷹山は妻に紙で作った人形を渡したりして、奥方も鷹山を信頼していたらしいですね。だから、後継者も養子だったのですね。
まさに日本史でも指折りの名君。戦前と戦後で知名度の落差が酷いという意味では、二宮尊徳、楠木正成なんかと同じカテゴリーだったんですね。
財政再建もダイエットもやり方は分かっていても習慣化するまでが難しいですね
いつか上杉鷹山の大河ドラマやって欲しい。
兄の秋月種茂もほぼ同じような藩政改革を成功させ、鷹山が「知識と才覚は到底及ばない」と言うほどの名君。米沢藩最後の藩主、上杉茂憲も私財の大半を米沢と沖縄の地域振興と教育に使い、社交費が無いので宮中からの招待も殆ど断っていたそう
幕末から明治維新の米沢藩は、斉憲・茂憲親子を含めて、ある種「世渡り上手」でした。米沢藩にとっての戊辰戦争は隣国会津藩ほどの影響はなく、先祖ゆかりの地・越後をかすめ取れればとの思いで新潟付近に出兵して死者が出たくらいで、自領内に新政府軍が入ることはありませんでした。しかも、会津藩より1か月も早く降伏したために、4万石減封と、藩主・斉憲の隠居という軽い処分にとどまり、仙台藩・盛岡藩・会津藩のような家老の切腹もありません(越後で戦死した家老・色部長門を首謀者に見立て、既に戦死したことをもって切腹の代りにした)でした。おそらく「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母」という鷹山公の遺志を斉憲・茂憲親子がちゃんと守っていたのでしょうね。
鷹山公の出身である九州の小藩である秋月家は名君が多いですねとくに鷹山公のお兄さんである秋月藩主の秋月種茂公の優れた知性を見てて素晴らしい改革を実施したんじゃないだろうか、鷹山公が実姉した子供手当等の児童相手の福祉も秋月種茂公が日本で最初に実施したし藩校を作り藩士だけでなく農民ら庶民にも門戸を開いた秋月種茂公は人材育成が第一と考えてた鷹山公に勝るとも劣らないほどの名君であった
二宮金次郎もすごい人ですよね。全国各地の農村に戦後も長らく、尊徳の教えを伝えるサークルが運営されていたと聞きました。それを聞いたのは80年代で、今も残っているかどうか知りませんが。
二宮はわたしの住むすぐ近くの地域、栃木県にあります〜。昔は素晴らしい立派な名君が出ました。今立派な人はと言うと…?よくわかりません。わたしは二宮金次郎も、上杉鷹山も存じています。特に立派な名言を遺していますね〜!「成せばなる 成さねばならぬ 何事も……」。亡き父から教えて貰いました〜。昔の人は偉大な人が多かったですね〜。😊✌️🍀☀️❤️
有名な二宮尊徳像で勉強しながら仕事をしているが現在だと歩きスマホみたいに悪影響になるとクレームが出たので切り株に座って仕事の合間に本を読んで居る像になった。
地元が上杉鷹山公の師の細井平洲いたからなんか嬉しい
上杉鷹山公の思想ってその先生やってた人の思想が色濃く受け継がれてるよね、その先生のことも解説してほしかった
新渡戸稲造の武士道にも上杉鷹山に言及していたので(うろ覚え)、ケネディが知っていたのはもしかしたらそっちかもねえ。
ケネディが上杉鷹山を絶賛したって話は、どうやら都市伝説らしい
藩というお役所の財政再建と、地域全体の経済発展を同時進行で両立させた稀有な例ですね。普通の政治家は片方しかできません。
いやいや。片方でもできたら大政治家ですよ
財政再建→貧窮→家臣の反感を買って主君押込(未遂の七家騒動含めて数知れず)経済発展→商人や新参の出頭人・側用人の登用→家臣の反感を買って主君押込(主君ではないが大槻伝蔵)両方達成→「は~い、お役目ご苦労さん」で主君押込(水野忠辰)…そりゃあ「そうせい」候ばっかりになりますね。
上杉鷹山は九州の秋月家出身だけど母方の先祖が上杉家出身で先祖が今川義元、今川氏真で駿府を小京都と発展させて三河では名君だった吉良上野介、実兄は実家の高鍋潘を改革して名君と呼ばれたから治世能力が抜群なのは血筋かな。
ドラマ、『上杉鷹山 〜二百年前の行政改革〜』を思い出す。
同時代の藩政改革の敗者(裏街道)、岡崎藩主水野忠辰と鷹山が喰らいかけた主君押込も解説が欲しいところ。ゆっくりの介殿の出番。
上杉鷹山はいつだったか、深夜にドラマの再放送をしてて、思わず見入って徹夜した人だ。感動したのと、何故この人物を知らなかったんだ?という思いが噴出したのを覚えてる。最後の有名な詩絡みだけでもちゃんと学校は教えるべき。この動画を日本人は見るべき。
待ってたぞー!
「うこぎ、お鷹ぽっぽ、米沢織」を推奨したのが、鷹山公です!!
最後にチョットだけ出た「老婆」の一件はドラマかよ!というお話で皆さん調べてほしい、というよりこの動画に取り上げてほしい内容です。水〇〇門様と違ってが残した証拠の手紙が残っていてロマンにあふれる話です。
調べました。ものすごくほっこりしました。ありがとうございました。こういうリアリティのあるエピソードを日本全国の教科書に載せるべきだと思います。
農村のおばあさんの手紙が残ってて史実であるんですね・・一国の藩主が農民の手助けをするなんて当時では考えられない事、お礼におもちでしたっけ・・米沢城に持参したらあれよあれよとお城の中を通されて着いたところが藩主の部屋でおばあさんは腰を抜かしたのかもしれないね・・一般的に下級藩士でさえめったに会えない藩主に一農民が会えるなんて考えられない
開墾のくだりを聞いて、三世一身の法と墾田永年私財法を思い出しました。近世になっても古代とあまりやること変わらんなあとw
米沢藩の借金が完全に無くなったのは鷹山公が亡くなった翌年だという。どれだけ借金を抱えてたんだよ、米沢藩…。しかし、民や弱い立場の者を大事にする姿勢、度重なる不幸や家臣たちの反乱を乗り切って、自分の生涯ほとんどを借金との闘いに捧げ完済した偉業は凄い。数ある上杉家の藩主でも名前の後ろに「公」を付けて尊敬された人物は、藩祖謙信公以外では鷹山公ただ一人だったという(異説あり)。今の日本人はもっと鷹山公のことを知るべきだと思う。
素晴らしい!
鷹山様のおかげでウコギが美味しく食べれるようなりました
おつかれー。待ってたよ
攻めの政策と守りの政策をやって、成功をおさめたまさに名君ですね。
パンデミック後にも残る経済的打撃はかつての米沢藩の窮状に似ている絶望的な未来しか見えぬ今だからこそ決して諦めぬ生き方を見習いたい
同門冬児さんの上杉鷹山は本当に名著ですね。
藤沢周平氏の漆の実がみのる国で知りました。上下巻一気に読んだことを覚えています。本当にすごいお殿様だと思いました。やって見せ~は、秋山好古大将が言った言葉ではないかと記憶していますが、そうか鷹山公が原点なのですか。
6:28 「すべからく(須く)」を「すべて」の意味に使うのは間違い。「べし」を伴って「当然、ぜひとも」という意味。米沢藩士はすべからく農作をすべし。
為せば成る為さねばならぬ何事も為さぬは人の為さぬなりけり
今は他人に無理強いする言葉として使われる事が多いのが哀しいですね
やって見せ、言って聞かせて、させてみる。
@@禁煙マスター-f3r 山本五十六は長岡の人です。
@@力哉-l5t あれ?これ五十六の言葉でしたっけ?
@@禁煙マスター-f3r はい。正しくは、「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」です。
庄内の本間さまの凄さもさることながら、越後の渡邉様も凄い人ですよ、なんたって新潟坂町駅から米沢駅までほとんど渡邉様が土地を国に寄付をして、汽車をどうしたと言ってまず、米沢藩にもお金を貸して藩を助けたらしい。調査して下さい。
とてもためになります
民衆のモチベーションをあげる人物ですよね!
上杉鷹山の改革のブレーンは、酒田の大富豪 本間家当主であつた事を知っている人は少ない。 資金援助から、人は財産の教えを実践し 米澤藩を立て直した。
20:14山本五十六さんの言葉や。
個人的大河ドラマにして欲しい名君、上杉鷹山童門冬二の上杉鷹山は私のバイブル❤
日本史の中で名君と言える人物は数人いるかと思いますが、その中で頂点に立つ人物を挙げるならば私は万民の父母であると称された鎌倉3代執権北条泰時公そして米沢9代藩主上杉鷹山公だと思います。
日本海の酒田、内陸の米沢ときたら、最上川の水運辺りも扱うのだろうか?紅花だとネタになりそう意表をついて天童藩と歌川広重も面白くなりそうだ
上杉鷹山の少し前に真田松代藩を藩政改革をした恩田木工や天保期に財政破綻寸前の長州藩を藩政改革して幕末期には百万石クラスの経済力を持てる様にした村田清風を取り上げて欲しい。
元プロ棋士でフジテレビアナウンサーの竹俣紅さんのご先祖様であり、鷹山公のブレーンだった竹俣当綱公が登場しております。
武士も農民も同じ境遇だったからこそ民主的な発想が生まれたのかもしれませんな。しかし地図で調べたら米沢ってかなり内陸部の盆地で地理的にも交通の便が悪そう…物を別の場所へ流通させるより自給自足があってたのもそういう事なのかな
この時の米沢藩は「忠臣蔵」の件もあって「頼むから殺してくれ!」って位の他の藩と比べても悲惨極まりない困窮具合だからね。
おぉ 鷹山公。日本海側の、酒田の本間様も凄いけど。内陸の上杉公も凄いぞ。
庄内に「本間様にはなれんけども、なってみたいな、殿様に」みたいなのがあるよ、と山形民の主人から聞きました。置賜と庄内は、文化が違うので、驚き。
このチャンネルを見つけた自分をほめたい
マッカーサーやアイゼンハワーも上杉鷹山を尊敬してましたね
1:10 2:00 3:10 8:10 9:10 12:10 13:20 16:30 18:30 20:30 22:00 25:20 27:20 29:10 30:20
鷹山が自らも田畑を耕したというエピソードはドラクエ4のソレッタの王様🥕を彷彿とさせた(;´∀`)
今でも、優秀な周辺の子供たちは、興譲館へ行こうとする、と地元民から聞きました。鷹山公が忘れられたGHQの政策、ふぬけになるためのものだったんでしょうか?
成功例だけでなく失敗した藩政改革なども紹介してほしいです。だいたい倹約令と精神論だけで終わって美談ではうまくいったみたいに語り継がれているが実際は・・・・というパターンも多い
待っていました(^o^)名君「上杉鷹山公」(^o^)現在の日本に是非とも欲しい偉人(^o^)
上杉鷹山 「米百俵 目先ではなく 未来に投資せよ」藩と村人が一体となった一大土木事業として“黒井堰”と“穴堰”という水路を作り米沢盆地北部の水不足を解消し新しい産業を起こし、教育にも取り組み、72才で亡くなる頃は、藩の借金をほとんど返し、農村の復興をはたした
更新待ってました!(コメ…消しちゃったか?)って…アメリカ人に知らされるって…教育どうなってるんや…。で…うちの所も再建してほしいンゴw
稲わらの火も一回教科書から完全に消され他国で絶賛されてから再び教科書に載るようになった。戦後教育の闇です
日向国 高鍋藩 秋月家の二男として1751年 江戸藩邸に生まれる。10歳で遠縁の上杉家の婿養子に入り、17歳 破産寸前の米沢藩 藩主となる
山形の誇りといえる人物だけに、時代背景も考えずに今の価値観でその功績を貶める輩がいるのが残念れい〇新撰組の池戸〇作は絶対に許さない
治憲公は私より兄上が米沢に入っていたらもっと米沢良くできたと言ってましたよ。
大河ドラマにならないかなぁー
大好きな人物です。
鷹山、大河ドラマになってほしい以前NHKでは2時間SPで放送していたけど、大河なら最後までえがききれるから
経済のくくりで 備中松山藩 の山田方谷もお願いします
中学のPTAの会長をやって時に卒業式の挨拶で「なさねばならぬ」の言葉を拝借しました。
国会に蔓延る自己中の政治家どもに模範にして欲しいわ
改革とは強い権力の下でしか出来ないものだよ華族制度の廃止など、GHQが絶対的な権力をもっていたから出来た事でありもし太平洋戦争での敗戦がなければいまでも続いていただろう。まあ、イギリスがそうであるように華族の影響力の低下とかそういう事はあっただろうがいまの総理は、権力の集中を阻まれて力がない。上杉鷹山や徳川吉宗ら、名君と呼ばれる人たちがいまの時代の総理大臣になっても彼らは大きな事は出来ないだろう
鷹山はうまく行った例だけど うまく行かなかった野中兼山という例もあるので野中兼山もやってほしい 兼山の子達の最後はほんと悲惨すぎて
男子は死ぬまで、女子は老齢になるまで、一族が幽閉されていた。
ケネディ大統領の就任会見で「尊敬する政治家は?」と日本人記者に訊かれて「日本の上杉鷹山です」と答えた時、日本人記者達は誰も鷹山を知らなかったというのもいいわ。 というか記者に限らず戦前に教育を受けた年寄り以外の日本人が鷹山を知らなかったのね。
上杉鷹山は、現在の「宮崎県・高鍋町」の生まれだったようです。高鍋町では、鷹山にかかわる歴史・教育などが盛んに行われています。
鷹山の兄も名君だった。後、高鍋藩は秀吉に領地を36万石から3万石と10分の1以下減らされており、上杉以上に領地が減っている。
鷹山公は高鍋で生まれた訳でなく、江戸・麻布の高鍋藩上屋敷にて生まれています。生母が正室であり、江戸住まいを強いられていたためです。
幕末から明治維新の米沢藩は、斉憲・茂憲親子を含めて、ある種「世渡り上手」でした。米沢藩にとっての戊辰戦争は隣国会津藩ほどの影響はなく、先祖ゆかりの地・越後をかすめ取れればとの思いで新潟付近に出兵して戦死者が出たくらいで、自領内に新政府軍が入ることはありませんでした。しかも、会津藩より1か月も早く降伏したために、4万石減封と、藩主・斉憲の隠居という軽い処分にとどまり、仙台藩・盛岡藩・会津藩のような家老の切腹もありません(越後で戦死した家老・色部長門を首謀者に見立て、既に戦死したことをもって切腹の代りにした)でした。おそらく「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母」という鷹山公の遺志を斉憲・茂憲親子がちゃんと守っていたのでしょうね。
大河ドラマにしてほしい人物
数年前だったかなぁ・・。為せば成る為せねば成らぬ何事もって言ったら、それがブラックの温床だ!って言ってた人がいたなぁ。思考回路は重臣だったんだね。
映画化して欲しい
米沢って内陸だからなぁ、経済は大変だろうなぁ
高野長英やって欲しいなぁ
蘭学はまず前野良沢と杉田玄白から始めないといけないですね。そしてシーボルトがやってくるのですが、そこまで行くのもだいぶ先になりそうです。
上杉藩9代目(婿養子)で4~8は吉良上野介の子孫で10~現代も吉良上野介の子孫
米沢の上杉鷹山公に、会津の保科正之公。 負戦で歴史に埋もれた奥州の名君。
鷹山の兄で秋月家を継いだ秋月種茂も名君として知られている。
60回記念で上杉鷹山を取り上げて頂き、米沢の民としてお礼を申し上げます。
先祖より上杉家に縁があり、震災後福島にボランティアに行った際、会津藩士末裔の方に米沢まで連れて行って頂きました。上杉廟にお参りでき本当に感動しました✨ 鷹山さんのお言葉、時々繰り返しています。 全てご縁に感謝しています。
今は、離れましたが大学まで米沢でそだちました。上杉と言えば、鷹山。小学校の道徳か何かで鷹山の功績習ったな。最近、城趾園がでかくなってビックリした。随分前だけど
ついに来ましたか上杉鷹山文句なしの名君なのに知名度イマイチなのが悲しい
ウコギは食える(笑)
ケネディやクレマンソーがリスペクトしてんのにね(ケネディは作り話らしいが)
@@かがみ純 キャロライン元駐日大使が 『父が上杉鷹山をリスペクトしている』とインタビューで答えている。
ありがとう😊
この時代は取り上げるべき話が多くて、なかなか先に進まないですね。寛政の改革に行く前に、蘭学の始まりとと平賀源内くらいは取り上げるべきだろうし。寛政三奇人も、松平定信の後に取り上げないわけにはいかないし。
正室の幸姫とのエピソードも心温まるんよな。
まず自らが模範と実践を示す.理論だけでなく行動で示す.まさに上司の鑑・・・簡単なようで難しい・・・まさに耳が痛い・・・
毛利家は、萩に移封される折、「今の家臣の数をそのまま抱える訳にはいかない」と言って家臣を減らす時、武士でなくなった元家臣達が「それでも殿様と一緒にいたい」と言って農民として萩に移住したと言う話もあるようですね
その為、農民のモチベーションは高く、表高の三倍くらいの実高になったとか
その力が幕末の維新志士に受け継がれると思うと、つくづく「歴史って繋がってるんだなぁ」と実感します
みなもと太郎氏の「風雲児たち」にも幕末の状況は江戸幕府開府の時点で作られたという見解がありますからね。
名前は知っていましたが具体的に知りませんでした。
上杉鷹山の生き方や考え方、そして実行力に感銘しました。
動画、ありがとうございました。
昔は戦国などの激動の時代を好んだものですが,歳を重ねるごとにより自分の生きる時代に近い江戸時代の文化に興味が強くなってきています.まあまだ20代前半ですが,趣味の変わり方を体感しており,このチャンネルは本当にありがたい存在です.
「為せば成る 為せねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
中学生くらいの時に知ってから、ずっと座右の銘にしている大事な言葉
上杉鷹山公の紹介ありがとうございます!
先代円楽「為せばなるナセルはアラブの大統領」😅
本当に感動的な人ですよね。こんな人が国のトップに存在したとか、日本は幸せな国です。
鷹山公をとりあげていただき、ありがとうございます😊
改革の熱意を生涯持ち続け、その施策は奇をてらわず地道そのもの。
慎重かつ大胆な決断力に富んだ稀有な方でした。
童門冬二氏の小説や、それを元にしたスペシャル時代劇もありましたね。
鷹山も二宮尊徳も自身も周りも損をしないでみんなが富を得られるようにして行ったという共通点があると思う。片方だけが笑顔なのは真の商いにあらずは現代にこそ唱えるべき言葉だと思う
戦後教育で、そういう概念を否定したからね
二宮さんは、金貸ししていたからねえ?少々その枠には、はみ出るのではないでしょうか?
鷹山公も改革して行くためには2人に切腹と1人を斬首だから、そう甘い話では無いのでは。
それでも進めて行けたから、今でも尊敬されていると思いますね。
日本式共産主義
伝国の辞はすばらしいと思う
フリードリヒ大王の「君主は国家第一の下僕」を思い出した
「理」と「利」を両立させるのは本当に難しい。一時成り立ってもすぐに崩れてしまう。それを永続させようと考えて実行したのは本当に稀有な事だと思う。
山形出身の私としては、大変感銘を受けた動画内容です。有り難う御座います。
戦前の教科書で採り上げられていた事が戦後否定or無視された、という話はよくありますが、ろくな考え無しに行われていた事が良く判りますね。歴史ではなく現代の政経でその思想を教えなくてはならない人物であるというのに…。
自分たちと異なる価値観を頭ごなしに全否定することがいかに危険な行為であるか良い見本だといえる。アイデンティティ、誇りも何もかも破壊していいものではない
それを推進したアメリカでは立派な政治家と知られているという皮肉。
立派だからその思想がアメリカには邪魔だった。半年で終わる筈の戦争が何故終わらなかったかの事実を
知って教育から否定させたのでしょう。
火種は生き続けるって言葉好き
名君かどうかってのは後世の人が決めるのが常だが鷹山公は存命中から名君認定されていたまれな人物なんだよな
ちなみに藩校興譲館は現在山形県立米沢興譲館高校になっている。
米沢の上杉記念館に鷹山直筆の伝国の辞が掲示されています。「国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候」と書かれているのを見て、この時代に鷹山が民主主義の思想を持っていたことに驚きを覚えました。
童門 冬二の小説「上杉鷹山」が、面白い。
初めて鷹山公を知ったのがこの小説でした
現在米沢市在住してますが、勝手に米沢市民全員を代表して、御礼申仕上げます。
上杉の城跡は観光名所で、鷹山や直江や前田慶次や伊達など豪華キャストのゆかりの場所になってます。
いい動画だった、政治家が見てほしい
徳川吉宗⇒幕府(日本全体) 田沼意次⇒幕府(主に江戸) 上杉鷹山⇒地方自治体 二宮金次郎⇒民間(下請け)
同じ江戸時代の再生屋として 江戸後期の二宮金次郎 も是非に!
日本全体ならどっちかというと山王権現宗春公では
吉宗の時代は不況だったにでは?
@@韓非-h4u 上杉鷹山が行った藩政改革は地方自治体の再建策としては◎でも国家に当て嵌めると失敗すんですよね
特に管理通貨制度の現代でやると正に今の日本の状態になる
興譲館の名づけ主で師範の細井平洲との関係で米沢市は愛知県東海市と姉妹都市の関係を結んでいますね
藤沢修平の最後の作品「漆の実のみのる国」は上杉謙信の家中を継いだ
米沢藩主・上杉治憲(鷹山)の伝記。
私は全く知りませんでした!素晴らしい人物を取り上げてくださり有難う‼️
いつも楽しく視聴させております。
60回おめでとうございます。これからもゆっくりで楽しみしています。
地元の名君である鷹山公を取り上げて頂きありがとうございます。
鷹山公の改革の成果は明治時代の有名な旅行者イザベラバードの手記にてアジアのアルカディアと称する程、大変素晴らしいところだと伝えてます。
それ位、土地が肥え・人々に活気があり
秩序もあったところだったようです。
今の米沢は人口も10万もなく寂れる一方なので、現状の米沢を鷹山公が見たらどう思うのでしょうね
鷹山の奥方は前藩主の娘だったんだけど、差別と言われるかもしれないけど、障害のため、寝たきりで話すことが出来なかったと聞いたことがあります。でも鷹山は妻に紙で作った人形を渡したりして、奥方も鷹山を信頼していたらしいですね。だから、後継者も養子だったのですね。
まさに日本史でも指折りの名君。
戦前と戦後で知名度の落差が酷いという意味では、二宮尊徳、楠木正成なんかと同じカテゴリーだったんですね。
財政再建もダイエットもやり方は分かっていても習慣化するまでが難しいですね
いつか上杉鷹山の大河ドラマやって欲しい。
兄の秋月種茂もほぼ同じような藩政改革を成功させ、鷹山が「知識と才覚は到底及ばない」と言うほどの名君。
米沢藩最後の藩主、上杉茂憲も私財の大半を米沢と沖縄の地域振興と教育に使い、社交費が無いので宮中からの招待も殆ど断っていたそう
幕末から明治維新の米沢藩は、斉憲・茂憲親子を含めて、ある種「世渡り上手」でした。米沢藩にとっての戊辰戦争は隣国会津藩ほどの影響はなく、先祖ゆかりの地・越後をかすめ取れればとの思いで新潟付近に出兵して死者が出たくらいで、自領内に新政府軍が入ることはありませんでした。しかも、会津藩より1か月も早く降伏したために、4万石減封と、藩主・斉憲の隠居という軽い処分にとどまり、仙台藩・盛岡藩・会津藩のような家老の切腹もありません(越後で戦死した家老・色部長門を首謀者に見立て、既に戦死したことをもって切腹の代りにした)でした。おそらく「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母」という鷹山公の遺志を斉憲・茂憲親子がちゃんと守っていたのでしょうね。
鷹山公の出身である九州の小藩である秋月家は名君が多いですね
とくに鷹山公のお兄さんである秋月藩主の秋月種茂公の優れた知性を見てて素晴らしい改革を実施したんじゃないだろうか、鷹山公が実姉した子供手当等の児童相手の福祉も秋月種茂公が日本で最初に実施したし藩校を作り藩士だけでなく農民ら庶民にも門戸を開いた
秋月種茂公は人材育成が第一と考えてた鷹山公に勝るとも劣らないほどの名君であった
二宮金次郎もすごい人ですよね。全国各地の農村に戦後も長らく、尊徳の教えを伝えるサークルが運営されていたと聞きました。それを聞いたのは80年代で、今も残っているかどうか知りませんが。
二宮はわたしの住むすぐ近くの地域、栃木県にあります〜。
昔は素晴らしい立派な名君が出ました。今立派な人はと言うと…?よくわかりません。
わたしは二宮金次郎も、上杉鷹山も存じています。特に立派な名言を遺していますね〜!「成せばなる 成さねばならぬ 何事も……」。亡き父から教えて貰いました〜。昔の人は偉大な人が多かったですね〜。😊✌️🍀☀️❤️
有名な二宮尊徳像で勉強しながら仕事をしているが現在だと歩きスマホみたいに悪影響になるとクレームが出たので切り株に座って仕事の合間に本を読んで居る像になった。
地元が上杉鷹山公の師の細井平洲いたからなんか嬉しい
上杉鷹山公の思想ってその先生やってた人の思想が色濃く受け継がれてるよね、その先生のことも解説してほしかった
新渡戸稲造の武士道にも上杉鷹山に言及していたので(うろ覚え)、
ケネディが知っていたのはもしかしたらそっちかもねえ。
ケネディが上杉鷹山を絶賛したって話は、どうやら都市伝説らしい
藩というお役所の財政再建と、地域全体の経済発展を同時進行で両立させた稀有な例ですね。
普通の政治家は片方しかできません。
いやいや。片方でもできたら大政治家ですよ
財政再建→貧窮→家臣の反感を買って主君押込(未遂の七家騒動含めて数知れず)
経済発展→商人や新参の出頭人・側用人の登用→家臣の反感を買って主君押込(主君ではないが大槻伝蔵)
両方達成→「は~い、お役目ご苦労さん」で主君押込(水野忠辰)
…そりゃあ「そうせい」候ばっかりになりますね。
上杉鷹山は九州の秋月家出身だけど母方の先祖が上杉家出身で先祖が今川義元、今川氏真で駿府を小京都と発展させて三河では名君だった吉良上野介、実兄は実家の高鍋潘を改革して名君と呼ばれたから治世能力が抜群なのは血筋かな。
ドラマ、『上杉鷹山 〜二百年前の行政改革〜』を思い出す。
同時代の藩政改革の敗者(裏街道)、岡崎藩主水野忠辰と鷹山が喰らいかけた主君押込も解説が欲しいところ。ゆっくりの介殿の出番。
上杉鷹山はいつだったか、深夜にドラマの再放送をしてて、思わず見入って徹夜した人だ。
感動したのと、何故この人物を知らなかったんだ?という思いが噴出したのを覚えてる。
最後の有名な詩絡みだけでもちゃんと学校は教えるべき。
この動画を日本人は見るべき。
待ってたぞー!
「うこぎ、お鷹ぽっぽ、米沢織」を
推奨したのが、鷹山公です!!
最後にチョットだけ出た「老婆」の一件はドラマかよ!というお話で皆さん調べてほしい、というよりこの動画に取り上げてほしい内容です。水〇〇門様と違ってが残した証拠の手紙が残っていてロマンにあふれる話です。
調べました。ものすごくほっこりしました。ありがとうございました。こういうリアリティのあるエピソードを日本全国の教科書に載せるべきだと思います。
農村のおばあさんの手紙が残ってて史実であるんですね・・一国の藩主が農民の手助けをするなんて当時では考えられない事、お礼におもちでしたっけ・・米沢城に持参したらあれよあれよとお城の中を通されて着いたところが藩主の部屋でおばあさんは腰を抜かしたのかもしれないね・・一般的に下級藩士でさえめったに会えない藩主に一農民が会えるなんて考えられない
開墾のくだりを聞いて、三世一身の法と墾田永年私財法を思い出しました。
近世になっても古代とあまりやること変わらんなあとw
米沢藩の借金が完全に無くなったのは鷹山公が亡くなった翌年だという。どれだけ借金を抱えてたんだよ、米沢藩…。
しかし、民や弱い立場の者を大事にする姿勢、度重なる不幸や家臣たちの反乱を乗り切って、自分の生涯ほとんどを借金との闘いに捧げ完済した偉業は凄い。
数ある上杉家の藩主でも名前の後ろに「公」を付けて尊敬された人物は、藩祖謙信公以外では鷹山公ただ一人だったという(異説あり)。
今の日本人はもっと鷹山公のことを知るべきだと思う。
素晴らしい!
鷹山様のおかげでウコギが美味しく食べれるようなりました
おつかれー。待ってたよ
攻めの政策と守りの政策をやって、成功をおさめたまさに名君ですね。
パンデミック後にも残る経済的打撃は
かつての米沢藩の窮状に似ている
絶望的な未来しか見えぬ今だからこそ
決して諦めぬ生き方を見習いたい
同門冬児さんの上杉鷹山は本当に名著ですね。
藤沢周平氏の漆の実がみのる国で知りました。上下巻一気に読んだことを覚えています。本当にすごいお殿様だと思いました。やって見せ~は、秋山好古大将が言った言葉ではないかと記憶していますが、そうか鷹山公が原点なのですか。
6:28 「すべからく(須く)」を「すべて」の意味に使うのは間違い。「べし」を伴って「当然、ぜひとも」という意味。米沢藩士はすべからく農作をすべし。
為せば成る為さねばならぬ何事も為さぬは人の為さぬなりけり
今は他人に無理強いする言葉として使われる事が多いのが哀しいですね
やって見せ、言って聞かせて、させてみる。
@@禁煙マスター-f3r
山本五十六は長岡の人です。
@@力哉-l5t あれ?これ五十六の言葉でしたっけ?
@@禁煙マスター-f3r
はい。正しくは、「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」です。
庄内の本間さまの凄さもさることながら、越後の渡邉様も凄い人ですよ、なんたって新潟坂町駅から米沢駅までほとんど渡邉様が土地を国に寄付をして、汽車をどうしたと言ってまず、米沢藩にもお金を貸して藩を助けたらしい。調査して下さい。
とてもためになります
民衆のモチベーションをあげる人物ですよね!
上杉鷹山の改革のブレーンは、酒田の大富豪 本間家当主であつた事を知っている人は少ない。 資金援助から、人は財産の教えを実践し 米澤藩を立て直した。
20:14
山本五十六さんの言葉や。
個人的大河ドラマにして欲しい名君、上杉鷹山
童門冬二の上杉鷹山は私のバイブル❤
日本史の中で名君と言える人物は数人いるかと思いますが、その中で頂点に立つ人物を挙げるならば
私は万民の父母であると称された鎌倉3代執権北条泰時公そして米沢9代藩主上杉鷹山公だと思います。
日本海の酒田、内陸の米沢ときたら、最上川の水運辺りも扱うのだろうか?
紅花だとネタになりそう
意表をついて天童藩と歌川広重も面白くなりそうだ
上杉鷹山の少し前に真田松代藩を藩政改革をした恩田木工や天保期に財政破綻寸前の長州藩を藩政改革して幕末期には百万石クラスの経済力を持てる様にした村田清風を取り上げて欲しい。
元プロ棋士でフジテレビアナウンサーの竹俣紅さんのご先祖様であり、鷹山公のブレーンだった竹俣当綱公が登場しております。
武士も農民も同じ境遇だったからこそ民主的な発想が生まれたのかもしれませんな。
しかし地図で調べたら米沢ってかなり内陸部の盆地で地理的にも交通の便が悪そう…
物を別の場所へ流通させるより自給自足があってたのもそういう事なのかな
この時の米沢藩は「忠臣蔵」の件もあって「頼むから殺してくれ!」って位の他の藩と比べても悲惨極まりない困窮具合だからね。
おぉ 鷹山公。
日本海側の、酒田の本間様も凄いけど。内陸の上杉公も凄いぞ。
庄内に
「本間様にはなれんけども、なってみたいな、殿様に」
みたいなのがあるよ、と山形民の主人から聞きました。
置賜と庄内は、文化が違うので、驚き。
このチャンネルを見つけた自分をほめたい
マッカーサーやアイゼンハワーも上杉鷹山を尊敬してましたね
1:10 2:00 3:10 8:10 9:10 12:10 13:20 16:30 18:30 20:30 22:00 25:20 27:20 29:10 30:20
鷹山が自らも田畑を耕したというエピソードはドラクエ4のソレッタの王様🥕を彷彿とさせた(;´∀`)
今でも、優秀な周辺の子供たちは、興譲館へ行こうとする、と地元民から聞きました。
鷹山公が忘れられたGHQの政策、ふぬけになるためのものだったんでしょうか?
成功例だけでなく失敗した藩政改革なども紹介してほしいです。だいたい倹約令と精神論だけで終わって美談ではうまくいったみたいに語り継がれているが実際は・・・・というパターンも多い
待っていました(^o^)
名君「上杉鷹山公」(^o^)
現在の日本に是非とも欲しい偉人(^o^)
上杉鷹山 「米百俵 目先ではなく 未来に投資せよ」
藩と村人が一体となった一大土木事業として“黒井堰”と“穴堰”という水路を作り
米沢盆地北部の水不足を解消し
新しい産業を起こし、教育にも取り組み、72才で亡くなる頃は、
藩の借金をほとんど返し、農村の復興をはたした
更新待ってました!(コメ…消しちゃったか?)
って…アメリカ人に知らされるって…教育どうなってるんや…。
で…うちの所も再建してほしいンゴw
稲わらの火も一回教科書から完全に消され他国で絶賛されてから再び教科書に載るようになった。戦後教育の闇です
日向国 高鍋藩 秋月家の二男として1751年 江戸藩邸に生まれる。10歳で遠縁の上杉家の婿養子に入り、17歳 破産寸前の米沢藩 藩主となる
山形の誇りといえる人物だけに、時代背景も考えずに今の価値観でその功績を貶める輩がいるのが残念
れい〇新撰組の池戸〇作は絶対に許さない
治憲公は私より兄上が米沢に入っていたらもっと米沢良くできたと言ってましたよ。
大河ドラマにならないかなぁー
大好きな人物です。
鷹山、大河ドラマになってほしい以前NHKでは2時間SPで
放送していたけど、大河なら最後までえがききれるから
経済のくくりで 備中松山藩 の山田方谷もお願いします
中学のPTAの会長をやって時に卒業式の挨拶で「なさねばならぬ」の言葉を拝借しました。
国会に蔓延る自己中の政治家どもに
模範にして欲しいわ
改革とは強い権力の下でしか出来ないものだよ
華族制度の廃止など、GHQが絶対的な権力をもっていたから出来た事であり
もし太平洋戦争での敗戦がなければいまでも続いていただろう。
まあ、イギリスがそうであるように華族の影響力の低下とかそういう事はあっただろうが
いまの総理は、権力の集中を阻まれて力がない。上杉鷹山や徳川吉宗ら、名君と呼ばれる人たちがいまの時代の総理大臣になっても
彼らは大きな事は出来ないだろう
鷹山はうまく行った例だけど うまく行かなかった野中兼山という例もあるので
野中兼山もやってほしい 兼山の子達の最後はほんと悲惨すぎて
男子は死ぬまで、女子は老齢になるまで、一族が幽閉されていた。
ケネディ大統領の就任会見で「尊敬する政治家は?」と日本人記者に訊かれて「日本の上杉鷹山です」と答えた時、日本人記者達は誰も鷹山を知らなかったというのもいいわ。 というか記者に限らず戦前に教育を受けた年寄り以外の日本人が鷹山を知らなかったのね。
上杉鷹山は、現在の「宮崎県・高鍋町」の生まれだったようです。
高鍋町では、鷹山にかかわる歴史・教育などが盛んに行われています。
鷹山の兄も名君だった。後、高鍋藩は秀吉に領地を36万石から3万石と10分の1以下減らされており、上杉以上に領地が減っている。
鷹山公は高鍋で生まれた訳でなく、江戸・麻布の高鍋藩上屋敷にて生まれています。生母が正室であり、江戸住まいを強いられていたためです。
幕末から明治維新の米沢藩は、斉憲・茂憲親子を含めて、ある種「世渡り上手」でした。
米沢藩にとっての戊辰戦争は隣国会津藩ほどの影響はなく、先祖ゆかりの地・越後をかすめ取れればとの思いで新潟付近に出兵して戦死者が出たくらいで、自領内に新政府軍が入ることはありませんでした。しかも、会津藩より1か月も早く降伏したために、4万石減封と、藩主・斉憲の隠居という軽い処分にとどまり、仙台藩・盛岡藩・会津藩のような家老の切腹もありません(越後で戦死した家老・色部長門を首謀者に見立て、既に戦死したことをもって切腹の代りにした)でした。
おそらく「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母」という鷹山公の遺志を斉憲・茂憲親子がちゃんと守っていたのでしょうね。
大河ドラマにしてほしい人物
数年前だったかなぁ・・。
為せば成る為せねば成らぬ何事も
って言ったら、それがブラックの温床だ!
って言ってた人がいたなぁ。
思考回路は重臣だったんだね。
映画化して欲しい
米沢って内陸だからなぁ、経済は大変だろうなぁ
高野長英やって欲しいなぁ
蘭学はまず前野良沢と杉田玄白から始めないといけないですね。そしてシーボルトがやってくるのですが、そこまで行くのもだいぶ先になりそうです。
上杉藩9代目(婿養子)で4~8は吉良上野介の子孫で10~現代も吉良上野介の子孫
米沢の上杉鷹山公に、会津の保科正之公。 負戦で歴史に埋もれた奥州の名君。
鷹山の兄で秋月家を継いだ秋月種茂も名君として知られている。
60回記念で上杉鷹山を取り上げて頂き、米沢の民としてお礼を申し上げます。
先祖より上杉家に縁があり、震災後福島にボランティアに行った際、会津藩士末裔の方に米沢まで連れて行って頂きました。上杉廟にお参りでき本当に感動しました✨ 鷹山さんのお言葉、時々繰り返しています。 全てご縁に感謝しています。
今は、離れましたが大学まで米沢でそだちました。
上杉と言えば、鷹山。小学校の道徳か何かで鷹山の功績習ったな。
最近、城趾園がでかくなってビックリした。随分前だけど
ついに来ましたか上杉鷹山
文句なしの名君なのに知名度イマイチなのが悲しい
ウコギは食える(笑)
ケネディやクレマンソーがリスペクトしてんのにね(ケネディは作り話らしいが)
@@かがみ純 キャロライン元駐日大使が 『父が上杉鷹山をリスペクトしている』とインタビューで答えている。
ありがとう😊
この時代は取り上げるべき話が多くて、なかなか先に進まないですね。寛政の改革に行く前に、蘭学の始まりとと平賀源内くらいは取り上げるべきだろうし。寛政三奇人も、松平定信の後に取り上げないわけにはいかないし。